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密教文化 Vol. 1998 No. 199-200 012原田 和宗「言語に対する行使意欲としての思弁 (尋) と熟慮 (伺)――経量部学説の起源 (1)―― PL76-L101」

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(1)

言 語 に対 す る行 使 意 欲 と して の

思 弁(尋)と

熟 慮(伺)

経量部学説 の起源(1)

原 田 和 宗

1.ヴ

ァ ス バ ン ド ゥ が 経 量 部 に 託 し た 企 図

五 世 紀 の イ ン ドの 代 表 的 知 性 の ひ と り に 仏 教 哲 学 者 ヴ ァ ス バ ン ドゥ(Va-subandhu世 親)が い る。 彼 の 初 期 の 大 著 『阿 毘 達 磨 倶 舎 論 』(ア ビダ ル マ の 庫Abhidharmak06a:abbr.AK)全 九 章 は説 一一切 有 部(Sarvastivadin)の な か で も 保 守 的 路 線 を と る カ シ ミ-ル 系 ヴ ィ バ ー シ ャ-学 徒(Ka6mira-Vaibhasika垣)の 教 義 を 体 系 化 した 学 説 綱 要 書 の 決 定 版 と し て 名 高 い 。 し か し,そ れ に 劣 らず 際 立 っ の は 、 そ う い う有 部 の 保 守 的 学 説 の 根 幹 部 を 痛 烈 に 批 判 して や ま な い 或 る 急 進 的 な 学 説 が 著 者 自身 の 賛 同 つ き で 同 書 内 に 導 入 さ れ 、 対 置 さ れ て い る と い う事 実 で あ る。 有 部 陣 営 に と っ て 、 こ の よ う な 措 置 は背 信 行 為 に ほ か な ら な い 。 こ の 背 信 行 為 は 有 部 側 の 激 し い 憤 り を 駆 り た て 、 や が て 著 さ れ た サ ン ガ バ ド ラ(Sahghabhadra衆 賢)の 『阿 毘 達 磨 順 主 理 論 』(Abhidharmanyayanusara)お よ び 作 者 不 詳 の 『ア ビ ダ ル マ 灯 論 』(Abhidharmadlpa:a6br.AD)に お い て す さ ま じ い 反 撃 を 蒙 る 。 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ は 自 身 が 導 入 し た そ の 急 進 的 学 説 に 対 し て 「経 量 部 」 (Sautrantika)と い う呼 称 を 冠 す る。 従 来 、 経 量 部 と い え ば 、 『阿 毘 達 磨 大 毘 婆 娑 論 』幽(アビ ダ ル マ 大 註 解 書 AbhidhaemnanahauibhaSa)に 初 め て 登 場 す る 讐 喩 者(Darstantika)と 同 一 か 、 も し く は 、 そ れ を 源 流 に 仰 ぐ後 代 の 学 派 と 考 え られ て き た 。 け れ ど も、 加 藤 純 章 氏 の 文 献 学 的 成 果 に よ れ ば 、 現 存 す る文 献 中 、 「経 量 部 」 と い う 学 派 名 の 初 出 は ま さ に 『倶 舎 論 』 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(2)

密 教 文 化 (1)

か らな の で あ る。 そ うで あ れ ば、 ヴ ァスバ ン ドゥこ そが 「

経 量 部 」 の 創始

者 だ った と み な さ れ て よ い の で ば なか ろ うか。

そ れ に反 して、 加 藤 純 章 氏 ば この分 野 屈 指 の名 著 『経 量 部 の研 究 』 に お

い て讐 喩 者 の流 れ を汲 む シ ュ リー ラー タ(Bhadanta-Srilata)の

ほ うが 経

量 部 の 創 唱 者 にふ さわ しい と い う魅 力 の あ る仮 説 をす で に提 出 して お られ

る。 と こ ろが、 ヴ ァスバ ン ドゥが シ ュ リー ラ ー タ に言 及 す る の ばっ ね に批

判 の 的(敵 対者)と して な ので あ り、 た いて い 「他 の 人 々 」(apare)と

讐 喩 者 」 の名 で 呼 ぶ。 決 して 「

経 量 部 の人 」 とば呼 ば な い。 経 量 部 の 祖

師 シ ュ リー ラ ー タの 名 声 に よ って 権 威 づ け し、か っ、 自身 の 姿 を穏 匿 す る

ため に、 ヴ ァスバ ン ドゥが 自 己の 個 人 的 見解 を 「経量 部 」 と称 した と す る

(2)

加 藤 氏 の 示 唆 が この事 態 を 疑 問 の 余 地 な く説 明 しえ て い る と ば ど う も思

え な い。 ヴ ァスバ ン ドゥに よ る容 赦 の な い批 判 が シ ュ リー ラ-タ の名 声 と

権 威 を す で に失 墜 させ る もの で あ った 以 上、 シ ュ リー ラー タが 創 始 した よ

うな学 派 名 の 継 承 ば 自身 の 権 威 づ け と い う意 図 に はむ しろ逆 効 果 に な りか

ね な いか らで あ る。

と ばい え、 ヴ ァ スバ ン ドゥが 名 乗 る と きの 「

経 量 部 」 と い う呼 称 に 自 己

を穏 蔽 せ ん とす る彼 の 意 志 を 加 藤氏 が読 み と り、 指摘 して<だ

さ っ た こと

ば高<評 価 し う る。 シ ュ リー ラ ー タの学 説 と はか な りの 隔 た り、 落 差 が認

め られ る点 か ら、 『

倶 舎 論 』 の経 量 部 学 説 の こと を 「ヴ ァス バ ン ド ゥの 個

(3) 人 的 見 解 」 と加 藤 氏 ば評 さ れ た。 「個 人 的 」 と 評 さ れ た そ の 見 解 の ほ と ん ど(決 して 全 部 で はな いが)ば 初 期 喩 伽 行 派(Yogacara)の 文 献 『喩 伽 師 地 論 』(ヨ-ガ 実 践 者 の諸 階 梯 yogacarabhamご:abbr.yA-Bh)お よ び 『顕 揚 聖 教 論 」 に そ の 原 型 を 有 し、 若 干 の 改 変 操 作 を 経 由 し て そ こ か ら取 り 出 さ れ (4)

た もの に ほか な らな い。 っ ま り、 ヴ ァス バ ン ドゥ ば彼 の思 想 的 背 景 た る喩

伽 行 派 の所 在 を 「

経 量 部 」 とい う架 空 の学 派 名 に よ って隠 蔽 したわ け で あ

る。 や が て彼 ば後 続 の諸 著 作 で 『

喩 伽 論 』 以 降 に な って喩 伽 行 派 の根 幹 学

説 と して完 成 され た唯 識 思 想 を徐 々 に で ば あ るが強 調 して い く。『

倶 舎 論』

に お け る経 量 部 学 説 ばそ の よ うな大 乗 の唯 識 学 説 体 系 へ の理 論 的 移 行 を容

(3)

易 な ら しめ る た め に小 乗 の ア ビダ ル マ教 義 学 とい う土 壌 に敷 設 され た足 場

も し くは跳 躍 台(spring-board)と

して の役 割 を与 え られ て い た の だ ろ う。

ヴ ァスバ ン ドゥは 『

倶 舎 論 』 執 筆 後 に喩 伽 行 派 に転 向 した の で は な く、最

(5)

初 か ら喩 伽 行 派 の学 匠 だ っ た と考 え る ほ うが 合 理 的 で あ る。

以 上 が わ た しの見 通 しで あ る。 この よ うな見 通 しの広 範 囲 に わ た る確 証

の基 礎 固 め に は、 何 よ り もまず、 『

倶 舎 論 」 の経 量 部 諸 学 説 の 個 々 を 『喩

伽 論 」 な どの 喩 伽 行 派 文 献 に遂 一跡 付 けて い く作 業 の継 続 に よ る検 証 事 例

の蓄 積 が必 要 で あ る。 本稿 で わ た しば不 定 心 所 に分 類 さ れ る尋(思 弁vitar一

(6) ka)・ 伺(熟 慮vicara)に 関 す る 経 量 部 学 説 を と り あ げ て、 上 記 の 作 業 を 試 み た い。 II. 思 弁 ・熟 慮 に 関 す る 有 部 の 定 義 と 擁 護 よ く知 ら れ て い る よ う に、 詩 頒 作 品 『倶 舎 論 』 「根 品 」(AKH〔lndriya-nirde6a〕)に 対 す る散 文 註 釈(Bha$ya)で ヴ ァ ス バ ン ド ゥ は 『雑 阿 毘 曇 心 (7) 論 』(Misrakabhidharmahr4aya)II「 行 品 」 の 先 例 に な ら っ て、 心 所(心 理 的 諸 要 素caitt帥)を そ の 倫 理 的 性 格 へ の 配 慮 に よ っ て、 ま ず 五 項 目 に 分 類 す る。: 1). 大 地(mahabhUmikah)...10箇 2). 大 善 地(ku6alamahabhumikah)...10箇 3). 大 煩 悩 地(kle6amahabhumikah)...6箇 4). 大 不 善 地(akleSamahabhumikah)...2箇 5). 小 煩 悩 地(parittakle6amahabhumikah …10箇 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ ば五 項 目 の い ず れ か に 配 属 さ れ る べ き計38箇 の 心 所 を 順 次 説 明 し た あ と、 さ ら に 善 ・悪 ・倫 理 的 中 性(無 記)の い ず れ に も な り う る 点 で 上 記 の 五 項 目 の ど れ か 一 っ に 配 当 で き な い 残 余 の 心 所 を 「不 定 」 (倫理 的 に不 確 定aniyatah)と い う 第 六 の 例 外 的 項 目 下 に 収 容 す る。 こ の 「不 定 」 と い う項 目 名 は す で に ア サ ン ガ(Asahga無 著)の 初 期 の 作 品 『顕 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(4)

密 教 文 化 (8)

揚 論 』 に所 在 して お り、 ヴ ァスバ ン ドゥの用 法 もア サ ンガ の もの を継 承 し

た と み なす のが 最 も妥 当 で あ る。

復有此余不定心所。悪作 ・睡眠 ・尋 ・伺等法。(「

倶舎論』巻第四 「

分別根品」

(9) 第 二 之 二。 『大 正 』Vol.29, p.20a21∼22.)

anye'pi caniyatah santi vitarkavicarakaukrtyamiddhadayah(-Bhadya (10)

ad.AK H k:28a-c. eastri ed., p.194, 11.)

〔す で に 五 項 目の 諸 心 所 が 説 明 され た が、 そ の〕 他 の 〔倫 理 的 に 〕 不 確 定 な 諸 (心 所)が な お もあ る。 思 弁(尋)・ 熟慮(伺)・ 「悪 い こ とを した」 〔と後 悔 す る〕 こ と(悪 作)・ 睡 眠 な どの こ とで あ る。(「ア ビ ダル マ の 庫 』 第 皿 「器 官 の説 示 」 章) こ こ で ば リ ス トが 呈 示 さ れ る に 留 ま り、 従 来 の よ う に 各 心 所 へ の 定 義 や 説 明 が 付 さ れ る こ と が な い。 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ は 次 に 欲 ・色 ・無 色 の 三 界 の い ず れ に 心(citta)が 所 属 す る か に 応 じ て 上 述 の 六 項 目 の 諸 心 所 が ど の よ う に 増 減 す る か を 詳 述 しお え る と、 類 似 し た 二 っ の 心 所 法 同 士 の 相 違 点 の 究 明 に 移 る。 以 下 の 四 組 が そ う で あ る。:

1). 無 漸(ahrikya)・ 無 塊(anapatrapya) 2)・ 愛(preman)・

敬(ga-ura∀a) 3).尋 ・伺 4).慢(mana)・ 僑(mada)

尋(思 弁vitarka)・ 伺(熟 慮vicara)に 関 す る 論 題 に よ う や<わ れ わ れ ば 辿 りつ く。 尋 伺 … … 差 別 云 何。 頒 日。 尋 伺 心 鹿 細。 … … 論 日。 尋 伺 別 者、 謂、 心 麓 細。 心 之 鹿 性、 名 「尋 」。心 之 細 性、 名 「伺 」。(『倶 (11) 舎 論 』 巻 第 四。 『大 正 』p.21b14∼19.)

vitarkavicarayoh

kim ndnakaranam

(# read-karanam)

?

vitarkacarav

audaryasuksmate

(5)

kasya?

"cetasa"

iti pascad

vaksyati.

cittaudarikata

vitarkah.

cittasuk-smata vicarah.

(AK II k. 33 abl & Bhasya.

Sastri ed., p. 204, 6-9.

*acc.

to Tib : tha dad du bya ba.)

思 弁 と熟 慮 と を弁 別 せ しめ る指 標 は何 か。 思 弁 ・熟 慮 は粗 大 さ ・微 細 さで あ る。(第33偶ab1句) 何 の 〔粗 大 さ ・微 細 さな の〕 か。 「心 の」 と 〔同 じ詩 頒 が 〕 の ち ほ ど 〔d句 末 尾 で〕 語 る で あ ろ う。 心 の 粗大 さ 〔を もた らす心 所〕 が 思 弁(尋)で あ り、心 の 微 細 さ 〔を もた らす心 所 〕 が熟 慮(伺)で あ る。(『ア ビ ダル マ の 庫 ・註 釈 』) 両 心 所 を 弁 別 す る 「心 の 粗 大 さ ・微 細 さ 」 と い う 指 標(Merkmal)だ け で ば 思 弁 ・熟 慮 の 本 質 や 機 能 は あ ま り ば っ き り し な い。 そ れ もそ の は ず で、 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ は 有 部 が 下 し た そ の 本 格 的 な 定 義 を な ぜ か 省 略 し た の で あ る。 こ の こ と ば、 有 部 が 根 本 論 書 の 一 つ に 数 え る カ ー トヤ ー ヤ ニ ー プ トラ (Katyayaniputra)の 『阿 毘 達 磨 発 智 論 』(4 bhidharma-Jnamprastham) の 対 応 箇 所 を 照、合 す れ ば、 一・目 瞭 然 で あ る。

云 何 尋(vitarka)。 答、 諸 心 尋 求(paryesana)・ 辮 了 ・顕 示 ・推 求(sarptir-ana)・ 構 画 ・分 別(vikalpa)性 ・分 別 類、 是 謂 「尋 」。云 何 伺(vicara)。 答、 諸 心 伺 察(pratyaveksapa)・ 随 行 ・随転 ・随 流 ・随 属、 是 謂 「伺 」。尋 伺 何 差 別。 答、 心 鹿 性、 名 「尋 」。心 細 性、 名 「伺 」。是 謂 「差 別 」。(『発 智 論 』 巻 第 二 (12)

雑薙第一 中思納息」第八。 『

大正』Vo1.26, p.927b17∼21.)

ヴ ァスバ ン ドゥに よ る言 及 ば下 線 部 の文 言 の み で、 肝 心 の定 義 が 引 用 さ

れ て い な い。 ヴ ァスバ ン ドゥが無 視 す る有 部 の定 義 に よれ ば、 思 弁(尋)

はお も に論 理 的i探求(尋 求 ・弁了 ・推求)と か概 念 的思 惟(分 別性 ・分別類)

を っ か さ ど る心 所 法 た る ことが 判 明 す る。 熟 慮(伺)ば

仔 細 な 点 検/注

(伺察)を 担 当 す るが、 思 弁 よ り も思 考 力 が 緻 密 と も微 弱 と も受 け と れ る。

『発 智 論 』 に対 す る浩 潮 な註 釈 文 献 『

婆 娑 論 』 に見 られ る 「尋 性 猛 利。 伺

性 遅 鈍。」(巻第十 二 「

雑藏第一中思納息」第八之一)と い う設 定 ば ま ぎ れ も な

言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(6)

密 教 文 化

く熟 慮 の微 弱 性 の ほ うを強 調 す る。

話 題 を 『

倶 舎 論 』 に もどせ ば、 す ぐ次 に或 る設 問 が 提 起 され て、 経 量 部

との 論 争 の 発 端 と な る。

(13) 云 何 此 二 一 心 相 応。(「倶 舎 論 』 巻 第 四。 『大 正 』p.21b19.)

katham

punah anayor

ekatra citte yogah?

(Bhasya ad AK 1 1. Sastri e

d., p. 204, 9)

問】では どうして この両者(思 弁 ・熟慮)が 同一の心 に連合(i.e.共 存)す

るのであろ うか。

粗 大 性 と微 細 性 と い う相 容 れ な い二 性 質 が 同 一 の心 に共 存 す るの ば おか

しい の で は な い か。 これ が設 問 の 趣 旨で あ ろ う。 ヴ ァ スバ ン ドゥ ば或 る有

部 論 師 を そ の解 答 者 と して登 場 させ る。

有作是釈、 「

如冷水上浮以熟酵上 烈 日光之所照触、酬 因水 日非 釈非 凝、 如是 一

心有尋有伺、心 由尋伺不遍細鹿。故於一心 倶有作用。

」(「

倶舎論』巻第 四。『

大正』

(14) p.21b19∼23.)

kecid dhuh : yathd

'psu nisthyutam

sarpih

suryarasmibhir

uparistdt

sprstam natisydyate

nativiliyate,

evam vitarkavicdrayogdc

cittam

nati-suksmam

bhavati

natyauddrikam

iti. ubhayor

api tatrasti

vydpdrah..

(Bhasya ad AK II. Sastri ed., p. 204, 11-13.)

或 る人 々 は い う。「恰 か も水 の上 に こぼ され た 〔精 製 〕 バ タ-が 太 陽光 線 に よ っ て上 か ら射 られ 〔な が ら、下 か らば水 に よ って 冷 さ れ〕 る こと で、 あ ま り固 ま り す ぎず、 あ ま り溶 けす ぎ た り しな い の と同様 に、 思 弁 ・熟 慮 が 連 合 す るおか げ で、 心 も過 度 に微 細 と な らず、 過 度 に粗 大 とな らず に す む わ け で あ る。 従 って、 両 者 (思弁 ・熟 慮)は と も に それ(同 一 の心)に 対 して 〔同時 に〕 作 用 を 及 ぼ す 〔こ とが で き る〕。」 以 上 の 設 問 と 解 答 は 『婆 娑 論 』 中 の は る か に 詳 細 で 複 雑 な 論 争 の 抜 粋 に (15)

す ぎ な い。 『

婆 娑 論 』 巻 第 四 十 二 「雑 繭 第 一 中 思 納 息」 第 八 之 一 で 思 弁 ・

(7)

熟 慮 の弁 別 指 標 を呈 示 した カ ー トヤ ー ヤ ニ ー プ トラの 正 確 な意 図 が ま ず 問

わ れ る。 も し心 そ れ 自体 が 粗 大 で あ る こ と ・心 そ れ 自体 が 微 細 で あ る こと

だ と解 釈 して しま う と、 思 弁 ・熟 慮 ば と も に心 を本 体 とす る こ と に な る の

で、 心 所 と して の 自立 性(実 体性)も、 思 弁 ・熟慮 の 共 存 性 も失 わ れ る。

(16)

(これで は讐喩者 の主張 を承認 す るはめにな る。)或 い ば、 心 が 粗 大 で あ る 時 ・

心 が 微 細 で あ る時 の各 々 の心 所 と解 釈 して も、 や ば り思 弁 ・熟 慮 に非 共 時

性 が 帰 着 す る だ け で あ る。従 って、 同一 の心 に共 存 す る粗 大 性 ・微 細 性 の

こ とを 思 弁 ・熟 慮 と解 釈 して は じめ て、 同一 の心 は思 弁 ・熟 慮 を 伴 う も の

(有尋 有伺)だ と い え る。 思 弁 が心 を粗 大 な ら しめ、 か っ、 熟 慮 が微 細 な ら

しめ る。

だ と して も、 そ もそ も粗 大 性 と微 細 性 ば相 互 に矛 盾(相 違)す

る性 質 で

あ る以 上、 一 心 中 に両 立 ば不 可 能 で あ ろ う とい う反 論 が 投 げ か け られ る。

解 答 して い う。作 用 に程 度 の 差 が あ る だ けで あ る(所 作異)。 思 弁 の作 用 ば

鋭 利 強 力(猛 利)で あ り、 熟 慮 の それ ば緩 慢 微 弱(遅 鈍)で

あ る が、 と も

に 同一 の心 を質 助 す る(共 助一 心)の で、 粗 大 か っ 微 細 で あ る とい って も、

矛 盾 しな い。

思 弁(粗 大性)・ 熟 慮(微 細性)の 同 時 作 用 を 例 証 で き るよ うな鋭 利作 用 ・

(17)

緩 慢 作 用 が 共 存 す る実 例 の指 摘 が 要求 され る。 そ こで 各 論 師 の説 明 方 法 が

引 用 され、 合 計 七 箇 の例 証 が枚 挙 され る。1)金

属 針 と鳥 の羽 根 を 束 に し

て 身 体 につ き刺 す 場 合、2)同

じ分 量 の酢 と水 を混 ぜ 合 わせ て 口 に 含 む 場

(18)

合、3)塩

と麦 こが しを混 ぜ 合 わ せ 口 に含 む 場 合、4)銅

製 の 鐘 や 鈴 を 鳴

らす場 合(『 施設論』所説 とい う)、5)天

空 の雷 鳴 や 人 が 貝 を吹 く場 合(「 法

薙足論』所説 という)、6)空

へ飛 び たっ と き に鳥 が 翼 を 翔 か せ る場 合。

た だ し、4)∼6)の

三 種 の説 明 で は作 用/動 作 が 時 間 的 にず れ る た め、

(19)

同 時 作 用 の例 証 と して は不 適 合 で あ る と い う批 評 が 付 け加 え られ る。 この

あ と に い っそ う決 定 的 な 例 証 と して 呈 示 され る のが、7)水

面 上 の バ タ ー

(20)

が 日光 に照 らさ れ る場 合 な の で あ る。

言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(8)

密 教 文 化

有作是説、「

如以熟蘇置冷水上、 日光照触、由水 日故非釈非凝、 如 是一 心 有尋

有伺、二力任持非麓非細。是故尋伺互得相応。 尋令心麓、 伺令心 細。

」(『

婆娑論』

巻第三十二 「

雑顧第一中思納息」第八之一一。

大正』Vol.27, p.21b3∼7.)

『雑 心 論』 「

行 品 」 で は この種 の論 争 が 割 愛 され て い る以 上、 ヴ ァ ス バ

ン ドゥの前 記 の 問 答 は 『

婆 娑論 』 の議 論 に 直i接的 に準 拠 す る。

皿.思

弁 ・熟 慮 に 関 す る 経 量 部 の 見 解 と 有 部 へ の 批 判

思 弁 ・熟 慮 の共 存 性 と両 心 所 の弁 別 指 標(粗 大性 ・微細性)と の 間 を 矛 盾

な く調 停 せ ん とす る有 部 側 の弁 護 に対 して、 ヴ ァス バ ン ドゥ は本 格 的 な批

判 を 開始 す る。 そ れ を通 じて後 出 の 「

他 の人 々(A・B)」

の学 説 の 妥 当

性 の承 認 へ と議 論 の流 れ を誘 導 して い く狙 い を こめ て。

若爾、尋伺是鹿細 因 〔、

非鹿細体〕。

如水 日光是 〔

凝釈 日(→ 因)、

〕体 非凝釈。

又麓細性相待而立。 〔

界〕地 品別 〔

上下〕相形。乃至有頂応有尋 伺。 又 鹿細 性 無

別体類。 〔

不可依之以別尋伺。

〕(『

倶舎論』巻第四。「

大正』Vo1.29, p.21b23∼

(21) 27.〔 〕 で挾 ん だ箇 所 は玄 奨 の補 訳。) 【批 判A】 も しそ の よ うで あ れ ば、 思 弁 ・熟 慮 は粗 大 性 ・微 細 性 の 〔自 己 本 質 で は な くて、〕 原 因 で あ る こと に な っ て しま う。 恰 か も水 と陽 光 が バ タ ー の 凝 固 〔性 〕・溶 解 性 の 〔原 因 な の〕 で あ って も、 それ らの 自 己本 質 で は な い よ うな もの で あ る。 【批 判B】 そ もそ も粗 大 性 ・微 細 性 〔と い う弁 別 指 標 〕 は 〔固 定 的 で は な く、〕 相 関 的 〔な基 準 〕(apeksikl)で あ る。 〔三 界 に お い て修 所 断 の 煩 悩 を 断 (22) じて い く九 〕 階 梯 〔の区 別 〕・〔各 階 梯 内 の九 〕 級 の 区 別 に基 づ いて 〔初 禅 定 の 階 梯 の 心 所 は欲 界 の それ よ り も微 細 だ が、 第 二 禅 定 の そ れ よ り も粗 大、 各 階梯 内 の 硬 中 級 の 心 所 は硬 硬 級 の それ よ り も微 細、 硬 軟 級 の それ よ りも粗 大 とい うよ う に 同 じ階 梯、 同 じ級 が 他 の それ らと の相 関 関 係 で 粗 大 と も微 細 と も判 定 さ れ る〕 か らで あ る(bh藪miprakarabhedat)。 従 って、 〔中 間 禅 定 の 心 は無 思 弁・ 唯 熟 慮 (無 尋 唯 伺)、 第 二 禅 定 以 上 は無 思 弁 ・無 熟 慮(無 尋 無 伺)と い う有 部 の定 説 に反 して、 そ れ ら に対 して も粗 大 性 ・微 細 性 と い う相 関 基 準 が あて は ま る 以 上、〕 生

(9)

存 の最 高 領 域(有 頂=非 想 非 々想 処)に 至 るま で思 弁 ・熟 慮 が あ る こ と(有 尋 有 (23) 伺)に な ろ う。 ど だ い粗 大 〔性 〕・微 細 性 〔とい う相 関基 準 〕 に よ って 〔心 所 法 (24)

の〕種類 の区別 をっ けるの は(jatibheda)合

理的ではな い。(Bha5yaad/IK

II.島astried.,

pp.204, 14∼205, 2.)

批 判Aで

ヴ ァスバ ン ドゥは水 面 上 のバ タ ー の喩 例 の不 適 格 性 を衝<。

ター の凝 固化 ・溶 解 化 が 決 して 冷 水 ・日光 と同 じ もの で あ りえ な いよ うに、

心 の粗 大 性 ・微 細 性 も思 弁 ・熟慮 と同 じも の だ と い え な くな るで はな いか、

と。 サ ンガ バ ドラ は この批 判 の有 効 性 を 認 め ざ る を え な か っ た の か、 『順

正 理 論 』 巻 第 十 一

一 「

弁 差 別 品」 第 二 之 四 で ばバ タ ー の喩 例 に触 れ よ う とば

せ ず、 『婆 娑 論 』 所 引 の2)酢

と水 の混 合 の例 証 を代 用 す る。

次 に ヴ ァスバ ン ドゥば批 判Bで 粗 大 性 ・微 細 性 と い う別 弁 指 標 の相 関 的

性 格 に着 目す る。 そ の よ うな相 関 的 基 準 ば他 の 同種 ・異 種 の心 所 法 に もあ

て ば ま る以 上、 そ れ に よ って思 弁 と熟 慮 とを別 種 類 の心 所 と して 区 別 す る

の ば 一

そ れ が で きれ ば両 心 所 の共 存 も可 能 な の だ が-無

理 であ る、と。

も っ と も、 彼 ば粗 大 性 ・微 細 性 と い う相 関 的指 標 そ の もの を斥 け よ う と

ば しな い。 む しろ、 か か る指 標 を 有 部 と ば正 反 対 の テ ー ゼ の樹 立 に こそ 利

用 した い の で あ る。 事 実、 有 部 批 判 の 直 後 にか か る テ ー ゼ を主 張 す る 「

の人 々(A)」(anye)の

学 説 を導 入 す る。

復有釈言、 「

尋伺 〔

二法是〕語言行。故 「

契経』言、「

要有尋伺、方有語言。非

無尋伺。

」此 〔

語言行〕、

麓者名 「

尋」。

細者名 「

伺」。(「

倶舎論』巻第四。『

大正』

(25)

p. 21b 27-29.)

anye punar ahuh

vaksamskara

vitarkavicarah

sutra uktah :

"vitar-kya vicarya

vacam bhasate, navitarkya

navicarya"

iti. tatra ye

audari-(26)

kas to vitarkah,

ye suksmas

to vicara<iti>.

(Bhasya

ad AK I l. Sastri e

d., p. 205, 3-5.)

他 の人 々(A)〔=経 量 部 の人 々〕 は い う。 一 「思 弁 ・熟 慮 は 言 語 を 行 使 せ ん とす る諸 意 欲 で あ る こ とが 『経 典』 に説 か れ て い る。 「〔ま ず〕 思 弁 し、 〔次 に〕 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(10)

密 教 文 化

熟慮 してか ら、お もむ ろに言語を語 る。思弁 せず、熟慮 せずに、で はな い。

」 と

い うよ うに。それ らの うち、粗大な る諸(言 語 行使 意欲)が 思弁 であ り、微細な

る諸(言 語行使意欲)が 熟慮 であ る。

」 と。

注 釈 家 ヤ シ ョー ミ トラ ば 「

他 の人 々(A)」(anye)を

経 量 部 の 人 々 」

(Sautrantikaり)に 比 定 し、「

言 語 を行 使 せ ん とす る諸 意 欲 」(vaksapskara

/hag mhon par hdu byed pa)を

「言 語 を 惹 起 す る

もの」(vaksamutthapa-ka阜)と い うtermで

い いか え る。 このparaphraseは

当該 の 経 量 部 学 説 の

源 泉 を探 る うえ で貴 重 な鍵 とな る(後 述)。 け れ ど も、彼 は このterm以

ば源 泉 た る典 拠(じ つ は 『

喩伽論』)の 文 章 を い っさ い 引 用 しな い た め に、

「言語 を行 使 せ ん とす る諸 意 欲 」=「 言語 を 惹 起 す る もの」 が 具 体 的 に ど の

心 所 法 な のか を ヤ シ ョー ミ トラは こ こで ば ま だ説 明 しえ て い な い。

そ うで は あ る にせ よ、 少 な く と も思 弁 と熟 慮 は と もに話 者 に 発 話(言 語

の行使)を 促 す 動 機 付 け と して の何 が しか の心 所 とい う点 で ば 同 じ種 類 の

もので あ る こ と も、だ か ら こそ、 そ の同 じ心 所(言 語行 使意 欲)が 粗 大 で

あ る と き思 弁 ・微 細 で あ る と き熟 慮 と呼 ん で い るだ けで あ る こ と も、 明 白

で あ る。 この 主 張 が 思 弁 と熟 慮 の共 存 を否 定 す る の は必 至 で あ る。 同 一 種

類 の 心 所 が二 っ 同 時 に生 じる こ と ば な いか らで あ る。 教 証(引 用 経典)を

通 じて 《

思 弁 → 熟慮 → 発 話 》 と い う継 時 的 順 序 が 示 唆 され るゆ え ん で あ ろ

う。

ヴ ァス バ ン ドゥ は この よ う に 自 己 が 支 持 す る学 説 的 立 場 を 「他 の人 々

(A)」 の名 に か こっ け て よ うや<態 度 表 明 した あ と、有 部 との 論 争 を 再 開

す る。

於一心 内別法是鹿、別法是細、於理何違。若有別体類、理 実無 違。 〔

然 無別 体

類故成違理。

〕-体 類 中無容上下倶時起 〔

故〕。

若言 「

体類亦有差別 」、応説 〔

類別相〕云何。此 〔

二体類別相〕難説。但 由上下顕其別相。非由上下能顕別相。一

(27) 一 類 中 有 上 下 故。(『倶 舎 論 』 巻 第 四。 「大 正 』p.21b 29∼c6.) (28) 【有 部 】 も し同 一 の心 にお い て 〔共 存 す る〕 一 方 の存 在 素 が 粗 大 で あ り、 〔共

(11)

(29) 存 す る〕他 方 〔の存 在 素 〕が微 細 で あ れ ば、 こ の場 合、 い か な る矛 盾 が あ ろ うか。 【ヴ ァ スバ ン ド ゥ】 も し 〔心 所 法 と して の〕 種 類 の 区別 が っ け ば、 〔共 存 して も〕 矛 盾 は な い で あ ろ う。 〔種 類 の 区 別 が っ く〕 感 受 と想 念 〔が 同 一の心 に共 存 す る〕 よ うに。 しか し、同 一 種 類 の 場 合 は、 〔当 該 の 心 所 が 〕 同 時 に軟 〔級 であ った り、〕 硬 〔級 〕 で あ っ た りす る こ と(mrdvadhimatrata)は あ りえ な い。 〔比 丘 は修 所 断 の煩 悩 を硬 級 の もの か ら軟 級 の もの へ と段 階 的 に断 捨 して い くか らで あ る。〕 た とえ 〔思 弁 ・熟 慮 に は〕 種 類 の 区別 は あ るの だ と 〔君 た ちが あ<ま で 信 じ込 む に〕 して も、 そ れ(種 類 の 区別)が 〔何 に基 づ い て つ くの か が 〕 説 明 され ね ば な らな い。 【有 部 】 そ れ ば言 葉 に し難 い。 だ か ら、 軟 〔級 性 〕・硬 〔級 〕 性 〔と い う級 の 区 別 〕 に よ って 〔種 類 の区 別 が〕 開 顕 さ れ る(vyajyate)〔 と い う事 実 に わ れ わ れ は訴 え る〕 の で あ る。 【ヴ ァスバ ン ド ゥ】 〔種 類 の 区 別 ば〕 そ の よ う 〔な仕 方 〕 で は開 顕 した り しな い。 各 々 の種 類 の諸(心 所)ば 〔異 種 の もの と 比 較 して だ けで な く、他 階 梯 の同 種 の も の と比 較 して も〕 軟 〔級 〕 と 〔判 断 され た り、〕 硬 〔級 〕 と 〔判 断 され る こ と〕 に な る か ら。(Bhasya ad AK II. Sastri ed., pp.205, 5∼206, 3.) こ の 有 部 と の 問 答 に お け る 係 争 点 ば す で に 先 刻 の 批 判Bの も の と 同 じで あ り、 こ と さ ら有 部 の 往 生 際 の 悪 さ を 印 象 付 け る よ う な 議 論 配 置 に な っ て い る。 有 部 と の こ の よ う な 議 論 の 応 酬 か ら導 き だ さ れ て く る 当 然 の 帰 結 を ヴ ァ ス バ ン ド ゥ は ま た し て も 「他 の 人 々(B)」 の 名 を 借 り て 呈 示 し て ば ば か ら な い。 〔由是 応 知、〕 尋 伺 二 法 定 不 可 執 一 心 相 応。(『倶 舎 論 』 巻 第 四。 『大 正 』p.21c (30) 6∼7.)

naiva hi vitarkavicardv

ekatra

citte bhavata ity a pare. (Bhasya ad AK

II . Sastri ed. p. 206, 4.)

「実 に・ 決 して思 弁・ 熟慮 は 同 一 の 心 に 〔共 〕 存 す る こ と はな い。」 と隼 の 人 々 (B)は い う。 ヤ シ ョ ー ミ ト ラ に よ れ ば、 「他 の 人 々(B)」(apare)と い う の は 「軌 範 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(12)

密 教 文 化 師 の 学 説 」(Acarya-matam)で あ る。 即 ち、 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ 自 身 の 学 説 と み な さ れ る。 ヤ シ ョ ー ミ ト ラ ば こ こ で 「交 互 に(i.e.そ の 都 度 い ず れ か 一 っ だ け)お こ る こ れ ら両 者(思 弁 ・熟 慮)の 区 別(i.e弁 別 指 標)と ば 何 か。」 と 設 問 し、 先 の 「他 の 人 々(A)」 の 註 解 箇 所 で は 「言 語 を 惹 起 す る も の 」 と い う共 通 項 に よ っ て しか 規 定 さ れ な か っ た 思 弁 ・熟 慮 の 特 殊 規 定 を 与 え (31)

る べ<、 「先 代 の 軌 範 諸 師 」 の 言 明(atra POrvacarya ahuh)を 引 く。

ヤ シ ョ ー ミ トラ 所 引 の そ の 言 明 が 唯 識 学 派 の 文 献 『阿 毘 達 磨 集 論 』(ア ビ ダル マ 集 成 .A bhidharmasamccaya:abbr.AS)に お け る 思 弁 ・熟 慮 の (32)

定 義文 と ほぼ 対 応 す る こ と ば幾 多 の 学 者 た ち に よ って 確 認 さ れ て い る。

先 代 軌 範 諸 師」(PUrvacaryah)へ

の言 及 ば 『倶 舎 論 』 本 文 で も約 十 一 箇

所 にわ た って お り、 そ の幾 っ か ば明 確 に 『喩 伽 論 』 お よ び 『顕 揚 論 』 に

(33)

traceし え る こ とが松 田和 信 ・袴 谷 憲 昭両 氏 に よ って報 告 さ れ て い る。 今

日の学 界 で ば 『

倶 舎 論 』 中 の 「

先 代 軌 範 諸 師」 が喩 伽 行 派 の人 々 を 指 す こ

とば定 説 とな って い る。

ヴ ァス バ ン ドゥ ば思 弁 ・熟 慮 に 関 して 自己 が 支持 す る見解 を なぜ か 「他

の人 々(A)(B)」(anye/apare)の

名 で 二 回 にわ けて表 明 した。ヤ シ ョー

ミ トラば 「

他 の人 々(A)」

を 「

経 量 部 」 と呼 び、 「

他 の人 々(B)」

の 学

説 を ヴ ァス バ ン ドゥに帰 し、 そ れ に 関連 して 「

先 代 軌 範 諸 師」 の学 説 を も

引 く。ヤ シ ョー ミ トラの 註 釈 法 は一 見 わ れ わ れ に混 乱 を も た ら しか ね な い。

け れ ど も、 そ れ らの諸 見 解 を悉<同 一 学 派 の典 籍 に見 出 す こ とに わ れ わ れ

が成 功 す れ ば、 有 部 と敵 対 す る これ らの諸 見 解(経 量部 ・ヴ ァスバ ン ドゥ ・

先代軌範諸師 の諸見解)が す べ て 同一 学 派 の統 一 性 の あ る見 解 の借 用 で あ る

と判 断 して よ い。 す で に ヤ シ ョー ミ ドラ所 引 の 「

先 代 軌 範 諸 師」 の言 明 が

集 論 』 に対 応 を有 す るか らに ば、 「

他 の人 々(A)(B)」

も喩 伽 行 派 に 由

来 す る可 能 性 を探 求 して み る のが、 最 も手 近 な選 択 で あ ろ う。

IV.思

弁 ・熟 慮 に 関 す る 経 量 部 学 説 の 由 来

(13)

喩 伽 行 派 の 典 拠 に 同 定 す る 鍵 を 提 供 して<れ る の ば ヤ シ ョ ー ミ ト ラ に よ る パ ラ フ レ ー ズ 「言 語 を 惹 起 す る も の 」(vaksamutthapakah)で あ る。 思

弁 ・熟 慮 に 対 す る こ の 規 定 ば 紛 れ も な く 『喩 伽 論 』 「有 尋 有 伺 等 三 地 」

(YABh SavitarkadibhUmi:abbr. SavBh)に そ の 典 拠 を 有 す る か らで あ る。

尋 伺 体 性 者、 謂、 不 深 推 度 所 縁、 思 為 体 性。 若 深 推 度 所縁、 慧 体 性、 応 知。 尋 伺 所 縁 者、 謂、 依 名 身 句 身 文 身 義 為 所 縁。 尋 伺 行 相 者、 謂、 即 於 此 所 縁 尋 求 行 相 是 尋、 即 於 此 所 縁 伺 察 行 相 是 伺。 尋 伺 等 起 者、 謂、 発 起 語 言。 尋 伺 差 別 者、 有 七 種 差 別、 謂、 有 相 無 相 乃 至 不 染 汚、 如 前 説。(「喩 伽 論 』 巻 第 五 「本 地 分 中 有 尋 有 伺 等 三 地 」 之 二。 「大 正 」Vol.30, p.302b 23∼c1.)

vitarkavicaranam sarlram katamam. alambane 'nabhyuhatas cetana

(read cetana') sari ra vitarkavicarah. alambane punar abhyuhato

jna-nasarira vitarkavicard veditavyah.

tatra vitarkavicaranam dlambanam katamam.

namakayapadakaya-vyanj anakayasrito 'rtha alambanam.

vitarkavicaranam akdrah katamah. tasminn evalambane

'rpananar-pana (read paryesana') karo4)

vitarkah. tatraiva punch

pratyaveksana-kdro vicarah.

vitarkavicarah kimsamutthdnah. vaksamutthanah.

vitarkavicaranam prabhedah katamah. saptavidhah prabhedah.

naim-ittikah (read '-ko 'naimittikasca') <purvavad> (omit) yavad aklistas

(35) (36)

ca (add

purvavat').

(YABh SavBh. Bhattacharya

ed., p. 112, 12-20, )

思 弁 ・熟 慮 の 本 体 と は何 か。 思 弁 ・熟 慮 が 認 識 対 象 に対 して 推 知 せ ぬ時 点 で ば 意 思 を 本 体 とす る し、 い っ ぽ う、 思 弁 ・熟 慮 が 認 識 対 象 に対 して 推 知 す る時 点 で ば智 慧 を 本 体 とす る、 と知 られ るべ し。 そ の場 合、 思 弁 ・熟 慮 に と って の 認 識 対 象 と は何 か。 名称 の集 合 ・構 文 の集 合 ・ 音 素 の集 合 に依 拠 した 意 味 対 象 が認 識 対 象 で あ る。 思 弁 ・熟 慮 の形 相 と は何 か。 思 弁 は そ の 同 じ認 識 対 象 に対 して探 求 す る形 相 を 帯 び る。 い っぽ う、 熟慮 は そ の 同 じ(認 識 対 象)に 対 して 仔 細 に点 検 す る形 相 を 帯 び る。 思 弁 ・熟 慮 は何 を惹 き起 こす の か。 言 語 を惹 き起 こす ので あ る。 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(14)

密 教 文 化 思 弁 ・熟 慮 に は どれ だ け の分 類(下 位 区 分)が あ る のか。 七 種 の 分 類 が あ る。 形 相 因 に よ る(概 念 知)・ 形 相 因 に よ らな い(概 念 知)か ら汚 れ ざ る(概 念 知) (37)

に至 るまでで あって、前 〔

述〕 の ごと しである。

思 弁 ・熟 慮 が 概 念 的 思 惟(vikalpa)を

担 当 す る と い う一 般 的 性 格、 思

弁 が 探 求(paryesana)す

る機 能 を もち、 熟 慮 が 仔 細 に点

検(pratyaveksa-尊a)す る機 能 を もっ とい う個 別 的性 格 に つ い て ば 『

発 智 論 』 と 『

喩 伽 論 』

の 両 記 述 ば一 致 す る。.しか し、有 部 と ば ちが らて、 『

喩 伽 論 』 ば思 弁 と熟

慮 を 各 々 独立 的 な 心 所(実 有)と ば み な さ な い。 人 が推 理 を 運 用 し な い場

合 の 両 心 所 ば と も に意 思(cetana)を

本 体 とす る し、推 理 を 運 用 す る 場 合

の 両 心 所 ば と も に智 慧(jnana-pra海)を

本 体 とす る。 っ ま り、意 思(遍

行心所 の一つ)も し く ば智 慧(別 境心所の一つ)が 場 合 に応 じて思 弁(探 求)・

熟慮(仔 細 な点 検)と して機 能 す る ので、 仮 り に 「

思 弁 ・熟 慮 」 と命 名 さ

(38)

れ るだ け で あ る。 同 一 種類 の 二 っ の 心 所(例、 二 っの意思、 二 っ の智慧)ば

同 時 に ば生 起 しな い 以上、 意 思 も し<ば 智 慧 が思 弁 と して 機能 す る ときば、

熟 慮 と して機 能 す る意 思 も し くば智 慧 が 発 生 す る余地 ばな い。 逆 もま た然

り。 か く して、 『喩 伽 論 』 に お け る規 定 か らみ て も、 同 一 の 心 に お け る思

弁 ・熟 慮 の共 存 が不 可 能 で あ るの ば、 必 至 で あ る。

発 智 論 』 に ば見 られ な か った 『喩 伽 論』 独 自の思 弁 ・熟 慮 に 対 す る も

う一 っ の規 定 ば、 言 語 との積 極 的 な 関 連性 の 強調 で あ る。 思 弁 ・熟 慮 が 対

象(所 縁)と す る の は、 名 称 ・構 文 ・音 素 に 基 盤 を お<意

味 論 的 な対 象

(言語表現可能 な対象)な の で あ る。 そ の よ うな対 象 を相 手(聴 者)に 知 ら し

め るべ<、 思 弁 ・熟 慮 は 「

言 語 を惹 き起 こす」、つ ま り、 話 者 に 言 葉 を 喋

らせ る。

た だ、 『

発 智 論 」 と比較 して 不 思 議 に感 じるの ば、 「

有 尋 有 伺 等 三 地 」 の

上 掲 節 に ば思 弁 ・熟 慮 を弁 別 す る指 標 「

粗 大 性 ・微 細 性 」 が 見 られ な い と

い う事 実 で あ る。 す で に 『

喩 伽 論 』 の最 古 層 「

声 聞 地 」(SravakabhUmi:

abbr. SrBh)の

思 弁 ・熟慮 規 定 で ばそ の 指 標 が使 用 され て い る に もか か わ

(15)

らず で あ る。

若在定地、於縁最初率爾而起、忽務行境、鹿意言性、是名為 「

尋」。即 於彼 縁

随彼而起、随彼而行、徐歴行境、細意言性、是名為 「

伺」。…(「喩伽論』 巻第三

十三 「

本地分中声聞地第十三第 四喩伽処」之一。「

大正』p.467a23∼26.)

yah samahitabhumiko

'py ugralampanabhari

tatprathamopanipati-taya calambane

audariko

manojalpah.

ayam

vitarkas

(read

'-kah.')

tadanubandhanucari

vyagracary

evalambane

suksmataro

manojalpah

(39)

viharah

(read

vicarah')...(YABh

SrBh IV. Shukla ed., p. 448, 5-9)

声 聞地 』 ば粗 大 な<思 考 の独 自>(鹿

意言)を 思 弁、 微 細 な<思

考 の

独 自>(細

意言)を 熟 慮 と定 義 す る。 思 弁 ・熟 慮 ば と も に<思

考 の 独 白>

(manojalpa)と

い う点 で は同 一 種 類 の もの と 『声 聞 地 』 で も考 え られ て

い る。 後 の唯 識 学 派 の典 籍(「 大乗荘厳 経論 』 『

摂 大乗論 』)で 重 要 度 を 増 す

声 聞地 』 の術 語 「思 考 の独 白」(意言)も 先 の 「有 尋有 伺 等 三 地 」 の 節 に

ばや ば り欠 け て い る。 「

粗 大 ・微 細 」 どい う指 標 と 「

思 考 の 独 白 」 と い う

術 語 の復 活 ば 「

摂 決 択 分」(Vini6cayasahgrahapi:abbr.

VinSah)の

思 弁 ・

熟 慮 規 定 で 果 た され る。

応知、 尋伺 慧思為性、猶如諸見。若慧依止意言而生、於所縁境悼 憧推究、錐慧

為体而名 「

尋伺 」。

於諸境界遽務推求、依止意言、重慧名 「

尋」。即於 此境不甚遽

務而 随究察、依 止意言、細慧名 「

伺」。…(『喩伽論』巻第五十六 「

摂 決択分中有

尋有伺等三地」 之一。 『

大正』p.623a 14∼18.)

rtog pa dan. dpyod pa (vitarkavicarau)

gnis ni ses rab darn sems pahi

no bo nid (prajndcetanasvabhavau)

yin par<blta

bar>(P

omit) bya ste.

(Pek. zi 118a6) hdi Ita ste. dper na lta ba rnams bin

no (tadyatha

dar-sanani).

ses rab gan (yd prajna)

yid la brjod pa la brten pa

(manojal-panisrita)

dmigs pa la ml (Der zi 113a4) mthun

par rgyu zin hjug pa

de ni dehi no bo bid yin yarn rtog pa dan bcas pa darn dpyod pa darn bcas

pa zes byaho.

(P 118a7) de la dmigs pa gab

(?) la mi mthun

par rgyu

言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(16)

ziri yid la brjod pa la brten pahi ses rab ches rags pa (audarika

prajna)

ni rtog pa (vitarkah)

yin no. de nid la mi mthun pa ma yin par rgyu ziri

ches cha phra ba (suksmatara)

(D 113a5) ni dpyod pa (vicarah)

yin te.

(YABh VinSari. Der. zi 113a 3-5;

Pek. Zi 118a 5-7.)

喩 伽 論 』 の思 弁 ・熟 慮 に 関 す る諸 規 定 は、 そ の新 古 の層 の 諸 記 述 を比

較 して み る と、紆 余 曲折 の す え に形成 され、 蓄積 され た もの の よ うで あ る。

ど の記 述 も統 一 性 とか充 足 性 を欠 いて い る。新 層 「

摂 決 択 分 」 の 上 掲 節 で

さ え、 「有 尋 有 伺 等 三 地 」 の諸 規 定 を漏 れ な く収 容 して は お らず、 補 足 的

な もの に す ぎな い。 喩 伽 行 派 の後 続 の諸 論 書 は そ れ ゆ え 『

喩 伽 論 』 諸 層 に

散 在 す る両 心 所 の多 様 な諸 規 定 の総 合 的定 式 化 を模 索 せ ざ る をえ なか った。

ア サ ンガ の 『

顕 揚 論 』(後 出)、 ヴ ァスバ ン ドゥの 『

五 繭 論

』(Pancaskand-(40)

haprakarana)に

お け る定 式 化 は まだ 流 動 的 で あ って、 定 式 表 現 の 画 一 化

が 認 め られ る の は 『

集 論 』(AS)お

よ び ス テ ィ ラマ テ ィの 『唯 識 三 十 頒 註 』

(41)

(TrimsujauijnaPtibhasya:abbr.TryBh)な

ど にお い て で あ る。

倶 舎 論 』 の 「

他 の人 々(A)」

は 「

思 弁 ・熟 慮 は言 語 を 行 使 せ ん とす

る諸 意 欲 で あ る」 とい う自学 説 を 教 証 に よ っ て裏 付 け る た め、 或 る経 文

(SUtra)を 引 用 した。 そ の 経 文 は実 に 『

顕 揚 論』 で思 弁 ・熟 慮 規 定 の 権 威

付 け に ア サ ンガが 引 用 す る もの とま った く同 文 な ので あ る。 この一 致 は き

わ めて 注 目 に あ た い しよ う。

尋者、謂、或時由思於法造作、或時由慧於法推求、散行外境、令心鹿 為体。障

心内浄為業、乃至、増長尋為業。伺者、謂、従阿頼耶識種子所生、依心 所起、與

心倶転相応、於所尋法略行外境、令心細転為体。余如尋説。乃至、増長 伺為業。

由此與心同縁一境故、説 「

和合、非不和合。

」…如薄伽梵説、「

由依尋伺故、 発起

言説。非無尋伺。

」(『

顕揚論』巻第一 「

摂事品」第一。『

大正』Vo1.31, p.483a

13∼19, 24∼25.)

「他 の 人 々(A)」(=経

量部)の 学 説 記 述 が 『喩 伽 論 』 だ け で な く 『顕

(17)

揚 論 』 を も手 本 に して 構 成 さ れ た こ と が ほ ぼ 確 実 視 さ れ よ う。 け れ ど も、 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ が 「他 の 人 々(A)」 に お け る 思 弁 ・熟 慮 規 定 に 採 用 し た 表 現 は、 ヤ シ ョ ー ミ ト ラ に よ っ て 示 唆 さ れ る 『喩 伽 論 」 「有 尋 有 伺 等 三 地 」 の 「言 語 を 惹 起 す る も の 」(vaksamutthanah)で ば な<、 「言 語 を 行 使 せ ん と す る諸 意 欲 」(vaksamskarah)で あ っ た。 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ の こ の 表 現 ば 何 に 由 来 す る の か。 そ の 由 来 もや ば り 『喩 伽 論 」 に 求 め う る。 『喩 伽 論 』 「摂 決 択 分 」(Vin-Sah)の 別 の 箇 所 に 思 弁 ・熟 慮 を 「言 語 行 使 〔意 欲 〕」(vaksapskara語 行) と称 す る 用 例 が あ る か らで あ る。 如 入 出 息 能起 身 業故 名 「身 行」、如 是 尋 伺 與 諸 語 業 倶 名 「語 行 」。受 想 與 意 業 倶 名 「意 行 」。如 是 一 切 総 説 身 行 ・語 行 ・意 行。(『鍮 伽 論 』 巻 第 五 十 六 「摂 決 択 分 中 五 識 身 相 応 地 意地 」 之 六。 「大 正 』Vol.30, p.612b 2∼4.)

ji ltar dbugs rnub pa dan dbugs hbyur ba dag gis lus kyi las hjug par

byed ba de bzin du rtog pa dan dpyod pa dag gis kyan nag gi las hjug p

ar byed la. hdu byed kyis kyan yid kyi las hjug par byed de. de dag

thams cad (Der Zi 85a4) gcig to bsdus pa ni lus kyi hdu byed dan nag

gi hdu byed dan yid kyi hdu byed ces bya ste. (YABh inSan. Der Zi

85a 3-4.)

yathasvasaprasvasabhyam

kayakarma

pravartate tatha

vitorkavica-rabhya m vakkarma pravartate. samskarena ca manaskarma

pravarta-te. etani sarvany ekatah pindikrtani kayasamskaro

vaksamskaras

ca

(42)

manahsamskaras

cety ucyante.

(my Skt. retrans.

of YABh VinSan.)

恰 か も出 入 の 両 息(風 二原 因)に よ って 身 体 的行 為(結 果)が 発動 す るの と同 様 に、 思 弁 ・熟 慮(原 因)に よ って も言 語 的 行 為(結 果)が 発 動 す る し、 行 使 意 欲(意 思=原 因)に よ って も精 神 的 行 為(結 果)が 発 動 す る。 これ ら全 部 が 〔っ ま り、原 因 ・結 果 の双 方 が〕 ひ とま とめ に され て、 「身 体 の行 使 」 「言 語 の 行 使 」 「精 神 の行 使 」 と 〔世 尊 に よ って〕 説 か れ て い る の で あ る。 本 節 は 十 二 支 縁 起 の 個 別 的 問 題 を と り 扱 う一 連 の 節 の ひ と つ で あ り、 直 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(18)

密 教 文 化 (43)

前 の 「

無 明 」 の語 義 解 釈 の節 の あ とに 接 続 して、 「行 」(samskara)が

尊 に よ って 「

身 行 ・語 行 ・意 行 」 の 三 種 に分 類 され る意 図 を考 究 す る もの

で あ る。 本 節 に よれ ば、 言 語 的 行 為(語 業)、 っ ま り、 実 際 の 発 話 活 動 だ

けで な く、そ れ を 惹 き起 こす 動 機/原 因 た る思 弁 ・熟 慮 も 「

言 語 の行 使 」

(語行vaksamskara)と

呼 称 され る こ とが 説 明 さ れ て い る。 と ば い え、 三

種 の行 為(業karman)の

本 質 を そ の原 因 と して の 「

三 種 の 意 思 」(cetana

(44)

trividha)に 還 元 せ ん とす る 『

喩 伽 論 』 特 有 の行 為 理 論 を配 慮 す るな らば、

む しろ思 弁 ・熟慮(両 者 は意思 もしくは智慧 を本体 とす る)こ そ が 言 語 的 行 為

の本 質 で あ り、従 って、 「

言 語 を行 使 せ ん とす る意 欲 」(vaksamskara)と

呼 ぶ に ふ さ わ しい、 とい うの が上 掲 節 の真 意 で は あ る まい か。

問、眼耳所行善不善色、彼何 因縁成善等性、非余色耶。答、若 略説、 由軟 中上

品三種思差別故。一、加行思。二、決定思。三、等起思。 由此能起若善不善 身語

表業。 当知、上品思為依止故、能発善不善業。(『

喩伽論』巻第五十 四。 『

大正 』

p.600a 5∼9.)

mig darn rna bahi spyod yul gyi gzugs dge ba (Der. Z ; 54b7) daft mi

dge ba gab yin pa de cihi phyir na dge ba dab mi dge ba bid yin pa de

las gzan pa dag ma yin ze na. smras

pa. mdor sdu na sems pa ni churn

bu daft hbrirn daft chen pohi bye brag gis rnam pa gsum ste. hdi lta ste.

lus dab flag gi rnam par rig byed dge ba daft (D 55a1) mi dge bar

gdag-s pa hjug pa la mrnon par hdu byed pahi gdag-semgdag-s pa daft ruegdag-s pahi gdag-semgdag-s pa

dab kun nas slori bahi sems paho. de ni sems pa chen po rten du gyur

pa daft ldan pa yin pahi phyir dge ba dari mi dge bar blta bar byaho.

(YABh VinSab.

Der Zi 54b6-5a1.

)

yac caksuhsrotragocard

rupam kusalakusalam

tasya

kasmat

kusala-kusalata

bhavati,

na to tato'nyesam?

aha. samdsato

mrdumadhyadhi-matrabhedena

cetand trividhd.

yad uta, abhisamskdracetana

niscayace-tand ca samutthanaceniscayace-tand

ca,

kdyavagvijnaptikusalakusalaprajnapti-pravrttau

(or-ttaye).

adhimdtracetandyd

asrayabadvayogdt

kusalaku-salam

drastavyam.

(my skt. retrans.

of YABh VinSab.)

(19)

【問 】 眼 と耳 の対 象 領 域 た る善 ・不 善 な る物 質(身 体 と音 声)、 そ れ は い っ た い何 の せ いで 善 ・不 善 と な り、 それ 以 外 の諸(物 質)は 〔善 ・不 善 とな ら〕 な い の か。 【答 】 答 え よ う。要 約 す れ ば、1)微 弱 ・2)中 間 ・3)強 剛 と い う 〔段 階 的〕 区 別 に よ って、 意 思 ば三 種 あ る。 す な わ ち、 身 体 の 〔表 現 的 行 為 〕・言 語 の表 現 〔的 行 為 〕 を善 ・不 善 と命 名 しっ っ 発 動 させ る た め に、1)行 使 せ ん と意 欲 す る意 思、2)決 断 す る意 思、3)惹 き起 こす 意 思 が あ る。 〔と りわ け〕3)強 剛 な る意 思(i.e.惹 起 す る意 思)が 基盤 とな るせ いで、 〔身 体 ・音 声 と い う物 質 ば〕 善 ・不 善 な の だ と看 な さ れ るべ きで あ る。 『i喩伽 論 』 「有 尋 有 伺 等 三 地 」(SavBh)の 思 弁 ・熟 慮 規 定 の ひ と つ 「言 語 を 惹 起 す る も の 」(vaksamutthanah)は 上 記 の う ち の3)「 惹 起 す る 意 思 」(samutthanacetana)に 相 当 す る い っ ぽ う、 ヴ ァ ス バ ン ド ゥ の パ ラ フ レ ー ズ 「言 語 を 行 使 せ ん とす る諸 意 欲 」(vaksapsk勘a尊)ば 1)「 行 使 せ ん と意 欲 す る 意 思 」(abhisalpskaracetana)の 段 階 を 表 わ して い よ う。 『倶 舎 論 』 『釈 軌 論 』 を 経 て 書 か れ た 『成 業 論 』(行 為 の論証Karmasiddhi) で ヴ ァ ス バ ン ド ゥ ば 『喩 伽 論 』 「摂 決 択 分 」 の<三 種 の 意 思>(trividha cetana)分 類 を 積 極 的 に 採 用 しつ つ、 異 熟 識(vipakavijnana)を 基 軸 と す る特 殊 な(or勝 れ た)経 量 部(Sautrantikavi6esa)の 行 為 理 論 を や が て 構 (45)

築 す る に至 る。 こ う い った経 緯 を視 野 に入 れ る と、 『倶 舎 論 』 の 思 弁 ・熟

慮 規 定 に み られ る ヴ ァス バ ン ドゥの パ ラ フ レー ズ も 『

喩 伽 論 』 の<三 種 の

意 思>学 説 へ の彼 の深 い理 解 と共 感 の な せ るわ ざで ば あ ろ う。 そ れ で もな

お、 仮 象(仮 有)的 心 所 た る思 弁 ・熟 慮 が 実 在 的 心 所 た る意 思 も し くば 智

慧 に基 礎 を お く とい う 「

有 尋 有 伺 等 三 地 」 の根 本 規 定 や そ の ほか の 関連 諸

規 定、 「

声 聞 地 」 以 来 の<思 考 の 独 白>と

い う規 定 な どをそ の際 かれ が い っ

さい 省 い て しま った の はや は り異 常 と い う ほか な い。 残 さ れ た 唯一 の キ ー

ター ム の パ ラ フ レ-ズ と相 侯 って、 『

喩 伽 論 』 の思 弁 ・熟 慮 に関 す る諸 規

定 の大 多 数 の 省 略 は 『倶 舎 論 』 の 両 心 所 に関 す る経 量 部 の見 解 の典 拠 を非

常 に辿 りに く く しただ けで は な い。 そ の経 量 部 の 見 解 自体 を読 者(or敵

言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(20)

密 教 文 化 者)が 鮮 明 に 理 解 す る こ と を も妨 げ て い よ う。 思 想 家 と し て の ヴ ァ ス バ ン ド ゥ ば そ の 経 量 部 学 説 の 呈 示 方 法 に お い て 評 す る か ぎ り、 決 して 良 心 的 な 学 匠 で ば な い。 註 (1)加 藤 氏 ば玄 奘 訳 『異 部 宗 輪 論 』 『婆 娑 論 』 を他 の旧 訳 と比 較 しっ っ 批 判 的 に 検 討 し、 いず れ も玄 彗乏訳 の み に 出 る 「経 量 部 」が 「説経 部」(Sutrantavada)の 別 称 を もっ 「説 転 部 」(Sarpkrantivada)に ほか な らず、讐 喩 者(Darstantika) と も後 代 の 「経 量 部 」(Sautrantika)と も ま っ た<無 関 係 で あ る こ とを み ご と に 証 明 して くれ た。cf.加 藤 純 章 〔1989〕「経 量 部 の研 究 』 春 秋 社.pp.101∼122. (2)加 藤(純)〔1989〕, pp.88∼91. (3)前 註(2)を 参 看 の こ と。 (4)cf.拙 稿:原 田 和 宗 〔1993〕「DignagaのHastavalaprakarapa&Vrtti 一 和訳 とSkt .還 元 訳の試み 一 」『龍谷大学仏教学研究室年報』6, <追 補 (2)>(pp.107∼110);原 田 〔1996〕「<経 量 部 の 「単 層 の」 識 の流 れ>と い う概 念 へ の疑 問(1)」 『イ ン ド学 チ ベ ッ ト学 研 究 』Nα1;「 予備 的 考察1∼IV」 (pp.138∼161)お よ び同 論 文 脚 注8, 16, 22所 引 の宮 下 晴 輝 氏 ・松 田和 信 氏 ・ 袴 谷 憲 昭氏 ・向 井亮 氏 ・山 部 能 宜 氏 の 諸 論 文。 (5)『 倶 舎論 』 起草 時 の ヴ ァ スバ ン ド ゥが す で に喩 伽 行 派 の人 で あ った と い う見 通 しを私 は竹 村牧 男 氏 の鋭 い 示 唆(1993年8月)を 蒙 って 拙稿 〔1996〕, 脚 注16 (pp.144∼145)で 表 明 した。 が、 そ れ以 前 に、RobertKritzer氏 が い ち早 く 1992年 の 論 文(R.Kritzer〔1992〕, "samzskara、pratyayam uijammin

the Abhidhamakosa", 『印 度 学 仏 教 学 研 究 』41-1, 特 にp.22)で 同 じ見 解 を公 け に して お られ た こ とに そ の 後 気 づ いた。 自己 の 不 明 を恥 じっ っ、Kritzer 氏 に失 礼 を お詫 び 申 し上 げ た い。 同 氏 の 別 の 論 文:Kritzer〔1996〕, "Ona Sutra Quotation Common to the Yogacarabhumi and the

Abhidharma-kosabhasya", 『印 仏 研 』45-1も 極 めて 有 益 で あ る。 さ て、 そ の後 に著 さ れ た論 考 で加 藤 純章 氏 は福 田琢 氏 の指 摘 を受 け いれ、 シュ リ-ラ-タ を ヴ ァス バ ン ドゥの 師 匠 とす るか っ て の 御 自身 の推 定 を徹 回 され た。 ま た上 記 拙 論 に つ い て も好 意 的 な論 評 を添 え て下 さ った。 む ろ ん 経 量 部 の 祖 師 を シ ュ リ-ラ-タ と み な す立 場 は堅 持 して お られ る。cf.加 藤(純)〔1997〕 「東 ア ジ ア の受 容 した ア ビダ ル マ系 論 書 一 「成 実 論』 と 『倶 舎 論 』 の場 合 」 『仏 教 の東 漸 一 束 ア ジア の仏 教 思 想I』 〔シ リー ズ ・東 ア ジア仏 教 〕 第2巻、 春 秋社。

(21)

(6)新 訳 「尋 ・伺 」 ば 旧訳 「覚 ・観 」 に対 応。 (7)心 所 法 に 関 す る研 究 は枚 挙 に 暇 が な い。 木 村 泰 賢 氏 や水 野 弘 元 氏 の 先 駆 的 研 究 もあ るが、 今 は勝 又 俊 教 〔1961〕「仏 教 に お け る心 識 説 の研 究 』 山 喜 房 仏 書 林, 「阿 毘 達 磨 仏 教 に お け る精 神 現 象 の 区分 法 の発 展 」(pp.357∼377)で 代 表 させ た い。 個 別 的 な区 分 にっ い て は西 村 実 則 氏 の一 連 の研 究 が あ る。cf.尊 者 法 救 造 ・僧 伽 践 摩 等 訳 『雑 心 論 』 巻 第 二 「行 品 」 第 二。(「大 正 』Vol.28, p.881.) (8)ア サ ンガ は 「顕 揚 論 』 巻 第-一 「摂 事 品 」 第 一 で 心 所 有 法 を1)遍 行 ・2)別 境 ・3)善 ・4)煩 悩 ・5)随 煩 悩 と い う よ う に喩 伽 行 派 の 伝 統 に則 って分 類 した あ と、新 た に6)不 定 を 立 て る。 「不 定 有 四。-・、悪 作。 二、 睡 眠。 三、 尋。 四、 伺。」(「大正 』Vol.31, p.481a11∼12.);「 喩 伽 論 』 巻 第 五 十 八 「摂 決 択 分 中有 尋 有伺 等三 地 」 之 一 は尋 ・伺 ・悪 作 ・睡 眠 の 四 心 所 を随 煩 悩(upa-kleSa)に 含 め っbも、 善 ・不 善 ・無記 心 の い ず れ と も連 合 し う る こ と が 注 意 さ れ て お り、事 実 上、 「不 定 」 の概 念 内容 ば先 取 り され て い る。 「尋 ・伺 ・ 悪 作 ・睡 眠。 此 四 随煩 悩 通 善 ・不 善 ・無 記 心 起。 非 一 切 処、 非 一 切 時。」(『大 正』

Vol. 30, p. 622c4-6.);

YABh Viniscayasarigrahani

(abbr.

VinSari)

de la rtog pa dan dpyod pa dan hgyod pa dan gnid dan ne bahi non

moris pa bzi po de dag ni dge bahi sems dan mi dge bahi sems darn lure

du ma bstan pahi sems la yan hbyuri ste. thams cad bu dan dus thams

cad du ni ma yin no. (Der. zi 111b6.)

(9) cf.真 諦 訳 「阿 毘 達 磨 倶 舎 釈 論 』 巻 第 三 「分 別 根 品 」 之 二。(「 大 正 』Vol.

29, p.179a28∼29.);武 田 義 雄 〔1937〕ed.『 西 蔵 文 阿 毘 達 磨 倶 舎 論 第 二 巻

(根 品)』 西 蔵 仏 典 普 及 会, 丁 子 屋 書 店, p.79, 8∼9.桜 部 建 〔1969〕 『倶 舎 論 の

研 究 界 ・根 品 』 法 蔵 館, 所 収 の 和 訳(p.289)も 参 看 の こ と。

(10).AKお よ びYa60mitraの 複 註(Sphutartha/1KVyakhya:abbr. s/D

のSkt. editionは 次 の も の を 依 用 す る。 S.D.Sastri〔1987〕ed.,

Adhidhar-makosa

& Bhasya

of Acarya

Vasubandhu

with sphutartha

commenta-ry of Acacommenta-rya

Yasomittra,

(Bauddha

Bharati

Series-5, 6, 7, 9), Bauddha

Bharati, Varanasi.『 倶 舎 論 』 に は 「不 定 」 と して 四 心 所 が 数 え られ る の み だ が、 ヴ ァス ミ トラ(Vasumitra)が そ の 『倶 舎 論 註 』(散 失)の 摂 頒 で さ ら に四 心 所(瞑 ・貧 ・慢 ・疑)を 加 算 す る こと に よ って八 心 所 と な り、 か<し て 五 位 七 十 五 法 が は じめ て成 立 す る。 従 っ て、 『倶 舎 論 』 『順 正 理 論 』 『ア ビダ ル マ 灯 論 』 に は五 位 七 十 一 法 が 説 か れ る の みで あ る。cf.勝 又 〔1961〕, pp.371∼37 4;池 田練 太 郎 〔1980〕「不 定 法(aniyata dharmah)の 概 念 『倶 舎 論 」 作 者 の 意 図 」 『印 仏 研 』28-2;青 原 令 知 〔1989〕「倶 舎 論 注 釈 家Gunamati とそ の弟 子Vasumitra」 「仏 教 史 学 研 究 』32-1, pp.61∼63. (11)cf.「 倶 舎 釈 論 』 巻 第 三。 『大 正 』Vo1.29, p.180b5∼7;武 田 〔1937〕ed., 言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 (尋 ) と 熟 慮 (伺 )

(22)

密 教 文 化 pp.93, 10∼94, 2;桜 部 〔1969〕, p.297. (12) cf.「阿 毘 曇 八 糎 度 論 』 巻 第 三 「雑健 度 思 践 渠 首 」 第 八。 「大 正 』Vol.26, p.782b10-v15. (13)cf.『 倶 舎 釈 論 』 巻 第 三(p.180b7∼8);武 田ed., 94, 2∼3;桜 部 氏 訳, p. 297. (14) cf.『倶 舎 釈 論 』 巻 第 三(p.180b8∼11);武 田ed., p.94, 3∼7;桜 部 氏 訳, p.297. (15)以 下 の 本 文 に玄 訳 「婆 娑 論 』 巻 第 四十 二(「 大 正 』Vo1.27, p・219a8∼ b3)を 要 約 し、註 に 旧訳 「阿 毘 曇 毘 婆 娑 論 』 巻 第 二 十 三 「雑 鍵 度 思 品 」 第 八 上 (『大 正 』Vol.28, p.169a15-b4)と の 異 同 を 略 記 す る。 (16) 「婆 娑 論 』 巻 第 四 十 二 は 「発 智 論 』 で 「尋 ・伺 」 を扱 う論 題 が 設 け られ た理 由 を 説 明 して 「為 止 他 宗 顕 正 義 故。 謂、 或 有 執 「尋 伺 即 心 」。如 讐 喩 者。 為 遮 彼 執 顕 「尋 與 伺 是 心 所 法 」。或 復 有 執 「尋 伺 是 仮 」。為遮 彼執 顕 「此 二種 是 実有 法。」」 (pp.218c27∼219a1)と 述 べ る。 「曇 毘 婆 沙 』 巻 第 二 十 三 で は 「復 次 讐 喩 者 作 如 是 説 「覚 観 是 心 之 異 名。 … 」(p.169a8∼9)と だ け あ り、 第 二 の 尋 伺 仮 有 説 を 欠 く。 (17) 「婆娑 論 』 の 設 問 の 原 文 自体 は い た って 簡 素 で あ る。-「 問、 尋 伺 鹿 細 其 相 如 何。」(p.219a23∼24.)が、 そ れ へ の解 答 箇 所 で ば猛 利 作 用 と遅 鈍 作 用 が 共 存 す る世 間 的 実 例 が 惜 しげな く列 挙 され る。 有 部 は敵 対 諸 学 派(外 道 ・大 衆 部 ・分 別 論 者 ・讐 喩 者 ・憤 子 部, etc.)が 三 蔵 外 の 世 間 の 現 恒nta)を 依 用 す る際 は こ れ を非 難 して お き なが ら、 自学 派 に ば そ の 依 用 を 禁 じな い ど ころ か、 積極 的 に活 用 す る。 『婆 娑論 』 中、 世 間 の 現 喩 を 最 も多 用 す る の ば最 も出 番 の 多 い有 部 な の で あ る。 も し加 藤 純 章 氏 が お っ し ゃ る よ う に、 「讐 喩 者 」 とい う学 派 名 が 有部 に よ って 内 部 の 異 端派 に 与 え られ た蔑 称 で あ る な ら ば、 そ の蔑 称 を む しろ有 部 の正 統 派 自身 が甘 受 せ ね ば な らな い の で ば な い か。 比 喩 技 法 の水 準 の 高 さへ の 自 負 が異 端派 を して 「讐 喩者 」 を 自称 さ せ た と して も何 ら不 自然 で は な い は ず で あ る。 (18)「 曇 毘 婆 沙 』 に は2)酢 と水 の例 証 が な い。 か っ3)塩 と麦 こが し の 例 証 の 代 わ りに、 塩 と水 の混 合 の例 証 を挙 げ、 次 い で に水 と苦 酒 の例 証 を加 え る。(或 い は 「苦 酒 」 と い うの ば 「酢 」 と同義 か。) (19)ハ リヴ ァル マ ン(Harivarman)ば 「成 実 論 』(Tattuasiddhの 巻 第 六 「覚 観 品 」 第 九 十 二 で有 部 の 「覚 観(尋 伺)在 一 心 中」 学 説 を批 判 す るべ く、4) 鈴 を 打 ち鳴 らす と、 最 初 粗 い音 が 出、 後 に余 韻 が続 く例 証(お よ び 波 の 例 証) を 引 いて、 時 間 が つ れ る(是 時 方 異)の で有 部 自身 の例 証 が そ の 学 説 を 否 定 し て い る と論 評 す る(「 大 正 』Vo1.32, p.288b14∼17)。 しか し、 こ の 例 証 の 不 適 格 性 を 『婆 娑 論 』 で有 部 自身 が認 あ た うえ で、 そ れ に代 わ る例 証 を 提 出 して

(23)

い る以 上、 ハ リヴ ァル マ ンの批 判 は余 り説 得 力 が な い。 (20) 新 訳 『婆 娑 論 』 の最 後 の7)バ タ-の 例 証 を 旧訳 『曇 毘 婆 沙 』 ば 欠 く。 こ の例 証 は カ シ ミ-ル 系独 自 の比 較 的新 しい例 証 な の で あ ろ う。 (21) cf・『倶 舎 釈 論 」 巻 第 三(p.180b11∼16);武 田ed., pp.94, 8∼95, 2;桜 部 氏 訳, p.297. (22) 修 所 断 の煩 悩(貧 ・瞑 ・痴 ・慢)が 三 界 ・九 地 ・九 品(計 八 十 一 品)へ 配 当 され る点 につ い て は桜 部 建 ・上 山 春 平 〔rep.1996〕 『仏 教 の 思 想2・ 存 在 の 分 析<ア ビダ ル マ>』 角 川 文 庫 ソ フ ィア107, 角 川書 店(pp.148∼149)の 説 明 ・ 図 表 を 参 看 の こ と。 (23) 『倶 舎 論 』 の この 批 判Bは 『婆 娑 論 』 所 引 の 警 喩 者 お よび覚天(Buddhade-va)の 学 説 を 念 頭 に置 いて い よ う。: 或 有 執 「従 欲 界 乃 至 有 頂 皆 有 尋 伺 」。如 警 喩 者。 … … 『契 経 』 説 「心 麓 性 名 「尋 」。心 細 性 名 「伺 」。」。然 鹿 細 性 従 欲 界 乃 至 有 頂 皆 可 得。 故 知 三 界 皆 有 尋 伺。 大 徳 説 日、 「対 法 諸 師 所 説 非 理。 所 以 者 何。 心 鹿 細 性 三 界 皆 有。 「契 経 』 説 「此 即 是 尋 伺。」、而 言 「尋 伺 唯 二 地 有。 謂、 欲 界 及 梵 世。」。故 対 法 者 所 説 非 理。 … …」(『婆娑 論 』 巻 第 五 十二 「結 繭 第 二 中 不 善 納 息 」 第 一 之 七。 『大正 』Vol.27, p.269b9∼16.) 「三 界 す べ て に尋 ・伺 が あ る」 とい う讐 喩 者 の 主 張 ば 「成 実 論 』 巻 第 六 「覚 観 品 」 第 九 十 二(『 大 正 』Vo1.39, p.288ab)で も継 承 さ れ 力 説 さ れ て い る。 け れ ど も、 ヴ ァス バ ン ドゥば讐 喩者 の学 説 を 有部 へ の帰 謬 論 法 に利 用 す る の み で、 決 して そ の学 説 を支 持 して い る わ け で は な い。 彼 は第 二 禅 定 以 上 を 無 尋 無 伺 と す る有 部 の定 説 を- 恐 ら くそ れ が 「喩 伽 論 』 の定 説 と一 致 す る とい う理 由で 一 -支 持 す る の で あ る。

(24)Tib.訳 は この箇 所 だ けjatibhedaをra血b2in tha dad paと 訳 す(武 田 ed., p・95, 2)。 他 の 箇所 で はrigs tha dad paで 訳 す。

(25)cf.『 倶 舎 釈 論 』 巻 第 三(p.180b16∼18);武 田ed., p.95, 2∼7:G2an dag na re mdo las rtog pa dari dpyod pa dag ni nag miion par hdu byed pa yin par gsurig te. "brtags sin dpyad nas tshig to smrahi ma brtags ma dpyad par ni ma yin no" zes hbyun no. de la rtsiri ba gain dag yin pa de dag ni rtog pa yin no. zib pa gain dag yin pa de dag ni dpyod pa

yinno2eszerro.;桜 部 氏 訳, pp.297∼298.引 用 経 典 ば 『決 定 義 経

』(.4rtha-uiniscayasEtra)の 一 文 で あ ろ う。:vaksarpskarah

katamah?vitarkyavi-carya vacam bhasate,

navitorkya

navicarya.

tasmad

vitarkavicaro

va-ksamskara

ity ucyate.

(N.H. Samtani

[19711 ed.,

TheArthaviniscaya-Sutra & Its Commentary

(Nibandhana),

[Tibetan Sanskrit

Works Ser.,

vol.XIII〕K.P. Jayaswal Reseach Institute. Patna, pp.7, 6∼8, 2.)cf.本 庄

言 語 に 対 す る 行 使 意 欲 と し て の 思 弁 ( 尋 ) と 熟 慮 (伺 )

参照

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