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「社会契約論」(定稿)の形成過程に関する考察-下-ルソ-「政治制度論」構想の変遷 利用統計を見る

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(1)

「社会契約論」(定稿)の形成過程に関する考察-下-ルソ-「政治制度論」構想の変遷

著者

浅野 清

著者別名

Asano Kiyoshi

雑誌名

経済論集

20

1

ページ

p31-43

発行年

1995-01

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00005436/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

東洋大学「経済論集J 20巻1・2合併号 1995年 1

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マ士会契約論

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(定稿)の形成過程に関する考察用

一 一 ル ソ

_ I J

政治制度論」構想の変遷一一

浅 野

IJ 大 1.はじめに 2.i政治市JI度論」構想と.その「抜粋」 3.w社会契約論』の「草稿」 (1) Wジュネーヴ隼稿』 (イ) Wジュネーヴ草稿』の;講習JI構成 (口) ロョ員匂の「統治administrationJをめぐって (サ ご定干高』における「j立DIIJ 筒 所 「共和政」概念の徒起 (ニ.) r草干!むと『定稿』の比較 (以上経済研究年報ニ第 18~ナ) {補論) lジュネーヴ草稿」におけるディドロ批判j (2) W

:

:

-!~J 第 1í 篇における『社会契約論』の「レジュメ」 (イ) Wェミール』における「レシJュメ」の章号Ij構成 (ロ) iレジュメ」作成以後の最終テーマ (ハ.) iレジュメ」作成以後の最終モチーフ (3) i山からの手紙」における『社会契約論』の「レジュメ」 (イ) r山からの手紙」の出版 (ロ) w山からの手紙』にける『社会契約論』の「レジュメ」 一一政体の「動態理論」 (補論) w山からの手紙』の'1'心論点

w

ま と め 一 一 「社会契約論』諸草稿の比較 中 間 考 察 本 稿 は 『 社 会 契 約 論 』 の 形 成 過 程 を 探 る に あ た り , 二 つ の 仮 説 を た て て 検 討 し て き た 。 [仮説1] wジュネーフ、草稿』と現行の r社 会 契 約 論 』 と の あ い だ に は 複 数 の 草 稿 但 し , ル ソ に よ っ て 焼 か れ た た め , 現 存 し な い が 存 在 す る と い う 仮 説 。

-31

(3)

[仮説 2]IF社会契約論』の取りまとめ段階 (1758-1760年)でli,IF ジュネーフ、草稿~ (1756年)段 階とは異なる主題が浮上し,ルソーは新たに浮上した主題に沿って,「書き直し」作業 に着手し.それを r社会契約論』として公表したこと。 このうち仮説1.については『ジュネーフゃ草稿』と現行 r社会契約論」の比較考察を行ない、 Fジ ュネーフ、草稿』がノj、国を想定した人民主権国家論であり,政

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本の静態的特殊理論であることを確認 したL 残るのは仮説

2

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の検証である。 『ジュネーフザ草稿』は人民主権可能な小国を土台にした, 1攻

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本の「特殊理論」であり,政体を「運 動」させる装置を備えていない共和国の機構論であること。それに対して,現行『社会契約論』は 貴族政や君主政をも対象に包摂した政体の一般理論であることa 第二に,現行『社会契約論』は政府論を含むこと。 順序としては次のように変形されて現行『社会契約論」の公表になったと考えられる。

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小国を想定した人民主権国家論。[政体の静態的特殊理論]

B

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文明社会一般を対象にした共和政論。[政体の動態的一般理論]

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文明社会一般を対象にした共和政論+小国における人民主権の現実的可能性論。[政体の静 態的一般理論]十[政体の動態的特殊理論] 『エミ -J l--~ では「社会契約」の普遍的「歎示的性格」が明示的に表現されるようになる。政治 社会三市民社会の基礎としての商品交換における「価値の同等何一」と人聞の「法的」人格としての 「同等性」を基礎にした『社会契約百合』の構想、は,商品生産二交換者の世界を基盤にした政治理論 の一般理論を対象にしている2)0 さらに『エミール』における『社会契約論』の「レジュメ」執筆後に,『政治市JI度論』公刊の最終 段階,すなわち『山からの手紙」における『社会契約論』の「レジュメ」で追加された主題は,現 行『社会契約百命』の三篇 10-18章を主題とする「草稿」類にあらわれている。その主題は,「政府に よる主権の纂奪」と,その纂奪に抗するための「主権」の再措定というテーマである。この最終段 階の司鮮明になった主題が,『社会契約論』の「とりまとめ」段階で出てきたといえる。 (補論) rジュネーウe草稿」におけるディドロ批判 fジュネーウ、草稿』の第1篇2章「人類の一般社会について」と題された章は iこの著作の主題」 と題きれた章(定稿て、は 1篇 l章の前に置かれた部分に相当する)と「基本契約について

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『社会契約論~ (定稿)の形成過程に関する考察用

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と題された章(定稿では

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章に相当する部分)との中間に位置 し , ま さ に 序 章 の 役 割 を 担 っ て い る 章 で あ る 。 こ の 章 全 体 が , 定 稿 に お い て 削 除 さ れ た1)とはいえ, ル ソ ー の 問 題 意 識 を 生 ま の 形 で 表 現 す る 章 と し て , 看 過 さ る べ き も の で は な い 。 『ジュネーウゃ草稿』第l篇 2章 に お い て ル ソ ー は 「 純 粋 の 自 然 状 態2)Jからの人類の離脱過程と, 「人間の相互の欲求によってむすばれた一般社会」もしくは「事物の新しい秩序3)Jの到来を『人間 不 平 等 起 源 論 』 に 即 し て 要 約 し た の ち に , こ の 一 般 社 会 が そ れ 自 身 の う ち に , 人 間 と 人 間 と の 社 会 的 対 立 を 解 消 さ せ 、 一 つ の 統 一 体 に 転 成 し う る 原 理 を も っ て い る か 否 か と い う 聞 い を , デ ィ ド ロ の 論 稿 『 自 然 法

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naturel~ の批判的検討のなかで追求し,ディドロとの対決から,かれ自身の積 極 的 な 原 理 を 提 起 す るο それゆえ, ま ず , デ ィ ド ロ の 論 稿 『 自 然 法 』 を , ル ソ ー の 読 み 方 に 却 し て 整理しよう。 テ、イドロは「あまりに激しい情念

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に さ い な ま れ て い る

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乱暴に推理する人」を登場させ て 次 の よ う に 語 ら せ て い る 。 「 私 は 人 類 の た だ な か で 恐 怖 と 悩 み を も っ て い る と 感 じ て い る む し か し, 自分が不幸になるか,あるいは自分が他人に害をなすか, どちらカ、が必要で、あるこ自分が自分 自身にとって貴重で、あるほど貴重な他人は誰もいない。このいまわしい偏愛をとがめ給うな。それ は 自 由 で は な いc そ れ は 自 然 の 声

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て、あ1), 自 然 が 私 の た め に 語 っ て く れ る と き に. もっとも良く理解されうる4)0 Jこ の 乱 暴 な 推 理 者 に 対 す る 回 答 と し て , デ ィ ド ロ は 神 の 法 た る 自然法の観念を次のように説明するご 「正義と不正義とを決定する権利」は個人にはない。それは「全人類にのみ属する。Jrす べ て の 人 の 善 は 全 人 類 が も っ 唯 一 の 情 念 」 で あ1),

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一般意思

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は常に警である5)0

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この一 般 意 思 は 「 す べ て の 文 化 的 国 民 の 成 文 法 の な か に . 野 蛮 な 人 々 の 社 会 的 行 動 の な か に , 人 類 の 敵 同 士 の 暗 黙 の 約 束 の な か に , さ ら に 憤 リ と 恨 み の な か に さ え , 社 会 の 法 律 と 公 共 の 刑 罰 の 欠 点 を 補 う た め に , 自 然 が 動 物 の 中 に 与 え た 二 つ の 情 念 , す な わ ち 憤 り と 恨 み の な か に さ えJ6)明瞭に顕現して いるご従って「自分の特殊意思しか聞かない人は人類の敵であるJr一 般 意 思 に 服 従 す る こ と は , あ らゆる社会の併である。犯罪によって形成されている社会をも例外でなく。ああ/徳、はあまりにも 1) rジュネーウ草稿J 1潟 2章が定稿で削除された理由として. ドラテグ〕説がもっとも説得力がある。 ドラテが挙げるのは, ①そニの内容が『人間不平等起局、論』の叙i主主重複していること,②ディドロの論稿(r百科全書』の「自然法J)の批判を含 むこの章のポレ,- 7な性絡は不機嫌や不公平の跡形もない,ただ理性の全力をふリしぼってJ(Conlessio附, O.C. tome l,p.405.r告f'.jj.r I~ 、ノー全集』②. 16頁)執筆された『定稿』の性格にはふさわしくないこと。このうちドラテは②を重 視している。 (Cf..O.C., tome III, p.LXX¥W.)ルソー全集の訳者解説によれば「…ディドロの自然権論を意識した」ポ レミ タなものだc 2) r人間j不平等起源、論』の第一存1¥で叙述されている「自然、状態」を .J~ ソ は「純粋の自然状態」と表現して,他と区別して いる。(Cf.,Fragm印 tsPolitiques, II [De I'etat de natureJ O.C., tome III, p.475)なお『不平等起源論』における歴史 の段際反分については.WilJiam Pickles, The Notions of Time in Rousseau's Political Thought (inHobbes and ROllss回 11,!¥ew York, 1972, pp. 366-400.を参照されたい。)

3) M:写Ceneve.,I-2,O.C. tome III, p.282. r ,~ソー全集』第 5 巻 272 頁。

4) Vaughan, The Political Wrigtings 01 ]ean ]acques Rousseau, 1962, Oxford. (以下P.W.と鹿島記)p.430. 5) ibid., p.431.

6) ibid.,p.432.

(5)

美しいので.盗人も彼らの洞窟のなかで¥そのイマージュを尊敬する7)0 J ルソーは「乱暴な推理者」の言葉を.ディドロ自身の言葉として読んでいるが8) さしあたり問題 はそこにあるのではなし、。正義と不正義とを決定するものとしての一般意思、すなわち自然の法を, 諸個人のうちに遍在する「徳」としてーさらにその「徳」を「まことの感情ではあるが,きわめて 漠然としており、かつ,我々自身の自己愛によって, ときとして窒息させられてしまっている」と ころの「人間愛

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の原理として理解していることのうちにある。ディドロの『自然法』 の理解として正当であるかどうか,問題は残るが,ここではルソーによる『自然法』批判を追って f了こっ。 「人類

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とし、う言葉」は「諸個人のあいだのいかなる実在的な結合」をも表示しない 「純粋に集合的な観念」でしかないが,いま仮に.それを「一つの精神的人格

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10)と 考えてみる。ディドロは「正義と不正義の本質を決定する権利を個人から奪って」人類の立場に帰 属せしめるが,「このように,自分自身から自己を区別することができる人聞はどこに存在するので あろうか。そしてもし,自己保存の配慮が自然の第ーの格率であるならば,特殊社会

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との関連を見いだすことのできないような義務を人間に課すために,人類をこのように 見るように彼を強制することができるであろうか?J 11)人間の手JI己心が社会の第ーの併となってい るかぎり,自己自身の利益から離れて,人類の立場に立つように強制すること,一般意,思への服従 義務を強制することは不可能で、ある。また,仮にディドロがそうしたように,「共通の生存の感情が 人間愛I'

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の感情」であり,「自然の法があらゆる機械の能動的な原理である

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12)と仮定した うえで,ルソーが導き出す結論,それは「社会の進歩は個人的利益I'

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を呼び覚ます ことによって.人間愛の感情を心のなかで窒息させているJ13)という逆説,『人間不平等起源論』に おいて既に明らかにされた丈明進歩の逆説である。個人の利己心と人間愛との関連。それが眼前の 文明社会においていかなるものとなっているのか, という事態認識の差異がディドロからルソーを 区別きせる。利己心を唯一の社会的併としている文明社会においては,利己心とそれがもたらす生 産力の発展は,人間愛の基礎たるピチエを「弱々しい感情J1叫こさせることによって.人間愛の感情 7)ibid., pp. 432-433 8 )これは円ォーンの指摘に拠る(P.W. tome ,lp.430, note1.)。ルソーの誤読は当然に起こりうるべきものであった。た とえばr人間不平等起源論』において.哲学者を指y,捻しで.ルソーは次のように述べている。「人間を孤立きせるものは宵学 である。悩んでいる人を見て~お詰íj は滅びたければ滅びてしまえ。私は安全だ。」と密かに言うのは,科学のおかげなのだu 哲学者の安らかな眠りをかき乱し, j度を寝床からひっぱリ出すものは.もはや社会全体にかかわる危険の他にはない。人は析 学者の窓の下で同胞を殺したって,とやかく言われることもない。哲学者が円分と殺される者とを同等に見ょうとして.心の なかで反抗する自然を押しとどめるには.耳に両手をあてて,少司理屈をこねきえすればよい,J(!negalite,. O. C ,.tome [11, p.156. rル ソ 全 集 』 ④ , 224頁) 9) Ms. Geneve, II -4, p.329. 10) Ms. Geneve., 1 -2, p.283.r'l-ソ全集』第5巻274真。 11)ibid., p.286.f,レソー全集』第5巻277-8頁。 12) ibid., p.284. 13) ibid., p.284. 14) Inegalite,.p.155. r,レソ 全集』④, 224頁含

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(6)

『ネ土会契約論~ (定稿)の形成過程に関する考察用 の形成を事実上阻害してしまっている, というルソーの文明の逆説的把握からすれは、,ディドロが 主張するような、「利己心

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むという「激しい情念」にもかかわらず,人間愛という「徳 はあまりにも美しいので¥盗人も彼らの洞窟のなかでそのイメージを尊敬する」という楽天的な命 題は,戦争状態としての自然状態においては,無力な発言であり,眼前の文明社会を是認すること にしかならない, というのがルソーのディドロ批判の骨子である。 (2) 11エ ミ ー ル 」 第 五 篇 に お け る 『 社 会 契 約 論 』 の 「 レ ジ ュ メ 」 (イ) l'エミール』における「レジュメ」の章別構成 吋士会契約論』の「レジュメ」を残している「エミール』第五篇は, 1759年5月から6月にかけ て, リュクサンブール公爵から提供されたモン・モランシーの森の「プチ・シャトー」において執 筆された。これから, 1761年8月に『社会契約百命』の清書原稿が完成するまでのあいだに,『定稿』 吋士会契約論』にむけての「最終テーマ」が浮上する。 てやは,『エミ J I.--~ 第五篇執筆( W社会契約論』の「レジュメ」収録)以後,新たに浮上したテーマとは 何か。それを確定するために,まずl'ェミ ル」における「レジュメ」と『定稿~ l'社会契約論』 とを比較してみよう 11'エミール』におけるレジュメを『定稿』と比較してみるとき次のことがわかる。『定稿』第一 篇の

2-5

章の部分 先行学説の批判部分一ーは, rジュネーウ草稿』では 1社会契約」に関 する説明(ー篇 3章)の後に,第

5

章「社会的紐帯についての誤った観念」として登場してくるもの であるが,『エミール』のレジュメでは『定稿』と同じ位置に,ただし配列は定稿『社会契約論』の 第一篇3章・ 2章・ 4章・ 5章の!順に配列されている。 第二に,『定稿』の第一篇の

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章から

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章部分は,そのままの順序で要約されている。 第三に,『定稿』の第二篇部分については,『定稿~

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章と

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章の一部が要約されているのみであ る。これが意味することは,第二篇について,この (Wエミール』における)1レジュメ」執筆段階で は,『ジュネーウ、草稿』の第二篇部分にルソーが手を加えつつあり,未だ『定稿」のような十二章構 成を取るに至っていないということである。 第四に,『定稿』第三篇部分について「これは『ジュネーヴ、草稿』では欠如している部分であるこ とは既に指摘した。『エミール』における「レジュメ」は,『定稿』第三篇の第

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章から第

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章に相 当する部分に関して,逐語的に要約している。しかも,ノfラグラフの順序は『定稿」における順序 とまったく同一で、ある。この興味深い事実から,『定稿』の第三篇の1章から3章の部分はl'エミ ール』第五篇執筆の1759年6月時点において,書き上げられたばかりの草稿である,ということが

(7)

35-了解きれるt 第三篇

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章 ルソーは, r定稿』の

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パラグラフの 順序で要約しているc 第三篇

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章一一一ルソーは, r定稿』の

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パラグラフの 順序で要約している。 第三篇

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章 一 一 ル ソ

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ノfラグラフのI}頂序で要約して いる。文章も『定稿』の文章と殆ど同一であり,最後の部分は以下の箇所である。「一般的にいっ て,民主政の政府は小国に適合し貴族政の政府は中ぐらいの国に.君主政の政府は大国に適合す る, と結論することができる1)0 J この「レジュメ」最後の筒所は,まぎれもなし政体の静態的一般理論の構成をとっている。 最後に,政体の静態的一般理論をめざすこの「レジュメ」には.当然のことながら,政体の動態 理論である『定稿』第三篇の後半部分(1

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章)は,まったく姿をみせていない。きらに,『定稿』 の政府論で色濃く出てくる,既存のく政府による主権の纂奪〉という「事実」への対処の仕方に関 する叙述がまったく欠如していること。以上から,「定稿」の第三篇

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章は,

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月以降の, もっとも遅い時期に執筆され追加された部分であると推定するニとができるつ (ロ) rレジュメ」作成以後の最終テーマ rェミール』における『社会契約論』の「レジュメ」作成以後,最終段階で浮上したテーマを確 定するために必要な作業は,政府論第三篇の

1-3

章部分をより子細に検討することである。「エミ ール』第五篇部執筆の

1

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月時点で,ルソーはこの箇所を執筆し終えたばかリであること,す でに前項で確認した。「レジュメ」は, r定稿』の第三篇

1-3

章部分のパラグラフ順序と全く同一で あるだけでなく,文章も殆ど同一で・ある。 『エミール』における『社会契約論』の「レジュメ」作成後に「追加」された箇所を拾ってゆこ う。それらを繋ぎあわせれば、「レジュメ」作成以後,最終段階で浮上したテーマが見えてくるはず である。それは三篇1章に集中している。 ーパラグラフ「読者に断っておくが,この章はしっかり腰をすえて読んでほしい。注意をはらお うとしない者に,はっきりわかってもらうことなど,私にはできない2)0J 四パラグラフの後半部分「政府は不都合にも主権者と混同されているが,実はその執行人にすぎ ないのである九」 六パラグラフの後半部分「人民が首長に服従する行為はけっして契約ではない,という人たちの 1)Emile. O.C.. tome IV. p.847. ~ルソー全集』⑦ .333 頁。 2) Du contrat social. O. C .. tome 1I. p. 395. rル ソ 全 集 』 ⑤ .163頁。 3) ibid.. p.396. F,レソー全集』⑤.164頁。

-36

(8)

『干士会契約論~ (定稿)の形成過程に関する考察用 主 張 は 至 極 も っ と も な の で あ る 。 こ の 行 為 は あ く ま で も 委 任 も し く は 雇 用 に す ぎ な い も の で あ っ て , そ の か ぎ り で は 首 長 は 主 権 者 の 単 な る 役 人 と し て , 主 権 者 が 彼 ら を 受 託 者 と し た 権 力 を 、 主 権 者 の 名 に お い て 行 使 し て い る わ け で あ り , 主 権 者 は こ の 権 力 を い つ で も 好 き な と き に 制 限 し 変 更 し 取 り 戻 す こ と が で き る ぺ 」 十 九 パ ラ グ ラ フ 「 執 政 体 が な ん ら か の 絶 対 的 仏 独 立 の 行 為 を 自 己 の 権 威 に 基 づ い て し よ う と す る や い な や , 国 家 全 体 の 結 合 は ゆ る み 始 め る 。 や が て 執 政 体 が 主 権 者 の 意 思 よ り も さ ら に 能 動 的 な 特 殊 意 思 を も つ よ う に な り , こ の 特 殊 意 思 に 従 う た め に , 自 分 の 掌 中 に 握 っ て い る 公 的 権 力 を 使 用 す る に 及 ん で , い わ ば 法 律 上 と 事 実 上 と の こ つ の 主 権 者 が 出 現 す る に い た っ て は , た ち ま ち 社 会 的 結 合 は 消 滅 し , 政 治 体 は 解 体 す る で あ ろ う5)0 J 以 上 の 「 追 加 」 箇 所 に 共 通 す る テ ー マ

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ふ い ず れ も く 政 府 に よ る 主 権 の 纂 奪 傾 向 〉 の 指 摘 で あ る 。 『定稿~

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社 会 契 約 論 』 は , 政 体 の 一 般 理 論 の う え に , 三 篇

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章 か ら く 政 府 に よ る 主 権 の 纂 奪 傾 向 〉 と , そ れ に 対 抗 す る た め の く 主 権 の 制 度 的 樹 立 〉 と い う , 政 体 の 動 態 理 論 を 付 加 し て ゆ く が , ル ソ ー は , 本 来 な ら ば 政 体 の 一 般 理 論 を 取 り 扱 う 三 篇

1

章 に , 右 記 の よ う な 文 章 を 追 加 挿 入 し た の で あ る。 「追加」の意図,それはもはや明瞭で、あろう。 ルソーの祖国,ジュネーウ、問題への対処である。 け 「 レ ジ ュ メ 」 作 成 以 後 の 最 終 モ チ ワ ル ソ ー は 『 タ ラ ン ベ ー ル へ の 子 紙 』 公 刊 以 後 , ジ ュ ネ ー ヴ の 劇 場 建 設 を め ぐ っ て , 啓 蒙 思 想 、 の 主 流 派 と 係 争 状 態 に あ っ た 。 ダ ラ ン ベ lし の 背 後 に い る ヴ ォ ル テ ー ル に 対 し て も , 最 後 の 戦 い を 挑 ん で い た 。 ル ソ ー は . ヴ ォ ル テ ー ル に 宛 て て 久 し ぶ り に 手 紙 を 認 め る 。 「 貴 殿 は ジ ュ ネ ー ヴ で 受 け 取 っ た 避 難 所6)の 代 償 に , ジ ュ ネ ー ヴ を 破 滅 さ せ ま し た 。 私 が わ が 同 胞 の あ い だ で 貴 殿 に 浴 び せ た 賞 賛 の か わ り に , 私 を 同 抱 か ら 引 き 離 し ま し た 。 わ が 祖 国 へ の 滞 在 を 耐 え ら れ な く す る の は 貴 殿 で あ り ま す 。 … 私 は 貴 殿 を 憎 悪 し て い ま す7)0J (1761年 7月17日付け) 4)ibid., p.396, rルソー全集』⑤, 16HL 5) ibid., p.399.r ,~ソ全集』⑤, 167-8頁D 6 )ヴォルテ- 1しは!日教徒の[:E], j首fムのトゥルネ と7エルネ に館を憐え.他方てユ新教徒の国ジュネーヴ市にも館を所有し ていたoc.i!!J;'t住所 J とは.新 111 耐宗教かん等距離 ~fm としての「避難所J である σ 第一部第二章の二を参照ご 7) rル、ノ 全集』⑬.505頁。以後, I~ ソーとヴォルテールの対立は決定的となる a その対立は,ジュネーヴ市改革派のルソ ーと.ジュネ ヴ市政府の裂にいるヴォルテーJしといす対立図式を生むc この子紙を受け取ってヴオル子 -I~は激怒し「ジャン・ジャ クは気が狂った」とダランベールに書き送った。以後の四年 間.ヴォルテ I~ は I~ ソ の公刊する書物の全てをこき下ろし.また. '1'士会契約論』の焚書処分後,ジュネ ヴ市を二分し た抗争の際.f廷名のノ、ン7レ,ト(r,打民の感情, )を執筆して.ルソ のスキャンダ 1 しを暴いた c このパン 7 レノトは I~ ソ をいたく傷つけた。ルソ は,作

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がヴォルテ fしであるとは露とも疑わなかった

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自分に対する目に見えぬ迫害網の張本 人も.ヴォルテ ルではなく, /ヨワズ-,しだと与えていた。 しかし,ヴオルテー I~ の死後. I~ ソ -jfl ぃ落としの医名ノマンフレ トの作者がヴォルテールであることは明瞭になった。

Cf., Pierre LEPAPE, Voltaire, Le COllqueranl, Paris,立ditionsdu SEUIL, 1994. et Henri GOUHIER, Rousseau et Vo/taire, Paris, J.Vrin, 1983.

(9)

-37-殆ど絶縁状に等しいこの手紙は, ダランベーIL.-,ディドロ,ヴォルテールを「敵」にして,ジュ ネーヴに対するルソーのとるべき態度を鮮明にさせている。 ヴォルテールに絶縁状を投げつけると同時にルソーは,この間ジュネーヴのルソ -iJ~ の人たちと も連絡をとりあっている。『エミール』第五篇執筆の直前,ルソーはジュネーヴにいる医師のトロン シャンに対して,祖国ジュネーヴについて次のように語っている。「有益な考察によって,その[ジ ュネーヴの]悲しい歩みを遅らせようとしましたが,多くの原因がそれを加速し,悪に対して今後 打つ手がありません8)0J (1759年4月28日付ーけ)また,翌1760年の初めに,ルソーの死後,ルソーの著 作集を出版することになるムルトゥに宛てて書き送る。『夕、ランベールへの手紙』では,ジュネーヴ 市の退廃の歩みを少しでも遅らせるために,ルソーは劇場建設に反対の立場を取っていたのである が,この1760年の段階ではやや自虐的に、

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タヲンベールへの手紙』で,私は間違いを犯しました。 われわれの進歩がそんなに大きし習俗がそんなに進んでいるとは思っていませんでしたーわれわ れの悪はもう取り返しがつきません。もうわれわれには緩和剤だけが必要で.演劇はその一つで すへJ(1760年1月29日付け) 死の危機がせまっている10)とルソーは錯覚していた。遺言を書き,ジュネーヴ問題についても,何 らかの腹を固めたと推測できる。「あのウゃオルテールのことを[あなたは]お話しになります。なぜ あの道化役者の名前であなたの手紙を汚すのでしょうか。この不幸な男は私の祖国を破滅させまし たσ …おお、ジュネーヴ市民よ,あなたがたが[ウ、オルテールに]与えた避難所に対して,彼はな んとし寸報酬を与えるのでしょうか11)0J ジュネーウボの状態は,ルソーが考えていた以上に悪化していた。自己にに残されたことは,進化 のプロセスを遅らせることだけである。ジュネーヴの劇場建設問題から発したジュネーウ、市への関 与は,さらに進んで¥ジュネーヴ市における政治権力のあり方をめぐる内部抗争への関与へと拡大 して行く。『社会契約論』とりまとめの最終段階で出てくるテーマ,すなわちく政府による主権の纂 奪〉というテ マは,祖国ジュネーヴに対するルソーの熱きメッセージであると読みとることがで きょう。 このような「推測」は,事後的に,ルソーによって確認される。つまり,『山からの手紙』は『社 会契約論』の執筆動機を書いているが,明らかに、最終段階に浮上した政体の動態理論に執着した 整理になっている。 8) r}レソー全集』⑬.496頁。 9) r}~ ソー全集ニ⑬. 499頁。 10) 1761年五月からルソ は病におちいけ,六月には死を覚情してムルトゥに原稿の保管を依頼したり.リュ7サ シ ブ I~ 公鰐 夫人に,捨て子の探索を依頼するc 11) rル ソ 全 集a⑬.498貞)。

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昨士会契約論~ (定稿)の形成過程に関する考察用 (3) i

山からの手紙」第

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の手紙

(イ) Ii山からの手紙』の出版 1764 年に公刊きれたルソーの『山からの手紙~ (土、ジュネーヴの検事総長トロンシャンのルソー 批判書『野からの手紙』に対する反論書である。『社会契約論』と『エミ- Jり の 著 者 は . 既 存 の 政 府とりわけジュネーヴの執政機関たる「小審議院

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の破壊を企てているというジュネ ーヴ市の検事総長トロンシャンの告発に対して,自己の著作を弁護し,政府を破壊しているのはジ ュネーヴ、の「小審議院」であって,ノj、審議院による権力の集中こそ排除されねばならないと反論す るc そのために執筆・公刊されたのが, I I iLJからの手紙』である。この意味でIiL1Jからの手紙』は『社 会契約論』の公刊に接続する著作であるので¥『政治制度論』の『社会契約論』としての最終段階で のとりまとめ作業の跡を明瞭に残している著作であるといえる。これを傍証するjしソー自身の証言 乞「告白』から得ることができる。先に引用した『政治制度論』構想、を語った『告白』第9巻の叙 述のあとに,ルソーは祖国ジュネーヴについて次のように語っていた。 「私がやりかけていたさまざまな著作のうちで,久しい以前から考え,一番興味をもってかかり, 自分の生涯の仕事にしたいと思い,しかも日分の名声を決定するはずだと思っていたのはIi政治制 度論』であった。……それらすべては,人類の幸福, とりわけ私の祖国の幸福にとって有益な,偉 大な真理へと.私を導いてくれるのがわかるのであったJ 最近の旅行では,ジュネ ヴには法と自 由とについて,私の気に人るような,

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分に正しく明確な観念が見いだされなかった。そこで,そ れらの観念を祖国の人々に与える間接的なニの方法が,彼らの自尊心を傷っけないためにも,また ニの点で彼らよりも少しさきまで見通せたニとを許してもらうためにも,もっとも適当な方法であ ると考えたのであった九」 ルソーが

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歳のときにジュネーヴを出奔して以降,ジュネーブに行ったのは『不平等論』の冒頭 に「ジュネーヴ共和国への献辞」を書きあげてのち,

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年の

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月から

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月である。このときルソ ーはジュネーヴの市民権を(再)獲得したのである。爾来.ルソーは死ぬまでジュネーヴには行って L、ない。

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年から

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年の流浪の時にもルソーはジュネーヴ市から迫害され,ベルヌ、 ヌシャーテ ルを転々とし,ついにはストラスプール,パリを荘てイギリスに亡命したのであった。したがって, 本文中にいうジュネーヴ訪問は『不平等論』執筆直後の「ジュネーウ。訪問」であると断定できる。 と同時に,この旅行後,ルソーが心の中で抱いていた祖国ジュネーヴ像は崩壊しだしただけではな

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年暮れにモン・ルイに居を移したルソーにとって.祖国ジュネーヴの改革について,病身 に鞭打って仕上げねばならぬ課題がでてくる。それは,夕、、ランベール筆の『ジュネーヴ~ (W百科全書』

1) Les COJlfessioJls.. O.C.. tome 1. pp.404-5. r青山』第 i巻 rll-ソー全集』②.14-15頁。

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第7巻)に対する反論である。それ以降,ルソーの視野には「祖国」ジュネーヴの改革問題がはっき りと入っており,そのためにD'"政治制度論』を『社会契約論』としてまとめるにあたり,ルソーは ジュネーヴの改革提案を『社会契約論』のなかにと 1)1.、れたのである。「間接的な方法J. r適当な方 法」とは「社会契約論」の公表を通じて,ジュネーヴ政体の改革を提言する二とを意味する。 (ロ) D'"山からの手紙』における『社会契約論』の「レジュメ」一一政体の「動態理論」一一 「山からの手紙』にも『エミール』の場合と同様に、『社会契約論』の「レジュメ」が載ってい る。しかし,それは『エミール』における「レジュメ」とは大幅に異なっており,当然のことなが ら現行の『社会契約論』の篇別構成に忠実に依拠している。 r社会契約論』のまとめの最終段階で, 1[.- ソーがどのような問題視角にもとづいて,『定稿~ D'"社会契約論』を纏めていったかを知るうえで 格好の資料であると判断される。 D ' "I LJからの手紙』の「第 6の手紙」でルソーは『社会契約論』の要約を行っている。現行の『社 会契約論』の第一語ーから始めて,三篇に至って,「小国」におけるく政府による主権の纂奪〉とその 纂奪に抵抗する手段についての論究,すなわち,定稿『社会契約論』の篇別構成でいえば,三篇の

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章を勢力的に要約する。その要約の終わりにルソーは次のように『社会契約論』の執筆動機に ついて,はっきりと祖国ジュネーブの名前をあげて次のように述べるのである。 「私の著書の,この簡略でありのままの概要をお読みになって,貴殿[トロンシャン]は何をお 考えになったでしょうか。私には察しがつきます。あなたはご自分にこう言いきかされたことでし ょうc ニれニそジユネーヴ政府の歴史である, と。それは,あなたがたの国市Ijを知っているひとが, この作品を読んだときにかならずもらす感想、です。/実際,この原契約,主権の本質,法の支配,政 府の設立,各段階で政府の権威を力によって埋め合わせ政府を縮小しごて行くやり方,侵害的傾向, 定期集会,それを廃止する巧妙き,そして最後に、遠からず訪れてあなたがたを脅かす,私が防ご うとしたところの破壊,このどれ一つをとってみても,それはまぎれもなく誕生から今日にいたる までのあなたがたの共和国の姿ではあリませんか。/私は,あなたがたの政体を立派で

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うると思った からこそ,私はそれを政治制度のモデルとして取り上げ,そしてあなたがたを全ヨーロッノ干に手本 として示したのです。あなたがたの政府の破壊を求めるど二ろか,私はそれを維持する方法を明ら かにしたのです2)。この政体は,非常にすぐれてはいるけれども,欠陥がないわけではありません。 2 ) 政 府 の 鮫 壌 を 企 て . 森 に 帰 っ て 熊 と い っ し ょ に 務 ら す こ と を 主 張 す る 男 。 こ れ は 出 世 作 r学問・芸術論.!(1750年公干1])以 来.一貫してルソーに投げつけられた非難のレソテルである。晩年の1772年に執筆きれたr対話,ルソー.ジャン=ジャ, ;> を裁く』において,ルソ はそのような非維の声を念頭において次のように自己を弁議する。「かれ[ルソ ]の目的は. 多 くの人口を擁する人民や大医iを , そ の 原 始 の 単 純 な 状 態 に つ れ 戻 そ う と す る こ と で は な し た だ も し 可 能 で あ れ ば . 小 国 の せ い や 状 況 の せ い で , 社 会 の 完 成 と 人 類 の 破 壊 へ と 向 か う あ の よ う な 迅 速 な 歩 み か ら 守 ら れ て い た 人 々 の 進 行 を 押 し と ど め る ことだったのです。…かれはいつも現存する制度の保存を主張したのです。かれはFI分の純国や,祖国と同じように組織され ている小 r~J のために仕事をしたのでした。もしかれの原理がそのほかの同にいくらかでも利用価値があるとすれば,それは 人々の尊厳の対象を変えきせ,間違ったtjJ断によって加速されている同家の墜落を遅れさせることにあるでしょう。j(Dia -loglles..O_

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,tome 1, p_935_ rル、ノ全集』③.294頁)

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-40-『干土会契約論~ (定稿)の形成過程に関する考察用 人々はそれが変質をこうむるのを防ぐことができた

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今日陥っている危険からそれを守ることも できたのです。私はニの危険を予測しそれをわかってもらおうとしました。そして,予防策を示 唆しもしたのです3)」、 にもかかわらず,ジュネーヴ市だけは w社会契約論』を焚書処分にした。そして I人々はプラ トンの『共和国』や[モアの]wユートピア』や[ゥーェラスの]wセウ。ァランフ〉といっしょに w社 会契約論』を空想、の国に追いやることで満足した。しかし私は現に存在する対象を注意深〈検討し たのです4)0J このように w エミ -J L--~ における『社会契約論』の「レジュメ」と対比したとき,『社会契約論』 の政府論, とりわけく政府による主権の纂奪〉という「歴史的傾向」と,その纂奪に抗して「主権 を維持する手段」の箇所が,『社会契約論』を取りまとめているルソーが最後に執筆した箇所である ことがわかる。『社会契約論』に年代的に接続する『山からの手紙』の,既に引用した箇所から明示 的に了解されることは,ルソーが最後に手を加えた箇所において,ルソーは祖国ジュネーヴを念頭 において政体の「動態理論」を叙述していたことである。 吋土会契約論』の執筆において最終段階において出てきた,「主権の纂奪」とそれに抗して「主権 を確立」するテーマは,主権の纂奪= r否 定 」 に 対 抗 し て 主 権 を 再 措 定 = r否定の否定」というテ ーマめである。 (寸補論「山からの手紙」の中心論点 「主権の纂奪J (第ーの否定)に抗する,主権の再措定(否定の否定)として,『定稿~

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社会契約論』 は「定期集会」の制度的確立を据えた。ここ

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IlJからの手紙』では,ジュネーヴ市の国政に則して, きらに詳細に語リ出されるご (i) 主権者の主権行使たる「定期集会」の開催を,ジュネーヴ市の執行権力たる「小審議院」は 認めるか否か。 (日) Iあなたがたの国家のように,主権が国民の手中にある国家では,立法者は姿こそ現しませ んが,つねに存在しているのです。それははかならぬ総会に結集し,ただそこにおいてのみ正 式に発言するのです。しかし,総会の外でも,立法者が存在しなくなっているわけではないの です。その構成員はちりじりになってはいますが,死んでしまっているわけではないのです。 彼らは法律について発言することはできません。しかし,彼らはつねに法律の施行を監視する ことができるのです。それは権利であり,彼ら自身に負わされた,そしていかなるときにも彼 らから取りのけられることのない義務でさえあります。そこから意見提出権が生じてくるので 3) Montagne.O. C . ,tome 111. p.809, J{..ソー全集⑧, 345-6頁。 4) ibid., p.810, rJ{..ソ全集s⑧, 346頁。 5 )ニの主題に関する展開について.よリ子細には第十主主を参照。

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す6)0J (iii) I意見提出権はあなたがたの国制と緊密に結ばれています。それは自由と服従とを結びつけ る唯一の手段,国民に対する為政者の権威を傷つけることなく彼を法律への依存状態に維持す ることのできる唯一の手段なのです7)0 J (iv) I定期総会を復活させることです8)0J (v) I私はこの手紙において次の事柄を明らかにしようと企てました。意見提出権はあなたがた の国語JIの形態と密接に結ばれており,それは空虚な幻の権利ではないこと。それどころか, 1707 年の布告によって明白に確立きれ, 1738年のそれによって追認されているので¥それは当然実 効を有すべきものであることへ」

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ま と め 一 一 一 『 社 会 契 約 論 』 諸 草 稿 の 比 較 一 一 一 r政治制度論』構想、の変遷をまとめてみよう。 静態理論 特殊理論 一般理論

動態理論 ②

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攻;台市Ij度論』構想、の変遷を辿るにあたり,草稿,原稿類は以下のものである。これらを,小国 を対象にした政体の特殊理論,文明大国までも考察対象に拡大した政体の一般理論,人民主権を核 とする政体の基礎構造を考察対象とした政体の静態理論,その人民主権が政府との緊張的対抗関係 のなかで維持し続け得るか否かを検討する政体の動態理論の

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区分してみた。 このうち, (イ) wジュネーウ、草稿』 (ロ) wエミール』における『社会契約論』の「レジュメ」 付 「定稿JW社会契約論』 (ニ) W山からの手紙』における『社会契約論』の「レジュメ」 (ホ) W山からの手紙』における中心テーマ 付 『政治制度論』構想、 を対象としたとき,対応する組み合わせは次のようになるであろう。 6) Montagne. O.C.. tome IIl. p.843. rlllからの手紙. r第8の手紙J. ~ルソー全集』第 8 巻. 389頁c 7libid..p.850.向上, 395頁。 8) ibid..p.854.向上. 401頁。 9 )必id..p.867.同上, 415頁。 (r第8の手紙」の最後のノマラグラフ。)

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『干土会契約論~ (定稿)の形成過程に関する考察用 (イ) 『ジュネーウゃ草稿」 ① (ロ) 『エミール』における『社会契約論』の「レジュメ」 ⑤ 十守 「定稿JW社会契約論~ 1) ⑤→④ (斗 r山からの手紙』における『社会契約論』の「レジュメ」 ④→⑧ (ホ) 『山からの手紙』における中心テーマ ② (吋 『政治制度論』構想、

1 )共和E立をfJ4起したうえで.三篇の後半から動態f聖論にうつる。「代議!:iIilJ)支Jと「定期集会Jの開催可能性を検討するなか で.f J'、同」とその「連合制度」へと移行する第二書1,の展望を示すところで終わる。

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参照

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