時代を超えてこの地を支えてき
た長崎の歴史遺産。
その背景にある人々や出来事が
歴史と私たちの距離を近づけて
くれます。
過ごした島への愛情
「
日
本
人
の
強
い
精
神
と
英
知
が
詰
ま
っ
た
島
」
歴 史 の背 景に は こ の 人 が …
長崎・端島会(軍艦島) 会長 加地 英夫さん
こ
こ
で
島
民
と
し
て
生
活
し
、精
一
杯
生
き
て
い
た
あ
の
輝
か
し
い
時
間
と
、こ
の
島
は
私
の
人
生
そ
の
も
の
で
す
。
世
界
遺
産
に
登
録
さ
れ
た
今
、こ
こ
で
確
か
に
多
く
の
人
々
が
暮
ら
し
て
い
た
と
い
う
記
録
を
残
し
て
い
か
な
け
れ
ば
な
ら
な
い
、そ
れ
こ
そ
が
、こ
の
島
で
生
ま
れ
育
ち
、仕
事
を
し
て
、閉
山
ま
で
い
た
自
分
の
使
命
か
と
思
い
ま
す
。
▲第1見学広場 ▲日本最古の鉄筋コンクリート造 アパート(第3見学広場) ▲活気あふれる昭和40年代の端島銀座
35年もの長い歳月を
端島炭坑
(通称:軍艦島)高島炭坑(p12)の技術を引き継ぎ、発展させ、炭鉱の 島として開発されました。高島炭鉱の主力坑となり、 国内外の石炭需要を賄い、八幡製鐵所へも原料炭 を供給しました。また高層住宅が建設され、最盛期 には約5,300人が居住しましたが、エネルギー政策 の転換により1974年に閉山、無人島となりました。
石
炭
産
業
の
繁
栄
と
衰
退
を
物
語
る
か
つ
て
の
海
底
炭
坑
世界文化遺産
▶地図 p37 A-3 は し ま
国指定史跡
〈 以下は広告スペースです 〉 市
製鉄・製鋼、造船、石炭産業
「
長
崎
は
わ
し
の
希
望
じ
ゃ
」
歴 史 の背 景に は こ の 人 が …
坂本龍馬 長崎歴史文化博物館収蔵
龍
馬
が
勝
海
舟
に
伴
わ
れ
て
初
め
て
長
崎
を
訪
れ
た
の
が
1
8
6
4
年
。こ
の
地
で
グ
ラ
バ
ー
と
出
会
い
、異
国
の
青
年
が
長
崎
で
大
き
く
ビ
ジ
ネ
ス
を
展
開
し
て
い
る
こ
と
に
驚
き
、長
崎
を
希
望
の
地
と
感
じ
ま
す
。そ
の
後
も
、グ
ラ
バ
ー
に
多
大
な
影
響
を
受
け
た
龍
馬
は
、﹁
亀
山
社
中
﹂を
結
成
し
、海
運
業
を
手
掛
け
る
一
方
で
倒
幕
活
動
に
奔
走
。そ
の
活
躍
は
、薩
長
同
盟
へ
の
道
筋
を
敷
き
、日
本
の
夜
明
け
を
導
く
礎
と
な
り
ま
し
た
。
旧グラバー住宅
1863年に建設された旧グラバー住宅は、国内に現存 する最古の木造洋風建築で、居住やビジネスの拠点、 また文化交流の拠点となりました。棟梁は大浦天主堂 などを請け負った天草出身の小山秀之進(後に秀)と いわれています。正面に三菱重工業(株)長崎造船所 を眺望できる高台に位置しています。
日
本
に
西
洋
技
術
を
伝
え
た
ビ
ジ
ネ
ス
の
拠
点
グ ラ バ ー と 龍
馬 の
出 逢
い
トーマス・ブレーク・グラバー
スコットランド出身で、開港後間もない長崎で「グラバー商 会」を設立。小菅修船場の建設や、高島炭坑の開発に協力す るなど、後に日本の主要産業となる造船・石炭産業分野の近 代化に大きく貢献。日本政府は、グラバーの功績を評価し、 勲二等旭日重光章という栄誉ある勲章を与えました。
日本の近代化の立役者
◀トーマス・ブレーク・グラバー
長崎歴史文化博物館収蔵
世界文化遺産 重要文化財
▶地図 p35 B-3
こすげ
〈 以下は広告スペースです 〉
小菅修船場跡
(通称:ソロバンドック)
1869年、薩摩藩とグラバーによって建設された船舶修理施設で、日本最古の蒸気 機関を動力とする曳揚げ装置を装備した洋式スリップドック。装置を格納する小 屋は、現存する日本最古の本格的な煉瓦造建築で、扁平な煉瓦は、その形状か ら「こんにゃく煉瓦」とも呼ばれています。多数の船の修理や建造に使用されまし たが、船の大型化や他の造船工場の本格稼働もあり、1953年に閉鎖されました。
三菱長崎造船所 第三船渠
1905年に建設されたドライドック。入り江の地形を利用し、背後 の崖を切り崩し、前面の海を埋め立てて建設されました。明治 期、第一船渠、第二船渠、第三船渠と続けて開渠しましたが現役 は第三船渠のみ。船舶の大型化に伴い、3度拡張されました。 ドック建設時に設置された英国製の電動機で駆動される排水 ポンプは今も稼働しています。
高島炭坑
(北渓井坑跡)
開国に伴い、外国の蒸気船の燃料として高まった 石炭需要を受け、1868年、長崎沖の洋上の高島に おいて、佐賀藩がスコットランド出身の貿易商グラ バーとともに開発しました。英国人技師モーリスを 招き、1869年、日本最初の蒸気機関による竪坑で ある高島炭坑(北渓井坑)が開坑。1881年からは 三菱が所有し、高島炭坑の石炭技術は、日本の炭 鉱において近代化の先駆けとなりました。
日 本 は 、九 州 ・ 山 口 を 中 心 に 幕 末 か ら 明 治 期 に か け て 、西 洋 の 技 術
や 知 識 を 幅 広 く 吸 収 し 、類 ま れ な ス ピ ー ド で 工 業 化 ・ 近 代 化 を
進 め て き ま し た 。西 欧 以 外 の 地 域 で 、は じ め て か つ 、き わ め て 短 期 間 の う ち に 成 し 遂 げ た と い う 点 で 、世 界 的 な 価 値 を 持 っ て お り 、2 0 1 5 年 7 月 、世 界 文 化 遺
産 に 登 録 さ れ ま し た 。
日
本
で
初
め
て
蒸
気
動
力
を
用
い
た
ス
リ
ッ
プ
ド
ッ
ク
日
本
の
近
代
石
炭
産
業
の
原
点
三菱重工業(株)提供
三菱重工業(株)提供
世界文化遺産 国指定史跡
ほっけいせいこうあと
こ す げ し ゅ う せ ん ば あ と
世界文化遺産
世界文化遺産 国指定史跡
▶地図 p35 A-3
▶地図 p37 A-2
▶地図 p35 B-4
れんが
せんきょ
〈 以下は広告スペースです 〉
ଦޫƤഺٱ
龍馬のぶーつ像
製鉄・製鋼、造船、石炭産業
三菱長崎造船所 旧木型場
1898年に鋳物製品の需要増大に対応して建設されました。工場建 物は木骨煉瓦造二階建で、鋳型製造のための木型を製作しまし た。1985年、史料館として改装され、日本最古の工作機械(長崎製 鉄所建設時の1857年にオランダから輸入した「竪削盤」)を展示す るなど、長崎造船所の歴史を紹介する展示施設として一般公開され ています。
三菱長崎造船所 占勝閣
長崎造船所長の邸宅として第三船渠を見 下ろす丘の上に建設された木造二階建洋 館。現在もほぼ創建当時の姿で迎賓館と して、進水式・引渡式の祝賀会、貴賓の接 待等に使用されています。
非公開施設
非公開施設
三菱日立パワーシステムズ(株)提供
三菱長崎造船所
ジャイアント・カンチレバークレーン
同型としては日本で初めて建設された電動クレーン。英国アップ ルビー社製。電気モーターで駆動される当時最新のクレーンで、 タービンやボイラーなど大型機械の船舶への搭載と陸揚げのた め建設されました。1961年にクレーンは、飽の浦岸壁から水の浦 岸壁の現位置に移設され、現在は機械工場で製造した蒸気ター ビンや大型船舶用プロペラの船積み用に使用されています。
●所 在 地 /飽の浦町1番1号
●見学方法 /長崎駅前から史料館専用シャトルバス(事 前予約制)を運行。見学希望者は必ず電話で予約してく ださい。(当日予約可) ☎
095-828-4134
(史料館) ●開館時間/9時∼16時30分●休 館 日 /毎月第2土曜日、年末年始、史料館停電日 ※詳細は、ホームページをご参照ください。 ●入館料(施設維持管理費)/大人(高校生以上)800円、
小・中学生400円、未就学児 無料
2
0
0
8
年
に
組
立
課
に
移
管
さ
れ
て
か
ら
ク
レ
ー
ン
運
転
士
、 2
0
1
5
年
の
4
月
か
ら
は
作
業
長
と
し
て
運
転
や
維
持
管
理
に
関
わ
っ
て
い
ま
す
。私
た
ち
の
職
場
で
は
扛
重
機
と
呼
ん
で
お
り
、現
場
に
欠
か
せ
な
い
重
要
な
設
備
の
一
つ
で
す
。世
界
遺
産
に
な
り
歴
史
の
重
み
を
感
じ
て
は
い
ま
す
が
、扛
重
機
を
大
切
に
す
る
思
い
は
変
わ
り
ま
せ
ん
。
先
輩
方
か
ら
受
け
継
い
だ
技
術
を
次
の
世
代
に
伝
承
し
、一
日
で
も
長
く
稼
働
で
き
る
よ
う
、こ
れ
ま
で
通
り
日
々
の
運
転
・
メ
ン
テ
ナ
ン
ス
に
取
り
組
ん
で
い
き
ま
す
。
現
役
で
稼
働
す
る
、
同
型
と
し
て
は
日
本
初
の
電
動
ク
レ
ー
ン
三菱重工業(株)提供
三菱重工業(株)提供 世界文化遺産
世界文化遺産
世界文化遺産
こ
う
じ
ゅ
う
き
三菱日立パワーシステムズ株式会社 長崎ターボマシン製造部 組立課
作業長 村田 豊さん
▶地図 p35 A-3
▶地図 p35 A-3
▶地図 p35 A-3
せんしょうかく
き が た ば
〈 以下は広告スペースです 〉 〈 以下は広告スペースです 〉
ଦޫƤഺٱ
東山手甲十三番館
ଦޫƤഺٱ
東山手甲十三番館
長
崎
市
の
外
海
地
域
で
は
禁
教
下
に
お
い
て
も
キ
リ
ス
ト
教
信
仰
が
組
織
的
に
継
承
さ
れ
て
き
ま
し
た
。
1
8
7
3
年
の
キ
リ
ス
ト
教
解
禁
後
に
、ド
・
ロ
神
父
の
指
導
の
も
と
、次
々
と
建
て
ら
れ
た
出
津
教
会
堂︵
重
要
文
化
財
︶や
旧
出
津
救
助
院︵
重
要
文
化
財
︶等
は
、潜
伏
し
て
い
た
信
徒
た
ち
が
カ
ト
リ
ッ
ク
へ
復
帰
す
る
歴
史
的
な
過
程
を
示
し
て
い
ま
す
。
▶地図 p36 D-2
▶地図 p36 D-3
重要文化財 し つ
姿
重要文化財
入 館 料/大人300円、中・高生200円、小学生150円
出津教会堂
旧出津救助院
16 世 紀 以 来 の 日 本 に お け る キ リ ス ト 教 の 受 容 過 程 を 示 す 類 ま れ な 遺 産 で す 。こ の 受 容 の 過 程 は 、﹁ キ リ ス ト 教 の 伝 播 と 普 及 ﹂、﹁ 禁 教 下 の 継 承 ﹂、﹁ 解 禁 後 の 復 帰 ﹂の 大 き く 3 段 階 に 分 け ら れ ま す 。大 航 海 時 代 以 降 の 東 西 交 流 を 通 じ て 、日 本 で 唯 一 キ リ ス ト 教 伝 来 か ら 現 在 ま で 困 難 を 乗 り 越 え 継 承 さ れ た 独 特 な 文 化 的 伝 統 を 示 す も の で 、﹁ 城 跡 ﹂、﹁ 集 落 ﹂、﹁ 教 会 建 築 ﹂ の 14 の 資 産 で 構 成 さ れ て い ま す 。
〈 以下は広告スペースです 〉
ଦޫƤഺٱ
日本二十六聖人記念碑
長▶地図 p35 B-3
▶地図 p36 D-2 ▶地図 p35 B-3
入 館 料/大人600円、 中・高生400円、小学生300円
国宝
1864年に建築された現存する日本最 古の教会建築。教会建築としては 唯一国宝に指定されています。西坂 の丘で殉教した日本二十六聖人に捧 げるために建てられ、「信徒発見」の 舞台として世界的に名高い教会で す。
※教会の写真掲載はカトリック長崎大司教区の許可をいただいています。
大野教会堂
旧羅典神学校
大浦天主堂
重要文化財 重要文化財
ら て ん
19
世
紀
の
開
国
後
に
再
来
日
し
た
外
国
人
宣
教
師
に
よ
っ
て
、1
8
6
4
年
に
建
て
ら
れ
た﹁
大
浦
天
主
堂
﹂
は
、そ
れ
ま
で
ひ
そ
か
に
信
仰
を
継
承
し
て
い
た
信
徒
発
見
の
舞
台
と
な
り
ま
し
た
。こ
れ
を
契
機
に
多
く
の
人
々
が
キ
リ
ス
ト
教
に
復
帰
す
る
こ
と
に
な
り
、長
崎
各
地
で
教
会
が
建
設
さ
れ
て
い
き
ま
す
。そ
し
て
明
治
時
代
以
降
は
、パ
リ
外
国
宣
教
会
の
日
本
に
お
け
る
再
布
教
の
拠
点
と
な
り
ま
し
た
。大
浦
天
主
堂
境
内
は
、大
浦
天
主
堂︵
国
宝
︶や
旧
羅
典
神
学
校
︵
重
要
文
化
財
︶他
2
棟
の
施
設
が
保
存
さ
れ
て
お
り
、幕
末
以
降
の
キ
リ
ス
ト
教
史
に
関
す
る
わ
が
国
初
の
国
指
定
史
跡
に
も
選
ば
れ
て
い
ま
す
。
〈 以下は広告スペースです 〉
学校
▶地図 p35 B-1
▶地図 p35 B-1
▶地図 p35 B-1 ▶地図 p35 A-1
にょ こ どう 国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館提供
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館提供
〈 以下は広告スペースです 〉 市
▶地図 p35 B-1 ▶地図 p35 B-1
▶地図 p35 B-1
原爆の爆風により片方の柱が倒壊し 一本柱となりました。山王神社境内 の被爆クスノキとともに、平和学習や 被爆遺構巡りで多くのかたが訪れて います。
学長以下、教職員、学生など 約900人が亡くなるという壊 滅的な被害を受けました。 爆風を受け、傾いた門柱が今 も保存されています。 強烈な爆風で倒壊し
た巨大な鐘楼は、川ま で崩れ落ちました。鐘 楼は現在も崩れ落ち た場所に保存されてい ます。
外海地区の教育や文化、観光の拠点。 史跡や建築物などの文化財や文化施設 が集まっています。
● 外海歴史民俗資料館(有料) ● ド・ロ神父記念館(有料) ● 外海子ども博物館(有料) ● 出津教会など
外海行政センター ☎0959-24-0211
● お問い合わせ