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再生産と不況克服の過程 : 諸理論の吟味

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(1)

九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

再生産と不況克服の過程 : 諸理論の吟味

馬場, 克三

https://doi.org/10.15017/4151151

出版情報:經濟學研究. 7 (1), pp.141-178, 1937-05-15. Society of Political Economy, Kyushu University

バージョン:

権利関係:

(2)

再生産と不況克服の過程

る黙にある︑ごされてゐる︒

ジュグラー以米の近代的娯氣限説の特質は︑術環を描いて阿飩すろ梨氣髪動り全過程を問題さしてゐ

ま し

̲ ︱︱ ︱

 

シ ュ ピ ー ト ホ フ 説 シ ュ ム ペ ー タ ー 説

ヽ し

が 即ち︑古典學派が恐悦のみを問題 が

' tJ

した0に反し︑むしろ︑ き

應 の 要 約

ラ ー 説

馬 場

│ l

諸 理 論 の 吟 味 ー

t │

̲

再生産 ~Jrf 況克服の過程

ム・牙う

これを景氣髪

(3)

妖氣躾説が娯氣の周期性を問題`こする限り︑ ゞJ

を必

要ゞ

Jしない︒躍進の出疲が︑その契機が

勿論︑こ0

分栃は︑近代的

恐説いメカニズムを明かにするためには

再生産と不況克服の過程

より多く︑恐悦の屈面に附かれてゐるこごは否定するこごができない︒

分類が恐悦原因セ中心ごしてゐるこつこが端的にこいここを示してゐる

勿論︑景氣躾説の重罰が恐悦局面におかれてゐるこさは非難すべきこっこがらではない︒

本制生面り店咎底過程の謡矛眉はこの局面に於て諏も叫諒に且つ深別に示されるからである︒

麻地こそが︑爾餘の謡地黙を展望し得んがために︑まづ克服されねばならないからである︒

恐慌局面〇謡明は︑

然しその故に︑

おの

づか

ら︑

眉の︑終に破屈にまで至るべき︑展開

0沈明

yJ

を要求され︑また︑

い勁囚そのものは︑多くの場合` それを果してもゐる︒

佃故なら︑表

而してこ0

フこ

ころ

で︑

その前の段階たる高梨氣さ躍進の時期についての説明を要求する︒

必らすしも︑翡故氣ご躍進のもう一つ前の段防にまで遡るこ

箪純に輿へられてゐさへすれば︑

また︑躍進出痰の衝撃の分栃が等閑脱されるの結果ゞ﹂なる︒

また課題もしで現ばれる︒然し︑ てその限りで︑恐悦の冶明は好況の疲展過程の分栃っこ

すでに可能である︒

それにも拘らす︑躍進へ

副次的に取扱はれてゐるにすぎない︒すくなくヽJも恐慌局面に於ける

が如くには説得的には行はれてゐない︒

然しながら その過程のうちに分栃し出されたる灯抗的謡矛

J9,

従米︑行はれてゐろ妖氣限成の 動3︱つの段階さ解してゐる黙にある︑こされる︒然しそれにも拘らす︑近代的景氣學説の軍罰が︑

i

(4)

いての一應3

見透しを示すであらう

︒ 説について︑まづ あ

る︒ さ

て︑

‑‑・ 

i

なはこれら界誅の吟味の後︑我々はこの問罰につ 我々は以下

C‑

1︱

つの 楳

我々はこ\では﹁財貨の側﹂に闘する理論の ︱つは﹁貨幣り側﹂他は﹁財貨の側﹂であり︑後行

好況

の指椋が生i肛財の債格乃至はその生

J i E 培大にあるここは一般に認められてわるこ`こが

らで 然し︑こ4での

問題は何がそれらのものの運動

︐ 笠 惹

起するかである︒言ひふるされだ見解に従ヘ

ば鉄氣機構の分栃には三つの親角度がある︒即ち︑

は﹁消費﹂か又は﹁生而﹂か︑その何れか4ら出寝する︒

みを問題'こし︑まづ消費の條件を甚礎さするレーデラー成の吟昧から初める︒

あらゆる且翌悉學説の

1 1 0

沢謬は均衡條件の理解の渫謬もしくはその皮相さにある︒

それ

k

\の主張の甘後に潜む鈎衡閥系を表面に浮きあがらしめ︑

梨氣上昇理陰を加何やうに傷けてゐるかを指摘すろ︒

っレ

.の

罷系

の訣

餡が

:應り見透しさいふ所以は﹁貨幣の側﹂の理命の考察ビ︑吝本主

義さ非税本主義領域フ︑﹂の交渉に欄聯する謡問題の研究をなは後の機.曾にゆづつてゐるからである︒

再生産と不況克服の過程

下では専らその煎の段附のみを問題>こするものである︒ 以下に於て︑近代景氣奇の一二人の代表者について梨氣上昇の珂論を窺ふこさしする︒

る過

程さ

なほ念りため云へば︑ 而して︑これら

卜一昇理論は不況より躍巡の成立す

ご旦成立した躍進が高景氣にまで駈りたてられゆく過程ごの二段散を含むも0

であ

るが

の理倫から何事を學びうるかを明かにしたい︒

1) A. Lowe, Der gegenwartige  Stand der Konjunkturforschung in Deut‑

schland. Festgabe filr  Brentano, II Bd. S. 338. 

(5)

能は如何にして導苔出されるか︒

彼は云ふ

﹁所得﹂として使用される賭買力が生産された全 ﹁財生面の現賞の攪飢はむしろ︑市場に現はれる生廂物の

再生庄と不況克服の過程 再生西の練過程が生面部門間の均衡ご︑生女胚J終局的消費さの均衡︑ーーーこの二つの均衡の統一フこし

て示されるものこしやう︒レーデラーの均衡攪風︑即ち︑恐慌の諜明は次の如ぎ儒系こなろ︒

即ち︑まづ︑安本主義続溝に内在する生産の高度な弾力性が強調されるこつこによって︑

均衡成立の可能が戦琲︑凶作等の如き非経清的な場合に局限せられる︒

まづ生産部門間の不比例が否定される論牒を聞くさ次の如くである︒

﹁生査の弾力性の大ぎなるごき︑

原因たるものではない﹂ご︒

何故なら︑ある部門での過剌生在は他の部門での過少生産であるから︒換

言すれば﹁あらゆろ財貨の生産は正常的には詞時に生査者の手の巾での期買力を意味する﹂

き︑比例が直ちに回復される︑さ云ふのである︒然し彼は恐慌を否定するものではない︒

含直が賣れないこさによって起る︒然るにこのこさは 過網生産部門からの需要のため

では恐悦の可

過少生在の生産物は膀投し︑その部門の生産の念激な撰大に導

から︒従っ 彼は云ふ

完成財生査

e

こ生究の前の段陪さの不比例は全般的恐慌の る均衡のなかに押こめられる︒ 産こ消費の均衡が全く生廂部門間の不均衡から切離され︑全般的恐慌の可能が︑専ら,この切離された

するこ テ

ついで︑均衡の他の條件たる生

第 七 巻

四四

生密部門間の不

. 四四

2) E. Lederer, Konjunktur und Krisen.  G. d.  S.  IV. Tei 11. S. 386. 

i9

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,,i,rii

(6)

.. .

'‘/sて·::;59}~.

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r :

t3i'ュ

あらうからである︒ る ︒

この全面的な債格上昇ば:•••他の

事情にして一様ならば︑流通貨幣請の増大するご苔にのみ可能である﹂︒而して︑流油貨幣艤の増大は︑

そうでなければ節約は封應的な生産物の消費不足さなって直ちに攪吼を惹起するで 景氣上昇を構想するレーデラーは︑まづ︑この上昇を均衡朕態から出発せしめやう 再生産と不況克服の過程

なくてはならない︒

然し﹁より精密に考へるこ﹂ご

レーデラーはいふ

第 一 盤

一方での節約は常に他方での投咲を含んでゐ

流通速度や貴金腸の新痰見等の作用を無観すれば︑節約

の投下ご附加的信用

抑入さによって可能ざな

彼は云ふ︒﹁高景氣は全面的な債格上昇によって特徴づけられる︒ を︑結論に導かないで︑ 以上の館提をおいて 密が横はつてゐるのである︒ 二の場合には初めから不比例を前提してゐる

C i

が︑この論理の使ひ分けのうちにレーデラーの理命の秘 直ちにレーデラーの上昇理論の吟味に移らう︒しかしレーデラーは端的に我々

信用創造の迂路を辿

しめる︒だから我々もそれに従

ってゆかねばならない︒

比例を阿復する筈ではなかったか︒弟一の場合には

レーデラーは動きのされぬ生硬な均衡を考へ るかの如く取扱はれてゐる︒

さき

の論理に従へば︑完成財の過剌生

在は生在

財部門

の撰張を剌戟して︑

森さ消費さは結びつけられ︑今度

攪鋭を導ぎ出すためには

﹁所得﹂が全く生査から獨立の専物であ ~0畜ヽヽ

さきに生赤部門間の不比例を否定する場合には︑生在は正常的には

完成財

の債額より小であるから起るのである﹂さ︒

. ︑1

J

眺買力であるさされ︑即も︑生

3) Lederer, ibid.  S.  386.  4) Lederer, ibid. S.,'387. 

(7)

さしてゐる

o l

従っ

て︑

<

b又は可能にするのだ︑︑

我々は次のやうな結論にさへ到逹せざるを得ないであらう︒即ち︑信用が始めて景氣を

t﹂︒レーデラーは貨幣的景氣論者に従って︑景氣上昇を信用から導かう さするもの4やうに見える。ー~然し、全く、後に至って右の主張を自ら覆さんがために。

デラーは何故︑附加的信用を持出さねばならなかったか︒

彼は附加的信用の意義を次のやうに考へてゐる︒即ち︑﹁附加的信用が︑数董の培大さいふこさの全く

不可能であるさころの︑動きのこれぬ生産の個系の中に挿入せられると︑

ーション的な作用を起すであらう︒

ろである﹂さ︒即ち︑彼は均衡の閤系を全く矛盾な苔︑

この場合︑物債の膀貴は均齊的であり得ないこごは推測しうろさこ

か\る揺ぎなき均衡の機構を解閤するための手段にすぎないのである︒然し︑

ーデラーが均衡の正しき分栃から出疲しさへすれば︑ 附加的信用は︑全く 如何に粗策なものであるかを見出すであらう・ するさすれば レーデラーはいふ︒ ばならない︒

﹁もし我々が

再生産と不況克服の過程

一方での節約が他方での投資さなって平均してゐるやうな均衡朕態から出痰迂ね かくして︑彼は節約の委誤から来るさころの信用を問題外に追ひやり︑専ら︑附加的信用

の上に最氣上昇の根捩を見やうさ試みる︒

動態を成立せしめるに好都合な︑あらゆる諸専情のすぺてを無親

4

る手

段を

か\る信用は純粋にインフレ

唯一無二のものさして︑必要こす

運動なき平面に於て理解してゐるのであって

その理由のうちに︑我々は︑彼の均衡概念が

では

︑レ

5) Lederer、ibid.S.  391.  6) Lederer, ibid.  S.  381. 

(8)

レーデラーは︑

けで

は︑

る ︒

かくいふ限り 未だ︑何故︑ まや解開された均衡を︑ ばならなくなる︒

胃頭に見たごさく

攪飢を︑前提するや︑

然し︑彼はこれを︑

﹁勿

その及ぽす作用 かく云っただ レーデラーは信用創造を第二義的のものさ考へるのであ

創造された信用に依牒せざるを得な 量箪純に︑貨幣敷説的に導き出さね レーデラーは恐慌を生産さ﹁所得﹂不足の矛盾のうちに痰見し︑

を全く生産から切誰して理解してゐた︒かくの如苔生産からの遊離は︑

からのみ見るこさである︒従って彼は︑上昇に伴ふ債格の脆貴を︑

義には想到し得ないから︑専ら︑衰本循環の外部より注入される︑ 再生産行程を専ら︑流通の親角

しかも︑女壁

業資本の循環の内部に形成される謡稲の蓄蔵基金の存在さそれの運動の意

いのである︒彼が節約の委譲による信用を無説し︑創造信用のみを問題さしたのはこの故である︒

以上の如く︑均衡理解の

不充分が均衡解儒要因こしての附加的信用を必要ならしめた

であ

るが

彼は附加的信用の作用を述べたのち︑次のやうにその意義を限定してゐる︒

そして如何にして規則的な時間隔をおいて︑か4る附加的信用が生南者たちから

要求されるかが説明されない︒賓際のさころ︑債格勝貴の傾向︑従って培大する需要がこの要求の原因

なのである﹂さ︒レーデラーの上昇理論は全く非貨幣的である︒だが︑均衡さ景氣雙動

過程ごは︑この場合︑連絲なしに存在し︑統一的には把まれて.ゐないま4

であ

る︒

なほ人口増加の作用について簡箪に述ぺてゐる︒

再生産と不況克服の過程

るには及ばなかったであらうのに︒

しかもこの所得

7) Lederer, ibid.  S.  388.  8) Lederer, ibid.  S..392. 

(9)

を生んで均衡に至るさ考へるのである︒ つまり

再生産と不況克服の過程

みは

l E しい︒蓋し︑人口に賭買力を賦典するものは生産であって︑

はないからである︒均衡ご雙動の統一は︑こ\でも成就しない︒

均衡さ髪動ごの連絡を見出し得なかったレーデラーはその上昇理論を専ら︑

衡朕態そのもの\埒内に於て展開せざるを得ないこ>こ\なっ仁︒而して︑この場合︑彼の用ふる桔想は︑

り成る社會を仮定するなら••…、i2回景氣への衝撃もなければ恐慌への契機も欠けてゐる。

のみ可能である︒ 或は債格が下がり︑

泊費財の購買 かくて再び生在椛は縮減される︒故

生亜の撰大は︑生産費:

. .

.  

の低下の場合︵新技術採用の結果ごして︶に

⁝⁝けれざも︑これは全般的の高景氣を惹き起すこ≫こは出来ない︒何故なら︑

箪純なポ情の下に於ては一群の債格雙化が直ちに作用及び反作用をひきおこし︑新しぎ均衡を作り出す

.か

らで

ある

﹂さ

企業家及び労働者のみの社會に於ては可能なるぺき菱動も︑直ちに︑

なほ念のために云へば︑こ\に二つの問題が示されてわる︒

に か

4る訛提の下に於ては 焚化なくして不可能なのだが'│ー寧それないか 力は労働者>こ企業家の所得によって限界立てられる︒

4る

反作用 生産物が従前よりも増加すれば—ーーこれは輿件の まづ所得の構成について彼は云ふ︒

﹁もし︑我々が例へば︑企業家さ努働者︵並びに使用人︶のみよ

彼獨特の所得階級肝の構成さ語債格運動の分化の訛提である︒ 以上の如くにして不均

人口が購買力を持つて生れ来るので

が緩慢であるさの理由で斐動の原因さは認めない︒彼の學げる理由は正しいつこは息はれないが︑結論の

qt 

pj

9) Lederer, ibid. S.  368. 

(10)

過程の観察は正さに︑

一 四 九 第 一 紬

一四

九 即ち︑まづ債格

少くさも規則性であろこさを示してゐろ︒﹂従つて ﹁

景氣

勿論 さ

ころ

で︑

然し

レーデラーの註すろっきJ

ろによれば︑農業経螢者は企業家に︑挫業努働者

は努働者に等しい地位にあるこされる︒而して︑爾餘の階級は派生的所得者さされてわる︒

本質的な意味をもつものではない︒本質は依然っこして純梓表本︑宅義

然し︑我々は性急であってはならぬ︒この所得防級撰張のエ作は︑債格運動の分化に於

レーデラーの均衡儒系では債格機構の萬能的逸應が前提されてわるから︑

雑ならしめやうさも`均衡解骸の一要因さへも生するものではない︒

ールム﹁攪鎖﹂が﹁正常﹂であり︑

﹁債値ル至は債格闘系の弾力性によっては止楊されろこさのないごころの︑この現象︵最氣焚動︶の原

因は︑債格運動に於ける謡々の商品群の全く特殊な相違に存しなければならない﹂アこ︒

再生産と不況克服の過程

て一役割セ果さしめんがための伏線たろのである︒ の祉合である︒ 社會階級を複雑にしたこフこは何等 然るかぎり 決を示してゐるであらうか︒ 者︑官公吏︑及びレントナーを加へるものである︒ レーデラーの構想する隈級肝なるものは︑ 節に於て獨れるごころがあるであらう︒ 何

であ

り︑

所得防級を如何に複 つは均衡罷系に於けろ債格機能の萬能的ーーlあらゆる攪訊は直ちに適應を森

む さ い ふ ー 信頼の営否

二は純粋税本主義に於ける最氣の可能不可能の問題である︒然し︑これらの黙については後

企業家︑努働者の外に︑曲底業続螢者︑農業努働

かくの如ぎものを導き入れ忙こごが何程の解

そこで︑彼は明白に云ふ︒

10) Lederer, ibid.  S. 360. 

(11)

する

のか

レーデラーは

再生産と不況克服の過程

大多数の暦の購買力が相到的怠速に上

或は僅かしか愛らな

一開︑ざこに債格低下の限界が存 はじめて所得階級を複雑ならしめた意義が生じてくるのである︒

何故なら︑各階級の提供物の債格であるさころの所得は︑それぞれ異つた菱動をなし︑

髪動を説明するために債格の菱動を前提するこさになろのである︒

後に述べるこさく︑この循環は一定の前提の下に於てのみ許されろ︒然

こも角︑我々はかくして景氣上昇理論の消費説を内容的に︑

4では勿論︑不況期から出痰する︒まづ︑次のやうな質問が登せられる︒﹁もしも恐

慌に於てあらゆる債格が下げられ︑賃銀もまた下げられるさすれば︑

恐慌は何故︑全経清生活を破砕し去らないのか;・・・・︒如何にして停滞朕態に到逹し終には再

び躍進さなるのか︒﹂さ︒この底なしの低落を阻止する要因を彼は債格運動の分化に求めろ︒

﹁恐慌時の債格低下は高景氣時の債格騰貴ご同じく

. . . . . .  

均齊的ではない︒二︑一1一の債格︑例へば資本

用役︑官公吏及び使用人の勤努等に酎する憤格は殆んざ不髪に止まつてゐるか︑

い︒従つて︑商品にて表現されたそれの封債は高まるのである︒

くには急速に下落しない︒

従って︑物憤が下がつてゆくうちに︑ ' レーデラーにはその前提は興へられてゐない︒

環も許されうるものであるか

c 力そのものが自から動く可能が生じてくるからである︒ の分化的愛化朕態が前提せられろこ︑

けれざも

榮働者の賃銀も︑⁝⁝多くの物債の如

吟味する場所に到逹し忙のである︒

景氣は循環する︒だから︑説明の循 かくするこさによって︑彼は債格の

七 巻

かくして︑消費

ー五

0

0

11) Lederer, ibid.  S.  402. 

(12)

再生産と不況克服の過程

債格の菱動が比較的少ないことは否定できない︒

第一撃

レーデラーはまづ︑生産物の穂額が典へられた︱つの不斐の大いさであるさ前提する︒

物を︑利潤部分己消費者の懐に流れ込む部分さに分ち︑

債格の下落によって利潤部分の減少するこさは

ないこ云ふここを意味するものではない︒仮りに︑官公吏等の所得の絶針額の焚動が比較的小ださして

も︑自由職業者や妓楽︑

奢修的奉仕等の使用人の所得の減少はか

4るものを凌駕するであらう︒

レーデラーさ雖も不況期に於ける大籠的失業を否定するこさはで気ないであらう︒

然る後︑生産

また

然し︑このこさはそれらの所得の絶封額も亦︑斐動し

者の購買力については次の如く云ふべきであらう︒

物憤の菱動に比して︑賃銀︑就中︑定額所得の箪位

右の説明について︑農業人口の購買力に購する主張

の誤謬は指摘するまでもないであらう︒

者こしての農

が工業の不況ビ運命を共にするここは説明を要せすして明かである︒賃銀及び定額所得

原料供給

止す

る︒

彼等の購買力は恐慌時に於ても低下しない︒

従っ

て︑

昇する時期が到来する︒それは他の片の購買力脱落の酎臨物さなる︒

阻止すろ

︒﹂﹁それは恰かも景氣の落下傘

の如く作用すろ﹂>以上が官公吏︑

割である︒次に︑農業経螢者及び農業努働者については次の如く述べられてゐる︒﹁盛業人口の生査物の

販路は︑主要工業國に於ては保證されて居り︑

維持されてゐる﹂︒だから︑ その債格は屈々︑脳税法によって︑利盆を約束すろ裔さこ

一般物債の下落を阻 レントナーの

所得が果す役

それは債格が底なしに下がろのを

12) Lederer, ibid. S.  402.  13) I..ederer,  ibid  S.  403.  14) Lederer, ibid.  S.  403. 

(13)

上昇が如何にして起るか︑

. 

的に増大して滞荷を一描するかために︑好景氣が解きはなされる﹂︒

格上昇ご景氣の新しぎ活氣付けさの前提がつくられる﹂さ︒

び生森縮少︑さいふ縮少の一路をたごらないで︑ある黙で安定するに至るか︑

さいふこさである︒ ~で問題が一―つに分けられねばならない。

さいふこさ︒

レーデラーは︑この二つをさもに︑消費に基礎づける︒ 二は︑景氣 ︱つは︑恐慌が何故に︑生命縮少︑失業︑消牲減少︑再 ﹁消費が新生肉を超過するさ

ぅさする︒即ち︑﹁一方では生森が低下してゐる時に︑固定所得及び賃銀所得の陪眉の消費能力が相対 然しレーデラーは滞貨の減少について云ふのみでなくJの消費の相対的増加から好景氣をも導か さ云ふぺきである︒ 産手段の過剌は依然たるものである︒ 相封的な意味で承謡されうるにすぎない︒ 限りでまた︑消費も減少するCレーデラーの云ふ消費の玲進は絶釘的減少を明白にした上に於てのみ︑

が︑然るかぎりでは消費手段の滞荷は減少するにしても︑生

レーデラーの前提から生産手段の

過刺の止楊をみるには前途遼速

然し︑利潤の減少は生産活動の減退を意味し︑従って継生産物の減少をも意味しなくてはならぬ︒その

だから彼はかう云ふ︒﹁販路の攪氣は︑その限昇を;・・・大なる消・・︑︑・︑︑o

. . . . .  

︑ . .

  

費者屠の依然仁る受容能力のうちに持つてゐる︒而して︑債格の低下によって利潤が引下げられ︑生産

・・

・︑

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"

︒︑︑,.... 0畜ヽヽ︑︑︑︑︑"冒・・︑

. .  

o .

物のより大なる割前が消費へ導かれる可能性の典へられたさき︑販跨の攪猟は止揚されるのである﹂さ︒ 逆に消費の培加を意味するこ考へる︒

再生産と不況克服の過程

15) Lederer, ibid.  S.  403.(謗黙は引用者)

16) Lederer, ibid.  S.  403‑404. 

(14)

めるこさを随所に

玲天はあり得ない︒

明白に否定してゐる︒彼は云ふ︒ を大ならしめうるにすぎない︒ 消極的な一局面を示してゐるさ︑見るこごもできる︒因ご見てはならない︒

彼は最氣の上昇を消牝から出痰せし

然し︑我々はこの二つを共に生

南に依握せしめる︒第一の黙についてのレーデラーの説明はこの問題の

けれざもこれを底なしの物債崩落を阻止する全原

ましてこLから第二の

黙︑

即ち

︑ 景氣上昇を導苔うぺぎものではない︒

ーは恐慌時の物債低下の意義を終局的消費ビの閥聯に於てのみ見てゐる︒

黙から見る︒即ち︑物債の低下は生森手段の再生森費の低下を意味し︑

新しぎ投壺への前提をつくるものであるこさを軍要親する︒底なしの物債低下を開止する要因ご景氣上

従って︑生赤活動の培大なくして所得の

不況下の物債の低下は絶

釘額の減少を伴つてのみ︑

廿

質に捉はれたものであって︑衰本制的特

質を看過せるものつこ云はねばならない︒

ュ ピ ー ト

* フ 説

シュピートホフの景氣説はレーデラーの消費説に鋭く野立する︒

再生産と不況克服の過程

資本制生性に於けるあらゆる貨幣

の出疲勘は壺本家である︒

昇の胚子は︑だから︑生

杢活動そのもの

から

起る

:h.̀ 

然し︑我々にこれを生森の親

既存我本の債値減少を意味し︑ レーデラ

しかも一時的に︑所得の分け前

而かも躍進の前提たる物憤の膀貴を消費から導くこさは生ャ肛の自然的性

(15)

ではない︒ 加は好況に本質上固布のものではない︒れさ封立する︒ それのみではない︒

その限りでは︑螢利査本の追加的形成が妨げられ︑或

Jれを間接消費財さ結合して生究に 恨りにこれを︑次の如く考へるこさが

シュピートホフに於けるこの均衡は必らすしも輩純な構造

再生産と不況克服の過程

そのなかで絶頂に逹するやうな好況を導ぎ出

くて

カ﹁封鎖的さ想定された一経渭地域について云 ﹁景氣交替の説明に決定的なこさ4しては今

H

すでにかぅ云ふこさがでぎる︒即ち︑直接消費の増 好況は直接的な財貨享楽の増大ご改

善がなくさも可能である﹂

姿本形成が行はれ

い心ためには消費は制限されてゐなくてはならぬから︑

の不均等は敷ある好況原因の中の︱つである﹂︒

へば︑資本主義時代に於ては︑享柴財部門から出褻して︑

すべきではない﹂さ︒咲本制生陛の祉會的構造さ起動力の所在が明白に把まれてゐる︒

右の如く︑上昇の観黙に於て消費説に討立するシュピートホフは均衡の閤系に於ても︑レーデラーのそ

レーデラーに於ては消費ご生査の不比例が恐慌であったが︑シュピート・ホフに於てはそ

れの攪鋭が問題さなるさころのものは螢利壼本さ間接消費財生査さの詢衡である︒

の領域に於て均衡が考へられてゐる︒尤も︑

それは一方では︑間接消費財ごそれを購入すべき貨幣査本さの闘係に於て︑他方では︑問接 消費財さそれの柚完財たるさころの努働カル至は享業財ごの靱係に於て︑

る︒この二つの側面の相互的連絡は必らすしも明白ではないが︑

できるであらう︒即ち︑柚完財の不足はそれの債格を高めるから︑

充用するさころの資本家の利潤を削減せしめる︒

即ち︑全く生窟手段 二重の仕方で理解されてゐ

五四

﹁所得分配

1) A. Spiethof,  Krisen,  Handworterbuch  der  Staatswissenschaften, 4 te 

Aufl. Bd. 6.  S.  19.望 月 敬 之 霞 シ ュ ビ ー ト ホ フ 景 氣 論 . 45頁。

2) Spiethof,  ibid.  S. 69.邦諜. 242頁。 3) Spiethof, ibid.  S.  71.邦諜. 25S頁。

4) Spiethof, ibid. S.  76‑78.邦課. 272‑27<:>頁c

(16)

再生産と不況克服の過程

前提さするものである︒ 派に適はしく︑訂接︑攪乱朕態が典へられる︒従って︑

i駿

シュピートホフの上昇理論は最初から︑不況を

さて

レーデラーに於ては︑

貨幣咲本の生充資本への韓化が妨げられる︒いま︑螢利安本が不足するに 至る過程を右の如く解するなら︑シュピートホフの均衡は︑これを強ひて云へば︑赤業部門間の詢衡ご

問題が間接泊費財の販賣または賭買さしてしか示されす︑ま

た生産手段の補完賜係こしてしか示されす︑

トホフの営利資本・なるものが再生在行程の如何なる場所より来り︑

はたゞ﹁螢利衰本の形成は間接消費財の生産及び牧盆財の建造さは闘聯なしに行はれ︑

の財貨の生廂は企業家が翌本形成の大いさご

rJ ふものである﹂︑さ云ふのがである︒

而して︑彼の恐慌説明の最も軍要なる因子たる︑この螢利壺本が

均衡解閤のための苦悶があったが︑シュピート・ホフにあっては︑歴史學 てゐるこビは後に明かさなるであらう︒ 続験的事賓に立ち向つたこさを意味するものである︒Jの方法の欠陥が彼の上昇理論を不首尾ならしめ 再生産に於て何等の位罹セ占めてゐないさいふこさは︑凡そ彼が明白な均衡概念を持たすして︑直接︑

登本投下への傾向について餘り巌密な認識をもたすに行

然し

シュピートホフの均衡に於ては︑ 云ひうるでもあらうか︒ は利潤見込みの減少の故に︑

まセ逆にこれら

何慮に去るかゞ明かにされない︒彼 守本の再生産行程さしては示されない︒従って

シュピー

5) Spiethof, ibid.  S.  76.邦繹、 273頁。

(17)

は云

ふ︒

味するものではあり得ない︒ 然し︑その意味するごころは 利安本の意味︑

再生社と不況克服の過程

従つて では︑この轄換 然しながら︑ シュピート・ホフは︑次の如くにして︑好況を不況から頷ぎ出さうごする︒即ち云ふ︒

たは努働力の用意され遊休してゐるこさを前提さし﹂︑

苔ない﹂︒而して︑不況はか4ろ用意をさ\のへるここによって︑好況を準伽する︒

遊休努働力︑

を媒介する要因は何か︒

すろ﹁衰本牧盆﹂である︒ こ\で遊休せる螢

及び螢利台本の屯要な

一要

素さされてゐる生赤壺本の意味は必らすしも明瞭ではない︒

一︑遊休生陀設備︑二︑滞荷︵商人の所布する生査手段ご享槃財︶三︑

四︑退蔽貨幣及び産業査本に轄化してゐない貸付衣本の存在︑

だからシュピートホフも︑ ご解される︒

一見して明かであるやうに︑か\る諧種の要索の

遊休的ヤ在は不況そのものであって︑直ちに好況を意

好況は﹁螢利究本が︑かうした圃民紐溝的な遊

休的投表から國民経齊的な就業吠態を怯する投壼へさ総換するこさである﹂︑こ云ふ︒

﹁好況運動の究極的な原囚は精神的なあるものであって続痛的なものではない﹂

然し︑こ\での精帥的さ云ふのは螢利衝動を指すのである︒固定査本投下の増大を

具憫的内容ごする好況の究極的な原因は﹁表本運動の導きの星﹂であるさころの︑ シュピートホフ

固定衣本投下より生

そこで︑この姿本牧盆の玲大を齋らす事梢が更に︑問題さなる︒

フホはこれを︑貸附咲本の利子アこ固定査本投下の利潤ごの開きに求める︒ シュピート ﹁既に用意されてゐる螢利査本を欠ぐことがで ﹁好況は物財ま

6) Spiethof, ibid.  S.  74.邦諜、 264頁。 7) Spiethof, ibid.  S.  73.邦膵,261頁。 8) Spiethof, ibid.  S.  70.ま似見 251頁。

(18)

競手が正しく描かれてゐるC される牧盆財を廉債にし 的進歩の促進へさ突進せしめる︒

Aで念

総めに附加

する

なら︑シュピートホフはこ

の楊合

︑遊休螢利森本としては︑さき

規定と異り︑専 ら︑貨幣査本を考へてゐる如くで

ある

︒然しこ

4ではこ問題に立ち入らない︒

さころで︑貸附衣本の

利子さ固定

投本投下〇利潤の開きは一

應 ︑

然し︑彼はいふ︒

貸附

径本利子の低下から起りうる︒

﹁貸

附各

ぷ'

牧盆

・ : ・

:悪

セ以てしては未だ固定的投衰の培大に導くに至らない︒盗

︐ 

し︑固定衰本投径も亦︑不況期に

は:

・ ・ ・・損失の危瞼にさへ憐むものだからである﹂︒

果さしては

. .

. .

.  

貸附利子がかなり高い場合もあ

る﹂

さ︒

企業利潤

の積極的培大を侯たなくてはならない︒この放極的玲・大の原因

二︶不況のもつ調整力であ

り ︑

︵二︶泄界経惰の摘

間接消費財の不況期債格

の低下ご努賃

並びに貸附利子の低下さは建造 投下衰本の利潤を高める﹂>汽述べられた限りでは︑不況中に於ける

資本の

再生産と不況克服の過程

ただ︑彼に於ては再生査行程の理解が前提されてゐないから︑固定安本の代 第一の黙について彼はいふe

﹁不

の肥

迫は新市場の探索へさ駈り立て︑また生窟費の低廉化ご技衛 大︵新市場の獲得︶及び技衛

の登展これである︒ さしてシュピートホフは二つのも

りを

學げる︒ 究本牧盆の培大は︑従つて 因さして現はれうろ理由をもたない︒それは多くの助成的原因のうちの一つでしかない︒ Jの主

張は正しい︒利子はそれ自身︑決定的要

﹁また︑不況の結

9) Spiethof, ibid. S.  70.歩阻見 253頁。

10) Spiethof, ibid.  S. 71.邦諜,257頁。

11) Spiethof, ibid. S. 71.邦朦、 257頁。

(19)

こ技術の褻展ビが︑

世界経消の捩大︑即ち新市場の獲得さ技術の痰展が

唯一の上昇原因として現はれる︒彼は云ふ︒﹁資本利潤増加の出褻黙さなったもの うさするのであるか︒ し︑彼は均衡の開系から出褻しやうさするのでもない︒そうださすれば︑彼は上昇の論理を何虚に繋が 況を説明しないさするこさば︑

再生産と不況克服の過程

の必然性が不確かなものさ見えてくる︒だから彼は右につづく章句に於て︑﹁しかし通常︑不況の調盤カ

﹁この調盤力は:・⁝好況の糊導者に封しては最も強力に作

大多数の資本家や企業家には別の刺戟が必要である﹂さ云ふのである︒こ

4に好況の網

導者さ云ふのは最初に固定資本投下をなす﹁勇敢且つ胃陰的な人々﹂を云ふ︒

て︑﹁目立った︱つの糊きの星を高く掲げても﹂︑大多数の資本家を動かすに足らない︑

ださすれば︑不況の調整力は上昇原因さして究極的なものではないこさになる︒ さいふのであろ︒

不況の調整力を以て好

不況セ以て好況を説明するさいふ循環の論法を用ひないこさである︒然

景氣焚動を専ら歴史と見るこさによって︑だが︑

さによって︒

いまや︑シュピートホフにさつて︑

には︑大儒二つの大きな部面があったかに見える︒これである﹂︒こ 理論の儒系を同時に放簗するこ

さきに示した資本牧益増大の第二の原因︑即ち︑

世界経渭の捩大

この網導者たちが成功し 用を及ばすが︑ だけでは充分ではない﹂︑さ云ふ︒何故なら︑ 置や蓄積基金の運動等のもつ意義が示され得ない︒従って彼自身にさつても︑正しく描き出された行程

12) Spiethof, ibid.  S. 72.邦繹,258頁。 13) Spiethof, ibid.  S.  71.邦課,254頁。

(20)

再生産と不況克服の過程‑ 盤力に解決をもさめるこ

t

はできない︒

かく

して

第 七 巻

一五 九

第 一 披

一五 九

シュピートホフの上昇理論は上昇必然の否定に蹄

我々の観察によるさ︑これまではそうであった

シュピートホフは終に次の如く云ふ︒﹁不況につい ものであるため︑に決定的であるさするならば︑ 於ては極めて展々︑大きな外的詣動因が現はれる︒ 世界経清の撰大さ技術の寝展が利潤増大の原因となりうるこさには全く異論がない︒は正さに世界市場撰大さ技術高度化の歴史に外ならない︒

然るにシュピートホフは抽象的規定から具罷的條件へさ瀕りゆく過程に於てこれを内面的に描取し

ないから︑これらのものが全く偶然的なものさなって現はれる︒

の諸求情に原因する諸々の可能を除いて考へても|—極めて不規則であるさし、

景氣愛動の歴史 即ち︑機械的大経螢の完成︑蒸氣︑電氣その他諸動

カの完成•…•大生産部門に於ける新組織がそれである」然るに「この種の詣動因の出現が豫期できない

新しい好況の生起も豫期するこさができない﹂︒﹁もし不況の調整力だけが好況の登生

好況は恐らくかなり規則的

2起るこさになるであらう﹂︒然し︑不況の調

で好況が来るこさは必らすしも無條件的必然ではない︒

が︑しかし好況の鋏除ごいふこさも考へられる﹂さ︒ 褻展と技術の疲展の生起が不規則なるが故である︑

さな

す︒

﹁新しい経滸様式や生産ガ法への過渡期に Jの不規則は新市場の だから︑彼は好況の痰生はーー先行段陪

こ ノ 地理的に︑自然技術的に把握されるさき︑漿氣循環の必然性も景氣の周期性も説明され得ないであら つて景氣の上昇を手招きするものであってはならない︒J

れらのものが︑経滸的にではなく︑箪に自然 然し︑これらの要因は再生産行程の外部にあ

14) Spiethof, ib:d.  S. 72." 邦繹• 259頁。

15) Spiethof, ibid.  S. 38.邦諜• 109頁。

(21)

なかった所以のものは何であったか︒ 経験的事賓に封する極めて高度な理解をもちながら︑ はこの場合︑専ら︑第二の過程のみを

シュピートホフが終に統一的な把握に到逹し得 上でなくては不可能である︒ るかさいふこさに錨着する︒ 論は専ら︑初一の過程に闘聯するC

再生亜と不況克服の過程

資本主義経済の褻逹は姿本主義社會がその査本主義的領域内に於て自らを撰大しゅく過程さ`

義が非表本主義的なるものを包振吸牧するこさによって撰大しゅく過程さの二局面に分つて考へるこさ

う︒

勿論

現賓に於て︑この附者が一つの過程であるこビは疑ひのないこころである︒

ふこさである︒

なしの論梢の欠陥の故である︒

そこで問題は︑第一の過程を如何に第二の過程にまで貰らぬかしめ

この問題の解決は︑この問題に闘する有力なる二︑

1

1一の學説を吟味したる

だが︑こ4では次のこさだけは云ふこさができる︒即ち︑シュピートホフ

しかも第一の過程から切り離して︑強調したものである︑

それは胃頭に指摘し︑最後にまた明かにした如き︑彼の再生産諭

ができるであらう︒

第一の過程を縦の撰大ビ云ひうるなら︑

界経清捩大さ景氣愛動さの闘係の問題がそれである︒ にも拘らす

着し

た︒

が︑再生査の理

第二の過程は横の撰大ご云ひうるであら

シュピートホフの上昇理論には現寅性があり︑大いなる問題が含まれてゐる︒即ち︑泄

0

杏本主

0

(22)

再生産と不況克服の過程

第 七 巻

この限

b

では︑我たはシ

して︑均衡から上昇和導ぎ出ぢうさ云ふのであり︑第二の黙は恐慌の問題ヤ箪なる均衛猥飢さは見すし

不況を以て好況を吟明するさいふ循環ャ排

典へて﹂める黙︒

笈び︵二︶不況の腔明に闊してゞあるが

新たに出現しセ企業が 及び企業の大

的出現を説明する根蝶を 然し︑彼はシュピートホフさ次の語黙で相異するさ考へる︒

即ち

二 ︶

シュムペーターがレーヂラー的消費晩に封しナ︱反野の立場をさるこさはシュピートホフさ全く同じで ある︒彼によれば﹁鯉滸に於ける革新は新需要が自生的に消費者に現はれ︑

向を菱へられる︑

のである︒

従っ

て︑

シュムペーターは︑彼自身が云つてゐる如く︑

多くの黙でシュピートホフさ見解を等しくする

さいふ風にして﹂起るのではなく︑ シ

ュ ム ペ ー タ ー 説

その廊力によって生究が方

﹁イニシアチヴぱ庄面の側に存する﹂のである︒

滞によって⁝⁝説明しない場合に於て︑﹂なほ﹁表本投下の`

蕉設備を征服して了ふ過程並びにその作用﹂さ輝解すろ黙である︑

部分的にはシュピートホフがなした如ぎ好況を以て不況を︑

て︑賽本制生産披大高度化の渦程さして明確に意識しやうさするものである︒

ュム

︒へ

r

ターから何ものかを餌待しうるが如くに見える︒ ﹁躍進の説明を前行する停

﹁躙進の終結を︑

さ云ふ︒第一の黙はレーヂラーや︑

1) 

J .  

Schumpeter,  19.31. 

s .  

100. 

2) Schum.peter, ibid.  S.  322. 

Theorie der  wirtschaftlichen Entwicklung, 3te.  Aufl. 

(23)

もどし得ないが故に過剰生在

t

こなる︑こ云ふの

であ

る︒

シュムペーターの新しい企業家は狸

そし

て︑

これはまた︑躍進を終末に導く︒﹂何故なら︑

﹁さ

きに

るが︑躍進の終焉は次の如くにして起る︒ シュムペーターに依れば

再生産と不況克服の過程

さて︑前にもしたやうに︑今度もまづ︑恐慌原因に闘する説明を通じて︑

を窺ふこと\する︒ シュムペーターの均衡條件

他方では生在物の培加が起つたのに信用によって創造されてゐた賭買力がこれに不足するこご︑この二

つの理由によって生在物の過剰ご生査捩張の停止が生するが故に不況さなる︑

しかし︑詳細に見るご︑彼の不況原因は購買力ご生陀物この素朴な

この基礎の上に︑二︑一1一の経駒的な智識が統一なしに附加されてわるのにす

躍進は創造された信用を獲符せる新しき企業の群出によつて初まるのであ

現するや︑債格の下落セ惹さおこす︒ 即ち︑古き経螢さ競手する新しき企業の﹁新生赤物が市場に出

ー信用によって'—|創造された睛買力に酎應するさころの財が、原理的に購買力創造の額を超過す

る﹂からであるさ︒つまり最初に︑流通に投げこまれた貨幣の練額を以てしては︑

なる

程︑

生在物の全罷を買ひ

ぎない︒そこで次に︑その基礎のみを吟味してみやう

C 封比に存するのであって 乱こ見るもの\やうに考へられる︒ りでは

シュタペーターの不況原因説は一見︑恐説を生在部門間の均衡と生窟さ消費の間の均衡ごの控

彼の躍進終結の原因はこれを要約するさ

̀J  

かう

なる

さいふのである︑この限 即ち畜一方では生査財の債格が胎貴するこさ︑

3) Schumpeter, ibid. S. 343347. 4) Schumpeter, ibid.  S. 344. 

(24)

i シュム︒ヘーターの均衡概念︑生赤財憤格11

然る

に︑

︐利潤部分だけ膨脹した生森物はこれらの所

るご考へられる財は専ら消費手段であり︑他方`彼の考へてわる生奔財は所謂︑終局的生

i

財ー

ーー

土地

然し即ち︑こ\で過剰にな いは︑引きっゞく蓄秋が行はれないこご従って停滞そのものを煎提するこごになる︒ 生庄物に現はれるrさいふ箪なる事賞からは恐説は起り得ない︒シュムペーターが賠買力を不足さする いつれにしても︑ 能である︒これが蓄茄されるさしても︑ 得せる賂箕力を以て生産手段を購入し︑努拗者に支彿ふ︒而して︑今や︑賃銀阿牧部分さを超える債値高が生赤物の上に開現して来るのである

C

きの創造された睛買力の高を超えねばならぬのは恵理の常然であって︑

ならぬごするなら︑凡そ︑利澗目的の生

は不可能である︒

r m

いま︑この利罰の部分が投本家の消費に入るものであるなら︑ かしる生赤手段の消耗部分ビ

蓄秋のための前貸が表本家から出でるここは

一本ふまでもない︒

事態の

I E 常的な進行を前提する限り︑守本として最初に投下された額以卜.の憤値高が

シュムペーターの意味するこころはもつビ別の所にあるかも知れない︒

及び努慟ー!—であるごしてみやう。

するさ生在財の債格は所得であるから︑生府財に支彿はれたごころ

の︑創造された購買力は全部︑所得ごなってゐる︒

得を以ては全部的に買戻し得ない︒ーーム奴々はこ4

に ︑

再生産と不況克服の過程

身の消費基金から支出される︒生性の結果を特たすして︑か

4る基金を持つこさは芥本家たるもの\機 この部分を賄買すべき貨幣は衰本家自 その故に︑過剰生沌さならねば 然

し︑

かしる超過債値高が︑さ

(25)

さて

ところで國民純浣が無利潤で働らくといふのは一 それは効果なじに生産する︑といふ意味ではなく︑﹁生病の諸結果か

完仝に本源的生産要素に蹄着する﹂と云ふことを甜味するのである︒

索とは︑努働と自然→土地︶である°而して︑その蹄属する生成物債値はそれ人\賃銀及び地代である︒中間 生産物である生産手段は︑箪なる﹁中間項﹂であリ︑﹁純過的項H﹂である︒従って︑﹁仝生産的は努働用役及び

自然用役を提供したものに欝属する﹂︒

以上の如き均衡は︑第一に︑無利潤の横棉であること︑第

に︑資本の流辿に於ける生産手段

中間生症物[

の存在を無親してゐることが注意される︒

以上に示した如きシュムペーター的均衡から如何にして景氣の上昇が始まりうるか︒胃頭に指 つの背理の如くであるが︑彼によれば︑ 再生産と不況克服の過程

ふのである︒

Lこで︑云ふまでもなく︑本源的生廂要

さきに受けた創造信用を返還するさ︑信用ヂフレーションになる︑

然し︑債務を返還しうるのは販賣が好都合に行ったこさを意味する︒問題は引きっゞぎ伯 用が要求されないであらう黙に存しなくてはならない︒が︑その理由は結局︑前述の黙に飼着する︒

盆註︶シュムペークーは均衡朕態盆循環︶を次の如く説明してゐる︒

﹁交換鯉済の自由筑争の下では︑あらゆる生産物の債格は︑それに合まれてゐる努働の用及び自然の用と等し くなければならぬ︒終局的生症物にも︑巾間生産物にも︑利側

片だも残ってはゐない﹂︒従って︑﹁生症物の

憤値は一般に︑生産手段の債値より大ではあり得ない﹂と︒ れは︑新企業が生森完了の後︑

' 一 .

ャ ︑ カ

シュム︒ヘーターは睛買力縮少について︑もう一っ別の設明を典へてゐる︒簡箪に見ておく︒そ 得

I I

. 

5) Schumpeter, ibid.  S.  345.  6) Schumpeter, ibid.  S.  3738. 7) Schumpeter, ibid.  S.  39̲  8) Schumpeter, ibid.  S.  57. 

(26)

よって利潤を得やうごする企業の群生の動機は蚊も大であらう︒

然し

. 

‑t.. 

1i. 

n

?nit 

さいふ罷系ゞJ

かくするこさは︑その賓︑不況 シュムペーターい息考方法は

で 企業家が利潤を狸得せんさすろ欲求は︑そこでは最も熾烈であらう︒

従って

4

で ︑

ごいふこさである︒

のと蚊有して競争するごいふ事協 ねばならない︒︵一︶新企業が佑きも J

さな

い︒

化が徐々に起るなら︑ ら出痰する︒ 摘しておいたやうに

シュムペーターは生在の親角から立琴氣上昇を導かうごする︒しかも︑

質セはつきりさ見るために•…・・「褻辰」が「夜展」なき朕態から生起するやうにする」。即ち、

均衡朕態か 呑て︑彼によれば︑生疫っこは生性謡力を﹁結合﹂するこさである︒そこで︑閲じ水準を循

それは織練的に﹁循環﹂の軌道に吸牧せしめられて︑何らの﹁寝展﹂をも惹き起

﹁痰展﹂を惹き起こすためには新しき結合を行ふ新企業が群をなして均衡罷系の上に現はれ

而してこれら群的企業出現の娯氣●叩導の

作用を強化するも

は ︑

︵二︶創造され忙似川が新たなる賭買力をもたらすこフC

業家に合理的錯誤が行はれるこフC︑これである︒

然し︑こ\で最も

煎要なのは︑新しき企業が如何にして群をなして現はれるか︑

さきのシュムペーター的均衡を想ひ起さう︒そこでは無利潤の生女匠が行はれて︱のろ︒その限り かしる客観的な條件から︑企業の出現を導き出さうごするのではない︒

を前提し︑不況の艇迫が好況を誘導する

考へる立場さなり︑彼・ d

の︑均衡から出痰する︑

( ‑ ︱ ︱

) 企

﹁新しぎ結合﹂

環してゐる均衡の軌道を髪更せしめるものは

4

る﹁結合﹂の髪更であろ︒然し︑この﹁結合﹂の髪

﹁東 態の 本

9) Sc:rnmpeter, ibid. S. 98.  10) Schumpeter, ibid: S.  336‑318. 

(27)

のなのである︒

彼の主張の如くんば︑

従つ

て︑

の見地からするなら︑﹁本質的なポ物の表現﹂はむしろ逆である︒ る︑﹂さ︒勿論︑彼も﹁節約﹂を看過するのではない︒然し ばならない︒﹂故に︑

再生庁と不況克服の過程

が然

し︑

撰大︑従って禁氣上昇を祁ぎ出すこさは︑

かく芳へるこさによって︑他面では︑企業家の群生のための積

無理を犯すこさなくしては不可能であるがらである︒

︱つは素材的な見地︑二は貨陪的な見池︑而して第一予一に

新し弓結合はその必要さする生産手段を何虚か

の古ぎ結合がら引去つて来なけれ

﹁新結合は國民経滸の生在手段貯蔵の他用途振b向け

(A

nc

er

sv

er

we

nd

gg

)

~あ

祠約さ榮慟に基づく年々の小額の埓加

︵生咋手段の︶をのみ云々するのは本質的な噸物の表現セ遮蔽するこっこである︑﹂さ云ふ︒然し︑我々

まづ祉合的線生亜物のうもの利潤セ

代表する部分が典へられてゐて︑

る︒而して︑この競年こそが︑社食的蓄秘の現存規模を終には逸脱せしめ無利潤生森へさ導くさころのも

その線韮のより多くを占有せんさする個々の表本の競琲が前提であ 彼は全く軍物の順序を輯倒して現象を本質そのも

Cさ考へてわるのである︒

﹁新結合﹂によって得られるであらう利潤は生七圧手段の慣格膀貴によって全く吸 彼は云ふ︒

﹁通

常︑

は︑企業家の群的出現が必然性を以ては證明されてゐない

さ云ふ罰に現ばれてゐる︒ J

の無

坪は

1︱つの黙に現はれてわる︒即ち 極的條件の形成が困難こなぢさ`いふ結果さなる︒何故なら︑無利潤の︑従って︑蓄積なぎ均衡から生ャ旺

ー朕態でなければならない︒ 矛眉する︒だから︑

利潤

なぎ

生ギ

匹は

︑ 彼に於ては︑全く

i E 常なーー企業家に釘する艇迫を意味しない

一六六六六

11ヽSchumpeter,ibid.  S.  102‑103. 

(28)

であ

る︒

第 七 巻

一六七

は︑

動に仲張力を典へる︒ は貨幣請求植の形に於てもなされうるし 可能であり~ま仁、 牧されつくすでもあらう︒

索材的な見地の無理は︑貨柩的な見地の無理さ結びついてゐる︒

段を購入するに使用すぺう金額は何虚がら来るか︒﹂均衡ャ前提とすれば

﹁か\る國民鯉滸に於ては︑

あらゆる貨幣は・・・・・拘束されてゐる︒﹂従って︑彼は﹁無か

らの創造﹂であるこころの附加的信用を唯一無二の手段`こしなければならなくなる︒

に於ては︑再生産行程の内部に莉々なる基金や準備金が形成されてゐるこさを以て︑

づ表本の栢成諸部分の回籍の相異から生する固定資本の組却甚金が存在する︒

に於ては相互交代的に現物形態に韓化するさ考へられてはゐるもの\

然し︑我々の見地

鉗却の途上に於て撰張資金に韓化するここも可能である︒他方ではまた︑利潤のう

ちの蓄稲準価釜も︑或は箪獨に︑或は結合せられて︑ 自由な睛買力の大貯水池なざは存しない︒

まだ貨幣の節約や他の形での退蔵貨幣等がこれらのもの\運 而 し て か ヽ る も の 上

苺礎の上に於てこそ︑

はじめて︑我々は信用を問題さすべ苔

シュムペーターの均衡閤系には右の如ぎ貨幣脊本の流動さ倅濡が含女れてゐないから︑

専ら附加的信用によって︑無から有を創るの無理を犯さねばならない

" り

であ

る︒

で は

﹁ 財 除 去 の 埓 秤

﹂ 忙 ス 附 何 的 信 用 ヤ 以 て 庄

︐森手段の﹁柚用蹄眼向け﹂ャ蹄竹すス^業家は必

再生産と不況克服の過程

牛ぷ匝査未への轄化をごげる︒某全や準備令の形成 二齊に一時黙に集中するこさが 出寝罰さする︒込 彼は云ふ︒

Jれらのものは均衡朕態 ﹁新結合に必要た牛奔手

12) Schumpeter, ibid. S.  107.  13) Schumpeter, ibid.  S.  103. 

(29)

るがこ4には鱗れぬーlーによって シュムペーターの上昇理論は

利潤︵超過利洞︶可能が造り出され︑新企業ご蒋企莱さの競噌に

とによって︑従って︑彼の罷系を自ら破壊するこ

nJによってゞある︒ もないこさであって 神格化する︒

然しそれは均衡の外部に英雄を前提するこ

論證せられない︒彼は一方では普通人

再生産と不況克服の過程

新企莱の群的出硯の必然性が證明されてゐ

その證明が果されてゐる

> A

主張してゐる︒然るに︑我々は 彼はセゞ︑企業の群的出現を一人大腑な︑有能な企業家にか

4わら

(W

ir

te

 s

ch

le

ch

tw

eg

) 

のでなくして︑

のなのである﹂︒然し︑企業家が一定の客観的の條件下に於てのみ活動するものであるこさは云ふまで

︱つの道を開拓するも

を凡附化し︑他方では企業家なるものを

即ち︑彼によれば︑企業家は﹁創意︑梱城︑先見の性質をもち﹂︑

流れに抗して泳ぐものであり﹂︑﹁逍セ歩むものではなくして

4る神格化からは何〇設明も生じて来ない︒

ばならぬのは︑その出現が論踵的必然性をもたないここの告白である︒

シュムペーターは均衡から出夜して景氣上昇を説明した︒

かくの加く︑企業家を英雄親せね

﹁新しき結合﹂ーーこの内容は必らすしも純一でなく蕪雑なものであ

﹁流れに従って泳ぐも

しめ

それの成功が校倣を呼ぶさ説明するのみである︒

然し︑依然こして最初の成功的企業家の出現は

その證明を何虞にも見出し得ない︒ ︑ ょ

f︑ ︑

9

 ご云ふロェーヴェの批評に抗辮して シュムペーターは﹁経滑的蒋展の理論一の第三版に於て

然性を以て論證せられてゐるか

9

ー大八

第—

一大八

14) Schumpeter, ibid.  S.  319.  15) Schumpeter. ibid.  S.  112.  16) Schumpeter, ibid.  S.  118.  17) Schumpeter, ibid.  S.  125. 

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