欲望のエネルギー論
( その 4 ) 石 里 小 立 日 8.貨 幣 と商 品 本節では,主 として 「貨幣 と商品」とい う問題 を,そ してそれに付随 して「貨 幣 と権 力」 とい う問題 について述べ る。ただ し,こ の古い問題 に対 しここで新 しいこ とを論 じようとい うよ りは, これ まで述べ た論 旨の 「確認」 とい うべ き ものであ る。 なお,貨 幣 その ものに関す る検討はひ とまず本節で終 え,次 節以 降は貨幣が社会 をいかに編制 してい くか,しヽかにつ くりかえてい くか, とい う 論点に重心 を移 してい く。 その意味で,本 節は貨幣 に関す る暫定的なまとめの 節 である。 I 貨 幣の 1財 理論 貨幣の説明論理 われわれは貨幣 を“欲望 の集団的 メカニズム" か ら説明す る, とい う方針 を とって きた。 この方針の利点は何 なのか, とい う点 をまず再確認 しておこう。 伝統的には,そ して一般 には,社 会一経済システムを 「諸財の一般均衡」 と 捉 える解釈がなされ ることが多い。 これ を社会 一経済 システムの くローザンヌ 解釈〉 と仮称 してお こ う。 この解釈 に よると, ともか くまず所定の財 ( 2 財 ∼ n 財 )の 存在が前提 され,こ れ ら諸財の間で諸主体 の効用の極大化 に向けて交 換がなされ,こ の相互交換の うちに財の 「交換比率」である く価格〉が く均衡〉 として成立す る (これは貨幣のない状態で定義 しうる)。しか るのちにこれ ら を通約す る一元的 な尺度 として貨幣が出現す る, とい う順序 で経済が理解 され102 彦 根論叢 第 310号 る。つ ま り諸財 の商 品交換 が貨幣 よ りも先行 す る とされ,貨 幣 は財 の商 品交換 の 中か ら現 れ て くる副次 的 なパ ラメー タ (な くて も支 障 の ない もの), とい う 解 釈 に な る。 この解釈順序 は,個 人主義の方法論か らすれば 自然な成 り行 きと言えよう。 個 人主義 では “個 人個 人の商品交換が経済の原初 の姿 としてまず措定 され るべ きであ り,そ れが社会現象へ と波及拡大 してい く"と 考 えざるをえないか らで あ る。 また,個 人主義 では貨幣 を最初か ら定義 できないか ら,そ れは社会 一経 済の システムが作動 してい く中で事後的に派生す るもの と考 えざるをえないか らである。 社会学の分野で一般均衡理論 を範 とす る社会理論 を構想 したパー ソンズに と って も,基 本発想は 〈ローザ ンヌ解釈〉 と共通 していた。つ まり 「諸財の一般 均衡」に代 わる 「諸行為 の一般均衡」の理論構築が彼の最終 目標だったか らで あ る。 n財 理論の欠陥 だが,財 の商品交換 を先行措定す る,こ の個 人主義的 〈ローザ ンヌ解釈〉に は,方 法論的に見て,以 下のような根本的な欠陥がある。 (a)〈ローザ ンヌ解釈〉では,社 会 一経済の中で 「財 の組合せ」それ 自体が変 動 。発 展 してゆ く様 を描 くこ とがで きない。 2財 であれ n財 であれ,財 をま ず確定 しなければ議論が始 まらず,ま ず ともか く財 を確定 した上 で, しか るの ちにその酉己分 ・移転 を論ず る, とい うのが この解釈の基本だか らである。つ ま り 〈ローザ ンヌ解釈〉の もとでは,経 済 システムは最初か ら諸財の面で 「分化 し切 った」系にな らざるをえないのである。“n財"な どとい うと最高の一般 論 の ように見 えるが,そ れはいってみれば 「特定 多数」なのであって 「不特定 多数」ではない。 これでは社会主義計画 と同様 に 「あらか じめ決め られた財 を, あらか じめ決め られた部 門 ・あらか じめ決め られた人々へ,い かに配分均衡 さ せ るか」 を論 じるのみに とどまる。 したがって社会主義計画 と同様に,社 会 一
欲望のエネルギー論 103 経 済 の 変 動 ・発 展 は 表 現 で きな い。 だ が , 現 実 の社 会 一経 済 シス テ ム で は, 当 然 の こ となが ら, こ の 「財 の組 合 せ 」 それ 自体 が不 断 に 開発 され進 化 , 変 動 して い く。 これ こそが社 会 一経 済 シ ステムの発展 なのである。 これ を表現す るためには,理 論 は,「財の組合せ」 を与件 ではな く帰結 として扱わねばならない。だが くローザ ンヌ解釈〉は,原 理 的にその ような形式 をとりえない。 したが って どう改善 してみた ところで社 会 ―経済の変動 を扱 うことがで きない。 ちなみにこの欠陥は,パ ー ソンズ派の社会理論 を批判す る論者が集中攻撃 し た,パ ー ソンズ理論の欠陥 と共通の ものである。すなわちパー ソンズ理論は調 和均衡の理論 であ り,社 会変動 を扱えない とい う欠陥である。 (b)上述の論点 と表裏一体 ともいえるが,〈ローザ ンヌ解釈〉では,エ ネルギ ー論的にみて閉鎖系の平衡 (均衡)理 論になって しまう。 というのは,財 の配 分根拠である 「効用」が,あ らか じめ措定 された満足 をもたらす, とい う意味 で基本的に く欲求〉の レベ ルの考察 であ り,こ の限 りで閉鎖系の平衡理論に と どまるか らである。むろん,現 実の社会 一経済では, ヒ トの行為 は 〈欲望〉に よって引 き起 こされ るのであ り,欠 乏の充足だけでな く新 しい行為 を付加 して い く。 この快楽 を 「効用」 と呼ぶ ことはで きる。だが理論の上 では,「効用」 の概念は,既 定の満足 をもたらす, とい う意味で く欲求〉 レベ ルの考察に とど まってお り,新 しい行為 。新 しい財 を開拓す る付加動機 として想定 されてはい ない。 これ また,社 会学でい う く欲求〉の行為理論 と共通の欠陥である。社会 一経 済 システム を く欲求〉の もとで均衡 =平 衡へ向か う系 と措定 していたのでは, いつ までたって も系が進化 しうる新 しい秩序 を く付力日〉す ることはないのであ る。 n 財 理論 か ら 1財 理論 ヘ 以上 の よ うに くローザ ンヌ解釈 〉 の欠陥 を認識 した上 で, 社 会 の編制 。進化
104 彦 根論叢 第 310号 ・変動 を論 じうる理論 を構想するにはどうしたらよいか。 この要請に対 し,本 稿 は,「 2財 均衡 か ら始 まって n財 均衡へ」一般化 す るこ とを考 える 「n財 モ デル」の ローザ ンヌ発想 を捨て,む しろ逆に 「社会全体 が希求す る一般的な 1 財」 を見いだ し,こ れ を中心に据 えるダイナ ミックな非平衡の 「1財 理論」 を 立て るべ し, と提案 したい。分化 した 「n財 」ではな く,未 分化 な 「1財 」に 着 目す るわけである。 私見によれば,社 会 ―経済 システムにおいて,貨 幣 こそ,そ の 「1財 」であ る。 あるいは,社 会学の言葉 でなら,分 化 した く欲求〉でな く,未 分化 な く欲望〉 に着 目す るのだ, と言 って もよい。〈欲求〉は既存の欠乏 を く充足〉す るだけ であ るが,〈欲望〉は まった く新 しい行為 を社会へ 〈付加〉 してい く。 これは 社会が平衡か ら大 きく離れ変動 してい く力 を得 る, とい うことにほかならない。 つ ま り貨幣 を通 じて,非 平衡の欲望の力が社会へ系統的に備給 される, と考 え るのであ る。〈非平衡〉 とは,系 を動かすエネルギーがあ り余 り,あ ふれ出て, 様々 な場所へ押 し出されてい くとい うことであ り,押 し出されていった先々で システム を否応 な く作動 させ て しまうとい うことだ。社会 一経済システムにお いて, この役害Jを担 っているのが貨幣 なのだ とい うことである。 1財 理論の利点 繰 り返 しになるが,〈 ローザ ンヌ解釈〉の立場 では,諸 財の物々交換が前提 とされ,貨 幣は財の交換の便宜のために生 じた副次的パ ラメー タに過 ぎない。 これに対 し,本 稿 の立場 では,貨 幣は物々交換の便宜的パ ラメー タどころか, 貨幣 こそが,最 初か ら経済の原型 として存在 し,社 会 ―経済 システムはこれを め ぐって展開す る, と考 えるのである。 そ して諸財 ・諸商品はあらか じめ措定 さるべ きものではな く,未 分化 な欲望 の対象である貨幣が,そ れをめ ぐってな され る社会の一般運動の結果,時 代時代 の要請に応 じて分化 した副産物にす ぎ ない。 こう考 えれば,財 の如何 などどうで もよ くなるため,理 論は人類史を貫 く表現力 をもつ。 これが 1財 理論の大 きな利点である。
欲 望 の エ ネ ル ギー論 1 0 5 このような発想は別にオ リジナルなものでも新 しいものでもない。たとえば 吉沢英成は次のように言っている。 貨幣は経済の手段なのでなく, む しろ, 経 済の方が貨幣を前提にして, 貨 幣の もとでなされる物質代謝の営みなのである。…経済にまとまりをもたせ る方が 効率的だから,あ るいは有利だからということで,貨 幣が発明されたのではな い。むしろ貨幣を中心にまとまりがあ り,そ のもとで経済関係が営 まれている。 貨幣は経済社会の原型なのである。 (吉沢英成 『貨幣 と象徴』筑摩書房,p.12.) 貨幣 は,見 て きたように,未 分化 な一一つ ま りどんな財 ・どんなサー ビス行 為に姿 を変 えるか その都度違 う一― エネルギー媒体 である。 したがって社会の 変化 を長期 にわたって通時的に観察 してい くような場合, もっとも有効 な基準 となる。 そ して貨幣 とい う共通の ものが,時 代 ごとに どんな財 。行為 に化け る か。 また,そ れがどう変移 してい くか。これが問題なのである。筆者は,第 1 節において,本 論考が 「人類史を通底する視座 を希求する意図」をもつ, と表 1 ) 明 した。欲望,そ して貨幣への着 目は,こ の意図 を実現す るための ものである。 貨幣は商品交換の所産ではない さて,上 記の ように社会理論 を構築す るためには,貨 幣 を,商 品交換か ら派 生す る二次的な産物 と捉 えるのではな く,逆 に貨幣 こそ初成の ものなのだ と定 義で きなければな らない。 だか らこそ,わ れわれは貨幣 を個人主義的な財の交 換か ら説 きお こすの をやめ,欲 望の集団 メカニズムに着 日したわけである。 I I 商 品の定義 商 品の定義
すでに見てきたように, 集 団によって願望され, 集 団の成員にのみ見える虚
1)本 稿,『彦根論叢』第306号 (1997年 2月 ),p.126.106 彦 根論叢 第 310号 像,そ れが貨幣 であった。そ して貨幣は,欲 望のエネルギーが不断につ ぎこま れた,欲 望のエネルギー媒体 である。 したがって,か か る貨幣は,上 述 したよ うに断 じて商品か らの副次的派生物 ではない。 貨幣 を上記の ように捉 えれば,〈商品〉に有効 な定義 を与 えるのは簡単 であ る。 す なわち,繰 り返 しになるが,貨 幣は商品 (の一種)で はない。あるいは, 同 じこ とだが,商 品が先にあって商品交換か ら貨幣が生 まれるのではない。む しろ逆に,貨 幣の方が先にあ り,貨 幣が介入す ることによって財の交換が商品 交換 になるのである。貨幣のない ところに商品が存在 したことはないのだ。つ ま リマル クスが考 えたような 「商品→貨幣」の順序ではな く,「貨幣→商品」。 この発想の逆転が重要 である。 このような定義が可能になるのは,貨 幣 を商品 とは独立に定義 で きたか らである。 貨幣による商品定義の有効性 上記の,〈商品〉の定義 の有効性 は,「貨幣による貨幣の商品化」,あ るいは 「労働力の商品化」 とい うケースを考 えると分か り易 い。 la)貨幣 による貨幣の商品化。集団によって願望 され,集 団の成員にのみ見える 虚像,そ れが貨幣 であった。 したがって貨幣は本来決 して商品ではない。が し か し,容 易 に商品化 され る危険性 を字んでいる。貨幣は, 自分 自身に作用する こ とによって,貨 幣 自身をも商品に して しまうのである。た とえば次のような 場合 が考 えられ る。
①現在の貨幣が,将 来の貨幣によって商品化される場合 (利子)
欲 望 の エ ネ ル ギー 論 1 0 7
②他国の貨幣が,自 国の貨幣によって商品化される場合&v.v.(外為)
①貴金属鋳貨の時代において,良 貨が悪資によって商品化される場合 (地
金 商 品 ) ④好事家 による収集対象 と して,特 定の (年号の)貨 幣が一般の貨幣によ って商品化 され る場合 (好事家のみが知 る稀少性商品) これ らは,い ずれ も貨幣が商品 として扱われ る事例 を示 しているが,す べて共 通 して “貨幣 χが貨幣 ノによって商 品化 され る"(貨幣 χ十貨幣 ノ)と い う形 式になってい る。 この とき,貨 幣 ノの方が実質的な貨幣の地位 にあ り,貨 幣 χ はす でにその実効 的 な “貨幣性"を 失 ってい るの であ る。 その意味 で貨幣 χ は一般 の商 品 と変 わ る ところが ない。 したが って,実 質的 な貨幣 ノは 「商 品 でない」 とい う上記の結論 は揺 るがない。以下,個 別に コメン トしておこう。 ①貨幣が貨幣 に よって商品化 され る現象は, しば しば資本主義の メル クマール とされてい るが,貨 幣の商品化 それ 自体 は 「高利貸」 とい う形で古代か ら存在 している。つ ま り貨幣 とともに古 い,普 遍的な現象である。資本主義の資本主 義 たる所以は,利 子が高利貸の単 なる 「言い値」でな く資本の 自己増殖 メカニ ズムによって決定 され ることにあるのである。 ②他 国の貨幣が 自国の成員 に も必要 となる場合がある (たとえば他 国に旅行す る場合)が ,こ の ような とき,他 国貨幣は 自国民に とっては商品 となる。 ここ には, 自国貨幣 で測 った価格 (交換 レー ト)が 成立 し,他 国貨幣は単 なる商品 となる。 この ような現象 も古代か らある,人 類史に普通的な現象である。プラ トンは, この ように く貨幣〉が単 なる く商品〉 となることを不能的に恐れ,ギ リシア諸 邦におけ る市民が他 国通貨 を保有す ることを嫌悪 していた (プラ トン 『法律』 (上),岩 波文庫 p.311)。︱ ︱ 1 0 8 彦 根論叢 第 3 1 0 号 ③ 貴金属鋳貨において,額 面価 とそれ 自体 の価値 (いずれ も集合幻想である) との差額 は,つ ねに貨幣の位置づけ を不安定 な ものに した。 その例 のひ とつ と して,有 名 な 「グレシャムの法則」がある。 これは俗 に 「悪貨は良貨 を駆逐す る」 と定式化 され るが,こ のことは一一一 グレシャムがイギ リスの財務長官 を 勤めていた16世紀の貴金属鋳貨の時代 にあっては一―百,悪貨が額面通 りの〈貨 幣〉 として流通す るなら,良 貨は容易に額面以上の価値 をもつ貴金属 〈商品〉 に転化 して しまうことを示 しているのである。つ ま り額面価格 で入手 された良 貨は,市 場 で地金 として売却す る目的で退蔵 され る。貨幣は流通の過程 で 自然 に磨耗 しあるいは人為的に削 られ ることを回避で きない。 この ような悪貨が回 収 で きず流通す るなら,良 貨 を供給 して も商品 となって退蔵 され るばか りであ る。 したがって貨幣 当局 も現状追認の形で悪貨 を発行す るしかない。か くて貨 幣は傾 向的に悪鋳 されてゆ くとい うのが グレシャムの法則である。 これは,貴 金属貨幣が地金商品 との微妙 なバ ランスの上に成立 していることを示 している。 ④ この卑近 なケー スにつ いては, もはや論 じるまで もないだろう。 以上,「貨幣 による貨幣 の商品化」 とい う現象 を見て きたわけだが,こ の よう な現象は,貨 幣が介入す ることによっては じめて商品が生ず るとい う観点で初 めて理解 で きるものである。貨幣が もともと商品であるなら,貨 幣の商品化 と い う事態はナ ンセンスである。 (0貨幣による労働 力の商品化。人間の労働 は, もともと商品であるのではない。 そこへ貨幣が介入す ることによって,貨 幣によって買われ ることによって,商 品になるのである。 これは 自明のことである。人間の労働 は,貨 幣が,そ して 貨幣 によってつ くられ る商品が出現す るはるか以前か ら存在 していたのであ り, この事実が 自明のことだか らである。 か くも自明であるに もかかわ らず,マ ル クスが労働力 を初生の く商品〉 と措 定せ ざるをえなか ったのは,労 働価値説の立場,お よび財の物々交換 を先行措
欲望のエネルギー論 1 0 9 定す る個 人主義の観″点に立 っていたか らである。価値の源泉 である労働 は,そ の ままでは貨幣 であ りえない。だか ら,労 働が まず交換 を指向 した労働力 “商 品"と な り,そ れ を取 り込んだ個別具体的な く商品 W〉 に転化 し,次 いで く貨 幣 G〉 になる, と論ぜ ざるをえないのである。 いかに も苦 しい論法だが,こ れ は個 人主義 とい う方法論的立場か ら くる自縄 自縛 なのである。 交換手段 と支払手段 さて,上 記の く商品〉の定義か ら,商 品は必ず貨幣 と対にな り,貨 幣によっ て開発 されて,貨 幣 と反対の方向に流れ る, といえる。 これは貨幣の く交換手 段〉 としての側面 を表 していて, この作用は貨幣の もっとも重要 な機能 (の一 つ)を 表現 している。 貨幣は商品ではない し,そ の起源 も商品 とは必ず しも関係 ない。だがそ うは いって も,社 会の中で貨幣が貨幣 として進化 を遂げるために,こ のように商品 と対になったことが大 きく寄与 していたことは疑いない。 このことは評イ面して お く必要がある。 ところで,貨 幣の く交換手段〉の側面が重要 であ るこ とは もちろんなのであ るが,注 意 しなければならないのは,上 記命題の “逆"は 成 り立たない, とい うこ とであ る。つ ま り貨幣 は必ず しも商 品 と対 にな る とは限 らない。〈支払手 段〉 として用 い られ る場合 の貨幣がそれであ る。 た とえば今 日,税 の支払いは 通常貨幣 によってなされ るが,こ れは交換の対 となる商品を何 ら伴 ってはいな い。貨幣の機能におけ る,こ の側面には注意 を払 う必要がある。そ してマ ック ス ・ウェーバーは,〈交換手段〉 としての貨幣 よ りも 〈支払手段〉 としての貨 2 ) 幣の方が歴史的に古いと言っている。このことは, 貨 幣が商品交換から生まれ てきたものでないという立場 を端的に支持する見解である。 IH 貨 幣の 帰結 2)ウ ェーバー 『一般社会経済史要論』 (岩波書店)下 巻 p.70
1 1 0 彦 根論叢 第 310号 貨 幣が 商品 を開発 す る 上 述 した く商 品〉 の定義 か らも明 らか に, 貨 幣 こそが商 品 を開拓 ・開発 して い く。貨幣 こそが,社 会へ割 り込 んで人間関係 を商 品化 す る,欲 望 のプ ッシュ カ なの だ。 そ して貨幣 が貨幣 た りうるため に, 社 会 は貨幣 にあ る程度以上広 い く選 択権 〉 を与 えなければ な らない。 これは,社 会 が あ る程度以上 の商 品化 を 許 さなけれ ば な らない とい うこ とを意味 してい る。財 を もつ者が貨幣 を払 って もそれ を手放 さない, あ るいは伝 のみ に もとづ いた交換 を していてはな らない とい うこ とであ る。 逆 にいえば,貨 幣がいまだや って来ない,貨 幣の到達 しない ところでは,つ まり貨幣の介入 しない人間関係 では,社 会 は商品関係 を営むことな く存在 しう る。 た とえば前 ・近代 の 日本の農漁村 を考 えてみ よう。ある農漁民が収穫 を得 た とき (たとえば魚),そ れ を 「ええ もん とれたで」 と知人の ところへ持 って いった として も,そ れが まった く商品交換でないことは明白であろ う。仮に, その代償 として彼が別の財 (たとえば野菜)を 受け取 った として も (外見上 「交 換」に見 えて も),そ れは商品交換 ではないのである。 よしんばこの関係が形 式化 して,必 ず代償 の物 品 と引換 えにでなければ財 を渡 さない と観念 された と して も,商 品交換ではない。 なぜ なら,当 該の人間関係が特定の相手のみを, つ ま り伝 のある知人のみ を,念 頭に置いて営 まれているか らである。 これは, い うまで もな く人類学が 〈互酬〉 と呼んでいる関係に相 当す るものである。 ところが, まった く同 じ財 (たとえば魚)で あって も, この関係 に貨幣が介 入 し,財 の代償 として く貨幣〉 を授受す る関係 となると,こ れは商品関係 に転 化す る。 まった く同 じ財 で も,貨 幣が介入す ることによって商品 となるのだ。 なぜ な ら,貨 幣 とい う特別 の媒体 は社会全体 によって希求 されているために, 当該 の人間関係 を 「伝」の紐帯か ら解放 し社会の中のご く普通の関係 (のひ と つ)へ と陳腐化 して しまうか らである。 これは,特 定の相手のみ を念頭におい た関係 ではない。 こうして特別 な,か けがえのない人間関係があ りきた りの人 間関係, “どうで もよい"関係へ と平準化 され る。 これが貨幣による く商品化〉 の作用 なのである。
欲 望 の エ ネ ル ギー論 1 1 1 のみならず,総 じて, もともと商品でない形で存在 していた もの,あ るいは 特別 な人間関係が,貨 幣によって介入 。開拓 された とき,社 会一般に開かれた 商品になる。労働力に して もその例外 ではない。 もっ とも, もちろん,あ らゆる人間関係が何 もか も貨幣の介入 を許 し商品関 係 となるわけではない。貨幣による商品化作用 に抵抗す る人間関係が当然 なが ら存在す る。 この関係 については,以 下で再述す る。 商品の性質 貨幣には,そ れ 自体 には使用価値がない。 したがって貨幣は,そ れ を他人 も また欲す るとい うこと以外には意味のない ものである。かか る貨幣 と交換す る こ と,つ ま り商品関係 は,他 人が欲す るモノをお前に も渡 し,そ れで済 ます, とい う意思表示 なのであ り,こ れは当該の人間関係が社会一般のそれ と同 じあ りきた りの ものであることを示す ことになるのだ。 自分 とお前 との関係は 自分 と他 人一般 との関係 と同 じである。一一一か くして,貨 幣による決済,つ まり 商品決済は次の派生命題 を帰結す る。 「 ― 一 ― ― 一 ― 一 一 ― ― ― ― ― 一 一 ― 一 ― ― 一 ―― ― ―― ― ― ―一 一 一 一 ― ―― 一 ― い ― い 一 ― ―― ― ― ―一 ― ― ― ― ― 一 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 一― 一 一 ― 一 ― ― ― ― ― ― ― ― ― 一 ― ― ― ― ― ― 一 ― 一 ― ― ― ― ― ― 一
│ 〔 ヨロラリー : 商品〕
1 純 粋 な商 品 は,貨 幣 と引換 えにで あれば,誰 に対 して も渡 され る。 と _ _ _ _ _― ― ヽ 一 ― ― ― ― 一 一 ― 一 一 ― ― ― 一 一 一 ― ― 一 ― 一 一 ― 一 一 ― ― 一 ― ―_ _ _ _ ― 一 ― ―― 一 一 一 ― い 一 ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ―― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 一 ― 一 一 ― " ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― ― 一 ― │― あ るいは, こ の命題 は, 次 の対偶 命題 の形 の方が分 か りや す いか もしれ ない。 もちろん,こ れは純粋な商品関係の理念型であり,現 実の商品関係には様々 なレベルが存在 しうる。逆にいえば,引 渡 しの相手が知人に予め限定されてい るような財は,仮 にそれが商品という形をとっていても (貨幣によって決済さ風 ド ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 112 彦 根論叢 第 310号
れても),「商品度が低い」(互酬性が高い)と いいうることになる。
貨幣によって媒介 されない交換 い うまで もないが,世 の中には貨幣によって手に入れ ることのできないモノ (商品度の低 いモ ノ,商 品な らざるモ ノ)が 多々あることを忘れてはなるまい。 貨幣 で手に入 らぬモ ノ, とは,上 記の定義か ら明 らかに,商 品ならざるモノ, 貨幣 による商品化作用に抵抗す るモノのことである。そ して社会学は多 くその ような問題 を扱 っている。だが,貨 幣 を媒介 とす る交換関係 をも含め,交 換関 係一般 を理解 して初めて貨幣の媒介 しない “社会的"交 換関係 をも理解 しうる。 その意味で,貨 幣の媒介す る交換関係 をも,筆 者は社会学的交換の一種 として 同列 に扱 うべ きだ と考 える。 夕Jを挙げれば 「権力」 とい う現象は,貨 幣で入手で きないモノあるいは状況 を,別 の方法 を用いて無理矢理入手 しようとす る 〈欲望〉の顕れであると理解 しえよう。 こう考 えれば,す べ ての交換が,レヽやすべ ての行為が く欲望〉の発 現形態にほかならないのである。違 いは,欲 望が貨幣の形態 をとるか,権 力の 形態 をとるか, とい う副次的な欲望のルー トの違いにす ぎない。我々は,す で に 〈行為〉の概念 を 「欲望 の発 出現象」 ととらえることを提案 している。 した が って,こ れ らすべ てが行為の社会学理論の対象 となるべ きなのである。 しか し,に もかかわ らず本稿 においてはさしあた り貨幣の働 きを重視す る。 その理 由は,そ れが社会 を編制す る最 も重要 な一般 メディア (のひ とつ)の 地 位 を占めているか らであ り, しか もそれが “可視的"で あって分析が行 いやす いか らである。 I V 貨 幣の根拠 一一-2大 学説 貨 幣の根拠 に関 す る 2 大 学説 貨幣 の貨幣 た る根 拠 につ いては, 古 来 おおむね 〈商 品説〉 と 〈権 力説〉 とが 働 対立 して きた とされている。商 品説は 《貨幣 は商品であ り, したがって貨幣の 根拠は契約 の合意 にある》 と説 き, 権 力説は 《貨幣は権力による強制である》欲望のエネルギー論 113 と説 く。商品説は万民の契約に貨幣の効力を見る民主主義であり,権 力説はひ とつの中心に効力を帰する一神論 と見ることができよう。だがその論戦は滑稽 です らあ り,商 品説が証人 としてア リス トテレスを出廷 させれば,権 力説は対 抗 してプラ トンを担 ぎ出す, という具合である。この対立は伝統的なものであ り,今 日まで解決 していない。 実際には, しか し,そ のような対立は存在 しない。両者 ともに人間集合のレ ベルではクレーズのメカニズムに解消 してしまうからである。 4 )
( a ) ま
ず, 権 力という社会秩序にしてからが, そ もそも第4 節で見たような,
人間集団の集合行動の産物 であ り,そ れ を成立せ しめている共通の集合願望が 貨幣 をも析 出させ るにす ぎないのである。換言す ると,こ うだ。貨幣は権力か ら派生す る二次的産物 ではない。集合願望 とい う集団に固有の効果が,権 力 と 貨幣 とを同時に成立 させ るのである。 ( 誤) ( 正) ( b ) また,個 別主体的な商品取引の契約の合意が,そ のままバ ラバ ラの状態で 貨幣 を生み出すはずのないことはこれ また明 らかである。仮 に商品説が唱える ように,個 別の主体的契約が貨幣の起源のひ とつにあった として も一一一何度 も言 ってい るように,貨 幣の起源 などは どうで もいいことである一―一,そ れ が集団現象に転化す るとい う過程がなければ,本 質的に集団の現象である貨幣 3)岩 井 克人 『貨幣論』筑摩書房,pp.71-104。 4)拙 稿 「欲望 のエネル ギー論」 『彦根論叢』 第307号。114 彦 根論叢 第 310号 が生 じるこ とは ないのだ。 そ して, 述 べ た よ うに, こ の過程 こそが貨幣 の メカ ニ ズム なの であ る。
④ → →
③
④
←①
個
④→③
Q
( 誤) 以上のように, 権 力説 も商品説 も, い ずれもクレーズの社会的メカニズムを経 て貨幣に転化するのである。 V 若 干の考察史 貨幣は,上 に見てきたように,本 来 く商品〉 とはまった く関係ない。 しか し 貨幣 を商品の一種だ とする偏見 ・誤解はとりわけ根深いものである。貨幣 と商 品との関係は,古 来様々な論者によって様々に論 じられているが,こ こでい く つかの注目すべ き見解 を取 り上げておこう。そして,貨 幣の一般的属性につい て,知 識を確認 してお くことにしよう。 ①カール ・ポラニー 貨幣は,本 来商品とはまった く関係ない。カール ・ポラニーはこのことを鋭 く指摘 したひとりであった。貨幣を商品交換 とは無関係に考察 しようとした思 想家 として, まっさきに彼の名 を挙げねばならない。すなわち,ア ダム ・ス ミ スに見 られるように,交 換か ら貨幣が生 まれるという通俗的な理解は,市 場を 人類に普遍的な機構 と錯覚 した近代的バイアスに侵 されているというのである。 貨幣は市場における交換 よりも先立って存在 し,そ れ とは別の起源を持ってい るのである。ポラニーはこのような貨幣の起源 として,〈呪術的な力〉を重視欲望のエネルギー論 115 して い る。筆者 の考 えでは, こ れ また集 団 レベ ルの クレー ズなのであ るが。 ポラニー 自身が挙 げている例 ではないが,た とえば古代の中国で広 く貨幣 と して用 い られた とい う 「子安 貝」 を考 えてみ よう。 この 「子安 貝」は,古 代人 に とって,そ の形状か ら女性性器の象徴 として豊饒の護符に用い られたらしい (あるいは JドJ.グーが貨幣 の男根 説 を唱 えて い るの も同類 の趣 旨 と解 しう る)。そ して これ らが交易 に用 い られた とすれば,一 片の貝殻 に く価値〉が あ った とい うよ りも,そ の集団が共に認め る呪術的な力,つ まり集団による集合 幻想の力が流用 された とい うべ きであろ う。 ここで も,基 層部には クレー ズ と い う集合行動が横 たわっている。 いや,そ もそも,経 済学が一般に 〈価値〉 と呼びその存在 を疑わない もの, それす らがいまや 〈欲望〉の集合幻想 なのだ とい うべ きである。 ② マル クス派価値 形態論 ポラニー と比べれば,市 場機構 を相対化 したはずのマル クス派の価値形態論 で も,貨 幣の成立す るメカニズムに関す る限 り,ブ ルジョア貨幣論 と同 じ誤 り を犯 している。労働 に由来す る価値の商 品形態 (W)が 貨幣形態 (G)に 転化 す るとい うのだが,そ のような事実は実証 されていない。 いや原理的にいって おそ ら く永遠 に実証 で きない。K.ポ パーの意味で形而上学的に構成 されてい るか らである。つ ま り労43Jが価値 の源泉 であるとい う認識が形而上学になって いるか らである。 また,百 歩譲 って仮にそ うい う事実があった として も,そ れ は良 くてせ いぜ い貨幣の十分条件 にす ぎない。貨幣には別の起源の可能性 もあ り,そ れ を検証す ることは労働 の価値形態論 では論理的に不可能だか らである。 マル クスは,丁 寧に も次の ように述べている。 諸商品は貨幣によって通約 しうべ きもの となるのではない。逆だ。すべての商 品は,価 値 として対象化 された人間労働であ り, したがって,そ れ自体 として 通約 しうるものであるから,そ の価値 を同一の特殊な商品 〔貨幣〕で,共 通に 測 り,こ のことによってこの商品を,そ の共通の価値尺度,ま たは貨幣に転化
陣 ト ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー 116 彦 根論叢 第 310号 しうるのである。価値尺度 としての貨幣は,商 品の内在的な価値尺度 である労 働時間の必然的な現象形態である。 (『資本論』,向 坂逸郎訳 ・岩波文庫第 1巻 ,p.168) ここで述べ られ てい るのは,金 本位 制 な らぬ “労働 本位 制"で あ るが,こ れは 労働 に対 す る過大評価 と過信 が もた らした もの で,こ れが実証 も反証 も不可能 な形而上学 にす ぎぬ こ とはい うまで もない。「科学」 を自認 した社会の唯物論 が労働 の形而上学だったのは皮 肉なことである。 商品が貨幣になるのではな く,逆 に貨幣が介入す ることによ り商品が生み出 され るのである。貨幣が介入す ることによ り,人 間関係が商品関係に転化す る
一―一つまり貴格赤商品を生み占チあるあう,貴格あ方赤商品ようも尭希存在
するのである。そもそも,労働という純然たるサービスが労働力という商品に
なるのは,そ れが貨幣 を入手す るための手段 として生産 されたときなのである。 主婦の家事労働 は普通,労 働力商品ではないが,同 じ労働 でも,そ れはむ しろ 貨幣による商品化 に抵抗す る営みなのだ。つ まり労働が商品 となるのは,個 人 的欲望 を貨幣の形態へ と変換す る手段 であ り,そ の手段のひ とつにす ぎないの である。 マル クス派 と比べれば,は るか古代のア リス トテレスの方が,よ り的確 な考 察 を遂げていた。ア リス トテレスは言っている, 財貨 (khrёmata)と はおよそその価値が貨幣 (nOmisma)によって測られるも のの謂いである。 (『 ニコマコス倫理学』岩波文庫上 p.129) これは貨幣の 〈価値尺度〉 としての側面 を述べ ている。つ ま り貨幣 こそが財の 価値 を通約す る唯一の ものだ と言 っているのだ。 な るほ ど “khr6mata(財 貨 ・財宝,χρ物″″)"は ,そ のまま商品その ものを言ったものではない。その 存在意義が貨幣 によって測 られ る存在 とい う意味である。 ところで,価 値 を測 られない商品 とい うものは存在 しない。逆にい うと,商 品は必ずその価値 を測欲望のエネルギー論 117 られ ることを要す る。財貨は必ず しも売 りに出され るものではないが, 売 りに 出 され さ え す れ ば, た だ ち に 商 品 とな り う る もの で あ る。 そ の 意 味 で “ k h r 6 m a t a " は潜在的商品 と言っていい ものだ。 ここでは, 上 記の知見に もとづ き, マ ル クスに背いて, 自信 をもって次のよ うに主張 し, 本 節の結 びにかえることに しよう : 「諸商品は貨幣によってこそ, は じめて通約 しうるもの となる」 と。 そしてこの知見は, 本 節の主要 な知見へ と回帰す る。すなわち, 「財 は貨幣 によって こそ, は じめて商品 となる」 と。 (続) 5)古 代 ギ リシア と現代 とでは貨幣の性格が違 うのではないか,比 較にな らないのではない か, とい う疑間があるか もしれないので,そ の違 いはむ しろ驚 くほ ど小 さいことを指摘 し てお こ う。古代 ギ リシアでは,貨 幣経済が高度 な発達 を遂 げていた。むろん ここで詳述は で きないが,そ こでは,た とえば債務 奴隷が, 自由の身分 を貨幣 で買い戻す ことさえで き たのであ り,そ の相場す ら存在 していた。貨幣 とい う人間的現象は,そ れほ ど人類に普遍 的 な もの なのであ る。