Komazawa University
中
国
仏
教
成
立
の
一側
面
f
三
仏
忌
の成
立
と
展
開
ー
水
井
政
之
Kom 三1z三1w三1 Umversrty は じ め に か つ て 筆 者 は 「 南 宋 禅 林 と 中 国 の 社 会 風 俗i
如 浄 録 ・ 虚 堂 録 の 因事
上 堂 を め ぐ っ て の 試 論 ( 一 ) 〜 ( 四 )1
」 ( 曹 洞 宗 研 究 員 研 究 生 研 究 紀 要 一 三 〜 エ ハ、 昭 和 五 六 〜 五 九 年 ) と 題 し て 、 『 如 浄 録 』 お よ び 『 虚 堂 録 』 の 因 事 上 堂 を 手掛
り に 、 中 国 の年
中 行 事 と 、 仏 教 と く に 禅 宗 叢 林 に お け る 因 事 上 堂 と の関
係 に つ い て 私 見 を述
べ 、 ま た関
連 し て 「 北 宋禅
林 の行
事 に っ い てー
禅 苑 清 規 の 一 段 を め ぐ っ てー
」 ( 印 仏 研 三 二i
一 、 昭 和 五 八 年 ) 、 あ る い は 「 中 国 仏 教 と 民 衆ー
歳 時 記 にあ
ら わ れ た 仏 教 ( 一 ) 〜 ( 四 )I
」 ( 駒 大 仏 教 学 部 紀 要 四 三 〜 四 六 、 昭 和 六 〇 年 〜 六 三 年 ) を 発 表 し た 。 こ の 小論
で は 、 前 掲 の 論 文 に お い て 十 分 に 触 れ え な か っ た ( 1 ) コ ニ 仏 忌 L に つ い て 見 て お き た い 。 三 仏 忌 そ れ 自 体 は決
し て 「 因 事 」 の も の で は な い が、 あ る 時 期 か ら そ れ は 上 堂 を 伴 う 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 二 十 五 號 平 成 六 年 十 月 重 要 な行
事
と し て 定着
し、 ま た 歳 時 記 を 繙 く と、 そ れ ら が 庶 民 の 生 活 と 全 く 無 関 係 で は な か っ た こ と が 判 明 す る 。当
然
そ れ は 「 仏 教 」 が い か に 庶 民 の 生 活 に 浸 透 し て い た か を 示 す も の と も 言 え、 先 の 拙 稿 が 方 向 と し て は 社 会 の 側 か ら 仏 教 へ の 影 響 を 考 え た こ と に 正 対 し て い る と 言 え よ う 。 紙数
の 関 係 か ら 、 問 題 の 提 起、 利 用 し た 諸資
料 の 書 誌学
的
な 吟 味 な ど は、 先 の 拙 稿 と 重 複 す る た め こ れ を 割 愛 す る 。 ま た 「 成 道 会 」 に つ い て 論 述 し た 部 分 は 、 先 の 「 因 事 上 堂 」論
文
( 三 ) で 「 臘 八 上 堂 」 と し て 論 じ た も の と 、 同 一 の 対象
を扱
っ て お り 、 重 複 す る 点 な し と し な い が 、 加 筆 補 正 す る点
少 な く な く 、 あ え て こ れ を 項 目 と し て た て た 。 と こ ろ で 今 日 、 「 三 仏 忌 」 と 言 う と、 当 然 そ れ は 釈尊
の 生 涯 に 関 わ る 、降
誕
会 の 四 月 八 日、 成道
会 の 一 二 月 八 日 、涅
槃
会
の 二 月 一 五 日 と い う 日付
と、 盛 大 な 行 事 が 確 定 を 見 て い る 。 し か し こ れ ら の 行 事 が 成 立 す る 過 程 に は さ ま ざ ま な 紆余
= 一 九Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 曲 折 が あ っ た し 、 日 付 に つ い て も ま た 疑 問 が 呈 さ れ て い た 。 た と え ぽ 『 梁 高 僧 伝 』
巻
七 、 慧厳
( 三 六 三 − 四 四 三 ) の 章 に お い て 東 海 の 何 承 天 は、 博 物 を 以 て 名 を 著 す 。 乃 ち 厳 に 問 う、 仏 国、 将 た 何 ん の 暦 を 用 う る や。 厳 云 く、 天 竺 は 夏 至 の 日、 方 中 、 影 な し 。 所 謂 、 天 中 な り 。 五 行 に 於 て、 土 の 徳、 色 は 黄 を 尚 び、 数 は 五 を 尚 ぶ 。 八 寸 を 一 尺 と 為 し、 十 両 は 此 の 土 の 十 二 両 に 当 た る 。 建 辰 の 月 を 歳 首 と 為 す と 。 分 至 を 討 覈 し 、 薄 蝕 を 推 校 す る に 及 ん で、 顧 歩 光 影、 其 の 法、 苺 だ 詳 び ら か に し て、 宿 度 年 紀、 威 な 条 例 有 り。 承 天、 難 を 暦 く な し 。 後 に 婆 利 国 の 人 来 る 。 果 た し て 厳 の 説 と 同 じ。 帝、 任 予 に 勅 し て 焉 を 受 け し む 。 ( 大 正 蔵 五 〇1
三 六 八 a ) な ど と あ る の は、 単 に 彼 我 の 暦 の 異 な り を 問 題 に し て の 質 問 で は な く 、 そ れ 以 上 に 仏 教 理 解 に 関 お る疑
問 の 解 消 を 前 提 に し た も の と 見 る こ と が 自 然 で あ ろ う 。 「 仏 国 」 の 言 は 、 そ の こ と を 暗 示 し て い る よ う に 思 わ れ る 。 い く つ か の資
料 に 散 在 す る 暦 を め ぐ っ て の 論 は 、 そ の よ う な 疑 問 に 答 え る と と も に 、 当 面 の 課 題 に 即 す る な ら 、 何 説 か あ る 三 仏 忌 も 含 め て、 諸資
料 に 出 る さ ま ざ ま な 日 取 り に、 整 合 性 を 持 た せ る 目 的 を 有 し て い た と見
る べ き で あ ろ う 。 と こ ろ で 、 三 仏 忌 の 日取
り は 、 そ の 当 初 よ り今
日 の よ う に 決 定 を 見 て い た わ け で は な い 。 言 う ま で も な く 三 仏Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 〔 涅 槃 〕 二 月 八 日
長
阿 含 経 四 二 月 一 五 日 大 般 涅 槃 経 一 善 見 律 毘 婆 沙 一 ヴ ェ ー サ カ の 月 の 後 半 一 五 日 ω 9 目 ヨ 鋤 昌 口 訂 ” 蝉−路
巳 閃 帥 く 貯 四 団営 冨 犀 斜 く
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し。竃
恥 ず 帥− < 餌 膏 ω 鈩 o げ ゜ ω 大 唐 西 域 記 六 八 月 八 日 薩 婆 多 毘 尼 毘 婆 沙 二 迦 刺 底 迦月
の後
半 八 日大 毘 婆 沙 論 一 九 一 大 唐 西 域 記 六 四 月 八 口
灌 洗 仏 形 像 経 ( 同 書、 二 一 二 六 頁 ) 様 々 な 経
典
の 類 を厳
密 に 調 査 す れ ば、 出典
の 部 分 は よ り 増 加 す る こ と は 疑 い な い が 、今
は 釈尊
の 伝 記 を 確 定 す る こ と が 目 的 で は な い か ら 以 上 に と ど め る 。 要 は 様 々 に 記 さ れ る 三 仏 忌 の 日 取 り が、 時 代 と 共 に 現 代 の 日 取 り に 集 約 さ れ て い っ た こ と を 知 れ ば よ い 。 も っ と も 現 行 の 日 取 り と て も 、 陰 暦 の そ れ を 単純
に 太 陽 暦 に 当 て 嵌 め た だ け の も の で あ る か ら 便 宜 的 な も の で あ る こ と は 言 う ま で も な い 。 で は こ れ ら 諸 資 料 に お け る 日 付 の く い ち が い は、 ど の よ う ( 2 ) に 理 解 さ れ た の で あ ろ う か 。 こ の 点 を め ぐ っ て は 、 さ ま ざ ま に 論 じ ら れ る が、 特 に賛
寧 の 『 大 宋 僧 史 略 』 を 批 判 的 に 継 承 す る 、 無 著道
忠 の 『禅
林 象 器 箋 』 第 一 六 報祷
門 の 言 う と こ ろ を 、 「 降 誕 会 」 を 中 心 に 見 る と 、 次 の よ う に あ る 。 仏 誕 生 会 。 四 月 八 日、 其 の 規、 清 規 の 如 し 。 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 忠、 按 ず る に、 仏 の 生 る る 日 は、 当 に 二 月 八 日 を 以 て 正 と 為 す べ し 。 何 に 縁 て か 此 の 説 を 作 す や 。 曰 く、 周 書 異 記 に 云 く、 昭 王 二 十 四 年 、 甲 寅 の 歳、 四 月 八 日、 江 河 泉 池、 忽 然 と し て 汎 溢 し、 井、 皆 な 騰 涌 し、 宮 殿 震 動 す 。 其 の 夜、 五 色 の 光 気、 太 徴 を 貫 き、 西 方 に 偏 く 、 青 虹 色 を 作 す 。 時 に 、 王、 太 史 蘇 由 に 問 う 。 由、 対 え て 曰 く 、 大 聖 有 り て 西 方 に 出 ず、 故 に 此 の 瑞 を 現 わ す 。 王 曰 く、 国 に 於 て 損 な う こ と な ぎ か 。 対 え て 曰 く 、 一 千 年 の 後、 声 教、 此 を 被 う べ し く 僧 史 略 に 引 く V 。 忠、 以 謂 ら く、 周 書 異 記 は 、 周 の 時 の 記 録 な り、 必 ず 周 の 正 を 用 う べ し 。 則 ち 其 の 四 月 〈 卯 を 建 つ 〉 は、 是 れ 夏 小 正 の 二 月 く 卯 を 建 つ V な り 。 故 に 二 月 八 日 を 定 め て 仏 生 日 と 為 す べ し 。 然 る に 今、 例 し て 四 月 を 用 ゆ る は、 是 れ 周 の 四 月 〈 卯 を 建 つ 〉 を 以 て 、 謬 り て 夏 小 正 の 四 月 〈 巳 を 建 つ 〉 と 為 す の み。 僧 史 略 に 云 く、 今、 東 京 は 臘 月 八 日 を 以 て 仏 を 浴 し て 仏 生 日 と 言 う は、 祇 桓 図 経 を 案 ず る に、 寺 中 に 玻 黎 の 師 子 有 り、 形、 拳 ば か り の 大 き さ の 如 く し て、 口 よ り 妙 音 を 出 し、 菩 薩、 之 を 聞 け ば、 皆 な 地 位 を 超 ゆ。 臘 月 八 日 に 至 る 毎 に、 舎 衛 城 中 の 士 女、 競 い て 香 花 を 持 ち 、 来 り て 法 音 を 聴 く、 と 。 彼 を 詳 ら ぶ る に、 仏 生 日 と 言 わ ず、 疑 う ら く は、 天 竺、 臘 八 を 以 て 節 日 と 為 す か 。 又 た 疑 う ら く は 、 是 れ 多 論 の 二 月 八 日 を 用 う る か 。 臘 月 は 乃 ち 周 の 二 月 な り 。 東 西 遼 夐 の 故 に 差 異 多 し 〈 薩 婆 多 論 に 云 く、 仏、 二 月 八 日、 沸 星 現 ず る 時 生 る 〉。 忠 日 く、 東 京、 臘 八 を 仏 生 日 と 称 す る は、 余 を 以 て 之 を 観 ぜ し む れ ば、 周 書 異 記 に、 四 月 八 日 に 仏 生 る と、 而 し て 周 の 四 月 は 即 ち 夏 小 正 の 二 月 く 卯 を 建 つ V な り 。 然 る に 或 い は 夏 小 正 の;
=Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 二 月 を 以 て、 又 た 謬 り て 周 の 二 月 く 丑 を 建 つ V と 為 す 。 周 の 二 月 は 即 ち 夏 小 正 の 十 二 月 な り 。 又 た 薩 婆 多 に 所 謂 る、 二 月 八 日 仏 生 る と は、 夏 小 正 の 二 月 を 取 る な り 〈 即 ち 周 書 異 記 に 合 す 〉 。 然 る に、 賛 寧、 周 の 二 月 と 為 し、 而 し て 以 て 夏 小 正 の 臘 月 に 合 す る は 非 な り。 又 た 自 ら 周 書 異 記 の 現 瑞 を 引 き て、 仏 生 を 証 す、 何 ぞ 周 の 四 月 〈 卯 を 建 つ 〉 仏 生 の 義 を 主 張 せ ざ る や、 又 た 臘 八 浴 仏 は 、 譬 喩 経 の 説 〈 次 の 仏 成 道 会 の 処 に 引 く 〉 に 出 ず 。 然 る に 賛 寧 之 を 得 ず 。 強 い て 祇 桓 図 経 を 援 く、 未 だ 浴 仏 の 義 を 成 す に 足 ら ず 。 ( 中 文 出 版 社 本、 上、 五 一 六 頁 ) い っ た い 中 国 に お い て は、 王
朝
の 交代
に よ っ て 、 暦 が変
え ら れ る こ と が あ り 、村
松
一弥
『 清 俗 紀 聞 』 の 指 摘 を 受 け れ ぽ、 漢 の 武 帝 以後
は、 北 斗 七 星 の 斗柄
上 の第
七 星 ( 招 揺 ) が 寅 の 方 角 を 指 す と き が 正 月 と さ れ 、 寅 を 正 刀 と す る の は 「 夏 暦 」 と 呼 ば れ た 。 さ ら に 股 暦 で は 丑 の 方 角 を 指 す と き 、 す な わ ち 夏 暦 の 一 二 刀 が 正 月 と さ れ、 周 暦 で は 子 の 方 角 を 指 す と ( 3 ) き、 す な わ ち 夏 暦 の 一 一 月 が 正 月 と さ れ た と い う 。 道 忠 の 言 か ら す れ ば 、 仏 の 在 世 は 、 中 国 で は 周 の 時 代 に あ た り 、 周 の 暦 で 四 月 と さ れ る 以 上 、 夏 暦 に 換算
す る と き は 二 月 と す べ き だ と い う の で あ る 。 い く つ か あ る 釈 尊 の 誕 生 の 日 を、彼
我
の 暦 の ち が い に よ っ て考
え よ う と す る 道 忠 の 姿勢
は 、 中 国 以 来 の 伝 統 的 な 方 法 で あ り 、 そ れ な り に 学 問 的 な も の を 持 つ 。 成 道 会 や 涅 槃 会 に つ い て も 、 道 忠 は 同 様 の 考 証 を な し て い る 。 一 三 二 先 に も 述 べ た よ う に、 釈尊
の 伝 記 の 決 定 は 本 論 で は あ ま り意
味 を持
つ も の で は な い の で こ れ 以 上 は論
じ な い 。 降誕
会 と こ ろ で 三 仏 忌 の う ち、 も っ と も
早
く 民 間 に 流 伝 し、 か つ 広 範 に 受 け 入 れ ら れ た の は や は り 降誕
会 で あ ろ う 。 歳 時 記 で は す で に 『 荊 楚 歳 時 記 』 に お い て 四 月 八 口、 諸 守 〔 各 お の 〕 、 斎 を 設 く 。 五 色 の 呑 水 を 以 て 浴 仏 し、 共 に 龍 華 会 を 作 し、 〔 以 て 弥 勒 下 生 の 徴 と 為 す な り 〕 。 高 僧 伝 を 按 ず る に 、 四 月 八 口 の 浴 仏 は、 都 梁 香 を 以 て 青 色 水 と 為 し、 欝 金 香 を 赤 色 水 と 為 し、 丘 隆 香 を 白 色 水 と 為 し、 附 子 香 を 黄 色 水 と 為 し、 安 息 香 を 黒 色 水 と 為 し、 以 て 仏 の 頂 に 灌 ぐ 。 ( 守 屋 美 都 雄 等 訳 注 『 荊 楚 歳 時 記 』 平 凡 社、 東 洋 文 庫 三 二 四、 二一 二 頁 ) と 言 い 、 さ ら に 、 ( 八 字 の 仏、 爰 に 来 る ) 荊 楚 の 人、 相 い 承 く 。 四 月 八 日、 八 字 の 仏 を 金 城 に 迎 え、 幡 幢 ・ 鼓 吹 を 設 け、 以 て 法 楽 を 為 す 。 ( 同 右、 一 一 二 亠 ハ 頁 ) あ る い は 、 四 月 八 日、 長 沙 寺 の 閣 下 に 九 子 母 神 あ り 。 是 の 口 、 市 肆 の 人、 子 な ぎ 者 は、 薄 餅 を 供 養 し、 以 て 子 を 乞 う。 往 々 に し て 験 あ り 。 ( 同 右、 一 三Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty を 示 唆 し て 興 味 深 い が 、 今 は
暫
く 措 き た い 。 当 面 の 課 題 に 即 す る な ら 、 『荊
楚 歳 時 記 』 は 、 こ れ 以 前 に 、 二 月 八 日、 釈 氏 下 生 の 日、 迦 文 成 道 の 時、 信 捨 の 家、 八 関 の 斎 戒 ・ 車 輪 ・ 宝 蓋 ・ 七 変 八 会 の 灯 を 建 つ 。 〔 故 に 今 に 至 り 〕 平 旦、 香 花 を 執 り 域 を 遶 る こ と 一 匝 、 之 を 行 城 と 謂 う 。 ( 同 右 、 八 五 頁 ) な ど と し て 、 二 月 八 日 に も 、 盛 大 な 行事
のあ
っ た こ と を 記 し て い る 。 こ れ を 同 じ事
を 二 度 記 す 錯 綜 と 見 る か 、 あ る い は 地 域 に よ っ て は 営 ま れ る 日 取 り が 異 な っ て い た と見
る か、 結 論 は 保 留 し な け れ ば な ら な い が 、 そ れ に し て も 六世
紀 中 頃 に は 、 荊 楚 の 地 で も 釈尊
の 降 誕 が 祝 わ れ た こ と だ け は 確 実 で あ ( 4 ) る 。 も っ と も 釈尊
の 誕 生 を 祝 う 法 会 が 、 弥 勒 仏 の 下 生 に 関 わ る 「 龍華
会 」 と 呼 ば れ て い た と い う の も 、 混 乱 の 結 果 と 言 え る 。 そ れ は と も か く と し て 、 四 月 八 日 の 行 事 そ れ 自 体 は も っ と 古 く か ら 意 識 さ れ て い た 。 『 後 漢 書 』 列 伝 六 三 の 陶謙
( ?1
一 九 四 ) の 伝 の 遂 に 三 郡 の 委 輸 を 断 ち て、 大 い に 浮 屠 の 寺 を 起 て、 上 は 金 盤 を 累 ね、 下 は 重 楼 と 為 し、 又 た 堂 閣 の 周 回 は、 三 千 人 許 を 容 れ、 黄 金 の 塗 燥 を 作 り 、 衣 は 錦 綵 を 以 て す 。 毎 に 浴 仏 す る に、 輒 ち 多 く 飲 飯 を 設 け、 席 を 路 に 布 き、 其 れ 食 に 就 き 及 び 観 る 者、 且 く 万 余 人 有 り. ( 中 華 書 局 本、 二 三 六 八 頁 ) と い う の を 、 即 座 に 四 月 八 日 の 記 事 と は 見 倣 し え な い に し て も、 『 梁 高僧
伝 』 巻 九 の 仏 図 澄 伝 で は、後
趙 の 石 勒 ( 一一 = 九 − 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 三 三 三 在 位 ) が 、 仏 教 に 帰 依 し た事
を 伝 え る 中 で 、 是 れ に 由 り 、 勒、 諸 も ろ の 稚 子 を し て 多 く 仏 寺 の 中 に 在 き、 之 を 養 う 。 毎 に 四 月 八 日 に 至 れ ば、 勒、 窮 自 ら 寺 に 詣 で て 灌 仏 し て 児 の 為 に 発 願 す。 ( 大 正 蔵 五 〇1
三 八 四b
) と す る の は、 明 ら か に 仏降
誕 の 祝 い を 前 提 と し た も の であ
る 。 『 南 史 』 巻 一 七 ・ 列 伝 七 の劉
敬 宣 伝 、 同 巻 三 二 ・ 列 伝 二 ( 5 ) 二 、 張 融 伝 に も 四 月 八 日 の 灌 仏 に 関 わ る 記 事 があ
り 、 さ ら に 『魏
書 釈 老 志 』 に お い て 世 祖 が 即 位 せ ら れ た 当 初 も 、 太 祖 ・ 太 宗 の や り か た を う け つ い で、 毎 に 高 徳 の 沙 門 を 引 見 し て、 そ れ と 与 に 談 論 し た 。 四 月 八 日 に は 諸 仏 像 を 輿 に の せ て 都 大 路 を ね り あ る く が、 帝 は 親 し く 門 楼 に 臨 御 し て こ れ ら を 観 ら れ、 仏 像 に 散 花 し て 礼 敬 を い た さ れ た。 ( 塚 本 善 隆 訳 注 『 魏 書 釈 老 志 』 平 几 社、 東 洋 文 庫 五 一 五、 一 八 六 頁 ) と い い 、 こ の こ と は よ り 詳 し く 『 洛 陽 伽 藍 記 』巻
三 の 景 明寺
の 条 で 、 景 明 寺 は 宣 武 皇 帝 の 建 て た も の で あ る 。 ( 中 略 ) そ の こ ろ 世 間 で は 仏 事 の 営 み が 盛 ん で、 四 月 七 日 に は、 都 じ ゅ う の 仏 像 が み な こ の 寺 に お 練 り を し た が、 尚 書 部 祠 曹 に 登 録 さ れ た 仏 像 の 数 は 全 部 で 一 千 体 余 り も あ っ た 。 八 日 に な る と、 各 仏 像 は 順 番 に 宣 陽 門 を 入 り、 間 闔 宮 の 前 で、 皇 帝 の 散 華 を 受 け た。 そ の 時、 金 色 の 花 は、 日 に 照 り 映 え、 宝 玉 を ち り ぽ め た 天 蓋 は、 雲 に 浮 か び 、 旗 さ し も の は 林 の よ う に 立 ち 並 び 、 香 の 煙 は 霧 の よ う に 立 一 三 三Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) ち こ め、 讃 仏 の 楽 の 音 は 天 地 を ど よ め か せ た 。 さ ま ざ ま な 軽 業 が め ま ぐ る し く 演 ぜ ら れ、 ど こ も 黒 山 の 人 だ か り で あ っ た 。 高 僧 た ち は 錫 杖 を 手 に し て 一 団 と な り、 信 者 た ち は 花 を 捧 げ て 群 が っ た 。 車 と 騎 馬 は 道 に あ ふ れ て ひ し め ぎ あ っ た 。 そ の 頃 、 西 域 か ら 来 た 胡 僧 が こ の さ ま を 見 て、 ま さ に 仏 国 十 で あ る と 讃 え た も の だ っ た。 ( 入 矢 義 高 訳 注 『 洛 陽 伽 藍 記 』 平 凡 社、 東 洋 文 庫 五 一 七、 一 三 一 頁 ) と さ れ る 。 ち な み に 『 洛 陽 伽 藍 記 』 巻 一 の 長 秋 寺 の 項 に お い て は 長 秋 寺 は 、 劉 騰 が 建 て た も の で あ る。 ( 中 略 ) 境 内 に は 三 重 の 塔 一 基 が あ り、 そ の 金 盤 と 刹 竿 は、 城 内 に 輝 き わ た っ た 。 六 つ の 牙 の 白 象 が 釈 迦 を 乗 せ て 空 中 を 飛 ん で い る 像 が し つ ら え て あ っ た 。 荘 厳 の 仏 具 は、 す べ て 黄 金 と 宝 玉 で 作 ら れ 、 こ の 世 な ら ぬ 作 り の 精 巧 さ は 、 つ ぶ さ に 説 明 で き る こ と で は な い 。 四 月 四 日 の 降 誕 会 に は、 こ の 像 を か つ ぎ 出 し て 都 を 練 る 習 わ し で 、 魔 除 け の 獅 子 が 先 払 い を っ と め た 。 さ ら に、 刀 を 呑 ん だ り 火 を 吐 い た り な ど す る 奇 術 が、 そ こ ら じ ゅ う で 縦 横 無 尽 に 演 ぜ ら れ、 竿 登 り や 綱 渡 り な ど、 奇 異 の 限 り を 尽 く し て 変 幻 ぶ り だ っ た 。 彼 ら の 奇 抜 な 術 と 異 様 な 服 は、 都 第 一 の 見 物 で あ っ た か ら 、 像 の お 練 り が 止 ま っ た 場 所 で は 黒 山 の 見 物 人 で 、 人 を 踏 み つ け た り 跳 び 越 し た り で 、 い つ も 死 人 が 出 た ほ ど で あ っ た 。 ( 同 右、 三 八 頁 ) と 記 さ れ る 。 『
洛
陽 伽 藍 記 』 で は 、 こ の ほ か 巻 一 の 昭 儀 尼 一 三 四寺
、 巻 四 の 河 間 寺 に つ い て述
ぺ る 中 に お い て 、 四 月 八 日 の 降 ( 6V 誕 会 の さ ま が 記 さ れ る 。 こ れ ら か ら す れ ば、 仏 像 を 輿 な ど に 乗 せ て の 巡 行 は、 す で に 北 魏 に お い て 盛 ん に な っ て い た こ と が 知 ら れ る し、 祭 り は さ ま ざ ま た 催 し 物 を 伴 っ て 、 八 日 以 前 か ら 営 ま れ る 盛 大 な も の だ っ た こ と が 判 明 す る 。 注 意 し て よ い の は 、 右 の よ う に 、 主 と し て 四 月 八 日 に降
誕 会 が 営 ま れ る よ う に な っ て も、 二 月 八 日 説 が 全 く な く な っ た わ け で は な い こ と で あ る 。 す な わ ち 『 魏 書 』 巻 一 〇 二 ・ 列 伝 九 〇 で は 、 焉 耆 国 の 様 子 を 伝 え て 、 俗 は 天 神 に 事 え、 並 び に 仏 法 を 崇 信 す 。 尤 も 二 月 八 日 ・ 四 月 八 日 を 重 ん ず 。 是 の 日、 其 の 国 、 咸 な 釈 教 に 依 り、 斎 戒 行 道 す 。 ( 中 華 書 局 本 、 二 二 六 五 頁 ) と 言 い 、 五 世 紀 の 『 法 顕 伝 』 が 、 于 聞 国 に お け る 四 月 八 日 の 盛 大 な 行 像 を 伝 え る 一 方 で 、 摩 竭 国 に お け る建
卯 月 の 行 像 を 伝 え る な ど す る 点 で あ る 。 ち な み に 義 浄 ( 六 三 五 ー 七 一 三 ) も、 四 月 八 日 の そ れ を 伝 え る 。 仏 教 の 本 場 と 目 さ れ て い た イ ン ド や 西 域 か ら も た ら さ れ る 情 報 は 、 そ れ な り の 重 み を 持 っ ( 7 ) た はず
で あ る 。 か く し て 六 世 紀後
半 成 立 の 『 玉 燭 宝 典 』 は 、 二 月 と 四 月 の 二 度 に わ た っ て降
誕 会 に つ い て 述 べ る が 、 そ れ は当
時
の さ ま ( 8 ) ざ ま な 疑 問 に答
え よ う と し た か ら で あ ろ う 。 先 ず巻
二 に は、 附 説 に 曰 く、 孔 子 内 備 経 に 云 う、 震 の 爻 動 け ば、 則 ち 仏 有 る を 知 る 。 大 浬 盤 に 云 く 、 旃 檀 林 の 旃 檀 の 囲 繞 す る が 如 く、 師 子 王 のKomazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 師 子 の 囲 繞 す る が 如 し と。 又 た 云 く、 仏 足 を 稽 首 し て 百 千 万 匝 す と 。 今 、 人 、 此 の 月 八 日 を 以 て 城 を 巡 る は、 蓋 し 其 の 遺 法 な り 。 魏 代、 前 を 踵 ぎ、 是 に 於 て 尤 も 盛 ん な り 。 其 の 七 日 の 晩、 所 司 預 め 奏 し、 早 に 城 門 を 開 き 、 夜 半 を 過 ぎ れ ば、 内 外、 倶 に 起 ち て 四 槨 に 遍 満 す 。 大 涅 盤 に 又 た 云 く、 諸 も ろ の 香 木 上 に 五 色 の 幡 采 を 懸 く 。 微 妙 な る こ と 猶 お 天 衣 の ご と し 。 種 々 の 名 華 、 以 て 散 ず 。 樹、 四 方 に 開 ぎ、 風 神 、 諸 も ろ の 樹 上 を 吹 き 、 時 、 時 に 非 ざ る に、 華、 双 樹 の 間 に 散 る 。 法 花 経 に 云 く 。 或 は 歓 橲 心 を 以 て 歌 唄 も て 仏 徳 を 頌 う と。 又 た 云 く、 両 の 栴 檀、 香 り を 流 し、 繽 紛 と し て 乱 墜 し、 鳥 の 飛 ん で 空 よ り 下 る が 好 し 。 諸 仏 を 供 養 す る に 、 衆 宝 妙 香 炉 も て、 無 価 の 香 を 焼 く と 。 華 厳 経 に 云 く 、 両 天 衆 宝 の 花 さ き て、 芬 芬 た る こ と 雪 の 下 る が 如 し と 。 是 れ 尊 儀 と 日 う。 輦 輿 並 び て 出 で、 香 火 、 路 を 竟 し、 幡 花 、 引 き 前 み、 寺 別 の 僧 尼 、 讃 唄 し て 後 に 随 う 。 此 の 時、 花 樹、 未 だ 甚 だ し く は 開 敷 せ ず。 聖 を 去 る こ と 久 遠 な れ ば 、 力、 其 の 花 を 感 じ 降 ら す に 非 ず 。 道 俗、 唯 だ 刻 鏤 し 、 錦 綵 も て 之 を 為 る の み 。 漢 の 王 附 は 潜 夫 論 を 為 り て 已 に 花 綵 の 費 を 言 う 。 晋 の 范 汪 集 の 新 野 に 四 た び 居 す の 別 伝 に 云 く、 家、 仏 華 を 剪 る を 以 て 業 と 為 す と 。 其 の 来 る や 蓋 し 久 し か ら ん 。 荊 楚 記 に 云 く、 謝 霊 運 の 孫、 名 は 茲 藻 な る 者 、 荊 府 の 諮 議 と 為 り て 云 く 、 今 の 世 の 新 花 は 並 べ て 其 れ 祖 の 霊 運 の 制 す る 所 な り と 。 南 北、 俗 を 異 に す れ ば、 或 い は 必 ず し も 囲 繞 を 同 じ く せ ず 。 乃 ち 是 れ 常 時 は 八 日 な り し 。 独 り 行 ず る 者 は、 当 に 仏 の 劫 後 三 月 、 吾 れ 当 に 浬 盤 す べ し と 云 う を 以 て す る な り 。 将 に 滅 度 涅 盤 せ ん と す る 時 到 り、 恋 慕、 特 に 深 し。 菩 薩 処 胎 経 に 云 く、 仏 は 二 月 八 日 を 以 て 生 ま る 。 転 法 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 輪 降 魔 涅 盤、 皆 な 同 じ く 此 の 日 な り と 。 過 去 現 在 因 果 経 に 亦 た 云 く、 仏 は 二 月 八 日 を 以 て 生 ま る と 、 云 々 。 ( 歳 時 習 俗 資 料 彙 編 、 第 一 冊 、 一 七 二 頁 ) つ い で 巻 四 に お い て は 、 後 漢 の 牟 融 に 帰 せ ら れ る 『 牟 子 理 惑 論 』 の 所 説 を 引 用 し て 、 牟 子 に 曰 く、 或 い は 問 い て 曰 く 、 仏 何 れ の 土 よ り 出 つ る 所 ぞ。 寧 ん ぞ 先 祖 及 び 国 邑 有 り や 。 皆 な 何 お か 施 こ し、 状、 何 に 類 す る や 、 牟 子 曰 く、 仏 を 得 る に 臨 ん で、 将 に 天 竺 に 猶 ら ん と し、 形 を 王 に 仮 る 。 家 父 の 名 は 浄 と 白 い、 夫 人 を 妙 と 日 う 。 四 月 八 口 、 母 の 右 脇 よ り 生 る 。 隣 国 の 女 を 娶 り、 六 年 に し て 男 あ り、 字 を 羅 と 日 う 。 云 に 父 王 、 太 子 を 珍 重 す る こ と 日 月 よ り も 甚 だ し 。 年 十 九 、 四 月 八 日 の 夜 半 に 到 り、 戚 し む あ り て 楽 し か ら ざ る が 若 し、 遂 に 飛 び て 起 つ 。 王 田 に 頓 り、 樹 下 に 烋 む。 明 日、 王 及 び 吏 民、 嘘 唏 せ ざ る な し 。 千 乗 万 騎 も て、 城 を 出 て 追 う 。 日 出 て 方 に 盛 ん に し て、 光 曜 奕 奕 た れ ど も 、 樹 は 為 に 枝 を 低 く し、 身 を 炙 か し め ず 。 太 子、 山 に 入 る こ と 六 年、 道 を 思 い て 皮 骨 を 食 わ ず、 四 月 八 口 に 相 連 な り て、 遂 に 仏 と 成 る 。 因 り て 四 月 八 日 に 世 の 泥 沍 に 過 去 る 。 正 説 に 曰 く 、 夜 明 る く し て 星 隕 つ 。 春 秋 に 上 書 し て 異 国 の 讖 と 為 す。 及 び 斉 侯 小 白、 将 に 覇 た ら ん と す る の 徴 な り と 言 う 。 又 た、 恒 星 息 い て 隕 雨 を 曜 や か し 、 翼 虫 の 禍 、 出 つ る を 慎 む と 云 う 。 注 に、 当 に 羽 翼 の 臣 の 死 後 を 慎 む べ し 、 禍 成 り て 虫 に 至 り 、 典 の 記 録 に 、 別 に 仏 生 の 始 め を 証 す 。 広 く 推 験 を 加 う る に 、 信 に 由 縁 有 り 。 涅 槃 経 に 云 く 、 有 す る 所 の 種 々 の 異 論、 呪 術、 言 一 三 五
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 語、 文 字、 皆 な 是 れ 仏 説 に し て 外 道 の 説 に 非 ら ず と 。 儒 玄 の 二 教 を 計 る に、 本 と 彼 此 の 殊 り な し 。 華 厳 に 云 く、 将 に 閻 浮 に 下 ら ん と し て、 先 ず 衆 聖 を 遣 わ し て、 明 ら か に 白 さ く、 古 の 帝 王 は 皆 な 仏 の 先 に 遣 わ す 所 な り と。 天 地 経 に 云 く 、 宝 応 声 菩 薩、 吉 祥 菩 薩、 七 宝 を 練 っ て 日 月 星 辰 を 造 る。 応 声 は 号 称 な り、 伏 羲 は 吉 祥 な り。 即 ち 是 れ 女 蝸 な り と 。 易 坤 霊 図 に 云 く、 至 徳 の 萌 す や、 五 星 は 璧 を 連 ぬ る が 若 し と 。 是 類 謀 に 云 く、 含 珠 を 提 ぐ と。 尚 書 考 霊 曜 に 云 く、 日 月、 璧 を 合 わ す が 如 く、 五 星、 珠 を 編 む が 若 し と 。 論 語 陰 嬉 讖 に 云 く、 聖 人 の 機 を 用 う る の 数 は 七 宝 に 順 が う と 。 注 に 云 く、 七 星 は 北 斗 七 星 な り、 珠 璧 は 兼 ね て 宝 の 名 有 り て、 宝 を 成 練 す る の 義 を 得 た り と 。 清 浄 法 行 経 に、 天 竺 の 東 北 、 真 丹 の 人 民、 多 く は 未 だ 罪 を 信 ぜ ず。 吾 れ 今、 先 に 弟 子 三 聖 を 遣 わ す、 悉 く 是 れ 菩 薩 に し て、 彼 に 往 き て 示 現 す 。 摩 訶 迦 葉 は 彼 に 老 子 と 称 し、 光 浄 童 子 は 彼 に 仲 尼 と 名 の り、 月 明 儒 童 は 彼 に 顔 淵 と 号 す 。 孔 顔 師 、 諮 り て 五 経 、 詩、 伝、 礼 、 典、 威 儀 法 則 を 講 論 し、 以 て 漸 く 誘 化 す 。 然 る 後 に 仏 経、 彼 に 往 く に 当 た り て、 法 と す る 所 、 没 尽 す と。 経 に、 真 丹 国 の 老 子、 関 子、 大 項 菩 薩 等 、 皆 な 我 が 法 を 宣 ぶ る や、 其 の 土 の 人、 生 殺 を 成 せ し に、 好 み て 迦 葉 菩 薩 を 祠 り、 道 徳 経 を 載 く 。 化 す る に 路 を 作 す を 以 て す る は、 老 子 是 れ な り 。 古 来 今 を 尋 ね 同 異 を 刪 正 す る は、 孔 子 是 れ な り 、 幼 に し て 叡 悟 な る は 大 項 是 れ な り 。 然 る 後 に 仏 経 あ り て 乃 ち 信 を 生 ぜ し む と 。 道 元 皇 暦 に 云 く、 吾 れ 聞 く 天 道 、 太 上 の 正 真 は、 自 然 よ り 出 ず 。 是 れ を 謂 い て 仏、 無 為 の 君 と 為 す と 。 又 た 竺 乾 国 に 古 星 先 生 有 り 、 善 く 泥 沍 し て 不 始 不 終、 永 く 存 し て 綿 綿 た り 。 吾 れ 仏 に 受 学 し 二 三 ハ て 、 自 然 に 得 道 す と 。 関 令 内 伝 に 、 老 子、 厠 賓 国 の 王 に 語 る に、 吾 が 師 は 号 と し て 仏 と 為 す 。 仏 は 一 切 の 民 に 学 ぶ 者 な り 。 先 生 と は 教 う る 者 の 称 な り と 。 又 た 云 く、 吾 が 師 の 泥 疸 は、 則 ち 是 れ 涅 槃 に し て、 兼 ね て 得 道 と 言 う 。 還 た 老 君 の 教 え に 拠 り て 弟 子 に 迹 す る に 弥 い よ 験 ら か な り 。 関 孔 の 語 声 訛 謬 し 、 終 い に 是 れ 仲 尼、 大 項、 顔 淵 と な る 。 小 舛 な き に 非 ら ざ れ ど も、 倶 に 聖 童 と 日 う 。 ( 中 略 ) 宿 命 本 起 経 を 案 ず る に、 四 月 七 口、 夫 人 出 遊 し て 流 民 の 樹 に 過 る に、 衆 花 開 花 す。 明 星 出 ず る 時 、 夫 人、 樹 枝 に 攀 り、 便 ち 右 脇 よ り 生 ま る 。 天 地 、 大 い に 動 じ、 三 千 大 千 刹 土、 大 い に 明 ら か な ら ざ る な し 。 龍 王 兄 弟、 左 よ り 温 水 を 雨 ふ ら し、 右 よ り 冷 泉 を 雨 ふ ら す 。 宮 に 還 る に、 天 、 瑞 応 を 降 し 、 風 霽 れ 雲 除 き て、 空 中 清 明 な り 。 天、 四 面 を 為 め て、 細 雨 沢 れ 香 り、 日 月 星 辰、 皆 な 住 ま り て 行 か ず 。 沸 屋 下 り 見 わ れ て、 太 子 の 生 ま る る を 待 つ と 。 其 れ 刹 土 大 い に 明 ら か に し て、 空 中 清 明 な り と は 、 並 び に 春 秋 左 氏 の 夜 明 の 義 と 合 す 。 其 れ 冷 泉 温 水、 及 び 四 面 沢 香、 之 れ 又 た 星 隕 と て 雨 の 如 し と 雨 ふ る と は 偕 に す る な り 。 凡 夫 は 薄 福 に し て、 唯 だ 其 の 雨 の み を 見 る 。 安 く ん ぞ 温 冷 の 異 な り を 知 得 ら ん 。 本 と 是 れ 沢 香 な る こ と を 覚 ら ざ る な り 。 其 れ 星 生 ず る の 時 は、 即 ち 穀 梁 の 日 入 り て よ り 星 出 ず る に 至 る ま で と、 理 は 同 じ な り 。 其 れ 沸 星 下 り 見 わ る は、 又 た 公 羊 の、 星 雨 ふ る と 相 い 似 た り 。 梁 の 時、 特 進、 沈 約、 難 じ て 言 う も、 既 に 外 国 の 暦 法 を 知 ら ず。 何 を 用 っ て か、 魯 の 荘 の 四 月 を 知 ら ん や 。 是 れ 外 国 の 四 月、 周 の 正 を 用 う る が 若 き は、 辛 卯 は 、 長 暦 に は 是 れ 五 日 に し て 八 日 に 非 ら ず、 則 ち 殷 の 正 を 用 う れ ば 、 周 の 四 月
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty は、 股 の 三 月 な り 。 夏 の 正 を 用 う れ ば 、 周 の 四 月 は 夏 の 二 月 な り 。 都 て 仏 家 の 四 月 八 日 と 同 じ か ら ず 。 杜 預 の 春 秋 の 注 に 云 く、 辛 卯 は 四 月 五 日 に し て 月 光 尚 し く 微 か な り 。 蓋 し 時 に 雲 な く、 日 光、 昏 を 以 て 没 せ ざ る な り 。 長 暦 を 約 引 す れ ば 即 ち 杜 の 造 至 す る 所 は 、 賈 服 の 用 い し 法 の 如 く し て、 更 に 同 じ か ら ず 。 文 元 年、 三 月 に 閏 す 。 礼 に 非 ら ず 。 襄 二 十 七 年 十 有 二 月 乙 亥、 日 食 す。 伝 に 云 く、 十 一 月、 辰、 申 に 在 り と は、 司 暦 の 禍 ち な り 。 再 び 閏 を 失 す 。 春 秋 十 二 公 中 の 史、 失 す る こ と 一 に 非 ら ず 。 盈 縮 、 動 も す れ ば 旬 晦 を 過 ぐ。 豈 に 直 に 五 月 八 日 の 閏 の み な ら ん や 。 且 つ 菩 薩 処 胎 経 に、 二 月 八 日 成 道 し、 二 月 八 日 法 輪 を 転 じ、 二 月 入 日 降 魔 し、 二 月 八 日 涅 槃 に 入 る と、 過 去 現 在 因 果 経 に、 夫 人、 毘 嵐 尼 園 に 往 く 。 二 月 八 日、 日、 初 め て 出 ず る の 時 、 無 憂 花 を 見 る 。 右 手 を 挙 げ て 摘 む に、 右 脇 よ り、 生 ま る と 。 仏 所 行 讃 経 に、 二 月 八 日、 時 清 和 に し て 適 た ま 斎 し、 或 は 浄 徳 を 修 む る に、 菩 薩、 右 脇 よ り 生 ず と 。 灌 頂 経 に 云 く、 十 方 の 諸 仏 、 皆 な 四 月 八 日 夜 半、 明 星 出 ず る 時 を 用 っ て 生 る 。 四 月 八 日 夜 半、 明 星 出 ず る 時 、 出 家 し、 四 月 八 日 夜 半、 明 星 出 ず る 時 、 得 道 し 、 四 月 八 日 夜 半、 明 星 出 ず る 時 、 般 涅 槃 す と 。 灌 仏 経 に 云 く、 如 来、 初 め 生 ま れ、 得 道 し、 泥 疸 す る に 、 皆 な 四 月 八 日 な る は 何 ん 。 春 夏 の 際、 殃 羅、 悉 く 畢 り、 万 物 並 び 生 じ 、 毒 気 未 だ 行 か ず 。 善 見 律 に 云 く、 拘 尸 那 未 羅 玉 林 に 於 い て、 二 月 十 五 日 に 無 余 に 入 る と、 涅 盤 経 に 云 く、 二 月 十 五 日、 涅 槃 に 臨 む 。 時 に 後、 二 月 を 品 め て 常 心、 世 間 の 楽 を 破 す と 為 す。 故 に 十 五 日 の 日 月 は 虧 盈 な し と 。 諸 経、 自 ず か ら 舛 駁 多 く、 唯 だ 三 代 の み に 非 ら ず。 其 れ 衆 花、 花 開 く は、 周 の 四 月 に 当 た る に 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 似 た り 。 但、 経 中 に 自 ら 百 億 の 日 月 、 百 億 の 閻 浮 と 道 う は、 此 れ 方 に 半 余 を 見、 方 に 満 旦 を 見 る こ と 可 な る も、 百 億 の 辛 卯、 百 億 の 夜 明 は 、 神 力 も 思 議 す べ か ら ざ れ ば、 未 だ 徴 す る に 足 ら ず 。 文 字 を 以 て 其 れ 尼 父 教 え を 立 つ 、 多 く 慈 悲 を 会 す 。 ( 中 略 ) 寺 塔 記 に 云 く、 仏 は 四 月 八 目 の 夜 に 生 る 。 爾 の 夕、 沸 星 下 り て 侍 す と 。 春 秋 に、 恒 星 見 わ れ ず と 書 す は 、 仏、 世 に 出 ず れ ば な り。 三 蔵 道 人 云 く、 彼 の 沸 星 は 此 の 恒 星 な り 。 仏 、 泥 沮 の 後、 阿 育 王、 八 万 四 千 の 塔 を 起 つ 。 応 に 是 れ 周 の 敬 王 の 時 に 立 つ な り 。 春 秋 の 昭 十 七 年 に、 星 有 り て 大 辰 に 第 く と。 服 注 に、 星 有 り と は 彗 星 な り 。 其 の 形 第 第 た り 。 故 に 第 と 曰 く 。 易 坤 霊 図 に 云 く、 黄 星、 北 斗 に 第 く と 。 是 れ 則 ち 経 中 の 沸 の 字 に し て、 即 ち 外 書 の 第 な り 。 大 都、 当 後 よ り 四 月 辛 卯 に、 仏 、 出 ず る を 定 め と 為 す 。 但、 衆 生 業 力 の 機、 万 殊 に 感 じ て 夏 の 時 を 宜 し と す 。 見 る 者、 便 ち 孟 夏 と 言 え ば、 宜 し く 春 中 を 以 て す べ く、 見 る 者、 便 ち 仲 春 と 言 え ば 、 未 だ 奉 特 に 堪 え ざ る が 若 し 。 唯 だ 光 明 の 相 を 觀 る、 或 は 已 に 能 く 敬 信 す れ ば、 即 ち 微 妙 の 音 を 聞 か ん 。 後 人、 毎 に 二 月 八 日 に は 城 を 巡 り て 囲 繞 し、 四 月 八 日 に は 像 を 行 い て 供 養 す 。 並 び に 其 の 遣 化 に し て 、 廃 す る こ と な く 両 つ な が ら 存 す。 雑 鬼 怪 志 に 云 く、 漢 の 武 帝 、 昆 明 池 を 鑿 つ に 悉 く 是 れ 灰 墨 な り 。 東 方 朔 に 問 う に、 曰 く、 臣 の 知 る 所 に 非 ら ず 。 西 域 の 胡 人 に 訪 ぬ ぺ し と 。 漢 の 成 帝 の 時、 劉 向、 列 仙 伝 を 刪 す る に、 一 百 四 十 六 人 を 得 た り 。 其 の 七 十 四 人 は、 已 に 仏 経 に 見 え 、 余 の 七 十 二 は 列 仙 伝 と 為 す 。 抱 朴 子 に 云 く 、 劉 向 は 博 学 な れ ば 則 ち 微 を 究 め 妙 を 極 め 、 深 き を 経、 遠 き に 渉 り て 理 を 思 い、 則 ち 以 て 真 偽 を 清 澄 に し 、 有 無 を 研 覈 す る に 足 る 。 其 の 一 三 七
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 撰 す る 所 に は 仙 人 七 十 有 余 あ る も 、 誠 に は 其 の 事 な し。 其 れ 妄 造 す る は、 何 が 為 か 。 又 た 云 く、 向、 列 仙 伝 を 撰 す る に、 自 ら 秦 の 太 史 曁 を 刪 す と 。 漢 書 の 中 に 之 を 出 だ す 。 或 は 親 し く 見 る 所 に し て、 然 る 後 に 之 を 記 し た れ ぽ、 妄. 造 に 非 ら ざ る な り 。 四 十 二 章 経 の 序 に 云 く、 漢 の 明 帝、 夢 に 神 人 を 見 る。 身 体 金 色 に し て 頂 ぎ に 口 光 有 り、 飛 び て 殿 前 に 在 り。 通 人 傅 毅 有 り て 夢 を 釈 し て 日 く、 天 竺 に 得 道 の 者 有 り 、 其 の 名 を 仏 と 為 す 。 軽 く 挙 が り 能 く 飛 び、 体 は 真 金 色 な り 。 将 に 其 れ 神 な る べ し 。 帝、 即 ち 遣 わ し て 大 月 氏 に 至 り 、 此 の 経 を 写 さ し む と 。 三 秦 記 に 云 く、 使 を し て 西 域 に 至 ら し む る に、 使、 還 り て 云 く、 天 竺 に 仙 山 有 り て 謙 た り と 。 丹 陽 記 に 云 く 、 即 ち 山 海 経 に 言 う 所 の 北 海 の 隅 の 天 毒 国 な り 。 初 め 漢 の 武 帝 、 昆 明 池 を 鑿 つ に 深 さ を 極 む る も、 悉 く 是 れ 灰 墨 に し て 土 な し 。 当 時、 怪 椀 な り と し て 以 て 東 方 朔 に 問 う。 朔 曰 く、 臣、 以 て 之 を 知 る に 足 ら ず 。 試 み に 西 域 の 胡 人 に 問 う べ し 。 帝、 朔 を 以 て す ら 且 つ 知 ら ず と し て、 復 た 覈 べ ず 。 訪 ね て 是 に 至 る に、 朔 の 語 を 憶 ゆ る 者 有 り 。 以 て 胡 の 沙 門 に 問 う に、 沙 門、 劫 焼 を 経 て の 季 に 拠 る と 答 う 。 之 れ 乃 ち 朔 の 言 を 験 す れ ば 合 う あ り 。 牟 子 に 云 く、 洛 陽 城 外 の 西 雍 門 の 外 に 、 白 馬 寺 を 起 つ 。 壁 の 上 に 朝 廷 を 位 き、 千 乗 万 騎 、 塔 を 遶 る 。 又 た 南 宮 の 清 涼 台 の 上、 及 び 関 陽 門 に 造 る 所 の 陵 を 顕 節 と 名 づ け、 上 は 悉 く 仏 燥 を 作 る と 、 沙 門 釈 法 顕 の 記 す 所 も て 其 の 年 を 考 う れ ば、 則 ち 仏 は 股 の 末 に 生 ま れ、 道 は 周 の 初 め に 行 わ る。 泥 沮 巳 来、 一 千 五 百 二 十 八 年、 則 ち 是 れ 周 の 成 王 の 十 二 年 な る べ し 。 泥 疸 の 後、 三 百 許 年 に し て、 平 王 の 時 に 至 り、 経 律、 始 め て 新 頭 よ り 還 る。 新 頭 河 は 張 騫 の 至 ら ざ る 所 な り。 又 一 三 八 た 八 百 許 年 し て、 漢 の 明 帝 、 夢 に 大 人 を 見 て 白 す、 是 れ 一 家 に し て 但 だ 内 外 拠 る な し 。 法 顕 の 師 子 国 に 伝 え て 繋 ぐ が, 若 如 き は、 仏 を 鼓 唱 言 す と 。 般 泥 沮 し て 以 来、 一 千 四 百 九 十 年 な り 。 仏 の 出 ず る を 勘 校 す る に、 乃 ち 殷 の 武 乙 七 年 に 至 る 。 世 本 史 記 を 案 ず る に、 武 乙 は 文 丁 を 生 み、 文 丁 は 帝 乙 を 生 む 。 紂、 曽 祖 と 為 る に 於 て、 但、 彼 の 国 の 言 を 懸 承 す 。 其 の 年 歳 を 推 す に、 更 に 拠 引 な ぎ も 、 質 正 す れ ば 頗 る 致 す 所 あ り 。 疑 う ら く は 或 は 仏 の 出 ず る を 以 て す る か 。 周 の 時、 経 教 即 ち 応 さ に 流 布 し、 秦 を 踰 え 漢 を 越 え 、 過 り て 淹 久 と 為 る 。 蓋 し 仏 法 の 興 顕 は 西 域 に 始 ま る も、 隣 王 及 び 民、 尚 お 未 だ 委 審 せ ず 。 摩 竭 の 称 、 帝 釈 萍 沙 門 と 為 す 。 是 れ 何 の 神 ぞ 。 須 達 長 者 の 家 は 舎 衛 に 在 り。 初 め て の 仏 の 名 を 聞 ぎ て 身 毛 皆 な 堅 ち、 尋 ね て 復 た 問 い て 言 わ く、 何 等 を 仏 と 名 つ く、 況 や 王 お や 。 間 う、 菊 嶺 は 遠 く 華 戎 を 隔 ち 、 身 熱 頭 痛 し て 載 ち 難 険 を 離 れ、 自 ら 甘 露 の 法 雨、 香 山 の 善 根 の 非 ざ れ ば、 何 ん ぞ 能 く 広 く 沙 塵 を 抜 き、 遥 か に 洲 渚 に 示 さ ん や 。 半 月 に し て 漸 や く 開 き、 方 に 転 法 輪 を 期 す 。 優 花 は 値 い 難 き も 終 い に 円 満 の 功 を 獲 る 。 牟 子、 又 た 云 く 、 仏 と は 謚 を 号 す な り 。 猶 お 三 皇 五 帝 の 若 し 。 俗 に 就 い て 談 ず る も 亦 た 斯 の 理 有 り 。 内 経 に 多 く 仏 足 を 稽 首 す と 言 う 。 春 秋 に 知 武 子 云 く、 天 子 在 ま せ ば、 君 、 辱 け な く 稽 首 す と 。 仏 は 天 中 の 尊 た り 、 天 子 は 人 中 の 尊 た れ ば、 当 に 以 て 敬 す る に 至 る べ し 。 文 な き も 同 じ き に 帰 す る は、 化 の 極 み な り 。 染 衣 振 錫 し て 洙 泗 の 典 を 窺 わ ず、 縫 掖 函 丈 し て 菴 榛 の 説 を 聞 く こ と な し 。 道 家 異 学、 拘 執 す る こ と 尤 も 甚 し 。 遂 に 人 を し て 物 を 懐 か し む る は、 我 れ 向 を 局 じ て 未 だ 融 れ ず 。 故 に 内 外 断 簡 あ る も、 惣 て 其 の 要 を 明 か す 。
Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 優 に し て 柔、 是 こ に 之 き て 津 を 知 れ り 。 ( 同 右 、 二 七 六 頁 ) 引 用 は 長 き に わ た っ た が 、 『 玉 燭 宝 典 』 の 意 図 す る と こ ろ は 、 素 朴 な 形 な が ら も 、 儒 仏
道
の 三 教 の 一致
を 主 張 す る こ と で あ り、 さ ら に 仏 伝 の 中 で 記 さ れ る 三 仏 忌 の 日 付 に 整 合 性 を 持 た せ る こ と に あ る 。 そ の よ う な 『 玉 燭 宝 典 』 の撰
述 意 図 か ら す れ ば、 主 た る 意 味 を 持 つ も の で は な い に し て も 、 文 中 の 「後
人 、 毎 に 二 月 八 日 に は 城 を 巡 り て 囲 繞 し、 四 月 八 日 に は 像 を 行 い て 供 養 す 。 並 び に其
の 遺 化 に し て 、 廃 す る こ と な く 両 つ な が ら 存 す 」 の 一 段 に は 注 目 し て よ い 。 す な わ ち 『 続高
僧
伝 』 巻 三 五 の 旭 上 の 章 に 蜀 土 は 尤 も 二 月 八 日 と 四 月 八 日 を 尚 ぶ 。 二 時 に 至 る 毎 に 、 四 方 よ り 大 い に 集 ま り、 馳 騁 し て 遊 邀 す。 諸 僧 は 忙 遽 と し て 一 と し て 閑 な る 者 な し 。 ( 大 正 蔵 五 〇 ー 六 六 一 c ) と さ れ る の は 、 お よ そ 七 世 紀 頃 の こ と と 推察
さ れ る に し て も 、 『 玉 燭 宝典
』 の 記 事 を 傍 証 し た も の と 言 え よ う 。 ち な み に 『梁
高 僧 伝 』巻
一 〇 の 邵 碩 ( ?ー
四 七 三 ) の 章 が 、 四 月 八 日 に 至 り、 成 都 に 行 像 あ り 。 碩、 衆 中 に 於 て 匍 匐 し て 師 子 の 形 を 作 す。 爾 の 日、 鄲 県 も 亦 た 言 う、 碩、 師 子 の 形 を 作 す と、 乃 ち 其 の 分 身 せ る を 悟 る 。 ( 大 正 蔵 五 〇1
三 九 三 a ) と 言 う の は 、 成 都 で は 二 度 行 な わ れ た 降 誕会
の 祭 り の う ち 、 四 月 八 日 に 注 目 し た か ら で あ ろ う 。 つ ま り 『 玉 燭 宝 典 』 は 二 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) 月 八 日 、 四 月 八 日 の い ず れ に も 典 拠 が あ る の だ か ら 、 一 方 に は 決 め 難 い 旨 を述
べ た も の と も い え る 。 し た が っ て 現 実 に は 『 続 高僧
伝
』 巻 二 二 の 玄碗
( 五 六 二 ー 六 三 六 )章
に お い て 、 又 た 二 月 八 日、 大 聖 誕 沐 の 晨 を 以 て、 旧 緒 を 追 惟 し て、 浴 具 を 敬 崇 す 。 毎 年、 此 の 旦、 講 を 建 て 斎 を 設 け、 四 衆 に 通 召 し て 悲 敬 を 含 み、 七 物 を 弁 羅 し て 普 く 僧 儔 に 及 ぼ す 。 ( 大 正 蔵 五 〇i
六 一 六 a ) と さ れ る よ う に 、 一 方 に は 、 二 月 八 日 説 が 採 用 さ れ つ つ も 、 ほ ぼ 同 時期
の 他 の 資 料 が 多 く 四 刀 八 日 説 に 傾 む き つ つ あ る こ と も 否 定 で き な い 。後
述 す る よ う に 四 月 八 日 の 仏降
誕 を 前提
と し た 「高
僧 伝 」 の 記 述 は 少 な く な い 。 い ず れ に し て も 、 そ の よ う な流
れ の 基 本 に は 、 『 玉 燭 宝 典 』 が 号. 口 う よ う な 「 衆花
、 花 開 く 」 と い う 季 節 的 な も の が 、 仏伝
の 記 述 と 相 応 す る も の と し て 背 景 にあ
っ た こ と を 推 測 し て よ い で あ ろ う 。 か く し て 八 世 紀 前 半 に 成 立 し た と さ れ る 『 金 谷 園 記 』 に お い て は 、 釈 迦 如 来、 四 月 八 日 を 以 て 降 生 す。 前 生 は 摩 納 仙 人 為 り 。 金 銭 を 将 っ て 婦 人 の 辺 よ り 花 を 買 い、 燃 灯 に 供 養 す 。 仏 、 約 し て 夫 婦 と 為 す。 仙 人 は 仏 な り 、 婦 人 は 羅 喉 な り 。 今 人、 毎 に 四 月 八 口 に 至 れ ぽ、 花 を 買 っ て 供 養 し、 并 び に 浴 仏 す 。 四 月 八 日 、 諸 寺、 各 お の 供 養 会、 湯 も て 仏 に 浴 す 忌 を 設 け、 香 花 を 以 て 礼 拝 一 三 九Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) し、 銭 を 出 だ し て 以 て 灌 仏 す。 灌 仏 経 を 案 ず る に 云 く、 口 に 一 た び 灌 い で 七 た び の 灌 に 至 れ ば、 無 間 の 罪 を 滅 す と。 ( 守 屋 美 都 雄 『 中 国 古 歳 時 記 の 研 究 』 四 四 二 頁 ) と 記 さ れ、 八 世
紀
後 半 成 立 の 『 四 時 宝 鏡 』 に お い て も 、 四 月 八 日 は 仏 の 生 日 な り 。 京 師 は 各 お の 浴 仏 し 斎 会 す る 有 り 。 〔 同 右 、 四 五 二 頁 ) と さ れ る の を 見 る と、 唐代
後 期 に は 四 月 八 日 説 が ほ ぼ 定着
し 、 民 間 に 受 容 さ れ て い た こ と が 知 り う る 。 こ こ で 「 ほ ぼ 」 と い う の は、 地 域 に よ る 差 の あ る こ と が感
じ ら れ る か ら で あ る 。 た と え ば、 『 遼 史 』 巻 五 三 ・志
二 二 で は 、 二 月 八 日 は 悉 達 太 子 の 生 辰 為 り。 京 府 及 び 諸 州、 木 を 彫 り て 像 を 為 り 、 儀 杖 百 戯 も て 導 従 し、 城 を 循 り て 楽 を 為 す 。 悉 達 太 子 は 西 域 の 浄 梵 王 の 子 に て、 姓 は 瞿 曇 氏 、 名 は 釈 迦 牟 尼 な り 。 其 の 覚 性 を 以 て、 之 を 称 し て 仏 と 日 う 。 ( 中 華 書 局 本、 八 七 八 頁 ) と 伝 え 、 『 金 史 』 巻 五 ・ 本紀
五 の 正 隆 元年
( 一 一 五 六 ) 一 一 月 の 項 で は、 癸 巳 、 二 月 八 日 の 迎 仏 を 禁 ず 。 ( 中 華 書 局 本、 一 〇 七 頁 ) と伝
え る か ら で あ る 。 た だ し 遼 の 場 合、 四 月 八 日 の 例 の あ る ( 9 ) こ と も 指摘
さ れ る か ら 一律
に 考 え る こ と は で き な い 。 さ ら に 四 月 八 日 を 意識
し た 事 跡 と し て 、 高 僧 伝 等 に 散 見 す る も の と し て は、 『 続 高 僧 伝 』 巻 六、 釈慧
約 章 に お け る 、 天 一 四 〇 監 一 八 年 ( 五 一 九 ) の 梁 武 帝受
戒 の 記事
、 『 同 』 巻 一 〇 、 釈慧
最章
に お け る 舎 利 院 で の 奇 瑞 、 『 同 』 巻 】 二 、 釈 霊 幹 章 に お け る、 洛 州 漢 王 寺 の 塔 に 舎 利 が 納 め ら れ た こ と 、 『 同 』 巻 一 九 、 釈 法 蔵 章 に お け る、 天 和 二年
( 五 六 七 ) の 明 帝 の 度 僧 に よ っ て 出 家 し た こ と、 『 同 』 巻 二 一 、 釈 道 成章
に お け る 仁 寿 四 年 ( 六 〇 四 ) 仏 舎 利 が 塔 に 納 め ら れ 奇 瑞 が あ っ た こ と 、 『 同 』巻
二 四 、 釈慧
乗 章 に お け る 陳 武 帝 が 荘 厳 寺 に お い て 談 義 を な さ し め た こ と 、 『 同 』 巻 二 六 、 釈 智 揆章
に お け る 仁寿
年 間 に 魏 州開
覚
寺 の塔
に 舎 利 が 納 め ら れ 奇瑞
が あ っ た こ と、 『 同 』 巻 二 六 、 釈 僧 听 章 に お け る、 仁 寿 中、舎
利
が 毛 州護
法寺
に 送 ら れ た こ と、 釈 法揩
章
に お け る 、 仁 寿 年 間、 曹 州 法 元 寺 の 塔 に 舎 利 が 納 め ら れ奇
瑞 が あ っ た こ と、 『 同 』 巻 三〇
、 釈 真 観章
に お け る、 大 業 七年
( 六=
) 、 命 じ ら れ て 『 涅 槃 経 』 を 講 じ た こ と な ど を 挙 げ え よ う 。 ま た た と え ば 『 広 弘 明 集 』 で は 、 巻 二 八 の簡
文 帝 「 四 刀 八 日度
人 出 家 文 」 、 巻 三 〇 、 支 道 林 「 四 月 八 日 讃 仏 詩 」 を は じ め、 巻 一 七 で は 、 先 に 述 べ た、 仁 寿 二年
( 六 〇 二 ) に 舎利
を 塔 に 納 め さ せ た 件 に つ い て 、 対 象 と な っ た 五 一 の 各 州 に お い て 、 四 月 八 日 の 当 日 に 奇瑞
の あ っ た こ と が 報 告 さ れ た こ と を 記 し、 さ ら に 巻 二 で は 、 北魏
の孝
文
帝 が、 太 和 一 六 年 ( 四 九 二 ) 詔 を 下 し て 、 毎年
四 月 八 日 と 七 月 一 五 日 に 、 大 州 は 百 人、 中 州 五 〇 人 、 小 州 は 二 〇 人 の度
僧 を 許 し た こ と を 伝 え 、Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 巻 四 で は 天 監 三 年 四 月 八 日 の 梁 武 帝 に よ る 「 捨 事 道 李 老 道 法 詔 」 を 収 録 し 、 巻 一 〇 で は 北 周 、 大 象 元 年 ( 五 七 九 ) 四 月 八 日 の 興 仏 に あ た っ て の 詔 を 収 録 し て い る 。 ま た 『 宋 高 僧 伝 』 で は 、 巻 二 、 菩 提 流 支
章
で 、 こ の 日 、 訳 経 を 進 内 さ せ た こ と 、 巻 二 三 、 釈 普 浄 章 で は こ の 日 に 発 願 し て真
身 塔 前 で 焼 身 し た こ と 、 釈懐
徳
章 に お け る こ の 日 の 焼 身 、 巻 二 四 、 玄 樊 章 に お け る 解斎
な ど が あ る 。 以 上 は 四 月 八 日 説 に か か わ る も の で あ る が、 一 方 、 巻 一 六 の 釈 道 澄 章 に お け る 皇 帝受
戒 は 二 月 八 日 な が ら 釈 尊降
誕 と関
係 が あ る か も し れ な い し 、 知 ら れ る よ う に 六 祖慧
能 の 誕 日 が後
世 の 資 料 で 二 月 八 日 と さ れ 、 さ ら に 広 州 法 性寺
で 受 戒 す る の は 、 儀 鳳初
年
( 10 ) 二 月 八 日 の こ と と さ れ る の も 同 様 と み て よ い で あ ろ う か 。 い ず れ に し て も 北 宋 の 『 夢 華 録 』 巻 八 は 次 の よ う に 伝 え る 。 四 月 八 日 は 釈 迦 の 誕 生 日 で あ る 。 十 大 禅 院 で は、 そ れ ぞ れ 灌 仏 会 を や り、 香 味 料 入 り の 糖 水 を 煮 て 贈 り 物 に す る 。 そ れ を 「 浴 仏 水 」 と い う 。 ( 入 矢 ・ 梅 原、 訳 注 本、 二 七 五 頁 ) 南 宋 の 『 夢 梁 録 』巻
三 は 、 皇 太 后 の 聖 節 に 注 目 し た 結 果 か 、 直 接 言 及 す る こ と は な い も の の 、 千 頃 広 化寺
に お い て 聖 節 の 満 散 道 場 が あ っ た の ち、 西 湖 の 徳 生 堂 に 赴 い て 放 生 が な さ れ た 旨 を伝
え る 。 当 然 そ れ は 皇 太 后 の 聖 寿 無窮
を 祈 っ て の も の で あ ろ う が、 こ の 放 生 の 儀 式 だ け は 後 代 に ま で 及 ん だ よ 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) う で、 『 杭 俗 遺 風 』 に そ の 事 実 を 伝 え 、 『 文 献 通考
』 は そ れ を 王欽
若 の 奏 上 に よ る と し て い る 。 そ の 点 は と も か く と し て 、 『 武 林 旧 事 』 巻 三 、 『 西 湖 老 人 繁 勝 録 』 は、 い ず れ も降
誕 会 の さ ま を 記 す 。 す な わ ち 『 武 林 旧事
』 は、 四 月 八 日 は 仏 の 誕 日 為 り 。 諸 寺 院、 各 お の 浴 仏 会 有 り 。 僧 尼 の 輩 は 競 い て 小 盆 を 以 て 銅 像 を 貯 き、 浸 す に 糖 水 を 以 て し 、 覆 う に 花 棚 を 以 て し、 鐃 鉢 も て 交 こ も 迎 え、 遍 ね く 邸 第 富 室 に 往 き、 小 杓 を 以 て 澆 灌 し、 以 て 施 利 を 求 む 。 是 の 比、 西 湖 に て 放 生 会 を 作 し、 舟 楫 甚 だ 盛 ん に し て、 略 ぼ 春 時 の 小 舟 の 如 く、 競 い て 亀 魚 螺 蛙 を 買 い て 放 生 す 。 ( 中 国 商 業 出 版 社 本 、 四 六 頁 ) と あ り 、 『 西 湖 老 人繁
勝 録 』 も 仏 生 日、 府 主、 西 湖 上 の 放 生 亭 に 在 い て 酷 を 設 け、 聖 寿 を 祝 延 し、 放 生 会 を 作 し 、 士 民 の 放 生 会 も 亦 た 湖 中 に 在 い て す 。 船 中 に て 看 経 し、 斛 を 判 じ、 放 生 す 。 游 人、 湖 峰 上 に て 飛 禽、 烏 亀、 螺 蜘 を 買 い て 放 生 す 。 諸 尼 寺 の 僧 門 、 卓 上 に 剳 花 亭 子、 井 び に 花 屋 し、 内 に 沙 羅 を 以 て 金 仏 一 尊 の 、 沙 羅 内 の 香 水 中 に 坐 す を 盛 . り 、 台 を 市 中、 宅 院、 鋪 席 に 扛 ぎ、 諸 人 、 浴 仏 し て 化 を 求 む 。 亦 た 男 僧 は 仏 せ ず、 人 家 に 入 り て 化 を 求 め ざ る 有 り 。 ( 中 国 商 業 出 版 社 本、 九 頁 ) と 述 べ る 。 『 西 湖 老 人繁
勝 録 』 が伝
え る、 寧 宗 代 か ら 理宗
代
に か け て の 臨安
の 様 子 が、 南 宋 全 体 の 風 俗 と は 言 え な い に し て も 、各
資 料 を 勘 案 す る な ら 、 浴 仏 と 放 生 を 中 心 に し た 行 事 が か な り 広 範 に 営 ま れ て い た こ と が 知 り う る 。 さ ら に 周 守 忠 一 四 冖Komazawa University Kom 三1z三1w三1 Umversrty 中 国 仏 教 成 立 の 一 側 面 ( 永 井 ) の 『 養 生 月 覧 』 で、 四 月 八 日 遠 行 は 宜 し か ら ず 。 宜 し く 安 心 静 念 す べ し 。 沐 浴 斎 戒 す・ れ ば、 必 ず 福 慶 を 得 ん。 四 月 八 日、 百 草 を 食 す る こ と な か れ 。 四 月 八 冂、 殺 草 伐 樹 す る こ と な か れ 。 四 月 八 日、 拘 杞 茱 を 取 り て 煮、 湯 を 作 り て 沐 裕 す れ ば、 人 を し て 光 沢 な ら し め 不 病 不 老 な り 。 ( 守 屋 ・ 前 掲 書、 四 六 九 頁 ) と さ れ る の を 見 る と、 南