̀研
究
シュムペーターの
方 程 式 L に 就 て ﹁貨 幣 理 論 の 基 本
大野
純
一
今とΣで問題とするのは所得数量読の一典型としてのシュムペーターの﹁貨幣理論の基本方程式﹂である︒
めU器のo獣oぢ円o含算口巳島o因︒6ぽ昌風窪三αq︒に於ける彼の理論を直ちに貨幣数量読に数へることには異論なし
ノゐグと言ひ得ない︒エルス.ターも指摘したやうに︑シュムベーター自身︑彼の文章の中から歎量読の反駁を見出す
や叉はその辮護を護みとるやは︑讃者に委ねて差支へないと言つてゐる︒
そこで︑吾々は︑先づ数量読とは如何なる性格をもつた學読であるか︑それが他の貨幣債値理論と匠別せら
る玉鮎は何庭に在るか︑を明かにし︑次で︑斯く規定された数量読とシュムペーターの理論との内面的關聯を
シュムペーターの﹁貨幣理論の基本方程式﹂に就て(大野)一
\
検討し︑然る後︑所得数量読としての﹁貨幣理論の基本方程式﹂ 二
の研究に進むこと玉しよう︒
幽貨幣歎量説の概念規定
貨幣数量説とは何ぞやに關する概念規定は極めて多様であつて︑一部の學者をして途に﹁果して貨幣数量説
のなるものありや﹂とすら極言せしめるに至つたのである︒併し乍ら︑之等多様り概念規定の中にも自から廣狭
激群の匠別を見出すことが出來る︒
もももぬへ之を最も廣義に解する學者は︑貨幣量の増減と物債即ち貨幣便値との間に密接の關係の存在を主張する學論
のを︑総て貨幣歎量読の下に屡せしめんとする︒例へばディール並にモムベルト然りである︒曰く﹁人々は数
量読なる名稽のもとに貨幣の歎量と商品債格の高さとの聞に密接の關係を主張するところの學読を把握する﹂
と︒併し︑貨幣の数量と貨幣債値の間に漠然とた野密接の關係を認むることを以て数量読の本質と解するなら
ば︑殆んど総ての貨幣債値學詮は数量読なりといふ矛盾に陥る︑何となれば︑古來何等かの意味に於て爾者の
間の關聯を認めなかつた學設は一つもなかつたであむうがら︒さればこの概念規定によれば︑吾々は通常⁝数量
読に封立するものと稻せられる學読をもその中に包含せしめなければならぬ︒例へば︑数量読の極端なる排撃
の者・マルクスにあつても︑
㌦ 羅 騒 齢 熱 講 謙 騨 ‑ 議 難 伴 ﹁ パ 斎 聾 彊 誉 陣
なる方程式の成立を認める限抄︑貨幣数量と諸商品の債格総額即ち貨幣債値との間に密接の關係を見出すもの
であつて︑斯る規定によれば︑當然マルクス読をも貨幣歎量読に数へなければならぬ︒併し︑それは間違ぴで
ある︒元來︑数量読は貨幣の激量とその債値との間に㎞単に密 接の關係を認める許hンでなく︑實に一方的な因果
關係を認めんとするところにその特徴を有するのである︒即ち︑貨幣量を原因と見︑貨幣債値を結果と兜る︑
ところに特色がある︒吾々は翠なる密接の關係といふ表現に少くとも三通抄の解繹を與へることが出來る︒譜即
ち︑貨幣数量が原因であつて貨幣債値が結果である場合︑逆に貨幣便値が原因であつて貨幣数量が結果である
の場合及爾者の間に相互作用がある場合がそれである︒然るに︑貨幣敏量醗は第一の場合即ち貨幣量を原因とし
貨幣債値を結果とするところに特徴がある︒從つて︑諸商品の債格総額を原因︑貨幣量を結果と主張するマル
クスの思想は数量読ではない︒貨幣量と貨幣債値の間に於ける一方的因果關係の肯定こそ︑数量詮の概念規定
に不可訣の要素である︒
こxに於て︑一方の論者はこの窯を考慮して激量読を次ぎの如く規定せんとする︒即ち︑貨幣の数量の増減
ももあももヘへもヘへもぬもももももと物債(貨幣便値の逆数)の高低との間に何等かの意味に於て一方的な因果關係を主張する學読はずべて数量
読である︑と︒キルマイアーの意味するところ蓋しそうである︒曰く﹁若しもこの因果關係に就ての個々の解
繹の特殊性を無覗するならば︑激量読なる名稽は剛つの集合概念を意味するものであつて︑そのもとに吾々
は︑貨幣の歎量と所謂貨幣債値︑換言すれば物債との間の關係に就て︑貨幣の増加が一般に物債を騰貴せしめ
シュムペーターの﹁貨幣理輪の基本力程式﹂に就て(大野)三
︑ 四
のその減少が物債を一般に下落せしめる︑⁝⁝と主張するが如き一切の理論を理解しなければならぬ﹂と︒扱
て︑それでは吾々はこの概念規定をもつて満⁝足し得るであらうか︒貨幣の数量とその債値との間に何等かの
意味に於て一方的因果關係を認める學読を︑﹁この因果關係に就ての個々の解繹の特殊性を無覗﹂して︑激量
読の下に包括して誤りないであらうか︒否︑一方的因果關係丈けでは不十分である︒数量読を斯く解するに於
ては︑貨幣債値の読明に當り︑通常数量読と相封立するものと見られる生産費論や限界利用読までも︑そのも
とに解しなければならぬ結果となる︒蓋し︑如何なる生産費読と雌も﹁供給増加に伴ふ儂値の下落を前提とせ
すして構成せられ難く︑叉限界敷用読は此關係を是認し乍ら︑進みてそれを限界敷用の概念によりて読明せむ
わが爲の理論を組立てる︑﹂からである︒されば︑吾々はたf漠然と一方的因果關係の要素丈けを掲げてはなら
ない︒更に進んで︑﹁この因果關係に就ての個々の解繹の特殊性﹂に着眼しなければならぬ︒
︑
へもへこの鮎に關し︑多くの學者は比例性の要素を加へることによつて数量読の概念を限定せんとする︑即ち︑比
例的因果關係の存在を以て激量論の概念を規定し得ると考へるのである︒例へば︑スピートホープは曰く霰
量読は︑貨幣の債値は他の事情にして攣化せざる限ρその流通量に依存する,となすものである︒即ち︑流通
量が増加すればその債値は下落し︑.流通量が減少すれば債値は上騰する︑而も流通量の増減と便値の攣動とは
同一割合を保ち︑物債の高低はその當時の貨幣流通量に依るものである︒貨幣の数量が同一事情の下に一割増
加すれば︑貨幣債値は丁度それ丈け低落し・一般物債は同Uの割合で騰貴する・﹂"︒同檬︑橋爪明男氏も日
く﹁貨幣歎量の増減と貨幣憤値(或は物便平準)騰落の聞に︑少くともかなり正確なる比例的因果關係の存在
を認める學詮に限つて︑ζれを数量読と呼び︑それ以外の︑例へば︑爾者の聞に因果關係の存在を認めない主
張は勿論のこと︑認めても相當正確なる比例的の因果關係にまで言及しない主張は︑凡て数量読の内から除外
恥することにしたのである︑﹂と︒数量設を斯くの如きものとして把握するならば︑こ玉に始めて吾々は生産費
読や限界利用読をそれから分離せしめるととが出來るであらう︒何となれば︑生産費の低下による金属貨幣の
一割の増加は物債の剛割の上騰を齎らすであらうと主張し得る論擦は生産費読自身所有せす︑又供給一割増加
すればそのものΣ交換能力もまた閣割丈け減少するといふ限界利用學読上の論擦もないからである︒しかし︑
因果關係に於ける比例性の導入は︑他面︑.数量読の概念規定に貴き代領を要求するものである︒若しも吾々に
れして﹁因果關係に就ての個々の解繹の特殊性﹂をその比例性に求むるならば︑一般に数量読の代表的なものと
認められてゐる諸學設が︑その概念の範園から逸脱してしまふであらう︒劒橋数量読の代表作・奮著に於ける
ケインズの所論を見るに︑彼はその方程式.‑・
昌H℃斧十目履)
に於けるn即ち貨幣量とP即ち物債との因果關係の特殊性に就て︑次ぎの如く言つてゐる︒
﹁⁝⁝nは之等の数量に關しては﹃猫立攣数﹄であるといふ假定の下で数量読はしばしば解読せられて來た︒
それ故に︑nを任意に倍加してもそれはkr及びゼに影響しないといふのであるから︑その結果として以前の
シュムペーターの﹁貨幣哩論の基本方程式﹂に就て(大野)五
︑ ●
ゆ 六
二倍になる様pを騰貴せしめねばならなかつ旋︒数量設はしばしば斯くの如くに叉は之に類似の形式で述べら
れるのである︒﹃結局に於ては﹄それは多分眞埋であらう︒⁝⁝併し乍ら︑この﹃結局﹄なるものが︑實際の
事情に就ては誤解を生じ易いものである︒﹃結局に於ては﹄吾々は皆死亡する︒若し時化の最中嵐が過ぎてし.
まへば浪は再び静まる礎らうと言ふに過ぎぬが如きものであるならば︑経濟學者の任務たるや饒のに容易にし
て又無用なbと云はねばならぬ︒⁝⁝nの債値の攣化の前後途中⁝⁝を通してkピrに多少の反動があるであ
らう︑その結果pの値の攣化は︑少くとも一時的には叉恐らくは永久に⁝⁝嚴密にnの攣化に比例しないであ
動らうL︒故に︑比例性を要求する限の︑劒橋藪量読は貨幣数量読から除外されること玉なる︒否︑更に︑比例
●
性の要素なる語によつて恐らく何人も直ちに想起するであらうところのフィツシヤーに在つてすら次ぎの文章
を焚見するのである︒
累夢o£碧けξo{日o昌2毒oHo︒︒ロ象︒三団自2竃a鳩昏o①凍︒臼o幽}ooぎ轟①零oロ一"8侍げo}o︒・櫛目o彗訣窃θ
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