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春日大社蔵『舞楽手記』検証

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Academic year: 2021

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(1)

    春日大社蔵『舞楽手記』検証

       ──『舞楽手記』諸本考──

神田   邦彦

一、はじめに

  『 舞 楽 手 記 』 は、 奈 良 県 春 日 大 社 に 伝 わ る 七 巻 の 楽 書、 所 謂「 春 日 楽 書

(1)

」 の 一 巻 で、 舞 楽「 羅 陵 王 」 の 舞 譜 で あ る。 こ の 書については鎌倉時代の古写本かといわれ、戦前は国宝に、戦後は国の重要文化財に指定されて、夙にその史料的価値の高 さがいわれてき た

(2)

。ところがその後、江戸期の書写ではあるが、内閣文庫 ・ 田安徳川家他に同内容の伝本と覚しき写本が見 つか り

(3)

、諸本研究が急務となってい た

(4)

。また、この書は編者 ・ 成立等についても未解明で、かつは翻刻もなかったから、そ の点も課題であっ た

(5)

。   ところが、昨秋、中原香苗氏が諸本を検討され、編者、成立等の問題に言及。狛近真編纂の『羅陵王舞譜』をもとに、興 福寺の僧侶聖宣が著述したものと考察された(詳細は次章に後述) 。   しかし、そう考えてよいのだろうか。反論はこれから述べるが、そもそも、氏は春日大社所蔵の原本を調査していない。 そ れ を 現 存 諸 本 の「 祖 本 」 と 位 置 づ け な が ら、 「 紙 焼 写 真 版 」 に 拠 っ て い る。 だ が、 諸 本 を 検 討 し、 編 者 ・ 成 立 の 問 題 に 考

(2)

究 す る の で あ れ ば、 「 祖 本 」 の 調 査 は 不 可 欠 な は ず で は な い の か。 紙 焼 き 写 真 で は 見 え な い 部 分 が 疎 か に な る の で は な い か。氏は春日大社のそれを実見されないまま結論を出されたが、それを含めた研究が必要であると推察する。また諸本につ いても、管見では、氏が指摘されたものの ほ かになお豊家に二本あることが確認できたから、それらも検討に加える必要が あると思われる。   そこで本稿では、未検討の伝本を加えて、諸本相互の関係について検証してみる。また、その結果を踏まえて、本書の編 者、成立の問題に関する考察を、追って別稿に述べたいと思う。なお、本書については共同で翻刻も行ってい る

(6)

から、そち らも併せて参照されたい。

二、先行研究について

  中 原 氏 の 論 は、 『 詞 林 』 第 四 十 四 号 の「 秘 伝 の 相 承 と 楽 書 の 生 成( 1 ) ─〔 羅 陵 王 舞 譜 〕 か ら『 舞 楽 手 記 』 へ ― 」 と 題 す る論考に収められてい る

(7)

が、それに先行する研究として、福島和夫氏の「春日楽書」解題があ る

(8)

。まず、それによると、    (四) 「舞楽手記」 。陵王荒序舞譜・同記録。紙背は荒序舞譜。同巻はことに欠落・錯簡が甚しい。 (同解題、七六頁) という。 『舞楽手記』は陵王荒序の舞譜とその記録で、紙背にも荒序の舞譜があるということだが、 「欠落・錯簡が甚しい」 とのことであるから、原本の調査は避けられないものと解される。ただし、こちらは辞書に執筆した解題であるから、その 根拠までは書かれていない。   ま た、 同 氏 に よ れ ば、 『 手 記 』 伝 本 は 春 日 大 社 蔵 本 の ほ か、 内 閣 文 庫、 田 安 徳 川 家、 上 野 学 園 大 学 日 本 音 楽 史 研 究 所 に あ り、春日本が祖本、以下がその写しと位置付けておられ、諸本とその関係を「春日楽書三本対照 表

(9)

」に表しておられる。い ま、その対照表より『手記』部分を抽出してみると、表 1 のようになる。

(3)

1  福島和夫氏「春日楽書三本対照表」より 春日大社本 日本音楽史研究所本平出久雄本 ※櫻井氏追加) 内閣文庫本

田安家本伊達文庫本 ※櫻井氏追加) 荒序舞譜(首欠・裏書アリ)  

(イ)聖宣記   近真ヨリ春福丸ヘノ相伝次第(春日本欠) 〔荒序譜〕 (二) 〔舞楽手記〕 跋(ロ)近真、 光則

光近両家ノ荒序相伝次第。聖宣記(春日本欠) 首欠、 但春日本より

(紙背) 二四八説   光則(首欠、二帖ヨリ残存。尾入綾以下欠)錯簡アリ ( 付荒序古記録   保安三年(一一二二)~保延二年(一一三六) 跋(イ) (ロ) (ハ)完備

(ハ)仁治三年正月十五日近真臨終ノ相伝ノ記。 (聖宣花押)

19

行多く残存

26

ウ~

返蜻蛉手アリ(十二冊本・廿二冊本欠) (    〔舞曲譜〕 (一) 〔荒序舞譜〕 八方八返様 〔舞譜〕

31

   〔荒序譜〕 (一) ウ)

32

オ~

41

ウ)

  諸本により書名が異なっているが、それはいずれも内題を欠き、原題がわからず、仮称が付けられているためである。右 の 表 に よ る と、 春 日 社 蔵『 舞 楽 手 記 』 の 本 文 に は、 内 閣 ・ 田 安 家 所 蔵 の『 荒 序 譜( 二 )』 が 該 当 し、 同 紙 背 に は 日 本 音 楽 史 研究所に蔵する『舞譜』の二十六丁裏から四十一丁裏まで、および内閣 ・ 田安家の『荒序譜(一) 』と『舞曲譜(一) 』が、 それぞれ対応することがわかる。また、そこでは『手記』の内容についても概略が記され、主な異同も示されている。ただ し、こちらは日本音楽史研究所の特別展観において同所所蔵の『舞譜』他を出陳するに際し、同所の所長である福島氏が記 した解題目録の付録であるから、なぜそういえるのかという論拠までは記していない。   これに続いたのが、筆者と共同で「春日楽書」諸本を調査した櫻井利佳氏の「春日楽書」解 題

((

であるが、氏はこれに故平 出久雄蔵本と伊達文庫本(宮城県図書館蔵)とを加えている。平出本は平出の論文に紹介されてい る

((

のを指摘したもので、 平 出 没 後 の 現 在 で は 行 方 が 知 れ ず、 詳 細 は 不 明。 伊 達 文 庫 本 は、 詳 し く は 後 述 す る が、 内 閣 文 庫 本 の 転 写 本 で あ る。 た だ し、櫻井氏の解題は、同じ「春日楽書」中の一巻である『楽記』について述べたものであるから、こちらも諸本の関係につ

(4)

いて詳細な考証までは示されていない。   つ ま り、 「 春 日 楽 書 」 諸 本 の 関 係、 ひ い て は『 手 記 』 諸 本 の 関 係 に つ い て 概 略 は 発 表 さ れ て い る が、 詳 細 な 検 証 ま で 示 さ れているわけではない、といえる。しかしながら、中原氏は前掲論文に、    「春日楽書」の伝本相互の関係については先学の論考に詳しいのでそちらを参照されたい(後略) (六七頁上段) として、注に右の福島・櫻井説を引いておられ、論拠は示しておられない。が、それでよいのか。読者は何を信じればよい の で あ ろ う か。 加 え て、 氏 は 春 日 本 に つ い て、 「 原 本 は 未 見、 本 文 の 検 討 な ど は 春 日 大 社 蔵 紙 焼 き 写 真 版 に よ る 」( 前 掲 論 文、六七頁上段)としておられる。春日本を除く諸本については調査され、解題を書いておられるのだが、春日本について 「 未 見 」 な の で は 福 島 氏 の い う 春 日 本 の「 欠 落・ 錯 簡 」 に つ い て は 検 証 で き な い の で は な い か。 は た し て、 そ れ で よ い の か。   要 す る に、 「 春 日 楽 書 」 諸 本 の 関 係 に つ い て は 論 拠 が 示 さ れ た こ と は な く、 か つ は 春 日 本 に つ い て も 祖 本 と 見 ら れ な が ら、検討が不充分であるといえる。そこで、以下に春日本の解題を記し、諸本との関係について検証してみる。また、管見 では豊家本家にも二本確認できるが、個人蔵につき、原本の調査が及ばない。写真の紙焼きは得られたから、これについて も検討できる範囲で述べてみることにする。

三、春日大社蔵『舞楽手記』解題

.書誌   奈良県、春日大社所蔵。巻子本、一軸。同社所蔵の、    1 .楽所補任        二巻

(5)

   2 .舞楽古記        一巻    3 .高麗曲         一巻    4 .輪台詠唱歌外楽記    一巻    5 .楽記          一巻 これら内容の異なる六巻の楽書とともに桐の重箱に納める。該本を含め、都合七巻を「春日楽書」とも呼ぶが、国の重要文 化財指定名称は、 1 が「紙本墨書楽所補任」 、 2 ~ 5 及び該本『舞楽手記』が「紙本墨書楽書」であ る

((

。   該 本 の 春 日 社 に お け る 登 録 番 号 は「 書  第 二 十 二 ノ 第 三 」。 表 紙 は 竪 三 二 ・ 二 糎、 横 一 九 ・ 二 糎 の 金 色 牡 丹 唐 草 文 様 織 出 の緞子表紙。見返しは白紙に金の揉み箔を散らし、押さえ竹に緑青色の平打紐が付く。外題は表紙左端上部の題簽に「舞楽 手 記 第二 段起 」 と 墨 書。 題 簽 は、 金 の 切 箔 を 散 ら し た 鳥 の 子 紙 で、 法 量 は 竪 九・ 一 × 横 二・ 一 糎。 題 簽 右 側 に 登 録 番 号 を 記 し た 副題簽(竪四・九×横二・九糎)もある。なお、 題簽題の筆跡は 巻末の紙背にある明治三十年の修補奥書(後述)の筆跡と 一致するので、表紙、題簽等はこの時の修補によるものかと察せられる。外題には「舞楽手記」とあるが、内題はない。し たがって、外題がそのまま該本の書名になっているが、題簽が明治期の修補なら、その書名も明治の修補で付けられた仮称 と思われる。   本文料紙は楮紙で、紙高は約二九 ・ 五糎。破損、摩損がかなりあるが、本紙は間剥ぎして表裏を分かち、間に別紙を入れ て張り合わせてあり、料紙の天地は別紙で補強されている。したがって、現状の竪の法量は約三二 ・ 二糎である。状態より 見 る に、 該 本 は 鎌 倉 期 の も の と 思 わ れ る。 な お、 巻 末 の 紙 背 に、 「 明 治 三 十 年 十 二 月 修 補 之 / 官 幣 大 社 春 日 神 社 」 と 修 補 奥 書があり、その下に「春日神/社之印」の方形朱印があ る

((

  本文(紙表)には天三条、地一条の横界と縦界とが引かれ、紙の継ぎ目は縦界が重なるように継いである。縦界の界幅は 各二 ・ 七糎。横界の界幅は上から一 ・ 六糎、一 ・ 四糎、二一 ・ 六糎である。墨付は十六紙で、各紙の長さは以下の通り。第

(6)

第四紙 - 第五紙継ぎ目部分

(7)

一紙四一 ・ 一糎、第二紙四五 ・ 六糎、第三紙四二 ・ 一糎、第四紙二九 ・ 六糎、第五紙三三 ・ 一糎、第六紙四六 ・ 二糎、第七 紙一六 ・ 九糎、第八紙一 ・ 一糎、第九紙三八 ・ 二糎、第十紙四六 ・ 四糎、第十一紙八 ・ 一糎、第十二紙二七 ・ 四糎、第十三 紙七 ・ 九糎、第十四紙二 ・ 五糎、第十五紙四一 ・ 一糎、第十六紙二七 ・ 五糎。   該本は、表裏両面に記事を有し、本文(紙表)第一紙から第四紙までの筆跡を A とすると、それ以降は B で、二人による 寄 合 書 き で あ る( 以 下、 前 者 を 筆 者 A 、 後 者 を 筆 者 B と 呼 ぶ )。 紙 背 の 記 事 も、 第 一 紙 か ら 第 四 紙 ま で は A 、 第 十 五 紙 か ら 十六紙は B であるが、第五紙から第十四紙紙背の記事については別筆である。なお、詳細は次項「内容」に述べる。   また、本文(紙表)と紙背とを見るに、第四紙端、第五紙端、第七紙末、第八紙端、第十三紙末、第十五紙端は継ぎ目で 文字が欠けている。したがって、本文が書写されたのちに、いづれかの時期に料紙が一部断ち落とされたものと理解され、 内容にも欠損を生じているものと思われる。ただし、第四紙と第五紙の継ぎ目については、他と様相が異なり、写真 1 (前 頁)のようになっている。   第 四 紙 と 第 五 紙 の 継 ぎ 目 は、 縦 界 が 重 な ら ず、 紙 の 継 ぎ 方 が 他 と 異 な る の で あ る が、 第 五 紙 冒 頭 行 の 末 尾「 有 二 説 」 の 「 説 」 字 が 継 ぎ 目 で 切 れ て お り、 同 じ 第 五 紙 冒 頭 の「 入 破 」 の「 入 」 字 の 右 隣 の 行 に も 文 字 が あ る が 切 れ て 判 読 で き な い ( 写 真 ○ で 囲 む )。 し た が っ て、 本 文 が 一 通 り 書 写 さ れ た の ち に 第 五 紙 前 半 が 断 ち 落 と さ れ た も の と 理 解 さ れ る が、 「 四 反 近 代二反ナリ」とある部分は継ぎ目の上から書かれている。したがって、こちらは第五紙が断ち落とされ、第四紙と継がれた のちに書かれたものだとわかる。この「四反近代二反ナリ」は筆跡に照らして第五紙の筆者と同筆であるから、第五紙前半 を断ち落とし、第四紙と継いだのは、この第五紙の筆者だということになる。つまり、第五紙前半部分の断ち落としは本文 が書写されたのち、いづれかの時期に第五紙の筆者自身が行ったということになる。またそういうことなら、この断ち落と しは意図的なものであったかと推察され、なぜそうしたのか、断ち落とされた部分には何が書かれていたのか、などが課題 になる。

(8)

2.内容 ( 1 )紙表   該本には、料紙の断ち落としによる欠損のあることがわかったが、断ち落とし箇所を内容と重ね合わせて示すと次のよう になる。

表2   春日大社蔵『舞楽手記』内容細目  

  (段数未詳) 【第四紙】 ─ ┘

嗔序 【第三紙】

   第二段     筆

   第一段     者

    A

手之

     第三段 │

名終

     第二段 【第一紙】 ─ ┐ 紙表 紙背 は料紙の断ち落 し跡を示す

入破第二帖

【第五紙】 ─ ┐     半帖

入破第二切異説

│   二帖頭

B    半帖頭

者 ( 入様

筆   入綾手

│   勅禄手   

破第二切半帖異説 【第十四紙】 ┘

(末尾花押)

【第十五紙】 (荒序記録) ( 1 )保安三年三月三十日 「返蜻蛉手」 ─────── ─ ┐ 「一説北向阿刀胡児…」

│ 「口伝云 崎

(鬚カ)

取手者…」    

A 「一説 東向

合掌

シテ

…」

│ (名称未詳の舞譜) ─── ─ ┘

「入破半帖舞例」

   八帖        ─── ─ ┐      

   八帖 │

「八方八返 」   異筆 やう

   一帖 │

   二帖        ─── ─ ┘

    │

  ②建保四年六月廿七日   ─ ┐   ①建暦二年四月八日

B 「故判官近真荒序舞事」

─ ┘

(9)

( 2 )天治元年正月廿九日

│ ( 3 )同二年正月十八日

│ ( 4 )大治二年正月廿日

│ ( 5 )長承元年八月廿二日

│ ( 6 )同二年三月六日

│ ( 7 )同二年三月七日

│ ( 8 )同二年三月廿六日

│ ( 9 )同三年二月廿日

│ (

10

)同三年後十二月十四日 │

11

)保延二年正月廿三日 │

官幣大社春日神社」       

12

)同二年二月九日    「明治三十年十二月修補之/ (修補奥書)

  これによって見ていくと、本文に内題はなく、冒頭は「第二段」と書き出しており、曲名も記されていないから、端は欠 損 し た と 見 ら れ る。 次 い で、 「 第 三 段 」「 囀 」( 第 一 段 ・ 第 二 段 )、 「 嗔 序 」( 段 数 未 詳 ) と 題 す る 舞 譜 が 続 き、 「 入 破 」、 「 入 綾 手」 、「勅禄手」 、「破第二切半帖異説」に至ることがわかる。前述の先行研究では、本書は「陵王荒序」の舞譜と荒序の記録 だということだが、鎌倉時代に成った『教訓抄』巻一「羅陵王」条より、同曲の構成を確認すると、    羅陵王    別装束舞   通大曲   古楽    乱序一帖   囀二度    嗔序一帖      荒序八帖   入破二 帖

((

拍子各 十六 その構成は、乱序、囀、嗔序、荒序、入破であることがわかる。本書には、このうち「囀」 「嗔序」 「入破」が見えるから陵 王の舞譜と見てよい。また、 「囀」の前にある「第二段」 「第三段」というのは、構成から推すと「乱序」の一部だろうか。 本 書 は 冒 頭 が 欠 け て い る わ け で あ る が、 「 乱 序 」 部 分 の 前 半 が 欠 け た も の か と 察 せ ら れ る。 た だ し、 残 る「 荒 序 」 に つ い て

(10)

は見当たらない。因みに、詳しくは後述するが、該本の写しといわれる内閣文庫本にも「荒序」は見えない。前述福島氏の 解 題 で は、 本 書 の 紙 表 を「 陵 王 荒 序 舞 譜 」 と し て お ら れ る が、 「 荒 序 」 を 除 く「 羅 陵 王 」 の 舞 譜 と い う べ き で あ ろ う。 ま た、 前 項 1 で 第 四 紙 と 第 五 紙 の 間 に、 削 除 さ れ た 記 事 が あ る の で は な い か と し た が、 「 羅 陵 王 」 の 構 成 か ら 見 る と、 そ こ に 入るのは「荒序」だろうか。前掲表 2 を見ると、第四紙は「嗔序」で、第五紙が「入破」であるから、前掲『教訓抄』によ れば、その間に入るのは「荒序」だということになる。したがって、断ち落とされたのは「荒序」なのではないか。中原氏 は、 『手記』に「荒序」が見えないことについて、    今のところ、 『舞楽手記』に〈荒序〉が見えない理由に関しては、不明といわざるを得ない。 (前掲論文、七三頁上段) と 述 べ て お ら れ る が、 該 本 の 継 ぎ 目 の 状 態 を 見 れ ば、 そ れ は 筆 者 に よ っ て 断 ち 落 と さ れ た も の と 理 解 で き る。 つ ま り、 「 荒 序」が見えないのは、意図的に削られたためで、もとはそこに「荒序」があったものだろうか。また、そうであるなら、第 四紙と第五紙の間にはもっと多くの紙面があったはずで、削られたのは第五紙の前半部分だけではなかったものと想像でき る。では、なぜ「荒序」が落とされたのかという疑問も生じるが、跋文に「荒序」は伝授できない旨が書かれているから、 そ れ ゆ え に 削 ら れ た の で は な い か と 推 察 す る。 た だ し、 こ こ で は 紙 幅 が 限 ら れ て い る か ら、 そ の 点 に つ い て は 別 稿 に 述 べ る。   話を戻すと、巻末には本文と同筆(筆者 B )の跋文が見える。そこでは、本書執筆の動機、成立の背景等に触れており、 末尾には真筆と見られる花押もある(左写真 2 参照)から、原本かと想像される。ただし、中原氏は該本について、 「『舞楽 手 記 』 は 巻 子 本 一 軸、 鎌 倉 期 写 」( 前 掲 論 文、 六 七 頁 上 段 ) と 書 い て お り、 該 本 は 写 本 で あ る と し、 原 本 だ と は し て い な い。また、跋文の解釈についても筆者の見解とは異なる部分もあるから、この点は別に検討する。   成 立 年 代 に つ い て は、 跋 文 に 年 紀 が な い か ら 明 確 に は な ら な い が、 そ こ に は 仁 治 三 年( 一 二 四 二 ) 正 月 に 狛 近 真 が 病 没 し、彼の息子たちの将来を憂うくだりが見えるから、同年正月以降の成立だろうか。こちらも本書の内容と関わるから、詳

(11)

しくは別に述べる。   跋文が終わると、保安三年(一一二二)三月三十日条から保延二年(一一三六)二月九日条に至る陵王荒序の演奏記録が 春日大社本跋文の花押

(12)

記される。

( 2 )紙背   本書には紙背にも記事が見えるが、中原論文では、 「紙背をのぞいた表書の部分のみを考察の対象とする」 (六九頁上段) として、紙背を考察の対象外としておられる。その理由は示されていないが、それでよいか。前掲福島氏の解題では、該本 に「 欠 脱・ 錯 簡 」 が あ る と 指 摘 さ れ て い た が、 同 氏 の「 春 日 楽 書 三 本 対 照 表 」( 前 掲 表 1 ) で は、 紙 背 に「 錯 簡 ア リ 」 と あ るから、内容を調査してみる必要がある。なお、巻子本では紙表は巻首から巻末へ向かって記事が進むが、紙背ではその逆 になるから、前掲表 2 に従い、巻末から記事を追ってみる。すると、次の記事が見出せる。    (一)明治三十年の修補奥書(詳細は既述)    (二) 「故判官近真荒序舞事」と題する建暦二年(一二一二)四月八日、建保四年(一二一六)六月二十七日の記録。標 題にあるとおり、近真が陵王荒序を舞った折の記録。近真は狛近真であろう。筆は筆者 B 。    (三) 「二帖」から「八帖」に至る舞譜。筆跡は筆者 A ・ B とは別筆。    (四) 「八方八返 や う 」の「一帖」から「八帖」に至る舞譜。筆者 A ・ B とは別筆。    (五) 「入破半帖舞例」と題する記録。筆者は B 。    (六)名称不詳の舞譜。 (宮内庁書陵部蔵『陵王荒序』によると、 「囀三度舞様」 )筆者 A 。    (七) 「一説   東向 天   合掌 シ テ ……(後略) 」と起筆する舞譜。筆者 A 。    (八) 「口伝云 崎

(鬚カ)

取手者……(後略) 」と始める口伝。筆者 A 。    (九) 「一説北向阿刀胡児……」と始める詠、囀の類の譜。筆者は A 。    (十) 「返蜻蛉手」と題する舞譜。筆者 A 。

(13)

  大別十条からなるが、前掲表 1 に引いた福島氏の対照表では、紙背について、

   (紙背)    二四八説   光則(首欠、二帖ヨリ残存。尾入綾以下欠)錯簡アリ    〔荒序舞譜〕    八方八返様    返蜻蛉手アリ(十二冊本・廿二冊本欠)

と し て お ら れ た。 こ の う ち、 「 八 方 八 返 様 」 と い う の は、 ( 四 ) で あ ろ う し、 「 返 蜻 蛉 手 」 と い う の は( 十 ) だ と わ か る。 で は、 「 二 四 八 説  光 則 」 と い う の は、 ど れ か。 「 二 帖 ヨ リ 残 存 」 と あ る か ら、 ( 三 ) だ ろ う か。 た だ し、 本 文 に は 曲 名 の 記 載 がなく、それだけでは何の舞譜であるのか、わかりにくい。そこで、再び『教訓抄』巻第一「羅陵王」条によると、    荒

クワウシヨ

序 /有八帖 拍子八 。此鼓如乱声打之。有二説 二四八説   八方八返様 。

((

とあるから、荒序は八帖からなり、 「二四八説」と「八方八返様」と二説あることがわかる。したがって、 (四)の記事につ い て は「 八 方 八 返 や う 」 と あ る か ら、 荒 序 の 一 説「 八 方 八 返 様 」 で あ る。 ( 三 ) に つ い て も 二 帖 か ら 八 帖 ま で あ り、 「 八 方 八 返様」とともに書かれていることからすると、荒序の一説「二四八説」の可能性がある。そこで、さらに宮内庁書陵部に所 蔵する、鎌倉時代の書写といわれる羅陵王の舞譜『陵王荒序』 (伏見宮家旧 蔵

((

)を参照すると、こちらには、 「荒序」は「二 四 八 説 」 と「 八 方 八 返 様 」 の 二 説 を 載 せ て い る。 そ こ で、 『 手 記 』 の 本 文 と『 陵 王 荒 序 』 の 本 文 と を 対 照 さ せ て み る と、 ど うか。全文を対照させる紙幅はないが、 『手記』紙背(三)記事の「二帖」と、 『陵王荒序』の「荒序二四八説」の「二帖」 と を 次 に 対 照 さ せ て み る。 な お、 手 は『 舞 楽 手 記 』、 陵 は『 陵 王 荒 序 』 を 示 し、 ● は 該 当 す る 文 字 の な い こ と を 示 す。 ま た、 ■ は印字不能の文 字

((

。      南向 天 左 右 腰突 □ □ 右 ■ 乙打 右足 懸右肩 右足躍 足引上 □●●      南向 天 左 右 腰突 天 左 右 ■ 乙打 右足 懸右肩 右足躍 足引上 懸左肩      左同 各二度 左 右 ■ 乙違 天 懸 右 左 □天 跂 天

(14)

     右足躍 足引上 各二度 左 右 ■ 乙違 天 懸 右 左 □天 跂 天

     北 向 天 右 披天 覆乙打 天 下上瞰 向

     北 向 天 右 披天 覆乙打 天 下上瞰 ●

  小異あるが、同内容であるから、 『手記』 (三)の記事は、確かに「荒序」の「二四八説」と見てよいと思われる。   で は、 氏 が こ こ に「 錯 簡 ア リ 」 と 指 摘 し て お ら れ る 点 は ど う か。 ( 三 ) の 記 事 と 紙 継 ぎ の 現 状 を 左 に 図 示 す る と、 次 の よ うになる。

※料紙断ち落とし …

  二帖 【第十三紙】

  三帖 【第十二紙】

………

  四帖

【第十一紙】

※継ぎ目に文字乗る…

  五帖 【第十紙】

※継ぎ目に文字乗る…

  六帖 四

帖舞也

  七帖

  八帖

【第九紙】

※継ぎ目に文字乗る…

八方八返

やう

  一切

  原 本 の 写 真 を 掲 出 で き れ ば よ い が、 継 ぎ 目 部 分 が 鮮 明 で は な い か ら、 こ こ に 図 示 し た が、 ( 三 ) の 記 事 は「 二 帖 」 か ら 始

(15)

ま り、 「 三 帖 」、 「 四 帖 」、 「 五 帖 」、 「 六 帖 」、 「 七 帖 」、 「 八 帖 」 と 続 い て お り、 順 序 は 正 し い。 ま た、 第 十 三 紙 と 第 十 二 紙 の 継 ぎ目を除き、各紙の継ぎ目は、継ぎ目の上に文字が乗っており、それらの紙継ぎの順序は正しい。したがって、ここに錯簡 はないといえるが、そもそもここに錯簡があるなら、紙表にも錯簡が生じていなければならないはずである。   で は、 こ れ ら 荒 序 譜 で あ る( 三 )( 四 ) の 記 事 は、 筆 者 A ・ B と 筆 跡 が 異 な る わ け で あ る が、 そ れ は 後 人 の 筆 な の だ ろ う か。つまり、筆者 A ・ B とともに、第三人目の筆者が参加して書いたものなのか、後年誰かが書き加えたものなのか、とい うことであるが、前者ならば秘曲とされる「荒序」のみを紙背に記したことになる。しかし、紙表が界線を引き、整然と書 いているのに対し、紙背の「界線もないから文字の並びも乱れ、誤記も少ない。こうした状況を見ると、紙表の本文ととも に 書 か れ た と 解 す る よ り 後 人 が 書 き 加 え た も の と 見 る べ き で は な い か。 ま た、 筆 者 B に よ っ て 紙 表 の 荒 序 が 削 ら れ た の な ら、 筆 者 A ・ B と と も に 第 三 人 目 の 筆 者 が 参 加 し て 書 い た も の と 考 え る の は む ず か し い。 む し ろ、 荒 序 が 削 ら れ て い た か ら、後人が裏にそれを書き加えたと解すべきであろう。   それでは、福島氏の対照表に言及のない(二) ・(五)~(九)の記事についてはどうか。これらはいづれも筆者 A 、 B に よ る 記 事 で あ る が、 同 氏 は 前 掲 表 1 で、 「 裏 書 ア リ 」 と、 裏 書 の 存 在 を 指 摘 し て お ら れ る か ら、 こ れ ら の 記 事 は 裏 書 だ ろ う か。 ( 五 )「 入 破 半 帖 舞 例 」 が 記 さ れ た 位 置 を 前 掲 表 2 で 確 認 し て み る と、 そ れ は 紙 表 の「 入 破 第 二 帖 」 の 裏 に 記 さ れ て お り、 「 入 破 」 に 関 係 し て い る か ら、 こ れ は 裏 書 だ ろ う か。 筆 跡 も 紙 表 の 筆 者 B と 同 筆 で あ る か ら、 そ の 可 能 性 が あ る。 ま た、 ( 九 ) の 詠、 囀 体 の 譜 も、 書 か れ た 場 所 を 前 掲 表 2 で 見 て み る と、 紙 表 の「 囀 」 の 裏 に 記 さ れ て お り、 内 容 も 同 じ 囀 に 関するものであるから、こちらも裏書かと推察される。筆跡もその部分の紙表の筆者と同じ筆者 A である。   こうしてみると、紙背の記事のうち、筆者 A と B によるものは、氏が指摘されるように、紙表の本文に対する裏書と見て よいのではないか。   紙背を通観してみると、後人のものと見られる荒序の譜もあるが、紙表の筆者と同筆の、裏書もあることがわかる。中原

(16)

氏は紙背の記事を考察の対象外にしておられたわけであるが、裏書については本文と一体のものと見做すべきであるから、 『手記』の内容、編者、成立等の問題を論じる場合には看過はできないといえる。

.ま   春 日 大 社 蔵 本 を つ ぶ さ に 調 査 し て み る と、 い く つ か 発 見 が あ り、 か つ は 問 題 点 も 明 ら か に な っ た。 箇 条 書 き に し て み る と、    (一)本書の紙表はこれまで「陵王荒序舞譜」とされてきたが、 「荒序」部分は見当たらないこと。    (二) 筆 者 に よ り 料 紙 が 断 ち 落 と さ れ た と 思 わ れ る 箇 所 が あ る こ と。 ま た、 そ こ に 該 当 す る の は「 荒 序 」 か と 思 わ れ る こと。    (三) (二)の ほ かにも料紙の断ち落としによる欠損があること。    (四) 本 書 は こ れ ま で 現 存 諸 本 の「 祖 本 」 と さ れ て き た が、 奥 書 の 内 容 と 真 筆 の 花 押 か ら、 原 本 で も あ る か と 思 わ れ る こと。    (五)紙背には本文と筆跡の異なる「荒序」譜があるが、後人の加筆と見られること。    (六)紙背には本文と同筆の記事もあり、それは裏書と思われるから、紙背も看過できないこと。 な ど で あ ろ う か。 た だ し、 ( 四 ) の 現 存 諸 本 の 祖 本 か 否 か は 後 で 検 討 す る。 ま た、 原 本 を 断 じ て よ い か は、 跋 文 も 検 証 し て みなければ断言はできないから、別に述べる。   ともあれ、春日大社蔵本は原本かとも想像する鎌倉期の本であるが、欠損があり、原態をとどめてはいないようである。 では、他の伝本ではどうか。

(17)

四、諸本について

  前 掲 表 1 に よ れ ば、 春 日 本 の 紙 表 と 紙 背 と で は 対 応 す る 諸 本 が 異 な る か ら、 ま ず 紙 表 に 対 応 す る 諸 本 か ら 見 て み る。 な お、春日本を除く諸本については、中原論文にも解題があり、重複する部分も出てくるであろうが、ここでは筆者の調査結 果を記してみる。

.紙表に対応する される諸本 ( 1 )国立公文書館内閣文庫蔵『荒序譜(二) 』   内 閣 文 庫 に 所 蔵 す る「 楽 書 部 類 」 二 十 二 冊 の う ち 第 十 冊 に あ た る。 配 架 函 番 号 は「 特 一 〇 二 ・ 乙 ・ 七 」。 一 冊 の 袋 綴 冊 子 本で、法量は約二八 ・ 七×二九 ・ 五糎の特大本である。表紙は水瓶色牡丹唐草文様。外題は表紙左端上部に墨で「荒序譜」 と 打 付 書 き に し、 表 紙 右 下 に「 楽 書 部 類 」、 角 近 く に「 共 廿 二 」 と 朱 書。 本 文 料 紙 は 楮 紙 で あ る。 巻 首 に「 秘 閣 / 図 書 / 之 章」 (丙種)の朱印があり、これが紅葉山文庫の所蔵であったことがわかる。   内容を検するに、内題はなく、本文の書写は一筆であるが、朱校(ミセケチ、校勘等)は別筆である。墨付は十四丁。   該本に奥書はないが、 「楽書部類」の最終第二十二冊巻末、第二十六丁表に次のような奥書がある。    楽書二十二巻古来秘伝    也蔵在南都興福寺不妄    示人今度新写一部如正    本令校合所納    江戸御文庫也」 (改丁)

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   寛文六年正月 これにより、該本を含む「楽書部類」二十二冊が、興福寺に所蔵するという二十二巻の楽書を写したもので、寛文六年(一 六六六)正月に江戸の紅葉山文庫に納められたものであることがわかる。ただし、何によるかは明記されていないが「校合 せしめ……」とあるから、校本を用いて校合している。内閣本に散見する朱校(前述)がそれだろうか。   では、該本を春日本と比較すると、どうか。詳しくは後で検討するが、概要だけを述べると、両者は同内容で、行取りも 同 じ で あ る。 ま た、 春 日 本 で 料 紙 が 破 損 し、 文 字 の 不 鮮 明 な 箇 所 が 該 本 で は 空 白、 な い し は 欠 字 を 示 す「ー」 と な っ て お り、跋文の花押は春日のそれが真筆であるのに対し、該本のそれは写しに見える。したがって、該本は春日本の写しの系統 で、春日を親本、ないしは祖本とするものであるといえる。   ただし、該本に存し、春日本に欠く記事もあり、該本には「嗔序」の「第一段」があるが、春日本には見えず、跋文は、 該本に三つあるが、春日には一つしか見えない。いま、該本の三つの跋文に①②③と番号を付すと、春日のそれは③のみで あ る こ と が わ か る。 冒 頭 に つ い て も、 春 日 は「 第 二 段 」 か ら 始 ま る が、 該 本 は そ の 前 に「 第 三 段 」「 第 六 段 号少膝 巻初段 」 と 題 す る 記 事 が あ る。 冒 頭 は 虫 損、 破 損 等 に よ っ て 失 わ れ た と 見 る の が 自 然 で あ る が、 「 嗔 序 」 の「 第 一 段 」 や 跋 文 ① ② に つ い て は 見えない理由がわからないから、第五章で検討する。

( 2 )国文学研究資料館寄託田安徳川家蔵『荒序譜(二) 』   田安徳川家所蔵。 「二十二部楽書」と呼ばれる二十二冊の楽書のうちの第十七冊にあたる。 「二十二部楽書」は、内閣文庫 所蔵の「楽書部類」二十二冊と同内容なのであるが、該本を含む「二十二部楽書」については、岸辺成雄らによる「田安徳 川家蔵楽書目録──その資料的意義─ ─

((

」に解題がある。それによれば、    『 田 藩 事 実 』 に よ れ ば、 享 保 十 九( 一 七 三 四 ) 年 四 月 二 十 九 日 に 宗 武 が 江 戸 城 本 丸 よ り 借 り 出 し た 書 物 の 中 に「 楽 書 二

(19)

十二冊」とあるから、これを書写したものと思われる。 (同解題、五三頁) ということである。したがって、該本は前項の紅葉山文庫旧蔵の内閣文庫本を写したものと理解され、それなら享保十九年 頃の写しとなるだろうか。   該 本 は 一 冊 の 袋 綴 冊 子 本 で、 表 紙 は 無 地 の 素 表 紙。 法 量 は 三 〇 ・ 二 × 二 一 ・ 五 糎。 外 題 は 一 九 ・ 〇 × 四 ・ 一 糎 の 題 簽 に 「 荒 序 譜  共 二 冊 」 と 書 く。 「 共 二 冊 」 と あ る が、 そ れ は 後 述 す る 田 安 家 蔵 の『 荒 序 譜( 一 )』 と 揃 い で あ る こ と を 意 味 す る ものと思われる。ただし、該本の親本にあたる内閣文庫本の外題にはそのようなことは書いていないから、書写者の判断で 記したものだろうか。また、表紙右肩に「楽書」と墨で打付書きにする。本文料紙は楮紙で、書写は一筆。内題はなく、第 一丁表に「田安/府芸/台印」の方型朱印がある。墨付は十四丁。内閣文庫本と比較すると、行取りが同じで、字句の異同 も ほ とんどないから、既述のとおりこれの写しと見てよい。

( 3 )宮城県図書館伊達文庫蔵『荒序譜(二) 』   伊 達 家 旧 蔵。 「 楽 書 」 と い う 書 名 で 登 録 さ れ て い る 二 十 冊 の う ち の、 第 十 七 冊 に あ た る。 こ の「 楽 書 」 二 十 冊 は、 前 項 ( 1 )( 2 ) に 述 べ た「 二 十 二 部 楽 書 」 と 構 成 が 同 じ で、 寛 文 六 年( 一 六 六 六 ) に 江 戸 の 紅 葉 山 文 庫 に 納 め た 由 の 奥 書( 前 掲)を有す。が、こちらは二十二冊のうち二冊を欠き、現存は二十冊である。   該 本 は 一 冊 の 袋 綴 冊 子 本。 配 架 函 番 号 は「 伊 七 六 一 ─ 二・ 三・ 二 〇 ・ 一 」。 表 紙 は 群 青 色 の 無 地 表 紙 で、 法 量 は 竪 二 九 ・ 五 × 横 二 一 ・ 〇 糎。 外 題 は 竪 一 八 ・ 三 × 横 三 ・ 一 糎 の 題 簽 に、 「 楽 書 」 と 墨 書。 本 文 料 紙 は 楮 紙 で、 書 写 は 一 筆。 巻 首 に 「伊達文庫/宮城県/図書館」 、「伊達伯/観瀾閣/図書印」の朱印がある。墨付は十四丁。前項( 1 )の内閣文庫本、 ( 2 ) 田安家本とは行取りが同じで、字句の異同も小異。したがって、こちらも前項( 2 )の田安家本同様、前項( 1 )の内閣文 庫本の写しと思われる。

(20)

2.紙背に対応する いわれる諸本 ( 1 )国立公文書館内閣文庫蔵紅葉山文庫旧蔵『荒序譜(一) 』及び『舞曲譜(一) 』   いずれも、前項 1 の( 1 )の「楽書部類」二十二冊に含まれ、装丁、配架函番号は同じ。   譜( )』 。 墨 付 七 丁。 内 容 は 次 章 で 春 日 本 紙 背 と 対 照 さ せ て 示 す が、 概 略 を 述 べ る と、 「 荒 序 二 四 八 説 狛 光 則 」、 「 一 帖 八 方八返様狛光則 」、「入綾手」 、「勅禄手」と題する舞譜と、 「囀調」 (「囀詞」の誤りか)と題する囀の詞章からなる。このうち「荒 序 二四八説 狛光則 」、 「一帖 八方八返 様狛光則 」は、 荒序の「二四八説」と「八方八返様」で、 春日本紙背にも見えるものに近い。 「入綾手」 、「勅 禄手」については、春日本紙背に見当たらない。   譜( )』 。 墨 付 十 八 丁。 こ ち ら も 内 容 は 次 章 で 春 日 本 紙 背 と 対 照 さ せ て 示 す が、 概 略 を 述 べ れ ば、 「 右 伏 肘 」「 諸 去 肘」など、舞の動作の訓みとその動作の詳細、 「舞曲体背事」 ・ 「舞出心事」と題する口伝などからなる。ただし、こちらも 春日本紙背には見えない。

( 2 )国文学研究資料館寄託田安徳川家蔵『荒序譜(一) 』及び『舞曲譜(一) 』   前項 1 の( 2 )同様、内閣文庫蔵『荒序譜(一) 』及び『舞曲譜(一) 』の転写本と見られるから、ここでは割愛する。

( 3 )宮城県図書館伊達文庫蔵『荒序譜(一) 』及び『舞曲譜(一) 』   前項 1 の( 2 )同様、内閣文庫蔵『荒序譜(一) 』及び『舞曲譜(一) 』の転写本と思われるから、省略。

( 4 )上野学園大学日本音楽史研究所蔵窪家旧蔵『舞譜』

(21)

  同 研 究 所 に 所 蔵 す る 窪 家 旧 蔵 の「 春 日 楽 書 」 の う ち。 福 島 和 夫 氏 に 解 題 が あ り

((

、 書 名 は 同 氏 に よ る 仮 称。 ま た、 筆 者 も 「上野学園日本音楽資料室史料目録   雅楽関係史料目録稿」に書誌を書い た

((

が、改めて記しておく。   該本は一冊の仮綴冊子本。書背は糊付けして背張りする。表紙は本紙共紙で、本文料紙は楮紙。法量は竪二八 ・ 二×横二 〇 ・ 一糎。外題はないが、表紙右肩に小字で、 「央宮楽 春庭楽 裹頭楽/甘州 五常楽 喜春楽/感城楽 傾杯楽 賀王/秦王 三 台 塩 万 歳 楽 / 同 曲 荒 序 」 と 打 付 書 き が あ る。 こ ち ら は 本 文 と 同 筆 で あ る が 目 録 か と 想 像 す る が、 そ の 点 は 別 の 機 会 に 検 討 する。また、表紙中央に「永暦元年ヨリ永万元迄名寄ノ巻物有之」とあり、表紙右端には「六月十二日交合」ともある。い ずれも本文と同筆であるが、こちらは何を意味するか、これだけではわからない。該本を含む窪家旧蔵「春日楽書」にかか わる注記だろうか。内題はなく、原題は未詳。奥書はなく、書写年、書写者等については記されていないが、同じ窪家旧蔵 の『補任』 (『楽所補任』下巻)一冊の奥書に、寛文十年(一六七〇)六月の窪光逸(一六一五~七七)の書写奥書があり、 本書と装丁、書型、料紙、筆跡等が同じであることから、光逸が同じ頃写したものではないかと推察する。   該本の内容と他本との関係については、右の福島氏の解題に対照表があるから、それを引く。

3  福島氏『舞譜』三本対照表より

十二冊本(※窪家旧蔵本) 春日本 廿二部楽書(内閣本) イ 1 オ~ 3 オ  央宮楽・春庭楽 欠

ロ 3 ウ~ 9 ウ  裹頭楽・甘州・五常楽 欠

17

懐中略譜三途中より ハ 9 ウ~

16

  (同)二途中より

15

オ  喜春楽~感城楽 欠

17

  (同)三途中まで

15

ウ~

21

ウ  傾杯楽・賀王・秦王 欠 4 掌中要録三途中

21

ウ~

26

オ  三台・万歳楽 欠

16

懐中略譜二途中まで

26

ウ~

31紙背舞譜

ウ  荒序(※以上舞譜) ( ) 9 荒序譜一

舞楽手記

32

オ~

41

ウ  (舞譜案譜法他) 欠

19

舞曲譜一

       (福島氏解題、一八頁。※は筆者注)

(22)

  内容は上段に示すとおり、舞譜集成といった体であり、春日本『舞楽手記』に対応するのは「荒序」部分のみかと解され るが、さらに氏は同解題に次のようにも述べておられる。    本 書 に は 春 日 本・ 二 十 二 部 楽 書 に 欠 落 し て い る 箇 処 も 一・ 二 に と ど ま ら な い。 ま た( へ )『 舞 楽 手 記 』( 廿 二 部『 荒 序 記

』一)については、極めて出入がはげしい。明治三十年の修補の際の乱丁・落丁が相当あるものと推定される。更に 云えば『二十二部楽書』書写時において、すでにかなりの混乱があったと思われる。 (筆者注、※「記」は「譜」の誤りか。同解題一八頁)   因 み に、 こ こ に い う「 春 日 本 」 は 春 日 大 社 所 蔵 の「 春 日 楽 書 」 七 巻 の こ と で あ り、 「 二 十 二 部 楽 書 」 は、 内 閣 文 庫 蔵「 楽 書部類」 (二十二冊) ・田安徳川家蔵「二十二部楽書」のことをいう( ほ かに伊達文庫蔵「楽書」二十冊〈二冊欠〉がある) 。 これによれば、該本には存するが、 「春日本」 ・ 「二十二部楽書」に欠ける記事が多く、とくに前者については「極めて出入 が は げ し い 」 と あ っ て、 つ ま り 春 日 大 社 所 蔵 の「 春 日 楽 書 」( 七 巻 ) 中 に 現 存 す る の は( へ ) の 部 分 の み で、 他 の( イ ) ~ (ホ) 、及び(ト)は、明治三十年の修補の際に「乱丁」ないしは「落丁」して欠けたものもあると推察しておられる。本稿 で問題にしている春日大社蔵『舞楽手記』のみならず、同社の他の「春日楽書」六巻いずれにも明治三十年に修補の由が記 さ れ て い る( 前 述 ) わ け で あ る が、 氏 は そ の 際 に 脱 落 し た も の も 少 な く な か っ た の で は な い か と 述 べ て お ら れ る わ け で あ る。   ともあれ、氏の解説によれば、 『手記』紙背に対応するのは、窪家旧蔵の『舞譜』の二十六丁裏から三十一丁裏と、内閣 ・ 田 安 家 所 蔵 の『 荒 序 譜( 一 )』 だ と い う こ と で あ る。 し か し、 春 日 本 に 対 応 す る と さ れ る 諸 本 を 通 観 す る と、 紙 表 対 応 の 諸 本については春日本と同内容であるようだが、異同も散見する。また、紙背に対応といわれる諸本は、内容を概観するに、 春日本とは異なる部分が多く、同内容とは言えないように見えるが、はたしてどうか。

(23)

五、春日本と諸本の関係について

  現存諸本の祖本と見られるのが春日本であるが、これと諸本がどのような関係にあるのか、比較、検証してみる。前掲表 1 に示した先行の研究では、春日本は紙表と紙背とでは対応する諸本が異なるから、ここでもまず紙表から見てみる。

.紙表について   前 掲 表 1 に よ る と、 春 日 本 の 紙 表 に は 内 閣 文 庫 蔵『 荒 序 譜( 二 )』 、 田 安 徳 川 家 蔵『 荒 序 譜( 二 )』 、 伊 達 文 庫 蔵『 荒 序 譜 (二) 』が対応する。ただし、前章で述べたように、田安 ・ 伊達の二本は、内閣文庫本の写しであるから、ここでは除く。そ こで、内閣文庫本と春日本とを対照させてみる。 4  内閣文庫蔵『荒序譜(二) 春日大社蔵『舞楽手記』対照表 ※ は料紙の断ち落とし跡を示す

内閣文庫蔵『荒序譜(二) 春日大社蔵『舞楽手記』 紙表 紙背 (内題なし)巻首欠か (途中から始まる) (※乱序第五段大膝巻第二段か)    第三段…   第六段 号少膝巻初段 … (首欠)    第二段…    第二段…         

【第一紙】

   第三段 名終手之 …    第三段 名終手之 … 返蜻蛉手 一説北向阿刀胡児…

(24)

  第一段…囀詞…囀詞…   第一段…囀詞…囀詞… 口伝云

(ママ)

取手者…   第二段…囀詞…囀詞…   第二段…囀詞…囀詞… 一説   東向

合掌

シテ

嗔序 嗔序

【第三紙】

囀三度舞様 (※途中より)   第一段…   第二段…   第二段…

【第四紙】

入破第二帖… 入破第二帖…

【第五紙】

入破半帖舞例…   半帖…   半帖…    八帖 入破第二切異説… 入破第二切異説…   

  二帖頭…   二帖頭…    一帖   半帖頭…   半帖頭… 八方八返

やう

入綾手… 入綾手…    八帖 勅禄手勅禄手 …   

破第二切半帖異説… 破第二切半帖異説…  

【第十四紙】

   二帖 跋文① 「故判官近真去正月廿五日…」 跋文② 「故判官蒙勅許事」 跋文③ 「仁治三年正月十五日…」 跋文③ 「仁治三年正月十五日…」

【第十五紙】

  ②建保四年六月廿七日

       

末尾…花押(写し)

       

末尾…真筆花押     ①建暦二年四月八日 (荒序記録) (荒序記録) 故判官近真荒序舞事   ( 1 )保安三年三月卅日   ( 1 )保安三年三月卅日   ( 2 )天治元年正月廿九日   ( 2 )天治元年正月廿九日   ( 3 )同二年正月十八日   ( 3 )同二年正月十八日   ( 4 )大治二年正月廿日   ( 4 )大治二年正月廿日   ( 5 )長承元年八月廿二日   ( 5 )長承元年八月廿二日   ( 6 )同二年三月六日   ( 6 )同二年三月六日   ( 7 )同二年三月七日   ( 7 )同二年三月七日   ( 8 )同二年三月廿六日   ( 8 )同二年三月廿六日

(25)

  ( 9 )同三年二月廿日   ( 9 )同三年二月廿日   (

10

)同三年後十二月十四日   (

  (

10

)同三年後十二月十四日

11

)保延二年正月廿三日   (

  (

11

)保延二年正月廿三日

12

)同二年二月九日   (

12

)同二年二月九日

  上 段 に 内 閣 文 庫 本 を、 下 段 に 春 日 本 を 配 し、 春 日 本 に 見 え る 料 紙 の 断 ち 落 と し 位 置 は で 示 し た。 こ れ に よ っ て 見 て いくと、内閣文庫本は内題がなく、冒頭は記事の途中から始まる。その部分を示すと、

   突 左 右 手右下 左膝突 ーー 左膝突替 右下 左膝突 ー    西向 天 右桴 懸右肩 左印 懸右肩 右桴 懸右肩 左 右 足縮□    南向 天 小躍 右足前 左足前 居 右膝突

左伏肘打 右桴腰突 以桴右    上見 如日書手 □ー本左伏肘 腰突 伏肘ーーーー    下 左膝突替 左下 右膝突替 右下 左膝突替 立ーー    桴末 右手上 桴本 左手下 如双龍舞急隨拍子早頻 「ニ」

   南寄 天 北廻向後尻走 左 右 手 左 右 腰付 天 上見     第三段        」 オ)     (後略)

と な っ て お り 、 つ ま り 巻 首 は 欠 け た も の と 解 さ れ る 。 ま た 、 欠 字 を 示 す と 思 わ れ る 「 ー 」 も あ り 、 親 本 な い し は 祖 本 に 破 損 ・ 虫 損 な ど が あ っ た も の と 察 せ ら れ る。 次 い で「 第 三 段 」、 「 第 六 段 号 少 膝 巻 初 段 」 と 続 く が、 そ の 次 の「 第 二 段 」 以 降 巻 末 に 至

(26)

るまでが春日本本文と一致し、両者は同内容であることがわかる。ただし、内閣文庫本には「嗔序」の第一段があるが、春 日本では欠けている。跋文は内閣には三つあるが、春日には一つしか見えない。いま、内閣の跋文に①②③と番号を付ける と、春日の跋文は①②がなく、③のみであることがわかる。   つ ま り、 内 閣 に あ っ て 春 日 に な い 記 事 が あ る わ け で あ る が、 春 日 の 料 紙 が 断 ち 落 と さ れ た 跡( 表 4 に で 示 す ) に 着 目すると、内閣にのみ見える部分は、いずれも春日で料紙が断ち落とされた部分と一致することがわかる。すなわち、内閣 のみに見える「嗔序」の「第一段」部分は、春日本では第三紙と第四紙の間にあたるが、第三章で述べたように春日本第四 紙 の 端 は 文 字 が 切 れ て お り、 料 紙 が 断 ち 落 と さ れ た と わ か る。 し た が っ て、 「 嗔 序 」 の「 第 一 段 」 部 分 は 料 紙 の 断 ち 落 と し によって失われたものと推察される。また同様に、内閣に見える跋文①②部分は、春日本では第十四紙と第十五紙の間にあ たるが、三章で既述のように、第十五紙端は紙背の文字が切れており、料紙が切断されている。つまり、ここも断ち落とし によって跋文①②が失われたものと考えられる。したがって、これらの料紙が断ち落とされる前に写されたのが内閣文庫本 の系統だということになる。   因 み に、 中 原 氏 は 前 掲 論 文 に お い て、 内 閣 と 春 日 の 関 係 に つ い て、 「 内 閣 本 は 春 日 本 の 近 世 初 期 の 姿 を 伝 え る も の と し て 貴 重 で あ る 」( 六 八 頁 上 段 ) と 述 べ て い る が、 そ の 根 拠 は 示 し て お ら れ な い。 い ま、 そ こ を 検 証 し て み た わ け だ が、 確 か に それはそのとおりであった。が、春日本に欠け、内閣文庫本にのみ存する記事というのは、料紙の断ち落としによって欠落 したものであった。   ところで、春日本の第四紙と第五紙の間には筆者 B が切断したと見られる記事があると第三章で指摘したが、前掲表 4 を 見てみると、内閣文庫本でもこの間に記事はなく、内閣文庫本が書写される時点ですでに失われていたと理解される。ただ し、その第四紙と第五紙の継ぎ目部分と、それに対応する内閣文庫本の該当部分とを比較してみると、次のようになる。

(27)

  春日本第四紙 第五紙継ぎ目 内閣文庫本該当箇所 春日本   第四紙 第五紙継ぎ目部分 内閣文庫本   該当箇所   南一寄 延寄 又 天 見天巽二寄 火連 北廻向 天 左伏肘   打時以右桴打腰下 天 上見   南一寄 延寄 又 天 見 天 巽二寄 火連 北廻向 天 左伏肘   打時以右桴打腰下 天 上見    嗔序大旨如此雖何所欲舞止時可舞此手 次第如乱序也

    嗔序大旨如此雖何所欲舞止時可舞此手次第如乱序也    則楽吹止畢

    

四反近代二反ナリ

---

      

---

(第四紙)

  

入破第二帖      四反近代二反ナリ 加拍子   当曲揚拍子謂之約拍子似一鼓為節

有二説

口伝云入破能略定時半帖舞時者自第五拍子上約拍子 ---

」(第六丁表)

  北向 天 諸伏肘打 天 高踊 右足 左足 披 天 高踊 右足 左足 小

「有説」

諸 去肘 左 足 小 踊 左引上     

入破第二帖      四反近代二反ナリ 加拍子   当曲揚拍子謂之約拍子似一鼓為節

有二説

口伝云入破能略定時半帖舞時者自第五拍子上約拍子   諸手下 退 ○ 左足踏退 左 去 ○

肘 右足跋

跪踏 天 押足艮寄右見 面肩   北向 天 諸伏肘打 天 高踊 右足 左足 披 天 高踊 右足 左足 小諸去肘 右足小踊 左引上   諸手下 退 ○ 左足踏退 左 去 ○

肘 右足跋

跪踏 天 押足艮寄右見 面肩

  これを見ると、春日本第四紙と第五紙の継ぎ目の上から書かれた「四反近代二反ナリ」部分が、内閣においては「嗔序」 と「入破」と二箇所に書かれていることがわかる。それは「四反近代二反ナリ」部分が、前後の行と近接していたためであ ろ う か、 そ れ が「 嗔 序 」 に 対 す る 注 記 な の か、 「 入 破 第 二 帖 」 に 対 す る 注 記 な の か、 書 写 者 に は 判 断 が つ か な か っ た も の と 想像される。   因みに、中原氏はこの注記が、 「嗔序」に対する注記なのか、 「入破」に対するそれなのかは「判然としない」と述べてお られる(前掲論文、六七頁下段) 。しかし、 「四反近代二反ナリ」が、第五紙前半を断ち落とし、第四紙と継いだ際に書いた ものなら、それは断ち落とされた第五紙前半部分に書いてあったはずである。また、それがどちらに対する注記なのかは、

(28)

「 四 回 繰 り 返 す と こ ろ を、 最 近 で は 二 回 で あ る 」 の 意 で あ る か ら、 そ の 譜 を 何 回 繰 り 返 し て 演 奏 す る か と い う 注 記 で、 普 通 は 譜 の 冒 頭 に 記 す も の で あ る。 だ か ら、 「 嗔 序 」 に 対 す る 注 記 な ら、 楽 譜 の 末 尾 に 注 記 し た こ と に な り、 そ れ で は 楽 譜 と し て用をなさないのではないか。 「入破第二帖」に対する注記ではなかろうか。   ともあれ、紙表について内閣文庫本と比較してみると、内閣に存し、春日に欠く記事があるわけだが、それらは料紙の切 断によって失われた記事であることがわかる。つまり、春日本に欠損が生じる前に写されたのが内閣文庫本であると推察で きる。   ただし、問題も残る。ひとつは、春日本第四紙・第五紙間に筆者によって落とされた記事があり、そこに当てはまるのは 「荒序」かと思われる点であるが、内閣文庫本にも「荒序」は見えない。つまり、 「荒序」は、内閣が書写される時点で既に なかったと理解されるが、それが筆者によって削られたものなら、それも当然である。とどのつまり、やはり「荒序」が削 られたという点が問題になるが、繰り返すようにその理由は跋文に窺えるから、別に述べる。   なお問題を挙げれば、本文がどこから始まるのかが、これだけではわからない。内閣文庫本によって、春日本冒頭の「第 二 段 」 は、 「 第 六 段 号 少 膝 巻 初 段 」 の 続 き で あ る こ と が わ か っ た が、 内 閣 文 庫 本 冒 頭 も 途 中 か ら 始 ま っ て お り、 こ れ に も な お 冒 頭に欠があるものと推察される。本書の原態はどこから記事を始めていたのだろうか。   いくつか疑問が残るが、その理由は跋文に書かれているから別に検討することとして、次に紙背について見てみる。

2.紙背について   前掲表 1 の先行研究では、春日本の紙背に当たるのは内閣文庫蔵の『荒序譜(一) 』、同『舞曲譜(一) 』、及び上野学園大 学日本音楽史研究所蔵窪家旧蔵『舞譜』 (

26 ウ~

  第三章、表 2 に示したが、春日本の紙背は、巻末の修補奥書を除くと、 31 ウ)だという。前項同様に比較してみる。

(29)

   ( 1 )「故判官近真荒序舞事」と題する記録    ( 2 )「二帖」から「八帖」に至る舞譜(荒序二四八説)    ( 3 )「八方八返 や う 」と題する「一帖」から「八帖」までの舞譜(荒序八方八返様)    ( 4 )「入破半帖舞例」と題する記録    ( 5 )名称未詳の舞譜(宮内庁書陵部蔵『陵王荒序』によると「囀三度舞様」 )    ( 6 )「一説   東向 天 合掌 シテ 」と始まる舞譜    ( 7 )「口伝云」と始まる口伝    ( 8 )「一説   北向阿刀胡児」と始まる舞譜    ( 9 )「返蜻蛉手」と題する舞譜 の大別九条からなる。   こ れ に 対 し、 春 日 本 に 該 当 す る と い う 内 閣 文 庫 蔵『 荒 序 譜( 一 )』 ・ 『 舞 曲 譜( 一 )』 、 窪 家 蔵『 舞 譜 』(

26 ウ ~

31 ・ ウ

~ 32 オ

   『荒序譜(一) 『舞譜』 41 ウ)の内容は次のようになっている。

26 ウ~

   『舞曲譜(一) 『舞譜』    ( c )「入綾手」 「勅禄手」 「 囀 調 」と題する舞譜

(マヽ)

   ( b )「一帖 」と題する舞譜 八方八返様狛光則    ( a )「荒序 」と題する舞譜 二四八説狛光則 31 ウ)

32 オ~

   ( e )「舞曲体背事」と題する口伝    ( d )「右伏肘」等の舞譜名目 41 ウ)

(30)

   ( f )「舞出心事」と題する口伝    ( g )「舞台 ニ 昇降事」と題する口伝    ( h )「平立舞」と題する口伝    ( i )「三人五人七人等立様」と題する口伝    ( j )「三行立様」と題する口伝    ( k )「行立様」と題する口伝   両者を見比べてみると、内閣文庫本と窪家本とは一致することがわかるが、春日本とは内容がかなり異なっているといえ る。したがって、春日本の写しが内閣、窪の二本であるようには見えない。ただし、あえてこの中から対応するものを探す と、 ( 3 )荒序八方八返様と( b )「一帖 八方八返様狛光則 」、 ( 2 )荒序二四八説と( a )「荒序 二四八説狛光則 」だろうか。   こ の う ち、 春 日 本 の「 八 方 八 返 や う 」 と 内 閣 ・ 窪 の「 一 帖 八 方 八 返 様 狛 光 則 」 と を 比 較 し て み る と、 春 日 の「 六 帖 」 は「 四 帖 舞 也 」 と し て、 標 題 の み で 譜 が 見 え な い が、 内 閣 ・ 窪 は「 六 帖 」 の 標 題 す ら 見 え な い。 ま た、 春 日 の「 七 帖 」 は「 三 帖 舞 也」として標題のみ記して譜を書かないが、内閣 ・ 窪は「三帖舞」としながら、譜を記している。このように、同じ「八方 八返」の譜においても内容には違いが見える。   そこで、この譜の「一帖」部分の字句を比較してみると、次のようになる。なお、●は対応する字句がないことを示す。    春日本   八方八返 やう    内閣本   ●●●● ●●    窪家本   ●●●● ●●

     一帖●●●●● ●●●

(31)

     一帖八方八返様 狛光則

     一帖 八方八 返様 狛光則

       

懸左手

     北向 天 右手 ヲ 披差 天 朱

ヘヽ

ヒキ

ハシリ

此間 ● ● 左肩 ●●●      北向 天 右手 ● 披差 天 朱雀儒走此間 ニ 懸左肩桴下懸      北向 天 右手 ● 披差 天 朱雀儒走此間 ニ 懸左肩桴下懸      右手右肩●下●●●●● 左 右 各二度●●●走留 天 概

カキ

合 天 左      ●●右肩印下後桴方印方 左 右 各二度懸肩下走留 ● 概合 ● 左      ●●右肩印下後桴方印方 左 右 各二度懸肩下走留 ● 概合 天 左

     躍寄 ●● ●● 右 躍

ヲトル

寄 右 左 足右覆乙打 右足

     躍寄 右足 左足 右躍寄 左足 右足 右伏乙打 右足

     躍寄 右足 左足 右躍寄 左足 右足 右伏乙打 右足

     西向 躍

ヲトル

右覆乙打 天 東躍向 左 右 足右覆乙      西躍向左伏乙打 天 東躍向 ● ● ●右伏乙      西躍向左伏乙打 天 東躍向 ● ● ●右伏乙

(32)

     打 天 桴末方 ● 採

トル

天 左覆乙振替上下各三度 右 左      打 天 桴末方 ヲ 採 天 左伏乙振替上下各三度 左 右      打 天 桴末方 ヲ 採 天 左伏乙振替上下各三度 左 右

     縮 ● 片躍 左 右 手胸間付 天 玄茂趨 天 上見 百

     縮 ニ 片躍 左 右 手胸間付 天 玄茂走 ● 上見 百

     縮 ニ 片躍 左 右 手胸間付 天 玄茂走 ● 上見 百

  諸本を対照させてみると、内閣と窪は同文だといえるが、春日との異同はかなり多いことがわかる。とくに、春日本に見 えず、内閣 ・ 窪にのみ存する文字がかなりあるから、春日から内閣 ・ 窪へという書写過程は想定できない。したがって、内 閣 ・ 窪家の二本と春日本紙背の荒序譜は直接関係するものではないといえる。   こうして見ると、春日本の紙背と、内閣文庫蔵『荒序譜(一) 』、同『舞曲譜(一) 』、窪家旧蔵『舞譜』の三本はまったく 異なる本だと推察される。表 3 に示したように、内容がまるで異なる。わずかに荒序譜が一致するようにも見えるが、字句 を比較してみると、両者はまったく別の荒序譜であることが明らかである。従来は春日本を写したものが内閣 ・ 窪だといわ れ て き た わ け で あ る が、 紙 背 に つ い て は そ れ が 誤 り で あ っ た と い え る。 し た が っ て、 『 舞 楽 手 記 』 の 伝 本 は、 春 日 社 蔵『 舞 楽手記』と内閣文庫蔵『荒序譜(二) 』田安家蔵『荒序譜(二) 』、伊達文庫蔵『荒序譜(二) 』の四本で、春日本が祖本、内 閣文庫本以下がその系統の江戸期書写本ということになる。   ただし、内閣田安・伊達の各本にも「荒序」の譜はないのであるから、これらを「荒序譜」とする書名は紛らわしい。首 欠 で、 内 題 を 欠 く か ら、 そ の 書 名 は 後 人 が 付 し た も の と 思 わ れ る が、 こ の 名 称 で は 誤 解 を 招 く の で は な い か。 「 陵 王 」 と い えば「荒序」というイメージが先行したためかと想像もするが、それも「荒序」が、陵王における秘事、秘曲であったから

(33)

でもあろう。   諸本の関係については右の通りであるが、既述のように本書の内容には課題もある。繰り返すが、それは(一)筆者自身 に よ っ て 削 ら れ た 本 文 が あ り、 そ れ が「 荒 序 」 か と 思 わ れ る こ と、 で あ り、 ( 二 ) 諸 本 い ず れ に も 冒 頭 に 闕 が あ り、 本 書 の 記事はどこから始まるのかが明らかでない、ということである。つまり、本書の原態がわからない。失われた記事があると すれば、それは何なのか。

六、 豊

ぶんの

家蔵本について

  本書の原態が問題であるが、それを追究する前に、豊家本家に蔵する諸本についても述べておく。豊家は、江戸以前は豊 原と称し、古く平安期より楽に奉仕してきた「楽家」の一である。個人蔵であるから、原本は未調査であるが、写真の紙焼 きを得られたから、可能な範囲で解題を記し、諸本と比較してみる。

.豊家本家蔵『荒序舞譜』   豊家本家所蔵。該本は個人蔵につき、原本は未見であるが、一九四三年に平出久雄が作成した「豊家本家蔵書目 録

((

」に解 題があり、一九七五年、上野学園大学日本音楽史研究所(当時は上野学園日本音楽資料室)の特別展観への出陳に伴い、撮 影された写真の紙焼きがある。いま、これらを参考にすると、まず平出の解題では、   

   美 濃 判 33 .荒序舞譜    狛  近真著   一冊

6.5 ×

ユ。奥書ナシ。多氏本家、楽譜目録一二七号荒序舞譜ト大略同ジナルモ多氏本ニ存し豊氏本ニ欠クル点アリ、今後ノ研 4.3   陵 王 荒 序 ノ 古 譜 ヲ 写 セ ル モ ノ。 文 中 近 真 ノ 自 筆 譜 ヲ 写 シ 少 シ ク「 予 」( 何 人 カ 不 詳 ) 加 筆 シ タ ル 由 ミ

表 1  福島和夫氏「春日楽書三本対照表」より春日大社本 日本音楽史研究所本( 平出久雄本 ※櫻井氏追加) 内閣文庫本 ・ 田安家本(伊達文庫本 ※櫻井氏追加)荒序舞譜(首欠・裏書アリ) ●(イ)聖宣記 近真ヨリ春福丸ヘノ相伝次第(春日本欠)〔荒序譜〕(二)〔舞楽手記〕跋(ロ)近真、光則・光近両家ノ荒序相伝次第。聖宣記(春日本欠)首欠、但春日本より(紙背)二四八説 光則(首欠、二帖ヨリ残存。尾入綾以下欠)錯簡アリ(付荒序古記録 保安三年(一一二二)~保延二年(一一三六)跋(イ)(ロ)(ハ)完備●(ハ)仁治三

参照

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