理学療法の50 年
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(2) 理学療法の 50 年 といってくださった。狂喜したが,場所がなかった。. 743. 〈「小児の時代」(1920 年頃~)〉. 樫田良精氏(当時中央診療部副部長,後に部長・教授,関東. 主要な疾患は小児の骨関節結核,ポリオ,化膿性骨髄炎など. 中央病院長)は,「廊下の片隅でもいいから使わせていただけ. であった。代表的な人物は高木憲次(東大整形外科教授)であ. ないか?」とお願いにうかがった上田に,「すでに 9 年前から,. るが,柏倉松蔵(1921 年に日本初の肢体不自由児養護学校の. 中央診療部門マスタープランに『物理療法部』の計画があり, 場所が確保されていた。その一部を使おう」といってくださり,. 私立柏学園を設立)も特筆すべき人物であった。 〈「青年の時代」(1940 年頃~)〉. 事態は大きく動きだした。. これは戦時中の戦傷兵(切断,骨折,銃創)対策にはじまる。. こうして発足した運動療法室は,3 年後の 1966 年 7 月に作. その中心は臨時東京第三陸軍病院(相模原)で,戦後は「国立. 業療法室・水治療法室等を加えて拡張し,総合的な「中央診療. 身体障害者更生指導所」となり,東京戸山町への移転(1953 年). 部リハセンター」となる。さらに 1970 年 1 月に「リハ部」と. を経て,現在の国立障害者リハセンター(所沢)につながる。. して独立した。. 戦後は労災(炭鉱等)による脊髄損傷が問題となり,九州労. 〈大学におけるリハ部門の発展〉 このような東大での動きは他大学でのリハ部門の発展にもつ ながった。すなわち,横浜市立大学医学部リハ科(1968 年),. 災病院の開院(1949 年),リハセンター設置(1959 年,服部一 郎部長)があった。 〈「高齢者の時代」(1960 年頃~)〉. 独協医科大学(1974 年),川崎医科大学(1975 年),産業医科. 寿命の延長,治療医学の進歩とともに脳卒中片麻痺患者が急. 大学(1978 年)等のリハ医学講座である。. 激に増加し,今に続く「高齢者の時代」がはじまった。はじめ. ただ現在リハ医学講座のある大学は全 80 校のうち 19 校(国. はリハの診療報酬が極度に低いため地価の廉いところでしかで. 立 3,公立 2,私立 14)にとどまっている。. きず,「温泉地(遠隔地)リハ」の時代であったが,その後の. 日本リハビリテーション医学会創立 日本リハ医学会創立は次の 2 つの流れが第 16 回日本医学会 総会(大阪)を機会に融合して実現したものであった。 〈日本整形外科学会リハ委員会〉 これは 1959 年に創設され,水野祥太郎大阪大学教授が委員 長であった。そこで「リハ学会」創立が準備されていた。 〈内科系リハ懇談会〉. 診療報酬の大幅引き上げにより,「都市型(居住地近接型)リ ハ」が急速に伸びて今日に至る。 〈なぜ 1963 年が?〉 1960 年代初頭に小児から高齢者までの全世代がリハの対象と なり,さらに 1961 年の「国民皆保険」によって,財政的裏づけ が成立したことで,リハ医学発足が「必然」となったといえよう。. その後の歩みと今後の問題点. これは次の各氏が発起人となって準備されていた。すなわ. その後の歩みを概観すると,制度的・経済的な面では,1974. ち,大島良雄(東大物療内科教授),冲中重雄(東大第三内科. 年の PT・OT 診療料の新設にはじまって,その大幅改定(1981. 教授),勝木司馬之助(九州大学教授),木村 登(久留米大学 教授),砂原茂一(国療東京病院院長),服部一郎(九州労災病 院リハ部長)の 6 氏であり,事務局は上田であった。 〈2 つの流れの融合〉. 年,1992 年),「早期リハ加算」(1988 年),「回復期リハ病棟」 (2000 年)に至り,さらに介護保険(2000 年)により,「生活 期リハ」にかかわる諸制度が発足した。 以上に伴って 1990 年代以降,リハを行う病院・施設の急増,. 日本整形外科学会の「リハ学会」発起人会が,1963 年 4 月 2. PT・OT・ST などの教育機関(特に大学)の急増,これらの. 日阪大講堂で開かれ(座長:水町四郎関東労災院長),一旦「リ. 有資格者の急増(現在 PT 約 12 万人,OT 約 8 万人)が進行した。. ハ学会」設立が決議されたが,直後に質問に答えて傍聴してい. しかし,リハを専門とする医師数の伸びは遅々たるものである。. た服部一郎氏が内科系の動きを説明した結果,急転直下,両者. それらを踏まえて日本のリハの今後の問題点を挙げると次の. が一致協力して学会を設立することとなった。. ようになろう。1)PT・OT・ST 等の学校は増えたが,教育の. 2 日後の 4 月 4 日に内科系リハ懇談会が大阪市内で開かれた. 質はどうか? 2)リハ医学に関する医師の教育が不十分では. (参会者約 150 人,座長:砂原茂一)。整形外科側からもオブ. ないか? 3)「専門医不在」で,PT・OT 等だけで行うリハで. ザーバーが参加し,ここでも両者が協力して学会を設立するこ. よいか? 4)「リハビリテーション」(「全人間的復権」)でな. とが確認された。. く,「機能の回復」のみを追い求め,「訓練人生」をつくってい. 以上の結果,両者から 3 人ずつの打ち合せ委員が選ばれ(上. ないか? 5)「自立性の向上」をめざすはずのリハが受動的・. 田もその 1 員であった),合議を重ね,創立の準備をすすめた。. 保護的な他動的訓練のみに堕していないか?. 〈日本リハ医学会設立総会〉 1963 年 9 月 29 日,東大赤門脇の学士会分館で開催され,学. おわりに─総合リハビリテーションをめざして. 会創立を決議し,会則・人事を決定した。初代会長は水野祥太. 理学療法士は,患者・家族・地域を中心に,多種類の専門家. 郎氏であった。上田は幹事の一員となった。. が「横の連携」と「縦の連携」に立って協力する「総合リハ」. その時代的背景 日本のリハ対象者の変遷を振り返ってみると,まるで「人の 一生」のように,「小児の時代」「青年の時代」「高齢者の時代」 という 3 つの時代があったことに気づく。. のために,ひろい分野で活躍してほしいと願っている。. 文 献 上田 敏:リハビリテーションの歩み─その源流とこれから.医学書 院,東京,2013..
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