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人文社会科学研究第 21 号 切り替えたことが窺われる しかしこれも掲載されることはなかっ していた 新小説 への掲載を見送り 大阪毎日新聞 への掲載に れませんが なる可く暇を沢山下さい と書かれており 当初予定 化の殺人 としておいて下さい或は 踏絵 と云ふのになるかも知 して下さい出来るなら来

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一、 ﹁開化の殺人﹂について ﹁開化の殺人﹂ は、 大正七年七月に発行された ﹁中央公論﹂ の ﹁秘 密と解放号 ﹂の ﹁ 芸術的探偵小説 ︵ 新探偵小説 ︶﹂の創作欄の一つ として掲載された。同時に掲載されたのは谷崎潤一郎﹁二人の芸術 家の話﹂ 、 佐藤春夫 ﹁指紋﹂ 、 里見弴 ﹁刑事の家﹂ である。 ﹁探偵小説﹂ と言っても、明治・大正期、すなわち﹁推理小説﹂というジャンル が成立する以前の﹁探偵小説﹂というジャンルの扱う範囲はかなり 広く﹁本来の謎解き小説以外に、怪奇・幻想小説、科学小説、犯罪 小説などの広範囲なジャンルを含む用語として使われてきた ︵1︶ ﹂とい う経緯がある。それゆえ芥川の﹁開化の殺人﹂も物語内容を厳密に 言えば、 犯罪告白小説ということになろう。 もちろん、 こうした ﹁開 化の殺人﹂のジャンルを確定することに大きな意味はないが、芥川 自身が﹁開化の殺人﹂を当初から﹁探偵小説﹂として構想していた ことは留意しておくべき事柄のように思える。   よく知られているように芥川には﹁開化の殺人﹂発表のおよそ半 年前の大正六年十一月十七日付けの松岡譲に宛てた葉書が残されて いる。そこには﹁ボクは新年号に探偵小説を書いてゐる最後の賃仕 事と云う気がするから大いに与太をとばしてゐる﹂と触れられてお り、また同じ松岡宛に書かれた大正六年十一月二十四日の葉書では ﹁こんど新小説へ﹁開化の殺人﹂と云ふものを書く   一種の探偵小 説じみたものだ﹂ とあり、 この時点で ﹁開化の殺人﹂ が ﹁探偵小説﹂ であるという 、タイトルとジャンルの組み合わせが芥川の中で決

芥川龍之介﹁開化の殺人﹂論

On Akutagawa Ryuunosukes "Kaika no satsujin"

西田一豊 NISHIDA Kazutoyo 要旨   芥川龍之介の﹁開化の殺人﹂について、これまでの﹁開化物﹂という評価を一端保留し、芥川によってそれ以前に書かれた男女の三 角関係を描いたテクストと比較検証することで、その特性を明らかにした。また三角関係の問題系をテクストの読解格子として用いること で 、﹁開化の殺人﹂の犯罪告白が行われる ﹁遺書﹂部分の語り手が 、常に三角関係から疎外される人物であり 、自らをその中に位置づけよ うとすることにおいて、 語り手自身が ﹁犯罪者﹂ と ﹁探偵﹂ とに演じ分かれているとの見解を得た。 またその点がそもそも作家によって ﹁探 偵小説﹂として企図された﹁開化の殺人﹂の特性であるとする。

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まっていたと考えられる 。しかし 、﹁ 開化の殺人 ﹂発表までのその 後の経緯は紆余曲折し、同年十二月八日に薄田泣菫宛書簡に﹁新年 号を二つ書くので大分くたびれますからなる可く〆切るのはおそく して下さい出来るなら来年へ少しはみ出したいのですが、題は﹁開 化の殺人﹂としておいて下さい或は﹁踏絵﹂と云ふのになるかも知 れませんが、なる可く暇を沢山下さい﹂と書かれており、当初予定 していた﹁新小説﹂への掲載を見送り﹁大阪毎日新聞﹂への掲載に 切り替えたことが窺われる。しかしこれも掲載されることはなかっ た。ちなみに大正七年の﹁新小説﹂の﹁新年号﹂に掲載されたのは ﹁西郷隆盛﹂で、 ﹁大阪毎日新聞﹂へは﹁開化の殺人﹂ ﹁踏絵﹂の掲 載ではなく大正七年五月一日から二二日まで夕刊に﹁地獄変﹂の連 載がされている︵五月五日、一六日は休載︶ 。   再び芥川の書簡に﹁開化の殺人﹂に関連する記述が登場するのは 大正七年六月十八日の松岡譲宛のもので 、﹁ 中央公論に探偵小説を 書く約束をしたのでいやいやへんなものを書いてゐる   どうも才能 をプロステイテユウトするやうな気がして心細くつていけない   そ れに探偵小説のつもりで書いてゐても探偵小説でなくなりさうなの だ﹂ とあり、 これが翌月に ﹁中央公論﹂ に掲載された ﹁開化の殺人﹂ であることは明らかである。勝手な推測をしてしまえば、結局は発 表されることはなかった﹁踏絵﹂と同じく﹁開化の殺人﹂も、芥川 の中では反古されたテクストとしてあったのだが 、﹁ 中央公論 ﹂の 原稿依頼に促され再び﹁開化の殺人﹂原稿に手を入れることになっ たというのが実状ではなかろうか 。﹁ いやいやへんなものを書いて ゐる﹂という記述には作家の韜晦という以上の本音が隠されている ように思える。   事実、 ﹁開化の殺人﹂には、その草稿と思われる未定稿と、 ﹁未定 稿﹂と題された﹁新小説﹂大正九年四月号掲載の未完のテクストが 存在している。これらは初出稿﹁開化の殺人﹂と登場人物名が一致 しているが、内容は字義通りの﹁探偵小説﹂となっている。既に一 度使用した登場人物の固有名を、再び別の小説テクストで別人格に 付与するとは考えがたい以上、これら草稿ないし未完のテクスト群 は ﹁開化の殺人﹂ のプレテクストであると考える方が自然であろう。 つまり、書簡の記述を信用するとすれば、芥川にとって﹁開化の殺 人﹂とはそもそも﹁探偵小説﹂にカテゴライズされるべきテクスト だったわけである。   なぜこうしたジャンルによる区分を改めて強調するのかという と、周知のように﹁開化の殺人﹂は芥川の﹁開化物﹂と呼ばれるテ クスト群の嚆矢としてもまた位置づけられているからである 。﹁ 開 化物﹂とは即ち﹁開化の殺人﹂ 、﹁開化の良人﹂ ︵﹁中外﹂大八・二︶ 、 ﹁舞踏会﹂ ︵﹁新潮﹂大九・一︶ 、﹁雛﹂ ︵﹁中央公論﹂大一二・三︶な どの明治開化期を舞台にした一連の小説テクストの謂いだが、特に ﹁開化の殺人﹂ ﹁開化の良人﹂ ﹁舞踏会﹂は中村真一郎に代表される ように登場人物を同じくする ﹁連環小説 ︵2︶ ﹂ としても捉えられており、 先行研究においても明治という時代にたいする作者芥川の考え方を これらのテクストに見るという言説が多く存在している ︵3︶ 。またこう した芥川の明治への時代認識と﹁開化の殺人﹂との関連付けは、こ のテクストと師夏目漱石の幾つかのテクストとの比較を先行研究に 呼び込んでもいる ︵4︶ 。無論おそらくは﹁開化物﹂に対して作者芥川も 意識的だった ︵5︶ のであり、そこから作者の明治観の検証や先行テクス トとの比較といった作業は当然行われるべきであろう。またそれは

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芥川テクストの歴史的位相の解明に資する重要な問題系であろうと 言える。   がしかし 、﹁ 開化の殺人 ﹂という単体のテクストを考えた場合 、 それをそのまま﹁開化物﹂として捉えるのにはいささか躊躇せざる を得ない 。﹁ 開化の殺人 ﹂とその後の ﹁ 開化物 ﹂との結節点は明治 という時代設定は言うまでもないにしろ、 ﹁開化の殺人﹂ ﹁開化の良 人 ﹂﹁ 舞踏会 ﹂に限れば ﹁ 本多子爵夫妻 ﹂という登場人物の重複に あると考えられ、またその﹁本多子爵夫妻﹂から話を聞くという第 三者の設定がもたらす、枠小説という構成方法にも共通点が見出せ ると思われる。この後者の点について松本常彦氏は﹁空白をはさむ 二つの時代が作品の枠組となるということを第一の特徴とする﹂と これらテクストの共通点として指摘している ︵6︶ が、ただし﹁開化の殺 人 ﹂の枠組の設定は単行本 ﹃ 傀儡師 ﹄︵ 大八 ・一 、新潮社 ︶所収に 際して採られたものであり、それはおそらく﹁開化の良人﹂発表時 に芥川によって﹁連環小説﹂といってよい趣向が採られた結果と考 えられる。つまり﹁開化の殺人﹂発表時には、明治期を小説に描く という作者の意向があったにせよ、それを以後の﹁開化物﹂として まとまるようなテクスト群として思い描いていたかというと、どう もそう言い切れるものではないように思われるのである。   では﹁開化の殺人﹂というテクストは芥川のテクスト群において どのような位相をしめるのだろうか。この点に関して浅野洋氏の次 のような指摘は大きな示唆となるように思われる ︵7︶ 。   開化という時代背景を想起させる芥川の配慮は本編に入って も周到である。 ︽新帰朝者のドクトル︾たること、 ︽明治十一年 八月三日 ︾ほか具体的年月日の明示 、︽ 成島柳北 ︾の固有名詞 など、開化を指示する叙述は遺書中の随所に見られる︵初出稿 も同じ ︶。だが 、時代を明示するこうした叙述が 、どれほど以 下のような物語内容と結びつくか 、はなはだ疑問である 。︵ 中 略︱引用者︶恋愛心理に潜む無意識の︽利己主義︾から発した 殺人と自殺のドラマは、 なんら ︿開化﹀ を必須の背景としない。   つまり浅野氏は物語内容とその衣装たる物語設定との相関関係が 充分に機能していないということを指摘しているのだが、 確かに ﹁恋 愛心理﹂に起因する殺人の告白をするのに、わざわざ明治期が時間 設定として特別に必要だというわけではないだろう。つまり﹁開化 の殺人﹂ は明治期を舞台にした ﹁探偵小説﹂ というモチーフと、 ﹁恋 愛心理﹂に関わる別のモチーフが渾然一体となっているのではない だろうか。前者に関して言うならば、明治期を舞台にした﹁探偵﹂ の登場する小説であるという設定は、あくまで﹁探偵﹂と犯罪とい うモチーフが成立するような時空間を設定するためのものだったよ うにも思われる。例えば芥川が﹁昔﹂ ︵﹁東京日日新聞﹂大七・一・ 一︶で言うような、フィクションを可能にする時間設定だったとそ れは考えられないだろうか。   今僕が或テエマを捉へてそれを小説に書くとする。さうして そのテエマを芸術的に最も力強く表現する為には、或異常な事 件が必要になるとする。 その場合、 その異常な事件なるものは、 異常なだけそれだけ、今日この日本に起つた事としては書きこ なし悪い、もし強て書けば、多くの場合不自然の感を読者に起

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こさせて、その結果折角のテエマまでも犬死をさせることにな つてしまふ。所でこの困難を除く手段には﹁今日この日本に起 つた事としては書きこなし悪い﹂ と云ふ語が示しているやうに、 昔か︵未来は稀であらう︶日本以外の土地か或は昔日本以外の 土地から起つた事とするより外はない。僕の昔から材料を採っ た小説は大抵この必要に迫られて、不自然の障 しやう 碍 がい を避ける為に 舞台を昔に求めたのである。   ﹁ 開化の殺人 ﹂に限って言えば 、それは ﹁ 或異常な事件 ﹂を描く ために採られた時間設定であって、ここから﹁本多保﹂を﹁探偵﹂ とする一連の ﹁開化の殺人﹂ 草稿類が成ったと考えられる。 しかし、 どのような理由でそれら草稿類が破棄されるに至ったか不明だが、 大正七年六月に再びこの草稿に手を入れる際に、芥川はテクストの 大まかな設定はそのままに、別のモチーフをそこに流し入れた。そ れが七月に﹁中央公論﹂に発表された﹁開化の殺人﹂というテクス トになったのではないだろうか。 そして時間軸に沿って見るならば、 その後﹁開化の良人﹂発表に際して、両テクストの連関を思いつい た芥川が﹃傀儡師﹄に﹁開化の殺人﹂を所収する時点でその繋がり を明確にするために﹁予﹂による前書きを附したということになる と思われる。このように考えてみると、例えば﹁開化の殺人﹂でド クトル北畠義一郎が医学を修めるために、当時細菌学の発達により 医学会をリードしていたドイツではなく 、﹁ 英京龍動 ﹂に留学する という不自然な印象を与える設定も説明が付くだろう 。﹁ 未定稿 ﹂ で﹁探偵﹂を勤めることになる﹁本多保﹂がそもそも﹁永らく英吉 利にゐた﹂という設定が与えられているのである。   では、こうした明治期という時間設定とは別に﹁開化の殺人﹂に 含まれることになった﹁恋愛心理﹂というもう一つのモチーフはど こからきたのだろうか。この点について松本常彦氏は﹁その作品の 枠の中で語られる物語が﹁雛﹂をのぞきいずれも﹁男と女の問題﹂ を話柄とする﹂と指摘し、 ﹁芥川中期文学の背後に﹁男と女の物語﹂ とでも称すべき作品の系譜が想定され﹂るとしている ︵8︶ 。確かに松本 氏が指摘するように 、﹁ 開化の殺人 ﹂が発表される大正七年七月ま でに芥川のテクストには﹁男と女の物語﹂が幾つか書かれている。 そしてそれらのテクストの内容も実はほとんどが男女の三角関係と それに起因する殺害を含む事件の発生というをモチーフを共通して 持っているのである。すなわち﹁開化の殺人﹂には﹁開化物﹂とい う側面と同時に男女の三角関係を扱った物語というテクストの系譜 的側面も併せ持っているのである。そこで本論では、こうした﹁男 と女の物語﹂ないしは三角関係のテクストの系譜において﹁開化の 殺人﹂を捉え、その特徴を芥川による他のテクストと比較し検証し てみたい。 二、三角関係の系譜   ﹁ 開化の殺人 ﹂と芥川のそれ以前のテクストとの比較はこれまで いくつか行われてきた ︵9︶ 。特にその遺書による独白形式と書簡による 独白形式という類似点から﹁二つの手紙﹂ ︵﹁黒潮﹂大六・九︶がし ばしば比較の対象とされている。また﹁二つの手紙﹂において﹁閣 下は私の正気だと云ふ事を御信じ下さい﹂という語り手の精神状態 に言及する箇所が、 ﹁開化の殺人﹂ においても ﹁予は全然正気にして、

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予が告白は徹頭徹尾事実なり 。卿等幸にそを信ぜよ 。﹂と同様に自 らの語りの正常性を訴える記述となっており、二つのテクストの深 い関連性が考えられるだろう。ただ、そうした叙述のあり方や語り の方法だけでなく 、﹁ 開化の殺人 ﹂がドクトル北畠義一郎による 、 甘露寺明子をめぐるある種の三角関係の提示だったのに対して、 ﹁二 つの手紙﹂もドッペルゲンガーに事寄せた妻の﹁姦通﹂をめぐる三 角関係の提示という共通性を持っているのである。           こうした男女の三角関係をモチーフとした﹁開化の殺人﹂以前の テクストとしては 、﹁ 偸盗 ﹂︵ ﹁ 中央公論 ﹂大六 ・四/七 ︶がまずは 挙げられねばならない。そこでは太郎と次郎、そして沙金の三角関 係が物語を推進させる重要なモチーフとして機能していた。以後発 表年月日順に三角関係を扱ったテクストを挙げていくと、先に挙げ た﹁二つの手紙﹂ 、﹁南瓜﹂ ︵﹁読売新聞﹂大七・二・二四︶ 、﹁袈裟と 盛遠﹂ ︵﹁中央公論﹂ 大七・四︶ 、﹁地獄変﹂ ということになるだろう。 ﹁袈裟と盛遠﹂は袈裟と盛遠のそれぞれの独白体によって構成され ているが、二者の心的苦悩の原因はやはり男女の三角関係にあると いってよいだろうし、また﹁地獄変﹂はいささか趣を異にしている ように見えるが、しかしそこにおいて問題としてあったのは良秀と その娘、そして大殿との三角関係であるように思える。つまり、芥 川のテクストには﹁偸盗﹂が﹁中央公論﹂に掲載された大正六年四 月以降、しばしば男女の三角関係が重要なモチーフとして登場して いるのである。そしてさらに指摘するならば、以上挙げた小説テク ストのすべてが、 三角関係の一角を担う人物の死、 ないしは殺害 ︵あ るいはその企図︶ という物語内容になっているのである。 男女の ﹁恋 愛心理﹂とそれに伴う死というモチーフへの作者の拘りというもの がこれらのテクストから透けて見えるだろう。   ただし、ではなぜ芥川はこの時期この男女の三角関係とその死と いうモチーフに拘っていたのかという、作家論的疑問に明確な答え を出すことは難しい。この時期、つまりは大正六年の下半期から大 正七年の上半期にかけて、芥川の周辺で自身の結婚や夏目家と久米 正雄、松岡譲との結婚騒動が起きていたのは確かである。無論、夏 目筆子と久米正雄そして松岡譲との謂わば三角関係がそのまま芥川 のテクストのモチーフになったと言いたいわけではない。またこの 時期の作家自身の創作態度から考えてもそうしたことは考えにく い。ただ、この時期こうした周辺の恋愛にまつわる穏やかならぬ事 態を通じて、作者自身にある感興が引き起こされていたのは確かで ある。そしてそうした感興が右に見てきた男女の三角関係のモチー フと無関係だとは言い切れないだろう。例えば翌年芥川夫人となる 塚本文に宛てた大正六年十二月十二日の書簡はこうした事態を理解 する上でなんらかの手引きとなる記述であると思われる。   久米は今飯も食へない程悲観してゐます   破談になつた時は 横須賀のボクの所まで来て、 いろいろ泣き言を云ひました   ︵中 略︱引用者︶この間フランスのピエル・ロティと云ふ人の小説 をよんだらアフリカへ行つてゐるフランスの守備兵が、故郷の 許嫁が外の人に片づいてしまつたのに悲観して、とうとう戦死 してしまふ話がありました   シエクスピアが "Frailty, the name is woman!" と云つたのは 有名です   坪内さんはこれを﹁脆きものよ汝の名は女なり﹂と 訳しました   女と云ふものの当てにならない事を云つたのです

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  久米の破談による悲観が、芥川にとっては小説テクストによって 傍証されているという大変興味深い一節だが、特に留意しておきた いのは﹁ピエル・ロティ﹂の﹁アフリカへ行つてゐるフランスの守 備兵が、故郷の許嫁が外の人に片づいてしまつたのに悲観して、と うとう戦死してしまふ話﹂という、後の﹁開化の殺人﹂の内容をも 思わせる一節についてである。   芥川がこの書簡で言及するロティの小説は、おそらく﹃アフリカ 騎兵 ︶10 ︵ ﹄を指していると思われるのだが、ただし芥川が説明するよう な内容とは若干異なり 、﹃ アフリカ騎兵 ﹄は許嫁と両親をフランス に残して守備兵としてアフリカへ来たジャン・ペーラルが、土地の 少女ファトゥー・ゲイと親しくなり、エキゾチズムな視線によって 捉えられたアフリカ大陸の描写を背景に、倦怠とも退嬰とも言い得 るような生活を二人で送るうちに 、﹁ 故郷の許嫁が外の人に片づい てしまつた﹂ことを母親からの手紙で知ったジャンが、 ﹁悲観して、 とうとう戦死してしまふ話﹂ である。 すなわち芥川の説明には、 ジャ ンにアフリカで妻とも呼べる少女の存在があったこと、またその少 女ファトゥー・ゲイがジャンの戦死に際して、ジャンとのあいだに 授かった子どもを殺害した後、自らの命を絶ったことなどの﹃アフ リカ騎兵﹄の主要な物語内容が欠落しているのである。もちろん、 詳細にその梗概を手紙で述べる必要などないのだが、芥川の﹃アフ リカ騎兵﹄の内容のまとめ方から、この時点での芥川にとって、男 女の﹁恋愛心理﹂とは﹁女と云ふものの当てにならな﹂さとして映 じていたということが分かる。   そしてそうした男女の恋愛における﹁女と云ふものの当てになら な﹂さが反映されている小説テクストが﹁偸盗﹂と﹁二つの手紙﹂ ということになるだろう。もちろん、再び繰り返すが作者がなぜそ うしたモチーフを得るに至ったかという作家論的問題系は、このこ とに関する限り知りようがない。ただ小説テクストからその痕跡を 辿るとするならば、男女の恋愛心理を扱ったテクストの中でも、一 方で﹁偸盗﹂や﹁袈裟と盛遠﹂あるいは﹁地獄変﹂のように男女の 心理や行動が描かれるものがあり、また一方では他者として女性に 対して男性は如何様に振る舞えるかという男性側に視点の重心が置 かれているテクストがあるということである。このことは、いささ か図式的すぎるが﹁女と云ふものの当てにならな﹂さというモチー フに対して、それを裏返したともいえる、女性を信じる男性の心理 というモチーフの作家の中での浮上を意味しているだろう。そして ﹁開化の殺人﹂はそうした芥川の女性に対する感興から派生した、 信じる男性のモチーフによる小説テクストであると思われるのであ る。   例えば 、﹁ 開化の殺人 ﹂の草稿では既に男女の三角関係が事件に 関連するなんらかの要因となっていたことが窺われる。   ﹁さうしてその嫌疑者と云ふのは誰です﹂   ﹁ さあ 、そこで愈前に申し上げた肝腎の問題にはいるのです が、一体原氏と満村氏とは、その小藤と云ふ芸者から起つた鞘 当筋で、始終いがみ合つてゐたらしいのですな。現にあ マ 兇 マ 行の 当日も、二人は木挽町の対月︵仮名︶であつた宴会の席上で、 杯のやりとりから、既に立廻りさへ演じ兼ねない程の喧嘩をし た事があるのださうです。

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  事件の真相が書かれなかった未完の﹁探偵小説﹂のその事件の真 相について推測するのはナンセンスの極みだろうが、 ﹁開化の殺人﹂ 草稿のプロットは原、満村、小藤の三角関係に心理的謎が掛けられ るように仕組まれていたはずである。無論、推量でしかないが、そ う言えるだろうと思えるのは、この草稿の﹁探偵小説﹂という結構 を外したテクストが ﹁南瓜﹂ であると考えられるからである。 ﹁南瓜﹂ には同様の設定で次のようにある。   そりゃ新聞に出てゐる通り、南瓜が薄 うす 雲 ぐも 太 だい 夫 ふ と云ふ華 おい 魁 らん に惚 れてゐた事はほんたうだらう。さうしてあの奈 な 良 ら 茂 も と云ふ成金 が、その又太夫に惚れてゐたのにも違いない。が、なんぼあい つだつてそんな鞘 さや 当 あて 筋 すぢ だけぢや人殺しにも及ぶまいぢやない か。それよりもあいつが口惜しがつたのは、誰もあいつが薄雲 太夫に惚れてゐると云ふ事を、真にうける人間がゐなかつた事 だ。   ﹁開化の殺人﹂ 草稿における、 原、 満村、 小藤が ﹁南瓜﹂ では南瓜、 奈良茂、薄雲太夫に相当し、また単純な﹁鞘当筋﹂ではなく、南瓜 の自分の言ったことが真に受けられないという心理的理由による奈 良茂殺害というようになっている。芸者と花魁という違いはあるも のの、女性をめぐる男性二人の三角関係で、しかも殺害者の心理に 寄り添う語りというように 、﹁ 南瓜 ﹂は ﹁ 開化の殺人 ﹂草稿から雑 誌初出時の﹁開化の殺人﹂へとモチーフが発展するその中間点に位 置するテクストだといえよう。興味深いのは自分の伝えたいことが 伝わらないという南瓜の心理が行動によって明らかとなる点と、甘 露寺明子への愛を伝えられないというドクトル北畠義一郎が、殺人 の告白を書いた遺書によって最後に愛を伝え得た ︶11 ︵ という設定の近さ と、さらにはそうした男性の心理が語られるという小説の結構の類 似である 。﹁ 南瓜 ﹂から初出稿 ﹁ 開化の殺人 ﹂へのモチーフの発展 への径庭はそれほど大きくはない。つまりは初出稿﹁開化の殺人﹂ が書かれる材料はこの時、ほぼ出そろっていたと考えることができ るだろう。後はハッキリとしたテーマ系が設定されるだけである。 とすると 、﹁ 手帳2 ﹂の ﹁ 見開き9 ︶12 ︵ ﹂に記された次の記述は ﹁ 開化 の殺人﹂のテーマ設定に大きく関与していたと考えてよいと思われ る。   ○男   女を愛しその女他の男と結婚す   蓋女男を愛ししかも 男の愛を知らざる也   後  男嫉妬の為に夫を殺す   女はじめて 男の love を知るの thema   ここではっきりと男の愛した女が他の男と結婚し、それに嫉妬し た男が夫を殺害し、その行動によってしか女に気持ちを伝えられな いという﹁開化の殺人﹂の物語内容に極めて近い設定が記されてい るのである。   以上見てきたように 、﹁ 開化の殺人 ﹂には ﹁ 開化物 ﹂の嚆矢であ るという側面だけでなく、芥川による三角関係の系譜とでもいうべ き一連の男女の恋愛関係を描いた小説テクストの流れを汲んでいる 側面とがあった。 改めて整理し直すと、 そもそも大正六年の ﹁偸盗﹂ ﹁二つの手紙﹂には男女の三角関係というテーマ系が認められ、そ こから﹁当てにならな﹂い、言葉を換えるならば他者としての女性

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とそれに対する男性の心理というモチーフが浮上してきており、そ れを作者の﹃アメリカ騎兵﹄の内容のまとめ方に見た。おそらく大 正六年十一月の松岡宛書簡に﹁開化の殺人﹂執筆の記述があること から、この時期の芥川の創作に関する思念と、他者としての女性と それに関わる男性の心理というテーマ系がどこかで繋がっているは ずである 。ただそれを確認するだけの証拠は無いものの 、﹁ 開化の 殺人﹂草稿、 ﹁南瓜﹂ 、初出稿﹁開化の殺人﹂には﹁手帳2﹂の記述 を傍証とする同様のテーマ系の発展を見ることが出来る。また大正 七年に発表された ﹁袈裟と盛遠﹂ ﹁地獄変﹂ を合わせて考えるならば、 この時期の芥川の小説テクストに男女の三角関係とそれに起因する 殺人というプロットを共有するテクスト群を見出すことが出来るの である 。このように見てくると 、﹁ 開化の殺人 ﹂はそうしたテクス ト圏域に含まれる小説であると言うことが出来るだろう。   ただし 、﹁ 開化の殺人 ﹂の物語内容は 、関連すると思われる ﹁ 手 帳2﹂の記述と正確には一致しないことからも分かるように、単な る﹁鞘当筋﹂の物語とはなっていない。つまり、それ以前の同様の テーマ系を持つテクストが、三角関係を織りなす男女の、その当事 者たちの物語であったのに対し 、﹁ 開化の殺人 ﹂のドクトル北畠義 一郎は、甘露寺明子をめぐる三角関係の当事者ではなく、それに関 与する第四番目の人物として設定されている。それはおそらく、こ の小説テクストがそもそも﹁探偵小説﹂として企画されていたとい うことに起因しているだろう。すなわち北畠義一郎はこのテクスト において、事件に事後的に関与する﹁探偵﹂として登場しているの である。そして無論、彼が明らかにするのは犯罪者の動機であり、 それがすなわち北畠自身の心理なのである。 三、関係の擬態︱﹁犯罪者﹂と﹁探偵﹂と   ﹁ 開化の殺人 ﹂とそれ以前の三角関係を扱ったテクストとの相異 は、遺書によって告白を行う北畠が、甘露寺明子、本多子爵、満村 恭平とが織りなす三角関係からはみ出しているという点である。例 えば﹁偸盗﹂では太郎、次郎、そして沙金という三角関係が織りな す当事者たちの物語であったし 、﹁ 二つの手紙 ﹂は妻と自らのドッ ペルゲンガーに擬せられる ﹁姦通﹂ 相手、 そして語り手である ﹁私﹂ の一種奇妙な三角関係が当事者として語られていた。また﹁袈裟と 盛遠 ﹂も関係する男女のそれぞれの告白であったし 、﹁ 地獄変 ﹂は 当事者による直接の語りではないものの、三角関係を築いていると 思われる良秀とその娘、大殿とのやりとりが語り手によって仄めか されていた。つまりこれら諸テクストと比較すると﹁開化の殺人﹂ の北畠の告白は、三角関係当事者とは別の第四項による語りになっ ているのである。   このことを改めてテクストから見てみよう。しばしば引用される 北畠が明子を愛の対象として見初めた次の場面。   予は当時一六歳の少年にして、明子は未 いまだ 十歳の少女なりき。 五月某日予等は明子が家の芝生なる藤 ふじ 棚 だな の下に嬉 き 戯 ぎ せしが、明 子は予に対して、隻 せき 脚 きゃく にて善く久しく立つを得るやと問いぬ。 而して予が否と答ふるや、彼女は左手を垂れて左の趾 あしゆび を握り、 右手を挙げて均 きん 衡 かう を保ちつつ、隻脚にて立つ事、是を久うした りき。頭上の紫藤は春日の光に揺りて垂れ、藤下の明子は凝然

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として彫塑の如く佇 たゝず めり。予はこの画の如き数分の彼女を、今 に至つて忘るる能はず。私 ひそか に自ら省みて、予が心既に深く彼女 を愛せるに驚きしも、実にその藤棚の下に於て然りしなり。   北畠は以後この﹁藤下の明子﹂の姿を追い求めるのだが、彼はそ の思いを﹁予が小心なる、遂に一語の予が衷心を吐露す可きものを 出さず﹂ 、あるいはロンドンへの留学に際しても、 ﹁厳粛なる予等が 家庭﹂のため、あるいは﹁儒教主義の教育を受け﹂たために、遂に 明子に愛の告白をする機会を逸してしまう。これは北畠の回想の中 にある過去の状況であると伴に、遺書を書く今現在も北畠と明子は この関係であるということは確認されてよいことであろう。一方明 子を取り巻く状況は、北畠の留学中に﹁第×銀行頭取満村恭平の妻 となり﹂ 、さらにはそれ以前本多子爵との間に ﹁既に許嫁の約﹂ があっ たというものである。 つまり、 北畠が告白の機会を逸している間に、 明子を中心に夫満村恭平、かつての許嫁本多子爵という三角関係が 成立しており、北畠はこの関係性の中から謂わば疎外されているの である。   こうした明子、満村、本多子爵の関係性の中に北畠が入り込む余 地はほどんどない。北畠は明子への思いを胸に秘めた人物というだ けであり、三者から見れば埒外の人物である。にもかかわらず北畠 は、明子への思いを諦めることも出来ず、キリスト教の感化によっ てそれを﹁肉親的愛情﹂へ変化させ﹁進んで彼等に接近せん事を希 望﹂ しさえする。 言うまでもなくそれは極めて自己欺瞞的態度であっ て、北畠の本来の希望は疎外されている関係性の中に自己を投入さ せることであったはずである。そのために三角関係の中に自らを位 置づけようとする北畠は満村を殺害するという方法を採るのだが、 こうした関係性への自己の位置づけのために、殺人を自らに許した 動機が 、﹁ 断じて単なる嫉妬の情にあらずして 、寧不義を懲し不正 を除かんとする道徳的憤激﹂であると北畠がしている点は留目され てよいだろう。北畠の本来の悩みは既に三角関係の中に自らの位置 が無いというものであったにも関わらず、彼は﹁予が妹明子をこの 色鬼の手から救助す可し﹂という勧善懲悪に基づいた別の物語を自 らに課すのである。ここに﹁ドクトル自身の手になった戯曲﹂さえ ある﹁一種の劇通﹂であるところの北畠の姿を見ることは容易であ ろう。北畠の遺書はこうした自己劇化によって、単なる怨恨 ︶13 ︵ を持つ 者が、悲劇の主人公へと転身する類のものなのである ︶14 ︵ 。   もちろん満村殺害を勧善懲悪の物語の主人公のように成功裏に収 めても、北畠が疎外されていた三者の関係性が変わることはない。 というよりもむしろ事態は逆に三角関係の一項が除かれた明子と本 多子爵との関係性を強める結果となってしまう。つまり北畠の殺害 という行為は、満村、明子、本多子爵の三者の心理的均衡関係がも たらす三角関係の問題系とは、別種の問題系に属する事柄なのであ る。この三角関係の中には満村を殺害したとしても、北畠の占める 場所はないのである。それゆえ北畠自身は今以て排除されている三 角関係に悩まざるを得ないだろう。例えば北畠の日記の記述はそう した事態に北畠自身気付いている証左になると思われる。   されど同座より帰途、 予がふと予の殺人の動機に想到するや、 予は殆帰 き 趣 しゆ を失ひたるかの感に打たれたり。嗚呼、予は誰の為 に満村恭平を殺せしか。本多子爵の為か、明子の為か、抑 そ も亦 また

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予自身の為か。こは予も亦答ふる能はざるを如何。   北畠の述懐は 、北畠の満村殺害という行為の三角関係における まったくの徒労を表している。満村恭平の三角関係からの排除が、 当事者によって為されていない以上、それは外部からの影響の結果 として単に空白部になったということに等しい。当初からこの関係 性の中に生きていない北畠には、そもそもその空白を埋めるべき人 物としての資格がないのである。また北畠自身、こうした関係性を 変化させるべく行動したのではなく、体面的理由に固執する以上、 満村殺害の動機は満村︱北畠という二者関係における、勧善懲悪に 擬えた二項の一つの排除というものに留まっているのである。それ ゆえ後に﹁不可解なる怪物﹂の仕業として北畠の中で企図される本 多子爵殺害は、北畠自身の心情的理由とは別に、そもそも満村︱明 子︱本多子爵の三角関係に北畠自身が不当にも関与するものである 以上、その関係性の中で北畠の行為を正当化する理由はどこにもな いのである。   しかし、北畠はこうした排除された関係性の中に強引にも自らを 置こうと企てているといって良いだろう。そのための方便が自分に さえ理解できないという﹁不可解なる怪物﹂の創出である。極端に 言えば、本多子爵を殺害する動機の見つからない北畠は、自らの心 理を二つに分けることで、つまりは一人二役をこなす ︶15 ︵ ことで、一方 には満村の空白部を埋めるために、本多子爵から明子を奪おうとす る擬満村としての﹁不可解なる怪物﹂を置き、一方にはそれを制止 しようとするある種別人格の北畠を置くのである。 こうすることで、 満村︱明子︱本多子爵という関係性を北畠は満村の代わりとして擬 態しているのであり、そのため北畠による自害とはすなわち満村殺 害の反復としてあると考えられるのである。また遺書の終わり近く 北畠が﹁予を救はんがため﹂という理由で満村殺害と本多子爵殺害 を企図したのではないと強調するのは、こうした北畠の心中におい てのみ錯綜する関係性を整理するためであろうと思われる。満村殺 害はあくまで勧善懲悪の大儀のため、 そして本多子爵殺害の企図は、 北畠にさえ理解できない﹁不可解な怪物﹂によって引き起こされた のであり、特に後者はそうした﹁不可解な怪物﹂に対して﹁予﹂こ と北畠がそれを制御できないこと、つまりは﹁予﹂とは別個の事例 であるということを示していよう。それゆえ満村殺害とまったく同 じシチュエーションによる自害とは、単なる脚色以上の理由が北畠 にはあると言えるだろう。   故に予は予が人格を樹立せんが為に、今宵﹁かの丸薬﹂の函 によりて、嘗て予が手に僵 たふ れたる犠牲と、同一の運命を担 にな はん とす。   北畠が﹁同一の運命﹂を選ぶのは、擬満村としての自分を殺害す るためである。こうすることで、北畠はそれとは別種の﹁人格を樹 立﹂することが可能になる。こうした北畠の行為は、そもそも排除 されていた三角関係を ﹁不可解な怪物﹂ あるいは満村として擬態し、 疎外されたままの、つまりは第四項として﹁予﹂こと北畠自身は保 持されるという態度で始終一環しているといってよいだろう。   またこうした北畠の一人二役の役回りこそ 、﹁ 開化の殺人 ﹂がそ もそも﹁探偵小説﹂であったということの痕跡でもあるだろう。北

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畠は殺人を犯す﹁犯罪者﹂を見つけ出す﹁探偵﹂であると同時に、 まさにその﹁犯罪者﹂自身なのである。そしてこの点こそが、当初 ﹁探偵小説﹂として芥川に企図されたゆえに﹁開化の殺人﹂という テクストが持つ大きな特徴となっていると考えられるのである。   がしかし、北畠の努力は本多子爵夫妻にどれほど理解されたのだ ろうか。満村︱明子︱本多子爵という三角関係を生きた当事者とし てみれば、いつの間にかその関係性を自らのものにしようと悪戦苦 闘する遺書の中の北畠の姿は、青天の霹靂そのものであったはずで ある。にもかかわらず、自己を三角関係の一角にまで擬えて実情を 訴えようとする北畠の姿には、自己劇化という以上の悲哀が伴って いる 。﹁ 開化の殺人 ﹂とは常に三角関係から疎外され続けた男の物 語である。 四、結   本論では 、﹁ 開化の殺人 ﹂の開化物という側面にはほとんど触れ ていない。既に述べたが、開化物という問題系も大変魅力的なもの であり、芥川がそれまで古典の世界を小説テクストの典拠としてい たのに対し、しだいに執筆当時の時間と近い時間設定を行ったとい うことは、後の保吉物等の私小説系の小説テクストを可能にする下 地にもなったように思われる。特に時間設定による枠小説という過 去叙述の方法が、それらの方法的推移を考える上で示唆的になるだ ろう。   ただそうした一方で 、﹁ 開化の殺人 ﹂にはどうしても看過できな いモチーフが存在していた。それが男女の三角関係という問題系で ある。もちろん、後の﹁開化の良人﹂も同様に男女の三角関係が描 かれていることを考えれば、 ﹁開化の殺人﹂ ﹁開化の良人﹂ ﹁舞踏会﹂ と続く、本多子爵夫妻を登場人物とする一連の開化物にはこうした 男女の恋愛諸相というモチーフが通底しているだろうことは推察で きる。ただ﹁開化の殺人﹂に関しては、小説タイトルにもあるよう に﹁殺人﹂という事件が絡んでおり、それは芥川のそれ以前のいく つかのテクストと共通点を持つものなのである。それゆえ、本論で は、 ﹁開化の殺人﹂ をそれ以前のテクスト ﹁偸盗﹂ ﹁二つの手紙﹂ ﹁南 瓜﹂ ﹁袈裟と盛遠﹂ ﹁地獄変﹂といった同様のモチーフを持つ小説と 比較した。特に﹁二つの手紙﹂ 、﹁南瓜﹂には﹁開化の殺人﹂成立に 関する重要な痕跡があるように思える。前者に関しては、その小説 方法と、ドッペルゲンガーによる登場人物の二重化、後者に関して は心理的動機に基づく殺人というモチーフがそれである。 とすると、 当然だが﹁開化の殺人﹂にはこうした諸テクストに連なる系譜的位 相が充分に認められると考えられるだろう。   また作者自身によって﹁開化の殺人﹂が当初﹁探偵小説﹂として 企画されていたということも勘案されるべき事柄であろう。本論で は、それを遺書の語り手である北畠義一郎自身が﹁予﹂と別の心理 を設定することで 、﹁ 探偵 ﹂と同時に ﹁ 犯罪者 ﹂の心理を語ってい た物語であるとした。この点に関しては、先に述べた男女の恋愛諸 相というモチーフとも関連しており、北畠は常に三角関係から疎外 される人物として設定されることで、極端に言えば三角関係の当事 者から外されることによって、北畠は自身を犯罪者にもし、また探 偵にもすることが可能になったのである。もちろんそれは一方で、 北畠自身の甘露寺明子に対するある種の純粋さの裏返しであろう

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が、 ﹁開化の殺人﹂ ではそうした北畠を徹底的に救おうとしていない。 こうした人物が三角関係の当事者となった顛末は﹁開化の良人﹂を 待つしかないだろう。ただし芥川が﹁開化の殺人﹂を構想し、発表 したこの時期のテクストを通観してみれば、作者の中に﹁殺人﹂と いうテーマが蠢いていたことだけは確かである。また男女の心理と ﹁ 殺人 ﹂がセットになった同種のモチーフは 、﹁ 藪の中 ﹂︵ ﹁ 新潮 ﹂ 大十一・一︶に代表されるように、後にも繰り返し芥川テクストに 登場するようにも思えるが、それらの検証は今後の課題としたい。 またそれと同様に、微視的とも思われるが、テクストに残された系 譜的痕跡を辿り、芥川テクストの特徴を記述する作業も、あるいは 本論においてほとんど出来なかった同時代テクストへの配慮ととも に今後の研究課題として挙げておく。        注 ︵1︶   項目 ﹁ 探偵小説 ﹂、権田萬治 ・新保博久監修 ﹃ 日本ミステリー事典 ﹄、 新潮選書、二〇〇〇年二月。 ︵2︶   ﹃名著復刊   芥川龍之介文学館﹄ 、一九七七年七月、日本近代文学館。 ︵3︶   芥川における ﹁ 明治 ﹂の意味を問うた論考は多くあるが 、例えば桶谷 秀昭 ﹁芥川と漱石︱明治の意味﹂ ︵﹁国文学﹂ 、 一九八一年五月︶ 、 橋川俊樹 ﹁芥 川龍之介 ﹁開化の殺人﹂ ︱柳北 ・ 新富座 ・︽夜の燈︾ ﹂︵ ﹁稿本近代文学﹂ 一八号、 一九九三年十一月︶ 、菊地弘﹁ ﹃開化の殺人﹄ ﹃ 開化の良人﹄︱龍之介における 近代︱﹂ ︵ 所収﹃芥川龍之介   表現と技法﹄ 、一九九四年一月、明治書院︶ 、 浅 野洋 ﹁ 開化へのまなざし︱ ︿ 画 ﹀あるいは額縁の 文 グラマトロジイ 法 ﹂︵ ﹁ 国文学 ﹂平成八 年四月号︶などがある。 ︵4︶   例えば注 ︵ 3 ︶ 菊地弘 ﹁﹃ 開化の殺人 ﹄﹃ 開化の良人 ﹄︱龍之介における 近代︱ ﹂や 、酒井英行 ﹁﹃ 開化の殺人 ﹄、 ﹃ 開化の良人 ﹄について ﹂︵ 所収 ﹃ 芥 川龍之介   作品の迷路﹄一九九三年七月、有精堂︶などにその指摘がある。 ︵5︶   例えば大正六年五月七日付けの松岡譲宛書簡に ﹁ 少しフクヨ   僕は三 部作を計画中だ   始は奈良朝   中途は戦国時代の末、おしまひは維新前後だ﹂ と書いており 、開化期への興味が窺われる 。ただし続けて ﹁ 中心は 、外国の 神と日本の神との克服しあひにある ﹂というように 、開化物に限って言えば その内容は大きく異なる。 ︵6︶   ﹁ 開化の二人 ﹂︵ 所収海老井英次 ・宮坂覚編 ﹃ 作品論   芥川龍之介 ﹄、 一九九〇年一二月、双文社︶ 。 ︵7︶   注︵ 3 ︶ 浅野洋 ﹁ 開化へのまなざし︱ ︿ 画 ﹀あるいは額縁の 文 グラマトロジイ 法 ﹂ に 同じ。 ︵8︶   注︵6︶ に同じ。ただし松本氏は明治という時代設定と﹁男と女の物語﹂ というモチーフは緊密な関係にあるとしている。 ︵9︶   注︵6︶ 松本常彦﹁開化の二人﹂や、石割透﹁ ﹁ 開化の殺人﹂︱自己の解 体 ﹂︵ 所収 ﹃︿ 芥川 ﹀とよばれた芸術家   中期作品の世界 ﹄一九九二年八月 、 有精堂︶にその指摘がある。 ︵ 10︶   ﹃アフリカ騎兵﹄については、渡辺一夫訳の岩波文庫版︵一九五二年三 月︶ を参照した。 また拙論では以後芥川の内容のまとめ方を問題としているが、 そもそも芥川のまとめた ﹃ アフリカ騎兵 ﹄のあらすじは ﹁ 開化の殺人 ﹂のあ らすじによく似ている。 ﹃ アフリカ騎兵﹄が﹁開化の殺人﹂成立へ直接なんら かの影響を与えたとも考えられる。 ︵ 11︶   松本常彦氏は注 ︵6︶ の論考で、北畠の遺書を﹁唯一の、そして最後の、 明子への告白の書 ﹂であったする指摘している 。北畠の遺書が本多子爵夫妻 に宛てられた物であることを考えれば、正鵠を得た指摘であろうと思われる。 ︵ 12︶   ﹁ 手帳 ﹂および ﹁ 見開き ﹂の整理番号は 、﹃ 芥川龍之介全集 ﹄第二三巻 ︵一九九八年一月、岩波書店︶に従った。 ︵ 13︶   真杉秀樹氏は ﹁ 死者の呪縛︱ ﹃ 開化の殺人 ﹄﹂ ︵ 所収 ﹃ 芥川龍之介のナ ラトロジー﹄ 、一九九七年六月、沖積舎︶で﹁開化の殺人﹂を心理小説として 捉え、北畠の心理を解釈している。 ︵ 14︶   北畠の劇通としての一面から 、遺書自体の劇化された様態を探った論 考に、小野隆﹁ ﹁開化の殺人﹂論﹂ ︵﹁ 専修国文﹂五九号、一九九六年八月︶が ある。 ︵ 15︶   北畠の﹁探偵﹂と犯人の一人二役は、 ﹁ 二つの手紙﹂におけるドッペル ゲンガーの機能と同様であると考えることが出来る。 ﹁ 二つの手紙﹂と﹁開化 の殺人﹂との強い関連を窺わせる点である。 附記   本文中に用いた芥川龍之介の諸テクストからの引用はすべて ﹃芥川龍之介全集﹄ ︵一九九五︱一九九八年、岩波書店︶を用いた。 また文中鉤括弧を用いて取り込んだ引用部分に関しては一部ルビを 外している。

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