明
峰
素
哲
の
生
涯
と
そ
の
功
績
口
i
瑩
山
門
下
の僧
録
とし
て永
光
寺
・大
乗
寺
を
担
っ た曹
洞
禅
者
1
加 賀 大 乗 寺 へ の 遷 住 光 禅 … 暦 応 初、 加 州 大 乗 虚 レ 席 、 冨 樫 城・ モ 藤 原 家 善 居 士、 請 董 大 乗 。 益 盛 叢席
、 道 望 弥 高 。 洞 谷 扶 桑 … 嗣 後 開 法 王 大 乗 ( 及 永 光 ・ 光 禅・ ) 、 三 坐 道 場、 而 名 流 遐 邇 幻 延 宝 … 住 大 乗 、 ( 移 一永
光 → 剏 越 之 光 禅 寺 → 為 第 一 世 冖 ) 。 本 朝 … 遂 住一 大 乗、 ( 尋 移 一 永 光 幻 越 之 檀 越、 剏 一 光 禅 寺、 延 為 開 山 始 祖 。 ) 三 処 道 場 、 風 規 真 密、 参 徒 帰 心 。 諸 祖 … 師 受 レ 命 礼 辞、 帰 住 一 大 乗 4 ( 又 遷 董 能 之 永 光 ・ 越 之 光 禅 → ) 故 有 二 三 坐 道 場 之 名へ 流 一 播 寰 宇 り 聯 燈 … 暦 応 初、 移 大 乗 刈 源 流 … 遂 住一 大 乗 一 ( 尋 移 永 光、 又 開 越 之 光 禅 ) 。 大 乗 … ( 尋 董 永 光 ゆ ) 延 元 二 年 住一 本 山 ℃ ( 後 開山
越 之 光 禅 。 ) 正 中 二 年 二 三 二 五 ) 八 月 に 最 晩年
の瑩
山紹
瑾 よ り後
席 を 託 さ れ て 以 来、久
し く能
登 の 洞谷
山 永 光寺
の住
持職
を 勤 め て い た素
哲 は 、 一 〇 数 年 の歳
月 を経
過 し て 後、 か つ て師
翁
の 徹 通 駒 澤 大 學 佛 教 學 部 論 集 第 三 十 】 號 卒 成 十 二 年 十 月佐
藤
秀
孝
義
介
や本
師 の紹
理 が 化導
を敷
き 、 自 ら も 修 道精
進
の 日 々 を 送 っ た 加賀
の東
香
山 椙 樹林
大
乗
寺
に 遷 住 す る こ と に な る 。 な ぜ か 『 洞 谷 五 祖 行実
』 の み は 素 哲 が 大 乗 寺 に 住 持 し た こ と自
体
を 記 し て い な い が 、他
の 燈 史 や 僧 伝 は等
し く 素 哲 の 大 乗寺
入寺
の事
実
を 伝 え て い る 。 た だ し、 す で に述
べ た ご と く 「 光禅
開
山 老 和尚
行
業
記 」 や 『 洞 上聯
燈録
』 『大
乗
聯 芳 志 』 で は素
哲 が 永 光寺
に 住 持 し て後
に大
乗 寺 に 遷 っ た と す る の に 対 し て、 『続
扶
桑禅
林
僧
宝 伝 』 「 延宝
伝 燈 録 』 『 本 朝高
僧
伝
』 『 洞 上諸
祖 伝 』 な ど に お い て は永
光
寺
よ り 先 に 大乗
寺
に 住 持 し て い た か の ご と く 記 し て い る 。 お そ ら く こ れ は 応 長 元年
〔;
二 こ一 〇
月
一〇
日 に 紹 瑾 が素
哲
に 付 与 し た 大 乗寺
住持
職 を 付 嘱 す る 内 容 の 「 法 衣 相伝
書
」 を も っ て 正 式 の住
持
就任
の ご と く解
し た こ と に ち な む も の と 見 ら れ 、 実 際 に は素
哲 が そ の 時 点 で 大乗
寺 を継
承 し た事
実
は認
め が た い こ と か ら 、 明 ら か な 誤 り で あ る と い っ て よ い 。素
哲
が 大乗
寺 に 入院
す る の は 永 光寺
の 住 持 を 退 い て 以 降 の こ と で あ る こ と は 動 か な い 。 と こ ろ で 、 「光
禅
開
山 老 和 尚 行業
記
」 に は 素哲
が 大乗
寺 に 入 二 二 五明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 日 ( 佐 藤 ) 院 し た
状
況
に つ い て 、 暦 応 の 初 め 、 加 州 の 大 乗、 席 を 虚 に し、 冨 樫 城 主 藤 原 家 善 居 士 、 請 し て 大 乗 を 董 せ し む 。 益 ま す 叢 席 を 盛 ん に し、 道 望、 弥 い よ 高 し 。 と 若 干 な が ら詳
し い消
息
を 伝 え て い る 。 し か し な が ら 、 そ の他
の 燈史
・僧
伝
に お い て は 素哲
が 大乗
寺
に 遷住
入 院 す る に 至 る経
緯
や そ の間
の事
情
な ど に つ い て 、何
ら の記
載
も伝
え て い な い 。 「 光禅
開
山 老 和 尚 行業
記
」 に よ れ ば、北
朝
の 暦 応 年 間 ( 一 三 三 八 ー ご 二 四 二 ) の 初 め に 大 乗 寺 で住
持
の席
が 空 い た た め 、富
樫
城 主 で あ っ た藤
原家
善 す な わ ち富
樫
家
善 ( 押 野 殿 ・ 刑 部 左 衛 門 尉、 法 名 は 英 道 居 士 ま た は 英 遵 居 士 ) が 素 哲 を拝
請 し て 大乗
寺
を 董 せ し め た こ と が 記 さ れ て い る 。 し か も素
哲
の 入 院 と と も に 大 乗寺
の叢
席
は盛
ん と な り、 素哲
に 対 す る道
望 が い よ い よ高
ま っ た こ と を伝
え て い る 。 ち な み に 大 乗寺
に 所蔵
さ れ る 『 大乗
寺
過 去 帳 』L
巻 に よ れ ば 、富
樫
家善
に つ い て 「家
善
英 遵大
居 士 、年
号
不 レ 知 、 七月
廿
日 」 と あ る の み で詳
し い 消息
も 記 さ れ て お ら ず 、 七 月 二 〇 日 に 逝 去 し た と さ れ る も の の年
号 な ユ ど は 伝 え ら れ て い な い 。 と こ ろ で 、 わず
か に 『 洞 上 聯 燈 録 』 の み が 「暦
応 の初
め、大
乗 に 移 る 」 と し て 「光
禅開
山
老 和 尚 行 業記
」 と 同 じ説
に 立 っ て い る が、 そ の 間 の事
情
に つ い て は や は り何
も 伝 え て い な い 。 た だ、 『 洞 上聯
燈 録 』 巻 二 「考
証 」 の 「 明峯
章 」 に は 、 二 二 六 後 入 洞 谷、 正 中 二 年 以 レ 師 付 洞 谷 席 。 師 住 レ 此 十余
年 、 暦 応 初 移 大 乗 矣 。 と あ っ て 、 明確
に 永 光 寺 に お け る素
哲 の 接 化 期間
を 記 し て お り 、 永 光 寺 に 一 〇 余 年 に わ た り住
持
し て 後、暦
応年
間 の 初 め に大
乗 寺 に 遷住
し た と 断 定 し て い る の は 「 光禅
開
山
老 和尚
行業
記 」 と 内容
を 一 に す る も の と い っ て よ い 。 こ れ に 対 し て 『 大 乗 聯 芳 志 』 で は 「 延 元 二年
、本
山 に 住 す 」 と あ り 、 ま た 『 安 楽 山 産福
禅
寺年
代
記 』 に お い て も、 ( 延 元 ) 二 、 浄 住 寺 本 尊、 八 月 三 日 安 座 。 無 涯 入 院 。 明 峰 大 乗 寺 住 也 。 と 記 さ れ て お り、 こ れ ら に よ れ ば、 素 哲 が 大乗
寺
へ 住 院 し た の を 「光
禅開
山 老 和 尚 行業
記
」 や 『 洞 上 聯 燈録
』 が 伝 え る 暦 応 年間
の 初 め と す る 説 よ り わ ず か に 早 く南
朝 の 延 元 二 年 ( 北 朝 の 建 武 四 年 、 一 三 三 七 ) で あ っ た と 伝 え て い る 。 し か も素
哲 の 大 乗 寺 入院
と と も に 無 涯智
洪 の永
光 寺 入 院 が な さ れ た の を や は り 延 元 二年
の こ と と し て お り、智
洪 が 永 光寺
で な し た 活 動 な ど を 踏 ま え る と 、 南朝
の 延 元 二年
( 北 朝 の 建 武 四 年 ) か 北 朝 の 暦 応 元年
( 南 朝 の 延 元一 二 年 ) の何
れ か に 素哲
が永
光 寺 か ら ワ ご 大乗
寺 へ と 遷住
し て い る こ と は疑
い な か ろ う 。 こ の点
、 さ ら に 注 目 す べ き は 、 『 通 幻寂
霊禅
師
全 集 』 巻中
の 『 通 幻寂
霊 禅 師続
語
録 』 に お い て、豊
後 ( 大 分 県 )玖
珠 の 大 通 山 安楽
寺
の 白 獸穏
貞
( 末 曾 有 懶 子、 一 六 七 五 − 一 七 四 六 ) が通
幻下
の 石 屋 真 梁 ( 一 三 四 五 − 一 四 二 三 ∀ の撰
し た 「 通 幻和
尚 人 事 」 の注
記 と し て 大乗
寺 の 素 哲 に関
す る 消息
を 考 証 し て い る こ と で あ ろ う 。 穏 貞 は 「 通 幻 和 尚 人 事 」 の 「十
九
歳
時
、向
賀
州
大乗
寺
(朝
参 暮 請、 志 気抜
萃
」 の こ と ば に つ い て、 日、 十 九 歳 時、 向 賀 州 大 乗 寺 ℃ 是 歳 即 暦 応 三 年 也 。 此 閲 宝 円 寂 菴 和 尚 考( 謂、 菴 頃 読 石 屋 禅 師 所 レ 撰 通 幻 和 尚 人 事 譜、 至 ・ 其 参 二 大 乗( 而 惜 レ 逸 一 主 者 名 字 。 因 校 洞 谷 諸 記 ・ 大 乗 秘 録 、 則 謂、 正 和 丙 辰、 瑩 山 祖 師 移 一一 洞 谷 、譲
大 乗 席 於 恭 翁 良 公 → 翁 居 十 三 年、 至 嘉 暦 戊 辰 、 因 レ 事 退 院、 大 乗 虚 レ 席 数 年 。 先 レ 此 、 明 峯 祖 師、 正 中 二年
八 月住
洞 谷、 踰 二 紀 4 以 延 元一 、 年 《移
大 乗 、経
暦 応 康 永 之 年 。 貞 和 初 歳、 挙蕪
漏 崇 公 一 令 ・ 継 ・ 席 云 。 因 」 茲 則 知、 幻 公 十 九 歳 参 大 乗 一 者、 参 一 明 峯 祖 也 。 如 洞 上 諸 祖 伝 一 日 卜 峯 祖 始 住 大 乗 後 移 中 洞 谷 い 亦 不 レ考
之 甚 也 。 蓋 菴 公 嘗 董 光 禅 一 十 余 年、 尤 熟 峯 祖 之 行 由 蛤 故 其 辨 拆 如 レ 此 詳 明 也 。 ヨ と い う 興 味 深 い 注 記 を 残 し て い る 。 こ れ は後
に 触 れ る ご と く 峨 山 下 の 通 幻寂
霊 ( 一 三 二 二 ー 一 三 九 一 ) が 大乗
寺
の素
哲
に 参学
し た 消 息 を い う も の で あ る が、 そ こ に は当
時
の 大乗
寺
の 変遷
が克
明 に 記 さ れ て い る 。 し か も こ の 記 載 に よ る な ら ば 、 「 光禅
開
山 老和
尚 行業
記 」 の撰
者
で あ る 寂 庵 道光
が 「 通幻
和
尚 人事
」 に関
す る 考 証 を な し て い た こ と が 知 ら れ、 穏貞
は道
光
の 文 を 実際
に 閲 覧 し て い る 。 い ま 、 そ の 重 要 部 分 を書
き 下 し に 改 め て み る な ら ば、 明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 口 ( 佐 藤 ) 此 に 宝 円 の 寂 菴 和 尚 の 考 を 閲 す る に 謂 く、 「 菴、 頃 ろ 石 屋 禅師
が 撰 す る 所 の 通 幻 和 尚 人 事 譜 を 読 む に 、 其 の 大 乗 に 参 ず る に 至 っ て、 主 る 者 の 名 字 を 逸 す る を 惜 し む 。 因 み に 洞 谷 の 諸 記・ 大 乗 の 秘 録 を 校 す る に、 則 ち 謂 く、 『 正 和 丙 辰、 瑩 山 祖 師 、 洞 谷 に 移 り 、 大 乗 の 席 を 恭 翁 良 公 に 譲 る 。 翁、 居 る こ と 十 三 年、 嘉 暦 戊 辰 に 至 っ て、 事 に 因 り て 退 院 し 、 大 乗 、 席 を 虚 く こ と 数 年 な り 。 此 よ り 先 、 明 峯 祖 師 、 正 中 二 年 八 月 に 洞 谷 に 住 し、 一 紀 を 踰 ゆ 。 延 元 二 年 を 以 て 大 乗 に 移 り、 暦 応・ 康 永 の 年 を 経 た り 。 貞 和 の 初 歳、 無 漏 崇 公 を 挙 し て 席 を 継 が し む 』 と 云 う 」 と 。 と い う こ と に な ろ う 。 残 念 な が ら 、 道 光 が 記 し た 「 通 幻 和尚
人事
考
」 の原
文 は 残 さ れ て い な い が 、 こ れ に よ れ ば、道
光 は 永 光寺
や 大乗
寺
に 所 蔵 さ れ て い た 史料
に 基 づ き、 素 哲 の 大乗
寺 に お け る活
動
を 明 確 に し て い る わ け で あ る 。 そ も そ も紹
理
の 後 席 を 継 い で 大乗
寺
に住
し た の は 臨 済 宗 法 燈 派 の 恭翁
運
良
で あ っ た が、 晩 年 の紹
理 と し て は 他 派 の 運良
と そ の 門 流 の臨
済
禅 者 に よ っ て 大乗
寺
が 運 営 さ れ て い く こ と に 難色
を 示 し、開
山 義 介 の 系 統 す な わ ち自
ら の 門 流 に よ っ て 住持
の 法統
が維
持
さ れ る べ き こ と を 切 望 し て い た の で あ る 。 し か し な が ら 、 運 良 が 大 乗 寺 住 持 と し て 止 住 し て い た 期間
は か な り の 久 し き に 及 び、 こ の 間 、 大乗
寺
に は臨
済 ・ 曹 洞両
宗
の 参 学 の徒
が 雲集
し て お り 、 も と も と義
介
を開
山 と し て永
平
寺 三 代 の 霊骨
を安
置 し て い た 大乗
寺
は、何
時
し か あ た か も臨
済宗
寺 院 であ
る か の ご と き 感 を 呈 す る に 至 っ た も の の よ う で 一 二 七明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 日 ( 佐 藤 ) あ る 。 そ ん な 変 則 的 な
状
況下
に お い て 、 お そ ら く 曹 洞 禅者
の 一部
の中
に 運 良 の活
躍 を快
く 思 わ な い →群
の 人 々 が 現 れ た も の ら し く 、 運 良 の 「 仏林
恵 日禅
師行
状
」 に よ れ ば、 海 衆 之 中 六 群 之 党、 以 違 境 撼 レ 之 。 師 雅 不 レ 事 レ 物、 即 蹈 破 彼 鉢 多 ハ 勇 退 棄 レ 寺 如 レ 視 レ 脱 レ 履 。 と い う 不 祥事
が 記 さ れ て い る 。 大 乗 寺 の 修 行僧
の中
に 六群
の党
と 称 す る 人 々 が あ り 、 運良
が 盛 ん に 接化
す る さ ま に 嫉 妬 し 、 よ こ し ま な 心 で 運 良 の 立 場 を揺
り 動 か し た と い う 。 六群
の党
と い え ば 古代
イ ン ド の む か し仏
陀
( 釈 迦 牟 尼 仏 、 ゴ ー タ マ ・ シ ッ ダ ッ タ ) の在
世
当
時 に常
に 徒 党 を組
ん で 悪 行 を な し、 し ば し ば 戒 制定
の 因 を 作 っ た と さ れ る 六 人 の 悪 行 比 丘 ( 六 群 比 丘 ) の こ と で あ り、 運 良 の 大乗
寺 運営
に 支障
を な し た 一群
の 人 々 が こ れ に 比 せ ら れ て い る 点 で 、彼
ら は 運 良 の 住持
活 動 に対
し て ハ げ か な り 悪辣
な 妨 害 を な し た も の と推
測 さ れ る 。 お そ ら く運
良
が 大胆
に 山 内 の 規 矩 や 鐘 鼓 の打
鳴
法 な ど を 改革
し て い っ た こ と に対
し 、 こ れ に 不 満 を 持 つ曹
洞禅
者 の 中 で強
引 に大
乗
寺
を 開 山義
介
の 素 意 に 復 し 、 檀越
富
樫
氏 を 正 理 に 返 さ ん と す る 一 部 過激
な 分 子 が 存 し て い た の で あ ろ う 。 こ の点
で 注 目 す べ き は 大乗
寺
に 所 蔵 さ れ る 『 大乗
寺 過 去 帳 』 ヒ 巻 に よ れ ば、 元 徳 元 己 巳 年、 家 尚 英 俊 大 居 士、 四 月 卜 六 日 。 冨 樫 先 祖、 当 寺 一 . 二 八 開 基 。 と 記 さ れ て お り 、 運 良 を 高 く 評価
し て大
乗
寺
を 一手
に 任 せ て い た と 見 ら れ る開
基 檀 越 の 富樫
家尚
が 元徳
元年
( 実 際 に は 嘉 暦 四 年、 一 三 二 九 ) 四 月 一 六 日 に 逝 去 し た事
実
を伝
え て い る こ と で あ ろ う 。家
尚
の 世 寿 な ど は伝
え ら れ て い な い が 、 大 乗 寺開
山 の義
介 と の関
わ り な ど か ら す る と 、 す で に か な り の 高 齢 で あ り、 元 徳 元年
の 時 点 で は 家 尚 は 少 な く と も 九 〇歳
前
後 に達
ら ソ し て い た 計算
に な ろ う 。寂
庵 道光
は 「 通 幻 和 尚 人 事 」 に関
す る考
証 に お い て、 運良
が 正 和 五年
( = 二 一 六 ) よ り = 二年
間
に わ た っ て 大乗
寺
に 住 持 し て い た が 、嘉
暦 三年
( 一 三 二 八) に事
に 因 り て 退院
す る こ と に な っ た と し、 そ の た め に 大乗
寺
で は 住持
を欠
い た 状 態 が 数 年 に 渡 っ て続
い た こ と を 伝 え て い る 。 嘉暦
三年
と い う の が史
実 と す る と 、時
あ た か も 瑩 山紹
瑾 が 示寂
し て 四年
後
の こ と で あ り 、 富樫
家
尚 が 逝 去 す る 前年
に当
た っ て い る 。家
尚 の 晩年
そ の 影響
力
が 低 下 し た 頃 に 、 そ れ ま で 正 面 切 っ て 異 議 を 述 べ ら れ な か っ た 一部
の 過 激 な 曹 洞禅
者
ら が 、 運良
に対
す る 鬱 憤 を し だ い に 表 面化
し て い っ た と い う の が 実情
で は な か ろ う か 。 運良
は 元 来 も の に 拘 泥 し な い性
格
で あ っ た た め か、 大乗
寺 に留
ま る こ と に も 去 る こ と に も執
着
し な か っ た も の ら し く、 た ち ま ち 彼 ら の鉢
多羅
( 応 量 器 ) を 踏 み倒
し、 あ た か も靴
を 脱 ぎ捨
て る が ご と く 飄 々 と し て 大 乗 寺 を 勇退
し て い っ た とさ れ て い る 。 運
良
が 大乗
寺
を 勇 退 し た の が嘉
暦 三年
と い う こ と に な る と、 素 哲 が 新 た に 入 院 す る ま で 約 一〇
年
間 に も わ た っ て 大乗
寺 は 住 持 を 欠 い た 変 則 的 な か た ち で 不和
合 の ま ま 荒 廃 し て い っ た こ と に な ろ う 。 こ う し た 事 態 を踏
ま え て 、 運良
が退
席
し た 大乗
寺
に そ の 後 席 を継
ぐ か た ち で永
光寺
僧 団 よ り 進住
し た の が素
哲 で あ っ た わ け で あ る が 、 先 の 事 情 か ら す る と 、 反 面 で直
ち に 素 哲 を 住 持 に 拝 請 す る だ け の勢
力 も 大 乗寺
内
に存
し な か っ た こ と に な り 、素
哲
が 入 院 す る ま で に は か な り の紆
余 曲折
を 経 た も の と推
測 さ れ る 。 『 大 乗 寺護
法
明 鑑 』第
二 「 明 鑑 伝舌
」 に お い て も、 次 キ ニ 瑩 山 和 尚 、 後 席 ヲ 董 シ 玉 ヒ ニ 代 ト 称 シ 、 亦 タ 瑩 祖 退 休 ノ 後、 済 下 法 燈 派 ノ 運 良 和 尚 歴 任 セ リ 。 運 和 尚、 因 レ 事 退 院 二 及 ベ リ 。 次 二 富 樫 殿、 更 二 明 峯 和 尚 ヲ 招 請 シ テ一 、 一 代 ト 称 セ リ 。 と 記 さ れ て お り 、 運良
が事
情
に よ っ て 退院
に 及 ん だ 後 、 素哲
が富
樫 氏 す な わ ち富
樫 家善
の招
請 で 大乗
寺
に 入 院 し た こ と を 伝 え て い る 。 因 事 退 院 と い う の が 具 体 的 に如
何
な る 事 柄 に よ ハ ね る も の で あ っ た の か は 定 か で な い が 、 い わ ば 素哲
は 臨 済禅
者
の 運良
が 去 っ た 大乗
寺 を開
山義
介 の素
意 に復
し 、曹
洞 の 法 幢 を再
び掲
げ る べ き 大役
を も っ て こ れ に 臨 ん で い る こ と に な ド ア し ろ う 。 同 じ く 『 大乗
寺 護法
明 鑑 』 第 三 「明
鑑
公論
」 に は 、 次 二 庫 堂 ノ 護 法 神 ハ 元 来 ハ 韋 駄 天 ナ リ、 運 良 和 尚 退 院 ノ 時 二 爾 力 護 法 不 レ 宜 ユ ヘ ニ 、 合 山 衆 和 合 セ ス ト テ、 三 門 外 ノ 蓮 池 二 明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 国 ( 佐 藤 ) 放 テ キ シ 去 レ リ ト 。 其 後、 明 峯 和 尚 進 山 ノ 時 二 、 多 聞 天 出 現 シ 玉 へ 、 護 法 ノ 誓 約 ア リ ト ナ リ 。 其 時 ノ 韋 駄 天 ハ 今 浄 住 寺 庫 院 二 現 在 シ 玉 へ 、 霊 験 新 ナ リ 。 と い う伝
承 す ら残
さ れ て い る 。 こ の 伝 承 が ど こ ま で史
実
を 伝 え て い る か は 定 か で な い が、 大 乗 寺 の庫
堂 す な わ ち庫
院
に 護 法神
と し て ま つ ら れ て い た韋
駄 天 像 は 、 運良
が 退院
し た と き に 一 山 の 大 衆 の 不和
合
に よ っ て 三 門 外 の蓮
池 に捨
て 置 か れ て い た と さ れ て い る 。 そ の後
、 素 哲 が 大乗
寺 に 進山
し た と き に 四 天 王 の 一 で あ る多
聞
天 す な わ ち 毘 沙門
天 が出
現 し、 伽 藍 を 護 法 す る こ と を誓
約
し た と 記 さ れ て い る 。 こ の た め 大乗
寺 の ロ庫
院 に は韋
駄
天 像 で は な く多
聞
天 像 が ま つ ら れ る よ う に な り、 従 来 の 韋駄
天像
は大
乗
寺 か ら 法 苑 山 浄住
寺
へ と移
さ れ て 庫 院 に ま つ ら れ る よ う に な っ た と 伝 え て い る 。 こ の記
載
か ら す る と、 運良
が 退 院 し て か ら素
哲
が 入 院 す る ま で に か な り の年
時 の 開 き が存
し た こ と に な り、 そ の 間 に堂
宇
や尊
像
が 蔑 ろ に 扱 わ れ て い た消
息
を 伝 承 し た 逸話
で あ ろ う 。 素 哲 が 大乗
寺
に 入院
し た 時期
を 「 光 禅 開 山 老和
尚
行
業
記 」 と 『 洞 上 聯 燈 録 』 で は 北朝
の 暦 応年
間
の初
め の こ と と し、 『 大乗
聯 芳 志 』 や先
の 「 通 幻和
尚
人事
考
」 に よ れ ば 、南
朝
の 延 元 二 年 の こ と と 記 し て い る 。同
じ道
光 が 記 し た 「光
禅
開
山
老 和 尚行
業
記 」 と 「 通 幻和
尚
人
事
考
」 で 年時
が 相 違 し て い る の は 不自
然
で あ る が 、 素哲
が大
乗
寺
に 入 院 し た時
期 と し て は 北朝
二 二 九明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 日 ( 佐 藤 ) の 建
武
四年
( 南 朝 の 延. 兀 二 年) か そ の 翌年
の暦
応
元 年 ( 延 元一 二 年 ) で あ っ た と 見 て よ い で あ ろ う 。 と こ ろ で 、 江 戸 期 に著
さ れ た 『 大乗
聯
芳
志 』 で は 大乗
寺
に お け る初
期 の 歴 代 住 持 に つ い て、 開 山 徹 通 義 价 和 尚・ 二 代 瑩 山 紹 瑾 和 尚 ・ 三 代 明峰
素 哲 和 尚 ・ 前 住 恭 翁 運 良 和 尚 ・ 前 住 無 漏 素 崇 和 尚 ・ 前 住 松 岸 旨 淵 和 尚 ・ 前 住 〈 四 世 〉 珠 岩 道 珍 和 尚 ・ 前 住 祖 舜 和 尚 ・ 前 住 敬 翁 祖 欽 和 尚 ・ 前 住 く 五 世 V 徹 山 旨 廓 和 尚 。 と記
し て い る か ら、 世代
と し て は 開 山義
介
に つ い で、 第 二 世 の紹
瑾 と第
三 世 の 素 哲 と 第 四世
の 珠 巌道
珍
と第
五 世 の 徹 山 旨廓
が 正 式 の 歴 住 と し て 扱 わ れ 、 そ の ほ か の 運良
や 無 漏 素 崇 ・松
岸 旨淵
・ 瑞 照 祖舜
・ 敬 翁祖
欽 ら は 単 に前
住位
と し て し か 扱 わ れ て い な い こ と が 知 ら れ る 。 し か し 、 実 際 に は 初 期 の 大 乗寺
の 世代
が か な り複
雑 に 変 遷 し て い る こ と は、紹
瑾 ・ 運 良 ・素
哲 の例
か ら も 十 分 に 窺 い 知 る こ と が で き る わ け で あ り 、 素哲
の 示 寂後
に お い て も 素 崇 ・ 旨淵
・ 道 珍 ・ 祖舜
・ 祖 欽 ・ 旨廓
と 次 第 す る中
で か な り 複 雑 な 事情
が 背 景 に 存 し た も の の よ う レ リへ で あ る 。 こ の 点 、実
際 に永
光 寺 に 所 蔵 さ れ る 『 血 脈 宗 派 并 日本
小宗
派 』 に は 、 大 乗 寺 世 代 古 代 之 筋 目 之 入 数 也 。 開 山 、 徹 通 老 和 尚 。 二 代、 瑩 山 琿 和 尚 。 . . 一 代、 恭 翁 良 和 尚 。 四 二 三 〇 代、 明 峯 哲 和 尚 。 五 代、 無 漏 崇 和 尚 。 六 代、 松 岩 淵 和 尚 。 七 代 、 珠 岩 珠 和 尚 。 何 時 也 、 運 良 ・ 素 崇 ・ 旨 淵 、 此 三 人 ハ 被 し 削 也 。 と い う 記 載 が 見 ら れ 、 古 い 時代
の 大乗
寺 の 世代
に お い て は 運良
が第
三代
と し て 扱 わ れ 、 素 哲 は第
四 代 と さ れ て い た も の の よ う で あ り 、 さ ら に 第 五 代 の 素 崇 と第
六 代 の 旨 淵 を経
て 第 七代
の 道 珍 に 至 っ て い る こ と が 確 か め ら れ る 。 し か し な が ら、後
世 、 道 珍 の 系統
す な わ ち 珠 巌 派 が 主 流 と な っ て大
乗
寺
住持
を継
承 し て い っ た が た め、 い つ し か 直 系 で な い 運良
と素
崇 と旨
淵 の 三 人 は世
代
か ら削
ら れ た 事 実 が 知 ら れ、 さ ら に道
珍 の 以降
に お い て も同
様
に多
く の 歴 住 者 の名
が世
代
か ら削
除
さ れ て い っ た も の の よ う で あ る 。 一 方、 素 哲 が 去 っ た永
光
寺 に は 同 門 の 無涯
智
洪 が浄
住
寺 か ら 迎 え ら れ て 第 三世
と し て 入 院 し て お り 、 『 永光
寺
文 書 』 に よ れ ば、 北 朝 の 暦 応 二年
二 二 三 九二
二 月 = 二 日 に は北
朝
の 光厳
上 皇 ( 名 は 量 仁 、 一 三 「 三 ー = 二 六 四 、 天 皇 在 位 は = 三 二 一1
、 三 一. 】 三 ) よ り の院
宣 と 室 町 幕 府 の 足利
直
義
( 左 兵 衛 督 ) よ り の 御教
書
が 永 光寺
に下
さ れ、能
登 国 に お い て は 一 国 一 基 の 利 生 塔 ( 塔 婆 ) を 永 光 寺 に 造 立 し て勅
願 所 と す べ き こ と が定
め ら は れ て い る 。 ま た年
が明
け た暦
応
三年
正 月 一 日 に は 足 利直
義 の寄
進状
が 下 さ れ 、永
光
寺
の利
生 塔 に 仏舎
利
二粒
が 安置
さ れ て ロげ お り、 こ の内
で 一 粒 は 京 都 の東
寺 の仏
舎
利
で あ っ た と さ れ る 。そ の 後 も 永 光 寺 に は 四 門 人 と し て 峨 山 韶
碩
や 壺庵
至簡
が 入 寺 し、 つ い で 素 哲 の 法 嗣 で あ る松
岸
旨
淵 な ど 瑩 山 下 の 法 孫 ら が 入 院 し て お り 、輪
住制
度 に よ っ て 瑩 山 下全
体 を 統括
す る 中 ロ 心 的 な寺
院
と し て伽
藍 運営
が維
持 さ れ て い く こ と に な る 。 お そ ら く 素哲
は 永 光 寺 を 去 る に当
た っ て 、寺
門 の 将 来 を 鑑 み、 四 門 人 と そ の 門 流 に よ る 輪住
制
を導
入 す る た め に同
門 の 智 洪 ・ 韶 碩 ・ 至 簡 ら と 協 議 を 重 ね た も の と推
測 さ れ、 そ の 結 果 を踏
ま え て永
光 寺 住 持 の 座 を退
き 、大
乗
寺
に 入 院 開 堂 し て い る の で あ ろ う 。 大 乗 寺 に お け る 活 動 扶 桑 … 尋 常 室 中 示 衆、 極 其 剴 切、 聞 者 皆 信 入 。 俄 見 、 人 形 甚 都 雅 訥 若 土 者 状( 致 ♂ 敬 畢 乃 言 、 弟 子 是 白 山 之 神 、 乞 レ 受 二 仏 戒 の 哲 授 畢 。 神 問 日、 師 有 レ 所 レ 須 否 。 哲 日、 我 此 山 夷 曠、 林 木 繁 茂、 良 偃 所 懐、 但 所 − 闕 者 水、 運 し 之 甚 労 、 神 能 致 レ 之 乎 。 神 応 諾 而 去 。 翌 日 寺 南 成 一 池 、 泓 澄 甘 美、 雖 亢 旱 不 レ 竭、 至 レ 今 過 者 指 為 白 山 神 水 云 。 延 宝 本 朝 諸 祖 聯 燈 源 流 大 乗 光 禅 … 康 永 乙 酉 五 月 二 凵、 自 従 能 州 永 禅 寺 而 告 月 庵 風 疾 来 。 師 命 光 侍 者、 以 贈 法 衣、 亦 和 自 家 受 衣 偈・ 而 付 し 之 云 、 迦 葉 昔 年 頂 戴 後 、 師 資 面 授 付 伝 来、 永 禅 今 口 相 承 処 、 歴 劫 度 門 直 下 開 。 同 年 九 月 廿 九 日、 自 越 中 興 化 寺 運 良 禅 師 所 持 去 之 一 夜 碧 巌 並 椶 櫚 払 子、 共 是 洞 家 重 宝 、 事 不 容 易 → 宜一・ 奉 送 大 乗 寺一 者 也 、 云 々 。 同 十 月 十 八 目 、 師 復 書 於 興 化 寺・ 云、 一 夜 碧 岩 並 椶 櫚 払 子、 以一 無 尽 侍 者、 恭 令 一 帰 入噌 尊 重 百 拝 頂 戴 奉 持、 仍 自 他 道 徳 周 蒙 於 四 衆 ハ 彼 此 家 風 高 扇 一一 於 五 湖 一 之 事 、 偏 可 レ 依 此 一 段・ 者 也、 云 々 。 貞 和 二 年 丙 戌 夏、 本 州 冨 樫 守 護 、 寄 附 荘 田 若 干 畝、 以 資 香 積 。 洞 谷 明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 口 ( 佐 藤 ) つ ぎ に素
哲
が 大乗
寺
に お い て な し た 活 動 の 消 息 に つ い て 、 お お よ そ年
時
の 順次
に 沿 う か た ち で 考 証 を な し て お き た い 。 は じ め に注
目 す べ き は 、 素 哲 が 大 乗 寺 に 入 院 し た の と ほ ぼ 同 時 期 の暦
応
年間
に遠
く奥
州 ( 東 北 地 方 ) に 東 遊 し た と す る 史 料 が 存 し て い る こ と で あ ろ う 。 こ れ は 大乗
寺
の慈
麟 玄 趾 二 六 九 〇 ー 一 七 六 四 ) が 延享
元年
( 一 七 四 四 )仲
夏 に 撰 し た 『 洞 雲 寺碑
文 』 に 記 さ れ る と こ ろ で あ り 、 そ れ に よ れ ば 、 大 乗 寺 の 素 哲 が暦
応
年
間 に東
奥
の宮
城 郡 国 分 七 北 田村
( い ま 仙 台 市 泉 区 七 北 田 ) に到
り、 か つ て慶
雲
年
間 ( 七 〇 四 ー 七 〇 八 ) に 定 慧 が 建 立 し た と さ れ る蓮
葉 山 円 通 寺 を 再 興 し て龍
門
山
洞 雲 寺 と 号 し サ た こ と を 伝 え て い る 。 た だ し、 こ の時
期
に素
哲
が東
遊 し た 消 一 ゴ ニ 一明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 口 ( 佐 藤 )
息
は他
の 一 切 の伝
記史
料
が 何 ら も伝
え て お ら ず 、実
際 に素
哲
が 遥 か奥
州 に ま で 足 を 延 ば し た か 否 か に は 疑問
も多
い 。 つ い で 大乗
寺 住 持期
に お け る 素哲
の消
息
を伝
え る も の と し て 注 目 す べ き 記 事 が 、 道 元 の伝
記史
料
と し て名
高
い古
写 本 「 建撕
記 』 に 見 い 出 せ る 。 す な わ ち 、 明州
本
『建
撕
記 』 に は 、 越前
志 比荘
の 吉祥
山 永 平寺
に お け る 火災
の 記事
と し て 永 平 寺 炎 上、 暦 応 三 庚 辰 年 三 月 十 】 日 也 。 開 山 入 滅 已 後 八 十 八 年 也。 中 興 義 雲 入 滅 已 後 八 年 也 。 元 弘 三 年 十 月 十 二 日 也 。 永 平 第 六 世 曇 希 和 尚 之 住 院 也 。 炎 上 ハ 、 越 国 一 乱 二 寺 中 へ 雑 物 ヲ 有 縁 ノ 輩 預 置 ク ト 盗 賊 ト モ 聞 キ、 乱 入 テ 仏 殿 之 天 井 二 火 ヲ ト ボ シ テ 登 リ 見、 其 時、 火 落 留 テ 焼 失 ス 。 則 六 世 ノ 御 代 二 再 興 在 リ 。 暦 応 三 庚 辰 年 卜 二 月 十 九 日 二 僧 堂 上 棟 造 立 。 観 応 二 年 七 月 十 八 日 二 衆 寮 立 。 文 和 二 年 三 月 二 口、 開 山 塔 頭・ 卵 塔 造 立 始 マ ル、 同 八 月 十 九 口 上 棟 。 文 和 三 年 正 月 十 六 日、 法 堂 造 作 始、 同 年 四 月 廿 三 日 開 堂 。 延 文 四 年 四 月 廿 三 日、 仏 殿 事 始 、 同 年 八 月 廿 九 日E
棟 。 開 山 御 影 失 却 ス 。 賀 州 大 乗 寺 二 御 長 爪 ノ 長 サ マ デ 移 タ ル 御 影 在 リ 。 自 本 寺 所 望 在 ト テ 、 大 乗 寺 之 住 持 ・ 衆 僧、 相 共 二 威 儀 ヲ 具 シ テ、 鉞 皷 ヲ 鳴 シ、 種 々 二 荘 厳 花 香 ヲ 備 へ 、 大 乗 寺 檀 那 富 樫 ノ 一 族、 相 共 二 永 平 寺 マ テ 御 伴 申 。 暦 応 三 年 三 月 叶 六 ロ ニ 永 平 寺 二 奉レ 移、 則 安 座 ス 。 大 乗 寺 住 持 ・ 衆 僧 ・ 檀 那富
樫 、 開 山 暇 乞 シ テ 帰 宅 在 リ 。 ナ ゴ リ ヲ シ ミ、 死 人 別 離 ノ 如 ク 落 涙 袖 ヲ シ ボ ル ト 。 此 寵 辱 よ り、 一 夜 碧 巌 ヲ 大 乗 寺 へ 出、 六 世 和 尚 之 自 筆 二 状 ソ ヱ 、 今 大 乗 寺 在 リ 。 と い う記
載
が 存 し て い る 。 同 じ く 瑞 長本
『 建 撕 記 』 に も 、 二 三 二 永 平 第 六 世 曇 希 和 尚 御 住 之 中、 暦 応 三 年 三 月 十 一 目 二 永 平 寺 炎 上 。 越 前 一 国 ノ 乱 入 二 依 テ 也 。 他 ノ 所 ヨ リ 預 ケ 物 多 シ 、 是 ヲ 取 ラ ン ト テ 盗 賊 ト モ 乱 入 シ 、 仏 殿 之 天 井 二 登 テ 挑 し 火 テ サ カ シ 見 ル 時 、 其 ノ 残 火 ニ テ 焼 失 ス ト 云 々 。 此 炎 上 ワ、 開 山 御 入 滅 之 後 八 十 八 年 、 中 興 遷 化 八 年 メ 也 。 亦 開 闢 檀 那 円 寂 之 後 チ 八 卜 二 年 目 也 。 開 山 ノ 御 影、 其 時 焼 失 シ 給 。 御 在 世 ノ 時、 御 長 形 相 ノ 寸 尺、 御 爪 マ テ 奉 写 造・ タ ル 生 身 之 御 影 ハ 、 今 マ 加 賀 ノ 州 大 乗 寺 二 御 在 ス 。 是 ノ 尊 像 ヲ 永 平 寺 ヨ リ 所 望 申 サ レ ケ レ ハ 、 最 卜 応 シ、 即 チ 大 乗 寺 住 持・ 一 山 之 衆、 何 モ 威 儀 ヲ 具 シ、 鐃 鉞 鼓 ヲ 推 鳴 シ、 種 々 ノ 荘 厳 花 香・ 燈 明 ヲ 備 テ、 奉 し 送 レ 之 。 大 乗 寺 檀 那 富 樫、 同 ク 一 族、 相 イ 共 二 皆 々、 永 平 寺 迄 奉 御 伴 シ 。 三 月 廿 六 日 二 吉 祥 山 ヱ 人 御 ア リ、 軈 テ 奉 安 座 一 也 。 大 乗 ノ 住 持・ 衆 僧 、 同 ク 富 樫 之 一 族 達、 開 山 和 尚 二 御 暇 乞 申 シ 、 帰 路 ノ 時、 御 影 二 名 残 ヲ 惜 ミ 奉 リ、 皆 々 落 涙 シ テ、 誠 二 死 タ ル 人 二 別 ル ル カ 如 ク、 両 袖 ヲ シ ヲ リ テ 帰 ヱ ラ レ ケ ル ト 記・ 置 之 也 。 此 尊 像 ノ 寵 辱 ク ニ 、 一 夜 ノ 碧 岩 ヲ 大 乗 寺 へ 下 シ 給 。 六 世 和 尚 下 状 、 至 レ 今 迄 、 大 乗 精 舎 二 有 レ 之 。 永 平 寺 再 興 之 事、 住 持 六 世 曇 希 和 尚 御 時 也 。 暦 応 三 年 庚 辰 十 二 月 十 九 日、 僧 堂 造 立 上 棟 。 観 応 二 年 七 月 十 八 日、 衆 寮 造 立 。 文 和 二 年 三 月一 . 日 、 開 山 塔 卵 塔 造 立 始 メ、 同 卜 九 口 卜 棟 。 文 和 三 年 正 月 十 六 日、 法 堂 造 作 始 メ、 同 四 月 廿 三 日 開 堂 ス 。 延 文 四 年 四 月 廿 三 口 、 仏 殿 造 作 始 メ 、 同 八 月 廿 九 日 上 棟。 と い う 記 載 が伝
え ら れ て い る 。 こ れ ら 古 写本
『 建 撕記
』 の記
述
に よ れ ば、 暦 応 三年
( 一 三 四 〇 ) 三 月=
日 に 永 平 寺 は 盗 賊 の 乱 入 に よ っ て 仏 殿 の 天井
よ り 出 火 し 、 伽 藍 が 焼失
し た と 記さ れ て い る 。 と き あ た か も
永
平寺
中
興 と 称 え ら れ た寂
円派
の義
雲 ( 一 二 五 三 − 一 三 三 三 ) が 示寂
し て わ ず か 八 年 後 の こ と で あ り、義
雲 の高
弟 と し て後
席
を継
承 し た 曇希
(P
ー = 二 五 〇 ) が充
実 し た 接 化 を な し つ つ あ っ た 矢先
の で き ご と で あ る 。 か つ て義
雲
は 三 代 相論
な ど で荒
廃
し た永
平 寺伽
藍 を復
興 し て中
興第
五世
と 称 え ら れ て い た わ け で あ る が、義
雲 に よ っ て 堂 宇 を 一新
し た は ず の 永 平 寺 は再
び 火 災 に よ っ て 灰 燼 と帰
し て い る こ と に な ろ う 。 こ の 大惨
事
に あ っ て 曇 希 は 早 々 に僧
堂 の 復 興 再建
に 尽 力 し た も の の よ う で 、 古 写本
『 建撕
記 』 に は そ の い ち 早 い 対 応 が 記 さ れ て い る が 、諸
堂宇
の 造 立 が ほ ぼ 完成
す あ る の は 曇希
の 示 寂 し て後
の こ と で あ る 。 そ う し た 中 で い ま 注 目 す べ き は 大乗
寺 と の関
わ り であ
っ て 、 こ の と き の 炎 上 に よ っ て永
平 寺開
山
道 元 の 御 影 真像
( 木 造 頂 相) も焼
失
し て し ま っ た た め 、 曇希
は 大乗
寺
に 所 蔵 さ れ て い た 道 元 の 木 像 を 永 平 寺 に寄
贈
し て ほ し い旨
を 打 診 し て き た の で あ る 。 と き に 大 乗 寺 住持
を 勤 め て い た の は 時 期 的 に見
て素
哲
に 相違
な く 、 素 哲 は 大乗
寺
一 山 の 大 衆 と と も に こ れ を承
諾 し、 威 儀 を 具 し て 鼓 鉢 を鳴
ら し 、種
々 の荘
厳 や香
花
・ 灯明
を備
え て 道 元 の木
像
を 永 平寺
に 贈 呈 し て い る 。 し か も 大乗
寺
で は 住 持 の 素 哲 と 衆 僧 お よ び檀
越
で あ る 富樫
家
善 お よ び そ の → 族 ら が と も に永
平 寺 ま で御
伴
し て お り、伽
藍
焼 失 か ら半
月
を経
た 三 月 二 六 日 に 永 平 寺 に到
着
し 、 木 像 を安
座 し終
え た と さ 明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 日 ( 佐 藤 ) れ る 。 こ の と き素
哲 ら 一 行 は開
山
道
元 の 霊前
に 暇乞
い を し、 奉 納 し た木
像
に名
残 り を 惜 し み つ つ 、 と も に落
涙
し て永
平寺
を 後 に し た こ と が 記 さ れ て い る 。 た だ し 、古
写
本
『 建 撕 記 』 に よ れ ば、 こ の と き奉
安
し た 道 元 の尊
像
の代
わ り に 永 平 寺 か ら 『 一夜
碧
巌
』 が曇
希
自
筆
の ド 状 と と も に大
乗
寺
に 下 さ れ、 そ の後
、 大乗
寺
に寺
宝 と し て 残 さ れ た と記
さ れ て い る の は、 か な り問
題 の 記載
で あ ろ う 。 な ぜ な ら、 『 一 夜 碧 巌 』 は す で に そ れ 以前
か ら 大乗
寺
の 瑩 山紹
堙 の 下 に あ り、 こ れ を紹
瑾 は さ ら に後
席
を継
い だ恭
翁 運良
に 付 与 し て い る事
実
が 伝 え ら れ て い る か ら で あ る 。 そ の 背 景 に は す で に 触 れ た 「 安楽
山産
福
禅 寺 年代
記 』 に い う永
仁 五年
( 一 二 九 七 ) 三 月 二 四 日 に 起 こ っ た 永 平 寺 回禄
と の 問 で の記
事 の 混 乱 が 存 し て い る も の と 見 ら れ 、永
平寺
が義
演 か ら義
雲 ・ 曇 希 と 継 承 さ れ る 中 で 火 災 と 復 興 を繰
り 返 し た事
情
に は 、道
元 真像
と 『 一 夜碧
巌 』 の交
換 問 題 な ど 大乗
寺 僧 団 と の関
わ り を 含 め、 改 め て 考 証 の 要 を 感 ず る と こ ろ で あ る 。 と も あ れ 、 こ う し た 大 乗 寺 の 素 哲 や富
樫
氏 ら と 永 平 寺 と の関
わ り が永
平
寺 側 の 史料
に 伝 え ら れ て い る の は、 南 北朝
期 に お け る永
平寺
の 寂円
派 と 大 乗 寺 の 瑩山
派
と く に 明 峰 派 と の 交渉
を 知 る 上 で 貴 重 な 事 跡 で あ り 、本
寺永
平 寺 の 炎 上 に 対 し て素
哲
が逸
早 い 援 助対
応 を な し た 消息
を物
語 ろ う 。 と こ ろ で 、 こ の時
期
に素
哲
が な し た学
人接
化
の 一端
を 伝 え . ご幽 三明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 日 ( 佐 藤 ) る 好
史
料
が 「 曹 洞 宗 古 文 書 』 下巻
, 正法
寺
文書
」 叙 歴 」 と し て 伝 え ら れ て い る 。 そ の 全文
と は、 に 「 良 韶自
し た 経 緯 を、 良 韶 廿 二 歳 出 家 捨 し 宅、 自 発 心 以
来
十 一 箇 年、 見 明 峯 ・ 峨 山 両 師、 朝 参 暮 請 、 不 レ 捨 寸 陰 ℃ 始 投 人 大 乗 寺、 予 問 云、 初 心 学 徒 、 作 麼 生 行 履 去 。 明 峯 和 尚 垂 慈 悲 日、 古 徳 有 → 則 公 按( 汝 善 見 得 。 香 厳有
時 云 挙 樹 ヒ 話 因 縁 与 某 甲 。 某 甲 功 夫 去 、 都 不 し 得 レ 旨 。 次 歳 三 月 . 目 五 夜、 至 坐 禅 有 所 得 4 参 方 丈 一 云、 某 甲 有 一 句 。 師 云、 作 麼 生 会 。 某 甲 挙 所 解 一 偏 。 師 云 、 汝 正 得、 古 徳 庭 前 柏 ・ 麻 三 斤 ・ 万 里 「 条 鉄・ 須 弥 山、 皆 以 此 眼 也、 汝 善 護 持 。 畢 九 拝 。 予 九 拝 去、 雖 レ 然 於 レ 道 未 休 参 っ 峨 山 和 尚 正 血 脈 相 継 成 上 足 。 歳 汁 九、 七 月 十 日 半 夜 伝 「 宗 。 其 後 有 四 年 ( 歳 貞 和 貳 年 充 月 十 三 口、 於 洞 谷 於 土 地 堂 焼 香 、 当 上 下 寮 板 響、 忽 然 大 悟、 正 観 音 菩 薩 得 所 → 般 。 香 厳 ] 撃 亡 所 知 冖 話、 始 識 得 不 レ 疑 。 次 同 十 七 日 、 当 油 売 時、 不 レ 居 明 暗 道 理 畢 竟 了 。 と い う も の で あ り、 峨 山 下 の無
底
良
韶 ( 一 三 一 三1
= 二 六 こ の 自 歴 文書
に ほ か な ら な い 。 こ の文
書 は現
在 も良
韶 の自
筆
文書
の 一 つ と し て 彼 が 開 創 し た 奥州
伊 沢郡
黒 石 郷 す な わ ち 現 今 の 岩 手県
水 沢市
黒 石 の 大 梅 拈華
山
円 通 正法
禅寺
( 単 に 正 法 寺 ) に 所 蔵 さ れ て い る 。 こ の 間 の消
息
を 同 じ く 伝 え る も の と し て 花 園 大学
禅
文 化 研 究 所 に 所蔵
さ れ る 『諸
師
行録
』 二 に は 「 大梅
拈 華 山円
通 正 法寺
開 山 無底
良
韶
和
尚 行業
記 」 〔 以 下、 単 に 「 無 底 良 韶 和 尚 わ 業 記 」 ) が 存 し て お り 、 そ こ に も 良 韶 が 素 哲 に 参 学 二 三 四 師 諱 良 韶、 字 無 底 。 姓 藤、 正 和 二 癸 丑 歳 正 月 七 目 、 産 能 州 酒 井 保 藤 広 概 之 家 っ ( 中 略 ) 建 武 元 年 甲 戌 歳 〈 師 歳 二 十 二 〉 、 入 総 持 於 峩 山 室 、 梯 度 得 菩 薩 戒 灼 尋 常 純. 、 辨 道 工 夫 。 暦 応 元 年 戊 寅 歳、 始 依 明 峯 素 哲 和 尚 於 大 乗 、 便 問、 初 心 学 徒、 作 麼 生 行 履 去 。 峯 云、 有古
徳 一 則 公 案 、 汝 能 見 得 。 乃 挙 香 厳 上 樹 之 因 縁 、 師 工 夫 都 不 レ 得 其 的 。 十 二 時 中 提 撕 去、 忘 飲 食。 翌 年 二 月 一 日、 当 五 更 定中
有 レ 省、 直 卜 方 丈・ 云 、 某 甲 有 一 句 。 峯 云 、 汝 作 麼 生 会 。 師 乃 挙 所 解 っ 峯 笑 云、 汝 今 既 得、 庭 栢 ・ 麻 三 斤・ 万 里 一 条 鉄 ・ 須 弥 山、皆
以 此 箇 眼H
・ 也 、 汝 善 護 持 着 。 師 九 拝 去 。 雖 レ 然 於 レ 道 未 レ 休 。 暦 応 四 辛 巳 年 七 月 十 日 、 参 峩 山 於 総 持、 匡 洞 卜 源 脈、 嗣 道 元 六 世 正 統、 作 上 足 。 ぼ と 記 し て お り 、 い ま少
し詳
し い 事 情 を 知 る こ と が で き る 。 こ の 史 料 は 末 尾 に 「 康暦
二 己未
歳 六 月十
四 日 、 永 徳 寺開
山
法弟
道
叟道
愛
謹 記 」 と あ る か ら、 北朝
の康
暦 二年
( 南 朝 の 大 授 六 年 、 → 三 八 〇 ) か そ の前
年 の 己未
の 歳 す な わ ち康
暦
元年
の 六 月 一 四 日 に良
韶 の 法 弟 に 当 た る 同 じ 峨 山下
の 道叟
道愛
(P1
= 二 七 九 V に よ っ て撰
せ ら れ た も の で あ る こ と が 知 ら れ、 内 容 的 に も貴
重 な 記 事 を 伝 え て い る 。 『 洞 上聯
燈 録 』巻
二 「奥
州報
恩山
永
徳寺
道
叟道
愛 禅 師 」 冒 の章
に よ れ ば、道
愛 は康
暦 元 年 九 月 一 三 日 に 示 寂 し た こ と が 知 ら れ る か ら、 こ の伝
記 史料
は 道 愛 が最
晩年
を 迎 え て 康 暦 元年
六 月 に 法 兄 の良
韶 の た め に そ の 足跡
う い を ま と め た も の と い う こ と に な ろ う か 。こ の 「 良
韶
自
叙
歴 」 と 「 無底
良 韶和
尚
行
業
記 」 に よ れ ば 、 ハ良
韶 は能
登 酒井
保 の 人 で、 は じ め 建武
元 年 ( 一 三 三 四 ) に 二 二歳
で 総持
寺 の 峨 山 韶 碩 に つ い て 出 家 し て お り 、 発 心 し て よ り 一 一年
間
に 素 哲 と 韶 碩 の 二禅
者
に参
学
し た こ と が 記 さ れ て い る 。 良 韶 が は じ め て 大乗
寺 の 素 哲 に 参学
し た の は暦
応
元年
( 一 三 三 八 ) の こ と と さ れ る か ら 、 お そ ら く良
韶 は 素 哲 が新
た に 大乗
寺
に住
持 し た こ と を 知 っ て そ の席
下 に 投 じ て い る も の と 見 ら れ る 。 「 良韶
自 叙 歴 」 に よ れ ば、良
韶
が は じ め て 素哲
に 参 問 し た 際 の 問 答 と し て、 予、 問 う て 云 く、 「 初 心 の 学 徒、 作 麼 生 か 行 履 し 去 ら ん 」 と 。 明 峰 和 尚、 慈 悲 を 垂 れ て 曰 く 、 「 古 徳 に 一 則 の 公 按 有 り、 汝、 善 く 見 得 せ よ 」 と 。 と い う 商 量 が 伝 え ら れ て お り、 「無
底良
韶
和 尚 行業
記
」 で も 同様
に 記 さ れ て い る 。 良 韶 は 初 心 の 学 徒 と し て ど の よ う に修
行実
践 し て 行 く べ き か を素
哲 に 尋 ね て い る 。 こ れ に 対 し て、 素哲
は 慈 愛 を 込 め て 「 古 徳 に 一 則 の 公 案 が あ る か ら、 よ く 見 究 め て み よ 」 と 良 韶 に 一則
の 古 則 公 案 を 参究
さ せ て い る こ と が 知 ら れ る 。 こ の と き 素哲
が 良 韶 に 課 題 と し て与
え た の は 「 香 厳 上 樹 話 」 と い う 古則
で あ っ た と さ れ る が 、 こ れ は 唐代
に 活 躍 し た 瀉 山 下 の 香 厳 智閑
( 襲 燈 禅 師、Pl
八 九 八 ) が 示 し た 公 案 で あ り、 樹 に 上 っ て 口 に枝
を咬
み 、手
も足
も 用 い ら れ な い と き 、樹
下 に 人 が あ っ て祖
師
西来
意
を 問 わ れ た な ら ば ど う 対 処 明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 ω ( 佐 藤 ) す る か を 迫 る も の で あ る 。 良 韶 は 真 摯 に 「香
厳
上樹
話
」 を 工夫
参究
し た も の ら し い が、 容易
に 旨 を 得 る こ と が で き な か っ た と さ れ、 「 無 底良
韶 和 尚 行 業 記 」 に よ れ ば 、良
韶
の 工 夫 は す べ て的
を 得 ず、 た め に 良 韶 はト
ニ時
中
に飲
食
を忘
れ て辧
道
に努
め た も の ら し い 。 と こ ろ が 、 参学
し て 一年
ほ ど を 経 た暦
応
二年
( = 二一 二 九 ) 三 月 一 日 の 五 夜 ( 五 更 ) す な わ ち 暁 天 坐禅
の 最 中 に 所 得 が あ り、良
韶 は 坐 禅 の終
わ っ た直
後
に 方 丈 に 上 り 、素
哲 と の 問 で つ ぎ の ご と き 商 量 を な し た と さ れ る 。 良 韶 は自
ら 「良
韶自
叙
歴 」 に お い て 、 次 歳 の 三 月 一 日 の 五 夜、 坐 禅 に 至 り て 所 得 有 り、 方 丈 に 参 じ て 云 く、 「 某 甲 に 一 句 有 り 」 と 。 師 云 く 、 「 作 麼 生 か 会 す 」 と 。 某 甲、 解 す る 所 の 一 偏 を 挙 す 。 師 云 く、 「 汝、 正 に 得 た り 、 古 徳 の 庭 前 柏・ 麻 三 斤 ・ 万 里 一 条 鉄 ・ 須 弥 山 、 皆 な 此 の 眼 を 以 て す る な り、 汝、 善 く 護 持 せ よ 」 と 。 畢 り て 九 拝 す 。 と 記 し て お り 、 こ の点
は 「無
底
良 韶 和 尚 行業
記 」 で も 、 翌 年 三 月 一 日、 五 更 の 定 中 に 当 た っ て 省 有 り、 直 ち に 方 丈 に 上 り て 云 く、 「 某 甲 に 一 句 有 り 」 と 。 峯 云 く、 「 汝 、作
麼 生 か 会 す 」 と 。 師 、 乃 ち 所 解 を 挙 す 。 峯、 笑 い て 云 く、 「 汝 、 今 ま 既 に 得 た り、 庭 栢 ・ 麻 三 斤 ・ 万 里 一 条 鉄 ・ 須 弥 山 は 皆 な 此 箇 の 眼 目 を 以 て す る な り 、 汝、 善 く 護 持 せ よ 」 と 。 師 、 九 拝 し て 去 る 。 と伝
え ら れ て い る 。 こ れ ら に よ れ ば 、悟
道 し た直
後
に師
の も と を尋
ね て自
己 の 見解
を 述 べ 、師
の点
検 を 受 け る こ と が曹
洞
宗
に お い て も な さ れ て い た こ と が知
ら れ、 良 韶 も ま た 素哲
の 二 三 五明 峰 素 哲 の 生 涯 と そ の 功 績 口 ( 佐 藤 ) 方 丈 に 上 っ て