代理出産(gestational surrogacy)、人種、権力関
係 : 「ジョンソン対カルヴァート夫妻」裁判を中
心lこ
著者
萩原 弘子
雑誌名
生殖医療倫理研究論集
巻
1
ページ
65-92
発行年
2011
URL
http://hdl.handle.net/10466/14987
はじめに
第
6章 代 理 出 産
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、人種、権力関係
一一「ジョンソン 対 カルヴアート夫妻」裁判を中心l
こ (萩原弘子) 1986年、 IVFを利用した代理出産で最初の赤ん坊が誕生した。1代理母の卵子を使うの とは違って、子どもがほしい夫婦の精子と卵子(卵子は第3者の提供であることも)を使 って IVFで、受精旺をっくり、それを別の女性の子宮に移植して着床させられるようになっ たことで、サロガシーをめぐる状況は変わった。2受精任の形成と、妊娠、出産との分離が 可能になったため、妊娠、出産の過程をいわば 「外、注jすることができるのだ。不妊であ っても、夫婦の精子ないしは卵子があるなら「血のつながった」子をもつことが可能であ り、望むなら自分の「デザインjするスキン ・カラーや人種的特徴を備えた子をもつこと もできる。 新生殖技術のこうした進歩は、1990年代に入ってからのサロゲート・ ビジネスのグロー バノレ化に拍車をかけており、いまや代理母、代理出産は一大産業となっている。オースト ラリアのピヴェット社はブラジル、インド、マレーシア、イン ドネシアにIVFと性別産み 分けのためのクリニックをチェーン展開している。3インドにある代理母村については、日 本でも報道された。4また、「代理母」でインターネット検索すれば、国境を越えて代理母、 代理出産の斡旋をする業者が、「健康なJ母体を提供しようというアジア人女性のリストを 顔写真入りで公開している。日本では代理母ならびに代理出産に関する法制はまだないも1 Mary Thom,‘Dilemmas of the New BirthTechnologies,'盟主, 1988May, p.72.
2以下本稿では、卵子提供と妊娠、出産をする、いわゆる traditionalsurrogates, traditional surrogacyには「代理母」の語をあて、卵子提供をしないで、妊娠、 出産をする gestational surrogates, gestational breeders, gestational surrogacy には 「代理出産者Jr代理出産J の語を使う。ほかに、前者を partial surrogacy(部分的サロガシー)、後者を full surrogacy (全面的サロガシー)とする呼称もある。日本では、前者を「伝統的代理母J、 後者を「ホスト式代理母Jとする論者もいる。本稿では、両者をまとめて言う場合に「サ ロゲー ト」、 「サロガシーJを使っている。「代理」を意味する surrogateという語で出産 当事者を呼ぶことに疑問を投じる動きもあり、本稿の後段ではその動きに言及しているが、 これまでの議論のなかで使われてきた語を使わずに議論することはできないので、本稿の 用語法は上記のとおりとする。
3 J anice Raymond,‘Women as Wombs,'盟.e..:_,_1991 May/June, p.31.
4たとえば次のような報道。'ChildlessCouples Look to India for Surrogate Mothers,' The ChristianScience Monito[, 2006 April3;‘Indian Wombs for Rent',Weekend Heral1, 2008 January 5;‘India'sBaby Farm,'Ihe Sundav Morning Heral1,2008 January 6; ‘Womb for Rent, India'sCommercial Surrogacy,' Harvard International Review,2009 spring;
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インドで急拡大する医療市場、注目は代理母出産ビジネスJW日経ビジネス on line~2006年 11月 20 日くhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20061117/113920/> visited 2010 September 9;r
インド人代理母の産んだ女児出国できず、 日本人夫婦離婚で 親 権 は ?J W A F P ~ 2008年8月7日くhttp://www.afpbb.com/article/life-culture/ life/2502103/3190451> visited 2010 September 9.のの、海外の代理母、代理出産サービスを使って子どもをもっ人々がいることは広く知ら れている。5 女性を一面的に「産む性J と位置づける定義の抑圧性については多くが論じられてきた が、上記のような状況は、その抑圧から女性を解放するものだろうか。生殖についての女 性の自律、あるいは性と妊娠、出産における女性主体の奪還は、 1960年代後半以来のフェ ミニズ、ム運動 ・思想、の展開において常に重要な課題で、あった。新生殖技術が、生殖の自律 というフェミニズムの課題を前進させるのか、後退させるのかについては多くが論じられ てきたが、サロガシーについて言えば、フェミニストのあいだで意見が分かれており、さ らに技術の進展とグローパノレ ・ビジネスの展開は日進月歩で、議論は尽きない。 また、そもそも女性のからだに関するフェミニズ、ムの課題そのものが、人種、階級、出 自を異にする女性たちのあいだにある権力関係に対する視点を欠いており、からだをめぐ る女性の経験がひとつで、ないことを踏まえていないとしづ批判は、 1980年代以降、特にア メリカにおいては黒人女性たちから、重ねて言われてきた。そうであるなら、女性問の権 力関係の克服もまたフェミニズムの重要課題であると言うべきだろう。女性のからだの経 験がひとつで、ないなら、そのことを踏まえて新生殖技術の意味やインパクトを検討し、新 生殖技術が女性聞の権力関係をなくしていく方向に働くのかどうかについて議論すること も必要だろう。 そこで本稿ではまず、 卵子提供はせずに妊娠、出産を請け負う代理出産に関するアメリ カで最初の審理として知られる 1990年の「ジョンソン 対 カルヴアート夫妻」裁判を ふりかえり(第1節)、 その判決ならびに判事の見解に見られる、技術の進歩と家族関係 の変化に対する不安と欲望に注目して考察する(第2節、 3節)。この裁判は、妊娠、出産 を請け負った女性が黒人女性であったので、ブラック・フェミニストによる論考も多い。 そこで第4節では、司法が抱いた不安と欲望を、アメリカにおける奴隷制の歴史と人種的 支配の系譜に関連づけて論じるブラック ・フェミニズムの論考を参照しながら、母親性と いうイデオロギーの人種的含意と、サロガシー契約が前提する人種・階級的権力関係につ いて考える。そうすることで、新生殖技術を使ったサロガ、ンーについてのフェミニズ、ム視 点の形成に役立てればと思う。
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ジョンソン 対 カルヴアート夫妻』一一経緯と審理の概要 1990年9月 19日、カリフォルニア川,!::;j-レンジ郡で代理出産契約により出産を請け負っ た女性アナ ・ジョンソンが出産した男児の受精匹は、依頼したカルヴアー ト夫妻の精子と 卵子を使ったものだった。出産時にはすでに、子どもの親権をめぐって、ジョンソンとカ 5 タレン トの向井亜紀、高田延彦夫妻の例が知られる。夫妻の受精匹を使って、アメリカ で代理出産させたものだが、興味深いことに、本稿でとりあげる「ジョンソン 対 カル ヴ、アート夫妻」の場合と違って、出産者と子どもの人種の違いにメディアの関心は向かな かった。 66ルヴアー ト夫妻は法廷闘争に入っており、裁判は1990年から 93年にかけて3法廷で争わ れた。この「ジョンソン 対 カルヴアート夫妻Jの事例は、いわゆる「血のつながりJ のない子の親である権利を代理出産者が主張した初の裁判として知られる。 裁判に至る経緯と審理の概要は以下のとおりである。1989年、クリスピナ・カノレヴ、アー トとマーク ・カルヴアート夫妻は、クリスピナが正看護師として働く病院の准看護師アナ ・ ジョンソンに代理出産を依頼することを決めた。夫妻はフィ リピン人と白人のカップルで、 子どもをもつことを希望していたが、その5年ほど前に子宮摘出手術を受けていたク リス ピナには妊娠、出産は不可能だった。ただし卵巣は残してあり、卵子を採取することは可 能だったので、夫妻の子どもをつくるために出産を代理で行なってくれる人を求めていた。 ジョンソンは29歳のアフ リカン・アメリカンで、 3歳の女児をもっシング、ル ・マザーで、あ った。カルヴアート夫妻は、代理母斡旋業者に契約締結を任せる経済的余裕はないと考え て、一般の契約締結と法的助言の代金として法律事務所に 3500ドルを払って契約書をつ くらせ、 1990年 1月 15日にジョンソンはそれに署名した。契約書によれば、ジョンソン は、クリスピナの卵子とマークの精子からつくった受精脹をその子宮で育て、出産したあ かつきには、子の親である権利 (parentalrights)を全面的に夫妻に渡すことになってい た。カルヴアート夫妻は、ジョンソンのために 20万ドルの生命保険契約を購入し、ジョ ンソンには「サービス」に対する報酬 1万ドソレの支払いを行なうこと、ただし報酬は分割 払いとし、最後の支払いは出産後に行なうということで契約は合意された。契約成立後た だちに、クリスピナとジョンソンの 2人はホルモン投与を受けて排卵サイクルをそろえ、 クリスピナから複数の卵を採取してマークの精子により IVFで受精させ、受精脹はジョン ソンの子宮に移植された。3日後の 1月 19日には、受胎を確認している。 しかし妊娠期間中に夫妻とジョンソンの関係は難しくなった。夫妻は、ジョンソンが過 去に数度にわたる流産と死産を経験していることを知り、おそらく代理出産者と してのジ ョンソンの適格性に疑いをいだくようになった。7月、 ジョンソンは早産するかもしれな い容態になって入院したが、夫妻からの精神的、 経済的サポートが十分でないと思った。 実際、ジョンソンは経済的に逼迫しており、入院中は家賃を払うこともままならず、 出産 後の住まいを心配しなければならなかった。 7月下旬、ジョンソンは夫妻に手紙を書き、 出産後に支払われるはずの5千ドルをただちに支払うこと、さもなければ契約と違ってお なかの子は夫妻に渡さずに自分の子と して育てたい旨を伝えた。8月、カルヴアート夫妻 は、ジョンソンが産む子の親は自分たちであることを主張して訴訟を起こした。ジョンソ ンの側もそれに応えて訴訟を起こし、これから自分が産む子の母は出産する自分であると 主張した。9月 19日、 ジョンソンは 3010グラムの男児を出産した。6
6 Anna J. v. Mark Q.286 Cal.Rptr. 369 (1991Oct.), pp.372-373.; Anna Johnson v. Mark Calvert eta,15CaL4th 84,851 P.2d 776,19 CaLRptr.2d 494 (1993 May); Karen H. Rothenberg,‘Gestational Surrogacy and theHealth Care Provider: Put Part of the‘IVF Genie'Back into the Bottle,' Law. Medicine & Health Car~ 18:4, 1990 winter,
「ジョンソン 対 カノレヴアート夫妻」の裁判はメディアの注目を浴びたが、その理由 は、 代理懐胎・出産を請け負った黒人女性であるジョンソンが、白人の子どもを産み、「血 のつながり」のない子どもの親としての権利を主張したということにあった。当時のメデ ィアの論調を分析した法学者ヴァレリー・ハノレトウニは、ジョンソンがした親としての権 利の主張は、なにか突拍子もない、はずれた、あるいは奇矯なものとする空気があったと している。7その空気と共鳴するかのように、 1990年 10月、オレンジ郡裁判所はカノレヴア ート夫妻だけを親とし、親権 (custody、保護養育権)を認めた。その後の控訴裁判所、 カ リフォルニア州最高裁判所で、の判決も、カノレヴ、アート夫妻のみを親とするもので、ジョン ソンには訪問権すら認められなかった。 それらの判決はいずれも、 出産の事実をもって親と判定しなかった点、親権の設定に際 して子の利益以外の要素が優先された点で、それまでの司法の常識とは違っていた。8また、 誰が親かという判断だけでなく、親とは、家族とは何かについての判断を司法が下したか っこうになった点も、それまでの親権裁判と違っていた。 2.判決の問題点一一司法の不安と欲望 私の見るところ、その判決ならびに判事たちの見解には、新生殖技術の進歩と家族関係 の変化に対して司法が抱いている底深い不安と、その不安を抑えこもうという欲望が、と きに暗示的に、ときに明示的に現われている。司法が、新生殖技術のっくりだす新しい親 子関係、家族関係の可能性について新しい判断を下したと受けとめた司法関係者、法学研 究者たちは、判決に対する評価を越えて、新生殖技術で可能になった代理母、代理出産の あるべき制度化やその是非についても議論をしている。彼らの論にも言及しながら、判決 の問題点とそこに見られる不安と欲望について考察してみたい。 カリフォルニア川│の3裁判所は、理由づけは同じではないが、いずれもジョンソンを親 と認めず、カルヴアート夫妻の側に軍配を挙げた。本案件はベビーM裁判とは違うという 言明が一度ならずなされ、たしかにこれまでにない裁判となったが、それらの判決は、法
主旦旦E旦亘117,1991 spring, pp.19・2LJanet L. Dolgin, 'TheLaw Debates the Family: Reproductive Transformation,'yiale Journal of Law and Feminism 37,1995, pp.45-46; Mark Rose, 'Mothersand Authors: Johnson v. Calvert and the New Children of Our Imaginations',Qritical Inauiry 22, 1996 summer, pp.615・616;Deborah R.Grayson,
‘Mediating Intimacy: Black Surrogate Mothers and the Law,'Qritical Inauiry 24, 1998 winter, pp.525-526.
7 Valerie Hartouni‘,Breached Birth: Reflections on Race, Gender, and Reproductive Discourse in the 1980s',Qonf・ie-uration~ 1, 1994, p.80. 8たとえばよく知られるベビーM裁判で 1988年にニュー ・ジャージー州最高裁判所が出 した判決では、代理母契約そのものは無効としたうえで、出産したメアリー・ベス・ホワ イトヘッドを母親と認め、子の利益を考えて親権は依頼者のひとりであるウィ リアム ・ス ターンにあるとし、ホワイトヘッドには訪問権を認めた。ホワイ卜ヘッドが産んだのは、 ホワイトヘッド自身の卵子とウィリアム・スターンの精子の人工授精でできた子どもだっ た。SeePhyllis Chesler,
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acred Bond: Motherhood under Siee-~, New York: Times Books,1988.
の論理に照らしても、社会規範の公正化という司法の使命に照らしても問題含みのもので あった。問題点は、おおむね次の4つにまとめられよう。 (1)遺伝的つながりの重視 第1に、遺伝的な親こそが自然の親だとしづ見解である。これは最初の郡裁判所の判決 で言われ、控訴審判決でも支持され、「ジョンソン 対 カルヴ、アート夫妻J裁判を有名に した論点であり、法学者たちのあいだでも議論を呼んだ。郡裁判所のパースロー判事は、 交わされた代理出産契約については有効としたうえで、ジョンソンを「出産係(gestational carrier)J I一種の預かり担当 (hostina sense)J あるいは「養親 (fosterparent)J と 位置づけ、カッフ。ルの遺伝的な子どもを代理で出産した者は子どもの「自然な親 (natural parent)J ではなく、親としての権利はないとした。9ジョンソンは出産直後に赤ん坊とと もに血液検査による遺伝子チェックを受けており、その結果、ジョンソンと赤ん坊には「遺 伝的関係はなく、カルヴアート夫妻が 99.999パーセントの確度で遺伝的親である。」とし た。10遺伝子チェックを根拠として、「クリスピナ ・カルヴアートは遺伝的、生物学的に その子どもの自然な母であり、 ・・・・・・マーク・カルヴアートは遺伝的、生物学的に自然な父 である。J というのが判事の見解であった。II 遺伝子だけを根拠に親を判定したこの判決を批判する法学者G・
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・アナスは、この判 決が出たのと同じ週に刊行された医学雑誌で紹介された卵子提供フ。ログラムに言及してい る。子宮はあるが、卵巣がなし、か排卵がないという女性が、夫の精子と提供者の卵子で受 精させた匹を移植することで妊娠して出産し、子どもをもっという医療プログラムだ。代 理母でも代理出産でもないので、契約書を交わすことはない。しかし、パースロー判事が 下した判決に従って言えば、この女性が産むのは「自分の子ども」ではないことになると アナスは指摘する。12アナスが挙げる例を見るまでもなく、いまや広く行なわれているA
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(提供者からの生殖細胞を使つての人工授精)によって産まれた子どもの親を、遺伝的つ ながりを根拠として精子提供者、卵子提供者だとするのは、現代においてはし、かにも不条 理と見るのが普通だろう。 ノξースロー判事による遺伝的つながりの重視は、次のようにも言明された。 自分が誰で何者かということ、アイデンティティの問題は、子どもと 10代の若者に とってとりわけ重要で、ある。遺伝的な諸要素の組み合わせがそこに関わることは知ら 9パースロー判事は、判決文を読みあげるまえに、 35分におよぶ見解の提示を行なった。 その全記録は公刊されていないが、抜粋が以下で見られる。'Calif.Judge Speaks on Issue ofSurrogacy,'The National Law Journa113:9, 1990 November 5, p.36.10Quoted inAnitaAllen(1991), op.cit., pp.23・24. 11ibid., p.24.
12G.J. Annas
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Crazy Making: Embryos and Gestational Mothers,'Hastine:s CenterE
盟旦主21:1,1991 Jan.lFeb, p.37.れている。われわれの歩き方、話し方、その他あらゆることが遺伝子から始まってい る。13 判事によれば、家族とは同じ遺伝子を共有する単位であり、本案件においては「マーク ・ カルヴアート、 クリスピナ ・カルヴアート と赤ん坊の3人は遺伝的につながっている 1つ の家族単位Jであるということになる。14 控訴裁判所も郡裁判所の判決を支持したが、シルス主任判事が判決に至るプロセスを説 明しながら述べた長々と した見解は、パースロー判事のそれよりはるかにおずおずとした ものであった。本案件で誰が母かを判断するにあたって依拠すべき法律である「統一親子 関係法 (UniformParentage Act)J によれば、親の判定には具体的証拠を示さなければな らず、それを定めた関連法と して「血液検査法 (B1oodTest Act) Jがあるとして、郡裁判 所が血液検査を根拠に判定したことをよ しと結論している。15 しかしシルス判事は、依 拠した法律が十分なものでないとも言明している。1975年制定のこの法律は、嫡出子と非 嫡出子の平等待遇をそもそもの目的とし、婚姻の有無に関係なく父子関係を法的に認知す るために、 血液検査を証拠とすると定めたものだった。子どもの母が誰かは出産の事実が 証明となることが前提であった時代につくられた父性特定のための法律で、代理出産の時 代の母を判定できるだろうか。この法律を適用するにあたってシノレス判事が述べた見解に は、彼の自信のなさを読みとることができる。 こんな事件は初めてだという印象だが、われわれは法的に未踏の地で前も見えない 霧のなかにいるわけではない。1975年にカ リフオルニア州議会が統一親子関係法を施 行してくれていたおかげで、ここで法に基づいて決定を下すのに必要な目印と指標が われわれにはある。いまその決定は完成してここにある。答えを見つけるというのは、 いくぶんうんざりさせられる仕事であり、お役所でなんどもよその部所に行くように 言われながら許可をもらおうとするのにちょっと似ている。しかしそれでも、答えは あるのだ。16 こう言ってパースロー判事の出した答えを支持し、最後には次のように、遺伝的つながり を重視する立場が表明される。 郡裁判所に提出された証拠が示すように、人間の成長の全過程は「遺伝子から始 まっている」。人間身体にある自然のシステムで、 個人の基盤をなす遺伝的組成の影
13 Quoted in J anet Do1gin,‘Just a Gene: Judicia1 Assumptions about Parenthood', UCLALaw Review 40, 1993 February, p.685.
14 ibid., p.685.
15 Anna J.v. Mar C. et a1, 286 Cal.Rptr.369 (1991 Oct.), pp.373-375.
16 Ibid., p.373.
響を受けないものはない。心臓、肝臓、あるいは血管の動きといった、人体の生理 的構造を決定しているのは遺伝子である。また法廷での専門家証言にあったように、 人の曙好、傾向、パーソナリティの型、話し方や物腰にも遺伝子の影響があるとい まは考えられている。17 遺伝子、自然、生物学に依拠して親と家族を定義する判事たちの見解に時代錯誤の優生 学的ニュアンスを指摘するのは簡単だが、これがすでに孤立した見解でない点に注意すべ きだろう。本案件を前例として、これに続く代理出産裁判でも遺伝的つながりを重視した 判定がなされている。18遺伝子、自然、生物学で、つながった家族という定義には、新生殖 技術の力もあって流動、変化して止まない現代の家族、親子関係のありように対する不安 から、科学的確かさと不変的継続の保証を求める心性が働いているように思われる。法学 者ドロシー ・ネルキンは、そこに社会不安の反映を見て次のように述べている。 犯罪を理解するには、生物学的要因よりもはるかに深く社会環境要因が重要だと言 われてきた。しかし現代社会の諸問題の根深さは、昨今の社会変革ではたちうちでき ないという幻滅から、社会でも、また法廷で、も、遺伝的な説明に訴えることが増えて いる。科学的情報は、まちがいがなく 、解釈が入る余地を小さく限ってくれるため、 複雑な論争にもスピーディな答えを出してくれるように思われる。とりわけ遺伝的情 報は、ほかの原則の暖昧さに不満が嵩じているときは、決定的な答えと見えるものだ。19 他方で、遺伝的情報の使用に賛成する法学者もいる。パースロー判事の裁定を支持する ジェフリー・ プレイスは、新生殖技術のさらなる進歩と代理出産に関わる親権訴訟の増加 を予測して、なにより有効でゆるぎない根拠として遺伝的つながりを法的判断の基礎に据 えることを主張している。20また、アリス ・ホフハイマーは、遺伝的母を法的な母とする よう、州、│法の改正を求めている。法的判断は遺伝的つながりを基礎とすることで一貫する べきであり、それにより卵子提供もする代理母については母であるとする一方で、妊娠、 出産を代行するだけの代理出産者は母でないとするのがよいと している。代理出産者は最 17 ibid., p.380. 18 Belsito etal v. Clark et al, 67 Ohio Misc.2d 54, 59, 66 (1994).
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遺伝的母」である女 性の姉が代理出産した事例。出生証明では、子どもの母は出産した姉となっており、子ど もは私生児とされることになるので、その法手続きの技術的不備の是正を求めた裁判であ って、姉妹で親権を争ったものではない。判決は、「ジョンソン 対 カノレヴアート夫妻」 裁判に倣って、子どもに遺伝的刻印を刻んだ者が親であるとして、妹夫妻を子どもの法的、 自然的親と判定した。SeeMark Rose, op. cit.,p.630.19 Dorothy N elkin‘M, terDaubert: the Relevance and reliability of Genetic Information',Qardozo La w Review 15, 1994 April, p.2127.
20 Jeffrey M. Place,‘Ges坑ta叫
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ωit白on国aalSurrogacy and the Meaning 0ぱf初から親でないので、親権の譲渡もなく、子どもを依頼者に渡さない場合は誘拐行為とな る。こう言って、ホフハイマーは遺伝子ルールこそは、男女がどちらも遺伝的つながりゆ えに親となるので、 出産を崇める古い母性信仰を打破し、男女平等を進める道であるとし ている。21 プレイスとホフハイマーの所論にも、現今の法制の前提がもう役にたたないという危機 感を読むことができる。ホフハイマーの、科学に依拠することが男女平等を進めるという 論は、かつてのシュラミス ・ファイアストーンのナイーヴさに共通すると読めないことも ないが、 22それでは危機の克服をめぐって起こっている現在の抗争を見誤るのではないだ ろうか。科学的確かさに依拠して「自然な親Jを判定し、家族を定義するという司法の行 為そのものが、これまでにない新しい家族、親のありょ うをっくりだしていることこそが 重要ではないか。「自然な親Jとは何かという定義はもはや簡単でないとしても、「自然な 親」の代表とは一般には見られないであろうカノレヴアート夫妻を「自然な親」だとしたの は司法である。はからずもパースロー判事自身が言ったように、「試験管で受精した魔神は ピンから出てきてしまっており、もう元には戻せなしリ。23 パースロー判事は生殖技術を 「魔神」と呼んだつもりだろうが、「魔神」とは司法自身である。 (2 )妊娠、出産の周緑化 遺伝的つながりの重視と表裏の関係にあるのが、第 2の問題点、つまり産む行為の周縁 化である。これは産む行為の生物学的行為からの隔離と言ってもよいだろう。女性を「産 む性」 とする定義は、男性を文化の側に、女性を生物学の側に2分して位置づけるもので あると して、長年のあいだフェミニズ、ムは批判してきた。ところが、「ジョンソン 対 カ ルヴ、アート夫妻」の裁判では、遺伝的つながりこそが生物学的とされて、ジョンソンの8 カ月にわたる妊娠と出産は、保育器か僻化器といったメカニカルな過程のように扱われた。 ノfースロー判事の言説をよく見ると、妊娠、出産を生物学から切り離そうとしづ修辞の工 夫がされていることがわかる。24たとえば、「子宮環境 (uterineenvironment)Jという用 語は、妊娠が生物学的領域ではなく社会的領域におけるできごとという印象を与える。ま た、ク リスピナ ・カルヴアートの不妊を説明するときの不思議な一節 ‘hasno place to carry the child'は、「子どもを身ごもる器官がなしリとも「子どもを入れておく場所が ない」とも訳せるが、英語としては見かけない表現であり 、不妊を生物学的欠落と結びつ
21 Alice Hofheimer‘,Gestational Surrogacy: Unsettling State Parentage Law and
Surrogacy Policy',New York University Review of Law and SocialChang-~19, 1992/1993, pp.601-602.
22ファイアス トーンは、 1970年の著作で、人工生殖によって女性が生殖から解放される
未来に期待する旨の発言をしている。ShulamithFirestone, Ihe Dialectic ofSe~, first published 1970, London: The Women'sPress, 1979, p.19.
23‘Calif.Judge Speaks on Issue of Surrogacy',op.cit., p.36.
24 このことは、ジャネッ ト・ドノレジンも指摘している。SeeJanet L. Dolgin (1993), op.cit., p.686.
けられないようにとしづ意志を感じさせる。こうして生物学的ならぬ社会的なものと位置 づけられた妊娠、出産を担ったジョンソンは、養親にたとえられている。 子どもに対するアナ(ジョンソン)の関係は、自然な母であるクリスピナ・カルヴ アートが子どもの面倒を見られないあいだ、世話をし、保護し、栄養を与える、いわ ば養親である。25 養親は、どれほど長いあいだ、近い関係で子どもと過ごそうとも、自分が親であるとは言 わないというわけだ。こうしてジョンソンの妊娠、出産は、産んでいない養親がする世話 のようなものとして周縁化された。 妊娠、出産の社会性という視点、女性を生物学的存在とすることを拒否する視点、不妊 を欠落と見ない視点はこれまでフェミニズムが主張しきたことだが、パースロー判事の弁 は、それとは関係がない。彼の、非生物学的な妊娠、出産という論法からわかるのは、産 んだ母と遺伝的母のどちらが生物学的母なのかという、生物学的粋の強さをめぐる新しい 対立のなかに 2人の女性をひっぱりこんだ、裁判で、あったということだ。男性を文化に、女 性を生物学に結びつける2分論は手っかずのままであり、疑問視されていない。 実際、裁判では、遺伝的つながりこそが決定的なものだとするカルヴアート側に対抗し て、ジョンソンは妊娠、出産の重みを言い、それこそが子どもとの生物学的な粋であると 主張した。ジョンソンが依拠したものは次の3つ、州法、全米産婦人科学会倫理委員会の 見解、そして専門家証言である。まず、カリフォルニア州統一親子関係法にある親子関係 の特定に関する定め、「子と自然な母のあいだの親子関係は、彼女がその子を産んだことを もって証拠とする。J26という条文である。法律は、ジョンソンが出産した子は、その事実 をもってジョンソンの子であると、ジョンソンの言い分を支持しているように思われた。 しかし控訴裁判所は、ジョンソンの法解釈をまちがいとして斥けた。条文は、産んだ女性 が自然な母だと言っているのではなく、自然な母ならば、出産の事実をもって子の法律上 の母となることができると言っているというのだ。シノレス判事はこう続ける。「これが唯一 のふつうの意味である。本案件のほか、わずかしかない代理出産のケースを例外として、 「自然な母Jはいつも産んだ人物だからだJ0 27 こうして本案件は例外的ケースとされ、 証拠を血液検査に求めることになったわけだ。しかし、ジョンソンを「自然な母jではな いとする法的根拠は、示されないままであった。 ジョンソンはまた、全米産婦人科学会倫理委員会が、代理母と子どもの関係について発 表した意見も引いている。同委員会は、依頼人夫婦と子どもの遺伝的つながりは、重要で あるとはいえ、代理母と胎児の関係よりも軽いものだとしている。妊娠、出産に関わる専
25‘Calif.Judge Speaks on Issue of Surrogacy,'op.cit., p.36.
26 CaliforniaUniform Parentage Act, Civil Code section7003, subd.(l). 27 Anna J.v.Mar C. et al, 286 Cal.Rptr.369 (1991 Oct.), p.377.
門医組織の見解もジョンソンに味方していると思われたが、シルス判事は、これをもって 依頼人夫婦を自然な親とするのは筋ちがし、だとは言えないと応じている。28 このほか、郡法廷でも控訴審法廷でも、ジョンソン側から専門家証言者が出て、妊産婦 と胎児のつながりの強さと重要性を述べている。控訴裁判所のシルス判事は、かなり丁寧 に審理過程を追って結論を導きだすまでを報告しているが、不思議なことに、専門家証言 への言及はない。29 出産の事実をもって母とするとしづ法的慣例に抗い、生殖細胞を提供した依頼人を自然 的、法的な親だとする結論に向けてのこうした審理の過程に、司法の、なにか度を越した 必死の姿勢を感じるのは私だけだろうか。とにかくその結論が、法の常識に沿わない、ず いぶんと思い切った裁定であったことはまちがいなし、。いずれの裁判所も、妊娠、出産と 子どもの関係を評定するに際して、医療専門家の意見には従わず、代理出産は、従来の代 理母とは決定的に違うとした。ジョンソンが言及した全米産婦人科学会の委員会見解は、 1990年版「代理母に関する倫理的諸問題」中にある一節だが、そこでは従来型の代理母と、 妊娠、出産を担う代理出産とを倫理上区別することを拒否して、妊産婦と胎児の関係は、 どちらにおいても重要だとしている。30 サロゲー トに区別なしとする姿勢は、たとえば 英国医学会の不妊対策部会も同様で、「子どもの遺伝的起源がどうであろうとも、またサロ ガシ一関与者の希望がどうであろうとも、法的には、子どもは産んだ母のものである。Jと している。また欧州評議会の見解も、次のように同様である。「母親の決定は、遺伝学(卵 子の出自)によるのではなく、出産の事実をもって決定されなければならない。なぜなら、 第1に子どもと産んだ母とのつながりがあるからであり、第 2に子どもには出産と同時に はっきりした法的地位を付与することが必要だからであるJ0 31 法的慣例に沿わず、専門家の意見にも従わなかった判決だが、逸脱と見られたのは、ジ ョンソンのほうであった。ヴァレリー ・ハルトゥニは、 1980年代半ばから 90年代にかけ てアメ リカ社会でプロライフ派が展開していた煽情的な中絶反対キャンペーンをふりかえ って、興味深い指摘をしている。当時プロライフ派は、中絶に関する女性の権利をめぐる 法廷闘争に見切りをつけて、メディアに舞台を移し、種々の医学理論に勝手な解釈を加え ては、妊婦と胎児の紳を強調する運動を精力的に進めていた。たとえば、超音波診断で、視 覚的に胎児の成長を確認していると、生後の母子関係によい影響があるとする学説を自分 28 ibid., p.381. 29 ミシェノレ・ハリソン博士がした証言については、法廷公式記録者による記録に基づく次
の論考を参照。 JanetDolgin (1995), op.cit.,p.5L Suzanne F. Seavello, 'Are You My
Mother?A Judge's Decision in Vitro Fertilization Surrogacy,'Hastine-s Women'sLaw
h
旦旦盆13,1992 summer, pp.225-226.30 A merican College of Obstetrics and Gynecology, Committee on Ethics,‘Ethical Issuesin Surrogate Motherhood',no.88, 1990 November, p.2.
31 Quoted in Karen H. Rothenberg, op.cit., pp.346・347.英国医学会の文書は 1990年、欧 州評議会の文書は 1989年と、いずれもジョンソン裁判とほぼ同時期のもの。
たちの都合に合わせてとりいれて、 キャンベーン映画『沈黙の叫び~ (1984年)32を製作し た。その年、 2期目の大統領選に勝利したいレーガンが、保守的キリスト教陣営からの支 持をあてこんで、 プロライフ派の主張である中絶禁止を自身の政策マニフェストに掲げて 選挙戦を展開した。1984年から 1990年代初めに至る時期、『沈黙の叫び』はアメ リカ各地 で上映され、12週齢の胎児が中絶される場面を含む映像と、母の体内で眠る胎児のスチー ル写真が、メディアを通じてくりかえし流された。おなかの子とつながりを感じないと言 えばスキャンダラスな逸脱とされる時代だった。しかしジョンソンは、明らかにこの文脈 とは別のと ころに位置づけられており、想像を越えるほどに奇矯な逸脱と されたのは、産 んだ子どもとの紳を主張した彼女のほうであった。33 ハノレ トウニは、そこにジョンソン の人種が関係していると見ているが、それについては、本稿後段で考察することとし、こ こでは、裁判所がプロライフ派を敵にまわすかもしれない内容の裁定をしたという確認を しておきたい。 では、おなかの子とのつながりの強さを言ったジョンソンの主張は、プロライフ派の主 張と同じだったのだ、ろうか。妊娠、出産の経験の重みを尊重することは、女性を産む性に 押しこめるのか。それは、ホフハイマーが批判する出産崇拝であり 、男女平等を後退させ る道なのか。妊娠、出産をメカニカルな過程とし、遺伝的つながりこそ親子関係の核心を なすと見るほうが、男女平等を前進させるのか。妊娠、 出産としづ行為の重さとは、産ん だ子とのつながりとは、いったい何か。ジョンソン側の証言者である医学者のミシェル ・ ハリソンが控訴裁判所で、妊娠中の母体の貢献を卵の人工僻化と比較し述べたのは、プロ ライフ派のキャンペーンとはまったく違う、次のような科学の言葉で、あった。 人工解化器のなかの鳥の受精卵は、解化するまでの栄養をすべてもって産卵されま す。人間の受精卵は、胎児が 10日間ほど生きるだけの栄養しかもっていません。した がって、子宮に着床しなければならず、そうでないと死んでしまいます。鳥の卵の硬 し、殻と違って、人間の受精卵は薄い細胞膜で覆われているだけです。つま り、女性の からだが、受精卵に必要な体液、酸素、栄養素を供給し、排t世物を除去し、 害を与え る毒物汚染や物理的危険からも保護してあげるという、ダイナミックな関係をつくる ことが必要なのです。マシューの遺伝子をたどればカルヴアート夫妻に行き着くと し ても、彼の生命を維持したのは、彼と母親をつなぐへその緒でした。受精卵の提供者 たちが、どれほど強く彼らの卵子と精子がっくりだす赤ん坊を望んでいたと しても、 彼らは子どもが形成される生物学的過程を行なったわけではありません。...妊婦が
32 Bernard Nathanson (director), The Silent Scream, National Right-to-Life
Committee, 1984. 同映画が使った胎児イメージの分析は、次を参照。RosalindPollack Petchesky‘F,oetal Images: the Power of Visual Culture in the Politics of Reproduction', in Michelle Stanworth (ed), Renroductive τechnolog-ies: Gender. Motherhood and
盟edic旦豆,Cambridge: Polity Press, 1987, pp.57-80. 33 Valerie Hartouni, op.cit., pp.79-80.
体内で胎児を育てるのを、解化のようだと言うことはできません。34 早産の危機を乗り越えて8ヵ月間、子どもに酸素や栄養を与えて過ごしたジョンソンの妊 娠、 出産は、養親にも僻化器にもたとえることができない、心とからだのあらゆる力を注 いだ過程であった。こう言ってジョンソンの妊娠、出産の重みを評価することは、出産崇 拝とは違う。もちろん、男女平等は、 出産の周縁化によっても崇拝によっても、後退する。 (3)
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親が3人とはクレイジーな構成』という家族観 第3の問題点は、母が2人、つまり親が3人となることに対する忌避である。パースロ ー判事とシノレス判事がした「ベビーM裁判とは違う」という表明は、このことと関係して いる。ベビーM裁判では、代理母を母とし、彼女に自由度の高い訪問権を与えることで、 親が3人という家族を認めることになったが、その道はとらないというのが、表明の主旨 である。35 可能性としては、本案件でも、生物学的な親(あるいは「自然な親J)を3人 としたうえで、法的な親権を設定し、 ジョンソンも親と して子どもに関われるという結論 が検討されてもよかったはずである。36しかしパースロー判事は、「親が3人、自然な母が 2人というのは、クレイジーな構成 (crazy-making) のきわみJ と述べ、IVFである以 上、「契約のいかんにかかわらず、アナ(ジョンソン)にはそもそも親としての権利はない。」 とした。37 州法の適用に関する問題を中心に審理を進めた控訴裁判所でも、結論は同じ だ、った。先述したように、 同裁判所では、時代に合わない州法に基づいて血液検査を証拠 とすることへのためらいを表明し、州法の解釈と適用方法に議論の余地があることも認め ながら、結局血液検査を証拠として採用した。38 血液検査による遺伝子チェックが、ど ちらも母であるという答えを出すことはありえなかった。 3審法廷、カリフオルニア州最高裁判所は、州法によるなら、遺伝的つながりが証明さ れているクリスピナ ・カルヴアートも、出産したジョンソンも生物学的母となりうるとし た。しかしそれに続けて、 「生殖技術の進歩により、生物学的にさまざまな事態が起こりう るとはいえ、子どもに関するU、かなる州法も、自然な母はひとりとしている。jと言って、 34マシューは、ジョンソンの娘がつけた名前。カルヴアート夫妻はクリストファーと名づけた。QuotedinSuzanne Seavello, op.cit., p.226.
35注8にもあるように、ベビーM裁判では、依頼人側の妻エリザベス ・スターンには明確 な親権設定がされなかったので、正確には裁判所は親を 3人としたわけではない。しかし 実際には、夫婦のもとで暮らす子どもを、産んだ母が訪問するので、親3人の家族ができ たことになる。 36ジョンソンは、自分以外に母はないと主張したのであり、母 2人という主張はしていな い。第3者助言としてアメ リカ市民的自由連盟 (AmericanCivil Liberties Union)が、ジ ョンソンもクリスピナ・カノレヴアートも母と認めるべきだと述べた。SeeAnna Johnson v. Mark Calvert et al, 5 Ca1.4th84,851 P.2d 776, 19 Cal.Rptr.2d 494 (1993 May), p.781, n.8.
37‘Calif.Judge Speaks on Issue of Surrogacy,'op.cit., p.36. 38 Anna J. v. Mar C. et al, 286 Cal.Rptr.369 (1991 Oct
よ
p.376.先行する控訴審と同じ結論を出した。39 少しずつ理由は違うとはいえ、いずれの法廷も「クレイ、ジーな構成Jを避けて、父母そ れぞれひとりと子どもという、規範的核家族像に沿う決定を下した。それは単に判事たち の家族観が古い、頭が固いということではないだろう。アメリカ社会では、離婚と再婚に よって生じた義理の親子関係はふつうのことであるし、養親となること (adoption)、里親 となること (fostering) もいくらでも行なわれているから、子どもにとって親が複数いる というのはよくある状況といってよい。しかし、義理の親、養親、里親は、はっきりと社 会的な親であり、婚姻ないしは社会契約によって定義されており、生物学的な親ではない。 離婚の増加が家族関係を複雑にし、伝統的な、あるいは理想的な核家族の規範を揺るがし ているにしても、それは社会変化のひとつだ、と理解されている。それとは違って、 IV F と代理出産によって登場した、生物学的な親が3人という新事態は、ひとつの社会変化と いう以上に、事の本質を決定的に変えてしまし、かねない脅威だと司法は受けとめたので、は ないか。ベビーM裁判との違いが強調された理由も、その点にあったと考えられる。 郡裁判所と控訴裁判所の裁定に共通する遺伝的つながりの重視を「遺伝学的本質主義 (genetic essentialism)Jω として批判するデボラ ・グレイソンは、脅威を前にした司法 の不安と欲望を分析している。遺伝学的本質主義は、アメリカ社会が直面する家族の危機に 由来する暖昧さと不安を解消すると約束してくれるように見えるとグレイソンは言う。41 変わりつつある家族の現実を前にして、不動の家族規範の礎となってくれる確かなものと して、遺伝子は、世代を継いで、家族がそのなかに納まっているべき境界線の秩序を維持 してくれるかに思われる。混じりあってはいけないものが混じりあい、これまでにないも のが形成され、境界線は乱されてし、く。これまでの秩序を維持することが困難になったと き、永遠の継続を望んで遺伝的不死の夢が呼びこまれる。 しかし、それは不可能な夢というだけではなく、みずからの関与を自覚しない司法の愚 かしい夢である。ジャネッ ト・ ドルジンはこれを、「伝統的家族の概念を守ろうとしづ、ま さにその努力そのものによって、怖れている変化をよしとする新しい根拠をっくりだして いる。J42としている。つまり、遺伝的つながりに重きを置いてカルヴ、アー ト夫妻を自然な 親とした裁定そのものが、規範的家族の秩序の足元を掘り崩している。カノレヴアー ト夫妻 を規範的家族とするなら、そこにはもうかつての規範はない。 ドルジンの言うとおり、裁 定は、伝統的家族のかたちに軍配を挙げたが、同時に生物学的事実の再配置も したので(産 んだ者が生物学的母でない、という)、母親についてのこれまでの定義が力をもたなくなる 可能性もっくりだしたことになる。 39 Anna Johnson v. Mark Calvert et al, 5 Ca1.4th 84,851 P.2d 776, 19 Cal.Rptr.2d 494 (1993 May), p.781. 40 Deborah R.Grayson, op.cit., p.532. 41 ibid., p.532. 42 JanetDolgin(1993), op. cit., p.640.
(4 )子どもをつくろうという意図の重視 第4の問題点は、 州最高裁判所の裁定が親を判定するに際して、子どもをつくる意志を 重視したことである。同法廷は、先述したように、遺伝的つながりと出産のどちらも生物 学的親を証明していることになるからということで、生物学による決定を拒否し、その代 わりに、まったく新しい論拠によって自然の親を決定した。 カリフォルニア州統一親子関係法は、遺伝的な血族のつながりも出産行為も、母子 の関係を特定する方法と認めているが、どちらの方法もひとりの女性の手中にあると いうのでない場合は、子どもをつくろうと意図した者、つまり自分の子どもとして育 てることを望んで子どもの誕生を実現させようと意図した者が、カリフオノレニア州法 による自然な母親となる。43 この意図論によるなら、カルヴアート夫妻は、「意図した親(intendedparents, intending parents)J であり、よって自然な親ということになる。44まず彼らが子どもをもとうと意 図し、IVFに必要な段取りをした。ジョンソンがした妊娠、 出産の行為は必要であった とはいえ、その子宮に生殖細胞を移植する前に、産まれた子は自分の子にするという意図 を表明していたとしたら、彼女の妊娠、 出産はそもそも実現に至らなかったはずだ。45よ って、夫妻の意図ゆえに、彼らを自然的、法的な親と認めるというわけだ。そして意図論 の論理的帰結として、子どもの利益という基準は採用しないことも表明されている。46 判事のなかで唯一の女性であったケナード判事はこの意図論には賛成せず、少数派とし て意見を述べた。そもそもカノレヴアート夫妻に子どもをつくろうという意図がなければ (butforthe intention)、子どもは存在しなかったわけだから、その意図を重視すると いうのが、多数派が意図論をよしとする理由だろう。しかしこの「なければ (but-for)J という理論をジョンソンに適用して、受精旺を自分の子宮に着床させて産もうというジョ ンソンの意図が「なければ」、子どもは生まれなかったと言うこともできるとして、意図論 の否、意性を指摘している。47
43 Anna Johnson v. Mark Calvertet al, 5 Ca1.4凶 84,851P.2d 776, 19 Ca.Rlptr.2d494 (1993 May), p.782.
44州最高裁判所の判事たちが依拠した理論として挙げているのは、意図論としてよく知ら
れる次のマージョ リ・ シュルツの論文。MarjorieShultz‘,Reproductive Technology and Intent-based Parenthood: An Opportunity for Gender Neutrality,'Wisconsin Law
E
些些笠,1990, pp.297司398.シュノレツは、生殖機能や遺伝子という生物学的所与ではなく、意図を根拠として親を決めることでジェンダー中立性が可能となるとして、生殖技術に男 女平等実現の希望を見ている。ただし、判事たちは生殖技術に対するこの種の期待までは 述べていなし、。
45 Anna Johnson v. Mark Calvert etal, 5 Ca1.4凶 84,851P.2d 776, 19 Cal.Rptr.2d 494
(1993 May), p.782.
46 ibid., p.782, FN10. 47 ibid., p.796.
意図論の否、意性については、この判決を踏まえて出された 1994年の別件の判決を見ると さらによくわかる。同じく生殖技術を利用して生まれた子どもの親権を争った「マクドナ ルド 対 マクドナルドj裁判では、匿名提供者の卵子と夫の精子で受精させた複数の受 精匹を妻の子宮に移植して妊娠に至ったが、出産の前に離婚となり、どちらが親かを争っ た。夫は、「ジョンソン 対 カルヴアート夫妻」裁判で、のパースロー判事の論を使って、 生まれた双子の女児と妻には遺伝的つながりがなく、娘の遺伝的親である自分だけが自然 的、法的な親であると主張した。しかしニューヨーク州の法廷はむしろ、遺伝的つながり か出産かという議論を排したカリフオルニア州最高裁の意図論に倣って、提供された卵子 を受胎させようと意図した妻を自然な親とする決定を下した。48ジョンソンのケースと違 って、男性(父親)と女性(母親)のあいだの係争であり、両者聞に契約関係はなかった が、遺伝的つながりのない子を出産した点は共通している。ジョンソンもオルガ・マクド ナルド(妻)も、受精匹を移植させて出産しようという意図を有したが、違う決定が出た。 つまり意図論は、誰のどういう意図を優先的に考えるかを判断する明確な基準がないので、 恋意的な決定となってしまう。 またケナード判事は、多数派が意図論の法的根拠として挙げる「原作者の権利」の問題 点も指摘している。生殖技術を利用して生まれる子どもについては、子どもを誕生させよ うと着想した「原作者 (originator)J が、その子のっくり手として「全面的な権利 (full credit)J を有すると、多数派は言う。49 これに対してケナード判事は、知的所有財産の 法的保護の正当性を言うために用いられるのが「着想した原作者 (originatorof the concept)J という法理であって、この著作権の法理を生きた子どもに用いるべきでないと している。50 子どもは、楽曲や小説や学術研究といった知的所有財産とは違い、「原作者」 の作品でも所有物でもない、生きる人間である。子どもの親を誰にするかは、その子の人 生にとって重要な問題だ。代理出産を依頼しようと「意図」する夫婦は、出産する者より 経済的に余裕のある人々だろうが、だからといって、子どものよい親になれるとはかぎら ない。代理出産者が妊娠中に、依頼者の人生になにかが起こって事情が変わってしまうか もしれないし、生まれてきた子を虐待することだ、つであるかもしれない。そうなると、依 頼者に比べて社会経済的には低い階級であっても、落ち着いた生活を子どもに保証できる のは代理出産者のほうだということもありうるだろう。したがって誰を親とするかの判定 は、なにより子どもの利益を優先してなされるべきであるとして、ケナード判事はこの点 でも多数派に反対した。ただし、本案件で言えば、クリスピナ ・カルヴアートを自然な母 とするのが子どもの利益に適うとしたので、結論については多数派を支持するかっこうに
48McDonald v. McDonald, 608 N.Y.S.2d 477 (1994), 8ee a180 Mark R08e, op.cit., pp.630・63LJanet Dolgin (1995), op.cit., pp.59-61.
49Anna JOhn80n v. Mark Calvertetal, 5 Cal.4th84,851 P.2d 776, 19 CaLRptr.2d 494
(1993 May), p.782. 50 ibid., p.796.
なった。51 原作者がもっ知的所有財産との類比で子どもをモノ化、商品化して捉えることをケナー ド判事が批判するのは、子どもを所有物として売買する行為が、新生殖技術の発展とあい まって、「子ども売買Jとは名づけられないかたちで進行拡大しているという危機感からだ ろう。むろん子ども売買は違法であり、養子をとる際の金銭の授受をカリフオノレニア州が 禁止しているのもそのためである。実はジョンソンもそのことに触れて、代理出産契約が 自分に対する支払いを含むのは、この禁止行為にあたるとして、契約の違法性を主張して いる。これを州最高裁は、 代理出産と養子縁組は違うとして一蹴し、 支払いは子どもの対 価ではなく、ジョンソンがした出産労働に対する報酬であると続けている。52 しかしコ マーシヤノレ・サロガシーが、子どもの受け渡しと金銭の支払いを含む以上、 子ども売買と の境界はいつだ、って避けがたく暖昧なものである。ケナード判事は、子ども売買となる事 態を避けるための方策として、サロガシー契約を司法の監督 ・管理下に置こうという法制 化モデ、ノレに賛成している。 この法制化モデ、ルは、 1992年に開催の全米統一州法会議 (theNational Conference of Commissioners on Uniform State Laws: NCCUSL)で提案されたサロガシ一関連法制 2案の
うちの 1つであった。そのモデルでは、監督 ・管理者たる裁判所が、サロガシー契約の必 要性の判定、 契約諸条件の決定、 出産を引き受けた女性の法律相談、依頼者とサロゲート 候補についての心身の健康の確認などを行なうとしている。NCCUSLが提示したもう 1つの モデルは、サロガシー契約の禁止であった。ケナード判事は、サロガシー契約の司法によ る管理というモデ、ルを採用するなら、結果として、サロゲートのなかでも、妊娠と出産を 請け負う代理出産は、契約に至らないことになるだろうと言い、法的禁止によらない方法 で、代理出産を今後なく して、しく可能性をその法制化モデ、ルに見ょうとしている。 さてこの法制化モデノレは、ケナード判事が望むように、子ども売買になりかねない代理 出産契約の歯止め策として有効だろうか。このたびの多数派意見をよ しとするなら、今後 規制なしの代理出産を全面的に認めることになるとケナード判事自身が懸念しているとい うのに、どうしたらそんな裁判所にサロガシー契約の公正な監督 ・管理を期待できるだろ うか。妊娠、出産をするサロゲートの権利保護を重視し、契約を破棄する権利の保証をサ ロゲー トの側に厚くすることで、子どもをもつためのサロガシーという選択にブレーキが かかるとケナード判事は考えている。53しかし、多数派が、社会的に弱し、立場にある階層 の女性についてする次のような言明を見ると、ケナードの思うように事が運ぶという予測 は立ちにくかったと言うべきだろう。 一般には、もてる資力が弱小な女性のほうが、より裕福な女性よりも代理母になる 51 ibid., p.799. 52 ibid., p.784. 53 ibid., p.798. 80
ことが多いと考えられている。しかし、サロガシー契約が貧困女性を搾取する度合い が、一般的な経済的必然としての搾取、つまり望ましい仕事に就けずに低賃金の仕事 をすることにした場合に受ける搾取に比して、ひどいという証明はない。またサロガ シーは子どもを商品と見る態度をっくりだすという批判があるが、その証拠はなく、 説得力がない。手に入る限りのデータによれば、サロガシーが、それに関与した者に 深刻で有害な効果をもたらすということはない。また、子どもをほしいという意図を もっ親に代わって、彼らのために妊娠、出産することを、女性は意味もわからずに承 知してしまうのだといった議論もある。これには、長年のあいだ、女性は法の下に平 等な経済的権利、職業人としての社会的地位を阻まれていたのだからという理由づけ がされる。こういう見方は、代理母の側には個人としても経済的にも選択の権利を否 定し、子どもをほしいという意図をもっ親の側には、自分たちの遺伝的資源で子ども をつくる唯一の手段であろうものを否定してしまう。しかし本案件について言えば、 アナ(ジョンソン)は資格をもっ准看護師で、学校での成績はよかったし、過去に子 どもを産んだこともあるので、サロガシー契約について同意、 決定するに必要な知的 能力に欠けるとか、人生経験に欠けるなどとしづ議論はできない。54 現実社会にある不平等、格差を見ないこうした姿勢では、裁判所が監督 ・管理して搾取な き公正なサロガシー契約をアレンジするということは期待できそうにない。その後、カリ フオノレニア州では、後述するように統一親子関係法の改正にともなってサロガシーが合法 化された。その結果、医療機関による技術提供は、弁護士をたてて交わした公的契約書の あることを条件にすること、また依頼者が州裁判所に申請して、一定の条件を満たすと判 断されれば、生まれた子の出生証明書に依頼者夫婦が実親と記載されることが現実となっ ている。サロガシーを司法の監督 ・管理下に置くなら、サロガシー選択にはブレーキがか かるだろうというケナード判事の期待に反して、いまやカリフォルニア州、│は全米で最もサ ロガシー斡旋業者が多く、推測される実施件数も多い。55 ケナード判事による多数派批判とは違う視点から、意図論と 「原作者の権利j論を批判 する者もいる。マーク ・ローズは、原作者という考えに、神による創造に類比させて生殖 を語る生殖のロマンティック視があると し、 そこに男性中心的な生殖観を見ている。56意 54 ibid., p.785. 55仙波由加里「代理懐胎合法化の是非についての検討一日本と米国カリフォルニア州の代 理懐胎の現状からJW 生命倫理~ 18巻 1号、 2008年 9月、p.122。カリフオルニア州でサ ロガシーのコーディネー 卜をビジネスとする川田ゆかりは、「不当な利益をむさぼる斡旋業 者Jとしづ誤解を誘うとして、「斡旋業者」の語を拒否し、 「医療コーディネーターJの語 を使っている。川田ゆかり「米国における日本人患者の非配偶者間生殖医療の現状と日本 国内での容認への願しリ『産婦人科の世界~ 57 : 2、2005年、 p.42oなお、川田の経営す するパシフィック生殖医療センターでは、卵子提供もする伝統的代理母のケースは扱って いない。こんなところでも代理出産 (gestationalsurrogacy) の主流化が確認できる。 56 Mark Rose, op.cit., p.623, pp.631-632.
図も原作者も没ジェンダーではなく、それらは男性性の領域にあると想定されている。「種」 を植えた男性を生殖の第 l主体とし、女性の妊娠、出産を単なる「経由j点とする考え方 は、西洋思想の系譜に古くからある。非物質的過程を男性性と重ね、そこで創造された概 念を、女性性が担う物質的過程を経由させることで現実に出現させるという心身 2元論で は、非物質的過程ないしは心的過程のほうが上位とされる。子どもに関する心的な着想が、 誕生に関する支配権をもっ。いま裁判所が、そうした思想的系譜に連なるような考えに立 って決定を出したのは、単に判事の 男性中心主義や保守性からではないとローズは見てい る。新生殖技術によって、生物学的母がふたりというこれまでにない不自然な事態が出現 するようになり、生殖の自然としづ概念を根底から揺さぶっている。そんな事態に直面し て裁判所は、 つくる意図をもっ原作者に類比されるのが親であるとし、これまでの家族の 枠組みを保つ方向で、親を決めることで、不自然な出生を再自然化しようとしている。裁判 所の決定に、ローズは不安と欲望を読みとっている。57しかし、再自然化をとしづ欲望は、 決して成就しない。新生殖技術の目的が、生殖についての自然的能力の限界から人を解放 することであるなら、不自然は不可避で、ある。最初の2つの判決に見られる遺伝の重視、 州最高裁判決の意図の重視のいずれも、起源にさかのぼることで自然という正統性を確定 しようとする点で共通しているが、その正統的起源への遡及としづ欲望は、遡及の不可能 性からくる不安と表裏の関係にあると、ローズは考えている。 ローズの議論を土台にして、私なりに意図論、原作者論をさらに分析するなら、 判決に は次のような不安と欲望も読みとることができる。第1に、新生殖技術の時代に、子ども をもつことを意図 しない者を、親子関係の可能性から排除しておきたいという不安と欲望 だ。そもそも原作者の権利とは、原作者でない者の権利を制限するためのものである。多 数派は、サロゲートに対する搾取が搾取一般よりひどいという証明はまだされていないと 言うが、そもそもサロゲー トの搾取は「搾取一般」とは比較できない。比較不能な新しい 搾取をこうむる、サロゲートという新しい階級が形成されていると考えるべきだろう。新 しい階級の形成には、不安と欲望が渦巻く。サロゲー トが、契約を破棄して、生殖の自由 や権利の主体として身を起こすかもしれない。それを抑えこむ法制がないなら、あらかじ め、子どもをもちたいと最初に意図した者以外の者、妊娠、 出産という労働を担うだけの 者は、生殖に関する権利の主体から排除しておきたい。妊娠、出産だけを担うことを期待 されるサロゲート階級が、その新手の搾取に反乱を起こ し、自分こそが親だと言ったり、 生殖の権利の主体と して新しい秩序をつくろうとしたりすることのないようにしたい。そ の階級を固定化し、今後どんどん動いていって変わってしまうことのないようにしたい。 こうした不安と欲望は、技術の進歩と搾取の充進があるかぎり、解消されることはないだ ろう。 第 2に、妊娠、 出産としづ具体的身体性への恐怖と、 抽象化の欲望である。妊娠、 出産 は、どんなに高度な医療科学技術の介入があろうとも、体内で生殖細胞が血肉化して育ち 57 ibid., pp.632-633. 82
産まれてくるまでの過程は、生々しく具体的である。その身体的過程が、単なる 「過程」 であることを止めて、体液と血の流れる具体性を武器に果てしない自己主張を始めるとし たら、無秩序を招きかねない。そんな恐怖を、ジョンソンの訴えは感じさせたのではない だろうか。意図論、原作者論は、妊娠、 出産という身体経験の具体性を消去し、最後に子 どもをもたらしさえすれば、あとは生きた主体のいない「過程j として抽象化し、 知的計 画による統轄のもとに置こうという欲望の表われと捉えることもできるだろう。 以上、(1)~ (4)の問題点には、果てしなく混じりゆくのをとどめ、収まるべきところに 収めておきたい、とし、う不安と欲望が読みとれる。新生殖技術がもたらした生殖をめぐる 新事態を前にした不安の解消は、生殖技術開発の抑制やサロガシー契約の法的禁止による のではなく、形成されるサロゲート階級の固定化によって果たすことがめざされている。58 3.その後のカリフオルニア州におけるサロゲート法制 「ジョンソン 対 カルヴアー ト夫妻Jの決定で論拠として使われた統一親子関係法は、 その後改正されて、生殖技術の力を借りて産まれた子ども、出産契約で産まれた子どもの 親権に関する条文等が付加された。連邦主義をとるアメリカは、 51の法域 (50ナ│トとコロン ビア特別区)からなる不統一法制国であり、連邦政府はごく限られた立法権しかもたない。 法が扱う事柄によっては、法域間にある法規定の違いが問題を引きおこすことも予測される ので、全米統一州法会議 (NCCUSL)等が統一法を起草して州政府に提案することがある。 5~ 親子関係法はそのひとつであり、 州議会を通った統一法は州法となる。州政府は、 州、│のほ かの法制との整合性をとるために、統一法の一部を州法と しないこともできるし、多少の 変更を加えることもできる。1973年にNCCUSLが起草した同法では、生殖技術の進展にと もなう親子関係の複雑な現実によく対応できなくなったため、 2000年に全面改正され、 2002年には改訂が加えられて現在に至っている。その第7条が、生殖補助医療を使って生 まれた子どもに関するもの、第8条が、 出産契約に関するものである。60ナ│トによっては、 58 生殖技術開発の抑制やサロガシー契約の法的禁止といった一般的な政策や法制化の提 言は、たしかに司法の仕事ではない。カリフォルニア州最高裁判所は、本案件の決定にお いて、現行法によって眼前の問題を解決するのが司法の仕事であり、生殖技術の使用を抑 制するようなことは司法の役割ではないとしている。他方で、サロガシーには従来の契約 関連法規の原則を越える考慮すべき数々の問題があるので、公民権、医療倫理、社会道徳 などさまざまな局面から立法府が全体的指針をうちだすべきであるとしている。See
Anna Johnson v. Mark Calvertet al, 5 Cal.4th84,851P.2d 776, 19Cal.Rptr.2d494 (1993 May), p.787.ここで、適正に律するための枠組みが必要だと裁判所が考えているの は、生殖技術開発ではなく、サロガシー契約のほうである。 59 NCCUSLの構成員は、弁護士、 判事、法学者など。くhttp://www.nccusl.org/> visited 2010/10/11. なお、法域をまたぐ数ある統一法のすべてがNCCUSLの起草によるもので はなく 、ほかにも統一法起草組織がある。 60それまでは別の法律であった「技術の助けを借りた懐胎で生まれた子どもの統一的地位 に関する法 (UniformedStatus ofChildrenof Assisted ConceptionAct)Jを統一親子関 係法に組みこんだのが、第7条である。