「 獣医病理学用語集 :日本獣医学会病理分科会編 ,1 9 9 4 」 のできるまで
岡 田 幸 助 ( 岩手大) 旧約聖書にバベルの塔の話があり,人々は天ま
で とどく塔を作 ろうとした。初 めは同 じ言葉で あったのでうまくいっていたが,神様 は人々のう ぬぼれを打ち砕 くため言葉を通 じな くした。する とたちまち混乱が起 こり,事業は失敗に終わって しまったという話である。われわれの学問 も同 じ で,学会発表や論文作成時に同 じ言葉で話すこと は重要である。実際にはいちいち用語集をひもと くことはまれであるが,いざというときには必要 である 。1 9 9 2 年秋,当時の日本獣医学会病理学分 科会長 後藤直彰先生の発案で, 分科会の企画に より日本中央競馬会の支援を得て,獣医病理学用 語集が学窓社か ら発行されることになり,編集委 員長をおおせつかったので,その経緯 と感想を記
してみたい。
さて,何 もない白紙の状態か ら辞書を作 るのは 想像 しただけで も大変である。先発の用語集 とし て解剖学分科会の 「 獣医組織学用語」があるが, あれは元になる用語集が既にあった。解剖学分科 会会長の牧田登之先生 ( 山口大)にわれわれの企 画をお話すると , 「そんなのいつまでたって もで きないよ」 と言われて しまった。 しか し, まず病 理学分科会の後藤先生,板倉先生,土井先生 と相 談 しなが ら,百漢英一 ( 家衛試,牛担当) ,成田寛 ( 家衛試,豚担当) ,兼子樹広 ( 競走馬総合研,局 担当) ,梅村孝司 ( 鳥取大,犬担当) ,中山裕之 ( 東 大,猫担当) ,真板敬三 ( 残農研,実験動物担当) , 布谷鉄夫 (日生研,家禽担当)の各氏 と筆者 ( 紘 論担当)か らなる編集委員会が結成 され ,1 9 9 3 年
7 月に第 1回編集委員会が もたれた。
発行の目的を獣医病理学の教育のためと,用語 を整理するためとし,まず, " Ve t e r i na r yPa t hol ‑ o gy;J one s& Hunt1 9 9 2 " と " Di s e a s eo fPouト t r y;Hof s t a d e ta l .1 9 7 8 " の索引を叩 き台とし て,それを各編集委員に割 り当て,英単語の日本 語訳,読み方, コー ド表記をテキス ト形式でワー プロに打ち込んで もらった。 コー ド表記は百渓先 生のアイデアで,各単語に動物種,総論的分類, および各論的分頬の記号をつけたもので,次のコ
32 J CVP 会報 , No . 2 0 , 1 ‑7 . ( 1 9 9 8 )
ンビュータ処理のために有用であったO原稿はフ ロッピーとして,学窓社に送付 し,当初 ,1 9 9 3 年 1 0月末を締め切 りとしたが,すべての打ち込みが 終わったのは翌年の 2 月であった。
第二次作業 として,各編集委員か ら各分野,各 臓器にふさわ しい執筆者が推薦され,その数は分 科会 具 4 7 名 に及んだが,各委員が打ち込んだ単 語を動物種別,臓器別にソー トして,それぞれの 分担者に送 り,チェックしてもらい,不要な単語 を削除 して,必要な単語を追加 した。また翻訳の 誤 りを訂正 したが, この作業が もっとも大変で あった。各執筆者に送付 したのが 2 月,回収の目 処が立 ったのが 1 9 9 4 年 5 月であ った。 このとき 初めて凡例を作 ったが,本来は最初に決めてお く べきであった。用語については,通常用いられて いるもの, または各学会採用 の ものを採用 した が,外国語で和訳が 2 通 り以上あるものは,併記 または編集委員会の選択によった。 ウイルスの分 類 ・命名は I nt e r na t i ona lCommi t t c e on Ta x‑
onomyo fVi r us e s によった。
編集 に当たって,多数の方々か ら資重な意見や お叱 りをいただいたが,例えば,現在学生が使用 している教科書に徹っている用語は網羅すべきで ある,最近 5 年間に J.Ve t .Me d.S ° i .に掲載 さ れた病理学関係の論文のキーワー ドを拾 ってはど うか,などで,編集委員の間でアンケー ト形式に より愚見を調整 し,前者については実現 したが, 後者については時間的に無理であった。
最後 に出版社で, コンピューターにより, もう 一度アルファベ ット順 とあいうえお順に並べ替え てや っと原稿が仕上が った。本来 は 1 9 9 4 年 4 月 発行予定であったが, このときすでに 7 月,それ らをさらに筆者 と学窓社の阿薦哲大氏で全体を通 して校正 を行 った。阿高氏の作業 は仕事 とはい え, まことに献身的であった。最後の詰めを 9 月 に開催 された第 1 1 8 回 日本獣医学会の折 りに北里 大学の一室で行い,布谷,成田両氏に手伝 っても
らい,完了時に乾杯 した缶 ビールの味は忘れ られ
ない。編集会議で最後の調整,確認を経た後,印
「 獣医病理学用語集 : 日本獣医学会病理分科会編 ,1994 」のできるまで
刷 して 1 99 4 年 1 0 月の発行 となった。用語集の企 画か ら発行 まで実に 2 年近 く要 した事 になるが, 編集委鼻や執筆者その他多 くの人 の協力 と奉仕が なか った ら実現 しなか ったであろう。
現在,私達 は病理各論教科書の作成中で,再び 同 じようなパニ ックに陥 っているが,その校正に はこの用語集が大変に役立 っていて,改めて用語 集の大切 さを痛感 している次第である。発行 され てか らまだ 4 年 しか経 っていないが, その間にも 学問はずいぶん進歩 し,今回の各論教科書の校正 を通 じて用語の欠如,不備を多数発見 した。当初 か ら完全なものは無理 と判断 し,逐次改定を して ようものに していく計画であったので,今回の教
アメ
リカ獣医病理学会ACVP アリゾナ州ツJJンにて
科書編集の機会 に用語集を改訂 したい旨,現在の 獣医病理学会理事会 に申 し出たところ了承 され, 学窓杜の了解 も得 られたので,近々,改訂版を発 行す る予定である。今回は気が付 いた度毎 に, メ モ して きたので改めて作業 は必要ないと考えてい るが,新たに入れて欲 しい用語 とか,誤 りにお気 付 きになった ら筆者 にご連絡 いただければ幸いで ある。 この用語集 の印税 はすべて獣医病理学会 に 収め られ収入 となるので,学会の財政強化のため にも是非多 くの方 に購入 して活用 していただき, 獣医病理学の発展 に少 しで も役立てば望外の喜び である。
( 1 99 8. 5. 2 0 記)
獣
医病理学用語集 (編集委員長)動物
病理学各論 (編集委員長)J CVP 会 弧 No 20 . i ‑7 . ( 1 9 9 8 ) 33
衛 星 通 信 l こ よ る 学 苦 β L一 ペ ノレ の 交 換 授 業
農学部獣医学科教授 岡 田 幸 助 11月26口( 火)に大 学院連合農学研究科棟 に設置 されているスペ ース ・コラボ レー シ ョン ・システム ( 衛星通信 システム、
以下 SCS) を用 いて、北海道大学獣医学部 と岩手大学農学部猷医学科 の 4 年生 の家畜病理学 各論 の交換授業 を行 った。 こ れ まで大学院 レベルでは種 々試 みがな されてお り、それぞれ成果 を挙 げて いるが、学部 レベルでの応用 は初 めての試 みであ るO ここにその記録 と、その直後 に学生 か ら取 ったア ンケー トによる反省 を記 し、今後の参考 に して いただ きたいo
scs の概要 昨年 1 0 月 2 E lよ り、全国 3 3 大学 、6 高等専 門学校 、1 0 大学共同利用機関に設置 されたo通信制御 は千葉掛 こ ある放送教育開発 セ ンターで集 中的 に行 うので、各大学ではカメ ラの切替桂皮の操 作で交信が出来 るo 出演者 ( 講義 をす る 教官) 自身が この操作を行 うことも不可能ではないが、現在の ところ学生部 の久保事務官 に行 って もらって いる。通信費用 は文部省で負担 して いるので、授業を行 う大学 サイ ドでは無料であ る。
実施概要
l l: 0 0 ‑1 2: 0 0 リハーサル 最初 の試 みなので通信状況や カメラワー クの練習を行 った0
1 3: 0 3 ‑1 3: 1 5 SCS の概略 について 岡田が書画 カメ ラを用いて行 った。
1 3: 1 5 ‑1 4: 1 0 講義 「骨疾患の病理 :特 に発育異常 と代謝障害」 板倉智敏教授
前 ロにファックスで講義 の レジメが送付 されて きたので、 それを学生 に配付 したD講義 は書画 カメ ラを用 いて、台紙 に は ったテ ロップとプ リン トした写異 を撮影 して送信 された。
1 4: 1 0 ‑1 4: 2 0 質疑 岩手大学の学生 より 1 件の質問があ った。
1 4: 2 0 ‑1 4: 3 0 休憩
1 4: 3 0 ‑1 5: 2 5 講義 「リンパ球 の分化 と病理」 岡田
レジメは特 に用意 しなか ったO講義 は書画 カメ ラを用いて、透過光 によ り通常 の 3 5 m m ス ライ ドをズー ムで拡大 して、撮影 送信 された。
1 5: 2 5 ‑1 5: 3 5 質疑 司会者以外学生 か らの質問は無 か った。
1 5: 3 5 ‑1 5: 5 0 SCS による交換講義 に対す る意見交換 ( 司会 板倉教授) 両大学の学生か ら衛星通信 による交換講義の感想を聞 いた。
1 5: 5 0 ‑1 5: 5 7 交換講義 を終 えるに当た って ( 岡田)
予 約時間終了 3 分前 に終了 したのは、時間が くると直 ちに回線が切断 され るので、余裕 をみて終わ るのが良 いか らであ る。
アンケー ト結果か らみた反省
黒板を使用す る通常 の授業 と異 な り、 ノー トが取 りず らい 。NHK 教育 テ レビのテキス ト並 とはいか ないまで もレジメを 配付 してお くことが絶対必要で ある。
講義の間、書画 カメ ラのみを使用 して いると、講義 している教官 の顔が見えないo講義 の途中で質疑応答 を入れ るな ど し て時々、教官の顔 を映すほ うが よい. また一方的 にどん どん内容が進んでい く講義 の方法 はまずいO ビデオ と異 な り相互交 信がで きるとい うメ リッ トを生か したほ うが よい。
小生 の講義 の場 合、割当時間 に対 して スライ ドの枚数が多す ぎたO /‑ トが取 れないこともあ り、衛 星放送 では余裕 を 持 ってゆ っくり明瞭 に話す ことが必要 で ある。
通常 の 3 5 m m の スライ ドをズームで拡大 して透過光 によ り、撮影送信す ることも不可能ではないが、小 さな文字 は読 めな
34 学長 だよ り,第 6 号 , 5 ‑6 . ( 1 9 9 7 )
衛星通信による学部 レベルの交換授業
いO プ リン トアウ トしたテ ロップの方が 見やすいO
テ ロップといえ ど も細かい表 は無理 で ある 01 行 1 6 文字 、7 行程度に収 めるのが叔良であ る。
ス ライ ドの差 し替 えはホル ダ‑等 に入 れて手が写 らないよ うにす ること。切替の時 に画面が大 きく揺れた り切 れた りす る。
珊嶺 を聞 く学生の顔 はあま り写 さないほ うが良 い.学生が眠 るのを防止す ることは出来 るが、気が散 って授業 に身が入 ら ないよ うであ る。
質問をす る学生 の ところへ マイ クを持 っていかなければな らないので、質問が しに くい o 鎌首 マイ クな どを用 いて、 自由 に質問が出来 るよ うにす る必要があ るo
SC Sはテ レビ唱話ではないので、私 的な会話 は謹 まなければな らないO
講嚢 よ りも鱗別や手術など実習を見た いとい う希望が多か った。 また学会や シンポ ジウムの中継 を して欲 しい とい う慾 鬼 もあ った。
まとめ
色々反省点 を沓 いたが 、SC Sにはそれ に もま してメ リッ トが多いO その‑つに SC Sには自分の大学 には無 い講養項 目 を学生が移動す ることな く聞 くことが出来 るとい う大 童なメ リッ トがある。学生 自身が他大学でどのよ うな講義 が行われて いるかを知 ることが出来 るよ う、関連大学 に シラバスを配付 した りイ ンターネ ッ トで公開す るなどの工夫が必要であろ うO 今後、 リアル タイムの特徴を生か し、色 々工夫 して積極的 に この システムを活用 したいn ( 投稿)
ス ペ ース ・ コ テ, ガL /‑ シ3 ン ・シス テム ( Space Col / aboI ・ at J ' oD Syst e mノ
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高 等 等 rl学 校
学長だ よ り, 雛6 号 , 5 ‑6 . ( 1 9 9 7 ) 35
主がお入 りようなのです
岡 田 幸 助
私は昭和十九年満洲遼陽市で生 まれ、明治の社会福祉家である留岡幸助の名前 をいただいて、幸助 と 命名 された。男ばか り四人兄弟の長男である。三歳の時、祖母 に手を引かれなが ら、オシメを唯一の財 産 として、京都市下京区に引 き揚げて きた。父は京都で醤油の小 さな町工場 を経営 し、そこで、龍谷幼 稚園、七条第三小学校、洛南七条中学校へ通った。
我家 は祖母の代か らのクリスチ ャンホームであったので、毎週 日曜 日には市電に乗 って洛西教会 と その 日曜学校 に通 った。動物が大好 きで月に一度 は自分一人で市電 にのって動物園に行 ったことを覚 えている。夏 には YMCA のキャンプに参加 し、その時覚 えたキャンプソングやゲームを四十年 もたっ た今で も良 く覚えていて 、CS で子供達にやってみせた りしている。父は醤油工場 を経営するかたわ ら、
四十歳にして大学検定試験 に合格 し、同志社大学 に入学 し、社会福祉の勉強を始めた。 しか し無理がた たって結核 に罷 り、工場は廃業、三年間の療養生活が続いた。その時弟の誠は大阪の親戚に預けられた のを覚 えている。父は片肺摘 出の大手術後、無事回復 した。回復後、私が中学三年になる時四国善通寺 市にある米国長老派 ミッシ ョンにより建て られた、善通寺キリス ト教学園に迎えられることとな り、一 家は四国に引越 した。そこは小使いさんか ら学長にいたるまで全員 クリスチ ャンで、定時にはチ ャイム がな り、構内にある改革派の教会で礼拝 を守 るとい うすぼらしい環境であった。その大学は現在四年制 の四国学院 となっている。高校 は善通寺第一高等学校 に入った。四国学院内の 日本キリス ト教団系の先 生で善通寺赤門伝道所が民家 を借 りて作 られ、私はここで最初 に受洗 した一人 となった。洗礼 をきずけ て下 さったのはバークスディール宣教師である。先生は後に国際キリス ト教大学教授 として移 っていか れた。前述の赤門伝道所 は現在の 日本キリス ト教団善通寺教会である。高校時代 は生物部、音楽部 とク ラブ活動 に積極的に参加 し、充実 した学園生活 を送ることがで きた。
また当時、四国教区香川分 区の KKS ( 教会高校青年)の会長 として年三回の修養会やキャンプを企 画 し、その修養会において信仰の基礎 を学ぶことがで きた。高校≡年生の時に兵庫県三田の千刈 キャン プ場で開かれた全国 KKS キャンプのことは今 も忘れることがで きない。終了後会があま りにも盛 り上 が り、ボランティアの大学生がふざけて川に飛び込み溺れて死んだが、死 をまのあた りにして、生 を深
く考えさせ られる機会 となった。
大学進学は生物学が好 きだったので、理学部か医学部か獣医学部に進みたかった。当時の私の浅はか な考えで理学部は実用的でない し、医学部はお金がかかるし、獣医が適当と考えそこに進むこととした。
ところで私達の家は家畜 を飼っているわけで もな く、親戚など関係者 に誰 も獣医の人はいないので、父 は私立大学の関係の集会で知 り合 った酪農学園の牛島先生 ( 後の学長)に手紙 を書 き、 どの大学 をめざ せば良いのか適当な大学 を紹介 していただいた。その返事 によると、まず北海道大学、次に岐阜大学、
そこも落ちたら自分のいる酪農学園 ( 当時はまだ獣医学科はなかった)へい らっ しゃい ということであっ
36 舘坂橋教会八十周年記念誌 希望が丘か ら , 2 5 ‑2 9 . ( 1 9 9 5 )
主がお入 りようなのです
た。残念なが らエルムハカナシ ( 北大は落ちたいう電報の略号)で、岐阜大学 に進学 した。
大学では寮生活、馬術部、アルバイ トと非常 に多忙であったが、唯一の教団の教会である華陽教会に 出席 し 、C S教師を始めた。実は華陽教会 には C Sがなかった。昔はあったのだが、教師がいな くな り、
中断 していたのである。そこへ私が飛び込んで きたので、神原正美牧師は私 と幼稚園の女の教師の二人 で C Sを再会 して くれるようにとたのまれた。今 まで このかた十八年間 、C Sの生徒 としてす ごして き たので私 な りに、大学生になったら C S教師 としてこんな風 にや りたい というものがあった。両親 と相 談後 、C S教師を引 き受けることとし、六月の花の 日、子供の 日を C S再会の 日とした。
小学校の前でチラシを配った り、卒園生 にハガキを出 した りして、二、三〇名集 まったであろうか、
ところが C Sを始めて、一カ月 もたたない内に、神原牧師が結核 の再発で入院することとなった。そこ で青二才の私 と幼稚 園の先生の二人で C S全てをや らなければならな くなった。一生懸命、夏期学校、
収穫感謝祭、クリスマス等色 々企画 してやった。判 らないことや困ったことは、お見舞 をかねて療養所 をたずね、神原牧師か ら御指導 をいただいた。 また全国規模の C S教師研修会 にも毎年参加 させていた だいた。その間にはずいぶん牧師の家族や教会員の方々とぶつかった りもした。
大学 を卒業 して岐阜 を去 る時、教会学校 の継続 と教 師の継続がいかに大切であるか強 く知 らされ、
「自分 も C S教師を続けるか ら、華陽教会の C Sも続けて下 さい」 と挨拶 したように思 う。これがその後 三二年間現在 も C S教師を続けている原点 となった。余談ではあるが神原牧師は現在 もなお同 じ結核療 養所で闘病生活 を続けてお られる。神原牧師が引退 された後、赴任 してこられた牧師が癌で天に召 され たことを考えると不思議な思いである。
昭和四二年四月 ようや く夢がかなって北海道大学大学院へ入学することがで きた。獣医学の世界では 東大系 と北大系の二大学閥がある。私の専攻 した病理学教室は、人工癌 を世界で始めて作 りノーベル賞 候補 ともなった山極三郎 ( 東大医学部)、市川厚‑ ( 獣医) という二人の学者がいるがその市川先生が 初代教授で、多数の有名な先生 を輩出 した名門の教室であった。修士課程の二年間は、クラブもアルバ イ トもや らず、只ひたす ら研究に没頭 した生活であった。但 し日曜 日だけは教会 に行 き 、C S教師をさ せてもらった。
当時大学紛争が盛んで、北大 も例外ではなかった。学生 どうLで も派閥に分かれ、熱心 に論議するう ちは良かったが、遂には憎み合 うようにす らなって きた。その時救われたのが、教会の礼拝説教であっ た。「 蛇のように賢 く、鳩のように素直にな りなさい ( マタイ 一 〇章一六節 ) 」 この御言葉のおかげで ど の派閥に引ず り込まれることもな く、 自分の生 き方 を主張することがで きた。研究室の中で も色 々なこ とを言われ、つ らい事の連続であった。 しか し日曜 日に教会 に行 くとそのことを忘れることがで きた。
教会 は札幌教会 に行 き、金井輝夫牧師が個人的に色 々な相談にのって下 さった。修士課程 を修了 し、
博士課程 に進学 した。昭和四四年、丁度助手の席が空 き、私はその教室の助手 となった。
私は昭和四十六年十一月二八 日に、信子 と結婚 した。彼女は北海道江部乙のリンゴ農家の長女で、工 業高校 を卒業 し、化学 を専攻 したため、北大の結核研究所の技官 として勤めていた。彼女は本田弘慈牧
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主がお入 りようなのです
師の特別伝道集会でキリス ト教 を知 り麻生教会 ( 札幌教会の伝道計画の一環 として創 られた兄弟の教会) で洗礼 を受けていた。クリスチ ャンになってか ら思 うところあって、夜間学校 に通い保母の資格 を得た。
その後北大の研究所 を退職 して、精薄施設の保母 となった。私は北海教区の青年会修養会で彼女 と知 り 合いになっていたが、その転職 を知 り彼女に強 く引かれるところとなった。一年間のおつ き合いの後、
札幌教会で結婚式 をあげた。青年会の皆が手作 りでパーティーをして くれた。
昭和四十七年十一月二 日、長男正幸が生れた。その時急 に世の中が明る くなったような感動 を覚えた。
正直者が幸 となる夢 を託 して命名 した。昭和五〇年九月二 日長女のぞみが与えられた。正幸が幼稚園に 入園を考える頃、札幌教会では付属幼稚 園の廃園問題がお きていた。私は C Sの校長 と役員 をやってい たが、まだ幼稚園の使命 は終わっていないと考えたことか ら、幼稚園継続 を主張する側 に立った。何 回 にもわたる激 しい論議の末、廃園が決定 した。役貞 クラスの信徒 は二分 し、十数人が教会 を去った。私 もその内の一人で、正幸が真駒内教会 ( この教会 も札幌教会の兄弟教会)の付属幼稚園に行 っていたの で、住居 も其駒内に引越 し、一家は教会籍 は札幌教会に残 したまま、其駒内教会 に出席 した。其駒内は 札幌オリンピックの開かれた所で非常 に美 しい街並で公園 も整備 され 自然 にあふれていた。教会の牧野 富士男牧師夫妻は私達を暖か く迎えて下 さり、 大変お世話になった。二男の牧男は先生の名前の頭 とシツ ポをいただいたものである。
昭和五十三年十一月一 日、岩手大学農学部助教授 として赴任 して きた。岩手大学は北大 と比べて第一 線の現場 とのつなが りが強 く、色 々現在問題 になっている家畜の病気 を目のあた りにすることがで きた。
昭和五十四年四月、北大で行っていた鶏のマ レック病の研究が認め られて獣医学会賞 をいただいた。昭 和六十一年文部省科学研究費をいただいて電子顕微鏡 を購入することがで きた。私の授業は判 りやすい
と、評判が良い らしいが、実は C S教師を続けたことで身についたものである。
昭和六十三年、長年の夢であったアメリカ留学が実現 した。北大時代か ら何度 も話がでてきたが、そ の度 ごとに立消 えとなった ものである。いやがる家族 を説得 して、全員で行 くこととした。アメリカ北 西部ワシン トン州ブルマ ンにあるワシン トン州立大学の客員助教授 として迎えられた。牧男はフランク リン小学校、のぞみはリンカーン中学校、正幸はブルマ ン高等学校 とアメリカの子供が小学校か ら大学 まで どのようにして成長するか教育システムの全てを知ることがで きた。一年間の留学で三倍の体験 を することがで きたわけである。
ブルマ ンは人口二万数千人の大学だけの町である。周囲には広大な麦畑がはて しな く連 らな り、その
他何 にもない。教会はアジアの人達に開かれたエバ ンジェリカルフリーチ ャーチに出席 した。そこでは
礼拝の後、英会話 も教 えて くれて、その中で生活情報 も教 えて くれた。 もしこの教会の交 りがなかった
ら、 どんなにつ まらない もの となったであろうか。アメリカは自動車がなければ生 きていけない。 自動
車は一台 しかないので、買物その他、何 をするにも一緒 に行動 しなければならない。そのため家族が何
を考え、 どんなものを買 うのか、 日本にいるよりも良 く判った。 また家族でカルフォルニアやカナダに
旅行 した。あのような旅行はこれか ら二度 とで きないであろう。私の英語はさっぱ りうまくならなかっ
38 舘坂橋教会八十周年記念誌 希望が丘か ら , 2 5 ‑2 9 . ( 1 9 9 5 )
主がお入 りようなのです
たが、子供達は自分の ものにすることがで きた。研究面では相手の研究室のことを全 く知 らないで行っ たのであるが、世界で も指折 りの研究室で、帰国後私の研究が大いに飛躍することとなった。
平成四年九月 より教授 に昇格 した。い きな り学科委員 といって学科の代表者 とな り、種々の会議の招 集や、学生の就職の世話、各種の挨拶 をさせ られることとなった。人前での話は C Sで慣れていたので、
そんなに苦労はなかったが、一番困ったのは動物慰霊であった。元来 この慰霊祭は実験用に殺 した動物 のたた りを恐れて行 うもので、晋・ は利噛' を呼んで行 っていた 。 靖国闘争 もあって、国立の大学が特定の 宗教 を取 り入れるのは良 くない とい うことで、二十年程前か ら教授が祝詞 をあげることになっていた。
遂にその昔が 自分に回って きたのである
。このような場合、キリス ト教ではどのように考えたら良いのであろう、旧約型番では動物 をいけにえ としてささげている。 しか しむやみやたらに動物 を殺 して良いはずがない。動物に 「あなたの命をむだ にしません、あなたの命 を人類福祉のために役立てます、あなたの身体 を使って しっか り勉強 させてい ただ きます」 とい う感謝 と決意の祈 りをささげた。 これに参集 した多 くの学生、教官に大 きな感動 を与 えたようであった。
現在、 長男正率 は大学四年生、 長女のぞみは大学二年生、次男敏男は高校二年生で、全員家を離れ、 藤沢、
京都、イギ リス とばらばらに暮 らしている。子供達 も、私が高校、大学生であった頃 と同様に将来の進 路で悩んでいるらしい。三人共 まだ洗礼 を受けてないが、一 日も早 く決心する日が来るよう望んでいる
。大学や学会で も色 々な賓任が増 し、超多忙の毎 日である。 しか し 「 忙 しい」 と、あまり言い訳 をしない ことに している。忙 しい とは心が亡びると普 くか らである。大学の教室の薯任 を負わされて、色々将来 の研究や教育に不安や迷いがある。 しか し 「自分のことで思い悩むな、空の鳥 を見 よ」 とあるように主 におまかせ して、主のお入用に応 える日々を送ってい きたい。
l 上田の 躍 l 元来上円キャンパスの農学部畜舎の上にあったが、永らく
滝 沢農機に移設 されていた. 平成1 9
年( 200
7)現在の国賓館前に設置館坂橋教会八十) 那 F ・ 記念誌 希望が丘か ら , 2 5 ‑2 9 . ( 1 9 9 5 ) 39
L / ・ 5 7‑ l l
岩手大学獣 医学科の標本室収蔵 目線作成
岡田 幸助
Ko s uk e
0/IADA岩
手大学戯学部家畜病理学教室 (千0 2 0
盛 岡市上E E 1 3 … 1 8 ‑ 8 )
音はマレック病,撤近は牛白血病の免疫の研究をやっていますO平 成
4
年から家商病理学講座を担当し,御領政信助教授とコンビを組ん でいますO岩手県鶏病研究会で鶏病‑般にも興味を示しています.目録をご
希
望の方はご連絡いただければ送付いたします。見学歓 迎。. t l I I L u・ J I l l L
I)/I L ・ / t ・ ) . i J t ' L r . l l . I l ′ ( I ( / i ( ・ I L / t ( 7
I ̀ L .
・:TH・/い.日,∫卜J::.Jp̲.∫.lr.1,....い 日 録40 獣医畜 産新 報 JVM 4 8 , 5 67‑5 6 9 . ( 1 9 9 5)
最近 は写真技術 や映像技術 が発達 し,標本 を非常 に鮮明 に記録 してお くことがで きるO しか し学術 的資料 として実 物 が その まま保存展示 されてい るの に勝 る もの はない。岩 手 大 学標 本 室 の 中 に どれ ほ どの標本 が保 存 され て い るの か, かつて大
島寛
一前教授 によ り標本室台帳 の作成 が着手 され,5 1 2
点 が既 に整 理 されていたが,多 くは未整 理の まま 残 され,正確 な数字 は不明で あったo標本宴会祭 昭和
3 8
年落成馬の年齢鑑別用歯牙標本 当歳か ら
2 1
歳 までそろっている岩手大学獣医学科の標本室収蔵目録作成
馬の
骨格棟本 アンジェ一号 (手前)とドブシ一号寄生虫機本
獣 医
畜
産新報 J VM
48, 5 6 7 ‑5 6 9 , ( 1 9 9 5 ) 41
岩手大学獣医学科の標本室収蔵目録作成
この度,文部省 か らの特別の予算 をいただ き,本 目録 を 作成す ることとなった。度重 なる標本室の引越や,毎年の ホルマ リン交換 に際 して,破損 した もの も洩 らかあ り,今 回改めて全標本 の調査 してみることとした。学生諸君の応 援 を得て,全標本のカー ドを作成 し,整理 した ものが この 目録である。結果的に標本 は全体で約 2, 0 0 0 点 あ り ,3 0%
が整理済み,残 りの 7 0 % が未整理であった ことになる。標 本瓶のラベルに記載のない もの も多 く,字が読 めな くなっ ているもの もあった。 また学問の進展 によ り,病名 の呼び 方や,寄生虫の名前が変わった もの もあるが,標本が採取 されたその時代 の考 え方 を大切 に して, この 目録ではあえ て修正 は しなか った。今後,この 目録 をたた き台 として,研 究調査 し, さらに完全 な もの としていきたい。
当標本室の標本 には世界的見地 において稀有かつ貴重 な もの,国内的 に稀有かつ貴重 な もの,歴史的に貴重 な もの な どが多数 あった。今 回の調査 を通 じて,盛 岡高等農林,後 の岩手大学の諸先生方がいかに研究 と教育 に情熱 を傾 けて お られたかが よ く分かった。 また標本の収集 に全国各地か らの多 くの協力者,即 ち標本寄贈者がお られた ことも知 っ た。 これ らは重要な文化遺産 であ り,全人類の共通財産 で ある。 データベース化等 を行 い,将来 とも教育研究 その他 に,永 くその活用 を計 らなければな らない。
沿 革
明治 3 5 年 3 月盛 岡高等農林学校が設置 され, 獣医学教育 が開始 された。家畜病理学教室の初代教授である可児岩吉 先生 はその当時か ら標本収集 に努 め られた と思われ る。関 学 9 年前の馬 の皮様嚢腫 と黒肉腫の標本が最古の ものであ る。 その後今 日まで 1 0 0 年間の長年 にわたって獣医学の教 育用 ・研究用の標本が収集整理 され,保管 された ことはま ことに驚異 に値す る。その数,約 2, 0 0 0 点,午,局,豚,鶴 な ど産業動物全般 にわた り,犬,猫 な どの伴侶動物 も当初 か ら含 まれている。標本 はそれぞれの動物 の重要疾病 をほ
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とん ど網羅す ると共 に,各時代 を反映 し,現在 のわが国で はほ とん どみ られな くなった馬の伝染性貧血,鼻症 な ど貴 重 な歴史的標本 も存在す る。
明治 4 4 年 に着任 された菊池賢次郎教授 は特 に病理学, 寄 生虫学 に興味 を持たれ,数多 くの費重 な標本 を収集整備 さ れた. その種類 は現在で もなお 日本一である。
昭和 2 8 年度 よ り, 特 に本学のために文部省か ら標本維持 費が配当 され,以来標本瓶 の整備,固定保存液 の更新,釈 標本の作製補充 な どその維持整備 に努 めて きた。標本採取 には菊池賢次郎,三浦定夫,大島寛一の歴代教授が当た ら れた ことは勿論 であるが,展示標本 を作製 した田中,沼宮 内両氏 お よび専攻学生 の陰の力 は忘れ ることがで きない。
当初, この ように貴重 な標本が旧木造校舎 の一室 に保管 されていたが,火災の不安 を抱 えるため,昭和 2 9 年当時唯 一の鉄筋 コンク リー ト建造物 であった教養部理科棟 に保管 された。昭和 3 8 年,現在 の標本室が建設 され,その後暖房 器の設置,床 の張 り替 えな ど数回の補修 を経て現在 に至 っ ている。
収蔵 点 数
循環器系 1 6 7 運動器系 1 0 7 造血器系 5 8 内分泌系 5 呼吸器系 1 4 7 皮 膚 6 3 溶化器系 4 0 6 奇 形 8 9 神経系 7 5 寄生虫 3 3 1 泌尿器系 1 4 2 その他 2 8 9
標本室 は現在既 に過密状態 にあ り,最近の標本 を追加展 示す る余地がない。 また さらに標本の学問的価値 を高める ために標本 の研究調査 をす る専門の教職員 も必要であ る。
標本室の整備拡充 と人員 の増加 にご理解 を切望す るもので ある。
末筆ながらこの作業を喜んで協力 して くれた学生諸君,寄生
虫学名に関するご校閲をいただいた坂本 司教授に感謝する。
第一回目の学位受領者を送 り出 して
今年 3 月に無事、千葉達成君 と村上賢二君 の学位論 文が完成 し、学位 を授与す ることが出来 た。全てがは じめてで、どのよ うに した ら良 いか分か らず、大変忙 しか ったが、夢中でや って きたので、非常に感慨深い ものがある
O両名 は元来、大島寛一教授 の指導 の元に 入学 して きたのであるが、先生の退官を間近に控 えて いることか ら、大島先生のご配慮 により、研究課題の 設定、実験計画の作成を入学当初か ら小生に任せて く ださった。従 って博士過程途中での主指導教官の変更
とい う事態に もスムーズに対処す ることが出来て幸 い であ った。大島先生 には当研究科の設立 に大変尽力を 尽 くしていただいたが、その果実を味あ うことな く退 官 されて しまい、後輩の我 々がその最 も美味 しいとこ
ろを味あ うのは誠 に申 し訳 な く、大島先生のみな らず 既 に退官 された先輩の諸先生に心か ら感謝 していると
ころである。
千糞達成君 は仙台市で小動物の病院を開業 している 獣医師である。盛岡 と仙台 は新幹線で片道約 1 時間、
往復で切符代が約 1 万 1 千円 もかかるo教室には後輩 の学生 がおみやげを待 っているので、そのお菓子代 も 馬鹿 にな らなか ったと思 うが、彼の病院の休診 日の木 曜 日にはせ っせ と通 って来て くれたo彼の学位が完成 したの も、彼 自身の努力 はもちろんであるが、彼 の奥 様 の内助の功 もおおいにあってのことと思 う。彼のテー マは牛 の白血病であったが、 このテーマは彼の修士論 文の時か らの継続課題 とはいえ、日常 は小動物を診療 し、学位論文では大動物を扱わねばならず対象動物が 異な った。それぞれ頭の切 り替えが必要で、また自分 の病院 の経営 と学問研究 との問で大変な葛藤 と苦労が あ った ことと推察す る。彼の研究内容 は無事、外国の 専門誌 Le uke m l a に掲載 され ることとな り、 めで た く 学位記 を手 にす ることが出来 た。
村上賢二君 はある企業 の研究所 に勤務 していたが、
主指 導教官 対象 修了生
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