なぜ格差社会は放置で
きないのか
社会福祉論(都市と福祉)
第3回
本日の講義要旨
• これまでの議論から社会福祉論を社会幸福論とし
て組み立てることはかなり難しいことが分かりまし
た。
• そこで、現実の社会福祉論の講義としては、「格差
(不公平)」や「最低生活水準」をテーマにすること
が多いようです。
• ではなぜ「格差(不公平)」や「最低生活水準」を
テーマにする必要があるのか、その理由を考えま
す。
どのような幸福論が可能か
• 「幸せとは何か」を追求する学問を幸福論と呼びます
が、ウィキペディアによりますと「幸福論
(Eudaemonics)とは幸福ひいては人生そのものについ
ての考察・論究のことをいう」とあります。
• 今日の「三大幸福論」として、ヒルティの『幸福論』
(1891年)、アランの『幸福論』(1925年)、ラッセルの
『幸福論』(1930年)が挙げられます。
三大幸福論
• ヒルティ『幸福論』
• 神のそば近くあることが永続的な幸福を約束するとす
る宗教的幸福論。
• アラン『幸福論』
• 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。すべ
ての不運やつまらぬ物事に対して、 上機嫌にふるまう
こと。また社会的礼節の重要性を説く。
• ラッセル『幸福論』
• 己の関心を外部に向け、活動的に生きることを勧める。
(出所)いずれもウィキペディア「幸福論」。
どのような幸福論が可能か
(その2)
• 当然のことですが、「幸せ」とは心の問題であるこ
とから心の内面の持ちようを論じたものが多くなっ
ています。
• これに対して、前回も説明しましたが、経済学の分
野で最初に「幸せ」を論じたのは、A.C.ピグー『厚
生経済学』(1920年)で、所得再分配によって国民
全体の福祉水準を向上することができると主張し
ました。
• しかし、この主張は、結果にもとづいて善悪を判断する
功利主義を前提にしていることから、結果が悪くなる人
の合意が得られないことも既に説明しました。
どのような幸福論が可能か
(その3)
• さて、三大幸福論と経済学的な幸福論とはどこが違う
のでしょうか?
• それは前者が社会的な環境を所与として、与えられた環境
の中でより幸福に近づく方法を論じているのに対して、後者
は社会環境を改善することによって社会全体の満足度の総
和がより大きくなる方法を論じていることです。
• 確かに個人の「幸わせ」を考える場合に、社会環境の改善を
考慮に入れることは意味がありそうです。
• 人の幸せをすべて個人の内面の問題と論じることには無理
があるようです。例えば、ヒルティが主張するように「神のそ
ば近くにあることが永続的な幸福を約束する」としたところで、
犯罪に手を染めなければ食べることさえできないような生活
困窮者は悪魔に身を売るでしょう。
どのような幸福論が可能か
(その4)
• しかし、富裕者からお金を徴収すれば、富裕者といえど
もその分満足度は低下します。富裕者の満足度の低下
分より、所得の再分配によって貧者の満足度の改善分
の方が大きいからと言ってその再分配は正当化される
のでしょうか。
• 幸せを願う気持ちは誰もが同じですが、社会全体の満
足度の総和がより大きくなるからという理由で富裕者が
この所得の再分配に賛成するとは思えません(功利主
義の矛盾=富裕者は神ではない!)。
• ましてや所得の完全均等など社会の半数の人々の満足度を
削ぐわけですから半数の人々の反対に直面するでしょう。
どのような幸福論が可能か
(その5)
• そこで次のような提案は成立するかもしれません。
• それはもし所得の再分配を行った結果としてすべての人の
満足度が以前より増すのなら満場一致の賛成が得られるか
もしれないということです。
• しかし、すべての人の満足度が以前より高くなるような
所得の再分配があるのでしょうか。
• その答えは社会的費用の勘案です。例えば、悪魔に魂を
売って犯罪に手を染める生活困窮者が減れば治安が良くな
るでしょう。貧富の格差にあえいでいる国々は一般に治安が
悪いようです。
どのような幸福論が可能か
(その6)
• そこで、ナショナルミニマムという概念が登場します。
ナショナルミニマムは、日本語では「健康で文化的な
最低限度の生活水準」と訳されます。
• この理念は日本国憲法第25条に明記されており、その条文
を示しますと、①すべて国民は、健康で文化的な最低限度
の生活を営む権利を有する、②国は、すべての生活部面に
ついて、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増
進に努めなければならない、と述べられています。
• すなわち、国は国民全員に健康で文化的な最低限度の生
活を保障するために社会保障や社会福祉、公衆衛生など
の諸政策手段を用いなければならないことを宣言している
訳です。
なぜ社会福祉論は「幸せとは何か」ではなく、「格差
(不公平)」や「最低生活水準」を研究テーマに
するのか?
• この質問に対する答えは次の通りです。
• 「幸せ」とは基本的に個人の気持ちの持ちようでありま
すが、社会環境の改善は意味があるように思われます。
• もし功利主義的な善悪の判断を前提とするのでしたな
ら、強制的な所得の再分配は主に治安対策のために
行われるように思われます(自発的な再分配は別です)。
• 従って「最低生活水準」とは、人々が自立的に「幸せ」を
求める意欲を維持できる最低水準と解釈することがで
きるでしょう。
ナショナルミニマムの概念
の起源
• ナショナルミニマムの概念の起源がどこにあるの
かについては学説史上必ずしも統一見解がある
訳ではありませんが、イギリスの社会主義運動家
ウェッブ夫妻が提唱し、それを経済学者ベヴァリッ
ジが受けて『ベヴァリッジ報告』に盛り込んだ結果、
ベヴァリッジ型社会保障モデルと共に世界に広
まったのは間違いない事実でしょう。
ナショナルミニマムの概念
の起源(その2)
• しかし、これは現代的な経済政策の視点から見た史観
に過ぎません。
• 実は現実の治安対策として中世末期から続く救貧政策・救貧
法があり、そこでは1834年イギリス新救貧法に盛り込まれた
ように「被救護民劣位の原則」などの原則として、国は必要最
低限の救済しかせず、可能な限り自立生活を促すという考え
方が主流であり続けました。
• この必要最低限の救済しかしないという考え方は、今日、社
会保障(あるいは国)は必要なことを行い、必要以上のことは
行わないという「ニード原理」として、社会保障の基本原理の
1つとなっています。
競争社会の中での格差の意味と
結果
• それでは次に国はなぜナショナルミニマムな生活水
準の保障や格差の是正をしなければならないのか
考えてみましょう。
• 「最低生活水準」を保障する理由の1つは治安対策
であること既に述べましたが、そもそも国が介入し
なければ格差は是正されないのでしょうか。
• その答えは非常に明確で、我々が生きている社会は市
場原理にもとづく競争社会であることにあります
。
競争社会の中での格差の意味と
結果(その2)
• まず我々の社会が競争社会である必然性は、世界の
資源が限られていることにあります。無尽蔵にある資
源(例えば石ころ)は誰でも自由に利用できますが、
限られた資源であれば欲しい人の間で配分しなけれ
ばなりません。
• 配分の方法としては、早い者勝ち、じゃんけんや抽選、
強い者勝ち等々が考えられますが、市場原理にもと
づいて配分するというのは、闇市ができないことから
分かるように比較的優れた方法と言えます(理論的な
議論をすればパレート最適という特性を持っていま
す)。
競争社会の中での格差の意味と
結果(その3)
• しかし、そうであったとしても競争社会はもちろん
勝者と敗者を生み出します。スポーツ競技やテー
ブルゲームであれば、敗者は単に退場すれば良
いのですが、現実の人間生活を送っている社会で
は、敗者を退場させれば良いなどとは言えません。
• なぜならオリンピックは敗者を退場させても持続可
能ですが、現実の社会は持続不可能だからです。
競争社会の中での格差の意味と
結果(その4)
• 実際プロスポーツでも敗者にも分け前は配られま
す。
• しかし、市場原理には敗者に分け前が配られるメ
カニズムは存在しません。
• また、特に労働市場のような市場では、子供の頃
から訓練してきた結果市場に参入しますが、もしそ
れでライバルに敗れればその人は再出発しなけれ
ばなりません。その時の年齢が40歳であっても50
歳であってもです。
競争社会の中での格差の意味と
結果(その5)
• 更に40歳代や50歳代の労働者には通常扶養家族がいま
す。
• 彼らは次代のプレイヤーを育てる立場でもあるのです。
→貧困の負の連鎖。
• 以上のことから、市場原理にもとづく経済活動には、単な
るボードゲームの勝敗とは別の重要な意味、すなわち社
会の存続に直結する意味が託されていることが分かりま
す。
• これが市場競争に国が介入し、最低生活水準を保障す
る理由ですし、社会福祉論を論じる理由でもあります。