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3 進歩能力のある組織の実体

われわれはここで,キルシュの議論のなかでは,進歩能力のある組織が,サー チライトを表す管理の学問として,組織が実現するべき理想的な目的的な意味 をもつものであることを想起しなければならない。こうして,理想的な目的的 な意味をもっ進歩能力のある組織の実体は,上記のように理解されるのである が,理想的な目的的な意味をもつものに対しては,次に,それを達成する手段 に対する計慮が巡らされて然るべきである。

キルシュの見解において進歩能力のある組織を達成する手段に対する計慮を

503  管理論における進歩能力のある組織の構想 ‑269‑

窺うことは本稿の域を越えるが,われわれがそれを窺う際には,少なくとも,

ここで進歩能力のある組織の実体についてのわれわれが示した図に関連づけ て,第

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に,施策が,感受性,認識進歩能力,合意形成能力のどの事態に関連 したものであるのかということに注意を払うとともに,第

2

に,施策が,促進 の観点において提唱されているものか,あるいは,対応の観点、において提唱さ れているものか,に注意を払う必要がある。

(3)  管理の学問としての進歩能力のある組織

「管理の学問に基づく管理のための学問」という構成をなすキルシュの管理論 との関連で,進歩能力のある組織こそがその際の「管理の学問」に相当す町るの で、あった。

ω 

キノレシュによれば,管理を対象にする認識観点とも称される「管理の学問」

( L e h r e  von d e r  F u h r u n g )

がサーチライトになって,他学科の認識を照らし出 し,それをもって肉づけをしていって完成するものこそ「管理のための学問」

( L e h r e  

f

d i eF u h r u n g )

なのである。

そしてかれは,管理の学問に対しては,特別にかれ独自の特徴を盛り込もう としていた。

1

に,管理の学問は,管理は何であるのかというパラダイムとしての根本 観念あるいは根本前提を含んでいて,キノレシュの意図では,管理の学問は,認 識の狭障化を回避するはずなのであった。認識の狭障化の回避という意図が高 じて,かれはサーチライトとしての管理の学聞から,際限なく光が進んでいっ て,限りなく多い学科から限りない認識を集めるような印象を与えていた。と ころが,われわれが解釈したように,サーチライトは,たとえ緩やかであれ,

それに関連する認識を照らすことによる何らかの選抜の機能を果たし,管理の ための学聞を築くにあたっては,諸々の認識を束ねる鑑(たが)の機能を果た すと考えるのが妥当である。かれの管理の学聞は,いかなる意味で認識の狭障

(28)  以下の議論については,先にも触れた次の拙稿を参照のこと。

渡辺敏雄(稿),管理論としての経営経済学の基本的構造,香川大学経済論叢第66巻 3 199312

‑270  香川大学経済論叢 504  化を回避しているのか。そして管理の学聞は,やはり何らかの選抜の機能を果

たすのか。これらが,この第1点に関わるわれわれの問いである。

2

に,経営経済組織の管理の「ための」学問という定式化には,経営経済 学の産物が応用され,ないしそれに従われる限りで,そうした産物が経営経済 の管理の改良に貢献するという意味があった。われわれはここに,価値という 概念を織り込むと,管理の改良というのがいったい誰の価値から見ての改良で

あるのかと問うことができた。こうした管理の改良の判断の観点たる価値に関 しては,キルシュは,かれの構想する管理論が広範な価値に対応できるように 言っていた。企業を巡る広い範囲での利害関係者の価値体系を取り込もうとす るかれの管理論は,果たして,その意図をどこまで実現できているのか。これ が,この第2点に関わるわれわれの間いである。

1

点に関する聞いについて,われわれは次のように言うことができるであ ろう。

キルシュの管理の学問に含まれる,管理とは何であるのかという根本観念あ るいは根本前提は,われわれがここまでで明確化してきた進歩能力のある組織 の内容から判断するに「行為能力の確保」である。つまり I行為能力の確保」

をすることこそ,管理なのである。

キルシュが,行為能力の確保の意味をもっ進歩能力のある組織の構想、につい て認識の狭陰化の回避を主張する際に,かれの念頭に置かれているのは,そう した構想が集めてくる認識についての狭齢化の回避であろう。

われわれは,認識の狭降化の回避に関してキノレシュの学説の特徴を指摘する ならば,進歩能力のある組織の構想は,もとより,企業の現実的な姿に近づく ことを阻むとかれが考えた経済学的認識とは異なる側面に光を当てている。そ ういう意味では,かれの意図では,進歩能力のある組織は企業の現実的な姿に

「近づ、いている」のである。さらに,ここで問題にされていることは,選択原

ω) 

理の厳密性にまつわる問題であると考えられる。それに関しては,最初から限 (29)  経営学における選択原理を巡る議論については,次の書物を参照のこと。

田島社幸,企業論としての経営学,税務経理協会, 1984年, 3 ‑9頁。

505  管理論における進歩能力のある組織の構想 ‑271‑

定的な選択原理をもって研究を行う場合,そもそも研究の過程において明らか にされるべき事実が定義的に固定され,そのことを通じて経験的現象の把握が

不可能になる危険があると言われている。進歩能力のある組織の構想は,そう した場合限定的な選択原理で意味されているものよりは,大まかに規定されて いると考えられる。なぜなら,キルシュの進歩能力のある組織の構想には,そ こに含まれた促進ならびに対応について一層どのような事態と程度になる必要 があるのかについてそれ以上の限定はないからである。そして,こうした大ま かに規定された構想と関連する認識を集めてくることを意図している限りで

は,かれの学説については,それが,最初から限定的な選択原理をもち視野の 狭窄に陥ることを回避できているという程度のことは言えるであろう。

ただしわれわれは,進歩能力のある組織が集めてくる認識は決して際限がな いと考えているわけではない。その根拠は以下の通りである。

かれの行為能力の構想、が,そもそもその出発点として政治学的構想から出て きていることは既に触れた。つまり,かれの進歩能力のある組織の構想は,ま ず,別にどの理論的構想、から出てきたわけでもないというのではなしこのよ

うな意味で,ある傾向をもった理論的構想から出てきているのである。

次に,行為能力に含まれる促進的観点および事実的情報の確保の観点につい ては,まず前者の促進的観点に関しては意思決定過程』の内容から明らかな ように,人聞に関する心理学的認識が軸になっていた。また後者の事実的情報 の確保の観点に関しては,未だ,キ1レシュがこれを達成する具体的認識を提示 していないので速断は危険であるが,やはり,人々を事実的情報の生産と革新 に向かわせ易いような風土作りが問題となろうから,それを心理学の

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分野と 見ょうが見まいが,人間の認知に関する研究が軸になろう。また,人々を事実 的情報の生産と革新に向かわせ易いような風土作りに関しては組織構造もまた 問題となろうから,組織構造論も lつの軸になろう。

こうして,一方では,かれの進歩能力のある組織の構想が,ある傾向をもっ た理論的構想から出てきていること,他方では,速断は危険ではあるものの,

(30)  凹鳥,前掲書, 8頁

‑272  香川大学経済論叢 506  かれの進歩能力のある組織の構想が限られた認識を集めようとしていることが 予測できることから考えて,その構想、は認識の狭降化の回避には導くものの,

その構想、の集めてくる認識は決して際限がないわけではなく,むしろかえって 限界があると考えざるを得ないのである。

次に,上記の第2点に関する聞いについて,われわれは次のように言うこと ができるであろう。

進歩能力のある組織の構想は,促進的観点および事実的情報の確保の観点を 含んでいた。前者の促進的観点に関しては

w

意思決定過程』におけるように,

個人に対する影響の認識が,しかも個人対個人の,主として2人間関係で捉え られたわけではなし問題の解決についての人間の欲求に対する門戸を聞くか どうか,という一種の複雑性の処理の観点が入ってきていた。そしてこうした 促進的観点は,もとより,組織を管理する方の観点、であることは疑いない。

また,後者の事実的情報の確保の観点は,進歩能力のある組織の構想を論じ るにあたり,新たに付け加えられたものであるが,組織内の事実的情報の生産 と特に革新をなしていくことを意味するのである。そしてこうした事実的情報 の確保は,もとより,組織を新たな環境に適応させていくための観点、であり,

その意味では,事実的情報の確保の観点もまた組織を管理する方の観点である ことは疑いない。

さらに,事実的情報の確保の観点において実質的に導入され,感受性との関 連でも補完されざるを得ないと考えられた対応的観点、もまた,管理する方の観 点であるとわれわれは言わざるを得ないのである。

キルシュは,かれの構想する管理論が広範な価値に対応できるように言って いた。企業を巡る広い範囲での利害関係者の価値体系を取り込もうとするかれ の管理論は,その意図通りでは必ずしもなしいわゆる管理者側の観点の渉み 通ったものになっているのである。われわれは,進歩能力のある組織を厳密に 跡づけた後にそのように判断せざるを得ないのである。そしてその限りでは,

広範な価値に対応できるという理想は,文字通りには,現実のものとしてかれ の管理論には活かされなかったと解されざるを得ないのである。

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