奈良教育大学学術リポジトリNEAR
都市空間と職場、エスニシティ、人種―フィラデル フィアとシカゴを例として―
著者 竹田 有, タケダ ユウ, TAKEDA Yu
雑誌名 高円史学
巻 8
ページ 1‑16
発行年 1992‑10‑01
その他のタイトル The effects of Workplace, Ethnicity, and Race upon Urban Space
URL http://hdl.handle.net/10105/8692
都 市 空 間 と 職 場
︑ エ ス ニ シ テ ィ
︑ 人 種
‑ フ ィ ラ デ ル フ ィ ア と シ カ ゴ を 例 と し て ー
f はじめに
竹 田
有
﹁移民の国﹂といわれるアメ‑カ台州国は︑多民族・多人種の国である㍉大雑把に言えば︑白人移民は︑一九世紀中頃か
ら主にアイルランドやドイツなど西欧から渡来した旧移民と︑一九世紀末から二〇世紀初めにかけて主に東・南欧から到来
した新移民とに分かれる︒そして︑移民ではないが'南北戦争まで南部のプランテーションで奴隷労働を行い︑二〇世紀に
( ‑ )
入って北部の工業都市に移住した黒人がおり︑移民の流入と黒人の存在はアメ‑カ史の特異性の最大の要素である︒彼らは独自の文化をもって工業化の中心である北部諸都市に定住し労働するが︑その時へなにを基準に居住場所を決めた
のであろうか︒旧移民と新移民︑白人と黒人の問には居住パターンになにか違いはあるのであろうか︒本稿の目的は︑住民
が都市空間をどのように共有したのかを明らかにすることである︒
二 旧移民と新移民の居住パターンの相違
移民の同化についての定説に従えば︑移民はまず︑都心部の人口桐密なスラム街で︑同じ民族集団の仲間と肩をよせあっ
て﹁エスニック・ゲットー﹂を形成する︒時の経過とともに社会的上昇を経験すると︑彼らはこのゲットーから脱出し︑拡
散Lへ アメリカ生れの主流派と合流する︒この場合︑居住地の隔離の度合が同化の目安となり︑主流派からの隔離の程度が
低ければそれだけ同化を経験していることになるOもしこの議論が正しければ︑T九世紀中頃に到来した旧移民の隔離の度
合は当初は高いがへ二〇世紀に入ればもう低‑なっているはずである︒また︑旧移民と新移民の隔離の程度は'移民として
の共通の境遇から'大体同じはずである︒しかしながら'実際はそうではない︒
表①は︑フィラデルフィアの各民族集団について︑アメ‑カ生れの白人(nativewhites)とどの程度居住場所が隔離さ
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︒空
間的
相違
指数
につ
いて
簡単
に説明しておく︒外国生れのアイルランド系移民がある都市の人口の三割を占めている場合へもし彼らがその都市のすべて
の区なり人口調査標準地域(tract)なりにおいて全体での割合と同じ三割を占めているならへ指数は○となる︒数値が高
ければ高い程ある地域への集中(隔離)がおこっていることを示し︑指数三〇ぐらいが集中が強いか否かの境目となる︒従っ
てへ指数は全体の割合と同じになるために別の場所へ移動しなければならない割合であり︑アメリカ生れの白人に対する空
間的相違指数とは'彼らと同じ居住パターンを示すためにはどれだけの人々が移動しなければならないかを示す︒7九三〇
年に'フィラデルフィアのアイルランド系︑ドイツ系住民の指数は二〇台なのに対し︑イタリア系︑ポーランド系へ ロシア
系住民の指数は五〇台であり︑同化のプロセスが機能しているかにみえるO つまり︑1九世紀中頃に定住した前者はもうこ
表① アメリカ生れ白人に対する空間的相違指数
1 8 5 0 18 8 0 1 9 3 0 1 9 4 0 1 9 5 0 19 6 0 1 9 7 0 ア イ ル ラ ン ド系
. 外 国 生 れ . 第 2 世 代 F . S .
3 0 3 2
3 1 3 1
2 8
2 1
3 2 2 9
2 ‑1 2 8
ド イ ツ 系
. 外 国 生 れ . 第 2 世 代 F . S .
3 3 3 6
3 3 3 4
3 2
2 7
3 5 3 1
2 5 2 6
イ タ リ ア 系
. 外 国 生 れ F . S .
5 9 5 8
6 0 5 4
4 7 4 8
ポ ー ラ ン ド 系 . 外 国 生 れ
F . S .
5 4 5 5
5 5 4 6
3 2 3 5
ロ シ ア 系
. 外 国 生 れ F . S .
5 6 5 3
5 7 5 4
5 0 5 2
・F.S.‑ Foreign Stockニ=外国生れとその子供の合計
・Hershberg, et al., "A Tale of Three Cities," p.468のTable 2より
作成
‑31
の時期にはかなり同化し︑定住したばかりの新移民の後者はまだ同化せず︑ある地域に隔離されていると解釈できそうであ
る︒しかしながら︑時間の経過とともに旧移民の数値がどう変化したかをみると︑指数は高い値から低い値へとは変化して
おらずへ大体一定している︒旧移民は元々最初から強くは隔離されたことがなかったと言ってよい︒またへ新旧移民の最初
の定住の時の数値を比べると︑新移民のものが二倍近く高い︒居住地の隔離と同化を結びつけた定説では︑以上のことは説
o
明で
きな
い︒
では︑どう説明すればよいのか︒なぜ旧移民は最初から隔離されたことがな‑︑新移民は強‑隔離されたのであろうか︒
その原因は都市構造の違いに求められるであろう︒なぜなら︑一九世紀中頃と世紀末以降の都市構造は質的に異なっており︑
l九世紀の都市構造は移民の特定地域への集中を許さなかったからである︒まず︑当時は︑新来移民を収容できるほど大量
の'安い中古住宅のストックがなく︑移民が寄り集まろうと思っても︑大きなエスニック・ゲットーを形成するだけの中古
住宅が集中して存在していなかった︒住宅供給が急速な人口増加に追いつかない状況下で︑移民は横町や裏の路地や地下室・
屋根裏など到るところに住みつきへその結果都市全体に分散した︒またへ一九世紀中頃の経済活動は小規模で︑仕事場と住
居が同一か︑近接しており︑このため仕事場はあらゆる近隣に分散していた︒移民は分散した仕事場において︑あるいはそ
o
の近‑に居住し︑彼らの住居も分散したのである︒しかしながら'1九世紀後半に都市構造は大き‑変革される︒工業化の進展に伴ない︑生産や流通の経済活動が都心部に
集中
して
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鉄道
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種工場︑金融機関︑小売店等が集中し︑多くの多様な雇用機会を提供した︒そして︑このCBDの発展は都市住民の移動を
促し'膨張する都市居住空間の階級別による住み分けが進行する︒中心部に居住していた富裕層はCBDの発展による環境
の悪化を避けて郊外へ脱出を開始し︑中流層も彼らに続いた︒都心部のCBD周辺の地域が富裕層や中流層によって見捨て
られていくと︑彼らが住んでいた一家族用住宅が多家族用住宅に改築され︑裏庭や空地に安普請の住宅が次々と建てられた︒
こうして'1九世紀末には︑大量の安い住宅がcBD周辺に集中して供給され︑このいわゆるインナーシティ(InnerCity)
に新来の東・南欧系移民が流入した︒このため彼らは'旧移民よりはるかに密集し隔離された形で居住したのである︒
圧倒的に貧しい不熟練労働者で構成される新移民にとって︑CBDに近接するインナーシティに住むことは経済的必然で
あった︒徒歩で通勤すれば交通費は不要であり︑彼らの労働は長時間で︑不規則かつ厳しかったから︑職場は近‑なければ
ならなかった︒度々経験する失業の際には︑かわりの仕事をすぐにcBDで探すこともできた︒また︑CBDは女性や子供
など家族の他のメンバーにも多様な職を提供したのである︒他方へ熟練技能をもち︑少し経済的余裕のある旧移民︑特にそ
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( 4 )
ともに居住した︒こうして'!九世紀末から流入してきた新移民の居住地の隔離の度合が高いのは︑多様で豊富な雇用機会を提供するCB
Dが発展したこと︑このCBDに近接するインナーシティに大量の粗悪だが安い住宅が集中して供給されたことによる︒l
九世紀には職場も住宅も分散していたため︑エスニック・ゲットーは形成されなかったが︑1九世紀末に誕生するメトロポ
リスではその中核にCBDとインナーシティが形成され'移民集団の強い隔離が現れるのである︒それゆえへ都心部におけ
る人口桐密なエスニック・ゲットーの存在とゲット〜を経由しての同化のプロセスは︑空間的にも時期的にも'またメンバー
の上でも限定されたものであった︒エスニック・ゲットーは'CBDとインナーシティをもつメトロポ‑スの産物であり︑
一九世紀末以降の︑東・南欧系新移民の居住に特徴的な形態であった︒旧移民を含めた︑かなりの数の移民はエスニック・
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ゲットーを経験したことがなかったのである︒そして︑留意すべきは︑旧移民の中で最も社会的上昇が遅れたアイルランド
系が最も分散し︑新移民の中で最も高い社会的上昇を経験したユダヤ系と上昇が遅れたイタ‑ア系とが共に最も隔離されて
いたように︑社会的上昇︑同化と居住地の隔離の程度とは必ずしも直接には結びつかないことである︒
三 エスニック・ネイバーフッドの編成原理
一九世紀後半には殆どの人が職場に徒歩で通勤できる所に住んでいた︒フィラデルフィアの労働者の八割以上が︑一八五
〇年には職場から半マイル以内に︑八〇年では一マイル以内に居住していた︒この三〇年間に通勤距離は二倍になったもの
のへ相変わらず徒歩で通勤したのである︒この理由は︑運賃の安い便利な交通手段の未発達にあった︒1八九〇年代に路面
電車が登場した後もこの事情は変わらず︑この地では1九10年以降になってようや‑労働者が公共輸送手段を通勤に利用
oI
し始める︒もっとも︑徒歩で通勤しなくなったからといって'長時間の厳しい労働を行ないへ交通費の負担をできるだけ少なくしたい労働者の場合に︑職住近接のあり方が崩れたとはいえない︒
さて'労働者が職場の近‑に'できれば徒歩で通勤可能な所に住まざるをえないという事実は︑ある有力な議論への反論
を用意する︒ここで祖上にのぼるのは'エスニック・ネイバーフッドの主たる編成原理はなにかという問題である︒そして︑
有力な見解によれば'エスニック・ネイバーフッドとは外国から移殖された文化の具体化に他ならなかった︒つまり'母国
とは環境が全く異なりへ度々敵意と差別をうけた合州国の都市において︑自らと言語へ宗教︑伝統を同じ‑する仲間達と同
質的な近隣を形成しh t義的関係を結びたいという敵望の具体化であった︒この見解に従えば︑エスニック・ネイハーフッ
ドの編成原理はエスニシティである︒しかしへこの主張に対して反論が可能となる︒すなわち︑先程確認したように︑労働
者が職場の近‑に住まざるをえないとすれば'同じ職場や産業で働‑労働者は互いに近‑に住むことになり'同じ職場・産
業で働‑異なった民族集団と近隣を共有せざるをえないのではないか︑という点である︒この場合︑ネイバーフッドの編成
原理は職場となる︒以上の議論を整理すれば次のようになる︒労働者の居住地決定に際してエスニシティの方が重要なら︑
異なった職場・産業で働いていたとしても︑同じエスニシティをもつ者は近隣を共有するだろう︒もし職場・産業の方が重
要なら︑たとえエスニシティが違っていても'同じ職場・産業で働‑者は近隣を共有するに違いない︒つまり︑同じエスニ
シティをもつ者と1緒に住むのか︑あるいは同じ職場の人々と1緒に住むのか︑である︒
表②はこの問題に解答を与えて‑れる︒この表は︑一八八〇年のフィラデルフィアにおける十一の主要産業に従事する成
人男子労働者を︑黒人︑アメ‑カ生れ白人︑アイルランド系ならびにドイツ系(両者とも第二世代を含む)に分け︑同じ産
業で働‑か否かで区別して︑互いの空間的相違指数をはかったものである︒
指数が五九以下の︑強い隔離がみられないケースは'同一産業で働‑白人同志(六八%)と︑異なった産業で働‑黒人同
志(七〇%)である︒つまり'白人の場合へ同じ産業で働いていれば︑異なった民族集団は近隣を共有し'逆に黒人の場合
は'たとえ産業は異なってもう近隣を共有する傾向にある︒
指数が六〇以上の場合へすなわちかなり強‑隔離されて住んでいるケースは二つある︒同じ産業で働‑白人と黒人(10
0%)の場合と︑異なった産業で働‑同じ民族集団に属する白人同志(六四〜七五%)である︒だから︑たとえばアイルラ
ンド系衣服産業労働者は︑同じアイルランド系であるが異なった産業で働‑者とは離れて住みへむしろ同じ衣服産業で働‑
ドイツ系やアメリカ生れ白人と近隣を共有する︒
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相 空
語 間
同 〜 産 業 巽 な る 産 業
白 人 に対 す
白 人 同 志 黒 人 同 志 アイル ラン ド
ドイ ツ系 同志 アメ リカ生れ
数 的 る 黒 人 系 同 志 白 人 同 士
3 0 ‑ 1>9 0 % 6 7 .6 ※ 7 0 2 5 .5 3 6 .3 2 9 .1
6 0 以 上 1 0 0 3 3 .3 30 7 4 .5 6 3 .7 7 0 .9
Greenberg, "Industrial Location and Ethnic Residential Patterns, p.218のTable4より作成
※合計がなぜ100%にならないのかは不明
以上のことから︑白人の外国系労働者の居住地を決定するのは︑エスニ
シティよりは職場なのである︒もっとも︑ある産業で働く白人労働者がそ
の産業の職場近‑に居住し︑この産業・職場を核とした集合の内部で︑小
さい同質的なエスニック・コ‑ユニティが形成されることは無論ありうる︒
しかし'エスニシティは'メトロポリスにおける工場の位置とその周辺で
の労働者住宅の集合という構造的コンテクストの中で影響力をもつのであっ
て︑そのような構造的制約から独立して影響を及ぼすのではない︒コミュ
ニティ形成においては職場・産業が1義的で︑エスニシティは二義的なの
である︒この白人に関する結論は黒人には当てはまらない︒黒人は︑同じ
産業で働‑白人とは隔離され︑異なった産業で働‑黒人と近隣を共有する︒
彼らはメトロポリスにおける特定の地域︑ブラック・ゲットーに閉じ込め
( 7 )
られるのである︒
表②では旧移民系労働者が検討されたが︑白人の民族集団においては同
じ職場・産業で働‑'異なった民族集団と近隣を共有せざるをえず︑その
ためある民族集団が特定の近隣を占有することはないという結論は︑新移
民にも当てはまる︒新移民のエスニック・ゲットーは'ある民族集団が優
勢ではあるが︑他のい‑つかの民族集団も存在し︑しかし黒人には閉ざさ
れた地域︑多民族・単1人種の地域であった︒
例をシカゴにとろう︒一八九三年の労働省調査によって︑
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辺三五ブロックの居住状況が明らかとなった︒この地域に
は約一万八〇〇〇名が住み︑その六割近‑が外国生れであっ
た︒この移民のうち︑一七%がイタリア生れ︑同じく一七
%がロシアとポーランド生れのユダヤ人である︒だからこ
こは︑イタリア的︑ユダヤ的色彩が優勢であったが︑残り
の六六%へ移民の三人の中の二人までがユダヤ人でもイタ
‑ア生れでもなくへ実に二十二の異なった国ないし民族集
団の出身であった︒﹁フロック当りの平均の出身国ないし
( 8 )
民族集団数は八である︒表⑧は1九三〇年のシカゴにおけるへ外国系住民(第二
世代も含む)と黒人のゲットーへの集中度とゲットー内で
の割合を示したものである︒旧移民と新移民の間にはやは
り違いがある︒アイルランド系の場合へ 彼らの ﹁ゲッ
トー﹂へリトル・アイルランド内に居住するのはわずか三
表③ 民族グループのゲットー化
ゲ ッ ト ー に 住 む 割 合 ゲ ッ ト ー 内 で の 割 合
ア イ ル ラ ン ド系 2 . 9 3 3 . 8
ド イ ツ 系 1 4 . 2 3 1 . 7
ス ウ ェ ー デ ン 系 1 5 . 3 2 4 . 3
ロ シ ア 系 3 7 . 4 4 2 . 5
チ ェ コ 系 4 3 . 7 3 1 . 4
イ タ リ ア 系 4 9 . 7 4 6 . 2
ポ I ラ ン ド 系 6 1 . 0 5 4 . 3
黒 人 9 2 . 7 1 . 5
Philpott, TheSlum and the Ghetto, p.141のTable7より作成
一9‑
%足らずであり︑ドイツ系がリトル・ジャーマニーに居住する割合はやはり低くてl四%である︒これに対して'新移民の
場合︑それぞれのゲットーにおいて占める割合は︑旧移民に比べやや高いものの︑著しい差はない︒しかし︑ゲットーに集
中する度合には明白な差が認められる︒新移民の場合には大体四〇%以上を示し︑中でもポーランド系は六割の人が1九カ
所に散在するボローニア内に居住していた︒ただし︑このボローニアにおいてもちポーランド系が占める割合は五四%であ
り︑ボローニアの約半分の住民はポーランド系ではなかった︒
しかしながら︑このような新・旧移民の相違は'白人と黒人との間の違いと比較すれば︑わずかなものとなる︒シカゴに
住む実に九三%もの黒人がブラック・ゲットーに集中し︑ゲットー内では黒人が八割以上を占めていた︒ブラック・ゲットー
こそ真の意味でのゲットーであり︑新移民のエスニック・ゲットーとは質的に異なっている︒黒人の場合の圧倒的な隔離状
況と違って'新移民の場合には︑ゲットーへの集中はある程度起ったもののへ過半数の者がそのゲットーには居住していな
かった︒新移民の移住パターンはゆるやかな集中と大幅な拡散の組みあわせといえる︒また︑彼らはゲットー内においては︑
他の民族集斑と近隣を共有した︒さらに'エスニック・ゲットーへの集中は'黒人の場合と異なり︑強制的でも永続的でも
なかった︒階級の階梯が上がれば︑白人は郊外への脱出が可能であった︒しかし黒人は︑階級・階層の如何を問わず︑人種
を基準に強制的にブラック・ゲットーへ閉じ込められたのである︒
・10‑
四 工場と近隣の居住パターンの関係
職場と産業が労働者の居住地を決定し︑彼らの住居が職場近‑におかれるとすれば︑近隣の居住パターンとその変遷は︑
工場の存在へ工場が提供する職の種類とその多寡によってかなりな程度説明できることになる︒
メトロポリスにおいては︑各種工場はCBDに集中していたが︑二〇世紀に入ると特に資本集約的・エネル.ギ‑集約的工
場がcBDを離れへメトロポ‑スの周辺に立地される︒このタイプの工場は熟練技能を有する労働者を必要とし︑それゆえ
不熟練労働者が圧倒的に多い新移民よりは︑熟練労働者の比率が高い旧移民やアメリカ生れの方を周辺部に誘引する︒彼ら
が残していく都心部の中古住宅には新移民や黒人が住みつき︑この新移民と黒人の不熟練層にはCBDに留まった労働集約
的産業が職を提供する︒
フィラデルフィアを例に具体的に検討を加えたい︒衷④と表⑤は︑一八八〇年から一九三〇年の問の製造業工場の進出を
基準にしてフィラデルフィアを六つのタイプの地区に分けへ各地区住民の職種と民族構成を示したものである︒都心から遠
い順に上から並べてありへ一番遠い地区は都心から七マイル︑一番近い下の二地区④と⑧は約二マイル離れている︒
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が居住する率も最低(三七%)の︑最貴地区となった︒表④によると︑住民の多‑は主に不熟練労働を必要とする低賃金職
種へサービス業と食品工業に就き'表⑤が示す通り︑ポーランド系と並んで黒人が集中した︒製造業職種が少ないために白
人の脱出が相次ぎ'かわって黒人が新たに流入してきた︒ブラック・ゲットーが形成されるのは正にこの地区においてであっ
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するケースが過半数をこえている︒住民の職種構成では専門職がやや少なく'多いのは資本集約的で︑高賃金で︑周辺部に
位置する自動車・電気機器・化学工業と︑従来から周辺部にあった織物工業である︒住民は通勤手段として平均(二四%)
よりやや高い割合(二八%)で徒歩に頼りへ平均(1三%)よりやや低い率(一〇%)で自動車を利用している︒要するにへ
彼らはある程度の生活水準を保ち︑⑧の住民よりは豊かで︑熟練度も高い人々であった︒民族構成では︑⑧地区に比べ黒人
の割合が大きく減少し︑またイタ‑ア系とポーランド系がいるものの︑比率はアメリカ生れと旧移民の方が高い︒
以上から次のようにまとめられよう︒‖黒人は'製造業の職が少ないために白人移民には魅力のない︑住環境が劣悪で都
心に近い㊤地区に集中した︒fIアメ‑カ生れと旧移民のブルーカラー労働者は黒人が集中する④地区には少な‑︑新し‑発
展した工場地帯のある⑥地区に集まって'主に熟練職に就いた︒またへ このグループのもっと恵まれた富裕層は'工場が殆
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ランド系とイタ‑ア系は︑製造業の仕事に恵まれた⑥地区にも住んでいたことと︑イタリア系が集中した⑧地区は︑黒人が
集中した④地区と異なり︑雇用機会が増加していたことである︒g[新移民の中では'ロシア出身者(ユダヤ系)がユニーク
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製造業職種の存在やその増大には影響されない︒移民集団の中で最も早‑かなりの社会的上昇をとげたユダヤ系の特徴が以
上のパターンに反映されている︒
このようにへ製造業工場の存在と提供される職の種類やその多寡によって︑白人民族集団の間に居住パターンの相違がい
くつか生じている︒だが︑白人民族集団の労働者について共通するのは︑製造業の雇用機会が増加した地域(⑧と◎)に彼
( 1 0 )
らが集中した点である︒労働者の職住近接を前提とするならへ雇用機会を豊富にしかも安定して提供する工場の存在は︑白人民族集団の安定した近隣を発展させる基礎となる︒強力なエスニシティのきずなは安定したエスニック・ネイバーフッド一
の産物であり'安定した近隣は雇用機会の安定した供給によって保証されるのである︒ただしへ黒人の場合は︑たとえブラッ 15
ク・ゲットーの近‑に工場が存在し'製造業の職が近‑にあったとしても︑白人のようにその職に容易に就‑ことはできな
かった︒強烈な人種差別主義によってへ製造業職種から排除されたからである︒
︹ 註 ︺
(‑) 最近︑近代世界システムと国際労働力移動という観点を導入して︑多民族・多人種国家アメリカの形成を描いた'すぐれた概説
書 が 出 た
︒ 野 村 達 朗 ﹃
﹁ 民 族 ﹂ で 読 む ア メ リ カ ﹄ へ 講 談 社 現 代 新 書 へ l l 九 九 二 年
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(1 98 1) ,p p. 46 6‑ 67
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1 .
(‑*) DavidWard,Citiesandlmmigrants(1971),pp.105,107‑08;拙稿﹁メトロポリスの誕生とアメ‑カ労働者階級﹂﹃史林﹄
七四‑五(1九九こ'1〇四〜t O頁.
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