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外国語外国文学論集

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Academic year: 2021

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ことばと思索

―― 森 有正再読 ――(その3)

久米 あつみ

4.フランス語学習の問題 森は言語学者ではない。またいわゆる語学教師という範疇に入る職業人 かというと,その枠にも入りきれなかった人物であった。しかし彼ほど外 国語習得という問題を深刻に自らの課題としていた存在は稀有ではあるま いか。彼にとって外国語習得ないし外国語を身に着けるということは,た だのテクニック習得の問題ではなく,生存を賭けたほどの困難な問題であ った。 それはただ時代的な制約や個人の能力にかかわる困難ではない。森はそ の時代(1911 年東京に生れ,1976 年パリにて歿)に日本人としてはきわめ てまれな西欧的・貴族的環境のなかで諸外国語を習得したのである。 私は,日本語を母親の乳房の中で始めた。フランス語は六歳の歳にフ ランス人の先生達について。音楽は十歳で母についてピアノを続いてオ ルガンを,引続いてオルガンの先生について。英語は十二歳だった。漢 文も十二歳。新教の教理は十三歳(信仰告白)。(カトリック典礼に十六 歳で触れる)。ラテン語,十六歳。ドイツ語,十七歳。ギリシア語はある 神学教授の

T

先生に付いて,十九歳で。ロシア語は三十六歳ではじめた。 先生について極めて規則正しい勉強をしたにも拘らずうまく行かなかっ たのは,ロシア語たった一つだけだ。 (『森 有正エッセイ集成2』,334 頁)

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この文章には前説があって,「二十歳過ぎて始めたことは,よく持続しな い」ということの実例としてこれらの学習が挙げられているのだが,この 他にも森はヘブライ語の学習を死の直前までつづけていたという。(『森 有正エッセイ集成2』,解説 579 頁)これらの恵まれた学習経験の中でもと くに目立つのがフランス語学習であって,六歳以来十一年間を暁星で過ご しただけでなく,終わりの頃は寄宿生となって朝夕フランス人の教師たち と起居を共にしたというのであるから,この言語に関してはまことに特権 的な環境の中にいたというべきであろう。事実 1950 年政府給費留学生とし てマルセイユの地を踏むまでは,彼はフランス語に何の不自由も感じてい なかったのである。 その彼がパリでの勉強を始めたとたんに味わった恐怖とは何であったろ う。1966 年 10 月に東京日仏学院で行った講演「パリの生活の一断面」の中 で,かれはかなり詳しくその事情を述べている。 今申しましたような自信らしいものの蔭に,半ば意識的,半ば無意識 的に,大きい恐れの念が隠見していたのです。第一に,この留学そのも のに恐れを感じていました。それは,単にフランス語の問題ではなく, 私のやっていた学問めいたもの全部が,十分の基礎の上に立っていない のではないだろうか。これが留学によって立て直すこともできずに崩壊 するのではないだろうか。(・・・) (『集成3』,141 頁) ここで見る限り,彼の抱いていた恐れ,不安は学問上のものであり,西 欧の遠くに位置した島国から赴く者ならだれでも抱く類のものである。し かし彼はこの不安の正体をのちになって知る。 今にして思うと,この不安は,それがフランスを相手にしたから起こっ たのではなく,私の自分自身に対する不安だったのです。それ以外の何 ものでもなかったのです。 (同書 141 頁)

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自己というやっかいなものに捉えられた森は,異国に在るという特殊状 況も重なって半ば生活破綻者に近い苦しい道を辿ることになり,しかも恐 るべき意志力をもってそこから抜け出すのだが,ここでは困難の第一であ る語学の問題に注目しよう。 勉強を始めてみると,専門の勉強どころか,語学がまず第一の問題だ, ということが判ってきました。必要上短い文章を一つ書いてみても,フ ランス人に徹底的に直されてしまうのです。 (同書 144 頁) なぜフランス語が書けないのか。彼は日本でのフランス語学習に次のよ うな欠陥があったと指摘している。まず長年の仏文和訳や和文仏訳による 成果はというと,二つの言語の連関方式といったものであり,結局は二つ の言語の一方だけが生きていて,他は死んだ符牒に過ぎない,という事実 であった。 私は,自分のこれまでの勉強で,仏語を日本語の一種の符牒・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・として学ん でいたのです。(傍点著者)(・・・)千年以上前の日本人が中国語に対 して取ったのと同じ態度,すなわちそれは,結局漢文・ ・という一種の中国 語の日本語による馴致の方式を成立させたのと同じ経過が,形こそ異な れ,本質的に近代ヨーロッパ語に対しても起っているのです。徳川期の 日本人が漢文方式によってある程度中国文を書くことが出来たように, この方式で,近代ヨーロッパ語を書くことができます。しかしそれは符 牒の再構成であって,生きた言葉ではありません。(・・・)日本にいる 限りはそれでよいかもしれません。しかしフランス語が生きている・ ・ ・ ・ ・,そ して豊富・ ・になり成長・ ・しつつあるフランスの社会に身をおくと,この方式 は役に立たないどころか,使用法を誤ると実に有害なのです。すなわち 現実のフランスに対して人を盲目にしてしまうのです。 (同書 145 ∼ 146 頁)

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言葉は生きた全体であり,運動なので,符牒を貼り付けるようにしてで は決して捉えることができない,というのが著者の意図であろう。「我々が 外国語を学ぶ場合,この全体の形,あるいは運動がなかなかつかめないの です。語学の先生方は,語彙や文法の説明はして下さいましたが,そうい うことはほとんど教えて下さいませんでした」。それでは遠国にいて辞書を 引き引きヨーロッパ文化を学ぼうとしている者たちはどうなるのだ,と私 たちは言いたくもなる。しかし著者はもはやフランス社会の中に生きるほ かないのだ。 そうした,いわば異国という渦に飲み込まれるような状況の中で,彼は さまざまな努力,工夫を重ねて行く。講演の中でかれは自らの努力の段階 を,時期ごとに分析しているので,聴衆(読者)はいわば語学習得の(た だしすでに熟年者の)実践記録を追っていくことになる。 留学の比較的早い段階で,著者はフランス語と日本語を重ね合わせるよ うに対応させないで,横に並べて考えて見たという。(同書 149 頁)。具体 的には仏和辞典,和仏辞典を使わず,仏々辞典だけを使い頭の中もフラン ス語だけにしようとする試みであろう。この時期から暫くの間,森は日記 をフランス語で書き,日本からの手紙にもフランス語で返事を書くように なる(筆者自身も森からフランス語の手紙を受け取った)。一方では「外国 生れの外国人の場合,十年フランスにいても,小学読本巻一の能力もない のが普通である」『集成2,74 頁』などと公言しているので,中には嫌味と 取った向きもあり,また「森君もかわいそうに,語学では小学生の実力も ないといって苦労しているよ。」と見当違いの憐れみの言葉が述べられるの も筆者は聞いた。ある意味で森がなりふりかまわずフランス語の世界に没 入しようとした時期であろう。 次の時期は,こうした努力がことごとく空しく思われ,絶望にも近い思 いに駆られるときである。 こういう考えが私の中に生まれて来るのと前後して,フランス語という ものが私にとって実にむつかしい言葉となり始め,最初の自信めいたも

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のは跡かたもなく消えてしまいました。そして更に一時期は,フランス 人は根本的にはフランス語を間違えることができない人間のことであり, 外人ことに習慣や生活が相違し,言語の系統の異なる日本人は,フラン ス語を間違えることしかできないのだとさえ思うようになりました。 (同書 150 頁) 母国の中にあって母国語を使う者は母国語を間違えなく使う?そんなこ とは事実に反する絵空事だ,と大方の人は反論するであろう。だが森がこ こで言おうとしているのは,文法的に間違おうが用法的に間違おうが,母 国語の中に生きている人間が使う言語はその言語の全体であり,現実であ る,ということなのである。「チョウ(美味い)」「激(安)」ほかいくつか の形容詞と単語の切れつ端で会話が成り立つような 2002 年の日本社会(ヨ ーロッパ社会もこうした傾向と無縁とはいえない)を見たら森は何と言う だろう。ヨーロッパの社会も今や語彙貧困の時代に突入しつつある。しか し 50 年前にはたしかに,フランス社会の中に彼は,フランス語という秩序 と美にみちた運動を生み出す母体を見ることができたのだ。 そこで彼は,フランス語を学ぶためにはその社会の中に生きなければな らないと説く。 文法以前のフランス語の中に生きていることが絶対に必要なのです・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・。こ のフランス語は,フランスという大きい歴史的,社会的共同体の中にそ の人とともに生まれてくるのであって,(・・・)フランス語が生きて存 在しているというある一つの事実が一人のフランス人を定義するとさえ 言うことができるのです。 (同書 151 頁) これで終われば森の主張は要するに現地主義で,その地に生きない以上 言語習得は不可能,と言い切っているかのようである。さすがに森はそこ で論を終わるのではない。有効な語学学習のために以上の認識は不可欠な 前提だ,というのである。

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まずこのことを認めてかからないと,本当に意味のある,また有効な 語学の学習はできないと思います。我々外人は(・・・)文法を学びな がらフランス語を習うほかはなく,それを少しでも本ものに近づけるた めに,直接教授法やオーディオ・ヴィズユエルの方法を用いたり,模範 文をフランス人の指導の下にたくさん暗誦したりすることが行なわれま す。 (同書 152 頁) 文法(言語構造,規則)と発音から入ってその言語の特質に触れ,例文 を反復練習したり言語の使われる場面を想定したりして,その言語の波に 乗るようにする,というのは近代語学習に関して私たちが日々試みている 事柄である。週一度の授業では波に乗るどころか遠くからの見物もままな らないが,入り口だけ示してあとは「現地で見て来い」ということも可能 にはなった。本当にその国が好きで永住もしくは半永住している日本人が, 少なくとも表面上は現地の人と変わらぬ言葉を操っているのはしばしば見 られることだ。 森の言っていることは時代遅れの常識に過ぎないのだろうか。彼は次の 二点を付け加えて,語学学習者の陥る過ちを指摘している。 本当は,ほとんど肉体的に一つになっているともいえる言葉があって, それから・ ・ ・ ・意識が生れ,だんだん明確になってくるのが正しいのに,そし てそこからもう一度,今度は意識的に学び,完成していく,というのが, 唯一の道・ ・ ・ ・なのに,それとは逆の不自然な道を辿らざるをえない,という 困難があることはどうしても避けることができないのはよく判っていま す。 それからもう一つ大切なことは,言葉というものは,ある程度頭がよ くてよく勉強する人には,非常に自信めいたものを与えることに気がつ いたことでした。(・・・)本来,本当の言葉は本質的には間違えないも のだというその性質が,心理の根抵にあるところから来ているように思 われます。またある意味では,そういう自信めいたものもよく作用すれ

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ば,かえって勉強をはげます効果があるかもしれません。しかしこの効 果も高がしれたものです。根本的には,自国語と他国語とは,自分にと って本質的に違うものだということに気がつかないところから起って来 ているのです。 (同書 153 頁) してみると,語学学習は現地で生活しさえすれば習得できる,といった ものではないのだ。無意識から意識へという自然の道ではなく,意識から 無意識へ,という不自然な道であっても,言語習得の困難さ,問題点を自 覚した上での勉学は,「本ものに近づく」ことを可能にしてくれるだろう。 事実著者は,次の言葉をもって,この項の一応の結論としているのである。 ところで,大切なことは,こういう言葉に関して私の気がついたことが, 外国文化のあらゆるもの・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・を学ぼうとする場合に多かれ少なかれ伴なうも のである,という事実です。 このあと著者は「経験」というキー・ワードを中心にフランス語と日本 語の違い,フランスの国語教育,文化に話を発展させて行く。この中のフ ランス語と日本語の違いについてのくだりは『集成3』の解説を受け持っ た言語学者イレーヌ・丹波=メックスによって,時代的制約による外国語 優越思想ないし日本語への劣等感が見られると批判される。しかし講演の 中ではまだまだ森は遠慮しているのであって,たとえば翌 1967 年 4 月の手 記には,次のような激しい言葉が見られる。 フランス語に熟達するのに,言葉そのものの研究よりは,それを使う ことの出来る性格の形成の方がもっと大切である。フランス語は堅固な しかも極めて神経質な言葉なのであって,日本人の一般的性格はこれと 殆ど相容れないのである。性格を形成するものは,習慣ないし習性であ り,恐らくはまた,生れながらの或る本質,なのだ。 (『集成2』,351 頁)

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日本人の一般的性格とはなにか。彼は東洋人,アフリカ人を含めて「内 的秩序の欠如」と言っている。(同書 335 頁)ヨーロッパには,とくにフラ ンスにはこの秩序があるというわけだ。これには異論・反論が出そうだ。 日本人の生活やものの考え方に秩序がないというのか。それはあまりに社 会全体をある先入観(階級的偏見もまじった)で見すぎている,と。 しかし森が言いたいのは,たとえば次のような

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初等・中等教育に見られ る秩序ではないのか。 学校に行っている自分の子どもの学習の様子を見ていても,作文やラ テン語や,数学,自然科学などを,何か物品の扱い方でも習うように習 っているのです。いったん教育の面に出ると,ラシーヌでも,パスカル でも,フローベールでも,一つ一つの語句に分析され,他の練習問題と 区別できないところまで下って行くのです。そして,その根抵的な面が 繰り返し練習され,吟味されるのです。 (『集成3』,176 頁) 「物品の扱い方でも習うように」と表現されている学習法とは,学習対 象を余計な評価や思想めいたもので包まず,あくまで材料として扱うとい うことであろう。そこまでの徹底,客観化は習慣になった規則正しい生活 と修練の蓄積からしか生まれて来ない,と著者は言うのである。 頭でえらい人の思想が判る,その人生観や世界観がどうのこうのという のではなしに,「言葉」を扱い,処理する,その具体的な仕方が問題にな るのです。(・・・)思想は,思想から出発したら全然駄目なのです。問 題はその素材である「ことば」の扱い方を学ぶだけなのです。その上で, その素材が組織された姿が,ある一つの思想を定義するに到るのを忍耐 深く待つほかはないのだと思います。 (同書,177 頁) ここで著者は「言葉」のもつほとんど絶対的な重要性を強調している。 言葉の修練が思想を生むのであって,思想が思想を生むのではない。教育

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におけるこの面を,彼は繰り返し同胞に語って行く。 一つの社会の形成,その内面のコミュニケーション,表現活動におい て,言葉の占める役割りは絶大であり,これをほかにしては社会生活を 考えることができないほどである。ところでフランスにおいては,自国 の言葉の学習に実に大きい努力が払われている。 それは小学にはいる六歳くらいから始められ,大学にはいる前,十八, 九歳1)くらい で行なわれるバカロレアという国家試験まで,十二年間に わたって実に綿密に行なわれる。 その目的は単に本を読むことを学ぶだけではなく,作文すなわち表現力 を涵養するため文豪の文章を範型として細部にいたるまで分析し,内容 を整理し,その基礎の上にまたたくさんの作文が行なわれる。その分析, 整理そのものが,ディセルタシオン(つづり方)として,作文の一つの 種類を形成し,言葉の使用,文章の形成,文の構成が論理的に吟味され る。バカロレアに出される作文はこういう種類のものである。こういう 作文に欠くことができないのは,添削2)であり,この添削は教師が行な うのではなく,生徒自らが・ ・ ・ ・ ・自分の作文を何回も読み直して行なうのであ る。こうして生徒は自分の述べようとすることの最も的確で唯一の表現 を追求することを学ぶのである。 (同書,227 頁) この中に出てくる「文豪の文章を範型と」することは,たとえばクラシ ック・ラルースと呼ばれる文庫本のシリーズによって可能であろう。元来 中高校クラスでの教科書として構想されたこのシリーズには,およそフラ ンス文学の古典といわれるテクストが(一部抄録ではあっても)洩れなく 入っているのみならず,読書と作文の手がかりになるような設問がほとん ど各頁に設けられているのだ。その一

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二を拾ってみよう。 たとえば 16 世紀フランソワ・ラブレーの『第一之書 ガルガンチュワ物 語』25 章,レルネの小麦煎餅売りたちとガルガンチュワの国の羊飼いたち との間に起った大論争の条りに付けられた頁ごとの設問。

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―― 読者が導き入れられる物語の種類(ジャンル)はどのようなものか を定義せよ。 ―― ラブレーはどのようにして,はじめから読者を羊飼いの味方につけ ることができたか? ―― 19 − 26 行に使われた文体3)はラブレーにおいてよく見られるか? 他の例を挙げよ。この手法はどんな種類の文学表現に属するか? ―― 煎餅売りたちの性格の主な特徴は何か? 以下設問がつづくが,日本語の教科書にありがちな「主人公の気持」や 「立場」を聞く,というような問は皆無である。 そして巻末には「テーマ別資料」と題する課題集が付けられる。ラブレ ーの場合, 1.ラブレーの想像力 2.語り手としてのラブレー 3.諧謔(コミック) の3部からなり,いずれもその表現法が重視されるが,1については主だ った章のまとめの前につぎのような課題がある。 「テキスト全体を通し,著者のファンタジーが各巻や章の構造およびその内 容にどのように自由な流れを見せているかを学ぶこと。」 そしてラブレーの作品に対する諸批評(カルヴァンも含め)を載せたあ と,作文ないし口頭発表の主題が20項目に亘って述べられる。いわく ・ 「私は生きた石を築くのみだ。すなわち人間を」という,ラブレーの 自作品についての主張をコメントせよ。 ・ ラブレーは多くの点でまだ中世人と言えるのではないか。しかしこの 事実こそ彼が中世に対して行なう批判を正当化するものであることを 示せ。 ・ モンテーニュの教育観はラブレーのそれとよく対比される。両者の教 育観のちがいとともに,共通点を調べなさい。 ・ ピクロコル戦争における〈驚異〉とレアリスムの混合を学びなさい。

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そこからどんな結論をラブレーの作品全般について引き出すことがで きるか。 ・ 次のような現代の批評をあなたはどう思うか。「ラブレーがモリエール, パスカル,バルザックと比較されるのは,ある面で歴史を超えていた からだ」。 等々である。文学史全般に亘る知識を要求するこのような問題がバカロレ アにも出題されるから,生徒たちは切れ切れの知識ではなく,実際に巨匠 達の作品を読み込まなくてはならない。しかも感情や感想によりかかるの ではなく,論理的に,また論争的に読むくせをつけるのだろう。 翻ってわが国の国語教育を考えると,教科書に向くシリーズもなく4) これほど考えられた読書補助システムも見当たらない。これにはいろいろ な事情があるだろうが,その一つにはやはり,文学作品を「もの」のよう に分析し,客観的に扱うことへの抵抗も見られるのである。 外国語学習の問題はかくて,自国語学習の問題に辿りつく。森は果たし て日本語を教え得たのか。またどのように自らの日本語を変え得たのか。 それは次の課題になるであろう。 注 1)実際は17

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8歳。毎年発表されるバカロレア(哲学)の優秀答案回答 者の多くが17歳である。 2)フランス語の

mise au point

を森はときに「文章法上の訂正」と訳し, 時に「添削」と訳している。「推敲」と言ってもよいか。 3)悪口雑言の羅列。 4)岩波文庫がその役割りを果たした時代もあったが,買い取り制という 同書店の仕組みのせいで,取次店は満足に仕入れてくれない憾みがあ る。

参照

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