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「二つの世界市場論」に関する一試論 : 木下悦二 教授の見解に対して

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「二つの世界市場論」に関する一試論 : 木下悦二 教授の見解に対して

その他のタイトル An inquiry on the character of the socialistic market

著者 杉本 昭七

雑誌名 關西大學商學論集

巻 5

号 5

ページ 376‑401

発行年 1960‑12‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021711

(2)

木下教授の問題提起とその主張は︑つぎのことに要約されている︒﹁二つの世界市場の成立は二つの規定によっ ﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論

﹁ 二 つ の 世 界 市 場 論 ﹂

l

スクーリンの遺著﹃ソ同盟における社会主義の経済的諸問題﹄の第五章﹁単一の世界市場の崩壊と世界資本主義

体制の危機の深化にかんする問題﹂の中で定式化された単一の世界市場に関する命題︑すなわち﹁第二次世界戦争

とその経済的帰結のもっとも重要な経済的結果とみなされなければならないものは︑すべての国を包括する単一の

世界市場の崩壊である﹂という点に関して︑大阪市大の木下悦二教授が重要な問題を提起された︒

て支えられている︒第一の規定は︑資本主義陣営に対立する社会主義陣営が生まれたこと︑この二つの対立しあう

陣営の存在の経済的結果であるとしている︒ここでは社会経済体制の相異が︑二つの世界市場を区別する基本原理

と見倣されている︒第二の規定は︑帝国主義国の側からの経済封鎖が社会主義諸国の間の新しい世界市場の形成と

に関する一試論

(3)

は敵対的対立である︒ 八年三月十二日のミコヤンの演説を援用している︒ この価格に基づくことの理論的なきそは︑

﹁統一は同一ではなく︑統一とは対立である︒しかもこの場合 強化をたすけたというのであって︑ここでは現実の市場関係の発展に力点がおかれ︑社会主義国および一群の人民民主主義国が外部の世界市場から遮断されて相互間の経済的紐帯が強まったとされている︒﹂と二つの規定にわけ③ られ﹁第二の規定を中心に理論を再構成すぺきである﹂と主張される︒そしてこの主張を裏づけるために︑三つの疑問点にそって︑教授は論理をすすめておられるのである︒

他方︑国際的にも︑単一世界市場の崩壊の問題︑新しい社会主義市場の性格についての見解をみることができる︒木下教授が︑同じく紹介された中国の学者の論争の外に︑コールマイ﹃社会主義世界経済体制発展の諸問題﹄︑グ

⑥ レービッヒ﹃社会主義世界体制における国際分業と外国貿易﹄︑さらにチェルペの論文﹁主要な市場の意味﹂も木下

チェルペは社会主義国家間の貿易の際︑その価格は︑主要な世界市場の価格にもとづいて決定されるとのべた後︑

﹁二つの世界市場へ世界市場が分裂したにも拘らず︑なおこの二つの世⑧ 界市場の統一について語りうること︑即ち︑この意味でなお又世界市場価格が存在する﹂点にあるとして︑

だがそれにもかかわらずこれは統一である﹂︒チェルペはこれ以上単一世界市場の問題を展

教授の問題提起と密接な関連をもっている︒

(3)  (2)  (1) 

(4)

をのべているのではないが︑以上の指摘は注目されよう︒

開していないけれども︑市場の側面で資本主義と社会主義との同一性を考えている点︑さらにその根拠を社会主義

圏内貿易の際に主要な世界市場価格にもとづいていることに求める点で︑木下教授と同じ立場に立つものと理解さ

グレービッヒは︑国際分業について︑それが生産力視点をもっとともに生産関係視点をもつことを強調した中で︑

ユーゴースラヴィアの修正主義者を指摘してつぎのようにのべている︒

経済的内容︑所有関係︑階級関係とは関係のない空間的・量的範疇として定義している︒彼らは社会主義世界体制

の形成を︑世界がブロックヘ分裂した結果として把握している︒彼らの見解によれば︑二つの世界体制の存在は誤

った政策と同義語であるので︑彼らは平和的共存の原則を二つの世界体制の融合へとおしひろげ︑単一世界市場の

復活を要求する︒その際彼らは︑同権と独立にもとづくあらゆる国の協力が増大することを︑世界の社会主義への

前進となづける︒彼らは社会主義諸国間の関係に︑︐ 

ただ一般的民主主義的原則︵同権︑内政不干渉等︶のみを認め

グレービッヒは︑単一世界市場の概念あるいは単一世界市場の崩壊といった問題について直接見解

つぎにコールマイは﹃社会主義世界経済体制発展の諸問題﹄において︑彼の著﹃社会主義世界市場﹄における世

界市湯に関する見解を大きく修正している︒まず彼はその七節において︑

する際︑世界市場の概念についてのべているが︑その際には旧著と同じく︑世界市場は︑それを構成する個々の国

の国内市場と国際関係の総体として把握すべきであると主張している︒﹁世界市場として︑国内市場と国際的貨幣・

商品関係の総体を理解しなければならない﹂︒﹁輸出入は︑一つの国民的流通領域から他の国民的流通領域への商品ヽ

スクーリンの単一世界市場の規定を批判 ﹁彼らは世界経済と世界市場を︑その社会

(5)

du

 

サービスの移転であるので︑国内市場を世界市場から分離することは不可能である﹂︒﹁我々は世界市場として︑単に国家間の市場関係だけではなく︑国際的に結合した国内市場の全体系をも中に含める﹂等︒この国内市場を含むと

コールマイは︑既に十月革命によって資本主義世界市場体制は全体を包括することをやめたとする︒

コールマイは︑世界市場と世界市場体制の概念をわけている︒社会経済的内容にしたが

って資本主義世界市場体制と社会主義世界市場体制とを区別し︑又おのおのの体制内部の国際交換関係および二つ

の世界市場体制間の交換関係の全体を世界市場と名付ける︒だからここにおいてコールマイの世界市場の概念は彼

自身の定義と矛盾する︒即ち七節の社会経済的土台を基礎とする世界市場の概念は︑いつの間にか八節においては

﹁市場とそこで作用する社会経済的内容︑生産関係ときりはなされた商品交換一般の概念になってしまっている︒

価値諸形態︵交換価値︑貨幣︑価格等︶は内容がなく︑⁝⁝価値諸形態の存在は二つのものを前提とする︒一っは

分業であり︑一っはいろいろの生産手段所有者である︒この価値諸形態は資本主義的でも社会主義的でもない︒こ

の価値諸形態の性格上の特質が資本主義的生産物と社会主義的生産物との間の商品関係を容易にする︒価値形態は

それ自体としては全く内容がなく一面的である︒⁝︐:市場という範疇は全く異なった社会経済的基礎をもちうると

d  

このコールマイの両規定の矛盾は︑木下教授が明確に指摘されている通りである︒しか

しながらコールマイのこの矛盾は︑木下教授が主張されるように﹁世界市場に国内市場を包含させ︑世界市場概念

" "

に社会経済的内容を盛り込む﹂ことにあるのだろうか︒

コールマイが志向している方向がいずれであるかは別として︑先まわりして位置づけるならば︑この世界市場の

概念についてもまた︑木下教授の言葉を借用すれば﹁修正主義に対する中立的立場﹂といえるかもしれない︒

以上︑三つの例を示してきたが︑私がはじめに指摘しておきたかったのは︑木下教授の重要な問題提起が︑国際

﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論

それに続く八節において︑

(6)

第一の点については︑世界貨幣のもつ二つの特徴を指摘され︑そこから世界市場は国内市場と異なる構造をもっ

ことを示される︒第一の特徴は﹁国内市場では︑ただ︱つの商品のみが価値尺度としての役割を果すーたとえ複

本位制の場合でも︑ある時には金が︑ある時には銀が価値尺度として機能しているーが︑世界市場では金と銀が

U  

同時にともに価値尺度として通用している︒﹂点であり︑また第二の特徴は︑﹁世界貨幣の機能は一般的な支払手段

一般的な購買手段としての︑さらに富一般の絶対的・社会的物象化としての機能に限られ︑ここには流

a J  

hu 通手段としての機能が欠けている︒﹂点にある︒ から成っている︒

このように世界貨幣が国内における貨幣と異なる機能を身につけ マルクスの世界市場についての見解と対比され︑ついで資本主義的世界市場の意味を考察されるという二つの部分 この問題については︑ 木下教授の第一の設問は︑

的にみてもチェルペ︑グレービッヒ︑コールマイの見解にあらわれているように︱つの論争点となっていること︑

マルクス経済学の発展の上からも︑また現実的な問題としても︑多くの明らかにさるべき問題が含まれているとい

うことである︒木下教授の研究は︑国際的にも重要な先駆的研究といえるであろう︒

問題に入る前に︑次項において教授の見解をまず簡単に紹介しておこう︒

﹁二つの世界市場論﹂を支えている世界市場の概念規定が果して正しいか︑というこ

﹁一定の経済体制のたがいにむすばれた諸国内市場の総体﹂という世界市場の概念規定を

(7)

定は本質的なものではない︒

ているのほ︑商品流通形式における相異に基づいている︒したがってマルクスの考えている世界市場はすべての国

にとって外なるものとして把握されている︒世界市湯は国内市場の一分子をも含まないものであると主張される︒

つぎのようにのべられる︒資本主義のつくりだした世界市場

における商品流通は︑産業資本の循環にくみこまれているのであり︑そこに流通する商品にしても貨幣にしても︑

すべて商品資本となり貨幣資本となっているのである︒かような意味で世界市場は資本主義的世界市場なのであ

る︒しかしながらそれらが商品資本となり︑貨幣資本となるのは︑産業資本の循環にくみこまれた限りにおいてで

あり︑この循環の一部を構成するG│WにしてもWIG

かかる転態が行われるのは︑それが資本である

からではなく︑貨幣であり︑商品であるからである︒商品であり貨幣である限り︑いかなる生産様式の生産物であ

ろうと変りないし︑叉如何なる社会へも入りこむことができるわけである︒世界市場に対する資本主義的という規

つぎに第二の設問﹁単一の世界市場の崩壊とは何か︒このような意味の崩壊は果して第二次大戦以後にはじめて

あらわれたのか﹂についての主張をみよう︒世界市場とは少なくとも単純な商品流通関係を媒介として成立するこ

とを強調する以上︑世界市場の崩壊は少なくとも市場関係の分断を抜きにしては論じられない°故に帝国主義による

経済封鎖の役割を強調した第二の規定が重要になる︒その場合世界市場の統一性の破壊を第二次大戦後にもってく

ることはできない︒二度の世界戦争の下での世界市場の崩壊は例外として扱うとしても︑世界大恐慌につづく三〇

年代において︑普通プロッキズムと呼ばれる傾向が強く支配していたことは︑まさに単一の世界市場の解体を示す

ものではなかっただろうか︒それを以て直ちに世界市場の崩壊とはいえなくとも︑少なくとも崩壊の一歩手前まで

第二の点︑資本主義的世界市場の意味については︑

(8)

る ︒

一国内では生産手段の社会主義的所有にもとづ

進んでいたことは否めないであろう︒さらに︑それが短時日の間に世界戦争に突入したにしても︑

0年一月

の連合国による対日経済封鎖によってひきおこされた事態は︑単一世界市場の崩壊と呼んでもいい筈であるe

つぎに第三の設問﹁社会主義的世界市場における特徴とされている諸原則は果して社会主義国間にのみ通用して

いるのか︒また二つの世界市場は﹁平行している﹂のだろうか﹂︑にうつろう︒この点は︑後の私の主張と直接関連

する箇所であるので詳しくたどることにする︒まず経済学教科書における社会主義経済関係の特徴づけにふれられ

﹁国民経済の計画性ある︑つりあいのとれた発展の法則におうじて︑社会主義陣営の国ぐにの経済協力は︑国

民経済計画を互に調整するということを基として発展している︒経済協力計画は︑

経済発展の国家計画におりこまれている︒社会主義陣営内の経済関係は︑全面的な相互援助と︑後進国を先進国の

水準までひきあげることを特徴としている︒社会主義的な国際分業の結果︑人民民主主義国が資本主義からうけつ

いだ経済的後進性と経済発展の一面性とを一掃することが容易となり︑それらの国々の工業化に好都合な条件がつ

くりだされ︑資本主義世界からのそれらの国の経済的自立と独立が強められ︑その経済は一層急速に高まり︑人民

t "

i  

の福祉はたかまってゆく﹂教授の見解によると︑このように社会主義諸国間の経済計画の相互調整と協力の関係

は︑決して超国家的機関によって行われているのではなく︑平等な権利をもった国同志の自発的な協力関係である︒

この点で一国内の立地計画と国際分業は異なる︒根本的な相異は︑

く生産力の適正配置が一元的に計画され︑諸地域相互間の物資交流はそれに応じた社会生産物の地域間の移動にす これが第二の設問に対する教授の見解である︒ らの事実に示されるように︑帝国主義の支配下では︑

ソ同盟や人民民主主義国の国民 一方で絶えず単一世界市場の解体の要因が強く働いている︒

一 四

(9)

しろプロレクリア国際主義によって支えられている︒ 展の法則に従うからといって︑

ぎないのに︑社会主義諸国間では独立国相互間の商品交換を媒介として行われ︑ここでは価値法則が作用している︒

したがって経済学教科書のいう関係は︑社会主義陣営内にのみみられる関係ではなく︑社会主義陣営諸国と自立的

発展の道を歩もうとしている後進国との間にも同様にみられる︒そしてその例としてソ同盟︑ボーランド︑

フィンラソド間の貿易支払協定におけるフィンランドの性格︑またインド︑ビルマ︑ チェコ

ニジプト等との

社会主義国の経済関係の強化が︑これらの後進諸国の経済的自立にとって大きな力になっている事を問題とされる︒

そして︑そこにソ同盟と人民民主主義諸国との協力関係と本質的に異ならない民主主義的関係を見出すと主張され

る︐すなわち民主主義的関係が︑今ではすでに社会主義陣営相互間の枠をこえて拡がっており︑第二次大戦後の新し

い事態とは︑世界市場の内部に帝国主義の支配の及びえない部分が拡大する可能性が与えられていることであり︑世

界市場内部における二つの性格を異にする市場関係の対抗として捉える方がよいとされる︒最後に﹁社会主義的世

界市場﹂においては他と区別される特徴が見出されるのではないかとの疑問に対して︑二つの点から否定され

る︒その一っは社会主義陣営諸国間の協力関係を支えているのほ何かという問題︑他の一っは社会主義諸国間の商

品流通を規制する法則は何かという問題に関係する︒第一の点については︑社会主義陣営内の経済関係が計画的発

一国内の生産力の立地計画と同様に国際分業が形成されるというわけではない︒各

各の国が平等の権利と主権をもつ国として自発的意志に従う協力関係である︒だからこれらの諸国を結びつけてい

る紐帯の強さは︑社会主義体制の国であることから︑客観的法則として必然的に出てくるものではない︒それはむ

第二点については︑社会主義諸国の経済関係が国際商品交換である限り︑価値法則が作用しており︑そのため世

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﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論

界市場全体から影響をうける︒そして現実の協定価格の価格決定の際に国際市場価格が基準とされているとして︑

価格決定さえ世界市場の他の部分から孤立的なものではないと主張される︒

私は今まで木下教授の論文﹁﹁二つの世界市場論﹂についての若干の疑問﹂によってみてきたが︑教授はさらに﹁戦

"

i  

後世界市場論の当面する問題点﹂において見解を発展させておられる︒それは社会主義諸国間の経済関係の特質を

考えなければならないとされている点である︒即ち一九五八年五月の経済相互援助会議において︑一九七五年まで

の計画的展望の下に社会主義国際分業を進めようとしていることに示される経済計画そのものの直接的調整の実行

であり︑また生産技術上の知識の相互無償供与にもあらわれている協力関係である︒これらは︑市場関係をこえた

内容をもち︑社会主義世界経済体制としてとらえた方が適切であり︑これがスターリンの第一の規定の側面である

とされる︒しかし世界市場についての教授の見解は全く前の論文と同じである︒

右にみたように木下教授は︑まず第一の設問において世界市場の概念にまでさかのぽって︑

する教授の見解を示され︑第二の設問の結論はそこからの当然の帰結として導かれる︒第三の設問においては視角

を社会主義世界市場の性格におかれ︑そこからまた教授の主張の裏づけを行われる︑という二つの側面からの接近

である︒以下の私の覚書は︑第二の現実的な側面︵教授の第三の設問︶︑社会主義世界市場に対する教授の見解につ

いて疑問を提起し︑世界市場の理論的諸問題︵教授の第一の設問︶に対する方向を示そうとするものに他ならない︒

つぎに私の疑問を提起しよう︒

第一の疑問は︑社会主義世界市場における価格形成に関するものである︒社会主義世界市場価格決定の際︑現在

マルクスの見解に対 一 六

(11)

一 七

主として︑世界市場価格にもとづいているのは何故か?また価格形成の方法は将来どのようになるか?そして社会

主義世界市場の価格形成の方法は︑社会主義世界市場の独自性を示すものではないか?という問題である︒

第二の疑問は︑社会主義世界市場と社会主義世界経済体制とはいかなる関係にあるのか?社会主義生産体制︵社

会主義の社会経済的性格︶が社会主義世界市場に他の市場と区別される特質をあたえるのではないか?ということ

この二つの問題から︑私は社会主義世界市場はそれ独自の発展法則をもつこと︑社会経済的性格に規定されるこ

と︑そのため単なる流通面における形式的﹁民主主義世界市場﹂と厳密に区別さるべきであること︑を明らかにし

現在︑社会主義世界市場における価格形成の際︑資本主義世界市場価格にもとづいているということが︑木下教

授の﹁二つの世界市場論﹂批判の際の︱つの柱となっている︒

論旨をわかりやすくするために︑この問題に関する結論をさきにのべよう︒

現在︑なるほど先進社会主義国において︑資本主義世界市場価格にもとづく価格形成が主張されているけれども︑

この主張は︑現在という発展の一特定段階において︑いわば過渡的段階に︑しかも先進社会主義国に妥当する考え

方であって︑これは社会主義世界市場の性格から必然的に生じるものではなく︑あくまで原則としては︑社会主義

本主義世界市場価格にもとづいて形成されているということは︑ 世界市場独自の価格形成が必然的に生じるものであるということである︒だから現在︑社会主義世界市場価格が資

﹁二つの世界市場論﹂批判の論拠として成立しえ

(12)

ビッヒがのべている第二段階は︑

まず現在︑社会主義世界市場価格が何にもとづいて決定されているかについて若干の指摘をみよう︒コールマイは

﹁以前︑東ドイツと他の社会主義国との価格関係はまちまちであった︒

格がきそにおかれた︒⁝⁝我々はその時々の主要市場の価格にもとづく価格形成によって︑単一価格へ移行すること

が正しいものと考える﹂とのべている︒すなわち現在では︑資本主義世界市場価格が社会主義世界市場価格決定の際 のきそとなっている︑という見解である︒この見解は︱つの主流となっている︒例えばシュナイダーは︑﹁ソ同盟と の貿易は世界市場価格にもとづいており︑他の人民民主主義国との貿易も段々世界市場価格にもとづいて行われる

  ようになっている﹂とのべているし︑コシオロヴィッチも世界市場価格を用いることが多くなってきたといってい

l l  

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る︒またグレービッヒは︑コールマイと同じく価格形成を二つの段階にわけ︑第一の段階の価格審議のきそは︑一九

0

年の平均的資本主義世界市場価格におかれ︑全体として最高価格が提示された︒第二段階では︑価格は前年の平 均的世界市場価格にもとづいてルーブリで確定された︒その際特別製品︑新製品は︑類似生産物の平均的世界市場価 格によって計算された︒又契約の締結と遂行を遅らさないため︑特別の場合には暫定価格の協定が可能であった︒そ してこの暫定価格は︑当該商品の主要商品市場の平均的世界市場価格にできるだけ近づけられねばならず︑この暫定 価格は︑ある場合には最終価格の協定によって変えられ︑他の場合には暫定価格が妥当した︑とのべている︒グレー

コールマイのそれと同じく何時からか時期が明確でないけれども︑世界市場価格 にもとづいて︑現在きめられる方向にあることは大体事実であろうと思われる︒さらにこれを裏づけるものにはチ

ェルニアンスキー︑ヴェール︑チェルペの論文等がある︒しかしながら︑グレービッヒがのべている暫定価格が妥 ない︒以下このことを明らかにしたい︒

一部は一九五0年価格︑一部は一九五一年価

一 八

(13)

う︒だが社会主義世界市場独自の価格形成という場合︑

つぎのことをまず確認しておかなければならない︒社会主

当した範囲がきわめて例外だったのか︑あるいは国によって異なる程の大きな意味をもっているかどうかについて

は明確でない︒というのは︑後でのべるように︑価格の基礎を社会主義世界市場価格におかなければならないと主張

するハンガリーのワイダは「昨年は(五七年—|筆者)国家間商品交換において固定価格(Stopp

Pr

ei

s)

が用いられ⑳ た﹂とのべており︑またトシェフは論文の中で﹁プルガリアの経済学者は︑社会主義世界市場価格は︑社会主義世界市場の平均的商品価値をよりどころにしなければいけない︑という意見をもっている﹂とのべているからである︒

ワイダのいう固定価格がどのようにして決定されたのか︑その価格決定のきそに何がおかれているのか明確ではな

ハンガリー︑プルガリアの学者が同一の見解を示していることに注意しなければならない︒これら後

進国に社会主義世界市場独自の価格形成の主張がでてきたのほ︑チェルニアンスキーが︑現在原材料と生活資料価格は価値より低く︑完成品は価値より高くなっているという主張があるとのべているように︑後進国の生産条件

が国際的に不利になっている現状にもとづいて︑このことが独立の価格基礎に対する強い主張となっていると考え

られる︒このように後進社会主義国には︑現実の要求からすでに独自の価格基礎に対する主張が生じているのであ

るが︑この主張は他方原理的な問題を内包しているのである︒この点を︑ワイダ︑トシェフの見解によってみてみよ

義世界市湯独自の価格形成の見解は二つにわかれる︒その一っは︑価格は生産国の社会的平均的労働の支出︑国民

的価値によって決定さるべきだとする見解であり︑他は︑社会主義世界市場における国際価値によるものとする見解である︒現在︑社会主義世界市場独自の価格形成を主張する人は︑殆ど後者の見解にたっているようである︒

ワイダは︑主としてチェルニアンスキーを攻撃して論理を展開している︒それはつぎの三つにわけられる︒第一

(14)

には計画的発展の法則と価値法則との関係である︒彼はつぎの例をあげて説明する﹁我が国ハンガリーでは︑相対

的に不利なエネルギー事情のため損失をぶたらすことが明らかであっても︑価値法則の圧力によってアルミニウム

生産を中止することは許されない︒⁝我々は犠牲を払ってもアルミニウムを生産する︒しかしながら同時に企業は︑

高いエネルギー費用によって過度に不利な半製品

( B l o c k a l u m i n i u m )

の指数よりも収益性指数が著しくよい加工⑳ アルミニウムの輸出をふやし︑半製品の輸出をより少なくするように販売を調整する﹂︒このように社会主義国の生

産は︑個々の企業の労働によって実行されることをチェルニアンスキーは考慮しないで︑抽象的に研究している︒即

ち︑確かに世界市場価格の刺戟作用は有効であって︑多くの生産領域で必要であるけれども︑計画的・比例的発展を

さまたげる面に注意しなければならない︒これがワイダの世界市場価格にもとづく価値法則の作用に対する批判の

第一点である︒ついでチェルニアンスキーが︑独自の価格形成の見解は陣営内分業の発展および資本主義国との貿易

の拡大を妨げる︑と主張したのに対して︑独自の価格形成は︑社会主義と資本主義との市場関係を破壊するもので

はない︑この両者の間に直接的因果関係はないと反論する︒第三点は︑社会主義後進国に対する援助は︑プロレク

リア国際主義にもとづいて行わるべきで政治的関係をも含み︑価格関係でなさるべきではないというチェルニアン

スキー説に対し︑このような経済外的援助の主張は︑国民経済を社会主義世界経済体制の要素として考えない時に

だけあらわれる見解であるといっている︒そして彼は︑社会主義陣営内の労働生産性の水準を考慮した特別価格の

形成を主張するのである︒

チェルニアソスキー︑ヴェール︑チェルペの資本主義世界市場に基づく価格形成論者を批判しn3 プルガリアの経済学者を支持する︒彼はまず資本主義世界市場価格に依存する方法が︑国際価値によりよく照応する

(15)

という見解は︑独占の影響その他によって資本主義世界市場の価格に変容が起っていることを軽視していると批判

し︑またチェルニアンスキー等三人が︑資本主義世界市場価格にもとづかなければならないことの論拠とした現存

の国際分業の発展︑社会主義国と資本主義国との商品交換の発展に関してほ︑そのことは社会主義世界市場独自の

価格形成の問題と直接関連しない︒社会主義世界市場に独自な価格形成を主張するのは︑そのことが資本主義世界

市場とは別個の統一した社会主義世界市場をつくる前提として役立つと考えるからであり︑統一した社会主義世界

市場は資本主義的な価格形成から独立していなければつくりえないものである︒そして資本主義国との貿易は︑資

本主義世界市場価格に依存しないでも拡大しうるとして︑国際分業は生産力によって規制されると同時に社会構成

体の性格によっても規定されることを強調する︒そして独自な価格形成︑社会主義世界市場の平均価格を見出すの

は︑困難ではあるがそれは技術的な問題であり︑一国内で価値法則の作用を制限して国内価格を安定することができ

るならば︑国際協力によって国際的にも統一的な価格を確定することは可能であると主張する︒要するにチェルペ

ほ︑社会主義経済法則を意識的に利用する可能性をもっているということから出発して︑独自な価格形成を主張し

ているのである︒その場合資本主義国との貿易は︑全く別個の問題であるというのである︒

ワイダ︑トシェフの見解は︑第一に︑価値法則の破壊的作用が計画的発展の法則にあたえるマイナス効果に注目

していること︑第二に︑現存の両体制間の国際分業︑商品交換は︑資本主義世界市場価格によらないでも直接その

発展を妨げないという主張において︑また社会主義経済法則の意識的適用という点において共通のものをもってい

る︒だからこれらの見解は︑生産力の段階がいかなるものであれ︑生産関係視点︑社会構成体の相違から︑社会主

義世界市場価格の独自の形成を主張しているといえよう︒しかしながら︑ここで我々はチェコスロバキア︑東ドイツ

﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論

(16)

の学者のうち主流を占めている見解︑すなわち資本主義世界市場価格にもとづかなければならないと主張する見解

を検討しなければならない︒まず彼らの主張をみることからはじめよう︒

チェルニアンスキーは︑価格は国際分業と交換を出来るだけ発展させるために役立たなければならない︒貿易に

価値の問題がある限り︑社会主義国は等価交換すなわち平均して価値で実現される交換︑国際価値で実現される交

換を行うことに協力しなければならないという点から出発する︒このように商品交換の発展を出来るだけ容易にす

るということを第一義とすることから︑当然主要世界市場価格にもとづかなければならないとする︒だから﹁もし若

千の社会主義国が︑主要市場の価格よりも高い価格を生産物にいつもつけようとすれば︑買手である社会主義国は︑

商品を安く手に入れることができる資本主義市場で購入するようになるだろう︒このような状態が続けば︑交換の

n2  

停滞と社会主義世界市場の解体をみちびき︑価値法則はついには世界市場価格での交換を求めることになろう﹂︑

だから我々は世界市場価格によることにより︑社会主義世界経済体制の労働生産性を一層高め︑単一の国際価値に一

層積極的に働きかけるように努力しなければならないという主張になる︒この見地から彼は︑社会主義世界市場独自

の価格形成を否定する︒コールマイは﹁全世界貿易の八六彩が資本主義的に組織されているので︑このことは︑大抵

の商品にとって資本主義市場が主要市場となり︑したがってそこにおける世界市場価格が出発点とならざるをえな

いことを意味している﹂とのべている︒ここでコールマイは社会主義世界市場の世界貿易における地位を問題とし nL

ている︒つぎにヴェールは﹁社会主義諸国の発展の状態がまだことなり︑国際分業と国際協力の領域で一層密接な

関係をつくりあげている現段階で︑あらゆる生産物に単一の社会主義世界市場価格をもってくることは︑まだ不可

d4  

能である﹂といっている︒しかしヴェルはこれに続いてすぐ﹁しかしながらある生産物の場合︑個々の国の発展水

(17)

準を考察し︑資本主義世界市湯の状態を考慮して︑景気変動を蒙らず︑社会主義国の経済部門の発展を考慮する社

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会主義世界市場価格を確定する可能性がある﹂といっている︒

ヴェールの主張は︑この限りではどのような生産物に︑現在独自な社会主義世界市場価格を形成することが可能

であるのか︑またいかなる条件があれば独自価格の形成が可能になるのか明確ではないが︑前半の引用からみると︑

将来において社会主義世界市場独自の価格形成の必然性をみていることは疑いない︒叉コールマイも世界市場にお

ける社会主義市場の発展によって︑独自の価格形成の必然性を考えていることは︑つぎの言葉からも明白である︒﹁社

会主義世界市場体制が強化されればされるほど︑個々の貿易商品にとって︑主要市場は社会主義経済領域へとって

かわるようになり︑その価格は︑社会主義世界経済体制における価値の動向と計画的比例的発展の法則によって益

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nまたチェルニアンスキーも﹁将来︑全社会主義体制の立場から社会的必要労働を規定し︑資本主義国との貿易の程度を考慮に入れる必要がなくなる段階﹂においては︑社会主義世界市場で独自な国際

﹁現在の段階では﹂という条件づきで主張されているのである︒チェルニアンスキー︑

とって示したように︑世界市場価格にもとづいて社会主義世界市場価格を決定することを主張する論者も︑あくまで現段階における価格形成の方法を問題としているのであって︑原理的に社会主義世界市場に独自な価格形成を否

定しているのではない点に注意すべきである︒この主張の現実的な条件は︑

バキアの労働生産性その他の工業の条件が︑国際競争にたえうる発展を示しており︑資本主義国との交換関係の発展

による刺戟によってこれらの国を一層発展させることが可能であり︑又他方先進社会主義国の水準に後進社会主義

﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論 価値を調査する可能性がつくり出されるとしているように︑

コールマイ︑ヴェールを例に 資本主義世界市場にもとづく価格形成は︑あくまで

(18)

場の価格の基準として不適当であるという︒ れなければならない︒これは次の諸点にわけられよう︒ ﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論

国をひきあげ︑社会主義体制全体の発展を目ざす上でもっとも基本的な社会主義世界体制内の生産の国際特化と協

同作業が︑現在まだ緒口についたばかりの段階にいるにすぎないという条件に規制されて︑換言すれば一国の立場

と全体の立場との不一致から生じた先進社会主義国の主張と考えられよう︒それには︑生産力において︑社会主義

陣営全体として資本主義諸国の後塵をなお仰いでいること︑またプロレクリア国際主義が充分に成熟していないと

いう条件も加わるであろう︒このような現実の制約から資本主義世界市場価格にもとづく価格形成が主張されてい

るにすぎないものと考えられる︒このように考えると︑社会主義世界市場の価格形成が独自に行われる可能性はど

のような条件があれば生まれるのか︑またその必然性はどこにあるのか︑といった基本的な問題がつぎに明確にさ

①価格形成の際︑資本主義世界市場価格にもとづくことは︑何故不適当なのか︒③社会主義世界市場独自の価格

形成が行われるようになる必然性はどこから生じるのか︒⑧社会主義世界市場価格の特徴はどういった点にあるの

か︒④社会主義世界市場独自の価格はどのような過程を経て到達されるのか︒これらの問題を体系的にのべたものは殆ど見当らない︒ここではグレービッヒの見解にそってみてゆくことにする︒

社会主義世界市場の価格の基礎として︑資本主義世界市場価格は何故不適当か︒この問題については︑独占の政

策によって生じる価格と価値の差が資本主義世界市場価格にはつねに存在しているから︑正確な市場調査︑価格調

査の際に独占の政策による投機的要素と軍事経済による要素を明確にすることはできないこと︒景気変動による価

格変動があることを挙げている︒これらの要因によって国際価値をはっきりさせることができず︑社会主義世界市

(19)

ついで独自の価格形成の必然性が生じる客観的基礎については二つの側面から接近する︒

場の交換の際の原則である等価交換の問題である︒等価交換の原則は︑価格が社会主義世界経済体制の国際価値に

接近していることを要求する︒そのためには生産の協力と国際特化の発展が決定的に必要であり︑叉とくに﹁不利

な生産条件にある後進国に対してあらゆる形態の援助を展開しなければならない︒社会主義国の発展水準が接近することによってはじめて︑社会主義諸国間の商品交換は︑傾向として同量の国民的労働の交換に近づく﹂︑と後進社

会主義国への援助を強調している︒このようにして発展水準が接近し︑国際特化が発展すれば︑一国の平均的生産

条件が大体において国際的平均的生産条件となり︑他国の同一生産物の生産費を若干考慮する丈で︑それが国際価

値︑国際価格を規定するようになる︒そして現にこの方向に社会主義国が進んでいることが主張の基礎となってい

る︒もう︱つの側面は︑社会主義国の労働生産性の上昇︑主要生産国が社会主義国に移ること世界貿易に占める社

会主義国の割合の上昇といった過程は︑将来︑資本主義国との貿易においても社会主義世界市場価格が規制的な役

割を果すことを可能にするという点である︒この二つの側面からグレービッヒは独自な価格形成の必然性を主張す

る︒前者は社会主義国間における条件であり︑後者は資本主義陣営との対比における条件である︒

さらに社会主義世界市場価格はその場合どのような特徴をもつものであるか︑という問題について彼はつぎの四

点を指摘する︒その一︑社会主義世界市場価格は︑価値法則を利用して傾向として国際的に一致させられなければ

ならない事︒その二︑社会主義世界市場価格は︑社会主義陣営の国際的平均条件に応じた社会的必要労働の支出に

照応して変動しなければならない事︒その三︑国際的生産協力にもとづく労働生産性の上昇によって価値が低下す

るので︑価格は低下傾向を示さなければならない︒その四︑社会主義世界市場価格は︑労働生産性上昇と生産の国

︱つは社会主義世界市

(20)

際特化の手段として役立たなければならない︒そしてグレービッヒは︑現在の社会主義世界市場価格の特徴である

①協定価格であること︒③景気に左右されず︑少なくとも協定期間中同一価格であること︒⑧同一商品は同一価格

になる傾向があること︒④援助手段であることなどをあげ︑これは資本主義世界市場価格とくらべると新しい内容

をもっていることは確かだが︑まだ社会主義世界市場価格の特質をそなえていない過渡的なものであるとして︑ある

べき社会主義世界市場価格への移行過程を問題にする︒どのような過程で社会主義世界市場価格に到達できるか?

この点についてグレービッヒは現在二つの方向があると主張する︒︱つは社会主義世界経済体制の国際価値に近い

価格を意識的に確定することであり︑この方法はつぎの商品に適用される︒山世界の主要商品市場が社会主義国に

ある商品③原料︑化学生産物︑機械のような特に重要な商品︑③比較が複雑な特別製品ならびに新製品︒第二の方

向は、価格調査、市場調査による方法で、その場合できるだけ投機的·季節的•および景気変動による要素をのけ

て国際価格に近づける︒又期間は十年あるいはそれ以上というように出来るだけ長くとって︑平均的世界市場価格

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52

 

をしらべる方法であるとする︒

以上グレービッヒの見解を︑社会主義世界市場独自の価格形成の客観的必然性︑社会主義世界市場価格の特徴︑ま

たそこに至る過程といった点にしぼってみてきた︒このグレービッヒの主張を貫いているものは﹁国際分業の最高の形態としての生産協力と生産の国際特化﹂の進展であり︑それにもとづく社会主義陣営全体の発展状態に応じて具

体的に価格形成の課題が提起されるということである︒このように社会主義陣営の発展過程の中で価格形成の問題

を考察してはじめて︑現在論争されている市場調査︑価格形成の方法等の問題の位置づけがなされるであろう︒資

本主義世界市場価格が国際価値から乖離する必然性が︑資本主義生産様式そのものから生じること︑他方︑社会主

(21)

義世界経済体制の客観的発展法則とくに計画的発展の法則が︑価値と価格の一致を要求することが疑いえないもの

だとすると︑独自の価格形成へ移行する必然性は否定しえないものであろう︒

ゆえに現在の時点で︑資本主義世界市場価格にもとづいて社会主義世界市場価格が決定されても︑それは一般的

に社会主義世界市場と資本主義世界市場との間に商品市場としての同質性があることを示すと理解するよりも︑む

しろ現段階の特殊な条件における過渡的現象であり︑社会主義世界市場の発展は︑資本主義世界市場とは異なる過

程をあゆみ︑その客観的要求は社会主義世界市場独自の価格形成へ導く︑と理解する方が正しいのではないだろう

か︒このように考えると︑

トシェフの後進社会主義国の立場に立つ学者の独自な価格形成の主張は別とし

チェルニアンスキーに代表される見解も︑木下教授が主張されるような自主的発展の道を歩む後進国の市場

と社会主義市場との同質性を裏づけるものとみることはできないように思われる︒市場として︑叉商品交換として

の範疇で同一であることを主張することによって︑市場の特殊な発展の側面が無視されるのではないだろうか︒社

会主義の社会経済的内容によって社会主義世界市場が規定されている側面が︑私にはより重要に思われるである︒

第二の疑問は︑社会主義国際特化と生産の協力にもとづく計画的発展が︑社会主義世界市場に特殊な規定と役割を あたえるのではないかということである︒木下教授の見解を今一度みよう︒教授は︑社会主義諸国間の経済計画の相 互調整と協力の関係は︑平等な権利をもった国同志の自発的な協力関係であり︑この点で一国内の立地計画と国際分

業は異なる︒根本的な相違は一国内では生産手段の社会主義的所有にもとづく生産力の適正配置が一元的に計画さ

﹁二つの世界市場論﹂に関する一試論

(22)

れヽ諸地域相互間の物資交流は︑それに応じた社会生産物の地域間の移動にすぎないのに︑社会主義諸国間では独立

国相互間の商品交換を媒介として行われ︑ここでは価値法則が作用しているとのべられ︑ここから社会主義諸国間の

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商品流通と自主的発展の道を歩む国との商品流通には﹁本質的な点で共通性がある﹂と主張される︒しかし一国内の

立地計画と同じ側面が社会主義国際分業に存在するのではないかということが︑ここでは逆に問題になる︒教授も強

調されるように︑社会主義諸国間の経済関係は︑流通過程の協力のみではなくもっと内容豊富なものである︒今この

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過程を経済相互援助会議の課題の変化によって簡単にあとづけよう︒

戦争による破壊を速かに克服し︑参加国間の商品交換を拡大する事であった︒しかし一九五四年第四回大会で新し

い段階がはじまった︒そこでは経済的課題について長期的に協力する必要性が認識され︑一九五六ー六0年の五カ年

計画における生産協力の調整が問題となった︒ついで五四年第五回モスクワ大会で投資計画の調整がとりあげられ︑

五五年プダペスト第六回大会において個々の部門の生産協定がはじまった︒例えば自動車︑トラククー︑数種の農業

機械︑精密機械工学︑光学機械︑石炭(‑九五六︶そして一九五七年ワルシャワ八回大会で再

度新しい段階がはじまった︒それは一九六

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七五年の十五年間に及ぶ長期展望計画の協力の問題である︒この経済

相互援助会議の課題の変化に示されているように︑一九五四年から生産協力がはじまり︑とくに一九五七年以来長期

展望計画の協力と調整という非常に進んだ経済関係がとられるに至っている︒工場の共同建設︑運輸面での協力の

ような生産の協力とならんで︑生産の国際特化も進行をはじめた︒これは特に工作機械にはっきりとあらわれてお

り︑例えば東ドイツは六0年までに二0%種類を減少させ︑叉ブルガリアは二五種類から将来にほ十三種類︵とく

d.   U  

に旋盤︶に減少させることになっている︒

一九四九年設立されて後数年間︑その課題ほ︑ 四八

参照

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