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駒澤大学佛教学部論集 42 014梶 龍輔「大本信者における生者と死者の救済 : 体験談記事のコンテクストをめぐって」

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1 問題の所在  本稿における筆者の問題意識は、大本教(宗教法人「大本」。以降、そのよ うに記す)の教団や教祖が整備し主張している神学や言説についての知識をほ とんど有していない平均的信者が、どのような体験を経て「祖霊祭祀」(みた ままつり)を実践するようになったのか、ということを具体的に考察すること である。「祖霊祭祀」をとりあげる理由は、それが教団の存続や「信者の育成」 といった文脈において無視できない重要な要素と位置づけられているからであ る1 。そこで本稿では、戦後の大本信者における「おかげ」を題材に、平均的 信者における祖霊祭祀の意味について、教団機関誌の記事を中心に取りあげて 考察することとする。  戦後の大本の機関誌には、信者の「ご神徳談」、つまり自分がどのような人 生を歩み、どのような「霊的」「超自然的」な体験を経て祖霊祭祀を実践する ようになったのか、という体験談を綴った手記が数多く掲載されており、それ らの多くは祖霊祭祀を実践することで当該信者がその信仰をより深める契機と なったことを赤裸々に語った「霊験譚」「救済譚」、といった内容となっている。 こうした「語り」を拾い上げることは、教祖や中核的な信者を除いた平均的信 者における祖霊祭祀の意味を考察するうえで意義のあることと思われる。これ までの新宗教研究史では、死者儀礼という観点からのこうした資料のまとまっ た分析は行なわれてこなかったし、その存在すら注目されてこなかった2。「霊 的」な体験をした信者は、祭式に則った祖霊祭祀を実践することに意を注ぐこ とになるのだが、しかし一方で、信者の一般的関心は、祭式の全体像を理解す ることにあるとは必ずしも言えない。むしろ、特定の死者に対する正しい対処 の仕方を知ることが、全体を体系的に理解することよりも重要で差し迫った課 題であり、そのための通路として必要分量の祭式を学ぶことになるのである。  

大本信者における生者と死者の救済

― 体験談記事のコンテクストをめぐって ―

梶  龍 輔

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 機関誌の中の体験物語というと、広い意味にとれば、本人の言葉を引用しつ つ三人称で書かれた取材記事、ごく短い体験談的な投書、体験談的な内容をも つ法話や信仰随想、対談や座談会、指導者や幹部の長い体験記や自伝3 などが 挙げられる。多くは自分の体験の語り(一人称体験記)だが、家族・親族や知 人など他者に起こったことを語ったもの(三人称体験記)も少なくない。本稿 では、一人称・三人称の区別はせず、平均的信者の記事を中心に見ていく。  以下で扱う事例は、昭和26年(1951)から平成19年(2007)までの半世紀以 上の間に、大本の機関誌『神の国』(昭和30年まで)『おほもと』(昭和31年以 降)に掲載された信者の「ご神徳談」(「おかげ」)である。多くが具体的な個 人名を明かしているが、匿名のものもある(本稿では個人名の掲載は控える)。 こうした個人的な体験談を述べた記事には、横一段程度の短いものから数ペー ジにわたるものもあるが、本稿では文字数やページ数に拘らず、全ての事例を 一覧表にして提示し、主な事例をピックアップしつつ考察する。ただし、過去 に掲載された事例を再度掲載したものがいくつかあるのだが、それについては 除外し、初出のみを対象とした。また、同一人物が複数回体験談を投稿してい るものについては、事例としては別個のものとして掲載した。一方、ひとつの 表題で複数の体験談を掲載している場合は表の備考に示した。事例の数は表題 の数としてカウントした。  以上の基準に該当する事例数は、上記の57年間で76例に及ぶ。これらの事例 の多くはそれぞれの信徒の関心のもとに書かれており、たとえば具体的な病気 の発症からその回復までの経過を記したものや、読み手にインパクトを与える ような幽霊目撃体験や、自己の半生を赤裸々に語ったものなど、内容は多岐に わたる。その体験の種類をおおまかにわけると、①幽霊の目撃や憑依など霊的 存在との直接的接触、②重度の病とその回復、③死者が夢に出現して語りかけ たとするもの、④上記いずれにも該当しないもの、の4つになる。  「おかげ」を題材に信者たちにおける祖霊祭祀の意味や実態に迫ろうとする 本稿の試みには、いくつかの制約もある。第1には、対象を戦後に絞った理由 と重なるのだが、資料の不足である。周知のように、大本は大正10年と昭和10 年にそれぞれ激しい弾圧を受けている。そのため多くの資料が散逸しており、 戦前の信者における祖霊祭祀の実態に迫ることはかなり難しい。明治25年に開 教し、明治後期から昭和10年までのあいだに祖霊祭祀について様々な策を講じ てきた4ことを考えれば、戦前の事例も取り上げるべきなのだろうが、上記の

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ような事情と、現代における新宗教信者の具体相に迫ることを目的として、本 稿で扱う年代を戦後に限定した。第2に資料そのものの規範性の問題がある。 76の事例はいずれも信者の「体験」として掲載されたものだが、歴史的に新聞 をはじめとしたメディア活用に力を入れている教団の特徴5を考えれば、掲載 された手記には編集者の脚色や手直しが加えられている可能性がある。とはい え、信者の目に触れる機会の多い機関誌だけに、内容の主旨を大きく改変した ものはないと考えられるので、必ずしも資料的価値が失われるわけではない。 なお、体験談の全体的な内容については紙幅の都合上省略させていただくが、 いずれ別稿にて紹介したい。 表 昭和26年∼平成19年の大本機関誌『神の国』『おほもと』に掲載された信徒の体験談一覧 ○・・・幽霊・憑霊体験 △・・・病気平癒 ◇・・・霊夢体験 ☆・・・その他 注:体験談の性質が2種におよぶ事例の場合、読点で区切って種別記号を付した。また、ひとつの題 目で複数の体験談が収録されている事例については、スラッシュで区切って付した。 事例番号 掲載号 題名 性別 備考 体験談種別 1 神の国 昭和26年9月号 「「まこと」で直った父の奇病」 男 △ 2 昭和26年11月号 「霊魂は確かにある」 男 1と同一人物 ○、△ 3 昭和27年11月号 「脈打つ祖先靈」 男 ○、◇ 4 昭和27年11月号 「救いを求める先祖の靈」 男 1と同一人物 △ 5 昭和28年9月号 「夫の不信に迷う亡靈」 女 ○、◇ 6 昭和29年6月号 「祖靈は呼びかける」 男 「みたままつり」掲載 ○ 7 昭和29年8月号 「遺族の入信を促す幽靈」 男 ○ 8 昭和29年8月号 「不気味な幽靈に惱む」 男 ○ 9 昭和30年2月号 「顕幽一致の眞理」 女 5と同一人物 ◇ 10 おほもと 昭和32年3月号 「幽家合祀による御神徳」 女 ☆ 11 昭和32年3月号 「救いを求めて迷える靈魂」 男 △、◇ 12 昭和32年7月号 「祖靈様合祀の意義」 男 △ 13 昭和32年9月号 「日供米とは」 男 「みたままつり」掲載 ○ 14 昭和34年6月号 「祖霊の復祭で一家に春が」 女 △ 15 昭和35年9月号 「祖霊祭祀の教訓」 * 大本周防分室 ○、△ 16 昭和35年10月号 「性格が急変してビックリ」 男 ○ 17 昭和36年2月号 「霊界から主人の指図」 女 ◇ 18 昭和38年4月号 「祖霊復祭の重要性」 男 ○ 19 昭和39年7月号 「冷却した信仰に祖霊の怒り」 女 ○、△ 20 昭和39年11月号 「祖霊復祭までの経路」 女 ○ 21 昭和40年4月号 「亡父の五十日祭に異変」 女 ○ 22 昭和43年6月号 「霊木のたたりに困惑した町当局」 男 ☆ 23 昭和44年4月号 「幽家合祀のご神徳」 男 △ 24 昭和44年4月号 「復祭直後に霊験」 女 △ 25 昭和45年1月号 「数々の霊験、強烈なご奉仕」 男 △

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26 昭和45年10月号 「20年前の霊夢は現実に」 女 △ 27 昭和45年12月号 「恐怖のムカデ退散記」 男 ◇ 28 昭和46年3月号 「堕胎の罪と霊祭の力」 女 △ 29 昭和46年6月号 「霊界に通じた復祭」 女 「みたままつり」掲載 △ 30 昭和47年7月号 「灯を求める新霊」 女 体験談は2つ ○/○ 31 昭和47年9月号 「わが五つの体験記」 男 ○、△ 32 昭和47年9月号 「光を求める祖霊」 女 △ 33 昭和47年10月号 「大本葬祭の権威」 男 ○ 34 昭和47年10月号 「復祭後に癒えた病」 女 △、◇ 35 昭和47年10月号 「祭りを求める祖霊」 女 △ 36 昭和48年2月号 「祖霊の喜びと悲しみ」 女 △ 37 昭和48年2月号 「大切な祖霊まつり」 女 14と同一人物、体験談2つ △/◇ 38 昭和48年8月号 「大切な祖霊祭祀」 男 ☆ 39 昭和50年2月号 「くらしに響く霊祭」 女 ☆ 40 昭和50年4月号 「体験で知る霊界の実在」 女 体験談2つ △、◇/△ 41 昭和51年3月号 「復祭洩れの兄の気付け」 男 △ 42 昭和51年3月号 「祖霊は要求する」 男 △ 43 昭和51年5月号 「旧大本信徒の亡霊」 男 ○ 44 昭和51年11月号 「霊界の父が出た話」 女 ○ 45 昭和52年7月号 「お取次ぎと祖霊復祭」 男 体験談2つ △/☆ 46 昭和53年9月号 「瑞霊の救いと祖霊祭祀」 女 △ 47 昭和54年10月号 「祖霊復祭で救われた霊」 女 ○ 48 昭和55年10月号 「地縁無縁霊のすくい」 男 △ 49 昭和56年9月号 「誠の祈りとみたま祭り」 女 ☆ 50 昭和57年11月号 「大本信仰のありがたさ」 女 ○ 51 昭和63年4月号 「ひたすらご守護を念じ」 男 △ 52 平成6年10月号 「五十日祭後、癒えた息子の足」 匿名 「みたままつり」掲載、性別不明 △、◇ 53 平成6年10月号 「祖霊さまは一人ではない」 女 「みたままつり」掲載 ◇ 54 平成7年2月号 「大本の霊界観を確信そして入信、鎮祭、復祭」 女 ○、◇ 55 平成8年10月号 「祖母の死で信仰復帰」 男 ☆ 56 平成8年10月号 「私を変えた母の死」 男 ☆ 57 平成9年6月号 「祖父との霊界交信」 女 ○ 58 平成9年6月号 「人間の体は神さまから与えられた尊い器」 名前、性別不明 ◇ 59 平成9年6月号 「神さまのみ光に救われて」 夫婦 △、◇ 60 平成9年6月号 「自らの死期を悟り安らかな最期」 男 ◇ 61 平成10年10月号 「死者が教えてくれた霊界の様子」 女 「みたままつり」掲載 ○ 62 平成10年10月号 「祖霊舎の中に父の姿」 女 「みたままつり」掲載 ○ 63 平成10年10月号 「祈りに救われて」 男 「みたままつり」掲載 △ 64 平成13年3月号 「亡父も霊界で聴いていた『霊界物語』」 男 ☆ 65 平成14年6月号 「幽家合祀でG君からの便り」女 女 体験談2つ ◇/○ 66 平成15年4月号 「明るく気丈な母の姿と大本葬祭に感銘」 男 ☆ 67 平成15年10月号 「大神さま伯母をお救いください」 男 △ 68 平成15年10月号 「ご先祖さまのお導き」 男 ☆ 69 平成15年10月号 「天界で生き生きと暮らす夫」 女 ◇ 70  2005年7月号 「亡き父が教えてくれた信仰のありがたさ」夫婦 ◇ 71  2005年11月号 「一柱でも多くのみたまをお救いさせていただきたい」 男 体験談3つ △/○/◇ 72  2005年11月号 「母の口を借りて慰霊祭の執行を懇願」 男 ○ 73  2005年11月号 「不思議な夢に導かれて」 男 ◇ 74  2005年11月号 「家を探し迷った祖霊さま」 男 ◇ 75  2005年11月号 「四百年前の武士の霊魂が」 男 ○ 76  2007年7月号 「夢の中で「助けて!」と母の声」 女 △、◇

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 さて、ここから先は次のことについて考察していく。第1に体験談の語り手、 つまり、どのような人たちが「祖霊」との交流を経て「おかげ」をいただいた のか、という問題。第2に「おかげ」の内容、つまり、語り手たちがどのよう な「救い」を経験したのか、もっと正確にいえば、「おかげ」の体験談として 掲載された記事がどのような背景に基づいて語られたものなのか、という問題。 そして第3は、「おかげ」のコンテクスト、すなわち、その社会的、文化的背 景との関連の問題である。 2 体験談の語り手  まず、表にまとめた「おかげ」を得た語り手たち、つまり、これらを書いた り述べたりしたとされる人たちの属性に目を向けてみたい。性別についてみる と、76例のうち、夫婦2、不明1、匿名1、個人のものではないもの1を除 き、同一人物が複数投稿しているもの(事例1、2、4の男性、事例5、9の 女性、事例14、39の女性)を1名で換算すると、総数66名となり、男35女31で、 男が53.0%、女が47.0%となっている。信者数の男女比について正確な数字は わからないが、参考までに『宗教年鑑 昭和63年版』にある教師の男女の数を 見てみると、総数8484人で男4883人、女3601人で、男が57.6%、女が42.4%と なっている。ただし『宗教年鑑 平成16年版』では、総数5908人で男2917人、 女2991人で、男49.4%、女50.6%と、女性教師数が男性を上回っており、以後、 女性の比率がゆるやかな上昇傾向にある。これによれば大本信者の男女比は、 昭和期は男性がやや上回って推移してきて、平成期になるとその差が徐々に縮 まり、現在ではほとんど差がないか女性が若干上回っていると推測されるのだ が、いずれにしても、体験談投稿者の男女比は信者構成を概ね反映している数 字と言えるだろう。  投稿者の居住地については文中や所属する教会から特定できるものが60例あ る。京都府、東京都、兵庫県、岡山県、福岡県、北海道が最多で各4例、それ に次いで大阪府、広島県、山口県、熊本県が各3例である。全体的に通覧する と、本拠地近郊の近畿地方を中心に西日本からの投稿が目立つが、これは西日 本を中心に教勢を拡大していった歴史と重なる。  年齢については特定できる事例が少ないのだが、はっきりと記されている

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事例や、子供や孫がいることを文中で明かしているものなどがいくつかあり、 30 ∼ 80代にわたっている。その中でも特に目立つのが50代以上の中高年層で、 20代以下のものはほとんど見られない。ただし事例64のように、若かりし頃 の過去の体験を語った回想録も多く、掲載時と体験時の年齢が大きく異なって いる場合もある。  職業や社会階級については、ほとんどの事例で明かされておらず特定は難し い。渡辺雅子による地方支部へのフィールドワークでは調査対象者の世帯収入 が明らかにされており、それによると一部の例外を除けば年収400万∼ 500万 円が多い6 。また、病気を患って通院ないし入院していることが文中で明かさ れている事例が数多くあるが、病院に掛かることができないほど困窮している ものは見当たらない。投稿者は戦後の復興期と高度経済成長期に就労していた か、もしくはその妻として主婦業に専念していた場合がほとんどである。『日 本統計年鑑』によると、戦後は一貫して第三次産業に従事する人が増加し、産 業別人口では第一次・第二次産業を上回っている7 ことから、投稿者のほとん どは平均的な生活水準にあるいわゆる「中間層」と言えるだろう。ただし事例 19のように、生活保護法の適用を受けていたとする証言もあるため一概には 言えないが、全体的には「おかげ」の主要な語り手は西日本在住の50代から70 代の男女で、第三次産業従事者とその配偶者をはじめとした下位中産階級が多 い、といえるだろう。  体験談の内容において目立つものとしては、子供の死がストーリーに入って いることである。これは自身の境遇としてのもの(一人称体験記)と他者の境 遇として語ったもの(三人称体験記)とが全部で10例ある。自分の子供との死 別(3例)、流産(2例)などがあるが、中には小学校時代の同級生の死につ いてのもの、阪神・淡路大震災で子供を亡くした夫婦について語ったものなど もある。  大本と祖霊祭祀によって真の救いを得たと語る人々のなかには、檀家制度な どのもとで、これまで実践してきた葬儀や追善仏事などの慣習を「仏教」とい う名で表現し、これに対して大本の優位を語る、という事例が多く見られ、全 部で15例ある。たとえば事例5では、語り手が親しい友人B(大本信者)とと もにBの親族の「亡霊」を目撃し、年忌法要をした後、「朽ちて台石だけ残っ ている」墓碑を新しく建立する、というストーリーなのだが、語り手が初めて 訪れた境内墓地の中の「とてもややこし」い場所にある墓のところまで全員を

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案内した、ということから、当初は「霊の実在など信じませんね」と公言して いた僧侶が「こん度はじめて霊魂の不滅がわかりました」と、全く逆の見解に 至る、という内容となっている。この事例は仏教に対する大本の優位性を「亡 霊」「幽霊」などの霊的イメージを背景にしながらやや挑戦的に語る構成となっ ているが、こうした事例は他にもいくつか見出される。しかし一方で事例56 のように、大本式に復祭することに菩提寺の住職が「気持ちよく承諾」したと いうように、仏教的事象に対して融和的・好意的なストーリー展開となってい るものもある。以上のような事例からは、戦後も依然として檀家制度が大きな 影響力を持っている実態と、それと「折り合い」をつけている相当数の潜在的 信者層があることを見出せよう8 。 3 「おかげ」の内容  祖霊祭祀にまつわる体験談には語り手やその家族・親族・知人あるいは信者 やその知人などが、大本によって救われた、助けられた、つまり「おかげ」を いただいたという逸話が数多く述べられているが、ここではその内容を、前述 した4つのカテゴリー(①幽霊の目撃や憑依など霊的存在との直接的接触(幽 霊目撃譚、憑霊譚)、②重度の病とその回復(病気平癒譚)、③死者が夢に出現 したとするもの(霊夢譚)、④上記いずれにも該当しないもの(その他))ごと に整理してみるが、その前に、全体におけるそれぞれの体験談の種類の割合を 下に示しておく。なお、ひとつの事例で複数の体験談が掲載されているものに ついては、体験談の数のほうでカウントした(全部で83例)。 ①・・・26.5%(22例) ②・・・28.9%(24例) ③・・・15.7%(13例) ④・・・13.3%(11例) ①+②・・・4.8%(4例) ①+③・・・2.4%(2例) ②+③・・・8.4%(7例)

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① 幽霊目撃譚・憑依譚  まず取りあげるのは霊的イメージに関するもの、つまり「幽霊」「亡霊」な どを目撃した、あるいはそうしたものが憑いたとする証言である。文中で具体 的な様子について触れた事例は、病気平癒など他の要素を含んだものもあわせ ると、全部で28例、全体の33.7%に達する。接触したとする霊的イメージの属 性は家族や親族などが中心であるが、土地や家屋に縁故あるとされた「霊」や 戦国時代の武将など、内容は多岐にわたる。内容の特徴としては、霊的イメー ジとの生々しい交流・接触が記述されていることである。たとえば事例5では、 「亡霊」が隣で寝ていたBの上に「バーッとのしかかってきた」と語られており、 事例6では祝詞を唱えている最中、老女に自殺者が憑依して「ザマ見ろッ !! ∼∼」 と大声で怒鳴りつけてきた、というように、読み手に戦慄を覚えさせるような 内容となっている。特に昭和20年代に発行されていた「神の国」に掲載されて いるものに、この傾向が強い。事例2の語り手は、自らに憑依した男性の「霊」 を「落とす」ために亀岡天恩郷を訪れ、男性を祖霊社に復祭したことで憑霊現 象が収まったとしているが、この中で語り手は「入信當時はさかんに鎮魂歸神 というものをやり、發動して大変なものでした」と、大正期の教団における鎮 魂帰神法の実践と隆盛を回想している。戦後の教団復興期におけるこうした赤 裸々な霊的イメージとの交流の体験記は、鎮魂帰神という心霊主義的実践が現 代における祖霊とその祭祀を巡る言説と実践に影響を与え続けていると感じら れるのだが、詳しいことは別稿にて論じたい。  「おほもと」の時代になると、霊的イメージにまつわる話は大本の中核的教 義のひとつである「霊界の実在」と、祖霊祭祀の実践の重要性に収斂している 事例が多い。事例30の語り手は2つ目の体験談で「霊界がたしかに存在する ということを認識すると同時に、十日祭五十日祭の追善供養の如何に大切であ るかを、あらためてわからしていただいた」と証言しており、事例65の女性は、 Aという知人が担任の先生を幽家合祀してその大切さを痛感し、みずからも「霊 界の実在を知らないで亡くなった精霊たちが、大本の幽家合祀によって神さま にお救いいただけることがよく分かりました。一人でも多くの方々に、今回、 私が遭遇した不思議な体験をご紹介して、幽家合祀の有り難さをお伝えできれ ばと思います」と結んでいる。ここからは、祖霊祭祀を丁重に実践することが 信者にとって修養道徳的な文脈において重要な意味を有していることがうかが われよう。

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② 病気平癒譚  次に、最も目立つ事例として病気平癒、つまり何らかの病気が癒された、あ るいは癒されつつある、という証言である。文中で具体的な病気平癒について 触れた事例は35例で、全体の42.2%に達する。大本を通して癒されたとする病 気の種類はさまざまであり、脊髄カリエス、ガス壊疽、心臓発作、腎臓病、脳 腫瘍、など生命に係わる重い病気があれば、インフルエンザ、リューマチ、胆 石、など生命の危機にまで発展することは少ない病気、さらに、鬱病、不眠症、 精神錯乱、などと表記された神経・精神科系の病気まで、ありとあらゆる病気 の癒しが語られている。病気の原因として語られていることに最も多いのは、 亡くなった家族や親類縁者など、いわゆる「祖霊」の働きとされているもので ある。事例3の語り手は「「なぜ人間は病むか」の根本原因は究極するところ、 その七八割は祖先霊のわざである」と明確に語っている。また事例41は、寝 床につくと寒くなってなかなか寝付けない症状の原因を祖霊に「ご無礼がある」 ためではないかと考え、本部祖霊社の霊祭課に問い合わせたら、兄が祀りもれ ていることがわかり、至急合祀の手続きをしたら症状が改善されたという。語 り手は題名にもあるとおり、症状の原因を兄の祖霊による「気付け」と解釈し ている。病気平癒の「おかげ」に多いのは、祖霊も含めた霊的イメージに症状 の原因を求め、それを祓除ないし慰撫することで、平穏な日常を取り戻す(「お かげ」をいただく)といったパターンである。  多くの語りに共通していることに、医者の診断を受けたうえで病気平癒の祈 願を受けて癒しの「おかげ」をいただいた、という筋書きがある。こうした医 学と宗教の両者を治癒行動において併用する事例については、「多元的医療体 系」なるテーマの下に、主に農山村や離島を中心に実態調査研究が進められて きた。たとえば波平恵美子は、四国西南部の農村住民が「病気治療のために近 代医学と民間信仰の双方に…程度の差こそあれ、係わっている」状況を報告し ている9。また長谷部八朗は山口県見島を事例に、当該社会に展開する病気に ついての観念や行動の諸側面を視座に据えて、医者と宗教者が状況に応じて役 割を分かちあっている実態を明らかにしている。長谷部によると見島の住民は 医学的治療と同時に宗教者による祈願を受け、そうした神仏の加護を得て最善 の結果がもたらされるという文化的背景が根強い。そして、そうした神仏の冥 護を授かることを、住民は「オカゲをいただく」といい、治療が成功すれば、 神仏のオカゲで「大難が小難に、小難が無難に」終わったと感謝するという10が、

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これには大本の病気平癒の「おかげ」の語りと共通する部分が多くて興味深い。 このように大本信者の病気平癒譚には、波平と長谷部の指摘するような近代医 療と民俗医療に通じるような「病気治し」の両方を受けるという、二重の治癒 体系が確認できるのである。 ③ 霊夢譚  死者が夢に出てきて何かを語った、あるいは交流したというような霊夢の事 例は、全部で21例、全体の25.3%である。多くの事例で「祖霊」をはじめとし た霊的イメージとの交流の様子が語られており、広い意味では①のカテゴリー に属するといえるかもしれない。しかし、このカテゴリーの語り手たちは、目 を覚ました後「夢であった」という認識のうえに自らの体験を語っており、① の語り手たちによるある種のリアリティに立脚した霊的イメージについての語 りとは一線を画す。  霊夢の内容は、接触したとする霊的イメージの属性をはっきりと認識し、具 体的な内容(主に会話)まで赤裸々に綴られているものがあれば、一方で、や や抽象的、修養道徳的な語りに終始しているものもある。具体的なほうで挙げ れば、事例17の女性は、自分と娘が見た夢の内容を赤裸々に語っている。長 女の結婚式当日に亡くなった夫の葬儀(仏式。納骨は先祖代々の墓と大本の墓 に半分ずつした)をした晩、語り手の夢に夫が現れて、「こんな、せまいとこ ろに入れられたら、頭が痛うて痛うてかなわん、体がえろうて、えろうて寝て られへん、これではえろうてしゃないさかい広いところへ入れてくれ」と語り、 先祖代々の墓に納めてある遺骨を取り出すと、それまで悩まされていた次女の 頭痛が癒えたという。また事例27はNという母娘の体験を綴った三人称体験 記である。N親子の自宅に連日ムカデが多く出るようになり、落ちついて食事 や就寝ができない状態になり困っていた、それから一週間後、娘の夢に「三十五、 六才の美しい奥方」が出てきて「わたくしは豊臣家のものです。殿はご竜体に なりました。わたくしはムカデです」と語ったという。「霊夢を見たその日か ら、今度は縁側にお膳をつくり、朝昼晩お給仕をして、ムカデの霊を、また先 祖の霊を供養しました」、その後、綾部にて慰霊祭を執行、すると「その日から、 不思議にもムカデの姿は一匹も現れなくなり、納戸をはじめ、どの部屋も一度 に明るくなった」という。事例17と27いずれにおいても、体験者が一連の出来 事を「夢」「霊夢」とはっきり認識しており、したがって目覚めた状態でのリ

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アリティを交えて語っている①のカテゴリーとは明らかに異なる文脈の語りと いえよう。 ④ その他  上述した①から③のいずれにも該当しない事例は、全部で11例、全体の 13.3%である。掲載された時代をみると昭和40年代以降に集中しており、全事 例中5例は平成期である。このカテゴリーでは、ほとんどが大本の教義に立脚 したものや修養道徳的な内容に収斂している。事例49の女性は、長男の事業 の失敗による借金、長男次男の酒癖の悪さ、さらに語り手本人が交通事故にあ うといった、諸々の不幸な状況を改善すべく亀岡で大道場修行を受けることに した。そのときに知り合ったNという女性信者に自身の境遇を話したところ、 Nは「もしそういった先祖があれば、大本に祀ってほしいがために、幽界でお 酒を飲んで大あばれしたり、いろいろして、それが現界に移り、一家を苦しめ ることがあります」と説明した。語り手は祀りもれている先祖を本部祖霊社に 合祀し慰霊祭を依頼した、すると「主人の様子が明るくなり」、「長男の借金も、 軽いケガですんだ私の交通事故の保障金で全部支払うことが出来ました」、と いう。  このカテゴリーの事例では、霊的イメージとの交流や病気治しといった衝撃 的な体験に基づいて語られているものはほとんどなく、むしろ祖霊祭祀を通し て信仰の重要性や教義の権威を再認識するといった流れのものが多い。先述の 事例49では大本の根本教義のひとつである「顕幽一致」に立脚して語られてお り、事例55、事例66などでは、葬祭への参加が信仰への入口とされている(た だし、未信者が入信する過程ではない)。教義や祖霊祭祀儀礼そのものがクロー ズアップされているのは①から③の事例でも見受けられ④に限ったことではな いが、前者ではインパクトのある体験に「語り」の軸足が置かれているが、後 者ではインパクト性は稀薄な反面、教義的・修養道徳的な文脈に光が当てられ ている。昭和40年代以降、そのなかでも特に平成期にこうした語りが増加した ことの背景には、「二、三世信者の育成」11 のために祭祀ブロック体制を導入し て「祭祀研修講座」「祭式講習会」などを開催して積極的に祭式を一般信者に 普及・定着させようとした教団の方針が関係していると思われる12 。祭式の伝 授は教義を伝えることに繋がる。そのため、「霊的」「病的」な要素が比較的薄 く、教義や実践の重要性をイメージさせやすい「語り」が多く掲載されたので

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はないだろうか。 4 「おかげ」のコンテクスト① ― 教団の主張する「霊界」のイメージ  さて、これまでの議論を踏まえたうえで確実に指摘できることがひとつある。 それは、「死後の世界」、すなわち「霊界」について多くの信者が多大な関心を 持っていることである。「霊的」な現場を通じて開示される「霊界」の世界観は、 信者に圧倒的なリアリティで以て伝えられ、教典や講習会などで学習する理知 的なレベルのものとは一線を画す。はたして「死後の世界」とはどのような場 所なのか、いずれそこに赴かなければならない自分はそこでどんな苦楽を受け ることになるのか、そして「霊界」で安息な生活を送るために「現界」でどの ように生活するべきなのか。こうした問題意識に「霊的」な現場は、信者にイ ンパクトを与え、その後の生活に影響を与えることになる。  とはいえ、教団で主張されている「霊界」とはいかなるものなのか、その概 要を知ることは重要であるし、「霊的」な現場を通じて示された「霊界」の世 界観は、主張されている世界観と大きく隔たったものはないので、とりあえず ここでは大本における「霊界」の世界観についてその概要を述べる。  出口王仁三郎は『霊界物語』のなかで「霊界」について詳しく述べている。 そこで主張されている世界観の概要を大まかに言うと、この宇宙は「現界(顕 界)」と「霊界(幽界)」から成立しており、「現界」は「霊界」の「写し」である。 そのため「霊界」は死者の世界であるが、それは決して現世(現界)と断絶し たものではなく、連続的な関係にあり、相互に影響を与えあうものである。そ して死は「霊界」への復活であり、「霊」は永遠不滅であるとされる13 。「霊界」は、 さらに「天界」、「地獄界」、「中有界」と大きく三つの階層構造から成立してい るとしている。「天界」は「神界」とも称され、「現界」において正しい信仰を 持ち正しい先祖祭祀を行なうことで死後に行けるとされている、神や祖霊が住 まう世界である。この「天界」(神界)は、さらに「天国」と「霊国」に分か れており、それぞれの世界は計180段もの階層に分かれている。そしてこの多 重構造の「天界」の頂点に、大本の主神「主の神」が坐すとされている14 。  こうした「霊界」観は、死者祭祀なども含めた儀礼実践において少なくない 影響を与えていると思われる。その理由は前述した「祭祀研修講座」「祭式講 習会」などの、信者に祭儀の精神と作法を学ばせるための学習講座のような場

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が教団の主張する「霊界」観を平均的信者が認知・定着するうえで一定の役割 を果たしているからである。そこに加えて、本稿で紹介したような信者自身に よる「語り」のような体験を経たとすれば、講習会に限らず様々な理知的行為 によって得た「霊界」の情報が、ある程度のリアリティを持ちうるであろうこ とは想像に難くない。 5 「おかげ」のコンテクスト② ― 王仁三郎の仏教的世界観の受容  本稿では、教団の主張する教義について専門的な知識を有していない(もっ といえば「教学」を修めていない)平均的信者を考察対象にしているため、『筆 先』や『霊界物語』といった根本教典について触れることは矛盾しているよう に思われるかもしれない。しかし、宗教団体が主張する体系的な宗教的言説は、 その宗教を精神的・実際的に支える柱であることは明らかであり、また、信者 の信仰的生活にも、大なり小なり影響を与えている事実がある。特に大本の場 合、信者の日常生活の中での信仰的実践において根本教典である『霊界物語』 を拝読することが重要な意味を持つとされている。周知のように『霊界物語』 (全81巻)は、出口王仁三郎が高熊山での修行でトランス状態になったとき、「霊 界」の様子を見聞きしてきたとして、その内容を後年に口述し、傍らで筆記さ せたものである。『霊界物語』では「万教同根」という、仏教やキリスト教な ど世界の諸宗教の源泉は全て同じところから来ているとする通念が一貫してい る。このことは『霊界物語』の内容にも反映されており、仏教やキリスト教の 文章・言説などが数多く引用され、それを基幹とした王仁三郎独自の宗教的世 界観が展開しているのである。特に『法華経』や『観無量寿経』といった仏教 経典からの引用が多く散見されるが、このことは、王仁三郎が仏教的な世界観 に多大な関心を示していたことを裏づけていよう。たとえば王仁三郎は『霊界 物語』において次のようなことを述べている。  三千世界も仏教中の用語であり、艮の金神も神道の語ではない。須弥仙山は 仏教家の最も大切にしてゐる霊山である。またミロク菩薩とか竜宮とか竜神と か、天子とか、王とか現はれてをるのは、ことごとく仏教の語を藉りて説かれ たものであります。故に筆先にある王とは、八大竜王および諸仏王の略称であ り、天子と言へば明月天子、普香天子、宝光天子、四大天王その他諸天子、諸

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天王の略称であることはもちろんであります。(中略)要するに、神の道、仏 の道に優れたる信者の意味になるのであります。天子は、また天使エンゼルと キリスト教では言つてゐます。大本の筆先は教祖入道の最初より仏教の用語で 現はせられたのであるから、すべて仏教の縁によって説明せなくては、大変な 間違ひの起るものであります。15  出口なおが著した『筆先』で表現されている神々などの名称はすべて「仏教 の語を藉りて」、つまり仏教経典にある神仏・天子の名称に基づいて表現され ているものであることを、ここでは細かく説明されている。それゆえに『筆先』 を解釈・理解するにおいては、仏教の教説や用語と斟酌して理解しなくては「大 変な間違ひ」を起こしてしまうとしている。なおが『筆先』で仏教に対して批 判的な言葉を述べ伝えている16ことと比べて、王仁三郎は仏教や経典に敬意を はらい、むしろそちらを原型と理解している。王仁三郎が大本の教義を整備す るプロセスにおいて、いかに仏教・法華経を重要視していたかがわかるだろう。  『大本七十年史』(上巻)の記述によると、王仁三郎は金剛寺で開かれていた 夜学に通って漢籍や経文を習い、また穴夫寺では、法華経普門品と観音経を解 説して参詣者を感激させたという17 。その一方で、阿弥陀像に口ひげを書くな ど、既成宗教に対して不 な態度を示していたことも伝えられているが18、い ずれにしても王仁三郎が「喜三郎」の時代から仏教についての研鑽を積んでい たこと、その過程で法華経を学んでいたことがわかる。  「そもそも一途の因縁は 現世にいつたん生れ来て 至善至真の神仏の 教 を守り道を行き」19 という一文に見られるように、王仁三郎は開祖なおのよう に神道と仏教との差異を明確にして前者の優位を主張するというのではなく、 「仏神一体」の観点から神道と仏教を密接不可分な関係性にあるものとして把 握していた。教義を整備する過程において法華経という「権威」を応用するこ とで、自己の教義の正当性を確保するための媒体とした、という見方もできる かもしれないが、それは一義的・表面的な見方にすぎないし、やはり宗教的な コンテクストで言えば、王仁三郎が仏教や法華経に深い造詣と尊敬の念を持っ ていたことは充分覗えよう。そのような王仁三郎の宗教的情念が、法華経と『霊 界物語』とを繋ぎ合わせるファクターとなったと思われる。そして、こうした 仏教的世界観の積極的な受容が、結果として次節のような「祖霊祭祀」におけ る「仏教性」を伴った死者救済のシステムへと、少なからず繋がっていったと

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感じられるのである。 6 「おかげ」のコンテクスト③ ― 生者と死者の「救済」  島薗進は、新宗教と歴史宗教(既成仏教)の思想面における相違点として、 新宗教は「現世救済」、歴史宗教は「来世救済」に軸足が置かれていることを 指摘している。すなわち、近代以前の社会ではライフコースが定型的で変革が 少ないため、「微々たる現世の生の変転」に捉われない生き方が理想とされて いたのに対して、近代以降の社会は変動が激しいため「生き方次第で幸不幸の 変転がはなはだしい」として、歴史宗教と新宗教の生じた社会背景の相違点を 指摘し、そのうえで前者を「来世救済」、後者を「現世救済」の宗教として定 義している20。つまり、近代以前と以降の宗教の特徴を、思想と社会背景を比 較要素としてその相違点を指摘したうえで新宗教の特徴を「現世の出来事に深 く関わり、現世の生の変革を真剣に求めていく」傾向にある「現世救済」の宗 教であると分析しているのである。現世における「現実的」な問題に対して具 体的な救済案を提示するという新宗教の特徴は、これまでの新宗教研究の成果 から周知のことであるが、こうした特徴を支える基盤として考えられるものの 一つに、組織内部における信者同士の親密性が挙げられる。規模の大きい教団 の場合、特定の地域を一つのブロックとし、そのブロック内にさらにミクロな 「細胞集団」21を設ける場合が多いが、そこが教団と信者、または信者同士のコ ミュニケーションの場となる。この中でコミュニケーションすることで信者は 「抑圧された心は出口を見出し、孤独は和らげられ」22 、具体的な「救済」を得 るか、「救済」に向けて行動することができるようになる。他方で新宗教教団 はこのような組織的戦略によって「挫折し孤独な何千という人々に、新しい共 同社会内部の統一と相互関係によって、「救済」感を与えてき」たのである23。 特に戦後の新宗教団体は、「平和主義」などの普遍主義的な社会思想や教義を 土台としながらも、ミクロな準組織レベルでは信者の個別的な「苦悩」と「救済」 に向き合うことで組織的勢力を拡大・維持してきた。本稿で紹介した多くの「お かげ」の体験談は、新宗教教団が現代に生きる人々の苦悩・不遇(主に貧・病・争) に向き合って対処する組織と人材を育成してきた事実、そして、抽象的な「教 え」に限らず具体的な「救済」を提示する教団に、相当数の人々が魅力を感じ て入信、あるいは帰属意識を強化していったことを教えてくれる。その一方で、

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「おかげ」の体験談は、そうした「救済」が生者に限らず、「祖霊」をはじめと した死者にまで適用されていることが注目されよう。  多くの体験談、特に幽霊目撃・憑霊譚における霊的イメージは、問題が解決 する前の段階では、成仏・往生できずに苦しんでいる死者、といったイメージ で概ね捉えられている。このイメージには、大きくわけてふたつある。ひとつ は、大本式で祀られていないことに対する不満の表明、つまり、仏教をはじめ とした他宗教で葬儀や追善供養がなされていることや、無縁仏として誰からも 供養・祭祀を受けられない現状などに対して死者が異議申し立てをするために 「幽霊」「亡霊」として生者に訴えかけてくる、といったものである。もうひと つは、より丁寧な祭祀を促すもの、つまり、大本式で祭祀こそされているが、 日常的に祝詞が唱えられていない、供物が供えられていない、などといった慣 習的祭祀が怠惰になっている状況に死者が不満を表明する、といったものであ る。憑依現象、病気、不幸などの原因は、概ねこうした浮かばれない死者イメー ジ24 に収斂される。これらを安らかなイメージに変転し、生者自身も不遇な状 況から脱却するためには、祖霊祭祀の厳密な実践が要求される。つまり、他宗 教の枠組みで供養儀礼をしているものや何らの儀礼も受けていない無縁仏など を大本の祖霊祭祀に復祭すること、また、祖霊祭祀が疎かになっているものは、 主に家庭の祖霊舎において日常的に祭祀儀礼を実践すること、である。これを することで、死者は「霊界」において安楽な生活を送ることができる、安らか な死者イメージへと変転することができるうえ、自身の境遇も改善され幸福に なれる。これが全ての体験談に共通する、生者と死者双方における「おかげ」 であり、体験談そのものもおおまかにはこうしたストーリーで展開されている。  池上良正は、仏教が移入される以前から存在していたとされる「祟り―祀り /穢れ―祓い」のシステムと、仏教伝来後に在来のシステムを巧みに接合する ことによって成長をとげた「供養/調伏」のシステムという、苦しむ死者に対 処する二つのシステムが並存してきたことを指摘している25。多くの体験談に おいて、「おかげ」の語り手にとって死者がどのような存在として想起・把握 されているのかは、ストーリーの展開に比例してその属性が移っていっている ように思われる。つまり、最初は何らかの遺念余執によって「祟る・障る死者」 として恐怖の対象になっていたのが、本部祖霊社への復祭をはじめとした大本 が提供する何らかの手続きを実践することによって、徐々にその「怨念」が和 らげられ、最終的には子孫などの生者を見守る「祖霊」という神聖な霊威とし

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て祀りあげられる、というプロセスが見受けられるのである。こうした過程が 展開するのは、祖霊祭祀(みたままつり)という死者と向き合う儀礼様式が整 備されているからこそであり、そしてその「みたままつり」は、池上の死者の 救済システム論だと、「供養/調伏」のシステムに近いといえよう。また、長谷 部八朗は日蓮宗における祈祷儀礼の特徴として、負性を帯びた邪霊を納得、改 心させ、正の存在に転化することで去らせる、いわば「教化」「成仏」せしめ る26 性質を有していることを指摘しているが、こうした特徴は大本の体験談の なかにも見られる。すなわち、生者は祖霊祭祀の実践をはじめとした死者と向 き合うための何らかの信仰的行動を取ること=功徳的な実践を通して死者の救 済を援護し、一方で、大本の儀礼所作に付随する「験力」に頼って死者を善導・ 教化して鎮める、「調伏しつつ供養する」システム27が見受けられるためである。 そして死者を安らかな存在に昇華(救済)させることにより生者も救済される、 つまり「おかげ」を得ることができる、という仕組なのである。このプロセス において重要なポイントとなるのが、「霊」との直接的・間接的交流の場、す なわち「おかげ」への入口であり苦からの出口となる現場である。体験談でい うと中核部分に相当する。「亡霊」の出現、あるいはその働きとしての病気な どという生者と、「霊界」での肩身のせまい状況の改善や丁重な儀礼を受けた いという死者との、双方における苦悶を「おかげ」へと転換するために働きか け歩み寄る動態的な「双方向的交流のフィールド」が形成されることにより、 両者の「おかげ」が成立するのである。このことは、真光系教団に見られる「手 かざし」のような、依頼者が一方的に治癒を受けるといった受身の「現世利益」 とは、明らかに異なるベクトルの「救済」であろう。また、当初は恐怖の対象 であった死者による種々の働きかけ(幽霊・亡霊の出現、病気)が、祭祀儀礼 実践後には、むしろ苦しい現状を改善するための「お示し」であったというよ うに、積極的な評価に転換しているものが多い。このように、宗教文化的なコ ンテクストから「おかげ」の語りを分析すると、祖霊祭祀には死者の「来世救 済」と生者の「現世救済」、ふたつの位相に及ぶ「救済」を確保する「両極的 救済装置」という側面があることが浮かび上がってくるのである(図)。さら にいえば、不幸の原因(多くの場合は憑依霊)を突き止め、霊を媒介としての 問題解決(霊視や祓霊)を可能にすると信じられた鎮魂帰神の体系28 が、死者 祭祀儀礼に受けつがれていることが指摘できよう。  以上のことから大本の死者祭祀儀礼は、こうした仏教によって熟成・強化さ

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れた死者供養のシス テムの影響を少なか らず受けていると言 えるだろう。換言す れば、大本は祖霊祭 祀の整備の過程にお いて、意識的にしろ 無意識的にしろ仏教 的な死者供養システ ムという宗教文化的 土壌を積極的に教団 のシステムとして受 容してきた、とも言 えよう。死者の想い をどのように受けと め、どう対処してい くかという問題は、 教 団 と 信 者 双 方 に とって切実な課題であり続けた。それは現在も変わらない。そのことを、「お かげ」の体験談は如実に物語っているのである。 1  この問題意識についての詳細は拙論「神道系新宗教における死者儀礼の変遷史 ―大本の祖霊祭祀を事例に―」を参照されたい。 2  新宗教研究者のあいだで死者儀礼が注目されてこなかったのは、新宗教教団が 死者儀礼の整備にあまり力を入れてこなかった、仮に整備したとしても当該教団 の教義を裏付けるための象徴に終始していたことがある(詳しくは前掲拙論参照)。 3  島薗進・鶴岡賀雄編『宗教のことば』大明堂 平成5年 132ページ 4 詳しくは前掲拙論を参照。 5 明治41年に機関紙「本教講習」を発刊、大正2年には綾部に印刷所を設け、印 刷事業を開始しており、これは後に大本の文献一切を印刷刊行する「天声社」へ 図 生者と死者双方の「救済」のプロセス 生者 死者 実践前 祭祀前 何らかの負の情念を持った 「幽霊」「悪霊」「亡霊」

双方向的交流のフィールド 霊的イメージからの → 生者へのメッセンジャー メッセージ授受 ← 丁重な祭祀の要求 祖霊祭祀の実践

実践後 祭祀後 「おかげ」の授受 円満な状況 神的霊威としての「祖霊」 「霊」に悩まされたり 病気に苦しむなど 不遇な状況

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と発展した(『大本七十年史 下巻』)。また、大正9年には新聞社の大正日日新聞 を買収し、宣教に活用するなど、新聞を主体としたメディア戦略を戦前期すでに 活発に行っていた。現代でも、機関誌「おほもと」をはじめとして、「まつのよ」「お ほもと通信」「人類愛善新聞」など、多くの印刷物を出している。 6  渡辺雅子 『現代日本新宗教論』 御茶の水書房 2007年 62-63ページ。 7  総務庁統計局 『第三十八回 日本統計年鑑』 日本統計協会、毎日新聞社 昭 和63年  8  筆者は大本祭務局霊祭部長K氏へのインタビューで、北陸など浄土真宗門徒の 多い地域などでは、葬儀や年忌法要を仏式で行わないと周辺環境と軋轢が生じる ことがある、という証言を得た。これによるならば、寛永以来、民衆の死者儀礼 の位相に強大な影響力を保持してきた檀家制度は、大本と信者にとって自前の死 者儀礼を普及させるうえで大きな壁となっていることになる(詳しくは前出拙論 を参照)。 9  波平恵美子『病気と治療の文化人類学』海鳴社 1984年 187ページ 10 長谷部八朗『祈祷儀礼の世界』名著出版 1992年 207-244ページ 11 「祭務局 指導方針と施策」7ページ 12 祭祀研修講座、祭式講習会などについて詳しくは前掲拙論を参照。 13 井上順孝・孝本貢・対馬路人・中牧弘允・西山茂編『新宗教事典』弘文堂 平 成2年 374ページ 14 大本の主張する「霊界」の階層構造についての詳細は拙論「新宗教における供 養と他界観―大本を事例に―」を参照されたい。 15 「如意宝珠」 358-359ページ 16 「仏事は悪のやりかたで在りたぞよ。モウ是からは、仏では治まらんぞよ」(大 正四年旧十二月二日)  「この世を立替致すには(中略)今の政治の行り方では猶行かず、仏や外国の神の 教えでも猶行かず(以下略)」(大正五年旧十一月八日)(出口ナオ著 村上重良校 注『大本神諭 天の巻』平凡社 1979年) 17 大本七十年史編纂会編『大本七十年史 上巻』宗教法人大本 昭和39年 123ペー ジ 18 ナンシー・K・ストーカー著 井上順孝監訳『出口王仁三郎 帝国の時代のカ リ ス マ 』 原 書 房 2009年(Stalker, Nancy K. Prophet Motive:Deguchi Onisaburo, Oomoto,and the Rise of New Religious in Imperial Japan. Honolulu: University of

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Hawaii Press, 2008)42ページ 19 前掲、「如意宝珠」348ページ 20 島薗進『現代救済宗教論』青弓社 2006年 21 H.N.マックファーランド 『神々のラッシュアワー』社会思想社 昭和44年 122 ページ 22 前掲書、122ページ 23 前褐書、122ページ 24 池上良正『死者の救済史―供養と憑依の宗教学』角川書店 平成15年 20ペー ジ 25 池上によると「祟り―祀り/穢れ―祓い」のシステムとは、「「祟る死者」に対し てはこれを丁重に祀り、「穢れた死者」は祓いのける、という思考・行動様式の体系」 という(前掲書、29ページ)。一方、「供養/調伏」のシステムとは、「仏教的な功 徳を他者に 施して、救済を援護する方法」である「供養」と、「理念的には仏法 の力によって邪悪な霊威を善導・教化して鎮める」が、現実には「厄介な霊威を 力ずくで撃退・排除する方法となりえた」「調伏」のふたつによって成立した思考・ 行動様式(前掲書、32-33ページ)。 26 前掲、長谷部。15-25ページ 27 前掲、池上。 28 弓山達也「霊―大本と鎮魂帰神」(田邉信太郎、島薗進、弓山達也編『癒しを生 きた人々』 専修大学出版局 1999年 所収)

参照

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