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』の 「言語芸術理論 」

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『 Der St urm 』の 「 言語芸術理論 」

字 京 早 苗

項 目

Ⅰ . は し が き‑ 『Der St urm 』 誌 と 「言 語 芸 術 理 論 」

Ⅰ Ⅰ. 「言 語 芸 術 理 論 」の 内 容 と展 開 1 .Herwart h Wal den の 理 論 2 .Lot har Sー Chreyer の 理 論 3 . Rudol fBl i i mner の 理 論 4 .Kurt Schwi t t ers の 理 論 5 .Ot t o Nebel の 理 論

Ⅰ Ⅰ Ⅰ. 「言 語 芸 術 理 論 」の 成 立 的 背 景 1 .Arno Hol z の 理 論

2. イ タ リア 未 来 派 の 文 学 理 論

Ⅵ . む す び、

Ⅰ.は しが き‑ 『 DerSt ur m』 誌 と 「言 語 芸 術 理 論 」

『 Di eAki 。 n 』 誌 と並 んで ドイツ表現主義運動 を代 表す る 『 De r Sbm 』誌 は、

新 しい芸術 を 目指 していた He r wa 血 Wa l d e n を中心 とす る前衛 的な詩 人たちの 集 ま りか ら生 まれ た。 その誌名が 、 「嵐 はあ らゆ る もの を根剥 ぎに破壊す るが 、

それ と共 に、聖 な る精神 として世 界 を吹 き渡 るl J ) ・と説明 されているよ うに、そ れ は従 来の因襲 ・ ・形骸 化 した伝 統 を打破 し、新 しい芸術 を生 み 出す こ とを自ら の使命 としていた。

この雑 誌 は 1 9 1 0 年 か ら 1 9 3 2 年 まで と、か な り長 く刊行 され た。無論 、その間 には同人たちの移動 もあ り、その内答 も多様 に変化 した。 まず最初 、それは主 として当時の前衛 的な造形 美術 の宣伝 に努 め た。 Os k a r Ko k o s c h k a の絵が載せ られ た り、 「 Di eBr u c k e」 の画家 たちの作 品が発表 されて、 Wa ld e n の周 囲には 多 くの野心 的な画家が集 まって来 た。 そ して、更 に 1 9 1 2 年. には こ の 事 務 所 で

「 shm 一 展」が 開 催 され 、 「 De rb l a u eRe i t e r」 の画 家 た ち も招かれたo ま た、その翌年 には国際美術展 「第一 回 ドイツ秋季展」 も開か れ、 『 De rSt u r m 』

15‑

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の美術面 での活動 は頂点に達 した。

丁度此 の頃、あの衝撃 的な 『未来派宣 言』が 『 De rSt u rm 』 誌 に訳 出 され大 きな反響 を呼 んだ。 これ を契機 に 『 De rS h r m』 は文学面 での活動 も再 開す る。

そ して、 1 91 4 年 には Au g u s tSt r a m m の詩や戯曲が掲載 され るのである。か って この雑誌 の中心 的誌人であ った Ka r lKr a us ,A. Ⅰ おb l i n , 氏.De l m e l そして Wa l d e n と離婚 した EI s eLa s k a r=Sc h u l e r らが去 り、 代 わって St r a mm が 熱 狂 的に迎 え入れ・ られた こ とで、この雑誌 は新 しい様相 を得 ることになる。つ まり、 S t r a mm の登場 と共 に 『 De rS h m 』 誌 は 「 言語芸術理論」 を唱 える抽象主義的な詩 人 たちに主導権が握 られ る。 この雑 誌 に及ぼ した S t r a mm の影響 は大 き く、彼は

l

これに登場 して後 わずか一年余 りで戟死 したのであ るが 、彼 の 詩 は そ の 後 も

『 De rS t u rm』 誌 に掲載 された。

そ して、第一次大戦が始 まる と同時に、 『 De rSt t m 』 の同人たちは 「 言語 芸術理論」 を発表 し、その確 立に没頭す る。 しか し、その戟争 に よ りこの雑誌 は紙不 足 と資金不 足 とか ら月刊 に切 り替 え られ、その上 St r a mm を初め同人 に 戟死す る者 も出てか な りの打撃 を受 けた。 こ うした困難 な状況下 にあ りなが ら

も、 『 De rShⅣm』 誌 は L Sc h r e y e r に編集 を引 き継がれ、細々 と前衛芸術 の 推進活動 を続けて行 った。 しか し、やがて同人の間に W. Gr o p i u sの「 バウ‑ウス」

運動 に傾倒 す る者が増 え、 Sc h r e y e r も 1 9 2 8 年 に は編集長 を辞 した。 その後 、

『 De rSt u rm』 誌 は編集長 の交替 を繰 り返 しつつ 1 9 3 2 年 まで刊行 されは した も のの、内容 的に以前の よ うな活気 は見 られず 、一応 1 9 2 8 年 で この雑誌の芸術 的 使命 は終 った と言 える。

以上 の 『 De rS仙m 」 】 の歩みか らも明 らか であるが 、 「言語芸術理論」は新 しい芸術 を熱狂的に求め たこの グルー プが伝統 的芸術へ の反抗 として打 ち立 て た ものであ る。 そ して、 「言語芸術理論」 こそは、 『 De rS h r m』 が表現主義 の文学 に与 えるこ とので きた個 有の貢献 であ る。従 って、本稿 では、 この理論 の内容 と展 開 を把握 し、更 にその成立的背景 をも考察 してみ たい。

「 言語芸術」 を説 く論文 としては、 1 91 3 年か ら 1 9 25 年 までの 『 De rS血Ⅳm』

誌 に次の ものが掲載 された。

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1 9 1 3 年 He r wa 血 Wa l d e n:AmoHo l z

1 9 1 6 年 He r wa r t hWa l d e n:Ei n b l i c ki nd i eKu ns t 1 9 1 6 年 Lo 血a rSc h r e y e r:D as Dr a ma

1 9 1 8 年 He r wa r t hWa l d e n:D as Be g r i f f li c h ei nd e rDi c h t u n g 1 9 1 8 年 Lo t ha rSc h r e y e r:Ex p r e s s i o n i s t i s c h eDi c h t L u q !

1 9 1 9 年 Ku r tSc h w it t e r s:Se l b s t b e s t i mmu ng s r e c h td e rK血s t l e r 1 9 2 0 年 He r wa r t hWa ld e n:Kr it i kd e rv o r e 叩r e S S i o m iS t is c h e nDi c h t u mg 1 9 2 1 年 Ru d o l fBl 血n e r㌔ :Di ea b s o l u t eDi c h t u ng

1 9 2 1 年 Ru d o l fBl 血n e r:Di eDi c h t u nga l sWo r t l m s t 1 9 2 1 年 Ku r tLi e b ma m :Au g u s tSt r a mm

o1 9 2 2 年 Lo t ha r Sc h r e y e r:D as Wo r t

1 9 2 4 年 O t t oNe b e l:Vo r wo r t ez u r Di c h t u u gUNFEI G

1 9 2 4 年 O t t oNe b e l:Ge l e i t ‑ u nd f kg le i t ‑ Er s c h e i n u ng e nz u r a b s o l u t e n Di c h t u ng

1 9 2 5 年 Ru d o l fBl 血n e r:Au g u s tSt r a mm

これ らの論文 は、丸 印 を付 した も の を 除 い て す べ: . T Pa u l Pd r t n e r 編 :

『 Li t e r a t u r ̲ Re v o l u t io n 1 91 011 9 2 5 』 の第七章 「 Wo rt kL nS t 」 に収 め られてい る。

本稿 で もこれ を使用 した。

Ⅰ Ⅰ. 「言語芸術理論 」の 内容 と展 開 1. He r wa r t h Wa l d e n の理論

今 日、音楽 の こ とを 「 音 の芸術 」 ( T α血 ms t ) 、文学 の こ とを 「 詩作 の芸術」

( Di c h t k n s t) と言 ってい る。 しか し、 「 Di c h t k n s t 」 とい う名称 では殆 ど何 も ・ 明 らか にな らず 、適切 な名称 としては 「言語芸術 」 ( Wo r t k L nS t) であ る。

般 に、芸術 の創造 的行為 は全 く根源 的な ものであ り、無意識 な ものか ら生 まれ る。芸術 には法則 も思想 もない

言語芸術 は 「 芸術 的に論理 的 な形象」 とい う 一つ の補助手段 を必要 とす る。 この点 、音 とか色 の直接 の感情手段 をもつ音楽 や絵画 とは反対 であ る。 そ して、 この 「 ■ 芸術 的 な論理 」は思考 の論理 とは関係 が

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ない。言語芸術 の形象 は写実的なこ ともある。即 ち、それは視覚 的な経験世 界 か ら来 ているか もしれないが 、視覚 的経験世 界につ いての報告 に使 われ るので はな く、或 る感情の表現 ・その感情 に対す る芸術家の讐境である。讐境は決 して 直境 であってはな らない。従 って 「 僕 は秋の ように悲 しい」と言 うべ きではな く、

「 僕は秋だ」と言わねばな らぬ。詩 の形成 とは感情 をこれ以上 にはあ り得 ぬ程 明 確 に表現 し、その感情の表現 とな る必然性 をもった形象 を更 に リズム を考慮 し て完全 に「 芸術 的に論理 的」な関連 に もた らす こ とである。言語芸術 の表現主義 的 な形象 は経験世 界に関係 のない讐境 をもた らす。時には、経験世 界 を全 く無 視 した讐境の こ ともあ り得 る。 この方が よ り高度 の形式 であ る。 しか し、だか らと言 ってそれは経験世 界の形象 よ りも悪意的な ものではない。芸術 の法則は 正 に芸術的でなければな らず 、 自然的であってはな らない。実生活 の中では屡 々可能 な ものが不可能 にみ えるこ とがあ る。 しか し、芸術 では不可能 な こ とが 可能 になる。芸術 の源泉 であ り無意識 な ものであ る感情 は、 どんな稲妻の速 さ よ りも速 く、経験世 界の生 におけ る一 目惚 れ とい う最 も速 い感情 よ りももっ と 速 い。従 って、思考 では役立 たず 、感 じなければ間に合 わない。 例 として、

st r a m の詩 『 Tr a t i m』が挙 げられる.そこでは どの語 に もどの語の位 置に も芸 術 的必然性 があ る。 その詩行 は どれ も経験世 界の陳述 を表 わ さず 、正 に見 られ た ものが リズムの上 で合致 している。 その詩 は夢が形象 となって読 む者の眼前 に出現す る. それに比べ 、 He i n e の詩 ( L y r is c h el n t e r me z z o5 5)は夢 につ いて の陳述 にす ぎない。

言語芸術 としての文学 の材料 は語 であ り、文学 の形式は リズムである。芸術 は一つ一つの語 を新 たに獲得せ ねば な らない。すべ ての芸術 の可視性 は形式 で あ る。形式 とは内的生 の表現 としての幻視が外的に形象化 された ものである。

そ して、 どの幻視 も各々個 有独得 の形式 を有 している。芸術作 品の創作 とは、

幻視 の視覚化 であ る。 しか し、それは何 も幻視 につ いて了解 を求め るこ とでは ない。芸術 を理解す る とい うこ とは了解 ではな く感ず る とい うこ とであ る。芸 術 には理解 し難 い こ とは含 まれていて も、概 念的な ものは含 まれていない。 し か し、 Go e 血e にせ よ He i n e , Ge o r g e にせ よ彼 らの詩 は概念的な ものの助 け を借

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りて感覚 的な もの を非感覚 的に捉 えてい る。彼 らの詩 に比べ て 『De sKn 血 Wu nd e r hr n 』 の中の‑民謡 の方がは るか に芸術 的だ と言 える.その民謡 では幻 視 が可視 的にな ってい る。

真 の芸術 とは どんな前提 ももたぬ ものであ る。外的な ものにせ よ内的な もの にせ よ、ただ 目に見 える ものだけが可視 的であ る。従 って対象的文学 は感 じ取 られ るべ きものが事実 的論理 的な対象性 に よって可視 的に把握 で きる ものにな る時 、それは芸術作 品 となる。つ ま り、対象的文学 は間接 的であ り、非対象的 文学 は直接 的であ る。 しか し、 どち らの文学 も非論理 的であ る。芸術作 品 とし ての文学 は、感覚 経験又は事実経験 に由来す る論理 とは何 の関係 ももたない。

以上 の Wa ld e nの芸術理論 は、 S t r a m mの詩 において実践 されている. しか し、 Wa ld e n の場 合 文 学 の材料 としての語 、文学 の形式 としての 1 )ズムに関す る技術的説明は為 されていない.根本的にWa ld e n と同様 の芸 術観 を抱 き、更 に語 と リズム を技術 的に説明す るのは L.Sc h r e y e rであ る。

2. Lo t h a r Sc h r e ye rの理論

文法的で論理 的な語結合 は、精神 と自然の間 を仲介 し 日常語 を作 る。 しか し、 ● 言語芸術 の言葉 は 日常 的ではない。芸術作 品は精神 と自然の間 を仲介 しない し、

その関係 を知 らな い。文学 において言葉の関係形式は文法的関係が な くて も孤 立 した価値 であ り、その関係 の力は一定方向にではな く、あ らゆ る方向に作用 す る。一つの言葉 の作用 と他 の言葉 の作用 とは相互 に交叉 し、 またそれ らの言 葉 は決 して文法的関係 を与 えない。 それ らは互 いの中に流れ込 まず 、相互 に切 断 し合 う。有機 的であ る芸術作 品は精神 的世 界 を告知す る。

言語芸術作 品は 自然的現象 を完全性へ移す こ とを求め ない。 それは調和 ある ものではな く、現在の他 の どの芸術作 品 とも同様 に リズ ミカルであ る。 自由な 言葉 のみが精神 を作 り、言語芸術作 品 を作 る。 リズムの非拘束性 のみが精神 的 体 験 を告知す る。現代 の唯一 の形成原理 は リズムであ り、現 在の芸術作 品はあ

らゆ る尺度 を排 除 し、非調和的であ りリズ ミカルである。

表現主義 の詩 人に とって形象 こそが現実 、つ ま り精神 的現実 であ り、詩作す

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る とい うこ とはこの精神 的現実 を濃密化す るこ とである。即 ち、それは集 中化 す るこ と、最 も凝集化 された最 も単純 な形式に もた らす こ とに他 な らない。 と ころで、形象化す る原理 は 「 組織」 と 「リズム」 である。組織 とは有限な もの の力形式 であ り、 リズム とは無 限な ものの力形式である。両者は文学の言葉の

「 音声形姿 」 ( Sp r a c h t o n g e s t a lt ) の中で結ばれ合 うが、 しか も組織は リズムに 従属 している。

リズムの形象化 の手段 としては 「 集 中」 と 「 分散」が ある。 「 集 中」は内容 と形姿 の集 中であ り、出来 る限 り少 くない音手段 をもって概念 を形象化す るこ とが 目的である。語の短縮 はその集 中の結果 であ り、次の ものが挙 げ られ る。

④ 幹語 に遡 り得 る. ( 例 g e b a r e n の代 わ りにb a r e n)

㊥ 名詞や動詞の変化語尾 は付 けな くて もよい。

0 冠詞は不可欠の場合以外付 けない.

㊤ 語の短縮か ら語の変化が生 じ、そこか ら新造語が形成 され る。つ ま り動 詞か ら名詞が 、逆 に名詞か ら動詞が作 られ る。

語文章 におけ る集 中は語の転置又は文章 の短縮 に よって生ず る。文章 の短縮 は語の短縮 の拡大 である。単純 な文章短縮 としては、前置詞や コプラの省略、

自動詞 の他動詞 的使用 そ して陳述 に とって余分 な部分の省略 である。 しか し、

これ らは まだ真の集 中 とは言 えない。単純 な短縮か ら内容 と形姿 の集 中が どの ように発展す るか を示 そ う。

④ Di eB 畠 u m eu ndd i eBl u m e nb l u h e n ( 単純 な陳述 )

㊥ Di eB ' d u m e ,d i eBl u m e nb l d h e n (コプラの脱落 に よる単純 な短縮 ) O B 詠 u m eu ndBl u m e nb l 血e n ( 冠詞 の脱落 に よる単純 な短縮 )

㊤ Ba u m u ndBl u m 。b l u h t ( 単純 な短縮 ではな く、集 中が行 なわれてお り、

概 念は よ り深 く把握 され る)

㊥ B仙 e n d e r B a u m , b 仙 e n d eBl u m e( Ba u m , Bl u m e , Bl de n の概 念 が よ り 集 中 して形象化 された)

O Ba u m b l 血t. Bl u m e ( ㊥ の場合 B l u h e n の統一 しか行 なわれてお らず、

Ba u m と Bl u m e は対立物 として捉 え られていた

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が、O では三つ の概 念が一つの統一概念に接合 されて、一つの語文章 にな っている)

① Bl u t e ( O の語文章 は更に個別 的 な語 に まで圧縮 され る。 この Bl h t e とい う語 の複合表象 は b l h h e n している Ba u m と Bl u m e を包括 している)

次に、 「 分散」 の重要 な手段 は語形姿 であ る。その ような語形姿 とは直接 の 繰 り返 し、行 間の繰 り返 し、語文章 の平行 であ る。 そ して語順 の転倒 は転倒 さ れた概 念の統一 を作 る。概 念の転倒 のみ な らず、下位概 念 と上位概念に よる概 念の変化 も重要 な分散 の手段 であ る。部分概 念 もまた変化 され、その変化 は( 同 一語根か ら出た)語群 にお け る語の位 置に よって表 わ され る。分散 の手段 は と り分け語形式か ら語形式‑ の連想 であ る。連想は一つの複合 的表象 である。語 内容 の連 想が語形姿 の連 想に一致す る場合 、連想 は芸術手段 であ る。

以上 に述べ た 「 集 中」 ・ 「 分散 」 は言葉 の概念形姿 を言葉 の芸術形姿 に変化 させ る手段 である。 そ して リズムは個 々の語形姿 を統一‑ と結 びつけ る帯紐 で あ る。 リズムの鎖 は言語芸術作 品の統一 を形成 し、論理 の鎖 は 日常語 の統一 を 作 る。従 って、言語芸術 の美学 とは次の ようにな る。

●言語芸術作 品は思想 とか感情 の伝達 ではな く啓示 の告知 であ る。それは思 想や感情 を喚起す るこ ともあ ろ うが 、 しか し、 どんな思想や感情 も啓示 の状 態 を与 えは しない。非思想的 ・非感情的 な ものの中で初め て人 と芸術作 品は 一体化す る。

●この一体化 は芸術 の力に よって作 られ る。芸術 の力は芸術手段 の作用 であ る。

●言語芸術 の芸術手段 は音 と リズムである。

●言葉 であ る音声形象 は リズム的な音形象 であ る。

●言語芸術作 品の論理 は リズムであ る。 日常語 の文法 は文学 に とって重要 な ものではない. '

●言語芸術作 品は語音声の作 品であ る。

しか し、これ らの項 目も決 して芸術法則ではない。 どの作 品 も自分 の中にそ

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の法則 を包蔵 してい る。芸術 に法則 とい うものはない。 しか' し、それがな くて は芸術作 品が可能 でない よ うな不変 の前提 はある。 この前提 を誤認 した り知 ら ない時代 は芸術 的時代 とは言 えず 、精神 的世 界 ももたず 、ただ芸術代用品 とさ れ る非芸術や 反芸術 を作 り出す。 こ うした時代 を最近数世 紀の ヨー ロ ッパは経 て来 た。表現主義 の現在 になって、よ うや くそ うした時代 は終 り、今 日、芸術の 前提 を知 るに至 ったのである。 「 唯一 の形象原理 を リズム」 とす る Sc h r e y e r の 文学論 は、語 の感覚 的価値 ・音価値 に芸術 の本質的意味 を兄い出す。 「 言語芸 術作 品は語音声の作 品であ る」 とい う主張 には、早 くも Bl 血 n e r の 「 絶対言語 芸術論」の出現が予感 され る。言葉 はその昔 に よる形姿 において心的緊張の極 大値 を含む絶対 的表現 に至 るのであ る。

3.Ru d o l fBl 血 n e r の理論

文学が芸術 であ り芸術が抽象 であ るな らば、文学 は写実 的な言葉の表現 に達 しよ うと努 めてはな らない。写実 的な言葉 は話 している人間の生活 ・心臓の鼓 動 か ら生ず る。芸術作 品は こ うした写実 的な心臓の鼓動 をもたない?昔 の詩 人 は語 の関連か ら感情 を抽象化す る代 わ りに感情 その もの を直接与 えた。 それ故 に、それ らの詩 は思考可能 な ものであった。語 の関連 は‑ た とえ、それか哲 学 的意味において思考可能 であろ うと‑ ただ感情 としてのみ受 け取 られ るべ きであ る。各々の言葉 はそれの外にあ る もの との連 関 を得 るこ とに よ り一つの 意義 をもつ。 こ うい う見解が 困難 なのは、言葉が写実 的連 想な しに使用 で きる 様 を想像 で きない点にあ る。大抵 の人は語が その因襲 的意味か ら解放 され るこ とに よ り、原音 に まで還元 され得 るこ とを予測 で きない. '文学 とは相互 に芸術 的関連 にあ る語 の関連 であ る。つ ま り、文学 は語の コンポジシ ョンであ る。 そ れは論理や文法 と一致 で きるが 、 しか しそ うな ってはいけない。 ただ リズム を 作 り出す芸術 的関係 のみが必要 であ る。

文学 は耳 で聞 き取 るこ とので きる形姿 をもっている。 しか し、昔の詩 人は語 を聞かず 、その概 念だけ を理解 していた。彼 らに とって語 は一つ の概 念に過 ぎ なか った。 しか も、それはそれ 自身では生 きてゆけない概 念であったか ら他 の

‑2 2‑

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語の支援 を必要 とした。 そ して、活用形や母音混和 ・語 自体 を改造す るシラブ ルの脱 臼、意味 を歪め る延長 、短縮 な どの手 を使 って無差別主義 的な因襲 を作 り出 した。 こ うして概 念がすべ て を支配 し、概 念 と概 念の結合 が思考 の歩み と な り、韻律 が その歩みの拍子 をとった。か って音響以外の何 もので もなか った ものが才気走 って論理 的な ものになった。文学 は耳 に聞 える語 だけが その造形 的材料 ( 文学的形象化 の素材 )であるこ とを忘 れていた。今や語 は因襲 的な意 味か ら解放 され、それの原意味 を奪還せ ねばな らな

。語 の根源的価値 は耳 で 聞かれ得 る とい うこ とである。

語の実質は字母 か ら成 る文字 であるが、 この字母 は元 をただせ ば絵図であ り、

現 在 ではすべ ての人間に よ り同様 に形成 され感受 され る音声のための記号 であ る。勿論 、ここに誤差が ある。一般 に語の文字 は人間の発声 ・発音 の多彩性 を 指示す るまでには至 らない。 しか し、律動化 された話声旋律 ・音響 リズム を表 わす こ とは可能 である。 自己の表現 を律動化 された話声旋律 に よ り兄 い出 した あ る感情 内容が音響 ・音色 の多様性 に よる豊潤化 を要求 したか らである。 ここ において、表現主義 的な詩作 はその リズムに よって話声旋律 の律動化 を可能 な らしめ 、その律動化があ る統一 を導 くのであ る。 しか し、その表現主義 的な作 品でさえ所与 の語 とその母音子音 とが ある程度 の限界線 を引いてい る。画家が 色彩形状 を随意に、つ ま り意味に囚われ るこ とな く形態‑ と合成 した り、 また 作 曲家が音 を律動 的に完全 な 自由の下 で並 置す るように 、母音や子音 を芸術上 の法則に従 って接合 して詩 を作 るこ とがで きる。 この よ うな詩 において、あ ら ゆ る音声及び造語 の よ り深 い連 関が認識 され るのみな らず 、活用 された音響 ・ 音声及 び これ を形成す る音節や語 の配列か ら或 る生気 に満 ちた心象が形成 され

る。

B hi mn e r は朗読家 として語の全 的意味 を音 に置 き、語の メロデ ィアスな リズ ム化 こそ文学 の本質 とした。 そ して、 この理論 を実践す るため 「 音声化 された 時 のみ完壁 な受容 をみ る」絶対詩 『 An g ol a i n a 』 を書 いた。

′ ′ ′ Oi a il a る I ao i as s i s i a l u e n s 血 d i o t r る s as も domi s c l mu m i

23 ‑

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j aI o ns t u a z b r o r rs c h j a 仕

′ O i a z o t su i 即I u u ss る s ama s u 6f ul b

u as る s ama s c h i a t 6t o r 6 0 is b n g ug a d s e a n d o l a o i a n d os る n g u

・ ‑‑ ( 以下省略 )

この詩 につ いて、 「 単 なる悪意は何 も生み出さない。すべ てが必然的な内的 関連 の 中に もた らされてし 。 、る」 と Bl 由 mn e r は説明 している。そ して、彼は この 詩が 「 単 なる悪意の支配す る」 ダダの詩 とは全 く異なる ものであるこ とを強調 す る。 しか し、 彼の 「 絶対 言語芸術論」 は Sc h wi 仕e r s の 「メルツ文学論」、

Ne b e l の 「 絶対抽象論」 の出現 を促 し、それ らを経 て結局 ダダイスムに繋が っ てゆ くのであ る。

4.Kur tSc h wi t t e r s の理論

抽象文学 は価値 に反す る価値 を評価す る。 「言葉 に反す る言葉」 を評価す る と言 って もよい。 それは何 の意味 も生 み出さないが 、世 界感情 を生み出す とい う点が重要 であ る。その抽象的文学 として 「メルツ文学 」 ( Me r z d i 血 皿g) が 作 られ よう。 それは メル ツ絵画 に似 て∴新 聞、プラカー ド、カタログ、 日常会話 な どか らその まま或 いは変更 を加 えて取 り出 した既成の文章 を所与部分 として 用 いる。 これ らの部分 品は意味に合致す る必要 はない、意味 な どとい うものは もはや ないのであ る。詩 は文字 ・音節 ・単語 ・文章 とい う構成要素 の相互作用 ● か ら生 まれ る。意味は、それが この ような構成要素 の一つ として用 い られてい

ナ ン ー ヒ ン ス ナ ン

る時のみ重要視 され る。意味 よ り無意味の方 をよ り重視 しよ う。何故 な ら、無

‑ ヒ ン ス.

意味が今 日まで芸術 的に創 り出 され るこ とは殆 どなか ったか らであ る0

ナ ン ー ヒ ン 71 .

こ うして、 Sc h wi 仕e r s は無意味 な抽象詩 『 AmaBl u me 』 を発表す る。

2 4 ‑

(11)

0 d u ,Ge l i e b t eme i n e rs i e b e n u nd z wa n z i gSi ne , i c h l i d) ed i r ! ‑Dud e i n e rd i c 九d i r , i c 九d i r , 九 mi r .

‑Wi r ?

Da sg e h dr t( b e i l . d di g )n i c h th i e r h e r .

We rb i s t d u ,u ng e z a h l t e sFr a u e n z i mme r ?Dub i s t∫

‑b i s td u ? ‑ Di eLe u t es a g e n ,d u 仰 a r e s t‑l a b s i cs a g e n ,s i cwi s s e np i c h twi ed e rKi r c h t u r m s t e h t Dut r 弛s td e nHu ta d d e i n e nF u L 3 e nu ndwa nd e r s t a d d i eH a n d e , a d d e nH ' d n d e nwa n d e r s td u.

Ha l l o , d e i n er o t e nKl e i d e r , i nwe i L k Fa lt e nz e r s a g t . Ro tl i e b ei c hAmaBl u m e , r o tl i e b ei c hd i r !‑Du

‑‑ ( 以下 省略 )

おお君 、 2 7 の感覚 の僕 の恋 人 よ、僕 は

君が好 きだ ! ‑ 君 、君 の君 を君 に、僕 は君 に、君 は僕 に。

‑ 僕 た ちは ?

そんな こ とは (さ しあた り)あ とまわ しに しよ う。

君 は誰 なの ? 数 え きれぬ感覚 の女 よ、君 は い る、

‑ 君 はい るの ? ‑ い るこ とはい る、 と人々は言 う‑ 言 わせ てお きな

彼 らは知 らない、教 会 の塔 が どの よ うに建 ってい るか を。

君 は足に帽子 をか ぶせ 、逆 立 ちで歩 く 両 手 をつ いて、両手 で歩 く。

お い、 白い襲 が刻 み こまれ た君 の赤 い服。

僕 は赤 いア ンナ ・ブルー メ、赤 い服 の君が好 きだ 、

‑‑ ( 以下 省略 )

Sc h wi 仕e r s に よれば 、「タダ イスムは無意味 を創造す る もの であ り」、その点 で Tz a r a と一致 す る。実際 、 Tz a r a の 「ダデ とは抽 象 の合 い言葉 であ る」とか 「 各

‑2 5‑

(12)

人は 自分 の芸術 を自分 自身の流儀 で作 るJ 2 ) 、 とい う発言は、 しば しば Sc h wi t t e r s の芸術理論 を思 い出 させ る。

5.Ot bNe b e l の理論

芸術作 品はフー ガの中に最 も純粋 な形 で表 われ る。 フー ガの抽象的構造 こそ は芸術 の法則性 の原形 その ものである。 フー ガは従来 、絶対音楽及び純粋絵画 において使用 されて来 た。 しか し、芸術 に と り縁遠 い丁切 の意志活動 を排 除す ∫ るこの厳格 な形象化形式 を、絶対詩 に取 り入れてな らぬ本質的理 由は どこに も ない。文学 の言語 、 もっ と埠切 に言 って言語 の文学 はそれの語の原価値 を感 じ 取 り、聞 き、測 り、合成即 ち構成す るこ とだ と認め られ、そ して又、詩作 され た言語音声 とは鳴 り響 く生気 の内部和音 の音響 的ヴ ァ リエー シ ョンであ るこ と が知 られているな らば、 シンフォニー的文学 の可能性 も認め られ よう。 これ と 同時 に、意味伝達 の通話言語 は詩 の言語 ではな くな る。詩作 は悟性 の意志 に よ る ものではな く、原和音 の密集化が音声 とな るのであ る。つ ま り、詩 は思考 の 産物 ではな く、言語 ‑魂 の音響 であ る。

例 えば、 UGT EFN

IRZ

この絶対詩 『 UNFEI G 』 は 9 つ の ルー ネ文学 を巡 るフー ガである。 この 9 つ の文字 は 自我 を離 れた敬虞 の空 間の中でシンフォニー を奏 で始め た。 そ して 物 的な もの と無拘束 な ものの領域 を越 える気僅 な芸術遊戯 の 中で、直観 的傾聴 の証 人 として無時間的に内部世 界に至 ったのであ る。 この 9つの抽象的要素 は それ単独 では芸術 的意味 はない。 これ らの要素 は作 品全体 の中で視覚 的聴覚 的 に把握 され る時 、その生命 を得 るのであ る。従 って、フー ガ 『 UNFEI G 』の各 語 は純粋 な構成物 であ り、絶対 的な言語創造 であって、詩 の各行 は この 9つ の ルー ネ文字 を主題 に した堅 固なフー ガ を構成 してい る。

また、 ヨー ロ ッパの全文字 は A̲Be ̲Ce の 2 6 の読 む記号か ら読 み合 わ された。

これに反 し、 自然民族 の使用す る記号 は よ り少 くないが、その代 わ り彼 らはそ

‑2 6‑

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れ らを巧 みに組み合 わせ る。彼 らこそ 自然現象 その ものであ る。 それに比べ 、 2 6の字母 の意味 を損 う濫用の 中で徹底 的に訓練 され博学 になった ヨー ロッパ人 は、その非 自然 さ故 に、2 6の字母 を兄 もせず聞 きもせず、更に言語の認識記号 とも受 け取 らぬ までになって しまった。 リズム的配列 と音響価値 は共 に絶対芸 術 を導 くものであ るが 、それ らは全 く認め られていない。 A̲ B e ̲Ce の大文字 も小文字 も、小文字 の a か ら大文字 の Z 、大文字 の A か ら小文字 の Z に至 るま で、抽象的要素 の二つの不思議 な秩序 である。 A か ら Z までの解放 された A̲

Be ‑ Ce は図式的な手段 の秩序化 された集合体 であ り、これに よ り感覚 の運動 は音 の身振 りか ら見ている眼に明確 に表示す るこ とが 出来 るのであ る。従来の 文学 は語 を一つの有機 的な本質 として、あ らゆ る根源つ ま り大地の地面か ら創

ナ ンセ ン ス

造 しなか った。 しか し、今や この根源か らあ らゆ る無意味の記号が拾 い上 げ ら れ るべ きであ り、人間に よってすべ ての敬虞 の中に取 り上 げ られ、大地 の精神 の 中で軽快 にな りL 、光や芸術 にな るべ きであ るo A か ら Z までの A̲ Be̲Ce こ そ、未来の人間において彼 の生 の生 き証 人であ り、 しか も精神 的運動 を言葉 に もた らし、本質的な もの を客観 的明断 さに伝達す る とい う確信 的力を内在 させ てい る証 人であ る。更 に、 A‑ Be ‑ Ce こそは言葉 の固有的生 を最 も純度 の高 い 濃度 と根源的な本源性 にお いて無 自我的に捉 え、保持 L形成す るところの原初 的な可能性 であ る。 それ故 、それは相互 に明 る くし豊か に し合 う二つの異なる 作用領域 たる認識 と文学 に奉仕す る ものであ る。絶対文学 は言語 とい う手段 で もって人間の肉体 的潜在意識 を解放 し、次第に文学 の リズムに よって意味深 い 仕方 で共鳴 し出す彼の感覚 を動 かす。 それに よ り、オル ガニ ズム総体 は 目立 た ぬ うちに、だが持続的に活気づ け秩序づ け られ る

ルー ネ文字 はそれが事実 そ うあ る ところの感覚 の原記号 として受 け取 られ るや否や 、つ ま り自ら芸術 的示 唆 をもった言語に接近 した人間に よって読 まれ るや否や 、た とえ異様 な抽象物 に移 されていて も、絶対文学 の全構造 を字母 また字母 と見 る能 力、それ と共に 全 く芸術作 品の意味においてそれ を聞 く能 力 を人に与 え るのである。

以上 、 「 言語芸術理論」 につ いて、その主唱者 たちの見解 が詳細 に示 された0

‑2 7‑

(14)

彼 らの主張 は、Wa ld e n ‑ Sc h r e ye r ‑ Bl 血 ne r ‑ Sc hwi t t e r s ‑ Ne b e l と い う段 階 をな して徐 々に徹底化 されていった。そ して、 この 「言語芸術理論」の出発 点 にはS t ra mm の詩があ り、彼の根源的言語 の探究 はWa l d e nや Sc h r e y e r の 文学理論 の基礎 になっている。 S t ra mm の場 合 、 まだ語 は意味か ら完全 に解放 されず、音や リズムのために現実が破壊 され るまでには至 ってない 。 Wa l d e n や Sc h r e ye rの理論 において も、抽象形式は まだ意味に結 びつけ られていた

しか し、 . Bl 血 n e rにおいては語 は聞かれ る音 の記号 として、 リズム を作 り出す コンポジ ョンに従属 す る。彼 の詩 F An g ol a in ae I )は言語 的に分節 された音 の表 現可能性 を純粋 に リズ ミカルな構造 の表現可能性 と結合 させ る試みであ る。 そ 3 ) れは Br in k n z m n に よれば、 「リズ ミカルに秩序立てられた音 における一種 の夢」

である。 Bl 血 ne rか らSc hwi t t e r s及 び Ne b e lまでの距離 は、それ程遠 くはな い。 Sc h w it t e r s の詩 『 Bu c h s t a b e n g e d i c h t 』 にせ よNe b e l の F UNFEI G」 】 にせ よ、

「 鳴 り響 く生気 の内部和音 の音響 的 ヴァ リエー シ ョン」 に他 な らない。そ して、

ナ ン セ ン ス

これ らの音響詩 は抽象 と無意味の まさに境 界線上 に立つ ものである。Sc h wi 仕e r s は 「 抽象芸術 の良 き古 き伝統 を固守す るダダ」 と彼の メル ツ芸術 との親密 な関 係 を明言 している。 Bl 血 n e r 以後 の 「言語芸術理論」は明 らかにダダイスムに 近づ いている。 この ように、W h l d e nや Sc h r e y e rの理論 とその後 の Bl 血 n e r 、 Sc hwi 仕e r s 及びNe b e l のそれには段 階的相違 が見 られ る。 しか し、彼 らの見解 に共通す るのは、語 を感覚 的価値 と概 念的価値 に二分 して捉 え、語 の感覚 的価 値 、音価値 を芸術的要素 と見なす こ とである。 そ して、彼 らは一様 に言葉 の普 遍 的な文章論 に よる概 念的関連 を放棄 し、更 に言葉 の写実性 をも拒否す る 「 抽 象文学」 を求め たのである。

さて、 こ うした 「言語芸術理論」が成立 した背景 には、表現主義 の詩 人たち 一般 に言語変革 の意識があったこ とが認め られ よう。彼 らを襲 った 「 世 界喪失」

の感情 は、世 界の伝統 的把握 の拒否 と共 に、言語 に対す る懐 疑 、延 いては言語 の崩壊 をもた らした。今や 、詩 人たちは 自己の内部世 界 を確 実 に外部 に投入 し うる新 しい言語 を探究せ ねばな らなか った。そ して、彼 らの言語 の形成 に少な か らず影響 を与 えたのは、フランスの象徴主義 の詩 人たちであろ う。例 えば、

‑2 8‑

(15)

Ba u d e l a i r e は空想力 を創造的能 力 その もの と規定 し、次の ように述べ ている。

「人間の さまざまな能 力の女王 であ るこの空想力は、神 の創 り給 うたこの世 界 をこ とご と く解体 す る。 そ して、魂 の内奥か ら発す る法則に従 って、 (それに よ り生 じた)無数 の破 片 を掻 き集め 、組み合 わせ 、その中か ら一つの新 しい世 界 を産 み出す . 4 ) J 次 いで、 Ri mb a u d は 「 詩 人 となるには、 まず 自らを見着 た ら

しめねばな らない。詩 人はあ らゆ る感覚 の長期 にわたる、大掛か りな理 由のあ る錯乱 を通 じて見者 となる 。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 彼は 自分 自身 を探究 し、 自分 の内部 に一切 の 毒 を汲み尽 し、その精髄だけ を自分 の ものにす る 。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ そ して、彼は未知 の も のに到達す る 。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 彼が未知 の ものに到達 し、更 にその時錯乱 して、 自分 の さ まざまなヴ ィジ ョンにつ いての知 的認識力 を失 って しまった時、初 めて彼はそ れ らのヴ ィジ ョンを本 当に見たのであ る」と言 っている 。 Ba u d e l a ir e やRi mb a u d の要求 は Ma ll a m 昌 に よ って更 に徹底 され る 。 彼は語 の論理 的な拘束 を解体す る 。 つ. ま リ、彼は詩 を現実 的要素か ら解放 し、語 に内在す る魔 力 を存分 に発揮 させ る空想力の遊戯 その ものであ る 「 純粋詩」 を提唱す るのである 。

R. N. Ma i e rは表現 主 義 の言語変革 に対す るフランス象徴主義 の影響 を指摘 して、次の よ うに述べ ている 。 「 文章構造や意味組織か らの語 の脱 出‑ この 当然期待 されて しか るべ きこ とは、既 に表現主義者 たちの もとに現 われた。 ロ マ ン派のい う ( 絶滅〉、 Ba u d e l a ir e のい う ( 解体 〉、 Ri mb a u dのい う ( 錯乱〉、

Ma r c のい う ( 鏡 の破壊〉 を通 って最後 に Be m が ( 現実破壊〉の対応物 と呼 ん だ もの、即 ち ( 文章構造 の破壊〉に至 ったのであ る. 6 1 そ して、彼に よれば、

『 De rSt u r m 』の 「 言語芸術理論」も明 らか にこの経路 に立 ってお り、 「 No v a li s の ( 叙述 のための叙述〉か らPo eの ( 詩のための詩〉、 Ba u d e l a i r e の 〈 アラベ ス ク〉、 Ri mb a u d の ( 語 の錬金術 〉、 Ma l1 m も の く 絶純詩〉 を経て、 『 De r Shm 』 の詩 人たちの ( 絶対言語芸術 〉に至 るまで一本の道が真 っ直 ぐに通 じ

7 )

ている. J 成程 、それ らにおいては純粋 な語 、存在的な関連や文法的な関連か ら解放 され た語が大 いなる解放 の保証 人 となっている 。

この ように、 『 De rSt u r m』の 「言語芸術理論」の成立 的背景には、まず フ ランス象徴主義 の影響が あ った. しか し、 S t r a mm の詩の誕 生を促 がし、 Wa ld e n

29 ‑

(16)

たちの言語芸術論 に直接 的刺激 を与 えたのは、 ArnoHo l z の詩論 とイタリア未 来派の芸術論 であろ う。つ ま り、この二者の影響が なければ、 『De rSh m 』

の 「 言語芸術理論」 は生 まれなか った と言 って も過言ではないのである。従 っ て、以下 に Ho l z と Ma ri n e t d の文学論 を考察 してみたい。

Ⅰ Ⅰ Ⅰ. 「 言語芸術理論 」の成立 的背景 1. Ar noHo l z の詩論

Bl i hn e r は次のように述べ ている。「 一 人の変 人が現 われた。彼は Ar noH。 l z と言 い、文学 の太初 に語が あった とい う事実 を兄 い出 した。 しか し、人は彼の 言 うこ とに耳 を傾 けなか った。・ ・ ・ ・ ・ ・ それか ら後 、 A n gu s t S t ra m m が現 われた苦 いわめ る徹底 自然主義 の元祖 とも言 うべ き H。 l z は、「 芸術 は再 び 自然 であろ う

9 )

とす る傾 向 をもつ」 とい う公式 を立 て 自然 を志 向 した。 この 自然 とは人間の肉 体 的 ・心 的 ・精神 的生全体 を包括 し、それ 自身の 中に到達 不可能 な超絶を 含む ものであ る。彼は外的 自然の写真的描写 を要求 したのではな く、 「あ らゆ る事 実 の背後」 の世 界圏の構成 、 「 すべ ての うちの最 も究極 の もの」 を求め たので あ る。 そ して、彼には言語 もまたこ うした 自然現象 として捉 え られ、詩 人の言 葉 は人間 を自然的事象か ら排 除す る ものではな く、 自然的な語調 の再現 に よっ て人間の 自然的存在 を再生産す る もの と考 え られた。

この ような見解か ら、従来の文学 は批判 され、今や新 しい言語芸術が打 ち立 て られ る。 「 従来の言語芸術形式は、いずれの時代 いずれの国において も例 外 な く悪意性 に基づ いていた 岬 」 、そ して 「 ‑‑ どの言語芸術 も太初 よ り現代 に至

るまで、その最終 的根底 にある形式原則 として韻律 に基づ いて来た。 しか も、

・ その韻律形式 たるや 、偶然に支配 された単純素朴な形式の悪意性 であった。今 後 、韻律 は破壊 され、その代 わ りに全 く正 反対 の ものが立 て られ ようとす る。

つ ま りリズムであ る。それは絶 えず諸物か ら新 たに生み 出 され る極めて複雑 で 永続的な形式の必然性 である . l J D こ うして、 Ho l z は い わ ば従 来 の言葉 の遊戯 に よる 「派生 的 リズム」 を棄 て、感動 さなが らの印象 その ままをもた らす 「 必 然的 リズム」 を採用 した。 この リズムは言葉 に内在 し、そこか ら自然に発生す

ー3 0‑

(17)

る ものであ る。 これに基づ き、彼 は 「 究極 の簡潔」 と 「 最可及的 自然」 を目指 す言語芸術 を求め たのである。

この Ho l z の詩論 は Wa ld e n や S t r a mm に少 くなか らず影響 を及ぼ した。 Wa ld 仇 は 「 言葉が常 に新 しい創造 を与 え、作 品に 自ず と リズム を与 えるよ うなそ うい う新 しい言語芸術 を作 るこ とで ドイツ文学 に新 しい道 を開いたのは Ho l z で は

1 2 )

な く S t r a m m であ る」 と述べ 、それ を否定 している. しか し、そ もそ も 「言語 芸術 」 (Wo r t k L nS t) なる語 を最初 に用 いたのは Ho l z であ る。 その上 、 Ho l z におけ る伝統的韻律 の排 除 、 .それに代 わる 「必然的 リズム」 の要求 、また従来 の文学特 に Go e t he 、 He i n e に対す る批判 な どは、 Wa ld 仇 の芸術論 とその まま 一致す る。実際 、 Ho l z において も Go e 血e 及 び He i n e は 「 従来の ドイブの詩 に 鳴 っていたあの奇妙 な手 回わ しオルガ ンの響 きは彼 らの 自由律か らもは っき り と聞 き取 れ る。あの知 ったか振 り屋 さんたちは、いささか難聴 だった と言わ ざ るを得 ない J 1 3 ) と酷評 されている。

また、 Ho l z の S t r a mm へ の影響 もあの 「 必然的 リズム論」である。 H. Sc h u lZ は Ho l z の場合 と同 じ1 )ズムが S t r a m m の詩 にみ られ ることを指摘 している1 . 4そ

して、 Br i n k n a m も S t r a m m の詩 は屡 々、技巧 的に Ho l z の 「瞬 間描写」 を思 ゎせ る と述べ てい 81 5 2勿論 、 まだ 自然主義 的な言語 の使用 を残 していた H. l z は 「 世 界 を言語化す る」 こ とに努 め 、 S t r a m m は語にその原意義 を奪還 させ る こ とを試みていたな ど、両者の創作的立場 は明 らかに相違 す る。 しか し、 リズ ムに関す る両者の見解 は一致 している と言 える。 それ故 に、 「 『De r St u m 』

の (言語芸術理論) も帰す る ところ Ho l z の ( 瞬 間描 写 ) をよ り決定的に方式 化 した ものに過 ぎず 、 S t r a m m の詩 はそれ を最 も明瞭に刻 印 した ものであるI J O

とい うい ささか極端 と思 える見解が生ず るのであ る。

2.イタ リア未来派の文学理論

Be m はイタ リア未来派の標語の中に ドイツ表現主義 の理 念 と共通す る もの を認め 、 「 ( 未来派宣言には)驚 くべ き事柄 、釆 たるべ き波涛の全核心が含 ま

れている。即 ち、それは反歴史的な ものだ」 と述べ てい る。実際 、未来派は表

‑ 31‑

(18)

現主義 の芸術家の間で好奇心 を もって迎 え られ、非常 なセ ンセー シ ョンを巻 き 起 した。 中で も、それに最 も積極 的な関心 を示 したのは 『De rS 吐 け m』の同人 たちであ り、その雑誌 には 『未来派宣 言』 の主 なる ものが 、1 91 2 年 の 1 04 号 に 載 った 『第‑ 回宣言』 を皮切 りに訳 出 された。 そ して、 1 91 2 年 に開催 された

「 未来派の夕べ 」 では Ma ri n e t d 自身が講演 し、 Ⅵ 如d e n を初め 『De r S t L m 』 の同人たちが熱心 に聴 き入 った とい う。 こ うして、彼 らは ドイツにおけ る未来 派の宣伝 と共 に、その芸術理論 を貧欲 に吸収 しよ うと努 め た。彼 らの桂冠詩 人 S t r 弧I m が 「ドイツ人の徹底 さで もって、 Ma ri n e t dの理 論 に追 従 し、 た」 とい 咽 う Mu sc h g の主 張 、 また同様 に、 「 表現主義 の諸理論 は未来派の構想の焼 き直

1 9 )

しの ように感 じられ る」 とい う M a ie rの言葉 は、 『 De rSt t m 』の 「言語芸術 理論」の成立 に未来派の影響が 多大 であったこ とを表 わ している。従 って、以 下 にお いて 『未来派文学技術宣言』 (Ma n i f es c o t e c n i c o d e l l a l e t t e r a t u r a

2 q ) f

u t u r is t a) をみてみたい。

「 ‑‑言葉 をラテン語の総合文 の牢獄か ら解放せ ねば とい う強烈な必要性 を 感 じた。勿論 、 ラテン語文 は‑ あ らゆる愚か者 と同様‑ 大 きな頭 と脂肪肥 りの腹 、それに二本の腰 と窟平 足 をもっているが、二つの異 をもっ こ とはない。

それは歩 き回わ った り瞬間的に走 るこ とはで きるが、殆 どす ぐに噛 いで止 まっ て しまう」 と、 ラテ ン語 の合理主義 的文法 を厳 しく批判 しそれ を打破 しようと す る未来派の文学論 は、将来 にあ るべ き文学 の姿 として次の綱領 を宣言す る。

( ∋ 思 いつ くままに名詞 を並べ るこ とに よ り、文章 論 を破壊す る。

( 参 動詞 は弾力的に名詞 に順応するため 、 また、観察し仮構す る作者 の「自我」

の支配 に服 さぬために不定詞 の形 で用 い られなければ な らない。不定詞 の 動詞 だけが生 の持続感 を知覚 す る直観 の弾力性 を表 わす こ とがで きる。

( 彰 裸 の形 の名詞 にその本質的色彩 を保 たせ るため に、形容詞 は排 除 され る べ きである。明暗や陰影 の法則 を具 えている形容詞 は或 る種 の静止 、黙想 を前提 とす る ものであ り、未来派の力動 的なヴ ィジ ョン とは結びつか ない。

④ い くつかの語 を結びつけ る古 びた留め金 としての副詞 は除去 しなければ な らない。副詞 は文章 に退屈 な同 じ調子 を与 えるに過 ぎない。

‑3 2‑

(19)

ア ナ ロ キ」

⑤ 接続詞 を用 いず 、類推 に よって結 ばれ た重複名詞 ( 例 、男‑ 水雷艇 、 群 衆‑ 怒涛 、広場 ‑ 漏斗等 々) を使用 しなければ な らない。つ ま り、

アナ ロギ」

飛行 の速度 に よ り、世 界に関す る知 識 は幾倍 に もな った。従 って、類推 を 通 しての認識 は人間に とって次 第に 自然な もの とな りつ つ あ る。 「 〜 の よ うに」 、 「 〜 の如 き」 、 「 〜 と同 じ」 、 「 〜 に似 た」等 の言 い回わ しは抑 制 しなければ な らない。

⑥ 句読 点 は もはや不 必要 であ る。 そ して、あ る種 の運動 を高揚 し方向 を与 えるため に、数学記号や音 楽記号が使用 され るよ うにな る。

アナ ロキニー

⑦ 従 来は動物 を人間 と、 また人間 を動物 と比較す る直接 の類推 を使用 して

アナ ロキニー

釆 たが 、 これ では写実 と何 ら変 わ る ところが ない。類推 こそ、外見的に異

7サ「コギ」一

種 で敵対 し掛 け離 れてい る事物 を結 びつ け る深 い愛 であ る。広大 な類推 を 用 いて こそ、 多形 多声 多音 を同時 に もつ オー ケス トラ風 の文体 が物質 の生 命 を包括す るこ とが で きる。形象 こそは詩作 に血液 を与 える もの とさえ言 える。詩作 とは新 しいい くつ もの形象の途絶 えるこ とない連続 でなければ な らない。形象が広大 な関連 を もつ よ うになれば、それ は一層長 く威力 を 保持 す る。 それ故 、言語 においては紋切 り型の形象 、色 のない誓境 を破 壊

しなければ な らない。

( 参 上 品 とか下 品 な形象 、高貴 とか貧弱 な形象 、極端 とか 自然 な形象 とい う 範鴫 は存在 しない。形象 を知覚 す る直観 は甚斗酌や党 派性 な ど知 りは しない。

従 って、比較様式 はあ らゆ る物質 とその強力な生命 に対す る専制 君主 なの であ る。

( 9 物体 の連 続運動 を描 出す るため には、一つ の特徴 的 な言葉 に圧縮す る密

7ナ ロキ

ニ ー

集 した類推 の連鎖 を作 り上 げねば な らない。

⑲ あ らゆ る秩序 はあ る種 の憤重 な判 断力の産物 であ るか ら、極度 に無秩序 な尺度 に従 って形象 をオー ケス トラ化す る必要 が あ る。

⑪ 文学 において、 自我つ ま り一切 の心理 は破 壊せ ねばな らない。人間は図 書館や美術館 に よって愚純化 され 、恐 るべ き論理や理知 に屈 服 してい る。

この よ うな人間は もはや興 味 を引かず 、文学か ら除去 されねばな らない。

‑ 33 ‑

(20)

物質 をもって人間 と取 り替 えるべ きであ り、物質 の本質 は直観 に よって捉 えねばな らない。物質 に決 して人間の感情 を仮托せ ぬ よう注意 し、む しろ 物質 の さまざま能動 的衝動 とその過程が表現せ ねばな らない。 その物体 の エネル ギー及 びその過程 として、重 力、匂 いな どが文学 に取 り入れ られ る べ きである。犬が知覚 す る匂 いにおいて風景 を描 き、発動機 に耳 を傾 むけ それの言葉 を再現せ ねばな らない。‑‑ 因襲 的文章論か ら離れ、解放 され た語 を使用す る非文法的な詩 人だけが物質 の生 の中へ 入 りこむ こ とが で き る。‑‑‑生 の奥深 い直観 は、語 と語 をその非理論 的な生成に従 って結合 さ せ る。

7サ「コギ」‑

「 熱烈 な形象の構築者 であ り、大胆な類推 の 探 究 者 」 と 自 らを 規 定 す る Ma r i n e 仕i に とって、「 文法 は大衆 に色彩 ・音楽 ・彫刻 ・建 築 を教 え込むため に 詩 人が用 い る抽象的暗号 の一種 であ り、それは所謂通訳兼外人ガイ ド」 に過 ぎ ない。従 って、文学が直接万有 に到達 し万有 と一体化す るためには、この仲介 を排除 しなければな らない。 こ うした見解か ら文法は破壊 され、 「 語 の解放 、 想像 力の異 、類推 的総合」に よ り世 界 を把握 しようとす る。

こ の未来派の綱領 の① 、② 、③ 、④ 、⑥ は S t r a mm の詩 において も屡 々実行

17+ ロ

」‑

されてい る。 しか し、 ⑤ 以降の項 目で強調 されてい る「 類推」の技法 は St ra mm の詩 に もWa l d e nたちの 「言語芸術理論」 に も採用 されていない。 「 戟 関 を造 形 しよ うとして文章論 に攻撃 を加 える偏執狂」 と、 Ma r i ne 仕 iを批判す る A.

7ナロギ」‑

Db b l i n も 「 広大 な類推」につ いて、 「 頭 ‑ フ ッ トボール、腹‑ 如露 な どは、

た とえ比噴 、観 念連合 、娩 曲法が いかに完全 であろ うと、御都合主義 で浅薄極 ま りない」 と述べ てい る。未来派の唱 えた急進 的な言語変革 は無論 、表現主義 の詩 人たちの間に賛否 ご うご うの議論 を起 した。 しか し、一般 に表現主義 の文 学 は、未来派の提 唱 した 「 運動 」 、 「力動」 ∴ 「 速度」 、 「リズム」 を取 り入 れた。そ して、

De rShr

m

』 の詩 人たちは更 に未来派か ら 「 文法破壊」の必 然性 を学 び知 ったのである。

‑3 4‑

(21)

Ⅳ.む す ぴ

「言語芸 術理 論 」 は表現 主義 の詩 人 た ちが深刻 な世 界喪 失 感 に襲 われ て いた とい う事 実 か ら生 まれ た。つ ま り、抽 象文 学 は現 実 に対 す る懐 疑 の上 に立つ も の で あ る

表現 主義 の言語変 革 につ いて 、 「 破 壊 は未来 を信 じ、 それ を切 り開

くとい う建 設 的 、人道 主義 的意 味 を もつ J 2 2 )と述べ たの は Ka r lO t t e n である。同 様 に 、 Ku r tPi n t husも S t r a m m につ いて 「 純粋 無垢 の感情 を雷 鳴 の よ うな一帯 、 暴風雨 の よ うな一 撃 に こめ

現 実 に対 す る真 の 闘争 が世 界 を破 壊 す る と同時 に人 間 の 内部 か ら一 つ の新 しい世 界 を作 り出す はず の恐 ろ しい までの爆発 力 を

2 3 )

もって始 まって い る」 と評 して い る

St r a m m の詩 、 Wa ld e n 及 び Sc h r e y e r の 理 論 は語 に根 源 的 な表現 価値 を麺 が え らせ るこ とを 目的 と した そ して 、彼 ら

WE

は それ に よ り 「因襲 に踏 み に じられ陳腐 に な った言葉 を救 った」 の で あ る

事 実 、彼 らの主 張す る詩 の リズム には 、 あの Ka n d i n s k y の 「内面 の響 き」 、 「 純 粋 な音 響 」 が確 認 され うる つ ま り、 Ka n d i n s k y に よれ ば 、 「 一 つ の語 を巧 み に用 い る と・ ‑‑ それ は 、単 に 内面 の響 きを 目覚 め させ るだけ で な く、 それ の も つ 予 感 もされ なか った別 の精神 的特性 を表 わす こ ともあ る そ して最 後 には 、 2 5 ) その語 の純粋 な音 響 のみが あ らわれ 、 この音 響 は魂 に直接 の刺 激 を与 える」 の で あ る 。

しか し、 Bl h n e r の 「 音 詩 」な どは もはや 「内面 の響 き」 を伝 えず 、音 楽 と 対 比 して もしっか りした構 造 法 則 を欠如 して い る こ とは争 え ない。 そ して 、

ナ ン

ヒン ス.

sc h wi t t e r s の 「メ) レツ詩 」は もはや 意 味 を語 る もの で な く、敢 えて無 意 味 を語 って い る 先 に 、 この 「言語芸 術理 論 」 の発 展段 階 とその 内客 は 、 Bl h n e r あ た りか ら大 き く変 化 す るの をみ たが 、 この理 論 の いわ ゆ る確 立 期 に 在 っ た sc h wi 仕e r s や Ne be l は ダダ イ スム に接 近 して い ったの で あ る

「言語芸 術理 論 」 の成立 の根 底 に あ った現 実 ‑ の批 判 的精神 は 、 いつ しか否 定 の情 熱 、破 壊 の陶酔 のみ を独 走 させ て しまった それ故 に 、その理 論 と運動 の形 態 とは 、後

ナ ン セ ン ス

半 にお いて 「 無 意 味」 を敢 えて創 造 す るに至 って しまった

この理 論 は 、 そ もそ も語 を感覚 的価 値 と概 念的価値 とに二分 して 、前者 に そ

‑3 5ニ

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の本質 的意味 を認め る とい う出発点にお いて、太初 の時に帰 る逆 向 きの歩み を 示 していた。正 に、それ故 に、 この理論が単 なるユー トピア的理 想 に変化す る 運命が あ った。つ ま り、 Bl 血 n e r か ら Sc hw仕e r s 、 Nd) e 1 ‑ と進 む につ れ て、

彼 らの 「言語芸術論」 は急速 にタダの 「 語 の遊戯 」 (Wo r t s pi e l) を暗示す るよ うになったの であ る。 R. N. Ma i e r は 「 絶対 言語芸術 が挫折 したのは、1 9 2 0 年 で あ る。・ ・ ・ ‑ そ もそ もの初 めか ら世 界に関係づ け られた もの であ る言語 を用 いて、

ポ ジ ィテ ィブに考 え られ る世 界喪失 を語 ろ うとす る問題 は、解決不可能 に思 わ れ たJ 2 6 )と述べ てい る。無論 、 この1 9 2 0 年 とは、 Bl 血 n e r や Sc hwi t te r s が彼 ら の芸術理論 を発表 した時 であ る。

『 De rSh m 』の 「 言語芸術理論」 は 「 文学史の困惑 の種」 ではな く、明 ら か に 「 文学 史の批判 の種」 とな ってい る。 そ して、批判 はタダに接近す るこの 運動 の後半期 の形態 に集 中 してい る。例 えば、 Br in k n a m はBl 血 n e r 以降の抽 象的音響詩 が St r a mm の詩 と全 く根本的に相違 す るこ とを指摘 した上 で、前者 につ いて 「人間 との結 びつ きを放棄 してい る 2 2 と批 判 す る。 また、 Ha 。 芦 Ka 血 a m も大 掛 りな文 法破 壊 、 また言語 での発表 を明 らか に文法規 則に適合

しないあ る種 の零 囲気表現 に還 元す る意 図 を批判 し、次の よ うに述べ てい る。

「 単語 にせ よ単 語 の羅列 にせ よ、言語 はや は り何 らか の客観 的 な もの を意味 し てい る。従 って、 (言語芸術 )ではな く、言語 を もたぬ芸術 が ( 最終 的帰結) とな る 0 2 J 8 ) 同様 に、 Wa it e rMus c h gも 「あの ( 絶対 言語 )は必然的に シンタック スの退化 を招 き、それはむ しろ対象 の形態 を幾何学 的に単純化 して、 これ らの

キ ュ ー ビ 7 {∠、

要素 をもとに抽象 的な文章 コンポジシ ョンを構成す る点 で立体 派に近づ く。 し か し、言語芸術 と造形 美術 とは異 な る。文章 を部分 的に打 ち砕 き、言語 を反文 法 的に虐待 す るこ とか ら新 しい言語が生 まれ るこ とはないJ 2 9 )と述べ てい る。

以上 の批判 に明 らか な よ うに、語 の概 念的価値 が音価値 に よって排 除 され た 当然 の結果 として、 「言語芸術」 は言語 の遊戯化 に堕 し、や が て言語 その もの を断念せ ざる を得 な くな ったのであ る。詩 の現実 は言葉 であ り、言葉 の現実 は 人間の可能性 であ る。 「メル ツ詩」や 「 絶対抽象詩」 に一体如何 な る人間の可

ナ ンセ ン ス

能性 が兄 い出せ るであ ろ うか。敢 えて 「 無意味」 を作 り出す 「 言語芸術」 の 中

一3 6‑

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■ ■ . ‑●

に、果 して如何 なる世 界感情が抱かれ るのであろ うか。

I .

1) Ex pr e s s i o n i s mu s ‑ Au f z e i c l m n gen u ndEr i n n e r u ng e nd e rZe i t g e n o s s e n , h r s g .V . Pa u l R a a b e , S. 2 N.

2) Tr i s t a nTz a r a ( 小海 ・鈴木訳 ) :タダ宣言 ( 竹 内書店 )1 0 貞以下参照

3) Ri c h a r dBr i n k n a L r n: 〈Ab s t r a k t e)Ly r i ki m Ex pr e s s i o n i s mu s u ndd i eM軸l i c h k e i t s y m t x ) l i s c h e rAu ss a g e ,i n:De rd e u t s c h eEx p r e s s i o n i s mu s , S.1 0 7

4) Hu ヽ . ̲ g oFri e d r ic h. ・Di eSt r u k t u r d e rmde r ne nL y r i k ,S. 5 6 .

5) A.Ri mb A u d ( 平井啓之訳 ) : 『ランボー全集』 ( 人文書院 )第二巻 、2 0 3 頁 6) R.N.Ma ie r:Pa r a d i e sd e rWe l t l o s i gk e i t , S. 1 鵬

7) i bi d .S. 1 1 1 .

8) R.B] 也 mn e r:Au g u s tSt r a m m,i n:Li t e r a t u r ‑ Re v o l u t i o n ,S. 4 5 1 .

9) ArnoHo l z:Ku ns t t h e o r e t i s c h eSc hr i f t e n ,i n:Ar noHo l zWe r k e ,5 B 4 S. 1 6 1 0) i b i d .S. 7 9

l l) i b i 4 S. 8 7 ..

1 2) H.Wa l d e n:Ar noHo l z ,i n:Li t e r t u r ‑ Re v o l u t i o n , S. 3 9 5 . 1 3) AmoHo l z:a ,a . 0. S. 7 1 .

1 4) Ha r t wi gSc h u lZ・ .Vo m Rh y t l m u sd e rmo d e r ne nLy r i k ,S. 1 2 7 . 1 5) R.Br i n k n a L r n :a ,a .0. S. 1 0 2 .

1 6) Gl a s e r , Le l m 肌, Lu t x ) S:We g ed e rd e u t s c h e nLi t e r a t u r , S. 26 4 .

1 7) G.Be n n・ .Ei n l e i t u nez u r( Ly r i kd e se x p r e s s i on i s t i s c h e nJ a h r z e l mt s) , S.7 1 8) W.Mu s c h g. ・Vo nTr a k lh i sBr e c h t , S. 6 4 .

1 9) R.N.Ma i e r:a . a . 0. S. 1 0.

2 0) F.T.Ma r i n e t t i・ .De rt e c l mi s c h e nMa ni f e s td e rf ut u r i s t i s c h e nLi t e r a t u r ,i n:

Li t e r a t u r ‑ Re v o l u t i o n , Bd .I I.S. 4 7 a.

21) A.Db b l i n:Fu t u r i s t i s c h eWo r t t e c l mi k ,i n:Au f s i t z ez u rLi t e r a t u r , S.9 H . 2 2) K.Ot t e n:Ex p r e s s i o n i s mu s ‑ Gr o t e s k ,S.1 3 t.

23) K.Pi n t hu s:Me ns c h h e i t s d a mme r u ng , S. 2 7 .

2 4) Ar mi nAr no l d:Di eLi t e r a t u rd e sEx p r e s s i o n i s mu s , S.5 6 . 25) W.Ka nd i ns k y・ .Ub e rd a sGe i s t i g ei n d e rKu ns t , S. 2 8 . 2 6) R.N.Ma i e r:a . a . 0. S. 1 1 6 .

2 7) R.Br i n k n a nn:a . a . 0. S. 1 0.

2 8) H.Ka 血 a nn:Kr i e s e nu ndWa n d e l u ng e nd e rd e u t s c h e nLi t e r a t u rY o nWe d e k i n d bi sFe u c h t wa n g e r , S. 1 7 9 .

2 9) W.Mu s c h g:a . a . 0.S. a

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主要参考文献

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参照

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