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d'aujourd'hui, comme sur les débats autour de l éducation morale, autour de «la communauté de l Asie de l est», etc. Durkheim État national

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La France de la Troisième République où Durkheim a mené ses recherches avait un contexte social du rétablissement de la patrie après la défaite de la guerre Franco-prussienne. Dans cette atmosphère, Durkheim donnait des cours sur l’État dans le cadre de la morale civique. Nous pouvons retrouver ses discussions dans les Leçons de sociologie : Physique des mœurs et du droit. Nous discutons dans cet article la question de l’État chez Durkheim, ses réflexions sur la relation entre nationalisme, patriotisme et cosmopolitisme.

Nous pouvons caractériser sa réflexion sur l’État en la mettant dans sa discussion autour du groupe intermédiaire d’un côté, et dans sa discussion autour de la morale de l’autre côté. Du premier point, nous comprenons que l’individualisme moderne apparaît dans un antagonisme entre l’État et les groupes intermédiaires. Du second point, nous apercevons une proclamation durkheimienne que l’État « est avant tout l’organe par excellence de la discipline morale ».

D’après Durkheim, la morale a besoin d’une base concrète d’une société, et l’État peut devenir une société la plus large de ce genre. De ce point de vue, il insiste l’importance de l’État en tant qu’une base de la morale. Mais en même temps, il refuse un nationalisme fermé, en soulignant que « ce serait à désespérer, si l’on était condamné à ne faire du patriotisme qu’en mettant la France au-dessus de tout ». Dans l’Éducation morale, Durkheim affirme trois éléments de la moralité : l’esprit de discipline, l’attachement aux groupes sociaux et l’autonomie de la volonté. Nous appuyons ici le troisième élément, i. e. l’autonomie de la volonté. De cet élément, nous comprenons que même Durkheim affirme l’importance de l’État, cela ne signifie pas qu’il donne une prépondérance absolue à l’État contre l’individu.

Pour conclure cet article, nous remarquons quelques inspirations aux questions

デュルケームとナショナリズム,コスモポリタニズム

―現代との応答―

白鳥 義彦

(神戸大学)

Durkheim et nationalisme, cosmopolitisme :

inspirations aux questions d'aujourd'hui

Yoshihiko SHIRATORI

(Université de Kobe)

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d'aujourd'hui, comme sur les débats autour de l’éducation morale, autour de « la communauté de l’Asie de l’est », etc.

キーワード:デュルケーム(Durkheim),国家(État), ナショナリズム(nationalisme), コスモポリタニズム(cosmopolitisme),道徳(morale) 1.はじめに  エミール・デュルケーム(1858年 -1917年)が社会学者として研究を進 めていった第三共和政期のフランスには,普仏戦争(1870年 -1871年)に おけるドイツに対するフランスの敗北の後,「祖国の再建」が求められてい たという大きな時代背景を見出すことができる。デュルケームが大学人と してのキャリアを開始したボルドー大学における,デュルケームの前任者 であるアルフレッド・エスピナスについて,ジョルジュ・ダヴィは,普仏 戦争の敗北と第二帝政崩壊の直後に知的なキャリアを開始し,祖国の再生 をまさにその思考の目的とする思想家たちの一群に属し,政治的および道 徳的実践に原理を与えることがエスピナスの第一の,そして常に変わらな い目的であった,と述べているが[Davy, 1923, p.214],デュルケームもま たこうした祖国の再生をその思考の目的とする思想家たちの一群に属する と考えることができる1)。そしてデュルケームによって新たに確立されてい く社会学という学問自体,「社会学は,フランス国民に秩序の原則と道徳的 な教義をあたえながら,共和政を最終的に確立し,そこでの合理的な改革 を鼓舞することに貢献する哲学とならねばならなかった」[Davy, 1919, p.188] というように,第三共和政下の当時のフランスの状況との関係の中で特徴 づけられる側面を有するものであったともとらえられるのである。  当時の具体的な社会的状況に即して考えてみるならば,例えば,ユダヤ 系の陸軍大尉アルフレッド・ドレフュスによるドイツへのスパイの嫌疑を めぐって1894年に起こったドレフュス事件は,その「祖国の再建」をいか なる形でまたどのような方向をもって進めていくべきかということについ ての社会的・政治的な緊張が,ドレフュスという一個人を超えて,ある具 体的な形をとって現われたものとしてとらえることができよう。ドレフュ 1)Logue,1983=1998, 165頁も参照。

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ス派は,ドレフュス逮捕の根拠とされた書簡の筆跡鑑定の結果に基づいた, ドレフュスの有罪は科学的に根拠がないという彼らの主張に見られるよう に,「真理」,「理性」といった理念を拠りどころとしようとし,そしてフラ ンスが革命の成果と人権宣言に忠実でないとしたら,それはもはやフラン スではないと考える。他方,反ドレフュス派は,フランスが弱体化し分裂 してしまい,国家が存在しない,あるいは外敵に対して弱められるようで あれば,それはもはやフランスではないと考える。これら二つの立場に見 出されるのは,個人と国家のいずれを優先するかという論争であり,また, ある理想にもとづいた政治体制としてのフランスと,永遠の実体としての フランスという二つのフランスの対立でもあった。さらにここには,一方 に人権を支持し,個人の権利が国家理性に優先すると考える人々,すなわ ちドレフュス派と,反対に,人民をつなぐものとしての国家を全てに優先 させる君主制の理念に忠実な人々,すなわち反ドレフュス派という,社会 に対する根本的に異なる見解による人々の対立が見出されるのである2)。  一般にデュルケームは,現実の政治的動向からは一定の距離をとりなが ら自らの研究に取り組んでいったととらえられることが多いが,ドレフュ ス事件に際しては「人権同盟」においてドレフュス派としての活動を行っ ていたことが知られている[Lukes, 1973, pp.347-349]。またこの時期にデュ ルケームは,教鞭をとっていたボルドー大学において国家についての講義 を行っており,その内容は『社会学講義』[Durkheim, 1950=1974]を通じ て知ることができる。こうした点からは,当時の時代背景,状況の中での 行動,学問的議論といった諸側面に示される,デュルケームにおける「国 家」の問題に対する関心の存在を読み取ることができる。  一方デュルケームの晩年にあたる1914年には第一次世界大戦が勃発し, フランスは再びドイツと戦火を交えることとなった。この戦争に際してデュ ルケームは,歴史学者のエルネスト・ラヴィスやシャルル・セニョーボス, 哲学者のアンリ・ベルグソンやエミール・ブートルーらとともに組織した 「戦争に関する研究と資料の刊行委員会」から,1915年に『世界に冠たるド イ ツ』[Durkheim, 1915a =1993]3),『誰 が 戦 争 を 欲 し た の か』[Durkheim, 1915b]という二つのパンフレットを刊行し[Lukes, 1973, p.549],戦争と いう状況の下で,フランス擁護の論陣を張っている。こうした文献もまた,

2)Charle, 1997参照。

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デュルケームにおける国家やナショナリズムをめぐる問題への関心のあり 方を示すものとしてとらえることが可能である。  本稿では,以上のような,デュルケームの生きた時代,また彼自身の問 題関心の中にこのように見出される「国家」の問題を背景としながら,ナ ショナリズムとコスモポリタニズムという論点に注目して考察を行い,さ らにそれをデュルケーム自身による「道徳」の議論と関連づけた上で,そ の現代的意義ならびに現代の議論との応答を試みたい。 2.デュルケームの国家論4)  デュルケームの国家論を特徴づける論点として,ここではまず,中間集 団論の文脈と,道徳論の文脈に注目したい。  まず中間集団論の文脈においては,個人・中間集団・全体社会という三 層構造の中で,国家は全体社会として位置づけられる。周知のようにデュ ルケームは『社会分業論』[Durkheim, 1893=1971]あるいは『自殺論』 [Durkheim, 1897=1985]などにおいて,中間集団としての職業集団に注目 し,「国家のみが,それぞれの組合の個別主義にたいして,普遍的効用性の 感覚と有機的な均衡の必要性とを対置することができる」とともに,「国家 の活動は,それを分化させていく二次的な機関の体系がないかぎり,有効 に行使されることができない」[ibid., pp.441-442=493頁]と述べる。そし て,歴史的に見るならば,この三層構造における中間集団と全体社会(国 家)とがせめぎ合う関係の中から,近代的な個人が生まれてくる,すなわ ち,個人主義は,歴史のなかでは,国家化と同じあゆみで進んできた,と いう視点が示されることとなる5)。  さらに,デュルケームの国家論をより特徴的なものとしているのは,「国 家とは,なによりもまず,すぐれて道徳的規律のための機関である」 [Durkheim, 1950, p.106=1974, 109頁]という言葉に示されるように,道徳 論の文脈で国家をとらえようとする彼の視点である。ここでは,この言葉 が示されている文献でもあり,「習俗と法の物理学」という副題を付されて デュルケームの死後刊行された講義録で,「市民道徳」という講義名の下に 彼の国家論が最もまとまった形で示されている『社会学講義』[Durkheim, 4)デュルケームの国家論については,拙稿1992, 1993でもより詳しく論じている。 5)樋口 , 1996, 35頁参照。

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1950=1974]を中心に,デュルケームの国家論を整理しておきたい。  デュルケームによれば,国家の果たすべき機能や役割については従来, 一方に主としてスペンサーや功利主義的な経済学者たちによって説かれて きた「いわゆる個人主義的な解答」があり,他方にヘーゲルを代表とする 「神秘的な解答」が見出される。しかしこれらいずれの解答も,デュルケー ムにとって満足できるものではなかった。  前者の「個人主義的な解答」においては,社会に実在として存在するも のが個人にほかならない以上,このことだけからしても個人が社会の目標 であると考えられる。また,社会はそれが個人の集合体にすぎない以上, 個人の発展をもっぱらの目的とし,個人が絶対的なものとみなされる。国 家の権限は消極的な司法行政に限定され,その役割は諸個人間の不当な権 利侵害を禁ずることに,つまり,個人が個人であることによってすでに権 利をもつ領域をそれぞれが犯すことのないよう監視することに限られると される[ibid., pp.88-89=86-87頁]。しかしこうした「夜警国家」的な見方 は,個人が原子化されたばらばらな状態にあっては社会は成立しえず,そ して社会が成立しないならば個人も真に存在することはできないととらえ るデュルケームの考え方とは大いに異なるものである。またこうした見方 は,「社会が発達するにつれて,国家も発達する。国家の機能は増大し,さ らに他のあらゆる社会的機能におよぶ。この社会的機能を集中し統合する のは国家である。中央集権化の進展は文明化の進展と平行している。フラ ンス,ドイツ,イタリアといった大国における現代国家と中世の国家形態 とを比較するならば,絶えず変動が同一の方向で起こっていることがわか るであろう」[Durkheim, 1899, p.170]という歴史的な認識にも反するもの であった。  後者の「神秘的な解答」は,社会を絶対視するもので,それぞれの社会 は個人の目的よりもすぐれており,また個人の目的とは関わりのない一個 の目的を持っているとされる。そして個人は用具であって,まさしく社会 の栄光のために,社会の権勢のために,社会の富のために奉仕せねばなら ないととらえられる[Durkheim, 1950, p.90=1974, 88頁]。しかし,こうし た見方は,個人がその中に埋没していた古代社会においてはあるいは妥当 するかもしれないが,個人の価値に重きが置かれる近代社会にはあてはま り難いものである。デュルケームは一方で近代社会における個の確立を重 要な要素として認識しており,また先に見た中間集団論の文脈にも通じる

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ところであるが,近代社会への移行の中で,個人の自由や平等の実現のた めに国家が重要な役割を果たしてきたととらえて,「個人はある意味で国家 の所産そのものであり,国家の活動とは本質的に個人を解放するもの」[ibid., p.93=93頁]であると主張するのである。  ではデュルケーム自身は国家の役割をどのようにとらえるのであろうか。 彼は国家を「思惟の機関」としてとらえ,「国家とは,集合体にとって有用 な一定の表象の形成を任務とする特別の機関である。……固有の意味での 国家の生活は,すべて,外的な行動や運動としてではなく,熟慮として, つまり表象として営まれる。運動に携わるのは別のもの,つまりさまざま な種類の行政官庁である。……国家とは,厳密にいえば,社会的な思惟の 機関そのものである」[ibid., p.87=84-85頁]と論じるのである。「社会はそ の成員間に一定の知的・道徳的共同がなければ,かたい結合をもてないこ とは明白である」[Durkheim, 1898, p.271=1983, 45頁]と認識するデュル ケームにおいては,有機的連帯の議論に見られるように多様化の進む近代 社会においても,社会が成り立つためにはある種の共同価値が不可欠なも のとして求められる。そして,多様化の進んだ近代社会においては,その 成員が相互に人間であること以外には確たる共通項はもはや存在しなくな り,それゆえデュルケームの言う「道徳的個人主義」あるいは「人格の崇 拝」が,「国民社会の道徳的統一を確保できる唯一の信念体系」[ibid., p.27045頁]となって,この道徳的個人主義を発展させることに国家の主要な 任務が求められるのである。  このように道徳論の枠組みにおいて展開されるデュルケームの国家論は, 例えば,正当な物理的暴力の独占,といった観点から国家を考察していこ うとするマックス・ヴェーバーによる議論などとは大きく異なる視点を示 している。では,このような彼の国家論は,当時の状況の中で,ナショナ リズムや愛国心の問題などとどのように関わってくるのであろうか。次に この点について検討していくこととしよう。 3.愛国心とコスモポリタニズム  道徳的規律のための機関として国家をとらえるデュルケームは,こうし た国家観が,「われわれを国民的な理想に,またこの理想を体現する国家に 結びつける感情」である愛国心と,「われわれを人間的な理想に,また人類

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に結びつける感情」であるコスモポリタニズムとの間に生じる,「今日の時 代を混乱させているきわめて深刻な道徳的葛藤のひとつ」に対する解決の 方法を予見させてくれる,という形で論を提起する。そして,「進化の道を 進めば進むほど,人びとの追い求める理想は,地上の一定個所や一定の人 間集団に特有の地域的・民族的な状況から脱し,そうした特殊性のすべて を超え,普遍性へとむかうことが知られて」おり,したがって,「あらゆる 点から考えて,国民的な目的がこの階統の頂点にあるのではなく,人間的 な目的が最高位を占めるはずだといってまちがいない」と論じるのである。 つまり,道徳的な理想を追求することを通じて,個別的な愛国心はより普 遍的なコスモポリタニズムへとつながっていくことになる。しかしながら, 一方で,人間や社会についてのデュルケームの基本的な認識には,「人間が 道徳的存在であるのはその個人が組織された社会のなかにいるからこそで ある」というものがあり,そうした前提のもとで彼は,「個人をある特定の 国家に結びつける観念や感情の総体」である愛国心ほど,これに適する望 ましい絆を備えた道徳的権威はないととらえてもいる。それは,デュルケー ムによれば,「今日,およそ現存するもののうちでもっとも上位にある組織 された社会は,国家である」からである。デュルケーム自身,「ひとつの理 論的な解決」としては,「人類自体がひとつの社会へと組織される」という 考え方があり得ると指摘するが,しかしこうした考え方についてデュルケー ムは,「完全に実現不可能ではないにしても,きわめて不確定な未来に押し やられるべきものであるから,真剣に考慮に入れる余地はない」と主張し もする。この点について彼は,「中間項として,現に存在する社会よりも大 規模な社会,たとえばヨーロッパの諸国家の連邦を考えたとしても無意味 である。より大規模な連邦自体が,独自の個性,独自の利害,独自の特性 をそなえた個別の国家となってしまおう。それは人類ではあるまい」とも 述べている[Durkheim, 1950, pp.109-111=1974, 109-111頁]。  国家を重視するこうしたデュルケームの議論には,「人類」は,「道徳」 の基盤たる具体的な社会とはなりがたい,という彼の判断が反映されてい ると考えることができる。いきなり抽象的な「人類」といったものを考え るのではなく,より具体的な「国家」をまずは現実的な基盤として考えて いこうというのがデュルケームの主張であった。またこうした考え方は, 今日のEU のあり方を想起するならば,一層興味深い論点を提起するとも 言える。デュルケームの議論の枠組みにあてはめて考えるならば,今日で

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は,「人類」全体ではない,「中間項」としての「ヨーロッパ」というまと まりが実体的な単位としてのEU の基盤をなすとみなされており,しかも トルコの加盟問題に典型的に見られるように,その基盤としての「ヨーロッ パ」とは一体何か,ということがEU においては常に問われているからで ある。また一方,EU としての立場や政策が示されることによって,「独自 の個性,独自の利害,独自の特性をそなえた個別の国家」に通じる側面が 浮かびあがってくることにもなる。  さらにデュルケームは,愛国心とコスモポリタニズムという「二つの感 情を和解させるひとつの途」として,「国民的理想と人間的理想がひとつの ものとなること」,すなわち「個々の国家が,それぞれの力量によって,こ の普遍的な理想を実現するための機関となること」を提起する。「それぞれ の国家が,自己の強大化や,国境の拡大ではなく,その自律性を最大限確 立しつつ,できるかぎり多数の成員をいっそう高い道徳生活へと引き上げ ることを本質的任務とするならば,国民的道徳と人間的道徳との間のすべ ての矛盾が消滅する」と彼は述べるのである。そして,「愛国心がコスモポ リタニズムの一小部分となっていくことによって矛盾は解決される」とし, 「社会の対外的な膨張ではなく,その内在的自律性を目標とするようないま ひとつの愛国心6)が存在する」と主張する[ibid., pp.108-109=111-112頁]。 こうした主張は,1908年の「平和主義と愛国心」と題された議論の中での, 「実際,フランス文化を他のすべての文化の上位に置くことは,……ナショ ナリストの言葉を話すことではないでしょうか。……もし,フランスをす べてのものの上位に置くことによってしか愛国心を育成せざるを得ないと すれば,それは悲しむべきことでしょう」[Durkheim, 1908, p.300=1988, 237-238頁]という言葉にも通じるものであり,具体的な道徳的基盤として の国家という枠組みを重視する一方で,偏狭なナショナリズムからは距離 をとろうとするデュルケームの立場が明らかにされる。 6)これに対置される通俗的な愛国心は,「ただ外部にむけられた集合的行動の形態の 下にのみあらわれる」ものであり,「人が自らの属する祖国たる集団に愛着をも てば,別の異なった何らかの集団と必ずことをかまえなければすまないと思われ ている」という形で特徴づけられている[Durkheim, 1950, p.109=1974, 112頁]

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4.デュルケームにおける「道徳」  さてこのように,愛国心やナショナリズムをめぐるデュルケームの議論 は,「道徳」をキーワードとして有することが明らかとなった。デュルケー ムにおいて「道徳」は,単に観念的なものとしてではなく,具体的な社会 集団を前提とし,それを拠りどころとしてとらえられているが,その意味 で彼は,実体的な最大の社会集団として国家をとらえ,これに個人を結び つける愛国心を「望ましい道徳的権威」と位置づけたのであった。ここで, デュルケームにおいて「道徳」はどのようなものとしてとらえられている のか,あらためて簡単に検討しておくこととしたい7)。  デュルケームによれば,行為の諸準則からなる道徳的事実には,これが 制裁をともなう行為準則である,という特徴が認められる。そして,デュ ルケームの指摘する制裁が社会的に規定されるものであるがゆえに,道徳 には社会的な基盤の存在がその前提として考えられている。道徳は,つね に一集団の作品であり,その集団が自らの権威によってこれを保護すると きにはじめて機能しうる。道徳は,諸個人に命令を下し,かれらをあれこ れの仕方で行動するよう義務づけ,かれらの性向に限界をもうけ,それ以 上遠くに進むことを禁ずる諸準則からなる[Durkheim, 1950, pp.42-46=1974, 36-41頁]。こうした彼の見方からは,デュルケームの述べる道徳には,個 人を越えたものとしての社会の存在,そこから生じる強制や拘束といった 要素が重要な意味を有しているとする立場を読み取ることができる。そし て社会が道徳の必要条件であるとされ,実体としての何らかの「社会」の 存在が,道徳の基盤として想定されるのである。  さらにこのような見地を踏まえるならば,デュルケームによる議論とし て広く知られている職業集団論にも,道徳論の文脈でとらえる視点を認め ることが可能である。それは,「同業組合が役に立つはずだとすれば,それ は,とりわけそれのもたらす道徳的諸帰結のためである。つまり,各同業 組合は,一種独特の道徳生活の火床とならねばならない」[ibid., p.58=54 頁]という彼の主張からも読み取ることができる。職業集団論は,先にも 見たように,個人と,全体社会としての国家との関係性の中における中間 集団論的な観点からもその意義が論じられているわけであるが,ここに見 7)デュルケームにおける道徳については,拙稿 , 2001でもより詳しく論じている。

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られる彼の視点からは,さらにそうした制度的側面ばかりでなく,同業組 合を道徳あるいは道徳生活と関連づけるものとしてとらえることができる のである。 5.道徳教育の三要素とナショナリズム  「道徳」をめぐるデュルケームによる議論としては,『道徳教育論』 [Durkheim, 1925=1964]で示されている,規律の精神,集団への愛着,意 志の自律性という,道徳教育の三要素に関する考察もよく知られており, 重要である。次にこれに注目して,本稿で取り上げる国家論と関連づけな がら,その意義を検討することとしたい。  『道徳教育論』においてデュルケームは,当時のフランスにおける国民 のための道徳教育,それを支える公立学校において理解され,実践されて おり,また,実践されるべき道徳教育の問題を取り上げると述べて,現実 の実践的な課題というところに問題の枠組みを設定している。そして,道 徳が合理的事物であり,理性に従属する観念や感情によってのみ履行され るとするならば,この道徳を精神や性格のうちに固定させるのに,理性を 越えた方法に頼る必要はないと述べる。従来の宗教的な道徳に代わって新 たに構築されるべき世俗道徳を通じて,古いものを除去するだけでなく, さらに,これにとって代わる新たなものを求めなければならないと主張し, 道徳の合理化,世俗化を通じて,道徳に新たな要素を加え,これを豊かに することを求める。そのために道徳教育の体系は全面的に再建されねばな らないとして,自らの研究の果たすべき役割の方向性を見出している。そ の上で,先にも触れた規律の精神,集団への愛着,意志の自律性という, 道徳教育の三要素を示して論を展開していくのであった。  これら三要素のうち,ここでは,デュルケームにおいては集団への愛着 ばかりでなく,意志の自律性もまた同様に道徳教育の要素の一つとして重 視されているという点に注目したい。デュルケームによる道徳の議論には, 先に見たように個人に対する社会の影響を強調する視点が見出され,これ は『道徳教育論』における三つの要素に即して言えば集団への愛着に対応 するものであるが,意志の自律性という要素は逆に,社会からの影響を受 動的に受けるだけではない個人のあり方を指し示していると考えることが できる。このことは,デュルケームが具体的な道徳的基盤を可能にする最

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大級のものとして国家を考えていたとしても,しかし彼が,絶対的に優越 的なものとして国家の価値をとらえているわけでは決してないことを示唆 するであろう。そもそも彼は,道徳的個人主義・人格の崇拝という形で示 されるように,個人の価値をも重視していたのであり,その実現のために 国家が果たすべき役割をも強調していたのであった。  また,デュルケームによる道徳論においては,先にも見たように,社会 的な紐帯あるいは集団への愛着ということは,精神的,心理的な側面から 抽象的に考えられているばかりではなく,物理的,身体的な接触という側 面から具体的にとらえられていた。それは,例えば職業道徳,職業集団論 の局面においては,「一般的にいって,他のすべての条件が同じであれば, ある集団が強固に確立されていればいるほど,それ固有の道徳準則の数は 増し,人びとの意識に対するそれらの権威もより強力になる。なぜなら, 集団の凝集性が大きければ大きいほど,諸個人はますます緊密かつ頻繁に 接触するからであり,またこうした接触がより頻繁かつ親密になればなる ほど,交換される観念や感情は増し,共同の意見がより多くの事柄にまで 拡大するからであり,まさしくより多くの事柄が共同のものとなるからで ある」[Durkheim, 1950, p.47=1974, 42頁]というデュルケームの言葉から もあらためて読み取ることができる。この文脈で考えるならば,デュルケー ムの議論においては学校もまた職業集団と同様に,抽象的な次元において のみならず,実際に人々が顔を合わせてともに活動を行う場であるがゆえ に,道徳の基盤として社会的に重要な意味を有していると考えられるので ある。そしてこうした観点を発展させて考えるならば,デュルケームが「人 類」ではなく「国家」を道徳的基盤の最大の単位として考えようとしたの も,「人類」というのはいまだ抽象的な単位にとどまっていると考えられる のに対して,「国家」というのはより実体的な単位として彼が考えていたか らだと理解することができるであろう。そうした考え方は,「我々が祖国無 しにすますことが出来ないというのは私には全く明白であるように思われ ます。というのは,我々は組織された社会の外で生きることは出来ません し,現存する最も高度に組織された社会,それが祖国であるからです」 [Durkheim, 1908, p.294=1988, 232頁]という,1908年の「平和主義と愛国 心」の中の言葉にも示されている。

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6.おわりに―現代との応答の可能性  デュルケームは道徳的側面からの国家の役割を認めつつ,同時に個人の 価値をも重視しようとしていた。また個人の存在に対する愛国心やナショ ナリズムの支えに注目しつつ,それが偏狭なナショナリズムとなることは 拒否し,現状では国家が最大の組織化された社会であるとしながらも,将 来におけるコスモポリタニズムの展開の可能性も見ていた。  デュルケームによるこうした視点からは,現代との応答として,例えば 今日の日本における「道徳」の教科化等の「道徳教育」をめぐる議論や, あるいは東アジアにおける状況などといった諸問題に対する示唆を得るこ とができる。日本における「道徳教育」は,ともすれば,デュルケームに よる三要素に即して言うならば「集団への愛着」にあたる側面ばかりが強 調されがちであるように思われるが,デュルケームの議論によるならば, 本来「意志の自律性」にあたる,個人を重視し,確立する側面もまた同様 に道徳の要素として重要なはずである。こうした論点からは,個人に対す る集団や社会の重要性を強調したというステレオタイプ的なデュルケーム 像とは異なり,個人の重要性をも正当に主張する,いわば「近代主義者」 としてのデュルケーム像を見出すことが可能である。もし今日の日本にお いて 「意志の自律性」 の重要性が看過されがちであるとするならば,それ は日本社会の「近代」化がいまだ求められるべき状態にあるということを 示しているのかもしれない。  また,二度の大戦を経て,ヨーロッパではEU という「共同体」の構築 が目指されてきた。EU は様々な問題を抱えてはいるし,また EU という単 位が実体的な存在であるかどうかという観点からは多くの議論が可能では あろうが,しかし国家という枠組みを越えた共同体を作り出そうという面 においては実際に重要な試みをなしてきたととらえることができる。そう したヨーロッパにおける状況と比較するならば,東アジア地域では「東ア ジア共同体」という考えが提起されながらも,国家という枠組みを越えた 構想は現実には依然なかなか困難な状況にある。このような問題につなが るデュルケームの議論自体は,当時のヨーロッパにおける時代的な状況の 中でなされた側面が強いと言えるであろうが,しかし同時にそうした時代 制約的,地域制約的な枠を越えた,21世紀のアジアにおいても適用可能な, 普遍的な意味を有するものとしてこれをとらえることも可能である。

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 戦後70年でもある2015年には,憲法第9条,集団的自衛権をめぐる議論が 持ち上がった8)。愛国心とナショナリズムとをめぐるデュルケームの議論は, 素朴で理想論的な側面も認められようが,国家や愛国心を出発点としなが ら国際社会のあり方を考えようとし,また国家の意義を道徳的側面からと らえていこうとする独自の視点から,あらためて重要な意義が見出される べきものとなっている。デュルケームのように道徳的側面から国家を考え るというのは一見突飛なことのように思われるかもしれないが,それは実 は「現実」に安易に引きずられるのではない,国家のあるべき姿を追究す るということなのでもある。  さらに,社会学のより理論的な側面においては,例えばデュルケームに よるコスモポリタニズムの議論を,グローバリズムとは異なる観点から「世 界化」をとらえようとする,近年のウルリヒ・ベックによるコスモポリタ ン化の議論などと関連づけることによって,現代との応答を試みることも, 興味深い論点となり得るであろう。  このように,デュルケームによる国家,ナショナリズム,愛国心,コス モポリタニズム,道徳をめぐる議論には,現代との応答の中で,多くの重 要な示唆を引き出す可能性が開かれているのである。 引用文献 Charle, Christophe 1997 荻野文隆訳「ドレフュス事件以降のフランス知識人―政治的 記憶の主体/構成要素としての」,『思想』1997年2月号,34-59頁。

Davy, Georges 1919 “ Émile Durkheim, I. l’homme”, Revue de métaphysique et de morale, 26, pp.181-198.

―― 1923 “L’œuvre d’Espinas”, Revue philosophique de la France et de l’Étranger, tome 96, septembre 1923, pp.214-270. (なおこの論文は Davy, Sociologues d'hier et d'aujourd'hui, 1931 (2e édition revue et augmentée, P.U.F., 1950),第一部,pp.19-78と

して再録されている。)

Durkheim, Émile 1893 De la division du travail social : étude sur l’organisation des sociétés supérieures (11e éd., P.U.F., 1986). =1971 田原音和訳『社会分業論』青木書店。

―― 1897 Le suicide : étude de sociologie (5e éd., P.U.F., 1990). =1985 宮島喬訳『自殺

論―社会学研究』,中公文庫。

―― 1898 “L’individualisme et les intellectuels”, dans La science sociale et l’action (1970, 2e éd., P. U. F., 1987), pp.261-278. =1983 小関藤一郎訳「個人主義と知識人」,同

編・訳『デュルケーム宗教社会学論集』行路社,35-53頁。

―― 1899 “Une révision de l’idée socialiste”, dans Textes 3, 1975, pp.163-172.

8)山室(2007)では,憲法9条に至る非戦,平和の,国境や時代を超えた思想的背景 について,より広い文脈で論じられている。

(14)

―― 1908 “Pacifisme et patriotisme”, dans La science sociale et l’action (1970, 2e éd., P. U.

F., 1987), pp.293-300. =1988 佐々木交賢・中島明勲訳「平和主義と愛国心」,同訳 『社会科学と行動』恒星社厚生閣,232-238頁。

―― 1915a L’Allemagne au=dessus de tout : La mentalité allemande et la guerre, Armand Colin. =1993 小関藤一郎・山下雅之訳「世界に冠たるドイツ―ドイツ人の精神構 造と戦争」,同訳『デュルケームドイツ論集』行路社,217-262頁。

―― 1915b Qui a voulu la guerre? Les origines de la guerre d’après les documents diplomatiques, Armand Colin.

―― 1925 L’Éducation morale (nouvelle éd., P. U. F., 1969). =1964 麻生誠・山村健訳 『道徳教育論(一・二)』明治図書(同訳『道徳教育論』講談社学術文庫, 2010)。 ―― 1950 Leçons de sociologie : physique des moeurs et du droit (2e éd., P. U. F., 1969).=

1974 宮島喬・川喜多喬訳『社会学講義―習俗と法の物理学』みすず書房。 樋口陽一 1996『人権(一語の辞典)』三省堂。

Logue, William 1983 From Philosophy to Sociology : the Evolution of French Liberalism, 1870-1914, Northern Illinois University Press. =1998 南充彦,堀口良一,山本周次, 野田裕久訳『フランス自由主義の展開1870∼1914―哲学から社会学へ―』ミネル ヴァ書房。

Lukes, Steven 1973 Émile Durkheim : His Life and Work : A Historical and Critical Study, (Penguin Books, 1988). 白鳥義彦 1992「社会の中の社会学者:デュルケーム国家論とその時代」『相関社会 科学』第2号・第3号合併号,88-103頁。 ―― 1993「第一次世界大戦におけるトライチュケ批判とデュルケームの国家論」『社 会学評論』172,第43巻第4号,436-450頁。 ―― 2001「デュルケームと道徳」『椙山女学園大学研究論集』第32号,社会科学篇, 151-159頁。 山室信一 2007『憲法9条の思想水脈』朝日新聞社。

参照

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