• 検索結果がありません。

初期真宗における真実報土の理解─特に了海の『他力信心聞書』を中心に─ 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "初期真宗における真実報土の理解─特に了海の『他力信心聞書』を中心に─ 利用統計を見る"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

初期真宗における真実報土の理解─特に了海の『他

力信心聞書』を中心に─

著者

板敷 真純

著者別名

ITAJIKI Masumi

雑誌名

東洋学研究

57

ページ

23-35

発行年

2020-03

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00012029/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

はじめに   中 国 浄 土 教 の 道 綽( 四 七 六 〜 五 四 二 ) と 善 導( 六 一 三 〜 六 八 一 ) は、 阿 弥 陀 仏 は 誓 願 と 修 行 に 報 い て 仏 と な っ た 報 身 仏 で あ る た め に、 こ の 阿 弥 陀 仏 の 浄 土 を 報 土 と い う と 説 い て い る 。 親 鸞( 一 一 七 三 〜 一 一 六 二 ) に よ れ ば、 こ の 報 土 に は 真 実 報 土 と 方 便 化 土 の 二 土 が あ り、真実報土には他力真実の信心を得た行者が往生し、本願を疑う自 力の行者は方便化土に往生すると記し、これらはどちらも阿弥陀仏の 真化の浄土と主張している。   先行研究では、このような主張は善導、源信の説を独自に解釈した も の で 2 、 親 鸞 以 前 に は 見 ら れ な い 特 異 な 見 解 で あ る と い わ れ て い る 。 ま た 親 鸞 は、 現 生 に 正 定 聚 に 住 し て、 真 実 報 土 に 至 る と も 記 し て お り、これらは、親鸞が説いた現生正定聚という位が、真実報土と不可 分の関係を持つことを示している。このような主張は、往生思想の根 幹にあたる部分であるために、常に注視されてき た 4 。   しかしこれらの点は、非常に重要であるにも関わらず、このような 真実報土について、親鸞の門弟たちがどのように理解していたかにつ いては、必ずしも明確になっていない。唯一、唯円の『歎異抄』に報 土に対する記述があるのみである。このように親鸞の門弟達の中で真 実報土に対する理解が明らかになっていないという点は、初期真宗の 浄土観、往生観を究明するうえで、大きな問題であった。   こ こ で 注 目 す べ き は、 初 期 真 宗 で 活 躍 し た 麻 布 了 海( 一 二 三 九 〜 一三二〇)の作といわれる『他力信心聞書』に、真実報土に関する記 述 が 見 ら れ る 点 で あ る。 『 他 力 信 心 聞 書 』 で は、 全 十 四 問 答 中 の 三 問 答をさいて、報土についての説明をしているが、この点についての詳 細な論究は行われてこなかった。   先行研究では、この『他力信心聞書』は、本願寺覚如(一二七〇 〜 一三五一)の『改邪鈔』の批判の対象であったと考えられてい る 5 。さ らに梯実圓氏などにより、本書に善知識帰命説や来迎往生などの影響 が見られるとし、親鸞とは異なる教えが説かれていることが指摘され てい る 。   このように親鸞とは異なる思想を持っていたと考えられている了海

初期真宗における真実報土の理解

─特に了海の『他力信心聞書』を中心に─

(3)

で あ る が、 『 他 力 信 心 聞 書 』 の 真 実 報 土 に 対 す る 記 述 の な か に は、 親 鸞 の 真 実 報 土 説 と 同 様 の 主 張 も 見 ら れ る。 こ の た め『 他 力 信 心 聞 書 』 がどこまで親鸞の思想と一致しているのか、再検討する必要が出てき た。   本 論 で は 麻 布 了 海 の 作 と い わ れ る『 他 力 信 心 聞 書 』 に 焦 点 を あ て て、真実報土と方便化土について検討を行う。これにより、初期真宗 の門弟たちの真実報土の理解について明らかにすることが出来、日本 浄土教の浄土観の一面を究明することが出来ると考える。 1   親鸞と唯円にみる真実報土の理解 1 ─ 1   親鸞の真実報土説の特異性   まず最初に親鸞の真実報土の理解について確認したい。以下は元仁 元年(一二二四)に記され、親鸞の真実報土観が詳細に記される『教 行信証』の「真仏土巻」の序文である。 ①親鸞『教行信証』元仁元年(一二二四) 謹で真佛土を按ずれば、佛は則是不可思議光如来なり、土は亦是 无量光明土なり。 然れは則ち大悲の誓願に酬報するが故に、真の 報佛土と曰ふなり。 既に而て願有ます、即光明・壽命之願是也 。 7   ここで親鸞は、真仏土について説明を行っている。つまり仏とは不 可思議光如来であり、土とは無量光明土のこととし、阿弥陀仏の大悲 の誓願の因に報いているので、阿弥陀仏の浄土を真の報仏土であると してい る 8 。また同様に『教行信証』の「真仏土巻」の結文を見て行き たい。 ②親鸞『教行信証』元仁二年(一二二四) 夫れ報を按ずれば、如来の願海に由て果成の土を酬報せり。故に 報と曰ふ也。 然に願海に就て真有り仮有り。是を以て復佛土に就 て真有り假有り。選擇本願の正因に由て、真佛土を成就せり。假 の佛土とは、下に在りて知るべし。既に以て真仮皆是大悲の願海 に酬報せり。故に知んぬ、報仏土也といふことを。 良に假の仏土 の業因千差なれば、土も復千差なるべし。是を方便化身・化土と 名づく 。 9   ここで最初にいう報とは、阿弥陀仏の報土のことである。ここで親 鸞は先の報土にさらに真と仮があるとし、この真と仮は、どちらも阿 弥陀仏の願海から生じたものとしている。このため真とは、報土のな かの真実報土のことで、仮の仏土とは、報仏土のなかの方便化土のこ とであると説いてい る 10 。   このように親鸞は、阿弥陀仏の浄土を真実報土と方便化土によって 説明し、阿弥陀仏の真仮の浄土はどちらも阿弥陀仏の慈悲により生じ たと説いている。このような点は、師匠である法然にも見られない親 鸞の特異な思想であるといわれてき た 11 。   それでは親鸞は、真実報土に対して、門弟たちにどのように説いて いるのだろうか。次に親鸞が門弟たちに出した消息から、真実報土に

(4)

ついてどのように理解していたかを見て行きたい。以下は親鸞の門弟 である有阿弥陀仏に対して出された消息である。またこの有阿弥陀仏 という門弟についての詳細は不明である。 ③親鸞『末灯鈔』 「第十二通」年代不明 尋ね仰せられ候ふ念佛の不審の事。念佛往生と信ずる人は、邊地 の往生とてきらはれ候らんこと、おほかたこゝろえがたく候。 そ のゆへは、弥陀の本願とまふすは、名號をとなへんものをば極楽 へむかへんとちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめ でたきことにて候ふなり。信心ありとも、名號をとなへざらんは 詮なく候。また一向名號をとなふとも、信心あさくば往生しがた くさふらふ。 されば、念佛往生とふかく信じて、しかも名號をと なへんずるは、うたがひなき報土の往生にてあるべくさふらふな り。詮ずるところ、名號をとなふといふとも、他力本願を信ぜざ ら ん は 邊 地 に む ま る べ し。 本 願 他 力 を ふ か く 信 ぜ ん と も が ら は、 なにごとにかは邊地の往生にてさふらふべき。 このやうをよく〳 〵御こゝろえ候て御念仏候べし 。 12 ここでは念仏往生を信じる人は、辺地の往生を遂げるとして批判する 人がいるという消息に対する親鸞の返信である。ここで親鸞は、この ような主張は、理解出来ないこととし、念仏往生を深く信じて名号を 称えれば、間違いなく報土に往生すると主張する。そして名号を称え ても本願を信じなければ、辺地に生じるとして、信心と名号が不離の 関係であることを示している。   ここでの辺地の往生を遂げるとする批判は、親鸞の弟子達の中の問 題とも、親鸞門流外からの念仏批判ともとれる文である が 13 、当時の門 弟たちのなかで、辺地に対して疑問が起こっていたと推察出来る。 1 ─ 2   唯円の『歎異抄』に見る真実報土の理解   次に河和田唯円(? 〜 一二八八)の『歎異抄』から、唯円が真実報 土に対して、どのように理解していたかを確認したい。以下に第十七 章を見て行きたい。 ④唯円『歎異抄』十七章 一   邊地往生をとぐるひと、 つゐには地獄におつべしといふこと。 この條、なにの証文にみえさふらふぞや。學生だつるひとのなか に、いひいださるゝことにてさふらふなるこそ、あさましくさふ ら へ。 ( 中 略 ) 信 心 か け た る 行 者 は、 本 願 を う た が ふ に よ り て、 邊地に生じてうたがひのつみをつぐのひてのち、報土のさとりを ひらくとこそ、うけたまはりさふらへ。信心の行者すくなきゆへ に、化土におほくすゝめいれられさふらふを、つゐにむなしくな るべしとさふらふなるこそ、如来に虛妄をまふしつけまひらせら れさふらふなれ 。 14 ここでは最初に辺地往生を遂げる人は、最後には地獄に墜ちるという 誤った主張を記し、この主張はどの聖教に載っている文か、と疑問を

(5)

なげかけている。さらに信心が欠けた行者は、本願を疑っているので 辺地に生じて、その後報土のさとりをひらくと親鸞から聞いていると 述 べ て い る。 そ し て 阿 弥 陀 仏 は、 信 心 を 得 た 行 者 が 少 な い こ と を 考 え、まず自力の行者を化土に勧めて往生させようとしているので、化 土に生まれたものは地獄に墜ちるという誤った主張は、阿弥陀仏をう そつきにしてしまうと記している。   このように自力の行者のために化土を勧めると記している点は、唯 円が真実報土も方便化土も阿弥陀仏の浄土であるという理解をしてい たことを示しており、親鸞の真実報土観を唯円が理解していたことが 分か る 15 。注目すべきは、辺地化土に往生を遂げる行者は、最後には地 獄に墜ちるという誤った主張が見られる点で、唯円の周辺でも親鸞が 説いた化土往生について、正しく理解することが出来なかった門徒が いたことを示している。   以上のように親鸞は、阿弥陀仏の浄土を報仏土と説き、この報仏土 を真実報土と方便化土に分けて、真実報土に対する説明を行っている が、このような主張は、親鸞独自のものである。また真実報土の理解 は、唯円のように親鸞の真実報土の理解を継承した門徒もいたが、親 鸞 の 消 息 や『 歎 異 抄 』 に は、 方 便 化 土 に 対 す る 誤 っ た 見 方 や 疑 問 を もっていた門徒がいたことが分かる。 2   了海の『他力信心聞書』に見る真実報土の理解 2 ─ 1   『他力信心聞書』の成立と内容   ま ず 麻 布 了 海( 一 二 三 九 〜 一 三 二 〇 ) の 門 流 と 彼 の 作 と い わ れ る 『他力信心聞書』についてまとめた い 16 。親鸞の門弟たちは常陸、下総、 下野を中心に活躍したが、その中でも初期の武蔵で活躍したのが、真 仏を祖とする荒木門徒の光信房源海である。源海は親鸞没後の関東教 団の代表にあたる人物で、後の大谷廟堂の取り決めを記した「大谷廟 堂創立時代文書」の「信海等念仏衆に告状」には、高田の顕智、鹿島 の信海とともに、光信の名を見ることが出来 る 17 。この荒木門徒の源海 の弟子にあたるのが了海である。了海は、その半生がほとんど明らか に な っ て い な い 人 物 で あ る が、 『 親 鸞 聖 人 門 侶 交 名 牒 』「 京 都 光 薗 院 本」では、多数の光信房源海の弟子中に「願明   ムサシノクニアサフ ノ了海 」 18 と記されており、了海の下に十六人の弟子がいたことが記さ れてい る 19 。またこの了海の門流から、後述する仏光寺了源がいる。   この『他力信心聞書』の著者については、江戸時代には覚如説、了 海説などの複数の説があったものの、現在では『他力信心聞書』が初 期仏光寺では了海作と考えられていたことが認められている。たとえ ば佐々木英彰氏は『他力信心聞書』は、伝了海作と記してお り 20 、澁谷 晃氏も『他力信心聞書』と『還相回向聞書』が了海の作であることを 推 定 し て い る 21 。 ま た 梯 実 圓 氏 は、 仏 光 寺 了 源( 一 二 八 四 〜 一 三 三 五 )

(6)

が 嘉 暦 二 年( 一 三 二 七 ) に 記 し た『 念 仏 相 承 血 脈 掟 書 』 や 建 武 元 年 (一三三四)に記された『一味和合契約状』に、 『他力信心聞書』が了 海の作と記してることから、仏光寺教団やその源流となった門徒集団 の中で伝持された思想信仰をまとめたものと記してい る 22 。   この『他力信心聞書』の原本は現存しておらず、書写本のみが残っ ている。最古の書写本は、暦応二年(一三三九)の奥書がある兵庫毫 摂寺蔵の書写本であり、その他に、室町末期の滋賀円照寺蔵、京都常 楽寺藏の書写本があ る 23 。先行研究における『他力信心聞書』に対する 論及は、了祥(一七八四 〜 一八四二)が真宗の異義を集めた天保十二 年(一八四一)刊行の『異義集』や、この『異義集』を翻刻した真宗 資料集成を定本としている が 24 、それ以前の元禄七年(一六九四)の奥 書 が あ る 大 谷 大 学 本 と 比 較 す る と 25 、『 異 義 集 』 に 記 さ れ た 文 字 の 右 に あ る 解 説 や、 左 の 左 訓 な ど が 大 谷 大 学 本 に は な く 26 、『 異 義 集 』 中 の 『 他 力 信 心 聞 書 』 の 文 字 の 欠 落 な ど が 確 認 出 来 る 27 。 こ の た め 先 行 研 究 では、解説や左訓なども了海の記述として論及されてきたが、後世の 加筆とも考えられるため、再度検討する必要がある。   こ れ ら の 点 か ら 当 時 仏 光 寺 に 安 置 さ れ て い た『 他 力 信 心 聞 書 』 は、 了 海 が 記 し た 原 本 は な い も の の、 了 源 な ど の 初 期 の 仏 光 寺 教 団 内 で は、祖師である了海が記した聖典と考えられてきたことが分かる。ま た『 念 仏 相 承 血 脈 掟 書 』、 『 一 味 和 合 契 約 状 』 の 記 述 か ら、 了 源 は、 『 他 力 信 心 聞 書 』 の 問 答 形 式 を、 師 で あ る 源 海 が 弟 子 で あ る 了 海 の 質 問に答えたものという認識を持っていたことが分かる。   また本書の内容について、従来この『他力信心聞書』には、親鸞の 教えとは異なる点があることが指摘されてき た 28 。その内容は特に、善 知識への帰依を要求する知識帰命説や来迎往生の推奨、真言密教や本 覚法門の影響などがあり、親鸞との思想的な相違点は多岐に渡ってい る。さらに覚如が真宗内の異義について記した『戒邪鈔』の異義の一 つとも考えられてい る 29 。 2 ─ 2   了海における真実報土の理解   最初に了海における真実報土の理解について見ていきたい。まず了 海が阿弥陀仏の浄土が報身であり、報土と説いている点は『他力信心 聞書』 「第十一問答」に見られる。 ⑤『他力信心聞書』 「第十一問答」 問テイハク、阿弥陀仏ヲバ報身如来トイヒ極楽ヲバ報土ト先徳ミ ナノタマヘリ。報身トイフハ法身ノ智因ニムクフ果ノ名ナリ。 サ レバ智仏智土ナリ。 モシシカラバイカニシテカ分量分限ヲサヽン。 シ カ ル ニ 観 経 ニ ハ コ ノ 仏 ヲ バ 身 量 六 十 万 億 那 由 他 恒 河 沙 由 旬 ト   云々 。 其 仏 寿 命 四 十 劫 ト   云々 。 ス デ ニ 身 量 ニ 高 下 ア リ、 寿 量 ニ 遠 近         トヲキチカキアリ 。 土 ニ 方 角 ヲ サ シ タ リ。 報 身 ト ト キ ナ ガ ラ、 身 量 ニ 寿 量ヲタツル義、イカンガ候ベキ。 師答云、モトヨリ報身ニ身量寿量ナシトイヘドモ、シバラク所化

(7)

ノマヘニツイテコレヲタツルナリ。非常ノコトバハ常人ノ耳ニハ イラズトノタマヘルガゴトクニ、形色      カタチイロ ナクシテコレヲシメ サンニハ、衆生シルベカラズ。 カルガユヘニ、身量寿量短促ナル 衆生ニモチヒラレンガタメニ、如虚空ノ体ヲツヾメテ、阿弥陀仏 トナノリテ限量ヲアラハシタマヘリ。直ニ報身功用ヲトカバ、大 乗ノ菩薩スラ聞シリガタシ、イワンヤ末断惑ノ凡夫イカニシテカ シラン 。 30   ここでは阿弥陀仏を報身如来といい、極楽を報土ということは、先 徳がすでに説いていることとし、それなら何故仏の寿命や身量などを 定 め て い る の か と い う 問 い を 出 し て い る。 そ れ に 対 す る 答 え と し て、 本当は報身の身には寿命や身量などはないが、衆生の教化のために仮 に用いていると記している。このように了海は、親鸞と同様に、阿弥 陀仏の仏身は報身であり、阿弥陀仏の浄土が報土であると主張をして いる点が確認出来る。 また了海の特異な浄土の説明については、筆者が別稿にて論究を行っ た 31 。その内容を要約すれば、以下の通り。 ・ 了 海 は『 他 力 信 心 聞 書 』 に お い て 真 実 報 土 を 解 説 し て、 法 蔵 菩 薩 が 二 百 十 億 の 浄 土 か ら「 化 」 を 捨 て て「 真 」 を と っ た と 主 張 するが、この主張は、了海独自のものである。 ・ 了 海 が 法 蔵 菩 薩 を 重 視 し て い る の は、 『 還 相 廻 向 聞 書 』 に も 見 ら れ る。 こ こ で は 法 蔵 菩 薩 と 道 場 主 は ど ち ら も 衆 生 利 益 を 目 的 としているため、 この点において両者は等しいと主張している。 こ の よ う な 了 海 の 法 蔵 菩 薩 の 重 視 は、 善 知 識 帰 命 説 を 主 張 す る ための一文であったと考えられる。   以上のように了海は、法蔵菩薩を用いて、特異な浄土の解説を行っ ているが、このような思想は親鸞には見られない了海独自のものであ る。また了海が『他力信心聞書』 、『還相回向聞書』で、法蔵菩薩を重 視しているのは、善知識帰命説を主張するための一文であったと考え られる。 2 ─ 3   親鸞の真実報土説の特異性に対する了海の認識   それでは了海は、親鸞の特異な真実報土という浄土観について、ど のように理解していたのだろうか。阿弥陀仏の浄土について「十三問 答」の中で以下のように記してい る 32 。 ⑥了海『他力信心聞書』 「第十三問答」 師答テイハク、タトヒマナコヲタヽカズ。コレヲマモリ、身ヲハ ナ レ ズ、 ツ ケ ツ カ フ ト モ、 信 ゼ ズ ハ シ ラ ザ ル 人 ナ リ。 ( 中 略 ) 行 住 坐 臥 不 背 西 方 涕 唾 便 利 不 向 西 方 ノ オ シ ヘ ニ イ ヅ レ カ ソ ム カ ン。 コレスナハチ不退思念ノ人ナリ。サレドモコレヲ外儀ノフルマヒ ニテ、信心ニハイタラズ。タヾ 願 弥 陀 力 ノ信心ヲ専ニスルヲ、善導ハ 念 憶念知識 念 不捨是名正定業ト 釈 知識 シタマヘリ。念念不捨者トイフハ信心ノ 名リ。 正 正 定 聚 仏 果 定業 トイフハウルトコロノ果ノ名ナリ。コレ 弥 願( 弥 陀 )力 ( 知 識 ) 陀ノ他力

(8)

ヲシレル名ナリ。コノ他力ヲ信ジテヨヲシラザルユヘニ、コレヲ 経 ニ ハ 一 憶念知識仏 向 ト ト キ、 釈 ニ ハ 専 修 ト イ フ ハ、 フ タ ゴ コ ロ ナ ク 一 向 専修ニ修行スルユヘニ、 コノ流ヲバ浄土宗ノナカニモ真ノ字ヲオ キテ浄土真宗トイフナリ。コノ真ノ字ヲオクコトバ浄土ノナカニ 浄土ナルガユヘナリ。コレ真ガナカノ真ナリトシルベシ 。 33 この「第十三問答」は、一向専修の行者は、どのような念仏者である かを説明している場面である。そして『拾遺往生伝』にある「行住坐 臥不背西方涕唾便利不向西方」の教えを行う人は、不退不念の人であ るが、これらは外儀の行いであると説く。そして阿弥陀仏の他力のみ を 知 る こ と を 一 向 と い い、 専 修 と い う と し て い る。 最 後 に こ の た め に、浄土宗の法脈の中で、真の字を設けて浄土真宗というとし、浄土 の 中 の 浄 土 で あ り、 真 の な か の 真 で あ る と し て い る。 こ こ で 了 海 は、 阿弥陀仏の浄土の中にも真の浄土があることを説いている。   ここで注目すべきは、了海が自分たち親鸞門流の特徴として、真実 報土の思想を浄土の中に浄土を設けることと理解しており、自分たち を浄土真宗というと主張し、浄土真宗という名称の解説を行っている 点である。ここで了海は、親鸞の浄土観を他の「浄土宗」とは異なる ものと理解していたことが分か る 34 。   またこのような「浄土真宗」という名称は、親鸞の『教行信証』や 親鸞自身の消息のなかに、自分たち法然の門流を表す際によく用いて いたものである が 35 、ここでの了海の「浄土真宗」という一文は、親鸞 から続く自分たちの門流を指していると考えられ る 36 。   つまりここで了海は、親鸞の真実報土説が親鸞以前の法然を含む先 徳から続いている思想であり、自分たち〔親鸞の〕門流はその教えを 正 し く 継 承 し て い る こ と を 主 張 し て い る。 つ ま り こ こ で の「 浄 土 宗 」 とは、自分たち親鸞から続く門流以外の他の法然門下、親鸞から教え を受けた別の門徒集団を指すものと考えられるが、この点については さらに検討する必要があ る 37 。   したがってこの文は、了海が親鸞教学の特異な浄土思想である真実 報土の思想は、他の浄土宗の教学とは、異なっていると理解出来てい たことを示す貴重な文であるといえ る 38 。   了 海 の『 他 力 信 心 聞 書 』 で は、 真 実 報 土 と 方 便 化 土 を 論 じ て お り、 親鸞の真実報土は理解していたと考えられる。しかし法蔵菩薩が選択 した二百十億の浄土や「総」 、「別」の浄土など、特異な浄土の説明を 行っている。これらは了海の著作に見られる善知識が仏や菩薩と等し いという善知識即仏説を主張する文の一つであると考えられ、親鸞に は見られない了海独自の主張が見られる。 おわりに   以上了海の『他力信心聞書』を中心に、初期真宗の真実報土の理解 を検討したところ、以下のことが分かった。   ① 親鸞は、阿弥陀仏の浄土を報仏土と理解し、この報仏土を真実報

(9)

土と方便化土に分けて、真実報土の説明を行っているが、このよ うな親鸞の真実報土観は、特異な主張であるといわれてきた。こ のような真実報土観に対して、親鸞の消息や『歎異抄』には、真 実報土や方便化土に対する誤った見方をしていた門徒がいたこと が分かる。これらのことから初期真宗の門弟達のなかには、唯円 のように親鸞の真実報土の理解を継承した門徒もいたが、理解が 困難であった門徒もおり、初期真宗内で大きな問題であったと考 えられる。   ② 親鸞とは異なる主張をしたといわれる了海の『他力信心聞書』で あるが、その文中から、親鸞の真実報土と方便化土の思想は理解 していたと考えられる。しかし法蔵菩薩が選択した二百十億の浄 土や「総」 、「別」の浄土などの特異な浄土観は、善知識即仏説の 影響が見られる。さらに了海は真実報土説に対して、他の浄土宗 と浄土真宗を区別しており、親鸞の特異な浄土観が他の浄土宗と 異なっていたことを理解していたと考えられる。   以上のように『他力信心聞書』を用いて、初期真宗の真実報土の理 解 を 明 ら か に し た。 親 鸞 の 独 自 の 浄 土 観 が 初 期 真 宗 の な か で 問 題 に なったのは、初期真宗の門弟達が親鸞の思想を理解し、受容すること が難しかったことが挙げられる   当初門弟達は、親鸞の教えが法然と同じであると考えていたが、他 の浄土宗との関わりを持つにつれて、徐々に自分たちの教えが他の浄 土宗と異なっていることに気づいたものと考えられる。ここに門弟達 が親鸞の教えを理解することが困難であった原因の一つがあると推察 する。その後門弟たちは、親鸞の教えが理解しづらいという問題を内 包しつつも、親鸞の特異な浄土思想を自らの門流の独自性として用い るようになった。ここに初期真宗の門弟達の受容と展開を窺うことが 出来る。   こ の よ う な 親 鸞 門 流 の 教 学 的 な 独 立 性 の 自 覚 は、 長 楽 寺 流、 西 山、 一念義系を受学し、他の浄土宗との対外的な確立を目指し、自らの門 流の正統性を主張した本願寺覚如、存覚によって確立されたと考えら れ て き た が 39 、『 他 力 信 心 聞 書 』 な ど に よ り、 門 弟 達 の 間 で も 行 わ れ て いたものといえよう。このような本願寺教団と門弟たちの教学的な独 立性の自覚については、今後の課題としたい。 注 1 道 綽 の『 安 楽 集 』 と 善 導 の『 観 経 疏 』「 玄 義 分 」 で は 阿 弥 陀 仏 の 浄 土 が 報土であることを説いている。 「 現 在 の 弥 陀 は 是 報 仏、 極 楽 宝 荘 厳 国 は 是 報 土 な り。 」『 安 楽 集 』 (真聖全一、 一七六頁) 「 第 六 に 二 乗 種 不 生 の 義 を 会 通 す と は、 問 ひ て 曰 く、 弥 陀 の 浄 国 は 為 当 是 報 也 や 是 化 也 や。 答 へ て 曰 く、 是 報 に し て 化 に 非 ず。 云 何 知ることを得る。 」『観経疏』 「玄義分」 (真聖全一、 二九八頁) ま た 善 導 の 報 土、 報 身 に つ い て は、 柴 田 泰 山『 善 導 教 学 の 研 究 』( 山 喜 房佛書林、二〇〇六年)五五五 〜 五七二頁参照。

(10)

2 源 信 の 報 化 二 土 に つ い て は、 義 盛 幸 規「 報 化 二 土 の 弁 立 」( 『 親 鸞 教 学 』 二 〇 〇 七 年 )、 八 八 号、 三 七 〜 五 四 頁 を 参 照。 善 導 の 報 土、 報 身 に つ い ての先行研究は、注一を参照。 3 山 邊 習 學 赤 沼 智 善『 教 行 信 證 講 義   眞 佛 土 巻 化 身 土 巻 』( 法 藏 館、 一 九 四 一 年、 一 二 〇 八 〜 一 二 〇 九 頁。 ) で は、 『 教 行 信 証 』「 真 仏 土 巻 」 の 結 文 に つ い て、 二 点 の 注 意 す べ き こ と と し て、 次 の よ う に 記 し て い る。 「 一 に は、 真 化 分 別 は 我 が 聖 人 己 證 の 法 門 で あ っ て、 浄 土 真 宗 開 闢 の 祖 意 は、 こ の 真 化 を 分 別 し て、 如 来 広 大 の 恩 徳 を 知 ら し め る た め で あ る こ と。 二 に は、 こ こ に 化 仏 化 土 と い う は、 普 通 に い う 三 身 門 の 化 仏 化 土 と は 異 な り、 報 中 真 化 を 分 つ た も の で、 三 身 門 で い え ば、 同 じ く 大 悲の願行に酬応した報身報土であるということである。 」 さ ら に 梯 実 圓 氏 は、 親 鸞 の 往 生 観 と 浄 土 観 に つ い て「 親 鸞 聖 人 の 往 生 観 は 法 然 聖 人 の そ れ を 承 け な が ら も、 従 来 の 浄 土 教 に は 見 ら れ な か っ た い く つ か の 特 色 が あ る 」 と し、 「 往 生 に つ い て 真 化 に わ た る 三 種 の 往 生、 す な わ ち 双 樹 林 下 往 生、 難 思 往 生、 難 思 議 往 生 を 分 別 さ れ た こ と 」 を 挙 げ て い る。 さ ら に「 三 往 生 に つ い て の 真 化 の 釈 は 親 鸞 聖 人 の 独 自 の 見 解 で あ っ た の で あ る 」 と 記 し、 節 の 最 後 に「 こ う し て 難 思 議 往 生 と は 真 実 報 土 へ 化 生 す る こ と を い い、 双 樹 林 下 往 生 と は、 辺 地、 懈 慢、 疑 城、 胎 宮、 胎 生 な ど と 呼 ば れ る 方 便 化 土 の 往 生 を あ ら わ し て い る こ と が 分 か る。 」( 梯 実 圓「 親 鸞 聖 人 の 往 生 観 」( 『 浄 土 教 学 の 諸 問 題 』 上 巻、永田文昌堂、一九八八年)二二二 〜 二二四頁。 )と記している。 ま た こ の よ う な 点 は、 隆 寛 や 名 越 派 に も 類 似 し た 思 想 が あ る こ と が 指 摘されている。 石井教道『選擇集全講』 (平楽寺書店、 一九九五年)四七五 〜 四七七頁。 4 正 定 聚 は 必 ず さ と り を 開 い て 仏 に な る こ と が 正 し く 定 ま っ て い る こ と で あ り、 菩 薩 の 五 十 二 位 の 修 道 階 位 の 一 つ で あ る が、 親 鸞 は『 教 行 信 証』の中で、 信心の行者が現生で受ける利益の最後に、 「入正定聚の益」 を 入 れ て い る。 こ の た め 親 鸞 は 正 定 聚 が 現 生 の 益 と 考 え て い た こ と が 分かる。 ま た 阿 弥 陀 仏 の 真 実 報 土 と 方 便 化 土 や 報 身 と 法 身 に 対 す る 先 行 研 究 は、 以下が詳しい。 緒 方 義 英「 親 鸞 の 真 仏 土 観 」( 『 印 度 学 仏 教 学 研 究 』、 一 九 七 七 年 )、 九〇号、四二 〜 四四頁。 寺 川 俊 昭「 親 鸞 に お け る 往 生 の 思 想 」( 『 宗 教 研 究 』、 一 九 八 二 年 )、 二五〇頁、一七〇 〜 一七一頁。 加 茂 仰 順「 高 祖 の 即 得 往 生 の 意 義 」( 『 龍 谷 教 学 』、 一 九 八 二 年 )、 一 七 号、一〇六 〜 一一六頁。 櫻 部 建「 真 仏 土 と 化 身 土 」( 『 同 朋 仏 教 』、 一 九 八 六 年 )、 二 〇 ・ 二 一 号、 一二五 〜 一三二頁。 井 上 重 信「 真 仏 土 の 一 考 察 」( 『 真 宗 教 学 研 究 』、 二 〇 〇 七 年 )、 二 八 号、 一七二 〜 一七三頁。 中 村 玲 太「 法 然 門 流 に お け る 弥 陀 法 身   報 身 説 の 検 討   弥 陀 は 三 世 を 貫く如来か」 (『現代と親鸞』 、二〇一五年) 、三〇号、二 〜 二七頁 高 田 文 英「 『 教 行 信 証 』 報 化 二 土 の 引 文 と そ の 背 景 ─ 懈 慢 界 説 の 歴 史 的 帰 趨 ─( 『 龍 谷 大 学 ア ジ ア 仏 教 文 化 研 究 セ ン タ ー 二 〇 一 八 年 度 研 究 報 告 書』 、二〇一八年)一八七号、二一〇〜一九〇頁。 5 梯 実 圓「 初 期 真 宗 に お け る 善 知 識 論 の 一 形 態 」( 『 浄 土 教 学 の 諸 問 題 』 下巻、永田文昌堂、一九九八年)三 〜 四頁。 6 前掲「初期真宗における善知識論の一形態」 、三 〜 四頁。 7 『親鸞聖人真跡集成』 、第二巻、三九九頁。 8 ま た 親 鸞 の 浄 土 観 に つ い て は、 『 愚 禿 抄 』「 上 巻 」 に 詳 細 に 述 べ ら れ て いる。 「 土 に 就 て 四 種 有 り。 一   法 身 の 土、 二   報 身 の 土、 三   応 身 の 土、   四化身の土。 報 土 に 就 て 三 種 有 り。 一   弥 陀、   二   釈 迦、 三   十 方 な り。 」( 真 聖全二、 四五七頁。 )

(11)

9 『親鸞聖人真跡集成』 、第二巻、四六八 〜 四六九頁。 10 こ の よ う な 真 実 報 土 と 方 便 化 土 に 対 す る 対 比 を 親 鸞 は「 真 化 対 」 と 説 いている。 ま た こ の よ う な 方 便 化 土 に つ い て、 親 鸞 は『 愚 禿 抄 』「 上 巻 」 の 中 で 次 のように記している。 「 弥 陀 の 化 土 に 就 て 二 種 有 り。 一   疑 城 胎 宮、 二   懈 慢 辺 地。 」( 真 聖全二、 四五八頁。 ) こ こ で は 阿 弥 陀 仏 の 化 土 に つ い て 二 種 類 が あ る と し、 一 つ は 疑 城 と 胎 宮、 二 つ 目 は 懈 慢 と 辺 地 で あ る と し、 い ず れ も 阿 弥 陀 仏 の 化 土 の 浄 土 であることを主張している。 11 山 邊 習 學 赤 沼 智 善『 教 行 信 證 講 義   眞 佛 土 巻 化 身 土 巻 』( 法 藏 館、 一九四一年) 、五一一頁。 桜部建「報土と化土」 、一二 〜 二二頁。 12 真聖全二、 六七二 〜 六七三頁。 13 細川行信『真宗成立史の研究』 (法蔵館、一九七八年) 、八七 〜 九〇頁。 細 川 行 信   村 上 宗 博   足 立 幸 子『 親 鸞 書 簡 集   全 四 十 三 通 』( 法 藏 館、 二〇〇二年)一四六 〜 一四八頁。 14 真聖全二、 七八九頁。 15 歎 異 抄 』 の 第 十 一 章 で は、 念 仏 を 申 す こ と も 如 来 の は か ら い で あ る と 思 え ば、 自 分 の は か ら い が 交 わ ら な い た め に、 こ の よ う な 行 者 は 本 願 に 相 応 し て、 実 報 土 に 往 生 す る と し て、 阿 弥 陀 仏 の 浄 土 が 報 土 で あ る と 理 解 し て い る。 ま た 名 号 の 不 思 議 を 信 じ な い 行 者 は、 方 便 化 土 で あ る 辺 地、 懈 慢、 疑 城、 胎 宮 に も 往 生 す る と 記 し て い る こ と か ら、 親 鸞 の説く真実報土について理解していたと考えられる。 「 ま づ 弥 陀 の 大 悲 大 願 の 不 思 議 に た す け ら れ ま ゐ ら せ て 生 死 を 出 づ べ し と 信 じ て、 念 仏 の 申 さ る る も 如 来 の 御 は か ら ひ な り と お も へ ば、 す こ し も み づ か ら の は か ら ひ ま じ は ら ざ る が ゆ ゑ に、 本 願 に 相 応 し て 実 報 土 に 往 生 す る な り。 ( 中 略 ) こ の ひ と は 名 号 の 不 思 議 を も ま た 信 ぜ ざ る な り。 信 ぜ ざ れ ど も、 辺 地 懈 慢・ 疑 城 胎 宮 に も 往 生 し て、 果 遂 の 願 の ゆ ゑ に、 つ ひ に 報 土 に 生 ず る は、 名 号 不 思 議 の ち か ら な り。 こ れ す な は ち、 誓 願 不 思 議 の ゆ ゑ な れ ば、 た だ ひとつなるべし。 」(真聖全二、 七七八 〜 七八〇頁。 ) 16 了 海 が 記 し た と さ れ る『 他 力 信 心 聞 書 』 に つ い て は、 以 下 の 先 行 研 究 が詳しい。 前掲「初期真宗における善知識論の一形態」 、三 〜 二四頁。 梯 実 圓「 『 他 力 信 心 聞 書 』 の 一 考 察 」( 『 浄 土 教 学 の 諸 問 題 』 下 巻、 永 田 文昌堂、一九九八年)二五 〜 五二頁。 太田心海 「往生と成仏」 (『中西智海先生還暦記念論文集   親鸞の仏教』 、 一九九四年) 、四二九 〜 四五〇頁。 渋 谷 晃「 仏 光 寺 の 教 化 活 動 に つ い て ─『 還 相 回 向 聞 書 』 を 中 心 に ─ 」 (『仏光寺の歴史と教学』 、一九九六年) 、九九 〜 一二〇頁。 佐 々 木 乾 三「 『 還 相 回 向 聞 書 』 ─ 光 明 本 尊 の 源 流 ─ 」( 『 仏 光 寺 の 歴 史 と 教学』 、一九九六年) 、二三一 〜 二五四頁。 17 真宗資料集成、巻一、 九百六十頁。 18 真宗資料集成、巻一、 一〇〇五頁。 19 真宗資料集成、巻一、 一〇〇五頁。 20 佐 々 木 英 彰「 初 期 真 宗 の 開 展 と 仏 光 寺 教 団 ─ 真 宗 の 教 え を 広 め た 念 仏 者達─」 (『仏光寺の歴史と教学』 、一九九六年) 、五八頁。 21 渋 谷 晃「 仏 光 寺 の 教 化 活 動 に つ い て ─『 還 相 回 向 聞 書 』 を 中 心 に ─ 」 (『仏光寺の歴史と教学』 、一九九六年) 、一〇七頁。 22 了 海 の『 他 力 信 心 聞 書 』 や『 還 相 回 向 聞 書 』 は、 善 知 識 帰 命 説 が 説 か れ て お り、 覚 如 は『 戒 邪 鈔 』 に お い て こ れ ら を 批 判 し て い る。 こ の 点 に つ い て、 梯 実 圓 氏 は『 他 力 信 心 聞 書 』 や『 還 相 回 向 聞 書 』 の 二 冊 に ついて次のように述べている。 「 こ う し て『 改 邪 鈔 』 の 所 破 の 対 象 と な っ た こ れ ら の が、 真 仏、 源 海、 了 海、 誓 海、 明 光、 了 源 と い う い わ ゆ る 仏 光 寺 教 団 と そ の 源 流 に な っ た 門 徒 集 団 の 中 で 形 成 さ れ、 伝 持 さ れ た 思 想 信 仰 を ま と め た も の で あ るということは明らかである。 」

(12)

前掲「初期真宗における善知識論の一形態」 、六頁。 23 前掲「初期真宗における善知識論の一形態」三 〜 二四頁。 24 真宗全書六二巻、三八一頁。 真宗史料集成   巻五、 五四〇頁。 25 大谷大学本の奥書には、以下のように記している。 「釋種専修坊空閑   元禄第七竜集用戊春三月笔切成」 26 た と え ば『 異 義 集 』 を も と に し た 真 宗 資 料 集 成 に は、 正 ニ( 正 見 二 知 識 法 身 心 空 一 ) 対 面 ノ マ ヘ ニ ハ 使 者( 知 識 応 身 ノ 形 言 ) ノ コ ト バ ヲ モ チ ヒ ル ベ カ ラ ズ ト ノ タ マ ヘ リ。 コ レ ス ナ ハ チ 本 師( 知 識 ノ 心 本 来 空 ) ヲ マ モ レ ト 也。 」 と し て 文 字 の 右 側 に 文 を 付 け 足 し て い る が、 大 谷 大 学 本には、記されていない。 真宗史料集成   巻五、 五四五頁。 大谷大学蔵   宗大四一六四、下巻、九丁表。 27 た と え ば 大 谷 大 学 本 に は、 「 十 四 問 答 中 」 に「 ア ル イ ハ 観 念 ヲ モ テ 念 仏 ヲ タ ス ケ 」 の 文 が 記 さ れ て い る が、 『 異 義 集 』 を も と に し た 真 宗 資 料 集 成には記されていない。 大谷大学蔵   宗大四一六四、下巻、十七丁裏。 28 こ の 指 摘 は 了 海 に 対 す る 指 摘 で あ り、 後 の 仏 光 寺 教 学 と は、 異 な る こ とに注意すべきである。 藤 谷 信 道「 仏 光 寺 の 経 説 と そ の 誤 解 ─ 特 に 名 帳・ 絵 系 図 を 中 心 と し て ─」 (『仏光寺の歴史と教学』 、一九九六年) 、六五 〜 九八頁。 前掲「初期真宗における善知識論の一形態」 、三 〜 二四頁。 29 前掲「初期真宗における善知識論の一形態」 、二〇頁。 30 真宗史料集成   巻五、 五四〇頁。 31 別 稿 で 引 用 し た『 他 力 信 心 聞 書 』、 『 還 相 廻 向 聞 書 』 の 引 用 は 以 下 の 通 り。 了海『他力信心聞書』 「 問 テ イ ハ ク、 浄 土 ノ ナ カ ノ 浄 土 ト イ ハ ヾ、 浄 土 ニ 真 化 ノ 候 ニ ヤ。 シカラバ報土トハイカンガサフラフベキ。 師 答 云、 極 楽 ニ 真 化 ハ ア ル マ ジ ケ レ ド モ、 難 行 ノ モ ノ ノ ム マ ル ヽ ト コ ロ ノ ア ル ナ リ。 元 ヨ リ 本 願 他 力 ノ オ キ テ ノ ゴ ト ク ナ ラ バ、 マ タ ク コ ノ 義 ア ル ベ カ ラ ズ。 辺 地・ 懈 慢・ 疑 城・ 胎 宮 等 ハ ミ ナ コ レ 他 力 ノ 行 ニ ア ラ ザ ル モ ノ ノ 生 所 ナ リ。 コ レ ハ 仮 ナ ル ベ シ。 本 願 成 就 ノ 土 ハ、 究 竟 如 如( 空 )ト シ テ チ リ バ カ リ モ 垢 穢 ノ 名 ナ シ。 一 往 二 百 一 十 億 ノ 浄 土 ト イ フ ハ 総 ノ 浄 土 ナ リ。 コ ノ ナ カ ヨ リ 仮 ナ ル コ ト ヲ ヱ ラ ビ ス テ、 真 ナ ル モ ノ ヲ ヱ ラ ビ ト リ テ 荘 厳 シ タ マ ヘ ル 別 ノ 浄 土 也。 総 ノ 中 ニ ハ 真 化 ト モ ニ ア リ。 弥 陀 ノ 荘 厳 シ タ マ ヘ ル 浄 土 ニ ハ、 他 力 ノ 行 者 ヨ リ ホ カ ニ ハ ム マ レ ズ。 コ レ 弥 陀 ノ 至 心 信 楽 シ タ マ ヘ ル ユ ヘ ナ リ。 カ ル ガ ユ ヘ ニ、 総 ハ 仮、 別 ハ 真 ナ リ。 」( 真 宗 史料集成   巻五、 五四二頁。 ) 了海『還相廻向聞書』 「 重 ヲ カ サ ヌ ト イ フ ハ、 モ ト 法 蔵 比 丘 ノ、 ム カ シ ノ 本 願 ト、 今 日 ノ 直 説 ノ、 善 知 識 ト カ サ ナ リ テ、 オ ナ シ ク 衆 生 利 益 シ タ マ フ 本 迹、 コ ト ナ ル コ ト ナ ク シ テ、 同 一 ナ ル ユ ヘ ニ、 重 ヲ カ サ ヌ ト ハ イ フ ナ リ。 ( 中 略 ) 重 ハ サ キ ノ 文 ノ コ ト ク、 モ ト 法 蔵 比 丘 ノ ム カ シ ノ 本 願 ト、 今 日 ノ 直 説 ノ 弥 陀 ト、 カ レ コ レ 和 合 シ テ、 大 涅 槃 ヲ 証 ス。 カ レ コ レ 和 合 セ サ レ ハ、 果 証 ニ ア タ ワ ス。 法 蔵 願 力 ノ 所 成 ニ ヨ リ テ、 今日ノ直説ハ出生ス。 」(真宗史料集成   巻五、 三一二頁。 ) 32 こ の「 十 三 問 答 」 は 先 の「 十 四 問 答 」 の 前 に あ た る が、 了 海 の 真 実 報 土説に対する了海の認識を論究するため、最後に論じる。 33 真宗史料集成   巻五、 五四八頁。 34 法 然 は 自 身 の 宗 教 的 立 場 を 指 す も の と し て、 「 浄 土 宗 」 と い う 宗 名 を 用 い て い た こ と が 指 摘 さ れ て い る。 ま た 浄 土 の 中 の 浄 土 と は 親 鸞 の 真 実 報土を指しているものと考えられる。 伊 藤 唯 真『 浄 土 宗 の 成 立 と 展 開 』( 吉 川 弘 文 館、 一 九 八 一 年 ) 三 十 〜 四十二頁。 35 『教行信証』と親鸞の消息に見える「浄土真宗」の名称は以下の通り。 「 つ つ し ん で 浄 土 真 宗 を 案 ず る に、 二 種 の 回 向 あ り。 一 つ に は 往

(13)

相、 二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。 」 (『教行信証』 、真聖全二、 七一頁) 「 そ れ 浄 土 真 宗 の こ こ ろ は、 往 生 の 根 機 に 他 力 あ り、 自 力 あ り。 こ の こ と す で に 天 竺 の 論 家、 浄 土 の 祖 師 の 仰 せ ら れ た る こ と な り。 」 (『末灯鈔』 、真聖全二、 八七三頁) 36 こ こ で の「 浄 土 真 宗 」 と い う 呼 称 は、 親 鸞 か ら 続 く 自 分 た ち の 門 流 を 指 し て い る こ と が 分 か る。 他 の 法 然 門 下 で も 数 は 少 な い も の の、 一 部 用 い ら れ て い る。 た と え ば 信 瑞( ? 一 二 七 九 ) が 記 し た『 明 義 進 行 集 』 に は、 「 浄 土 真 宗 」 と す る 文 が 見 え、 後 の 聖 冏( 一 三 四 一 〜 一 四 二 〇 ) に も「 浄 土 真 宗 」 の 名 称 を 用 い て い る 点 が 見 ら れ る。 『 明 義 進 行 集 』 と 聖 冏 の『 浄 土 略 名 目 図 見 聞 』 に 見 ら れ る「 浄 土 真 宗 」 の 一 文は以下の通り。 「 是 則 彌 陀 本 願 極 致、 淨 土 眞 宗 ノ 精 要 ナ リ、 觀 願 當 求 往 生 者、 コ ノ 多 分 一 同 ノ 化 導 ヲ 信 シ テ、 カ ノ 少 分 異 義 ノ 勸 進 ニ シ タ カ フ コ ト ナ カレ」 (『明義進行集』 、法然全、一〇二五頁) 「 相 頓 者 事 相 行 願 直 施 頓 極 頓 證 之 益 故 云 相 頓 此 乃 是 正 淨 土 眞 宗 敎 門 也 問 既 云 事 相 爾 者 不 可 及 理 性 歟 如 何 」( 聖 冏『 浄 土 略 名 目 図 見 聞 』、 浄全十二、 七一二頁) ま た 初 期 真 宗 内 で も、 ま ず 正 応 元 年( 一 二 八 八 ) 年 以 前 に 記 さ れ た 唯 円 の『 歎 異 抄 』 に も「 浄 土 真 宗 」 の 一 文 が 見 ら れ る。 ま た 覚 如 が「 浄 土真宗」という呼称を用いるのは、 元徳三年(一三三一)に記した『口 伝 抄 』 が 最 初 で あ る の で、 「 浄 土 真 宗 」 と い う 呼 称 は、 比 較 的 速 い 時 期 に 門 弟 達 の 中 で、 自 身 の 門 流 を 指 す 時 に 用 い ら れ た も の で あ る と 考 え ら れ る。 こ の よ う な 初 期 真 宗 の「 浄 土 真 宗 」 と い う 呼 称 と 自 覚 に つ い て は、 今 後 さ ら に 検 討 を 行 い た い。 『 歎 異 抄 』 と『 口 伝 抄 』 の「 浄 土 真 宗」の一文は以下の通り。 「 浄 土 真 宗 に は、 今 生 に 本 願 を 信 じ て、 か の 土 に し て さ と り を ば ひ らくとならひ候ふぞ」 (唯円『歎異抄』 、真聖全二、 五一九頁) 「 お ほ よ そ 凡 夫 の 報 土 に 入 る こ と を ば、 諸 宗 ゆ る さ ざ る と こ ろ な り。 し か る に、 浄 土 真 宗 に お い て 善 導 家 の 御 こ こ ろ、 安 養 浄 土 を ば 報 仏 報 土 と 定 め、 入 る と こ ろ の 機 を ば さ か り に 凡 夫 と 談 ず。 」 (覚如『口伝抄』 、真聖全三、 二七七頁) 37 梯 実 圓 氏 も、 こ こ で の 了 海 の「 真 宗 」 や「 一 向 宗 」 な ど の 宗 名 の 主 張 について、次のように記している。 「 真 宗 を 一 向 宗 と 自 称 す る の み な ら ず、 他 よ り も 称 さ れ る こ と こ そ、 法 然 聖 人 以 来 の 正 統 派 で あ る 証 拠 だ と 強 調 し て い る。 の ち に 蓮 如 が、 一 向 宗 と い う 宗 名 の 使 用 に つ い て 教 誡 さ れ る『 御 文 章 』 一帖目一五通は、これを意識されていたと考えられる」 前掲「初期真宗における善知識論の一形態」 、三 〜 四頁。 38 当 時 の 門 弟 達 が「 浄 土 真 宗 」 な ど の 宗 名 を ど の よ う に 用 い て い た か に ついては、今後さらに検討する必要がある。 39 普 賢 晃 寿『 中 世 真 宗 教 学 の 展 開 』( 永 田 文 昌 堂、 一 九 九 四 年 )、 六一、 九三、 一七〇頁。 キーワード 初期真宗、麻布了海、 『他力信心聞書』 、真実報土、浄土真宗

(14)

図1 親鸞と了海の真実報土の理解 親鸞の真実報土の理解 真実報土 (阿弥陀仏の)報仏土 (真実報土) 方便化土 ※親鸞は阿弥陀仏の浄土を真実報土と方便化土に分け、これらはどちらも阿弥陀仏の浄土と説いた。 了海の真実報土の理解 真(別の淨土) 二百十億の淨土 (総の淨土) 化 弥陀の化土に就て二種有り。。『教行信証』(本文の注10) 然れは則ち大悲の誓願に酬報するが故に、真の報佛土と 曰ふなり。『教行信証』(本文の資料①) 是を以て復佛土に就て真有り 仮有り。『教行信証』(本文の 資料②) 弥陀ノ荘厳シタマヘル 淨土ニハ、他力ノ行者ノホカニムマレズ 『他力信心聞書』(本文の注31) 辺地、懈慢、疑城、胎宮、他力ノ行ニアラ ザルモノ。『他力信心聞書』(本文の注31) ※了海は『他力信心聞書』において真実報土を解説して、法蔵菩薩が二百十億の「総」の浄土から 「化」を捨てて「真」をとったと主張する。そして真に分類した浄土について了海は多くの説明を 加えている。たとえば、「報土」、「淨土ノナカノ淨土」、「真ガナカノ真」である。またこの真に分 類した浄土は、他力の行者以外は生まれないと説く。一方、化の浄土は他力の行を行わないものが 往生すると説く。

参照

関連したドキュメント

 撮影対象が幅約 0.4 ㎜[魚水 2018 ]と細い撚糸によ る文様であるため、拡大して撮影する必要がある。そ こで撮影にはマクロレンズ LAOWA

 屋敷内施設…主軸が真北に対して 17 度西偏する中 世的要素が強い礎石建物(Figure.11)と複数の石組方

Figure  第Ⅰ調査区 SK9 土坑出土遺物  第Ⅰ調査区 SX3075 土坑は、 覆土に黒色の炭化物を大 量に含んだ不整形な土坑で、

腐植含量と土壌図や地形図を組み合わせた大縮尺土壌 図の作成 8) も試みられている。また,作土の情報に限 らず,ランドサット TM

Geisler, Zur Vereinbarkeit objektiver Bedingungen der Strafbarkeit mit dem Schuldprinzip : zugleich ein Beitrag zum Freiheitsbegriff des modernen Schuldstrafrechts, ((((,

(5) 本プロジェクト実施中に撮影した写真や映像を JPSA、JSC 及び「5.協力」に示す協力団体によ る報道発表や JPSA 又は

土肥一雄は明治39年4月1日に生まれ 3) 、関西

ポイ イン ント ト⑩ ⑩ 基 基準 準不 不適 適合 合土 土壌 壌の の維 維持 持管 管理