‑ ひ とっ の研 究 史 的再 検 討 ‑
、 井 上 巽
かつて生川栄治氏 は名著 『イギ リス金融資本の成立』 ( 有斐閣,昭和 3 1 年) において,第一次大戦前 のイギ リス資本輸 出に伴 う海外支配形態 の 「 三つの原 型」 を抽 出され, それ らを①鉱 山生産過程 の原始的蓄積系統である南阿型,② 国際的商品流通過程への吸着系統 としてのイ ン ド型,③利子生 み資本への レン
トナー系統 を代表す るアメ リカ [ ‑カナダ]型 として体系的に把握 されつつ, イギ リス金融資本 の海外支配上 におけるこれ ら三類型 のそれぞれ独 自の意義 と その特質 を究明 された。なかで も氏 は , 「 南 アフ リカの富 は英本国の帝国主義 を 港 漉 した」(シュルツェ ・ゲ ファーニ ッツ)として知 られ る南阿型 の海外投資‑
支配体制 の特質 をっ ぎのよ うに把握 されている
。第 1 に, まず南 アフ リカの現 地 において鉱山会社の創立 と監督 および永続的な 「 信用媒介」をなす鉱山金融
‑支配会社, さらに これ ら鉱山支配会社相互間の交流交錯関係 を通 して形成 さ れ るよ り高次の鉱 山支配財閥集団,そ して最終的にはこれ らの財閥集団が 「 本 来のマーチ ャンJ h・バ ンカー」 たるロスチ ャイル ドとの 「 関係」 に媒介 されて イギ リス帝国主義 の世界的な支配体系 に編入 され る, こうした連鎖関係 の序列 を もって金融資本 の支配 ‑統轄体制が構築 されていたこと。第 2 には,上述 の
ような支配 ‑統轄機構 によって与え られた 「 集中力」 を基礎 として, シティ金 融資本 は一方では鉱山生産 の原始的蓄積過程 を直接掌握す ることによ って 「 高 配当」 を獲得す ると同時 に,他方ではよ り迂回的 に証券市場 における鉱山金融 過程 に吸着 した 「 寄生的蓄積方法」 によって巨富 ( 創業者利得 と投機利得)を 抽出す ることがで きた, と。
ところで,以上 のよ うな生川栄治氏 の画期的な研究が発表 されてか らゆうに
3 0 年 の歳月が経過 しているが,そめ間,個 々の分野 における実証研究 の深化 は
〔 3 3〕
34 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
別 に して イギ リス海外投 資 ‑支配形 態 に関 す る生川氏 の総括 的 な類型把捉 は, い まなお他 の追 随 を許 さぬ古典 的地 位 を維持 して い るといえ よ う。 が,他方 で は この間 に,内外 の歴 史 ・経 済史学 界 にお いて,( ∋特殊 的 には ,∫ . A. ホ ブス ン
『 帝 国主義論 』 ( 1 9 0 2 年 初版)以来 の論争 的 テーマで あ ったイギ リスの南 阿投 資 と帝 国主義 との関連 をめ ぐって,近年,主 と して イギ リス とコモ ンウ ェル ス諸 国 の歴史家 たちの間 で新 たな 「 帝 国主義論争」 主で もい うべ き活発 な論争 と研 究上 の蓄積 が進 展 して いて, その成 果 の一部 はわが国 にお け る南 ア フ リカ史 ・ 南 阿投 資研 究 に も反 映 されっっ あ る ( 1 ) 。 ②他方 , よ り一般 的 に は最近 わが国 に お いて,第一次大戦前 の イギ リス海外投 資 に関 す る理論 的 ・実証 的研 究,.な ら び に こう した海外投 資 の金融 メカニズムに関連 す る ロ ン ドン国際金融市場 の構 造 と機能 を中心 に当時 の国際金本位制 ‑ 「ポ ン ド体制」 の研究 が急進 展 して き た点 に も止 目す べ きで あ ろ う( 2 ) 。 小論 の課題 は こう した内外 にお け る研究 史 の 新 たな動 向 に注 目 しつつ,① まず,上記 の よ うな イギ リスの南 阿投 資 と帝 国主 義 を め ぐって展 開 され て きた新 「 帝 国主義 論争」 の い くつか の主要論文 を選 ん
(1
) 以上のような論争‑研究史の成果を反映 したわが国の研究業績 としては,まず市川 承八郎氏の一連の諸論文があげられよう。「ジェイムソン侵入事件 とラント金山三 大会社 」 『 史林 』5 3‑2, 「 帝国植民省 とジェイムソン侵入事件 」 『 史林 』5 4‑1 ,
「 南アフリカ戦争‑の危機の累積」神戸大学文学部 『 紀要』 1, 「 和解の代償 」 『 西洋 史学』LXXXI ( 以下引用に際 しては市川第一,第二,第三,第四論文と略記する) 。 その他谷口栄一 「アングロ‑ボーア戦争におけるランド鉱山金融会社の経済的利害 について 」 『 経済 と経済学 』 . 3 7 ,北川勝彦 「 1 8 8 6‑1 9 1 4 年の南アフリカにおける金 鉱業について」関西大学 『 経済論集 』3 0 ‑ 1,佐伯尤 「 南アフリカ金鉱山開発と鉱 業金融商会」山田秀雄編著 『イギ リス帝国経済の構造』所収,などがあげられる
。 (2)イギ リス海外投資に関する最近のわが国の研究については,何よりも吉岡昭彦 「 資
本輸出‑海外支配論覚書
」『 土地制度史学 』1 0 4 があげられるべきで,その他の研究
業績については同上論文における的確な研究史の整理を参照されたい。 また,国際
金本位制 ‑ 「ポンド体制」に関する主要な業績 としては , 俺美光彦 『 国際通貨体制』 ,
西村閑也 『 国際金本位制 とロンドン金融市場』 ,吉岡昭彦 「 国際金本位制の成立に関
する覚書」岡田与好他編 『 社会科学 と諸思想の展開』所収,同 「 帝国主義成立期に
おける再生産‑信用構造の諸類型 とポンド体制の編成」土地制度史学会編 『資本 と
土地所有』所収,および最近の藤瀬浩司 ・吉岡昭彦編 『 国際金本位制と中央銀行政
策』をみられたい。
で, その文脈 と論点 をで きる限 り客観 的 に紹 介 しつ つ検討 を加 えて, その問題 性 を別挟 した うえで,② 第一 次大戦 前 の イギ リスの南 阿投 資が もっ戦 略 的意義 を国際金本位制 ‑ 「ポ ン ド体制」 との関連 にお いて究明 し, もって 「 南 阿型」
ヽヽヽヽヽ
海外投 資 ‑支配形 態 の特質 を再 把握 す るね らいの もとに ̀ 3 ) , ひ とっの作 業仮説
を提示 して み よ うとす る もので あ る
。Ⅰ
周知 の よ うに,南 阿戦 争 ‑ 別名 ブーア戦争 ( 1 8 9 9‑1 9 0 2 年)‑ は 『 帝 国
主 義論』の著者 J .A. ホ ブス ンが,イギ リス海外投 資 に伴 う金融資本 の露骨 な帝 国主義的対外膨脹 を示 す もの と して描 き出 して以 来く 4 ) , 今 日にいた るまで イギ リス帝 国主義 史研 究 の最 も ポ ピュ ラーなテーマで あ り, かつ帝 国主義 の理 論 的 解釈 を め ぐる論争 のひ とっ の焦点 で あ り続 けて きた, とい うことがで きよ う
。こう したなかで近年 ,南 阿戦争 前後 の時期 にお け るイギ リス帝 国主義 の動 向 に 関連 して ひ とっ の新 「 解釈」 が提起 され, これを め ぐって主 にイギ リスお よび コモ ンウェル ス諸 国 の歴 史 家 た ちの間 で新 た な論 争 が展 開 され る ことに な っ た。 この論 争 の 直 接 の 引 き金 と な った の は オ ー ス トラ リア の 経 済 史 家 G.
(3)
小論は, この意味で生川栄治氏の 「 南阿型」把握に対するひとつの批判を企図 した ものであるが,同時により広 く氏の三原型把握全体についても, これ らを国際金本 位制 ‑ 「ポンド体制」 との関連で総括的に再構成‑再把握すべきであるというわれ われの問題関心にかかわっており,小論はそうした再把握にむけてのささやかな準 備作業の一環である。なお,他の 「インド型」および 「アメ リカ型」把握について は今後の課題であるが, このうち 「インド型」については,当面,拙稿 「インド金 為替本位制 とシティ金融資本 」 『 西洋史研究』新輯 2 ,および同 「インドの金融機構 と中央銀行設立問題」藤瀬 ・吉岡編,前掲書所収,また 「アメリカ型」については
2 0 世紀初頭以降,より典型的にはカナダ型 と呼ぶのが適切 と思われるが,こうした カナダ型 と 「ポンド体制」 との関連については,同 じく拙稿 「 第一次大戟前のイギ リス資本輸出とポンド体制」土地制度史学会 1 9 8 5 年度 『 報告要旨』におけるごく簡 単な素描をみられたい。
(4
)∫ .A. ホブスンの業績については,上記 『 帝国主義論』( 矢内原忠雄訳)上,下の他に,
特に南阿戦争の原因を分析 した論文 ̀ Ca pi t a l i s m a nd . I mpe r i a l i s m i n So ut h
Af r i c a 'Co nt e mpwar yRe v i e w ,Vo l .7 7 ( J a m. 1 9 0 0 ) を参照。
36 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
Bl ai ney が 1 9 6 5 年 に発表 した論文
(5)であ るが, 「ジュイム ソ ン侵入事件 の見失 われた原因」 と題 す るこの論争誘発的論文 の主 な論 旨を,以下 やや立入 って紹
介 してお こう
。′
さて,Bl ai neyによれば,南阿戦争 の前奏曲 とな った 1 8 9 5 年 の ジェイムソ ン 侵入事件 はイギ リス帝国主義研究史上 における二つの対立的 な潮流 を生 み出す
ことにな った, とい
う 。すなわ ち① ジェイム ソン侵入事件 は本質的 に ラン トの 鉱 山 資 本 家 た ち の 陰 謀 で あ っ た とす る 「 経 済 的 解 釈」 e c onomi c i nt e r ‑ pr e t at i onの立場 と, ② 同事件 は南 ア フ リカを経済的 ・政治的 に統合 して イギ
リスの宗主権下 にお こうと した 「 野心的政治家 たち」. によ って惹起 された とす る 「 政治的 ・イデオ ロギー的解釈」pol i t i c aland i de ol ogi c ali nt e r pr e t at i on の潮流 とがそれである
。Bl ai neyのね らいは, ジェイムソ ン侵入事件 の研究史 を この よ うな二 つ の潮流 に整理 した うえで, それ まで支配 的 な潮流 であ った
「 政治的 ・イデオ ロギー的解釈」の立場 を排 して 「 経済的解釈」論 の新 たな復権 を はか ろ うとす る点 にあ ったが, その際,従来 の 「 経済的解釈」 にはおよそつ ぎのよ うな弱点 があ った, とい う。一般 に 「 経済的解釈」論 で は, ジェイムソ
ン侵入事件 の経済的動因 と して, トランス ヴ ァールの ク リューガー政権 の 「 不 公正」 な政策 によ って ラン トの金鉱 山業 が経営的危機 に陥 っf =事実 を強調 す る のであ るが,こうした立論 には,た とえば①事件 が勃発 した 1 8 9 5 年 には ラン ト 鉱 山 は 「 記録 的」 な利益 をあげて いた こと。②投機家 と鉱山所有者 たちはまた 金鉱 山株 の値上 りで巨額 の利益 をえて いた こと, などの事実 に基づ いた反論 の 余地 があ りうることであ る。それ故,Bl ai neyによれば , 「 経済的解釈」論が成
立 す るためには,単 に鉱 山業者 たちが ク リュ‑オー政権 の政策 に不満 をいだい ていた事実 を一般的 に論証す るだけで は不十分 であ り, 一その不満が 「 武装蜂起 を誘発す るにた るはど」強 い ものであ った ことが合理的 に立証 されなければな
らない。 この点 で, 旧来 の 「 経済的解釈」論 は不徹底 さをまぬがれていない,
(5)
G.Bl a i ne y , ' Lo s tCa us e so ft heJ a me s onRa i d' Ec o n.Hi s t .Re v . ,2nds e r . ,
Vo
l.X
Ⅷ,No. 2 ( Åug. 1 9 6 5 ) .
と
いう
(6)。
このよ うな研究史的反省の うえにた って, Bl ai neyが新 たな 「 経済的解釈」
論 の立脚点 と して研究上 の前面 に押 し出 した独 自の手法 は, ラン トの金鉱山を
①露頭鉱 山 out cr opmi ne s と②深層鉱 山 deep‑ l e velmi ne s の二つの経営類型 に区分す ることであ った。 Bl ai neyによれば, その根拠 はこうである。第 1に . 露頭鉱 山では,通常,開発投資のために所要 とされ る資本 は比較的少額 であ っ て, しか も早期 に産金利潤 を獲得す ることがで きたため,必要 な経営資本 を内 部的に調達 で きる有利 な立場 にあ った 。1 8 9 5 年 頃まで,ラン トの金生産 をほと ん ど独 占 して高配当を支払 うなどの繁栄 を享受 していたのは, もっぱ らこの露 頭鉱 山会社 グループであ った,という( 7 ) 。他方,第 2 に深層鉱 山の場合 には,一 般 に産金開始 に先 だ って大量 の資本投下 と長期 の懐妊期間を必要上 した うえ に,‑ 産金 コス トの節減 のために 「 大規模生産 の経済」が追求 された結果,大型 の機械 ・施設導入 のために資本投下 はます ます巨額 とな っていった。 こうして 深層鉱 山の場合,無尽蔵 といわれた地下の金鉱石埋蔵量 によって 「 豊かな報酬」
への期待感が高 まる反面 で,資本投下額 の膨脹 に伴 う 「リスク」 の増大 もまた 避 けがたか った。か くして Bl ai neyによれば , 「 報酬 と リスク」が表裏 の関係 で 同居す る深層鉱山利害が,経営上 の命運 を左右 しかねない トランスヴァールの
「 政治」に強 い関心 を払 うにいた った ことは , 「 驚 くにあた らない」のであ る
(8)0 .では,深層鉱山会社 グループが トランスヴァール政府 に強 い不満 をいだ くに いたった具体的政策問題 は何であ ったか。 Bl ai ne yはこの問題 に詳細 な考察を 加えているが, ここではただその主た る項 目を ごく概略的 に摘記す るにとどめ てお こう。 まず① 「ダイナマイ ト独 占」問題。 ク リューガ‑政権 は鉱山で使用 され るダイナマイ トの製造 ・販売 の独 占権 を ドイ ツ系 の 「 帝 ア フ リカ爆薬会 社」 に与えたが, その結果, この 「‑ ンブルグの シャイロック一味」 に支払 う
( 6 ) 以上 ,i bi d. ,pp. 3 5 0‑3 5 1
をみ られ たい。(7
) I bi d. ,p. 3 5 2 . なお, この点 については谷口,前掲論文, 1 1 0 頁を も参照
b(8)
I bi d
リp.3 5 5 .
38 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
ことになったダイナマイ トの独 占的高価格 は,わけて も大量 の爆薬を使用す る 深層鉱 山の経営 を圧迫 した。②黒人労働力 の供給 と賃金削減問題。深層鉱 山利 害が主導す る トランスヴァール鉱 山会議所 は 1 8 9 4 年,黒人労働者 の労働契約 を法的 に強制す るための 「 パ ス規制 」Pas sRe gul at i on を政府 に要求 し七 が, その法制化 は容易 に実現 をみなか った。安価 な労働力の確保問題 は大量 の労働 者雇用を必要 とす る大規模 な深層鉱 山の場合, とりわけ切実な関心事 であった とい う。( 卦石炭 の輸送運賃問題。 トランスヴァールの鉄道輸送 を独 占 していた ネザーラン ド鉄道会社が要求 した高率 の石炭運送費 は石炭価格 の上昇 を招来 し て,多量 の石炭 ‑燃料消費を必要 とした深層鉱山の経営 に圧迫 を加えた。④ い わゆ る 「ベヴァールプ ラーツェン 」be wa ar pl aat z e n の問題。ベ ヴァ‑ルプラ‑
ツェンとはラン ト鉱 山地帯 で貯水池 およびぼた山 と して利用 されていた土地 を 意味 しているが,深層鉱 山会社 は政府が保有す るこの土地 の地下採鉱権 の獲得 に失敗 し, そめ結果,深層鉱脈 にいたる最短 の地下回廊が分断 される恐 れが生 じた。 こうして 「ペ グァールプ ラーツェンは深層鉱山の将来 に暗雲を投 げかけ る問題 のひとつ」にな った,とい う( 9 ' 。以上,ク リュ」 ‑ガ‑政権 の一連 の政策 は 深層鉱 山経営 にとりわけ深刻 な重圧 を加え ることにな ったが,問題 はそれだけ にとどま らなか った。 こうした 「 不公正」 な政策 によって招来 された深層鉱山 の経営的悪化 はロン ドン市場 を中心 とす るヨーロッパの金鉱株市場 ( いわゆる
「カフィル市場 」 Kaf f i rhar ke t ) に反映 したか らである
。ロン ドンにおける
「カフィル ・ブーム」 は 1 8 9 5 年 9 月 に ピークを記録 した後,急落 し始 めて同年 末 には 「カフィル」の市場価格 はほとん ど半値 に崩落 した。 この株価 の惨落 は
巨額 の開発資金を ヨーロッパ資本市場 に依存せざるをえなか った深層鉱 山会社 にとって深刻 な危機であ り,か くしてそれは ,1 8 9 5 年 末 の ジェイムソン侵入事 件の 「ギ ャンブル」 を加速す る要因 とな った, 与いう
。事件 の首謀者 となった 深層鉱 山利害 にとって, ク リュ‑ガー政権 を転覆 して彼 らに好意的な新政権 を
( 9 ) これ らの諸問題 については i bi d. ,pp. 3 5 7‑3 6 0 . さ らに市川第‑論文お よび谷 口,
前掲論文 において詳細 な考察が加 え られてい る。併 せて参照 されたい。
樹立す ることは,①深層鉱 山を不公正 な 「 経済的梗桔」か ら解放 し, また②深 層鉱 山に対す るヨーロッパ の投喪家 たちの信用を回復す ることによって,鉱山 経営 による産金利潤 と株式市場 を通 しての投機利得 という 「 二つの報酬」 を約
ヽヽ
束す るはずであ った,のである
(10)。
以上 の如 く, Bl ai ne y は露頭鉱 山 と深層鉱 山の区別 な らびに深層鉱 山会社 の 経営的利害 のあ り方 に ジェイムソ ン侵入事件 の 「 経済的動機」 を解明す るため の鍵 を見 出 して い るのであ るが,彼 はさ らに, この点 を傍証 す る もの と して ジェ十ムソン侵入事件 の首謀者 たちが支配 ない し関与 していた鉱山商会 グルー プにつ いて,以下 の如 きだめ押 し的な考察 を加 えている。すなわち 1 8 9 5 年時点
において ラン トには 2 6 社 の深層鉱山会社が存在 していたが, この うち 1 0 社 は ロン ドンの We r nhe r , Be i t 商会が設立 した鉱 山商会 Rand Mi ne s の系列下 に あ り,他方, いまひ とっの有力鉱 山商会 Cons ol i da t e dGol df i e l d は 1 2 社を支 配 していて, この二大鉱 山商会が ラン トの深層鉱 山をほぼ独 占す る関係 にあ っ
た。 そ して周知 の よ うに ジェイム ソ ン侵入事件 の首謀者 セ シル ・ローズは Cons ol i da t e dGol df i e l d の専務取締役 の地位 にあ り,いま一人の主役 A ・バイ トは We r nhe r , Be i t 商会のパ ー トナーで Rand Mi ne s の実質的な リーダーと 目されていた。 その他,軍件の謀議 に加わ った五人 の登場人物 の うち三人 まで は上 記 の二 大 鉱 山 商 会 の 直 接 的 関 係者 で, 残 りの二 人 もま た間 接 的 に We r nhe r ,Be i t 系の利害 につなが っていた,とい う
。か くして, ジェイムソン 侵入事件 は 「 本質的」 に深層鉱 山利害 を代表す る前記二大鉱山商会の 「 反乱」
に他 な らなか ったのである( l l ) 。最後 に Bl ai ne y は,以上 のよ うな考察か らっ ぎ の如 き結論 を導 き出 して論文を しめ くくっている。第 1 に,事件 の二人 の首謀 者 であ ったセ シル ・ローズ と A ノヾイ トの関係 は,通説 が い うよ うに政治家 ローズが先導者 でバ イ トはその追 随者 とい う関係 で はな く,両者 は共 に ク
( 1 0 ) I bi d. ,p. 3 6 1
.・(ll
) 以上の諸点,詳 しくは i bi d. ,pp. 3 6 2‑3 6 4 .
さ らに市川第‑論文 をみ よO40 商 学 討 ・ 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
リューガ‑政権 の転覆をね らう 「 経済的動機」 を有 し,かつ陰謀 を遂行す るう えで共 に 「 不可欠 」 の存在であ ったとい うこと。第 2 に, ジェイムソン侵入事 件 は 「 富 める トラ ンス ヴァ‑ル」 をイギ リス統治下 に編入 しよ うとす るセ シ ル ・ローズの 「 愛国的な政治的冒険」であったとす る通説的解釈 もまた誤 りで
ヽヽヽヽヽヽヽヽIヽヽヽヽIIヽヽヽ
ある。 ローズはむ しろイギ リス帝国の政治的利害 を犠牲 に して 自己の 「 金融的 利害」 を追求 したのであ って, いい換 えれば,彼 は卓の 「 政治的権力 」 を賭 し て 自らの 「 経済的権力」を守 ろうと したのである,と
(12)。以上 ,Bl ai ney はジェ イムソ ン侵入事件 の経済的動機 を二大深層鉱 山商会 という個別資本 レベルの狭 義の経済的利害 ない し経営的利害 の問題 に還元 ‑矯小化す ることによ って,南 アフ リカにおけるイギ リス帝国主義 の動 向をその根底 において規定 していた究 極的な経済的 ‑戦略的動因を見失わせ る帰結 に導 いた, とい うべ きではあるま
いか。
ところで,以上 のような Bl ai ney の特異 な問題提起 を受 けて, これにいち早 く反 応 しつ つ 賛 意 を表 明 した の は ウ ガ ンダの大 学 に籍 を置 く歴 史 家 D.
Denoon であ った
(13)。 Denoon はまず南阿戦争前後 の南 アフ リカ史研究 を回顧 しっっ, 「 南 阿戦争前 の トラ ンス ヴ ァール に関す る理解 は最近 Bl ai ney 氏 に よって徹底かつ決定的に変更 された」 こと, Bl ai ney は J . A. ホブス ン以上 に
「 経済的解釈」 論を前面 に押 し出 したこと, を高 く評価 した。 それのみではな い 。Denoon は , 「 仮 りにひとっの事件がその関与者 たちの経済的利害 の観点か ら説明 され えたとすれば, その他 の事件 について も同 じことがで きないはずが あろうか 」 ( 1 4 )との立場か らジェイムソン侵入事件 に関す る Bl ai ney の 「 経済的 解釈 」 論をさらに一歩進 めて,南画戦後の 「 再建期」 における南 アフ リカ政治
( 1 2 ) I bi d. ,pp. 3 6 4‑3 6 6 .
( 1 3 ) D.De noon の代表的 な論文 は ̀ " Capi t al i s tl naue nc e"andt heTr ans vaalGov‑
e r nme ntdur i ngt heCr ownCol one yPe r iod ,1 9 0 0I1 9 0 6 ' ,Hi s t .f o u r . ll ,2 ( 1 9 6 8 ) および この論争 をサーヴェイ した論文 ̀ Capi t aland Capi t al i s t i n t he Tr ans vaali nt he 1 8 9 0 sand 1 9 0 0
S' ,Hi s t . J o ur . 2 3
,1 ( 1 9 8 0 ) がある。
( 1 4 ) De noon,‑ Capi t ala ndCapi t a l
is
t' ,p. 1 1 2 .
史 にまで拡大 ・適用 し, Bl ai ne y 的解釈論 の普遍的意義 を証明 してみせたので ある
。De noon に よれ ば,南 阿戦 争 後 の 「直轄 植民 地」 時代 にお け る トラ ンス
・ヴァ‑ルの政治 を特徴づけたのは, イギ リス植民地省 の出先機関である南 アフ リカ高等弁務官兼総督 の ミルナ‑と深層鉱山利害が主導権を握 る鉱山会議所 と の癒着 であ ったが, この癒着関係 は最初 1 9 0 2 年 に植民地大 臣チェ ンバ レンと we r nhe r ,Be i t 商会のパ ー トナー, A. バ イ トとの間で行われた会談 によって軌 道 が敷かれた。 この会談 において, チ ェンバ レンは深層鉱山にとって不利 な間 接税 に代 えて露頭鉱 山に も平等 な負担を課す る 「 利潤税 」pr of i t st ax の引上 げ に同意 し, さらにダイナマイ ト税 の軽減 を も約束 した。一方,バイ ト . は南阿戦 争 の 羊戦費分担金 」 wart r i but e の支払 いにつ いて鉱 山会議所 の同意 をとりつ けるために影響力を行使す ることをチェンバ レンに約束 した, とい う( 1 5 ) 。 ロン
ドンにおいて, いわば頑 ごLに行われた この合意 を受 けて,南阿現地 では 「ミ ルナー‑鉱山会議所連合 」 Mi l ne r ‑ Chambe rCombi nat i on が成立 したが, こ の癒着 は中国人労働者 の 「 輸入」問題 をめ ぐって頂点 に達 した。南 アフ リカへ の中国人労働者 ‑ いわゆる苦力 ‑ の 「 輸入」政策 は南阿戦後 に. おけるラン
ト鉱 山復興 の鍵 を握 ると考え られていたが, この政策 は各方面 か らの反対を押 しきって 1 9 0 4 年, ミルナ‑総督府 によって実現 されたのである
(16)0
このよ うに,丁 ミルナー‑鉱 山会議所 連 合 」 は南 阿戦後 にお け る トラ ンス ヴァール白人社会 に対 して絶大 な影響力 と支配力を有 していた。 に もかかわ ら ず,その後,南 アフ リカにおいて 「ミルナ‑主義 」 Mi l ne r i s m は何故 に失敗 し たか。 また鉱 山会議所利害 の政治的代弁者 であ る進歩党 が 1 9 0 7 年 の トランス
ヴァール総選挙 において敗北 を喫 した原因 は奈辺 に存す るのか。 De noon は問 題 を このよ うに設定 した うえで,前述 したような Bl a i ne y の 「 経済的解釈」論
(15
)De no o n
, "C
api t a l i s tI nf luenc e"and t heTr ans vaalGover nment ' ,p.308 .
( 畑 I b i d . ,pp.3 1 4‑3 1 6 . なお, この問題 をめ ぐる経緯 の詳細 について は市川第四論文
を も参照 されたい。
42 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
に立脚 しつつ以下 のよ うな回答 を与 えている。第 1 に,′トランスヴァールには 深層鉱山 とは利害 を異 にす るい くうかの経済的諸利害が存在 していた ことであ ,る。 まず① ダイヤモ ン ド鉱 山は一般 に金鉱 山 とはその利害を異 にす るが, その なかで最大 の De Be e r 会社が We r nhe r ,Be i t の系列下 に編入 されたのに対 し て, いまひとつの有力な ダイヤモ ン ド鉱山会社 である Pe r mi e r 社 は De Be e r 礼‑の対抗上 「ミルナー‑鉱山会議所連合」‑の反発 を強めた こと。 さらに② 鉱 山会議所 を牛耳 る深層鉱 山利害 に対抗 して独 自の利害を主張す る露頭鉱 山利 害が健在 であ り, なかで もラン ト西部 に有望な露頭鉱 山群 を もっ J . B . Robi n‑
s on グループは中国人労働者 「 輸入」問題 で批判的立場 を鮮明 に した。③熟練 労働者層を中心 とす る白人 の都市住民の間 に浸透 しっつあ った 「ポ ピュ リス ト 的潮流」 もまた総督府 と鉱 山会議所 の癒着 ぶ りに批判 を強 め るにいた った こ
と, である
。第 2 に, De noon は上 にみたよ うな深層鉱山利害 に対す るその他 の経済的諸利害 の対抗 とい う基本的構図の もとに,南阿戦後 の トランスヴァ‑
ルにおける政治 ‑政党間対立 をつ ぎのよ うに素描 している。まず , 「ミルナ‑‑
鉱 山会議所連合」な らびにその政治的代理人 た る進歩党 に対抗 して ,1 9 0 4 年 に
イギ リス系住民 の間で 「 責任政府期成会 」Re s pons i bl eGove r nme ntAs s oc i ' a‑
t i on が結成 され ,Pr e mi e r 社 の ダイヤモ ン ド利善 をは じめ として深層鉱山利害 とは対立的なイギ リス系 の諸利害が総結集 された。他方 , 「ミルナー主義」に対
す る最大 の批判勢力であ った プ‑ア人の政治組織 ヘ ッ ト・フォル ク党 は巧妙か つ柔軟な政治姿勢 によってイギ リス系の 「 責任政府期成会」と同盟関係 を結 び, はて は露頭鉱 山利害 の代表者 J .B .Robi ns on か ら資金的援助 を獲得す ること に成功 した。その結果 ,1 9 0 7 年の総選挙 においてヘ ッ ト・フォルク党 が進歩党 をおさえて勝利 をえ, プ‑ア人指導者 L Bot ha を首班 とす る トランスヴァ‑
ル自治政府が成立す るにいた ったのであ る, と( 1 7 ) 。か くて, イギ リス系住民 に よる政治的多数派 の形成 ‑支配体制 の樹立 をね らった 「ミルナ‑主義」 はここ
T ( 1 7 ) 以上,i bi d. ,pp. 3 2 4‑3 2 6 および市川第四論文をみよ。
に名実共 に破綻す るにいた ったが, それは ‑ Denoon の解釈 によれば ‑ 逮 説のい うよ うに 「ミルナー主義 は資本主義 〔 の経済利害〕 によってあまりに も 強 く影響 されたために失敗 した」 のではない。 む しろそれは,総督府が 「 すべ ての 〔 イギ リス系〕富豪 たちを懐柔す ることがで き」ず,分裂 したイギ リス系 諸利害 の統合 に失敗 した点 にその原因があ ったのである, と
(18)。
こ う して Denoon は,南 阿戦後 の トラ ンス ヴ ァール にお け る政 治過程 を Bl ai ney 流 の 「 経済的解釈」古 手立脚 しつつ説明 したのであるが,その際 Denoon
は, イギ リス本国の政治的 ・戦略的利害を,植民地大臣チェンバ レンとその南 阿現地 の代理人 ミルナ‑の政策路線 たる 「ミルナー主義」 に狭 く限定 し,同一 視す ることによ. って,南 アフ リカにおけるイギ リス帝国主義 の 「 失敗」 ない し 挫折 の原因を も併せて解明 してみせたのである
。Ⅱ
以上 において, その概略を紹介 ・検討 して きた Bl ai ney および Denoon の
「 経済的解釈」論 は,従来,伝統的な 「 政治的 ・イデオ ロギー的解釈」論 が主流 を占めて きたイギ リスの歴史学界 に少 なか らぬ波紋 を投 げかけて, その後 の南 アフ リカ史研究 に一定 の影響
(19)を与 えると同時 に,他方ではこれに対す る激 し い反論 を呼びお こす ことにな った。 なかで も, Bl ai ney‑Denoon の立論 を J . A. ホブス ン以来 の 「 経済決定論 」economi cdet er mi ni sm の‑変種 であると見
な して批判の急先鋒 となったのは R. Ⅴ. Kubi cek であ
か 20)。Kubi cek は,
(18)
I bi d. ,p. 3 3 1 .
(19
) Bl a i ne y と De noon の研究成果を とり入れた代表的業績 としては,M. Wi l s ona nd L .M. Thomps on ( e ds . ) ,Th eOx f o r dHi s t o r yo fSo ut hAf r i c a ,2 vol s . ,1 9 7 1 .
なお, この点 につ 、 いては市川第三論文および第四論文 を参照。
(20)
Kubi c e k の最初の批判論文 は ,t TheRandl or dsi n 1 8 9 ‑ 5: A Re as s e s s me n t ' J o ur ‑ nalo fBr i t i s hSt udi e s ,Ⅹ Ⅰ( 1 9 7 2 ) ,続 いて t Fi na c eCa pi t alandSout hAf r i c an Gol dmi ni ng 1 8 8 6‑1 9 1 4 ' , J o ur nalo fI mpe r i alandCo mmo nwe al t hHi s t o r y
,Ⅲ,
3 ( May 1 9 7 5 ) そ して これ らの研究を総括 した著書 Ec o no mi c I mpe r i al i s m i n The o r
ッandPr a c t i c e ,TheCas eo fSo ut hAf n. c anGo l dMi ni n gFi nanc e 1886‑
1914 ,1 9 7 9 がある。 この他 に ,Bl ai ne y‑De noon の見解 に批判を加えた代表的な
44 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
Bl ai ney の主張す る露頭鉱山 と深層鉱山の区別 は生産 レベルの考察では一定の 有効性を もつ ことを認 めつつ, しか しこの期の鉱山商会を区別す るより重要な 特 徴 は 「 金 融 構 造 」 f i nanci al s t r uct ur e 〔 「 所 有 構 造 」 s t r uct ur e of owne r s hi p
(2モ)〕. にあることを力説 して, 各鉱山商会 ごとの鉱山金融過程の特徴
と金鉱 山株式 資本 の国別所有構成 に視点 をおいた精 力的 な研究 によ って, Bl ai ney‑Denoon の所説 に批判を加えた。以下では主 に ,1 9 7 5 年発表の 「 金融 資本 と南 アフ リカ金鉱山業 1 8 8 6‑1 9 1 4 年」と題す る論文 に即 しつつ Kubi cek の主要論点 をホロー してみることに したい( 2 2 ) 。
Kubi cPk は論文の冒頭でまず, 1 9 0 0 年 5 月に高等弁務官 ミルナ‑が本国植 民地省 に送 った公文書 に掲 げ られている鉱山商会の株式資本 の国別所有構成
‑ 全体 としてイギ リス人の所有が 8 1 % ,大陸側所有 は 1 9 % ‑ の数値 に検討 を加えて, この所有比率 はたとえば ロン ドンの週刊経済誌 The St at i s t が発表 した推計値 ‑ フランス人 による所有 4 4 % ,メ . イギ リス人所有 3 3 % お よび ドイ ツ人の所有 2 2 % 一 一 ‑ と大 きな食違 いを示 していて 「にわかに信 じ難い」tと断 じ た後
(23) , この問題 を,当時の鉱山金融過程の実態に即 しなが ら以下のように考 察 している
。論文 は,A .Mawby∴Capi t al ,Gove r nme ntandPol i t i c si nt heTr ans va al ,1 9 0 0
‑1 9 0 7: A Re vi s i on and a R? ve r s i on' ,Hi s t .J o ur ・ Ⅹ
Ⅶ,2 ( 1 9 7 4 ); R・
Me nde l s ohn ,‑ Bl ai ne ya ndt heJ ame s onRai d:TheL Debat eRe ne we d' Jo u mal o fSo ut hAf r i c anSt udi e s
,VI( 1 9 8 0 ) .
C n ) Kubi c e k 自身は 「 金融構造」 という言葉を好んで用LI r ているが, Ri c ha r ds on と van‑ He l t e n のサー' T ) 。 ェィ論文では Kubi c e k の論点をむ しろ 「 所有構造」を重視 し た ものと述べている。われわれ もまた ,Kubi c e k の立論を 「 所有構造」論 と特徴づ けるのがより的確であるように思 う 。Cf .P.Ri c har ds on and ∫ .∫ .Van‑ He l t e n , t TheDe ve l opme ntoft heSout hAf r i c anGol d‑ Mi ni ngI ndus t r y ,1 8 9 5‑1 9 1 8 ' Ec o n.Hi s t .Re v ,2 nds e r. ,Vo l .XXX Ⅶ ,N o . 3 ( Åug. 1 9 8 4 ) ,p. 3 2 3 .
( 2 2 ) 以下での Kubi c e k の論点紹介 は,主 に上記の第二論文 t Fi nanc eCapi t a l'の内容を 中心 に し,必要 に応 じて著書 Ec o no mi cI mpe n ' al i s m によって補足を加えることに
し たい。
( 2 3 ) Kubi c e kt Fi nanc eCapi t al 'p. 3 8 6 .
ラン ト鉱 山開発の初期段階 において は,鉱 山開発業者 たちは実際の金生産か らの利潤取得 に 「む しろ懐疑的」であ り,彼 らの活動 は, もっぱ らロン ドン資 本市場 における鉱 山会社 の創立 と株価 の相場操縦 による投機収益 の獲得 に主眼 をおいていた。 このよ うな 〔 寄生的〕蓄積様式 は 「 鉱山が大量 に金を生産す る」
見通 しがえ られた後 にな って も鉱山金融商会 によって継承 され,創業者株 を取 得 した 「 少数の内輪筋」が巨利 を吸収す る反面 で,額面価格 を 「ときには信 じ 難 いほど」上回 る水 ま し価格 で金鉱株 を購入 させ られた多数 の大衆投資家が犠 牲 に供せ られた。 1 8 8 6 年 の金鉱発見か ら大戟勃発の 1 9 1 4 年 までの期間に, こ のよ うな投機的収益 の獲得機会 を提供 した 「カフィル」市場 の活況 は南阿戦争 前で は 1 8 8 9 年 ,1 8 9 4 年 ‑ 9 5 年 と 1 8 9 8 年 ‑ 9 9 年,戦後では 1 9 0 2 年 と 1 9 0 8 年 の前後 5 回 におよんだが, この間 「カフィル」の市場価格 は政治的藷事件 の影 響 を も受 けつ つ,高騰 と暴 落 を くり返 す激動 を経験 して きた。 その結 果, Kubi c e k によれば,ロン ドン市場 においてイギ リスの投資家 たちに金鉱株 を売 りつ けることが しだいに困難 にな った, とい う
。イギ リス投資家 たちの金鉱株 に関す る知識が増大 して 「 幻想」か ら目覚 めるにつれて,彼 らは 「 編 されに く
くな った」 のである。 こうして ロン ドン市場 における資本調達が徐 々に困難 に なるにつれて,鉱 山商会 はフランス ・ドイツを中心 とす る大陸の資本市場‑の 依存 を強めることになる。 もともと ドイツ系資本であ った G. アル ビュの Ge n‑
e r alMi ni ng と A. ゲル ツが設立 した ㌧ Goe r z 商会 は ドイツ大銀行 の系列下 に再 編 され,また We r nhe r ,Be i t 商会 ( 通称 Cor ne rHous e グループ)は創業者 J .
ポー ジェ以来の コネクションを利用 してパ リの株式市場 で大量 の金鉱株 を売却 した。また,株式資本の大部分が イギ リス人 の所有 に属 していた Cons ol i dat e d Gol df i el d もフランス資本 を利用す るため 1 8 9 6 年,パ リに代理店を設立 した。
この他 にもB・ バルナ トが設立 した J ohanne s bur g Con̲ s ol i dat e d l nve s t ment ・ G. ファ. ‑ラーの Angl o‑Fr e nc h Expl or at i on および J . B .Robi ns on グルー
プもそれぞれパ リ市場 に進 出 し, これ らの 「 評判のよ くない」鉱 山商会 はあ らゆ る機会 を利用 して不正 な投機行為を敢行 したた め,パ リの 「カフィル」市場 の
「 黄金色の雰囲気」 もひど く 「 色 あせた」 もの とな った, とい う。 とはいえ,
46 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
We r nhe r ,Be i t 系のように 「 評判のよい」鉱 山商会が依然 として多数 の フラン ス投資家をひきつ けることがで きた事実 に も留意 しなければな らない ( 2 4 ) 。
このよ うに,鉱山商会 は資本調達源をロン ドン市場か ら大陸市場 とりわけフ ラ ンス と ドイ ツに シフ トして い ったが, なかで も重視 され るの は We r nhe r ,
Be i t 商会が 1 9 0 5 年 にロン ドンで設立 した Ce nt r a lMi ni ng で, この ラン ト最 大 の鉱 山会社群 を傘下 にお く鉱 山商会 の株式資本 の うち約 6 0 % はフランスを 中心 とす る大陸諸国で所有 されていた, とい う。 か くして Kubi c e k は,「 最 も 有望で最 もよ く管理 されていた 〔 We r nhe r ,Be i t 系の〕金鉱 山の株式資本の大 半 はイギ リス人の所有 とはいえない」と結論 したのである。それのみではない。
1 9 0 5‑0 7 年 にお ける . 「カ フィル」市場 の不況局面 のなかで困難 に直面 した
Co r ne rHous e グループの総帥 J . ウェルナーは 1 9 0 7 年, 孝 に We r nhe r ,Be i t
商会 とその現地子会社 Ec ks t e i n 商会の資産 を同系列 の Ce nt r a l Mi ni ng に売 却 ・統 合す る決定 を下 し, それ は 1 9 1 0 年 に実施 に移 され た。 この措 置 は,
Co r ne rHo us e グループが ラン ト鉱 山業か ら資本 を徐 々に撤収 して,資本 の世 界的な分散 をはかろ うとす る経営戦略の一環 に他 な らなか った, のである( 2
5)oKubi c e k はこのように,主要鉱山商会 の鉱山金融過程 の特質 な らびにその結果 としての金鉱株 の国別所有構成 の変遷 を追跡す ることによ って, フランス ・ド イツによる金鉱株所有 の比率が予想以上 に大 きく,逆 にイギ リス側 の所有比率 は小 さか った こと。また,最大の規模 を擁す る We r nhe r ,Be i t 商会が ラン ト鉱 山か ら撤退す る経営志向 さえ示 していた事実 を論証 しようとした 。Kubi c e k の ヽヽヽヽ■ ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽI ね らいは, このよ うな諸事実 ‑ わけて も金鉱株所有 の コスモポ リタンな構造 を論証す ることによって, イギ リスの南阿鉱山投資 と帝国主義 の関連 を説 くJ .
A. ホブス ンの所説, な らびにその亜流 と して深層鉱 山利害を重視す る Bl a i ne y
( 2 4 ) 以上,i bi d. ,pp. 3 3 8‑3 3 9
をみ られたい。( 2 5 ) I bi d. ,p. 3 9
1.なお この点 につ いて はKubi c e k ,Ec o no mi cI mpm' al i s m ,p. 8 4 を も参
照せ よ。
‑De noon 流 の 「 経済的解釈」論 を批判す ることにあ った, といえよ う
。とはいえ, Kubi c e k の以上 のよ うな論証 に もかかわ らず, ジェイムソン侵入 事件 に続 く南阿戦争 と戦後の南 アフ リカ支配 の過程 において, イギ リス本国の いわゆ る 「 帝国的要素 」i mpe r i alf a c t or とその南阿現地 の代理人 ミルナ‑が, 最大 の鉱 山利害 を擁 す る We r nhe r ,Be i t 商会 と癒着関係 にあ った ことは否定
で きない歴史的事実であ った。では, Kubi c e k はこの厳然 たる事実をいかに説 明す るか。最後 にこの点 をみてお こう
。Kubi c e k もまた,特 に We r nhe r ,Be i t 系の Ec ks t e i n 商会がその鉱山経営利害か ら 「 帝国的要素」 と癒着 して トラン
スヴ ァ‑ルの政治 に介入 した事実, また総 帥 ウェルナー自身 が 「 完全 な ミル チ‑派 」t t hor oughMi l ne r i t e ' となることを同商会 にとって 「 最良 の利益」 と 見 な していた こと, などを認 めている
。が, Kubi c e k によれば, こうした We r nhe r , Be i t 利害 と ミルナー主義の癒着 は, 最初 まず 1 9 0 5 年末のイギ リス 総選挙 における自由党 の勝利 と ミルナ‑の解任 によ って破綻 に直面 し,ついで
1 9 0 7 年, トランスヴァールにおけるブーア人首班 の自治政府が成立す ることに よって,最後の幕が 引 かれた。か くして 「アフ リカーナー ・ナ ショナ リズムに 対す る帝 国的要素 の長期 にわた る闘争 はその基盤 を失 う」 にいた ったのであ る,と
(26)。金鉱株 の コスモポ リタニズム的 「 所有構造」を強調す る Kubi c e k 的 解釈 によれば,本来, ラン トの鉱山業 にとって 「 帝国的要素」 は撹乱要因 に他 な らず, 「ラン トの富豪 たち Randl or ds による富 の追求 はイギ リス帝国主義者
ヽIヽ
よりもむ しろ国際的投資家層 を開拓す ることによって, より効率的に達成 され るはずであ ?た 〔 傍点筆者 〕 」 2 7 のである
。Ⅲ
さて,以来紹介 して きたよ うなイギ リスの南阿投資 と帝国主義 をめ ぐる論争
‑研究史の動向のなかで,わけて も異色ある研究 と して止 目され るのは, イギ
(26)
Kubi c e k , t Fi na nc eCa p i t a l ' ,p p.3 8 7 ,3 9 2.
( 2 7 ) I bi d. ,p.3 9 2.
48 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
リスの南阿投資の意義 を国際金本位制 との関連 において捉 えよ うと試 みた J .∫ . Van‑ Hel t en の研究論文
(28)である。 この研究 は第 1 に , 「 戦前金本位制 におけろ 忘れ られた側面」( 2 9 )として国際金本位制研究史上 における盲点 とな っていたロ
ヽヽヽIヽ
ン ドン金市場 の構造 と機能 とを, ともか くも初 めて本格的な研究対象 として正 面か らとりあげた こと。 また第 2 には,大戟前 のイギ リスの南阿投資の もっ戦 略的意義 を,当時の帝国主義的世界市場 わけて もイギ リス資本主義 を中軸 とし て編成 された国際金本位制 ‑ 「ポ ン ド体制」 との関連 において究明 しようと. し ていること,以上の二つの点 で きわめで興味深 く,かつ注 目すべ き業績 である ように思われ る。 もとよ り, これ らの問題 は研究史上 ほとん ど未開拓 の分野 に 属す るといってよ く, そのため Van‑ Hel t en の研究 は実証的 に も理論的に も未 だ きわめて不十分 な ものに とどま ってい る, といわな ければな らない。 した が って以下では,必要 なか ぎりでわれわれ 自身 の研究結果 を も加味 しなが ら, Van‑ Hel t en の主要論点 の概略を素描 してみ ることに したい。
Van‑ Hel t en によれば, ラン トで金鉱が発見 されてわずか 1 2 年後 の 1 8 9 0 年 代末 には トランスヴ ァ‑ルは世界の産金額 の 1/4 以上 を生産す る世界最大 の 産金国 にの し上 が ったが, こうした金生産 の飛躍的成長 は トランスヴァ‑ルを して否応 な しに,帝国主義諸列強が しの ぎをけず る 「 国際経済 の中央舞台」 に 押 しあげることにな った( 3 0 ) 0
ところで, ラン ト鉱山で生産 され る新産金 はい うまで もな く,国際決済手段 と しての金ではな く, したが って為替相場 や金輸 出入点 とは無関係 に一般 の商 品 と同様 の方法で輸 出され る 「 末精錬金 」r ow gol d または 「 原産地金 」nat i ve gol d であ ったが
(31), その圧倒的部分 が ロン ドンに送 られて売却 された ことは
(28)
J .J .Van‑ He l t e n
,t Empi r eand Hi ghFi nanc e:Sout h Af r i c aand t hel nt e r ‑ nat i onalGol dSt a n dar d 1 8 9 0‑1 9 1 4 ' ,J o umalo fAf n' C anHi s t o r y ,2 3( 1 9 8 2 ) .
(29
) C. J .Smi t
,t The Pr e ‑ WarGol d St andar d' Pr o c e d di n gso ft heAc ade my o f Po l i t i c alSc i e nc e ,Vo
l.X
Ⅵ,N o . 1 ( Apr i l1 9 3 4 ) p. 5 3 における指摘をみられた
い 。(30)
Van‑ He l t e n,op.° i t . ,pp. 5 2 9‑5 3 0 .
研究史上比較的 よ く知 られて いる事実 であ るといえよ う
。トランス ヴ ァ‑ルか らロン ドンにいたる新産金 の流通経路 とその市場組織 な らびに流噂 の メカニズ ムにつ いて はまだ未解 明の点 が多 い といわなければな らないが,当面,判 明す るか ぎりでその特徴点 をあげるな らば概略以下 のよ うになろ う。第 1 に, ラン
トの鉱 山で生産 された未精錬金 は初期 には馬車 で, つ いで 1 8 9 0 年代初頭以後 は鉄道 で南 アフ リカの港湾都市 ケープ タウ ンまたはダーバ ンに送 られて, そ こ か らロン ドン宛 に船積 みされ ることにな る。 サザ ンプ トン港 を経 由 して ロ ン ド
ンに到着 した未精錬金 は各鉱 山会社 ごとに識別 されて精錬業者 に渡 され,ふつ う従価 1 0 % ほどの費用で精錬 された。当時,ロ ン ドンの精錬業者 はロスチ ャイ ル ド商会 が経営す る RoyalMi ntRe f i ne r y および J ohns on Mat t he y 商会 の
2 社であ った と考 え られ るが, これ らの精錬所 で精製 された新産金 は 「ケープ 金塊 」Capebar s または 「 月曜金塊 」Mondaybar s と呼ばれて毎週月曜 日に ロ ン ドン金市虜 において売却 された。 この時期, ロ ン ドン金市場 を構成 していた 地金 ブローカーは上記 の精錬所 を兼営 していた N.M.Rot hs c hi l d & Sons
( 1 8 0 4 年創業) と J ohns on Mat t hey & Co. ( 1 8 1 7 年創業) の 2 社 の他 に, Moc at t aandGol ds mi d ( 1 6 8 4 年創業) ,Shar psandWi l ki ns ( 1 7 9 4 年創業), Pi xl eyandAbe l l( 1 8 5 2 年創業)および SamuelMont agu & Co. ( 1 8 5 3 年創 莱)の計 6 社 であ ったが,なかんず くロスチ ャイル ド商会 は①地金 ブローカ」, ( 塾金精錬業者,③南 アフ リカ産金業者 の代表,④ イ ングラン ド銀行 の代理店 と
い う四つの機能 を一手 に集 中す る卓越 した地位 を有 し, しか も最有力の地金 ブ
f i xi ng を主催 して いた
(32)。 これ らの事実 の うちにマーチ ャン ト・バ ンカー, ロ スチ ャイル ドの ロ ン ドン金市場 における支配的地位 が浮彫的 に示 されて いる,
( 3 1 ) この点 ,D. W. Gi l be r t ,' TheEc o nomi cEf f e c t so ft heGo l dDi s c ov9 r i e supo n So ut hAf r i c a: 1 8 8 6‑1 9 1 0 ' ,Quar t e r l yJ o umalo fEc o no mi c s ,Vo l .XL Ⅶ ,N o . 4
( Åug. 1 9 3 3 ) ,p. 5 5 4 .
( 3 2 ) 以上のようなロンドン金市場の組織については ,T. Bal og h ,St udi e si nFi nanc i al
Or : gani z at i o n
,1 9 5 0 ,pp. 2 1 3‑2 1 4 〔 西村閑也 ・藤沢正也共訳 『 英国の金融機構』
50 商 学 討 究 第 3 8 巻 第 3・4 号
といえよ う。第 2 に,上 にみたよ うな組織か らな るロン ドン金市場 では, まず 地金 ブローカー各社内 において イギ リス内外 か ら寄せ られた売 りと買 いの注文 が相殺 された後,残額 が市場 にお ける 「 値決 め」 に出 され るが, こうして決定 され る金 の市場価格 は標準金 1 オ ンス当 り 7 7 S ・ 9 d・ 〜 7 7S ・ 1 0 I d ・ の きわめて
狭 い値幅 のなかで変動 した。何故 な らば,金本位制下 のイ ングラン ド銀行 は 7 7
S ・ 9 d ・ の価格 で金を無制限 に買入れ, 7 7S ・ 1 0Id ・ で売却す ることを法的 に義務 づ け られてお り,したが って ロン ドン金市場 で買手 のつかなか った 「 月曜金埠」
は自動 的 に 7 7 S . 9 d. の価格 でイ ングラン ド銀行 に 「 持込 まれ」たか らであ る
(33)0 トランスヴァールの新産金 が売却 に付 され るロン ドン金市場 の構造 と機能 の 概略 はほぼ以上 の如 くであ るが, で は何故 に トランスヴ ァール産 の未精錬金の 大部分 が ロン ドン市場 に送 られ, ロン ドンは金 の世界的中心市場 と しての地位
を確保す ることがで きたのか。 こう した問題 に対 す る一応 の回答 と して Van‑
Hel t en は,当面 まず,以下 のよ うな四つの条件 をあげている
。す なわち① ロン ドン金市場 は世界で唯一 の完全 に自由な金市場 であ って,金 の輸 出入 に対 して いかな る形 の規制 も加 え られ ることがない こと。②前述 のよ うに,市場 古 r =出 さ れた 「 月曜金塊」 に買手がっかない場合 で もイ ングラン ド銀行が 7 7 S . 9 d. の価 格 で無制限 に買取 ったか ら,産金業者 に とって ロン ドンは 「 保証 された市場 」
であ った。 これに比 して, ベル リンとパ リはロン ドンよ りもときに高 い価格 を 提供す ることはあるが, しか し, た とえば フランス銀行 の場合,特定 の価格で 金 を買入 れ る法的義務 を もたなか った。③ ロン ドンは保険,株式市場,銀行 を
2 2 2‑2 2 3 頁〕および TheTi me s ,J une 2 0 ,1 9 3 0 ,Gol dNumbe r ,pp̲i x,ⅩⅩi を 参照。 なお, 金の 「 値決め」 は当初, 銀とともに地金ブローカー Shar ps and Wi l ki ns 社において行われていたが,後にロンドン金市場におけるロスチャイル ド の支配的地位が高まるとともに,金の 「 値決め」のみが同商会のオフィスに移った
ものと考えられる
。C f .W. A .Br own,J r . ,TheI nt e mat i o nalGo l d St anda r d Re i nt e l Pr l e t e d1914‑1934 ,1 9 4 0 , γo
l.1 ,p. 6 2 7 .
( 3 3 ) Van‑ Hel t en,op.c i t . ,p. 5 3 5 . この他に,ロンドン金市場のメカニズムに関 してはR.
S.Saye r s ,‑ TheBanki nt heGol dMar ke t ,1 8 9 0‑1 9 1 4 ' ,T.S.As ht onand R.
S.Sayer s( e d. )Pa pe r si nEn gl i s hMo ne t ar yHi s t o r y ,p. 1 3 4 を参照。
は じめとす る各種 の金融機関および金精錬所が存在 していて, ラン トの鉱山業
貿易決済 の中枢 であって,鉱山資本家 たちは国際決済手段 として ロン ドン宛手 形 を選好 した。最後 に④ トランスヴァールは 1 9 1 9 年 にいた るまで精錬所 を も
たず, また首都 プ レ トリアには鋳造所が存在 していたが,そ こで鋳造 された金 貨 はイギ リス系銀行 と近隣の英領植民地 において認知 されなか った。 これ らの 事軍 は,国際的な金市場 に対す る 「ロン ドンの支配」 の結果であ り, またポ ン
ド通貨 とロン ドンの金融機関 に対す る トランスヴァール鉱 山会社 の 「 従属 」 を 象徴す るものに他 な らなか っ〜 た( 3 4 ) 。
とはいえ, Van‑ Hel t e nによれば, トランスヴァ‑ル新産金 に対す るロン ド ン金市場 の支配関係が,当初か ら絶対的かつ一辺倒 に確立 されていたわけでは な
い。わけて も 1 8 9 0 年代末,Goe r z 商会を系列下 においた ドイ ッチ ェ一 ・バ ンク を先頭 に しそ ドイ ツの南阿投資が増大す るにつれて, ドイ ツ金融界 のなかで
「ラン トの金の一部 は直接 ドイツに送 られ るべ きである」との要求 が高 ま り,莱 際, ドイツの銀行 によって 「ラン トか らロン ドンに向 う未精錬金 の流 れの少 な くとも一部をベル リンの方向に転 じる」試 みが現実化 しつつあった,とい う
(35)。が, こうしたベル リンの挑戦 に もかかわ らず, ロン ドン金市場 の支配的地位 は 揺がなか った。 Van‑ He l t enはその理 由 と して, たとえばケープタウ ンか らの 原産地金の船舶運送費 と保険料の問題, また未精錬金を ドイツに輸 出す る場合 に も,貿易金融上ではロン ドン宛 スター リング手形 が利用 され るとい う国際通 貨 ポ ン ドとロン ドン金融市場 の優越 した地位の問題 などの諸条件 をあげて考察 しているが,なかで も最大 の注 目を払 っているのは We r nhe r ,Bei t 商会 とロス チ ャイル ドの間の以下 のよ うな結合関係 についてであ った。 さきに述べたよ う
(34)