わが国における原価計算と費用理論
との関係づけについて
一久保田音二郎教授の所説を中心紅して叫 平 林 喜 博 Ⅰ..問題の所在 ⅠⅠ.わが国紅おける原価計算と費用理論との関係づけに ついて. ⅠⅠⅠり久保田教授の原価計静と費用理論との関係づけとその内容 ⅠⅤ.久保田教授の所説の意義と限界 Ⅴ…むすび Ⅰ ドイツ申論者軋限定して,われわれは先紅原価計算と費用理論との関係担っ いてささやかな考察をした。1)その小文でほ,ドイツ原価計算論史の一環とし て,原価計算と費用理論との関係のあり方がドイツの論者に.よっていかに.理解 されつつ今日に.至っているかをきわめて皮相的に省察したのであるが,そこ/で のいきついた結論として,ドイツの各論者の原価計算と費用理論との関係のあ り方の理解は,費用理論を原価計算の基礎理論として位置づけながらも,原価計 算と費用理論との関係を機能的分化の関係と理解する立場であると論結した。 ㌧かし,そこでは1方に・率いて,わが国において費用理論と原価計算との関係 がいかに.考えられているかについてはいっさい言及しなかったし,他方に.おい て,論結した機能的分化の関係把ついての具体的な意味内容の究明を残された 課題とした。 そこで本小文はこれら残された研究課題を,この面の研究で中枢的役割をほ たしている久保田音二郎教授の所説を手がかりに.して解明したいと考える。特 に.,さきの′J\文でその言及を全く省略していたところの,わが国の論者が原価計 算と費用理論との関係のあり方をいかに.理解しているかを,久保田教授の所説 1)拙稿「原価計算と費用理論との関係」(『香川大学経済論叢」第39巻欝3号)。わが国に.おける原価計算と費用理論との関係づけについて −・J25− を中心に.して考察し,これでもっていささかなりとも前稿の補完を行いたいと 考える。かくして,本小文の目的ほ,わが国において原価計算と費用理論との 関係のあり方がどのように.理解されているかを回顧・検討しつつ、,久保田教授 の考え方をうきぼりにし,その上で原価計算と費用理論との関係を若干具体的 に.考察するこ.とである。 ⅠⅠ −・般紅ドイツの体系的な費用理論研究の囁矢が1899年のシ.ユマーレン′ミッハ
の論文「エ場取引における簿記と原価計算(Buchf地rung und Kalkulation
imFabrikgeschaft)」であるといわれているのに対して,2)わが国に,おける費 用理論の研究の開始がいつごろであるかはっきりしない。しかし,昭和10年偲 紅費用理論の研究が,もっぱらドイツの経営経済学を紹介・導入するというプ ロセスの上ではあるが,始められていることほ.たしかであり,その成果畔昭和 8年に著書としてあらわれている。3)その後,昭和11年に.ほ中西寅雄教授,4)山 城章教授,5)昭和1∂年には久保甲音二郎教授6)等があいついで費用理論に関す る著書を公刊し,費用理論の本格的研究が開始され,戦前の費用理論研究のピ ークを形成するのである。以来こんに.ちまで費用理論の研究は80余年を経過し 2)ドイツにおける費用理論の研究がいっから始められているかという問題紅ついては 種々の見解があるが,筆者の理解するところによれは,現今のような体系をもつ費用理 論の生成はシュマ−レンバッハの1899年の論文に始まる一二連の研究によると考えられ る。拙稿「19世紀の費用理論とレユマーレンバッハの費用理論」(『香川大学経済論慈』 欝38巻第1・2号)参應。 3)池田英次郎著『原価と操業率』昭和8年。この著苔は戦後『原価と操業皮』と改題 されて公刊されでいるが,「これは旧著の構想を新たにし,新しい資料(例えばメレd グイッツの原価論や米国払おけるこ.の種の研究叫平林註)も追加している.」(序文よ り)著書である。 4)中西寅雄著『経営費用論』昭和11年。 5)山城章著『凝営費用論』昭和11年(改訂版,昭和24年)。 6)久保田音二郎著『原価構成論』昭和13年。この著書は表題に費用理論なる名称がな いためか従来費用理論研究の文献から除外されて−いる。(例えば溝口ー碓著『費應管理 論』昭和36年,11−14貢参照)しかし,内容をみれば明らかなようにこれは費用理論の 研究であり,原価計穿と費用理論との関係を考える場合,看過できぬ重要な文献であ る9
香川大学経済学部 研究年報 6 −ヱ26− J966 ている。その間,原価計算と費用理論との関係がいかに考えられ,そ・して論じ られてきたのであろうか,これが本節の課題である。 さてわが国に.おける費用理論の研究の30余年の歴史をみてみると,との原価 計算と費用理論との関係については,これを各論者が不問に付し全く意識して いなかったわけでほない。しかし,それではこの問題を自覚的にまた主体的に うけとめ,いかほど論究されているかと反間すれば,その数のまこ.とに.少ない ことを認めざるを得ない。特に戦前の研究では,筆者の寡聞の限りでは後述す るよう紀久保田教授のみである。もちろん,これをもってその研究の不完全さ を指摘したり,問題意識の倭少化を批判したりすることは誤りである。一言し たよう紅,費用理論が原価計算を含めて他の学問領域−−一例えば,いわゆる、会 計学,経営学等−と密接に.交渉しているという認識ほ各論者の−・致したとこ ろであって,これについては中西教授,山城教授,溝口教授の見解をそれぞれ 考察すれば明らかである。もとより,この8者の分析からわが国における原価 計算と費用理論との関係づけの趨勢を析出し,1つのレェーーマを明示すること ほ粗腰な論議である。しかし,この3者がわが国の費用理論研究の枢軸的存在 であることから考えて,そこから1つの動向を検出することほ,全く射をはず れたことではないと思う。 さて,中西教授が費用理論を研究するにさいしてもっていた問題意識は,費 用問題が経営経済学における中核的な問題であるということに由来している。 すなわち,中西教授に・よれば,「経営経済学は個別資本の運動をその研究対象と する。個別資本の運動とほ,個々の資本が剰余価値を生産し実現し獲得する過 程であり,その意識的担い手たる個々の企業家の意識にほ,原資本価値とその 増殖分との関係,換言すれば,費用,収益,利益の関係として現われる。、従っ て,費用問題は,経営経済学に於ける基本的にして−且つ中級的な問題である。」7) したがって−,「本書(中西寅雄著『経営費用論』−平林註)は.経営経済学紅於 て斯かる重要性をもつ費用問題,その本質とその計算的把握の問題,の理論的 解明をテーマとする」8)のであるが,費用問題は.,「従来一・般紅会計学者によ 7)中西寅雄著『罷営費用論』,1真。 8)中西寅雄著,前掲番,序文2頁。傍点は以下ことわりなき限りすべて引用者による。
わが国庭.おける原価計穿と費用理論との関係づけ紅ついて −J27−一 って論ぜられたが,而もそれは単に割算技術的処理の問題として取扱われてい たに止まり,そ・の経営経済的取扱ほ.最近の傾向に属する。併し乍ら,費用問題
…=◆=…=……=●…●◆●●●
の経営経済的研究は単にその計算技術的処理の問題たるに.止まらずして,その
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 経営経済学的本質の解明をも必要とする。8)」 みられるよう紅,中西教授のかかる論述は,原価計算と費用理論との関係に ついて無関心でなかったことを示している。つまり教授は費用の問題が計算技 術的処理の問題として−,すなわち原価計算の問題として取扱われるにとどまら ず,これを経営経済学的紅,すなわち費用理論として問題にする必要を指摘し ているのであって,この限りにおいてわれわれほ教授の意図に.ほ同意するもの である。等しく費用の問題を取扱っている原価計算と費用理論とがかかる対応 関連紅あることほ,既紅われわれも指摘したとこ.ろだからである。9)しかし, 問題はこの費用問題が費用理論において自覚的隙取りあげられる根拠,及びそ れが原価計算と具体的に.いかに.かかわりあうかである。中西教授の見解はこの 点払おいて,1方で特異な見解を示しながら,他方で原価計算と費用理論との 関係を形式的にしか扱って:いないのである。 ここで中西教授の特異な見解とほ,教授に.よれば,経営費用論は費用問題 の理論的研究であり,したがってその内容ほ,費用の本質紅始まり,費用と操業 度,損益計算,原価計算,経営比較にまで及ぶのである。10)っまり,通常費用 理論という場合,それは費用と操業度との関係あるいほ費用と経営規模との関 係を問題軋するのであるが,教授の見解はノこの範囲を超えているのである。し たがって,中西教授ほ,われわれが通常いうところの費用理論一費用と操業 度との関係及び費用と経営規模との関係−を,損益計算論及び原価計算論と 同列的に.扱っているといえる。すなわち,費用問題ほ個別資本の運動から経営経 済学的に.費用,収益,利益の本質規定が行われると,11)この費用が生産量(操業度) 9)拙稿「原価計罫と費用理論との関係」(『香川大学経済論劉第39巻第3号),61− 62貫,71貴。 10)中西教授の著寄『凝営費用論』の体系はつぎの通りである。欝1牽,費用の本質。 第2章,費用と操果皮。第3茸,損益計辞論。第4蚤,原価計算論。第5章,経営比較論。 11)中西教授濫よれば「費用,収益,利益の関係は,個別資本の運動が,企業家の意識 に反映したる形態における関係である」ので,かかる範疇として費用,収益,利益の本香川大学経済学部 研究年報 6 ユタ66 −−J2β− といかに関係するか−費用理論−,またこの費用が一・定の期間に限定して 収益と対応していかに計算されるか一損益計算−,更に.この費用が!単位 給付に関連していかに計算されるか一原価計算−−を論究するのであるが, 留意すべきほこれら3者の関連に.ついては常識的な域を脱していないのであ る。12)それ故に,中西教授においてほ,等しく費用問題を取扱うが放に.費用理 論と原価計算とが関連づけられているにすぎず,それほ全く形式的な関係づけ であり,この両者が具体的にいかに.交渉するかは問題の外におかれている。ドイ ツの論者が−・様に三埋解しているような費用理論は原価計算の基礎理論であると いう考え方は,中西教授の見解からはっきり看取することができないのである。 それでほ,戦後いちほやく改訂版ではあるが『経営費用論』を著わした山城 教授の見解ほどうであろうか。山城教授ほ,経営学の原理的に.して根本的な研 究課題として「経営価値論.」1S)を位置づ仇 その経営価値論を構成するものと 質規定をしなければならぬと論じる。(中西著,前掲苔,32−50貢)そして,注目すべ きは,損益計算濫おける費用と原価計鈴における原価との聞にほ,何等本質上の相違は ない享いう見解である。(同著,前掲書,51京,56貢) 12)中西教授はいう「企業の目的は,その起動々機たり決定目的たる利益の狸得紅ある。 この利益は−・定期間内に於ける総収益と総費用との差額である。然るに,利益の−ト方の 因子たる総収益は,価格と販売盈との積であり,他方の因子たる総費用は,単位原価と 生産量との積である。従って,いま販売畳と生産量とを一・致すると仮定すれば,利益は 総収益及び総費用の決定因子たる価格,原価,生産盛常よって規定される。然るに,価 格を所与のものとすれば,利益を規定する主たる要因は,生産量と原価との関係,従っ て,生産員と費用との関係である。」(中西寅雄著,前掲苗,59頁.)。更に教授は「費用 及び収益の夫々を一足の期間について総意的に計辞し,以って期間的利益を静出するも のは損益計辞であり,費用及び収益を−単位商品について計算し,以って単位商品当り の利益を界出するものは原価計算である。損益計算は期間計算であり,…原価計静咋 単位計界であり,…損益計辞と原価計算との上述の相違は,専ら費用及び収益を把捉 する方法,換言すれば,それらを計数的に表示する表現形式の相違に過ぎぬ。」と論じ る。(中西寅雄著,前掲苔,51真)。 13)山城教授のいう経営価値とは経営実践の主体的其実性であり,経営の経済的指導原 理であるが,端的には経営が経済性原則によって二宮まれることである。したがって−,通 常いうところの経営価値とはその意味内容を異に.している。なあ「経営価値論」の研 究課題とは山域教授によれば「経営の生活を導く目標たる価値自体ととも紅,これに対 して如何に活動自体が役立ち得たかに関する実践的な恵味を探る」ことである。(山城 章著『経営費用論』,第1茸参照)。
わが国における原価計算と費用嘘論との関係づけについて “−∫2.9− して費用理論,価値論,収益論14)の3つをおいている。そのうち費用理論は, 吏虹費用範疇論,費用分解論,比例率または限界生産費を中心とする費用法則 論の3つからその主要内容を構成するが,最後の費用法則論が特に重要であ り,これが究極的に」は経営政策1さ)の実践原理を明らかに.するものであると論じ ●●●●●●●●●●●●●●● る。16)いいかえれば,費用理論は「経営実践のすすむぺき目標を示し,経営活
動の合理性を確保すべき理論的基礎を提供する16)。」のである。
ところで,山城教授のこ.のような主張は別の論稿紅おいてより明確に論じら れており,そこでは経営費用論の課題内容はコスト論であるが,たんなるコス ト論ではなく経営コスト論であると強調している。つまり,経営費用論がもつ 経営上の意味ほ.,それが計昇論紅あるのではなく,その意義を経営の最高政策 論転結びつけるこ.とであり,したがってそれはきわめて基本的な経営政策に関 連するものであって,まさに「経営的」コスト論なのである17)。『経営費用論ほ こ.のようにして,かりに」京価計算といわれながらその内容は,決して固有の計 ●●●●●●●●●■●●● 静的立場からの推論ではなく,しかも,この計算結果を経営の管理紅利用するという『管理会計』的思考でさえもない18).」というのが山城教授の結論である。
かくして,山城教授の見解は,費用理論を最高の経営政策の基礎麺論と解釈 し,原価計算及び広く管理会計の理論的基礎であることを過小評価している。 14)このような研究体系が生まれる根拠は,経営価値は経営が経済性原則に.よって営ま れるという教授の主張にもとづいてい挙。つまり,この経済性は計昇性をもつことによ って,原理自体の抽象性が計数的管理によって具体化し,更紅計数的に原理実現の評定 尺度になるのであるが,この経済性の独立計算性的な構造から3っの研究体系が生成す るのである。経営価値生活の積庵対外的実現の側面である価格論,消庵的内部価値活動 である費用理論,この両者の総合である収益論がそれである。(山城章著,前掲音,欝 1章第3・4参照)。 15)経営政策の重要問題とは,価格と費用との有機的関連を考察する経営の費用補償論, 更に.いえば経営価格政策であると教授は主張される。(同著,前掲雷,序文)したがっ て,山城教授の著書『経営度用論』の構成内容は,第1章,経営価値。第2章,経営費 用範疇論。第3茸,経営費用分解論。第4茸,経営費用法則論。第5茸,経営費用補償 論。第6茸,結論。からなっている。 16)山城章著,前掲沓,序文1貢。 17)山城章稿「経営費用論の課題」,中西寅雄先生還暦記念論文集『原価及び原価管理の 理論』(昭和34年)所収。 18)山城章稿,前掲論文,24克。香川大学経済学部 研究年報 6 J966 ー∫β∂− しかし,かかる見解が先の中西教授の見解に.比較して格段の遠いを示してい ることはいうまでもない。山城教授においては,費用理論の他の学問領域との 結びつきが明確常.認識されており,ヨヅ積極的紅経営コスト論が展開されてい るからである。しかし,いまわれわれが問題としている費用理論と原価計算と の交渉については具体的な明示がない。いな,費用理論が原価計算の基礎理論 として本来的に.形成されるものでないことを山城教授は指摘していると解され る。はたしてこのような費用理論の性格づけが適切であろうか,疑念がある。 たしかに.山城教授の上記のような主張からすれば,費用理論と原価計算との交 渉という問題意識が第一・義的に.は生れないであろう。よし,生れたとしてもそ の意識ほきわめ 内包㌧ているのでほないか,だとすれば,コスト論としての原価計算と費用理 論との関係を不問にんて,ほ.たして真の経常コスト論が展開されるのであろう かという疑問が残る。費用理論を最高の経営政策と結びつける前に,まずコス ト論としての原価計算との関係を考え,それを明確紅しなければならないので あって,正にヰ西教授の主張に.もあるよう紅費用の問題を等しく取扱っている が故に,賀用理論と原価計算との交渉について省察するという素朴な問題意識 が必要なのである。もとより,山城教授も費用理論の課題内容として−のコスト 論を無視して−いるのではない。しかしその面の意識ほ非常紅低いといわねばな らない。 この点払おいて溝口教授の所説は,十分に−留意すべき必要がある。というの は,溝口教授において−は,費用理論の経営政策及び経営管理との結びつきを問 題にするのみならず,原価計算との関連づけに.対して−の深い洞察があるからで ある。その意味で溝口教授は,久保田教授と共紅費用理論と原価計算との関係 について種々の検討をここ.ろみている1人でもある。溝口教授は戦後費用理論 に.関する研究を4たび世に問い19),わが国費用理論研究の中枢的役割をはたし ているが,以下では.教授の最新著『費用管理論』から,教授の費用理論の性格 づけ,原価計算との関係づけについて瞥見してみたい。 19)溝口教授は,『凝営費用論.』昭和24年,『費用管理と価格政策」昭和26年,『経営費用 論』昭和30年,『費用管理論』昭和36年,の4著苔を公刊され・ている。
わが国に.おける原価計算と費用理論との関係づけ匪ンついて −−ノβJ− まず,溝口教授は費用理論を「費用管理の理論」と規定されるが,叫 ここ・に 至るまでに.,教授の費用理論の研究においては対立抗争する2つのテ−ゼをい かに止扮するかという大きな問題があった。すなわち,費用理論ほ計算論とく に.原価計算論と不可分の関係にあるというテ−ゼと,費用理論は国民経済学の 影響を強く受けているため純粋理論として形成される可慢性をもつというテー ゼ,とをいかに止揚するかであった。教授は白から,「■私自身はこれまで問 題への接近方法として管理論的立場と純粋理論的立場との間を行きつ戻りつつ してきた21)」と述べ,この間の事情とその苦闘の経過を語っている。しかし, 教授はグーテンペルクの費用理論の研究を通して,費用理論を「費用管理の理 論」と性格づけたのである。ここで「費用管理の理論」とは,溝口教授に.よれ ぼ,いわゆる管理技術論ではなく,それは経営に.おける行動の原理として形成 されるぺき性質のものであって,もはや「純粋理論」か「応用技術論」かとい う二者択一の問題のうちには属さないものなのである2声)。 今日,かかる溝口教授の見解,つまり費用理論を費用管理のための基礎理論 として\展開するという考え方が支配的であり,しかもそのさい費用管理は具体 的に.は標準原価計算論,計画原価計算論,予算統制論,利益計画論等を通して 顕現するので,費用理論ほまずいわゆる原価計算論と関連するという思考ほ., わが国に.おいて−・般的に.なって.きている2$)。そして−このことはドイツの論者の 20)例えば,溝口一億著『費用管理論』,序文1貢参照。 21)溝口ー・雄著,前掲寄,序文。なお,溝口教授のこのような叙述をうらづけるものと して,同著『経営費用論』昭和30年版の1称(序文より)をあげておこう。教授はいわ れる。「たしかに,費用理論は管理論的見地から再吟味せらるぺきものをもっている。 だが,それ紅もかかわらず,費用理論は管理論のうちに止揚せらるぺきものではない。 費用理論は管理論そのものとはなり得ないし,また計昇技術としての原価計算のうちに 解消せらるぺきものでもない。それは−・般的な費用現象の解明のための純粋理論として の性格を有している。費用理論が純粋理論としでの性格を捨てたとき,それは直ち紅存 在の意義を失う」と。 22)溝口一・雄著,『費用管理論』,28真。 23)本小文では紹介・吟味する紙幅がないので省略したのであるが,例えば,後藤幸之 助著『経営の費用理論』(昭和34年),序文及び第3編4・5章,天野恭徳曹『問抜費計 算と経営』(昭和35年),欝6章,小林哲夫著訂経営費用理論研究』(昭和39年),序文及 び欝3部を参照されたい。
エ968 香川大学経済学部 研究年報 6 −Jβ2− 考え方と軌を1つにした考え方であるといえる。
しかし,費用理論を費用管理のための基礎理論にするという場合,いったい
その具体的な内容はどういうものであるのか考えねばならない。溝口教授はこ
れについて1費用理論をたんに.価格政策との関連においてのみ問題にするとい
う倭少性を批判し,操業度を媒介とする費用理論ほその他の費用管理の方法と
結びついて広く展開す・ることができると指摘される。そして:,弾力性予算孝た
ほ変動予算,標準原価の設定とりわけ標準間接費の設定,損益分岐点論ないし
利益計画論,直接原価計算論等紅,それぞれ関連す・るとして:教授はその試論を
展開されて.−いる24)。だが,その展開は筆者の理解に.よれば文字通り試論ないレ
示唆の段階に.とどまっており,教授の秀れた論証をみることほできない。 しかに,広範囲に.及ぶ費用理論をその著『費用管理論』が扱っているため, の原価計算との関連についてほたんなる指摘にとどまることはやむえない◇ た\そ し かしそうであれば,原価計算と費用理論との関係についての論究が他に・あって もよいと考えられるが,筆者の寡聞の限りそれをみることはできない。ここに 後述から明らか軋なるように,久保田教授との相違一結局,それ隠両教授の 問題意識なり,原価計算に倒する考え方の相違から招来するのであるがTが 生れる。久保田教授に・おいてほ,費用理論が原価計算の基礎理論として交渉せ ざるを得ないこ.とをヨリ詳細に解明・論証し,それを原価計算の上紅援用して いるのをみるのである25)。 さて,以上の簡単な概観から,われわれは,わが国における原価計穿と費用 理論との関係についての考え方の,少なくとも傾向について導出することがで きる。みられるように,時代の経過にしたがって−・ということは費用理論研 究の進展とともに−その考え方に変化のあることが理解される。しかし,総 24)溝口一・堆著,前掲音,24−お頁参照。 25)久保田教授の所説に・ついては後に検討するので,その時に詳細はゆずるとして,こ こでは久保田教授の原価封弁論の構成内容についてみてみる。教授は通常みられる原価 計界論の構成内容とは異って,総論,直接費計界論,間接費計静論,原価の計静方法, という構成からその原価計昇論を形成している。これは,いわゆる要素別計算,部門別 計静,製品別計算という大別と表見的には照応しているようであるが,内容的には原価 を操業度との関係紅おいて変動費と固定費に.区分する費用理論の考え方を援用したもの であると撃著は考える。(久保田音二郎著『原価計算論』《昭和26年》)。わが国における原価計算と費用理論との関係づけについて −ヱ33−− じてこいえば,費用理論が他の学問領域と関連するという認識,更にいえば結合 すべき性格のものであるという問題意識紅ついてほ異論なく一・致している。し かし,関連する他の学問領域とは何か,紅ついてほ各論者に.よってまちまちで ある。そして−,原価計算との関連,つまり費用理論が原価計算の基礎理論とし ての性格をもつという点紅ついてほ,全般的に.,潜在意識として:ほもらえ.て も,これを自覚的にうかびあげたのは近年のことであり,したがってその具体 的分析ほきわめで不十分である,と要約できる。もっとも近時,原価計算と費 用理論との関係に.ついて,これを積極的紅究明しようとする動きがあり,若干 の研究成果もあらわれている26)。したがって早晩この問題解明の不十分性もう められると考える。事実,われわれもまた・そ・のためのささやかなわざを行って いるわけである。 ところで,このような要約に対してはただちに3っの批判ないし反論のある ことが推察できる。すなわち,〔1〕まず,費用理論は原価計算の基礎理論とし てのみ存在するのか,いいかえれば費用理論をこのよう紅狭く限定するのでほ なく,原価計算似外の学問領域と結合する可能性は考えられないのか,ノという 問題である。〔2〕つぎに,原価計算と費用理論との関係を考える場合,(1)費用 理論がそれ自体原価計算の理論的基礎匿なりうる理論構造をもっているかを検 討する費用理論からのアブロ−チと,(2)原価計算の理論化,つまり計算の合理 化が必要な場合に必然的に費用理論がそれに結びつくのか,という原価計算か らのアブロ−チの2つが考えられる。27)上述の考察方法ほ,強いていえば前者 (1)のアプローチと考えられるが,明瞭ではないという批判が予想される。〔3〕 第3は,こ.こでいう費用理論なり原価計算とほ,いかなる内容のものをさして いるのか,その概念規定を明確にしなければ上述の要約の是非は論断できな い,という問題である。 26)例えば,つぎのような論稿があげられる。宮本匡澄稿「費用理論と原価計算との交 渉」(『会計』第77巻1号),同稿「近代費用理論の1側面」(『経済研究』第13号),小林 健吾稿「経営費用論と原価計算」(『’会計』欝鋸巻1・2号),同稿「経営費用論の発展 と原価計算」(『企発会計』第14巻5号),小林哲夫稿「適応問題と原価の帰属計静」(『国 民経済雑誌』第113巻4号) 27)宮本匡章稿「近代費用理論の1側面」参照。
香川大学経済学部 研究年報 6 一差缶トー J966 これらの問題について,まず〔1〕と〔2〕(】)とほ関連している。筆者の理解に よれば,費用理論が原価計算以外の他の学問領域と結合する可能性はあると考 える。決してそのような可能性を否定するものではなく,その意味で,既述の ような山城教授の考え方を全面的に否認するものでほない。しかし,第一・義的 紅はまず原価計算と閑適するのではないかと考える。その理由は,論理的にも 史実の上においても費用理論ほ原価計算との交渉が第一・義的であることを示し ているからである。すなわち,論理的にほ川共に等しく「原価」の問題を研究 対象にしていること,(ロ)また,同じ目的観をもって−いること,H更に,原価計 算ほ費用理論の援用によって計算の法則性をもつに至ること,等である。史実 の上では,チャーチの間接費計算論,シュマーレンバッハの原価計算論を省察 すれば28),原価計算と費用理論との対応関連がいかに深いものであるか明らか である。それ故紅,費用理論が原価計算とまず関係するということは靡いのな いところであり,したがって,みかたをかえて:いえば,費用理論はそれ自体原 価計算の理論的基礎になる性格を本来的にもっているといえる。むしろ,かか る交渉ある両者を帝離させ,一見無関係であるがごとき感を与えた特殊的歴史 事情をかえ.りみる必要があると筆者は考える29)。ともあれ,費用理論は原価計 算との連関においてこそその正しい存在意義が見出せるのであり,それが故に 費用理論が原価計算の基礎になりうる理論構造をもつことは要請される。 ところで,〔2〕(2)については,上述のこ.とから必然的に推論される。つまり 論理的にも果実の上でも原価計算と費用理論とが第一儀的に結合するのであれ ば,原価計静の理論化にほ費用理論が必要であり,またそれが最も有効性をも つものではないかと考えられる。かぐて,原価計算と費用理論との関係を考察 することは最も枢嘗であり,しかもこ.れを2つのアプローチのいずれに.よって 接近しようとも,当面の研究課題を混濁させるこ.とほないと考える。 それに対して〔3〕の問題は熟慮を要する。特に」京価計算匿おいてほ慎重に考 えなければならない問題を含んでいる。しかし,当面の研究においては,費鳳 28)これに.ついては,さしあたり久保田音二郎著『間接費計算論』(昭和34年)第1編6 ・7章参照。 29)この点については,例えば,消口一・堆著『■費用管理論』序説,久保田音二郎著,前 掲香,欝1編1章及び第2編において解明されているので参照。
わが国における原価計算と費用理論との関係づけについて −ヱ3∂一 理論と軋,原価と操業度あるいは原価と経営規模との関係を研究対象にした体 系的理論と理解し,それに対して−原価計算とはいわゆる制度としての原価計算 に,期間損益の算定,原価管理,経常的な期間計画としての利益計画等に機能 する直接原価計算を含めるものと解したい。 とこ・ろで,われわれは,いままで意識的に久保田教授の考え方については論 評せずにきた。しかし,原価計算と費用理論との関係について考察する場合, 教授の所説を省略することはできない。以下,教授の所説を吟味しながら,本 小文のいま1つの課題である原価計算と費用理論との具体的交渉の様相を若干 考察したい。 ⅠⅠⅠ まず,われわれは前節との関連から,(1)久保田教授が原価計算と費用理論と の関係についていかに考えて:いるかを省察し,r2)つぎに,久保田教授の原価の理 論において,かかる問題がいかなる位置にあるかを吟味し,もって教授の費用 理論に対する,したがってまた原価計算紅対する基本的思考を検討してみたい。 (1)に∴ついてほ,久保田教授が原価計算と費用理論との関係紅ついて,これを いち早く問題とされ,白から積極的に.この問題と対決された論者であることに 留意したい。具体的に示せば,昭和27年の第1掴日本会計研究学会紅おける報 告払おいて,教授は.初めてこの問題を提起し$0〉,その後名著『間接費計算論』 (昭和28年)でこれを一層深く検討し,教授の理論的骨格を形成するに至って いるのである。しかし,教授の数多い著書ないし論稿を詳細紅検討してみる と,たしかに・表面に・あらわれたのは昭和20年代であるが,実はこ.の面の研究が 既に・教授の最初の著書『原価構成論』(昭和13年)に潜在しているのをわれわれ は知る。ヨリ極言していえば,久保田教授は原価計算と費用理論とのかかわり あいについて,こ.れを既に昭和10年代紅問題とし,その論究をこころみている のである。 例えば,『原価構成論』において,久保田教授はいう。「本書は『原価と操業度 との関係』についての研究31)」である。−したがって,本書を費用理論の研究 30)久保田音二郎稿「原価計算論と経営費用論との交渉」(『会計j欝62巻4号)参照。 31)久保田音二郎著『原価構成論』,序文1貢。
香川大学経済学部 研究年報 6 ーーJ36− J966 文献として数えることほ当然である(註6参照)−それを「’ここでは.2っの 問題に分けて一考える。その1つほ」京価変動形態についての問題であり,他の1 つ榛原価構成態様についての問題である31).」と。つまり,1方で原価変動形態 として,操業度紅ついて究め,これからその基本形態たる絶対的操業度及び相 対的操業度と原価との−・般的関係を明らか紅するのであるが,他方で原価構成 態様として,この原価と操業度との−・般的関係が原価計算目的に関連すると 一操業度としては派生形態に.なるが−こ.れがいか軋修正されそ・の計算目的 に適合して原価が構成されるか,例えば,正常操業度−もっとも,これは相 対的操業度の基準でもあり,それが故に正常操業度ほ基本形態と派生形態との 2面をもっている。−で生起する原価及びその構成態様が何にであるかを究 めるのであるさ2)。したがって,本来この2っは密接な相互関係にあるが,この 関連性の典型ほ,損益計算目的からくる間接費配賦計算を予定率でもって行う 場合に.みられる。 ところで,久保田教授のかかる問題意識はどこから来ているのか,考えでみ る必要がある。筆者の理解によれば,これは久保田教授の原価の本質規定から くる原価計算の2面性に求めることができると考える。すなわち,教授によれ ば原価とはヨリ本性的には自然的・物理的素材を,生産という1定の目的に関 連づけて全部的またほ部分的に利用消耗する数値的原価なのである。しかるに これを計算する場合には貨幣価観で評価し給付単位的に計算している。つまり
価値的原価に.おきかえているのである。いいかえれば,原価計算:においては
「’原価」計算の原価と原価「計算」の原価との間虹ほギャップがあるのである。 これが現今に.おいて矛盾しないのほ,累材の利用消耗と原価とが等価関係にあ り,また両者が対立関係に.あるからである。しかし相異していることが明瞭で あれば,原価計算においてほ自然的・物理的素材の利用消耗という反面性を無 視できないのみならず,それを常に反映するものでなければならない。 ところが,この自然的・物理的素材の利用消耗ほ操業度の投影である。例え ば,最適操業度では自然的・物理的素材の利用消耗は最も完全に果したと考え られるが,原価計算はこれを前提にして貨幣価額で評価された原価を給付単位 32)久保田音二郎著,前掲沓,序文及び欝1章(序説)参照。わが国における原価計算と費用理論との関係づけについて エヱ37一 的軋計算しているのである。もし操業度が最適操業度から最低操業度へ下れ ば,素材の利用消耗度も変化し,したがって原価も変化する。ところが,原価 計算でほ原価の給付単位面を重要視するため,かかる事情をともすれば看過し でしまう傾向にある。かくてこれを補完するのが費用理論であり,原価計算と 不可分に.結びついていることは自明である。例えば,機械設備という物理的素 材の利用消耗は最適操業度と最低操業度とでほ相異するのほいうまでもない が,計算的にほ.これをともすれば等閑紅付してしまう。しかし,原価管理目的 でほと.れが重要な問題であり,固定費の管理問題としてうかびあがってくる が,これほもはや費用理論の援用がなければ解明できないことほ明らかであ る。ともあれ,久保田教授は以上のような根拠から原価計算:と費用理論とが関 係せざるを得ないと断定され,しかも費用理論を原価計算の基礎理論としで性 格づけられたのだと,筆者ほ解釈する。 戦後,久保田教授はかかる点を整理されて,「−現代のエ業経営におけろ原価問 題ほ.,今世紀初頭から特に10年代このかた別紅原価と操業度との関係並びに原 価と経営規梓との関係を中心にして固定費変動費などを取上げて,これが経営 費用論として研究されている。しかも,この経営費用論において論ずる目的は, 間接費計算論広くは原価計算論の目的と軌を1に・しているのが知られる。軌を 1にした目的をもち,しかも製造工程などの同一・の事象を両者が論ずるのであ るから,間接費計算論と経営費用論とほ.何らかの理論的交渉があるのでないか と考えざるを得ないS3).」と,まず問題の所在を明確にし,ついで,「経営費用論 には独自の存立理由もあるけれど,他面に・は.両者(原価計算と費用理論一平林 ●●●●●●●●●●●●●●●
●●●■ 註)が密接な関係にある。しかも,その関係とは経営費用の理論が間接費の理
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ■ ● ● ● ● ● ● ● ● ● ■ ● ● ● 論の基底に.なって,そのもとで間接費計算の論ぜられることを認めざるを得ない84).」と結論づけ,ここに1つの成果をみるに至るのである。
(2)ところで,久保田教授の理論,とりわけいわゆる原価計算論において,費 用理論がいかなる位置にあるかという第2の問題ほ,上記の説明からおのずと 推論でき為。既に戦前において,久保田教授の,費用理論を原価計算の基底紅し 33)久保田音二郎著『間接費計算論』序文2賞。 34)久保田音二郎著,前掲雷,序文2−3貢。香川大学経済学部 研究年報 6 ヱ966 −ユタβ・・⊥ た展開をわれわれほみるのであり,例えば,『間接費計算論』のトルソーである と考えられる『間接費会計論』をみればこの点ほ明瞭である。その著書におい で,教授ほ費用理論を基軸として間接費計算:の中心問題である原価部門をめぐ る問題,間接費構成能力論の−・環としての利子の原価性等を論じている36)。戦 後においても,初期の『原価計算論』一一一二註(25)参周一・,『間接費計算論』ほ もとより,近著『直接標準原価計算』に.おいて−も,それぞれ費用理論を底流な いし根幹として−いることは一月瞭然である。久保田教授にとって,原価計算は 費用理論を捨象しては考えられないのであり,他の論者の原価計算論にはみら れない特異性をもっているのである。しかしこのことはまた教授をして,原価 計算と費用理論との関係を不問に付すことをさせずに.おいているのである。も っとも,これ紅ついては逆のこともいえるのであって,原価計算と費用理論と の関係を考えたならば,必然的に,費用理論に.おいて原価計算を,原価計算匿 おいて費用理論を,それぞれ考慮せざるを得なくなるといえる。 かくみると,久保田教授ほいち早く原価計算と費用理論との関係に注意を惹 起し,費用理論碇.おいてその点の考察を,原価計算または間接費計算論に.おい てその具体的な問題を,それぞれ解明し,教授の原価の理論の基調を形成する に∴至っているといえる。では,久保田教授がいう費用理論と原価計算とが交渉 している具体的内容とはいかなるものであるか,つぎに.考えてみなければなら ない。 この問題を久保田教授は大きく8つに分けて論証している。第1ほ,間接費 計算論に.おいて重要な問題の1つである間接費配賦過不足額の発生原因の究明 に費用理論が交渉するという論証であり,第2は,原価計算の目的論を整序す る上に.おいて費用理論の体系的な目的論が関連するという論証であり,第8 ほ.,費用理論が直接原価計算の基礎理論として関係をもつという指摘である。 第1の問題は,間接費の配賦問題として間接費配賦過不足額が,原価計算上 では−・般にその処理の問題として前面にうかびあがり,したがってその計算処 理を合理的にあるいは合目的におこなうことが重要な要件とされていることに 関連する。つまり原価計算では過不足額を計算的に処理しようとするのである 35)久保田音二郎著『間接費会討論』(昭和17年)参照。
わが国に.おける原価計穿と費用理論との関係づけ紅ついて −Jβ9− が,それをヨリ合理的にしようとすればするはど,実はその原因を明確に認識 しなければならない。ところが,その原因の究明ほ原価計算では不可能であ り,逆に費用理論を援用することによって可能となるのである。いいかえれ ば,費用理論を基底にすることによって間接費配賦過不足額の原因がはっきり 解明でき,したがってその処理の問題も合理的ないしは合目的に解決し,ひいて は間接費配賦計算がヨリ正確性をもつようになるのである。従来,この点の 洞察がきわめて浅く,ともすれば過不足額の処理を技術問題と速断し,多くの 内面的な矛盾を隠蔽していたといえる。しかしそれが費用理論に立脚すること に.よってヨリ明確なものとなるに至り− ここに費用理論が間接費計算論と交渉 せざるを得なくなるのである。この事惜を久保田教授はつぎのよう紅論じてい る。 間接費配賦過不足額は間接費を−・定の配賦基準で配賦計算するこ辛から始ま る。例えば,配賦基準の選定においては,配賦基準を費目と密接に関係するも のを選定するのが当然であるが,もしこの原則とまったく反対の観点から配賦 基準を選ぺば,当然過不足額が生じる。けれども,いま仮りにこの条件をみた したとしても配賦基準の測定において,費用理論で問題とされる操業度の測定 に.関連して,例えば技術的最高の作業状態を配賦基準紅するか,また経済的意 味での最適操業度ないし正常操業度の状態を配賦基準にするかに.よっても問題 が生じる。つまり,配賦基準の選定とその選定する基準の測定によって配賦過 不足額が発生するのである。更に,これが予定配賦計算になると別の発生原因 が生れる。例えば,配賦する間接費に変動的なものと固定的なものとがあり, しかも 操業度に.劇致する以外は配賦不足額または配賦超過額を生みだすし,変動的間 接費に.ついても,もともと正比例的に変動するものとそうでないものとが含ま れているため,やはり過不足額を発生せしめる根源となる。 かくみると,配賦過不足額の処理が原価計算上の任務であるとはいえ,その 発生原因をつきとめることによって,その処理がたんなる技術問題となるので はなく,理論的な処理方法となることが知られる。しかし,これには費用理論 の援用が不可欠であることはこれまた上記の説明から自明である。しかも,以 上の一・般的関係が明らかになると,費用理論を加味した間接費計算論は,部門
香川大学経済学部 研究年報 6 ユタ6β −Jぜクー 費差額の発生の如何とその価額の大小によ.って原価管理をする分野,また標準 原価及びその計算制度を通じて間接費の差異分析をする分野紅も,それぞれ応 用しうる途がひらけてくることほ注目してよい36)。 ところで,原価計算と費用理論とが交渉す・る第2の局面ほ目的論の整序であ る。久保田教授に.よれば,原価計算の整序された目的論は原価計算論の発展に ょったかといえば,そうではなくむしろ費用理論の体系的な自的論に・よって整 序されたという。これは例.え腰,原価計算の目的の1つに原価管理一原価の 引下ば−−−があげられるが,いかにすればこの管理目的が達成でき,原価引下 げが可能となるのかを考察すれば明らかに・なる。いま結論だけをいえば,こ・の ためには一・方で価値計算的管理が必要であるが,他方で数畠計算的管理が不可 欠に.結びつくことは周知のところである。ところが,価値計算的管理と数畳計 算朗管理との繭係の究明は費用理論の援用を求めねばならない。というのは, 先陀.も指摘したところであるが,操業度の問題と関連するが,原価は本来的に 数畠的原価であり,自然的物理的素材の部分的または全部的な利用消耗であ り,価値的原価は.その貨幣価額上の反映にすぎないからである。つまり操業度 と結びついた素材の利用消耗の合理化が,等価・対立の関係紅おいて原価引下 ばどなっ七顕現するのである。したがって,数品計算的管理と価値計算的管理 とゐ一−・体化を通して原価管理は行われるのであるが,両者の関係は,前者が後 者の基底となり,しかもそれ紅費用理論が交渉をもっているのである釘)。 さて,原価計算論と費用理論との結びつきは,直接原価計算論にもみること ができると久保田教授は指摘される瑚。なぜならば,直接原価計算でほ■直接原 価と廟間原価との2っの原価グル−プに区分するが,これほ素朴でほあるが費 用理論における変動費と固定費との区分に対応しているからである。すなわち 「生産活動またほ操棄度の変化に応じて,いかに変動費と固定費との組合わせ が,変動するかという基本形態は,直接原価計算における直接原価と期間原価 との関係でも示しうるし」39),また「期間原価は単に収益(直接利益)→期間原価 ィ・ 36)′久保田音二郎著『間接費計鐸論』242−245貢及び294−308貢参照。 37)久保田音二郎著,前掲審,246−252頁参照。 38)久保田音二郎著『直■接標準原価計界』(昭和40年)53−56京参照。 39)久保田音二郎著,前掲雷,55−56貢。
わが国における原価釘穿と費用理論との関係づけについて −ヱ4ユー と対応するという形だけでほ.なく,その期間原価の利用度についても,あたかも 経営費用論の固定費の利用度問題を取上げるようにっ期間原価の利用度とそれ によって獲得する直接利益の大きさとの関係を問題として39)」いるからである0 かぐで∴ここにおいても費用理論が原価計算と交渉せざるを得ないのである。 しかし,以上のよ.うな諸論点に問題はないのであろうか,吟味してみなけれ ばならない。 ⅠⅤ さて,われわれは,上記のような久保田教授の所説から,さしあたりつぎの 諸点を指摘することができる。 欝1まず久保田教授の明確な問題意識についでである。既述のよう匹,準 授は既に戦前にいち早く原価計算と費用理論とが交渉をもつことを指摘し,、そ の具体的交渉の様相を論じているのである。もちろん,この間題意識をもつ広 重った背景紅は,教授による原価計算論史の研究がある。つまり,原価計算の発 展史においてチャーチとレユ.マーレンバッノ、の理論は特徴あるものであるが, それは層用理鱒の援用があるからであると洞察し,これを久保田教授が看過壷 ず,高く評価したところに,上記の問題意識発生の基盤がある。したがって, 原価計算と費用理論との関係の究明は,史実の上からみてもおこなわれなけれ ばならないという1種の使命感が久保田教授の所説からうかがわれるのであ る。しかし,教授の問題意識の発生起因は,史実の上からのみでほない。既に 述べたよう紅教授の原価の本質に対する考え方,したがって教授の原曙の理論 の性質からも,原価計算と費用理論との関係を考察せざ皐を得なくレ羊いろ甲 である。この点は特に注目すべきであると考える。 第2 ところで,かかる問題意識をただ問題意識にとどめる・のではなく,久保 田教撃はこれを積極的紅おしすすめ,原価計算と費用理論との関係を明らか′隼 した点に,その意義がある。しかも,その論証は,本小文では十分に言及し得 なかったのであるが史実の上から明らか紅すると同時に.,教授の原価粧対する 考え方を媒介させつつ具体的紅また詳細であることである。’この点匿おいて; 筆者の寡聞の限りドイツの論者紅もみられないものがあり,注目してよい■と考 える。
香川大学経済学部 研究年報 6 ユタ66 −JJ2− 第3 しかし,教授の所説にはいくつかの問題点もある。例えば,教授の論 証した原価計算と費用理論とが交渉せざるを得ない3っの様相について考えて みると,第1の点は異論ないとしても,欝2・3の点ほ若干の疑念が生じる。 第2点,つまり原価計算の目的論が費用理論の体系的な目的論によって整序さ れたという場合の論証は,・一・面それなりに理解できるが,.そこでいう「整序さ れた」ということほ何を意味しているのか曖昧である。これは,教授の論述か ら「まとめる」という意味にもとれるし,またたんに「亜理する」という意味 に.も解される。 いま,これを,散在している種々様々な原価計算の目的を体系的紅まとめ論 じる役割を費用理論がはたしたとすれば,どのように.その役割をはたしたの か,教授の論証からは判断できない。教授の論証ほ.,既述のように例えば原価 計算の1つの目的である原価管理の目的をヨリ有為ならしめるために,費用理 論が不可避的紅交渉してくることを示しているのであって,諸目的をまとめる 上での交渉については言及してし、ない。したがって,1つ1つの原価計算目的 をヨリ明確ならしめる上に費用理論が関係しているという指摘であり,これら 諸目的を費用理論がいかに.まとめていったのか,という疑問が生じる。 そこで,「整序する」とは「整理する」と解すること,すなわち原価計算の目 的を1つ1つ整理し,ヨリ明確にしたと解することが適切である。しかし,こ
のよう紅理解すれば,これは原価計算の目的論を費用理論の体系的な目的論が
整序したというより,原価計算の諸目的はそれぞれ費用理論から教えられたと ●●● ●●● いう程度であり,したがって,費用理論の体系的な目的論と原価計算の目的論 との関係はどうであるのか,たんに目的を同じくするという形式的関係なの か,依然として疑念が残る。 しかも,このような疑念は,直接原価計算紅も費用理論が交渉せざるを得な いという久保田教授の指摘にもいえる。たしか紅教授の指摘それ自体には異論 はない。しかしいったい具体的にどうかかわっているのか,つまりかかわり合 うという指摘を1歩踏み出す論証が期待されるのである。筆者が別稿におい て,40)費用理論の固定費の利用問題を期間原価と関連づけて−ささやかな解明を 40)拙稿「製造固定費の損益計算庭.おける計算処理と固定費観」(『香川大学経済論劉 第38巻5号)参照。わが国狂おける原価計算と費用理論との関係づけ紅ついて −∫4β− こころみたのも,このような問題点をいささかなりとも補完しようという意図 からきているのである。しかし,再言するが,原価計算と費用理論との交渉の 様相をこれはどまで追求した久保田教授の所説の意義ほ大きいといわねばなら ない。 第4 ところで,久保田教授の所説に.は1つの限界がある。それは,教授の いう費用理論がいわゆる伝統的費用理論−シュマーレンバッハ・メレログィ ッツの費用理論一−であることに.関連する。いわゆる新しい費用理論−グー テンペルクの費用理論−と原価計算との関係については,教授の論究がない のである。今日,費用理論といえば新しい費用理論を指称するが放に,ここ.に 1つの限界があるといえる。しかし,これは,伝統的費用理論がもつ限界が久 保田教授の所説の限界につながっているのであって41),伝統的費用理論から新 しい費用理論に代置されても,教授の見解が全く有効性を失うものではない。 いいかえれば,新しい費用理論を原価計算に交渉させれほ,ヨリー屑多くの交 渉の様相が摘出できるという意味であり,その1例をわれわれはキルガーの所 説42)にみ.ることができるのである。したがって,久保田教授の所説ほ,原価計算 と費用理論とが交渉する局面をいくつか論証・提示したにすぎず,これ以外に も交渉する局面ほ当然予想される。かくして,今後更にこの方向での研究が必 要であるが,新しい費用理論と原価計算との結びつきについては,例えば,小 林哲夫助教授の研究がある43)。そこでは原価の帰属計算の方法や考え方が新し 41)伝統的費用理論それ自体がもつ原価計算における限界については,小林健吾助教授 の指摘をさしあたり参照されたい。(小林健吾稿「経営費用論と原価計算」)
42)W.Kilger,Die Pr・oductions・und Kostentheorie als theoretische Grundlage derKostenrechnung,ZfhF Heftll一1958・拙稿「原価計罫と費用理論との関係」, 宮本匡草稿「費用理論と原価計算との交渉」参照。なお,宮本匿茸助教授は,キルガー の所説を吟味し,新しい費用理論は,(1)間接費の配賦に合理的な基礎を与えること,(2) また原価管理のための基準となる原価の確定の基礎として有用であると,論じている。 一註亜)参照−(宮本匡章稿「近代費用理論の一側面」142−143真参周。) 亜)小林哲夫稿「適応問題と原価の帰属計静」参照。なお,小林健吾助教授はキルガー の指摘に・関連しているが,グ・−サツベルクの費用理論はつぎの諸点において原価計算と ヨリ直接的に交渉しうる可能性があると論じる。すなわち,拙計画廉価の設定とその実 際との比較紅よる差異分析において,(2)また間接費の配賦計辞紅おいてヨリ合理性と正 確性とが得られる。一註42)参照−(小林健吾稿「経営費用論と原価計界」112− 114真参照。)
香川大学経済学部 研究年報 6 ム966 −Jヰ4− い費用理論といかに結びつくか−小林助教授の緒論によれば直接的には結び つき紅くいのであるが−・論究されている。 Ⅴ 以上,われわれは,わが国において原価計算と費用理論との関係がいかに考 えられているかを考察した。とりわけ久保田教授の考え方を中心にして:,わが 国紅おけるこの方面の研究動向を省察した。これが別稿「原価計算と費用理論 との関係」の補論になればと念ずるが,それにしても,原価計算と費用琴論と の結びつきは複雑な問題を含んでいる。今後一・屑,費用理論と原価計算との双 方よりこの間題の検討が要請される。本小文がそれにいささかなりとも役.立互 はと願うものである。 (1967.1.81) (付記,本小文での費用理論,経営費用論,経営費用理論,また原価計算り 廉価計算論,ほ同義的に用いている。)