工業会計制度発展史に︾げる蔚芽期について
li
プランタン印刷出版業会計の吟味に寄せτ
ー ー
敷
回
踊 豊
一 一
一
︑ 問 題 の 所 在
︑二 諮時 間芽 期論 の展 望
三︑プランタン会計の概説
匹︑工業会計の蔚芽としてのプランタン会計
A
プランタン印刷出版業の資本範臨
B
プランタン会計の技術上の吟味
五︑ 結
き茸n口
問 題 の 所 在 経営の計算制度は資本の機能ないし運動の要請にもとづいて主成・推転する︒従って︑かかる計算制度は資本の発 展段階を反映せる種々相をもって白からを表出すると考えられる︒而して﹁商業資本が工業資本に穏化する過渡的段
工業会計制度発展史における萌芽却について二七七
工業
会計
制度
発展
史陀
おけ
る碕
茅期
につ
いて
七 人
階は同時に商業一簿記の工業会計への転化の発端を為す﹂(註
1)
のでゐり︑︐この過渡的段階は問屋制家内工業さらにマ
ニュファクチュアとい当二つの経営形態ぞ意味することから︑工業会計の発端ないし蔚芽は問屋制家内工業における
問屋とマニュファクチュアにおけるその経営者との双万の会計にま︑寸見出すことができる︒かくて︑問屋制家内工業
およびマニュファクチュアの資本を計算対象とする萌芽期の工業会計の基本的性格を一応知るわけでゐるが︑吾閤で
︑︑
︑
はその性硲については必ずしも具体的に明らかとされているということができない︒そこでまず吾々は﹁エ︑詩萌
芽期論の展望﹂において︑前芽期に関するニ・三の所説を見ておくであろう@
ここに﹁具体的﹂に明らかでないことの理由は原資料・関係文献の稀少という事実に在る︒しかしかかる参々たる・
資料によっても︑なお︑前穿期の工業会計の性脳又は特徴ともいうべきものを具体的に知る何等かの方法的な余地は
な い も の で あ ろ う か
? こ こ に ま ず 卑 見 開 陳 の モ チ ー フ を 抱 き
︑ 既 に 部 分 的 に 紹 介 さ れ て い る 資 料 ( プ ラ ン
筆者
は︑
タンの会計帳簿﹀について全般的な視野からあえて検討し︑とのととを通じて蔚芽期に闘する苦干の問題にふれよう
とするものでゐる︒
真理はすべ亡の時間的・場所的諸条件に依存するがゆえ詰に具休的でゐらねばならないが︑前芽期における主薬会
計の陛楢に関してる︑産業資本の典型的な確立伝達げた英国につい一﹂のみ問うことは必ずしも問題解明の禿分な方注
でめるということはでちない︒いわれる如く英国や仏国広どにおける資本主義の生成の仕方は独立の小虫記険者屑とい
ういわば﹁下から﹂の力による典型的伝先進的な類型(いわゆる﹁西欧・米国型﹂)をなすのに対し東独逸・プロシヤ・
ネiデルランドバオランダ)などのそれは商業資本の支配ないし育成という﹁上から﹂の力による後津的な特徴ゐる
一つの型弓東欧・プロシア型﹂)として前者と対抗し両者は社会的全構造のうちに統一される(註
21
このことから後進的な類型おし反臥せる工業会計の形態をも一つの型として見る必要ぞ品ワものでゐるアかくて吾々は前芽期におけ
る工業会計の性格を具体的に知るべく指向せしめられるであろう︒そこで︑かかる目的に近づくための一手段とし
τ
︑十六世紀半以降前世紀末に至るまでオランダのアントワ!プにおいて存続した印刷出版業者としてのクリストフ7・プランタンの会計帳簿を採り上げ︑それが吟味を中心として萌芽期の工業会計の性格を探ろうとするものであ
る︒かかる吟味を可能ならしむべく﹁三︑プランタン会計の標設﹂におい
τ
︑問題と一なる点奇重視しつつプランタンの会計を紹介するであろう︒
しか
しな
がら
︑
ζのような一資料のみぞ以って﹁後進的な類型企反映せる工業会計﹂を{つの型として性格づけう
るとは勿論考えていない︒叉﹁典型的﹂であれ﹁後進的﹂でゐれ両者︑の復式簿記という形式的計算機構は何等相違す
るものではなく︑異る
J6
のが史証されるとしたならばそれは計算の内容に関してでゐろう︒そこで︑少くとも筆者の
意図するところは次のような点に在る︒すなわち︑オランダ﹁独立戦争﹂後北ネiデルランドに重点を移動して繁栄
︑ . ︑ . ︑ .
︑ .
しオランダ商業資本の東日度貿易進出(一五九四年の﹁遠国会社﹂結成後二ハ
O
二年﹁オランダ東印度会社﹂成立にいたる前期的資本の集中過程)の基盤をつくった毛織物工業︑を中軸産業とするマニュファクチュアについて
4記憶す
る必要がゐり︑ヨ時のそ'コした社会的住産の一関そ担ったプランタンの印刷業マニュファクチュア(一五五五年
Z
一八七六年)町会計奇見ることは決して意味のないことではないとし︑いわば十六位配のオランダという時間的・場所
的条件に色とづいて前芽期におけるヱ業会計の一形態を見直していこうとするものでめる︒
而して己のよう伝意圏在果すべく︑第一にプランタン印刷業の資本範曙の吟味︑第二にプランタン会計の技術上の
吟味とい︐ヲニつの万法を両者関連的に採るであろう︒第一の吟味は︑プ‑ブンタン印刷業の資本がマニュファクチュア
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
κ
ついて
二七九
工業
会計
制度
強展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二八
O
形態の範曜にゐり︑従って蔚芽期の工業会計としてまずプランタン会計を規定しうるものである︒第二のそれは︑か
かるプランタンの資本の反映としての工業会計の技術を具さに吟味し前者と相玄って萌芽形態としてのプランタン会
計を特徴づけんとするものでゐる︒かかる万法は本稿全体を通じて用うべく考えているものであるが︑持に﹁圏︑ヱ
業会計の蘭芽としてのプランタン会計Lにおいて強く用いるでゐろうQでは本論に入ろう︒
( 註
1)富士男椅﹁英国工業会計論史研究﹂
1i
工業会計の確立過程把握│l
三七頁(大阪商科大学・経済学雑誌・第三巻第四号・昭和十三年ト月)および宮上一男著﹁工業会計制度の研究L
五頁
ハ昭
和二
十七
年四
足)
︒ ハ 註 2)
松田
智雄
稿﹁
絶対
主義
解体
の二
類型
﹂(
民主
評論
・昭
和二
十二
年九
月号
﹀お
よび
松岡
智雄
著﹁
近代
の史
的構
造論
﹂(
昭和
二十
四年
﹀参
照︒
諸蔵芽期論の展望
本節においては前に述べた理白から繭穿期に関する一一・一ニの所説乏展望するわけでゐるが︑このことは同時に︑プ
ランタン会計の吟味の﹁万法﹂に関する環鮮を導くでみのろう︒
最初に木村和三郎教授の﹁原価計算論研究﹂(昭和十八年十月)についてその論旨を見ょう︒同教授はその著の第一
章・第二章および第十二章において原価計算︹註1uの発展史を論じ
τ
おられ(同著は一連の論文集であることから論述に若干の重複はゐるが以下各章について順次に蹴観する)︑﹁第一挙・原価計算論の経済的出握﹂・﹁一︑家内工業に
おける簿記﹂において冒頭﹁近代的虚業資本︑従ってその資本構成の代表者である固定資本の測るべから古る機能が
原価計算の主成の経済的基礎でゐり﹂と述べまず自己の発展史論の大凡の目途を立てておられる︒そして十三世紀に
現れたフランス額フランダIス地方の羊毛工業・十四世紀の上部イタリーの羊毛工業および十四世紀末から十五世紀
の初期におけるロンドンの羊毛工業などが家内工業として発展せることを挙げ︑而してこれらに関する会計記録につ
いては知られるところは少いと会れる(註
2V
次に問題のプランタン会計とトムスンの﹁会計士の神託﹂とについτ
少しくふれておられるが︑前者についての所説は本稿の第四節において︑後者に関しては本部後半において見ること
にし
よう
︒
﹁ 一 一
︑
マニ斗フプクチュア形態における工業簿記﹂においては︑卜i
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lスパイの著書F︑
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︑
マニュファクチュアの段階では
商業勘定と製造勘定との両者争統括勘定として結合することが詰みられたことぞ指摘し︑更にマニュファクチュアの
生産工程の中軸は依然として人間労働であり機械などの巨大な固定設備の見られなかったことからこの初期において
は間接費の原価性が未だ認識されるに至らなかったといわれる︒かくてマニュファクチュアの段階における工業会計
について一応の容姿を見ておられるわけでゐる︒この段階については更に﹁第十二章﹂において詳論しておられる︒
﹁三︑工場制工業における原価計算制度の生成﹂における論旨は次の引用文のうちに要約されていると考えられ
る@すなわち﹁工場制工業における機械の客観的条件としての性質の獲得は初めて本来的形態における原価計算の必
要を生ぜしめ︑材料の計算︑労賃の計算にも複雑さは加わるが︑計算の中心は機械及び機械的休系の計算︑即ち固定
資本の減価償却費の生産⁝物への割当の計算に移る︒間接費︑就中固定資本費は工場制工業において初めてその重要性 ぞ顕はすものであり︑ここに範曜としての原価計算が始まる﹂(木村前掲書・十二
i
十三頁
・筆
者傍
点
)
次に述べることQ
との関連において︑ここで注意しておかねばならないのは﹁範曙としての原価計算﹂という言葉である︒
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二八 一
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二八
二
﹁四︑原価計算概念と原価概念との把握の仕直し﹂@工業会計の筋芽にしろ確立にしろこれらのことを問題とする
場合にはまず士業会計の概念規定を如何にするかという前提が明らか℃なければならないことはいうまでもないでゐ
ろう
Q五百々はここで木村教授の原価計算概念ないし工業会計概念の規定の仕方を次の如くうかがうことができる@す
なわち﹁第一節﹂の冒頭におけると同様に﹁:::原価計算制度の確立はすべて産業資本の確立発展及びそれの独占形
態の
確立
を経
務的
基礎
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る・
::
・﹂
ハ木
村前
掲畜
・十
四百
ナ一止頁)といわれることから︑原価計算制度発民の物的基礎
H t
ぞ産業資本の発展のうちに求めんとするものでゐり︑従って︑資本の発展(具体的には資本の経営形態ないレ生産機
措の発展)の反映として原価計算の概念を強/¥動態的に把握されようとする考え万が見られるのでゐる︒而︑レて﹁範
曜としての原価計算﹂すなわち商業勘定と製造勘定の結合と︑開設費の原価性の認識の確立と舎内容Jこする工業会計
は︑かかるJ考え方にもとづいていわれる工業会計の発民段階的規定でめると理解されるひ
次に﹁第二章・原価計算制度の成立過程としての間接費論の生成発反﹂に移ろう︒本章におい
τ
は﹁近代産業資本の出産関係の創出︑即ち固定資本の生産過程に占むる役割の重加が資本を撰ヤる凡ゆる計算︑即ち企業損益計算・原価
計算制度の生みの親であり﹂(木村前掲書・二十七頁)として︑主としてバタIスパイ︑ガルクL﹂
フェ
ルズ
︑
ジョンマン
( 註 8)
の著書ぞ説明し乍ら︑芳賀基準法の戎立・機関時間基準法の生成・機械一時間基準法の篠立を論じておられる︒
併しこれらは本稿において問題とする﹁蔚芽甥﹂には直接関係しないのでここでは省略するQ但し︑間接費が問題組
上にあ︑かっていないものとしてプランタンの会計記録ぞ挙げ︑そこには﹁固定資木H生産設備の減価償却の計算の如
︑
︑
︑
︑
︑
︑
きは見出すことが由来ない﹂としプランタン会計を十︾って工業会計の先駆と注ず萌芽形態しケびれる︑そのことについ
τ
は吾々の見解と一致するが詳しくは第四節の後半において検討するでゐろうQきて﹁第十一一章・英国における原価計算の発展と初期の文献
1
1
ii
止を見ょう︒本章ではその副研究資料として題い
か一
手す
如く
エド
ワ
lズおよびリトルトン(註4)に従って文献史的研究が行われているQ併しそこに流れる木村教授
の諸見解は﹁蔚芽期﹂の吟味に多く関連していることに注意が払われねばならない︒
まず﹁三︑家内工業における染屋︑靴屋の簿記﹂から始めよう︒ここでは家内工業に関する簿記文献としてコリン
︑︑
︑︑
ス︑
﹀旬
︒吋
向︒
︒同
国︒
口︒
ZFメヤl︑ドッドソン(註
5)
江どのものを挙げて夫々の説明をなし﹁家内工業における
︑.
︑.
︑.
︑.
︑.
︑.
︑.
︑.
︑.
製造家の簿記は︑次に述べる問屋制家内工業の場合と同様に︑商人簿記或は財務簿記とも称せられる商人の売買取
ヲ │
対人的貸借取引の記録を中心とする商業簿記的記録万法を以て充分であった﹂(木村前掲書・三七四頁
t
三七五
頁・
筆者傍点)といわれる︒そのこと自体は正に事実ではある︒併し乍ら︑ここに同教授の﹁蔚芽期﹂に関する見解が惨
んでいることをひとまず記憶しておき︑その検討は次にゆずろう︒
﹁四︑問屋制家内工業における問屋の簿記﹂では︑トムスンの﹁会計士の神託﹂(註6﹀の最終章を挙げ彼が用いた
取引例にもとづき︑その内容の詳細な説明を行っておられるQここにいうまでもなく問屋制家内工業なる経営形態の
特質は︑第一に生産工程は家内工業者(手工業者)の所有する職場において営まれ︑第二に商業資本家(実質的には
産業資本家)としての問屋は家内工業者に対して材料の前貸を行ったということである︒かくて﹁以上のトンプソン
の示した取引例は内部製造工程ではなくて︑外部の職人との取引でゐる︒従ってすべて商業簿記で製造工程の記録が
可能でゐり︑工場費を分割する必要がないのである︒工場及び機械の出現以前の簿記である︒即ち問屋制家内工業の
簿記であって︑商業簿記から工業簿記への過渡形態とち見るべきものでゐる﹂(木村前掲書・三八一頁)
充分うなづかれるところであり︑問屋制家内工業における問屋の簿記をもって という意味は
﹁過渡形態﹂(本稿にいう萌芽形態叉
業工
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
ニ八
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二八
四
は端緒形態)とされることにも何らの異議はない︒併しこの文章と前に掲げた引用文(前頁﹀とを併せて見るとき同
教授の考えられる﹁蔚茅一期﹂は一面次の如く解レヨるのではゐるまいかQすなわち︑製造過程を記録するには染屋・
靴屋の如き家内工業者もメリヤス製造業者としての問屋も等しく商業簿記的記録ぞ
'b
っ
τ
して充分でふのったという見地から家内工業の簿記も問屋一制家内工業における問屋の簿記も一様に前芽閉の工業会計のうちに含めて眺めておられ
るQこのことは次の三つの点からもうかがえるようである@第一に同教授は﹁第二早・家内工業における簿記﹂にお
いて十三世紀頃すでに始まる欽洲諸国の羊毛工業などの会計記録についてプランタン会計・トムスンの会計と併せて
附ヨ
一目
して
おら
れる
︑
第二に﹁家内工業形態における簿記が原価計管制度生成の培養基であった﹂(木村前渇書・二十
八京)とされる︑第三に︑逆説的に考えて︑若し家内工業の会計記録を1むって工業会計の﹁過渡形態﹂としないならば
これらの会計記録を論ずることは余り意味がないことになる︑だが同教授は論じておられるのである@
かくて前期的資本の産業資本への転化は問屋制家内工業とマニュファクチュアというニつの形態によって行われる
ことから︑まず産業資本を計算の対象とする原価計算(工業会計)の萌芽を問屋制家内工業とマニュフ7クチュアの
会計に見出すという前提をもっときは︑家内工業の簿記と問屋制家内工業のそれと含峻別し後者のみを以って士薬会
計の繭芽形態としなければならない︒而してかかる見解と比較するとき木村教授の見ておられる蔚芽期は時代的に
︑︑
︑︑
︑
より広範囲のものであり特徴的な見万でゐると考えられる︒ζの両見解の相違はプランタン会計に関する見方の違い
しとしてそのまま表われてくるわけであるが︑そのことについては本稿第四節において明らかとされるでゐろう︒
ハミルトンおよびクロンヘルムの文献を中心としクレプ
﹁ 五 ︑
マニュファクテュアにおける原価計算形態﹂では︑
やソウイヤ
Iハ註7Uにも及んでおられる︒すなわちハミルトンに関しては彼の﹁製造勘定﹂についてその未熟さを指
摘し
︑
クロンヘルムについては彼の﹁倉庫帳(原料勘定・製造勘定・製品勘定)﹂(木村前掲書e三八八頁Uの記入は数
量のみをもって行われる一万商業勘定は数量・金額が記入されていたことから商業勘定と製造勘定の未結合の段階に
ゐる簿記として特徴づけられ
τ
いる
Qかくて双方の簿記はマニコフ7クチ↑アという佳産機構な反映したところの過
一段的段階のものとして規定会れる︒従ってマニュファクチュアの会計ゐ弘前芽期のものとすることについ
τ
は前に述べた吾々の考え万と合致するものである@
﹁六︑仏関西簿記文献におけるマニェファクチュアの会計﹂ではかのペイヤンの﹁製造業者の簿記論﹂(註8U
によ
って馬車製造業と珍製造業の会計を詳細に吟味し︑商業勘定と製造勘定はともに数量・金額をもって記入されたが製
造勘定をして統括勘定とすることがで︑告なかった点この会計をして商業勘定と製造勘定の禾結合の段階のものと守れ
る︒その点前述せる﹁五︑
マニ
ュフ
7クチュアにおける原価計算形態﹂と同一のものであるゆえこれ以上述べる必要
はないが︑数量・金額・統括劃定に関するこのような事実は記憶しておく必要がある︒以上︑吾々の必要とする限り
において木村教授の論旨を辿り併せてその原価計算の概念規定の仕方および原価計算の前芽期についての所論の特質
を見てきたわけである︒けだし︑これらのことはプラン夕︑J会計を通じて行わんとする本稿の意図と密接な関係を有
しているからである︒
続いて︑宮上一男教授のいわれる工業会計の蔚芽期を(従って同時に爾芽形態をも)知ろうとするものであるが︑
同教授はそれが理論的規定を極めて鮮やかに行っておられる︒この規定は次のような短い引用文のうちに表現しつく
会れていると考えられる︒すなわち﹁商業資本が工業資本に転化する過渡的段階は同時に商業簿記の工業会計への転
化の発端を為すQ工業が資本のちとに隷従した最初の手続は商人的資本家たる問屋の発生である︒従って資本計算と
工業
会計
制反
発展
史に
おけ
る萌
芽削
酬に
つい
て
二八 五
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二八
六
しての工業会計の出発点は問起の計算に求められる﹂ハ宮上前掲論文・三十七頁﹀と︑こわである︒他万﹁商業簿記の発
生地がイ夕刊ソーであるとすれば士業会計のそれはイギリスである︒工業会計の歴史は工業が典型的に発展したイギリ
スにおけるそれ守典担とする﹂︿宮上前掲論文エ一一十七百)とし︑更にこの文章に対する註書として﹁工業の計算は既に
十四世紀イタリー羊毛製造業者の商業記録︑十六世紀ドイツ鉱山菜乃至十六世紀オランダの印刷出版業等の中にある
といわれるが︑それらは工業資本従って叉工業簿記の典型的発展の軌道の外にある﹂(宮上前掲論文・四O頁﹀と述べて
おら
れる
︒
ここに挙げた三つの文章において︑吾々の知ろうとした事柄は大凡示されているのであるが︑以下一一︑三のことを
指摘しておとうQまず第一の文Z早からは︑工業会計の﹁出発点﹂ないし萌芽形態を問屋の会計に︑求め
τ
おられることを知るのでゐり︑その求ゆる理由はいとも明快に示されている︒第一一︑三の文章では︑英国において工業が典型的に
発展した(換言すれば商業資本から工業資本への転化が英国において典型的に行われた)ゆえ工業会計の発生地ないレ
典型的歴史ぞ同国に求められ︑従って本稿で問題とするプランタン会計をして﹁工業簿記の典型的活民一の軌道の外﹂
において何ちこの会計を問題にされないということを知るのである︒ことで五日々は︑工業資本への転佑従って工業会
引の発生が英国において典型的でゐることから英国の会計舎前究の中心的刈象としておられる同教授の見万に対し︑
産業資本成立の仕方の
﹁典
型的
﹂
な類型ともう一つの型(前述﹀との統一において問題を考えるべきではあるまいか
とするのである︒詳細は第四節において考えよう︒
次に
︑
久保田官二郎教授は﹁間接費計算論﹂(昭和二十ヘ年ム二月)において間ー民寅に関する諸問問長優れた﹁体系的
理論﹂として展開し
τ
おられるが︑百々わ問題とする前芽明およびプランタン会計の吟味に関係する点も二・三あるので︑それらについて少しく見ておこう︒まず叶最近の原価計算史論の研究が進
につれて︑原価計算は如何なる過J U
︑ . ︑ .
︑ . ︑ .
︑ . ︑ .
程を辿って生成してきたか︑その一部は次第に明らかにされつつあるが︑+一本だその萌芽的なものが何時頃から如何な
︑︑
︑︑
︑︑
る形で現われたかは明らかでない﹂(久保田前指書@十八頁・筆者傍点﹀といわれ︑十回世紀初一閣のフローレンスの毛織
物工業の帳簿をぺンドルフ(註
o u
によ
って
挙げ
︑
げる鉱山業(フフガl家)の会計を示し︑﹁しかし︑この史実を現代原価計算論からみれば︑
︑
︑
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︑
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︑
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︑
︑
︑
︑
らその端緒的な形があっても︑ぞれは異例であって︑当時の経済社会の諸情勢とその生産形態とから推察すれば︑ 又十六世紀のブランクン会計を例示し更に同時代の市ドイツにお
たとえ第十回世紅頃か
般に現代的意味の原価の計算よりは寧ろ製作費が幾何要したかを算定するのが主たる目的であったといえるであろ
ぅ︒かかる理由から︑産業革命
ι
よって工場制工業が成立し︑それが発展した過程において製造原価そ如何に把握し︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑ていたかにその問題を見出さねばならぬ﹂(久保問前掲書・十八貰t
十九
頁・
筆者
傍点
)と
され
てい
る︒
そと
で立
口々
は少
く
とも次のニつのことを推定することができる︒第一に︑同教授は工業会計の萌芽期に関する明らか紅判断は下してお
られないようである︒勿論︑同署における本来の目的はそこにないせいでもある︑が︒第二に︑プランタン会計につい
ては乙れを萌芽形態として殊更に採り挙げる考えは持っておられないと見受けられる︒以上ニつの事柄からへ更に工
業会計の生成発展に関する研究心重点を産業革命以後の段階においておられると思われる︒けだし︑当然のことでは
ある︒而し
τ
︑プランタン会計に関しては註釈としτ
かなり詳細な検討を加えておられるが︑このことについては本稿第四節でふれるであろう︒
以上︑木村・宮上・久保田の三教授について吾々が必要とする夫々の要旨を見てきたわけであるが︑これらの他に
回一
一日
決清
教授
は﹁
原価
会計
﹂(
昭和
二十
七年
十月
Uにおいて山下勝治教授は﹁原価計算﹂(昭和二十八年六月)および﹁損益
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二八
七
工業会計制度発展史における蕗芽期について
一 で と ぺ
計算論﹂(昭和二十五年十月﹀︑において工業会計の発展史そ夫々独自の万法によって論じておられ︑叉工業会計の発展
史について諮るところは少いが江村稔助教授の力作一複式簿記生成発達史論﹂ハ昭和二十八年十二月﹀がある︒しかしな
がら︑これらは本稿において問題とするプランタンの会計に直接ふれることがない
Dでその展望を省略する︒叉松本
雅男教授は﹁原価会計の成立﹂ハ一橋論叢・第十一巻第五号﹀において確立期の工業会計ぞ論述しておられ︑﹁リトル
トン会計発達史﹂(片野一郎訳・昭和二十七年宣月)の第二十軍・第二十一章においてその発展史論が見られる︒
者の知る限りでの乙の種の文献を次に挙げておこう︒特にオランダに関係するものとして田中藤一郎氏﹁和蘭簿記学
なお筆
一( 雑誌 会計 第四 十二 巻第 一号 )が ある
︒
史の研究﹂(雑誌会計第三十八巻第三・四号)・同民﹁和蘭簿記学史概観﹂(雑誌会計第四十巻第十九弓)・同氏﹁簿記学随想﹂
叉国弘員人﹁企業経理の発達﹂(産業経理議書第七号・昭和二十三年六月u・片岡義
雄﹁中世イタリヤにおける
﹃工業会計﹄の先駆﹂(経理問題研究第二巻第三・凶合併号)・尾崎義夫﹁原価計算の必要を
論じた最初の文献﹂︿雑誌会計第二十九巻第六号υ・久保田音二郎﹁初期の工業原価計算論﹂(増地庸治郎編﹁生産力の拡充
と経 営合 理化
﹂所 収・ 昭和 十八 年﹀ がゐ る( 註ゆ )︒ ( 註
1)原価計算︒工業簿記・工業会計なる別語については︑計算機構の発展の程度に応じ夫々使い分けられる場合が多いが︑
ここ
K﹁原価計算﹂とは本穏にいう工業会計とほぼ同一の内容所もつものと考えてよいであろう9
( 註
2U十六世紀以前については︑ガlナ1
・ソ ロモ ンズ
・エ ドラ
i・レイモンド・ベンドルフなどは工業会計の端緒的形態として種々のものを指摘しているが︑これらについてはなお問題の存するところで応る︒以下適時ふれていくであろう︒
( 註
3
﹀の
山円
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田正
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CC
‑
of Economics
,
fome Notes on the Early Litterature and Develoment of Cost Accounting in Great Britain,
The Accountant, vol. 97, 3270‑5, Aug. 7‑Sept. 11, 1937.A. C. Littleton
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C
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1778.C
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IJ8程併記。ム
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士;!;.,'t!2W令:RよされJ~\--'ムtQCW
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田五百喜iiliii駄Q幽長(;ill綜国道J.~引f1;#偲か・首W:1C銅線l1Djr>'糠ヰド.潰れl主~~t-.."'"l¥!ι. ~ロ申入'Kr暖思iiliii駄Q包(~言語担1lll'íJ・1咲1~1く告ら槌憶が相・隠爆者ド纏紙・線11+11]網紙11命'匿*劇去三i欝.l!!話連日liã紘Q煎剤.~聴程縦・線十-\J司Eつ:R1'.11¥λ号、入とよl:ffiS←
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キミH料相iíliñ~l凶釈脳以E44耳合点俸制TE至上d.Ç\ムν11~O
Plantin's methods would hav<e don巴creditto a printer of his size 'three and more centuries later, for he kept
separate job accounts for each book printed, he had stock accounts in value and quantity for each kind of paper used, and he kept a plant kdger. Ris system reaJly was a double.entry cost‑finding system of extraordinary ma‑
turily. (Solomons, ibid., p. 4.)リリ日t{tZd.Eまv;、ロ申入×笠誼lP‑l.絵官..¥Jム巴;iIiO駄若草鍵Qぽ会ミJ..¥J‑"'hII¥入、λ#..p('νlrr[[悩とJUR官室伏)~~駆官邸主;t:l;I草案j並;';y.J~}(d..\Jシれ。þ<~ーも-4~~ム_,~...,_~\tト総会J..p('ν~ hlÌ\入、λg4,1'I~n:l::¥ti
1
三宮必思畏110
三2
t,e起草案悩g*,vQ¥!!t¥将来初..p0ν.ムtZd..¥Jム,LC¥O)p,将兵今"The Plantin accounts (he was a Flemish printer and publisher of the sixt enth century) contain many elements of a modern job‑order cost system. A separate account was esta‑bIished by Plantin for each l:ook which he. undertook to publish. These accounts were debited for the paper used,wages paied~ and other costs of printing̲ After the book had been complet官d,an entry was made transfer三ring
the s:ceciitl account to another one n< med "Books in ~tock." Ii1cidental1y, in connection wjth both thePaper Stock
and tne<. Fini hed Books aecounts speeial columns were provided fot recording the quantities -~a type 'of pa' petuaf illveritory. (Garはer,ibid., p.38o) ..\Jユ,>C\σ4長長時陸側QlW'必侭!2êE~採用JνムtZd~JAI t:~ h II¥入、
λ4n
;t主ぷ三五Pν障給再主題担..\J←tZd*字塩G糊掛士-!-S\V吋4断定~~止Q総選叩士まと4必}(d..\Jム",)J..\J\'J1奇心。~-R..pt\-'g~当選..\J::;:nnK辻哲己主主Iâ~tZd..pg ¥'J 1♀tZdi主将ム>C\)J判定5毛沢Q縄際会I鰻;.Jν引v~心JミピれJ~νユ必ム。
111
'1\爪入、λ~;HmC題稲‑14温lJ:芯
FlorenceEdJer de Roover,
Cost Account:
ng in the Sixteenth Century,
the Accomting Rev̲iew, V()l. XII, No.3, Sept., 1937, pp.226‑237 ld.付('\--1爪11'\入、入矧芯ぅV去三極g~堅?司会l貯組ねたi'.-:Jゐ'-ç,,/制
判!Jf:g;ld.軍緬‑1mI{e +ミ!:;lJ々心。..::>~ミ心0Ql-{::L\I'\~Q;寵i同士~~ロ山入'代(SoJon-on叫ん_r,1よム~I{è~警制緋Stuðiesin Co・
sting, London, 1950. Q."必ば!陸艇判長いうもl心~~\J0\J士~!1.11]Q組長込i羽黒灼ヰド♀ゆQ¥J lJ 6:様化‑".‑:J二器ld.
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いて見ていこう︒まず論者エドラlの略歴をみよう︒彼女は一九
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一年シカゴに生れジヰ1
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ンス
ィルヴァニァの各大学で歴史学密教えてをるむ
又一
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ニ
0
年代の数年間は米国の中世史研究学会の研究会員であった ︒
一九三六年に︑ベルギーの経済学者であh会計士である同
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門一
口白
一 色
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問︒
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百 円 ( 註
1)
と結
婚し
︑
一九
四九
年刊以来主としてフローレンスにおいてイタリーの古文書により中世経済史の研究をなしている︒多くの著書・論文を 有しているようであるが︑特に経済史︒家としての彼女の判断力については︑プランタン印刷出版業の資本範曜を知る
うえに︑かなり高く評価されてよいであろう︒
さてエドラーはその序一一一一口ともいうべき最初の項において工業会計の萌芽期に関する見解畳表明している︒
ついでな
がらそのことら知っておこう︒まず︑
﹁原価計算は十九世紀にその起源を有しかっ工場制度の発展および工業主産に おける機械の広範な採用からその主たる推進力を得たと一般に信ぜられている︒この平凡な意見は部分的にのみ真実 である︒原価計算の体系的技術は十九世紀中に推進されこの数十年聞に素晴らしく発展した︑しかし原価計算の若干
の要素は更に古くから在る﹂
(前
掲論
文集
・五
十三
頁)
として︑十四世紀の初期から十六世紀に至る聞の毛織物工業や
鉱山業の会計告例示している︒これらの史実は吾国の学者によって知られているものと変りはない︒而して﹁これら すべての例は次のことを疑いもなく立証する︑すなわち原価算定の初期のフォーム守口岳目︒ロ
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︒州
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︻出
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口に生じた鉱山や繊維業の如きは産業革命以前の資本家的支配の時代
( S 1 g ] 仲 良
n 8 5 5 ] 2 5 5
問 ︒ 回 )
産業において一般的に用いられていたということ﹂ハ前掲論文集・五十四頁)というが︑前期的商業資本の段階にまで
遡って萌芽形態を広くみていることはソロモンズやガlナlの場合と同様である︒
次に︑プランタンの一連の会計記録に言及し︑それはイタリーにおいて生成した複式簿記の影響を受けておりグェ
工業会計制度発展史における蹴芽期について
二九
工業
会計
制度
発展
史陀
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二九 二
ニス式⑫ものでそれもイタリー詰で記入された仕訊帳と元慢とぞ具備しているという︒
そし
τ
有名門註2)な印刷出版業者としてのクリストファ・プランタンの﹁これらの帳簿において原価算定の実際の誌みがなきれたこと吾証明す
ることは無意味ではないと思う﹂として序文を終っている︒
一五五主年(時は正に﹁職布工条例宅
B40
九回﹀♀﹂の布かれた年であり︑英国ではマニュフ7クチュアの展開を
示す段階でゐる)民︑フランス生れのプランタンは一印刷業者とじてアントワlプにおいて白から開業した︒彼は︑
異教書の印刷に関して告訴された一五六二年までの聞はかなりの程度に成功そ収めたのである︒すなわちパリへの旅
行中に彼の一切の財産は没収され競莞に附されてしまった︒而して︑彼は︑その異教室田の印刷が彼の関知すること伝
く従業員の一人によって行われた︑ということを証明し以って難ぞ逃れ得にのである︒しかし彼が7ントワ
i
プに戻った一五六三年には︑再び印刷業ぞ始めるに充分な資本を持たなかったの官︑四人の資産家達との共同による組合営
業(宮円
g o g r q )
を結成したのである︒このパートナーシップは︑東印度貿易進出のため当時のオランダにおいて盛
んに行われていた資本集中の先駆形態に類するものと考えられるのであるが︑四人の資産家︹すなわち出資者とじて
の組合員)とは次の者逮のことでゐる︒アントワ
i
ブの商人でプランタンの従兄弟に当るわげ号‑ g m m a n o
言︒ロ
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ョヴ
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心二人・臣凶者のな弘HHJ1m
田口
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曲およびボムベルゲンの義兄弟でベニ
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問︒
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α 0 . ω
♀江の四人である︒異教室司の印刷に関し
τ
告訴されたということは新教徒としτ
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︑︑
︑
彼ら生産者達が常に支配者(たとえば旧教による宗教政策ぞとったスペインのフイリップ二世)の隠拐を受けていた
ことを物語るのである︒ロ
i
マ教会に反抗したルタの純粋な宗教運動の発端(一五一七年)以来十七世紀に至る約1 .
一世紀の間は所謂﹁宗教戦争﹂の時代として当時のヨーロッパを眺め一られるのであるが︑生産者としてのプランタン
も叉その嵐から逃れ得ることなく︑否むしろ︑当時の宗教的支配・統制は中南的主産者層に対するちのであった点必
︑︑
︑
然的に︑闘争の調中におかれたのであると考えられる︒こうした歴史的背景に
τ
らしての吾々の判断は︑第四節に詳しく述べるが︑プランタン印刷業の資本範轄を規定するうえに重要なキメ手の一つとなるものでゐる︒
このパートナーシップは四ヶ年の間存続したのであるが一五六七年に至り解散を余儀なくされた︑というのはパl
トナ
lの一人にして出資・機能資本家たる切︒
E r o H
ぬ
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披は叉後に一ホす如︿会計の責任者でもゐつに)が異教徒とじての嫌疑を受けネ!日アルランドそ去ったからであるο而してプランタンほ以後パートナーシップを再結成すること
なく︑個人企業として存続したが︑スペインのフイリップ二世から非常に困難でかつ費用のかかる
﹁数
一ヶ
国語
の聖
書
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( 句
︒ ]
己 刷
︒ ︼
冊 ∞
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の出版を委嘱され(この聖書が前述の如︑さ宗教政策の一一塚とし
τ
利用主れたと推定会れうること
は決
定的
であ
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そして後年の彼は養子のいず山口密︒
2 2
吉正
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山富
足︒
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帥から事業経営上の相当の助
カ長得ていたという︒一五八九年のプランタンQ死後︑印刷所は養子の手に移り一八七六年立で(すなわち工楽会計
制度の確立期と目きれる独占の時代まで)富︒
22
印家において永続したのであるcかくの如く十九世紀末に至るまで﹁永続﹂したということは︑この一事業が決して泡諒的な偶然的なものでなかったということを示すものであり︑ぞ
れは
特に
記憶
すべ
き事
実で
あ九
一う
︒
プランタンの資本についての範曙的吟味を行う資料缶得べく︑更にその経営形態・規模および出版物内容について
円プランタンは出版e印刷・販売業者であった︒殺は自分の編纂した書籍を白から心計算
において印刷し︑出版物を卸又は小売で販売した(かくてこの種の一事業における一貫した全工程を経営職能のうちに
内包
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公知
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筆者
註)
︒絞
は二
十五
日小
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lロシ川におじれ折草的問劇芸者でわった︒叉ラテン語・
ヱド
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の説
明を
回附
こう
︒
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る前
穿期
につ
いて
二九
三
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る萌
芽期
につ
いて
二九 四 ギリシャ語・へブライ語およびその他の古語に精通した校正係のスタフや植字工・印刷工・活字の錯し込み係・見習 工のスタフそ正規に雇傭していたのであり︑プランタンの印刷所はその繁栄の頂上に在った時期には一
O O
人以上の蛍働者が一雇一われ︑しかも二十二撞もの出版物でにぎわっていたのである﹂(前掲論文集・五十六頁U︒かくてプランタン
の経営形態は︑一
OO
人以上の熟練した賃銀労働者が雇われてをり彼等は同一職場においτ
多くの工程一に分れに部分マニュファクチュアそのものであり︑ぞれも規模においては﹁巨大マニュファ
野働者として働いたという乙とから︑
クチコア﹂φ
範曜のものと見慨されるのである︒又プランタンは古典・宗教書・小説の他に商業に関するハンドグァ
︑︑︑︑︑︑︑︑
ク の 類 乞 れ ら の 中 に は 宗 門 誌 号 苦 言 語 の 簿 記 に 関 す る 論
文
1
i
一五六七年!ーがある)
ハ 註 3)
ぞ出版して
いる
Q
との事実からマニュブァクテュアとしてのプランタン印刷業と当時のオランダにおい
τ
支配的に存在した毛織物工業とは産業上の社会的と有機的間関係そもっていたことぞ見出すものである︒
花見よμ
ヲ ︒ 次にプランタンの会計帳簿はいかなるものであったか叉いかなる手続によってそめ記録がなされていたかを具体的
︑ ︑ 乙乙に検討せんとする帳簿はパートナーシップの時期におけるもので︑その定款
( F o m 立 仙 台
HO
印え凶器a
︒ ︒
E
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プランタンの印刷所は現在なお印刷物関係の博物館とし
‑
τ
アントワ!プに在るが︑ン会計の帳簿類とともに︑この定款が残っているという
νによると資本金(註4﹀は六ヶの持分(島
2
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そこにはプランタ
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吉 田
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円 ︒ 叩( 2 0 g u v ‑ u
︒ロロ号)である︒・しかしてこの六ヶの∞
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のうち半分富島問耳目﹀はわ・
とによって占められ︑残りのゴマゲば夫々他の三名のパートナーの出資によるさの
であ
った
︒ 利益の配当はかかる出資関係に応じてなされたことはいうまでもない︒
さて
︑
エド
ラ
l
は同
漏出
円言
︒
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v e
という言葉を使っているが︑プランタンの場合も出資・機能資本家の結合関係を特質とする所謂﹁パートナーシップ
L
とし
τ
理解されるのであり︑かかる結合形態は(前にも一寸ふれた如く﹀十六・七世紀における前期的資本の集中形態としてヨーロッパφ主要各地︑特
ι
世界商業のメジカたりし︑ア︑Jトワ
lプ︑において広︿普及していたものでゐ
る︒ふうした結合形態の毘史的性格について理解し
τ
おくことは︑プランタンの個別資本が当時の社会経済構成休のうちにあって如何なる地位ないし存在意義を占めていたかということを推定するに役立つであろう︒
︑︑
︑︑
︑
損益計算上の帳簿責任者としてはめ・
4m ロ
∞︒
品 B r
r g
が主としてこれに当り彼との有機的関係(後述)におい
てプランタンが原価算定のための記帳モ行ったのであるが︑プランタンが簿記実務につい
τ
余り精通していなかったことからパートナーシップの合計はしばしば誤謬と混乱に陥ったとエドラlは指摘している︒なるほど︑
エド
ラ
Iの
前掲論文の終立に一不吉れ
τ
いる帳簿令見てもその記載手続上不審の点が見受けられる︒このことはさておき︑プランタンの掌握していた製造原価閣係の帳簿について以下概観しよう︒
彼の把握する帳簿は基本的に次の三種に分けられる︒
仕訳
帳(
︺︒
ロ
E
ω H b g M
広州出町町田)これは備品・売上・諸収支(内部取引ぞ含む)の如︑き彼が担当する取引の一切を記入する帳簿でゐる︒ 付
一 元 帳
( m S H H
仏E42aめ由 民営 由民
wm)これは前記取引ιを分類集計するものである︒
その
他の
帳簿
︒
乙れは次に説明する諸補助簿から成っている︒
細 (1)
帳 で あ る
賃金
帳(
回目
︿
Ba
om
oC
4H
HO
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これは植字工・印刷工・校正係・技芸工・研究者たちに対する賃銀支払の明
(2)
得意
先元
帳(
日山
点︒
円凶
作一
回目
げ富
山吋
宮)
これ
は小
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届別
に設
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τ
いる
︒
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
る蔚
芽期
につ
いて
二九 五
工業
会汁
制度
発展
史に
おけ
る蔵
穿溺
につ
いて
二九 六
(3)
小売
の売
上帳
(回
目
4
0
告田
4 8
田
2 己 UHmg
5 5 )
プランタン印刷所では白から書籍販売庖をも経営レて
いるが︑そこでの現金売に関する記録がこの帳簿である︒
体)
回 ︒ 51 DM W]
えの
・
2
同互目白・組合結成の際プランタシは固定設備会提供しているがその現物出資分の明細である︒(5)
F M i o
号目
白色
豊田
仲]
色‑
‑今
日わ
れわ
れが
備品
元帳
と呼
ぶも
のに
相当
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︒
言︒
向︒
円一
己位
︒一
加古
22
ロ・ヱドラ
i
の説明によるこれは製本尾との関係帳簿であるということ以外は知り得︑︑
︑
ない︒プランタン印別業は製本工程のみ号外部の業者(それは多くの手工業者一であり彼らはプランタンから印刷
︑︑
︑︑
された紙の前貸を受げていたと推定される)に委ねていたわけであるが︑
ζ ζ
でプランタン印刷業には問屋制的
︑ ︑
︐
i要素のあったζとをもうかがえるのである︒
(6)
ぎて︑併に挙げたつ元日限
ι
には次のような諸勘定が含まれている︒以下順次乙れを説明しよう︒川明
S S R ‑ N
山O
ぬ の 一 宮
ω g
℃
ω
・とれば騰写機・活字?什器を記帳する勘定で)エドラーはとれを今日いう設備g
勘定であるとしている︒
制
エド
ラ
lは近代的な材料勘定と基本的に異
らないものとしてとれを考えている(前掲論文集・五十九頁﹀︑が︑ζの勘定は材料の程類別に設定された口座であ
紙勘
定︒
ζれは材料たる祇吾その種類別に整理する勘定である︒
り︑今日の材料一芯帳(補助元帳)と見るべきである︒ζのととについては後に述べる︒
(c)
製造費勘定す句︒話会百貨の∞ロN目︒)この勘定は賃銀およびその他の諸経費を併せて記入するもので一める
が︑とれについては間接費の計算に関し問題がゐるので第四節で更にふれよう︒
(d)
仕掛品(製造)勘定uとれは︑例えば
Ei
ph
m
ニ宮民
UV E町 向 ︒
E2Z
HA
凶03などの如く︑種類別の仕掛品
勘定である︒したがって特定製品の製造が工程作業に入つに時との勘定の借方に使用材料(紙
γ
賃銀・その他の発生費用が記入され︑同時に紙勘定および製潰費勘定の貸記されることはいうまでもない︒
在庫
書籍
(製
ロ叩
)勘
定(
日守
2 5
B O E O
︒書籍の製造が完了したときに︑前記仕掛品勘定は貸記され︑乙
)
(e)
の勘定が借記3
れる
︒
これまた仕掛品の場合と同様に製品種類別に設定され
τ
いる︒而してこうした点にガl
ナーが個別原価計算制度の要素を見出す(本稿・第二節・註日﹀理由がゐるようである︒以上各勘定の記入はけに挙
げた仕訳帳を通じ
τ
行われる乙とは勿論でゐる︒さて︑前記は製造に闘する諸帳簿とその記入手続の概要であるが︑エドラ
i
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片山 田問 委ゆ 吋町 民} 件︒ 丘町
3 1
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FO司ロ吉伸師 一 江 o o p g n o E C 3 1
・ 3
ハ前
掲論
文集
六十
頁
V
とい
い︑
以下記帳例を用いてとの手続そ更に詳細に反獲説明している︒筆者はここにその全部ぞ示す必要を認めないが︑次の ことのみ知っておこう︒すなわち︑材料勘定としての紙勘定と製品勘定と巳ば数量の記入欄があり︑常時その棚卸を 可能なちしめた点一種の﹁継続記録法﹂がすでに採られ
τ
い た と い う こ と で あ る
︒ 令 / 以上の説明からも明らかな如く︑プランタンの把握した会計帳簿は補助簿的性稀のもの
1
1
ぞれもすぐれて完備した形式のもの
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でゐり(だから︑吾々はエドラ!の一言葉に従い︑前にぬ門 出口 内同 日一
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﹁元
帳﹂としたが︑ぞれは総勘定元帳ではなく折助元帳であることを知るのである)伎の記録は更巳経蛍全体としての帳
簿に責任そもつボムベルゲンに提供され︑そζ
でボムベルゲンの掌握する総勘定元帳に記入されるのであり︑かくて プランタンとボムベルゲンとの閥に記帳上り﹁有機的関係﹂ら見出す
ζとができる︒ところがエドラーは︑筆者のい
工業
会計
制度
発展
史に
おけ
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につ
いて
二九 七
工業会計制度発展史における魂茅期について う﹁有機的関係﹂(換言すれば商業勘定と製造勘定との結合関係であるが︑乙の乙とについては第四節で再びふれる)
二九 八
帳簿について大凡の説明をなしてきにわけである︒ につい
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具体的には述べていない︒さて吾々は︑次節以下において問崩となる箇所に重点をおきつつ︑プランタンの 公 社
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は若干の史的研究を公にしているが︑特化次の著においてプランタンの会計帳簿の特質
に注意を払っている︒
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2)中国にその濫臨を見る活字印刷術がヨーロッパに導入され︑十五世紀末
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はこの大陸に二二Oケ所の印刷所が建設されハト五世相肥後半の活版本はインキユナプラ
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回忌三回すなわち︑揺盛期本といわれる可更に十六世紀に入るや出版印刷術はその類
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質ともに飛躍的な発展を遂げ︑中でもアントワlプのブラシタンは特に有名であったといわれている︒次のニ文献も又そのととにふれている︒
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オスワルド﹁西洋印刷文化史﹂玉減肇訳・昭和九年Q
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﹁世界・歴史事典﹂第二巻・平凡社・昭和三十六年︒
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SUとの論文については田中藤一郎氏は︑名著といわれるU白当
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忌ミ・によって︑次の如
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ロロ聞は宮山口一昆民同と同じく外閏人にして主なる簿記書を利関に発行じ︑和蘭の著者は彼の
著書を使用したのである︑役以仏国人にして出身は多↓分︑伊太利でふろ
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︒商人にして算術を教え︑若き時代より数学が得意であったようである︒彼は英国︑フランデル等の大なる町に赴き商業を深︿研究せしという︒簿記書として価値あるは﹁複式
簿記書云々﹂︹﹂
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じである﹄(問中藤一郎氏稿・和問簿記学史概観︒雑誌会計@片甲山十港第五号)コハ 註
4﹀一五六五年四足二十六日に作成きれた同印刷所の﹁惜割高試算表﹂によると資本金は一︑七七九ポンド一九シリング一一
ペンスである︒(前掲論文集・六十四頁)︒