赤門マネジメント・レビュー 3 巻 1 号 (2004 年 1 月) 〔連 載 : 経 営 学 研 究 法〕
英文論文のススメ
∗
―若手研究者に贈る言葉―
高橋 伸夫
東京大学大学院経済学研究科 E-mail: [email protected] 要約:経営分野の若手研究者・大学院生を念頭に、英文論文を執筆するというプロセ スを通して、研究の進め方、論文の書き方、さらには学界事情など、研究者の世界に ついて解説する。 キーワード:英文論文、ジャーナル1. はじめに
私はこれまでに英語の論文を 20 本近く書いています(巻末の参考文献リストをご覧くだ さい)。日本人経営学者としては多い方でしょう。しかし論文をrejectされた回数も日本人経 営 学 者 で は 一 番 だ と 思 い ま す 。 最 初 の 活 字 論 文 は 1983 年 に 行 動 計 量 学 会 の 英 文 誌Behaviormetrika に 掲 載 さ れ た 英 文 論 文 (Takahashi, 1983) で し た 。 最 初 の 著 書 Design of Adaptive Organizationsも英語で (Takahashi, 1987c)、これは海外の出版社Springerから 1987 年
に出版されたものでした。1 もっとも、当時、この出版社は日本に支社も何もなかったので、Springer のことをずっと ∗ 本稿は『GBRC ニューズレター』に「経営学研究法 紙上リレー座談会」の番外編として 10 回に わたって連載された「英文論文のススメ」に加筆修正したもの。掲載号は、① 2003 年 9 月 8 日号 (No. 69)、② 9 月 15 日号 (No. 70)、③ 9 月 22 日号 (No. 71)、④ 9 月 29 日号 (No. 72)、⑤ 10 月 13 日 号 (No. 74)、⑥ 10 月 20 日号 (No. 75)、⑦ 10 月 27 日号 (No. 76)、⑧ 11 月 3 日号 (No. 77)、⑨ 11 月 10 日号 (No. 78)、⑩ 11 月 17 日号 (No. 79)。
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筆者のホーム・ページ http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nobuta/ で「著作物一覧」のコーナーを見れば、 ここであげた論文 Takahashi (1983) については本文が pdf ファイルで、本 Takahashi (1987c) につい ては写真が貼ってありますので、どんな感じのものかは知ることができます。
「スプリンガー」と読んでいました。もともとがドイツの出版社なので「シュプリンガー」 と発音すると知ったのは、本が出版されてしばらくたってからでした。献本した知り合いの 先生から「高橋君、シュプリンガーの本、ありがとう」と口頭で言われて、初めて気がつき ました。この本は、もともと私の博士論文が元になっていますが、実は、私の博士論文も英 語だったのです。提出したのは日本の筑波大学ですが。 こう書いてくると、なんだか格好よさそうでしょう? しかし、これが全然自慢にならな いお話なのです。正直に言いますが、私は英語が得意ではありません。だから英語で論文を 書くなんていうのは、修行僧が山にこもって行う難行苦行の類なのです。しかも海外・国内 を 問 わ ず 旅 行 や 移 動 が 嫌 い で 、 全 く 国 際 的 で は あ り ま せ ん 。 私 ほ ど 「 国 際 的 」 と か “international”とかいう言葉が似合わない経営学者も少ないのではないでしょうか。 それでは、なぜ英語の論文等が多いのか? 答えは簡単です。若い頃、私の研究は、日本 国内ではほとんど認めてもらえなかったからなのです。つまり、日本語で書いた論文はほと んど日の目をみなかったのです。だから英文論文が多いということが全然自慢できないので す。どのくらい国内で認められなかったのか。エピソードを挙げればきりがありませんが、 ひとつ面白い(しかし当時、本人にとっては深刻だった)事例を紹介しましょう。
2. 日本語で論文を書いてもどこも載せてくれない!
私の場合、海外の学術専門誌(学界では「ジャーナル」と呼ばれている)に投稿する論文 は、最初は日本語で書いて、それから英語版に自分で翻訳しているケースがほとんどでした。 ところが、「日本語版」の全く存在していない英語論文があります。それは 1986 年にBehavioral Science 誌(直訳すると『行動科学』誌)に掲載された“On the principle of unity of
command”という論文 (Takahashi, 1986a) です。2 日本語でタイトルを書けば「命令系統一元 化の原則について」ということにでもなりますか。この論文は、最初から英語で書かれ、と うとう日本語版は作成しませんでした。 話は、その数年前にさかのぼります。確か 1983 年の春の組織学会の会場での出来事でし た。当時私はまだ大学院生で、1982 年の春に学会デビューを果たしたばかりでした。会場 で最後列の座席に座って他の人の発表を聞こうと待ち構えていたら、面識のある某一流大学 の経営学の大家の教授に呼び止められました。 「高橋君、ちょっといいかい。」 駆け出しの私は声を掛けられただけでも恐縮して、「はい」と答えると、席を空けました。 2
この論文 Takahashi (1986a) は筆者のホーム・ページ http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nobuta/ の「著作物 一覧」の「学術論文」のコーナーに行くと pdf ファイルを読むことができます。
するとその教授は私の横に腰掛けてきて、おもむろにこう話し始めたのです。 「君が○○財団に出したプロポーザルを見たけど、私はあそこの理事だからね。ありゃあ ひどいね。とくにあの調査票はひどい。どうして、あんなものが作れるのか。」 実は、後に Behavioral Science 誌に掲載されることになる研究は、モデルの分析に加えて、 その実証として日本企業の調査も含んでいました。その調査は、1983 年 1 月にアンケート 調査として実施されたのですが、そのために必要な資金をその○○財団に申請していたので す。すでに資金も手に入れ、調査も終わっていたので、審査とは関係のない事後的な話と理 解し、今後の研究のプラスになればと、謙虚に、 「すいません。どこがひどいのか具体的に教えていただけるとありがたいのですが。」 と恐る恐る聞いてみました。すると教授は、おもむろに手元の紙に見覚えのある図を書き 始めました。それは、組織図なのですが、私が調査票に選択肢としてあげた図 1 のような 2 枚の図の(2)の方で、3 層になっていて、最下層の人には、複数の真ん中の層の人から線が引 かれていました。つまり、複数の上司がいるような組織図になっていたのです。 「君がこれを書いたんだろう。これはひどいね。こんな図を描くなんて、君は経営学の常 識がないと思われても仕方がない。」 「これは先生もご存知かもしれませんが、マトリックス組織かどうかを聞いた質問なので すが……。先生のご本にもマトリックス組織の解説が書いてあると思いますが。」 「何言ってるんだ。マトリックス組織というのはマトリックスに組織図が描いてあるから マトリックスなんだ。これではただのファンクショナル組織じゃないか。」 「先生は 1977 年に出版されたデイビス=ローレンスの有名な『マトリックス』を読まれた 図 1 ピラミッド組織(ワンボス・モデル)とマトリックス組織(ツーボス・モデル)
ことはないのですか。あの本の中では、どのメンバーにも上司が一人しかいない普通の組織 ((1)の図)を「ワンボス・モデル」と呼び、その原則に反して上司が二人以上いる組織((2) の図)を「ツーボス・モデル」と呼んでいて、ツーボス・モデルこそがマトリックス組織と 書いてあるのですが。」 「何をバカなことを言ってるんだ。私だけではないぞ。この学会の理事会のときに、隣に 座った○○先生に君の作った調査票を見せたら、こんな非常識な図を描くような組織学会員 がいるなんて、と嘆いていたぞ。こんなのありえるわけないだろう。」 「しかし、実際にこの図を使って調査をしたら、36%の企業がこの図を選んだんですよ。 現実に日本企業で、この図のような組織だと意識していることは、事実なのではないです か。」 「だから日本企業は前近代的で遅れているとわれわれは批判しているんだ。アメリカの経 営学の教科書を読んでみろ。どの教科書にも書いてある有名な命令系統一元化の原則も知ら ないのか。」 「それは知っていますが、その原則に反して作られているからこそ、マトリックス組織は 注目されているのですよね。デイビス=ローレンスの『マトリックス』の中では、実態とし てマトリックス組織を実現・運営して成功しているのは日本企業であるとまではっきり書い てありますが……。」 そこで前の座席に座っていた人が後ろを振り向き、われわれをにらんでこう言いました。 「うるさいっ。外に行って話してください。」 しかしまあ、私のような若造はともかく、よくぞあの強面の名物教授まで叱り飛ばしたも のです。一瞬、周りが凍りつきましたが、その教授は意外と素直で、私とともに怒られてす ごすごと会場の外に出ました。会場の外、といってもドアの所で、今度は立ったままでしば らく話を続けたのですが、また同じ話の堂々巡りで、まったくの平行線のままでした。結局 そのセッションは終わってしまい、会場から吐き出されてきた人々とともに、先方は次の会 場へと行ってしまいました。 直後に、廊下でばったり出会った恩師高柳暁先生にそのことを簡単に報告すると、いつも ながらのにこやかな表情のままで、 「そうですか。高橋君、もうその話は日本語で書いてもどこも載せてくれませんね。多分、 ○○先生が反対に回るでしょう。英語で書いて、海外のジャーナルに載せてもらうしかない ですね。」 などと、すごいことをあっさりとおっしゃる。しかし、当時、高柳先生も含めて、海外の ジャーナルに論文を載せている経営の先生などは皆無に等しい状態だったのです。ところが、
無知というのは恐ろしいことで、こうして、ほとんど唯一の私の理解者といってもいい高柳 先生の「アドバイス」(思いつき?)を忠実に守って、私はその論文を最初から英語だけで書 き、1984 年 8 月に、Behavioral Science 誌に投稿したのでした。 なぜ Behavioral Science 誌に投稿したかというと、これまたいい加減な話なのですが、筑 波大学の数理計画法の権威の先生が、「君の分野だったら、Behavioral Science なんかは格調 高くていいんじゃないの? 一流誌だし。」などというまた無責任な発言をしたので、深く考 えもせずに投稿したのです。そして、今でも不思議なのですが、この論文はこれまで書いて きた私の論文の中で唯一、一発アクセプトされた(つまり、論文の掲載を決めるレフェリー や編集者から修正を求められなかった)論文となりました。しかし、日本語版はとうとう作 られなかった。学会発表すらしませんでした。○○先生が学会でこき下ろすのが目に見えて いたからです。 実は、その年の秋の組織学会で、今度は、安全策をとって、私は高柳先生と共同で別のテ ーマで発表をしたのですが、それもまた○○先生を含めた大御所クラスにボロクソに叩かれ てしまったのでした。私はよほど嫌われているのでしょう。もし私が発表していたら、会場 の壇上で、相手が偉かろうがなんであろうがバチバチとやりあうのですが(そのせいで、あ いつは生意気だと評判を落としてきたわけです)、さすが人格者の高柳先生は、ひょいひょ いとうまくかわして終えてしまいました。しかし、発表を終えたとたん「高橋君、これを『組 織科学』に投稿しても無駄ですね。やめましょう。」とこれまたあっさりとあきらめてしま いました。 結局、学会発表に使った日本語の論文は、予稿集には掲載され、後に分割して二人の別々 の単著の日本語の解説論文に化けただけで、『組織科学』誌に投稿されることはありません でした。しかし、論文の中心になった部分は、頭に来た私が即座に共著のまま英語に直して 投稿し、1985 年に Human Relations 誌に掲載されたのです。それが “Decision procedure models and empirical research” という論文 (Takahashi & Takayanagi, 1985) です。日本語だと「意思決 定モデルと実証研究」程度の意味になりますか。3 そんなわけで、当初、日本の学会でボロクソに酷評された論文が、学界で皆が知っている 海外の一流誌に立て続けに掲載されたことで、私はもう「経営学の常識がない」とは批判さ れなくなりました。海外のジャーナルに掲載された論文は、まるで水戸黄門の印籠のような 効き目があったのです。これで研究者としての生活は格段に楽になりましたが、日本の経営 学者、特に大御所クラスの先生方に対する不信感は決定的となりました。こんなことでクル 3
この論文 Takahashi and Takayanagi (1985) は筆者のホーム・ページ http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nobuta/
クル変わる「経営学の常識」って一体何なのでしょう。私が非常識というのであれば、たと え海外のジャーナルに私の論文が掲載されようとも、最後まで批判し続けるのが筋というも のでしょう。こうして 20 代、選択の余地もないままに、私は英文論文執筆生活に突入した のでした。
3. 良いジャーナルとは
前にも書きましたが、私が論文を投稿して掲載を却下された、つまりリジェクト(reject) された回数は、英語の論文も日本語の論文も、それぞれ日本人経営学者では一二を争うと思 います。こんなことは何の自慢にもなりませんが、いまだに国内誌を含めて、よくリジェク トされます。 しかし、人間、慣れというのは恐ろしいもので、若い頃からそういう目に遭い続けている ので、リジェクトされるとさすがに頭にきますが(ムカついて一晩寝られないときもある)、 だからといって、投稿をやめようとは思いません。人と違ったことをしようと思えば、色々 と抵抗にあうのが当然です。それに、完璧な理論が存在しないように、完璧な論文というの もありえないわけですから、つつこうと思ったら、穴が色々と見つかってしまうのも事実な のです。 ただし、私個人は、論理的に破綻していない限りは、そして事実無根でない限りは、面白 い論文は「良い」論文であると単純に思います。少なくとも、出版して他人に読んでもらう 価値は十分にあります。だからこそ私自身、そう思える論文は投稿し続けるのです。 ところが、ジャーナルのレフェリーの中には、穴を探すことに夢中になりすぎて、レポー ト自体に一貫性のない、ヒステリックな反応をしてくる人がいます(というより、そっちの 方が多数派かなぁ)。あるいは、「私は嫌いだ」とか「こんなデータはありえない」などとい う、科学者としてどうでしょうといったレポートをよこす人までいます。これは海外誌も国 内誌も似たようなものです。何の役にも立たないレフェリー・レポートを平然と送りつける ようなジャーナルは、投稿先としての価値がありません。 ほとんどの場合、穴探しに狂うタイプには、視野がまだ狭窄したままの若い研究者が多い のですが、こうした経験不足の若いレフェリーを起用する場合には、エディターは責任を持 って、レフェリー・レポートの書き方を教えたり、著者に送る前にレポートの内容の修正を 促したりすべきでしょう。私も齢を重ねてきたので、あまりにひどいときには、たとえリジ ェクトの判断が下されていても、教育的な意味も込めて(迷惑がられているとは思いますが) 反論の手紙を書くこともあります。多分、レフェリーには届いていないでしょうが。 逆に年配の人ほど「私は嫌いだ」とか「こんなデータはありえない」などと書く傾向があります。このような人は、いさぎよくジャーナルの編集から引退すべきです。ジャーナルの 読者が欲しているのは、新事実や新理論が与えてくれる知的ワクワク感だからです。だから こそ、これまでの枠組みをはみ出したような新しい面白い論文については、まともなエディ ターであれば、多少危険をおかしてでも、掲載して世に問うことを選択するはずです。リジ ェクト権はあなたが「偉い」ことを証明するためにあるのではない。「偉い」のはあなたで はないのです。前人未到の新領域に、新事実や新理論を探して日々彷徨い、悪戦苦闘してい る研究者が偉いのです。だから、多少のリスクを犯してでも、そうした新事実や新理論を発 掘、掲載して、世の中に問うジャーナルが読者と尊敬を集めることになります。 ときどき、大学院生から「良いジャーナル」とはどんなジャーナルですかという質問をさ れることがあります。もうおわかりでしょう。一般の読者に対してなら別の回答をしますが、 少なくとも研究者もしくは研究者の卵に対する私の答は決まっています。「良いジャーナル とは投稿先として良いジャーナルのことである。」それは、ジャーナルの知名度では決まり ません。一番重要な要因はエディターです。 少なくとも 30 代前半まで、私にとってジャーナルとは読むものではなく投稿するもので した。他人が何を研究しているのかなんて、ほとんど興味がなかった。もちろん論文は読ん でいましたが、中心的な関心事は、「このジャーナルはこの手の論文が載りやすいのか」と か「このジャーナルの論文には共通した『文法』が存在している」とかいったことで、「傾 向と対策」のために読んでいたのに過ぎませんでした。エディターの好みを知るのも重要な 作業でした。 大学院生の頃、私の周辺には経営学を専攻していた友人はいませんでしたが、別の分野の 人間も、そうやってジャーナルを選んでいました。彼いわく。 「高橋君には関係ないかもしれないけど、○○○はいいジャーナルだよ。載りそうもない と分かっていても、みんな一度は投稿してみるんだ。日本国内では近い専門の人はほとんど いないけど、さすが世界の一流誌だけあって、目から鱗が落ちるようなコメントがレフェリ ーから返ってくるんだ。リジェクトされても、そのレフェリー・レポートをもらうだけでも 十分に価値があるといった感じかな。」 だからこそ、世界中から玉石混交ではあっても論文が集まってくるのです。その中から、 まだ磨かれていなくても玉を拾うのが、本来のエディターの仕事なのです。しかし、それが いかに難しい仕事かも分かります。実際には、でこぼこの玉よりも、表面がきれいに磨かれ た石を拾いそうになってしまうからです。きれいに磨くというのは、ある意味、職人芸の世 界なので、熟練してくると、どんなものでもそこそこピカピカに磨き上げることができるよ うになります。しかし、所詮、宝石の輝きにはかなわない。石ころは石ころなのです。
そんな生活を過ごしていた人間にとっては、ジャーナルの良し悪しは、レフェリー・レポ ートの質で決まるといっても過言ではないのです。それを支えるのはエディターの器量です。 だから、たとえ難関で、ほとんど採択されないジャーナルでも、一度投稿してレフェリー・ レポートの質が良ければ、別の論文を書いたときにも必ず投稿しました。つまり、リピータ ー に な っ て し ま う の で す 。 当 時 、 経 営 組 織 論 関 係 で そ う し た ジ ャ ー ナ ル は 米 国 系 の
Administrative Science Quarterly (ASQ) と英国系の Human Relations の二つでした。この二つの
ジャーナルは、歴史ある名門の老舗(?)的な存在ですが、確かにそれだけの価値はあり、 落とされても、落とされても、とにかく投稿してみました。そのたびに、たとえリジェクト になっても、レフェリー・レポートをもらって「ああそうか」と思う瞬間が何度もありまし た。残念ながら、ASQ にはいまだに掲載された経験はありませんが、Human Relations には 2 本掲載してもらいました。当時の私の心の中にはそうしたランキングがあったので、Human Relations への掲載はまさに感涙ものでした。 対照的に、Management Science の組織論部門はもうだめになっていました。有名なジャー ナルではありましたが、部門別にエディターを立てるようになってからはジャーナル全体と してもパッとしません。誰とは言いませんが、当時の組織論部門のエディターは最悪に近か った。これは、表面的に読んでいては分からないことです。投稿して、実際にやりとりした 人でないと分からないことなのです。その人は今でも別のジャーナルのエディターをやって いますが、選択の基準が見え透くので、私はそのジャーナルを読みません。 有名なジャーナルに載っているから良い論文だとは言えません。有名なジャーナルだから 良いジャーナルだとも言えません。それでは、どのジャーナルが良いジャーナルなのか。そ れは自分で投稿してみないと分からないのです。だから自分で英文論文を書いて投稿するこ とを勧めるのです。何度かリジェクトされながら、あちこち投稿してみると、ジャーナル、 正確にはエディターによって、同じ論文に対しても、こんなにまでも対応に違いがあるのか と驚くはずです。そんな時間的余裕と体力がある若いうちに、ぜひ論文を英語で書いて投稿 してみましょう。 「そんなこと言われたって、どうやって英語で書くのか分からない。」 という声が聞こえてきそうですが、日本語でも論文として「書くに値する内容」があり、 集中的に論文執筆に投入できる時間さえあれば、英語で書くのは意外と簡単です。何しろ、 半分助けてくれる人がいるので……。
4. リジェクトから始まる論文執筆
以前、こんな相談を受けたことがあります。「すでに日本語の学術誌に公刊された論文をそのまま和文英訳して、海外の英文誌に投稿 したら、まずいのでしょうか?」 そりゃあまずいでしょう。一応、未公刊論文ということになっているわけだから。 ところが、例外はいくつかあって、たとえば大学などで発行している Discussion Paper や Working Paper と呼ばれるものは、発行者(つまり大学)に対して著作権の委譲を行わない ので(米国著作権法に則った copyright transfer をしていないという意味です)、そのまま投稿 しても文句は言われません。もともと、そのために作られたような制度ですから。 もう少し詳しく説明すると、通常は、投稿された論文が実際に掲載されるまでには、海外 誌の場合、早くても 1 年くらい。何度も改訂稿のやりとりをしたり、仮にアクセプトされて も、アクセプトされた論文が長い待ち行列を作っていたりすると、時には掲載まで数年かか ることもあります。その間に誰か他の人が同じような研究成果を発表して先を越されること がないように、Discussion Paper や Working Paper を大学から発行して日付を確定しておくわ けです。日本の大学の紀要も、それに準じる扱いをされると聞いたこともあります。 経営学だとあまりそのようなことは起こりませんが、理論経済学や確率論・統計学のよう に、特定の数学モデルに世界中の研究者が取り組んでいる場合には、同じような論文が同時 期に全く独立に書かれるということも不思議ではありません。私がかつて目にしたものでも、 結構過激な例がありました。それは、海外の比較的有名なジャーナルに掲載された確率過程 論の論文が、掲載後、実はほとんど同じ内容の論文がすでに日本の OR 学会の英文誌に掲載 されていたことが分かって、一度掲載されたにもかかわらず、「掲載の事実」を取り消され たのです。 そうならないためには、危ないなと思ったときには、できるだけ早く Discussion Paper や Working Paper にして、似たようなことをやっている世界中の研究者にばらまかなくてはい けません。もともと狭い世界ですから、本当に似たようなことを研究している人は世界中で もせいぜい数十人のオーダーです。それを受け取った、あるいは、たまたま同じような論文 を書いている研究者から、やはり Discussion Paper や Working Paper が送られてきて、共著に しようと持ちかけられたという話も聞いたことがあります。 しかし、今回お話したいのは、別のお話です。同じ質問 「すでに日本語の学術誌に公刊された論文をそのまま和文英訳して、海外の英文誌に投稿 したら、まずいのでしょうか?」 に対して、もうひとつの回答があります。私の答は、 「あなたの実力では、そんな心配は杞憂に過ぎないと思いますよ。」 「私の実力」でも全然心配はいりません。実際的なことを言えば、われわれの英語力では、
日本語の論文を忠実に英語に翻訳することすら不可能だからです。心配する前に、とりあえ ず 1 ページでも自分で翻訳してみればわかります。 日本語版を英語にするとはいっても、基本的には、できるだけ近い内容で英語で表現しや すい内容だけを最初から英文で書く(裏を返せば、英語で表現しにくいものは割愛する)と いうのが現実的な姿です。ですから、結果的に、同じものはできません。もし 「あのジャーナル論文は、数年前に出た日本語論文とまったく同じだ」 と言えるような英語版に翻訳できたとしたら、逆にたいしたものです。(「図表がまったく 同じ」と言われてしまいそうなことはありそうですが……。) そして、皆さん、実は大変なことを見落としていると思いますが、英文論文が一発でアク セプトされることはまずありえません。私の場合は、なぜか Behavioral Science の論文が一 発アクセプトになったことがありますが、こんなのは例外中の例外です。この論文は最初か ら英語で書いたもので、日本語版が存在しなかったのがかえってよかったのかもしれません。 何度も書いていますが、私は日本人経営学者としては多分、抜群のリジェクト回数を誇っ ていると思います。その経験を踏まえれば、英文論文の場合、投稿先が世界中にたくさんあ るので、リジェクトされては次のジャーナル、リジェクトされては次のジャーナルと、1 本 の論文で、四つや五つは平気で「はしご」することになります(同時に複数のジャーナルに 投稿することは禁止されています)。しかし、たとえリジェクトになっても、そのたびに、 レフェリーやエディターが色々と英語でうまいまとめをしてくれたり、論文の穴を英語で的 確に指摘してくれたりするので(英語で書いてあるのは当たり前の話ですが)、それを次々 とパクって(?)、対応して自分の論文に書き足していくと、2~3 回リジェクトになって書き 直しているうちに、全然違った印象の論文に成長していきます。 なにしろ、1 人のレフェリーがだいたい A4 用紙で 1 ページ程度のコメントはくれるわけ ですから、それにエディターのコメントも入れると(それプラス「穴をふさぐための対応」 も書くわけですから)、それだけでも 3 回投稿すると 10 ページ分くらいは自然にページ数が 増えることになります。その多くは Introduction 部分でまとめや defense 用に使われます。英 語の論文で、Introduction 部分がやたらと長いものが多いのは、多分そのせいです。外人さん も同じことをやっていると思います。世界中の研究者が寄ってたかって論文の穴探しをして くれるんですよ。これって考えようによってはすごいことでしょう? だからこそ、良いジャ ーナルを選んで投稿なさいというわけです。エディターが定型文のリジェクトの手紙だけを 送ってくるようなジャーナルなんて、投稿するだけ時間の無駄です。 論文の改訂時には、ふさげる穴はもちろんふさぎますが、ふさげない場合であっても、「知 らないわけではなく、こういった問題があることは知っているのだが、それでもこんなメリ
ットがある」というような書き方をすると、次回、投稿したときにレフェリーはその穴をこ れ見よがしに指摘しにくくなります。こんなことをしているので、たとえ、日本語版があっ たとしても、アクセプトされて掲載される頃には、見てくれも全く異なった別の論文になっ ていますので、まず心配はいりません。 かつて、同僚の経済学者と雑談していて、1 本の論文を何回リジェクトされたらあきらめ がつくかという話題になったことがあります。二人とも、4~5 回ではあきらめがつかない という話になりました。ただ、これにも限界はあって、ある程度回数が進んでしまうと、世 界中でも同じ研究領域の研究者の数は限られているので、同じ人にレフェリーが回ることが あって、そうなると「以前、似たような内容の論文を読んでリジェクトしたことがある」と いうことになり、せっかく大改訂してあっても、読まずに付き返されることになりますので、 ご用心。 さあ、もうお分かりでしょう。よほどの英語力と、一発でアクセプトされるというよほど の幸運に恵まれない限りは、「あの英文論文は、数年前に出た日本語論文とまったく同じだ」 などと言われることは、まずありえません。それほど海外のジャーナル、特に一流誌に載せ るということは大変なことなのです。英語で論文を書き始める前に、そんな幸運と才能に恵 まれた夢のような状態を想像して心配しているのは、宝くじを買う前に、3 億円当たったら どうしようと心配して躊躇しているのと同じことです。これぞ杞憂と言うべきでしょう。 私に言わせれば、そのような事態を容易に想像できてしまう人は、皮肉ではなく、本当に 幸せな人です。これまであまり日本語の論文をリジェクトされた経験もないし、学会でいじ められたり叩かれたりした経験もない人でしょう。昔、順風満帆人生を送られた、ある立派 な先生が、当時まだ駆け出しだった私たちに「君たちは英語の論文に挑戦しなさい。私くら いの年齢になるとリジェクトされるとダメージが大きいけど、君たちは失うものがないか ら。」と言うのを聞いたことがあります。私もだいぶその先生の年齢に近づいてきましたが、 実際には、今でもリジェクトされても失うものは特にありません。さすがに書き直している 時間はなくなってきましたが……。 まあ、津波のように迫りくる幸福を前に恐怖におののき立ちすくむ(?)というのも、そ れはそれで幸せかもしれませんね。もっともプロの「論文書き職人」には、もうちょっと違 った職人の世界があるのですが……。
5. 職人芸としての論文執筆
研究生活と論文執筆とを同じものと一体化して考えている人が多いかもしれないですが、 英文論文の場合、はたしてどうでしょうか。実際に私がプロの「論文書き職人」(?)として生活していたのは 20 代後半の 5 年程度だ ったと思いますが、それはただひたすらに英文論文を書いては投稿し、論文が戻ってきては 書き直し再投稿し、というような生活でした。いやいや、これは表現が正確ではない。もう 少し正確に言うと、いつも 4~5 本の論文を上に投げ上げ(投稿し)、落ちてくると、キャッ チして書き直してまた急いで投げ上げ、別の論文が落ちてくると、キャッチして書き直して また急いで投げ上げ……。とにかく投げ上げた論文が床に落ちないように、落ちないように、 キャッチしては投げ上げ、キャッチしては投げ上げ、という生活を夢中になって続けている のが「論文書き職人」の生活なのです。 ミンツバーグか誰かが、経営者の仕事を似たような表現で比喩として書いていましたが、 本当にそんな生活でした。「論文を投稿する」というのはまさに「論文を投げ上げる」感覚 なのです。何しろ、すぐに落っこちてくるので……。英文論文を常時数本「投げ上げた」状 態で、すでに投稿してある論文が、書き直し指示の手紙なり、リジェクトの手紙なりが付い て落っこちてくる前に、とにかく 1 本でもいいから別の論文を投げ上げておく、というよう な生活を 4~5 年続けていると、英文論文が数本アクセプトされて、なんとか一人前の研究 者として認知されるようになる、というわけです。 大学院の博士課程後期からそのような生活をしていたので、私の場合は週末になると土日 の二日間をかけて、愛用の中古のブラザー製電動タイプライターで朝から晩までタイプを打 って、ようやく 30 ページほどの英文論文の清書が終わるという感じでした。当時はプロの タイピストの愛用品はイタリアのオリベッティ製の手動タイプライターで、それがその筋の 一級品として扱われていました。しかし、私のような素人が手動タイプライターで打つと、 どんなに高級品であっても、キーを叩く力にばらつきがあるので、印字の濃さに濃淡ができ て「汚い」印象になってしまいます。しょうがないので、「中古」の電動タイプライターを 買ってきたのでした。こんな感じで、英文論文を「打って」いたので、いよいよ間に合わな くなると切り貼りしてコピーするはめにもなるのですが、その頃、国際的に活躍していた某 先生が筑波大学の研究会で英文論文を発表したときに、よく見ると、それも切り貼りの英文 原稿をコピーしたものだったので、妙に親近感を覚えたものでした。 当時、ワープロがこの世に存在していなかったわけではありません。実を言うと、IBM 製 の英文タイプライター連動のワードプロセッサーがあったのです。少なくとも英文ワープロ はあったのです。しかし、それはまさに高級品。教官専用で、しかも年がら年中誰かが使っ ていて、大学院生である私には使わせてもらえませんでした。もっとも、大学院の修士のこ ろから、アップル II や PET と呼ばれるマイコン(まだパソコンという用語はあまり普及し ていなかった)が出始め、それで論文を書く人も出始めていました。しかし、当時のあのド
ット・プリンターの印字品質では、もともと英語的に見劣りのする論文が、ますますみすぼ らしく見えてしまうので、私には使えませんでした。 それが劇的に変化するのは、東京大学教養学部に助手として採用され、割り当てられた物 品庫のような研究室で、機材にまぎれて三菱電機製の 16 ビット・パソコン MULTI 16 とそ のプリンターとしてブラザー製のデイジー・ホイール電動タイプライターが「放置」されて いるのに巡り合ったときでした。もともとこのセットを購入することに尽力したのは、私の 前任者である田中明彦さん(現在は東大東洋文化研究所所長)だったらしいですが、田中さ んは助教授に昇進して、別の棟の研究室で、出たばかりのマッキントッシュ(当時は日本で はキヤノン販売が販売していた)に夢中でした。そのおかげで、MULTI 16 を私の好きにし ていいと言ってくれたのです。幸いなことに、この MULTI 16 にはドット・プリンターはつ いておらず、英文電動タイプライターの専用機のような状態でした。つまり、日本語の論文 を書いている人には関係のない機械だったのです。こうして、思いもかけず、私の専用マシ ンが手に入ったわけです。ワープロ・ソフトは今はなつかしい「ワードスター」でした。当 時は、ヘルプも含めて、すべて英語でしか説明が書いていなかったような時代でした。 そのころ、日本語の論文を山のように書いていた同僚の必需品は、富士通の日本語ワープ ロ「オアシス」で、私も少しは練習しましたが、親指シフト・キーボードに慣れなくて、す ぐに挫折してしまいました。しかも当時は、私に関して言えば、日本語の論文は、書いても 国内誌には載せてもらえない状況だったので、日本語ワープロは使い方を覚えるだけ時間の 無駄という状況でした。日本語の論文がどんどん掲載される同僚が正直言ってうらやましか った。 こんな状態なので、今度は私の生活は、出勤日は大学の研究室でひたすら英文ワープロの キーを叩き、帰り際にプリンター(電動タイプライター)で打ち出して紙で持ち帰り、出勤 日ではない日は、自宅で英文原稿に朱を入れ、また出勤日が来ると、大学で修正版を入力す るという生活に逆転しました。 デイジー・ホイールというのは、タイプ・フェースが円形にデイジーの花弁状に配置され ている板になっているところからそう呼ばれていたものです。このデイジー・ホイールはプ ラスチック製の円盤なので、簡単に取り外し・交換ができました。すっかりハマッた私は、 数式用のギリシャ文字を入れた特注品を自腹で発注して使っていました。印字品質はドッ ト・プリンターや愛用の中古の電動タイプライターとは比べものにならないほど向上したの です。 こうして大学の研究室では、ほとんど人間ワープロ・マシンと化して、ただひたすらに単 調で機械的な入力作業をしていたので、当時の駒場の劣悪な環境や雑用の山も、ある意味、
人間的な息抜きの時間になっていたようにさえ思えます。少なくとも、このような規則正し い「論文書き職人」の生活にはあまり障害にはなりませんでした。 当時、学会からほとんど無視され、なおかつお座敷に声もかからないような売れない助手 だったので、研究的、学問的にはほとんど雑音もないままに、こんな助手生活を 3 年近く過 ごすことができたのです。助手になって 2 年目くらいから、ポツポツと英文論文が掲載され るようになり、職場の先生たちに手渡しで抜き刷りを謹呈すると、「これは君が書いたの? これが研究テーマだったの?」と驚かれたくらいなので、本当に、英文論文以外には学問的 アウトプットのない数年間を過ごしていたのでした。 こんな話をしていると、「そんな生活をしていたら新しい研究なんてできないのではない ですか」とあきれられることがあります。私は当時の生活に戻りたいとは思わないので、当 時の生活を積極的に肯定するつもりはありませんが、あえて言うと、「そうでもない」とい う答になるのがまた面白い。多分「論文書き職人」は、不思議の国の住人なのだと思います。
6. 論文を書くということ
研究生活というと、何かを研究している姿が想像されるかもしれません。経営学のような 社会科学分野では、実験というのはあまりありませんから、調査に行ったり、データを集め たりという姿でしょうか。確かにそれはあります。しかし、実際には、そうした事実や事実 発見をまとめる作業、一昔前の流行で言えば「編集する」作業が思いの外、時間をとってい るのです。そして、英文論文を書くということは、自分にとって母国語ではない言語を使っ て書くことになるので、事実や事実発見をまさに「アイデアとして編集する」作業に直面さ せられることになります。つまり日本語で書くのとは異なり、アイデアを伝達することに甘 えが許されないのです。これが、若い研究者に英文論文を書くことを勧めるもうひとつの理 由です。 実は英文論文に限らず、日本語で論文を書く際であっても、本来の論文の基本は logic and facts つまり「論理と事実」なのです。確かな事実の上に明快な論理が展開されるからこそ、 その論理の帰結についても、論文の読者は納得するのです。人を説得するということは、本 来そういうことでしょう。 しかし、日本語で論文を書いていると、ついつい日本語の語感や雰囲気に頼って同意を得 ようと考えてしまうことがあります。これは英語を母国語とする人が書く英語の論文にもあ てはまります。ときどき、論理的に破綻していて、何を言いたいのか分からないような論文 が海外のジャーナルに掲載されることがありますが、これもご同様でしょう。英語の概念を 巧みにすり替え、言い換えしながら議論を展開していくようなタイプの論文では、いつのまにか概念の定義が変わってしまっているようなものが見受けられます。かなり有名な論文で もこうした傾向は見られますが、これでは学術論文としては失格です。 しかし、日本人が英文論文を書けば、そのようなテクニックは使えないし、甘えも許され ません。ネイティブではないわれわれに残されている道は、英語としては稚拙であっても、 確かな事実を基礎に論理を組み立てていくしか表現の方法、伝達の方法がないのです。その ために便利な方法は、国際共通語である統計(事実の言語)と数学(論理の言語)を使うこ とです。統計や数学を多用する分野で日本人が活躍するのは、ごく自然な成り行きだったと 言えるでしょう。もっとも、これは経営学の分野でもそのまま当てはまるのであって、仮に も英文論文に挑戦しようというのであれば、事実の部分をできるだけデータとして数値で表 現する努力をしたり、図表を多用したりするくらいの工夫は、やって当たり前。さらに、論 理の部分も、数学が使いこなせなくても、因果関係のパス・ダイヤグラムを描いてみせたり、 関係性を表すネットワークを描いてみせたりするのは、最初に試みられるべきことでしょう。 原点に返って、何語であっても、論文とは「論理と事実」を表現するものなのだと割り切っ てしまえば、英語以外にも使える「言語」は数多く存在するのです。なんだか英語を使わず に英語の論文を書く方法を説明しているような感じではありますが、もちろん日本語で論文 を書く際にも同様のことがあてはまるのです。 ところで、英語が得意ではない私が言うので説得力があるかと思いますが、英文論文がリ ジェクトされる理由の多くは英語がまずいせいではありません。もちろん、何を書いている のかさっぱり分からないというレベルの英文であれば、それは読まずにつき返されてしまう のですが、英語が下手でも、内容がそこそこであればレビュー・プロセスには回されるので す。告白しなければいけないですが、海外のジャーナルに掲載された私の英文論文、そして シュプリンガーから出版された私の英語の本も含めて、実は、ネイティブに英文校閲を一度 もしてもらったことがないのです。アクセプトされてから掲載されるまでには、編集者の手 によって英語も手直しされているので、ひどい英語については修正されているはずですが、 しかし、少なくとも投稿前には、一度も英文校閲をしてもらったことがありません。私の周 囲には、大学院時代を含めて、ネイティブの友人・知人がいなかったわけではないのですが (研究室で席を並べていた時期もある)、いつの間にか、そうした習慣が身についてしまっ ていました。 きっかけは、行動計量学会の英文誌 Behaviormetrika に掲載してもらった私の最初の英文 論文 Takahashi (1983) を恩師である松原望先生(現在、東京大学大学院新領域創成科学研究
科教授)に指導してもらったときの経験でした。この論文4
“Efficiency of management systems under uncertainty: Short-run adaptive processes” を、何度か筑波研究学園都市内にあるファミレ スで、松原先生に見てもらったときに、自分の書いた英文論文の欠陥、つまり意味が伝わら ないことの原因が、英語ではないということを思い知らされたのです。要するに、「論理」 の部分に甘さがあるので伝わらないのです。そのとき、学部時代にとっていた外国人教師担 当の英作文の授業で、まるで馬鹿のひとつ覚え(? 失礼)みたいに“well-organized”が連呼 されていたことが鮮やかによみがえってきました。英文法のチェックは、ネイティブでなく ても、根気さえあれば日本人でもできます。問題は、「論理」の部分だけは、校閲者にはど うしようもないということなのです。修正のしようもない。松原先生から、執拗に(?)各 文章の意味を問い詰められていくうちに、私は外国人教師の連呼していた“well-organized”の 意味がようやく分かったような気がしました。 はっきり言いましょう。英文論文がリジェクトされるのは、英語の問題ではない。「頭の 中身」の問題なのです。頭の中で論理がよく練れていれば、そしてそれがきちんと順序だて て整然と文章化されていれば、たとえ英語としては稚拙なところがあったとしても、何が言 いたいのかは理解できるのです。ネイティブの英文校閲は、それから後の話なのです。 以前、大学院時代に、数理計画法を専攻する友人が、数理計画法の大家の先生に「○○の 部分が理解できないのですが」と質問していたら、その先生はしばらく熱心に説明した後で こう言いました。 「これから先は、自分で論文を書いてみないと理解できないですよ。本当に理解したけれ ば、自分で論文を書いてみなさい。」 これは真実なのです。論文を書くということは、まさにそういうことなのです。 ここまで書いたことを踏まえて、前節での「そんな生活をしていたら新しい研究なんてで きないのではないですか」という問に対する私の答「そうでもない」の意味を確認しておき ましょう。こんな感じで、ギシギシと英文論文を書いていると、不思議なことに、新しい論 文のネタが次々と見つかることになります。つまり、論理的な甘さを排除していくと、足り ない理屈や欠けているデータが次々と浮かび上がってくるのです。
たとえば、私の European Journal of Operational Research (EJOR) 掲載の論文 (Takahashi, 1988) は、もともと Behaviormetrika 掲載の論文 (Takahashi, 1983) のモデルと Behavioral
Science の論文 (Takahashi, 1986a) のモデルの接合がうまくいかなかったので、その接合をす
るために始めた研究がもとになっています。これらを全部「統合」する形で博士論文を書い
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筆者のホーム・ページ http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~nobuta/ の「著作物一覧」の「学術論文」のコー ナーに行くと pdf ファイルで読むことができます。
たので、言いようによっては、博士論文の執筆過程で EJOR の論文が生まれたと言えないこ ともありません。EJOR の論文がないと、博士論文としては、なんとも統一性のないエッセ イ集になってしまうので、その意味ではキー・パーツでした。 そのことは博士論文を執筆する際のヒントにもなるのではないでしょうか。単発論文を何 本か書き、そろそろ博士論文を書こうかという人に、ワークショップで博士論文のプロポー ザルの発表をしてもらうと、いきなり新しい遠大なテーマが掲げられて、指導する側として は途方にくれることがあります。これでは何十年かかっても博士論文なんて書けやしない。 目の前の問題や課題から目をそらして、遠大な理想論や「そもそも論」をぶち始めることは、 単なる現実逃避に過ぎないのです。もっと自分の足元を見つめて、自分の身の丈に合った地 道な作業を積み重ねていかないと、説得力のあるまとまった博士論文には到底たどりつけま せん。 分かりやすく言うと、博士論文は、これまでの研究成果と実績をまとめて作成すればいい のです。しかし、そのまま何の工夫もなく集めてくると、一見、統一性がないと思われるよ うな業績だからこそ、ひとつの博士論文にまとめる際には、当然「すり合わせ」が必要にな り(まさに「ものづくり」ですね)、そこに新しい研究の芽が生まれることになります。し かし、それは「遠大」な研究テーマなどではありません。あくまでもインテグリティーを高 めるために必要なパーツの開発あるいは全体の調整なのです。しかしそのピンポイント的な 研究テーマが、実は最も物事の核心を突いていることが多いのです。そこが分かって、初め て自分が今まで何を研究してきたのかが得心できることになるのです。 そしてそれと同じ作法が、実は、英文論文を投稿した際のエディターやレフェリーとのや りとりにもそのまま当てはまることになります。
7. レビュー・プロセス
英文論文を投稿すると、その後どんなことが起こるのか? 英文論文の場合には、どこの ジャーナルでも、ほぼ同じプロセスが始まります(日本の学術誌の場合には、論文投稿の歴 史が浅いので、必ずしもこうなりませんが……)。 (1)「投稿論文を受け取りました」という趣旨の手紙が届く これは葉書の場合もあるし、封書の場合もあります。近年はインターネットで電子メール として届く場合もあります。ただし、この手紙の代わりに、いきなりリジェクトの手紙が届 くこともたまにあるので、ショックを受けないように。エディターの段階で、即リジェクト というのは、稀なケースではありますが、ないわけではありません。理由としては論文の形式要件の不備やそもそもジャーナルのカバーする分野からずれているようなケースです。後 者の場合には、そのジャーナルではレフェリーすら見つけられないというケースなので、投 稿者がもう少しきちんと調べてから投稿しないといけません。 前者の場合、つまり論文の形式要件不備の場合には、もっと深刻です。お分かりかと思い ますが、ジャーナルというのはプロの研究者が論文を発表するための媒体なのであって、素 人はお呼びでないのです。投稿するからには、たとえセミプロであっても、論文だけはきち んとプロの仕事と分かるようないい仕事のものにしてもらわないといけない。したがって、 論文の形式に注意を払わないような人は論外。その段階で、そもそもプロの仕事ではないと いう評価になってしまうわけです。 とにかく文章さえ書けば誰かが読んでくれるという問題ではないのです。レフェリーだっ てエディターだって、読みたくないものは読みたくないのであって、その最たるものが、そ もそも論文としての体裁をなしていないという「雑文」なのです。レフェリーやエディター の立場からすると、一番がっかりしてかつ腹が立つのは、参考文献の書き方がデタラメな「雑 文」です。これはもうプロの仕事ではありません。そのジャーナルが指定したフォーマット に合っていないどころか、表記の統一さえされていないし、そもそも何の順(大体はアルフ ァベット順なのだが……)に並んでいるのかも分からないような羅列の仕方をしたものは、 即リジェクトにされても文句は言えません。 当たり前のことですが、必ず、個々のジャーナルで指定したフォーマットに合わせて原稿 作成をしなくてはいけないのです。ジャーナルは毎号、もしくは年に一度は、Instruction(s) to Authors のようなタイトルで、投稿論文のフォーマットについて数ページをさいて解説して いるので、それを熟読の上論文を作成しないと、門前払いを食うことになります。 ちなみに、心理学系のジャーナルの場合、近年、ジャーナル間でフォーマットの統一が図 られてきています。今後は、経営学系のジャーナルも影響を受けることになるでしょう。そ の大元とも言える統一マニュアルである APA(米国心理学会)マニュアル Publication Manual
of the American Psychological Association は、立派な(? 厚手の?)本として出版されており、
日本でも入手可能です。現在は第 5 版になっています。もちろんこれはタダでもらえるので はなく、買う本です。心理学系ではなくても、英文論文を書こうとする人(プロを目指す人) はぜひとも必要な 1 冊です。図表の書き方からゲラの校正の仕方まで解説してあって、これ こそグローバル・スタンダードなのです。
こうした情勢を踏まえて、GBRC では、発行する英文誌 Annals of Business Administrative
Science (ABAS)、さらには和文誌『赤門マネジメント・レビュー』(AMR)も、いち早くこの
論文は、最小限のフォーマット修正で、世界中のジャーナルに投稿することができます。こ れが ABAS 創刊のときの意気込みでした。少なくとも国内の経営学系ジャーナルで、この APA マニュアルのスタンダードを全面採用した最初のジャーナルが ABAS と AMR なのです。 ついでにいうと、テクニカル・エディターである西田麻希さんの力作、「ABAS/AMR 執筆マ ニュアル」5は、タダで配布するのがもったいないくらいの執筆マニュアルです。おそらく、 国内のジャーナルの執筆マニュアルとしては最高峰でしょう。APA マニュアルのエッセンス をぎゅっと濃縮しており、卒業論文、修士論文、博士論文を執筆する人は、常に座右に置い ておくべきものになっています。 話がだいぶそれてしまいましたが、「投稿論文を受け取りました」つまり receive しました という手紙の内容は、丁寧かぶっきらぼうかの個性の違いはあっても、媒体にかかわらずほ ぼ同じです。(a) 投稿者の名前、(b) 投稿論文のタイトルあるいは整理番号のようなもの、(c) 今後の問合せ先、からなっています。このうち(c)は問合せ先がエディターの場合には、特に 必要もない情報ですが、ジャーナルによってはアソシエイト・エディターや部門別エディタ ーに権限を委譲してしまっているケース、さらにはエディターのセクレタリーが管理してい るケースがあるので、そのような場合には重要な情報になります。 簡単な手紙なのですが、このレシーブの手紙が届けばまずは一歩前進。これでレビュー・ プロセスにのったわけで、複数のレフェリーが自分の論文を読んで、評価とコメントを返し てくれることになります。レフェリーの評価がまあまあであれば(絶賛されるようなことは 稀なので、期待しない方が良い)、エディターは掲載する方向で作業してくれるし、たとえ 最終的にリジェクトになったとしても、論文の改善には大いにプラスになるはずです。 それと、米国系のジャーナル(あるいは米国で発行することが前提になっているジャーナ ル)の場合には、この段階で Copyright Transfer の書類を提出しろと要求するところがありま す。これは米国の著作権法上必要な手続きなので、必ず提出しなければいけません。アクセ プトされてからでいいというジャーナルもありますが、この段階で求められている場合には、 エディターがそれを受け取らない限りはレビュー・プロセスには入れないので、すぐにサイ ンして送り返すこと。 プロの論文書きとしては、レシーブの手紙を受け取ったら一安心。どうして一安心かとい うと、これでしばらくその論文から解放されるからです。エディターから次の手紙が届くま では、早いジャーナルでも 3 ヶ月、遅いジャーナルだと 1 年はかかります。まさに論文を投 げ上げたのです。落っこちてくるまで(次の手紙が来るまで)、のんびりする間もなく、次 5 http://www.gbrc.jp/GBRC.files/journal/kitei-template/index.html
の論文にとりかからなくてはなりません。つまり半年くらいでもう 1 本書いて、前の論文が 落っこちてくる前に投げ上げなくてはならないのです。 エディターから次の手紙が届いたらどうなるのかって? それはもう大変! (2) レフェリーの心ない手紙に心底から激怒しろ! 論文を投稿した人は、誰もが淡い夢を見るものです。夢を見ていられる間は、つかの間の 淡い幸せに浸っていられる。だから、論文を投げ上げた後の数ヶ月は、それなりに幸せなの です。ところが現実は厳しい。 ある日突然(当たり前ですが)、エディターから手紙が届きます。まずは、この手紙の厚 さに注目。めったにないことですが、大判のサイズの厚い封書が届けば、これはかなり有望 です。中に入っているのは、厚いレフェリー・レポートと、色々と書き込みされている自分 の投稿原稿のはずです。これは、基本的に掲載するつもりで原稿が添削されて入っているの です。私だったら、開封せずに手紙の外見を見ただけでガッツ・ポーズをとりたくなります。 一発アクセプトということはまずないので(私も一度しか経験がない)、通常は、書き直し たら載せてやる(conditional acceptance 条件付採用という)という手紙が入っています。こ れが来れば、掲載される確率は 80%くらいに高まったといって良いでしょう(私の場合には、 それでもだめになったこともあるので安心はできない)。 ところが、普通の定型エアメールの封書が届いた場合には、これは、かなり道のりが遠い ことを覚悟する必要があります。というか、中に入っているのは、ほとんどの場合、リジェ クトの手紙とレフェリー・レポートだけです。あるいはリジェクトまでは行っていないが、 かなり厳しいコメントです。非常に例外的に、アクセプトの手紙が入っていることもあるの で、気落ちするのはまだ早いですが、かなり望み薄であることには違いありません。電子メ ールで届いた場合には、見る前からがっかりです。なぜなら、アクセプトの手紙はエディタ ーのサインにこそ価値があるものなので、封書で届くのが普通だからです(これにも例外が ありますが……)。 こうしてほとんどの場合、失意のうちに英文論文との長い付き合いが始まるわけです。「失 意のうちに」といっても、ショボンとしているのはほんの一瞬だけなので、心配する必要は ありません。これはまさに嵐の前の静けさ。すぐに大嵐が津波とともにやってきます(?)。 気を取り直して、とにかく、まずはエディターの手紙、レフェリーのレポートを読まなく ては。そして……。私の場合、ここで 100%激怒することになります。多分みんなそうでし ょう(かの有名なサイモンの自叙伝にも激怒すると書いてありました)。まさしく、はらわ たが煮えくり返るほどの激怒です。手紙は英語で書いてあるので(当たり前ですが)、日本
語のような婉曲な表現はありません。直球でズバズバと人の論文をこき下ろして書いてある のです。英語はなんて攻撃的で嫌な言語なんだろうと、このときほど痛感することはありま せん。頭にきて手紙を破り捨てそうになるので、まずはコピーをとることから作業を始める 必要があります。オリジナルはとりあえずしまっておきましょう。 さあ、ここからが本番です。 条件付アクセプトとは明言されていなくても、とりあえずまだレビュー・プロセスに残っ ているのであれば、実は、英文論文に限らず、日本語の論文であっても、このあとすべきこ とは共通です。 まずは、他のすべての仕事を投げ出して、このコピーを熟読するところから始めます。ど うせ気になって、他の仕事なんて手につかないでしょうから、あっさりあきらめて、この手 紙に没頭するのです。そして、頭にきても、はらわたが煮えくり返っても、とにかく、繰り 返し繰り返し手紙を読み続けるのです。完全に頭に血が上って、興奮して寝られないような 状態をしばし続けるのです。A4 版で数枚の手紙です。内容をほとんど暗記できるほどに繰 り返し読み返し、そのうち興奮することにも疲れかけてきた頃に、頭にきて寝付けないと思 っても、とにかく、その日は布団をかぶって寝てしまうのです。ただし、論文の原稿に手を 加えることは、それがどんなに簡単な書き込みであっても、一切厳禁です。とにかく、この 頭に血の上った状態で、原稿には一切手を加えてはいけません。 (3) 原稿に手を付けるな! まずは「変更点リスト」の作成からだ! そして、次の日、目覚めると、まだ全身に不快感が漂っているのですが、「激怒」という 状態は通り過ぎていることに気がつきます。ここで、おもむろに手紙の内容と原稿の内容を 突き合わせてみるのです。でも、この期に及んでも、まだ決して原稿に手を入れてはいけま せん。ただ見るだけにするのです。 すると、不思議なことに、レフェリーの書いていることにも一理あることが分かってきま す。もちろん承服しかねることもたくさんあるのですが、とりあえず「対応可能かどうか」 だけに神経を集中させるのです。実は、意外なことにほとんどのコメントが「対応可能」な のです。「対応可能」というのは、「きちんと反論できる」ということまで含めていますが、 多くの場合、反論ばかりするのは得策ではありません。できるだけレフェリーやエディター の言うとおりに、形だけでも直したことにして、どうしても直せない(手の施しようがない?) 部分を 1~2 箇所だけ反論するくらいの方がいいのです。とにかく、載せてもらえばこっち のもの。不本意な部分は、後で本にでもまとめるときに修正すればいいのです。まずは掲載 されるという実績作りが重要です。
しかし、まだ自分の原稿に手を入れてはいけません。原稿を直す前に、必ずやらなくては いけないことがあります。まずは「変更点リスト」(List of alterations)を作成するのです。 これは、レフェリーのコメントをすべて列挙して(できれば原稿のページ順に並べて)、そ の全項目に対する自分の「対応」(reactions)を書き出していくものです。 素人さんは、論文の書き直しの指示を受けると、すぐに原稿を書き直し始めて、あっとい う間に全面改訂の様相になってしまいますが、これでは収拾がつかなくなるだけではなく、 せっかく条件付アクセプトだったのに、まったく違った論文になってしまい、再投稿扱いに なってしまう危険性さえあります。全面改訂をしてはいけないの ............. です .. 。だから頭に血の上っ た状態で原稿をいじってはいけないのです。 そして、「変更点リスト」が完成したら、それでレフェリーの要求に対して、まがりなり にも対応していることを確認した上で、ようやく「変更点リスト」にしたがって、原稿の修 正作業に取り掛かることになります。はっきり言ってしまえば、レフェリーは、最初のレフ ェリー・コメントを書くまでが仕事のほとんどで、他人の論文の内容など、ほとんど覚えて いないのです。数ヶ月も時間が空いていれば、なおのこと忘れています。だから、「変更点 リスト」の完成度が高ければ高いほど、レフェリーもエディターも、そのリストに書いてあ ることが、原稿上も実現されていることを確認するだけになってしまうわけです。しかし、 その部分が弱いと、レフェリーもエディターもまた論文を最初から読み直すことになり、そ うすると、前回読んだときには気がつかなかった欠点や短所が次から次へとボロボロと見え てきて、再度、ボロクソに書かれたレフェリー・レポートを受け取ることになってしまいま す。これではいつまでたっても埒が明かないだけではなく、エディターも面倒くさくなって くるので、途中でリジェクトにして放り出されるはめになります。だから、完成度の高い「変 更点リスト」こそが成功の鍵なのです。 こうして「変更点リスト」が完成し、それにしたがって原稿を書き直したら、アクセプト されるまでは、もうほんの一歩です。不幸にして、これで一発回答が出てこなくても、同様 のプロセスで何度かエディターとやりとりすれば、論文はほぼ確実にアクセプトされること になります。 そして、ある日、エディターから、ペラペラの薄いエアメールが届きます。中にはレター 用紙が 1 枚。そのレターの中には待ち望んでいた「accept」の文字が躍っています。それを 見つけたとき、プロの「論文書き職人」にとってはまさに至福の瞬間の到来です。イトミミ ズののたうち回ったようなエディターのサインも、このときばかりは後光がさして見えるで しょう。私などは、最初にもらった accept の手紙を額に入れて何年も飾っておいたほどです。 あなたにとって、新しい生活が開けるのです。