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「文化」の翻訳-香川大学学術情報リポジトリ

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香 川 大 学 経 済 論 叢 第72巻 第 1号 1999年 6月 45-61

「文イ七」の翻訳

渡 港 英 夫

は じ め に 「文化の翻訳は可能か」という決定疑問文がある。啓蒙主義時代以降の近代国 民国家の成立した現在,誰もこれがイデオロギー批判を排除した単なる翻訳を めぐる理論的反省の主題などとは考えない。まず文化の定義そのものが多岐に わたり,特に文化人類学の発展がそれを複雑にしている。さらに文明との関係 も決して明確とは言えない。 ロベルト・クノレチウスの『フランス文化論』は多くの文献の引用によって支 えられてフランス「文明」を論じたものである。そこではドイツとの対抗関係 の中で,フランスの「文イじ」概念がいかなるものかが定義される。さらに r号

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用可能性は,たとえそれがどんなに弱いものであれ,文化聞には透過性のある ことを語っているJ(三島憲一, p..57)とも言う。果たしてクノレチウスはフラン ス「文イ七」をドイツ語でほんとうに伝えられたのか。また日本語訳とフランス 訳をつきあわせて,著者のフランス語版に寄せた序文の意図である一般ドイツ 人にフランスのことを分からせることが,果たされたのかどうかを明らかにし たい。下記の手順で論述する。 第一章:文化の特性の論述の可能性とその方法 第二章 r文イ七」概念のドイツとフランスにおける定義の対抗性 第三章:翻訳によって明らかになったもの

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-46- 香川大学経済論叢 46 終 章 .rおわりに」で「文イ七」の翻訳可能性 果たしてクルチウスの言うフランス文化とは。フランス文化の一般的な評価 様式および観念体系の分析はフランス理解への入門となりうるであろうか。 1. 文化の特性と論述の可能性,およびその方法 ある国民,あるいはある文化の特性を果たして抽出することが可能か。フラ ンス論や, ドイツ論とは何か。ある国の文化論を論じる方法とは。もっと身近 な例に例えれば,く正しい〉日本人論あるいは日本文化論を書くことが出来るだ ろうか。また,書けるとすればそれはどのような視点から捉えられるのか。

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年アルザ、スに生まれた一この年に注目されたい。

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年までアルザスは フランス領であった。ードイツのすぐれたフランス学者であるローベルト・ク ルチウスは,

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年に発表した『フランス文化論』の中で,いわゆるくフラン ス精神〉やくフランス的なるもの〉の定義に見られる多くの偏見や独断を指摘 し,フランス文化の特徴の再定義を試みている。そして,その第

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章「フラン ス文化の特徴」の中で,フランス人自身による自己認識を超えるフランス像を いかに求めるかについて次のように述べている。 「ある個人または国民の最も本質的な特徴は,その人自身には自明的なも のに思われ,これらの精神的アプリオーリが看過されることは当然である。 とかく自己の心理解剖をするとき,最も重大な特性を忘れることが多いの はそのためであり,このような特性は,心理機構を豊かにする他の人間と 比較するとき,はじめて明らかとなるのである。もとよりフランス人が自 己について言っている言葉は,彼らの意識的性向と彼らの評価様式に関す る限り,貴重な指標ではある。しかしこれを外部からの観察によって補う ことが必要である。それゆえに,最も教える所の多いのは,外国文化を深 く究めたフランス人ーその数はあまり多くはないーの言葉,またフランス

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47 「文イじ」の翻訳 -47-の習俗および人間性を深く究めた外国人一これもあまり多くないーの言葉 である。」 (クルチウス, p..270-271) クルチウスは,この『フランス文化論』の他に 11パルザツク~ (1923年), Il"現 代ヨーロッパに於けるフランス精神~ (1925年)の著書のある文字通りくフラン スの習俗および人間性を深く究めた外国人〉であった。 一方,同時代のフランス人であるポーノレ・ヴァレリ}が『フランス素描~ (1927 年)の中で,自国民のイメージを描く困難を次のように指摘している。 「フランスにせよ,これと同種の他の政治体にせよ,国家と呼ばれるもの を明確に思い浮かべることは,つねに容易ならざる業である。或る国家の もっとも単純な,もっとも大きな特徴は,そうしたものを見馴れて無感覚 になっているその国の人々の目には写らない。それに気が、つく外国人は, あまりにもそれを強く感じ,何百万という人間の微妙な結合の神秘を成就 させるあの内面的な性格や,自に見えぬ現実のかずかずを見落としてしま 〉 つ。」 (ヴアレリ p.104) 確かにフランス文化を深く究めた外国人の視点にはそれに固有のゆがみがあ る。また,それらの外国人の証言もまた相互に矛盾するという事態が予想され る。 こうしてクルチウスは,さまざまなフランス人の言葉を集めて,その互いに 矛盾した意味内容や,あるいは述べられていないもの一彼らには自明とされる ものーだけでなく,その述べ方や歴史的な意味を問うことを主張し,そうする ことによってくフランス精神〉の自己認識の歴史を解きあかそうとした。併せ て,イギリスやスペイン人などの考察を参考としながらフランス文化の意味を 問うた。

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-48ー 香川大学経済論叢 48 11. r文化」の概念とドイツとフランスにおける定義の対抗性 クルチウスは「フランス文イ七」の特性を述べるに当たって,その『文化論』 を「フランスの文化概念」を明らかにすることによって始める。 まず,それは古代の文化概念として次のように定義される。 「古代の文化概念によれば,一切の文化財は一個の価値概念のうちに包括 され,この総括概念は「ポリス」に, (或いはラテン語で言えば)

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に, 結びつけられるものであった。 かくて「文明」人類という観念が生じ,この観念は「自然」に対比され, まだ自然状態に置かれている生活ーすなわち「野蛮」ーに対比されるもので あった。人聞を当初の自然状態から引き上げる一切のもの,人間をして自 然界の支配者たらしめる一切のもの,それが文化である。それら一切のも のは同様の重要性,同様の価値を有する。それが衣食住に関するものであ ろうと,読み書き算数であろうと,また法律や習俗であろうと,文化であ る点に何の違いもなかった。かかる文化概念においては,外的生活の組織 を支配する諸形式は,自然科学の諸要素あるいは人間共同生活の諸法則に 比して,少しも劣らぬ価値を有していた。物質的要素の満足,技術的能力 の発展,さてはまた社会秩序の組織,認識力の錬磨,それら一切のものが 集まって甫めてこの文化概念を構成するのであった。 かかる古代の文化概念がローマの血となり精神となり,それがさらにフ ランスに継承されたのである。」 (pゎ

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一方ドイツについてクルチウスは,まず、ウイノレへlレム・フンボルトのドイツ 古典期の意識に適合するドイツ新人文主義の定義を掲げる。 「つまり文明とは,人間が社会的となり教化醇化されることであるが,こ れよりも高いところに,全く自主独立の創造的精神の王国が吃立している。

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49 「文イじ」の翻訳 -49-これのみが文化の名に値する,というのである。」 (p..6) また,エマニュエJレ・カントも「文明」に対する反措定としての「文イ七」の 主張を次のようにしている。 「我々はいま技術と科学とによって高度の文化に達している。我々はまた 諸般の社会的な礼儀や都雅の風に関して,煩わしいまでに文明化している。 しかし我々自身をすでに道徳的にも教化されていると見なすには,まだ甚 だしく欠けているのである。文化は,更に道徳性という理念を必要とする からである。 とは言えこの理念を適用するに当たって,名誉心ゃうわべだ けの礼儀などに見られるいわば道徳めいたものを旨とするならば,やはり 単なる文明化に終わるであろう。いずれにせよ諸国家が,強力を行使して 権力の拡大を図ろうとする虚栄的な意図の実現に全力を傾け,国民が緩慢 にもせよ自分たちの思想を内面的に形成しようとする努力をしじゅう阻害 し,そのうえ国民のかかる意図の実現を助成するための手段を国民から悉 く奪い去ろうとたくらむ限り,国民の思想的成熟はまったく期待さるべく もない,およそ国民の教化を達成するには,公共体は長期に亙って自分自 身に精神的訓育を施さねばならないからである。」 (p“

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1) さらにニーテェのくディオニソス的=悲劇的〉予言に基づいて r文イ七」と「文 明」の目的の異なることが明らかにされ,フランスとドイツの文化と文明の概 念の異なることが明言される。 「こうしてドイツ側でもフランス側でも,このこつの言葉,二つの概念は 対立の位置に置かれることとなった。この対立を認める点では両国いずれ も同じであるが,その評価は正に反対であった。我々ドイツ人は文化を文 明の上に置き,フランス人は文明を文化より高く評価する。J (p.7)

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-50ー 香川大学経済論叢 50 ノルベルト・エリアスも述べるようにフランス語の「文明」は政治的,経済 的,宗教的,技術的,道徳的,社会的等々の広範な事実にかかわっているのに 対し, ドイツ語の「文イ七」は,その核心において精神的,芸術的,宗教的な事 実に関係し,政治的,経済的,社会的事実とのあいだの強調が隔壁を設けてい る。(西川長夫, pれ

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エリアスはさらに,シュペングラーの「野性の花」を挙げて,文化が人聞が 現に存在している生産物,一民族の特性が表現されている芸術作品,書物,宗 教的もしくは哲学的体系に関係していて,限界を行うのに対して r文明」を人 類や民族の進歩の過程とその結果を示すものと定義する。 (p..

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従って「文明」 とはすべての人聞にく共通〉のものをさす。 「次には大革命という歴史的大事件がこれらの要素をふたたび、集結した。 大革命に対する批判はどうあろうとも,これが国民を造りなおし国民的使 命の観念を喚起した点で絶大な意義のあることだけは否定し得ない。諸外 国を相手の多年にわたる戦争の聞に,フランスの近代的国民意識は形成さ れた。そしてこの時もまたフランスはその国民的目的に普遍的なモットー を与えた。すなわち

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(文明)である。」 (クルチウス, p,.20-21) フランスでは貴族と市民層との隔壁が低く,互いの交流が見られ,市民層が 貴族や宮廷の価値観を受け継ぐことが容易であった。そしてフランス革命はそ の融合をさらに進めることになった。「文明」はフランスの国民的な言葉となっ たのである。 これに反して「文化というドイツ語の概念は,国民の相違,グループの独自 性を特に強調する」と,エリアスは述べる。ドイツでは貴族と市民層の聞に超 えられない壁があり r文イじ」は中流階級の知識層にとって,その概念形成がさ れたのである。「文化というドイツ語の概念は,国民の相違,グループの独自性 を特に強調する。J (エリアス, p..71)

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51 「文イじ」の翻訳 -51-「十八世紀のこの中流階級が自らを証明するもとになるもの,すなわちか れらの自意識,かれらの誇りを基礎づけるものは,経済と政治の彼方にあ る。それは,まさにそれ故にドイツ語で r純粋に精神的なもの」と名づけ られるものの中に,書物という領域の中に,学問,宗教,芸術,哲学の中 に,そして主として書物を媒介にしての,個人の「教養」の内面的拡充, すなわち人格の中にある。このことに相応するのは, ドイツ知識層のこの 自意識が表現される場合の合言葉 r教養」とか「文イじ」といったような合 言葉が,フランスとイギリスにおける台頭しつつある市民階層の合言葉と は全く対照的に,上述の領域での業績,すなわち純粋に精神的なものと, 一方,政治的なもの,経済的なもの,社会的なものとの間に,明確な一線 を引こうとする非常に強い傾向を示していることである。ドイツ市民階層 の固有の運命,その長い政治的無力,国家統一の遅れ,これらすべてがそ の後つねに新たに,これと同じ方向の刺激を与え,そしてこれと向じ方向 の概念,理念を確定した。これらをまずこの形で軌道に乗せたのは,大き な社会的後背地を持たないこの独特のドイツ知識層であって,かれらはド イツにおける最初の市民層として,はっきりと市民的な自意識,とりわけ 中流階級的な理想,および宮廷上流階級に向けられた意味深長な概念の武 器庫を発展させたのである。」 (エリアス,

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そしてフランス革命を経験したフランスに,ブルジョア自由主義の歴史哲学 を「文明」概念にそって発展させたのがフランソワ・ギ、ゾーであった。彼はく進 歩〉とく発展〉が「文明」の基本的な概念であることを述べて,一見相反する 自由主義と国民主義を強調する。さらに,その『ヨーロッパ文明史.!I

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年)の著作が示すとおり,文明の諸要素のく多様 性〉とく自由〉の産物としての「ヨーロツパ文明」を主張するのである。 「ギゾは文明をもって社会的および精神的進歩なりとした。日く,文明は アジアに欠けているところの自由への趨向を,前提とする。ゆえに,文明

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-52- 香川大学経済論叢 52 は特にヨーロツパ的な現象である。 しかしヨーロッパ大国民のすべてが文 明発展に協力したりとはいえ, その指導権を執るものはフランスである。 一度フランスを通ってから甫めて決定 このことはフランス精神の三つの本質的特 徴によって説明される。すなわち明噺と社交性と共感。ゆえにフランスは

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..)他国に発展した文明思潮も, 的形態を取るのが常であった。 文明の心臓である。」 (クルチウス, p..22) 「わたくしはヨーロッパ文明と申しました。ヨーロッパ文明というものが あること, ヨーロツパの様々の国家の文明の中に一種の統一性が顕著であ ること,時と処と事情の点で大いに多様でありながらどこにおいてもこの 文明はほとんど相似た事実から生じ,同じ原理に連繋し,ほとんどどこに おいても類似の結果を惹起する傾向を有すること,これは明白であります。 ゆえにヨーロッパ文明というものは存在するものでありまして, わたくし が諸君の心をもっぱら向けようとするのはその総体に対してであります。」 (ギゾー, pゎ

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ギゾーはローマ帝国崩壊からフランス革命にいたる文明史を論じ ブ1レジ、ユワ革命としてのフランス革命を擁護した「文明」の名 によって近代的な国民国家形成の軌跡を語り,フ令ルジュアジー権力の正当性を こうして, ることにより, 主張した。 この『ヨーロッパ文明史』には「文イじ」という言葉がまったく使わ れなかった。そして, 「ドイツの文化概念は,ロマン主義を経過することによって,啓蒙主義か ら反啓蒙主義へ,合理主義から神秘主義へ,世界市民主義からナショナリ ズムへの大転換を行ったのである。そしてドイツにおけるこの動きは, フ ランスの「文明」概念がその拡大主義的,帝国主義的な方向性をあらわに するのに対応していた。 フランス革命の末期には r文明」はすでに先進国 の国家イデオロギー (ナポレオン) の特色を示し r文化」は後進国の反動

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53 「文イじ」の翻訳 -53-的な国家イデオロギー的な特色を現しはじめている。国家による「文化」 と「文明」の対抗概念としての方向づけは,革命末期からロマン主義の時 代にかけてほぽ決定されたとみてよいであろう。」 (西川長夫, p“165-166) 111.翻訳によって明らかになったもの 『フランス文化論』の第一章は次のように始まる。 「ドイツ人とフランス人が相手国の心理的特徴を理解しようと努めると き,しばしば根本的な喰違いが生ず、るのは,両方とも自国の文化の価値尺 度を一意識的にしろ無意識的にしろ一相手国の文化に当てはめようとする からである。」 (p..

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そして,いくつかの典型的な例証を挙げて,この事実の明白であることを述 べている。さらにその数頁後では, 「外国文化というものは,その個々の内容を知っているというだけでは分 かるものではない。その文化の内部機構を知り,またその国民がその文化 をどう考えているかを知ることが必要である。ドイツの文化概念とフラン スの文化概念とはその根底からして違っている。この点を看過すると根本 的誤謬に陥り,次から次へと無数の誤謬が必然的に生じる。J (p 6 ) く個々の内容〉やく内部機構〉だけでなく,自らくその文化をどう考えてい るか〉を知ることが誤謬を避ける唯一の方法であって,続けて!次のように説明 される。 「文化概念に関する相互の無理解は,戦時中ドイツ・フランスの両国で際 限もない論戦を惹き起し,

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,)両者の見解の相違はついに文化と文明と

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-54ー 香川大学経済論叢 54 の対立とまでなった。この対立はドイツおよびフランスの戦争文学におい て随分と取り扱われたものであるが,しかしこれは戦争で初めて生まれた ものではなしきわめて多岐の歴史的根源を有するものである。J (p“

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ところで,ここに引用したクルチウスの二つの文章のドイツ語のテキストと そのフランス語訳は下記のようになる。(下線は筆者による。)

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-55 「文イじ」の翻訳 -55ー

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(12)

56- 香川大学経済論叢 56 いず、れもドイツ語でくKultur>となるところ一これは日本語訳ではすべて「文 イ七」と訳されているーは,フランス語ではくculture>となっている。しかし「文 化概念」であるくKulturideen>は,フランス語訳ではくideesde civilisation> となることに注目されたい。 すでに前章で明らかなように,古代の概念定義においては同じものを指して いた「文イじ」は

1

8

世紀後半のヨーロツパの中心的な国々での市民社会の形成の なかで「文化」と「文明」に二分化されていった。「文イ七」と「文明」はドイツ 人やフランス人の国民意識の違いと,彼らが世界を全体として考察するやりか たの違いの反映となっていた。 しかし, 7月王政から第3共和制と推移した 19世紀を通してフランスの「文 化概念」は再び古代のそれにもどった。 「フランスの文化概念は再び、古代のそれに帰ったのだ。フランス人にとっ て文明という言葉に表現されているものは,古い神聖な歴史なのである。」 (クルチウス, p刷29) Die franzδsische Kulturidee nimmt die der Antike wieder au

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Es ist eine alte ehrwurdige Geschichte

die sich fur den Franzosen in dem W ort Zivilisatin verkorpert“ (Curtius

p.. 19) 古代の理想に還ったくDiefranzosische Kulturidee>(日本語訳「フランスの 文化概念J)は,まさにフランス人にとって く文明という言葉WortZivilisa -tion>なのである。 さらに,フランスは11世紀以来その国民的歴史に一個の理念を与えんと欲し てきた。そのために自己を表現するための形象や公式や言葉が求められたが, それらは歴史の過程中に幾度か内容をかえた。しかしその種々の内容も一つの 構造図式にあてはまった。その構造図式として,ク1レチウスは第ーに考えられ ることとして,フランスでは「国民観念と文化観念とが全く同一なることであ

(13)

57 「文イじ」の翻訳

-57-る。フランスに関する限り,国民国家と文化国民との相違は成立しない」と述 べ,つづけて「国家と国民と文化とはフランス人の意識では分離し得ざる一体

なのである」と断言している。

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r>はドイツの「文イじ」を表すときには ドイツ的概念によるところの「文イ七」を示し,フランス「文イ七」を言うときに は,ドイツ文化を論じる時のフランス文化との対抗性を意識した上で同じ く

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を用いる。その意味でドイツ語で述べる時の「文化概念」もまた, フランスに関しては「文明概念」と読み替えなザればならない。 お わ り に 翻訳はかつて,ある特殊なコンキストにおいてはく不実な美女〉と見倣され ていた。そして,しばしばイタリアの諺「翻訳者は裏切る者,

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(15)

59 「文イじ」の翻訳 -59ー 語を使う人の心の中に,翻訳される側の言語が生んだ効果と同じような効 果を生じさせようとする翻訳であるが,これはまず、不可能に近い。」 (p" 158) クラックホーンは,ただ第二の慣用語句対慣用語句訳にしか翻訳の可能性を 認めていないようだ。確かに外国語・母国語の双方に主観的な要素の入り込む 余地のない科学的・技術的な分野では語棄の物理的移行によってコンテキスト の伝達にも不都合はない。 しかし,第二の場合はいわば例外であって,ほとんどの翻訳は語棄の表面に 現れた部分だけのものでは行われない。元来,意味には必ず辞書的な意味とは 別に言外の意味のこつの領域があるから,いわゆる辞書的な意味で行われる逐 語訳では事物の関係概念を表す含蓄は伝えられない。第三の心理的翻訳では言 外の文化的意味伝達の不可能を述べている。 「言葉の翻訳は,語棄の表面に現れた部分のみの翻訳ではなしその底に流れ ている心理や論理の翻訳がまず行われた上でなければならないJ (池田摩耶子, Pゎ22)が,そのためには我々が外国語を翻訳する際の必須要件はまず母国語に 通暁していることということになる。そして特定の言語を母国語とする翻訳者 は,当然その母国語とその文化的制約のなかで自己規制がされている。従って この文化的存在者である翻訳者は他の言語で自己確認することは出来ない。言 語が違うと外界の事実を見る目も異なるものとなる。 膨大な『文明化の過程』を書き,文字通り「文明」化の過程より「文イ七」と 「文明」の違いを解きあかしたエリアスは,その執筆の成果とは裏腹に,はか らずも次のように述べている。 「ドイツ人は,必要とあらばフランス人とイギリス人に,自分が「文イじ」 という概念をどういう意味で用いているのかを,説明しようとするかもし れない。しかし彼は,とりわけ国民的な経験伝統について,また,彼にとっ てはこの言葉にまつわりついている自明の感情価値について,ほとんど何

(16)

-60ー 香川大学経済論叢 60 も相手に伝えることはできないのである。」 (p“72) しかし,それぞれの言語のもつニュアンスや合意や,それに伴う文化的・社 会的背景は別の言語でも決して説明できないわけではない。互いの言語干渉作 用が起きにくいだけに一層正確になるとも言える。クルチウスの主張する「フ ランス文化」がドイツの文化概念とは異なる「文明」であることを, ドイツの 文化を論ずる文脈では言語化し得ないことがフランス語訳を介して明らかにな る。エルパーフェノレト・ロルフの次の言葉が改めて想起される。 「翻訳は新しい次元の中へのく原文〉のく止揚〉である。翻訳したくテキ スト〉は原文に呼応して,原文は新しい真理において出現する。」 参 考 文 献 (p..225) (1999.. 125) Curtius, Ernst-Robert Di“e Franzdsische Kultu,r eine Einfuhrung, Francke Verlag, 1975 ( “Essai sur la France"traduit parJ Benoit-Mechin,邑ditionsde l'aube, 1995/E.. -R クJレチウス,大野俊一訳『フランス文化論J.みすず書房.1977) Guizot, Francois Hisfoire de la civi1isation en Euroρ,e, Hachette, 1985(フランソワ・ギ ゾー,安土正夫訳『ヨーロツパ文明史h みすず書房.1987)

Elias, N orbertUBER DEN PROZESS DER ZIV1LISATION, Francke Verlag, 1969

(ノルベルト・エリアス,赤井懇爾・中村元保・吉田正勝訳『文明化の過程』上・下,法 政大学出版局.1987) Valery, Paullmages de la France,“'auvres lr, Biblioth邑quede la Pleiade, Gallimard, 1971(ポール・ヴアレリー,鈴木カ衛訳「フランス索描j. rヴアレリー全集J12.筑摩書 房.1968) クラックホーン,クライド 外山滋比古・金丸由雄訳『文化人類学の世界人聞の鏡れ講談 社現代新書.1979 エJレバーフェルト,ロルフ 「文化とモナドロジーj.大橋良介編『文化の翻訳可能性h 人文 書院.1993 カント,エマニユエル 「世界公民的見地における一般史の構想、j.篠田英雄訳『啓蒙とは何

(17)

61 「文イじ」の翻訳 -61-か,1,岩波文庫, 1974 ニーチェ,フリードリッヒ・ヴイルヘルム 「反時代的考察J,小倉志洋訳 『ニーチェ全集』 4,筑摩書房, 1993 三島憲一 「弱い透過性ークルトゥラリスムを越えてJ,大橋良介編『文化の翻訳可能性h 人 文書院, 1993 池田摩耶子 「翻訳と「文化の伝達JJr文学,1voL 48,岩波書庖, 1980 西川長夫 『国境の越え方』 筑摩書房, 1992

参照

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