(1)都城工業高等専門学校
Miyakonojo National College of Technology
校内読書感想文コンクール
特集
朱子の書より
−教養の大切さ−
「韓国 高霊池山洞伽 古墳群」
都城工業
高等専門学校
図書館
No.
62
FEBRUARY�2008
(2)図書館だより
CONTENTS
FEBRUARY 2008
No.
62
1
朱子の書より
− 教養の大切さ −
【特 集】
今回は、3 月で本校を定年・退職される先生方より、図書館だよりに投稿をいただき、図書係からも
初めて掲載の欄を設けさせてもらいました。
3
創造的学生を育成する教育
3
こだわり −漢詩題「偶成」−
5
図書館の変遷を眺めて
6
校内読書感想文コンクール入賞者発表
校内読書感想文コンクール入賞作品
図書館長 望 月 髙 明
物質工学科 森 博 幸
一般科目 緒 方 優
図 書 係 小 堀 由 美
15
ブックハンティング実施される
16
図書館からのお知らせ
図書館開館予定
学年末・春季休業期間中の長期貸出について
●表紙「韓国 高コリョン霊池ジ山サン洞ドン伽カ ヤ古墳群」
韓国・慶尚北道・高霊郡池山洞にある、伽 時代(42 ∼ 562年)
に造られた古墳群である。
高霊は、562年に新羅によって滅亡した大伽 の500年の都。
大伽 時代に築造された古墳群は約160基。 主山全体が古墳で覆
われているといっても過言ではない。伽 金冠(国宝)が出土され、
韓国で初めて殉葬風習を確認した場所である。
撮影 図書館長(一般科目) 望月 髙明
(3)朱子の書より
̶教養の大切さ̶
図書館長
望 月 髙 明
私の許もとには双幅一対の掛軸がある(147㎝× 32㎝)。
数年前、学生時代から知っている東京のある古本屋の
目録の中に見出したものだが、それが私の所有に帰す
るには、ちょっとした言わくがある。私が本当に欲し
かったのは別のある本で、件くだんの掛軸は値段も驚くほど
廉価であったこともあって、いわば付け足しのつもり
で注文したものであった。その結果、欲しかった本は
希望者多数につき抽選に漏れ、付け足しだけが届いた
という次第である。
その掛軸にはこうある。
鳶飛月窟地(鳶とびは月窟の地に飛び)
魚躍海中天(魚は海中の天に躍る)
朱しゅ熹き
これによれば、『中庸』第十二章(そのオリジンをい
えば、『詩し経きょう』大雅旱かん麓ろく篇)等を踏まえたこの詩句は、
朱熹の揮毫に係るらしい。朱熹とは、もちろん朱子
学を樹立した南宋時代の中国最大の思想家の名前であ
る。もと漫才師の島田紳助氏が司会をする「開運なん
でも鑑定団」には、時折り歴史に足跡を残した著名な
人物の掛軸が出品されて、高額な値段がつけられると、
聴衆からは羨望とも嫉妬ともつかぬため息が漏れる。
そこへいくと、高々数千円という廉価なわが掛軸は、
それだけに表装はもちろんよくない。俗悪な趣味の悪
い表装だといってもよい。しかし、文面はもとよりの
こと(上にも述べたように『中庸』等の文句を踏まえ
ている)、文字も実に堂々としていて、非常に立派で
ある(次頁の写真を参照)。些か古風ないい方をすると、
雄健にして雅妙である。なお、この朱子の墨刻がいか
なる由来のものであるか、私には分からないが、恐ら
く邦刻であろう。幕末維新の朱子学者楠本碩せき水すいは、「書
朱子墨刻後」という文の中で、彼が見てきた朱子の墨
刻についてコメントしている。
私は東アジア世界における朱子学の展開を研究テー
マとしているが、朱子学という学問はもともと非常に
複雑な思想構成をもっている。ところで、朱子の学問
を理解するためには、もちろん彼の著書に直接就くよ
り外に途はない。しかし、彼の残した著書は非常に膨
大で、私などの読書力・読書量では、数回生まれ変わ
らないと、到底すべてを読破することは不可能であろ
う。因みに彼の詩文を集めた『朱文公文集』、門人と
の問答の筆記集『朱子語類』があるが、前者は続集・
別集を合わせると百二十一巻、後者は百四十巻と実に
浩澣である。先にも述べたように、朱子学という学問
はもともと複雑な構成をもっていて、実は彼の著書を
読んだからといって、彼の学問を理解できるという保
証はどこにもない。そこへいくと、墨蹟などはかえっ
て直接視覚に訴えるために、直観的にその人格の偉大
さに触れることができる。わが掛軸も同様で、その堂々
たる大字を眺めていると、空前にして絶後の朱子学と
いう学問体系を確立した朱子という人の、宋人ひとのもつ
気宇の壮大さ、生半可な解釈を断固として拒絶する理
解不可能性、あるいは壁立万仭の気象……等々を感取
することができる。例えばわれわれの中に既にできて
いる親和感などの先入的な構えを排除して仏像に対し
たとき、われわれが感じるのは畏怖であるとかグロテ
スクの感情であろう。そして、それには十分理由が存
するのである。もちろん朱子の墨刻に対したとき、グ
ロテスクなどと感じることはないが、それはどこまで
も澄明である。そして、その澄明感は、人を容易に寄
せつけない高峻な山嶽の酸素の薄い空気の澄明感のよ
うに私には思われる。
私は中国の学問を研究しながら、漢詩一つ満足に作
れない。大学の学部の頃に「作詩文」という講義があっ
て、漢詩を実地に作る機会があったにもかかわらず、
真面目に授業に出ずに単位だけもらった。思えば当時
の私は、二十代前半の自分を漢詩の世界に閉じ込めて
おくことなど到底できなかった。漢詩も満足に作れな
いのであるから、朱子の詩を読んだって(因みに朱子
は思想家である以前に、詩人であった)、厳密にいえ
ばその詩の真意などつかめないに決まっている。また、
私はまともな字を書くことができない。たまに結婚式
などで、「芳名録」に筆で自分の名前を書くときなど、
非常に恥ずかし思いをする。大学時代にその気になり
さえすれば、高名な先生について書道を学ぶこともで
きたのだが、私はそうしなかった。今思えば、高校時
代・大学時代の先生方は、いずれも年齢相応に味のあ
る字を書いていたものだが、私はその年齢に達してい
るにもかかわらず、そのような文字を書くことができ
ない。
思えば漢詩一つ満足に作れないということ、まとも
な字が書けないということは、私の研究生活を、否、
人生そのものを非常に貧しい、滋味の乏しいものにし
ている。
本校の学生は、中学校を卒業すると直ちに高専に入
(4)学してくる。それは現在の多くの大学生が中学→高校
そして大学と辿るコースとは非常に異なっている。私
が授業を通して感ずることは、本校の学生が専門の学
業について深く学んでいるということである。しかし、
このことがいわゆる一般教養などを極度に切り詰めた
上に成り立っているとしたら、やはり問題なしとしな
いであろう。本校の学生諸君が専門の学業は固より、
併せて自分の専門とは異質の領域についても関心を拡
げることを期待したい。われわれがただそう思ってい
るだけで、実は人生には無駄なものは一つとしてない
のだから。
そして、そのような期待に応えるのが図書館なので
ある。本校の図書館には諸君が考えている以上に、様々
な領域の良書が所蔵されている。そして、今年度も
まとまったいくつもの全集を購入して配架した。それ
らの書物は、諸君が借り出して閲覧するのを身構えて
待っている。諸君が真摯な態度で向き合いさえすれば、
それらの書物は必ずや諸君の身の上に大きな恵みをも
たらすことであろう。一口に教養を身に付けるといっ
ても、決して生易しいことではない。平坦な道などな
いのだ。図書館の主人公であるはずの諸君の、すぐれ
た書物との主体的な格闘を抜きにして、図書館の存立
意義はない。
(5)特 集
物質工学科
昭和時代の日本の科学技術達は、セカンドランナー
で欧米などの先進国の技術力に劣り、追いつくために、
必死で努力を積み重ねてきた。これにより、現在の日
本は欧米を圧倒する科学技術力を身に付けた。現在は
国際化の時代となり、多くの企業が海外に工場を持つ
様になった。その結果産業が空洞化し、更に雇用機会
が減少した。更に高度な科学技術によって工場の製品
プロセスが人間を必要としない自動化時代に成りつつ
ある。この様な時代で活躍できかつ必要とされる人間
育成には創造性、主体性、問題発見し解決する能力を
身に付ける教育が急務であると考えられる。当然のこ
とながら、この時代に活躍できる人材を育成する授業
を如何に展開して行くかが本校においても求められて
いる。授業では、生産工程の現象を原理及び法則を用
いて、現象に潜む因子関係を表現できる方程式を誘導
し、その解析解を求める。現象に潜む問題点がこの解
析解からどの因子がどの様に動いて問題となっている
のかが判明出来る。学生には現象に関する課題を必ず
与えてきた。学生が授業内容の上、この課題を解析で
きれば、将来創造的技術者に成長してくれるものと確
信している。学生諸君は学校で身に付けた知識の上に、
自己に的確な人生設計および技術者としての目標を立
てて、努力と頑張りで素晴らしい人生を送ってほしい。
森 博 幸
創造的学生を育成する教育
一般科目
私が本のタイトル(題)を料理のソースのようなも
のだと考えるようになってから、かれこれ 4 ∼ 5 年に
なる。そうなったきっかけは、東京へ行く機内で読ん
だ機内誌のエッセーとの出会いにある。そのタイトル
は忘れたが、それは確か、“ソクラテスの空腹は最高
のソースである”という言葉に始まり、料理はソース
で決まると言われるが、ソースに誤魔化されることも
ある。最高のソースとは、ソースそのものの味ではな
く、食材の持っている固有の味などをさり気なく引き
出す役目を演ずるものである…という主旨のようだっ
たことを覚えている。本のタイトルをまずいと思えば
読む気になれないし、気に入れば読んでみようかなと
思うのも事実である。このようにタイトルには読者の
心理を左右する不思議な力があるように思われる。昨
年末、図書館長から「図書館だより」に投稿依頼があっ
た。タイトル探しにもたもたしているうちに年が明け
てしまった。1 月半ば、図書館長のある紹介文が目に
止った。その中に衝撃的な一文「文は人なり」があっ
た。この一文を見てから、私は定年前の感懐などを綴
ることにした。
昨年11月初旬、図書係から定年に伴う図書返却の知
らせが届いた。とうとう来たかと言う淋しい思いと、
これを機に、たまった書物の整理でもしようかという
思いとが重なり、自宅の書棚から整理を始めることに
した。整理を始めた矢先、書棚の片隅から、高校で学
んだ漢文の教科書が出てきた。それはホコリをかぶり
表紙は色褪せていた。躊躇いながらページをめくると、
古本独特の臭いが鼻を突いた。しかし、そこに一瞬光
るものが見えた。それは朱熹の漢詩「偶成」、『少年老
い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず 未だ
覚めず池塘春草の夢 階前の梧葉すでに秋声』であっ
た。これは高校一年のとき漢文の先生から諳んじるよ
うに言われた漢詩の1つであった。その詩の横には芯
先の潰れた鉛筆で当時の授業のことが書き込まれてい
た。懐かしさで、私は無意識のうちに座り込んで、こ
の「偶成」に目を通していた。若いときに受けた強烈
な印象は終生忘れずに残るものだ。漢文の先生がこの
詩を朗々と読み上げられたときのことを今でもはっき
りと覚えている。
しかしながら、この漢詩が単なる勧学の詩でないこ
とを知ったのは、ある本の「偶成」の解説を読んでか
らである。それには“幼少より学問に志しながら、そ
ろそろ老いを迎える年齢になっても、未だ大きな成果
を果たせずにいる。もはや残り少ない人生だからこそ、
ほんの瞬きする刹那ですら、時をおろそかにしてはな
らないのだ。春の池の堤に萌えはじめた若草のごとき
緒 方 優
こだわり−漢詩題「偶成」−
(6)特 集
瑞々しい、大志への夢は今も変わらず覚めていないの
に、ふと気がつけば、石段の脇に繁る桐の葉が秋の訪
れでいつしか色づいているように、自分自身が人生の
秋ともいうべき初老の時期にさしかかってしまった。
あの葉がやがてはかなく散ってゆくのと同様、自分も
このまま志を遂げることなく、いずれはこの世を去る
ばかりなのだろうか。止めるすべもなく、無情にも時
間だけが移ろい、ただ過ぎ去ってゆく……”と解説さ
れてあり、朱熹の詠んだ名詩「偶成」の世界は、過ぎ
行く時の無情さと時の大切さを謳いあげたものである
ことが分った。
この漢詩に出会ってから既に50年近くの歳月が流
れ、私にも過ぎ行く時の無情さが分るようになった。
年のせいなのか、定年前の心理なのか分らないが、最
近、ひしひしとこれが迫って来るのを感じるように
なった。しかし、未知のものへの憧れや情熱は、未だ
に冷めやらないようだ。
この漢詩とこれに関連する本を再度読み終えて、題
の「偶成」には時の無情の流れという意味があるのか
と思いながら、広辞苑を繙いた。すると、偶成とは「偶
然にできること。ふとできあがること」と書いてあっ
た。あまりにも味気ない意味に愕然とした。なぜ、朱
熹はこのような立派な漢詩に“偶成(偶然にできた詩)”
という題を付したのだろうか。この文字に託された作
者の想いを知りたくなった。調べて行くうちに、日本
にも「偶成」と言う題で詠まれた漢詩があることが分っ
た。それらの幾つかは幕末から明治初期に詠まれて
いるようで、作者には、維新の三傑の中の西郷隆盛と
木戸孝允、それに福井藩主であった松平春嶽や、アメ
リカに脱藩留学した同志社大学創始者の新島襄等がい
る。時代を先駆けたこれらの人々の詠んだ「偶成」や、
それらよりも600年前に詠まれた朱熹の「偶成」には、
何か神秘的な意味が隠されているのでは、と思うと何
か胸の高鳴るのを覚えた。幼少のころ、親が説教のた
びに”児孫の為に美田を買わず”という西郷隆盛の言
葉に長い講釈を付けて話していたのを覚えている。こ
れが西郷の「偶成」、『幾たびか辛酸を経て志始めて堅
し 丈夫玉碎し甎全を恥ず 我が家の遺法人知るや否
や 児孫の為に美田を買わず』の結句であろうとは夢
にだに思わなかった。この西郷の「偶成」の世界を探
れば、あの二文字の神秘的なものが見えてくるような
思いがしてきた。この漢詩は、明治 2 年∼ 3 年に詠ま
れたものと言われており、その時期は戊辰戦争の終
わった翌年にあたるようである。戊辰戦争後のあると
き、西郷がこの漢詩を旧庄内藩士に示し、「若し此の
言に違(たが)いなば、西郷は言行反したるとて見限
られよ」と伝えたことが、『南洲翁遺訓』の第五条に
示されている。このことから推察するに、この漢詩に
は西郷の堅い信念が謳い込まれていることは間違いな
い。この堅い信念とは、敬天愛人の思想に基づいた西
郷の生き方である。西郷は 2 回目の配流先沖永良部島
で、気が狂わんばかりに苦しみに苦しんだ末に、敬天
の思想に達したと言われる。それ以後、自殺(安政の
大獄に関わる僧月照と日向に向かう船上から投身事件
を起こした。月照は絶命したが、西郷は平野国臣らの
必死の介抱で奇跡的に蘇生した。)は天命に逆らうも
のであると信じて、いかなる艱難、いかなる恥辱にも
耐え、また、 一切の私利私欲から離れて、天と同じよ
うに、仁愛の人になることを最大の目標として生きる
努力を重ねた。この生き方は、鳥羽・伏見の戦いや戊
辰戦争で執拗果敢に薩長を含む新政府軍に抵抗した庄
内藩に対して、極めて寛大な処置を取ったことにも表
れている。また、この生き方は明治10年の西南戦争に
おける西郷の行動にも色濃く表れていると言われてい
る。
直観我流の“にわか勉強”では、到底、奥の深い漢
詩の世界には入れないけれども、西郷などの「偶成」
に謳われている詩の世界には、武士(もののふ)の惻
隠の情や、武士の一分が詠まれているような気がす
る。辞書等の意味はともかく、「偶成」という二文字
は、作者の熱い生き方、高き理想あるいは堅い決意な
どを詠むのに相応しい崇高な漢詩の題なのかもしれな
い。文頭の言葉を借りれば、偶成の二文字はまさに料
理でいう最高のソースに当たるのではなかろうか。そ
う思った途端、不思議なことに美しい朱熹の「偶成」
の世界が蘇って来た。時がくれば、漢詩を学び、松平
春嶽など先人の「偶成」の世界を旅してみたいと思う。
朱文公勧学文
謂いふこと勿なかれ、今こん日にち学ばずとも、而しかも来日有り、と。
謂ふこと勿かれ、今年学ばずとも、而も来年有り、と。
日月 きぬ。歳我と延びず。
嗚あ呼あ老いぬ。是れ誰の愆あやまちぞや。
(7)特 集
図書係
私は、昭和46年から都城高専の図書館に勤務し、37
年になります。
当時は、図書の受入、整理、貸出、返却…等のすべ
ての仕事が手作業でした。現在はパソコンで行ってい
る蔵書検索も、当時は、廊下にずらっと並べられたカ
−ドボックスの中の目録カ−ドを一枚一枚めくるとい
うもので、利用者の方々も図書館の職員も大変な労力
を費やし、また不合理なものでした。
図書館運営の IT 化が始まったのはそれから間もな
くのことです。時代の変化に伴って、図書館の有り様
もめまぐるしく変化し続け、現在に至っています。
本校も独立行政法人化して四年が経過しようとして
います。昨今、全国の高専では統廃合の動きが強まっ
てきており、学校運営に厳しさが求められています。
このような厳しい状況の中で、図書館はいかにあるべ
きか考えさせられます。
まずは、高専として専門的・学術的な図書をいかに
備えられるか、そして最先端の研究成果等の情報・資
料をいかに早く先生方はじめ利用者の皆さんに伝えら
れるかが今までと同様に大事です。
さらに大事なことは、何と言っても学生の皆さんに
図書館を大いに利用してもらうことです。全国的に読
書の必要性が問われ、小・中・高校においては「朝の
読書の時間」を設定している学校が増えているようで
す。論理的な思考力を養成するために読書は必要であ
るとのことです。専門分野を学ぶ本校の学生にも読書
の必要性については同様ではないでしょうか。
このようなことから、図書館ではインタ−ネット等
を生かした情報網の整備と、購入図書の選書に力を入
れ、機能的で利用しやすい環境をつくることが今後ま
すます大事になってきます。時代に即応して設備を整
え、図書館らしい快適な空間にして、利用者の皆さん
が落ち着いて読書や学習をすることが出来るようにし
なくてはと日々痛感するところです。図書館の蔵書は
主に教員推薦図書と学生希望図書で構成されますが、
選書に当たっては、タイムリ−な図書にも注目し、ま
た、学生希望図書については希望にそった図書を揃え
られるように、学生図書委員の方々と一緒になって運
営を行なって行ければと考えています。
最後に、地域の図書館と相互に連携して地域に根ざ
した開かれた図書館であることが求められています。
このために、図書館では地域のすべての人々に図書館
開放をしていますが、一定の評価を得られていると考
えています。一方、危惧する面もあります。図書館を
利用する学生の皆さんのマナ−の問題です。読書時の
態度、使用した図書の後始末、返却日の厳守など、ま
だまだ十分ではありません。このようなことは地域の
人々の高専に対する評価を下げることにもなりかねな
いと考えています。皆さんの自覚を期待します。
いろいろと雑感を述べてまいりましたが、”読書は
心の糧”と言います。多くの学生、教職員、そして地
域の人々が図書館を利用していただければ幸いです。
小 堀 由 美
図書館の変遷を眺めて
(8)特 集
友人から届いた一通の手紙をきっかけに、アメリカ
の海洋生物学者、レイチェル・カーソンがこの本を執
筆したのは、今から四十五年も前のことである。
空中からの広範囲な殺虫剤散布の後に、近所から生
物という生物が消えて(死んで)しまったと訴えるそ
の不気味な内容の手紙に、彼女は一度中断していた研
究と執筆を再開することになる。そして、アメリカ合
衆国をはじめ、外国の政府機関、試験所、大学、研究
所から提供してもらった膨大な資料に基づき、この本
をまとめた。
集まった資料の内容は、すさまじいものであった。
環境汚染の現実である。化学物質を使用した農薬(D
DT、クロールデン、パラチオン、アラソン等々)、
除草剤による水の汚染、土壌汚染、不毛な土地、水や
土の中に棲息するバクテリア、真菌類、藻類の死滅汚
染等。
当時、アメリカでは農作物に付く虫を駆除するため
に、大量の化学物質(DDT)を空中から散布してい
た。DDTは戦時中の日本でもシラミ退治に使われた
化学物質で、頭から大量に粉をふりかけたのに人体に
影響がなかったことから無害といわれた。しかし、実
際は、粉末状であれば皮膚から人体に入りにくいが、
油に溶かすと猛毒になる。そして粉末でも、飲みこむ
と消化器官にゆっくりと浸透して脂肪の多い器官に蓄
積され、体内で百倍以上にも増幅し、細胞の壊疽、崩
壊を引き起こす。空中散布だけではない。こうした農
薬は、市販でも簡単に手に入る。使用者が誤った使用
をすることも多く、中毒や土壌汚染を引き起こす。
校内読書感想文コンクール入賞者発表
平成19年度校内読書感想文コンクールが行われました。
1・2 年生を対象とした「読書感想文コンクール」が実施され、数多くの作品が寄せられました。
入選者は、下記のとおりです。
校内読書感想文コンクール入賞者
(入 選)
『沈黙の春』を読んで………機械工学科 第 1 学年 永 井 聡
『人間失格』………電気情報工学科 第 1 学年 森 啓 介
日本人が抱える闇を照らす………物質工学科 第1学年 稲 元 彩 花
『人間失格』を読んで………建 築 学 科 第1学年 森 岡 瑞 貴
『小さきものへ』………機械工学科 第 2 学年 前 田 拓 也
男はつらいよ∼雅なる恋愛事情∼………電気工学科 第 2 学年 福 岡 友 里
善と悪と、卒業証書の存在………電気工学科 第 2 学年 六ヶ所 洋 平
『沈黙の春』を読んで………物質工学科 第 2 学年 有 馬 菜生子
川端康成原作『古都』を読んで………建 築 学 科 第 2 学年 澤 原 成 美
校内読書感想文コンクール入賞作品
機械工学科第1学年
永 井 聡
『沈黙の春』を読んで
(9)特 集
地球上の生物は、全て絶妙なバランスで保たれてい
るということを忘れ、人間は、自分達に都合のよい様
に自然を変えようとする。作物を食い荒らす虫を害虫
と呼び、化学物質である農薬を散布する。その結果、
作物は見た目は美しく育つが、実際には化学物質に汚
染されており、それが人体に入り蓄積される。それだ
けではなく、農薬を散布された土壌では、土壌を肥沃
にする微生物、ミミズ等まで無差別に殺され、雨によっ
て化学物質は、さらに地下水へ浸透し、やがては海へ
達する。海の生き物もまた汚染され、人間の口に入る
ことになる。自然界の絶妙な連鎖は、一つ誤ると毒の
連鎖になってしまうのだ。
人間は、地球上の生物の中で唯一、地球を攻撃する
ことのできる生き物であると言われている。計算しつ
くされたかのように絶妙なバランスで成長と進化を進
めてきた地球を、人間の自分勝手なふるまいで破壊へ
向かわせるのか。地球の歴史を一日二十四時間にたと
えると、二十世紀が始まったのは、二十三時五十九分
五十九秒九九だそうである。この一瞬の間に、人間は
いとも簡単に地球を汚してしまったのだ。
レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、人々がま
だ環境問題に重きをおいていなかった頃、誰よりも早
く環境の異変に気付き、問題を提起したという点で、
非常に価値のある本で、この本の出版以降、人々は環
境問題に関心を向けるようになった。しかし、出版か
ら四十五年経った現在、環境に配慮した農法、使用者
の意識の変化はあったであろうか。相変わらず、ゴル
フ場や公園は不自然なほどに美しい芝が生え、店頭に
は虫食いのない野菜が並んでいる。そして、全く違う
新たな問題が浮上している。フロンガスによるオゾン
層の破壊、自動車等の排気ガスによる大気汚染等々、
そして、核は世界のいたる所に存在し、平和利用のみ
ならず、またしても戦争に用いられようとしている。
地球にとって「害虫」とは、人類を指す言葉であり、
地球上の絶妙なバランスの中で、やがて人間は淘汰さ
れてしまうような気がする。
電気情報工学科第1学年
森 啓 介
『人間失格』を読んで
自力で生活することが出来ず、女のアパートを転々
と転がり続け、カフェの女給と入水事件を起こしたあ
げく、酒と麻薬に溺れてとうとう脳病院に放り込まれ
た男。そんな男の生涯は、誰の目からみても、人生の
敗北者として映るだろう。その男葉蔵も「人間失格。
もはや自分が完全に人間で無くなりました。」と言っ
ている。
しかし、彼の手紙を託せられたバーのマダムは、「神
様みたいにいい子でした」と葉蔵を評しているのであ
る。人間失格者が、その失格性故にかえって、神格化
されたのだろうか。
葉蔵は、「子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時
刻は、実に自分の家の食事の時間でした」と、手記の
中で語っている。めしを食べることを「幸福」とも「喜
び」とも感じられない葉蔵は、自分の幸福の概念と、
世の中のすべての人たちの幸福の観点とが、まるで食
い違っているような不安を感じる。
つまり、食事によって代表されるような日常生活に
対してさえ、疑いをもち、自分は社会的不適者である
と苦悩する。食べること、寝ることが大好きな私から
みれば、こんなことで思い悩むなんて不思議で仕方が
ない。
幼いときにひどい食中毒にあって、腹痛や下痢で苦
しんだからという様な明確な理によるものなど、葉蔵
の場合は原因があって食べることが苦痛なのではな
い。それは内から湧き出る思想である。この思想によっ
て葉蔵は現実との違和感を持つ。そのために発狂しか
けたというほど苦しむ。
その結果として葉蔵が選んだ生き方が道化だった。
無邪気を装い、おどけたお変人として次第に完成され
ていった。
周囲の人と会話が交わせないという、対人恐怖症的
な劣等意識に苦悩している自分を隠し、その上おどけ
て振る舞うという、二重の苦悩は、彼にとっては耐え
られない程のものだったと想像できる。
葉蔵に心の安らぎを与えてくれたのは、淫売婦であ
り、非合法運動であり、銀座の大カフェの女給であっ
た。
白痴か狂人の淫売婦たちに、マリアの円光を現実に
見たというのは、世間一般の価値と逆転しているよう
に見える。しかし、ヒラメや堀木といった、ずるさを
持った俗物に比べて、欲も打算もない淫売婦たちはそ
の対極にいるのかもしれない。その淫売婦たちに聖性
を感じた葉蔵の気持ちが、私にも分かる気がする。葉
(10)特 集
蔵は、世間から日陰者と指を指されている人に対して
は、自分でもうっとりする位、優しい心になれるとい
う。
私たちは子供時代、青年時代に、世間にぶつかり、
その多感な感性を徐々に鈍化させていって、妥協する
ことも覚えていくような気がする。でも、葉蔵はつい
に、そういう大人への道を歩むことが出来なかった。
葉蔵は、全くの変わり者であり、一般の社会通念から
見れば、明らかに異常者である。しかし、「お互いの
不信の中で、平気に生きている」、しかも「清く、明
るく、朗らかに」生きている難解な人間によって構成
されている社会は、彼にとっては、全く虚しい世界で
あり、葉蔵には生きていかれない世界だったのだと思
う。
人間失格者葉蔵は、世の中の失格者として「廃人」
にされたのだろうか。私はその反対だと思う。葉蔵は、
現実の社会と、その社会を構成している人間を、自ら
拒否することによって「廃人」になったのだと確信す
る。
「ただ、いっさいは過ぎていきます。」という彼の感
慨は、背中がゾクッとする程、衝撃的だった。今、唯
一信じられるのは、ただそれだけというのは、まるで
悟りをひらいた高僧のようにも思える。人間を失格さ
れた葉蔵の「ただ、いっさいは過ぎていきます。」と
いう、底知れぬ虚無感。太宰治もまた、死を前にして、
このような思いを胸に持っていたのだろうか。ふと、
そんな風に思った。
物質工学科第1学年
稲 元 彩 花
日本人が抱える闇を照らす
私が初めてこの本を読んだ時、あまりにも意味深い
題名にひどく考えさせられたことを覚えている。『海
と毒薬』、遠藤周作の作品である。内容は、当時中学
三年生だった私に大きな衝撃を与えた。太平洋戦争末
期に実際に起こった、日本人医師らによるアメリカ兵
捕虜への生体解剖事件を小説化したものだった。「九
州大学生体解剖事件」と呼ばれるこの事件については、
ほぼ真実が描かれているという。
しかし、私が後々まで印象に残っていたのは、残虐
なまでの解剖シーンではなく、むしろ登場人物達の心
理描写であった。薬品や器具もまともに無い戦時下に
おいて、虚しささえ覚えていた主人公を何が狂行へと
駆り立てたのか。それは無論、他の登場人物において
も言えることである。ある人は恋情から、ある人は嫉
妬から、またある人は何もしてこなかったが故に、お
ぞましい実験へとその身を投じていく。人間がふとし
たきっかけから自身を変貌させていく過程の短さに恐
怖さえ覚えた。淡々とした語り口の中に、作者の隠し
きれない情熱を感じたせいかもしれない。
この作品に登場する「人間」達は、その誰もが現代
社会に生きている私達と何ら変わりない存在である。
アメリカ兵捕虜の肝を喰らった者達でさえ、この平成
の世に生まれてきていれば善良な市民であったのかも
しれない。戦争のせいで人が狂ったのか、人が狂った
せいで戦争がおきるのかは私には分からない。しかし、
この作品の登場人物達は、周りの環境に押し流されて
いく。もしかすると、作者は人には到底抗うことので
きない「運命」こそを「海」に例えたのかもしれない。
それはきっと、一見おだやかに見えて、その水面の下
には激流が渦巻く、どす黒い「海」なのだろうと私は
思った。それならば、「毒」とは一体何を指している
のだろう、とも。
そもそも「毒」とは、人間の体を侵すものである。
本人も気付かぬほどじわじわと侵食してくるものもあ
れば、体に入ってきたとたんにその人の命を奪ってし
まうものもある。そこまで考えをめぐらせたところで、
私はふと思った。良心的な医師であった主人公を投げ
やりにさせた虚無感や、教授の名誉への執着。彼らを
狂わせたのは人間の「負の感情」、すなわち、「毒」な
のではないかと。汚れた海は、己が抱くものをも侵し
ていくし、毒を抱えたものは海を汚していく。もしか
すると、この世に人間が存在する限り、このサイクル
は続いていくのかもしれない。
この本には、日本人の良心について考えさせる要素
がある。キリスト教のごとき神を持たない日本人には、
罪を犯した己を自分で救おうとする意識があるのでは
ないだろうか。
「この人たちも結局、俺と同じやな。やがて罰せら
れる日が来ても、彼らの恐怖は世界や社会の罰に対し
てだけだ。自分の良心に対してではないのだ。」とは、
作中での主人公の思考である。彼らがしたことは、ま
ぎれもなく「殺人」で、誰もが罪であることを認める
(11)特 集
に違いない。しかし、自分でもコントロールできない
激しい感情や、周囲の状況に逆らうことのできない強
い圧力の前に立った時、私達は彼らと同じ罪を犯すこ
とはないと言い切れるだろうか。
『海と毒薬』は、読んでいて楽しいと思える作品で
はない。むしろ、日本人としてやりきれない気持ちに
なるかもしれない。それでも私がこの作品に惹かれた
のは、読んだ後に感じた多くの疑問について考えたこ
とで得られたものがたくさんあったからである。病院
に連れてこられたことで、何も知らずに「サンキュー」
と笑った捕虜達を前に、彼らは何を思ったのか。そ
もそも私達の思う善悪とはどんな定義の下に成るもの
なのか…。これらの疑問に対して、作者は明確な答え
を提示していない。私達読者に「考えること」を求め
ているのだ。この本を読めば、これからの世界を見る
目が変わることだろう。そしてそれは、私達にとって
人間として大きく成長するきっかけになると信じてい
る。ふとしたことから狂気に身を任せた者達がいたよ
うに、私達は良い方向へも変わっていくことができる
のだから。
建築学科第1学年
森 岡 瑞 貴
『人間失格』を読んで
私が初めて太宰治の作品を読んだのは、はっきりと
覚えていませんが中学一年くらいの頃だったと思いま
す。その作品名は『走れメロス』。とても力強く友人
思いのメロスと、メロスを少し疑ってしまったけれど
最後の最後まで信じ続けたメロスの友。私はそれを読
み、とても感動し、心ひかれたことがありました。
しかし、私が手にしたこの『人間失格』は太宰自体
の印象を大きく変えることになったのです。
主人公・大庭葉蔵、これは作者のことであります。
幼年時代からの自分の思いが細かく、そして少し難し
く感じるような文章で書かれています。これは、太宰
の一生をつづったものといっても過言ではないように
思います。
私は、はしがきの写真の話から頭が混乱してしまい
ました。太宰のいろいろな写真がある中で、幼年時代
の笑顔の写真で私が受けた印象・思うことと太宰の思
うことが全く違ったからです。私は、とても可愛らし
いと思うのに、太宰は、葉蔵のことを、へんにひとを
ムカムカさせる表情などというのです。生きている人
間の感じはないなどというのです。太宰は自分で自分
をそう思っていたのでしょうか。私には理解できませ
んでした。
読み進めていく中で、太宰が同じ人間なのにそれに
おびえていて、自分というものを持っていない、人に
流され、しまいには酒におぼれるような生活を送り、
そして薬物にまで手を染めてしまっていたということ
を知りました。本当に愛した女と情死、しかし自分だ
け生き残った悲しみは自分には想像もできないくらい
だと思います。実は、自分を持っていないという、人
の意見に人の顔色をうかがいながら誰にでも好かれた
いと思っている時期が私にもありました。そして、誰
にでもへらへら笑って相手の機嫌をとっていれば、ケ
ンカもいじめを受けることも、悪口を言われることも、
何もかも平和でいられると考えていたのです。なので
太宰のいいたいことがよく分かりました。というより
共感できる部分が多々ありました。それから、太宰が
不思議に思っていた「世間」そして「罪のアントニム」。
私も「世間」とは何だろうと思っていたのです。太宰
は世間は個人といっていますが、私は世間はただの自
分を基準とした意見ではないかと思います。まあ、簡
単にいうと太宰と同じように個人ですけど。世間とい
う単語を耳にすると、本当に、皆がそうなんだよ、な
んて思い込んでしまうけども、実際、そんなに世の中
の人みんながみんな同じことを思っているなんてあり
えないはずです。そう考えると世間なんて言葉を使う
人が馬鹿ばかしくなります。次に罪のアントニム。あ
まりにも深い考えなので私には到底分かりません。あ
えていうならボランティアでしょうか。善い行いとい
うことで。
いろいろと話はとびましたが、太宰が何のためにこ
の作品を書いたのか。一通り読んでの印象、それは変
わらず悲しく、どこか同情できる、不思議でならない
ものです。
人とのつき合い、そして生きていくことはとても難
しいものです。誰とも関わりたくない、だけれども一
人では生きていけない。このような矛盾した世の中で
生きていくのは何気なくとも本当はすごく強いことな
んだろうと思います。太宰は自殺という道を選んだけ
れど私は折れても折れても立ち直れるような心を持っ
て生きたいと感じました。
(12)特 集
機械工学科第2学年
前 田 拓 也
『小さき者へ』(有島武郎)
『小さき者へ』、ぱっとその文字を見たときになぜか
読んでみたいと思った。たぶんそれは自分が小さいな
どと言われていたため、この本の題名が、自分に言っ
ているような気がしたからだと思う。ところが、この
本、かなり短かった。でも、短いわりにいろいろと考
えさせられた。
この本は、父が三人の子どもに対して、手紙を書き、
その手紙を読んでいるような形式になっている。私
の一番印象的なところは、最後の二行、「前途は遠い。
そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に
道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ」というとこ
ろである。本当に自分が言われているみたいで、頑張
んなきゃって気持ちになった。最近悩み事とか多く、
気分も落ち込みがちだが、こういう言葉を聞いたり見
たりすると非常に元気が出る。だから、一番印象に残っ
ているのだと思う。
次に印象的だったというか、目についたのは、「不
幸なものたちよ」という単語である。三人の子どもに
対して使われているこの言葉、不幸と言いながらも、
あきらめずに頑張ってほしいという父の願いが込めら
れているように感じた。本当の意味は違うかもしれな
いが何か感じられるものがあって良かったと思う。読
むことでこの父は子どもに対して、こんなにも思って
いるのが、良く分かった。もし、自分が父親になった
ときはこんなにも自分の子どもに愛情をささげられる
か分からない。だけど、自分のやり方もあるのかもし
れない。まあそれは、これから見つけて行こうと思う。
できるなら不幸にしないのが一番なのだが、何を不幸
に思うのかは人それぞれなので、不幸にしないという
のはかなり難しいことだと思う。
少し、話がズレたがこの本に登場する母、つまり作
者の妻にも驚いた。なぜなら、母は自分が死んでも、
子ども達に会わないと決め、それをやり通したことだ。
その何よりの理由が、子ども達の清い心に残酷な死の
姿を見せて、子ども達の一生をいやが上に暗くしてし
まうんじゃないかということと、子ども達の伸びてい
かなければならない心身に、少しでも大きな傷を残す
ことを恐れたためである。なんて母なんだろう、常に
子どものことを考えている、自分の母もこんなに私の
ことを思ってくれているのかと思うと、少し都城高専
に来たことを後悔してしまった。家に帰るのは一ヶ月
に一回くらいで、帰ったときにはいつも美味しいご飯
を作ってくれる。やっぱ心配かけてるのかなあと思う。
本当にそうかは分からないが、少なくとも父はあまり
心配してないようだ。どっちかというと妹のほうが心
配なようだ。妹はけっこう非常識なところがあるから
なのだろう。私は私であまり心配されないのは、大丈
夫だと認められているように感じれるので、嬉しい気
がしている。
とにかく、本を読んで「親の心子知らず」という言
葉の意味がよく分かった。正直自分の気持ちを親は知
らないくせにってよく思うことがあったけれど、親も
同じなんだなと思った。少しは親の言うことも聞いて
みようかな。自分が今、親に対してこう思えるという
ことは、知らないはずの親の心に少しだけ気づけたと
思う。忘れてしまうかもしれないが、早く気づけた分、
たくさん親孝行したい。
この本はとても短いが、短いわりにいろいろと考え
させられた本だった。
電気工学科第2学年
福 岡 友 里
男はつらいよ ∼雅なる恋愛事情∼
「この世界に住んでみたい」
私はファンタジーものの小説を読んではそう思うこ
とが多い。しかし、この『源氏物語』の世界への強い
憧れは私の中でこれまで、そしてこれからもナンバー
ワンであると思う。
まず苦労したのが、登場人物が多すぎて話を読み進
めている内に誰が誰だか判らなくなってきてしまうこ
とだ。しかしその中でもやはり、主人公・光源氏の
存在感はすごい。この物語の主人公なんだから当たり
前と言われたらそうなのだが、作中から読み取れる容
(13)特 集
貌・性格・感性…とにかく何もかもが人より優れてい
るのだ。そんな彼は生涯で十一人の女性と夫婦関係に
なる。いくら一夫多妻制がしかれている世界だからと
いって、その数字は無いだろうと思った。最高権力者
の帝よりも妻の数が多いとは、呆れを通り越して感心
の域に入ってしまう。
さぞかし妻や女房に囲まれての愛に満ち溢れた華麗
なる貴族生活を送るのだろうと思っていたのだが、意
外と苦悩している様も多く描かれていた。
光源氏・十七歳の時、その当時熱心に通っていた自
分より歳上の六条の御み息やす所どころという女性に恐ろしい目に
遭わされた。夕顔という儚げな知りあったばかりの女
性といきがかり上一緒の院で夜を過ごしていた時、物
の怪けに襲われて夕顔が急死してしまうのである。そし
て驚くことにその物の怪が六条の御息所の生き霊りょうで、
「最近光源氏が自分の元へ通って来ないのは、こんな
つまらない女が居るから」と恨みごとを延々と言い
ながら夕顔を苦しめるのだ。夜中だったため、光源氏
にとっては寝耳に水もいいところだ。御息所の恐いく
らいの愛情を知り、これからどうしたらいいのかとい
う思いと、知りあったばかりだが強く惹かれた夕顔に
対する申し訳ない気持ちで光源氏は苦しむ。光源氏に
は十二歳の時に結婚した葵の上という正妻がいるのだ
が、堅苦しい彼女になじめないという理由で御息所の
元へ通い、その内心安らぐ夕顔に…なんていうことを
していたのだから当然の報いなのかもしれないが、私
としてはここで夕顔が死ぬのはおかしいと思う。御息
所には生き霊になるんだったら光源氏を対象として欲
しかった。なぜなら、光源氏が御息所の元へ通う・通
わないというのを決めるからだ。夕顔の存在は細い逃
げ道にしかすぎない。御息所は教養のある大人の女性
で、歳上の自分から光源氏を誘うような文を書くのは
はしたないと考えていたので、嬉しい気持ちも寂しい
気持ちも伝えられずに思い詰めて生き霊になった。そ
れなのに、その固まった想いを深く愛している故に光
源氏にぶつけられず、側に居た夕顔を殺めて罪の意識
に苛さいなまれるのはとても可哀想だと思った。この事件の
四年後、御息所は夕霧を出産中の葵の上の所にも霊に
なって現れ、苦しめた後またも殺めてしまう。自分が
恐ろしくなり、このまま光源氏の側に居てはいけない
と考え、娘の斎さい宮ぐうを連れて京みやこから伊勢へ下ることにな
る。
この話だけでも恋愛の醍醐味を味わえたが、これを
超えるエピソードがある。ズバリ、「禁忌の恋」であ
る。何と光源氏は父親、つまり帝の妻を恋い慕うよう
になってしまうのである。別に想いを寄せて文など
を送るのはこの時代では自由だし、目に余るようでな
い限り何人にも咎められないのだが、この二人はそこ
で終わらなかった。帝の目を盗んでは短い逢おう瀬せを楽し
み、恋愛におけるABCのCまで進んでしまい、子供
を授かってしまうのだ。以降光源氏は内裏への殿上を
辞しがちになってしまい、一番会いたくない帝から心
配の旨の文がきたりして、すっかり心を病んでしまう。
もっと病んでしまえっ!とか思ったが、さすがに主人
公なのでそれ以上は無いか…と思い直した矢先、久々
に殿上した光源氏は帝にかなり心臓に悪い言葉を言わ
れる。この時生まれた子供を冷れい泉ぜい帝ていというのだが、帝
が幼い冷泉帝を見た時に、光源氏に「冷泉帝は父の私
より、兄のそなたに似ておる。」と、兄弟が似ていて
かつ美しいことを嬉しく思ってそう言うのだが、光源
氏はその時生きた心地がしなかっただろう。それを表
に出さなかったのはすごいと思う。私だったらすぐ態
度で人に勘付かれてしまうと思う。
『源氏物語』は、日本の古典が誇る超大作なのだが、
巻名だけで内容が一文字も無い「雲くも隠がくれ」という巻があ
る。これは光源氏が亡くなる巻なのだが、作者の紫式
部が光源氏の様な人を自分の筆で亡くすのをあまりに
悲しんだため、巻名だけが残っているのだ。二次元の
光源氏は三次元の紫式部をも魅了した訳である。恐る
べし光源氏。
もしこの世界に行けるなら男性の方が人付き合いが
気楽そうだが、男であれ女であれ、人を好きになると
いうことがいかに大変かは今も昔もさほど変わらない
様である。
▲紫の上を慰める源氏(『源氏物語絵帖』朝顔) ▲梅壺の女御と弘 殿の女御の絵合(『源氏物語絵帖』)
(14)特 集
電気工学科第2学年
六ヶ所 洋 平
善と悪と、卒業証書の在処
僕は夏目漱石の『こころ』を読み、人の心情、とく
に遺書にある先生の心情に触れ、人という生き物の善
悪について考えさせられた。
「先生と私」では、先生は自分を「寂しい人間」と
評し、人を、自分すら信用することのできない自分を
呪い、蔑んでいるようにも見え、またそれを容認し諦
めているようにも見える。それは自分を「悪人」とい
う立ち位置に置き、悪い手本として「私」に警告して
いるような人物として描かれており、その例として「恋
は罪悪だ、そして神聖なものだ」など、要領を得ない、
しかし重要でありそうな、問いかけのような言葉をポ
ツポツ残す。
この先生の心境は、把握できずともどこか共感でき
るものがあった。
昔、僕も人を信用しない時期があった。学校では友
人に合わせて顔は笑っていたが、その友人をどこか冷
めた目で見つめ、妙に本心を探ろうとしてしまう自分
がいたり、親を信用せず、悩みを打ち明ける事もせず、
またそんな自分に気付かない親に対して溜息をついた
のも一度や二度ではない。
そんな閉鎖的な心であれば、自分を「寂しい人間」
と評するのも無理はない。しかし、そんな自分を善人
か悪人か、と問われれば、僕は迷わず悪、と答える。
親類に欺かれた先生は、その親類を世間の代表、下手
をすれば全てだと思っていたことに非があるわけであ
るし、僕に至っては完全に自分の性格に問題があると
しか言いようがない。僕が人を信用しなくなった理由
がわかれば意見も変わったかもしれないが、今となっ
ては思い出す術もない。
僕が人に気を許し始めたのは、中学三年生の夏の頃
だった。幼い頃からの友人と何気なく入った、何の変
哲もない公園。そこで何故か僕は、心の底から笑った。
やはり何でもない会話、何でもない遊びで、何故か僕
は心底愉快と感じられたのだ。それから人を信じても
いいような気がした。遺書でお嬢さんに心ひかれた後、
先生がいつのまにやら少し、人を疑わなくなったのも、
そのような理由で共感できるものがあった。人の心は、
自分も知らず知らずのうちに変わってしまうらしい。
『先生と遺書』では、『先生と私』で先生が「私」に
言った、謎かけのような言葉の意味、人を信じない先
生の過去の心境がよく描かれている。とくに「恋は罪
悪」という言葉の意味が、深く心に残っている。
先生は友人Kの恋心を知りつつ、それを欺くような
形でお嬢さんと婚約し、それを知ったKは微笑んで祝
福の言葉を述べる。そして遺書に怨み一つ残さず自殺
してしまう。
その自殺現場を見た時、先生はKの事よりも自分の
世間体をまず重視したように描かれている。例えば「あ
あしまった、取り返しがつかない」と後悔し、そして
「自分のこれからの人生に絶望して」がたがたふるえ
出すところや、遺書に自分にとってつらい文句がない
ことに「助かった」と思い、その遺書をわざと「みん
なの眼につくように」置き、そうして振り返って「は
じめて」襖にほどばしっている血潮を見た、というと
ころ。
これを善か悪かと問われると、返答に困る。一般常
識という目で見れば悪と考える人は多いと思うが、僕
はきっと先生と同じだろうと思う。我が身可愛さにま
ず自分の心配をし、その後にしっかりと死体を見る。
Kの安否などそっちのけで、「襖の血にも気付かぬほ
ど」自分の心配をしただろう。道徳的に考えれば悪と
見えるかもしれないが、これが「普通」の、人間とい
う生き物の反応ではないだろうか。
また彼は、己を欺いた親類を恨んでおきながら、友
人を欺いて死に追い遣ったと罪の意識に悩まされ、死
んだつもりで生きていこうと決意する。この善悪の葛
藤もまた、人間らしいものではないだろうか。
善悪について考えていると、ふと、ある一文が目に
とまった。「卒業証書の在処は二人ともよく知らなかっ
た」という文である。
一見、何でもない文に見えるのだが、Kを欺き死に
追い遣った罪に悩まされている時、先生がKの死因に
ついて考え出す場面ではっとした。落ち着いて考える
と、あの自殺は失恋のために死んだ、などとたやすく
は解決がつかないように思われた、と先生は述べてい
る。理想と現実の衝突、それでもまだ不十分。それで
結局、先生のように一人で寂しくてしかたなかったか
らではないか、という考えにいきつくが、はっきりと
わかったわけではない。
僕はこう思う。死因がわからないのは、先生はKを
知っていたつもりで、実際は何もわかっていなかった
から。つまり、Kの心の在処が、先生とK、そしてお
嬢さんの過ごした書生時代を証明する卒業証書の在処
ではないのだろうか。
(15)特 集
物質工学科第2学年
有 馬 菜生子
『沈黙の春』を読んで
『沈黙の春』という本について私が知っていたのは、
環境問題について書かれた本だということぐらいでし
た。ですから、初めてこの本を手にとってみたとき、
まず思ったのが題名に対する疑問でした。沈黙の春と
いうのはどういうことなのだろうと。その疑問は本を
読み進めていくうちに解決しました。
本の内容は、ほとんどが化学物質による自然破壊に
関することでした。化学物質が様々な生物に与える影
響は本当に大きなものであり、恐ろしいものだと思い
ました。特に印象に残っているものの一つに、カルフォ
ルニア州のクリヤ湖の例があります。この湖には小さ
なぶゆがいて、これを防除するために殺虫剤を使いま
した。しかし、この殺虫剤が原因でぶゆだけではなく
かいつぶりという鳥までが死んでしまいました。湖中
の殺虫剤が初めは小さな生物に、そしてその生物を食
べる魚に、最終的には魚を食べる鳥に吸収されたとい
うことです。自然では生物が他の生物を食べることに
よって、食べられてしまった命が次に受け継がれてい
ると思いますが、これでは毒まで受け継がれてしまい、
しかも毒の量はどんどん増えていくことになります。
私は以前、自分が死んだら他の動物に食べられるか、
土に還って植物の栄養になりたいものだと考えたこと
があります。人肉はまずいと聞くので食べてくれる動
物がいるかということも、実際に植物の栄養になるの
かということも分かりませんが、自然の命の繋がり、
命のサイクルの中に入りたいと思ったからです。人間
は生物を食べることで他の命と繋がっているとは思い
ますが、次へのバトンタッチはできません。そうであ
るのに、人間はそのサイクルを壊そうとしているのだ
と思うと、悲しいというか情けないというか、そんな
気持ちになりました。
もう一つ、印象に残っている部分があります。今度
は自然破壊の事例ではなく、本文中の言葉です。本文
の一番最後に「自然の征服」という言葉が出てきまし
た。この言葉に対して、作者は「人間が得意になって
考え出した勝手な文句に過ぎない」と述べています。
確かにそうかもしれないと思いました。なぜなら、自
然は人間が征服できるものではないと考えたからで
す。本文中で多く述べられているように、人間は自分
達がすごしやすいようにと、勝手に自然環境を変えよ
うとしてきました。しかしその結果は人間の思い通り
とはいかず、たくさんの生物が死滅したり、時には人
間に被害が出たりしています。また、地震や台風など
の自然災害については、人間はどうすることもできま
せん。自然は大きな存在で、ずっと昔は人間も他の生
物と同じようにその中に存在していたと思います。自
然にとっては、人間が今まで築いてきた文明を捨て
昔のような生活をすることが一番いいのかもしれませ
ん。しかし、それは現実的に無理なことであり、私自
身文明の利器を多用して生活しているので言えたこと
ではありません。ですから今の生活を捨てるのではな
く、自分達の快適さに向けていた考えを、少しでも自
然に向ければいいと思います。自然は戦うものではな
く、征服するものでもなく、共存するものだと私は考
えます。共同生活をするものへの配慮は当然だと思い
ます。
最初の『沈黙の春』という題名への疑問の答えは、
春を告げる鳥達が人間の散布した殺虫剤によって死ん
でしまい、鳥の声が聞こえない静かな春がきたという
ところにあると思います。私は春の鳥というと雲雀を
思いうかべますが、雲雀の声が聞こえない春というの
は、本当に沈黙しているように感じるだろうと思いま
した。そんなことがおこらないように、一人だけでは
微力でも自然環境への配慮をしていきたいです。
建築学科第2学年
澤 原 成 美
川端康成原作『古都』を読んで
北山杉の杉は、まっすぐきれいに立っている。人間
の心もその杉のようにまっすぐで、きれいでありたい。
と思うのは、千重子だけではないと思います。私だっ
て、友達や親とケンカした時、素直に謝ればと後悔し
たことが沢山あります。千重子は、幼い時に親に捨て
られ、その上生き別れであった双子の姉であるなえこ
(16)特 集
の存在、もうこの世に本当の父母はいないことを知っ
てしまうなんてことがあったら誰でも、心がまがって
しまうと思います。でもそんな千重子に育ての父は、
「心はまっすぐでなくてもよい。素直な人間だってい
ろいろ考えるもの。まがったり、くねったり。それで
も大きく成長すればよい」
と言いました。誰もが素直で完璧な人間な訳ではない。
何かあれば、そのたびに自分なりの考えを出して、相
手に打ちあけることで人は成長していくんだなあと思
いました。
千重子がいろいろな悩みを持ったのは、双子の姉な
えことの出会いがきっかけでした。この二人が出会っ
たのはとても偶然で、なえこの一心の想いによるもの
だと感じました。千重子は、双子だということ全く知
らなかった訳だから、驚くはずだし、自分が双子であ
るということを受け入れられませんでした。しかし、
一家の支えである父を失い、その後あとを追うように
母も亡くなり、つらい生活をなえこがしていたという
事を知り、捨てられたが、今の親に大事に育てられ、
幸せに暮らしている千重子は、自分の幸せをなえこ
に分けてあげたいと思うようになりました。育った環
境もちがうからと言いなえこは一緒に暮らすことをこ
とわりました。私なら今より楽な生活、幸せな生活に
なるなら一緒に暮らしたいと思います。でもなえこに
とってはきつい仕事も、いつも同じ着物も、親のいな
いことも全部含めて幸せだったんだなと思いました。
結局、千重子となえこは、一緒には暮らさなくなっ
たけど、一晩だけでも家に来て下さいという千重子の
お願いから、なえこは、千重子の家に泊まることにな
りました。千重子の育ての両親は、なえこの事も我が
子のようにかわいがり4人は本当の家族のようにも思
えました。楽しそうにしているなえこは、この時なに
を思っていたんでしょう。私ならこっちで一生暮らし
たいとか千重子を羨むことしかしないと思います。で
もなえこはきっと千重子がこんないい人に拾われて楽
しい幸せな生活をしててよかったという安心した気持
ちでいたはずです。なぜなら、千重子の存在を知って
から、会いたくてしょうがなかったと言っていたから
です。すごく心配していた様子がわかり、心がまっす
ぐなんだなあと感じました。一緒に寝たり、話したり
する姿を想像すると、やっぱりずっと会ってなくても
さすが血の繋がった姉妹だなあと思いました。
千重子となえこ、二人は今までしてきた生活も、も
のの考え方もちがいます。すてられたけど、今の親に
大事に育てられている千重子、すてられてないけど、
すぐに親を亡くしきつい仕事をしながら生活してきた
なえこ、どちらが幸せだったんでしょうか。私には、
どちらにも、悲しみ、切なさがあったと思います。け
れど、千重子には育ててくれた両親がいて、なえこに
は、一緒に仕事をする仲間がいました。これは、悲し
みや切なさを忘れられるくらい幸せなことだと思いま
す。
この本で、生きることの喜び、切なさを感じました。
私も欲ばらず、今の生活の幸せを感じて成長していき
たいと思いました。
二十億光年の孤独
谷
たに
川 かわ
俊 しゅん
太
た
郎 ろう
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
火星人は小さな球の上で
何をしているか
僕は知らない
︵或はネリリし
キルルし
ハララしているか︶
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん
膨 ふくら
んでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくし
ゃ
みをした
(17)ブ ッ ク ハ ン テ ィ ン グ 実 施 さ れ る
平成19年度のブックハンティングが、11月28日(水)の放課後実施されました。
1年∼ 3 年生の図書委員が代表として、市内の書店で本を選びました。
選ばれた本は、約100冊。閲覧室のブックハンティングコーナーにありますので、利用してください。
<ブックハンティング>で購入した図書の一部 (2007年11月実施)
書 名 著 者 名
図解でわかる組込みシステム開発のすべて 情報処理推進機構監修
Excel で学ぶ暗号技術入門 ◆ U974F ◆浩二著
C 言語 100 題実践★例題集 笠野英松著
Ruby プログラミング入門 原信一郎著
ひと目でわかる Microsoft Visual C++ 2005 アプリケーション開発 増田智明著
本田宗一郎(ビジネスの巨人シリーズ) 本田宗一郎研究室編
オール 1 の落ちこぼれ、教師になる 宮本延春著
「宇宙」の地図帳 縣秀彦監修
よくわかる宇宙のしくみ(図解雑学) 吉川真監修
中国の危ない食品 周勍著 , 廖建竜訳
高校数学でわかる半導体の原理(ブルーバックス) 竹内淳著
がばいばあちゃんの幸せのトランク(徳間文庫) 島田洋七著
がばいばあちゃんの笑顔で生きんしゃい !(徳間文庫) 島田洋七著
ホームレス中学生 田村裕著
(18)図 書 館 か ら の お 知 ら せ
今年度の夜間開館及び土曜日の開館は、3 月 7 日(金)までです。
次の期間は、平日のみ開館します。
期 間 3 月 8 日(土)から 4 月 7 日(月)
開館時間 9 時から 5 時まで
平成20年度の夜間開館及び土曜日開館は、4 月 8 日(火)開始予定です。
図書館開館予定
通常10日間の貸出期間を学年末、春季休業中は長期貸出とします。
貸出開始日 2 月27日(水)
返 却 日 4 月 8 日(火)
帯 出 冊 数 7 冊
学年末・春季休業期間中の長期貸出について
今回の図書館だよりには、校内読書感想文の入賞作品を掲載しています。入賞作品は、どれも力作揃いで
す。ご多忙の中、学生に読書感想文をご指導くださいました国語科教員、図書を推薦していただいた先生方
に厚くお礼申し上げます。
また、今回の図書館だよりには、定年・退職される先生方からの御投稿をいただきました、お忙しい中ご
協力いただきまして、ありがとうございました。
編/集/後/
記