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Vol.40 , No.2(1992)047石川 力山「道元禅と浄土教思想 -臨終正念と『悲華経』の引用をめぐって-」

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Academic year: 2021

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-臨

-石

一、 は じ め に 道 元 ( 二 一 〇 〇-五 三) の 生 涯 に わ た る 著 作 活 動 の 中 心 を な す ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ に は、 大 別 し て そ の 内 容 と 編 成 を 異 に す る 二 種 の テ キ ス ト が あ る。 す な わ 同 ち そ の 一 は、 ﹃ 眼 蔵 ﹄ の 大 部 分 を 占 め る 前 半 生 に お け る 七 十 五 巻 本 で あ り、 そ の 二 は、 最 晩 年 の 撰 述 編 成 と さ れ る 十 二 巻 本 ( 出 家 功 徳 ・ 受 戒 ・ 袈 裟 功 徳 ・ 発 菩 提 心 ・ 供 養 諸 仏・ 帰 依 仏 法 僧 宝 ・ 深 信 因 果 ・ 三 時 業 ・ 四 馬 ・ 四 禅 比 丘 ・ 一 百 八 法 明 門 ・ 八 大 人 覚 の 諸 巻 か ら な る) で あ る。 そ し て こ の 二 種 の 系 統 の ﹃ 眼 蔵 ﹄ に は、 そ れ ぞ れ、 撰 述 意 図 ・ 内 容 ・ 説 相 な ど に 関 し て か な り の 性 格 の 相 違 が 看 取 さ れ る。 こ れ ち の 相 違 を、 単 に 説 相 上 の 違 い と 見 て、 内 容 的 に は 全 く 同 一 の 宗 教 的 境 涯 を 記 し た も の と 捉 え る か、 そ れ と も 説 相 の 違 い は 内 容 の 反 映 で あ る と し て、 二 種 の テ キ ス ト 間 に 思 想 的 な 進 展、 乃 至 は よ り 根 源 的 な 相 違 を 認 め る か ど う か に つ い て は ( 1) 意 見 の 別 れ る と こ ろ で あ り、 筆 者 は 後 者 に 近 い 見 解 を 持 っ て ( 2) い る が、 た だ し こ の 問 題 に 断 定 的 な 見 解 を 出 す 前 に、 解 決 し て お か な け れ ば な ら な い い く つ か の 疑 問 が あ る。 そ の 解 決 は、 特 に こ の 十 二 巻 本 ﹃ 眼 蔵 ﹄ が、 道 元 の 生 涯 に わ た る 仏 道 探 究 の 軌 跡 の 中 に 占 め る 位 置 や、 そ の 性 格 が 有 す る 思 想 史 的 ・ 歴 史 的 意 義 は 何 か と い っ た 課 題 を 考 察 す る た め の 基 礎 作 業 に ほ か な ら な い が、 そ の た め に、 た と え ば﹁ 仏 法 は 有 部 す ぐ れ た り、 そ の な か に 僧 祇 律 も と も 根 本 な り﹂ (供 養 諸 仏) と い っ た 言 辞 が こ の 時 期 に 改 め て な さ れ る 理 由 を 始 め、 ﹃ 大 毘 婆 沙 論 ﹄ や ﹃ 浬 薬 経 ﹄ の 引 用 が 多 く な る こ と 等、 十 二 巻 本 に 特 有 の 不 可 解 な 言 辞 ・ 言 及 ・ 引 用・ 問 題 設 定 等 を い か に 脈 絡 付 け 解 釈 す る か と い う 問 題 が あ る。 そ し て、 こ れ ら の う ち 特 に、 十 二 巻 本 に 特 徴 的 に 見 出 さ れ る 浄 土 教 的 な 思 考 ・ 問 題 設 定、 就 中、 ﹃ 浬 桑 経 ﹄ や ﹃ 悲 華 経 ﹄ の 依 用 と い っ た、 鎌 倉 仏 教 と い う 同 時 代 的 コ ン テ キ ス ト ・ 基 盤 の 上 で 考 え な け 翔 度 學 佛 激 學 研 究 第 四 十 雀 第 二 號 李 成 四 年 三 月 二 三 五

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道 元 禅 と 浄 土 教 思 想 ( 石 川) 二 三 六 ( 3) れ ば な ら な い 諸 問 題 が 当 面 の 課 題 で あ る。 こ こ で、 十 二 巻 本 ﹃ 眼 蔵 ﹄ に お け る 浄 土 教 的 要 素 に つ い て 考 え る 場 合、 暫 定 的 設 定 で は あ る が、 そ の 柱 と な る 要 素 と し て、 ( 1) 正 ・ 像 ・ 末 の 三 時 説、 ( 2) 臨 終 正 念、 ( 3) 釈 迦 牟 尼 ( 阿 弥 陀) 仏 の 誓 願、 ( 4) 提 婆 達 多 の 評 価、 ( 5) ﹃ 浬 葉 経 ﹄ の 引 用 を め ぐ る 問 題 な ど を 提 起 で き る と 思 わ れ る が、 今 回 は ( 1) と ( 2) に つ い て 検 討 し、 問 題 提 起 ・ 課 題 の 導 入 と す る。 二、 道 元 禅 と 臨 終 正 念 日 本 に お け る 浄 土 教 信 仰 の 浸 透 を 考 え る 上 で 重 要 な 契 機 は、 平 安 中 期 頃 か ら の 社 会 不 安 を 反 映 し、 永 承 七 年 ( 一 〇 五 二) に 既 に 末 法 の 時 代 に 入 っ た と い う 認 識 が 一 般 に 広 く 浸 透 し た こ と で、 法 然 ・ 親 鷲 ・ 日 蓮 な ど の 諸 師 の ⋮鎌 倉 新 仏 教 の 課 題 も、 こ の 末 法 に ふ さ わ し い 教 説 を 提 示 す る こ と で あ っ た と 言 っ て 過 言 で は な い。 こ れ に 対 し 道 元 の 場 合、 た と え ば 初 期 の 思 想 を 伝 え る ﹃ 正 法 眼 蔵 随 聞 記 ﹄ や ﹃ 弁 道 話 ﹄ ・ ﹃ 普 勧 坐 禅 儀 ﹄ に お い て は、 三 時 説 を 方 便 説 と し て 否 定 し、 三 時 に よ る 機 根 の 相 違 を 認 め な い 時 機 観 を 提 示 し て い る が、 後 年 の﹁ 袈 裟 功 徳﹂ ( 十 二 巻 本 に 含 ま れ る) や﹁ 伝 衣﹂ な ど は、 明 ら か に 正 像 末 の 三 時 説 に よ る 時 間 的 末 法 観 が 前 提 さ れ て お り、 し か も、 空 間 的 に も 仏 法 に 縁 の う す い﹁ 辺 地﹂ と い う 観 念 が 強 調 ( 4) さ れ て い る と さ れ る よ う に、 晩 年 に な る に し た が っ て 浄 土 教 に 近 い 思 考 が 見 出 さ れ る。 中 で も 十 二 巻 本 に お い て 目 だ つ の は、 臨 終 時 に お け る﹁ 続 善 根﹂﹁ 断 善 根﹂ に つ い て の 固 執 と い っ て も よ い 記 述 で あ る。 た と え ば、 十 二 巻 本 の 初 巻 で あ る ﹁ 出 家 功 徳﹂ で は、 常 に 悪 心 を 抱 き、 後 に は 還 俗 し て 生 き な が ら 阿 鼻 地 獄 に 堕 ち た と さ れ る 善 星 が 釈 尊 の も と で 出 家 し た こ と に つ い て、 仏 の 般 浬 桀 に 当 た り 迦 葉 が 質 問 し た の に 対 し、﹁ 仏 言、 善 男 子、 我 於 二 往 昔 輔 初 出 家 時、 吾 弟 難 陀、 従 弟 阿 難、 調 達 多、 子 羅 賑 羅、 如 レ 是 等 輩、 皆 悉 随 レ 我 出 家 修 道。 我 若 不 レ 聴 二 善 星 出 家、 其 人 次 当 二 王 得 ワ 紹 二 王 位、 其 力 自 在、 当 レ 壊 二 仏 法 殉 以 二 是 因 縁、 我 便 聴 二 其 出 家 修 道 の 善 男 子、 善 星 比 丘 不 二 出 家 軸亦 断 二 善 根、 於 二 無 量 世 ハ 都 無 二 利 益、 今 出 家 巳、 難 二 断 善 根、 能 受 二 持 戒 納供 二 養 恭 三 敬 者 旧 ・ 長 宿 ・ 有 徳 之 人、 修 二 習 初 禅 乃 至 四 禅、 是 名 二 善 因、 能 生 二 禅 法、 善 法 既 生、 能 修 二 習 道。 既 修 二 習 道、 当 レ 得 二 阿 褥 多 羅 三 貌 三 菩 提 殉 是 故 我 聴 二 善 星 出 家 こ と い う 文 言 を 含 む ﹃ 浬 葉 経 ﹄ 巻 三 十 三﹁ 迦 葉 菩 薩 品﹂ の 一 節 を 引 用 し た 上 で、 し る べ し、 如 来 世 尊、 あ き ら か に 衆 生 の 断 善 根 と な る べ き を し ら せ た ま ふ と い へ ど も、 善 因 を さ つ く る と し て、 出 家 を ゆ る さ せ た ま ふ。 大 慈 大 悲 な り。 断 善 根 と な る こ と、 善 友 に ち か づ か ず、 正 法 を き か ず、 善 思 惟 せ ず、 如 法 に 行 ぜ ざ る に よ れ り。 ( ﹃ 道 元 禅 師 全 集 ﹄ 上、 p . 10) と い 言 っ て﹁ 断 善 根﹂ を 避 け る た め の 出 家 を 勧 め、 さ ら に、

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お ほ よ そ 無 常 た ち ま ち い た る と き は、 国 王 ・ 大 臣 ・ 親 泥 ・ 従 僕 ・ 妻 子 ・ 珍 宝 た す く る な し、 た だ ひ と り 黄 泉 に お も む く の み な り。 お の れ に し た が ひ ゆ く は、 た だ こ れ 善 悪 業 等 の み な り。 人 身 を 失 せ ん と き、 人 身 を お し む こ こ ろ ふ か か る べ し。 人 身 を た も て る と き、 は や く 出 家 す べ し、 ま さ に こ れ 三 世 諸 仏 の 正 法 な る べ し。 ( p . 1) と 言 っ て、 臨 終 に 至 る ま で の 内 に 早 く 出 家 す る こ と を 求 め る。 さ ら に、﹁ 三 時 業﹂ で は、 い ま 提 婆 達 多、 か さ ね て 三 逆 を つ く れ り、 一 逆 を つ く れ る 罪 人 の 苦 に 三 陪 す べ し。 し か あ れ ど も、 す で に 臨 命 終 の と き、 南 無 の 言 を と な へ て、 悪 心 す こ し き ま ぬ か る。 う ら む ら く は 具 足 し て 南 無 仏 と 称 せ ざ る こ と。 阿 鼻 に し て は、 は る か に 釈 迦 牟 尼 仏 に 帰 命 し た て ま つ る、 続 善 ち か き に あ り。 ( p. 6) と し、 か の 悪 逆 の 提 婆 も 臨 終 に 仏 に 帰 依 し た こ と に よ り、 決 定 的 な 断 善 根 に な ら な か っ た と し、 反 対 に 四 禅 の 位 を 四 果 の 境 涯 と 思 っ た 増 上 慢 の 比 丘 は、 臨 終 の 諦 仏 に よ っ て、 四 禅 比 丘、 臨 命 終 の と き、 諦 仏 せ し に よ り て、 四 禅 の 中 陰 か く れ て、 阿 鼻 の 生 相 た ち ま ち 現 じ て す な は ち 命 終 し、 阿 鼻 地 獄 に 堕 せ り。 か く の ご と く な る を 順 次 生 受 業 と な つ く。 ( p. 7) と 堕 地 獄 し た と さ れ、 さ ら に 室 羅 筏 国 の 修 善 者 は、 臨 終 に 地 獄 の 中 有 が 現 出 し た が、 こ れ は 三 時 の 業 報 説 の 順 後 次 受 業 が 現 れ た も の で あ り、 自 分 の 生 涯 の 善 業 は 消 え る こ と は な い と 信 じ た と こ ろ、 た ち ま ち 地 獄 の 中 有 が 消 え て 天 趣 の 中 有 が 現 前 し た と い う 逸 話 も 紹 介 し て い る。 こ の 外 に も、 臨 終 時 に お け る 誘 仏 や 因 果 の 否 定 に ょ る 断 善 根 は 深 く 憂 慮 さ れ て お り、 こ の 課 題 は 十 二 巻 本 を 通 貫 す る テ ー マ で あ っ た こ と は 疑 い な い。 と こ ろ で、 日 本 中 世 の 臨 終 信 仰 は も と も と 浄 土 教 か ら 生 ま れ た。 平 安 時 代 人 は 現 実 的 生 へ の 対 決 の 脆 さ 弱 さ か ら、 現 実 的 生 の 無 常 を 現 実 の な か で 克 服 す る こ と が で き ず、 そ の 期 待 を 来 世 に 向 け、 彼 岸 の 永 世 に そ の 解 決 が 求 め ら れ て、 臨 終 に 至 る ま で 正 念 を 持 続 し て 阿 弥 陀 の 来 迎 を ま つ と い う 信 仰 は、 浄 土 教 の 興 起 と と も に、 平 安 中 期 か ら 次 第 に 強 く な っ て 鎌 倉 時 代 に 及 び、 日 本 の 中 世 仏 教 は、 臨 終 信 仰 に よ っ て 成 立 し て い た と 言 え る ほ ど、 臨 終 信 仰 は 中 世 仏 教 の 主 部 を な し て い た ( 5) と も さ れ る。 た だ し 親 鷺 の 場 合 は、 臨 終 そ の も の を 止 揚 し て、 現 実 的 生 そ の ま ま で 仏 の 大 悲 を 迎 信 す る と き に 正 定 聚 に 生 ず る と し、 こ こ に 臨 終 信 仰 の 意 義 は 喪 失 し、 平 生 と 臨 終 と は 別 の も の で は な く な っ た と し、 一 遍 も 同 様 に 臨 終 正 念 は 克 服 さ れ て い た と さ れ る が、 ﹃ 一 期 大 要 秘 密 業 ﹄ ﹃ 臨 終 行 儀 注 記 ﹄ ﹃ 横 川 首 樗 厳 院 二 十 五 三 昧 起 請 ﹄ ﹃ 往 生 要 集 ﹄ ﹃ 発 心 集 ﹄ な ど を 通 し て 見 る 限 り、 臨 終 正 念 の 思 考 に は、 臨 終 時 の 正 念 喪 失 に 対 す る 恐 れ や 死 の 現 実 的 様 相、 さ ら に は 死 に い く 者 の 状 況 が よ く 観 察 さ れ て お り、 そ こ か ら 正 念 を 中 心 と す る 死 の 積 極 的 ( 6) 意 味 づ け と 習 得 が 見 ら れ る と も さ れ る。 親 鷲 に お い て、 臨 終 道 元 禅 と 浄 土 教 思 想 ( 石 川) 二 三 七

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道 元 禅 と 浄 土 教 思 想 ( 石 川) 二 三 八 正 念 の 希 求 が 全 く 意 味 を 失 い、 来 世 往 生 と い う 思 想 も 完 全 に 克 服 払 拭 さ れ て い た か ど う か に つ い て は、 同 時 代 的 な 宗 教 社 会 史 的 北 具 凧 を 考 慮 す る な ら、 来 世 を 想 定 し な い 中 世 の 宗 教 家 ( 7) の 存 在 は 考 え ら れ な い。 こ れ と 同 様 の 状 況 が 道 元 理 解 に も あ り、 ﹃ 眼 蔵 ﹄ に お け る 臨 終 や 中 有 の 観 念 に つ い て、﹁ 道 元 の 中 有 の 観 念 は、 ど こ ま で も 唯 心 的 で あ り、 意 志 的 な 性 格 の も の で あ る。 唯 心 的 と い う の は、 こ の 世 も あ の 世 も、 世 界 は こ の 身 心 に よ っ て 把 握 さ れ た 限 り の も の と い う ほ ど の 意 で あ り、 意 志 的 と い う の は、 こ の 世 の 人 の 生 の あ り 方 を 理 解 す る た め に 必 要 な あ の 世 の 存 ( 8) 在 と い う ほ ど の 意 で あ る。 云 々﹂ と も さ れ る。 し か し、 十 二 巻 本 ﹃ 眼 蔵 ﹄ の﹁ 深 信 因 果﹂ に は、 あ き ら か に し る べ し、 世 間 ・ 出 世 の 因 果 を 破 す る は 外 道 な る べ し。 ( 中 略) あ る い は い は く、 ひ と 死 す る と き、 . か な ら ず 性 海 に 帰 す、 仏 法 を 修 習 せ ざ れ ど も、 自 然 に 覚 海 に 帰 す れ ぽ、 さ ら に 生 死 の 輪 廻 な し、 こ の ゆ ゑ に 後 世 な し と い ふ、 こ れ 断 見 の 外 道 な り。 (中 略) お ほ よ そ 因 果 を 擾 無 す る よ り、 今 世 後 世 な し と は あ や ま る な り。 ( p. 7 c) と あ り、 最 終 巻 の﹁ 八 大 人 覚﹂ の 末 尾 に あ る、 如 来 の 捏 繋 よ り さ き に 浬 藥 に い り、 さ き だ ち て 死 せ る と も が ら は、 こ の 八 大 人 覚 を き か ず、 な ら は ず。 い ま わ れ ら 見 聞 し た て ま つ り、 習 学 し た て ま つ る、 宿 殖 善 根 の ち か ら な り。 い ま 習 学 し て 生 生 に 増 長 し、 か な ら ず 無 上 菩 提 に い た り、 衆 生 の た め に こ れ を と か ん こ と 釈 迦 牟 尼 仏 に ひ と し く し て こ と な る こ と な か ら ん。 ( p . 7 2) と い う 三 文 は、 や は り 十 二 巻 本 を 通 貫 す る﹁ 生 々 世 々﹂ の 誓 願 の 帰 結 で も あ り、 そ の 説 相 が 親 鶯 の 主 張 す る 往 相 ・ 還 相 の ( 9) 二 廻 向 に 通 ず る も の が あ る こ と は 既 に 指 摘 し た。 こ の よ う に 道 元 の 晩 年 に は、 顕 著 な 浄 土 教 的 思 考 が 見 ら れ る こ と が 知 ら れ る が、 さ ら に 具 体 的 な 説 相 と し て、 ﹃ 悲 華 経 ﹄ と の 問 題 を 取 り 上 げ る。 三、 十 ご 巻 本 ﹃ 眼 蔵 ﹄ と ﹃ 悲 華 経 ﹄ の 依 用 ﹃ 眼 蔵 ﹄ 全 体 を 貫 く テ ー マ の 一 に、 全 て の 問 題 が 出 家 に 帰 結 す る と い う 主 張 が あ る が、 十 二 巻 本 に は ま た 特 別 の 主 張 が あ り、 そ の 初 巻 の﹁ 出 家 功 徳﹂ に、 次 の よ う な 三 種 の 誓 願 が 掲 載 さ れ て い る。 婆 沙 百 二 十 云、 発 心 出 家、 尚 名 聖 者、 況 得 忍 法。 し る べ し、 発 心 出 家 す れ ぽ 聖 者 と な つ く る な り。 釈 迦 牟 尼 仏 五 百 大 願 の な か の 第 ﹄ 百 三 十 七、 願 我 未 来、 成 二 正 覚 一已、 或 有 下 諸 人、 於 二 我 法 中 ↓欲 二出 家 二者 島 願 無 二障 礫 鱒 所 ・謂 流 劣 失 念、 狂 乱 僑 慢、 無 レ 有 二 畏 儂 刈 痴 無 二智 慧 ↓ 多 二諸 結 使 ハ 其 心 散 乱。 若 不 レ爾 者、 不 レ 成 一一正 覚 叩 第 一 百 三 十 八、 願 我 未 来、 成 二 正 覚 巳、 若 有 畿 女 人 ハ欲 下 於 二我 法、 出 家 学 道、 受 中 大 戒 上 者、 願 令 ご 成 就 殉 若 不 レ 爾 者、 不 レ 成 二 正 覚 幻

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第 三 百 十 四、 願 我 未 来、 成 二 正 覚 一已、 若 有 二 衆 生 (少 二 於 善 根 曲 於 二善 根 中 ハ心 生 二 愛 楽 ↓我 当 レ 令 下 其、 於 二 未 来 世 ハ在 二 仏 法 中、 出 家 学 道 加 安 止 令 レ往 二梵 浄 十 戒 殉 若 不 レ 爾 者、 不 レ 成 二 正 覚 つ し る べ し、 い ま 出 家 す る 善 男 子 ・ 善 女 人、 み な 世 尊 の 往 昔 の 大 願 力 に た す け ら れ て、 さ は り な く 出 家 受 戒 す る こ と を え た り。 如 来 す で に 誓 願 し て 出 家 せ し め ま し ま す。 あ き ら か に し り ぬ、 最 尊 最 上 の 大 功 徳 な り と い ふ こ と を。 ( p. 8-0) こ の 釈 尊 の 五 百 大 願 か ら 抜 き 出 さ れ た と さ れ る 三 種 の 誓 願 は、 従 来 は ﹃ 悲 華 ・経 ﹄ 巻 六 の、 或 有 諸 人、 於 二 我 法 中 噛欲 二 出 家 一者、 願 無 等 障 碍 幻 所 レ 謂 濠 劣 失 念、 狂 乱 僑 慢、 無 レ 有 レ 儂、 痴 無 二 智 慧、 多 二諸 結 使、 其 心 散 乱。 若 有 二 女 人、 欲 下 於 二 我 法 出 家 学 道、 受 申 大 戒 上 者、 成 二 就 大 願。 ( T 3, p . 8 b) 若 有 二 衆 生 ハ少 二 於 善 根 噛 於 二善 根 中 噛 心 生 二愛 楽、 我 当 レ 令 下 其、 於 二 未 来 世 h在 二 仏 法 中 ハ出 家 学 道 加 安 止 令 レ 往 二 梵 浄 十 戒 幻 ( p. 2 1 1) ( 10) に 相 当 す る と さ れ て い た も の で あ る。 と こ ろ で、 ﹃ 悲 華 経 ﹄ 研 究 は 従 来、 主 に 浄 土 思 想 研 究 の 一 環 ( 11) と し て 行 わ れ て き た 傾 向 が あ る が、 日 本 仏 教 で は む し ろ、 平 安 末 期 頃 よ り に わ か に 顕 著 に な っ て く る 実 践 的 宗 教 運 動 に お い て、 浄 土 教 に 対 抗 す る 釈 迦 如 来 信 仰 の 根 拠 と な り、 曹 都 仏 ( 12) 教 の 諸 師 の 間 で も 盛 ん に 依 用 さ れ、 ﹃ 悲 華 経 ﹄ 所 説 の 菩 薩 の 行 願 は、 清 涼 寺 式 釈 迦 如 来 像 の 普 及 を 促 し た と も さ れ る。 さ ら に 重 要 な こ と は、 こ の 経 典 の 巻 六 ・ 七 ・ 八 の 菩 薩 の 五 百 の 行 願 が 特 別 重 要 視 さ れ、 そ の 説 相 に 基 づ い て 平 安 中 期 に 作 ら れ た 偽 経 ﹃釈 迦 如 来 五 百 大 願 経 ﹄ の 方 が む し ろ 多 く 用 い ら れ ( 13) た こ と 等 で あ る。 そ し て、 実 は 道 元 が 引 用 す る 三 種 の 誓 願 も、 文 字 の 異 同 を 見 れ ば 一 目 瞭 然 な よ う に、 決 し て ﹃ 悲 華 経 ﹄ の 本 文 か ら の 引 用 で は な い。 ﹃ 五 百 大 願 経 ﹄ の 伝 本 は、 今 目 高 ( 14) 山 寺 所 蔵 の も の が 知 ら れ て お り、 筆 者 は 未 見 で あ る が、 そ の ( 15) 報 告 に よ れ ば、 五 百 の 各 願 に は 番 号 と 願 名 が 付 け ら れ て お り、 道 元 の 引 用 は 正 し く こ の 中 の﹁ 第 百 三 十 七 願、 無 障 出 家 願﹂﹁ 第 百 三 十 八 願、 女 人 大 戒 願﹂﹁ 第 三 百 十 四 願、 安 止 十 戒 願﹂ に 相 当 す る。 道 元 の 引 用 が こ の ﹃ 五 百 大 願 経 ﹄ に よ っ た で あ ろ う こ と は、 道 元 自 身 が ﹃ 悲 華 経 ﹄ と い う 経 名 を 出 し て い な い こ と、 ﹃ 悲 華 経 ﹄ 本 文 で は 二 分 さ れ て い な い 百 三 十 七 願 と 百 三 十 八 願 が 明 確 に 別 願 と さ れ、 し か も 誓 願 に 番 号 が 付 け ら れ て い る こ と、 及 び 各 願 の 末 尾 が、 高 山 寺 本 に 見 ら れ る 末 尾 の﹁ 若 し 爾 ら ず ん ば 正 覚 を 成 ぜ じ﹂ と い う 文 言 に 符 合 す る こ と か ら も 確 実 と 思 わ れ る。 な お 道 元 に は、 同 じ く ﹃ 眼 蔵 ﹄ の﹁ 伝 衣﹂﹁ 袈 裟 功 徳﹂ に も ﹃ 悲 華 経 ﹄ 巻 八 か ら の 引 用 が あ る と さ れ る が、 こ れ も や は り 冒 頭 の 文 言 が 異 な っ て お り、 同 様 に ﹃ 五 百 大 願 経 ﹄ か ら の 引 用 で あ ろ う と 推 測 さ れ る。 さ て 問 題 は、 こ の 五 百 種 も あ る 行 願 の 中 か ら、 道 元 が 何 故 に 特 別 こ の 三 種 の 願 だ け を 選 び 取 り 上 げ た の か と い う こ と と、 こ れ が ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ な ど の 阿 弥 陀 仏 信 仰 の 所 依 の 経 典 か 道 元 禅 と 浄 土 教 思 想 ( 石 川) 二 三 九

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道 元 禅 と 浄 土 教 思 想 ( 石 川 ) 二 四 〇 ら で は な く、 ﹃ 五 百 大 願 経 ﹄ と い う 偽 経 か ら 引 用 さ れ た の か と い う こ と で あ る。 こ こ で、 道 元 が 引 用 す る 三 大 誓 願 を、 ﹃ 仏 説 無 量 寿 経 ﹄ 巻 上 に 説 か れ る 阿 弥 陀 仏 の 四 十 八 願 に 照 ら し 合 わ せ て み る と、 次 の 三 種 の 願 に 対 応 し て い る と み る こ と が で き よ う。 ( 第 十 八 願 至 心 信 楽 の 願 ) 設 我 得 レ 仏、 十 方 衆 生 至 心 信 楽、 欲 レ 生 二 我 国 一乃 至 十 念、 若 不 レ 生 者、 不 レ 取 二 正 覚 蛤 唯 除 二 五 逆 誹 誘 正 法 幻 ( 第 三 十 五 願 ー 女 人 往 生 の 願 ) 設 我 得 レ 仏、 十 方 無 量 不 可 思 議 諸 仏 世 界、 其 有 二 女 人 噛聞 二我 名 字 ↓歓 喜 信 楽 発 二 菩 提 心 ハ厭 二悪 女 身 噛 寿 終 之 後、 復 為 二 女 像 一者、 不 レ取 二 正 覚 殉 ( 第 十 九 願 -至 心 発 願 ) 設 我 得 レ仏、 十 方 衆 生、 発 二菩 提 心、 修 二 諸 功 徳 ハ 至 心 発 願、 欲 レ 生 二 我 国 ハ 臨 二 寿 終 時 ハ仮 令 不 下与 二 大 衆 一囲 邊、 現 申 其 人 前 上 者、 不 レ 取 二 正 覚 殉 ( T 12, p. 2-o ) こ の 三 種 の 願 の 内、 第 三 十 五 願 は 周 知 の よ う に、﹁ 転 女 成 男 願﹂ 一 名﹁ 変 成 男 子 願﹂ と 呼 ぼ れ、 親 鷲 や 日 蓮 も 等 し く 問 題 に し た﹁ 女 人 往 生 ( 成 仏 )﹂ を 説 く、 鎌 倉 新 仏 教 を 貫 く 重 要 な テ ー マ で あ っ た。 そ し て、 道 元 所 引 の ﹃ 五 百 大 願 経 ﹄ の 百 三 十 七 願 は、 正 し く 阿 弥 陀 の 本 願 で あ る 第 十 八 願 に、 第 三 百 十 四 願 は 第 十 九 願 に 相 当 し、 こ れ ら は 親 鶯 の 真 宗 教 学 の 根 幹 と さ れ る コ ニ 願 転 入﹂ 中 の 二 願 に 相 当 し、 こ れ ら が 道 元 の 選 択 の 中 に 入 っ て い る。 こ の 奇 妙 と も 言 え る 一 致 は 単 な る 偶 然 と 見 過 ご し て よ い で あ ろ う か。 さ ら に ま た、 興 味 あ る こ と は、 親 鶯 に お い て も、 ﹃ 教 行 信 証 ﹄ ( 行 巻 ) で は、 阿 弥 陀 仏 の 本 願 第 十 八 願 や 第 十 九 願 の 経 証 と し て、 ﹃ 悲 華 経 ﹄ の﹁ 諸 菩 薩 本 授 記 品﹂ を 引 用 し て い る こ と で あ る ( ﹃ 日 本 思 想 大 系 ﹄ 一 一、 p. 4 5-4 9 及 び p. 1-8 )。 道 元 の 生 涯 め、 最 晩 年 に な っ て 至 り 着 い た 宗 教 世 界 が ど の よ う な も の で あ っ た か は、 今 後 と も さ ま ざ ま な 角 度 か ら、 種 々 の 方 法 論 を 駆 使 し て 多 面 的 に 追 求 さ れ て い か な け れ ぽ 容 易 に 解 き あ か し 得 な い 課 題 で あ る つ こ こ で 問 題 提 起 し て み た 道 元 禅 に お け る﹁ 浄 土 教 的 思 考﹂ と い う 課 題 は、 十 二 巻 本 ﹃ 眼 蔵 ﹄ を 読 み 進 め て い く 上 で 従 来 か ら 不 審 に 思 っ て い た 点 を 馬 浄 土 教 と い う 時 代 を に な っ た 宗 教 世 界 を 背 景 に お い て 解 き 明 か せ な い か と い う 意 味 で の 一 試 論 で あ る。 そ こ で は 思 い が け ず、 親 鷲 の 世 界 と も 共 通 す る 課 題 に 出 会 う こ と に な っ た。 勿 論 道 元 は、 そ の 説 相 は ど う で あ れ、 最 終 的 に 救 済 を 阿 弥 陀 仏 に 求 め る こ と も、 浄 土 を 志 向 す る こ と も な か っ た。 し か も、 三 種 の 誓 願 を 提 示 す る の に、 当 時 と し て は ご く 一 般 的 な ﹃ 無 量 寿 経 ﹄ で は な く、 ﹃ 悲 華 経 ﹄ ( こ こ で は そ の 精 神 を 最 も 反 映 し た ﹃ 五 百 大 願 経 ﹄ ) に よ っ た と い う こ と は、﹁ 生 々 世 々﹂ 生 ま れ 変 わ り 死 に 変 わ り し て こ の 現 実 の 稼 土 を 離 れ る こ と な く、 釈 迦 如 来 の 誓 願 に 生 き よ う と す る 道 を 選 び 取 っ た 道 元 の、 主 体 に 根 ざ し た 宗 教 世 界 の 表 明 で あ っ た と い う こ と だ け は 確 実 に

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指 摘 で き よ う。 1 七 十 五 巻 本 と 十 二 巻 本 の 性 格 を め ぐ る 諸 見 解 に つ い て は、 拙 稿﹁ 道 元 学 の 今﹂ ( 一 九 九 一 年 三 月、 曹 洞 宗 宗 務 庁 刊、 ﹃ 師 家 養 成 所 講 義 録 ﹄ 所 収 ) 参 照。 2 た と え ば 倉 沢 幸 久﹁ 十 二 巻 本 ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ に つ い て﹂ ( ﹃ 待 兼 山 論 ⋮叢 ﹄ 一 三 号、 日 本 学 篇、 一 九 八 ○ 年 一 月 ) 参 照。 3 9 同 時 代 的 課 題 と し て の﹁ 変 成 男 子 ( 転 女 成 男 ) 説﹂ に つ い て の 近 年 の 研 究 と し て は、 平 雅 行﹁ 女 性 と 光 明 真 言﹂ ( ﹃ 研 究 会 ・ 日 本 の 女 性 と 仏 教、 会 報 ﹄ 五 号、 一 九 八 八 年 ) 等、 道 元 と の 関 係 に つ い て は、 拙 稿﹁ 道 元 の ︽ 女 身 不 成 仏 論 ︾ に つ い て 1 十 二 巻 本 ﹃ 正 法 眼 蔵 ﹄ の 性 格 を め ぐ る 覚 書 1﹂ ( ﹃駒 澤 大 学 禅 研 究 所 年 報 ﹄ 創 刊 号、 一 九 九 〇 年 三 月 ) 参 照。 4 石 井 修 道﹁ 禅 の 時 機 観 ー 宏 智・ 大 慧 ・ 道 元 の 禅 の 比 較 を 中 心 と し て ー﹂ ( ﹃ 日 本 仏 教 学 会 年 報 ﹄ 第 四 十 九 号、 三 九 八 四 年 三 月 ) 5 遊 亀 教 授﹁ 生 と 臨 終﹂ ( ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 十 巻 二 号、 三 九 六 二 年 一 月 )。 法 然 の 場 合 は ﹃ 観 無 量 寿 経 ﹄ や 善 導 の 疏 に よ っ た た め、 臨 終 正 念 の 意 義 は 無 視 で き な か っ た と い う。 6 成 瀬 良 徳﹁ 死 を め ぐ る﹁ 正 念﹂ の 意 味﹂ ( ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 三 十 二 巻 二 号、 一 九 八 三 年 二 月 ) 参 照。 7 梅 原 猛 ﹃ 誤 解 さ れ た 歎 異 抄 ﹄ ( 一 九 九 〇 年 一 月、 光 文 社 刊 ) p. 1 5-8 池 田 魯 参﹁ 道 元 の 臨 終 観﹂ ( ﹃ 宗 学 研 究 ﹄ 第 二 十 八 号、 三 九 八 六 年 三 月 ) 10 鏡 島 元 隆 ﹃道 元 禅 師 と 引 用 経 典 ・ 語 録 の 研 究 ﹄ ( 一 九 六 五 年 十 月、 木 耳 社 刊 ) 二 三 六 頁。 11 宇 治 谷 祐 顕 氏 に 三 連 の 研 究 が あ り、 ﹃ 悲 華 経 の 研 究 ﹄ ( 一 九 六 九 年 三 月、 文 光 堂 書 店 刊 ) と し て ま と め ら れ て い る。 12 15 成 田 貞 館﹁ 鎌 倉 期 南 都 諸 師 の 釈 迦 如 来 観 と 磯 土 成 仏 説 の 受 容 に つ い て﹂ ( ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 十 三 巻 二 号、 一 九 六 三 年 三 月 )、 同 氏﹁ 釈 迦 如 来 五 百 大 願 経 の 成 立﹂ ( 同 上、 十 三 巻 二 号、 一 九 六 五 年 三 月 ) 参 照。 13 三 崎 良 周﹁ 神 仏 習 合 思 想 と 悲 華 経﹂ ( ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 九 巻 二 号、 一 九 六 一 年 三 月 ) 参 照。 14 ﹃高 山 寺 善 本 図 録 ﹄ ( 一 九 八 八 年 十 二 月、 東 大 出 版 会 刊 ) 三 十 四 頁、 及 び 解 説 二 十 頁 参 照。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀ 十 二 巻 本 ﹃ 眼 蔵 ﹄、 臨 終 正 念、 悲 華 経、 五 百 大 願、 三 願 転 入 ( 駒 澤 大 学 教 授 ) 道 元 禅 と 浄 土 教 思 想 ( 石 川 ) 二 四 一

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