特集◎中国の民族間題中国民族問題の現在
旧ソ連崩壊後︑にわかに脚光を浴びてきた中国民族問題の現在とは?中国の諸民族は︑伝統的な﹁天下観﹂と近代的な国民国家意識のあいだで揺れ動いている︒それは古くて新しい課題なのだ︒少数民族出身の中国専門家をゲストに迎え︑中国民族問題に含意される文化的︑歴史的︑政治的な意味について語り合った︒
マントルト︿中国社会科学院民族研究所学術委員︑中国民族学学会副会長﹀×リティプ・トォフティ︿瓢礫講灘﹀×
祁慶富︿中央民族大学民族学系教授﹀×加々美光行︿霧鱗難中﹀×高明潔︿購鱗誠鰍﹀
中国民族間題の過去と現在
加々美旧ソ連・東欧圏の崩壊後︑かえ
って民族紛争が世界で激化しています︒
このため中国の民族問題も世界的に注目
を集めるようになりました︒単一民族の
幻想が支配していて︑民族の対立や抗争
から程遠い風土に生活する日本人には︑
民族について正しい認識を得ることがこ
とのほか難しいのです︒本日は︑中国大
陸において民族問題を研究されている少 数民族出身の先生方をお招きして︑現在
中国が直面している民族問題について討
論してゆきたいと思います︒まずマント
ルト先生︑中国の少数民族とは何かとい
う問題から始めて︑現在の中国の民族問
題全般について概観していただけないで
しょうか︒
マントルト中国には現在︑五十六の民
族がいます︒そのうち五十五が少数民族
です︒中でもモンゴル︑回︑ウイグル︑
満︑チベットなどの民族は少数民族中で は多数ですが︑数少ないものには︑中華
人民共和国が成立した初期で数百人にす
ぎなかったポジェン族のような民族があ
ります︒雲南のトゥールン族︑リス族な
どもそうです︒ですから︑中国の民族問
題は歴史的に見ても現在においても大き
な問題なのです︒
中国の少数民族の発展の程度は千差万
別です︒生産形態のうえから見れば︑東
北のエヴェンキ族やオロチョン族は遊牧
狩猟民族ですし︑南方の高い山脈を横断
中国民 族問題の現在
..
する雲南︑貴州︑四川高原のトゥールン︑
リス︑チンポー族など十余りの民族は山
地民族で︑焼畑耕作という生産方式を採
っている︒さらに北部・西北部のモンゴ
ル︑ウイグル︑カザフ︑キルギスやチベ
ットの一部地域は遊牧生産の方式で︑生
産方式の違いに応じて彼らの社会制度も
完全に同じとはいえません︒
宗教信仰の面から見ても︑少数民族の
かなりは原始宗教を信仰しています︒例
えば︑北方民族はシャーマニズム︑西南
民族はアニミズムですし︑西北の回族や
ウイグル族はイスラム教と言ったぐあい
です︒このほかチベット仏教︑つまりラ
マ教があり︑チベット︑青海︑甘粛︑内
モンゴルなどの地域で信奉されていま
す︒
各民族の基本的な状況をこのように概
観してみますと︑次のことが分かります︒
五十五の民族は中国というこの大家族に
所属している点では同じですが︑それぞ
れの民族の社会発展の程度は︑文化伝統
から始まって︑物質文化における衣食住
の行動パターン︑思想信仰の各方面にい
マ ン トル ト[Manduretu]
たるまで︑皆それぞれの特色をもってい
る︒こうした特色は同時に︑長期の歴史
発展のプロセスの中で形成されたもので
あるため︑短期間に消滅させることはで
きないのです︒こうした特色のため︑い
ちど異文化と接触すれば︑たちまちに矛
盾を生み出してしまいます︒
文化接触と民族矛盾
中国の現段階の民族矛盾は︑その多く
が人為的に作りだされたものと言えます
から︑客観的に存在する矛盾です︒例え ば︑土地開発によって引き起こされる牧
場の紛争は民族矛盾と言っても結構です
し︑農業文化と牧畜文化の衝突と言って
もよい︒牧畜民族は草原で放牧をおこな
い︑しかもその放牧には大きな面積の草
原が必要です︒ところが︑農業の発展に
も土地は必要なわけで︑土地の開発と同
時に大量の労働力が流れ込みます︒そこ
で︑内地の漢民族は少しずつ辺境地域に
移住し︑土地を開墾し︑草原を破壊し︑
砂漠化を引き起こすにいたったのです︒
たんに牧畜業だけが甚大な打撃を受けた
わけではない︒客観的には︑こうした矛
盾が惹起されたと言える︒
私はそうした問題が全て民族矛盾であ
ると申し上げたいわけではありません︒
というのも︑仮にこうした状況が日本で
発生したとして︑例えば︑北海道の牧畜
民が沖縄に行って放牧したばあいも同様
の矛盾が現れるでしょうが︑このばあい
は民族矛盾ではなく︑生産方式の相違が
生み出した文化衝突と見る方が適当でし
ょ・つ︒
さらに別の矛盾も指摘しなければなり
2
ません︒それは宗教信仰が引き起こす矛
盾です︒各民族はそれぞれの信仰を持ち︑
それぞれの生活習俗を持っています︒こ
れら相互の宗教信仰と生活習俗を理解
し︑それに敬意を表することがなければ︑
矛盾は容易に発生するでしょう︒
以上述べたことは︑私たち個々人の交
流と同じであって︑たんに顔見知り程度
で相互の十分な理解がなされないばあい
に︑問題が発生するのと変わりはない︒
宗教信仰はまさにそうした問題なので
す︒宗教信仰の世界における排除や排斥
はかなり残酷なものです︒イスラム教は
西北地域に伝播して以後︑土着信仰を弾
圧する挙に出ました︒仏教も同じです︒
清代になって︑青海と内モンゴル地域で
は︑清朝の統治者が行政的な手段によっ
て土着のシャーマニズムに取って代わり
ました︒シャーマンの葱依行為などを話
そうものなら︑直ちに兵役や罰金といっ
た処罰を受けねばなりませんでした︒同
じような問題は︑現在でも完全になくな
ったとは言えません︒とりわけ︑それぞ
れの民族が信仰や伝統文化の形態を持ち つつ大一統のシステムに組み込まれてい
る状況では︑民族の信仰や文化伝統を急
激に改変することはたいへん困難です︒
ですから︑新中国が成立しても︑さら
に大量の民族工作がなされねばならなか
ったのです︒にもかかわらず︑現在もま
だ民族問題は存在している︒なぜでしょ
うか?私は以下の二つがその主な原因
であると思うのです︒一つは︑物質文化︑
あるいは自然条件における生産方式の相
違が長期にわたって存在するため︑短期
間にそれらを消滅させることができない
ことです︒というのも︑生産方式は改革
して変化させることができるような代物
ではないからです︒さらに︑こうした一
定の環境において一定の精神文化が生み
出される︑これがすなわち民族問題をも
たらす第二の原因です︒一定の環境で育
まれた精神文化は長期的で強固なもので
す︒例えば︑文化大革命以前の新彊の民
族関係はとても安定したものでした︒そ
れは︑当時の政府や軍隊の人々が民族の
風俗と習慣を尊重することを知っていた
からです︒けれども︑文革が勃発してか らは状況は全く変わってしまった︒ウイ
グル族の宗教信仰や風俗習慣を分かりも
しなければ尊重もしない行為が多すぎま
した︒そこで多くの矛盾が生まれた︒も
ともと︑ちょっとした注意を怠らなけれ
ばこんなことにはならなかったところ
を︑解決の仕方を間違ったために︑民族
紛争が惹起されたのです︒
さらに例を挙げると︑文革の時代に私
は雲南の調査に行ったことがあります︒
そのころ︑雲南には多くの知識青年が下
放され生産隊に配属されており︑農墾生
産建設兵団の兵士も多くいました︒かれ
らと現地のタイ族との関係はかなり緊迫
したもので︑タイ族のことは﹁老タイ﹂(﹁老﹂は軽蔑用語)と呼ばれていたので
す︒
文化大革命以後の民族関係
では︑中国の一九五〇年代と六〇年代
に比較的良好であった民族関係が︑その
後に多くの問題を引き起こしたのはなぜ
でしょうか︒私の考えでは︑人々の意識
は社会の変遷とともに変化します︒これ
中国民族 問題 の現在
M
まで民族の存在というものにあまり注意
が払われなかったのに︑今では民族意識
はますます強烈なものになっている︒満
族について言えば︑民族としての特徴は
現在ほとんどありません︒もと満族旗人
の服装であったチャイナドレスはそのデ
ザインを変えましたし︑その居住地域も
バラバラで︑﹁長白山と黒龍江﹂は満族
の居住地ではなくなっています︒それな
のに︑満族の民族感情はきわめて強烈で
す︒また︑私たちのような年代の少数民
族について言っても︑若かったころの民
族感情は決して濃厚なものではなかった
のですが︑私たちの子供の世代になると︑
北京で大きくなったために︑ダフール族
の言葉を話すこともできない︒しかし︑
テレビでダフール族や関連民族の番組が
放映されると︑彼らは眼を輝かせて見つ
めます︒そんな姿を眺めていると︑彼ら
の民族意識がいったいどこからくるのか
分からなくなってきます︒
もう一つの例をお話しましょう︒一九
八〇年代に︑私は漢族の同僚に同伴して
新彊に仕事に行ったことがある︒彼は気 持ちがとても緊張して︑仕事どころでは
なく︑途中で北京に戻ってしまったので
す︒もちろん私は新彊に行っても全く平
気です︑ウイグル族と同じ四文字の私の
名前だけで漢族ではないことが証明さ
れ︑現地の人々と別け隔てなく付き合え
るからです︒現地に出向いても何という
ことはなく︑気持ちが張りつめることな
どありません︒
またチベットに調査に行ったとき︑現
地出身の共産党と政府の責任ある幹部
に︑こんなことを尋ねられました︒﹁過
去に︑私たちは地方民族主義を鼓吹する
ことを批判された︒しかし︑それなら︑
なぜ大漢族主義は批判されないのでしょ
うか︒支配的な位置を占めていたのは果
して︑大漢族主義と地方民族主義のどち
らだったのでしょうか︒地方民族主義分
子が現われたのなら︑大漢族主義分子が
現れても良かったはずではありません
か﹂︒私にはこの質問に応えようがあり
ませんでした︒
八〇年代に少数民族地域で調査をした
ときも︑各地方を指導する幹部は︑私に 多くの問題を問いかけましたが︑その多
くも応えることが難しいものでした︒そ
うした問題は︑これまで指摘してきた民
族意識の高まりという問題に関連してお
り︑私には︑それらの大部分は政府の工
作上の誤りによってもたらされた問題で
あるという気がします︒一つの例として︑
文革時代には民族関係が全く他の問題と
すり替えられていたことが挙げられま
す︒延辺の朝鮮族地域では﹁外国分子に
通じたスパイ行為﹂が云々され︑内モン
ゴルでは﹁内モンゴル人民革命党摘発運
動﹂がなされたものです︒こうした運動
は今日決して再びあってはならないもの
ですが︑これによって生まれた民族間の
齪顔は︑短期間で修復することが不可能
です︒八〇年代以後﹁歴史の見直し﹂が
なされ︑政策に関わるハードな問題はた
しかに解決されても︑人間の感情に関わ
るソフトな問題については解決が非常に
難しく︑民族意識の高まりが依然として
続いているのです︒
高これまでのお話を整理しますと︑こ
ういうことになるでしょうか︒民族矛盾