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幼児期の「心の理論」に関する論争をめぐって : ふりの問題を中心に

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(1)

ふりの問題を中心に

著者 木下 孝司

雑誌名 静岡大学教育学部研究報告. 人文・社会科学篇

42

ページ 169‑188

発行年 1992‑03‑24

出版者 静岡大学教育学部

URL http://doi.org/10.14945/00008484

(2)

静岡大学教育学部研究報告 (人文 。社会科学篇)第42号

(1992.3)169〜 188 169

幼児期の「心の理論」 に関する論争 をめ ぐって

一一ふ りの問題を中心に一

On the debate about young children's "Theory of Mind'n Issues of pretense in young children

木 下 孝 司

Takashi KINOSHITA      

(平

3年

10月 11日受理)

1。 は じめ に

われわれは、 自分 自身および他者の行動 を説明あるいは予想するのに、心的なものを想定し、

そのいろいろな心的状態 を区別 した り、心の働 きを理解することを必要 とす る。その理解のさ れ方は、哲学者や心理学者にみ られる明示的(explicit)なものではないが、理論的 (thory‐ like)

であることか ら、「心の理論

(theOry Of mind)」

と呼ばれる。この場合、後で も述べるように、

何を「心の理論」 と呼ぶのかについてはい くつかの見解の相違があるが、ここではまず、次の Premack&Woodruff(1978)に よる定義を紹介 してお く。

「個人が′いの理論 を持つ という場合、個人が 自分 自身や他者に心的状態を帰属 させているこ とを意味する。 この種の推論のシステムが理論 としてみ られるのは、次の

2つ

の理由か らであ る。ひとつは、 こうした心的状態は直接観察で きるものではないこと。

2つ

めに、そのシステ ムは他の個体の行動 について特に予測 をするのに用いられるか らである」(p.515)。

子 どもは心的状態や心の働 きをどのように理解 しているのか、つ まり子 どもの「心の理論」

に関する研究は、

80年

代以降急速に増加 している。それ らの研究 をみると、 同 じ「心の理論」

といっても、その定義や指示する内容は研究者によって異な り、そのことは同 じように得 られ た実験結果の解釈の相違 となって現れている。 また、一方で、 より広 く他者および自己の理解 とい うことを「心の理論」なる塑念ですべて説明することに反対する論者 も出ている。こうし た対立の背景には、「理論」 という用語を心理学の文脈に即 して どう定義す るのか とい う点で の相違や、あるいは心そのもの、心身相関、素朴心理学

(folk psyChology)の

位置づ けな どに 関わる英米における哲学潮流のなかでの対立がある (哲学的論争については

01son,1988も

参照 のこと

)。

その ような全体的に大 きな問題を扱 うことはで きないが、本論文では、「心の理論」

研究での論争 ―特 に「心の理論」 とふ り

(pretense)の

問題 ―を取 り上 げ、「心 の理論」 論 で の議論の特徴 と今後検討するべ き課題について明 らかにしていきたい。

2.幼

児の「心の理論」研究の概観

(1)今

までの研 究の まとめ

最初 に、 Astington&Gopnik(1991)、 木下

(1989)、

丸 野

(1991)な

どの文献展 望 も参照 して、 これ までの幼児期 における「心 の理論」 に関係す る研究 を簡単 にまとめてお く。

乳児期   生後

9、

10カ 月 ころか ら 1歳 にか けて、意図的なコ ミュニケー シ ョンが出現す る

(3)

(Bates,1976)。

これには相手をなんらかの形で意識する必要があるようにみえるが、

Brether‐

ton,McNew,&Beeghly‐

Smith(1981)は

、乳児のこうした能力は、インプリシットな

(顕

在化 していない、 implicit)心 の理論の現れだとした。 しかし、 「相手をなんらかの形で意調 といっ ても、それが相手の心的状態なのか行動レベルのものなのかは不明であ り、乳児期における

「心の理論」の問題については明らかにされていないことが多い。

1歳 半〜

3歳 

①ふ り遊び

(pretend play)が

1歳 半前後で出現 し、これは仮説的な状況に ついて推論する能力を示す重要なものである

(Leslie、 1987)。

②要求伝達において、相手から のフィー ドバックに応 じて明確に伝達手段を調整することが 1歳 半ころよりみられ、また

2歳

すぎでより相手を意識 していると考えられるような「間接的」な要求表現がなされる (木 下、

1987)。

③ 2歳 ころで、知覚や情動に関する心的動詞

(mental verb)を

、そして

3歳

までには

知る、思うなどの心的動詞を自発的に使用 し始める

(Bretherton&Beeghly,1982shatz,Well‐

man,&Silber,1983)3④

2歳 児は、欲求 (desire)が 行為をどのように決定するのかを理解 し ている。ただし、信念 (belief)が 行為 をどう決定するのかはわかっていない

(Wellman&

w。

ney,1990)。 ⑤ものを隠してあてっこするゲーム(hide― and‐

seek game)の

中で、他者を欺 いてものを隠す方略を使い、相手に誤った信念 (false belief)を もたせることは2歳 半の子ど もでも可能である

(Chandler,Fritz,&Hala,1989)。

3歳

 

① 3歳 ころ、心的世界と物理的世界がそれぞれもつ性質の違いに気づき、両者を区別 することができる (Wellman&Estes,1986)。 ②ふりをしたものと現実の区別をすることがで

(Flavell,Flavell,&Green,1987)、

また先に自分が何のふ りをしていたかを思い出すことがで きる

(Gopnik&Shughter,1991)。

3歳

児は、他者が思っていること

(信

念 )に 基づいてそ の人の行動を予想することができる。ただし、その信念が現実の事態と矛盾 しない限りにおい てである

(Wellman&Bartsch,1988)。

4、 5歳

  ① あ る もののみ え と現実 (apperance and reality)を 区別す る能力 は

4歳

ころ よ りみ られ る

(Flavell,Flavell,&Green,1983;Flavell,Green,&Flavell,1986)。

4歳

ころ よ り、 心 的動詞のある もの

(例 :思

い出す、忘 れる、知 っているな ど )を 認知的 に区別 して理解す る よ うになる

(Macnamara,Baker,&01son,197QJohnson&wellman,1980)。

③自分自身の認識内容 と他者の認識内容が違うことに気づき、他者の誤った信念に基づいてその人の行動を予想、判 断することは

3歳

児ではできないが

4歳

ころより可能になっていく

(Wimmer&Perner,1983;

Hogrefe,Wimmer,&Perner,1986)。 ④ 自分自身の認識内容が変化することを

4〜 5歳

ころより 理解する (Gopnik&Astington,1988)。

以上、これまでの幼児における「心の理論」に関する主だった研究の結果だけを羅列 した。

この他にも、多 くの研究が登場 し、よくみるとデータとしても相互に矛盾するものもある。そ のすべてを詳細にわたって述べることはできないが、それらの議論で重要な論点をしぼってみ ると次のようになる。① l歳 半ころからのふ りの出現などの大きな変化を「心の理論」の発生 との関係でどう位置づけるのか。②いくつのかの代表的な課題で

4歳

ころに大きな変化がある が、この変化をどのような「心の理論」として特徴づけることができるのか。論点①について は、本論文の後半で詳細に検討する。論点②については、別稿にて検討する予定であるが、① の検討にも関連する点があるので、ここではその概要だけ触れておきたい。

(2)誤

った信念の理解 と「心の理論」

さて、この

4歳

ころに大きな変化を示し、幼児のもつ「心の理論」の特徴を顕著に現す課題

(4)

幼児期の「心の理論」に関する論争 をめ ぐって

171

としてよく使われるものに、誤った信念 (false belief)理 解の課題がある。実際、 Wimmer&

Perner(1983)の

オリジナル版以来、欧米での研究だけでも、約

20以

上の研究があるという (Astington&G6pnik,1991)。

この課 題 の基 本 的 な発 想 は、

Premack&Woodruff(1978)の

チ ンパ ンジー も心 の 理 論 を も つ とす る研 究 に対 す るDennettら 哲 学 者 か らの 意 見 に み られ る

(Dennett,1978)。

Dennettは 、

「最小限に複雑な」パラダイムとして、ある個体が他者に信念を帰属 していることを示す ため に、その個体の信念 とは異なる信念を帰属で きることを示す必要があると述べている。つまり、

帰属 されるべ き他者の信念が、その個体 自身の もの と同一の真理価 をもつ ものであれば、本当 に他者に信念を帰 しているのか、単に自分 自身の信念を述べているだけなのかが区別で きない ことになる。

このことは、

Wimmer&Perner(1983)の

実験パ ラダイムに反映 されてい る。 これは、 人 形を使い簡単な話 を被験児に聞かせる形 をとっているが、そのおおまかな流れは次のようになっ ている。主人公は、 自分の使っていた ものを場所

Xに

しまい出かける。その不在の間に、別の 人物がその ものを取 り出 し、場所

yに

入れて しまう。その後、登場人物が戻ってきて先に使っ ていたものをまた欲するというところで話は終わる。そ して、被験児に対 して「主人公はその ものを使お うとして どこを探すのか」 と主人公の行動の予測 をさせ るというのが、基本的な課 題の構造 とならている。

結果についてであるが、Wimmer&Pernerに よると3歳児では他者の誤 った信念 を帰属 し ないで、被験児 自身が実際に知っている内容の信念 (上の例でいえば、対象は場所

yに

あると 主人公 も知っているという

)に

基づいた反応 をする。4歳児についても、この課題が難 しい と いう結果になっているのだが、この課題 自体、ポイン トになる事実を保持 した り場面が仮定の 上での ものであった りして、必要以上に複雑になっている可能性が残った。そこで、こうした 可能性 を排除するために、Perner,Leekam,&Wimmer(1987)で は、「スマーテイ」 という欧米 圏の子 どもにはなじみのあるキャンデ ィの箱に実は鉛筆を入れてお き、それを知 らない友人は 何が入っていると思 うか という課題設定にした。その結果、4歳児 も正 しく誤った信念を予想

し、一方3歳児ではこの課題で も正答することはなかった。

ここで、簡単にこの誤った信念理解 に関する研究の現在での論争点をみてお く。その論争の 焦点 となっているものは、大 きく

2つ

の種類の ものがあると思われる。

1の

論争点

 

これは、

3歳

(あるいはそれ以下の子 ども

)の

誤った信念理解の能力 をど うみるのか とい うデータ上、方法論上の対立 といえる。その第 1の グループは、上述の結果を 支持 し3歳児には他者の誤った信念を理解する上での認知上の問題があるとす る ものであ り、

多 くの「心の理論」研究者がそれに含 まれる

(Astington&Gopnik,1988;Flavell,1988:Foguson

&Gopnik,1988;Leslie,1988;Perner,1988;Wimmer,Hogrefe,&Sodian,1988な

)。

それに対す る第

2の

グループが

Chandlerお

よびその共同研究者 らである

(Chandler,1988;Chandler,Fritz,&Hala,

1989)。 彼 らは、この誤った信念課題が、信念についての信念をもつ能力 とこうした2次的信

念についてコメン トするという異なる能力 を混同 していること、反応に際 しては非言語的な指 示でよいとされているが、話の理解 など必要以上 に複雑化 されていると批判 している。そこで、

彼 らは実際にものを隠 して当てるというゲームの中で、子 どもたちが相手をだます能力につい て調べ、2歳後半ですでに相手 をだます方略 を使 うことがで き、このことか ら考えられている よりも早 くか ら子 どもは「心の理論」 をもつ としている (ただ し、それは萌芽的なものであ り、

(5)

いわゆる「構成主義的理論」になるのは学童期以降であるとも述べている)。

Chandlerら

に対する反論 (Sodian,1991)、 さらにそ うした批判 に対す る再反論 となる研究

(Hala,Chandler,&Fritz,1991)も

次第にでてきているが、これ らの課題の意味 を再度検討 しな お してい くことがいま現在での課題である。

また、Wellman(1990)は 、上記の誤った信念課題が3歳児に とって困難であることか ら、

す ぐに

3歳

では他者の信念を理解することはで きないと強 く主張することに反対 している。彼 は、誤った信念か ら行動を予想することは

3歳

児にとって困難であるか もしれないが、逆にあ る行動 を誤った信念に関連 させて説明することはできることを示 している。 また、い くつかの 実験 において、3歳児で も信念 ―欲求推論 シェマを行使することが可能であることを示 した。

そ して、誤った信念の予想の失敗は、 3歳児の認知的欠点の現れ というより、信念 一欲求推論 での複雑化の結果 としてみている。この点では、

Chandlerら

に も近い といえるが、

 4歳

ころ か らの変化 も認め、(次の第

2の

論争点に関わる問題であるが)心の働 きを外界の コピー をす るもの として理解することか ら、外界か らの情報 を積極的に処理 し解釈するものとして理解す ることが始 まる時期 として、その変化 を特徴づけている点では違いがある。

2の

論争点

 

これは、誤った信念課題だけでな く、他の関連 した課題 も含めてこの4歳 ろの変化 をどう特徴づけるのか という点での対立である。その意味では、一応子 どもの「心の 理論」 において4歳ごろに転換期があることを認める、第

1の

論争点で述べた第

1グ

ループ内 での対立 といえる。それは、大 きくいって

2つ

のグループの主張に分けられると考えられる。

第 1の グループは、4歳ごろの変化 を、ある内的な表象 とそれが表象 している外的事実の間 の因果関係の理解の問題 としてみている

(Leslie,1988;Wimmer et al.1988な

)。 た とえば、

Wimmer et al.は

4歳ごろより信念の獲得において知覚やコミュニケー シ ョンがキー となる 役割 を果たす ことを理解するようになるという。つ まり、誤った信念課題において正答するに は、主人公が真の状況に知覚的にアクセス していないことと、その結果生 じる信念内容の因果 関係 を理解 しな くてはならないとするのである。Leslieの場合、異なった2つの系統 で発達 し てきた物理的因果的世界 と心的世界が4歳ごろ統合 され、ある心的状態はある外的状況に接 し たことの結果であ り、また外的行動の原因で もあることを理解で きるようになるとしている。

2の

グループに共通する説明は、ひとことでいって表象の基本的な性質の理解の問題 とい え る (Astington&Gopnik,1988;Flavell,1988;Forguson&Gopnik,1988;Perner,1988な )。

Pernerに ついては、後で述べることになるが、彼は4歳までは表象を利用することはで きるが、

その表象の もつ性質を理解することができないという。 どういうことか とい うと、た とえば他 者の誤 った信念では、ある現実に対 して子 ども自身が もつ表象 と、その同 じ現実に対 して他者 が もつ別の内容の表象を形成 しな くてはならない。つ まり、表象の もつ一般的な性 質 として、

現実はひとつであってもそこか ら生成 される表象は、ひとによってまた時間とともに異なると いうことを指摘 し、その理解は4歳以降にならな くてはみ られないとするのである。

Pernerは

このことをメンタルモデルとそのモデルがモデル化 している現実の意味的関係 を、 さらにモデ ル化するメタ表象能力の獲得 として把握 している。Forguson&Gopnikでは、 この変化 を表象 を表象 として理解、すなわち心 と外的世界の関係 を心的表象によって媒介 されたもの として表 象することが可能になることとして捉 えている。Flavellも、 同一の現実 は多様 な形で表象 さ れうることの理解 として指摘 し、その理解の能力は、彼が視点取得研究で述べていた「水準2」

の理解 を反映 していると述べている。

(6)

幼児期の「心の理論」に関する論争をめぐって 173

以上のように、第 2の 主張は、第 1の ものを強い形でよリー般的な認知能力の問題として理 解 したものともいえる。その点で、根本的な対立はないかのようにみえるが、誤った信念理解 だけでなく、自己の表象変化の理解、みえと現実の区別など他の課題の結果もふ くめて整合性 のある説明を行おうとするとさまざまな対立が生 じることになる。さらに、大きな対立をなす のが、

4歳

までの「心の理論」をどうみるのかという問題である。第

1の

グループの主張に従 うと、第 2の グループが問題にするような「表象の表象としての理解」は、すでに1歳 半すぎ よりふ り (pretend)を する能力の中にみられるという

(Leslie、 Wimmer et al.)。

言い換えると、

それはメタ表象の出現をどの時期にみるのかという問題にもなり、

(1)に

おいて論点① としてあ げた別の大 きな対立を生み出すことなる。

次の節からは、ふ りに関する理論、および関連するメタ表象発生の問題などをいくつかの代 表的な研究を詳細に検討 し、その理論的対立点について明らかにしていく。

3。

ふりの出現と「心の理論」― Les:ieの 認知論モデルー

(1)撃

L幼

児のふり遊びについて

子 どもの遊びの中で も、ふ り遊び (pretend play)、 象徴遊び (symbolic play)、 ごっこ遊 び

(make‐

believe play)と

よばれるものは多 くの研究者の関心 を引いて きた

(本

論文 では、 以下

紹介する論者 との統一を図るためふ りない しはふ り遊びと総称す る)。 Piaget(1945)は

 1

歳す ぎか らみ られるこうした遊びを象徴遊びとして、表象機能の発生の徴候 として重視 した。

また、Vygotsky(1933)などソビエ トの心理学者にとって も重要なテーマのひとつであった。

両者の遊び理論をここで紹介することはで きないが、能記 と所記関係の発達的変化に関わる図 式での対立があることなど検討 されている (辻野、

1978;高

橋、1984)。

また、欧米では、

70年

代以降、乳幼児のコミュニケーシ ョン研究の隆盛 とともに初期のふ り 遊び研究 も増加 している。それ らの多 くが、基本的にはPiagetの枠組みの中に入 る もの と思 わ れるが、丹念にふ り遊びの構成要素の検討がなされてきている。そこで問題になっていること としては、

(a)脱

文脈化、

(b)脱

中心化 (自己に向けたふ りと他者に向けたふ り

)、

(c)行為の系 列化、(d)ものの代用 (見立て

)な

どがある (Fein,1981)。

(2)「心の理論」の初期の現れとしてのふ り

子 どもの「心の理論」の発生における重要なポイン トとして、ふ りをすることや他者のふ り を理解することをあげるものは多い。そうした中で、Leslieは、ふ りを可能 にす るメカニズム と「心の理論」の関係 を説明することをめざした独 自のモデルを提出している。Leslie(1987、

1988)を

参照 しつつ、彼の理論 をまずはみていきたい。

彼は、ふ りの能力 と「心の理論」について次のように述べている。「ふ りの出現 は、対象や 事象などの理解 における発達 としてでな く、認知それ自体 を理解する能力の始 まりとしてみ ら れるものである。それは、情報に対する自らの態度を特徴づけた り操作する人間の能力の初期 の徴候である。 自分 自身がふ りをすることは、他者のふ り (情報に対する他者の態度)を理解 することの特別なケースである。つ ま り、ふ りは心の理論 (Premack&Woodruff,1978)と ばれるものの初期の現れである」(Leslie、 1987、 p.416)。

「ふ りは心の理論の初期の現れである」根拠 をもう少 しみてみよう。彼は、まず心的状態語

(mentJ state terms)を

含んだ文の論理的特性 とふ りとの同形性 (お

omOrphヽ m)を

指摘す る。

彼は、ふ り遊びを機能遊 びな どと区別す る基準 として、

(a)対

象 の代理性 (object substitu‐

(7)

tion)、

(b)ふ

り属性 の付 与 (attribution of properties)、

(c)想

像 され た対象 (imagi‐

nary objects)を

あげ、少な くともこれらのうち 1つ の ものがあれば、 ふ りとして認めてい る。

(a)の

形態の ものは、「石」 を「 アメ」 に代置する場合があた り、これは指示関係 を歪める ものである。

(b)は

、実際にはきれいな人形の顔 を「汚れた顔」に見立ててふいてあげるといっ た ものだが、これは真実性 を歪める。最後の(c)は、実際にはその場にない「 コップ」 か ら飲 むふ りをするもので、 これは実在性 を歪めるものであるとする。

一方、信 じるとか、欲するなどの心的状態語 を含んだ文にも

3つ

の特徴がある。

(a)指

示 関 係の不透明性

(referential opacity)―

「 ジ ョンは 『 ドナル ド・ レー ガ ンは映画俳優 である』

と信 じている」 という文か ら「 ジョンは『合衆国大統領は映画俳優である』 と信 じている」 と い う文は帰結で きない。 ところが、「信 じる」のような心的状態語がない通常の指示関係でい えば、 これを書いた時点で『 ドナル ド・ レーガン』 と『合衆国大統領』が同一人物 を指示する 場合、一方について真であることは他方についても真である。 しか し、心的状態語 を含んだ文 脈 においては、通常の指示関係が保留 される。

(b)真

理の非内含

(nonentailment of truth)一

「 ジョンは、『そのねこは自い』 と信 じている」 という文の場合、そのね こが実際 に白いか ど うかに関わ りな く成 り立つ。(c)存在の非内含

(nOnentailment of existence)―

「メア リーは、

『フランス国王ははげている』 と信 じている」の場合のように、心的状態語によって、 『フラ ンス国王』の存在は内含 されることはない。 このように、心的状態語を含んだ文は、指示関係、

真実性、実在性 に関する真偽判断は保留 されてお り、この点が まさに先にあげたふ りの意味論 的特性 と類似 しているのである。

(3}デカップ リングの働 きとメタ表象

Leslieは

、 この ような論理的同形性の基礎 にある内的表象の形態へ と分析 をすすめる。彼は、

2種類の表象 を考 え、 ひ とつが外界の対象や事象、状況 を表象す る表象で これを1次表象

(primary representation)と

呼ぶ。そ して、 もうひとつがふ りでの表象や上述 の文脈 内でい │ゴ『』で くくられた箇所にあたるもので、表象の表象 と言 うことで2次的またはメタ表象 と 呼んでいる。

次に問題になるのが、こうした

1次

表象 とメタ表象の関係であるが、彼は自らのモデルの基 本的な特徴は、「

1次

的表現 (表象 ―著者注)をメタ表象文脈にコピーす ることでふ りを生成 すること」(Leslie、 1987、 p.417)にあ り、 この過程を「メタ表象文脈が、

 1次

的表現 を通常 の入カ ー出力関係か ら遮断する (decOuple)」 (同)もの として表現 している。つまり、 メタ 表象は

1次

表象か ら隔離 された状態で取 り出された ものであ り、そうした (1次表象をメタ表 象化す る

)働

きを、現実や他の表象 との通常の意味的関係 を遮断することか ら、メタファー的 表現 を用いてデカップリング (decoupling― 遮断の意味)と よぶのである。それは、心的状態 語を使った文脈で、「ねこが自い」 という1次表現 を『』 にいれることで、意味的論理性 の真 偽判断を保留する働 きと同 じといってよい。ここに、

Leslieの

モデルのオリジナリテイがあり、

自らのモデルをふ りの「機械論的モデル

(mechanic model)」

とよぶ由縁である。

なお、 このデカップリングの働 きを想定することのメリッ トとして、ふ りをすればするほど、

現実 と

1次

表象の意味関係を歪めることになるはずであるが、実際にはそうしたことが起 こら ない とい うふ り遊びをめ ぐるいわばパラ ドクスを解決で きることをあげている。

(4)ふ りのデカップラーモデル

実際に、ふ りをする過程はどうモデル化することができるのだろうか。

Leslieは

、 ふ りをす

(8)

幼児期の「心の理論」に関する論争をめぐって 175

る能力は、

PRETEND(a, ei",ej)(aは 行為者、

ei"は

デカップルされた表現、ejは

1次

表象をさす

)

という意味関係 を計算する力 として定義 し、 これは通常の発達をしている子 どもの場合、一度 出現するとさらには発達 しない とも述べている。

Fig。

1に

は、実際のふ りが生成 される過程が一般的な形で示 してある。

Fig.1 

ふ りのデカップラーモデル

(Leslie、

1987)

こ の モ デ ル は 、 知 覚 プ ロ セ ス (PERCEPTUAL PROCESSES)、 中 央 認 知 シ ス テ ム (CENTRAL

COGNITIVE SYSTEMS)、

デ カ ッ プ ラ ー

(DECOUPLER)の 3つ

の 主 要 な 要 素 か ら な る 。 知 覚 プロセスは現在の状況の表象を中央認知システムに送 り、このシステムでは、記憶や活動の計 画化などの働 きを受け持っている。デカップラーは、上述のデカップリングの働 きをするとこ ろであるが、 ここは さらに3つの プロセスに分かれている。 1つめが、 表現取 り出 し過程

(expressiOn raiser)で

あ り、この主な働 きは中央認知 システムか ら

1次

表象 をコピー し、 そ の通常の出入力関係か ら遮断 して しまうことである。そうして遮断された表現は、次の操作過

(MANIPULATOR)で

、中央認知 システムか らの情報 とデカプリングマーク (図中の

"

にあたる

)の

中で統合 された り、推論ルールを適用することによって変形 され、Fig。

1に

もあ るような、「Agent PRETEND    "」 とい う形のふ り表象をなす。また、操作過程では、

過去に遮断された表現を中央認知 システムか ら呼び出して受け入れることもできる。解釈過程 (INTERPRETER)では、中央認知 システムの

1次

表象 をアクセスす ることがで き、 送 られて きたふ り表象 と現在の知覚表象を関連づける (これを

Leslieは

anchor機 能 と呼ぶ

)。

その上で、

ふ り表象を中央認知 システムに送 り、保持あるいは実行する。

Leslieは

、このモデルを用いて、あるものを知覚 してす ぐにふ りをする場合、 自分 のすでに

持っている知識を利用 したふ りの場合、過去にしたふ りを思いだ して行 う場合、そ して他者の しているふ りを理解する場合について説明をしている。

(51 Ledieの

モデルにみられるふ り遊び観

後での議論を進める上での要点 となる、

Leslieの

ふ り遊びに対する考え方を、上のモデルを

(9)

通 じてまとめてお きたい。ふ り遊びをみてい く場合、必ず問題になるのが類似 した他の行動 と の区別の問題である。その類似 した行動には、「〜であるかのように」間違って行動するもの

(例 :暗 間で風で草が動 くのを幽霊だと思って逃げようとする

)、

機能遊びと呼ばれるもの (実

物のコップやブラシを慣習的使用 に従 って使 う

)が

ある。Leslieは、 これ らの

2つ

の行動が

「〜かのように振舞 う (acting as if)」 ようにみえるのは、あ くまで も観察者の視点か らだけ であって、その行為者 自身にとっては真剣な

(serious)も

のである とい う。 一方、 ふ りの方 は、行為者の視点か らみても「〜であるかのように」振舞っている。

こうした考えに基づいて、機能遊びとふ り遊びを形態上区別する基準はすでに述べたとお り である。 また、

Leslieは

次のようなことを「〜であるかのように」間違って行動することとの 違いを言 う中でいっている。「ふ りは、ふ りをする人が現実状況を正確に知覚 している、 〜で あるかのように行動する特別な場合である。(略

)ふ

りが生 じる ことに とって本質的なのは、

ふ りをする人がそのふ りが起 こったときに、

 

その違い (筆者注 ―現実 とふ りの違い)を語れ "ことである」(Leslie、 1987、p.413)。 つ まり、ふ りが行われているときに、現実の事態 と ふ りでの事態が同時に意識 され、対比 されてしヽることになる。

このことは、彼のモデルにおいてデカップリングの機能を想定 し、さらにその機能の一つに 解釈過程 を置いていることにも貫かれているし、 またメタ表象であるふ り表象の意味論的関係 の表示の仕方にもみ られる。それは、

I PRETED  the banana is a telephOne"

という形で表示された。

Leslie&Frith(1990)を

みると、この表示では何が

1次

表象であるか 分かりにくいとして、次のような改訂がなされている。

I PRETEND the banana  it is a telephone"

これによって、現実の表象 とふ りにおける表象が明確に対比 されることになっている。ここに メタ表象の起源をどの時期の どこにみるのかという問題に関わる、ふ りについての理解の違い が生 じて くるように思 う。 この点については最後にあわせて検討 したい。

(6)自閉症研究

Leslieは

、共同研究者 らと自閉症に関する研究 も精力的に行っている。彼 らの基本的な立場

は、

Rutterな

どに始 まる認知障害を基礎的障害 とみなす流れに位置する。Wing&Gould(1979) によると、一定の言語能力をもつ子 どもで対人障害を示す場合、必ずコミュニケーション能力 障害 とふ り遊びなどの象徴能力の欠如 も示 し、それ らがひとつの症候群 をなすことが明 らかに されている。 これ らの

3つ

組みの障害 を説明するのに、Leslieら は上記のモデルが有効である と主張する。

い くつかの研究をひろってみる。 自閉症児は、対象概念や因果性理解など

1次

的表象の発達 は精神年齢にほぼ等 しい発達をしているが、ふ りにおいては精神年齢に比 してかなりの遅れが

ある (BarOn‐Cohen,1987)。 また、 より年長の自閉症児に関 して、物理的な世界の知識 は十分

持っているにも関わらず、「誤った信念」課題のような「心の理論」が必要とされる課題では

きわ め て 成 績 が 悪 い (Baron‐

cOhen,Leslie,&Frith,1985,1986;Leslie&Frith,1988な

)こ

と も

明 らか にされてい る。

Leslieは

、 こうした結果 をふ まえて、 自閉症児 に固有 の障 害 は一般 的 な

発達障害の結果ではな く、特殊 な障害である とした。そ して、その障害 とはメタ表象能力の形

成 にお ける障害であ り、それはデ カ ップ リングメカニズムの機能障害 による ものだ と結論づ け

た。

(10)

幼児期の「心の理論」に関する論争 をめ ぐって

177

こうした彼の自閉症論 をみて、改めて気づ くのは、「心の理論」獲得で鍵 を握 るデ カップ リ ングメカニズムの生得性である。 この働 きは、発達過程で形成 されて くる性質のものではなく、

生得的に

1歳

半 ころに発現するもの として捉 え、そうしたプログラム実行のメカニズム解明の ために神経心理学的研究への期待 を語っている

(Leslie&Frith,1990)。

4口 Pernerからの批判 ―ふ りをす るの にメ タ表 象 は必 要 なの か―

(1〉むの理論のための意味論

すでにみたLeslieのように、ふ りをするにはメタ表象能力が必要だとする論者 は多い。 それ に対 して、Perner(1988)はその論に反対する。その反対する根拠 を知る意味で もまず彼の理 論の大枠 をみてお きたい。

彼 は、子 どもが「心の理論」 を獲得することを、心的状態の意味論を理解する能力に関連 さ せて記述 している。彼の主張 を発達の流れにそって記述すると次のようになる。

(a)乳

児期 :子 どもは、外界のメンタルモデル (これを彼は知識ベースと呼ぶ)をもつが、 そ れがその外界 といかに関連するのか という意味論的な覚知

(semantic awareness)は

示さない。

この点を考慮するなら、 この場合、乳児が もつ ものは厳密にはモデルではな く、知覚 された像 とい うほどの意味で表示

(presentation)と

いい うるものである。

(b)1〜 3歳

ころ :現 実 とは異なる別のメンタルモデルを、構成 した り使った りす るための意 味論的手続 きを使 うことができる。 また、その (現実 とは

)別

の代替的状況 (alternative sit‐

uation)と

人を結び付けることによって、現実に代わる状況について考えた り、 自分 自身お よ

び他者のふ りや信念 を概念化する (命題的態度論者‐

prOpositbnal attitude theoristと

この段 階 の子 どもを命名 している

)。

(c)4歳

ころより

:メ

ンタルモデルとそのモデル化 されている状況の意味論的関係 を明示的に モデル化することでメタ表象能力 をもつようになる

(表

象状態論者 ―representational state

theoristと

呼んでいる)。

(a)の段階では、子 どもにとっての世界は現前の与え られた知覚世界 だけである。 それが、

(b)の

段階で、現実 とは異なる別の状況 をモデル として構成 し、 これ ら

2つ

の状況 を比較す る ことがで きる。 しか し、 このモデルは、あ くまで も現実のモデルとともに並置 された もので、

両者のモデルの意味的関係についてはまだ考慮す ることはで きない。 この段 階の子 どもは、

「人を普通 とは違った変わった状況で行動 しているとみることで、ふ り行動の意味 を理解 して いる」(Perner,1988,p.152)。 例 えば、友だちA君が空のコップか ら飲むふ りをしているのを理 解する場面を考えてみよう。Fig.2に は、その状況のモデルが Pernerの 説明に従い図示 してあ る。 コップが空であるという実際の状況 とは別の状況=飲物が入ったコップを記述するモデル が観察者の側にできている。そ して、その状況 と

Aと

の関係 を「ふ りをする」 という命題的態 度 として結合 している。 ここで、 もし

Aが

本当に何か飲みたい という、いわば現実志向的態度 を持つ としたら、現実状況の方 と結び付け、空のコップか ら「本当に」飲 もうとはしないこと を予想することがで きる。このように、この段階の子 どもは、実際の現実の状況 と「本当でな い」考えられた りふ りをされた状況 との三分 された世界を持つ といえる。このことは、この時 期、考えられた り空想 したものは、実際に知覚することはできないが (例

:頭

で考えたクッキー は本当には見ることはで きない

)、

現実では不可能なことが可能になる (例

:花

が話す

)と

う、real―

nOt realの

区別ができているとする研究 とも一致する

(Wellman,1990)。

(11)

ところが、このレベルでの理解では他者の誤った信念を理解する際、パラ ドクスに陥って し まう。

例話

:メ

アリー(M)は、友だちか らアイスクリーム・バ ン (ICV)が 公園 (PK)に来 ている と聞 く。しか し、実際にはICVは 教会 (CH)のところに来ている。Mはアイス を買い にいこうと思っている。

この場合、現実の状況=ICVは CHにある、現実 とは別の状況

=ICVは

PKにあ る とい うこと にな り、命題的態度 レベルの理解では、

Mは

実際にアイスクリームを欲 している とい うので、

Mを現実の状況 と結び付けて判断 して しまうことになる。つ まり、

Mは

ICVの所 に行 きたい と いう現実志向的態度でいるにも関わらず、現実 とは反する状況に基づいて行動する (Mは PK の方に行ってしまう)というパラ ドクスを解 くことはこの レベルではできない。このパラ ドク スを解消するためには、「(前の段階で仮定 されたような)状況によってではな く、その状況の 心的表象に従ってひとは行動する」(同上、

p.152)こ

とを理解する必要がある。そ して、「心 的状態 を表象 として理解することで、表象は現実の 代役"と して理解 されうる」(同)の

である。つ まり、第

2の

段階では、考えた りふ りをした りして構成 されたモデルつまり表象は、

現実 とは異なる

nOt realな

もの として理解 されていたが、表象はそ うした性質 を もつ一方で、

なん らかの形で現実状況にも関連 しているというね じれた関係 (表象は、現実 とは異なるもの であるが現実を反映 している)を理解することがさらに求め られるのである。

Fig。

3に

は、

Mの

心的状態のモデルが現実状況のモデルを

(誤

って

)表

象 している過程 を、

さらに第

3の

段階の子 ども (表象状態論者)がモデル化 している状態を示 してある。 さらに、

心的状態のモデルとそれが表象 している現実状況 との意味的関係 を取 り出 して、Fig。4に示 し た。 この図で明 らかなように、通常は一体 となっている表象の

2側

面 ―その表象は何 を指 して いるのか という指示対象

(reference)と

、その表象が実際 に表象 している内容 (content)を 分離することが、この誤った信念の理解には欠かせない。つまり、

Mの

心 的状態のモデルは、

客観的 レベルでの現実状況を表象すべ き指示対象 としているのだが、その表象 されている内容 は事実 とは異なる別の状況 となっているという、ね じれた関係になっているのである。 こうし た関係は、(表象の心的 レベルではない)状況の客観的 レベルだけをみていては理解できない。

Pernerは 、このように表象 とそれが表象 している現実 との関係 を表象で きるようになって 初めて、その能力はメタ表象の名に値すると主張 しているのである。

(2}ふ

=メ

タ表象に対する批判

Leslieの

いう

1次

表象は、Pernerの 知識ベースにあたる。

Leslieは

、その

1次

表象からコピー された2次的表象、つまり表象の表象 ということでふ りで使われる表象 をメ タ表象 とよんだ。

Pernerは この点についてまず批判するが、それを次のようなメ タファーで説明す る。 ある人 物の絵 を写真 を見て描 くとき、その作品が うまくで きたかをその写真 と比較 して評価 をす る。

そうであるか らといって、その絵は写真の表象 とはいわないで、それはあ くまで もその本人の 表象なのである。

1次

表象 または知識ベースは、ここでいう写真に相当するものであ り、それ を表象 と位置づけること自体 を疑問視 している。

また、Pernerは 別の論者の批判の中で、「メタ言語」の例をとって

2つ

の場合 を説明 してい る。一つは、barを

mparと

綴 って しまったギ リシャ人に対 して、bar」 の看板 を見て、「ほれ たった3文字だろ」 と言及 した場合。

2つ

めは、字を知 らない労働者が「bar」 とい う看板 をあ げてお り、彼 らは自分達があげているものは文字 といわれるもので、「 ことば」 になるように

(12)

Fig.2「 命題的態度論者」のふ り理解

1)Perner(1988):こ基づ き作 成。

2)友

だ ちAが空 の コ ップか ら飲 むふ りを して い る状 況 を、

「命題的態度論者」 (1〜 3歳 頃)が理解するのに使 うモデル を示した。

幼児期の「心の理論」に関する論争をめぐって 179

Fig。

3「

表象状態論者」の誤った信念 の理解

1)Perner(1988)か ら一部を省略して引用。

2)本

文「例話」の他者の誤った信念を、「表象状態論者」

(4歳 〜)が理解するのに使うモデルを示 した。単にモデルを 使うだけでなくそのモデルのモデル化をしている点に特徴あ り。

icv,pk,chの略称は本文参照。

また、一,atでicvのある位置関係を示 している。

llontrl Lorol o[' llograron!ollon

0bJoctlro Lorol ol

Sl tuotlon

Fig。

誤った信念における表象の心的 レベルと状況の客観的 レベルとの意味的関係

1)Pemer(1988)か ら一部を省略 して引用。

2)Fi33での、現実状況とそれを表象する心的状態の意味的関係をさらにモデル化 して示 した。

心的状態のモデルは、現実状況を指示対象にするが、事実とは異なる(反事実的)状況についての 内容を持つという意味的関係にある。

ぜ う

・・・・・・ 1

11:::

(13)

決 まった順であげるように指示 されたとする。その時、その労働者が「これは簡単だった。たっ

3つ

の文字だった」 と言及 した場合。前者は明 らかに言語的実体 (linguistic entities)と てその看板の文字について言及 しているので、メタ言語的 といえるが、後者は単に重い荷物 と して しかみていないのでメタ言語的ではない。同様のことはメタ表象に関 して もいえ、メタ表 象 とい う限 りは、表象を使っているというだけでな く、その表象を表象 として理解する必要が あるとしている。そ して、表象 を表象 として理解するとは、現実 とは異なった性質をもつ もの としての理解だけでな く、現実 との屈折 した関係の中で形成 されるプロセス として理解するこ となのである。

5口

ふりをめぐる別の問題

(1)ここまでの議論に対するコメン ト

1歳

す ぎの早期か らメタ表象能力 を認める研究者は多いが、Pernerは その理 由 として興味 深いことを述べている。(メ タ表象能力を帰属 させたがる一引用者注)理由は、 われわれは、

状況を記述するモデルなしで仮説的な状況について考えた り指示することができないか らであ

る」(Perner,1988,p。168)。 このことは、実際のふ り遊びの問題を考えるとき重要なものである。

大人のように、表象を表象 として理解するメタ表象能力 をもっているとしたら、例えば石 をア メにしているふ りをしている場合、これは本当は石であるがそれに対 してアメのふ りをしてい るという意識を持つことになる。

Leslieの

モデルや説明をみると、先に指摘 したように、ふ り の出現 と同時に、現実の意味 とふ りの中での意味をこのように対立 させることが可能になると い う前提 にたっているのは明かである。こうしたいわば「さめた」状態では、ふ り遊び自体楽

しい没頭することのできる活動にはな りえない。ここに、大人や年齢の高い子 どもが、ふ り遊 びに熱中 しないあるいは熱中できない理由があるのではなかろうか。そうした視点で考えると、

Lesheの ようにふ り出現時か らメタ表象能力 を付与することは、論外であると思われる。

では、Pernerの 見解に全面的に賛成できるか というとそうではない。彼 は、 ふ り遊 びの前 提 になる能力 としてメタ表象能力 を付与することを否定 しつつ も、ふ りでの状況を現実ではな い ものとして現実状況 と対比することは、初期のふ り遊びの中で可能であるとしている。この

2つ

の状況の「対比」がメタ表象的なものではないにしても、 どのような意識 レベルでの もの

なのかは

Perner自

身まった く問題にはしていない。 ところが、実際のふ り遊 びをみ る と、 こ

の点に関 してさまざまなレベルや状態のものがあるように思 われ る。 それに対 して、

Perner

だけでな くLeslieも そうであるが、ふ りをする子 どもの側か らふ りの意味的関係 を明 らかにす るといいなが ら、その質的な違いには目が向けられていないという不満が残る。

{2)ふ り遊びの発達的変化

ここでは、い くつかの研究や私の観察を通 して、ふ り遊びの実際をもう少 し詳細にみてお き たい。以下、年齢別に特徴的なものをまとめてい くが、その際の年齢区分はあ くまで も便宜上 の ものであ り、今後、観察事例を増やすなどして特徴の記述 と説明の仕方 もふ くめて検討 しな

くてはならない ものであることを初めに断わってお きたい。

l歳 :1歳

の初めころより、実際の日用品などを使ったふ り遊び的なものがみ られる。1 歳 も後半になると、 ものの見立てやことばでそれに「マ ンマ」 と命名 した りするなど、子 ども の側か ら明確に意味づけることが始 まる。

(14)

幼児期の「心の理論」に関する論争 をめ ぐって 181

観察例1;ジヤツクリーヌ (1歳 3カ 月

)は

、縁 どりのある布 きれを手に取って、折 り畳 んで右手に持ち、同 じ手の親指 を吸って横にな り大 きな声 をあげた。眼は開いたままで あったが、 しばしばまばたきをした。最後には、笑いなが ら「ムニャムニャ」 といつた

(Piaget,1945)。

これは、 よく引用 されるPiagetに よる初期のふ りの観察例である。 ここで注 目したいのは、

ジャックリーヌのふ りをしている際の笑いである。対人行動にはあまり関心 を寄せていないと

されるPiagetの記述の中で も、こうした初期のふ り遊び (彼によると象徴遊び

)の

観察例には、

「笑いなが ら」 という対人反応が多 くでて くる。実際、私の長男の観察で も、ふ りの この萌芽 期において、ふ りをしている最中やふ りをしたあ とで周 りの大人に微笑むことが多かった。 こ うしたことは、遠 くの ものを取ろうとするような一種の問題解決状況 とは、明 らかに心理状況 が異なることを示唆する。 また、現実状況 とは異なるもう一つの世界に入 り込んで、現実 との 接点 を失っているの とは違 う。なぜ な ら、周 りの大人に笑いかけるとい うように、現実的な対 人関係 を結ぶことができるか らである。

それは遊び的状況 とそ うでない (現実的)状況 とい うものの違いを、漠然 とではあるが感 じ 取 っているとで もいえるような心理状態があるように思われる (この遊び的状況 とは、現実状 況での意味か ら東縛 を受けない仮説的状況 ともいえる

)。

といって、それは明示的な形 で、 ふ

りの状況 と現実状況 を意識的に対比 している状態で もない。

観察例

2;筆

者の長男J(1歳8カ 月)と筆者が、お手玉 を「マ ンマ」 にみたてて遊ぶ。

「マ ンマ、 どうぞ」 と言って

Jに

父がお手玉を渡す と、

Jは

口によせて食べ るふ りを する (正確 に言 えば、お手玉 を口に当てるが口には入れない

)。

「こんどは、お父 さん にもち ょうだい」 といって手 を出す と

Jは

手渡す。そのお手玉を父は本当に口に入れ て くわえて しまう。それを見た

Jは

、す ぐにつ られるように、 自分の手元に落ちてい た別のお手玉をくわえた。

この例のように、ふ り状況での暗黙のルール (本当に口にいれない)を破 って、ふ りの文脈 に 現実的行動 を持ち込んで も、 この時にはそれに対するJからの リアクシヨン (抵

)は

なかっ た。む しろ、その大人の行動 を即時的に模倣することがみ られた。 この時期、遊び的状況 とそ うでない状況の違いを感 じ取 っているといって も、その

2つ

の状況の分化はかな り漠然 とした もので、揺 らぎやすい ものであることが予想 される。

2歳3歳

:2歳

を過 ぎると、 こうした状況の分化はより明確なものになってい くよう である。加用 (1983)は 、ごっこ遊び (本論文ではふ り遊び

)に

おいて、2歳半か ら3歳前後 で大 きな変化が

2つ

あるとしている。そのひとつが、遊びと遊びでない もの との心的分化が成 立することである。遊んでいる時に「何 しているの」 と聞かれて、「おうちごっこしてる」 と 答えるように自分が何の遊びをしているのかを意識 した りで きるのである。 2つめの変化 は、

一時的にせ よ、実際の意味 と仮の意味を心的に分化できるようになることである。こうした変 化にもつながると思われる、そ して

1歳

ころとは異なる内容の遊びが、Jが

2歳

3カ 月ころに み られた。

参照

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