寒い ぐらいであった.弱 くしようとして も調節 が きかない. しかたな く風邪 を引かない よう, 寝 る場所 を風の当た らない ところに移動 した.
街 で見 たもの
イン ドの人口は9億4千万人で中国に次いで 世界で2番 目に多い.何処 に行 って も雑踏で, クラクシ ョンをけたたましく鳴 らし,イン ド独 特の臭いのす る喧騒の世界であった.美 しくサ リーをまとった女性や,精惇 な男性 の他 に,翠 人のように見 える督官,物 ごいの人や身体 に障 害 を持 った人でごったがえ していた.信号待 ち で停車 した り,道路 に立 っていると,お金 をね だる大 人や子供 が次か ら次へ と寄 って くる.
「靴磨 きをさせ ろ」 とい う子供は大変 しつこかっ た.物 ごいの人に小額を渡すと,満足せず 「もっ とくれ」 と催促する.いつ まで も何処 まで もつ きまとって きて,騨易 とした.年配の女性が1 歳か2歳の子供 を抱いて,この子 に食べ させ る ためにお金 を くれ という.中には自分の子供で はな く,他人の子 をレンタル して もらって抱い ていることもあるそ うだ. もっと恐 ろ しい話 を 聞いた.イン ドでは乞食に生 まれた子供 は,‑
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生乞食で決 して上の身分 にはなれない.そこで その子供 にとって実入 りのいい ように,子供の 腕や脚 を切 り落 とす こともあるとい う.ルジア ナか らの帰路は まだ夜 も明けない早朝であった が,橋の上の石畳に毛布に包 まって寝ているホー ム レスの人々を多数見て,寒い ときはどうする のだろうと心配 になった.
さてインドの トイレには一般に トイレットペー パ ーが置いていない.便器の横 に蛇口があ り, 指 を使 って尻 を洗浄するようである.勿論一流 ホテルの トイ レには紙があった.
パ ンジャブ農業大学 と国際獣医免疫学会 に ついて
イン ドで
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校 ある農業大学の中でパ ンジャブ 農業大学 (写寅 1)は一番大 きな大学である.イン ドの農業大学の うち
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校に獣医学科がある.パ ンジャブ農業大学 は獣医学部,畜産学部 と農 学部か らな りそ こに53の講座があ り,300人の 教職員が教育 に当たっている.学生数は学部生 800人,大学院生371人である.獣医学教育の歴 史は古 く,1882年に現在のパキスタンにパ ンジャ ブ獣医学校が創設 され,1942年 に他の学部 と合 併 してパ ンジ ャブ大学 となったそ うであ る.
1947年のイン ド独立後,1962年に現在のパ ンジャ ブ農米大学 に整備 された.獣医学部には現在18 の講座がある.講座名の中には倫理 ・法学講座 もあった.構内は清掃が行 き届いて清潔であっ た.不思議なことにゴミ箱があま りな く, ゴミ
写衷 1,パンジャブ農業大学正門
イン ドで感 じた こと
写真2.国際獣医免疫学会開会式 左 か ら3番 目が州 知事
の始末に苦労 した.学会の開会式 にはパ ンジャ ブ州の知事が来て挨拶 を した (写真2).銃 を 持 った多数の懲官による懲護の中,参加者全員 起立 して出迎 え,おびただ しいマスコミが取材 に来ていた.知事 と言 って も日本の知事 とは比 べ物 にならない権力 を持 ち,一国の総理大臣に も相当す る.従 って,イン ドはアメリカと同様 な連邦国家 と見たほうが よいか もしれない.
学会には世界20カ国か ら200人以上が集 まり, イン ドの人を合 わせると400人程度の出席であっ た.各種のシンポジウム,ポスター展示があ り, 特 にサ イ トカインの研究の発展 に 目覚 ましい も のがあった.ポス ター展示の中か ら座長により 数題が選ばれ, ワークシ ョップとして口頭で発 表 を して,皆 と論議 した. 日本人 も殆 どのワー クシ ョップで発表 を して, 日本の レベルが決 し て欧米か ら遅れていないことを証明 した. 日本 人の皆が堂々 と英語で討論 を して,誇 らしかっ た.ちなみに私 も口頭で発表 させ らjtたが,こ れは私のセ ッシ ョンの演題が少 なかったか らで ある.学会 に限ったことではな く,今 回のイン ド旅行全体 に感 じたことであるが,イン ドでは 非常 に時間にルーズで,我々せ っかちな日本人 にとっては耐 えがたいことであった.
食 事
飛行機,列車, レス トランで まず尋ね られる のが,菜食主義か,非菜食主義か とい うことで
ある.こjtは宗教上 とい うよりも,菜食主義者 の方がステータスが上の ようで,菜食主義の人 はえばっていた.ホテルの朝食は トース トと卵 とコーヒーで,特 に日本や欧米 と変 わ りがない が,昼食 と夕食はいつ もイン ド料理であった.
主食はチ ャパティーやナ ンで,前者 はイース ト の入 らない煎餅の様 な もの,後者 はパ ンの一種
と思えばいい.御飯 もあ り,味の付 いたカレー チ ャーハ ンとで も言 えばいいだろうか.副食は 羊肉や鶏肉を様 々な香辛料で料理 された もので あった.いわばカ レーのルーに相当する.私は 日本で もあま りカ レーライスは好 まないので, 連 日カレーばか りではやや食傷気味であった.
イン ドでは宗教上の理由か ら牛や豚の肉は食べ ることが出来ない.後で訪問 したム ンバ イ駐在 の 日本人N氏 は豚 肉 と牛肉が食べ らjlないのは 本当に辛い と言っていた.魚 もあまりな く,シー フー ドは一般 に高価であった.
飲料水 としては衛生状態が悪いので ミネラル ウオーター しか飲 めない.水が無料 の 日本は本 当にあ りがたい ものである.チ ャーイー とい う ミルクと砂糖 のたっぷ り入 った紅茶が乾燥 した 気候風土に合 って非常 におい しい. コーヒーは ホテルで さえインス タン トコー ヒーで, レス ト ランで注文するとお湯 と粉が運ばれて きた.
パ ンジャブ州は禁酒の国で,ホテ)i,で もビー ルは置いていない.外 国人が飲 むのは構 わない ので,ホテルの客室係 りボーイが買ってきましょ うか とい うので,い くらか と聞いた ところ
,8 0
ル ピー (240円) とい うことであ った.後 日ホ テルの前の酒屋 さんで値段 をみてみるとなんと 40)レビーで,ボーイに倍 とられたことになる.
イン ド人は一般 に したたかで,スキ さえあれば お金 を高 く吹っ掛けて くる.ホテルのカウンター で も同様の ことがあ り,私の前の人が高 くとら れたようで,支配人に文句 を言い,ずいぶん ト ラブっていた.おかげで私のチェックアウ トの
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イ ン ドで感 じた こと
精算 に1時間 もかかって しまった.
シーク教 と黄金寺院
パ ンジャブ州はシーク教徒 の多い街で,皆 き ちんとターバ ンをしている.シーク教はヒンズー 教か ら派生 した宗教であるが,イス ラム教の影 響 を受け,今 日, 日本で も有名 になったグルが 開祖 した宗教である.神 は一人で偶像を排する.
カース ト別 を廃 し,人類骨平等 とい うことで, 万人にシーク教の門戸が開かれている.従って, その総本 山であ るアム リッ トサ ルの黄金寺 院 (写真3)に,我 々異教徒 も入 ることが出来た.
シーク教徒 はイスラム教徒 に襲われるのを防 ぐ ために,一生髪 を切 らず銀の腕輪 を して,パ ン ツをは き,帯刀 し,櫛を持つのが淀 という.ター バ ンはシーク教徒の必須ではないが,髪 をまと めるためにするのだ とい う.見習いの若い人は 頭の前の方でマゲを作 っていた (写真4).
写真3,シーク教の総本山 黄金寺院
写真4.沫浴するシーク教徒
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寺院には素足 で入 り足 を洗 う, また頭 には被 り物 を しなければな らない.被 り物はハ ンカチ で も良 く,私は帽子 を被 っていたので,それ も
OK
であった.但 し,裸足であればいい とい う のではな く,不浄な ものを寺院に持 ち込んでは ならない淀 になっていた.実はそれを知 らず, 入 り口が混雑 していたので靴 を預 けないで鞄 に 入れていたが,槍 を持 った強そ うな門番 に見つ け られて しまい,教初か らや り直 しになった.すなわち下足預か り所 に靴 を預 け,足 を洗 って 境内に入 るのである.境 内では中央の神殿の中 で歌 っている聖歌がス ピーカーを通 して流れ, 冷たい大理石の床の感触 も心地よく,信者にとっ ては天国にいるような気持 ちになるのが納得で
きた.
黄金寺院の参道のす ぐ横 に,ガンジーのイン ド独立運動の きっかけとなったジヤリアンワ‑
ラー庭 園があった.そこには大 きな井戸があ り, 1919年4月13日,罪 もない無抵抗 の人民が イギ
リスのダイア‑将軍に虐殺 された所で人民はそ の井戸 に飛び込 んで死 んだ とい う.その数,死
写轟 5,虐殺事件 の慰霊碑
イン ドで感 じた こと
亡1,000人,負傷2,000人 とい う.そ こには高 さ 20mもある,巨大な弾丸型のれんが造 りの慰霊 碑が建 っていた (写真5).前 日,学会 のエ ク スカーシ ョンです ぐそばまで行 っていったのに 我々を連れていって くれなかったのは,我 々一 行 に含 まれるイギ リスの先生方 に遠慮 したので はないか と思った.
ヒンズー教 と拝火教
イン ド人の8割はヒンズー教徒 だ とい う. ヒ ンズーはIndiaの語源 であ り, い わばイ ン ド数 である.い くつかの ヒンズー教寺院を訪れたが,
4本の手 を持つシバ軋 音い顔 をした神様 (ヴイ シェヌ神 )や,像の鼻 を した神様 (ガネ‑シャ 神 )な ど極彩色 の像が多数 まつ られ,それ らの 絵画が飾 られていた.そこに描かれている物語 が理解で きれば もっとお もしろいだろうと思 っ た. ヒンズー教 は一見多神教 に見 えるがそ うで はな く,一つの至高の存在への信仰で・一つの神 の多面性 だとい う.「い くつ もの川が,流 れ こ そ違って もやがて一つの大海に注 ぐように,全 ての宗教が 目指す ゴールは一つだ」 とい う立場 をとっている.信者 は参道で買った花 を盆 にの せてそれ らの像 にささげ,僧か ら祝福 を受けて いた.またム ンバ イのエ レファンタ島 とカンヘ リーにある2, 3の石窟 も訪れた (写真6). 1,500年以前の人が,岩 を削 り立派な僧院を作っ
写真 6.カンヘリ‑石窟で会 った子供達
ているのには驚いた.壁面 には見事 な女神や動 物の像が刻 まれていた.中央 にはお まん じゅう の ように見えるが,実は巨大 な男根が本尊 「リ ンガム」 として祭 られていた.
ヒンズー教徒 は牛 を神様の催い と思 っている ので殺す ことが出来ない.従 って街 のいたると ころで牛 を見かけた (写真7, 8).街 の 中に はそんなに草 もないので牛 はゴミをあさってい たが,だれが餌 をやるのだろうか.病気 になっ た らどうするのか,心配になった. イン ド人に 聞いてみた ところ,ボランティアが餌 をやって いるのだそ うだ. もう一つ心配があった.それ は獣医大学でいかに して牛の解剖 を教 えている のか.血液にいるタイ レリア原虫な どの研究は
写真 7.白いコブ牛
写真8.牛 車
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