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16-17世紀南西ルシ文章語における動詞過去形の規範について

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神戸市外国語大学 学術情報リポジトリ

16-17世紀南西ルシ文章語における動詞過去形の規

範について

著者

岡本 崇男

雑誌名

神戸外大論叢

50

3

ページ

43-63

発行年

1999-09-30

URL

http://id.nii.ac.jp/1085/00001472/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止

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16

-

17世紀南西ルシ文章語における

動詞過去形の規範について

*

岡 本 崇 男

1 は じ め に 16世紀南西ルシの言語文化における重要な出来事;は,教会スラブ語の文法 * が 出 版 さ れ , これをもとにして言語教育が行われるようになったことであ る。 さらに, リトアニア大公国の享務言語を基礎にして発展した東スラブ文 章 語 (「ルシ語」)の存在が強く意識されるようになり,教会スラブ語の文法 記 述 に な ら っ て , この言語の規範記述が試みられるようになった。つまり, か っ て は 享 務 言 語 ,教 会 文 献 ,’年代記などの文献ジャンル別に言語規範が存 在 し て お り ’ それぞれが経I t 的に修得さ.れるものであったのだが,:16世紀末 から 17世紀 初 頭 を 境 と し て ,二種Я の 言 語 規 範 , す な わ ち 教 会 ス ラ ブ 語 と Гルシ語」 の そ れ に 収 敵 し , これらが予め教えられるものとなるのである。 筆 者 は か つ て ベ ラ ル ー シ 年 代 記 の 一 つ で あ る Гパ ル ク ラ ボ ウ 年 代 記 」 (17 世 紀 末 ) の語 形 の 綴 を 調 査 し , この年代記の書き手が少なくとも表記にかん し て は か な り の 程 度 の 規 範 意 識 を 持 っ て い る と 結 論 付 け た [8 : pp. 48-49] 。 従 っ て ,次 の 段 階 と し て , この年代記における形態変化,統 語 法 , 語 *な ど の運用上の基準についても分析を行うべきであるのだが,同時代に教会スラ プ 語 と 「ルシ語」 の文法* が存在していた以上,先ずこれらに記述された言 *本論文は平成10年度文部省科学研究費補助金による成果のーゥである。 (基 盤 研 究 (B )(1 ), 研 究 課 題 名 「コンピュー夕利用によるロシア文* 語に関する文献学的研究丄課題番号10410108) ( 43

)

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語規範と実際に年代記で実践された言語運用とを比較分析することが年代記 の# き手の持つ幾範意識を探る上で有効な方法ではないかと思われる。 なぜ ならば,東スラブの年代記は世俗文献でありながら宗教的な内容のテキスト が混在しており, 「バルクラボゥ年代記」 も 典 型 的 な 「ル シ 語 」 の 文 献 であ る と い わ れ な が ら [1 0 :р .3 8 ] , 実 際 に は 宗 教 的 な 文 脈 で 教 会 ス ラ ブ 語 が 使 われているのである。つま'り, この年 代 記 の *き 手 の 規 範 意 識 を 知 る た め に は,教 会 ス ラ ブ 語 と 「ルシ語」 の規範がどのようなものであったのかを予め 認識しておく必要がある。 本論文においては,形 態変 化の うち 動詞 過 去 形 の 規 範 に 対 象 を 限定 し て , 16-17世紀の代S 的な文法 書に みら れる 記述 を検 討して行 く。 動 詞 過 去 形 を 対象として選んだのは,’ これが東スラプ文享語において歴史的な推移がもっ とも著しい形態範* の一つであり,' ま た 同 時 に 教 会 ス ラ ブ 語 と 「ルシ語」 と を区別する形態上の特徴の一つであることに理由がある。 2 検討の対象となる文法書について 16世紀後半に南西ルシで文法書が♦ かれ る よ う に な っ た こ と は , この地域 の言語文化史における大きな転換期が訪れたことを意味している。 もっとも, この時期まで文法* が 皆 無 であ っ た と い う わ け で は な 'く,「聖イオアンネス. ダマスケーノスのノ\ 品詞について」 な ど ギ リ シ ャ 語 の 文 法 #を 教 会 ス ラ プ 語 に翻訳したものがすでに存在していた。そし て ,16世紀になってラテン語の 文法* の翻訳が流布するようになる。特 に ,後 者 に は 「ドナ一トゥスの文法」 に代まきれるネ刀学者のための参考書的な性格を持つ文法*が含まれている。 本 論 文 で は こ こ に 挙 げ た 二 つ の 文 法 *を ス ラ プ 語 独 自 の 特 徴 を 考 慮 し た 文 法 * が登場する前段階に属する翻訳文法* として扱うことにする。 次 に ,翻訳 文法 #か ら 本 格的 な ス ラ プ 語 文 法 へ 移 行 す る ま で の 過 渡 的 な 段 1 ) それぞれの文法* の 概要につ い て は [ 1 1 ] 参照。

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階 に 位 置 付 け ら れ る 文 法 書 と し て 「ア デ ル フ ォ テ ー ス U 591年 )」 (以 下Ad l と略記) を取り上げる。 これはギリシャ語の文法書である力も原語の部分が '削ら れて しま った 先の ニ編の翻訳 文 法と違って ,原則としてギリシャ語の説 明 文 の 前 後 に (部 分的 に は 対 訳 形式 で )教会スラブ語訳が併記されている。 また,ギリシャ語の範例の一部にはそれに对応する教会スラプ語の語形が記 載 さ れ て い る の で , この文法* はギリシ'ャ語だけでなく'教会スラブ語の文法 * の 役 目 も 担っている 。 そし て ,1596年 に 教 会 ス ラ プ 語 の 規 範 記 述 を 目 的 と し た ラ ウ レ ン チ 一 .ジ .ザニーの文 法* ( 以 下 Z iz G r と略記),1619年 に は メ レ ー チ ィ .ス モ ト リ ツ キ ー の 文 法 書 (以 下 S m o G rと略記)が相次いで印刷出版されるÖ. Z iz G r の 登 場 が A d l の 出 版 か ら 5 年 しか経 過し てい な いことから, か な り 短 い期 間 にギ リシャ語あるいはラテン語の文法* の単なる翻訳から対訳,そしてスラ プ語独自の文法書の編纂へと移行したことがわかる。 や がて ,17世紀半ばになると教会スラブ語の規範ではなく Гルシ語」 の规 範 記 述 を 試 み た イ ヴ ァ ン . ウジエヴィチの文法* が 著 さ れ る 。’ 「ウジエヴィ チ の 文 法 . (1.643, 1645年 )」 (以 下U z h G rと略記) はジーザニィやスモトリ ツキ一のような当時の南西ルシを代表する著明な教養人ではなく,その経歴 に つ い ては ほと ん ど何も 知られてい な い無名.の 人 物 イ ヴ ァ ン . ウジエヴィチ が異 郷の 地フランスで# き上げた文法書である。.これは印刷されたものでは なく,二 種 類 の 手 稿 が そ れ ぞ れ パ リ の 国 立 図 書 館 (パ リ本) と北フランスの 都市アラスの市立図* 館 (アラス本)に保管されている。すでにこれらのこと か ら , こ の 文 法 # がZ i z G rやS m o G rと違って17世紀南西ルシの言語文化に は直接何も影響を与えていないことがわかる。 それにもかかわらず,U z h G r が 重 要 で あ る と考 え ら れ る 理 由 は , ウジエヴィチカ:教 会 ス ラ ブ 語 と 「ルシ語」 , 2 ) ハ。リ本のタイ卜ルは 'Траматыка словенская през Иоанна Ужевича словянина, славной Академий Паризской в Теологии студента в Парижу. Року от нарожениа Сына Божого 1643", Т ラ ス 本 は 'Трамматыка словенская зложена и написана трудомъ и прилежанием Иоанна Ужевича словянина. ЛЬта от нароженя сына божого 16 45 "であるо ( 4 5

)

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との文法的な違いを明確に意識した上で一貫して記述の中心を後者の言語に 置いているという点にある。 ウジエヴィチにかんしてわかっている数少ない情報によれぱ,彼はパリ大 学 神 学 部 に 学 ぶ 以 前 に ポ ー ラ ン ド の ク ラ ク フ 大 学 に 在 籍 し て い る[3: p. X I I I ] ので,彼は ポーランド語とラテン語には堪能であったはずで, 当然 の教養としてカトリックの神学,文 法 学 ,Iま辞学などにも通じていたことは 容易に想像できる。 また, アラス本にはクロアチア風のグラゴール文字によ るテキストも見られ,教会スラプ語にかんしてかなりの知識を持っていたと 考 えられ る。 したがって, こ の 文 法 #は ウ ジ エ ヴ ィ チ の よ う な 南 西 ル シ 出 身 の 知 識 人 がZ k G r や Sm oG rの よ う な 規 範 *に も と ず く 文 法 教 育 の 恩 恵 を 受 けていた可能性のあることのf正明となるという意味において重要なのである。 3 教会スラブ語の規範 3 . 1 翻 訳.対 訳 文 法 »に お け る 動 詞 過 去 形 の 規 範 A d l は 以 下 の よ う に ギ リ シ ャ 語 動 詞 の 六 つ の 時 制 に 对 応 す る 教 会 ス ラ ブ 語 の 名 称 と 範 例 を 提 示 し て い る (ギ リ シ ャ 語толтш 「打 つ 」 と教会スラプ語 бити / о убити 「打 つ 丄 [1 : 1.62-62b] ) 。 ギリシャ語 教会スラプ語 時制の名称 例 時制のあ称 例 EveoTco^ zvnzoj Настоящее б1Ю П арат てixo^ ётотгтои Мимошедшее оубихъ Uapaxecßsuo^ T6W(pa Протяженное биях 1 7iep(JUVZE.ALX0<$ ёгет0(рЕш Пресъвершен’ное б1Яах Аорсото'^ 'ётифа НепредЬлное бихъ MiXXüjp тисро) Будущее оуб1ю ( 3 ) 原 文 で は "уобихъ".

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六 つ の 時 制 の う ち ,最初と最後を除いたものが過去時制であり,ギリシャ 語 の 未 完 了 過 去 に は "мимошедшее", 現 在 完 了 に は "протяжен’ное" , 過 去 完 了 に は "п р е съ в е р ш е н 'но е ",ア オ リ ス ト に は "непредЬлное" という 訳 語 が 与 え ら れ て い る 。 し か し мимошедшееの 例 と し て 挙 げ ら れ て い る の が 完 了 体 ア オ リ ス ト о у б й х ъ で ,протяжен’н о е の 例 が 不 完 了 体 未 完 了 過 去 形 б и я хで あ る こ と か ら , [ 1 1 : р . 6 0 ] で指 Ä さ れ て い る よ う に , これ は 誤り であ って ,本 来逆で ある べき であ る。 動 詞 の 過 去 時 制 と し て 四 つ の 形 を 区 別 す る の は ギ リ シ ャ 系 立法 *の 伝 統 で あ って ,A d l 以前から知られていた文法* の 一 つ で あ る Г聖 イ オ ア ン ネ ス . グマスケーノスのノ\ 品 詞 に つ い て 」 の あ る 写 本 ([4: p p .4 7 -54 ]— 以下 D a m a s k と略記)で も や は り 過 去 時 制 (время предбывщее)と し て (1)про- тяженое, (2)непредЬлное, (3) надпредらляемое, (4) предлижимое の 四 類 が あ げ ら れ て い る 。 しかし, これらの時制に対応する教会スラブ語動詞は, (1 )に 対 し て " б1яхъ", (2 )に 対 し て " б и х ъ "カルるのみで, 他 の 二 つ の 時 制 につ い て は 該当す る膨が ない 。つ まり ,ギリシャ語の未完了過去とアオリス トに対応する形のみがあげられているのである。 一 方 ,16世紀になって東スラブ世界に知られるようになった「ドーナ一トゥ スの: * 法* 」 ([4 : pp. 528-623] — 以 下Do n a t と略記)は, ラテン語の文法 * の 教 会 ス ラ ブ 語 訳 で あ る の で ,ギリシャ系文法* と違って三つの過去時制, すなわち perfectum , im perfectum , plusquamperfectum が設定されている。 そ し て , こ れ ら の 時 制 に 对 し て (1)минувшее ( またはпрошедшее) несвер- шеное ^ = im perfectum Г未 過 去 」),(2) минувшее совершеное (ニ perfectum f e j * 過 去」)’ (3) минувшее пресвершеное ( = plusquamperfec­ tu m 「大過去」) という名称が与えられた上で, ラ テ ン 語 め 四 つ の 規 則 動 詞 (am o, doceo, lego, a u d io ) と 二 つ の 不 規 則 動 詞 (sum, v o l o ) に対*応する 教 会 ス ラ プ 語 動 詞 の 活用 形 が 提 示 さ れ て いる。

( 4 ) "двЬ же проч1и языку не пр1ятнЬ"「他 の ニ つ (の時制)は言語に該当しない」 [4: p. 52]

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過去時制がギリシャ語系文法* で四 種 類 , ラ テ ン 語 系 文 法 *で 三 種 類 と な るのは, これらの文法# が 教 会 ス ラ プ 語 本 #の 文 法 記 述 を 目 的 と し て 翻 訳 さ れたものでないこ’とに原因がある。 そし て , ギ リシ ャ 語 の 四つの過去時制の う ち 教 会 ス ラ ブ 語 動 詞 カ サ 応 す る 時 制 を 二 つ し か 認 め な か っ たDa m a s kの 記述に比べ て,Do n a t で は ラ テ ン 語 の 三 種 類 の 過 去 時 制 全 て に 対 応 形 が 提 示 さ れ , Ad l で ギ リ シ ャ 語 の 過 去 時 制 全 て に «^会 ス ラ ブ 語 動 詞 の 活 用 形 を 対応させるに至ったことは,教 会 ス ラ プ 語 動 詞 の 形 態 と 語 »的 意 味 に つ い て の統一的な理解がまだ存在しなかったことを意味している。 また,実際 に各時制に対応した教会スラブ語動詞の形を見ると,D a m a s k ■ で例示さ れた二つの時制形はAd l の 未 完 了 過 去 と ア オ リ ス ト に 一 致 し て お り,それぞれの時制の名称も同じである。 しかし,Do n a t の 未 完 了 過 去 形 -は規則動詞の場合,п о ч т о х , п о л ю б и хの よ う に , 「暫く 」 の 意 味 を 持 つ 接 頭 辞 п о -の 付 い た 「完了体動詞」 で あ っ て [ 1 1 : р . 4 8 ] , 他 の 二 つ の 文 法 *と は語取成上違ったものがÄFされてい る。一 方 , 完 了 過 去 形 は ЧТОХ, о у ч и х , с л ы ш а х等で,ギリ シャ 語系文 法書 で例 示 され てい るア オリスト形 と形態上 一致している力s', лю блюの 場 合 だ け はл ю б и хで は な く , 始 動 の 意 味 を 持 つ 接 頭 辞 の 付 い たв о з л ю б и хである。 そ し て ,Da m a s kで は 「対 応 な し 」 と されていた大過去形については,Do n a t で 多 回 体 の 意 味 を 持 つ ,接 尾 辞 -a-, -ва-, - и в а -によつて語幹の拡大された лю бливах, ч и т а х , у ч и в а х , с л ы х а х が例示されているのにた い し て ,Ad l で は や は り 接 尾 辞- а -が 付 加 さ れ た б1яахがあげられている。ただし,後 者 は 接 尾 辞 に よ っ て 語 幹 が 拡 大 さ れ た 未 完 了 過 去 形 6 ia x に更に接尾辞を加えた人工的な形式である。 :動詞過去時制の 規範記述におけるAd l .(お よ びDa m a s k) の 最 大 の 欠 点 は, ギリシャ語動詞のパラ.ダイムに对して提示される教会スラプ語動詞が一 人称単数形のみである.ために,人 称 変 化 の 全 体 像 が わ か ら ;& いことである.。 文 法 の 記 述 は 主 とし て 現 在 時 制. 三 人称 で お こ な わ れ る の で , - 文 法 *の テ キ ストか.ら動詞過去時制の規範形を充分に知ることはできない。. もちろん,教

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会 ス ラ プ 語 で 読 み* きを実践する者にとっては,一 人 称 ,数 形 の み を 手 掛 か りとして,残 り の 人 称 変 化 をя 推することが可能かもしれないが,それぞれ の時制に 一般的 な 人 称 語尾 の 一 覧も 与え ら れて い な い状 況 で , このような類 推ができるのは教会ス ラプ 語に かな り通じ た人 物に限ら れている。. ’ ところ力もD o n a tで は 三 つ の 人 称 に つ い て 単 数 と 複 数 の 変 化 が 提 示 さ れ ているため,双数以外の過去形を知ることがで,きる。例として, "ч т у " (lego に対応) と "есмь" (s u m に対応 )の 活 用 形 を あ げ て お く (表 1 および表2 ) 。 表 1 : ч туの過去形 1 人称 2 人称 3 人称 未完了過去 単数 ПОЧТОХ почел есй почел сонъ 複数 почтохомъ почтосте почтоша 完 了 過 去 単数 ЧТОХ челъ еси чел сон 複数 чтохомъ чтосте чтоша 大 過 去 , 数 читах читаше читалъ 複数 читахом читаете читаху/читаша 表 2 :есмьの過去形 1 人称 2 人称 3 人称 未完了過去 単数 бЬх был еси был есть/был/бЬ 複数 бЬхом б ら сте бЬша 完 了 過 去 単数 бых был еси бысть 複数 быхомъ бысте быша 大 過 去 , 数 бらх/бывах бывал еси б ら аше 複数 бывахом бываете бываху D o n a tで提示された動詞 パラダイムの最大の特徴は, ギ リ シ ャ 語 系 文 法 * で明らかにされること力s'なかった二人称と三人称の単■数形が単一形ではな くбы тиの 現 在 形 とг / 分 詞 」 によって作られる複合形になっていることで ある。 そ し て 三 人 称 単 数 で は бы тиの 現 在 形 " е с т ь " が 省 略 さ れ る こ と も あ I ) 双数の変化形がないのは, ラテン語にこの範禱が存在しないからである。 ( 49 )

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る。初期のロシア教会スラプ語動詞の過去単•ー开多の語尾は表3 お よ び 表 4 の 通 り であり,本来は二人称単数开ぐと三人称単数形の間に形態上の違いがなかっ た (ア オリ スト :чте, ч т е , 未 完 了 過 去 :читаше, ч и т а ш е )の で あ る が , この時期には複合®がすでに規範形と見なされているようになったことがわ かる。 表3 : アオリス ト語尾 表4 :未完了過去語尾 1人 格 2人 称 3人称 1 人 称 2 人 称 3 人称 単 数 -(о)хъ -е/-0 -е/-0 単 数 -хъ -ше -ше 双 数 -(о)хова -(о)ста -(о)ста 双 数 -хова -ста -ста 複 数 -(о)хомъ -(о)сте -(о)ша 複 数 -хомъ -сте -ху おそらく人称の区別を明確にしようとする意志が働いていることが複合开さ 導入の理由であると考えられる力、' , Do n a t に 例 示 さ れ た パ ラ ダ イ ム か ら そ の人称区別 の方 法を 分類し たも のが 表5 で あ る 。 つ ま り ,二人称単数が複合 形 で 三 人 称 単 数 が 「/ 分詞」 と な る こ と が か な り 一 般 的 で あ り , これらを 組 み 合 わ せ た b の夕イプが典型的であるものの,人 称 を E 別する方法が完全 に統一されているわけではない。 表5 : 二人称単数と三人称単数の区別の方法 二人称単数 例 「I 分詞」+ еси I 分别」+ есть услышал еси / услышал есть, был еси /был есть Г I 分詞」+ еси 「I 分詞」のみ учил еси /учил, чел еси / чел, слышал еси /слышал, слыхал еси /слыхал, был еси был, хотЬл еси/хотЬл, хачивал еси /хацивал ГI 分詞」+ 単一形 был еси /6Ь, был еси / бысть, бывал еси /бらаше 単一形 「I 分詞」のみ любливаше /любливалъ, читаше /читал, учиваше / учивалъ Г I 分詞」のみ 「I 分詞」のみ возлюбил ты /возлюбил, учивал /учивал

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三 人 称 複 数 形 の 二 種 類 の 語 尾-ш а と -Х У の 区 別 が 暖 味 に な っ て い る 傾 向 も見られる。本 来-ш а は ア オ リ ス ト (OCS. -Sa), - x y は 未 完 了 過 去 (OGS. - x q ) の 語 尾 で あ っ た の だ が (表3 お よ び 表 4 参 照 ), учаху / учиша, читаху / читашаの よ う に 二 つ の 本 来 異 な る 形 式 が 大 過 去 形 と し て 併 記 さ れて い る 。 ロシア教 会 ス ラ ブ 語 の 未 完 了 過 去 語 尾-ста ( 双 数 二 人 称 .三 人 称 ),-сте ( 複 数 二 人 称 )は,古 教 会 ス ラ ブ 語 で は - äßto , - s e t e であった力す,

既 に 最 古 の 文 献 で あ る 「オ ス ト ロ ミ ー ル 福 音 書 (1056-57年 )」 においても

искааста (双 3. OCS. iskaaseta ) ’ бЬаста (双 3. OCS. beasete ) ’ помышля- асте (複 2. OCS. pom ysljasete ), течааста (双 3. OCS. tecaasete ) とい う ようにアオリ ストと同じ語尾が使われている。従って,二人称単•数 . 複 数 と三人称複数以外の語尾についてはアオリストと未完了過去の区別がなくなっ た。 そして更に未完了過去形の語幹母音に縮約が生じたため(aa>a, яа>я), かなりの数の動詞は先にあげた三つの人称以外でアオリストと未完了過去が 同 じ 形 式 と な っ て し ま う(искахъ ( ア オ . 単 1 ) , искаахъ ( 未 完 了 . 単 1) > искахъ, глаголасте (7 ■才 ■ Ш 2), глаголаашете 未 - 複 2) > гла- голасте)。 そ の 上 ,二 人 称 お よ び 三 人 称 の 単 数 形 が 「/ 分 詞 」 を使った複 合 形 で 代 用 さ れ る と な る と ,未完了過去形とアオリスト形の形式上の区別は もはや意味を持ち得ず,三 人 称 複 数 語 尾-ш а Л х у も 同 義 的 な も の と 扱 わ ざ る を 得なかったの ではないかと 思われる。 なお,Do n a tに は 一 例 の み で は あ る が 大 過 去 三 人 称 複 数 形 と し てГ / 分詞」 の み の 形 }шчивалиが 挙 げ ら れ ている。 結 局 ,D a m a s k で は 範 例 の 少 な さ の た め に は っ き り と わ か ら な か っ た こ とである力《, D o n a t では(a)過 去 の 一 回 の 行 為 を 表 す 形 と (b) 多 回 体 と が 对 に なって過去時制のパラダイムを形成することが明確になっている。 また, (a )に 接 頭 辞 を 付 加 す る こ と に よ っ て 別 の 過 去 時 制 が 作 ら れ る 。 そ し て , A d l に至って(b )の接尾辞派生形がまた新たな過去時制を形成するのである。 51

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3. 2 ジーザニィの文法書 時 制 の 名 称. Z iz G rで は A d l と 全 く 同 じ 名 称 (す な わ ち , мимошедшее, протяженое, просвершенное, н е пр ед клн о е)力Ч史 用 さ れ て い る の で あ め が ,例 不 さ れ た 動 詞 の形 を比 較す ると , мимошедшееと непредЬлноеの形 式上の区別が明確になっている。A d l で は мимошедшееが 不 完 了 体 で あ れ ぱ 接 頭 辞 の 付 い た 完 了 体 が непредЬлноеに な り (творих — сотворих, вопих — возпих), мимошедшее i f b t / f 本であれ【ま、непредЬлное tこも同じ 形 を あ て 々 (позлатих — позлатих, положих 一 положих, поставих поставих, дах 一 д ах) の が 原 則 と な っ て い る の に た い し , Z iz G r では 回の行為を意味する二種Я の形をそれぞれの時制に割り当てているのである。 すなわち,мимошедшееが 接 頭 辞 の な い 一 回 動 詞 で あ れ ぱ ’ непред;Ьлное は 接 頭 辞 の 付 い た 完 了 体 (гласих — в ъ з'гл асихъ ), мимошедшееが完了 体 で あ れ ば ,непредЬлноеがないо また,Z iz G rでは それ ぞれ の時 制の関係が簡単に定義されている。 これに よれば,動 詞 に は 先 ず (1 ) настоящее ( 現 在 ), (2) протяженное (継 続 過 去 ), (3) боудоущее ( 未 来 )の 三 つ の 基 本 的 な 時 制 が あ り , 更 に そ れ ぞ れ か ら (!/ ) мимошедшее (経 過 去 ), (2' ) пресовершенное ( 大 過 去 ), (3' ) непредЬлное ( 不 !äe過去ゾ i f I 生 み 出 さ れ る 」 ("из них же и иная три р а ж д а ю т с я ")と な っ て い る [6 : p . 53] 。 過去® のパラダイム. 完了体と不完了体のペアによって動詞のパラダイムを 形成する例としてあげらているのはявити/являти, спасти/спасати, въстати /въ ставатиである。 こ れ ら に お い て は 完 了 体 現 在 形 が 未 来 時 制 と な り , 不 完了体現在カ墙在時制となる。そして,「不 定 過 去 」 カ审ましないので過去時 制 は 二 種 類 と な る (例 と し て въстати/въставатиの 過 去 時 制 を 表 6 にボす)。 :6 ) мимошедшееはラテン語のpraeteritum に呼応する過去時制の総称としても使われていた ようなので,た ん に 「過-去」 と 訳して もよ いのであるカシ他の名称と区別するために「経過 去」 とした。なお, この 訳 語は [ 1 1 ] による。

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表 6 : Бстати/въстати の過去形 1 人称 2.人 称 , 3 人 称 . 経 過 去 単数 въстах въсталъ (ла, ло) еси въста 双数 въстаховЬ ノ въстаста въстаста 複数 въстахом въстасте въсташа 継 続 過 去 単数 въстах въсталъ (ла, ло) еси въсталъ / въсташа 双数 въстаховЬ (ва; въстаста въстаста 複数 въстахом въстасте въстахоу (ша) 大 過 去 単数 въстаах 双数 въстааховЬ 複数 въстаахомъ 「不定 過 去 J は гласити/глаш атиと бы тиに例が見られるо 前者の場合, 接 頭 辞 の 付 い た 完 了 体 の 一 人 称 単 数 形 в ъ з'гл асихъ の み が 例 示 さ れ て い る 。 後 者 は 直 説 法 以 外 で は быватиの変化取がf t み込まれている力も過去膨では 語 幹 бЬ- ( б я - ) を 持 つ 形 が Г経過去」 お よ び 「継続過去」 として一つの変化 表 を 形 成 し ,語 幹 б ы -を持つ® が . 「不定過去」 の変化とみなされている。 Z iz G r に お い て もD o n a tと同じように二人称単数は複合® ( ГI 分詞」 + е с и ) で あ る 。 し か し , 単•一 形 も 併 記 さ れ て い る 例 が あ り (яви, являше, являаше ; спасе, спасаше ; бяше) , こ の 範 囑 に お い て 単 形 が 完 全 に 消 減 したとは言い切れない。 また’ 三 人 称 単 数 はD o n a tと 違 っ て 「経 過 去 」 で は単一® が 一 般 的 で あ り , 「» 続過去」 と 「大 過 去 」 で は 「/ 分 詞 」 と患 一 般 が 併 記 さ れ て い る 。 なお,不 完 了 体 で あ り な が ら 「経過去」 を形成する гл аситиだけは,三 人 称 単 数 が гласилである。. ますこ’ 三 人 称 複 数 の 語 尾 の 混 同 も Z iz G r に お い て は , 多 回 動 詞 に 固 有 の 時 制 で あ る 「継 続 過 去 」 と 「大過去」 に特徴的な現象として規範化されている。 3. 3 スモトリツキ一の文法書 時 制 の 名 称. S m o G rで も мимошедшееと непредкпноеは 過 去 時 制 の 名 称 として使用されている力す, протяженноеと пресовершенноеが 廃 さ れ て , ( 53 )

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新 た に прешедшееと преходящееが 導 入 さ れ た 。 そ れ ぞ れ の 時 制 の 定 義 は Z iz G r以上に詳しい。すなわち, (1 ) 「未 完 了 過 去 」 (преходящ ее)は 「完 了 さ れ な か っ た 過 去 の 能 . 受 動 行 為 」 ("несовершенно) прешлое дЬйство или страдание") を意味するもの, (2 ) 「完 了 過 去 」 (пр е ш е д ш е е)は Г完 了 さ れ た 過 去 の 能 . 受 動 行 為 」 ("совершенно; прешлое дЬйство или страдаьйе" ) を意味するもの, (3 ) 「大 過 去 」 (мимошедшее) は 「より以 前 に 完 了 さ れ た 過 去 の 能 . 受 動 行 為 」 ("древле совершенной прешедшее дЬйство или страдаьйеъ")を意味するもの,(4 ) 「不 定 過 去 」(непредЬлное) は 「す ぐ に 完 了 さ れ た 過 去 の 能.受 動 行 為 」 ("вмал£>соверш еннш преш лое дЬйство или страданхе" ) を意味するものと定義されている。 過去形のパラダイム. S m o G rの 動 詞 規 範 記 述 の 大 き な 特 徴 の 一 つ は , 時制 と派生形との関係が定式化されたことにある。す な わ ち , 図 1 お よ び 図 2 に 示 す よ う に 接 頭 辞 や 接 尾 辞 で 語 幹 が 拡 大 さ れ て い な い 動 詞 を Г初 原 体 」 (первособразный в и д ъ )あるレ、fä Г完 全 体 」 (совершенный в и д ъ ) とし, この現在形を出発点として接頭辞,接 尾 辞 ,過 去 語尾 が接 続され るこ とで現 在 . 過 去 . 未来の各時制麻が形成されるイ本系が提示されている。 бш 01Ю поб'ш б1яю --- ► 01яхъ ---► ошахъ бихъ ---► побихъ 図 1 : 完全動詞および#回動詞 разбш б1яю ---► разошю --- ► разохяхъ---► разохяахъ бихъ ---► разбихъ 図 2 ; 複合動詞 ( 7 ) 訳 語 は [ 1 1 ]による。 こ こ で い う 「俘」 (видъ) は現代ロシア語文法における同じ名称の動 詞 範 禱 (す な わ ち Гアスペクト」) とは違って,語形成レペルの用語であることに注意しなけ れぱならない。

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そし て ,服 生 と 時 制 の 関 係 は 図 3 のようにな.る。 -未来 完全動詞現在- ►多回動詞現在• 未完了過去 大過去 (接頭辞なし—接頭辞付) - 完 了 過 去 ---不定過去 図 3 : 形態派生と時制の関係 そ して ,形態派生と時制とのこのような関係を前提とした上でスモトリツ キ ー が 提 示 し た 動 詞 過 去 形 の パ ラ ダ イ ム が 表 7 ( ч е с т и ) と 表 8 (творити) であ る 。 S m o G r過去开タ規範の特徴は, (1 ) 二人称単•数 が 「/ 分 詞」のみ,. (2) 多回 表 7 : SmoGrの動飼過去形(1) 1 人称 2 人称 3 人称 完 了 過 去 単•数 чтохъ челъ (чла, чло) чте 双数 чтохова/-вЬ чтоста/-стЬ чтста/-стЬ 複数 чтохомъ чтосте чтоша 未完了過去 単数 читах читалъ (-ла, -ло) читаше 双数 читахова/-вЬ читаста/-стЬ читаста/-стЬ 複数 читахом читаете читаху/-ша 大 過 去 単数 читаах читаалъ (-ла, -ло) читааше 双数 читаахова/-вЬ читааста/-стЬ читааста/-стЬ 複数 читаахом читаасте читааху/-ша 不 定 過 去 早数 прочтохъ прочелъ (-ла, -ло) прочте 双数 прочтохова/-вЬ прочтоста/-стЬ прочтостаЛстЬ 複数 прочтохомъ прочтосте прочтоша 表 8 : SmoGrの動詞過去形(2) 1 人称 2 人称 3 人称 完 了 過 去 享数 творих творил (-ла, -ло) твори 双数 твориховаЛв ら твориста/-стЬ твориста/-стЬ 崔数 творихом твористе твориша 未完了過去 творяхъ ... 大 過 去 творяахъ ... 不 定 過 去 単■数 сотворих сотворихл (-ла, -ло) сотвори 双数 сотворихова/-вЬ сотвориста/-стЬ сотвориста/-стЬ 複数 сотворихом сотвористе сотвориша ( 55

)

(15)

動 詞 の 時 制で あ る 未 完 了 過 去 と 大 過 去 の 三 人 称 複 数語 尾に 二 種 類 あ る , (3) 大 過 去 は 接 尾 辞 -a - によって語幹が拡大さ れて い る, (4) 単 一 形 の う ち 双 数 の全人 称と三人称複数の語尾に性の区別があることなどである。 これらのう ち,(2 ) は Z iz G rおよび翻 訳文 法に も見る こと がで きる。 (3) の 人 工 的 な 大 過 去 形 に つ い て も Z iz G rの 記述 を継 承し たと考え られ る。 し か し (1) につ い て は 助 動 詞 の е сиが ー 貫 し て 変 化 表 か ら 欠 落 し て い る 点 で Z iz G r とは基 本的な違いがある。 こ れ を直 説法 以外 の パ ラ グ イム に は е си が存在するのだ から’ ここでは単■に 省 略 さ れ て い る と 考 え る べ き な の か [2 : Р . 22] , あるい は意識的に助動詞が除外されていると見るべきなのかについて判断するに充 分な根拠を知らない。 ただし,ス モ ト リ ツ キ 一 の 「ル シ 語 」 規 範 (第 4 . 1 節 )との对比は示唆的である。 なお, (4 ) の 単 一 形 の 語 尾 に 性 の 区 別 (男 性 . 非 男性)を認めるというのは,東 ス ラ ブ の 教 会 ス ラ ブ 語 の 伝 統に は な か っ た ( 9 ) ものである。 3 . 4 ウジエヴィチの文法# U z h G rは 「スラブ語文法」 と銘打ってはいるものの,記 述 の 中 心 は 「ル シ語」 に置かれている。 こ の た め 教 会 ス ラ プ 語 ("lingua sacra" ) にかんす る規範記述は稀にしか見ることができず,二 つ の 手 稿 のうちアラス本にのみ 動 詞 の パ ラ ダ イ ム が 提 示 さ れ て い る 。 動 詞 の 時 制 は (1 ) praesens ( 現 在 ), (2) praeteritum (過 去 ),(3) fu tu ru m ( 未 来 )の 三 つ で あ る が , Z iz G r およ び S m o G rと違って,U z h G rで は 動 詞 の 過 去 時 制 は 「未完了過去,完了過去, 大過去」("P raetentum im perfectum , perfectum et plusquam perfectum 'リ

( 8 ) 三人梓複数語尾-ш аは古いキリル文字では男性が- Ш А , 非 男 性 が -1 Ш となる。

( 9 ) Z iz G r でも双数一人称語尾には-оваЛоБЬの二種類が併記されている。

(10) ノベリ本では"Porro Sacra lingua Sciavonica praeteritum e ffe r(ijt per ахъ, u t писахъ scripsi(,) читахъ legi, глаголахъ dixi" Г更に,スラブの神聖語は過去時制をа х ъ によって 伝える。例えば,писахъ ( わたしは)言いた,читахъ ( わたしは)読んた,глаголахъ (わ たしは)言った」 と簡単■に一人称単数开まの例をあげるにとどまってい る[ 3 : パリ44]。 なお, ほ ぱ 同 じ 記 述 が ア ラ ス 本 に も 見 ら れ る ("Porro Sacra Lingua Sclauonica praeteritum form at per ахъ u t писахъ scriptsi(’)глаголахъ d ix i(.)") [ 3 : アラス70] 。

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と い う 表 題 の も と に 一 種 類 の 人 称 变 化 (глаголати)が ;^さ れ て い る に す ぎ な い (表9) 。 表 9: : U z h G rの動詞過去形 1人称 2人称 3 人称 単数 глаголахъ г'лгсголалъ/э еси глагола 双数 глаголаховЬ 厂лзголастз — 複数 глаголахомъ глаголасте глаголаша/глаголаху U z h G r に お い て も や は り 二 人 称 単 数 は Г / 分 詞 + еси」 で あ り , この形 態範禱について複合形が定着している.こと力ЧШ認できる。 また,三人称単数 は S m o G rと同じ単■ー 膨 (アオリスト)のみで,単 独 の あ る い は 助 動 詞 естъ を 伴 う 「/ . 分詞 」 は例と し て 示さ れ て い な い 。.そ し て , 三 人 称 複 数 は 不 完 了 体 動 詞 に 特 有 の -ш а / - х у の両形併記となっている。未 来 時 制 に 不 完 了 未 来 ("fu tu ru m p rim u m " : буду глаголати,. . j と元 J 未 来 ("fu tu rm secundum" ; 一 возгл аголю ,.. . ) の 二 種 類 を 認 め ら れ て い る 以 上 , ウジエ ヴイチも完了体と不完了体の意味の違いは意識していたと思われるが,三人 称 単 数 を ア オ リ ス ト 形 の み と し ,三人称複数にアオリスト形と未完了過去形 を 併 記 す る の は Z iz G r ともS m o G rとも異なる規範意識であるということが ( 12) できる。 人 工 的 な 多 回 形 глаголаахъ, глаголаалъ ^ с и ,.. . が既存の;Ä 法言 から 引き継 かれ て い な い の は ,完 了 過 去 . 未 完 了 過 去 . 大過去の形式上の区 別を認めない著者のこうした個人的な意識によるのか, あるいは経験上その ような形に出会ったことがなかったからであろう。 4 「ルシ語」 の動詞過去开乡親範 「ルシ語」 の 動 詞 過 去 膨 に 関 す る 規 範 記 述 は S m o G rお よ び U z h G r に見 (11) бытиの未来形と不定詞で複合未来形を形成することは教会スラブ語に特徴的ではない。 お そらく,「ルシ語」 から類推した結果であると思われる。 (12) DONATに同様の例が見られる。 -( 57

)

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.ることができる。 も っ と も 前者 は 教 会 ス ラ プ語 の文法♦であ るので動詞過去 形につ い ては表10に示す簡単•なパラダイムが 提 示 さ れ て い る に す ぎな い 。一 方 ,後者 に お い て は す で に第 3. 4 節 で 述 べ た よ う に 「ル シ 語 」 の 規 範 記 述 に重点が置かれているのでかなり詳しく説明されている。 4 . 1 スモトリツキ一の文法* S m o G rでは 過去 時制に 教会 スラ プ語 と 同 じ 下位 区 分 が あ る も の と考 え ら れている。 そして過去形が原則として単一形で表される教会スラブ語に対し て ,Гルシ語」 で は そ れ ぞ れ の 時 制 の 教 会 ス ラ ブ 語 形 と 同 一 の 語 幹 を 持 つ 厂I 分詞」 とбы™ の 現在 形 によ ゥて作ら れる複 合過去形が 規範 となる。従っ て ,二 人 称 単 数 に つ い て は 実 質 的 に 教 会 ス ラ ブ 語 と の 区 別 が な い と い う こ と になるのだが,教会スラプ語のパラダイ'ム で 助 動 詞 の е с и がー貫して欠落し て'いるのは,「ルシ語」 の 体 系 と の 違 い を 意 識 的 に 際 だ た せ る た め で あ っ た のかもしれない。 ま10 :スモトリツキ一のパラダイム 1 人 称 , 2 人称 3 人称 完 了 過 去 単数 челъ. есмъ ..челъ (чла, чло) еси челъ есть 双数 чла есва / члЬ ествЬ чла еста / члЬ естЬ 一 複数 чли есмы чли есте чли сутъ 未完了過去 читалъ есмь ... 大 過 去 читаалъ есмь ... 不 定 過 去 прочелъ есмь ... ところで,читаалъ есм ъ の よ う な 人 工的 な 過 去 語 幹 を 持 っ た 過 去 形 を 含 めたパラダイムカサ是示されているにもかかわらず,スモトリツキ一自身はこ れ ら の 過 去 形 を 現 実 に あ ま り 使 用 し な か っ た こ と が Stefan M . P u g h の研 究によってあきらかになっている。P u g h は ス モ ト リ ツ キ 一 の 「ル シ 語 」 に よる主要な著作に見られる言語特徴を分析した結果, これらの複合過去形が 聖書の文脈にしか現れず, また三人称では助動詞を伴わないと指摘している

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の で あ る [9 : p. 264]。つ ま り ,ス モ ト リ ツキ 一 が 記 述 し た 過 去 形 の 規 範 は 神聖 な内容を表現するための高尚な文体のものであるかもしれず, このこと によって文法* 全体の性格も規定されていると考えるべきであろう。 4 . 2 ウジエヴィチの文法書 U z h G r においては過去時制の下位区分がない。つまり, こ こ で も時制体 系 に 教 会 ス ラ ブ 語 と 「ルシ語」 との違いを認めないS m o G rと同じ立場が取 られていると いう こと がで きる 。 過去形に関しては かな り詳し い記 述が ある が,二つの写本間で記述内容が 多少 異な っ て い る 。例 え ば , ア ラ ス 本 で は Г過去形には単数で性の区別があ り」 ( "P rae te ritu m im perfectum , periectum et plusquamperfectum d iffo rm ite r sin g u la rite r" ), Г複数では性の区別がない」 ("pluraU ter uni- f o r m i t e r " ) とされている力す,パリ本では複数にも性の区別がある。 また, アラス本には双数がない力《, パ リ 本 に は 双 数 が あ る (ま11と表12を参照)。 表1 1 : ウ ジ エ ヴ ィ チ (アラス本')のバラダイム 1 人称 2 人称 3 人称 単 数 男 性 ковалемъ ковалесь ковалъ 女性 коваламъ ковалась ковала 中性 коваломъ ковалось ковало 複 数 全 性 ковалисмы ковалисте ковали Й 1 2 : ウ ジ エ ヴ ィ チ (パリ本)のバラダイム 1 人称 2 人称 3 人称 単■数 男性 панувалемъ, -ехъ панувалесь панувалъ か性 пануваламъ, -ахъ панувалась панувала 中性 пануваломъ, -охъ панувалось панувало 双数 全性 панувалахва пануваласта — 複数 男性 панувалихмы панувалисте панували 女 • 中性 панувалыхмы панувалысте панувалы 59

)

(19)

'とこに提示されている過去形はウジエヴィチ自身が説明しているように,一 人 称 と 二 人 称 で は бытиの 現 在 形 に 起 源 を 持 つ 要 素 が Г г 分詞 」 に接続され, 三 人 称 は П 分詞」 のみという,’構造.上 ポ ー ラ ン ド 語 と 同 じ ("P raeteritu m Poloni cum Rhutems habent sim ile" [ 3 : アフス70], "P rae te n tu m Poloni cum Ruthenis habent idem [3 : バリ4 4 a ]) 過 去 形 で あ る 。従 っ て , 接 続 要 素 の -емъ, -есъ, -исмы ,.. . は性と数を識別する 語 尾と見なし て 差'し支えな い 。 と こ ろ 力 こ の 語 尾 に つ いて もアラス本とパリ本の間には違いが存在し ている。すなわち,ノ、°リ 本 に は 一人 称 単 数 に お い て -емъ, -амъ, -о м ъ の異 形 態 と し て -ехъ, -ахъ, -о х ъ が併記され,一 人 称 複 数 で は ア ラ ス 本 の -исмы に バ リ 本 の -ИХМЫ, -ЫХМЫ力s'対 立し て い る 。 一 人 称 に め み -ехъ, -ихмы 等の 別形があることも16-17世 紀 の ポ ー ラ ン ド 語 と 共 通 し た 現 象 の よ う で あ る (Г また, アラス本に はлисавемъ [ 3 : アラス7 0 ] , バ リ 本 に は писавъемъおよ び писавемъ [ 3 : パリ4 4 а ] のよ.うな別形の存在も 指« さ れ て お り , ウジエ ヴィチ自身の中に過去形にかんする規範意識の動揺力す見 ら れ な く も な い 。 ち なみに, スモトリツキ一が実際の文筆活動において採用した過去形はアラス 本 に 近 い 体 系 に な っ て い る [9 : p. 261f f 5 結論に代えて 南 西 ルシにおいて;16世紀末から17世 紀 前 半 までの間に,古典 語文法の翻 訳 からス ラ プ 語 本 来 の 体系 記 述 を 目 指し た 文 法 #の 出現 へと 言 語 規 範 の 記 述 方 法に急速な展開が見られたことの背景には, そ の よ う な 本 格 的 な 文 法 *に 对 する社会の需要があったと考えられる。つ ま り ,与えられた文献を読むだけ

( 1 3 ) ポーランド語の-c h -を 含む 別膨 語尾 (-ech, -ychm y; -ych w a等 ) は, 15~Ш:紀 か ら 16世紀 への養行期にまわれた小ポーランド(中心都市はクラクフ)'お よ び シ レ ジ ア に 特 有 の 方 言 形 で, これらの地爐の出身者が16世紀のポーランド文享語に持ち込んだようである。 た だ し , これらの語嵐は17世記に国家の中心がワルシャワに轉ったことを契機として廃れてしまった [5 : pp.303-304]o . . .

(20)

で なく , 自ら書くために言語を学習する社会の成員力«実に増加していたの で ある 。 しか.し,ZizGr や'Sm oGr が印刷出.版され, 特 に SmoGr に複数の 版 が 存 在 し て い る と は い え , これらの文法書カ续際にどれほどの影響力を持ゥ. て い た か に つ い て は , 同時代およびそれ以降の個々の文献に見られる規範意 識と文法書に書かれた規範とを比較分析してみなければわからない。その際, 考 慮 し て 置 か なけ れば なら ない こと は,規範* の性格と,‘規範記述の対象と な る 言 語 の 地 域性で ある 。 規 範 書 の 記 述 対 象 の 言 語 が 教 会 ス ラ プ 語 で あ っ て も Гルシ語」であっても, そ の 規 範 書 の 性 格 を 考 慮 せず に ’ 個 々の文献に現れた言語享実を評価するた めの基, として使用することはできない。例えば,ZizGr も. SmoGr 'も教会 ス ラブ語と文法 学の教育を目的 として著されたものである。 そして,いずれ の文法* にも ’ す で に 5 世紀以上の伝統を有するロシア教会スラブ語の実践 に反する動詞過去形が規範として処方されている。 こうした例は規則の体系 記 述 と し て の 文 法 書 の 整 合 性 を 重 視 し た 編 纂 者 の 「主張」 と考えるべきであ る。 こ の 点 に 限 っ て い え ば Uz hGr は,教会スラブ語の例が極端に少ないも のの,おそらく実践に即した規範提示を行っていると思われる。 また, 「ルシ 語」 についてもSm oGr は高い文体を志向していると考えられ, 一 方 Uz hGr は過去形の形式が現実に不安定であるという状況に直面したが,最終的に一 応 の 解 決 を 示 し た 。 16-17世 紀 当 時 ,東 ス ラ ブ 全 域 (「大口シア」 お よ び 「小 口 シ ア 」) だけで なく,セルビアやプルガリアなども含めた広い地域の共通語と考えられてい た 教 会 ス ラ ブ 語 と違 っ て , 「ルシ語」 の规範記述につ い て は , それが実際に 南 西 ル シ の ど の 地 域 の 言 語 実 践 を 背 景 に しているのかについて権実な答えを 出せな..い こ と が 大 き な 問 題 と な る 。例えば,Uz hGr に 記 述 さ れ た 「ルシ語」 が実際に使用されてい た地域を特定することはできない。 「古 ベ ラ ル ー シ 語 ( 1 5 ) 格 変 化 につ い て U ZH G R で は 違 格 と 処 格 (前置格).をК 別 せ ず に 奪 格 (a b la tiv u s). とし, 二種類の変化形を併記しているので, ここでは現実を意識しながらもラテン語文法の影響か ら脱却していない。

(

6 1

)

(21)

文法」 の 奢 者A • A . ヤ ス ケ ー ヴ ィ チ は 「残 念 な こ と に I . ウ ジエ ヴ ィチと その業績'についてわれわれはほとんど何も知らない」[12: p. 5 1 ] と言って おきな力すら,当 然 の ご と く に 「'ベ ラ ル ー シ 人 の 著 者 イ ヴ ァ ン .ウ ジ エ ヴ ィ チ の 『スラブ語文法』」[12: p. 5 1 ] に 記 述 さ れ て い 'る の が Г古ペラルーシ語」 [1 2 :'Р .5 1 ],,「当時のベラルーシ語」 [ 1 2 : р . 6 2 ] であると明言 している。一' 方 , ウ ク ライ ナ で 出 版 さ れ た[ 3 ] に 含 ま れ て い る 論 文 『イ ヴ ァ ン . ウジエ ヴィチとその文法』では, ウ ジ エ ヴ ィ チ が 例 示 し た 過 去 形 の 別 形 (正 則 形 писалемъに対す る писавъемъ, писавемъ) を根拠にして彼が南西ウクライ ナ の 出 身 で は な い か[ 3 : р . Х Х ] と や や 具 体 性 の あ る 見 解 を 述 べ て は い る 力《, や は り Гイ ヴ ァ ン . ウジエヴィチの著作は, こ の 言 語 す な わ ち16-17世 紀のウクライナ固有のいわゆる標準文章語の文法構造を広範Н にわたって一 伝統的な文語や学術文献の言語特徴から民衆が話す俗語にいたるまでの特徴 を一記述した」[ 3 : p . X X V I ] と結論付けている。 しかし,当 時 の 南 西 ル シ に お い て は Гペラルーシ人」 「ウクライナ人」 と い う 意 識 が ま だ な か っ た た め,実 際 に 著 者g 身 は 「スラブ人」 と 自 称 し て い る の が 現 実 な の で あ る (脚 注 (2 ) 参 照 )。 参考文献

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(22)

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表  6  :  Бстати/въстати  の過去形 1 人称 2.人 称 , 3 人 称 . 経 過 去 単数 въстах въсталъ (ла,  ло) еси въста 双数 въстаховЬ  ノ въстаста въстаста 複数 въстахом въстасте въсташа 継 続 過 去 単数 въстах въсталъ (ла, ло) еси въсталъ /   въсташа 双数 въстаховЬ (ва; въстаста въстаста 複数

参照

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