• 検索結果がありません。

『宗教研究』新第2巻第4号(*24号)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "『宗教研究』新第2巻第4号(*24号)"

Copied!
172
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

――目次――

1,

口絵,信州諏訪神社御頭祭鹿頭供進,アイヌの守護神

2,

イスラエル預言者の使命と道念とへの目醒め,石橋智信,Tomonobu ISHIBASHI,pp.1-10.

3,

西蔵伝の阿含経について,寺本婉雅,Enga TERAMOTO,pp.11-34.

4,

アイヌの守護神について,金田一京助,Kyōsuke KINDAICHI,pp.35-44.

5,

般若経の諸問題,干潟龍祥,Ryūshō HIGATA,pp.45-70.

6,

フランスにおける宗教研究について(上),赤松秀景,Shūkei AKAMATSU,pp.71-93.

7,

舎利供養について,長井真琴,Makoto NAGAI,pp.94-101.

8,

旧約聖書の「寺院法案」における僧侶の地位,「申命記法」よりエゼキエルへの発展,松井了穏,Ryōon

MATSUI,pp.102-119.

9,

古代印度の輪廻思想,甲斐実行,Jikkō KAI,pp.120-143.

10,

「秘密」の道徳的宗教的意義,田中治吾平,Jigohei TANAKA,pp.144-152.

11,

諏訪神社の御頭祭と其大祝について,加藤玄智,Genchi KATŌ,pp.153-156.

12,

新刊紹介並批評

C.A.Ellwood, Christianity and Social Science,

大塚道光,Dōkō ŌTUKA,pp.157-161.

W.M.Mcgovern, A manual of Buddhist Philosophy,Vol.I.Cosmology,

脇本寿泉,Zyusen

WAKIMOTO,pp.161-165.

比屋根安定氏著『日本宗教史』,佐藤泰舜,Taishun SATŌ,pp.165-168.

(2)
(3)
(4)

496

石 橋 智

八世紀からの琴言宕になると、そこに、著しい使命戚があらはれて居る。

七四〇年︵ユダに、その王、クジャの逝かった年︶幻のうちに、雅言者、ヱザヤは、翻を見た。留

ろくら

も†t 時を敬して、ヱザヤは﹁われ高くあがれる御座にエホバの坐したまふを見しに、その衣都ほ俄にみ

ちたり。セラビムその上にたつ、おのおの六の翼あ♭、その二つをもて両をおほひ、その二つをも

て足をおほひ、その二つをもて飛び翔り、たがひに呼びいひけるは、詑なるかな、塾なるかな,重 なるかな、茜耶のヱホぺ.その発光は金地にみつ。かくよばはるものの鍔によりて閥のもとゐ抗す ぅごき、殿のうちに焼みちたりLと。鬼神の採言者は、いかばか♭悦んだであらう。手の奴ひ足の

ふむところを知沌ぬほど彼れは弄悦と秋着とに浦たされたであらうか。否。気も球せんばかりのな

げきが、彼れの心であつた。怖れが凡てであつた。成く、畏るペき、力恐ろしき、.重なる紳の醐亜 を犯し准つ花心の怖れ。ぬぐふべからぎる身の不運を、怖れわななく心に、絞れは構成した、HPm −邑∵と。﹁耐ひなるかな、われほろぴなん。われは.けがれたる盾の艮のなかにすみて、梯れ化る イス’エル≠甘薯の使命ミ斌食ミへの日限ゆ イスラエル

捜言新の

使命と遣念とへの日醒ら

(5)

496 イスヲエル珠官有の任命寸し渡合ミへの日解め 二 盾の者なるに、わが眼−萌軍のエホバにまします王を見まつれば行了り﹂と。榊に而したことは、死 に而したことであつた。紳の紳聖を犯したその卯の伍を、死とよりほか、彼れは、勿論、考へ得な かった。その死を、その死罪を、然し、卵は赦した.特に、彼れのために。﹁こ∼に∵かのセラビム わつをひ ひけし のひと♭、釧をもて的の上よりとりたる熱炭を手にたづさへて我れにとびきたり、わが口に観れて いひけるは純よこの火、汝の盾にふれたれば恢に汝の京はのぞかれ、汝の罪はきよめられたらLと。 へ死の恐れぉ通して、融け、彼れに、比ひなき恐れと醗験された。死の赦しを迫して、翻は、然し、 ハぐ 云ひしらぬ就みと醗癒された。その榊の召しを彼れは︰いま、耳にしたのであつた。﹁我れ、また、 エホバの邸をきく、日く、われ経れをつかはさん。経れかわれらの・ために往くべきLと。任命を肺 威して隷言新、エザヤの起たねばならぬ時であつた。﹁そのとき、われ云へり、われ此にあり、わ れをつかはしたまへとL。かくて、彼れは使命にたった。︵以上、イサヤ音質六章参照︶し 彼れの使命戚.それは、紳′ど恐るる死の怖れであつた。死の赦しの榊調に咽ぶ生を妨しての本仕〃 であつた。この使命感は、彼れの命ちであつた。此に、彼れは、一生を終始した。仝珪粧の孜言は、 悉く、この恍命戚を廠血キ去。彼れの預言の何れの一つを蹴っても、必す、この仕命戚が血と送り 出るのを救えるのでみ一っ。 臼刷、ユダが大※の囲、アリシリア一丁り石‖らを救はんが眉め、弥蜘、エジブトを頂万、造に、これ

(6)

;l汀 と川㍊む結ぶに至った際、エザヤは起って鋭︿これを難じた。 ﹁助けむえんとてエジプトにくだり、椙により鳳むものは醐ひなる哉。載串多きが故にこれに頼 み、騎兵甚だ弾きが故にこれにたのむ。されどイそフエルの韮者を仰がす、エホバを求むること をせぎるなり。︵三一ノ一、︶ ほかhごヾ︼ ﹁かれら謀略盲すれども榊によ♭てせす。盟を鈷ペども紳の憲にしたがはす。益.非に邦を加へ ん。かれら翻にしLはすしてエブ.ソトに下ら・ゆき、、♪pのカをかりて己れ′で弱くし、エジブトの蔭 によらん。.ハロの力は反りて汝等の恥となり、エジブトの蔭によるは反りて汝等の辱かしめとな るべし︵三Cノ一、−二、︶ と。恐るペきは翻あえのみ。大王の凶、恐るに足らず。斬むべきは翻あえのみ。大観、エジブ\ また、頼むに足らず。然るに、拭は、大王を恐れ、大岡を頗る。此に於てか、彼れは、恐るべく、 また,頗るべき仰の位命に獅子吼したのであつ陀。 きに、アラム、

先※レデソとイでノエル‡、.ヘカと緋んで、n剛、ユダを製うた際、比のノ心も、

†の心も、林の木、凪に肋かさるる如く、わ行ヱはいた。時に、絞れは、死■でも恐れす、‡に正言し た。﹁汝つつしサ〃て静かなれ⋮・⋮仰るる勿れ、心をよはくするなかれ︵七ノー、︶ ﹁彼等の▼おそる,りとIニッで汝等おそるるなか拉.憫くなかれ。汝等は、まだ、鵡畢S・エホノな塊と ースラエル僅汀祈り仲命ヾし潰念ミへの〓椚ゆ

(7)

498 イスヲエル挽首着り任命ご遽念ごへの日劇ゆ

イそフ

してこれを毘一けこれ一ぜ恐るべし。然らば、エホバは、きよき適所と㍍り鈴はん。されど、 エルの雨の家にはmく石と行†り、妨ぐる施とならん︵八ノー二、‖下︶︵桐は、一ノ一、−九.参照︶ と。此にも、恐るペき唯一の怖れ、戯るペき唯一の助けに射する彼れの位命通が、血とにじみ出て 居るのノで成するのである。かくもヱザヤにその使命戚は郎かでぁる。 また、アモスにも恍命戚が、特別、説く、彼れが使命に全くプライソドであつたことは恍に述べ 化︵本誌前眈三六、三七日怨石︶ アモスと云ひ㍉ ヱザヤと云ひ、八枇杷の預言者等が位命の念にもえて居ったことは朋らかでぁる。 道念にも、披専は充分、日醒めて居った。﹃汝等、‡を求めよ、琴で求めざれ、鱒らば生くべし﹄と ほかりなほおbJ 叫アキスは昭へ、冒れ公草を畔経とし、正夢で錘とす﹄とヱザヤは宣ペて屠る。彗一目華ミカに於て 一 正、泣念が帥ち絞れの仕付戚とさへなつて居る。 ●V ﹁我民を惑はす預言衷は⋮⋮・・されば彼等は死に遭ふべし⋮⋮・日もその撃一再新の上ぉはハ仏れて没り、 一▼ その上は丑も暗かるべし。見新は悦−で抱き、卜者は而を縄らめ、常共にその盾む掩はん、翻の重

たへ

もから 應あらぎれば行Tり。然れども我はエホバの御鑑によりて肺力身に満ち公鴻および勇気友に浦れば ヤコブにその塩ノで示し.イスラエルにその非一軍示すことを得。と︵三ノ五、−八、︶ 蛾烈な使命戚と、捕烈な通念と、人世紬以後の笹言瀬等にはそれ等が極めて郎かである。

(8)

499

八世紀以前の見事、政吉者等には如何であつたらう。八世紀以前の物語にして、線言者を放した

’一 ま仁ものにJ、︵ヤクイスト︶付︵列‡紀中−のヤクイスト︶票エロヒスト︶Ⅳ︵列王鋸のエロヒスト︶H ︵エリア物語︶Pr︵エリシヤ物語︶等がある。それ等のうち、前二者に就いでは本誌前兢にこれを究め

た。此には、残る物語む探究したいと考へる。

前二部、即ち、ヤクイストの物拍と、Ⅲ史料とが描く﹁見老﹂﹁撃一再者﹂にあつては−已に本誌酌

眈にこれを究めた如く ー そこに彼等のうちに泣念の殆ど見るべきものなく、使命成もまた、栃め

て稀薄である。即ち、サムエル前審那九、十章︵打︶に現はれた﹁見老﹂、サムエルは失せものを云

ひ雷て興るる兄弟と云ふだけでぁつて、別に、迫念からの獅子吼らしきものを裡め碍ない。また、

サムエル後部節七頚.h﹁のⅣの揃︿彗百者、ナタンにも迫念の退りを認め狭い。またJの物語るアブ ラバムなぞは︵創.一二ノ岩、−二〇、︶虚言をさへのべで、そこに何琴泣念からの紙価が成せられ て居らぬ。かくの如く、JまたKJの見新−敢言者には氾念の閃きが梅めて幽かである。位命戚とし て特別、と♭たてて考ふべきものもない。サムエルは、自らを.﹁見者Lとした。然し、弟子.サク ルを﹁見者Lと仕立てす、﹁洩言新Lたらしめて居るその借! 別に、見鶉の使命なるものと蝕富者の使

命なるものとが、別けて、比べて考へられて居るのでは無論ない。総じて使命戚が刷らかでない。

要するに、J並びにⅣに於ては見事∵澱富者が▼温念にも▼任命戚にも日醗めて居ら肘。反之・ イス’エルサ甘者¢位禽王道念ミヘ¢臼鱗め 五

(9)

500 イスラエル穣宵層の使命寸−池念ごへのH醗ゆ 人世紀からの撃︰‖新は︵上述せる如く︶追念にも、使命戚にら究分、冴えて居る。然らば、前者と後 者とのmの帖期に於け今預言者等の根命と迫念とへの日醒めほ如何に過程したであらう。姉の次第 1−リ●

を伯ふるものは票言ヒストの物哲でぁり、Ⅳ史料であ♭、hh︵エリア物縄エリシヤ物語¥

ある。それ等を以下に求めたい。 E︵エロヒスト物純⋮︶に現はれた預言稟中、代衷的なものは、民数知略,二二 − 二尭JfLに於ける 預言者、づフムの物語であ一心と考へる。 原文批評上.づフムの物語は、毘文が、可成り、複雑である。史料が.柿腔に、錯雑して居る。 加工の難が存分、試みられて居る。それが有名な詣であつただけに、後代請索の加エのみとが移し い。物語の大概粛∴野ent緊l−また日t邑等はJに蹄する︵H昌d打Ommen︷弓ドA●H●H.ド▼H汀−㌻・ −甥2gn出馬n首汚lニ呂u・S・ひ芦芦日邑︰の窯ll・d・く﹂sr・HI・︼2ドS・け芦S・一声3然し 大憶をJとすることは如何かと考へる︵例令、二三ノ一九、の如きはJの筆、創、六ノ八、等と舶容れ ぬ。二三ノ二三の如きは明かに巾付記法の影堰を認めしむる︶S訂完r巨乳︵㌃︼11・b・d・E己告≡″gi−1d● A●H・−讐・8・∽﹂の∽︶は大鰻示兎︵エロヒスト︶とする。また、HO打i品eり︵R弓汚r Iオnd・C〇Hロmeヱ弓Nnロl e A・T・AぎH≠甥已日eri岩OP S・舛くH・舛くこ・S・H声芦︶は瑚︵編纂肇エホシィ スト︶と推定して 居る。惟ふに、畢の上では低かでぁるが、この請の根本になつた物語の非維は√でめらう。それを

(10)

CiOl e 後代E︵エロヒスト︶乃至梢︵ヱホウイスト︶が話し捷へたものであらう、そして、をの部が物語の現 形のま安和をなすに至ったのであらう。 基碓になつて摺る物語︵Jによる︶の筋はかうである。話はイでフエル人がカナアンへ侵入する際 のモアブとイでフエルとの職ひの詣である。モアブの王、でフクなるもの一が自川の︵?︶預需ポ..ハ ラムに命じて敵.メこつフエルを.1。几へと云ふ︵二二ノ︼﹁︶よつて汲富者、.ハラムは紳にたづねる。と ころが、紳は敵、イモフエルの方を却ってめぐむと翻託する。預言者.ノラムは葦▼ づフクにその ま∼佃へる。王は、漁言者に、イでフエルを光へと命する。辣富者は、‡に﹁紳はイそフエγ暫脱 す﹂とかへトごごとする。王は贈物ぉおくつてまで洩言者に懇望する。が、換言鶉の答へは同じ。や むなく、王は、諌言粥を園外に迫ふ。と云ふのである。 即ちイでフエルが他の団々よ♭旦柵まれるのであると云ふことを仙陶人、バラムさへ率荘に宣べ て居ると云ふ耶純な納経、胆純な放言の物語である。ところでE︵エpヒスト︶は準言の吊2邑︵技 巧︶の問題数怨げてこの物語に対して居る。技巧冊怒の傾向からこの物語を補訂して居る。 抑も、辣甫の技巧の問題はかうである。即ち、イスラエルに辣富者なるものが、初めて現はれL 時、既に、彼聾は琴、琴 故、mなぞを用ゐたことが紀されて居る︵前搬四〇I川三石怨盃︶技巧に ょる預吾気分の作興である。これは﹁強請者Lにのみ見らるヽ現象である。﹁札苅しに技巧はない。 イスヲエル鳩首應の使命ご遺念ごへの日醒め

(11)

602 イスヲエル壌首宥の仕分寸J漣念ごへの日展ゆ

但し,Ⅳが物語るそれ等ほ撃一=気分のE訂ぎを興すまでのぎ邑︵技巧︶である。E訂紆のうち では自我を没して、紳の物云ふところ中開き、聞古しところを口走ると云ふのが穿b已、訂﹁敦富

者﹂であつた。

棲ち、然し、串が礎って、預言前年か、融から没我りうちに彗芭御託を開くと云ふのでなく、

現言者等が、日分等に都合の好いことを、触⋮理に、紳に云はす︵偶りて紳、語れもと作す︶R6邑を 位ふに至った。技巧の乱川でぁる。技巧の窓用である。技巧の暗幕、預言の略解であTる。

隷言講怨は何故、かく的解するに至ったのでぁらう。それは、彼等が何時も揮わなして固ま古現

はれ化鶉めであらうかと考へる︵前兢四二京都二、参照︶彼等の群れには骨脂と末雅とが居った︵ア モス苗七ノーPq、重昭⋮︶抑日は苦鱒門下か喪はねばならなかつた。その方法を話せねばならなかっ た。此に於てか、彼等は、櫛勢仁郷びー民意に迎合し初めた。結氷は撃一=の技巧を弄するに至った。 蓬に,預言をかせぐに至つたわけである。﹁我民を或はす孜言溝は将にて噛むべきものむ安くる時

は草堂あらんと呼ばれども、何をもその口に輿へぎる者にむかひては戦ひのそなへをなすと後代、

ミカが彼等を揃罵して居る︵三ノ五、︶ 技巧、それは雅言的良心を就坤せしめた。それは.細誓巧者から迫念と棟命戚との幣牙′で奪ったも のであつた。さて.その技巧に反射な出向に充ち満たされて屠ったのがE︵エロヒスト︶である。印

(12)

β03 ちEは、技巧■官吏に間接とせぬJのでフム物語を、技巧反射の立場から補訂して、物語のでフムを 技巧反対の汲富者のすがたに描き出して居る。そして描き出された技巧反対の撃一﹂=者.づフムは温 念に固く、使命戚に鋭い預言粛として、その姿を現はして居る。Eの時代こそ撃毒老が抱合に日醒

め、使命戚に目細めた時代でぁつたと考へる。

Eはづフムをして宣べしめて屠る。﹁紳の親はさる者曽我れいかで︹自らの技巧もて榊を紅げ、耕 言を詐って︺訊ふゃ得んや︵二三ノ八と。また、﹁我れ何軒むも自ら言ふむ得んや、まぞ、紳の我ロに

いつは

授くるところをのべんのみ︵二二ノ三八 ︵紳は人の如く洗ることなし、人の子の如く怖ゆることあら す−その首ふところはこれ哲術はぎらんや、その語るところはこれをなしとげざらんや︵二三ノ一九︶ と。かく、∬は、放言ポ.でフムをして技巧反対の叫びを致さしめて居る。Eこそ、幼い使命戚を 基調としての汲言新物語である。Eは、ま柁、づフムをして、技巧を弄し、榔勢の御用をつとめ、

隷言をかせぐに鋭く反対せしめて居る。﹁化とへ、バラクその家にみつろほどの金飢を我れに如ふ

いほ とも我は準の大小を諭すわが叫エホバの苫を翰えては何をも焉すを持す。︵二二ノー八︶と。Eによ

って物納られた轍言明 でノムは同き迫念の冒醒め、威き他命戚の‖醒めから通念■で裾し、使命を

居る技巧と戦って居る。組じて、技巧は.ノ二づフエルにあるペからす、﹁ヤコブには贈賄なし、イ そフエルには占卜めらす、榊はそのなすところを玖富者につぐ︵二三ノ二三︶と宣べられて居る。翼 イスヲエル憮甘者の使命ゴ通念ミヘの日♯め

(13)

,501 イスラエル換官有の仲介ご通念ミへの日柄め 一〇 するに、撃羞の迎合と使命感へとの口睨めは、物語J、付には認むべくもない、然し−Eに於て は春分,認められ一りのである。 Eの年代は、大約、紀元前七五C年。アキ二∴ ホセアが起って使命と追念とに叫んだ頃である。 刀と前後して睨はれた物語、打は崖︿造念の上にたつて、ウリア串件に糾し、王、グビテに鱒吾 して、己が使命一軍果した預言者、ナタン一軍語って掘る︵サムエル綾川聖二ノー、−二﹁怨煎︶ しばらく後れて器き接られたエリヤ物語は鋭い迫念よりして.ナチ7の難件に閲し、‡、アハブ に証言し︵列‡紀、上、二一、︶粁たす埠二=新に反して﹃われひとり、告褒めヰ、ヱホバに‖心ひをもや †﹄と使命に雄々しきエリヤを物語って屠る︵同、上、一九︶ かくして預︰吾新は迫念に目耀め、任命に日睨めた。椎ふに八枇紀中元アモス、ホセアが起って迫 を説くに至った前しばし、放言新等が罠念に口睨め、使命に〓睨め、彼の預言ポ等にその氾′で備へ たわけであつたと考へる。

(14)

60♭

一所蕗桝何の梵巴両緒の阿含経に就て

骨て私が招魂したる西成≠珠圃諏︵粁律部︶と、丹疎開邦︵諭部︶との日銀絹碁に骨子数年前より注

意せしことは、糾合損に属する減澤経典数十郁が両親甘球爾部中ド福捕されてゐることである。この

西減何の阿合組は二純の諦系に現する原山ハより減謂せられたものであろ。一は梵語原典より、二は

巴利珊⋮頂此ハより柳澤せられ、前ポは大谷大坪桝政の廿粍阿部第二十七拘︵ど︶に十八部を組め。同 第二十人的︵甘︶に三十七郎を。同拾二十幽︵胃ヱに五部を。同第三十一向︵q︶に岡部を。同約三十二 励︵吊e︶に十邦中編紺してゐる。是守の梵鍋原典よ♭制繹せる阿魚種中には、頻牌婆避玉承迎彿軽 ︵榊銅冊瑚怜︶や、火車粧、小本耕︵桐網棚捕︶などは甘味用布節二十七他に∵梵抑辟は同撃‡向に収 冊されてゐる。この郷伸婆避王承迎彿緯や、大小客種等は西成翻鐸家として有名な乙勝友 ︵JiロP miぎ︶と、刊鉛︵P且㌢召mP︶と、大役針家イーシ・デー︵巧?竃Sde︶の北ハ謂であつて、西親王の三英 西成仰の阿含絆に放て

酉誠樽の阿合捏に就て

塊 雅

(15)

50G 西成樽の附含種lニ試て

一二

まとして讃へられる随一のチデーツククソテルプ、チ†ソ王の肺代である。王は四隣に閉威む撮ひ、

庸の孝徳骨と壁些二年︵酉脛八二三年︶に庸蕃同㍊碑文を西蒐の甘廊拉躍市に建設した時代で、王は

欽定に依七大減麒を減挿せしめんとて印度より多数の班紙建博士を招晒して澤粁串業・雲間輸した。

勝友はこの謂錯鵠業に盤加した一人で、常時㈲繹家の第一人名と榊せられ、彼の謂出せし錯典の甘

珠爾部、丹珠爾部に存するもの無数にある。従て勝友の謂緯は尤も僧職するに足るべきもので、班

鐸塊典史上に於ける玄俳三弦に比すべき者である。西暦十二世紀出世の西成む衣ブトンリンボツユ

師の両液大波日就中仁は已に二是等の阿合耗の拝趨は合計六十五棉編入されてわる ︵dP毒訂昌Ⅰ甘n b謬㌢P・舎○︶。この梵語頂此ハより鈍繹せる阿合謹は、遇故に党名お皐げ、次に澱名ノで以て対照し、 軍未に謂乗︵印腔人︶と、丙減人の疲打者とを列記して、昂此ハ謂揖の粥憫・で保持してぉる。この死語原

典より減謂せる印洪庵捏や、死刑紆や、大小両室粧等を決凸面繹と対照するに、澤衰滅略にして、

巴利語評はその中川に位するが、その内容の骨子に於ては三和共大抵一致する。これは法相の辟過

に於ける部派の加工又はⅢ入の影紺鵠む蓑つに結果に依るものであら㌢。⋮ヘルノレー氏︵司馬rnle︶が 衆力土爾臓期坦地力に於て据見しにる梵語原典の阿合紹の糊片I﹁発令樟、﹂﹁鞘闘晶、﹂﹁月瞥耕一等

が比利頂典俳に班澤と対照研究し∵賛美せられにことに依て、決謂阿合紺が梵語系に成することを

招明されたわけでぁるが、今この両班梢の阿介錯二和めろ中に於て、前述の第一相破繹阿分裡は兜

(16)

607

語原典の御謂であるが故に、是に伐て北方洗佃の阿合揮は減撲衰に梵語に属することを一府碓和す

るを待た次第である。然かし是と同時に西滅相山阿企細二椰ある申たて、第二椰に屈する規評阿合

紆は巴利語原此ハの伯謂であ一心が故に、足れに依て丙減他の阿介維は梵巴両語系に屁するものである

ことを経め持たのである。只情むらくは基郡軟に於て雄渾四阿合辟に対比して百分一にも足らない

ことであ一〇。そして蔵相阿合綽は溌繹の鄭、中、珊、長と四部各詔に分紬して偏帰せられた如きも

のではなく.只千野り次第に鶴悠せられたものを忠彗に減詳して一と紺めに牧帰したものに過ぎな いのである。円弧所佃の≠珠脚部と.升珠補部とが全部大熊敢に属する巾に於て、少数ながらも兜

巴両語系の阿合粧が減謂せられてゐることは、南北洗柏の彿敢史一旦岬究する恰好の原此ハ史料と謂は

ねばなら氾。

S 両滅相巴利語系の阿合粁に就ては詳rm呂n謬︹打ll氏は文部北苑地内の雅和宮より甘珠耐部の日 銀を蒐処し、それに伐て‖餓を井はすとき、C賀2ドがL㌃i旨け謬掩Pr︹b戊HH︵CP−邑すー00∽の︶に希求 したるー‖〓.珠阿部の分布論文を磐照せしも、阿企繹に榊する且利系に朴ては何の注意も引かなかった ものと見えて、般若粁箪一斗回輌︵︸ハP︶の第十三谷よト一節二十宜先に至る介針十二転は、只死滅両

語の押通を摘げ、南棟の抑即ち節二十五幕‖の終りに謂水の名を列記してゐるのみである。阿とよ

彼はこの≠珠爾邦〓職Jで新圧寸隙に、≠珠研部三原此ハを各曲毎に一々訓発して滞はしたものでな 西成仰の阿含柁lこ兢て

(17)

占Oj 西成博の阿含踵l二筋\ ∽ ︼四 く、㌍に粥和宮に所収せられたる永製版の酉減日蝕を底元として編恭したのでぁるから、これらの 小諌緻此ハが巴利語系のものなるや否やに桝して何の注意を設題せなかったのは基蹟であらう。且又 C菖Pも北ボに仲てほ埜息に餌れじかったのである。然るに北売店帥ち盟⋮版︵軌駅︶では﹁誹般 若耕一巻﹂に編入せられてあり、同情二十岩山中、窮十二緯よゎ第二十囲岩結に芋り余計十三鮭は 巴利語系1二崩すろ阿合併であろ。是は私が曾て甘珠問潮目蠍編麗の常時より已に注意してきた串で あるが、今しの阿介粧十三群が果して且別語い頂此ハより肱繹せられたものであるや否やを碓証すペ き楯件は、この十三珊の頂典s内容が色別頂典と舶推するや否やの判校に山て是等十三和の頂血ハが 択抜軋刑紺よト和繹したるもいなるや否やを碓められて、列足せらるであらう。今この十三折を娠 、 梢せる﹁舐般弟綜Lむ槍するに此励〃絞りには.倒評の十三緯の鮮題を列掬し、次で鐸出の線起と、 評者の人名む併記して相澤の意を明白に語ってゐる。仇てこ∼に﹁請般若緯︵︵㌧i繭∵ヮ∴岩Ib−い○ど︶ の扱文を繹出せば次の如︿である。 ﹁鬼の如く、。甲補十三鮭圧闘浄血の小火、票ゆ四.謂増風紀︶より約雷佃北努に写しころの西欝、騎吊々 抽の茨刺ハの井C‡ヱ﹁ニ†ン﹂地︵ヴp㌢㌢㌢鎖州の江孜直の︶販向市場︵訂ムリ㌢P・kローS︶㍗る﹁グルニ地︵︼︻Gur・ソ言の禦 白亜軋青井の立に・して、彿冊瑠の秋津わ澤′、㍍じ、鍾光抑ヾJ用止ミにn山在ろ萬健か得ぜろ﹁シャルブバ、クシャン﹂地包l宇 冒・ぎSど去lPるり=.鵜川り﹁チャグバ、ヂ小ルツTン﹂︵GrPでPガ宣mTユー当︶に於け一ハ﹁ぺンシャ﹂︵ニけeJi九ものゝ︵芝‖な 以て.鞘捉伽耶より捕力約宵山旬に仙†ろ粥番兵m㌢昏G⋮i占の婆鍾門鋲より出挙し、典足戒を受け、三撒に棺融ゼろ桃漉

(18)

ェ†γヤルソアン.ハルげンポ ー 道北ろ阿排陀笠利︵㌢呂dP盲︶り研削l=於て、多順の郡諜家けろ秤迦の比丘誓二戸こ首鼠・2T㌢呂dP−さNp㌣才亡u唖窮辞 竪ほ、二︵閲︶納か坪ぷ米食dり巳⊥コ一号ぎG.i.︷窮群解職守の大伽藍に於て削謂L、校訂刊行ぜり。 鴫呼加水ほ栗に娘批の諸法ビ井目ミ、その減損ミむ帥けりミ是の如く火沙門は締れり︵Yed訂r邑訂言p邑訂阜Feすゼ lβ㌢づtPt訂g已〇Tり”ヨ︵l已t各ゼβヨnirOd訂e召づadMヨ旨㌢彗巳−1P■与︶。 この最後の偶文は掲勝が介利弗に対して諭せし1諸法徒︸繰生、加水辞是向この梵文である。是の 如く此十三鮮の阿介辟の各退批な梵軍で以て棟示せるのみならす、蚊文の澱綾に於ても兜文を以て 証せる串より見れば、この十三粧は正接比別語原此ハより減辞したるものでないかの如く思はれ▼ 仰 且つこの翻渾に骨て紅接指蛸せし班低速は只儲瀞高山喝羅門より出家したる三成楠油の阿搬陀室利 なるものの両前に於て比丘ニマ・デ†ル・ツ丁ソ︵政人︶が減押したものと云ふのみで、正接巴利語原 典から押したしし云ふことは記してゐない。然し滅相の晒決翰鮨は兜巴両種より滅罪せる中、その巴 利語系のものを独酌するに巴利鍋原典のと一致する・で見る。﹁大骨損﹂も同様金魚一致する。今この 両液評巴利系の﹁輔法輪綻Lを巴制約の帥1叫法輪Lと、﹁大品︵少Fb脚≦第p︶の﹁受誠語L小の﹁第一涌出﹂ の第十七頃より節三十一項までを対照するに、此三椰は公然合致するを知る。 前述の兜沼原典より就辞せられてゐる﹁樽法輪堅牢難阿合併第十ぎの第十表︵蹴鮎榔︶と対照 するに多少視略の加速あれど▼ 大概に於ては同系倒洗の梵糾頂此ハよりの繹〓である。然かしこの巴 ㈹ 別語よりの減曙樽淡海経﹂は決滞俳に兜沼倒繹のと全然一致しない。これに由て取るも阿合緑には 粥献伴り阿含撞に飲干

(19)

510

一六

西前件の附含種lニ視て

兜巴両紙より洗伸されてゐることは、ヘルソレー氏の螢据せる梵語系の阿合経と新保って一骨確認

せらるろであらう。南減史家ブトン帥の印就折目解には此十三綻の阿合繹の緯名を載せてゐないが、

然しこの十三鰹繹出の末港に記せる評者阿雄陀宴利はブトン仰が諾はせる印皮人にして都城せる有

名なる訪の開墾班抵通の㈹﹁人名録﹂には萬後より四番日に於て記蠍されてゐる︵dP品bSPmよ○ロ bNP㌢句●告∽︶より考ふれば、阿邦陀室利は已にブトン師以前に非絨したる印度郁抵通である。然るに

ブトン仰の廿珠閣部目倣偏差のときは、是等の巴利阿合維はブトン師の眼に止まらなかたものであ

るとも考へらる。然らぎればブトン師が記載せる阿邦陀宴利と、この巴利語佃謂に闘寸る阿雛陀笠

利とは同名異人でめるかも知れぬ。吾人は阿難陀宴利に従ってこの経典を謂出せし滅入御鐸家アン

ダー・ニマ・デ†ルツアンは如何なるもので、何時代にL−i粧したる人なるかを碓課すべき虹料を教見

せない鶉めに、この阿介十三経の地評年代を知ることのできない櫨がある。

この巴利撒樽評の阿合十三粍に骨てはC8日P−同語りの目規では﹁誰般若邦﹂一向に十人湖を有する も、執れも常般若部のみで、我康購⋮版では﹁諸般着船﹂〓助︵T軋︶に二十五鱒で編入せる中、最後よ

りの十三部は帥ち巴利語澤の阿企緯である。叉br・Herm呂n野kbの日報では般若粧︵RP第二十 四励︶の第十三経より終琉二十五向までの十三繹は正しく阿倉粁である。両地ナルクソ版では、甘 珠閣郁︼客P飢画十五酪︵R唱已、HHH、誓︶にめり。巴利では RぎddP打Ppだ訂 と、SuttPnip芝P

(20)

⋮ は

︵〓・誓︶の中にあり。今廉澤版の廿珠耐部に依て、この阿合十三終の紅旗を列輿せば次のやうで ある0 (七)(六)(瓦)(四)(三)(二) 山 青 担 調代難陀優嬰難陀親王紆 アークーナチィ一宮殿紅

本 生 繰 起 踵

好 骨 大 悲 軒 悪

慈 悲 修 習 紅

五 戒 功 徳 敢 経

池 糞 経 大 西根博の阿合絹に就イ 法 輪 経 、、字弓日PβkrPpr弓弓ぎロg巳r㌔、、ChOS・打笠kk訂7トリRPh■Tロ bSk07せ巴︼i mUO、、 、、J阿訂k呂id賢P、こ、Sす寧pP声P訂⊥ハ号Gle㌣顎bi㌧、 、、At賢愚等S望rP、こ、訂P㌣どーC昌男?B置チGi−nDU、、 、、害P訂笹日P竃∽巳rP、こ、打せ牢pPnh2H→葛官日DO、、 、、冨Pitris巳rP、こ、厨︸P烏−p与i mUO、、 ● 、、ソEtribb晋呂PS已rP、こ、b苫巳・pPbS唱日・pP官日DO、、 、、句臥e臥il阿n註p・欝nPS已rP、こ、T仇︼岩TRbri崖こ♭旨i Ph呂・YOロ bSt呂竜阜i日DO、、 、、G茸曽巨dPS譜rP、こ、RiER宕・dGPF冒EmP、、 、、宅呂dOり呂a已Pnお発音dP日昌PS巴rP、こ、R一各iR唱PTp乙GPb・ 冒拓erムのP一こ1pll・BPE mDO、、 、、冒P訂訂甘眉PS印すP、こ、H乱・Sr邑C訂ロ・p阜i mUO、、 −七

(21)

612 (三)(三)(=)

梵語よ♭液謬せられたる阿合揮わ諦薮は甚だ多数に上るが故に父に列記するの疏を省く、﹁頻枠沙

羅王承迎彿審、L﹁小峯繹、L﹁大串緯L﹁多界経、﹂﹁苛顔紅、L﹁入毘合利紆、﹂﹁月辟、﹂﹁相法輸轡﹂﹁業種鼻 経﹂等はその主なる阿合評である。詳細は康鷹版の甘珠閑却H≧節土十七曲、、2第二十人曲−Sβ第 こ十九由、円仁窮十嘩q箪二十一晩.Re第三十二晩︵第一緯より第十捉まで︶参照めれ。

二 西兢侍梵巴両繹轄法輪綬ご漢繹の封検

﹁朽法輪綻﹂に閲する溌博の繹膵は、﹁梯説極法輪麗L︵禁賀順訟︶鶉渾の繹﹁彿説三種法埠鱒完. 柵七︶。求那岐陀維の評﹁相法輪捏﹂錯誓空荷伽提婆の謬﹁那館里馴碍︶U同人の・繹﹁高嶋品 ︵酬紅憫竿でが他﹁禁行差Lの拍妙繍品。﹁大泥岩l︵詔・︶。﹁叢緯㌔加・︶。﹁因果捏﹂︵相加・︶ 神都にては﹁五分持拍十王肌隼︶。﹁四分律﹂︵川手︶。﹁石部葎﹂︵鍔︶。﹁十詞葎﹂︵葦︶。Dh昌ヨP CPk訂p甲く由tF。P邑t。︵A・ヨS・ヱAriでp弓⋮リgnP∴芦3。ヨーPy2冒h阿ゴ弊習︵S.出.E. pp・芋−○ぢなどあり。今これらの淡繹﹁相法喩紅﹂を梵僻瀬評の﹁輔法輪撃と対照するに、﹁郊阿 西政体の阿含経に放て 日 苛 一入 経 、、S冒y−↑乳首r㌔、、ヨ・ソFl−i mロ0、、 粒 、、CP已r叫:巳ヨ、こ、Z︼苧出已−imせ0、、 符 、、ヨーLlぎ1琶g已P∽巴rP、こ、bRrP・竃CbeP句OE日日G、、

(22)

b13

合経第十五﹂第十二鮭の相法愉緯に一致する。をこに只ニケ戚の飽許の舶違を見るのみである。そは

即決繹﹁特注喩鮫﹂︰では﹁世事野元比丘り此苦教諭、本所r未=甘明視夢正m心惟毎.埜眼科朋党ことあれ

ども、允許噂減繹﹁晒法輪麗﹂では、﹁世事は五郎の訪比丘に碧げたまへり。比丘等よ、我は未だ嘗て

開かぎ♭し諸法に於て念せしとき、限︵呂

g︶は生じ、智︵零pP︶と、研︵RigpP︶と、兜︵巨。︶と、思 惟︵R打唱・pP︶とは焦せりLとあり。又班謬では、﹁於庇四浬諦三相十二桁︰不レ生3限、智、明、兜ごと あれど、殖繹では▼﹁この諦の斐四諦を今の如く三度謝し、十二和を輔せしかど.眼は坐せす、朋は ︵生じて︶ぁらす、恕は︵生じて︶ぁらす、豊は︵生じて︶ぁらず、旧心惟は生せざりき﹂とめつて執れ も浅繹では﹁思椎しセ以て意識のま軌的作用となせるに反し、滅罪ではー思惟L一で以て聖諦を勉励せる 五得先の随一に教へ奔げたろの和違を見る。をして雄渾の﹁復欝証恵椎−峠Lと云へるヰ瀞の一句は、 是智減文に剖検せば、﹁これは苦斐諦ならとて−方法に従て合せしときしと云へる一句に加地する。 この念︵巧id・訂ぞed・pP︶は,詐原ケⅠ2戎打腎Pであるから1作澄L又は1念﹂と辞せらるる字鶉であつて、 決繹の﹁正に尉椎すべき岬Lと云へろ忘我に柵許するな見るであらう。叉これを巴利原典の1相法輸 鮭Lに封帽⋮するに、﹁限︵Cつk賢−︶、和︵易菅︶、禁句P昌㌣又望.明︵ぷj阿︶、光︵旨.kP、又lま思惟、軌 鞍︶の五符果となつてゐる。そして是は両液個の梵語謂1晒は愉蕗Lの﹁眼、和、明、肇 〓心肺﹂の五 某と恍く一致するものと云ふべきでぁる。聞これを立訂するものは、両親側いじ利証⋮繹1醐法喩鮮﹂ 再議︳の何食#に銑†

(23)

514

二〇

高裁樽の河合推に就て ︵脚韻空の五行来たる限︵岩g︶、賀宇且、葵盲R已1︶、明︵R雷P︶、光︵SnP昌P︶である。この 光︵SnP少P︶の譜規師+H。lハPは︷訂l屯︼一∴を,邑iOロ、3ロ3ptiOローgenitの意義を対するから、両液 何の梵語繹﹁輔法輪麗﹂に﹁思惟﹂¢以て五得果の随一に加へてゐるのは、巴利伯の﹁光﹂と同一語頂よ ち出でたる異評であることが分ると同幅に、この西戴偶の梵巴繭繹の﹁樽法輪縫Lは、正に巴利偶の ﹁朽法輪紅﹂と一致するを施忽せらるべきであると思ふ。但し宏に一致と云へるは、只此五得某のみ に骨て言へるので、西減偶の発語謂﹁硝法輪痙﹂が洪謂﹁輔法翰鮨﹂︵瑠璃︶に一致す一。も、西減何の 巴利折繹﹁輔法輪捏Lは以上列森せる浅謂﹁碑法輪粧﹂の就れにも合致せない。それは只比況仙ハと巳已−抑 句点gPのみに全然一致する■ざ見るのでぁる。それ血ノへ従妹まで巴利畢ポは比利諏﹁噂法翰痙﹂ィぜ以て ﹁難阿介粧窮十五﹂中の﹁相法翰揮Lに対照してきたのであるが、それは安倍でない。巴利頂典り特注 輸紆は正しく波偶の巴利評﹁翻法輪維﹂に借り、減侍の梵語謂﹁相法愉緑Lは浅薄に一致することに於 て訂正せなければならない。描この外に﹁中阿合﹂の﹁雄健綜、﹂﹁掴二阿合Lの﹂前輪晶、﹂安世高澤の・﹁併 設樽法愉維、L義渾評の﹁俳説三相法輪捏Lと封照するに次の和さ異例を見る。︵五来の次第不晰︶ (三)(二)(一) 巴利原此ハ﹁怖法喩維L;⋮⋮⋮・⋮限、智、慧、桝、光。 液相也利繹﹁晒法愉経﹂・⋮⋮・⋮服、恕、慧、明.光。 戚燭光語謂﹁梢法翰維﹂;・⋮︰!眼、智.兜、明,光。

(24)

6柑

ん人相小・Hと0と、⋮と㈲とは難しく﹁芦とあり、8と㈲Lし㈲とは﹁兜﹂と晋て、細注す

ろ如く比l少れど、慧と兜と用語原守忠犬p旨いざm与野d−−iの異評であって減語星0は足等の諸

式を包合し、畔虚位に應じて、兜、志、の両様に謂せらることめるが故に、梵比減淡の斯る英謂は

頂血ハに於て附とは同語元らしらのより、漸次洗偶の経過に陥って或け慧、或は発と異繹せらる、に

︶ヽ−・ 至った者ではあるまいか。又六の安世高評﹁恩﹂と、七の1光Lとは、前に訣別せし如く、巴利梧ヒ。 /\︵ Fは光文机察の悪童あるーよLリして、両液佃では、この﹁軌察Lの忠準で取ってRt、囁七Pの字を以て 封絆してゐる。そして又このR点spる風阜︶は思惟の忠鶉あるを以l一し人証氾小S・1正‖仙怖lを辞す る折原に常て偶めてゐる。されば安仲南の﹁思L、﹁研一阿企Lの﹁光Lは阿れも巴利梧の 宴.訂即ち ﹁光㌧﹁‰察L空相承したる典評であらう。桐叉﹁柑一阿合Lの﹁慧Lと﹁兜﹂とは、前述の如く比利縛り 句P団円成語の巨0︵mPti−J誹︶の封繹でめらうと恩はれる。若し然り、とすれば、堂他端澤の﹁限、琴 (八)(七)(六)(五)什嘲 ﹁雅阿倉持L中﹁相法輪緯﹂⋮⋮・恨、智、蒐、明。 薄押膵1彿説柏扶愉粧し・⋮・⋮:明 智、畳、明。 安世高澤1三糟法輪紅L⋮⋮⋮恨、慧、史、思。

恨、肇慧、明靡.光。

﹁昭一阿合﹂﹁晒法輪紅L⋮⋮⋮ ﹁申阿合﹂︵用相︶﹁羅腰緯L・⋮・見定遺品法。 高級停の呵含綴じ飢ヰ

(25)

dU − 1 亡U

商議停¢河合‡に旗て

二二

螢−恩﹂の四果は、﹁限憲光﹂の三先となり、﹁研一阿合Lの﹁限、肇琴明、撃光しの六鵜は﹁喝

句琴明、光﹂の五某に知縮せらるべき意義となるであらう。宏に決繹﹁博法輪麗﹂は北力洗倦の

経過上に於て、是の如く巴利侍の原理五来が漸次額化せられ、同〓給養の﹁慧﹂が﹁慧﹂とr恩﹂との二

柁となり、又同一綺頂の意義の﹁光しが﹁思﹂に挺するに至ったのではあるまいか。朔一︺鮎よゎ見れば

両液仰の兜凸面稲の﹁弼法輪㍍rは姥世話部の分裂に随って諾抗の彫塑を安くろこと抄きま∼に梢凍

され化者なるを認められろ。由雄決評向合鮨と巴利阿合経とは根本に於て相違せるものと見仮され、

巴利阿合控は肇撒を中心に縞廃された請とせられてゐるが、然し巴利光典は阿帝王時代に両方相隣

伽地の巴利梧にて記せられ、その後瑚撒島に侍来しく阜首肯白書i王に依て音焉せられた︵甲C.∽00︶ もので、巴別語阿合揮が彿歓の根本弗典ではない。阿育王の代に北方準咤梨弗多錐︵P賢lip旨P︶城 に於て巳風習liの子息帝須︵T訂P︶に伐て術策されたる﹁諭悠L︵詳tb首註Fヱには五阿合捏の絆典が

引用せられてゐることは巴利埋者の周知の軍欝なれど、餌壷へ汲水嘩 怜り捷化の加へられてゐな

いものとして、脇瀞の草者達には一定無鼻化のものと瀕⋮許せられてゐる。是れに反して北方洗佃の

阿介雛は部派分裂の影響−で受けて大なる撞化が加へられたので、﹁倶介諭補宥Lの上には﹁中部二阿 合、醍準多部研浦本也。増一阿合凍衆部所謂本心。長阿合化他部桝諦本也.︵珊珊︶と予=ひ、中、雉− 長﹂のこ両介絞は軍功石部︵上座部系︶よト・分離したろ化他部の諦記せるもの︵棚闘舶︶で.﹁樹一阿合﹂

(26)

別7 のみは大衆郡の所倦ならとし、﹁愉伽陣地諭Lの著者が閏阿分握の費展の哺序を1雄、中、長、滑二﹂ と次第せしかく、巴利語阿介組にない阿育‡︵出・C・琵−没︶り粥臨が、洩滞雅阿介錯仰聖一十五︵阿哲 ‡施年阿慄勒某国線粧︶の如、き。或は阿育王は北印度頻明雄‡の適例徳叉〃羅山反逆を討伐し、或 は西城地力の怯秒間む征せる史的記恥あト。﹁怯沙囲Lとは抜群の就職囲の骨府名にして、玄非は佐 津囲と云ひ、雄渾の迦師城であるから、四阿合経小、蒋も音型に威する郷阿分粧さへも、斯る西域 地方の影徳を受けた一卓抜世の鼠入あるより見れば、澗謂糾合絆は北印度に於て成立せられたもので あらう。その他沌澤阿合陣中には巴利阿合経にない詑典がめト、巴利阿合経中には丈班評阿介維中 にないものが編紺されてゐる。是等の史的鎗遁の推移一£W拍るを得ば、阿阿合繹の成立年代、さて は洗佃教建の循路を辿り得べく、伸その内面的思想の研究に伐ては、西成他の梵凸面阿合終に伐て 指示せらる∼如く、現在の摸巴両種阿食紅以上に、この面相阿企折の底本ともなり、又足守を敬遠 せしめたる腫幼約秋本阿企鮭の原型たるべきものが教見せらるゝやも知れないと㍊ふ。かくて班比 再伸、即ち兜且両阿倉躍は阿育王結葉時代に西北両洗に派珪し、それく部派に影堺せられ、一は 北力印度二は南方幼据に洗倒せられ托ものでぁる。この西城何の梵凹面皿⋮繹阿介粁ほ是等の問題に 曙光む投すろ表機でめらう。﹁雑牌絆L︵別冊瑠︶にほ﹁相法翰纏﹂し﹂いふ評名は表示され■1ゐない が、世事は先走加座︵Ra弓︼J訂P︶の家へ阿難を件ひて臨まれ、羅摩に射し、自己が年∴十九にして 邦銀停の阿舎熊に飢て

(27)

618

二田

西敵停の阿含経に胱て

出家し,阿那々伽凝摩の所に於て修行し、仙人併記の如く、﹁我も一切識彪を度し無所有彪の成就

の逝を得せし﹂かど二この法は智に趣かす、魔に趣かす、毘紫に趣かす、我今此法ぉ琴し、無病、

無上、安喝捏琴で求め、兜老、無死、無愁憂、無頼汗.無上安穏、捏紫を求むべしLtとて、そこ

を去って斡陀非々輝子の桝に従、き、仙人の所紛の如く﹁自知、白魔、自記し、﹂﹁一切無所有踵を度

し、非有明非無想匿の成就逝を得せしかど﹂、﹁この法は智に趣かす、兜に趣かす、捏欒に趣かす﹂

とて法を捨て、無上安穏捏婁を求めて、菩提樹下に坐し、漏恕音符するに至り、無弼如⋮上、安穏、

捏畢智得化まうた。かくて婆雅奈湖の仙人位彪鹿野園に五比丘を化し、﹁汝等我が本姓字を補する莫

れ。我お卿︵と耕すろ︶㍍かれ、我無碍触⋮死、無熱愛感、無械汗、無上安穏汚柴を得て、見追品法 を生如し生見すLと倍げ給ひ、八正道を説いてあるが、その中にて加水の十二戟や、有漏心、無瀬 心を説いてあれど、これは1緋阿合緑野r、﹁柑一阿合経第十四L︵高輪品︶、安世高評、童渾繹にはな い。尿靡絆の﹁卿服彗今諸税清澤形色極妙、両党照曜Lと烹へる大乗思想的体格の文は﹁研一阿合 綴第十凹Lにある﹁枇骨光色柄然、野口月明こに和應して、その他にはない文である。机し決澤﹁経歴 経L巾の文で巴利根血ハの﹁晒法輪辟、﹂併に就滞の巴利侍﹁晒法翰恕﹂と和臆するものは、前に比較対照 したる﹁恨,墾慧/明、光﹂の外に次の如き文再みである。 払 呼 押 巴 利 愕 沈 輪 鰹 敲二停巴利何社輪粁

(28)

619 文面減桝仰の巴別語評阿介十三紆中の阿合﹁大典経Lは康照版甘珠爾部1諦般若経一幕︵T㌢pけ㌫守 誓∽b︶と、仰に雄琴.長阿合緯節十二し︵P賢P声HH・の・︶とにあト。雄渾大骨経と封校すろに、雅巴 漱の三椰1大命鮭﹂は序文と、澱初の揮属天の三河の佃文と、講天の大典に射する世例の最初の偶文 とは三椰北ハに一致するも、それ以下の全文は一致せない。殊に漢評﹁大骨鯉Lにほ他律に五ケ握に結 呪を説いて、或は﹁幻偶鵬妄之心Lを降さん鰯めに、或は阿修那の栗めに、或は諦天の強めに、或は

六十八五池婆雅門の凋めに数へ給うた。然かし巴撃一椰大骨辟には仙文介計二十二節む説かれてゐ

るのみで、鮨呪文は正にない。足れは津巴夢二椰﹁大骨綴Lの新注せ一¢琵鮎であつて、浬繹では巴利 常レ知有二連行、諸楚レ通巻、併レ不 レ措い撃、一日野乗琴讐下旭光、 凡人晰行。二日、〓秋〓那、非賢、 非レ聖、求法無戴軸推。五比丘拾L 此二治︰布い取ム仲通︰成レ明、成l・智、 成一枕於定両面持古自在↓趣一軒、曲 レ蛇、趣■捏喪叫 鰐離#の胃曾樫lこ耽く 比丘等よ、この耐梯哨l‡沙門の祝Jむべき もりl二わらす。州毎か二ご化寸。一に諸欲り 上に欲非に菅†ろ=ミ、見れ野郡毎り。凡 夫り併行にLて聖者の併行lこわらす。風光 の利な作ほ†。二に‖己の菅l二親群†、足 れ苦痛︹して敢行にわらす、取り利︵加わ一作 tiざろもりご†。比丘等よ、如兆11並等り 阿喘lこ近かすJて、可l道な詑知ぜり。︰れ 眠か閃き、智な坐C、寂肝、明知、正党、 河東に導く光り。 比丘等よ、沙門は此二浪lこ11三†.へからす。 凡そ何人む此に謂欲ビ砦ゴーニ耽菅†ろlェ、 人相族かLて爪劣叱らLむ。綿共生は触意 哉む有†ろが故に、総て何人も功仰の疲労 む配れ、構†.へからざ・わ諸謹の無意競わ有 †。比丘等よ、=の誹りもりは二誠にJて、 それに二人ろぺからす、明符兜茄加配托、: の小道む耽けり。隈作ご、餌作ビ、寂抑作 ミ、明知ご、如来の執非︵正偲︶ご押葉に如 鮮に二人ろ=ざ耽り。

(29)

620

三 西戒博梵語繹大小空経ご漢渾の野校

印 刷 ′ヽ′ヽ その他西城所倦の梵語系の﹁大葬抒、﹂﹁小暮経L中り、この大小両室紅は摸評1中阿介揮節四十九﹂ の大小再審繹に和施するものなれど、就中、決巴再小本持と対校するに、液僻1小串轡はその内容 の文章に於て、撲繹の三分二稚に苦り、撲謂のは頗る施療弄ろ文章の構成なれど.蔵相のは頗る簡

潔正光の趣きあつて、巴利頂血ハのと一致する。そして撲澤の﹁大益組﹂は液化の大益経と大根に於て

一致すと云ひ得るのみで、両紺の構成内容の比は親侍﹁小峯辟Lの撲滞の封比よりも、その差異は基 内蔵樽の河合托−こ城て nV 二六 ﹁大骨経﹂の戯初の序偶のみの一致する以外は、恐らく彼此の端数的結呪の塩入したものであら′ノ。 浅薄に比して寂佃の巴利評よ菅野は敢も能︿巴利原典を伯流したものと云ふペきでぁるじ但し撲 巴両榔長倉縦Lには三世謙彿Lし、諦天の火炎を説けども、就偶巴利評﹁大倉捏Lには只過去と現在と の綿彿講天の火炎を説ける相違あえのみであろ。左に是等の対照をかゝぐ。 ︶ ヽノ ′lヽ 決諸大倉踵 今日大衆骨 謂天紳甘災 骨箱レ托放水、 欲−超一無上衆可 綴停巴利大命綻 大 窮 り ︰り 林 に、 謂 天 ¢ 群ほ 集り、 :の法の甥めlニ常に米り、 無能勝り骨衆を見んご†。 l √ 巴利大骨推 ○︼e巳訂t訂gえberi口g−一二言g︼Pde一 丁訂訂旨○︹FβTeロtOget訂r巨e二 l Wのt00買付e05euロtO tF訂8ngr虜E乱, AndEn司○已dse01becO臼p呂﹃︼n■㌃cib︼e.

(30)

b21 しいのであろ。これ恐らく﹁中阿分種﹂の大小両室謹は北印度流偶の経過上に於て、部派の影智と種 々の加工とに伐て朔く袖雉に粒形せられたものであらう。且又この減僻の梵語系の大小察経と巴利 ′.ヽ 毘仙ハのと比検す一心に、先つ敢初に巴利頂血ハの﹁小峯粒﹂の趨批はC引㌻芦試Ptp告辞診であり、その 川 明 ( ﹁大審軽﹂は彗巴J掛買昌旨邑訂首であるが、減博雅語系の﹁小峯経﹂の題批は甘口竃笛口許PmP訂 rn巴rP︵∈D?C︼−eコ・pOStO千野・哲d︵eS・ぜ苧BP︶即ち﹁薙性と名けらろ大経Lと云ふ。﹁大容綻﹂の超耽は 呂P訂甘13昏n冒.PmPl−Ps巳rP︵︼nD?C訂−7p。S︷争l︶守をdd岩苧pOSl1年Bで評︶帥ち﹁大葬性と名けら る大緯﹂と云ふ。執れも所柄九世紀年代に西戎の玄弊とも翻せらる印度人勝友︵Ji㌢mitrP︶と利意拉 ︵Pr鼠腎胃mP︶と、西滅入大校訂新和謂官ノ・1gde巧2ふ軍Sd2との共繹でぁる。この両用め大小容経 に付て注意すべきことは、この鮭通が示せる兜巴両系の遇耽でわる。巴利益揮のS邑試村訂と、死語 賽鮮の溜童話とはその意味に於て非常の差畢で珪じて凍ろのでぁる。損なる歩は一切析喝或は 忍魔ヤ沸ひて消失せしめたもので公然椚揮的の意味を対するに適否ないのた反し、﹁蛮性﹂とは﹁容白 醗.L﹁蕪基讃、L﹁巫の本惜しと云ふ程の焉妹で、一朝内外の現象を則雄し、統一する増加的根本原理 的忠鶉を右する梢撞的のも山である。それゆへ且利語では堆基をS〆−訣0と云ひ、雄性をS仁試Pざ トンバ と云ふ。減語ではこの意味ヤ摘元して昭本をS什○ヲpPと云ひ、﹁蕪性﹂をStこ首?抄dと云ふ。この

統語の且dは兜沼り茹であつて、此蹟では2ざの忠ではない、寧ろ訂才Pに枯ら、色別語のt脚

商戴博の何食廠lニ胱て

(31)

6=3

二八

西蔵停の河合搾に誹て

に相席す。今1の減偶の﹁暮性一等−−yPtp.は等︸y入空士叉栄藤−蒔帝︶で、あつて、﹁鼻化し得るも の﹂と云ふ意味を㍍はすものでJのる。リス・デガイゾ氏は、巴利の大小南蛮鮮に就てSll試。︷PSuニPは 冨&jhFP ヨk考P の二経でぁつて、C巳P・∽と、巳已−㌣sとの二経でぁるとし、且っ﹁峯﹂ の定義 に付てS仁昌旨はem苫こeく。∑。〓邑の、eま=甘。Siti。1広、2乙−E・m臼、b已月崇iP−1yOご邑、eg。−と 解し、S巨已訂−二S2−y邑︶は2m−︶tl−岳−rc已Omぎ巨訂t、iu鼓−−Pヒddul1日琵−診b旨2と解祥を 下して雨着を砿別してゐる。挙又En山号に、葬性をE2−︶tiロe玖に配しての拓別は尤ものことである が・軍にこれだけの祐別的桐滞を以てしては私が此に開明せんとするところの西城の S巨・−︶?買 に和應す一ウ婁性︵昔一︶邑︶の意味を充分に詑表することは不可構である、その故は﹁暴の状態﹂む意 味するE己音義へ与る語は、本性を邁廟に衷現せしむる語鴻としては不堪常でぁる。滅罪阿合大小 基捏の﹁峯性﹂とは、﹁右Lと﹁衷ごとを追越したるもので、嬉と有との二適哲創吐し、統一する根

本ま醗であつて、椚撞と梢極との二速を統店し、創珪すろ範巫妙握の鱈在でぁるからでぁる。塞は

Em号なる詐に常低めうるも、﹁本性﹂は無限の内容をれし、その内牢で捌現せしむるカ帥ち。gg寺 号i霊許ceでめる。これは只無限S西軍で創珪せしむる暦在性ノで消極的否定郡を以て説明したるに 過ぎハ仏いので、一朝講決の酸性でウ。。かの︰望一Pr≡P土㌢で1法世\し詳し、TPt訂+t笹聖典如と謂

ヰると同税の意味一で右寸。﹁三昧とは何ぞや。肇二帖、如願三昧、知和三昧であ・一り。紋云何が些ニ

l

(32)

わ〇3 昧となす。謂ふところの露とは、一切諸法、明悉く昼慮ならと馳や、是寧竺二昧と宕くl︵耕一阿公 租第十七︶とウっも同義であつて、走れが聴て1八千頚般若経Lの昼,燕舶、無新二元の大乗的思想 を開展せしむるに干ったのである。今あ1小峯繹Lに於ては明かに﹁各位﹂中箱極的黒血諭的として の内界を顕現せしめられてゐ一山のJで見逃してはならない。 0〇 ︶ 一﹁阿緋陀よ、かく捕り触軸が韮すて混元と、現かに無雑解脱の凋てに、足れ死∴化に入ろべき紙上光り。 ︵ 阿緋陀よ、潤去の時に川翔ゼしかり如来塩代等正梵の蒜彿仲澤はよ㍗姓の如く.講湘は就きて湘克く、覗かに触角浬棄の空 性に入ろべきい、指⊥誓え‖孟前に警孟鵡Lて化、し給ヘリL︵減刑緋㍍︶ ︶ 二﹁阿鞘此椚if海里空・、不印刷也。叩州軸ぷ、無舶、無娼−心鮮脱。 ︵ 阿緋、志木講和蒜面薫禁異竺明記那加宗用例。調軸混、無洞、無彗心解旦刊鯛諸詔︶ この渾澤小宅揮の﹁革質㌍﹂とは減佃1小暮絆﹂の基性︵S七草︸JP・汐eに封辞せらるべき語にして、正 に梵語写霊t押に和常寸。足れに山て考ふるに世事が呪身を以て無兼、心根股上入b給ふたるその 冊現の内容は時間とぺ問とを超越し鈴へる無粟浬粟井を、世竹の〓内詭に於て反眉せらイq、とき、 此に時雄の理式に伴ひ二二世講彿の出現的思想は必然的に闘促し舞ったりでふ∵㌧う、故に三世諦俳 の日脚想ほ世竹が現尭彿としての法性自醐の必然的開展である。一柳出世の成追は、そのま∼三世紙 価の椚現ヤ〓髄し鈴ふたので爪∵b。げに厘飴彿従に於ては、世骨の現身の成迫はそのま∼三世話俳

糊ので

現根はある、それ岬へ三世の㍊想ほ敢て絶代の桝珊⋮大雅m仙想を作っての発足でみ一心と兇一小の 粥絨博の河合抑に拭て

(33)

53l

三〇

西成件の阿含経l二次て

は世事成迫の内容を洞見せない管見に過ぎないであらう。この大小峯経は明かに現身智以て無名解

放に入って三世諸政の僻国正を澄明し鈴ふたのである。現身に﹁峯性﹂に入るとは、肉身と話法賓相身

との一致の惜射でゐ争▼無用解脱捏柴の内容を消極的否定的に減照せしめんとせしものが、﹁塞性﹂

即ち﹁興野軍不抽倒Lである。その内在的賀和身を積極的に減現せるものが即ち三世講仰の出現で

ある。此に三世といふ、即ち三界石秀の世界は必然の開展として無限に創生せらるるは言ふまでも

ない。この意味に於てこの大小塞辟の思想は粧て般若の思想として開展し、小峯損は小品般若経と

なり、否定的梢極の窓を以て五盈は1無所有の故に、寂静の故に、瀬棚の放鳥、無作の故に、無生

滅の故に、無恥渾の故に異如なり﹂とし、五鹿ぬ和合の諸法は侶名なれば、一切法は不可得貸室で

ある,従て、﹁〓朝はは異義衷の故に、性遠離の故に,永く顎紆の故に、不可持と名く﹂︵錮瑞相押︶ とし、﹁晒法翰Lの不可得を説いて、﹁世辞よ、大般若披雅蜜多甚深の中にて糟法輪り串は却て不可得

打了り。所以は何ぞ、此中に於て法として顕ほすべきものな︿、はとして示すべきものなく、法とし

て持すペきものなく、法として略すべきものなく、法とLて還るべきものなきイで以てぃ∵リ。所以は

不珪班の故に、硝なく遠なしl︵点測器誹絹粧懲I︶

何ぞ一切法は聖荒壁亦板不滅を以てな♭、

とし,五諏の絶対ホの不可得はその櫨般若鷲塞でやり、同時に1股苅波羅賓多代走講彿▼.り廿にして、 稚く世間許法華和卑小す﹂調霊欄裾粧、︶に至り、﹁加水は興如で爪∵り.五剋であ,り、即ち牡思ハ如で

(34)

6三池 ある、所以何ぞ、胱骨の説き給ふ如く、五蔀に依止して世聞の名な立つ、是の故に菩呪よ、五鑑奥 如は即ち腱川風如打アり.︵仙欄︶として、経験的現彗世界を此壁=定し、こ、に峠客の型式に件ひて三 世訴仰の思想を展開し凍り、﹁足の如く正法は即赴訴彿清澤法身なり。一朝如非は恭敬し供養す。我 今準串 兼務.′現在彿法Jで硫誰す、即ち三世評価清澤劇む痴話せんが謂めの故に 花今身命を惜ま す、珍財親友む吟て、此法′で備推すべしL︵詣肛二︶と。小室鮮に1過去.現在、常雄の加水も等正兜 ヽ に著するところなく、彼一切は此異質塞︵容性︶を術じて賦倒ならす、軒並きて心解脱す﹂とある意 舵と舶應するを見らる∼であらう。此に壮竹の自党内容たろ正昭世非としての﹁法しは現法菓受の担 架が肉身に印したる法身となり、この祝賀の法身が即ち三世誹彿むぬ如し、続柄する輿嬢妙蛋の﹁室 性しであるところの般若甚次の意義を開脚寸るに至ったのである。阿介錯・り1小室綜﹂が小品般若経 の底本となつて、否定的椚挿的詮衣に依て般若眞如の光明非を顕現すろに至った揖想開展の維蕗五 辿り得るとせば、阿合紆の﹁大益鮭﹂が大品般新鮮の底本となト/、之に休て﹁轟蛙Lを常定的砧棉机忠 恕の総説となつた所以七丁附せしめらるると思ふ。阿企緯の﹁葬性Lは大晶セは非苗に鋸催して、﹁内

呵・亦牢内外年 基準大貧∴望警雪右褒異無兼彗畢先客、本陣巧不可揖基.等の∴一十三仰

の葬説となった。而かもそれ等の基は五放流如に外なられもので、﹁dはホを断れす、隼は包む離れ す、色帥是蛋、容即是色捏了り乃至受、想、行、融は即ち足れ基なり、蕪は即ち赴it受、哩行、諺な 西緻停の河合握lこ統て

(35)

5:6

三二

内蔵件の阿含柁ド就て

♭。何む以ての故に、舎利子よ此は但名を有する藍州つて菩提と頒す、此は但名′で有すろを謂って

防塵と鶉す、此は根名暫有す、之一で姦と謂ふ。此は仰名を右す之一品受悪行識と謂ふ﹂鴇醐脚描︶。 げに世令は正史の内容Jで五群比丘に開演し給ふに閉講五盈説でぁる、この円浦五盈説はその折は十 二因縁の1名色Lの内容で爪∵ろ。用法輪経では十二因線の名捕はぎh︰〃雲ggP以・外には現はれてゐな

いが、五悲説は糾合攣じは握々に十二同線の﹁名色﹂の説明内容としてゐる詔文は甚だ多数に上るを

見るe今大船岩折節一粒の﹁初分線起品﹂には、﹁話法門を観察するに幻の如く、陽微の虫−1く、夢の

如く・水月の如く、響の如︿、蕉華の如く尋香城の如し、幣束賓なれども、現して宥に似たり、乃

至薄く有情の心術趣を知り、撤妙慧お以て之一甘皮腕せしめ心無望凝を以て、最上舶⋮生法寧で成就せ

しめ、乃至繁く線超法門・£且課し、無連体園の大願を硫安し、十方無数諦俳に於て正法を等挿し、

常に現在前に於て諸彿出世に岱拙く雁事し、また描く正江愉を柏じ、般担架せすして無駄衆を度す

ろを鋤講すLと。かくて十方彿閻を顕現し、﹁西方極欒世界の非職浄土に賛微如凍の出現と行了り、現

に今話菩薩の鶉めに大股君波雅楽多を説きて住し鈴ふ、彼握に術慧巷躍ありてこの夫元大地の縫勧

と彿身舶とに対して不布と獅課の心む恨き、その囚繰を世竹に閏へるに封し、世事は行弊害︰距の鶉

めに、東方堪怨批界に現任せろ押迦草月如癒と、両方棉製の㌍飯石−死とS物語を述べ鈴Åのセノ直る。 以上の如く阿令緯の大小客麒の忠恕が、大E⋮、小品両般苅緯の根底となつて、大乗数や、錯土敢の

(36)

n27

直接の端麗地とハろ陀所以であると思ふ。阿介の客維が現身に於て室性に入り、血⋮璃提琴で潤現し

たきフた正睨的世尊の自㍊内容を世舘白から反訴し鈴ふとき、そこに三世講俳出現忠想ぉ経惜しま

しましたこと一で物語ってゐるのであ一匂から、是尊大小両賽緯の思想が無仮に闇屈して大り仰.小=⋮面 相の般若竹#諒となつた緯路は必然的流れであることJで認めしめらる。 この外に梵巴の大小賽絆は大抵は一致するのであるが,申たは舶腰せないものも存する。減決南

澤では丘丘等が溝論の封象とせる論題の細魚は、王諭、賊誼、岡評論、飲食諭、衣服論、婦人論、

克女諭、炸女諭、壮m鱒邪温諭、毎諭、不諭諭の十二部であるが、巴利似では九部となってゐ。匂

の相違である。

この世竹を伏根︵聖︼i由0︶法服、法依︵R昏・pp︶とする思想は、現身彿と法身彿との舶即を堀野に描

現し給へることを詮はし、法性と塞性とに同一眞如嬢を撤寸ものにして三聴講彿胚肋の根本依此で

漆謂大空細 評者阿緋、I!−世尊 自、世尊粟二法本︰ 馬一I・津基漆山世尊、 畔舶胱之.我†阿 巳、裡躍如謁。 内蔵#の阿含維ド耽て 戌博梵諸人空痙 〓く、裡尊に描法ゆ根本光 り、冊草江衷現状光り。世 辞任侠止耽ろが故に、世将 に山てかの蕊覗か比丘等に 沌く説かん︰己わ以ふ。 ヽノ 丁 ︵ 巴利大空紆 坦首唱畠邑J旨㌻冨nO、b訂ロす じ訂日日阿世訂gPT巴Fnetti露出ざ凋写p首p阜琶云已こ 箪dゴロ忌r,bが呂te、 室す唱妻n−P伊句作巨pPtib富tGe︷転PbF賢一P諺p︷声0⋮ 申訂噂雪邑025bJi芹訂d訂︸・en夢ヨiti・

(37)

528

三日

再絃件の阿含拝に就て あろ。そして﹁綾根.法服、抜放.﹂は十二同線閲椒の綜趣として阿合折の踵々に説かれてゐる。雉阿 合粧第三の第十丸紅、同郡この節二十四郡、同窮十川の鑑三折、二絆、経緯の三択、中阿合辟琴一 十四の﹁大圏紅L等にも同抜の説明ふ∵り。 上水叙述せし如く、北柏梵巴両群の向合鮭の中に於て、巴利語の滅罪は簡潔肝裁にして良く巴利 脱典む澤嘉して洗仰せろに拘はらす、発語激評は之を洗繹のと封拉すろに、両蕗本のま繁文に於て は令致鮎を見るも、概して撲詳阿合緯は文事根弼煩冗にして郡派の影響で受け化るもの、或は種 々加工鼠入の痕折損なからぎろを菟兇する。是等耐棉阿令担が等しく同一梵語謂に依りながら、減 沫雨阿介群が斯くも和述をよはせる桝以は、その続梢の紅池上に於て或に部浜よh∴ 或は地方的よ らの種々の影婁一で受け、光比減三相阿介錯が阿︷‖※純基を中心として南北両印度に梢挿せしmに於 て樟化一で受けたるもので、耐かも梵巴両珊、市骨柄阿分粁以上に、更に相澤鶉の頂鮎的正接説法一〃じ 如くm心はしめ 稲蛸したる阿合板聖なるものあつて、その阿命樟原理より泣かったるものであるかの らるのである。か∼ろ推定は阿合金部の開緻ハ与る綜介的研究・〃﹂保って始めて尊兄せられるであらう が、今は只それらの推定に止るの∴でみ一分。見い﹂角瓶愕先払雨鐸山阿合維によりて、後代に於ける 大乗思想撥展の経路一で辿′︺に恰好山史料的典掠でみると〓心ふから、貧弱なる耕究ながら、敢て之を 終末寸ることゝしたのである、謹ポ之を許せられエ。︵詔鵠馴︶

(38)

ぁごミ

金 田 一 京 助

アイヌと交際ぉしてゐて、常には別にわれくと縫って屠るとM心ふことも無く談笑ぉしてゐるが、 ふとした郎の折に、物の考へガ、見カ、同じ太陽の下に同じ客気を吸ひながら、かうもかはった世 界に棟んでゐるものかと不〓仙誠になることがある。 此の前もその中め二であ一っ。私が本郷眞砂町の射吹町へ下り か∼る坂の塵に住んでゐた頃、日高 アイスのユキが、或る口こんな恥■ざ云ひ出した。 ﹁此の頃変るく死んだ人を夢に見て、醗具合がわ一むい。此は多分この家が、坂の口にあるが、年 ュン舟∧1 †﹂′−Iケシ 寄遽の言薬に、山麓には根性の恋い邪耐だちがいつlごい居るものだといふから、そのせいに速ひ ない﹂ 私は此を開いて、常戒をした。それでは此家を移柚でもしなければ、此の一女は私の家に居ないだ lノフかと考へながら▼﹁では卜Lうしたらいゝか﹂と串ねるト、 ﹁どうか私の誰り紳へ御酒を吊って粧をつけてやりセいj ▼イヌの咋凛紳に耽て

アイヌの守護前に放て

(39)

ら30 といふのであつ化。 云ふがま∼に晒一で少し⋮liつてやると、行李の中から、古つはけた、一寸納豆の琶みたやうな物一ピ 牧山して、第の先でその上へ晒一堂滴らしてゐたり︵女にから別に新調らしい新詞はわべなかつた。ア イヌは、輌へ斬詞をのべるのは邦字めみのすることで、女子にはそれは一切クブーであるから︶此 はアイヌのいはゆる洒滴︵アイス吊⋮︵蒙Eハ芦︶と云ふ隼Jでやってゎたのである。たつた物の三分か五 分もさうやってゎたと思ふと、﹃もう此でよい﹂と云った。二三‖立って、醗其合はどうだと尋ねる と、﹃すつかりよくなりょした﹂﹁夢は?﹂と聞くと、﹁夢も見なくなトょした﹂と云って、すつかり元 の′快活になつてゎた。 た\ 護り榊■でば、その時から荷物へ綴はすに、緑■でつけて私の家の子供墨両天井から口目して、 子供山手の屑かない露さにぶら下げて置くので、除桝の子供化ちが遊びに凍ると、﹃鼻なものがあら ー﹂﹃ほい何だい、此は?﹄﹃捏櫛ぢやないか!﹂うちの子が、﹁此はアイヌの紳持だよ﹂といふと ﹁榊撲?﹄﹃撞だなあ!﹄﹃汚い行ごの!﹄と云ふかと〓心ふと、﹁ホイ榊柁−・翻蟻!﹄と物尺で突いて見 たり、﹃そつち向け1﹂﹁こん行こつち向け!﹂と、ぶらくさしていい玩共にするので、ユキはそ のたびに凧ハ亦になつて怒つだ。うちの者が、ヲJん咤題へ出して龍くから慕いんだ。そんな大串なも のなら、減まつて催いたら﹂と注意ノ竺9ろと、も少し蒔くmつただけで、減ひはせすにとうく鐘 アイメり守絹紳に眺て

(40)

6: るまでさうやってゐた。 ユキはリカル.ハといふ〓詩人を父とし、クックノといふ日露女む櫛として生れた生膵のアイヌで、 村の坤校へ上ったから一寸手紙も脊き、和人詔にも熟してゐたが、信仰はすつかり菊田をそのまゝ 佃へてゐた。雨細ともに世を去って瓢妃だつたので、村な出て内地へ凍る肺−後見の叔父が.その 放桁を心配して此の誰紳を鬼に添へてもたせ、串があつたら、御酒を舅ってさぅしろと敬へてよこ したのだつた。アイヌの惜はしでは、家の一等奥のソー.ハーへ基を躍くのでぁるけれど、私の家へ 凍ては、さういふ青ばけた緋よごれのしたものを、さすがに床の間へ附くのも遠慮ではあつたが、 さうかと云って、勝手のすぐ次の女中部屋のn分の押入へ置いては料末になるし、又い∼加減な越 へ催いたんでは、その上へ不川意に物を置かれなどするのを来泊った。それで次の間へもつて宿っ て︵偶々私の家ではそこ一で子供郵相王してゐた︶、そして天井から吊ることによつて、上へ物など載 せられないやぅに窺お配ったものだつた。 経り翻の正概はといふと、萄くくすんだ大きな鳥の所骨だつた。幾代前に掛ったものか、糾った l十りヽケ 刷り北が贋某になつでゐる上へ、今度の門氾のきはに叔父が掛けてくれたといふ新しい刷り北が少 し抑ってゐた。鳥は何鳥かと尋ねたら、和人語では何といふか、オンネチカツ.フ︵老鳥︶といふ鳥で ちほー†り すLと去ってゐた。信天翁らしい。長い堺の光二寸ほどを出して、あと全部は川北の小に隠れてゐ アイヌS・守護紳に枕て

参照

関連したドキュメント

90年代に入ってから,クラブをめぐって新たな動きがみられるようになっている。それは,従来の

※ 硬化時 間につ いては 使用材 料によ って異 なるの で使用 材料の 特性を 十分熟 知する こと

はありますが、これまでの 40 人から 35

何日受付第何号の登記識別情報に関する証明の請求については,請求人は,請求人

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ

近年は人がサルを追い払うこと は少なく、次第に個体数が増える と同時に、分裂によって群れの数

61 の4-8 輸入品に対する内国消費税の徴収等に関する法律(昭和 30 年法律 第 37 号)第 16 条第1項又は第2項に該当する貨物についての同条第

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった