著者
洪 宝華
著者別名
Hong Bao Hua
雑誌名
経営論集
巻
31
ページ
115-143
発行年
1988-03-25
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00005745/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja百周 年 記 念 講 演 報告 論 文
( 市民 大学 講 座) 経営 学 部 企 画
< 北 京 工 業 学 院 来 訪 者 紹 介 > 李 志 祥 生年月日:1946 年9 月23 日 学 歴:1970 年北京工業学院車輛工程学科卒業 職 歴:現在,院務委員会副主任,院学生工作指導委員会副主任,人文社科 学科講師.北京市大学徳育研究会理事 かつて北京工業学院学生部部長担当 著 作:高等学校徳育教育体制 大学生思維方式特点論述 姜 文 炳 生年月日:1927 年2 月7 日 学 歴:1953 年北京工業学院機械工学科卒業 職 歴:現在,同学院管理工学科教授 かつて同学院機械工学科,管理工学科主任担当 研 究 歴:NC 工作機械, グループ・テクノl=・ジー,生 産シ ステム工学 著 作: グル ープ・テクノロジーの原理と応用 日漢機電工程詞典(機械工業GT に よる生 産管理系統(訳書)GroupTechnology (訳書))など 洪 宝 華 生年月日:1928 年1 月16日 学 歴:1952 年上海財経学院工業管理学科卒業1955 年恰爾浪工業大学修士課程終了 職 歴:現在,北京工業学院管理工学科主任教授 研 究 歴: マーケッテ ィング,経営管理 著 作:経営管理, マーケット研究と開発など
目 1. 2.
中 国の企業管理体制の改 革
北京工業学院教授 洪 宝 華 次 中国の企業管理体制の改革前における情況について ここ数年間の中。国企業体制改革における情況と初歩成果 1. 中国 の企業管理体制の改革 前における 情況 につい て1. 中国 の企業管理体制 の改革前におけ る情況につ いて。 改革以 前の中国企業管理の歴史は一般的に大体3 つ の段階 に分けられます。 第i 段階 は社 会主義企業管理体制の形成過程 と創造時 期です。(1949 ∼1956 ) 中華人民共 和国が成立する前に,全国 には各 種類 の製 造工業が12 ∼3万あ り, それは,ほ とんど軽工業あるいは加工(修理)業でし た。 当時,工業総生産 高は,国民経 済総 生産高 におけ る割合の10%しか なかったのです。鉄鋼の生 産高もわずか15.8 万 トソにし かすぎず,企業管理 のレ ベルは極めて低かった のです。 建国以後,中国 ではまず第1 に企業の整 理と改革を 行い,民主 管理を押し 進め,また工場 管理委員 会の指導 の下での工場長 の責任制度を確立し ,企業 の正常稼動 と発展を確保し ました。1952 年以後,全国第一次5 ヶ年 計画の建 設が始まり, ソ連から合せて156 項目の新しいプ ラントを導 入し,1000 あ ま りの企業 に対し て,規模拡大 と生 産方式 の改造を 行いまし た。 これによっ七 製 造工業の生 産能力は急速に伸長し ました。企業管理の面 でも全面的にソ連 の科学的管理 体制を 学び,企業 の労働生産性が大 々的に高 ま りました。1957 年 まで全国工 業総生産高は1952年 と比較し て14.1% 増え 労働生産性はQl% 増 加しまし た。 当時,中国 の企業管理体制は中国 の実 清にあ わず, ソ連の企業管理体制を 踏襲したにす ぎなかった ので,い くつかの問題がお こりました。例えば専任管理者の役割は重 視され まし たが,民主管理はおろそか にされまし た。 経営 意思決定の面では個人の 役割は重 視されたが,チ ームワ ークの役割が軽視さ れ ました。だから企業管理 の面で避け られるはずの誤ちを犯し,多 くの労働 者1)の積極性にマイナスの影響を与え ました。 第2 段階 は中国式 の社 会主義 企業 管理体制を確立するための模索時期 とし ます。(1957 ∼1965)1956 年 以後,中国は自国の実│青に合 う企業管理の進路 と方 法を探 索し まし た。経営意思決定の面で,集団 意思決定のノリットを生かすために,まず企 業 の中では党委員 会の指導 の下 での工 場長責任制を 実施し,実情を無視する 思 想を克服し ,官 僚主義2) を防 ぐた めに,労働者の経営参加などを となえ , 「一改, 二 参, 三 結合(1 体)」をおしすす めました。す なわち管理者は労働に参 加し,労働者は管理に参与す ること, 非合理的な規則制 度を改革する こと, 重 要な問題には経営者,技術 者,労働 者, この3 者が一体 となって問 題の解 決にあたることです。技術水 準の向上 と科学の発展のために,従業員 が積極 的 に技術革命と技術革新 に参加す ることをすすめました。 これらは本来創造 性をもつ ものであ りまし たが,実 施す る過程で,科学的な慎重な検討を怠 っ たため,意に反して多 くの失敗 がもた らされ まし た。例えば,管理者は労働 に参加し た後,管理の 仕事をお こだ った り,1 部の労働者は管理に参加する ようになってから,職場 離れがすす んだ り,不合理な規則制度を改める と同 時に合理的な規則 までが改めら れまし た。多 くの製品に品質上り 事故がおこ り,ある工場 は有益な生産 ノルマ制 度さえ も廃止し てし まい ました。技術革 命を行 う坤 で,中国の科学 技術 は発 展し ましたが,多 くの 技術面での事故が 発生し ました。例えば1 部の飛 行機 の出発時の離陸不 能や工作機械の故障 な どの重大な品質 事故が発生し ました。そ れゆえ1961年以後,工 業の面では, 調整,安定,充 実ト 向上 とい う改革措 置を とり,必要な規則制度 と生産基準 を 復活させ ました。企業管理秩序を と り 右どして,企業生産を混乱から正常 へ,低迷から発 展へと向か わせまし た。 第3 段階 は企業管理が破壊 され, 低迷し た時期です。(1966年 ∼1978年 ) この時期は「左」 からの思 想の影響を受け 企業管理はひ どく乱れ ました。 たとえばあ る人は「3 無工場」 の設立を 唱え ました。「3 無」 とは即ち企業 内部の,経営者,管理,規則制度をすべ てなぐすとい う意味です。 こ うい う 情況の もとでは,企業生 産はほ とんどめばなし の状態で,労働者はや りたい
ほ うだい,多 くの企業は生 産秩序が乱 れ,品質が低下し ,経済的効果 は低迷 し,さらには稼働が停止 されるに至 った こともあ ります 。こ うして1976年 の 全国製造工業 の付加価値 率(資 金利潤 率)はわずか1956年 の半分ぐらい にし か達してい なかった のです。 この一年 の問に中国では,赤字企業が1/3 以上 にふえ,国民 経済は崩壊寸前 にたたされました。30 年以来,冲 国 の経 済は紆余 曲折をへて,大損害を こ うむ ったこともあ り ました。それは6 千億元,あ るい‘は万億元 ともいわれてい ます。そ れでもや は り以下 のような実績があ ります。 ]L.1978年 の調査に よる と,全中国には各種類の製造工業はす でに113.84 万あ り,その うち大型,中型 の企業は約8 千あ ります。所有す る工作機械 の 数は243.6 千台あ まりに達し ました。 す でに比較的完備した工 業化体制 が形 成 されはじめまし た。2. 工業 総生 産高はす でに4627.5 億元 に達し ,1949年 より10倍近く増加し ました。3. 主な工業製品産出量増加 率が極めて高く,例えば 鉄鋼は1949 年の15.8 万 トソから1978年 にはつい に3.178 万トンにまで達し,200 倍あ ま りの増加 率 で増加し,世 界の第5 位 まであが りました。石油はほんの数万 トソから発展 し て,1978 年 には10,405 万 トンに達し,年生産高は世界 の第8 位 にな りまし た。化学繊維は1978年 の生産高がす でに28.46 万 トソに達し ,世界第7 位に な りました。 石炭 はほんの 数百万 トソから発展し,1978 年 には年 生産高が6.18 億トソにな り,世 界の第3 位にな りました。 しかし中国では企業管理体制 の面 で多 くの問題が存在し ているため,企業 におけ る生産能力 は十分発揮さ れず,多 くの労働者の積極性と創造性は抑圧 されました。また 原材料,資金な どを有効的に利用できない などの浪費 もあ りました。製品 の ニ2ストが高 く,品質 の低下を招きました。つ ま り,企業管 理 の面で弊 害が多 く, 深刻 な問題をかかえ てい ます。それを以下 のとお り要 約するこ とがで きます。1. 国家 の統制が厳し く,企業 は市場の変化に関心を持たない という こ と です。中国では1978 年以前 に国 は企業 に対して, 統一計画,統一 購入 と統一 販売を実行しまし た。こ う七 て企業 は製品の種類,製品の生産 高,製品の品 質が, 消費者の需 要を 満たすか ど うか には,無関 心にな りました。 し国家の統 一管理は市場 の需 給の急激な変 化 には適応不可 能でした。企業 は製品のモデ
ルチ ェンジに積極的でなく,多 くの企業 の製品は長期 にわたって変化があ り ませんでした 。た とえばある工場 では,20 年 間,製造し ている製品の色さえ もまった く変 わらなかったのです。中国 では比較 的進んでいる長春自動車工 場 がその例です。この工場は市場 の需要を 考え ずに,た だ計画にもとずいて 生 産したため ,市場はもっ とも必要な製品を供 給できな い反面,ある製品は 生 産過剰で在庫が増えるばか りです。例えば1984 年,年 頭の統計に よると全 国でモ ータ ーの滞貨だけ で約630 億元 の金額 にな り,約600 億元の損害が見 込 まれてい ます。紡績工業 は約120 億元分 の滞貨がた ま り,極めて大きな浪 費 になってし まい ました。2. 国家が 統一的に分配制度を 決めたため, 分配の公平が損われ,企業の発 展を停滞 させ る結果 になりました 。国家が賃金, 奨金3)と企業 への利潤の還元 率4) を決定す る時は,企業や個人の業 績に よって決定するこ とは,ほとんど不 可能であるため賃金のベ ースア ップは勤続年数 で決定す るしかあ りませんで し た。企業利潤の還元は簡単に利潤 の増加 と損失 の減少 で決定し,そのため に優秀な労働者 の賃金は,成績は悪いが勤続年数 の長い 労働者に較べると少 なかったのです。また,た とえば,利潤の少ない企業は赤 字を少 くし た企業 よ り利 潤還元率が少ない のです。「大鍋で食 事す る」E)とい う状態 になってし ま い ました。企業の労働者の積極性をそこない働い ても働か なくても同じなの で生 産率の低下を まおいてし まい ました。全国労働者の年 間生産高は1 人あ た りわずか1 万 元で,機械工業 の労働者の1人 あた りの年 生産高は約5千元し かあ りませんでし た。ある企業はわずか3 千元あ まりとい う低い水準でし た。3. 資金運用の周期が長い ことと資金利潤率 の低下。企業 の流動資金はい ままで全部国から無 償で配給するので,企業は資金利用 の効率性 と合理性を 配慮す る必要はなく,そのため大量の遊休資金をつ くっ てし まいました。資 金 の運 用周期 が長 く,利潤率が非常に低く,例えば,機械工業の企業は,資 金運用 周期 の平均は558 日であった のです。1977 年 には全国の資金利潤率はOO.QO/ にな りました。ちなみに1960年は7.7 %,1976 年 は11.4 %,1980 年は13.75% でした。4. 企業管 理がゆき届か ず,原材料の利 用率が低 く,浪費が多い状態でし た。例え ば, 鋼材が一番多 く消費する機械工 業を例に とってみると,全国鋼 材の利用 率は平均 で65.8% で,ある企業 は,ほん の30%あ まりの利用率しか 達 せなかった のです。もし鋼 材の利用率を1 %向上させ れば,約30万トソの
鋼 材が節 約 で き ます 。 以上 の お もな問 題 か ら考 え るだけ で も, 中 国 の企 業 は 効 率 と生 産性を 向上 さ せ ,経 済 の 活 性化を はが るた め に は , 改 革 を し な く て は な りま せん 。 2. ここ数年間の中国企業体制改革にお ける情況と初 歩成 果 中岡は解放後,30年の間い くつかの 曲折を へて,損失 が極めて大きかった が,しかし そ れでも初歩的に比較的完 備し た工業化体系 が形成され,工業 生 産高は1978年 が1949年 より10倍近く増加し まし た。以上述べた弊害を 克服し 企 業の活性化を はかり,企業 と労働者の積 極性と創造性を十分に発揮させ る ために,経済体制の面では,それぞれに結合( ミッ クス)された改革が必要 です。企業 の管理体制にもいくつ かの重要な変化 が見ら れました。1. 企業 の経営方式は単一 から多様化へ変 化し てい く こと。 いままで わが岡の工業は企業の規模の大小,業 種を問 わず,す べて単一の経 営 方式を行ってい ました。即ち 国家に よる統一 的な管理です。しかも集中し , 統一すればす るほど, 経営方式が単一であればあ るほ ど,「先 進的」 とみな し ていたのです。このような経 済体制 は企業を 抑圧し, 企業 の積極性と創造 性を 抑制し , また全国民の工業化を 促進す る積極性を も抑制し ました。数10 年 の経験を 通じて,わが国 の生産力 の発展水 準は,全般的 に見ると,依然 と し て低く,また大変 アンバランスであ り,ただ 単に国家 が,社会の各方面の 需給を統一 計画し,企業を管理する ことは,社会 の多様 な需給を完全に満足 させ,企業を うまく経営するこ とにおいて不可 能です。広大な中国では積 極 的に多種多 様の経済活動の様式を 発展させ なけ ればなら ない と認 識し ました。 こ こ数年来,国営企業 が発展する と同時に,都市 部と農村部の集団企業,個 人経営の企業 も大きな発展を 遂げ まし た。 例えば,都市部の集団企業は1978 年 には26万 力所あ ま りだったのが発展し て,1986 年には約40万 力所に発展し まし た。工業総生産高は,814億元か ら2,627 億元に増加し ,経 済の発展を促 進し ました。企業 においては多 様な経営方式 が展開しまし た。社会主義企業 は 相対的に独立した経営体であ り, 自ら経営し ,自ら損益の責 任を負う生産 者 と経営 者です。社会主義企業 は,生 産物資 に対する所有 権と経営権を分離 させ なくてはな りませ ん。同時 に企業 間の根本的な利益の一致 性と局部的利 益の 相異性に よって,社会主義経済は国に よるマ クロ的 なコントl=・−ルの下 で,企業 はさ まざまな経営方式を 選択し,企業 経営 の活 性化を ぱかることが
できます。これらの理論上の認 識に よれば,わが国 では,企業 の具体的な情 況 によって,さまざ まな経営方式を取らなけ れば な りません。従って大・中 規模の国営企業の中では,各種の経営請負制が実 施さ れ まし た。こ れは中国 企業管理体制におけ る方向づけ の意味を有する重大 な改 革で,請負 の形式 は 大変多く,例えば利潤逓増請負制,つ ま り企業のある年 の利潤を ベ ースとし て,工 場長はこの基本利潤の実現を 保証すると同時に, これから も毎年 の利 潤の一 定のパ ーセンテ ージの増加を 保証しなぐてはな りません。 税収,利潤 及び経営利益を請 負う方式 かお り,また第3 には利潤, 税収お よび企業 の技 術更新を保証し,従業員 の賃金総額を企業利益の増加 と連動させることです。 第4 には企業 の損益を請げおって,赤字へらしを 一定の利益 還元を 実現させ るこ とです。 第5 は「三 包一奨ト とい う方式であ り,超 過 部分は金額 のすべ てを企業留 保 とし, そのかお り損失 も企業が補 うとい う方 法で, これを4 年 間すえお きにし ます。即 ち,所 得税,目標生産高,利潤 お よび企業 の技術更 新プロジェ クトの資 金,調達などを請負うこ と。以上3 つ の指標が達せられ た工場長及び労 働者を表 彰し,工場 の超過し た利益を全 部企業の内部留保と し ,拡大再生 産にあ てることにし ます。 目標が達せられ ない場 合は,企業 は 自らの資金 で補わなくてはなりません。要するに企業の請け 負い形式 が多 種 多様で,それぞ れ工場 に よっ て方法が異な ります。この企業 管理体制の改革 は,全国で今年の5 月からやっ と次第 に実施されはじめ たが,企業 の生産性 の向上や工場長お よび労 働者の積極性と創造性を発揮す る面 でぱ,す でに初 期の成果をお さめ ました。例えば黄石市のす でに請負制 を実 施した15 の企業 に対する調査統計に よると,これらの企業は1987年5 月 の販売収入 は10,290 万 元とな り,4 月 より15.5%増加し ました。5 月の納税額 は2.027 万 元とな り,4 月 より22.5%増加 とな りました。 また北京市では223 ヵ所の実験工業 企業の1986年 度の納税額は13.6%増加し ,賃金総額はご1 % 増加し ました。 さらに河北省 の石家庄市の石家庄製紙工場を例にとって みる と,この工場の 経営は悪 く,1984 年,1 年 に70万 元の利潤を保証す ることで,工 場長に請け 負ってもらったが工場長 はこの請け 負いを辞退し ました。そ のあ と課長であ る馬 勝利が請負い まし たが,そ の年は140 元の利益をあ げ まし た。1985 年に は280 万元,1986 年にはさらに340 万元もの利益をあげ ました。 も う一つ, 河北省,保定市印刷用紙工場は生 産を始めてから9 年間,ずっ と赤字 経営が つづ き, 赤字総額は192 万 元 となり, 負債総額 は586 万元 とな りまし た。
年に請負 制が実施され,その年 に21万元 の利 益をあげ ました 。又,華北 製薬工場は年 ご とに利 潤の低下が目立 ったが,経営 の請負制 が実施されてか ら今年の第:L 季 めには (3 ヵ 月後)3,895 万元の利潤を あげ ました。1986 年 の同期と比較 する と,24.9 % の増加 とな りました。又,河北 省の治金工業企 業は以前,国家からの補助金総額が4,400 万元に達した が,請負 ってから逆 に5.74億元 の利潤を収め ました。この経営請負い制度は工場長が 国から請負 うばか りでな く,工場 に よっては内部におい て,横方 向あ るい ぱ縦方向 のさ まざ まな請負い に より,ト全工場範囲での請負い システ ムが形成 され ました。 例えば,あ る工場は全工場範囲での目標管理請負い制を 実施し まし た。工場 長は副工場長,総技師,総経済師,総会計師 とそれぞれ請負い契 約を 結び, 主管部門は また,各生産 の職場と請負 う契 約を結び,職場 は, また,各生産 グループあ るいは個人 と各指標にもとずいて,直接契 約を結 びます。契約 に は請負い方式 ,内容,賞罰め方法と奨金の計算方法が 明記 されまし た。請負 づだ内容は異なる工場 の機能 と生産組織の特点に よって設定し ます。 例えば あ る工場では,「5 項 目につい て請負い , 分担(規定) を超過した ら報酬を 与える」 とい う制度を も うけ ています。その内容は「生産量 ,品質 ,コスト, 納期,安全運転」 とい う5 つの項目を請負いす べて実行 できたら奨励するこ と,その5 つ の項 目が達 せられ,生産量が分担 (規定)を越 えた ら,そ れを 請負った組織に支払い ます。これら の利益は, コスト と税 金の部分を除いて は,すべて労働者の福祉 と奨金に使い ます。あ る組織で は4 つ の請 負い項 目 について報酬,ある組織では3 つ の請負い項 目忙 ついて報酬を 行ってい ます。 企業内部での請負制の実施に よりJ 各請負組織の独自 の積 極性と創造性を引 きおこし ま七 だ。過去においては企業経営が悪い と工 場長 はあ せるが,労働 者は全く無 関心でした。生 産の巾 で問題がおこったら,工場長 にとっては大 変なこ とだが ,労働者に とっては関 係のないこ とでし た。請負制が 実施され てから「大鍋で食事す る土こ とは廃止さ:れた ので,指導者 も労働者 も真剣に たりました。 経営の請負い責任制度を実行し てこから,企業生 産と経営形態は 好 転し,数 力月の間で各工場の月間増加率は5 % ∼10% の増 加を示し てい ま す。= ・ ・・。・ ・・。・ ・・・ 。。・:し レ ニ ところが,小規模 の国営企業に対しては, 大集団 での請 負制, リ ース経営6; と個人請負制 などさ,まざ まな経営方式を実施してい ます 。多 種多 様な経営方 式を採用す るこ とに よって,多くの崩壊寸 前の企業は救 われて,発展し まし
・a ㎜㎜ だ 。 わ が 国 の 有名 な 杭 州万 向 節工 場 は 初 め は 地 方 の小 さ な 農 器具 修理 工 場 に す ぎ なか っ たが , 個 人 の 請負 い 経 営 に よ り, 現 在 では 労 働者 鴎数 百 人 , 生 産 高 は 千 万 あ ま りに達し て,1 年 で数 万 元 の利 益 を あげ る よ うにな り 宰し た 。 現 在中 国 では 国営 工 場 の請 負 経 営 責 任 制 の実 施 のテ ン ポが とて もは や く ,198? 年5 月 に!2,300 あ ま りの 大 , 中 規 模 の 企 業 に 対す る調 査 に よる と, す で に74.8 % の工 業 企 業 は 各 種 類 の工 場長 経 営 の 請 負制 を 実 施し てい ます 。 また , 国営 小 企 業 の43,600 あ ま りの企 業 を 対 象 に 行 っ た調 査に よる と,43 % の企 業 は す で に 経 営方 式 を 変 え て い ま七 た 。 そ の 中 で 集 団 経営 は ら。3% を 占 め , リ ース と個 人 請負 制 に 変お った 企 業 は2.7 % を 占 め ,そ れ 以外 の 経 営 方式 に変 わ っ た 企 業 は35 % を 占 め て い ます 。 こ れ ら の企 業 は 経営 方 式 を 変 え た こ と に よ り, 総 企 業 利 潤 は1987 年5 月 は1986 年5 月 よ り0.8 % 増 加 し ,6 月 は4.4 %,7 月 は6.3 % そ れ ぞ れ増 加し まし た 。 企業 の 内部 留 保 は20 % の 増加 とな り まし た。 こ の管 理 体制 は中 国 の 実 際 情 況 に 合致 し 企 業 の 発 展を 促進 し , 企 業 の 競 争 力 を 高め た こ とは 明ら か です 。 も ちろ ん この 制 度 の内 容, 形式 ,方 法 な ど につ い て は , なお 改 善 し 完 備 す る 必 要 があ り ます。 目下 , 中 国 で は企 業 の 自 主 経 営 と多 種 多 様 な 経営 方 式 を 実施 す る 中 で, 企 業 は よ り よい 経営 を めざ し て , 企業 の存 続 と発 展 のた め に 企 業 間 の 相互 経 済 の 横 の 連 合が 見 ら れ, さ まざ ま な形 態 の企 業 グル ープ が 形 成 さ れ まし た 。 そ の な か で , 企 業 契 約 の形 で, あ るい は注 文 の形 もあ り, 連 合あ るい は 合 併 方 式 な ど の 各 種 類 の企 業 グル ープ が 誕 生 し まし た 。 あ る所 で は企 業 と科 学 研 究 機 関 ,大 学 とが一 緒 に な っ て , さ まざ まな 科 学 研 究 生 産 連 合体 を 設 立し まし た 。 こ の よ うにし て 過 去 に分 散 し た力 の 結 集 に よ り,専 門 化 し た 協 同 体 め役 割 を 十 分 に発 揮 し , 各方 面 の長 所 を 生 か し ,力 強 く略 方 面 の科 学技 術 の開 発 と応 用 , 製 品 の いろい ろ な 種 類 の開 発 と品 質 の 向上 , 経 済利 益 め向 上 を 促進 し まし た 。 例 え ば中 国長 春 市 で は,1 つ の 自 動 車工 場 を 中 心 に ,数10 の工場 の 連 合 に よ り自 動車 企 業 グル ープ が 形 成 さ れ まし た 。技 術 陣 と専 門 化 を 強化 し , 生 産 能力 を 向 上 さ せ , 産 出 す る製 品 の種 類 は , 過 去 の数 品 種 か ら 数10 種 類 に増 加 さ せ よ うとし まし た 。 例え ば ハ ル ビ ンの3 大 エ ネ ルギ ー機 械工 場 は , エ ネ ル ギ ー機 械 企 業 集団 を 共 同 で設 立し まし た 。 泊鎮 の メ ータ 一工 場 と上 海 の メ ー タ ー研 究 機 関 と天 津 大 学 が 協 同 でい ろ い ろ な種 類 の 新し い 製品 を 研 究 開 発 し , 国 内 の空 白 を 充 足し まし た 。 こ れ に よっ て企業 製品 の モ デ ルチ ェン ジを は や め , 販 売量 を 増 加 さ せ , 利 潤 の年 間10% の増 加 に役 立 ち まし た。
年 の調 査 に よる と全 中 国 にお い て ,県 レ ベ ル 以 上 の 製造 工 業 を主 とし て 新 しい 企 業 性 を もつ 経 済連 合 組 織 が 設 立 さ れ , そ の数 は6,833 件 に 達し まし た 。 省 ,市 の範 囲 を 越え て ,経 済 技 術 協 力 ネ ッ ト ワ ークは20 あ ま りに な りまし た 。 こ の発 展 , 展 開は , 企業 に多 大 な 効 率 と活 力 を もた らす こ とに な る でし ょ う。2. 企 業 指 導 体制 は ,責 任 の な い 集 団 指 導 か ら 厳 密 な 責 任制 度に 移 行 す る こ と。 わ が国 の企 業 指 導体 制 とはす な わ ち , 企 業 の 意 思決 定 と コン ト ロ ―ル シ ス テ ムを さし ます 。 過 去に長 期 に わた っ て党 の 指 導 の下 で の ,工 場 長 責任 分担 制 度が 実 施 さ れ た が, 実 際 に は ただ の集 団 指導 の も とで の 責 任 分 担 制 でし た 。 つ ま り企 業 の す べ ての重 大 な問 題 につい て一 切 集団 で 意 思 決 定し , そ の あ と, そ れ ぞ れ 個 人 で責 任を 分 担 す る のでし た 。 こ の よ うな こ とか ら 意 思 決 定 と経 営 責 任 が 分 離し ,命 令 と現 場が 分 離し 実際 に誰 も責 任 を とら な く な りまし た 。 経営 も わ から ない 素 人 が企 業 を 経営 し 意 思 決 定を す る 結果 に な っ た ので す 。 こ うし て 企業 で は ,生 産, 品 質 ,及 び 安 全 な ど の面 で 事 故 が発 生し た場 合 , 往 々 に し て誤 ま った 指示 を 出す か , あ るい は 誰 も責 任 を 負 わ な い こ とに な ります 。 さ らには 責 任 の所 在 が わか ら な く な っ た こ と もあ り ます 。責 任分 担 の不 明確 と官 僚的 な 風 潮を つ く っ てし まい まし た。 例 え ば あ る工 場 で は新 製 品 の 開発 を 決定す る際 に, 調 査 , 分析 を せ ず, 投 資を し て , 生 産 を始 め てか ら 製品 が 売 れず, 結 果 的 には ,投 資 の浪 費 ,製 品 の 滞 貨 を 招 い てし まい まし た が, 責 任 を とる人 は い ませ ん 。逆 に こ れ は 学費7 )であ る と(弁 解す る) 人 もい ます 。 つ ま り今 後 もこ の よ うな放 漫 な 経 営 を 続け る こ と が 許 さ れ る とい うこ と です 。 数10 年 の 経 験 と教 訓か ら 考 慮 し て , 企 業 の 経営 を よくす るた め に は, 意 思 決 定 と経 営 を 統 一 さ せ なけ れ ば な ら ず , 権限 と責 任を 統 一 さ せなけ れば な り ませ ん。 また 指 揮 と現場 状 況 を も一 致 さ せ な く て は な りま せ ん。 指 導体 制 の 確 立 は以 上 の原 則 に 合致 し な くて は な りま せ ん 。 特 に当 面 ,企 業 で の 自主 経 営 , 独立 採 算 制 を 実 施す る にあ た っ て は, こ れ ら の 原則 に 従い , 指 導 体制 を と とのえ て は じ め て ,企 業 の 正 常 な 生 産 活動 を 保 証し ,企 業 の活 性 化を は か る こ とが で き ます 。 そ れ ゆえ , 今中 国 で は ,工 場 長 責任 制を 実施 し ,工 場 長 に 経営 上 の 経 営 権 を 与え ,工 場 長 が 市 場 の 変 化 と消 費 者 の ニ ーズ と工 場 の情
況 に応じ て,企業 の経営活動を指導し,企業の適応能力 と競争力を強力させ る ようにし ました。工場長 の意思決定 と指導力 の確実性を 保証す るためには, 集団の知恵を持 って,工場長 の意思決定 と指導 の根拠 とし なけ ればな りませ ん。これには各工場に よっていろいろなや り方があ ります。 例えば多 くの工場では,管理委員会が設立され,管理委員 会は工場長, 副 工場長,各部門別の責任者,労働組合の幹部,党の指導 者,労 働者の代表か ら構成されてい ます。工場の重大な意思決定はすべて工 場管 理委員 会の討議 をへてから,最後は工場長 の決断にゆだねるのです。あ る工場 では経営責任 者,あ るいは工場長 によって構成された執行部会議で決 定し ます。 また,あ る工場 では労働者代表会議が工場長 意思決定 の諮問機関 とし ます。こ うす る と工場長に よる意 思決定 と集団の知恵の発揮が ともに保証 されることになり ます。1987 年5 月 の末に57,727 の企業を対 象に行った調査に よる と32,587 の国営 企業がすでに工場長 責任制を実 施し てお り,この数は調査対 象の56.5%を占 め,これらの企業 の1987年! 月 ∼5 月までの工業総 生産高は1986 年同期と比 べるとlZ.o/o 増加し,利潤はn,n0/ 増加し, まだ工 場長責任制を 実施してい ない工場 よりお しなべ て,1 ∼2 % の増加とな りまし た。 明らかにこの改革は中国の客観的突 贋に合致し ているのです。 もちろ ん実 施を進める中で, 更に検討し 解決すべき問題がたくさんあ ります。 例えば工 場長責任制 の下 でどの ように集団の知恵を発揮すれば よいのか,党 と企業の 関係はどのようにす れば正しく対処す ることがで きるか,多 くの労 働者はど のようにすれば, よ りよく企業管理に参加することが できるのか,な ど。3. 単一の計画経済か ら計画 と市場 メカニズ ムとの結 合体 制へ きりかえる こ と。 ・’ 改革の前,わが国は単一の計画経済を実施したので,企業 の経営 活動はす べて国家の統制のも とで行われました。企業の生産活動 はただ国家 の計画を 実現するために行われただけ でした。企業が生産し た製品はす べて国に納め, 国にょって販売 され 首し た。企業は市場の需給に よ づて計画を 改 めることは できませ んでした。ノこれで,企業生産は消費者の需 要から乖離し,企業は製 品の販売情況に関心を 持だなかったので,大量 の製品 の滞 貨を もたらしまし たJ=,こ うなる と企業 は必然的に,市場 の要求,消費者 の ニーズ,生産消耗の 合理 性に関心を 持たず, さらに新製 造の開発と製品 の品質√一技術水準の向上,
お よび経営の改善 も重要視され ませんでした。 数10年 の実践を通じ て, また,外国の経験教訓を 参考 にし て,我 々は,企 業 が市場の要 求と消費 者の ニーズに目をむけ ,企業 の経営 と企業 の効率 と利 点を改善し,企業 の利益を向上 させ,企業の競争力 と臨 機応変に処す る能力 を高めなげれば ならない と,以上 の問題 の解決の必要性を 認識し ました。 色 々な分析,研 究,検討 の結果 ,理論 の面で従来の計画経 済 と商品経済 とを対 立させた 古い認識を改め る必要があ ります。,従来 の考え は,計画をただ指 令的8)なもの でなけ れば ならない とみなし,計画は国民 経済のすべてを 網羅 し ,それはマ クロ的 コントロ ―ルばか りでなく, ミクロ的 コント1= −ルを も 包括ずるこ と,計画 の実施方 法は,主に実践形態を とりい れレ 直接の計画配 分を実施するこ とでした。新しい理論体系は,計 画経 済イコ ―ル指令的計 画 ではなく,指令的 計画を縮小し ,指導的計画9)を拡大す べきこ と,計画はす べての物を網羅す るのでは なく, ミクロ的 (微視的) にまで干渉する必要は なく,主 にマ タロ的 (巨視的)な バランスを 調整す れば よい のです。 計画の 実現ぱ必ずし も計画 目標体系を と りいれるこ とではなく, よ り多 く経済政策, 価格,租 税,利 子,為替レ ートな どの径済指数の調整 によっ て,経済の活動 に影響を与えるこ とです。 従 って 社会主義経済は 意識的に 価値 法則を根拠 に,計画指導のも とでの商品経済を 実現しなくてはな りません。今中国では, 計画は主にマ クロ的な経済活動を調整し,マ クロ的均衡の とれ た経 済活動は, 市場のメカニ ズムの 調整 に ゆだ ねなくてぱな りません。 マ クロ的な 調整は 市場の変化を根拠 とし なけ ればならないし, ミクロ的な経済活動 もこの計画 の制約を受け なくてはな りません。経営権を企業 に譲渡し,企業 は市場 の変 化,消費者の ニーズに 目をむけ させ,これに より企業ぱたえず経営を改善し, 品質の向上 と新 製品 の開発に力を入れ,競争力を高め,企業 の活性化をはか るようにな ります。ニ企業 を真の意味での商品生産体 と経営 体 にす るために, 国は もとの120種の製品 への統制から,50%以上減少し,113 種類の製品に対 する価格統制から25 種類 まで減少した のです。この ような重 要な改革の実施 に より,企業は,節約を重 視し, 消費者の需要 に応じて生産 する ようにな り ました。こ うして今 までの旧型 の製品がすてきれず,自社 の製 品は「逸品」 であ り,売 り手はい くら でもあ るとい う古い考え方を改 めまし た。多 くの企 業はたえず模索し ,研究開発,技術導入,品種改良 などを通じ て, 。新 しい製 品を増やし市場の需求 に応え なけ ればならなくな りま七 だ。企 業は製品の研
究 開発に力を 入れ,市場の変 化に対応す るためには,販売中の品 種以外に新 しい 品種も用 意しなけ ればな りません。例えば,四川電炭工場では,販売中 の製品のほかに,また,試作研究中の製品 も用 意してあるそ うです。多 くの 工 場は以前,市場状況や 消費者の需給を掌 握せず, 消費者 に奉仕し なかった のですが,現在方法を 講じて,市場の 情報を キ ャッチし,以前の「官 僚的商 人 」 とい う風潮を変えて,お客様 は神 様とみなす ようにな りまし た。外国か ら先進的技術,新型製品を導入した工場 もたくさんあ ります。例えば営 口洗 濯機工場は,松下電器産業会社 の技術協力をえ て,製品 の質を向上させ,販 売 量も もとの20万台から30万 台に増大 させ ました。そ のほかに多 くの企業は, 業 種の違いを 越えて,多角経営を展開す る ようにな りました。例えばある工 場 は,機械を 製造するだげで なく,洗濯機や 子供の玩具なども製造す るよう にな りまし た。 そのほか,国家の企業 への投資 も以前 の国予 算の支給から,企業 による資 金調達方式 に変化しました。今 まで企業 は, 実行できる可 能性 と収益如何に か かわらず,盲目的に投資 と生産能力 の拡大をし ,大量 の浪費を もたらし ま し たが,現在の方式に変 わってから,多 くの企業 は,つ とめて増産,節約, 経 営拡大をおしすすめ,経済的効果を 求める ようにな りました。 以 上の改革を通じて,企業 の生産高 と利潤 は,普遍的 に上昇し ました。国 営 の企業の一 部を調査し たところ に よる と,1986 年 の総生 産高は1979年 より1.14 倍 に増加し,利潤 の増加も3 倍あ ま りになってい ます。四川 省撃枝花製 鉄公司を 例とす ると,この工場 は1980年以来年生 産高は毎年2O7 %増加し , 年 間の利 潤は,20.21 %増加し まし た。 これ らに よる と明らかに当面の中 国 の初期 の改革 は,企業 に圧力をかけ 原動力を与え ました。企業の発展と活性 化 を 促進し, また社会に有益な富を多 くもたらす ようになりまし た。4. 平 均主義の伝統的 な観念を 打破し,労 働に応じて分配する制度の計画 的商品経済 の条件の下 におげ る構造 と様式を 研究すること。 企業 のなか の分配問題 については慎重 に対 処し なけ れば,先進的 模範人物 ( よく働 く者)をおさえつけ ,落伍者 (なまけ 者)を もてはやす ことにな り ます。 このことは,企業 の生産品質の低下, 収益 にも悪 影響をまねくことは 必至 です。 神 国各企業 の賃金,報奨 金,多種の手 当などには大変 な平均主 義が存在し てい ます。 このような弊害がひ どく,人 間の向上精神の奮 起を抑制し ,もた
らされる結果 は大変悪く,そのマ イナスの影響は,硬直したいかな る伝統観 念 よりもさらに深刻 です。基本的 には以下 のとお りです 。 例えば,企業は「大鍋 で食事する」 とい う観念 で,企 業の留保 と企業 の経 営成績 とは連結をはずし てい ます。 企業 間の利益の配分 は不公平で,営利20 万元の企業の留保 金は,300万元り赤 字を出した企業 より少ない のです。1960 年 代以後,企業 の奨励基金の一 律に従って賃金の総額の2 ∼3 %程度 にあたる金額を設定し ,またこの基本を生 産7 ストに算 入し まし た。多くの 福祉 と手当 て(補助)を とる制 度を定め ることに よってさらに,企業の国か らの配分収入 と企業 の経営の よしあしは分け られ,企業 の中には,平均主義 が もたらされ まし た。これらのことに よって企業は全 く,経営 の効果 と利益 に関心を 持だなくなりました。 第2, 労働者 は企業 で「大鍋の飯」を食 べています。労働者の報酬 と企業 への貢 献度は関連がなく,長い間,労働者 の給料のベ ースアップは,すべて 国家のパ ーセンテージ, (一定 の比率)に従っ て統一 的に配分し ,給料の高さ は,労働者 の労働 とは基本的に連係を失 ってい ました。 特にベ ースアップの 時 には,基 本的に労働年数の長さに よって決定されてし まい ました。 労働者 の中で1958年から1960年 のあいだ に 就職した人 は 基本的に3,4 級 の労働10)。1961 年から1966年 に就職した人 は基本的に3 級の労働。1967 年以 後 に就職した人は基本的に2 級の労働とい うように決められ ました。 また頭脳 労働賃金は同じ年齢 の肉体労働者賃 金 より少 い とい う現 象があら われました。1982年 の関係部門 の調査資料に よると,50 歳以下 の頭脳労働者 の月平均の労働賃金は,同じ年齢の中卒,小 卒程度 の肉体 労働者の月平 均収 入 の10%∼20% くらい低く,50 歳以上 の頭脳 労働者 と同年 の肉体労働者は基 本的に賃金が同じです。以上の調査資 料から,あ きらかに労働者の収入にお け る平均主義 の厳し い状況が うかがえ ます。 これは必然的に仕事をしてもし なくても同じ結果を もたらし ,実際的 にな まけ 者を奨励し ,勤勉な人を罰す るこ とにな りまし たO 以 上の弊害から考慮して,企業 と多 くの労 働者の積極性 と創造性を高める た めに,当面の分配制 度上の改革 は,お もに分 配的平均主 義を なくすことで す。数年におけ る分配制度の研究 は以下の とお りです。1. 企業 へ。の利益の配 分は企業の経済的経 営状態 と連結していなけ ればな
らず,各企業 の経済利益の高 さに比例し て,配分の金額を上下す る方 法を と ります。 配分金額と経営 状態を連結させると同時に,企 業にみず から企業賃 金形態(時間給,で きだ か給など) と賃金制度(仕事のし くみに よって給 料 を決める,職業地位に よる給料, クラス級別 給料)を決 める権利を企業 に与 えます。企業が さまざ まな状況に よって自らの賃金管理制 度を決め,一歩さ らにおしすすめて,平 均主義を なくさせることに役立ち ます。2. 労働者が企業の「大鍋 で飯」を 食べる悪弊をなくす こと, そのために 改革の中で労働に応じた分配,多くの労働で多 くの収入,少 ない 労働で少い 収入,頭脳労 働 と肉体労働, 複雑労働と単純労働に合理的 な格差をつ くるこ とです。 また組み合わせ賃金制 度 く基本給,職務給 (役職 給),勤続年数な どで構成する〉 と経済責 任制を 結合した奨励賃金,企業 の分配体系をつ くり ます。それは大いに労働 者の積極性を促進す ることに役 立ち ます。 目下,各工場 が自ら0 情況を結合し て制定し た合理的な分配制 度は大きな 成果をあげ まし た。 たとえば四川綿陽一紡織工場は集団で きだ か請 負制を 実 行し ,労働者 の積 極性を ひきだし ,経済効果は安定的に上昇を とげ ました。 この工場は1986 年 に年 の1 人 あた りの納税額は22.04 %上昇し ,労働者の平 均 収入は1フブ7% 増加し ました。1 万あま りの工場を 調査し た ところ,賃金改 革に よって企業は1985 年は1979 年 より5.3 倍ほど増長し まし た。 中国の改革 はす でに約8 年 間を経過し,大 きな成果を収 めまし た。工 農業 生産 と人民生活 などの面で著しい変化がみられ,特に工業り 発達 する地域 で は変化が極めて 目立 ってい ます。し かし まだ 解決を 急がなくて はなら ない問 題が山積みし てい ます。 これらは企業 と労働者の労働意欲の発揮 に大 きく影 響をお よぼし てい ます。 これ らの問題の中には体制による問 題 もあるし ,企 業体質 と経験に よる問 題 もあ ります。さらに研究し ,改革を深 化させ企業の 活 性化をはがらねばな りません。 今後,中国で は企業 の改革 と開放政策の よ・力 一層の展開に よ り,生 産力 が 高められ,1 つの経 済発展の新しい 高まりが現れて くるにちがいあ りませ ん。 と同時 に,必然的に以下 の ようなこともひきおこされるこ とでし ょう。 (1)企業は積極的 に市場 の情報を キ ャッチし情報収集技術を 発展 させ,市場 の需給に応じ て,= 消費者に よ りよいサ ービス(奉仕)。をしな くて・はな りませ ん。 △ , (2)企業 は, 経済の発展や消費 者の要求に応えるために,新 製品のニ開発や品
質の向上に努 めなけ ればな りません。そのためには多 く の先 進技術 と設備の 導入も必要とし, 自らの開発能力 も強化し なければな りません。 ・(3) 企業 は自らの競争力を 高めるためには,経営の改善 , コストの引き下げ, 管理の現代化を はか らなけ ればな りません。 また, コンピ ュータに よる設計 と生産管理を 発展させ,経 済のより一層 の発展を 促進し なけ れば な りません。 以上,当面の中国の企業管理体制改革 の情況について紹 介させていただ き ましたが,中 国は国土 が広 く,各省によって情況が異な り,問題 はかな り複 雑です。時間 の関係で,今 日はここまでに致し ます。 注 1) 労働者:この場合の労働者は,工場,企業団体などの職員 と労働者の意。2 ) 官僚主義:中国におい て「官僚」とい う言葉は悪い意味 で使われることが多い。 「人民に奉別する」 とい う考えがなく,民衆に対して無責任な態度を とり,仕事の やり方もてきぱきせず,役人風を吹かす態度,やり方,風潮を さす。3 ) 奨金:日本のボ' ナスにあたる手当て。もともとは,働いて も働かなくても, 給与待遇に差がない状況では,勤労意欲の低下がもたらされる。それを防ぐため に,はじめられた物質刺激の方法。4) 企業への利潤 の還元率:利潤が何%多くでたら,労働者に還元すること。5 ) 大 鍋で食事する:本来は「同じ釜の飯を食 う」平等主義を表したが,文革後仕 事を よくやってもやらなくても報酬面でほぼ同じ という悪平 等のたとえに用いら れる。待遇一律主義,親方日の丸旗の意。中国経済の効率 の悪さをつくる1 つ の 原因。6 ) リース経営;企業が機械を国から借りて,借りた分を国に金を納める経営方式。7 ) 学費:この場合は試行錯誤して正しい経営方式を学ぶこ とにかかる費用0 意。8 ) 指令的計画:国家計画 の中で必ず実行しなくてはならない強制力 の強い計画。 実行できなければ法律上の責任を負 う。 指令的計画の中 には,重要な工業製品の生産,買いあげ,重要な農産品の買い 上げ,基本建設の規模お よび大中型プロジェクト,重要な 商品の価格,国家財政 銀行の貸し付け額および通貨発行量,国際収支,賃金総額,国営企業の労働者数 などが含まれる。9 ) 指導的計画:国家計画の中でも「指令的計画」に比べて 規制力 の弱い ものをい う。各機関や企業 は国家 からの指導的計画を参考にしながら実際の市場り需要や 生産現場の現実に合わせて最終的に決定する。決定は上部 の主管部門に報告し, 了承を得る必要があ り,主管部門は注文をつける権限を もっている。 指導的計画 とし ては,主要農産物の生産,比較的重要な工業製品,小売り総額 集団企業の労働者数などが含まれる。
10)3,4 級の労働:(公務員,労働者などの)賃金ランキング。大別すると以下 の3 通 り。 図 事務職幹部の行政級は1 ∼25級で最高は1 級 (イ) 労働者の企業級は1 ∼8 級で最高は8 級 (ウ) 技術者の技術級は1 ∼15級で最高は1 級 報告者 訳 者 洪 宝 華 曲 慧 寧 広 根加奈子 く文責は東 洋大学 経営学部 論 集編集委員会〉
-中 国企並 管 理体 制改 革
洪
宝
隼
中国企並管理 体制 在改革 前的情 況。 改革前中国企並管理的哲史情況,一般大致可引 納力三半階段: 第一階段力社会主文企並管理的形成和創建吋期 (1949∼1956 年) 在中隼人 民共和国成立以前,全中国有各炎工並企並l2.3万家,而且大 部力軽工並或修配性工並 ,当吋工並怠戸値只占国民鰹済怠戸値的10 %, 鋼 戸量也只有15.8 万 咤。企並管理水平恢低U 中隼人 民共和国成立后 ,首先対企並道行了整頓和改造; 推行了民主管 理 和建立エド 管理委員会頓尋下的ニ長負責制,保征了企並生戸的正常道行 和爰展。在1952 年以后,全国送行了第一半五年汁刻建没; 状詐朕引退了共156 項新建工程; 並忙建和改建子1,000多 令企並,使工互企並的生声能力得 到迅速増長; 在企並管理方面,也全面学男了詐朕的一套科学管理方法,大 大提高了企並芳劫生戸率。到1957 年全国工並怠戸値比1952 年増長141 %; 芳幼生声率提高61 ‰ 当吋由于没有 根据 中国高 師情況 建立自己的企並管理体制,而状詐朕 不加分析地照搬了一套企並管理 ,因此声生一些在企並管理方面的問題。如 一 一 強凋了寺並管理人員的作用/而忽祝了民主管理; 在企並決策方面 ,重視 了令人 的作用 ,而忽祝了友 禅集 体智慧; 因 此 ,企並在 管理上造成一些不 必 要的失渓和圧 抑了企ikr 大 取工 的釈 根性。 第二 階段力創 建中国式 社会主 叉企並 管理 的探索吋 期(1957 ∼1965 年)o 拭i95e 年 以后 ,中国 根据自 己的国情, 探索 自己管理 企並的道路和方 法。 力 了在企並 決策方 面友 揮集 体智慧 ,先 后在 企並 中推行了“ 党 委領尋下的戸 長 負責制”; 力 了克 服脱高 安 豚,防止官 僚主 叉 ,吸収取工 参与管理等 ,推 戸 了“一 改,二 参,三 結合。(即企並 管理人 員参 加分劫 ,工人 参与管理 ,改 革不合理 的規 章制度 ,対 重 要向題 由頻 尋, 工 程技木人 員 和工人三 錆合 ,来 集 体研究 解 決),力 了加快 技木 水平 和安 展科 学, 友 劫群余大 摘技木革命 和技木 革 新。 進些 方面 本来是 具有創 建性的; 但由 于 在実施 道程 中訣乏科学的志 度 ,反而 出 現了吽多 失俣。 例如, 寺 並管理人 員 参 加芳劫 后 ,放亦了 管理工 作; 部分工人 参与管理 ,出現了脱 彦和半脱彦人 員 辻多; 改革不 合理的規章 制 度 吋,甚至把 合理的 規章制度也改 棹了,造成 丁吽多 片 品皮 量事故 ,有些 エ ヰ将建立 起的 有敗的一套定額制度也不 要了。 在大 摘 技木 革命 中里 然推道 了 中国的科 学技 木的皮 展; 但也皮生了許多 技木 方 面的 事故; 如出現有 的 戈 机不 能戈,有 的 机器不 能油等等重大皮 量事故。所 以 ,在1961 年以后在工 並 方 面: 道 行了 凋整, 現 固,充 実,提高 ,完 善 和 吹夏了 必 要的規章制度 和生 戸秩序; 使 企並管理工 作走上了正常化; 使 企並 生戸由 混 乱走上了正 規,由 挫折 走上了笈 展。 ト 第三 険段 是 企並管理遭受 鴛 重破坏 和挫折 吋期 (1966 ∼:1978年) 在逮一 吋期 ,由于 遭受到 “左” 的思想影 咆 ,使企 並管理 遭受 到戸 重破 坏 ,如有 些人提 出 要建立“三元エド ’,即在 企並 内部不 要領 尋,不 要管理 , 不 要規章 制度; 出現了企並生彦元人 管, 工人 上班元 要求; 使吽多 企並生戸 不正常, 片 品皮 量低劣, 経済敷益狼差 ,甚 至停 止生戸; 進祥造成 了在1976 年全 国工並企 並 的資金利 潤率只込到1965 年的一一半左 右, 遥 一年 全中国竟有i/3 以上的企 並 号損; 使 国民鰹済走 向崩 潰迫 縁。 在遠 近三 十年 来 ,中国的 経済里然几竪 波折 ,摂失 惨重 (有人 信汁六千 紀元 ,有 的信汁 上万化元)。但 逐是有 如下几方 面成 績:1 、 根据1978 年凋査全 中国 已有 各炎 工並 企並ll3.84 万家 ,其 中大 中型 骨 干 企並 約8,000 多 奎 ,梱 有 机 床 数 込2,436,000 多 台。已 初歩形成了 自己 比較完整 的工並 体系。2 、工 並怠戸 値 已込到4,627.5 侶元。比1949 年 増長近10 倍。3 、主 要 工 並 片 品 戸 量 増 長 幅 度 根大。 如 鋼由1949 年的15.8 万 咤 ,到1978 年已込到3,178 万 哺 ,増長迭200 多 倍 ,力 世界 第五 位。石 油仄几万岫 安 展到1978 年 已 迭l,040.5 万 咤,年声 量迭世 界第八 位。 化 学奸雄1978 年年 声 量 已迭28.46 万 咤,力 世界第七位。原煤 已状几百 万 哺皮 展到1978 年年戸6.18 紀 哺,力 世界 第三位。 ■■■ ・- 「但是 ,在 中国由 于 企並 管 理 体 制方 面存 在着許多 同題 ,阻 碍了企並 生 戸 能力 的皮採 和圧 抑了戸大取工 的桐扱性 和創 造性 ,並存在着方 重 的物資, 有 金等利用 不 当的 浪費現象 ,使企 並所生爪 的片 品成 本高,皮 量 低等等; 怠
之 ,企並 在管 理方面所 存在的弊端根多 ,│司題戸重 ,主 要有 以下几方 面: 」1. 国家 統得辺死 ,企 並 不芙 心 市栃需 求。 中国 在一九 七八 年 ば 前 ,対 企並全部実 行国家 統一汁 刻、統一牧鈎 和統一 梢 告。 造成 了企並 不矢 心白己 的戸品品仲 、戸 品戸 量、声 品貨量是否符合用戸 需 求。 国家 的 統一管理 又不 可能遣立 市燭需 求的多 交 。 企並刈‘庁 晶的更 新挑代又不 税 扱 ,作多 企 丑的戸 品忙期不交 祥的 生庁 ,如 有的工戸三 十年的庁品 途顔色 也不 改変 ,中国 絞先 斑 的長春 汽牟ド 就是 遠 祥。有 的エド 不同 市垢需求量的多 少, 只按汁刻生戸 , 造成 丁有 些戸 品 市栃需 要反災不到; 而有的戸 品又 形成 大 量桐圧。 例如: 根 据一九八四 年初 統汁 ,全 中国俣 机 屯戸品一項 就 桐圧7630 多 化元人 民雨 , 根炭丁近600 イ乙元人 民 面 訪 垣品桐圧 了近12り化 元 ,造成了 扱大 的浪費63 丁 由 于国家 統一 璃定 分 配制 度 ,迫成了分 配不合 理 ,挫恂了 企並的桐 使 既。’国家 体 制是工 資、奘金和企並利削分成 吋 ,常 根市 依据 企並 和牛人的 上亜績来 倫定。 因此↓ 工 資堰長只 能按工 胎長短来 定 ,蚕並 科 洵分成筒単地 按 増加利 洵和戚 少号拐多 少来 倫定; ェ 作好的聡エエ 喪皮 出工 作妾工 齢忙的牧 ニ人 少。又如 盈利少 的企 並不如威少 号損多 的企 並提成牧人 犬。 造成 了吃“大 鍋仮”現象 ,挫岱 丁企並取工 的狽扱性, 形成了干 不干ャ 卒 祥 ,生 戸敢率低。 。全困工人年戸 値人均 只辿 到 一万元; づ机械行廿工入 人均 戸哲 只有五千多,∇有 的I企豆只込到三 千多 元 的 低水千 。ニ ∧… ……… ………… …^j.‘jr 之 ・1 ・ ………3 ∧ 資金周 特 机和 資金利 洵率 低。 企並所用 資 金辺 去 全部由拍家 元指配 洽 ,企並不宵矢 心頁 金利用首 有 敢性租合理性 ,造成丁 犬量 資金 和圧 √出洩 づ資金周特期 拉、 利 洵率 根低 的現象。例如机械行 並的企 並辺 去平均 資全周紡 ノ財列力558 犬。 而全 国 資金利 溜率一九 七七 年力・22.3% ,一 九 六〇 年力7.7 ゝ 中国 近几年来 企並 体制方 面改 革情 況和初歩成 慎 ■ ・し‥ 中国在解放后的三十年中,ii 自己比較完整的工並体系; 工並 六気1978 年 比1949 年増長近10 倍。力了要
克 服以上弊病 和増強 企並 活力 ,充 分友 禅企並 和取工釈 仮性,創 造性 ,在経 済体 制方 面 需 要道行全面 的配套 改 革,対企並 的管理体 制也応生 了令重 要的 豹変。1 、 企並的 鰹菅方式 由単一一化向多 祥化豹 変。 辻 去 在我国的工並不 向規 模大小 ,不分 行並, 一 律来用 単一的 鰹菅方式。 即由 国家 統一管理。 而且 法力愈 是集 中銃一 愈是尨 向鰹菅方式単一化 ,就 愈 是 “先道 ”。 逮 祥的 経 済 体制束 縛了 企並的 于脚, 限制 了企並的釈柾 比和創 造性; 同 吋也 限制了全 民亦工並 的 釈扱性 ,通辻遠几 十年来的 鰹論 ,法況到 我 国生 応力 安 展水平急 的悦来逐 比較低 ,又 根不平衡; 単由国家 来銃一汁到 社会的各方 面需求和管理 企並是不 可 能完 全満足社会的多 神需求 和亦好企並 的 ,必須 要 在 幅員打大的 中国釈 仮安展多m 鰹済形式。 近几年来 ,在国菅企 社友 展的同吋 ,城多集 体 企並 ,。全 体 企並也 有 根大友 展。 就城 鎮集 体企並而 言 ,由1978 年的26 万多 令 ,安 展到1986 年 己迭40 多 万 全; 工並怠戸値 由814 化 元 増加 到2,627 紀元。促逃 了 鰹 済的安 展。 在企並 升展了多 祥化的 鰹菅 方式。 因力状 沢 到社会主文企並是 相対独立 的社 会鰹 済実 体 ,是 自主 睦菅 , 自 負盈 号的 商 品生戸 者和包菅 者,社 会主 文 企並 対生戸 資 料的所有枚 和鰹菅 枚具有 可分性; 同 吋企社 回的 根本利益的一 致 性 和局 部利 益的差昇性。 也就 決定 了社会主 文 国家 的宏説控制 和企並有 杖 逃 抒災 活多 祥的経菅方式 ,来 摘 活企並。依照 遠些理迫上的秋沢 ,在中国要 。按照 企並不同 情況。采用多 神 鰹菅方式 。在大 中型国菅企並 中升展 了各 神経 菅 承包 責任制 ,迭是中国 企並管 理体 制方面 最有方 向性的重大改 革。 承包的 形式 根多 ,如 有実行利 海送増包 干 (即企並 以 某一 年的利 潤作力 基数 ,戸長 保 江在完 成 基数 基 咄 上 ,同 吋 保江了 今后毎 年保正 利潤 逓増二定百 分数), 保 税収,利 潤 和鰹菅敷益; 第三 神是 保利 税,保 企並技木改造,使取 工工資 怠 額与 企並 敷 益丿云慌往 鈎; 第四 神是ラ 損包 干 和減 号分成一神力ヽ法; 第五神 承包各三 包一 奘 ,超 額全賞 ,欠 額 白ネト,四年不変 (叩包上 交的所得 税 ,包 目 杯戸 値和利 潤,包 企並技木改 造項 目的 奘 金等 集 ,奘 励完成三包的戸長 和 嗣工 ,工戸 超 額利潤 金賞 不用于友 展 生戸 ,迭 不到承包的 利潤額 ,企並 要用 自 己 所 有 資 金 ネト之)。 忌之; 企 並承 包的形式 多 神多 祥,一 戸一法 ,因情況 不同 而昇。 遠一 企並管理 体制的 改革, 鼠然金 中国 只在今 年五 月 オ逐歩推行 , 但 已対 企並 生 戸力 的友 展,J 一孤和取 工的 程 根性和創 造性的友 揮 ,已初 兄成
鼓。如 据黄石 市対15 全 已承包鐙菅 責任制的 企並凋 査統汁, 官 佃在1987 年五 月扮的 拍告牧人 力10,290 万元, 比四月毎増長l5.5 %; 五月 扮実現 利税2,027 万 元 , 比四月毎増 長22.5 %。 又如北 京市223 全 訳点工 並 企並, 在1986 年上 交利税 増 伝13.6 %, 工 資怠額増長2.7% 。力 河北 省石 家庄 市石家 庄造沢ド , 原来咳 戸 鰹b- 管理 十分混 乱,在1984 年 以保利潤70 万元 包 姶ド 長 ,戸長不 敢 接受。 男一 名科 長弓腔利接受了 ,当 年就盈利迭l40 万 元,1985 年 荻利迭280 万元 ,到1986 年 盈利迭到340 万元。男一 令工戸是 中国 河北 省保定 市的版 紙r ,弑 投片生 戸9 年 ,年 年号損 速怠 額192 万 元 ,タト債 速586 万 元, 弑l986 年 実行 承包経菅 ,当 年盈利 速2i 万元 。又 如隼北制約ド ,利 潤年年下降 ,実行 承包経菅 責任 制后 ,今年第一季度就実現利riil3,895万 元,丿ヒ1986 年同 期増 長込24.9 %。又 如 河北省冶金工並企並辻 去ネト貼速4,400 万元 ,承 包 后 之交 利 洞5.7A 化元。 ド 長 承包 鐙菅 責任制不惶是ド 伝向国家 承包 ,而且 有些工丿一在内部也実 行 横向到 辺 ,戮向到 底, 説 横交措 ,不 留空 隙 ,形成 一 介全ド 完 整的承包 鐙 菅体系。例如有 的エド 実行全r 芭国 内的 鰹菅 目杯 承包。ド 長 分別同 副ド 長和 怠工程師,怠 鰹済帰,怠会汁暉笠汀承包合同, 副ド 長,各 怠工 程暉分別同各並 努部月 答汀 承包 合同 ,主 管並努部口又与各生 戸牟 回笠汀 承包 合同 ,率 阿再 与各生戸岨 和令人 貢接 按指掃分組下去。合同 中対 承包方式 ,内容, 奘懇亦 法和汁奘方式 作 了規定。 承包内容又 根据不同 単位的 取 能和生片坦 坦的特点 所没置。如 有的宣 行 “五 包一奘 ,超 額加酬”。“五 包 一笑” 即包戸 量, 包尻it ,包 成本, 包完 成 期限,包 安全生片 ,完成五 包治 奘励。 当五包完成 后 , 対戸量超辻 承包部 分 比照対 外加工,支付 絵承包単位 相除成 本 和税金后 的加 工 費,用 于取 工福 利 和装 金。也 有的単位宣行 “四包一 笑” 或 “三 包一 奘” 等。企 並内 部実行 承包后 ,有 敢地凋功了各 承包単位 自主 鰹菅的 桐仮性和創 造性。辻 去企並 生戸 上不 去,企並ド 長急 ,取工不 急; 生戸 出了同題 ,r 長 拡共 ,工人 吹 牛。 承 包后 ,打 破 了 吃“大禍坂”,頻 尋 也 急, 取工也急。所 以,宣 行ヰ内 承包 経菅責 任制后 ,企並生戸 鰹菅形 勢大 好 ,几介月来各工戸 生戸月増長 在5 % ∼10 %以上。 男 外,対 小 型国 菅企並則実行集 体承包 鰹菅 ,租賃 経菅 和介人 承包 鰹菅 等多 神 鰹菅方 式。 由 于米取了多 神 経菅方式 ,使吽多 面 鵬崩 潰的企並救 活了 和友展To 如 中 国有 名的杭州万向 市ド ,升始力多 村的 一令小衣 具 修配r ,
鰹 遠 令 人 承 包 鰹 菅 , 現 已 炭 展 成 有 工 人 几 百 名 √ 年 戸 値 = 千 多 万 , 年 荻 利 凡 百 万 元 。 現 在 在 中 国 , 国 菅 エ ド 実 行 承 包 鰹 菅 責 任 制 炭 展 速 度 復 快 。 在1987 年5 月 経 辻 対 一 万 二 千 三 百 多 半 大 中 型 企 並 的 凋 査 , 已 有74.8 % 的 工 並 企 並 実 行 了 各 神 戸 伝 承 包 経 菅 責 任 制 。 男 外 , 対 小 型 国 型 企 並 四 万 三 千 六 百 多 介 企 並 凋 査, ニ已 有43 % 改 変 了 経 菅 方 式 , 其 中 集 体 鰹 菅 的 占5.3 %, 改 力 租 賃 和 子 人 承 包 的 占2.7 %, 改 力 其 官 鰹 菅 方 式 的 占35 % 。 逮 些 企 並 由 于 改 変 了 鰹'a 方 式, 怠 的 企 並 利 潤 在1987 年O 月 比1986 年5 月 増 長0.8 % ,6 月 毎 増 長4.4 %,7 月 扮 増 長6.3 %; 企 並 自 留 利 海 増 長20 % 。 可 兄 這 一 管 理 鰹 菅 体 制 是 符 合 中 国 実 豚 情 況 ノ 能 促 逃 企 並 炭 展 , 増 加 企 並 活 力 和 竟 争 能 力 。 当 然 在 内I 。。 ’1"1■'■-・s‘ `/ 容 , 形 式 , 方 法 等 之 方 面 逐 需 要 不 断 加 以 完 善 和 友 展 。 中 国 目 前 在 実 行 企 並 自 主 経 菅 和 央 行 多 神 鰹 菅 方 式 辻 程 中 , 企 並 力 了 更 好 地 升 展 経 菅 , 求 得 生 存 和 良 展 , 已 出 現 了 企 並 与 企 側 司 的 横 向 鰹 済 朕 合 , 形 成 了 多 神 形 式 的 企 並 集 困 , 其 中 有: 企 並 与 企 並 之 向 通 遠 固 定 合 同 形 式 , 或 以 汀 貨 形 式 , 或 以 朕 合 方 式 , 或 以 合 井 方 式 成 立 了 各 神 企 並 集 団 体 制 , 也 有 的 是 企 並 与 科 学 研 究 単 位 , 大 々 院 校 成 立 了 各 神 科 研 生 戸 朕 合 体 。 遥 祥 把 遠 去 分 散 的 力 量 集 中 起 来 , 充 分 友 禅 丁 々 並 化 倍 作 的 作 用 , 友 禅 了 各 方 面 仇 大勢 , 有 力 的 促 逃 了 各 方 面 科 学 技 木 的 安 展 和 燧 用 , 戸 晶 晶 神 的 友 展 和 芦 品 灰 丿量 的 提 高 , 経 済 敷 益 的 提 高 。 例 如 在 中 国 長 春 就 以 第 一 汽 牟 戸 力 中 心 , 朕 合 了 几 十 令 エ ド , 成 立 了 汽 牟 集 困 , 増 強 了 技 木 力 量 , 加 強 了 々 並 化 , 提 高 了 生 方 能 力 ,戸 品 品 神 也 准 各 由 辻 去 凡 神 増 加 到 十 多 神 。如 暗 示 演 三 大 劫 カ ド , 取 合 成 立 了 功 力 机 械 企 並 集 団 。 泊 鎮 技 表 戸 与 上 海 似 表 研 究 単 位 和 天 津 大 学 朕 合 研 究 了 各 神 新 戸 晶 , 填 朴 丁 国 内 空 白 , 使 企 並 戸 品 不 断 更 新 換 代 , 消 告 量 不 断 増 加 , 利 潤 年 増 長 率 力10 % 左 右 。 据1986 年 的 凋 査 , 全 中 国 具 以 上 工 並 企 並 力 主 , 建 立 的 新 型 企 並 性 経 済 朕 合 胆 沢 込6,833 介 , 已 建 立 跨 省 , 市 的 鰹 済 技 木 俳 作 岡 絡2o 多 令 。 遥 一 友 展 将 会 姶 企 及 帯 来 狼 大 敗 率 和 活 力 。2 、 企 並 頓 尋 体 制 由 元 人 魚 責 的 集 体 制 向 戸 格 的 責 任 制 辻 渡 。 中 国 企 亜 的 鎖 尋 体 制 , 即 是 指 企 並 的 決 策 和 指 揮 体 制 。 在 辻 去 根 校 吋 期 内 , 実 行 的 是 党 委 頓 尋 下 的 ド 長 分 工 負 責 制, 実 除 上 是 集 体 領 琴 下 的 分 工 負 責 , 即 一 切 企 並 所 有 的 重 大 同 題 都 要 鰹 道 集 体 作 出 決 策 , 再 由 令 人 魚 責 。 遠 祥 就 使 決 策 枚 与 鰹 菅 責 任 分 升 , 命 令 与 指 揮 分 高 , 実 豚 変 成 了 元 人 負 責 ,
不 丁解 企並,不 憧企並 管理的 外行 頭尋和良 策。 因此 ,企並出 丁生片 事故, 賃量 事故,安 全事故 等等情 況 ,不是 出現瞎指n, 就是 出現元人 負責 ,或 我 不到責任的人。形 成了祉皮 現 象 和官 僚 作 凩。例 如 ,有 些 エド 在 決 定 什玄 新片品 ,在集 体決策申 ,不 作 凋査 ,不 加分析 ,等到投 資建立生 片銭后 ,出 了戸品炭不 出去 ,結果 造成投 資浪 費,戸 品桐圧 ,我不 到責任 者 ,反税 是学 費,意思是現今后 逐可 以瞎指 揮。 状几 十年的鰹m. 教洲 来看 ,企並 要摘好 , 決策杖与 鰹菅杖必須 要統一 ,核力 与 責任必須 要統一 ,命令与指 揮必須 要一 致; 頭尋体制的 碗立必須 要符合 以上原則。 特別 在当 前企並実行 自主鐙菅, 自負盈・号情 況下 ,更 要遵順 這些原 財い建立頭 尋体糾 ,才 能保正企並 生戸 経6 ・ ・。●りI・・rl 菅活約正常道 行 ,摘 活企並。 因此 目前 在中国戸 活推行了ド 長負 責制,給 企 並ド 松在鰹菅中所 需 的一切 核力 ,使戸 長可 根据市場行 時,用 戸需 求和エド 情況来 組m 和指揮企並 的生戸 鰹菅 活劫, 以加 強企並的 遣庶 能力 和竟 争能力。 力 了保証ド 長決策 和指揮的正 碗性 ,就必須重視友 禅集体 智慧 ,輔助戸 長 決 策和指揮。 力此 ,中国各エド 有 不同 倣法 ,如: 有 許多 エド 成 立エド 管理委 員 会 (由正付ド 長,有美 重 要科室 頭好,工会須 腎,党的頭 尋,取工代 表等), エド 的一 切循:大同題 都員 辻エド 管理 委具会付迫, 最后 鰹ド 長決定; 有 的工 ド 依皐経理或ド 長亦公 会 決定; 也有些工戸 経取工代 表会付迫 耀助ド 長決策。 這 祥也 就保江 了戸 悦決策 与役 揮集 体智 慧相鈷合的重 要原 則。 在1978 年5 月末対57,727 令 企並作了 凋査,已有国菅 企社32,587 令 企並 宣行ニ長 負責制 ,釣占 被凋 査怠数 的56.5 %; 遠 些企並 在:1987年1 ∼5 月 伶 的工並 意戸 値 比1986 年同 期増長12.5 %, 利潤増長7.7 %, 普 遍 比没有実 行 ド 長負責制的エ ア 高出1 ∼2 %o可 児中国這一 改革是符 合中国客規 実 豚情 況。 当然在実行辻 程中述有 許多 向題需 要道一歩探 付解 決,如 在戸長 負 責制条 件 下如何更好地友 採集体 智慧亦好 企並 ,如 何正 碗処理好 企並 与党 的美 系,r 大取工如何更好 的参与 企並管 理 等等。 つ つ3. 由単一的汁 刻 机制向汁 刻与 市坊相 鈷合特化。 在改 革以前我国実 行的 是銃一 的国家汁刻 体制 ,所 以企並 的一切 活約 都 是 在国家 的銃六汁刻 下道 行。 企並 的生片 活劫 只是力 了完成 国家 的汁 則-, 企 並把自/己所 生 戸 的 芦 品 全 部交 治 国家 去拍 告 (分・配)。 企並元 杖根据市場 需 求去改変 自己汁刻, 迭 祥就形成 了企 並生 贈与用戸 需 要脱曹 ,企 並生片不 管 能否蛸侑出去。 造成了大 量片 品釈圧 浪費。所 以 ,企並 必然不 去美 心 市場 需
要什瓜? 用戸 想 要什玄? 生戸消耗合理 不合理? 更 不重 視友展 新片 品和提高 自己的片 品頷 量, 技木水平和改善経菅 等等向 題。通 辻 遥几十年的実践 和吸 取 国外的 経強 教ijl│,試供到必須解決促 送企並 去美 心市 場 情倍 和用戸需求 , 改 善企並 経菅 和提高企並的敷益, 提高 自己 的竟 争 能力 和息変 能力。通辻多 方 面的分 析, 研究, 争迫 ,扶而在理迫上 突破 了把汁 刑 鰹 済同商 品経済対立 的 旧規念(迫力: 汁則只 能是指令性的; 行 刑 包括 国 民経 済一切方 面和細市 , 不 侃包括 控制 宏底領域 √也包括控 制微底領 域; 汁 刑実 施方式 主要来用実 物 指 掃体系 ,実 行宜 接 的 汁 刻 分 配 等)。 碗立 了新 規念 (試力: 汁刑 管理井不 等於実行 指令 性汁刑 ,要縮小指令性汁 刑 ,排大 指昇性 汁刑; 汁 刑不 能包夕 万 象 ,不 需渉 及微底経 済活約的具体 鋼賀 ,主 要坦 坦宏 底 鰹済平 衡; 汁刑的 実 現不一定 要米用 汁眉指掃体系 ,更多 地 息用 鰹済政 策,位 格,税牧,利率, 氾率 等鐙 済参数来 凋市経済活劫)。 扶而 明 碗 了 社 会 主 叉 鰹 済必須 自党地 依 据 和這用位 値 規律 ,実現有汁剣的商 品経済。 因此 ,在 中国正逐歩実施以汁 到主 要凋 市宏mm 次的経済活約 ,市 切主要凋 賀 微mm 次的 活劫; 在宏説平 衡中 要以市 場変化力 依据 ,在微底活劫 中又 要接受 宏漢 汁 刑的指尋。把経菅 枚 下 放姶企並 ,促使 企並去面向市場 ,面向用戸 ,力用 戸 服努 ,企並也就 要 不 断改 善経菅, 重視提 高自己戸 品辰 量 和増加方 品 品神 ,来 加強自己竟争 能 力 ,摘 活自 己経 済。力 丁使 企並成力 真正 的商 品生方 者和 自主経菅者。 国家 也 已由原来 対120 神片 品品神 的 控 制 ,減少込50 %以上; 並対113 神統一定 紛的 戸品 ,也 減少到只対25 神片 品実 行 銃 一 定 倹。 由 于 這 一 重要改革的宮 施 ,促使 企並 重視賀 釣,並力用戸 需要生戸 ,遥 祥初歩 改変 了辻去守着老片 品舎 不得改 ,怠 銭力 自己的戸 品像 “皇帝女几 ”不 愁嫁 不 出去的底念。吽多 企並 只 能不断 地想亦法通道研究, 引退 ,改 造 等途径 ,来 増加新戸品以造立 市 場 需求。所 以企並重祝戸品研制 ,常 要想 在自 己有 情倍的片 品品神,述 要 有 几 神儲各的 戸 品品神, 以立付市場変 化。 例如: 四川 屯炭ニ 就要求除有現 在m 倍的戸 品, 逐要有正在法制的方 品和研究 的戸 品。 狼多 エド 已由辻去不 去 了 解市場 ,不 去了解用戸需 求,不 去力用戸 服 努; 現 在 都投 法了解 市場信 息 ,改変 了道 去“官商” 作凩, 承汰了用 戸力 “ 皇帝”。 也 有 許多 工 戸 扶国 外引退 丁先 道 技木,先遊戸 品 ,如 菅口洗 衣机ド 就 和松下 屯器会社合作 ,提 高了戸 品盾 量 ,情倍量也 由原来20 万 台増加 到30 万 台。男タト,也有許多 企並 打 破 了行並 界 銭 ,升展多 神鰹菅 ,如 有些 工戸不 仮 生方机 械片 品,也 生方洗