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龍谷大学佛教学研究室年報 第16号(2012) 002早島 慧「安慧・無性・清弁による『入楞伽経』第X章第136偈の引用」

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(1)

飽 谷 大 学 傭 教 学 研 究 室 年 報 第16号 2012年 3月

安慧・無性・清弁による『入楊伽凶第

X

章第

1

3

6

備の号開

早 島 慧

o

.

はじめに

本稿は,安慧 (Sthiramati,c

a

.

51ふ570),無性 (Asvabhav

a

.

50ι),清弁 (Bhavivekai ca. 500・570)の著作に引用される経典についての報告である.

w

大乗荘厳経論

(

M

a

b

a

y

a

n

a

s

i

i

t

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a

J

a

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k

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[

-

b

h

a

$

y

a

]

:

MSA[Bh]) ~に対する複註,安慧造

S

i

i

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r

a

.

陶 1kara-η討

i

b

h

a

$

y

a

(SA VBh)第V章,無性造

Mah

y

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n

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i

t

ra1却

k

a

r

a

-

!

i

k

a

(MSA T)

V

章,第

XI

章,

w

根本中論頒(Mi出

m

n

a

d

h

y

a

m

a

k

a

・k創ka:MMK)~ に対する註釈,清

弁造『般若灯論

(

p

;

n

.

争'rad抑 :PPr)~第 xv 章には,先行研究において引用元不明

とされてきた経典の引用がみられる.内容からみて,それらの引用経典は同ーの ものであり,本稿の主題はその引用経典を同定することである.結論から述べる と,それは『入拐伽経 (LaIikava伽 d伺 :LAS)~ 第 X章第 136偏(=第111章第36偏)

からの引用である.

なお,既にLAS-Xk.136 (=IIIk.36)の引用が報告されている,世親 (Vasubandhu,伺.

400・480)造『釈軌論 (Vyakh

y

.

砂 耐'I:Vyy)~ 第 IV 章,蓮華戒(Kamalaáila,c

a

.

740・795)

造『中観光明論(泊

d

h

m

a

k

a

l

o

k

a

:

Mλ)~ ,さらに, LAS-X k.136と重煩である LAS-III k.36が登場する LAS・III第52節も併せて紹介するii

1.安慧,無性,清弁の著作にみられる引用経典

以下が,本稿が扱う SAVBh・V,MSAT-V, XI, PPr-XVに引用される偏頒である. [l]SAVBh-V ji ltar byis pa rnams. brtags bzhin du dngos po yod par 'gyur ba dang /111 ji ltar mthong bzhin yod na ni 11 thams cad de nyid mthong bar 'gyur If

(

・Prnam

b P om. 11)

(2)

安慧・無性・清弁による『入拐伽経』第X章第 136備の引用(早 島)

[2] MSAT-V

dngos po rnams旬i

yodpa nyid1;ji ltar byis pasc rnam brtags shing11 de ltar mthong sted gal te yin11thams cad de nyid mthong bar 'gyurIf

c

-

P om. kyi

b P om.,IlC ~ p

a

d D de

C P om.lI)

β] MSAT-XI

chos kun gal胞byispa yis11ji I胞rrnam brtags mthong ba bzhin11 de dag yod par gyur na ni11thams cad de nyid mthong bara 'gyur1;

(

・Pbas

b P om. 1/)

[4]PPr-XV

ji ltar byis pas rnam brtags ltar11dngos mams thams cad yod pa nyid11

gal te jiItar de mthong yod 11thams cad de nyid mthong bar 'gyur11

これらの偽頒は全て先行研究において引用元不明とされていたものでありへ 翻 訳者の相違などから九 異なる翻訳がなされているが明らかに同一の偏~頁である.

本稿の主題はこれらが如何なる経典からの引用であるのかを同定することであ る 結 論 か ら 述 べ る と 次 の LAS・Xk.136 (=111 k.36)であるYi

鎚titv

m

:

p

SaIV:ぬ,havanatpyat随baIair吋kalp卵 胞 /

yadi旬bhaved抑 制 的 偽 町vesy凶旬ぽ明白rSin~11LAS-X k136 (=Is k.36) ji ltar byis pas brtags pa bzhin11dngos po thams cad yod pa ste11

de dag mthong bzhin yod na ni11thams cad yang dag mthong bar 'gyur11LAS-X k136 dngos po thams cad yod par ni11ji ltar byis pas rnam br旬gsbzhin11

de ste mtbong bzhin de yod na 11thams cad yang dag mtbong bar

gyur11LAS-IIIk.36

もしも愚夫(凡夫Yii)たちによって分別されるように,一切のものが存在し,

それらが見られるままに存在するならば, すべての者が正しい見解を有する者とな

1 MSAT

D58a6・7

P65b4・5 3 MSAT

093al・2

PI03bl-22

~ PPr

D162b2

P201b4・5

$ LAS, Nanjo ed. p. 282 (= p. 156) LAS・X,0164a4, P 1 79a4・5,LAS-III, 0117a4・5,P129a8-bl

なお,この引用経典の同定にあたっては龍谷大学若原雄昭教授に貴重なご指摘をいただい た.記して謝意を表したい.

(3)

施谷大学悌教学研究室年報第16号 2012年3月 ろう. 上述の諸論番にみられた引用経典は内容からみて,この LAS-X k

.

1

36 (=III k.36) の引用であると考えて問題ないであろう.以上で引用経典の同定を終えるが,以 下,このLAS-Xk.l36 (=III k.36)が引用される箇所をそれぞれ紹介する viii

2

.

S

助 活 卸 崎 司

-

v

r

t

刷 物

a

V

章における引用

SAVBh-Vにおいては, k.l1に対する註釈において引用される.まずMSABhは k.l1に対する註釈として次の『般若波羅蜜多経』を引用する. スプーティよ,もしも色が存在であって,非存在でないのならば,この大乗が天・人・ 修羅を含む世間を圧倒して出離することはないであろう ix この引用に対するさらなる教証として, SAVBhは先のLAS・X k.136 (=111 k.36)を・ 引用する.X 次のように『般若波羅蜜多経』に, スプーティよ,もしも色が存在であって,非存在でないのならば,この大乗が天・人 ・修繕を含む世間を圧倒して出離することはないであろう. と税かれ,意味は次の如くである.もし色などのそれら諸法が,愚夫(凡夫)たちが, f根が〔色などの諸法を〕知覚するJと述べるようであって, (彼らの主張が〕正 しく成り立つならば,それら(色などの諸法)は存在するのであって,非存在ではな いということとなる.そのようであるならば,無分別智である大乗がそれら天を含む 世間を圧倒して三界を出離することはないであろう.というのも,愚夫(凡夫)と賢 者の二つの区別がなくなってしまうこととなるので, 両者ともに真実を見ることと 6 MSA

Levi ed. p. 22

bhav唱a自akalabhibhuyag祖 国paraIllUamanu,例aprapぽtirevaI

vivi也agl碍aga平副rvivar品amãnãj~伊dupagt血lyasada1qp誕町阻a

1

1

MSA-V k.1l

1

1

7 MSABh

Levi ed. p. 22

yathoktaQ1pr司jnaparamitayaQ1/而parpcet subhuteA

bhãvo ・bhavi~yan nabhavo nedRQ1b m油五y面 倒P

sadevamãnu~ãsuralokam abhibhuya凶ryasyatitivistar~ /

I subhute: subhuta(Cf.長尾[2007a]p.126) b nedaQ1:nadRQ1(Cf.長尾[2007a]p.126)

(4)

安慧・無性・消弁による『入甥伽経』第

X

章第

1

3

6

偶の引用(早 島) なってしまう故に.それ故に世尊もまた(~入拐伽経』に] , もしも愚夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならば,すべての者が

E

しい見解を有する者と なろう. と仰るが知く.それ故に,色などの諸法は,彼ら愚夫(凡夫)たちが分別する我とし ての自性という存在ではない.それ故に,諸普躍は知理なるままに悟入するので,功 徳である無分別智が生じることとなる. 無分別智とは大乗であり, (無分別〕智が それら天を含む世間を圧倒して,三界を出離することとなるという意味である. この引用は,

r

諸 法 が 分 別 さ れ た よ う に 存 在 す る の で あ れ ば , 愚 夫 ( 凡 夫 ) と 賢 者 と に 区 別 が な く な っ て し ま うj ということに対する教証として引用される.

3.M

'

a

y

白 紙 凶 仰 鈎 苫

-

t

I

k

a

V

章における引用

MSAT-V

における

LAS

Xk

.

1

3

6

(

=

I

I

I

k

.

3

6

)

の引用は,先の

S

A

V

B

h

-

V

と同様に, k.1 l に 対 す る 註 釈 部 の 『 般 若 波 羅 蜜 多 経 』 に 対 す る さ ら な る 教 証 と し て 引 用 さ れ る. たとえば, ~般若波癒蜜多経』に, スプーティよ,もしも色が存在であって,非存在でないのならば,この般若波羅蜜Xl が天・人・修羅を含む世間を圧倒して出離することはないであろう. と言うこのように説かれている.もしも色などのそれら諸法が,愚夫たちが諮り,把 握するように,全くそのようであるならば,それらは完成されたということなり,存 在するということとなるが〔そのようではない〕という言葉である. 非存在でない のであれば,この般若波羅蜜が天・人などを含む世間を圧倒して出離することはない こととなる.何故かと言えば,愚夫(凡夫)と賢者とには区別がないので,すべての 者がまさに真実をみることとなる故に.たとえば,世尊が(~入楊伽経』に] , もしも愚夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならば,すべての者が正しい見解を有する者と なろう. と仰るが知く. 9 MSA'

f

D58必・7

P65bl・5

(5)

飽谷大学備教学研究室年報第16号 2012年3月 この引用意図,経典の解釈は,先のSAVBh・

v

におけるものとまったく同様であり, SAVBhとMSATとの先後関係は不明であるが, どちらか一方がもう一方を参照 して註釈したと考えられるがi

4.Mah

'an

a

s

u

a

却 却 脇2・

'

t

i

k

a

XI

章における引用

MSA

XIにおいては, k.50に対する註釈箇所において,LAS-X k.136 (=111 k.36) が引用される. このk.50はMSABhにおいて,

r

無自性性を探求することについ ての偽J とされる.このk.50について, MSABhはまず三種の無自性性と有為の三 相,三世との関係性について述べた後に,k.50cd句の「把握されたようにはそれが 存在することがないので,無自性性である

J

について言及する.このcd句に対す る複註においてMSATは先のLAS-Xk.136 (=III k.36)を引用する. 「把握されたようにはそれが存在することはないのでJというのは, 愚夫たちが諸 法を常・楽・浄と把揮するようには,或いは,色などの諸法をことしての執着を把握 するようには,存在することがないので無自性性である.すでに世尊が

(

W

入栂伽経』 に)

もしも愚夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならば,すべての者が正しい見解を有する者と なろう. と仰るが知く. ここでは,先のMSAT-Vとは異なり,愚夫と賢者との相違や三界からの出離につ いては言及されず,

r

諸法が把握されたようには存在しないので,無自性性であ るj ということに対する教証として LAS-X k.l36 (=III k.36)が引用されている. 10MSA, Levi ed. p. 67 svayaIpsveni位nana'bhavat svabhavecãnav舗血ite~/

g油av抵胞血b回~ãc'ca凶l;tsvab踊羽tvamiD'a:旬//MSA・XIk.SO //

a tadabhavac: tadabhavac (Cf.長尾[2007b]pp. 109・110)

11MSABh

Levi ed. p. 67

n~svabhãvatãpary句tausIokadvay!Up /

(6)

安慧・無性・滑弁による『入拐伽経』第X章第136備の引用(早 島)

s

.

P

r

a

戸争

'1'IJdi

pa

xv

章における引用

PPr-XVにおいては,章の最後に, w 善勇猛般若経~,

w

三味王経』とともに引 用される XIII かくして,本章(第

x

v

章)の目的は,空性についての〔章〕独自の異論を否定する ことによって,不断不常なる縁起を説くことである.それ故に,

(

W

善勇猛般若経』に〕 善勇猛よ,それ故に色には断滅性或は,恒常性はない.同様に受,想,行,織につい ても断滅性或は,恒常性はない.色,受,想,行,織についても断滅性或は,恒常性は ないということ,それが智窓の完成である. と説かれ,そして同様に

(

r

三味王経』に) , 存在と非存在というこつもまた極端である. 清浄と不浄というこつもまた極端で ある.それ故に,賢者は二つの極端を離れて,中立にも住することはない. 云々と説かれ,そして同様に

(

r

入楊伽経』に) , もしも愚夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならば,すべての者が正しい見解を有する者と なろう. 一切諸法は存在するのではないので,煩悩はなく,清浄もない.それらは見られる ままには存在しない. (そして, )それらは〔そのように〕存在しないのでもない. (LAS・Xk.137 (=111k.37) ) 云々と仰ったそれら(偶煩)が証明するのである. ここでの引用は, PPr-XVの主題,

r

不断不常なる縁起を説くこと

J

に対する教証 として, w 善勇猛般若経~,

w

三味王経』とともに引用される. PPr-XVにおける 引用の大きな特徴は,これまでの三つの用例とは異なり, LAS-X k.136(=IlI k.36) のみではなく Xk.137 (=111 k.37) も同時に引用する点である.X k.137 (=ill k.37) は「諸法は分別するように存在するのではなく,存在しないのでもない

J

と説い 13PPr

D162a7・b3

P201a8・b6 14LAS, Nanjo ed.

p

.

282 (=p. 156) abhavatsarval晶紅mãl)ã1p鈍申k1e~onasti釦d品i

caI na伺 旬b旬 制 抑 制 的

t

a

Cna ca旬vaina san世ca

1

1

LAS-X k.137 (=111 k.37)

1

1

QLAS・111k.37

suddhis b LAS-III k.37

na te CLAS-III k.37

ya白星

d

r

将五

(7)

飽谷大学備教学研究室年報第16号 2012年3月

ており,

r

諸法は分別するように存在するのではないJという教証としてX k.136

(=III k.36)のみを引用する前三例とは大きく異なる.

6

.

巧磁金

t

y

a

y

z

I

V

:

章における引用

LAS-X k.136 (=111 k.36)はまた,既に諸研究者によって指摘されているように

VyY-IVに も 引 用 さ れ る XIV. VyY・IVに お い て は , 上 述 し た 諸 論 書 と は 異 な り

LAS-X k.l36 (=IIIk.36)の前後の偽煩を含めた, kk

.

1

35・137 (=III kk.35-37),さらに

LAS-X kk.150・155abが『解深密経』引用の直後に引用される. このVyY・IVにお

ける引用については,既に堀内[2009]が 詳 細 に 考 察 し て お り ぺ 本 稿 で は 当 該 箇 所 を紹介するにとどめる. 『それ(芦間乗)は了義であるが,大乗には了義がないJ と言ったそのことも, (経 典の〕聴聞が少ないからそのように言ったに過ぎず,

r

解深密経』に,

r

一切法は無 自性である Jなどと言われたそのようなこと一切は了義ではない,と説かれ,他の経 典の中の他の多くの特殊な〔箇所〕にも,その同じ意味が説かれている.それらの経 節は,本文が多くなることを避けるために記さない.それらのうちの偏煩のみを若干 説べようXVIまず『解深密経』に, 諸法は無自性である,諸法は不生である,諸法は不滅である,諸法は本来寂静であ る,諸法は自性浬擦であるということに,意図がないと如何なる智者が語ろうか. 相無自性,生無自性,勝義無自性であると私は説いた.およそこれらの意図を知る 賢者は,退転の道に赴かない と説かれている.他〔の経典, w入楊伽経~)にも, 我は〔玉〕直にはない.また, (五〕濫も我には決して〔ない) . それらは,分別されるようには存在しない.しかし,それらは存在しないのでもな い. (LAS-X k.135 (=111 k.3S)) もしも患夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならぽ,すべての者が正しい見解を有する者とな ISVyY, DI05b6・106a2,P123bl・124a6,堀内ed.pp. 224-226 16LAS

Nanjo ed. p. 282 (=p.156) nahyi値頃vi匂a旬skandheaskan也 砥 伺ivahi na卸um.iI na te yath亙討kalpyan旬naca te vai na santiω

1

1

LAS-X k.13S (=111k.3S)

1

1

LAS・IIIk.35, skanclhai}J.

(8)

安慧・無性・滑弁による『入甥伽経』第X章第 136備の引用(早 島) ろう. (LAS-X k.136 (=Is k.36) ) 一切諸法は存在するのではないので,煩悩はなく,消浄もない.それらは見られるま まには存在しない. (そして, )それらは〔そのように〕存在しないのでもない. (LAS-X k.137 (=111 k.37) ) また, 遍計所執性としては,一切法は不生である. 依他起を所依として,人々の分別が迷乱する. (LAS-X k.150) 分別を離れた時に依他起は清浄である. 〔それは〕まさに転じた真如であり,分別を断じた住である. (LAS-X k.151) 分別を分別しではならない.分別は真実には存在するのではない. 所取と飽取として迷乱を分別するとき, 外界の対象を見る分別が,遍計所執性である. (LAS-X k.152) その分別によって分別するものが,縁起から生起した自性(依他起性)である. 外界の対象を見ることは誤りである.対象は存在せず,まさに心のみである. 10 (LAS-X k.153) 道理によって観察するときに,所取と能取は減せられる. 愚夫(凡夫)たちによって分別されるようには,外界の対象は存在しない.(LAS-X k.154) 1 1 LAS

N叫oed. p. 284 parikalpi姐svab回:venal sarvadharma ajata刷

b

l

1paa脂血位aq1細血草創tya吋ka1pobhramateDf頃皿11LAS-X k.l50 11

:a附 句it部vab愉 ena:pari刷pi同 問 蜘ena (α安井[1976]p.344) ajatak劫:ajanaka1J(Cf.堀内[2009]p.20

n.62) LAS, Nanjo ed. p. 284 par蜘凶aq1戸dãa 釦d晶8Ip吋kalp偲a 吋踊申~組ml par量明a早M組 曲 編 曲 盈 功 凶:pavarjital].1/LAS-X k.15111 a yada: yatha (Cf.堀内[2009]p.20, n.62) 1 9 LAS

N叫oed. p. 284 m亘vikaIpa早vikalpetba吋ka1po誠sti図 柄 地 /

bhrãq也事計kalpayan 協戸 grãhy.噂油ak可'or 胞~I

b砲 声 曲adar釘.D8IPkalp8Ip svabhaval;lparikalp~ 11LAS-X k.15211

agr油ya肘h北ayor旬:gr油yagrah山 yorna佃 (Cf.安井[1976]p.344,堀内[2009]p.20, n.62) 20 LAS, Nanjo ed. p. 285

yena kalpena kalp佃,tisvabhav

a

Q

pratyayodbhaval;ll

bahy.盈也adari佃mpmi也ya誠styar也8Ipci悦ameva加11LAS・Xk.15311

1 1

LAS, Nanjo ed. p. 285

戸 均avip話 戸 血ananatpgr油agr油Y8Q1凶m品yateI

(9)

龍谷大学偶数学研究室年報第16号 2012年 3月 u 習気によって撹乱された,対象の顕現を有する心が生じる (LAS-Xk.155ab) と説かれている.以上のようなものなどの了義説に対して意味付訂由a)或いは言葉

m旬)を理解せずに,

r

大乗には了義説はないjと言うことは軽率に他ならない. それ故に,

r

矛盾するから大乗は仏説ではないJと言ったそのことは成立しない.

7

.

M

a

d

h

y

a

m

a

k

a

l

o

k

a

における引用

さらに, LAS-X k.l36 (=111 k.36)は,

M

λ

にも引用されることが,既に諸研究者に よって指摘されているxvii.

M

λ

においては,対論者の前主張の箇所において『大空 経~,

w

十地経』とともに引用され,

X

k.136 (=III k.36)の他に,

X

k.305 (=11k.191), k.150, k.l35 (=111k.35),k.137 (=III k.37),比 153cd・155abが引用される.この前主 張については,諸研究によって詳細に考察されておりxv"I,本稿では当該箇所を紹 13 介するにとどめる. 『入拐伽経』にも 遍計されたものは存在せず,依他起なるものは存在する.増益と損減の極端の分別 :w を有する者は滅びる. (LAS

Xk.305 (=u k.191)) 遍許所執性としては,一切法は不生である. 依他起を所依として,人々の分別が迷乱する. (LAS-X k.150) と説かれており,これによって,依他起性である因縁生は,勝義として存在するが,そ のとき,遍計所執性としては不生であるなどと説く,と示すこととなる. さらに同じ経典に, 我は〔玉〕濫にはない.また, (五〕蕗も我には決して〔ない) . それらは,分別されるようには存在しない.しかし,それらは存在しないのでもな い. (LAS-X k.135 (=111 k.35) ) と説かれている.この二つの否定によっても, (五〕寵は存在する,と示すのである. U LAS

N叫oed.p.285 vas組airl叫i旬 甲d伽 皿 紅 白abhasaqtpravar旬teI LAS-X k.155abI 23Mλ0145al・bl

P156b5・157a7

Ichigo ed. pp. 132・134 14LAS

Nanjo ed. p. 304(=p. 131) nasti vai kalpito bhava与p訂a旬且回lp.'ca vidyateI

sam盈opapav拍 車cab.kalpantoOvina勿ati/1LAS-X k.305 (= 11k.191) 11 a LAS・11k.191, p町atantras

b LAS-II k.191

hi

(10)

安慧・無性・滑弁による『入幌伽経』第X章第136偏の引用(早 島) 『大空経』にも, 業も存在する.異熟も存在し,作者は認識されない. と説かれていることも (r一切法無自性Jと〕矛盾する.というのも,もし勝義として 業も存在し,異熟も存在するのであれば,そのとき,一切法は無自性とはならない.も し世俗として存在するのならば,そのとき,世俗として作者も存在するので,

r

作者は 認識されないJ と言われるべきではない.さらに『入楊伽経』に もしも愚夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならば,すべての者が正しい見解を有する者とな ろう. (LAS-X k.136 (=111k.36)) 一切諸法は存在するのではないので,煩悩はなく,清浄もない.それらは見られるま まには存在しない. (そして, )それらは〔そのように〕存在しないのでもない. (LAS・Xk.137 (=111 k.37) ) と説かれている.これによって一切法が存在しないのであれば雑染と清浄を否定す 1$ る過失に陥る (LAS-II),と示している.さらに,同じ経典に, 外界の対象を見ることは誤りである.対象は存在せず,まさに心のみである. (LAS・Xk.153cd) 道理によって観察するときに,所取と飽取は減せられる. 愚夫(凡夫)たちによって分別されるようには,外界の対象は存在しない. (LAS-X k.154) 習気によって撹乱された,対象の顕現を有する心が生じる (LAS-Xk.155ab) と説かれている.

w

十地経』にも, すなわち,この三界は唯心なり と説かれている.同様に『解深密経~ r入楊伽経~

w

密厳経』に,

r

一切法は,ただ心を 体とするのみであるJと説かれるので,勝義として心のみは存在するが,他はそうで はない,・と説かれるのである.それ故に,一切法は無自性であると証明されないことと なる. 8. La

i

1

k

ava伽

d

飽 第

5

2

最後に, LAS・

X

k.136と重煩である LAS・III k.36が LAS・111の 知 何 な る 箇 所 で 登

場 す る の か を 紹 介 す る . 安 井[1976],久保田 [1984]はLAS-III k.36が 登 場 す る 第 52

(11)

龍谷大学悌教学研究室年報第16号 2012年3月 節 の 主 題 を 「 語 (ru旬)の知くに意味(制ha)を 取 る べ き で な い こ とJとしているxix 久 保 田

[

1

9

8

4

]

は こ の 第

5

2

節 を

LAS

の 構 造 を 考 察 す る 上 で の 重 要 な 節 と し て 扱 う . 久 保 田 は

k

.

3

4

が散文の内容と直結しているのに対し,

k

k

.3

5

3

7

は 少 し 意 味 合 い が 異 な る と 指 摘 し , こ の 第

5

2

節 の う ち

k.

34

の み が

LAS-X

に 再 出 し て い な い こ と に 注 目 し て い るxx この点については,本稿で紹介した

LAS

X k

.1

3

6

(

=

I

I

I

k

.

3

6

)

の引 用 例 に お い て も

k

.

3

4

が同時に引用されない点もまた注目すべきであろう.以下が, 26

1

1

1

k

.

3

6

が 登 場 す る 第

5

2

節である. その時,実にマハーマティ菩薩摩詞薩は,世尊に次のように雷った.

r

また世尊によっ て,

w

菩薩・摩詞薩,および他の者たちは,言葉 (ruta)通りに意味(紅白a)を取っては ならない

J

と言われました.しかし,世尊よ,普施・摩飼薩は,何故に言葉通りに意味 を取らないのですか.そして,言葉とは何であり,意味とは何ですか.J世尊は仰った. 「然れば,マハーマティよ,よく聞きなさい.そしてよく思念しなさい.私は汝のため に説明しよう.j f宜しゅうございます,世尊よJと言って,マハーマティ菩離摩釘薩は世噂に同意し た. 世噂は彼に次のように仰った.

r

マハーマティよ,このうち言葉とは何かと言えば,す なわち,言語と文字とが結合した分別であり,歯や顎や口蓋や口腔から発せられた相 互の会話。alpa)であり,分別の習気を原因とするものが『言葉』と言われるのであ る.また,マハーマティよ,このうち意味とは何かと言えば,すなわち,開・思・修よりな る智慧によって,独り寂所にあって,浬擦の城へと赴く求道者であり,自己の智によっ て,習気の所依をまず転じ,自内証の境である地と他の段階の地との相違や意味の特 徴の通達を観察する普薩摩詞薩は,意味に精通した者である.さらにまた,マハーマテ ィよ,言葉の意味に精通し.た菩穣・摩飼薩は,言葉が意味とは,そして意味が言葉とは, 別・ではなく,別でなくもないと観知する.そして,またマハーマティよ,もし意味が言 葉と別であれば,言葉は意味を顕わす原因とはならなくなるであろう.しかし,灯火に よって財宝の〔ありかが知られる〕ように,その意味は言葉によって知られるのであ る.マハーマティよ,たとえばある者が,灯火を取って,

w

これは私の財宝である.この ようにここに〔ある) .

J

と,財宝を見つけるであろうように.マハーマティよ,まさ に同様に,言語の分別である,言葉という灯火によって,言語の分別を離れた菩薩・摩 26LAS

Nanjo ed. pp. 154・156

(12)

安慧・無性・滑弁による『入楊伽経』第X章第136備の引用(早 島) 詞趨たちは,自内証の意味の通達に入るのである.さらにまた,マハーマティよ,不滅, 不生,本性浬鍵,また,三乗,一乗,五〔法) ,心, (三〕自性などについて,言葉通りの 意味に執着する故に,増益と損減の見解に陥ることとなる.ある仕方で設定されたも のを別の佐方で妄分別して,様々な幻を見る妄分別の知く.マハーマティよ,すなわち, ある仕方で様々な幻と見るべきものは愚者(凡夫)たちによって別の仕方で妄分別 されるが,聖者たちによっては〔そうでは〕ない.ここで,次のように鋭かれる. 言葉通りに〔意味を〕分別して,法性を増益する. 彼らは,まさにそれ(法性)を増益する故に,地獄の住処に落ちるのである. (LAS-IIIk.34) 我は〔五〕謹にはない.また, (玉〕誼も我には決して〔ない) . それらは,分別されるようには存在しない.しかし,それらは存在しないのでもな い. (LAS-III k.35 (=X k.135) ) もしも愚夫(凡夫)たちによって分別されるように,一切のものが存在し, それらが見られるままに存在するならば,すべての者が正しい見解を有する者とな ろう. (LA剖 11k.36 (=X k.136)) .一切諸法は存在するのではないので,煩悩はなく,清浄もない.それらは見られるま まには存在しない. (そして, )それらは〔そのように〕存在しないのでもない. (LAS・111k.37 (=X k.137))

9

.

おわりに

以 上 指 摘 し て き た よ う に , 先 行 研 究 に お い て 引 用 元 不 明 と さ れ て き た , SAVBh-V, MSAT-V, XI, PPr-XVにみられる経典は LAS-Xk.l36 (=IIIk.36)である.

さらに, LAS-X k.136 (=111 k.36)は VyY・IV,Mλ にも引用される.この LAS-Xk.136

(=111k.36) は,中観,稔伽行唯識両学派の文献に多々引用される LASのなかでも, 非常に多く引用される偏煩の一つであり,この偏煩の重要さがうかがえる.さら に,この偏頒の引用については論書ごとに引用方法,引用意図の特徴がみられ,本 稿では紙面の都合上詳細に考察することはできないが,引用方法,引用意図の比 較検討は,中観,磁伽行唯識両学派の思想の比較検討,文献・論師聞の関係性を考 21LAS

Nanjo ed.p.156 yat踊m組 串 泊kalpitvasamaropen首品位mataml te伺 .vai旬tsam盈opatpa:旬ntinar宮崎laye11LAS戸IIIk.3411

(13)

龍谷大学梯教学研究室年報第16号 2012年3月

える上で貴重な資料となりうるであろう

xxi

最後に,

LAS-X k

.

1

36 (=111 k.36)

とその前後で引用される偶煩を以下整理して本

稿を締めくくる

xxii SAVbh-V 111 k.34 X k.135 (=IIIk.3S) X k.136

(=IIIk.36_) X k.137 (=111k.37) X k.150 X k.151 X k.l52 X k.153ab X k.153cd X k.154 X k.l55ab X k.305 (=11 k.191)

略号・テキスト

BhK : Bhavan結T8m,a MSAT-V MSAT-XI

。 。

PPr-XV VyY・IV M A LAS・III 第

52節

。 。 。

。 。 。 。

。 。 。 。

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(14)

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り「蔵訳『荘厳経論安慧釈』における著者問題

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~印度学仏教学研究~

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江 島 恵 教

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W印度学仏教学研究~

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小 谷 信 千 代

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~大乗荘厳経論の研究』文栄堂書唐 梶 山 雄 一

[

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消 弁 ・ 安 慧 ・ 綾 法J~密教文化~ 64/65

[

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r~知恵のともしび』第十五章(試訳 )J 『伊藤真城・田中順照両教授煩徳記念:仏教学輪文集』東方出版 久保田力

[

1

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r~楊伽経』の形態的成立史論・内部構造と原型への視点・ J W論集~ 11

[

1

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r~拐伽経』依用の最初の論師遥・「偶煩品 j 成立に関連して・ J ~文化.lJ

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2

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栗 原 尚 道

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AlokamalU'~印度学仏教学研究.lJ

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西 蔵 文 典 研 究 会

[

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1

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安慧造『大乗荘厳経論釈疏.lJ-菩提品。

1

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・ J ~西蔵文献による仏教思想研究.lJ

2

下川辺季由

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無性造『大乗経荘厳広註』和訳・

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煩J~大崎学報.lJ

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菅沼晃.

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入 楊 伽 経 の 不 立 文 字 論

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~東洋大学紀要文学部篇.lJ

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入楊伽経無常性品・現観品・知来常無常品・変化品訳注J

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東洋学論叢.lJ

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鈴木大拙

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[1932] THE LAA脳 VATARAS印 刷IA MAHAYANA TEXT,Translated[or thefirst timefrom the

(16)

安慧・無性・滑弁による『入拐伽経』第X章第 136備の引用(早 島) 副島正光 [1997] rpancavirpsatis五hasrikaPraj

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rati拍車.bharpVijnanamuの用例をめぐって・J 『仏教学.s 1 [1979]r~楊伽経.ß J ~仏典講座.ß 17大蔵出版 土田龍太郎 [1983] r入楊伽経解題J~仏教教育宝典 1 仏陀・大乗悌教集』玉川大学出版 常磐義伸 [1994]~ランカーに入る・党文入楊伽経の全訳と研究-.ß 花園大学国際禅学研究所研究報告第二冊 長尾雅人 [2007a]~~大乗荘厳経論』和訳と註解・長尾雅人研究ノート・ (I).ß長尾文庫 [2007b]~r 大乗荘厳経論』和訳と註解・長尾雅人研究ノート・ (2).ß長尾文底 [2009]~~大乗謹厳経論』和訳と註解・長尾雅人研究ノート・ (3).ß長尾文麿 [2011]~~大乗荘厳経論』和訳と註解・長尾雅人研究ノート・ (4).ß長尾文庫 南保文雄・泉芳環 [1927] r邦訳党文入楊伽経』法蔵館

早島理 (Hay踊him

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Osamu)

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CHOS YONS SU TSHOL BAijI SKABS or DHARMAPARYE~TY ADHIKλRA ・百E

'XI由 CHAPTEROF THE SUTR互LAMKλRAVRTTIBHλ~YA, SUBcom厄NTARY

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1

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瓦RA"

『長崎大学教育学部社会科学論叢.s32

藤田祥道

(17)

龍 谷 大 学 悌 教 学 研 究 室 年 報 第16号 2012年3月 『龍谷大学悌教学研究室年報~ 6 古坂紘一 [1989] rw般若灯輪

J

における『入楊伽経』等の援用事情(I)J 『大阪教育大学紀要 1,人文科学~ 38・1 [1991] rw般若灯論』における『入梼伽経』等の援用事情(II)J 『大阪教育大学紀要 1,人文科学~ 39-2 堀内俊郎 [2009]W世親の大乗仏説諭・『釈軌輪』第四章を中心に-~山喜房悌書林 本 庄 良 文 [1992] rw蒋軌論』第四章・世親の大乗仏説諭(下)・ JW神戸女子大学紀要~ 25・1 安 井 広 済 [1976]

W

入 楊 伽 経 : 党 文 和 訳

1

法蔵館 松 下 了 宗 [1987] r無自性説と密意趣・中観光明倫に見られる中観派批判の背景・j 『仏教学研究~ 43 森 山 消 徹 [1992]r焔dhyamakãloka に引用される『般若経~ -ニ諦説と無自性検証の典拠・j 『真野龍海博士頒寿記念論文集:般若波羅蜜多思想論集』 山口益 [1962] r大乗非仏説論に対する世親の論破.釈軌輪第四章に対するー解題・J 『東方学論集東方学会創立十五周年記念~ (山口[1973]に所収) [1973] W山口益仏教学文集・下』春秋社 i rBhavivekaJ という名称、については,江島 [1990]を参照. i i本稿が扱う論番はいずれもSkt.原典が失われており,本稿ではTib.訳を考察対象として扱 う.また,論番の列挙jl慎序には何ら特定の意図はない. 日i内容からみて,LAS-X k.136 (=111 k.36) からの引用であることは間違いないが,ミーター がー音節多い.偏煩としてみなしていないということであろうか. iv[1],[3]については長尾 [2007a]・(p.126)において, [2]については下川辺 [1985](p. 48, n.42) において引用経典不明とされている.[4]については梶山 [1979] (p. 198) の翻訳があり,こ こでは「引用経典不明Jと明言されていないが, 梶山が他の引用経典に言及しているに もかかわらず,この経典に何も言及していないことをふまえると,この引用経典を同定で きなかったと思われる.なお, LASを引用する諸論番を指摘した,久保田[1989],PPrに引 用される経典を考察した,古坂[1989],[1991]においてもこの指摘はなされていない. V翻訳者は以下の通りである. MSAT: Saky踏切ha,Dpal brtsegs

(18)

安態・無性・消弁による『入楊伽経』第X章第136備の引用(早 島) SA VBh: Municandra小r1unisan也、sic)

Lee bkra shis PPr: Jnanag訂bh,aKlu'i rgyal mtshan ただし,同一の翻訳者によって翻訳された[2],[3]が異なる翻訳がなされる点は疑問である.複 数の人物によって共同で翻訳が行われた,或いは翻訳が段階的に行われたことを意味するの であろうか. vi本稿では,とりあえずLAS・Xからの引用としたが,これらの引用が LAS-Xからの引用である のか,LAS・111からの引用であ石のかは定かではない.この点は LASの成立問題に関して重要 な意味をもっと思われる. viiCf.堀内[2009]p.320

n.157 「ここでは*balaを『愚者』と訳したが,漢訳を使い, ~凡夫~

w

異生』とした方が良いかもし れない.というのは, w釈軌論~ (VyY, 2.1.1

1) でも『楊伽経.JI(LAS, v.507, 508) でも, b五la

はおyaに対比される露である.そして, balaとは聖者価ya,見道・初地以降の者)以前の者

をいうのであり,いかなる賢者も見道以前はbalaであるからである.あるいは『通常人』とい

う訳語も可か.J

viii翻訳の比較のために,以下引用部を整理する.

LAS-X: ji 1阻rbyis pぉ brtagspa bzhin11dngos po thams cad yod pa ste11 de dag mthong bzhin yod na ni11thams cad yang dag mthong b訂 ・gyur11

LAS-III : dngos po thams cad yod par ni11ji ltar byis p邸 mambrtags bzhin11

de ste m由ongbzhin de yod na 11thams cad yang dag mthong bar 'gyur11

SAVBh-V: ji 1旬rbyis pa mams b巾gsbzhin du伽gospo yod par 'gy町 badang 1

ji 1阻rm血ongbzhin yod na ni11thams cad de nyid mthong bar 'gyur11

MSAT -V: dngos po mams kyi yod pa nyid11ji Itar byis pas mam b血gsshing11 de ltar m由ongste gal te yin11thams cad de nyid mthong bar

gyur11

MSAT-氾 :choskungal te byis pa yis11ji ltar rnam br阻.gsmthong ba bzhin11

de dag yod p訂 gyurna ni11出 御 前 回dde nyid mthong b訂 'gyur11

PPr-XV: ji Itar byis p路 rnamb陶gsItar11dngos rn細 sthams cad yod pa nyid11

gal te ji ltar de mthong yod 11由amscad de nyid mthong b訂 'gyur11

VyY・IV: ji ltar byis P邸 brtagspa b油in11命19O5po thams cad yod pa ste11

ji ltar m血.ongbzhin de yin na11thams cad yang dag m出ongbar 'gy町H

Mλ: ji ltar byis pぉ mambrtags It訂 11dngos rnams thams cad yod pa nyid1/

gal te ji ltar de m出ongde nyid11由amscad de nyid m曲ongb訂 'gyur"

民この『般若波羅蜜多経』もまた,長尾[2007a]において何れからの引用であるか不明とされて いる(長尾[2007a]p.126, n. 4).筆者もこの経典を同定しえていないが, ~二万五千頒般若経

(P8n伺 吋msatisah.邸ikaR司jn.高parami語:PspU第 1章には,類似する一文が多々みられる. MSABh

Levi ed. p.22

品p創11cet subhu句bhavo'bhavi~an nabhavo nedaIp m油五yan8Q1sa-deva-manu弱suralokam abhibhuya niryasyatiti吋starab1

PsP

Kimura ed. pp. 118・121

sacet Subhute dharma-dh五旬rbhãvo ・bhavi~yannabhavo naived8Q1mahayanaIp

S8・deva-m盈阻害お町田11lokam abhibhuya nirayasyat

-sacet Subhute dana-Daramitabhãvo ・bhavi~yannabhavo naivedaxp m油五yanarp sa-deva-mãnu~ãs町'8q1lokam abhibhuya nirayasyat

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sacet Subhute Drainゐaramitabhavo 'bhavi~yan nabhavo naivedaxp mahayan釦p

sa・deva-manu弱S町 副plokam abhibhuya nirayasyat,

.. sacet Subhute adhyatma-sUsyata bhavo 'bha吋~annabhavo n剖vedaIpmaha:同n創11

sa・deva-m面1U~ãs町国11 lokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute bahirdh誕面lVatabhavo 'bhavi号yannabh五:vonaivedaIp m泊五yana甲

sa-deva-man時五Suraq1lokam abhibhuya nirayasyat,…

sacet Subhute adhyatmabahirdha-sUsyata bhavo 'bhavi~an nabhavo naived創11mahayanaIp

(19)

龍谷大学側教学研究室年報第16号 2012年3月 sacet Subhute catvむismrtvuoasthanan! bhavo'bhavi~yan nabhavo naived創11mahayan明1 sa-deva-mãnu~ãsurarp lokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute盈vast泊 四m五r

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2bhavo'bhavi~yan nabhavo naived創pm油ayanarp sa-deva-m面lU写as世 田11lokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute aoramana-dhvan・むuov出amaDa悦ayQbhavo'bhavi~yan nabhavo naivedarp m油ayanatpsa-deva-man時五S町arplokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute部信das'avenilcabuddhadhann! bhavo'bhavi~yan nabhavo naivedatp mahayanatp sa-deva-manu弱surarplokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute問trabhu-d.harm!bhavo'bhavi~yan nabhavo naivedarp mahayan創11 sa・deva-manw;asuraqllokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute笛tam此a-d.harmabhavo 'bh州事Y畑 頑bhavonaivedap m油五

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面倒p sa-deva-mãnu~扇町arplokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute buddha-dhannabhãvo ・bhavi~yannabhavo naivedarp m油五.yanarp

sa-deva-mãnu~ãsur祖plokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute印 刷 ・bh面 凶rbhãvo もhavi~yannabhavo naivedarp mahay盈wp sa・deva-manl時五surarplokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute~叫坐Q bhãvo ・bhavi~yannabhavo naivedarp mahayan創psa-deva-manw;asuralll lokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhute sa・deva-manusasur2bhavo'bhavi~yan nabhavo naivedarp m油五.yanarp sa-deva-manw;as町aplokam abhibhuya nirayasyat

sacet Subhut怠Dm由加na-citto句adamupadava bodhisattvasva mahasattvasva yavad a bodhimandad

et部minnantare ve cittotDadas tebh五.vo もhavi~yannabhavo naivedap m油五.yan創P

sa-deva-man時 扇 町 側1lokam abhibhuya nirayasyat,… これらは,下線部を除いて先の『般若波羅蜜多経』の引用とほぼ一致する.ただし,下線部が 而.paである一文はなく,rupaについての言及は,この直前の文脈に確認される. PsP

Kimuraed.pp. 115・116 sacet Subhute ruparp lathat亙avitathataananvatathat五avinantambh百tam値 段vamvathavan nitvo dhruvah錨 釘atQ'yjparinãmadbam~ bhavobhavi~an nabhavo naivedap m油ayan創p sadevamanw;asurarp lokam abhibhuya nirayasyat, この一文には,二重下線で示した箇所が含まれており,先の引用文とは一致しない.しかし,以 上挙げたPsP-Iと『般若波羅蜜多経』の引用文は,非常に類似しており,両者の密接な関連を 示唆するものであろう. Xこの他のSAVBhにおけるLASの引用箇所は諸研究(高崎[1976]pp.13・15,Hayashima[1978]p. 106, n. 29, [1979]pp. 5ι57, n. 24,西蔵文典研究会[1981Jp.83, 120, Hayashima[1983]p. 75,小谷 [1 984]p. 103, 148, 149, 198,214,236,久保田[1989]p.148, 171, DD. 9・10,藤田[1993]p.72, 78, 長尾[2007a],[2007b], [2009], [2011])によって指摘されており,以下,それらをもとにその他 の引用箇所を管見の限り紹介する. S_t¥ VBh-I (D23a3. P24_b2-3) !~足=包 1(2) SAVBh・1(D25b7. P27b2・3) !~足=包 3) SAVBh・11 (D36b6. P39bS) ~~足z 包 @ SA VBh-IV (D54b. P60b3) @ SAVBh

V

(D73b3. P83b3-4) LAS

X

k.136 (::::sI k.36) │本語表参照 @ SAVBh-VI D82a1.P93b4) │経典名 め SAVBh-医 D136b4. P1S3a5 経典名 @ SAVBh-XI ~ D187b3. P207b7 LAS

X

k4_87cd. (::::111 k.33cd) ::::PPr⑬ @ SAVBhXI D 198b6. P219b8 経典名‘ ⑩ SAVBh・.XIV(D263a 1_._}l_2_2_3M) ;経典名

⑪Ls

AVB_h主立 _(D203b5.P237al ) 経典名

(20)

安慧・無性・滑弁による『入楊伽経』第X章第 136備 の 引 用 ( 早 島)

-経典名のみの引用であるが, Hayぉhima[1979]はここでの内容はLAS-I1Nanjo ed. p. 190, k.203にみられると指摘する (Hayashima[1979]p.57, n. 24) .

話MSABhではf大乗(mahayana)Jであるが,ここでは「般若波羅蜜(shesrab kyi pha roltuphyin

p,a*prajnaparamita)Jとなっている.なお,同じく Dpalbrtsegsの翻訳であるMSABhTib.訳で も「般若波羅蜜Jとなっている. xiiこの他の註釈の類似性については,小谷[1984]pp. 17・18参照 xiliこの他のPPrにおけるLASの引用箇所は古坂[1989],[1991]によって指摘されており,久保 田[198勾によって整理されている.以下,それらをもとにその他の引用箇所を紹介する. │① PPr-Iむ62b3.PlO2a8) LA~ト.Xk.196 (=m k.l4) =PPr⑬.釈論④I.MA(4)b 1(2)a PPr-Nω845b5・6.Pl但a8) LAS-X k.583 (=m k.88) b PPr-Nω845b6. P102a8-103bl) LAS-X k.85 (=llk.140) =MA⑦ I@ PPr-Nω85b3-4.PI03bl・2) LAS-X k.598 (=m k.102) 100a PPr-N (D89a4. PI08a2・3) LAS-X k.86(=:皿k.52) b PPr-Nω89a4,PI08a3-4) LA~トXk.167 (=llk.175) l l=a.pBprh⑦⑥ k,釈論②1,M A② 1(5) PPr

-

v

(D95a2. P1l5a8) L MトXk.476 (=:田k.22) 1(6) PPr・vnω107a2.P130b7) LA~四 Nanio 叫 o.76 ⑦ PPr-IX (DI29a5-6, P1S8b4) LA~ト.xk.167 (=11k.175)

I~

BhK④@b,釈論②IM A 100a P町、X V (DI62b2. P201 b4・5) LA~トXk.136 (=m k.36) │本論表参照 b PPr-XV (DI62b2-3. P201bS) LAS戸Xk.137 (=m k.37) │本論表参照 @ PPr-XXIlω'219al・3,P274b4・7) LAS・皿N吋oed. 部分的対応 100. 189-190 100) PPr・.XXIl(0219b5.P27Sb4・5) LAS-X k.64 (=m k.80) 10D PPr-XXIVω230b3. P289a8) 可来同定 PPr-xxv (D243b4・5.P305b2 LAS戸Xk.305 (=llk.191) 1::::;釈 論 @ 103) PPr-XXV (0243b6・7.P305bS LAS-X k.89 (=llk.l坐

l

104> PPr-XXVω1243b7. P305b5・6 LAS-X k.196(=皿k.14) =PPr①.釈論(i).MAoob 10&1 PPr-XXV (024Sa6. P307b3-4 L MトXk.487cd (='田k.33cd)::::;SAVBh@ 1(16)a PPr-xxvω'248b7. P3

a7) LAS-X k.374 (=llk.198) =MA(2)b b PPr-xxvむ248b7-249a1.P312a7.

8) LAS-Xk91(:::i田k48) 竺M企~ なお, PPrの註釈である, A valokitavrata (700年代前半)によるP均所有'pradipa-{ikaには, PPr には確認されないLASの引用がみられる. (Cf.古坂[1991]他) xiv山口[1962] ([1973]pp.310・313),本庄[1992]pp.103・104,p.115, 0.3,4,堀内[2009]p.18他 別堀内[2009]pp.17・26 xvi

C

f.堀内[2009]pp.62・63,320, n. 154 xvil松下[1987]p.60,ー郷[1991]p.256,森山[1992]p. 116, Ichigo[2003]p. 133他.なお,LAS-X kk.136-137 (=III kk.36・37)は後主張にも引用される (DlS6a6・bl,P170a3・5) . xviii松下[1987],一郷[1991],森山[1992]他 xix安井[1976]p. 140,久保田[1984]p.80,表4 n 久保田[1984]pp.77・83 xxi本稿で扱った論番は成立年代,順序が問題となっているものであり,その問題を解決す る糸口としてLASの引用についての考察は意義があると考えられる.佐久間秀範は,と

もにMSAに対する複註であるMSATとSAVBhとの先後関係を問題提起し(佐久間秀範

「無性と安慧の関係をめぐる覚え書きJ,日本印度学仏教学会第61回学術大会(於立正 大学, 2010年9月)) , MSATがSAVBhに先行するとの見解を示した. これに対し岩本 [2011]は佐久間の見解に異議を唱え, SAVBhがMSATに先行するとの見解を示す(岩本 [2011] pp. 31-31).この問題は未決択であり,MSA研究に残された大きな問題の一つであ ると言える.また, SAVBhについては上野[2011]がSAVBhのTib.訳に,安慧より後代の論 師,法称 (Dh訂makirti,ca. 600・660)を鳴矢とする論理学の影響がみられることを指摘し ている(上野[2011]pp. 11ト112).一方,消弁に関してもKrasser[2011]が,滑弁が法称以降

(21)

龍谷大学傍教学研究室年報第16号 2012年3月 の論師である可能性を示唆している(Kra路町[201l]pp.230・231) .さらに, Kurihara[1989]は, 無性が法称以降の論師であるを指摘しており,安慧,無性,消弁は,今後さらに法称との関 係が議論されるべきであろう. これ・らの問題を考える上で,LAS-X k.136 (=111 k.36) は三者がともに引用し,さらに,安 慧と滑弁に限定すると, LAS・Xk.487cd (=111・33cd) もまた共通して引用されており, LAS の引用方法,解釈の考察は貴重な資料となりうるであろう. xxii本稿で扱った以外の論書のなかで,比較的LASの引用回数の多いものを諸研究に基づ き,管見の限り以下整理する. 寂 鰻 (Santaraksi担)造 u {Madbvama組 組 紐a:MA)

s

.

(郷[1 985H~基づく) 1①a M A Ichieo ed.D.124 LAS四Xk.708 (=羽k.2) b MA crchi,巴0ed.ロ.126 LAS-X k.133 (=n k.137) c M A Ichieoed.D.126 LAS-X kk.153cd・154油 1 (IDa M A Ichieo ed.D.174 LAS-X_lc.167 (=IIk.l75) =PPr{4 b⑦.釈輪@_._s_hK⑥│ b MA lchieo ed.D.174 LAS-X k.37A_ (=II k198) =PPr~

a

.

c M A ~ LAS・Xk9_l_(=ill k.48) = PPr(! b. d MA Ic

b

i

J2;o ~_._176 LAS-llI k.53 ③ M A Ichieo ed.D.194 LAS-Xk.709 =BhK⑤ I@a M A lchigo ed.D.240 ) LAS-X k501 (=ill k.83) b MA Ichi,箆0ed.D.240) LAS-X k.196 (=ill k14) =PPr①.⑪.釈論@ │⑤ M A lchieo ed.D.292 ) LAS局Xk.489ab L@__aMA_UchiJ2;o ed D.296 LAS・X k2S6 =BhK( a b M A [IchiJ2;o ed.D.298 LAS-Xk2S7 =BhK( b c MA ~Q_ed. D.30Q L MトXk.258 =BhK( c d MA IchiJ2;o ed.1).300 LAS・Xk.592 e MA IchiJ2;o ed.1).300 LAS

Xk.595 │⑦ MA Ichigoed.D.303 LAS

Xk85 (=II k138) =PPrb I@ M A Ichigo ed.D.304 LAS-X k638 (=VI k5) 蓮華買~ (:Karnalaala)造『修習?弘田 (Bbavan,政rnms: BhK)

s

.

(ー郷r201lHこ基づく) 1) BhK・I百1

ied.D.201 LAS・

U

Nanioed.D.72.4-5 霊

1

BhK-I百z

ied.D.202 LAS-Xk. 429 3 BhK-I百1

ied.D.203 LAS

nNanio ed.D.S_3 4 BhK-I百1

ied. p. 203 LAS-X k489ab =MA@_ 5 BhK・I

ied_,_p_. 204・ LAS

Xk.709 =1¥仏③ ⑥ B

h

K

-I

(

ied. p. 204) LAS-X k167 (=II k.175) =MPAPr@a b, ⑦ 釈論②, │⑦a BhK-I百ccied.D.210 LAS-X k.256 =MA

B

b BhK-I Tuccied.D.210 LAS-X k.257 =MA 6Jb c BhK-I Tu

i ed.D.210 LAS・Xk.258 =MA 己Dc _@ BhK-I

Led.P.2_ls LAS-II 'Nanio ed. p_n.63・64 ⑨ BP5h6-H(Goshinm ed.p.55kd ,D51a3, 経典名・ ⑮ BP5h6ka-4E) (Gosh卸laed. p.55, D51a5, LAS-X k 429ab =Bhk② ⑪ BP6h0ka-4E) (Goshaed. p. 77D55a2 出典箇所不明 @ BhK-ill百I

ied.D.6) LAS-X k.439 (=11 k.128) BhK・阻

ied.D.18) LAS-ll Nanio ed p.115 BhK-ill Tucci ed.P.

2

5

l

_

_

_

l

l

L喧主凶旦i豆 単 包69 -経典名のみの引用であるが,ー郷[2011]はここでの内容は LAS-Xk14 (=11 k.l59) にみられ ると指摘する(ー郷[201l]p.143) . b Tib.訳のみ経典名をあげる.

(22)

安慧・無性・消弁による『入楊伽経』第X章第 136備の引用(早 島)

くキーワード> w入楊伽経~. "W般若灯論~.

r

大乗荘厳経論

l

r

釈軌論

J

.

r 中観光明論~. 安慧,無性,清弁

参照

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