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密教研究 Vol. 1932 No. 47 001松本 文三郎「弘法大師將來の白檀像龕に就いて P1-29_1」

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( 收 所 光 総 堕 鍋 ) 姻 本 枕 來 請 師 大 法 弘

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一 高 野 山 金 剛 峰 寺 に は 弘 法 大 師 將 來 と 繕 せ ら るゝ 自 檀 像 寵 (俗 に 枕 本 尊 と い ふ ) が 藏 せ ら れ て 居 る、 此 寵 は 名 の 如 く 自 檀 を 以 て 造 ら れ、 殆 ん ど 圓 筒 形 を な す 厨 子 で あ る。 寵 の 前 面 は 普 逓 の 厨 子 の 如 く 二 個 の 扉 を な し、 左 右 に 開 閉 せ ら るゝ や う、 龕 身 に 蝶 番 を 以 て 附 着 せ ら れ、 他 の 一 邊 に は 上 下 に 各 一 個 又 は 二 個 の 小 環 を 打 ち、 別 に 針 金 様 の 細 線 を 以 て 上 下 の 環 を 貫 蓮 し、 爾 扉 を 密 閉 す る を 得 せ し む る。 術 ほ 籠 の 外 部 に は 忍 冬 模 様 の 荘 飾 を 施 し た 所 あ り と い ふ 。 寵 は 高 サ 僅 か に 七 寸 九 分 に 過 ぎ な い が、 そ の 寵 身 並 び に 左 右 爾 扉 の 内 側 に は、 極 め て 精 緻 巧 妙 な る 諸 尊 像 が 彫 出 せ ら れ て 居 る。 而 し て 其 構 圖 亦 甚 だ 複 雑 で あ り、 大 禮 に は 八籠 身 の 中 央 本 尊 と 左 右 爾 扉 の 中 央 二 曾 と が 三 尊 の 形 を 成 す も の で あ る が、 そ の 三 尊 ま た 各 中 央 本 尊 と な つ て 雨 挾 侍、 僧 形 等 と 各 五 尊 又 は 九 曾 の 形 を な す の で あ る 。 先 づ 龕 身 内 側 の 像 に 就 い て 之 を い へ ば、 こ れ は 寵 全 燈 の 最 も 主 要 な る 部 分 を 構 成 す る の で あ る か ら 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 寵 に 就 い て 一

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弘 法 大 師 特 來 の 白 檀 像 寵 に 就 い て 二 其 構 圖 も 最 も 複 雑 で あ り、 其 彫 法 も 亦 最 も 精 妙 で あ る。 中 央 に は 繹 迦 坐 像 を 安 置 し、 左 右 爾 側 前 面 に は 各 一 挾 侍 菩 薩 の 立 像 あ り、 其 上 に は 左 右 各 三 人 の 僧 形 を 造 り、 其 後 に は 國 王 と も 思 は る、 も の 左 右 各 一 人 づ、 侍 立 合 掌 す る ( こ れ は 梵 天 帝 繹 か と も 考 へ ら る ゝ が、 彿 子 や 蓋 の 持 物 は な く、 何 れ も 唯 佛 に 向 つ て 合 掌 す る の み で あ る か ら、 果 し て 然 る か 否 か 明 ら か な ら 漁、 恐 ら く 子 填 王 や 波 斯 匿 王 な ど を 顯 は し た も の で あ ら う。 ) 繹 迦 像 は 施 無 畏 の 印 を 結 び、 爾 挾 侍 は 一 手 を 前 に 屈 し て 蓮 花 を 持 し、 一 手 は 下 に 垂 れ て 水 瓶 を 持 す。 本 奪 の 座 は 一 種 特 殊 の 形 を な し、 下 方 に は 普 適 の 下 向 の 辮 を 有 す る 蓮 花 座 が あ り、 其 中 央 に は 六 角 形 と 思 は る、 支 柱 が 立 て ら れ、 其 上 更 ら に 一 の 圓 座 が 設 け ら れ、 俗 に 裳 掛 座 と 稻 す る 形 を な し、 佛 禮 の 衣 服 の 裳 が 座 の 前 面 に 垂 下 し、 此 に 籐 り 繁 填 で は な い が、 彼 の 支 那 六 朝 佛 や 我 邦 推 古 佛 に 屡 見 る が 如 き ジ ッ グ ザ ッ ク の 衣 絞 を 彫 出 す る。 爾 挾 侍 の 下 左 右 に は 各 一 人 の 夜 叉 (帥 ち 二 王)が 立 ち、 又 其 下 に は 香 燈 や 供 養 者 師 子 像 が 左 右 均 齊 に 刻 せ ら れ、 最 下 段 に は 諸 種 部 多 の 像 が、 (今 は 此 部 分 の み 多 少 殿 損 す る が ) 四 個 の 匠 劃 に 各 一 躯 づ、 配 置 せ ら れ た も の ゝ や う で あ る。 光 背 は 中 央 の も の 亦 最 も 複 雑 精 美 で あ り、 全 禮 を 四 帯 に 分 ち、 外 部 に は 火 餓、 中 央 佛 頭 の 後 に は 蓮 花 を、 而 し て

る。

げ、

左 右 爾 側 に 垂 下 し た 形 を 刻 し て あ る。 扉 内 側 の 諸 像 は 左 右 殆 ん ど 同 様 に 配 置 せ ら れ、 中 央 に は 菩 薩 の 一 足 を 屈 し、 一 足 を 伸 ば し て 下 に 垂

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れ た る 碕 坐 像 が あ り、 其 左 右 の 爾 側 に は 各 一 躯 の 挾 侍 が 立 ち、 挾 侍 菩 薩 の 上 部 に は 一 人 づ、 の 僧 形 と 前 と 同 様 國 王 の 形 相 を な せ る も の と が 左 右 に 排 置 せ ら れ、 本 尊 菩 薩 像 の 下 部 に は 中 央 に 香 燃 を 置 き、 之 を 挿 ん で 左 右 に 各 一 供 養 者 の 跳 坐 す る あ り、 其 外 邊 に は 師 子 像 あ り、 最 下 段 は 三 優 劃 を な し、 其 内 各 一 部 多 の 像 を 彫 出 す る。 中 央 菩 薩 の 座 も 前 と 同 様 下 に 蓮 台 あ り、 中 に 支 柱 あ り、 更 ら に 其 上 に 圓 座 を 設 け た る も の、 如 く で あ る。 但 下 部 の 蓮 台 に は 上 向 の 辮 を 有 す る 蓮 花 が あ り、 其 上 相 重 り 下 向 の 辮 を 有 す る 蓮 花 を 作 る、 是 れ は 殆 ん ど 他 に 類 を 見 な い も の で あ る。 光 背 は 同 形 で は あ る が、 中 央 繹 迦 像 の よ り 幾 分 簡 軍 と な り、 全 髄 を 三 帯 に 分 ち、 外 部 の 火 餓 と 内 部 の 蓮 花 と は 同 じ で あ る が、 中 帯 は 輩 に 放 射 歌 の 線 を 刻 し た の み で 草 花 模 様 は な い。 又 寵 の 上 部 に も 幕 様 の も の は な く、 僅 か に 理 路 様 の 房 を 垂 下 せ し め た に 止 ま る。 寵 身 の 繹 迦 像 に 樹 し、 其 左 扉 (向 つ て 右 方 ) の 中 央 菩 薩 像 は、 其 寳 冠 の 前 面 に 彌 陀 坐 像 を 刻 す る を 以 て、 其 観 音 な る を 知 る べ く、 右 扉 の は 其 持 物 も 明 瞭 で は な い が、 恐 ら く 彌 勒 菩 薩 で あ ら う。 此 に は 寳 冠 は な く、 頭 巾 を 冠 れ る が 如 く 下 部 紐 を 以 て 之 を 結 ん で あ る。 何 れ も 印 相 は 施 無 畏 で あ り、 菩 薩 像 に は 普 逼 見 る が 如 き 珠 を 繋 げ る 胸 飾 や、 又 左 右 爾 肩 よ り 長 く 前 面 に 垂 下 し、 膀 邊 に 交 叉 し 爾 膝 を 廻 く り、 前 面 に は 飾 紐 が 垂 れ て 下 端 蓮 台 に 迄 達 す る 装 嚴 具 が 附 せ ら れ て あ る。 又 此 等 観 音、 彌 勒 爾 菩 薩 の 左 右 爾 挾 侍 も 之 と 略 相 類 す る 装 嚴 具 を 着 け、 中 央 の と 同 様 水 瓶 蓮 華 を 持 す る。 但 此 に 一 の 注 意 す べ き は、 魏 昔 並 び に 彌 勒 菩 薩 の 左 右 に 於 け る 挾 侍 の 立 て る 蓮 座 で あ る。 此 等 は 何 れ も 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 寵 に 就 い て 三

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 四 同 様 で あ り、 一 種 特 殊 な 技 工 を 弄 し た も の で あ る。 其 蓮 辮 は 大 健 上 向 で あ る の に、 唯 下 側 の 一 辮 だ け が 下 に 向 ひ、 萎 め る 形 を 寓 露 す、 之 に 類 す る も の は 後 世 の 健 陀 羅 彫 像 に も 往 々 見 る 所 で あ る が、 彼 に あ つ て は 左 右 及 前 面 に 下 向 の 萎 ん だ 辮 を 造 り、 宛 も 蓮 台 の 足 の 如 く な ら し め、 蓮 台 を し て 安 定 の 感 を 輿 へ た も の で あ る が、 此 像 に 於 て は 寓 實 的 に 一 の 變 化 を 與 へ た に 懸 ぎ な い 。 爾 ほ 此 瀧 座 は 中 央 の と 一 董 の 如 く に も 見 ゆ る が、 實 は 左 右 挾 侍 の は 共 に 下 部 の 師 子 が 各 其 董 を 噛 へ て 居 る の で あ る、 斯 か る 意 匠 も 他 に 多 く 其 類 例 を 見 な い 所 で あ る。 叉 龕 身 の 諸 像、 殊 に 其 中 尊 繹 迦 像 は 此 龕 像 全 腱 の 中 心 を な す も の で あ る か ら、 其 彫 法 最 も 丁 寧 精 妙 で あ る が、 之 に 比 し 左 右 爾 扉 の 諸 像 は 寧 ろ 其 從 た る も の で あ る か ら、 其 構 圖 も 多 少 軍 簡 と な る と 同 様、 其 彫 法 に 於 て も 幾 分 粗 略 の 黙 が な い で も な い。 し か し な が ら 今 此 等 諸 像 を 通 槻 す る に、 佛 菩 薩 の 面 相 の 柔 和 に し て 荘 重 な る、 其 衣 絞 の 優 美 に し て 艶 麗 な る、 又 其 態 度 の 粛 然 と し て 而 も 温 雅 な る、 佛 像 彫 刻 と し て は 秋 毫 聞 然 す る と こ ろ な く、 實 に 最 上 乗 の 傑 作 と も 稽 す べ く、 其 手 腕 の 洵 に 驚 歎 す べ き も の あ る を 認 め な け れ ば な ら 諏。 僧 形 國 王 等 亦 神 采 変 々 と し て 生 け る が 如 く、 一 代 の 妙 手 に あ ら ざ れ は 到 底 企 て 及 ば ざ る 所 で あ る。 斯 く の 如 く 此 寵 像 は 美 術 的 に 既 に 極 め て 精 巧 な る 製 作 で あ る か ら、 從 來 世 の 學 者 も 亦 其 償 値 を 認 め な か つ た 鐸 で は な い が、 何 分 歴 史 的 智 識 に 乏 し か っ た が 爲 め、 龕 其 物 が 有 す る 眞 實 の 儂 値 が 十 分 に 認 め ら れ す、 普 通 一 般 の 國 寳 と 同 列 に 考 へ ら れ、 又 説 會 民 衆 に は 其 形 の 頗 る 小 な る が 爲 め、 多 く そ の 注

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意 す る と こ ろ と な ら な い の は、 余 輩 の 最 も 遺 憾 と す る と こ ろ で あ る 。 余 輩 の 見 を 以 て す れ ば 此 龕 像 は 啻 に 美 術 的 に 最 も 優 秀 な る の み な ら す、 美 術 吏 的 に は、 今 日 吾 入 に 知 ら る ゝ 限 り に 於 て は、 絶 え て 其 類 例 を 見 ざ る 世 界 唯 一 の 貴 重 な る 資 料 で あ る。 今 後 印 度 や 西 域 並 び に 支 那 諸 國 土 に 於 け る 登 掘 探 瞼 の 進 む に 随 ひ、 盆 新 な る 資 料 の 學 海 に 提 供 せ ら る、 こ と の 紗 か ら ざ る は 言 ふ ま で も な い が、 此 寵 像 の 如 き は、 其 材 料 の 性 質 上 恐 ら く 其 類 品 の 世 に 現 は る ゝ 場 合 は 殆 ん ど 望 み 難 い こ と で は な か ら う か と 思 ふ。 若 し 果 し て 然 り と す れ ば 此 寵 像 は 永 久 に 世 界 の 唯 一 品 で あ り、 啻 に 高 野 一 山 の 誇 と す る 所 で あ る の み な ら す、 亦 以 て 天 下 に 誇 る べ き 我 邦 の 至 寳 と 幕 す べ き で あ る。 二

は、

た。

に、

し、

し、

る、

智、

果、

る。

る。

し、

杵.

子、

る、

(

)

び、

る。

弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 五

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 六

り、

る。

が、

に、

う。

し、

ち、

璃、

げ、

て、

る。

子、

げ、

等、

梨、

來、

梨、

梨、

漿、

信、

る。

て、

り、

る。

ば、

り、

し、

り、

に、

れ,

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又 そ の 印 信 と も な つ た 宗 毅 的 に も 殆 ん ど 他 に 類 例 を 見 な い 貴 重 な 資 料 で あ る こ と を 知 る べ き で あ る。 弘 法 大 師 が そ の 將 來 録 に 於 て 既 に 斯 の 如 く 明 瞭 に 記 述 せ ら れ 居 る に 關 は ら す、 從 來 世 の 學 者 は 多 く 此 寵 像 を 以 て 支 那 制 作 と な す の で あ る。 嘗 て 大 村 西 崖 氏 は ﹁ 支 那 佛 教 彫 塑 篇 ﹂ を 著 は し、 此 龕 像 亦 其 中 に 牧 載 せ ら れ、 (同 附 圖 七 三 二 ) 之 に 關 し い ふ。 憲 宗 元 和 元 年、 空 海 密 敏 を 傳 へ て 亦 日 本 に 蹄 る、 そ の 將 來 目 録 の 中 に 刻 白 檀 佛 菩 薩 尊 像 一 寵 あ り、 こ れ 謂 は ゆ る 檀 龕 寳 相 に し て、 今 現 に 我 が 高 野 山 金 剛 峰 寺 御 影 堂 の 寳 庫 に 在 り て 國 寳 た り、 謂 は ゆ る 枕 本 尊 こ れ な り、 以 て 唐 代 盛 に 行 は れ た る 栴 檀 寵 像 製 作 の 實 例 を 見 る こ と を 得。 (同 書 四 五 五 頁 ) 野 山 露 寳 集 の 解 説 は 何 人 の 手 に 成 れ る か を 知 ら ぬ が、 前 記 大 村 氏 の 説 を 承 け た も の と 見 へ、 同 じ く 此 寵 像 に 就 い て は 次 の 如 く い ふ。 此 厨 子 は 一 般 に 西 域 の 影 響 の 頗 る 多 き を 認 む べ く、 支 那 唐 代 の 技 術 を 窺 ふ に、 最 も 屈 強 な る 一 資 料 た り。 此 等 は 何 れ も 此 寵 像 を 以 て、 或 は 多 少 西 域 藝 術 の 影 響 を 認 む と は い ふ も の、、 支 那 唐 代 の 製 作 と な し た こ と は 明 ら か で あ る。 彼 等 は 弘 法 大 師 の 明 言 を 如 何 に 解 繹 し、 如 何 に 之 と 融 會 せ ん と 欲 し た か、 叉 彼 等 は 此 像 の 如 何 な る 點 に 於 て 唐 代 彫 像 の 特 徴 を 見、 叉 如 何 な る 慮 に 西 域 の 影 響 を 認 め た の で あ ら う か。 甚 だ し く 奇 怪 な 説 と い は な け れ ば な ら 漁。 尚 ほ 序 を 以 て 一 言 此 に 附 記 す べ き は、 支 那 佛 教 彫 塑 篇 の 著 者 は、 此 龕 像 中 央 の 本 尊 を 以 て 阿 彌 陀 と 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 七

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 八 な し た こ と で あ る。 佛 像 儀 軌 の 未 だ 一 定 し な か つ た 時 代 の 製 作 が、 果 し て 如 何 な る 佛 を 表 現 せ ん と 欲 し た か は、 題 銘 の あ ら ざ る 限 り 何 人 も 能 く 明 言 し 得 な い の で あ る か ら、 余 輩 も 亦 必 ら す し も 之 を 否 定 す る も の で は な い が、 單 に 其 左 側 の 菩 薩 の 槻 音 像 た る が 爲 め の 推 測 な り と せ ば、 是 れ は 余 輩 の 容 易 に 首 肯 し 得 な い 所 で あ る。 彼 著 者 は 之 を 以 て 支 那 唐 代 の 製 作 と 認 め、 唐 代 に は 阿 彌 陀 像 の 製 伶 の 頗 る 多 い 黙 も 其 推 定 の 一 理 由 で あ つ た か も 知 れ 濾。 し か し な が ら 後 節 に 詳 述 す る が 如 く、 此 龕 像 を 印 度 製 作 と な す 余 の 推 定 に 依 ら ば、 印 度 に 於 て は 彌 陀 像 よ り も 寧 ろ 鐸 迦 像 が 多 く 造 ら れ た や う に 思 は れ、 又 彌 陀 像 と す れ ば 左 側 の 菩 薩 像 は 勢 至 で な く て は な ら ぬ と 考 へ ら るゝ が、 斯 か る 勢 至 像 は 余 の 未 だ 知 ら ざ る 所 で あ る。 三 今 問 題 と な れ る 此 寵 像 を 以 て 支 那 製 作 と 断 せ ん と 欲 せ ば、 そ の 彫 像 技 工 の 特 徴 は 姑 ら く 之 を 措 く、 大 師 が 將 來 録 に 於 け る 記 述 に 關 し て は、 左 の 何 れ か 一 の 假 定 を 取 ら な け れ ば な ら 漁 の で あ る。 ( 一 ) 大 師 の 支 那 將 來 と い ふ 事 實 を 全 然 否 定 す る か ( 二 ) 支 那 將 來 と し て も 印 度 傳 來 の こ と は 全 然 虚 儒 で あ る か、 少 く と も 軍 な る 傳 説 に 過 ぎ す と な す か、 (三 ) 大 師 將 來 録 中 記 す 所 と 全 然 別 物 と な す か、 而 し て 此 第 三 の 假 定 に は 又 二 種 の 場 合 が 想 像 せ ら るゝ。

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(イ ) 大 師 は 將 來 録 外 此 龕 像 を 將 來 し た か、 或 は ( ロ ) 大 師 以 外 何 人 か の 將 來 と な す か、 の 何 れ か で な く て は な ら め。 先 づ 第 一 の 假 定 か ら 之 を 論 す る こ とゝ す る。 支 那 製 作 の 主 張 者 は 果 し て 大 師 の 支 那 將 來 の 事 實 を 否 定 し た で あ ら う か。 彼 等 は 言 ふ を 侯 た す、 古 來 の 學 者 に し て 此 龕 像 の 大 師 將 來 を 否 定 し た も の、 あ る こ と を 聞 か な い。 彫 塑 篇 に も 明 ら か に ﹁ そ の 將 來 目 録 中 に 刻 白 檀 佛 菩 薩 尊 像 一 寵 あ り、 ⋮ ⋮ 今 現 に 我 が 高 野 山 金 剛 峰 寺 御 影 堂 の 寳 庫 に 在 り し と い ひ、 靈 寳 集 に も ﹁ 弘 法 大 師 が 唐 土 よ り 將 來 す る 所 な り と 傳 へ た る が、 其 の 手 法 よ り 察 す る に、 此 傳 來 は 疑 ふ べ か ら ざ る が 如 し ﹂ と あ り、 共 に 大 師 將 來 を 以 て 事 實 疑 を 容 れ ざ る も の と な す。 若 し 之 を 以 て 大 師 將 來 像 6 あ つ た と す れ ば、 其 印 度 傳 來 の も の で あ つ た こ と は 當 然 の 結 論 で な け れ ば な ら ぬ 筈 で あ る。 將 來 録 中、 此 像 以 外 別 に 自 檀 寵 像 の 將 來 せ ら れ た こ と は 何 庭 に も 登 見 し 得 な い の で あ る。 況 ん や 彫 塑 篇 の 如 き 將 來 録 中 の 自 檀 像 即 ち 是 れ な り と 明 言 す る に 於 て を や。 一 方 に は 之 を 以 て 大 師 將 來 と な し、 他 方 に は 之 を 以 て 支 那 製 作 と な す の は、 全 く 是 れ 矛 盾 の 解 繹 で あ り、 到 底 吾 人 の 是 認 し 得 な い 所 で あ る。 然 ら ば 第 二 の 假 定 を 取 り 大 師 の 記 述 を 以 て 全 然 虚 儒 又 は 少 く と も 軍 な る 傳 説 に 過 ぎ す と な さ ん か。 大 師 は 前 述 の 如 く そ の 自 か ら 圖 書 購 求 せ ら れ し も の と、 其 師 恵 果 阿 閣 梨 か ら 授 與 せ ら れ た も の と、 更 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 九

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 〇 ら に 均 し く 恵 果 阿 閣 梨 よ り 傳 受 せ ら れ た も のゝ 中 で も、 軍 に 悪 果 自 身 の 所 持 品 を 授 け ら れ た も の と、 特 に 密 激 誼 師 よ り 印 信 と し て 遞 代 相 傳 せ ら れ た も の と を 分 ち、 各 詳 細 に 之 を 記 述 せ ら れ て 居 る の で あ る。 何 を 苦 ん で 一 定 の 物 品 に 限 り、 虚 構 の 陳 述 を な す べ き、 是 れ 亦 吾 人 の 到 底 首 肯 し 得 な い と こ ろ で あ る。 單 な る 傳 説 と い ふ も 大 師 が 斯 く 明 記 せ ら る、 所 を 以 て 見 れ ば、 大 師 は 恐 ら く 其 師 恵 果 阿 閣 梨 よ り 特 に 斯 く 注 意 せ ら れ、 傳 授 さ れ た に 相 違 な い。 恵 果 は 親 し く 不 室 に 學 び、 不 空 は 金 剛 智 に 從 侍 し、 其 時 代 殆 ん ど 相 接 す る。 大 師 の 時 恵 果 同 門 の 弟 子 の 尚 ほ 生 存 す る も の も 少 か ら す あ つ た こ と、 思 ふ。 幾 百 千 年 の 後 な ら ば 知 ら す、 同 時 生 存 者 の 術 ほ 多 数 在 世 す る に 當 り、 恵 果 と い へ ど も 何 ん ぞ 能 く 附 會 の 傳 説 を 構 え て 之 を 大 師 に 附 與 す る を 得 べ き で あ ら う。 こ れ 亦 吾 人 の 到 底 信 す る を 得 な い と こ ろ で あ る。 假 命 ひ 又 恵 果 等 が 斯 か る 附 會 の 傳 説 を 虚 構 し た と し て も、 當 時 の 支 那 人 や、 特 に 又 大 師 の 如 き 美 術 的 嗜 味 の 豊 か な 識 者 が、 何 ん ぞ 支 那 製 と 印 度 製 と を 混 同 し、 之 を 盲 信 す べ き で あ ら う。 之 を 以 て 印 度 製 作 を な し た に 就 い て は、 そ れ 相 當 の 理 由 を 認 め た に 相 違 な い。 此 等 の 點 を 綜 合 し 考 ふ れ ば 此 寵 像 を 以 て 支 那 製 と な す が 如 き は、 實 に 思 は ざ る の 太 甚 し い も の で、 寧 ろ 己 の 無 知 を 告 自 す る も の と も い ふ べ き で あ ら う。 既 に 第 一 第 二 の 假 定 の 取 る べ か ら ざ る こ と が 明 ら か と な れ ば、 第 三 の 假 定 の 爾 ほ ご 層 不 合 理 な る こ と は 言 を 侯 た な い。 先 づ 弘 法 大 師 が 將 來 せ ら れ、 而 も 目 録 中 に 牧 載 せ ら れ な か つ た と い ふ が 如 き は、

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到 底 あ り 得 べ か ら ざ る こ と で あ る。 將 來 録 中 に は 経 典 の 部 に 於 て も、 一 紙 孚 葉 の も の す ら 丁 寧 に 之 を 記 入 し、 器 物 に あ つ て も 一 盞 一 箸 の 末 に 至 る ま で 之 を 牧 載 す る に、 此 龕 の 如 き 精 妙 な る 佛 像 を 目 録 中 に 脱 す べ き 筈 が な い で は な い か。 若 し 斯 か る こ と を 想 像 す る も の が あ り と せ ば、 是 れ は 全 然 常 識 を 訣 い た 論 で あ る。 叉 弘 法 大 師 以 外 の 何 人 か い 將 來 し た と 考 ふ る が 如 き は、 唯 徒 ら に 懐 疑 に 耽 る の み で、 秋 毫 の 根 底 を 有 せ ざ る も の で あ る。 此 龕 像 に 關 し て は 古 來 寺 傳 既 に 大 師 の 將 來 と い ひ、 大 師 の 將 來 録 亦 最 も 之 に 該 當 す る 記 述 を な し、 其 作 品 の 特 徴 手 法 亦 善 く 之 に 相 癒 す る に、 何 を 苦 み て 更 ら に 之 を 他 に 求 む べ き で あ ら う。 そ の 至 愚 の 論 た る 以 て 知 る べ き で あ る。 以 上 余 輩 は 大 師 の 記 述 に 据 う、 此 籠 像 の 必 ら す や 印 度 傳 來 の も の な ら ざ る べ か ら ざ る を 論 じ、 之 を 以 て 支 那 製 作 と な す が 如 き は 自 家 撮 着 の 説 た る を 明 ら か に し た の で あ る が、 爾 ほ 此 に 一 二 の 附 記 す べ き も の が あ る。 其 國 は 此 寵 像 は 大 師 在 唐 時 代 決 し て 支 那 技 術 家 の 製 作 し 得 べ き 所 に あ ら ざ る こ と で あ る。 元 來 支 那 唐 代 の 造 像 の 技 術 は 前 古 未 曾 有 の 登 展 を な し た も の で は あ る が、 開 元 天 寳 前 後 は 其 頂 貼 に 達 し た 時 代 で あ つ て、 之 よ り 以 後 は 次 第 に 衰 退 し 下 向 し つ、 あ つ た の で あ る。 大 師 時 代 帥 ち 元 和 前 後 に は 到 底 斯 か る 精 妙 な る 作 品 の 顯 は る バ、 し と は 考 へ ら れ 組、 こ れ は 他 の 作 品 の 例 に よ つ て 容 易 に 知 り 得 る の で あ る。 第 二 に は 此 寵 像 は ま た 決 し て 印 度 の そ れ を 支 那 に 於 て 模 造 し た も の と も な す べ か ら ざ る こ と で あ る。 彼 の 京 都 嵯 峨 清 凍 寺 の 鐸 迦 像 の 如 き は、 時 代 も 少 し く 後 く るゝ が、 明 ら か に 印 度 の 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 寵 に 就 い て 一 一

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 寵 に 就 い て 一 二 所 謂 子 墳 像 の 模 造 で あ る が、 彼 と 此 と は 勿 論 同 日 の 談 で は な い。 模 造 は 概 し て 原 像 の 形 を 寓 出 す こ と は 出 來 得 る が、 何 威 と な く 氣 魂 が 失 は れ、 精 采 の 乏 し い も の、 あ る こ と は、 階 唐 時 代 に 於 け る 健 陀 羅 乃 至 掬 多 期 の そ れ に あ つ て も 同 様 に 吾 人 の 認 む る 所 で あ り、 此 寵 像 の 如 き 一 線 一 刀 の 末 に 至 る ま で 秋 毫 形 式 化 の 痕 泌 を 認 め す、 紳 彩 の 変 々 と し て 生 氣 に 充 ち た も のゝ、 模 造 の 能 く 成 し 得 る 所 に あ ら ざ る は 一 見 何 人 も 容 易 に 之 を 判 じ 得 べ き で あ る。 四 更 ら に 記 鎌 を 離 れ 製 作 そ の 物 に 就 い て 此 寵 像 を 親 察 す れ ば、 余 輩 は 其 様 式 手 法 等 に 於 て、 少 く と も 三 種 の 事 項 の、 以 て 印 度 製 作 を 讃 す べ き も の、 あ る こ と を 認 め る。 三 種 の 事 項 と は 帥 ち ( 一 ) に は 此 籠 像 に 於 け る 佛 菩 薩 の 面 相、 ( 二 ) に は 衣 絞 の 彫 法、 (三 ) に は 供 養 者 の 服 飾 と で あ る。 ( 一 ) 佛 菩 薩 の 面 相 此 寵 像 に 於 け る 佛 菩 薩 の 面 相 の 極 め て 柔 和 に し て 圓 顔 豊 頬 で あ る こ と は 前 既 に 之 を 述 べ た。 斯 か る 柔 和 に し て 圓 顔 豊 頬 な る 面 相 を 佛 教 造 像 史 上 に 求 む れ ば、 印 度 掬 多 朝 時 代 の 製 作 並 び に そ の 手 法 を 綴 承 し た も の と、 支 那 唐 代 の 製 作 及 び 之 と 同 系 統 の も の と で あ る。 西 域 に 於 け る 庫 車 (鞄 茲 ) の 佛 像 亦 圓 顔 と 羅 し 得 べ き も、 是 れ は 殆 ん ど 圓 形 で あ り、 宛 も 我 邦 の 九 提 燈 の 如 く、 寧 ろ 滑 稽 に 近 く、 前 爾 者 の 如 く 荘 嚴 温 雅 な も の で は な い。 從 つ て 此 等 は 容 易 に 匠 別 し 得 べ き で あ る。 又 月 支 時 代 の マ ツ ラ 像 も 均 し く 圓 顔 豊 頬 と 幕 し 得 ら るゝ も、 こ れ は 寧 ろ 毅 然 た る 丈 夫 の 相 を な し、 此 像 の 如

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き 柔 和 温 潤 な る も の で は な い。 支 那 唐 代 の 造 像 (之 と 同 系 統 の 我 邦 天 不 時 代 の も ) は 柔 和 に し て 圓 顔 豊 頬 で あ り、 寧 ろ 女 性 的 美 を 現 は し た も の と で も い ふ べ き で あ る が、 掬 多 期 の そ れ と 多 少 相 異 す る と こ ろ は、 彼 の 世 人 の 熟 知 す る 龍 門 奉 先 寺 大 佛 一 群 の 像 や、 我 邦 藥 師 寺 の 吉 祥 天 女 像 等 に 見 る や う に、 所 謂 下 彰 れ の 面 相 で あ る。 印 度 掬 多 期 の そ れ は 斯 く 下 彰 れ で は な く、 爾 顛 の 中 央 の 部 が 豊 か な る 肉 附 で あ つ て、 こ れ を 言 語 に 表 現 す る こ と は 甚 だ 困 難 で あ る が、 雨 者 を 比 較 す れ ば 容 易 に 知 ら れ 得 る の で あ る。 今 此 寵 像 を 見 る に 印 度 掬 多 期 の 製 作 と 全 然 其 規 を 一 に す る も の で あ つ て、 支 那 唐 代 の そ れ と は 自 か ら 多 少 の 異 な る こ と を 認 め な け れ ば な ら ぬ。 ( 二 ) 衣 紋 の 彫 法 此 龕 像、 特 に 中 央 繹 迦 像 の 衣 絞 の 彫 法 は 又 一 種 特 殊 の も の で あ る。 衣 の 鍛、 帥 ち 衣 紋 の 彫 法 は 時 代 と 國 土 と に よ り 多 少 の 相 違 す る と こ ろ が あ る。 腱 陀 羅 造 像 に あ つ て は 希 臓 の そ れ と 同 じ く 波 歌 を な し、 (其 最 も 略 式 の も の は 線 彫 で あ る が、 線 彫 は 何 れ の 國、 何 れ の 時 代 に も 共 蓮 に 見 る 所 で あ る。 ) 月 支 時 代 の マ ツ ラ 像 は 彼 有 名 な る ベ ナ ー レ ス の 佛 経 行 像 に 見 る が 如 く、 凸 起 線 を 彫 出 し 其 上 に 一 二 細 線 を 刻 す る も の で あ る。 中 央 印 度 に 於 け る 掬 多 像 に は 衣 紋 は 一 切 之 を 造 ら ざ る を 以 て 常 則 と す る、 が 此 時 期 の マ ツ ラ 像 に は 極 め て 優 美 な る 細 線 を 刻 す る o 而 し て 敦 煙 地 方 の 或 像 に 於 て も 正 し く 之 と 同 磋 の も の、 存 す る を 認 む る。 支 那 に あ つ て は 彼 大 同 靈 巌 に 於 け る 大 佛 一 群 の 像 に の み 此 凸 起 線 の 彫 法 を發 見 す る が、 そ れ 以 後 に は 絶 え て 之 を 見 な い。 六 朝 時 代 の 造 像 に あ つ て は 大 抵 鋸 歯 様 若 く 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 三

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 四 は 軍 に 線 彫 を 以 て 衣 絞 を 顯 は し 唐 に 至 つ て 始 め て 波 紋 様 の 線 を 以 て 之 を 刻 す る こ と、 宛 も 彼 健 陀 羅 に 於 け る と 同 様 と な つ た。 こ れ が 衣 絞 の 彫 法 獲 化 の 大 要 で あ る。 然 る に 今 此 龕 像 を 見 る に 特 に 其 中 央 鐸 迦 像 の そ れ は 純 粋 凸 起 線 で は な く、 幾 分 波 絞 様 に 接 近 し た も の で は あ る が、 其 波 絞 の 頂 點 に 當 り 淺 い 細 線 を 線 彫 と す る 。 從 っ て 其 波 絞 も 巾 廣 く 又 高 く 威 ぜ ら れ す、 極 め て 微 細 に し て 優 美 な る も の と な つ た。 眉 毛 の 彫 法 に 於 て も 亦 之 と 同 様 で あ る。 斯 の 如 き 衣 絞 の 彫 法 は 支 那 に 於 て は、 前 記 大 同 露 巖 大 佛 一 群 の 粗 剛 な が ら 稽 之 に 近 き を 除 い て は、 其 類 例 を 見 ざ る 所 で あ り、 唐 代 の 彫 法 と も 全 然 其 趣 を 異 に す る の で あ る。 唯 此 一 點 の み を 以 て も、 此 龕 像 の 支 瓢 製 作 に あ ら ざ る を 證 す べ き で あ る。 露 巖 大 佛 一 群 の 諸 像 が 精 之 に 近 し と は い へ、 其 面 相、 體 格 等 其 他 所 有 點 に 於 て 之 と 相 違 す る は 更 め て 言 ふ を 侯 た ぬ。 要 す る に グ プ タ 時 代 の マ ツ ラ 地 方 の 製 作 の み が 之 に 相 當 す る の で あ つ て、 此 像 の 其 他 の 點 に 於 て も 一 切 之 と 一 致 し 秋 毫 も 矛 盾 す る 所 を 見 な い の で あ る。 乃 ち 此 像 の 印 度 製 作 な る 断 じ て 之 を 知 る べ き で あ る 。 (三 ) 供 養 者 の 衣 飾 唐 代 の 製 作 な ら ば 供 養 者 は 通 常 唐 の 服 装 を な し、 女 子 は 多 く 宛 も 今 の 朝 鮮 婦 入 の 如 く 上 半 身 に は 短 き 筒 袖 の 衣 を 被、 腰 以 下 に は 今 の ス カ ー ト に 似 た も の を 着 け、 頭 髪 は 之 を 上 に 結 び、 男 子 は 長 い 寛 や か な 服 を 着 け、 頭 に は 冠 又 は 帽 を 戴 く。 然 る に 此 像 を 見 る に 男 女 何 れ も 佛 像 と 同 様 の 印 度 服 を 着 け、 頭 に も タ ー バ ン 襟 の も の を 蒙 む り、 支 那 服 装 と 全 然 異 な つ て 居 る。 支 那 の 製 作 な

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ら ば 何 ぞ 斯 か る 印 度 服 装 を な す べ き、 是 れ 亦 明 ら か に 印 度 傳 來 な る こ と を 謹 す る も の で あ る。 尚 ほ 其 他 の 鮎 に 於 て も 印 度 古 代 の 製 作 た る を 謹 す べ き 事 實 は な い で も な い が、 前 掲 三 種 の 特 徴 は 既 に 之 を 謹 し て 餘 あ る も の と 信 す る か ら、 餘 は 一 切 之 を 略 す る こ とゝ す る。 唯 一 言 此 に 附 記 し て 置 き た い の は、 高 野 山 上 に は 大 師 將 來 の 此 自 檀 像 と 形 式 の 多 少 相 類 す る 所 謂 枕 本 曾 な る も の、 諸 慮 に 存 す る こ と で あ る。 固 よ り 此 寵 像 と は 同 日 に 論 す べ か ら ざ る も の で は あ る が、 何 れ も 亦 貴 重 の 珍 品 た る を 失 は ぬ。 而 し て 其 中 に は 我 邦 の 製 作 に 係 る も の も あ り、 支 那 製 作 の も の も 存 す る。 野 山 需 巫寳 集 中 牧 載 す る 遍 明 院 藏 の 文 殊 菩 薩 厨 子 と 禧 す る も の は、 恐 ら く 我 邦 に 製 作 す る 所 な る べ く、 普 門 院 藏 の 鐸 迦 如 來 厨 子 は 唐 代 の 製 作 で あ り、 又 龍 光 院 藏 の 乾 漆 枕 本 曾 屏 風 な る も の は、 其 材 料 並 び に 形 式 に 於 て 稽 異 な つ て は 居 る が、 同 じ く 唐 代 の 製 作 な る こ と は 疑 を 容 れ ぬ。 斯 く 三 國 に 渉 り 各 そ の 遺 品 が 保 存 せ ら る、 こ と で あ る か ら、 學 者 の 比 較 研 究 に は 最 も 便 利 で あ り、 又 此 等 を 互 ひ に 相 封 比 し 來 れ ば、 そ の 間 如 何 な る 點 が 相 違 す る か も 容 易 に 知 ら れ 得 る の で あ る。

余 輩 は 前 数 節 に 於 て 或 は 記 録 の 上 よ り、 或 は 實 物 の 比 較 研 究 よ う、 大 師 將 來 の 自 檀 像 の 印 度 傳 來 な ら ざ る べ か ら ざ る 所 以 を 説 き 了 つ た。 若 し こ れ が 印 度 製 作 で あ り と す れ ば、 佛 厳 造 像 史 上 從 來 學 者 の 未 だ 曾 て 知 ら ざ る 幾 多 の 資 料 を 提 供 す る も の で あ つ て、 實 に 學 海 に 於 け る 無 二 の 珍 寳 で あ る こ と が 明 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 五

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 六 ら か と な る の で あ る。 然 ら ば 此 自 檀 像 が 如 何 な る 資 料 を 佛 敢 藝 術 史 上 に 提 供 す る か。 以 下 少 し く 其 主 な る も の に 就 い て 之 を 略 述 し や う。 ( 一)厨 子 形 の 龕 龕 と は 普 蓮 合 の 下 に 龍 字 を 書ゝ が、 説 文 に 据 れ ば こ れ は 誤 字 で あ つ て、 今 の 下 に 龍 字 を 書 く、 帥 龕 を 以 て 正 字 と な す 。 而 し し 音 は 戡、 堪、 鎗 と い ふ 。 今 字 に は カ ン、 ガ ン の 音 は な い、 乃 ち 此 今 は 含 の 略 で あ る の 而 し て 説 文 で は 寵 を 以 て ﹁ 龍 只 ﹂ と 解 し、 或 は 受 と か 盛 と か 或 は 取 也 と も い つ て あ る、 こ れ が 抽 も 龕 字 の 本 義 ら し い。 し か し 佛 敦 に い ふ 寵 と は 之 と 全 然 其 意 義 を 異 に す る が、 坊 問 行 は る、 字 書 に は、 或 は ハ カ と か ズ シ と か 乃 至 塔 下 の 室、 佛 像 を 安 置 す る 處 等 と い つ て あ る が、 こ れ も 其 原 始 の 形 で は な い。 佛 教 の 寵 と は 本 と 印 度 語 の 音 譯 で 山 腹 の 窟 室 を 意 義 し、 そ れ に 佛 像 を 安 置 し た 處 を い ふ の で あ る。 そ れ 故 に 支 那 に あ つ て も 山 腹 や 柱 の 中 部 乃 至 壁 面 に 凹 處 を 作 り、 内 に 佛 像 を 安 く も の は、 総 べ て 之 を 龕 と い ふ。 我 邦 の 床 の 間 の 如 き も 直 接 間 接 寵 の 變 形 し た も の と 裕 せ ら る。 佛 激 に 於 て も 龕 像 は 叉 諸 種 の 變 形 を 生 じ た。 元 來 古 代 の 龕 像 は 大 抵 龕 内 に 造 り 付 け ら れ て 居 る が、 假 命 ひ 造 付 け で な く て も 一 々 輩 獨 の 佛 菩 薩 像 で あ る か ら、 之 を 蓮 搬 携 帯 す る こ と は 不 可 能 で 弓 く て も、 非 常 に 不 便 で あ る。 箪 猫 の 像 で は 之 を 安 置 す る 場 所 が 必 要 で あ る の み な ら す、 其 挾 侍 や 天 人 や 乃 至 天 蓋 香 櫨 の 類 も、 各 別 々 に 組 合 は さ な け れ ば な ら 澱。 此 等 の 不 便 を 除 く 爲 め、 印 度 に あ つ て も 既 に 此 等 一 切 の の も の を 一 李

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面 に 彫 出 し た 立 佛 と で も 稻 す べ き も の が 造 ら れ た、 而 し て 之 に は 石 材 を 用 ゐ た も の も あ れ ば、 金 薦 製 の も の も あ る、 其 遺 物 は 腱 陀 羅 地 方 よ り も 發 見 せ ら れ、 又 掬 多 朝 時 代 の も の も あ る。 此 立 佛 は 中 央 に 佛 禮 を 刻 し、 左 右 雨 側 に は 神 王 夜 叉 天 人 等 を 顯 は し、 上 に 天 蓋 を 掛 け、 下 に は 香 燈 を 置 く 等、 大 禮 此 自 檀 像 と 相 近 い も の で あ り、 唯 下 部 に は 長 方 形 の 毫 を 作 り、 如 何 な る 慮 に も 随 意 之 を 安 置 し 得 る や う 出 來 て 居 る。 支 那 六 朝 時 代 に 往 々 製 作 せ ら れ た 像 牌 な る も の も、 恐 ら く 此 等 よ り 暗 示 を 得、 支 那 固 有 の 思 想 と 相 混 和 し 生 じ た も の で あ ら う。 此 に あ つ て は 普 通 支 那 の 碑 に 見 る が 如 き 亀 蹟 を 其 下 部 に 附 し、 随 慮 立 ち 得 る 如 く 作 つ た も の で あ る。 而 し て 此 に は 天 蓋 香 櫨 等 は 勿 論、 紳 王 夜 叉 の 類 は 一 切 存 せ す、 牌 面 に は 輩 に 佛 禮 を 刻 す る の み で あ る か ら、 此 黙 か ら 見 れ ば 寧 ろ 造 像 碑 の 憂 形 と も 考 へ ら る、 の で あ る。 立 佛 が 更 ら に 輩 簡 化 さ れ た の は 帥 ち 掛 佛 で あ る。 掛 佛 は 我 邦 に 於 て も 多 数 製 作 せ ら れ た が 支 那 に あ つ て は 多 少 形 は 異 な る が 唐 末 宋 初 頃 か ら 作 ら れ た ら し い。 但 印 度 に 果 し て 此 類 の も の が あ つ た か 否 か は 明 ら か で な い、 今 其 遺 物 の 登 見 せ ら れ た も の は 一 も な い や う で あ る。 立 像 の 製 作 は 携 帯 用 と し て は 極 め て 便 利 と は な つ た が、 術 ほ 之 に は 一 定 の 之 に 相 懸 は し い 安 置 の 場 庭 を 必 要 と す の み な ら す 佛 禮 は 露 出 せ ら れ て 居 る の で あ る か ら、 供 養 禮 拜 の 時 は 兎 に 角、 雫 素 は 佛 禮 の 奪 嚴 を 胃 漬 す る 嫌 が な い で も な い。 斯 か る 理 由 か ら 按 出 せ ら れ た の が 帥 ち 此 像 寵 の 如 き 前 面 左 右 扉 を 有 す る 厨 子 様 の 籠 で あ る。 此 等 は 信 侶 若 く は 篤 信 者 の 實 際 上 の 必 要 よ り 自 然 に 墾 化 し 來 っ た も の で 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 七

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 八 あ る 。 し か し 厨 子 様 の 龕 な る も の は、 其 材 料 の 如 何 を 問 は す、 支 那 古 代 の も の は 未 だ 一 も 登 見 せ ら れ な い や う で あ る、 印 度 に 至 つ て は 腱 陀 羅 に も 掬 多 期 の 製 作 に も 今 日 の 處 絶 え て 存 せ な い。 獨 り 我 邦 に あ つ て は 厨 子 の 製 作 は 古 代 か ら 既 に 存 在 し た、 が 其 厨 子 の 形 式 は 多 く 支 那 の 宮 殿 又 は 之 よ り 鍵 形 し た 佛 殿 を 模 し 造 ら れ て 居 る の で、 支 那 に も 曾 て 斯 か る 厨 子 の 製 作 せ ら れ た こ と を 推 測 し 得 ら るゝ が、 果 し て こ れ は 支 那 人 の 創 意 に 成 つ た も の か、 或 は 印 度 西 域 地 方 に 於 て 既 に 其 範 を な す も の が あ つ た か は、 全 然 不 明 で あ つ た の で あ る。 然 る に 今 此 像 を 見 れ ば 後 世 厨 子 と 其 形 に 於 て、 又 其 製 法 に 於 て 全 然 同 一 な る を 認 む る の で、 後 世 厨 子 様 の 寵 は 遲 く も 印 度 中 世 既 に 製 作 せ ら れ、 支 那 並 び に 我 邦 の そ れ は、 多 少 其 形 を 異 に す る も の が あ つ た と し て も、 何 れ も 遠 く 印 度 に 淵 源 す る こ と を 知 り 得 る の で あ る。 此 黙 に 於 て も 此 寵 は 實 に 世 界 に 於 け る 唯 一 の 貴 重 な る 資 料 で あ る。 (二)素 材 像 元 來 印 度 古 代 の 造 像 は 其 材 料 の 如 何 を 問 は す、 希 臓 の そ れ と 同 じ く、 何 れ も 着 色 せ ら れ た る も の で あ る。 勿 論 現 時 登 見 せ ら る、 と こ ろ で は、 そ の 色 彩 の 存 す る も の は 殆 ん ど な い の で あ る が、 此 等 は 多 年 寒 暑 風 雨 に 晒 ら さ れ、 自 然 に 色 彩 の 剥 落 し た が 爲 め で あ つ て、 本 來 着 色 せ ら れ な か つ た こ と の 謹 と は な ら 漁 の で あ る。 是 故 に 古 來 傳 世 の 造 像 に あ つ て も、 諸 虜 に 其 色 彩 の 痕 迩 の 存 す る も の は 少 く な い。

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例 之 へ ば 佛 體 の 黄 金 色 頭 髪 の 紺 青 色 の 如 き で あ る。 叉 地 中 に 埋 没 せ ら れ た も の に あ つ て も。 現 に 腱 陀 羅 地 方 よ り し て 燦 欄 た る 色 彩 を 有 す る 背 光 の 破 片 の 出 土 し た も の、 あ る を 以 て も 之 を 知 る べ き で あ る。 支 那 に 於 け る も 亦 之 と 同 様 で あ る。 是 故 に 現 に 大 同 露 巖 窟 室 内 の 諸 像 の 如 き、 假 令 ひ 多 少 後 世 修 治 す る と こ ろ あ り と は い へ、 其 光 彩 陸 離 と し て 實 に 人 目 を 眩 す る ば か り で あ る。 然 る に 後 世 の 學 者 往 々 に し て 之 を 識 ら す、 其 色 彩 の 既 に 剥 落 し 了 れ る 石 材 の 像 を 見 て 純 潔 清 浮 と な し、 之 を 賞 讃 し、 或 は 鋳 金 像 の 香 煙 と 鋼 鋪 と に よ つ て 既 に 暗 黒 色 と な れ る を 以 て、 ﹁ 氣 高 く 紳 々 し く 紳 秘 的 盤 戚 を 生 せ し む ﹂ と 讃 歎 し、 作 者 が 本 と よ り し て 故 意 に 白 色 や 暗 黒 色 と な し た 如 く に 考 ふ る は、 實 に 至 愚 の 言 で あ る。 斯 く の 如 き 見 當 違 ひ の 讃 辭 を 聴 い て は、 恐 ら く 作 者 も 地 下 に 苦 笑 を 禁 し 得 ざ る こ と で あ ら う。 斯 く 古 代 の 彫 像 に あ つ て は 着 色 が 一 般 常 則 と す る と こ ろ で あ る の に、 今 此 自 檀 像 龕 を 見 る に、 木 材 其 儘 で あ つ て、 何 庭 に も 着 色 の 痕迹 す ら 發 見 し 得 な い の で あ る。 若 し 本 來 着 色 せ ら れ た る も の と す れ ば、 其 寵 の 外 部 の 如 き は 幾 百 千 年 の 間、 自 か ら 色 彩 の 剥 落 す る こ と は 當 然 で あ る が、 其 内 側 の 諸 像 の 何 處 に か 多 少 の 色 彩 の 獲 存 す る も の を 認 め な け れ ば な ら ぬ 筈 で あ る。 然 る に 其 痕 迹 す ら 認 め 得 な い と す れ ば、 本 來 こ れ は 着 色 せ ら れ な か つ た も の と 断 定 せ ざ る を 得 な い。 果 し て 然 り と す れ ば 着 色 は 古 代 造 像 に 於 け る 般 的 慣 習 で あ つ た が、 何 等 か の 理 由 に よ つ て 特 に 着 色 せ ざ る も の も あ つ た こ と を 知 る べ き で あ る。 或 は 思 ふ に 普 逼 の 材 料 を 以 て 造 れ る 佛 像 に は 着 色 し た が、 例 之 へ ば 金 銀 の 如 き 貴 金 屬 や、 赤、 白 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 九

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 二 〇 栴 檀 の 如 き 香 木 類 を 以 て 作 れ る も の に あ つ て は、 其 材 料 の 貴 重 な る を 明 ら か に 知 ら し む る が 爲 め、 特 に 例 外 に 着 色 を 避 け た も の も あ つ た の で は な か ら う か。 此 黙 に 於 て も 此 籠 像 は 造 像 史 上 貴 重 な る 資 料 を 提 供 す る も の と い は な け れ ば な ら ぬ。 ( 三)木 像 材 木 は 一 般 に 最 も 腐 朽 し 易 く、 叉 最 も 燃 焦 し 易 い も の で あ る に 關 は ら す、 我 邦 に 於 て は、 佛 数 渡 來 の 初 期 に 製 作 せ ら れ た 木 像 の 今 尚 ほ 多 少 存 す る の は 實 に 奇 蹟 に も 近 い 顯 象 で あ る が、 こ れ は 偏 へ に 我 國 民 の 歴 代 佛 教 に 野 し、 崇 心 の 深 厚 で あ つ た に 依 る の で あ ら う。 朝 鮮 に あ つ て は 新 羅 時 代 の 木 像 は 既 に 絶 無 に し て 僅 有 と も い ふ べ く、 支 那 に 至 つ て は 宋 以 前 に 成 れ る 木 像 遺 物 は 先 づ 絶 え て 存 せ す と い つ て 差 支 な い。 西 域 地 方 に は 極 め て 稀 れ に 木 像 の 出 土 す る も の が な い で も な い が、 印 度 で は 從 來 此 類 の 像 の 登 見 せ ら れ た も の は 一 も 存 せ な い の で あ る。 西 北 印 度 で は 勿 論 石 材 が 主 と し て 用 ゐ ら れ て 居 る が、 中 に は 塑 像 も な い で は な い。 塑 像 の 如 き は 比 較 的 殿 損 し 易 い も の で あ る に 係 は ら す、 其 遺 物 の 今 尚 存 す る も のゝ あ る の に、 木 像 の 一 も 發 見 せ ら れ な い 所 を 以 て 見 れ ば、 此 地 方 で は 彫 刻 材 料 と し て 木 材 が 使 用 せ ら れ な か つ た の で は な か ら う か と も 考 へ む れ る。 掬 多 朝 時 代 に は 印 度 の 鋳 金 術 も 頗 る 登 達 し た と い は る、 の で あ る か ら、 鋳 金 像 も 恐 ら く 多 藪 製 作 せ ら れ た こ とゝ 推 測 せ ら るゝ が、 今 日 ま で 學 海 に 公 に せ ら れ た も の は 歎 個 の 残 飲 の 外、 完 全 な る も の は 僅 か に 一 二 點 を 数 ふ る に 過 ぎ な い の で あ る 。 こ

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れ は い ふ 迄 も な く 印 度 で は 雨 期 が 長 く、 雨 量 も 随 つ て 多 い が 爲 め、 金 屬 製 の も の は 比 較 的 早 く 腐 蝕 し 了 つ た の で あ ら う。 鋳 金 像 す ら 既 に 斯 の 如 く で あ る、 況 ん や 金 屬 よ り も 更 ら に 一 層 腐 朽 し 易 い 木 像 に 於 て を や。 今 や 印 度 に 於 て 登 見 せ ら れ た 石 像 は 殆 ん ど 無 量 と も 総 す べ き に、 木 像 は 全 然 之 を 缺 く の も 亦 勢 の 已 む を 得 ざ る 所 で あ る。 し か し 印 度 に 於 て も 木 像 が 古 來 決 し て 作 ら れ な か つ た 謬 で は な い。 と い ふ の は 漢 譯 増 一 阿 含 に 佛 が 三 十 三 天 に 上 ら れ た 時、 優 填 王 と 波 斯 匿 王 と が 地 上 に 於 て 再 び 佛 を 見 る こ と を 得 ざ る を 悲 み、 將 さ に 疾 を 成 さ ん と し た に よ り、 群 臣 王 を 慰 め ん が 爲 め、 一 は 牛 頭 栴 檀 を 以 て 一 は 紫 磨 金 を 以 て 佛 の 形 像 高 さ 五 尺 な る も の を 作 ら し め た、 是 れ が 抑 も 佛 像 製 作 の 始 で あ る と い ふ。 勿 論 此 話 は 歴 史 的 事 實 と し て は 信 す る に 足 ら ざ る の で あ る が、 少 く と も 中 印 地 方 に は 金 厨 像 と 共 に 木 像 が 製 作 せ ら れ た れ ば こ そ、 後 世 斯 か る 傳 説 を も 生 じ た の で あ ら う。 然 ら ざ れ ば 斯 か る 傳 説 の 生 す べ き 理 由 は な い 筈 で あ る。 乃 ち 木 像 の 製 作 は 多 少 あ つ た が、 星 霜 を 経 る に 随 ひ 何 時 し か 腐 朽 し、 今 や 地 上 に 其 跡 を 絶 し だ も の と 考 へ な け れ ば な ら ぬ。 然 る に 今 此 龕 像 は 自 檀 を 以 て 作 ら れ、 而 も 中 央 釋 迦 像 龕 の 下 部 が 少 し く 毀 損 せ ら るゝ の み で、 其 他 は 殆 ん ど 完 全 に 保 存 せ ら れ、 印 度 木 像 の 製 法 は 唯 之 に よ つ て の み 知 ら れ 得 る の で あ る。 是 れ 實 に 天 下 の 至 寳 で あ る と い は な け れ ば な ら ぬ。 印 度 に 於 て も 見 る を 得 す、 支 那 に も 存 す る と こ ろ な く、 唯 我 邦 に 於 て の み 之 を 有 す る の は、 歴 代 の 租 師 傳 法 の 印 信 と し て 藪 百 千 年 來 丁 重 に 之 を 護 持 し た が 爲 め で あ る こ と は 言 ふ 迄 も な い。 佛 天 の 加 護 と は 即 ち 斯 の 如 き を 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 一 二

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 二 二

う。

記。

り、

た。

る。

鹿

一合

西

る。

れ、

が、

る。

(四)五

て、

た。

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井 の 一 部 乃 至 塔 の 下 部、 数 多 の 促 劃 を 造 り、 其 一 々 の 庭 劃 内 に 佛 禮 を 績 は す 場 合 の 如 き も、 多 く は 殆 ん ど 同 標 の 形 相 を 繰 返 す の み で あ る。 中 に は 全 禮 の 調 和 を 保 た し む る が 爲 め、 中 央 の 像 を 正 面 に 向 は し め、 其 左 右 爾 側 の 像 を 幾 分 中 央 像 に 向 は し め た も の も な い で は な い が、 術 ほ 後 世 の 一 佛 二 菩 薩 の 形 を 成 す に は 至 ら ぬ。 彼 迦 膩 迦 色 王 の 製 作 せ し め ら れ た 有 名 な る 舍 利 器 の 蓋 上 の、 中 央 に 佛 體 あ り、 左 右 各 一 人 之 に 對 し 合 掌 し 立 て る も の、 如 き は、 腱 陀 羅 系 の 遺 品 中 三 尊 の 様 式 に 最 も 近 似 し た も の で あ る。 而 も 是 れ 爾 ほ 後 世 の 如 く 一 佛 二 菩 薩 と は い へ 澱。 元 來 腱 陀 羅 の 造 像 は 小 乗 敏 徒 の 製 作 で あ る か ら 菩 薩 と い へ ば 佛 の 前 身 に 外 な ら ぬ。 随 つ て 一 體 の 挾 侍 菩 薩 杯 の あ る べ き 筈 は な い。 叉 佛 の 侍 衛 と い へ ば 梵 天 帝 繹 か、 沙 樂門 で な 鴎 て は な ら 漁 か ら、 三 曾 の 様 式 の 成 立 す べ か ら ざ る は 當 然 の 顯 象 と い は な け れ ば な ら ぬ。 三 尊 の 様 式 は 大 乗 蕨 徒 に よ つ て 始 め て 案 出 さ れ た も の で あ る。 掬 多 朝 時 代 に 至 つ て は、 大 乗 激 も 頗 る 盛 に 印 度 に 行 は れ た こ と で あ る か ら、 三 曾 や 五 尊 の 襟 式 も 存 在 し た 筈 で あ る。 し か し な が ら 今 日 登 見 せ ら れ た 掬 多 期 の 造 像 は 殆 ん ど 無 数 で あ る が、 何 れ も 輩 獨 孤 立 の も の で、 三 曾 や 五 尊 の 様 式 は、 遺 物 の 上 か ら は 未 だ 能 く 之 を 證 明 し 得 な い の で あ る。 支 那 に あ つ て は 北 魏 時 代 大 同 露 巖 の 初 に 成 れ り と 推 定 せ ら る、 大 佛 一 群 の 像 に 於 て は、 既 に 一 佛 二 菩 薩 の 三 尊 の 様 式 を 認 む る。 し か し 明 ら か に 五 尊 の 様 式 と 思 は るゝ も の は、 唐 代 に 至 る ま で は 未 だ 之 を 楼 見 し 得 な い や う で あ る。 勿 論 東 魏 の 式 定 二 年 (西 暦 五 四 四 年 ) 法 義 等 三 百 人 の 造 れ る 像 銘 に は 一 佛、 二 菩 薩、 二 太 子、 八 天 人、 二 寳 塔、 倒 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い で 二 三

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 二 四 龍、 師 子、 諸 天 花 等 を 彫 出 し た と あ る が、 此 に 二 太 子 と あ る の は、 果 し て 如 何 な る 形 相 で あ つ た か 明 ら か な ら ぬ が、 太 子 と い ひ 僧 形 と い は ざ る 所 を 以 て 見 れ ば、 恐 ら く 俗 人 の 形 で、 此 自 檀 像 に 於 け る 後 方 の 國 王 の 如 き も の で は な か っ た ら う か と 思 ふ。 若 し 果 し て 然 り と す れ ば 多 少 五 曾 の 様 式 に 近 い も の で は あ る が、 普 通 一 佛 二 菩 薩 二 沙 門 の 五 曾 像 と は 術 ほ 頗 る 相 違 す る 所 あ り と い は な け れ ば な ら ぬ 。 唐 以 前 最 も 五 尊 像 に 近 い の は、 彼 の 龍 門 賓 陽 洞 (景 明 の 初 よ り 正 光 四 年 に 至 る 前 後 二 十 有 四 年 に し て 成 る ) に 於 け る そ れ で あ る。 が 此 像 は 頗 る 不 思 議 な 排 列 で あ つ て、 先 づ 中 央 に 本 奪 如 來 像 が あ り、 其 左 右 に 各 一 僧 形 と 一 菩 薩 と あ り、 此 に 五 尊 の 形 式 を な す が、 更 ら に 之 と 相 併 び、 左 右 各 一 菩 薩、 一 如 來 最 後 に 一 菩 薩 の 像 が あ り、 全 部 合 す れ ば 中 央 本 尊 と 共 に 十 一 尊 と な る が、 實 は 左 右 各 三 曾 と 中 央 五 尊 と を な し 淀 も の と 思 は れ る。 此 に よ つ て 考 ふ る と 大 膿 此 像 は 大 師 將 來 の 自 檀 像 龕 の 類 を 寓 し 造 れ る も の で は な か ら う か。 帥 ち 此 白 檀 像 の 中 央 龕 身 の 像 を 五 尊 と し、 爾 扉 の そ れ を 各 三 尊 と な し、 之 を 横 に 一 列 に 刻 す れ ば、 正 し く 賓 陽 洞 の 造 像 と 同 様 と な る。 斯 く の 如 く 分 解 し 考 へ な け れ ば 此 洞 の 造 像 は 餘 り に 錯 亂 無 秩 序 に し て、 到 底 其 意 義 を 理 解 し 得 な い の で あ る。 若 し 果 し て 然 り と せ ば 五 愈 像 の 様 式 も 支 那 六 朝 末 に は 既 に 輸 入 せ ら れ た や う で あ る が、 し か し 此 に あ つ て は 三 尊 と 五 尊 と の 匠 劃 も 未 だ 判 然 せ す、 甚 だ 曖 昧 に し て 箕 に 五 尊 の 様 式 を 成 し た も の と は い へ ぬ。 又 普 蓮 五 尊 像 に 於 て は 沙 門 形 は 佛 菩 薩 の 後 方 小 さ く 刻 せ ら れ、 此 洞 に 於 け る 如 く 之 を 一 例 に 彫 出 せ ぬ の で あ る、 此 點 に 於 て も 後 世 五 尊 像

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の 様 式 と 多 少 の 相 違 す る 所 が あ る。 が し か し こ れ は 洞 窟 内 壁 面 に 彫 出 し た の で あ る か ら 勢 巳 む を 得 な か つ た の で あ ら う。 兎 に 角 六 朝 時 代 の 彫 刻 家 は 恐 ら く 判 然 五 尊 像 の 様 式 を 知 ら な か つ た の で、 其 原 像 は 三 尊 五 尊 各 其 様 式 の 定 ま つ た も の が あ つ た の で あ ら う が、 之 を 其 儘 一 列 に 模 刻 し た が 爲 め、 斯 か る 混 餓 錯 雜 し た 排 置 と な つ た も の と 思 ふ。 支 那 に 於 て 眞 に 五 尊 の 様 式 の 顯 は れ た の は 唐 代 か ら で あ る。 彼 高 宗 時 代 龍 門 に 刻 せ ら れ だ 有 名 な る 奉 先 寺 の 大 佛 一 群 の 像 に 於 て は 吾 人 は 明 ら か に 之 を 見 る こ と が 出 來 る。 之 と 同 様 な も の は 唐 代 製 作 の 銅 製 遺 品 に あ つ て も、 吾 人 の 往 々 に し て 見 る 所 で あ る。 六 朝 以 來 の 三 尊 の 様 式 や 唐 代 に 至 り 頗 る 盛 に 行 は れ た 五 尊 の 様 式 が、 果 し て 支 那 技 術 家 の 創 意 に 成 つ た か、 將 た 何 れ か 外 國 よ り 傳 來 し た か、 其 淵 源 に 就 い て も、 從 來 殆 ん ど 全 く 曖 昧 に 附 せ ら れ た の で あ る。 然 る に ゑ, 此 自 檀 像 を 見 れ ば 菅 に 三 尊 五 尊 の み な ら す、 更 ら に 九 尊 の 様 式 に 至 る 迄 (高 昌 の 壁 書 に も 殆 ん ど 此 九 尊 像 と 同 様 の が あ る。 ) 掬 多 時 代 既 に 其 形 を な し た こ と が 判 り、 支 那 西 域 に 於 け る 此 等 の 様 式 も 亦 皆 直 接 印 度 よ り し て 傳 來 し た こ と が 知 り 得 ら る、 の で あ る。 此 點 に 於 て も 此 自 檀 像 は 造 像 史 上 學 海 を 稗 盆 す る 最 も 大 な る も の で あ り、 叉 そ の 唯 一 の 資 料 で あ る。 附 記 後 世 腱 陀 羅 式 造 像 に 於 て も 普 通 吾 人 が 三 尊 佛 と 繕 す る も の と 殆 ん ど 同 様 の 形 相 を 顯 は し た も の が な い こ と は な い、 例 之 へ ば フ ー シ ェ 氏 の ﹁ 腱 陀 羅 に 於 け る 希 臓 ・佛 教 美 術 ﹂ 第 二 巻、 四 〇 五 圖 乃 至 四 〇 入 圖 に 見 る が 如 く で あ る。 吾 人 は 此 等 に 於 て は 後 世 所 謂 三 尊 佛 と 殆 ん ど 何 等 の 相 違 を も 認 め 弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 二 五

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弘 法 大 師 將 來 の 白 檀 像 龕 に 就 い て 二 六 得 な い 位 で あ る。 が 果 し て こ れ が 所 謂 三 尊 佛 で あ る か、 將 た 釋 迦 と 二 侍 衛 (梵 天、 帝 釋 ) と 解 す べ き か、 こ れ は 大 な る 疑 問 で あ る。 吾 人 は 遺 憾 な が ら 今 其 製 作 年 代 を 明 か に し 得 な い が 爲 め、 断 然 た る 決 論 を 與 ふ る に 躊 躇 せ な け れ ば な ら ぬ。 が 若 し こ れ が 小 乗 教 的 造 像 で あ る と す れ ば、 其 雨 挾 侍 を 以 て 梵 天 帝 釋 と 解 す る の が 正 當 で あ ら う。 若 し 叉 大 乗 教 的 造 像 で あ る と す れ ば、 後 世 三 尊 像 の 比 較 的 古 い 形 で あ る と せ な け れ ば な ら ぬ。 但 形 像 の 上 か ら は 大 乗 教 の 三 尊 像 も 或 は 此 類 の 小 乗 的 三 尊 (即 ち 釋 迦 と 梵 天 帝 釋 ) か ら 登 展 し 來 つ た も の か と も 思 ふ。 六 餘 輩 が 前 節 述 べ 來 る 所 に よ つ て、 弘 法 大 師 の 白 檀 像 が、 佛 教 藝 術 史 上 諸 種 の 方 面 に 於 て 如 何 に 重 要 な る 資 料 を 提 供 す る も の な る か は、 粗 々 之 を 了 解 し 得 た こ と、 信 す る。 從 來 學 者 は 僅 か に 美 術 的 便 値 の 幾 分 を 知 る の み で、 此 重 大 な る 藝 術 吏 上 の 債 値 を 認 め る こ と が 出 來 な か つ た が 爲 め、 能 く 此 龕 像 の 有 す る 眞 價 を 發 揮 し 得 な か っ た の で あ る。 余 輩 は 前 に 之 を 以 て 現 存 す る 世 界 唯 一 の 資 料 と な し た の も 亦 實 に 此 理 由 に 基 づ く の で あ る。 況 ん や 叉 此 龕 像 は 支 那 日 本 に 於 け る 密 教 諸 祖 の 師 資 相 傳 の 印 信 た る 宗 教 的 無 限 の 債 値 を 有 す る も の な る に 於 て や、 洵 に 是 れ 絶 世 の 至 寳 と い ふ べ き で あ る。 余 輩 は 尚 ほ 本 篇 を 終 る に 際 し、 聊 か 此 寵 像 の 製 作 地 と 其 年 代 と に 就 い -て 言 附 記 し て 置 き た い と 思 ふ。

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