1.論文の構成 1.論文の構成 1.論文の構成 1.論文の構成 はじめに 第1章 学習環境をめぐる議論 1-1 受動的な学習者から能動的な学習者へ 1-2 学習環境のデザイン 1-3 学習科学における「学習」とは 第2章 デューイにおける「経験」と「環境」 2-1 デューイにおける「経験」 2-2 個人との連続的関係を持つ「環境」 2-3 小括 第3章 授業の分析 3-1 授業の分析方法についての検討 3-2 発言表を用いた分析 3-3 グラウンド・ルールに着目した分析 第4章 授業に対する子どもの認識 4-1 分析の手続き 4-2 子どもごとの授業の捉え方の違い 4-3 事例の分析からの考察 おわりに 2.研究の概要 2.研究の概要 2.研究の概要 2.研究の概要 はじめに はじめに はじめに はじめに 近年の教育をめぐる議論においては,「教授」,「教え」 といった言葉から,子どもの「学習」,「学び」といった 言葉にキーワードが移り変わっている。このような転換 は,「学習者を単に知識を受容する受動的な存在とする のでなく,新たな知識あるいは技能を能動的に創造する 主体として位置付けようとする」ものとしても説明でき る(高木 2000)。したがって,教師は直接的に指導を行 うだけではなく,学習環境をデザインするという役割を 担うことになった(秋田 2012)。このような学習環境の デザインを対象とする学問領域は,1990年代以降「学習 科学」として発展してきている(大島 2016)。学習科学 は「教育実践の現実の中で問題を発掘し,その問題を科 学的に分析・吟味・理論化し,それを再び教育実践の現 実に還元するという絶えざる知の往還作業の現場から立 ち上がってくるグラウンデッドセオリー」の構築を目指 す学問領域である(森 2015)。そのため,学習科学では, 実践現場における問題を検討したうえで,その問題を改 善するための実践のデザインを学習科学の理論に基づい て構築し,その実践結果の詳細な分析を通して,理論や デザインの再構築を行うという研究手法が採られている (森 2015)。この一連のサイクルを通して,より効果的 な学習環境の実現を目指すのである。 しかしながら,「教育はひとりひとりの学習者にとっ てはやりなおしがきかない場合が多いものであるだけに, 広い視野からそれぞれの開発成果のマイナス面をもはっ きりさせてかからなければならない」と東(1976)が指摘 するように,学習を対象とする研究においては,教育者 の意図しない学習者の変容にも目を向ける必要がある。 東のこうした既存の学習論への批判とは,学習を巡る学 問領域が目指したような,特定の価値に向けて子どもを 育てていこうとする価値志向的な研究へと向かっている のである。なぜなら,こうした価値志向的な学習観の中 で目指されるべき人間像は,大いに単純化されてしまっ たものになり,個々人の間に存在する差異が捨象されて いくことになりかねないからである。その結果,教育者 の措定する人間像のみが先行してしまい,その陰にある 教育者の意図しない変容が見落とされてしまう可能性が あるのだ。 この ような教 育者が意 図しない 変容に注 目した実 証 的 な 研 究 の 蓄 積 は 依 然 と し て 不 十 分 で あ る(高 垣 他 2009)。数少ないそれらの研究は,授業内での教師と子 どもの相互作用,とりわけ意図しない子どもの変容に教 師がどのように応答するのか,という点に関心が注がれ てきた。これらの先行研究において,教育者の意図しな い変容を明らかにすることによって,教育者が自らの実 践を反省的に振り返る契機になりうることが示されてい る(根津 1999)。 しかし,この反省によって目指されるのが,教育者の 意図しない学習者の変容を統制するために,より綿密な 授業デザインや学習環境を構築しようとする方向となる
授業における
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授業における環境に関する一考察
環境に関する一考察
環境に関する一考察
環境に関する一考察
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デューイの経験概念と授業の分析を通して―
デューイの経験概念と授業の分析を通して―
デューイの経験概念と授業の分析を通して―
デューイの経験概念と授業の分析を通して―
キーワード:「経験」,「環境」,学習環境,教育者の意図しない学習者の変容,「授業分析」 所 属 教育システム専攻 氏 名 茂見 剛
か,あるいは,教育者の理想とする学習者の姿が問い直 される方向となるかは,それぞれの教育者自身に委ねら れているのである。 それでは,教育者の意図しない変容は教師に対してし か機能しないのだろうか。たとえば,学習者に学習を促 す媒介としての機能を持つ,環境についてはどうであろ うか。本研究は,教育者の意図しない変容が持つ機能に ついての試論的な検討として,教育者の意図しない変容 が環境に対してどのような影響を与えうるのか明らかに していく。この作業に取り組むにあたって,本研究では デューイ(John Dewey,1859-1952)の「経験」概念に着 目することにした。デューイはアメリカの哲学者であり, シカゴ大学での大学附属実験学校の取り組みを通して, その後の教育の在り方に大きな影響を与えることになっ た人物として評価される(下司 2016)。なぜなら,学習 科学に関しては,子どもの経験を教育の中心に据え,学 習における学習者の主体性を強調するものとしてデュー イが唱えた,児童(子ども)中心主義の思想が影響を与え ているからである(大島 2016)。 このように,デューイは学習科学に対する理論的な基 盤を提供しているのだが,本研究はこのようなデューイ 像からは多少異なる視点からデューイの理論を検討して いくことにする。というのも,従来のデューイ思想の読 解は,よりよい授業を構築するために活用することを目 的として行われてきた(溝口 2015,岩崎 2009など)。 また,授業で生じた学習を説明するための手掛かりとし てデューイの理論を読み解いていくような研究も挙げら れる(東 2013,桂 2003)。そこでは教育や学習といっ た特定の価値が前提とされているのである。本研究では, 教育者の意図しない変容を描き出すために,教育や学習 という価値的な枠組みから「経験」を捉えることはせず, あらゆる変容を生じさせるような「経験」に着目するこ とになる。このような視座から授業の分析を行っていく ことで,教育者の意図しない学習者の変容と環境の関係 について検討していく。 第 第 第 第1111章章章章 学習環境をめぐる議論学習環境をめぐる議論学習環境をめぐる議論学習環境をめぐる議論 1 章では,授業における環境がどのようなものとして 考えられてきたのかを明らかにするために,学習環境の デザインに関する議論の整理を行った。まず,学習に関 する心理学的な理論の変遷を辿り,学習者の捉え方が移 り変わっていったことを確認する。学習に関する最も早 期 の 理 論 と し て は , 学 習 を 「 刺 激(Stimulus)と 反 応 (Response)の対連合の形成」として捉える行動主義の学 習論が挙げられる。ここでは学習者を外からの刺激に応 じる受動的な存在として捉えている(秋田 2015)。これ に対して,1960~70年代には,ピアジェを代表とする構 成主義の立場が出現する。この立場は,学習を「自分の 持っている行動図式(シェマ)によって外界の情報を理解 する「同化」と,外界の情報にあわせて行動図式を変更 する「調節」という2つの過程によって説明」している (秋田 2010)。したがって学習者は,外からの刺激を受 ける受身の存在ではなく,能動的に環境に関わり相互作 用するものとして捉えられるようになった。 このように,学習に関する研究の中で学習者の主体性 が重視されてきたことを背景に,学校教育においても「教 授」から「学習」への関心の変化が生じた。そういった 中で,学習者の環境をどのように調整するのかという関 心が生まれ,学習環境をデザインするという研究が発展 することになった。鹿毛(2010)によると,学習環境は「多 様な物的,人的要素が創出するダイナミズムによって構 成される「情報環境」であり,学習者の視覚,聴覚,触 覚などの五感のすべてを通して体験される情報の総体」 のことである。このような学習環境を学習者の学習をよ り促進する一般的なものにするために,理論に基づく学 習環境のデザイン,学習環境を通した学習者の学習の評 価,理論及びデザインの改善,というサイクルを通して 研究を進めていく「デザインベース研究」が行われてい る。 この時「学習をより促進する」という表現から,目指 すべき方向が定められているということが推察できる。 すなわち,「学習環境をデザインする」というときの「学 習」は価値志向的なものだといえるだろう。松下(2010) は,このような価値志向的な「学習」の一つの特徴とし て,「学習」をより確実なものにするための改善を行うと きに,学習内容を具体的な行動に置き換えたり知識や技 の「計測可能」「測定可能」な部分に限定したりしようと する学習内容の可視化が要求されるということを指摘し ている。先に述べたように,「学習環境をデザイン」しよ うとするときの「学習」が,価値志向的なものを意味す るのであれば,そこでは特定の「学習」を促進しなけれ ば妨げもしないような変容はなかったものとして切り捨 てられてしまうだろう。 以上のことから,学習環境をめぐる議論においては, 教育者の関心の外にある,教育者が意図してしない学習 者の変容については十分に検討されていないといえるだ ろう。 第 第第 第2222章章 章章 デューイにおける「経験」と「環境」デューイにおける「経験」と「環境」デューイにおける「経験」と「環境」デューイにおける「経験」と「環境」 2 章では,教育者が意図していない変容を捉えるため
に,デューイの「経験」概念に注目した。北村(2008)が 「デューイは人間を生命の進化の流れの中で捉えている ので,人間の経験も他の生物の生の営みの延長上で理解 されている」と評するように,デューイは自身の「経験」 概念の基礎を,人間に限定せず,広く生物一般における 生の営みに置いている。ここでの生物とは,「自己を圧殺 してしまうことになりかねないエネルギーを,かえって 自己自身の活動の持続のために,征服し,制御するもの」 のことを意味している。しかし,生物による生命の保存 の営みは,一個の個体内において際限なく続いていくわ けではなく,生殖作用を通した種の保存が行われている。 こういった保存の過程の中で,かつては克服し得なかっ た障害でさえも,かえって利用することのできるような 種が発生することになる。デューイはこういった生物が 自らの必要性に応じて環境を絶えず再適合させて行く過 程を生命の連続と呼んでいる。また,「環境への働きかけ を通して,自己を更新して行く過程」のことを「生活 ライフ 」 として概念化した。しかしデューイによると,「生活 ライフ 」は 個体及び種族の「経験」の全範囲を指すものであり,単 なる生物による生命の更新に限られるものではない。し たがって,デューイは自身の「経験」概念を「生活 ラ イ フ 」と 同様に,更新による原理を持つものであり,人間が環境 への働きかけを通して,自己の習慣や信仰といった振る 舞い方や思考様式をも更新してゆくものとして用いてい る。 この「経験」は,相互作用と連続性という二つの原理 を有しているとデューイは述べる。相互作用の原理とは, 「経験」が人間と「環境」による相互作用によって生じ るという「経験」の発生について説明した原理である。 一方,連続性の原理とは,現在の「経験」が過去の「経 験」からの影響を受けて形成されるものであり,同様に, 現在の「経験」は未来の「経験」の質に影響を与えるも のだとする原理である。 ところで,デューイは,こういった連続性の原理に対 して,例えば強盗やギャングや腐敗した政治家というよ うに,成長は多くの異なった方向をとりうるのではない かという批判がなされうることを認めている。それに対 してデューイは,特殊な方向に成長する可能性は認めざ るをえないものだが,それがその後の成長一般を促進す るのであれば,それらの成長は教育的だとは主張する。 ここでのデューイの反論は,当初は想定もしていなかっ た方向への成長が,後の成長を豊かなものにする可能性 をも孕むものとして,成長が多くの異なった方向へと進 みうること自体を否定しているわけではない。したがっ て,「経験」そのものは特定の価値に向かうものだけを指 すのではなく,教育者の意図しない変容も含意するもの であると言えるだろう。 それでは,このような「経験」を生み出す要素となる 「環境」とはどのようなものであろうか。高橋が「デュ ーイの用いる環境という言葉に内包される意味は一般的 に用いられるような有機体の周囲の事物(surrounding) に限定されるものではない」と指摘するように,デュー イは「環境」を特別な意味を持った言葉として用いてい る。この点について,デューイの「環境」概念の要点は, ①周囲の事物と個人に特定の連続関係があること,②個 人と時間的,空間的にも距離のある事物が「環境」を成 すこともあること,③「環境」と個人が同時に変化して いくこと,の三点に整理することができる。まず,①に ついては,その有機体の「活動を限定し,彼の活動を他 のものとは異なった独特のものにする」ことを指す。し たがって,「ある周囲の事物がある有機体にとって環境 となる場合も,他の有機体にとっては環境となりえない 場合もありうる」。次に,②については,それが「ある有 機体との特定の相互作用の場を形成し,特有の活動の場 を構成する要因」でありさえすれば,あらゆるものが「環 境」になるということである。最後に③については,「環 境」との相互作用による個人の変化を通して,その「環 境」が与える作用や個人の「環境」の見方が変化してゆ くということである。 以上のことから,「デューイの環境論は,活動の主体 である有機体の観点から考察されており,世界の事物が 有機体の活動によって関連付けられ,意味づけられて環 境を形成している」と考えられる。これはつまり,個人 が世界の事物との間で特定の結びつきを創り出す,すな わち「経験」が生起しているところに,「環境」が後から 立ち現れてきているということである。したがって,個 人を取り巻く事物としての環境の意味は,個別的な「経 験」から逆照射されていくものだと考えられる。 第 第第 第3333章章 章章 授業の分析授業の分析授業の分析授業の分析 前章までの検討を通して,教育者の意図しない学習者 の変容と環境との関係を捉える視座として,以下の二点 が得られた。一つは,学習者の「経験」を描くことで教 育者の意図しない変容を記述し得るということ,もう一 つは,学習者の「経験」を描くことで,その学習者にと ってどのような「環境」が立ち現れていたのかを捉え得 るということである。第3章と第4章では,これらの視
座に基づいて授業実践を分析していくこととする。 まず,3 章では,重松鷹泰の「授業分析」に依拠し, X県の公立小学校であるY小学校で実施された「小学校 6 年総合的な学習の時間」の話し合いの授業の分析を行 った。このとき,授業における初回発言の系列や個人の 発言情況,全体的な発言分布,相互関係などを一見して わかるような表として示した「発言表」(中村 1986)や, 教師が明示的に示した,教室内での相互作用を支えるル ールである「グラウンド・ルール」(以下,GR)といった ものを手掛かりに分析を行った。 発言表を用いた分析からは,発言回数や発言時間に差 はあるものの,授業に参加していた30名の子どもの内, 27 名が発言していることが明らかになった。また,GR を手掛かりにした分析からは,〈提案理由を意識する〉, 〈意見をつなげる〉,〈相手を説得しようとする〉,〈全身 で話し合う〉,〈子ども同士で話し合う〉,〈他者の意見に 対する自分の意見を持つ〉,〈話し合いの文脈を守る〉と いう七つのGRを教師が提示していたことが明らかにな った。 第 第 第 第4444章章 章章 授業に対する子どもの認識授業に対する子どもの認識授業に対する子どもの認識授業に対する子どもの認識 次に,4章では,子どもたちの聞き取り調査を通して, 今回の授業を通して子どもたちがどのような「経験」を したのか明らかにしていくことにした。聞き取りデータ の分析の際には大谷(2008)のSCATに依拠した。その結 果,授業に対する認識が子どもごとに異なっていること が示された。 ここで第3章と第4章で行った分析の結果を総合する と,同じような教師の働きかけに対しても,子どもたち の意味づけ方がそれぞれ異なることが示された。以下で は,その具体例を示していく。なお,この時,授業を行 った教師をK教諭として示し,子どもの名前は仮名にし て太文字で示す。 K教諭は,自らの考える良い話し合いを実現させるた めに,子どもたちに発言を促す働きかけを行った。その 働きかけが,ゆりなゆりなゆりなゆりなという子どもにとっては話し合いの 中心となる子どもとして参加することを強制する「環境」 として機能しており,りょうたりょうたりょうたりょうたという子どもにとっては その後の K 教諭からの指名を回避するための戦略的な 発言をする動機を形成する「環境」として機能していた ことが明らかになった。これは,【発言を求めるK教諭 の圧力】という外的条件が,単に子どもに発言をさせる 「環境」として機能するのではなく,その他の意味を子 どもたちに与えるものとして子どもたちの前に現前して いるということだ。このように,ある学習環境から,そ れぞれの子どもが受け取る意味が異なり得ることが示さ れた。 おわりに おわりにおわりに おわりに デューイの「経験」概念を視座として,教室内の子ど もにどのような「環境」が現われていたのか明らかにす ることで,K教諭の働きかけが,様々な意味を持つもの として示された。このような結果が,教育方法学の中で どのように位置づけられるのか検討を行った。 こうした点を考察するにあたり,「ゴール・フリー評 価」を手掛かりにした。ゴール・フリー評価とは,従来 用いられてきたような,計画者や実施者が前もって設定 した目標を評価基準として用いる評価法への批判として 提起された評価法である。このような批判から提唱され たゴール・フリー評価は,目標と評価を別個のものとし てとらえており,目標とは別の評価基準を用いて評価を 行うのである。このようなゴール・フリー評価の意義と して,ゴール・フリー評価によって「得られた情報のな かから,教師が気づかなかった点,意図と異なって受け 止められた点を明確に見出し,カリキュラム,教育目標 および実践を,修正・改善する」ことが可能になる点が 挙げられる。すなわち,ゴール・フリー評価は実践の事 実の解明を通して,教育実践そのものを問い直す試みだ と言える。 以上を踏まえると,「経験」とは,学習者を目標には 関係しない変容に導きうるため,そのような「経験」を 生じさせた教育という営みを問い直す機能を持つのでは ないだろうか。また,こういった「経験」の統制が不可 能であるならば,「どう教育するか」,「教育とは何か」と いう二つの問いを追究することが課せられた教育方法学 として,このような「経験」をどのように受け止めてい くのか。今後,検討していかなければならない課題であ る。 3.主要引用文献・参考文献 3.主要引用文献・参考文献3.主要引用文献・参考文献 3.主要引用文献・参考文献 J.デューイ:松野安男訳(1975),『民主主義と教育』 (上),岩波書店 J.デューイ:市村尚久訳(2004),『経験と教育』,講 談社 根津朋実(1998),「「ゴール・フリー評価」(goal-free evaluation)の 方 法 論 的 検討―カ リ キ ュ ラ ム 評 価の 質的な客観性を確保する視点を中心にー」,日本カ リキュラム学会,『カリキュラム研究』第 7 号, pp.15-26,p.16 重松鷹泰(1961),『授業分析の方法』,明治図書