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管理論における進歩能力のある組織の構想--構想の成立と位置づけを巡って---香川大学学術情報リポジトリ

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(1)

香 川 大 学 経 済 論 叢 第67巻 第2号 1994年10月 225-274

管理論における進歩能力のある組織の構想

一一構想の成立と位置づけを巡って一一

渡 辺 敏 雄

I 序 われわれは,既に,キlレシュの管理論としての経営経済学の基本的構造を究 明した際に,かれが,管理論としての経営経済学を r管理の学聞に基づく管理 のための学問J

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として構想していることをつきとめた。 その際 r管理の学問」が管理の分析を行い,管理のための学問に対して認識 観点を提供するのであった。そして,認識観点、としての管理の学問は,管理は 何であるのかというパラダイムとしての根本観念あるいは根本前提を含んでい ると解されたのであった。 このように,管理論としての経営経済学にとって「管理の学問」は根幹をな す重要な内容をもっと考えられる。それ故,われわれは r管理の学問」に関す る内容を跡づけ,またその上で,キルシュの意思決定過程論まで含んだ管理論 のなかにおける管理の学問の意味をいくつかの側面について検討しなければな らない。 (1) キルシュの管理論としての経営経済学の基本的構造については,次の拙稿を参照のこ と。 渡辺敏雄(稿),管理論としての経営経済学の基本的構造,香川大学経済論費量 第66巻 第3号, 1993年12月。 また,かれの管理論の全体像については,次の拙稿を参照のこと。 渡辺敏雄(稿),管理論としての経営経済学に関する考究(1ト ー ウ エ ル ナ ー キJレシュの 見解を中心に一一,香川大学経済論叢第59巻 第l号, 1986年6月。 渡辺敏雄(稿),管理論としての経営経済学に関する考究(2・完)一一ウェルナー・キJレ シュの見解を中心に一一,香川大学経済論叢第59巻 第2号, 1986年9月。

(2)

226- 香川大学経済論叢 460 われわれが本稿で取り組もうとしているのはまさにこの課題なのである。 その際,われわれは,キルシュの著書のなかから管理の学聞に関して詳細に 論じている『組織的管理システム』を取り上げたい。 さて,キlレシュの見解においては,管理の学問の内容的実質は,進歩能力の ある組織(fortschrittsfahigeOrganisation)として展開されることとなるので ある。 それ故,われわれは,かれにおける進歩能力のある組織の内容をすぐにも詳 しく窺わなければならない。ところが,キルシュは,進歩能力のある組織の概 念を,管理に関する学説史についての意識を抜きにして着想したわけではない。 かれは,管理に関して見られる制御的構想を,行動科学的に修正するという過 程のなかから,進歩能力のある組織の構想、を展開することとなるのである。こ のような事情であるから,われわれはまず,かれにおける進歩能力のある組織 の構想の成立史とも位置づけられる,管理に関する制御的構想、と行動科学によ るその修正の試みについてのかれの見解を跡づけることから始めよう。 II 管理に関する制御的構想、 キJレシュは,統制(Steuerung)と制御(Regelung)の考え方に基づき r管理」 という概念をはっきりさせ,管理に関するその考えを行動科学的構想によって 修正しようとする。 そこで,われわれは,かれの見解から,まず,管理に関する制御的構想がど のようなものであるかを跡づけていきたい。 管理に関する制御的構想は,またサイバネティックス的見方 (kybernetische Sichtweise)とも言われている。 キノレシュによると,システム(System)とは,相互に関係のある諸要素の集合 (2) W. Kirsch, Organisatorische Fuhmngs.りls.teme-Baustei目ezu einem verhaltens.ωis -sens.chaftlichen Bezugsrahmen一, Munchen 1976 われわれは本稿では,この書物を ,OFと略記する。 (3 ) 管理に関する制御的構想、に関するキルシュの見解についでは,次を参照のこと。 W Kirsch, OF, SS 1-20

(3)

461 管理論における進歩能力のある組織の構想、

-227-(

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である (OF,

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。かれにとって関心のあるのは,システムのうちで も,物質,燃料,情報を受け入れ処理し,相互に,物質的な連結

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, 燃料的な連結,情報的な連結を示す活動要素

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の集合からな る行動システム

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。この場合のひとつの活 動要素の行動とは,物質,燃料,情報といった投入

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を産出

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へと 変換することである。 こうした活動要素から成り立っている行動システムは,孤立して存在するの で は な し 環 境

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のなかにおいて存在する。システム内部の要素がシス テムにとって環境の要素と連結しているという意味で,行動システムは開放シ ステム

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である。この開放性は,行動システムにとって,それ に必要な物質,燃料,情報を得るためにはなくてはならないという意味ではシ ステムの存続の前提

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である反面,環境の変化 がシステムに対して妨害的に作用するという意味ではシステムの存続の危険因 子

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でもある。 この危険因子である環境から来る妨害を何らかのかたちで処理することが開 放システムにとってのひとつの重大問題をなすのである。すなわち r開放シス テムは,環境の妨害を補償できなければならない。J(O

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8.4,,) 開放システムとしてシステムは,外部の環境とつながっていること故に環境 から入ってくる妨害を補償できなければならないが,妨害の補償を行うために は,システム内部の統御機構

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が前 提とされる。 統御機構とは次のような機構を表す

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を比較 し両者に靖離のある場合には,ある特定の反応を規定したプログラムにした がって施策を作用器

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(4)

228 香川大学経済論叢 462 管理目的変数は,キルシュの言葉によると「管理目的変数という当為値J(Soll der Fuhrungsgroβe) (OF, S..8)とも言い表されていることによって理解され るように,維持するべき価値がそれによって表現されていると解されるのであ る。 制御範囲への介入が行われなければならない理由は,環境から制御範囲に妨 害が入ってくるからであるが,この制御範囲が果たして制御器の思い通りのも のを生み出したかどうかをまた受容器が制御器に伝える。ここで,命令が出て から成果に関する情報がもどってくるまでの環は

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閉じる。 さらに, -'.E!.出された命令によっては管理目的変数に十分沿ったかたちの成 果が制御範囲から出てこない場合は,制御器は再度,作用器を通じて,制御範 聞に介入する。管理目的変数が実現されるまで,制御器は作用器を通じて制御 範囲に介入するのである。 統御の最も重要なる事項は,管理目的変数の実現に向けて,フィードパック 情報に基づき何度も介入を行うということであると解される。 こうした統御行為を行う主体を表そうとして,それが,管理される側にはあ る意味でより上方に位置するという意味で,キノレシュはそれを統御上位主体 (controlling overlayer)と表現し,管理システムを統御上位主体として把握す ることとなるのである。 統御上位主体の統御という機能からシステムの行動を把握しようとする点 に,キルシュの言う,管理に関する制御的構想ないしサイバネティックス的見 方が最も明確に現れていると解されるのである。 われわれの見解によれば,管理に関する制御的構想ないしサイバネティック ス的見方においては,第

1

に,管理目的変数が外部のどこかから外在的に与え られているかの如く扱われているということに特色がある。 さらにその見方においては,第2に,管理目的変数から出発し個人に介入が 行われると考えられているが,その際,個人への介入は一方的影響において行 われると考えられている。つまり,管理者が,与えられた管理目的変数を実現 させるための手段の決定を行って,これを命令として一方的に伝達するという

(5)

463 管理論における進歩能力のある組織の構想 -229-像が想定されているのである。 キJレシュは,管理に関する制御的構想、ないしサイバネティックス的見方を, 行動科学的認識をもって拡大修正していくのである。 われわれはこうした意味での拡大修正を以下で見ておこう。 III 管理に関する行動科学的構想 キルシュは,管理システムの分析のために行動科学的構想を参照しようとす る (O, SF S.. 43-88)。かれは,一連の行動科学的構想から管理システムの分析に 対するサイバネティックス的見方の拡大修正を期待しているのみならず,管理 システムの分析に対する考えうる基本問題設定への示唆をも期待している。 かれが,管理システム分析の枠組の拡大修正を期待し,基本問題設定を受け 取ろうとする行動科学的構想、は,社会心理学的構想

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,政治学的構想

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,巨視社会学的構想、

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つである。だが,われわれは,これらの構 想のうちでもキルシュが

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川・“社会システムの統御上位主体としての管理のわ れわれの考え方にきわめて直接的に対応する……J(OF, S..57)構想であると位 置づけた上で取り入れている政治学的構想と巨視社会学的構想、に関して跡づけ たい。 キノレシュは,これらの行動科学的構想、から認識を受け取りながら,組織に関 してかれ独自の一種の理想的状態と考えられる特質を提示し,これをかれの管 理論としての経営経済学のなかに導入する。 組織のそうした理想的状態は,キルシュの見解のなかでは進歩能力のある組 織の構想として展開されているのであり,キJレシュは,かれが導入する政治学 的構想、ならびに巨視社会学的構想の認識を得ながら段階的に組織能力論に到達 することになるので,われわれもまた,この順序に沿いながらかれの見解を跡 づけるのが妥当であると考える。 それ故,われわれは,キJレシュによる,政治学的構想、の導入の議論から跡づ

(6)

-230 けたい。 香川大学経済論叢 464 キルシュは,イーストン(DEaston)の政治学的研究を取り入れつつ,主とし て「行為能力」と「感度」という

2

つのことがらを論じようとす

Z

。 組織目標は,組織の政治システムとその環境の両方の要素が個人目標に基づ く組織に対する目標を要求として表明し,政治システムがこれらの要求を全面 的にか部分的にか権威づけるかたちで形成されるのである。 イーストンにとっての基本的な問題設定は,こうした機能を巣たす開放シス テムとしての政治システムが常に変転する環境(sich standig wandernde Umwelt)においていかに存続する(的erdauern)か,である。 この場合の環境とは,組織にとっての外部環境を指し示し,政治システムの 存続は,この外部環境との相互作用に基づいて生まれた妨害の補償によってな されていく。政治システムは許容範囲に収めなければならない一連の重要な変 数をもっていて,環境の変化はそれらの一連の重要な変数を許された範囲外へ 押し出してしまう可能性をもっていて,組織に対するそうした妨害に対して政 治システムはどのように対処するのかが問題となるのである。 その場合の政治システムにとって重要な変数は何かが明らかにされねばなら ないのであるが,イーストンは政治システムが展開する「政策J(Politik)の概 念をもって重要な変数を明らかにしようとする。 かれは政策を「社会における価値の権限的分配」と定義し (O, SF ..72),この 定義から

2

つの重要な変数を含む次の言明が言えるとする。 第

1

に,価値の分配に関する意思決定が生み出されない場合,あるいは第

2

に,行われた意思決定がもはや「権限的」ないし「拘束的」なものとして受け 入れられなくなった場合のいずれかである場合に,政治システムは存続しなく なる。 (4 ) 政治学的構想の導入に関するキJレシュの見解については,次を参照のこと。

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Kirsch, OF, S

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57-73 ( 5) キルシュが参照を求めているイーストンの香物は次のものである。 D. Easton, A $ystems A仰 !ysis01 Political Life, N.. Y /London/Sydney 1965 (6 ) キルシュは「存続する」ということを意味するためにbestehenという言葉をも使用し, また「存続」という名詞形の言葉としてUberIebenをも使用している。

(7)

465 管理論における進歩能力のある組織の構想 -231-それ故,政治システムにとっての重要な変数は,ここに現れた

2

つの変数つ まり意思決定を行う能力(Fahigkeitzur Entscheidung)と当該者による意思決 定の受け入れの相対的頻度(relativeHaufigkeit der Annahme)である。 キノレシュはこの2つの変数に対応するかたちで,政治システムが第1にそも そも意思決定を行い,第

2

に行われた意思決定を当該者に受け入れさせるない し貫徹する場合,それは行為能力がある (handlungsfahig)とする。 キルシュによるとこの構想を管理システムへ適用することには何ら困難がな い(OF,S引72)

キノレシュはこうして

2

つの行為能力をあげるのみではなしさらに行為能力 のうち特に行われた意思決定の貫徹能力を確保する施策について次のように論 じる。 政治システムは,その環境からの要求を権威づけて組織目標にしていくこと を主たる任務とするという限りで,政治システムへのインプットは環境からの 要求だということになるのである。だが,インプットは単にそれだけではなく, 環境からの支持(Unterstutzung)もまた政治システムに入ってくるのである。 この場合の環境とは単に組織の外部環境のみではなく組織の内部ではあるが政 治システム以外の組織の内部環境をも含んでいる。 支持の意味を規定してかれは次のように言う。 「何らかの対象

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の有利なように行為することないしそう いう行為をなす心構えがあることである。J

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,F S. 60.) 次に,支持の種類には2つあって,特殊的支持(spezifischeUnterst也tzung) と遍在的支持(di任useUnterstutzung)とがある (O, SF ..60)。このうち特殊的支 持とは,個々の意思決定に向けられて行われる支持であって,政治システムは 意思決定によって失望しない者からだけ特殊的支持を得られる。遍在的支持の 方は,特殊的支持とは対照的に個々の意思決定に向けて行われるのでは決して なし政治的意思決定者の正当性(Legitimitat)への信何,政治的システムの意 ( 7 ) handlungsfahigないしHandlungsfahigkeitという言葉は例えば次の箇所に見られ る。

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.

Kirsch, O,FSS.71-72

(8)

-232ー 香川大学経済論叢 466 思 決 定 が そ れ に 向 か つ て 役 立 つ て い る 一 般 的 な 共 通 の 利 益

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への信仰,政治的共同体への多分に情緒的な一体化

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に現れるのである。通常,遍在的支持を行ってい る者は,政治システムの個々の意思決定によって失望しでも直ちに遍在的支持 を取り消したり控えたりせず,長期的に失望させられた場合にだけ遍在的支持 を取り消したり控えたりする。 遍在的支持を巡るこうした事情から,キルシュは「政治システムは遍在的支 持を得れば得るほど,不人気な意思決定

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を行いか っ貫徹する余地をますます多くもつことになるJ(O

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, S.61)と言う。 特殊的支持と遍在的支持のこの論述に基づくと,これらの支持を獲得してい く施策がありうることとなる。 そうした施策に関して,かれは行われた意思決定の受け入れ促進

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に対する活動と施策ならびに支持の創造な いし維持

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のための 活動と施策をあげる。このうち前者の施策が特殊的支持の獲得を目指した施策 であり,後者の施策が遍在的支持の獲得を目指した施策のことをさし示してい ると解される。 組織の政治システムは支持獲得のためのこれらの活動をもなすのであり,政 治システムヘ.のインプットには諸々の要求のみではなく支持もあることに対応 して,政治システムのアウトプットにも意思決定のみならず支持獲得施策もま たあることになるのである。そしてこの支持獲得施策は政治システムの重要な 変数の第

2

として言われた意思決定の受け入れの頻度を高める活動なのであ る。 われわれがここで付言しておきたいことは,行為能力の確保が問題になるそ もそもの根源は,組織が開放システムであり外部からの妨害を補償する必要が あるという事態であるということである。すなわち,こうした意味でのいわば 「存続の論理」に則って上述のような支持獲得施策が発生してくるということ である。

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467 管理論における進歩能力のある組織の構想 233-以上は行為能力についてであるが,次に感度

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についてキルシユ はイーストンの構想から次のような認識を受け取る。 上述のように政治システムが環境からの要求を取り上げて,また環境からの 支持に依存しているという事態は,政治システムが環境の欲求

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(10)

234- 香川大学経済論叢 468 分の価値のみを重視して,意思決定過程を結論にまでもち込む方を容易にして, 意思決定過程から出た結論を支持獲得施策によって何とか当該者に貫徹してい こうとする構図が見られる。すぐ後に見るように,こうした事態は感度の拡大 を広い意味で把握しようとするエツィオーニの構想との鋭い相違点である。 キノレシュは,こうしてイーストンの政治学的構想を取り上げつつ,サイバネ ティックス的な管理の見方に対して,管理目的変数が形づくられ伝達されてい く過程,特に伝達されていく過程の方を立ち消えないよう確保していく活動に ついての認識を付け加えているのである。 政治学的構想の骨子は以上のようであるが,そこでは主として,管理目的変 数が与えられたものとしてではなく,システム内部における政治システムの意 思決定過程を経て生み出されるものだという認識がなされた。 この認識はわれわれが先に述べた行動科学的認識による管理に関する制御的 構想の拡大修正に相当しているわけである。その際,イーストンの政治学的構 想においては,重要な環境部分の価値のみが重視されていくという存続の論理 に基づく認識によって政治システムの構成員以外のその他の人々の影響の可能 性には事実上、の限定があることが意識されていることもここで再度確認される 必要があろう。 キノレシュが政治学的構想、に引き続いてかれ自らの管理論に取り入れようとす るのは,エツィオーニ (AEtzioni)の巨視社会学的構想であり,こちらの構想に よって政治システムにおけるさまざまな当該者の価値の管理目的変数ぺの取り 上げの提唱が進められることとなっている。すなわちそうした構想の取り込み によって,政治学的構想における管理目的変数のシステム内的決定という認識 に基づきつつも,管理目的変数に対する他の当該者による影響の可能性が聞か れることとなる。 キルシユによって取り込まれたエツイオーニの構選をわれわれは次に見た ( 8 ) 社会学的構想の導入に関するキルシュの見解については,次を参照のこと。

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Kirsch, OF, SS.. 73-86 ( 9 ) キルシュが参照を求めているエツィオーニの審物は次のものである。

A.Etzioni, The ActiveSocie~y-A Theoη of Socie

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(11)

469 管理論におげる進歩能力のある組織の構想 -235-しユ。 エツィオーニの構想、にとっては,どのような条件の下で社会は積極的

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なのかが関心の的なのである。 かれの構想においては,社会が積極的であるということは,当該社会の価値 がより良く満たされていくように自らを変更する

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ことが できるということであり (OF,S..73),このことを達成するための能力が3つに 分解される。 それらの能力は,サイパネティックス的能力

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の場合における知識

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の役割である。この ことに関連して,エツィオーニの出発点は,社会的行為単位は,情報を集め, 評価し,適用する能力において区別があるというものである。この知識の役割 を積極的社会

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つまり自己変更能力をもっ社会の条件と関 連させて,かれは次のように説く。 合意の得られている基本原理を疑問視して,古いコンテクストを新しいコン テクストに代替していく科学革命に対比せられる革新的情報の生産を促進する 根本的批判

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こそ,積極的社会の一条件である。 この知識の役割の強調は,イーストンの政治学的構想、には見られなかった巨 視社会学的構想の独特の提唱であり,キルシュはこれをかれの組織能力のひと つに取り込むこととなるのである。 次に,エツィオーニは,サイバネティックス的能力に続き,管理の実行要素

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を論じ,そこで問題となるものが権力である,と説 く。かれによると,権力使用

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であるが,権力使用それ自体がまたそれ固有 (10) VgL W.

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(12)

236- 香川大学経済論叢 470 の抵抗を生む。複数の権力使用は,抵抗の基礎となる疎外

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につ ながる程度が異なり,権力をもっ者は,最も少ない疎外しか生まないかたちで の権力使用を望む。しかし,権力をもっ者はこの意味での適切な権力使用をな す可能性を限定されていたり,そもそもある権力使用がどのような量の疎外に つながるか,ということに関する知識にも限定がある故に,最も少ない疎外を 生み出す権力使用の可能性は限られている。そうした限界はあるものの,この 意味での適切な権力使用を行うということが問題となるのである。 だが,疎外の発生量から見た使用の妥当性の問題はあるにせよ,われわれの 見解によれば,権力使用の目的は, -.E!.行われた意思決定を受け入れさせるこ とにあると解される。この意味では,エツィオーニの構想、における権力使用は イーストンの構想では特殊的支持を得ることに相当すると考えられ,そしてそ の限りでは,イーストンの考える行為能力を促進する要因として位置づけられ るのである。 さらに,合意を動員する能力については,エツィオーニは次のように考える。 合意を動員する能力における合意とは,

2

人以上の人々の聞における展望

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と,社会の構成員の聞に価値の上での一致は見られるのであるが,社 会 の 構 成 員 は 操 作 さ れ て い る と い う 感 情 を も っ と い う 場 合 の 表 面 的 合 意

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がそれらである。そして,かれは,問題はどのよう な条件下で真の合意が完成するかであるとする。 われわれはここで,叙上のイーストン的意味における特殊的支持獲得活動と 遍在的支持獲得活動を想起せざるを得ない。なぜなら,こうした支持獲得活動 によっても一応は合意は形成されうるからである。しかし,これらの支持獲得 (12) V

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.

83-84

(13)

471 管理論における進歩能力のある組織の構想 -237 活動によって獲得されるのは,真の合意ではなくやはり表面的な合意であると 言うことができる。このことは特に特殊的支持獲得活動の場合にそう言えるが, 多かれ少なかれ遍在的支持獲得活動も長期的効果をねらう一種の「操作的色合」 をもっ以上,こちらにも言えることなのである。エツィオーニが真の合意とい う言葉を出して言及しようとした事態は,そうした支持獲得活動ぬきで社会に 存在する多数の当該者の価値を考慮に入れてこそ真の合意が成立するというこ となのだと解される。なぜ、なら,この意味での真の合意だけが「当該社会の価 値がより良く満たされていくように自らを変更する」ことが出来るという積極 的社会の意味に合致するからなのである。 イーストンの政治学的構想、における感度という能力は,エツィオーニの言う 当該者の価値の考慮に相当し,その限りで両者は等しく感度を問題にしてはい るが,感度に関する両者の問題のしかたには相違がある。 すなわち,イーストンの方は管理システムはすべての価値には平等に考慮を 及ぽすことができないという,存続の論理を背後に置きながら事実に関する認 識をなすのに対して,エツィオーニのいう真の合意を獲得する社会ないしより 多くの当該者の価値を考慮する社会ということには理想像的要素が現れている のである。 キルシュもエツィオーニの構想する積極的社会の理想像的要素を認め,その ような社会が理想郷

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であると表現する (O,F

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8

5

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。 以上が,キノレシュが導入するエツィオーニの巨視社会学的構想、である。 さて,キルシュは,イーストンから得た行為能力に関する認識とエツィオー ニの構想、を接合させながら,キルシュ独自の進歩能力のある組織の構想を展開 することとなるのである。 われわれは,次に節を改めてこの構想について触れなければならない。

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進歩能力のある組織 われわれはキルシュの進歩能力のある組織

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(14)

--238 香川大学経済論議 472 ( 13) tion)の特質づけを論じよう。 キルシュは,進歩能力のある組織が

3

つの能力から構成されると考える。そ れらは,行為能力 (Handlungsfahigkeit),感受性 (Empfanglichkeit),認識進歩 能力 (Fahigkeitzur Erkenntnisfortschritt)の

3

つである。 これらのすべての能力の萌芽形態は,キノレシュが取り入れたイーストンなら びにエツィオーニの構想のなかに見られるものである。 すなわち,イーストンの見解における行為能力は,名称もそのままにキルシュ の行為能力に受け継がれ,感度は,キ1レシュの感受性に受け継がれている。 また,エツィオーニの見解における合意形成能力は,キルシュの感受性に受 け継がれ,サイバネティックス的能力において強調されている知識の役割は, キルシコの認識進歩能力に受け継がれているのである。 われわれは以下においてキルシュの言う 3つの能力の内容を跡づけ 3つの 能力の聞の関連を究明するという作業を行わなければならない。 (13) キルシュは組織的管理システム』公刊以後も,進歩能力のある組織の概念について, さまざまな箇所で論じている。

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.

Kirsch, Funktion der Fuhrung, in:M. N. Geist u. R Kohler(Hrsg.), Die Fuh -rung des Betriebes, Stuttgart 1981 Derselbe, Aspekte einer Lehre von der Fuhrung, in:ZjB., 51.Jahrg.., 1981, SS 656-671 Derselbe, Wissenschaftliche Unternehmenミがhrungoder Preiheit vor der Wissen -schajt? -Studien zu den Grundlagen der Fuhrungslehre-, 2.. Halbband, Munchen 1984, 4.. Teil キルシュはこのように進歩能力のある組織をかれの管理学説の主要概念として据えよ うとしている。ところが,われわれの見た限りでは,たとえかれの学説を取り上げている 研究者がいても,進歩能力のある組織の概念を検討した者はいない。例えば,トーメンは, ドイツにおける管理論史を究明した審物のなかで,キルシュの学説に関してl章を設け て議論しているが,進歩能力のある組織については,ごく簡単なキルシュの言うままの紹 介と,それがかれの理論的枠組の理想(Idee)に相当するという確認をしているに過ぎな い。 (Vgl. J -P Thommen, Die Lehre der Untemehmungsj初hrung. E.:ine wissenschajts -historische Betrachtung im deuおじhψrachigenRaum, Bern und Stuttgart 1983,

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.

.

182 なお,トーメンのこの書物におけるキルシュの学説を巡る議論については,次を参照のこ と。 J-PThommen, a. a 0, SS 177-198.) なお,われわれは,進歩能力のある組織に関して,既に次の拙稿においてその意味の明 確化ならびに位置づけを試みた。 渡辺敏雄(稿), Das Wesen der fortschrittsfahigen Organisation,香川大学経済論叢 第66巻 第2号, 1993年9月。

(15)

473 管理論における進歩能力のある組織の構想、

-239-(1)行為能力

われわれは,管理システムの行為能力から,キルシュの言うことを尋ねよう。 キルシュは,行為能力を論じるにあたって,行為の循環 (Handlungszyklen) の概念から出発する。かれによれば,文献では,しばしば一連の局面 (eineReihe von Phasen)によって特徴づけられる「完全な」行為の循環(“vollstandige" Handlungszyklen)の考えが見られる (OF,5..173)0i管理システムの行為能力 は,比較的に頻繁に,全ての「局面」を含んだ完全な行為の循環を実現する能 力に現れるのである。J(OF, 5..173.) キJレシュのこの言葉から,われわれは,行為能力ということが,複数の局面 を含んだ行為の循環に密接な関連をもち,さらに,行為の循環そのものも含ま れる局面によっては完全なものと不完全なものとに 2分され,行為能力がある という状態は,このうち完全な行為の循環のことを指し示すことをまずは知る ことになる。 そこでわれわれが次に直ちに尋ねなければならないのは,行為の循環しかも 完全な行為の循環を構成するところの局面についてである。 キノレシュは,行為の循環を構成する局面に関する構想の多様性とその理由に ついて触れた上で,サイバネティックス的制御循環 (kγbernetischer Regel-kreis)の構想、を紹介し,行為の循環についての考えを拡大する。そのことを通じ て,また局面を要素 (Faktor)と言い換えた上で,かれは,かれが完全な行為の 循環だと考えていると解される行為能力の

5

つの要素を確認する (OF,55.. (14) 行為能力に関するキルシュの見解については,次を参照の乙と。 W. Kirsch, O,F SS. 173-179 (15) サイバネティックス的制御循環の構想にしたがうと,局面は次のようになる。(1)当為と 現状の議離の確認、(Feststellungvon Soll-Ist-Abweichungen), (2)補償を行う処置の発見 (Finden einer kompensierenden Maβnahme), (3)その処置の実行(Implementierungder Maβnahme), (4)成果のフィードパック統制(feedback-Kontrolledes Erfolges)(O,FS. 174)

この構想、に基づいて,キルシュは次のようにまとめる(OF,S.174)。 管理システムが制御システムとして特徴づけられるならば,行為能力は,管理システム が,何らかの妨害の補償のための行為の循環を実現できるということに現れる,と。 キJレシュは,かれの出発点的認識として選択したサイバネティックス的制御循環の考 えに対して,それが2つの欠点をもっと言う(oF, S. 174)。

(16)

-240 香川大学経済論叢 474 175-176)

キルシュは,行為の循環についてのかれの論述を終えた後で,次のように考 える。 行為の循環は,より精搬にもされえて,それに応じて,行為能力の要素も多 様でありうる。「しかし場合によっては例えばイーストンもそうしているよう に,行為能力の 2つの主要要素 (zweiHauptfaktoren der Handlungsfahigkeit) を摘出することもまた合目的である。J

(OF

, S.l77) ここにわれわれは,キルシュが,上記の行為の循環に見られる要素を2つの 要素に絞り込んできたことに注目しなければならない。 なぜなら,キlレシュの思考は,ここでかれが提唱することになる2つの要素 に基づいて形成されるからである。そういう意味で

2

つの要素は,行為能力の まず第 lに,この見方は,当為と現状の飛離並びに処置の成果に関する客観的認識の獲 得能力を先験的に合意している。 第2に,この見方は 2世界模型 (Zw巴i-Welten-ModelI)を前提している。それ故に, 心理的現象(psychischePhanomene)が考慮に入れられていないのである。 われわれはここに,キルシュが,サイバネティックス的制御循環に対する第lの批判を 介して,客観的認識の獲得能力は自動的に前提されえない1つの重要な能力であること, ならびに第2の批判を介して,かれが管理システムの能力論を展開して行くにあたって, 心理的現象をも重視していく心構えであることを窺い知るのである。 その上でキルシュが確認した行為能力の5つの要素は次のものである (O,FSS 175 -176)

第 Iに,管理システムの行為能力は,管理システムが,行為の循環をそもそも発起する (initiieren)ことができなくてはならないことを前提する。第2に,管理システムは行為を そもそも「記号化」すること (zu“symbolisieren")ができなければならない。すなわち, それは,問題解決あるいは“計画"を獲得することができなければならない。第3に,管 理システムは記号化された諸行為のlつを決定しなければならない。すなわち,それは実 際に決定しなければならない。これらの第1から第3の3つの場合は,ある意思決定をは じめることから,その意思決定の結論に導くまでの過程に関して言及していると解され る。 第4に,行為能力は,管理システムが実際にその環境に働きかけることができるという ことを要求する。管理システムは,実行にとって重要な関連をもっ人を決定された解決に 向かつて没頭させることができて,他方で,実行にとって必要な資源を動員することがで きなければならない。第5に,管理システムは,影響を受げる人々 (Betroffene)をして, 問題解決と実現された処置を受け入れるようにもち込まなければならない。これらの第 4と第5の2つの場合は,ある意思決定が結論に至った後のことを指し示し,結論を影響 を受ける人々によって受け入れてもらい,実施に移す過程に言及していると解される。 これらの点がキルシュの考える行為の循環の局面である。

(17)

475 管理論における進歩能力のある組織の構想 241 キノレシュ的内容の本質であると言える。 それでは,そこに言う行為能力の 2つの主要要素とは何か。 キルシュは,これらの要素を,システムの生存の条件ではなく,生存がいつ 危険に晒されるのかという逆の条件を問うかたちで明らかにする。そうした条 件ないし場合は

2

つある。 第

1

に,システムが,なんら意思決定を生み出さない場合

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177)という言葉や

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過程が途中で立ち消えになってしまう

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177)という言葉にも表されている。 われわれは,ここに言われた生存の阻害の第1の場合の本質を,意思決定を 下すことができない場合ということであると解することができるであろう。 第

2

に,システムが,影響を受ける人々をして,意思決定を拘束的なものと して受け入れさせるようもっていくことができない場合

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8

177)とも表現される。 われわれは,ここに言われた生存の阻害の第2の場合の本質を,下した意思 決定を影響を受ける人々に受け入れてもらうことのできない場合であると解す ることができるであろう。 システムの生存がいつ危険に晒されるのかという以上のような条件から,キ ノレシュは,システムの生存の条件を,ひいては行為能力の内容を次のように明 確にする。 つまり,行為能力の内容は,一方で「そもそも意思決定を行えることj,他方 で「意思決定の結論を影響を受ける人々に貫徹できることj,これらである。 キルシュは,こうした意味の行為能力,就中その

2

分類される内容を踏まえ

(18)

-242- 香川大学経済論叢 476 つつ,さらに論を一歩進めて,行為能力の確保の施策に次のようなかたちで言 及する。 「管理システムによってそのシステムの行為能力の関心から実施されるすべ ての施策を促進

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と言うならば,こうした

2

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に向けられ,管 理システムの問題解決努力の成果を影響を受ける環境に対して貫徹するように 試みる促進活動である (OF,S..177)。もとより,この場合の環境とは,組織外の みならず,組織内の環境をも含むのである。 われわれはここで,キノレシュが,システムの生存のための条件を取りまとめ, それ故,一種の機能主義的に,意思決定と,それに後続の過程を次のように考 えていることを知る。 すなわち,まず先にある意思決定過程が存在し,それを結果にまで到達させ る必要があり,それが首尾良くいくならば,引き続いて,今度は,その結果を 影響を受ける人々に受け入れてもらう必要がある,と。 われわれはこの事情を図lのように示すことができるであろう。 意思決定I → 意思決定Iの結果の受け入れ ↓ 意思決定II → 意思決定IIの結果の受け入れ ↓ 意思決定III → 図1 意思決定と受け入れの連続 キルシュは,このように,行為能力の内容を明らかにして,行為能力を確保 する施策を論じているのである。

(19)

477 管理論における進歩能力のある組織の構想 -243

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認識進歩能力 キルシコは,組織について,知識の働きを重視し,就中,認識進歩能力

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を,進歩能力のある組織の能力の1つに含めて いる。かれは,認識進歩能力に関する論述をはじめるにあたって次のような注 目すべき発言をしている。 「世界は,神話

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,作り話

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に満ちている。そ してそれらは,社会システムや個人の行為に著しい影響を与える…一J(OF,

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181)のである。神話,作り話,教義といった高度に主観的な認識に代えて,客 観化された情報への志向が重視される。 そこで,キノレシュは認識進歩能力について定義的に次のように言う。 「単純化すれば,次のように言いうるであろう。管理システムは,それが継続 的に“客観的でぺ“確固たるヘ“真たる"認識に到達できるならば

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,認識進歩能力をもっている。J(OF, S.. 180) この言葉から,われわれは,管理システムが,高度に主観的な認識ではなく て,常に,より客観的な認識に到達するよう努力している場合に,それは認識 進歩能力をもっていると称すべきことを窺い知るわけである。そこで,われわ れは,ここに認識進歩

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とは一体どのようにして達成さ れるものであるのかに関してより一層詳しくキルシュの言うところを跡づける べきであろう。 なぜなら,認識進歩を巡る議論には,必ず,どのような条件があれば認識進 歩が促進されるのかに関する叙述があるはずであり,そうした認識進歩の条件 を組織のなかに織り込んでいくことこそ,キルシュ言う「進歩能力のある組織」

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の実現にとっては重大な関心事であるはず だからである。 「批判的合理主義

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の見方における“客観的認識" (16) 認識進歩能力に関するキルシュの見解については,次を参照のこと。

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, O,FSS.. 180-188

(20)

-244 香川大学経済論叢 478 とは,できる限り厳しい批判から暫定的に維持された認識である。J

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S.. 182)この見方からは,どの認識もすべて暫定的であり,批判によって覆される のである。そして,認識のこの暫定性ないし覆される可能性を強調するところ に可謬主義(Fallibilismus)の特徴がある

(OF

,S.182)。 「われわれができることならびに認識進歩の関心からすべきでもあることの すべては,どの仮説(一般的な条件帰結言明ならびに単称の事態主張)をも, ないし(言明体系としての)理論をも,経験的研究の基礎に基づいて,かつま た代替的理論の観点に基づいて,あるいはそれらのいずれかに基づいてできる 限り厳しい批判に晒すことである。J(O

F

S.. 182) ここに,われわれは,以上の認識進歩能力に関するキルシュの議論から,批 判(Kritik)の役割が大きいことを知るのである。批判についてキルシュは次の ように考える

(OF

,SS.. 182-183)。 認識進歩の原動力(Motor)としての批判については,個人間の批判が意味さ れているのである。個人間の批判が薦められる理由は,人聞は,自分自身の認 識については一貫性を形成して保持しようと試みるのに対して,他人の主張に 対しては常に当然のように疑いをかけているからなのである (O

F

Sわ183)。 「この理由から,認識進歩の増進は,常に,個人間の批判(interindividuelle Kritik)を前提する。J(O

F

S.. 183) こうしてわれわれは,キノレシュが,認識進歩の確保の方法に関しては,批判 それも個人間の批判を重視することを窺い知ったのである。 かれは,科学理論的考察を科学以外の領域,例えば,組織に移行することが できるし,またそうするべきであると考える

(OF

,S..185)。その際,かれによれ ば,以下の仮説を定式化することができる。 「組織における批判が限定されればされるほど,認識進歩能力はより少なくな るのである。J(O

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S.. 185) 根底的批判(Fundamentalkritik)への可能性がなんらないと,確かに一定期 間中は,所与の疑問視されないコンテクストに基づいた一種の通常科学的進歩 は可能かも知れないが,根底にあるコンテクストの根底的変更に至る革新的認

(21)

479 管理論における進歩能力のある組織の構想 -245-識進歩は出てくる見込みはないのである。 キルシュは,認識進歩能力との関連で見られた批判,就中基本的批判を阻害 してしまう条件についても言及している。 「その際,批判の回害は,権力過程(Machtprozeβ)に基づ、いて生じる。J(OF, S..185)権力過程に基づいた批判の阻害という概念についてはキルシュはそれ 以上説明を加えてはいないが,批判を行えば権力をもっ者からの制裁が加えら れるのではないかという恐れから批判が出てこない事情が指し示されていると 考えられる。 キノレシュが挙げる批判の回害条件はそれだけではない。「それ(批判の阻害 一一渡辺)はまた合意(Konsens)の存在の結果でもある。J(O,F S“185)この文 章の意味を説明するにあたって,かれは,科学における学派との対比で次のよ うに言う。 「その他では大いに批判的に研究するが,根本的構想(コンテクスト)につい ては合意(Konsens)をしている 1つの科学上の“学派(Schule)"におけるのと丁 度同じように,組織的管理システムにおいても,管理システムにおける構成員 の知覚における組織的認識獲得の合意された基盤に対する批判を余計なものに 見せて,そうして事実上排除する基本合意(Grundkonsens)が存在する。J(O,F S..185)こうした事情を前提すれば,組織にこのような合意が存在するというこ とは,認識進歩が停滞しはじめているということの警告を発する信号と見なさ れる (O, SF ..185)

このように,キルシュは,認識進歩を確保する方法としては根底的批判を重 視し,さらに,確保の方法としての批判が阻害される

2

つの場合として,権力 による認識進歩の阻害ならびに合意の存在による認識進歩の阻害を考えている のである。 われわれは,さらに,組織の能力のlつを形成し既にわれわれが取り上げた 行為能力とこの認識進歩能力との関連についてのキルシュの議論を進んで取り 上げたい。 認識進歩能力と行為能力との関連に関する論述をはじめるにあたって,キノレ

(22)

-246ー 香川大学経済論叢 480 シュは次のように言う。 「認識進歩を阻害する批判の封鎖,特に根底的批判の封鎖は,システムの行為 能力

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l)かも知れな い。J(O

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ここには,認識進歩能力を阻害する条件をおくことが,行為能力の促進には つながることが示唆され,示唆されたこの関連に基づいて次の仮説が提示され る。 「管理システムの構造的条件

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が複数主義的認識模 型の理想に対応すればするほど,つまり,無制限な批判

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に向かう可能性がより広範になればなるほど,管理システムの行為能力 は一層脅かされるのである。J(OF,

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こうして,認識進歩能力を確保する方向に向かえば,行為能力は確保し難く なるという関連が仮説として提示されたわけである。それ故,行為能力の確保 の観点から見れば

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行為能力のあるシステムは批判に対する停止規則

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ということになる。つまり,行為能力の確保 の観点からは,根底的批判をどこかでせき止める必要があるのである。 ところが,こうした関連は,キルシュによれば,大雑把な

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l)ものである。 つまり,かれによれば,根底的批判をまったく抑制

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てしまえばよいというも のではなく r最低限の“客観的"知識をもち合わせないと,どの管理システム も行為能力をもたないJ(O

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のである。 キノレシュはここで,そうした最低限の客観的知識の必要理由に関して,次の ような例を挙げる。 自己認識

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つまり管理システムの機能に関する認識の進歩 は,たとえそれに導く条件として複数の理論が提出され,そのことが行為能力 の多少の臨害に導くとしても,結局は管理システムの行為能力をむしろ促進す る条件を作る。 (17) 複数の理論による客観的知識への接近が,行為能力を促進するという事情は,組織を巡 る知識一般について言われたものであると解されるが,知識が過程促進や成果促進に対

(23)

481 管理論における進歩能力のある組織の構想 -247-キルシュはさらに論を進め,認識関心 (Erkenntnisinteresse)なる概念を使用 し,それがそのときそのときに現実のさまざまな領域 (unterschiedlicheBerei -che der Realitat)に広がる (OF,S.. 187),と考える。つまり,企業管理の認識 関心は,市場,顧客,顧客の購買動機に向けられてきたのであって,自らの企 業の動き (eigenesFunktionieren)は企業管理の興味をそそってはこなかったの である。この意味において企業管理は自らの企業の動きについては,神話 (Mythos)を信じているのである。こうして企業管理の興味をそそらず,その意 味では企業管理の認識関心に入ってこなかった認識としては,この他に,労働 者 (Arbeitnehmer)の欲求と行動様式ならび、に企業活動の社会的作用 (gesell -schaftliche Auswirkung)が挙げられている (O

F

S..187)。 われわれは,ここに,市場,顧客,顧客の購買動機といった情報のみではな しより広範に,企業の動き,労働者,社会的作用についての情報に関心が向 けられ,したがってまた,それらの対象に関する認識進歩が達成されることの 重要性がキルシュの見解において明確に意識されていることを知るのである。 (3) 感 受 性 政治科学では,“responsiveness"という概念は,長い間傑出した役目を果た してきたのである

(ORS

1

4

3

)

。キJレシュはこの傑出した役目を果たした概念 を組織論的考察にも取り入れようとするのである。 して直接に利用できるものであるなら,そうした事情はなおさら直感的に説得的である。 このことと関連して,次のような例が挙げられている。「どのように葛藤が発生しどのよ うに処理されうるのかを知る者は,また,成果促進の可能性に関して維持された認識をも っ者は,行為能力が疑問視されることなし複数主義を可能にする。j (OF, S. 186) (18) 感受性に関するキfレシュの見解については,次を参照のこと。 W. Kirsch, OF, SS.188-195 (19) ドイツ語へのこの語の訳語としては価値に対する感受性j(Wertsensibilitat),r利害 の考慮j(Interessenberucksichtigung),r欲求の考慮j(Bedurfnisberucksichtigung)(OF, S.188), r感受性j(Empfanglichkeit), r感度j(Sensitivitat), r接近可能性j(Zuganglich -keit)(OF, S 189)が考えられるという。 ところが,キルシュはこうした事情を考えた上で,たとえドイツ語閣で使用されていな くとも,感受性(Empfanglichkeit)という言葉を選択する。なぜなら,かれはこの言葉が 中立的概念(neutralerBegriぽ)であるからだという。中立的概念であるが故に,ここで提 示されたコンテクストの観点からその概念を精鰍にでき,また日常的ドイツ語表現を選

参照

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