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第 5 章 接空間

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Academic year: 2021

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(1)

多様体を学ぶ上で,接空間というのは鬼門のような気がする.(少なくとも初めて習った ときはそう感じた.)まず,名前が良く無い.接線や接平面の拡張として接空間があるのだ,

と考えると,理解を妨げることになるだろう.そのような意味での「接空間」は,R3 の中 に球面が置かれているときのように,多様体がより高次元のユークリッド空間の部分集合と して与えられる場合にしか存在しないからである.ときどき「接ベクトル空間」という言い 回しを見つけるが,こちらのほうがはるかに良い.1

多様体の教科書では,方向微分の空間として接空間を定式化するのが普通である.しかし この方法はものすごく不自然で(最初は誰でもそう思うのだが,いつのまにか慣れてしま う),導入方法としては良いとは思えない.このノートでは,もっと自然な導入方法を試み る.2

5.1

速度ベクトル

多様体内で速度ベクトルを考えよう.3なぜそのようなベクトルが必要なのか,理由を少 し述べてみたいと思う.

理由その1. たとえば多様体内を,何か質量をもった物体が運動しているかもしれない.そ の物体はどの方向に,どのくらいの勢いをもって動いているのか?これらの勢いを比較する ことはできるのか?一定時間における移動距離を測ることはできるか?

一番簡単な例は,宇宙空間における天体の運動であろう.たとえば相対性理論では,絶対 的な座標系を取ることができない空間の中で,物体の運動を定量的に扱う必要がある.その とき,速度ベクトルとは何なのか,説明できないと困るであろう.

理由その2. 多様体内は,何か気体や液体のようなもので満たされていて,それが時間と ともに流れを成しているかもしれない.このとき,ある点における流れの方向やその勢いを 気にするのは当然であろう.

たとえば,地球表面における風の流れや,海流.これらはベクトル場の概念と密接に関連 している.

速度ベクトルの定義(ユークリッド空間). まずはユークリッド空間 Rn における速度ベ クトルの定義を(ベクトル解析風に)思い出しておこう.標語的にいうと,「速度ベクトル」

とは「C1級曲線の速度ベクトル(になりうるベクトル)」のことである.まずは Rn 内の

C1級曲線」を定義しておこう:

1もっと即物的に,「速度ベクトル(の)空間」と呼んだほうがよいかもしれない.

2ある日,偶然手に取ったLangの教科書でも全く同じ定義をしていたので安心した.すなわち,私だけが勝 手にやっているわけではない.

3ここでは宇宙空間的な発想で物事を考えるため,「多様体上の速度ベクトル」とは言わず,「多様体内の速度ベ クトル」と言う.「多様体上の」というと,どうしても曲面が頭に思い浮かんでしまい,ちょっと都合が悪いのだ.

1

(2)

C1級曲線の定義(ユークリッド空間版)

区間 [a, b]R から Rn への連続写像を曲線(curve)とよぶ.

曲線 x: [a, b]Rn C1級であるとは,x(t) = (xi(t))1in Rn の座標値で表し たとき,各座標値t7→xi(t) t C1級関数であることをいう.

つぎにC1 曲線のある点における「速度ベクトル」を次のように定義する:

x: [a, b]Rn, t7→x(t) C1級曲線を定めるとき,この曲線のx(t0) (a < t0< b) にお ける速度ベクトルを

v = dx

dt(t0) := lim

tt0

x(t)x(t0) t−t0 と定義する.

言い換えると,∆t→0のとき,

x(t0+∆t) = x(t0) +v∆t+o(∆t)

と書けるようなv Rn x(t0) における速度ベクトルと呼ぶのである(図5.1).

4

5.1: vの意味.∆t 0 に近づけていくと,左の拡大された円内のように,差分x(t0+

∆t)−x(t0) v∆tの区別がつかなくなってくる.

つぎにユークリッド空間のある点における「速度ベクトル」を次のように定義する:

定義(速度ベクトル空間).ユークリッド空間 Rn の点pを固定する.点 p を通過する全 ての C1級曲線を考え,それから得られる pにおける速度ベクトルの全体を

TpRn

と表し,便宜的に「Rn pにおける速度ベクトル空間(velocity vector space)」とよぶこと にする.また,TpRn の元を「Rn の点pにおける速度ベクトル(velocity vector)」とよぶ.

4このo(∆t)はベクトルe(∆t) :=x(t0+∆t)(x(t0) +v(t0)∆t)のことであるが,とくにe(∆t)/|∆t| →

0 (∆t0)を満たすことを表現するための記号であった.

(3)

この集合は実質的にRn と同じである.実際,C1級曲線の速度ベクトルはいつもRn 元であるし,任意のvRn にたいしx(t) =p+tv (tR) とおけばp を時刻 t= 0に速 v で通過するC1級曲線(直線)になっている.(ただし,v=0 の場合は定数写像.)そ れでもこの集合をわざわざ TpRn と書くのは,p という点を通る曲線から得られたという 由来をはっきりさせるためである.5

一般の開集合における速度ベクトル空間.開集合URnと点 pUが与えられていると き,U pにおける速度ベクトル空間」を

TpU := TpRn

として定義する.これもRnと同じ集合だが,考えている点と開集合のペアを強調したいと きにこのような書き方をすると約束する.

5.2

多様体内の速度ベクトル

では多様体M = (M,A)の世界に戻ろう.といっても,多様体自体ははどこか遠くにあっ て,我々が扱えるのは地図帳Aに書き写された(映し出された)情報だけなのであった.

記号. いまいちど,地図帳にかんする記号を確認しておこう.最初に与えた多様体の定義 では地図帳Aの「ページ番号」 として,添え字λ, µ∈Λ を使ったが,これを廃止して,そ のかわり,局所座標そのものを添え字のように考え,

A = :UϕRn}

と表現することにする.すなわちϕλ, ϕµ∈ Aの代わりに,単にϕ, ψ∈ Aなどを用いる.

また,ϕ:UϕRn による像ϕ(Uϕ)Rn Uϕで表す.この ϕ:Uϕ→ϕ(Uϕ) =Uϕ 同相写像である.

多様体内で移動する物体の速度をいかに表現するか? この多様体内をある物体が運動して いて,時刻t∈Rにおける多様体内での位置が x=x(t) と表されるとする.また,時刻 t0 を適当に固定し,p=x(t0)とおく.このとき,時刻 t0 における物体の「速度(ベクトル)」

を考えたいのである.

たとえばユークリッド空間で速度ベクトルを定義したときのように,

tlimt0

x(t)−x(t0) t−t0

という量を考えたらどうだろう?残念ながら,この式は一般に意味をもたない.なぜなら,

右辺の分子 x(t)−x(t0) は多様体 M 内の点の「引き算」だが,M に備わっているのは抽 象的な位相空間としての性質と地図帳だけで,そのような代数的な演算ができるかどうかは 一切仮定しなかったからである.6なにかひと工夫必要なようだ.

地図帳で物体の速度を観測する.いま東京上空を「東に時速500km」で飛行機が通過した としよう.世界地図帳を手に取ると,東京が含まれるページが少なくともひとつ,一般には

5ここで定義した「速度ベクトル」「速度ベクトル空間」は,あとで定義する多様体の意味での「接ベクトル」

「接空間」とみなすことができる.この記号はそれを先取りしたものである.

6ユークリッド空間Rn はベクトル空間なので,そのような引き算がたまたま意味をもったのである.

(4)

複数見つかるだろう.それぞれのページには,この飛行機の航路を記録することができる.

また,その速度も平面ベクトルとしてページ内に矢印で表現できるだろう.地図帳の各ペー ジは異なる図法と縮尺で地表を投影しているので,矢印の向きや大きさはページごとで異な るのが普通である.しかし,異なると言っても,同一の飛行機の同一の運動を記述している のだから,全く無関係というわけではない.その関係を明らかにするのが,この節の目的で ある.

この飛行機の例を念頭におきつつ,同じことを多様体で数学的に表現してみよう.

C1級曲線の定義(多様体版).以下,M C1級多様体と仮定する.まずは飛行機の移動 経路に対応するものとして,多様体の中のC1級曲線を次のように定義する:

定義(多様体内のC1級曲線).

区間 [a, b]R上で定義された連続写像 x: [a, b]→M を曲線(curve)とよぶ.

曲線x: [a, b]→M C1級であるとは,M の任意の局所座標ϕ:UϕUϕにたいし,

x(t0) ∈Uϕ (t0 (a, b))であれば t0 に十分近いt に関してt7→ϕ◦x(t) UϕRn 内のC1級曲線になっていることをいう.

局所座標の各ページは多様体の一部分しか表現しないので,曲線も部分部分しか表現でき ない.そのため,上のようなまどろっこしい定義になってしまうのである.

ただしあとで確認するように,次の事実が成り立つことに注意しておこう:

C1級多様体 M の曲線の一部を地図帳のあるページで表現したときにC1級曲 線になっていれば,その部分を含む他のページでもC1級曲線になっている.

すなわち曲線がC1級曲線かどうかを調べるとき,全てのページでの像を確認する必要はな いのである.

速度ベクトルの表現. p M を固定する.時刻 t = 0 p を通過する C1級曲線x : [1,1]→M, t7→x(t) を考えよう.これはちょうど,東京上空を通過する飛行機の経路に 対応する.

次に地図帳Aを開いて,点 p=x(0)が記録されているページϕ∈ Aをさがそう.7すな わち局所座標ϕ:UϕUϕ であり,p∈Uϕとなるものである.点 p の像をp=ϕ(p)∈Uϕ

と表そう.このとき,地図帳の ϕページ目のUϕ (これは Rn の開集合)の中にはC1 曲線x(t) の時刻 t= 0前後の様子がx(t) :=ϕ(x(t)) (t≈0)として記録されているはずで ある.

以下,もう少しだけ話を明確にするために,ϵ を十分小さい正の数として固定し,t= 0 を含む時刻の区間I= [−ϵ, ϵ]についてx(I)⊂Uϕ であると仮定しよう.地図帳のϕページ 目を見れば,「飛行経路」がx(I)Uϕという形で記録されているわけである.

このとき,C1級曲線x:IUϕの時刻 0 における速度ベクトル v = dx

dt(0) = lim

t0

x(∆t)x(0)

∆t

が計算できる.これはp Uϕ Rn における速度ベクトル空間 TpUϕ =Rn の元であり,

もとの多様体内での「飛行経路」を,地図帳のあるページに記録した上で,そのページの座 標系に関して速度を「矢印」として表現したものと考えられる.

7地図帳の定義(M2)(a)から,そのようなページϕ∈ Aが少なくともひとつ存在する.

(5)

局所座標への依存性. 地図には縮尺や図法の違いがあるので,おなじ「東京上空を飛ぶ飛 行機」であっても,航路の記録され方がページごとに異なってしまうのであった.

いま,ϕとは別のψ∈ Aが存在して,p∈Uψ であったと仮定しよう.このとき,必要に 応じてϵ >0 を小さいものに置き換えれば,x(I)⊂Uϕ∩Uψ としてよい.また,「飛行経路」

x(t) (t∈I)ψ で観測して,Uψ 内ではy(t) :=ψ(x(t)),q=ψ(p) =y(0)と表されるとし よう.このとき,v と同様にして速度ベクトル

u = dy

dt(0) = lim

t0

y(∆t)y(0)

∆t

が計算できて,こちらはqUψ Rnにおける速度ベクトル空間 TqUψ =Rn の元である.

さて,ふたつの速度ベクトル vTpUϕuTqUψ の関係を明らかにしたい.いま,p の近傍ϕ(Uϕ∩Uψ) において同相写像

Φ = Φϕψ =ψ◦ϕ1 :ϕ(Uϕ∩Uψ)→ψ(Uϕ∩Uψ)

が定まっている.地図帳のϕページ目とψページ目の「重なり合う部分」の関係(対応)は,

この写像のみで表現されている.とくに多様体 M C1級であったから,この写像 Φ C1級同相写像であり,点 pUϕ における微分 DΦ(p)n次正方行列として計算できる.

(その n2個の成分は,p, ϕ, ψ のみに依存して定まる具体的な数値である.)速度ベクトル v, u の関係は,この微分(行列)を用いて次のように記述できる:

命題(速度ベクトルの変換式).ϕページの速度ベクトル v ψページの速度ベクトル u にたいし,

u = DΦ(p)v が成り立つ.

ただし,上の等式においてv およびu は縦ベクトル(n1列の行列)とみなしている.

C1級曲線x(t) は地図帳の複数のページに表現されるが,それぞれのページにおける「速 度ベクトルの表現」は上のような関係式で互いにリンクしあっているのである.再度,微分 DΦ(p) の部分はϕ, ψ, p のみで決定される「具体的な数値を成分とする」行列であり,C1 級曲線 x(t) に依存しないことに注意しておこう.この変換公式は多様体 (M,A) に備わっ ている性質だといえる.

命題の証明. 同相写像 Φ :ϕ(Uϕ∩Uψ)→ψ(Uϕ∩Uψ), y= Φ(x) を成分で

y =

 y1

... yn

 =



y1(x1,· · · , xn) ... yn(x1,· · · , xn)

 = Φ(x)

と表したとき,各yj x1, . . . , xn に関するC1級関数である(多様体 M C1級!).さ らに,Φxpのとき

Φ(x)Φ(p) = J(xp) +o(xp) (5.1) という形の近似表現をもつ.ここで,J =DΦ(p) = (∂yi/∂xj)ij は微分(ヤコビ行列)であ り,J(xp) n次正方行列とn次元縦ベクトルとの積とみなしている.

(6)

さてC1級曲線 x(t) t= 0 における地図帳での表現を考えよう.ϕページ目における x(t) v の定義から,1次近似式

x(0 +∆t) =x(0) +v∆t+o(∆t) (∆t0)

Uϕ Rn 内の p = x(0) 付近で成立している.同様に ψ ページ目においても,1次近 似式

y(0 +∆t) =y(0) +u∆t+o(∆t) (∆t0)

Uψ Rn 内の q=y(0) 付近で成立している.このu v で表現するのが目標である.

まず t∈I のとき,

y(t) = Φx(t) が成立していることに注意する.8

ここで (5.1)式に x=x(∆t)p=x(0)を代入すれば,xp=v∆t+o(∆t) より Φ(x(∆t))Φ(x(0)) = J(v∆t+o(∆t)) +o(v∆t+o(∆t)).

さらにv∆t+o(∆t) =O(∆t) であるから,上の式は結局 y(∆t)y(0) = J v∆t+o(∆t) を意味する.y(∆t)y(0) =u∆t+o(∆t)であったから,

u = J v

が成立する.以上で変換公式が証明された.

「東京上空を飛ぶ飛行機の速度」は,地図帳ではページごとで異なる速度ベクトルとして 表現される.これらは地図帳に備わっている座標変換(の微分)によって互いに関連しあっ ていて,一斉にある飛行機の「速度」を表現しているのである.われわれが地図帳しか見な くても飛行機の「速度」というものにある種のリアリティーを感じることができるのは,こ のような関連性が無意識のうちに処理されて,「同一の何かを表現している」と認識してい るからである.この「同一の何か」を取り出す過程が,「多様体の接ベクトル」を定義する際 に必要となる.

練習.もし,M C0 級かつC1級でなければ,以上の議論でどこが問題になるか考えよ.

5.3

同値類

数学では「同一視する」という言葉がよく用いられる.「同一視する」ときには,何を同じ とみなすかを明確に宣言するのが作法である.

少し一般的に,「同じ」とはなにか,考えてみよう:

2枚の鏡を用意する.片方の鏡に映った自分と,もう一方の鏡に映った自分は「同じ」

であろうか?

8いま,t7→x(t) = (x1(t),· · ·, xn(t))の各成分はパラメーターtC1級関数であり,したがって,合成関 t7→Φx(t) =y(t)もまたtに関してC1級である.このことから,先ほど「事実」として述べたことが正 当化される.

(7)

いま,ここにいる「私」と,トイレにいるときの「私」は別人だろうか?いや,同じ

「私」だと答えるならば,その論拠はなにか?

「私の家のりんご」と「八百屋のりんご」がおなじ「りんご」であると理解できるの は,なぜか?

これらを器械(ロボット)に理解させるには,どうすればよいか?

「同じ」であると判断する行為は,異なる「あれ」と「これ」の性質の一部に着目して,共 通の「仮の名前」をつける行為である.「仮の名前」をつけることで,この「仮の名前」を もった「あれ」や「これ」たちの集合をひとくくりにして考えることができる.

2という数字は,ふたつのりんご,ふたつのみかん,ふたりの人,ふたつの指,ふたつの 木.ふたつの星,etc,これらすべてのもつ共通の性質として認識されている.

数学の世界では,これとあれを「同じとみなす」ことを「同一視する」とよんでいる.さ らに,何をどう同一視するかはあらかじめ明言される.たとえば,「私の家のこれ」も,「八 百屋のあれ」も,「木の上のあれ」も,「ニュートンのあれ」も,すべて同一視し,これを「り んご」と呼びます,と宣言するのである.このように宣言する行為を「同値類(equivalent class)を定める」と呼ぶ.

人類における「男性」と「女性」,「日本人」や「関西人」といった概念も,(一部の例外を 恐れず,おおらかに考ええれば)同値類として定式化できるであろう.卑近ではあるがこう いう例を頭に置いておくことで,新しい概念も既知のもののようにすんなりと受け入れられ るものである.

同値関係と同値類. 集合X を考えよう.いま,x, y∈X にたいし,x y を「同一視す ること」をx∼y と書こう.x y は,われわれの「同一視する」という意識(意思)を 通して,連結されたのである.

また,同一視せず,「区別する」場合はxy と書くことにする.

このとき,z∈X とすれば

x∼x

x∼y = y∼x

x∼y かつ y∼z = x∼z

でなければならない.これらの性質を満たす関係 x∼y (もしくは x y )が X 内のす べての元同士で宣言されているとき,X 内で同値関係(equivalent relation)を定める という.このとき,集合X 内の元は同値関係によって関連づけられ,ネットワーク化され る.とくに,x∼y となるy 全体を [x]⊂X で表し,これをx の同値類(equivalent class) と呼ぶ.さらに,同値類全体の集合を

X/∼ := {[x] : x∈X} と書き,X による商集合(quotient set)と呼ぶ.

例.まずはひとつ,大雑把な例を挙げよう.DNAを遺伝物質とする生物全体を考えて,生 xと生物y DNAの特定部位を比較し,同じならば同じ「種」とみなしx∼y とする.

これは生物の「種」をさだめる同値関係である.また,DNAの全体を比較し,同じならば

(8)

同じ「個体」とみなす.これは生物の「個体」を定める同値関係である.(もちろん,DNA の偶然の一致も考えられるだろう.モノを同一視するとき,そのような定義の不備も自動的 に組み込まれてしまう.

次に,もうすこし数学的な例をあげよう.単純だが,整数全体の集合Zについて,m∼n m−n 7の倍数であると定義しよう.たとえば

· · · ∼ −61815∼ · · · となる.このとき,同値類の言葉で書けば

· · · = [6] = [1] = [8] = [15] = · · · が成り立つ.

さて来週の月曜日を第1日と呼ぶことにしよう.この日から n 日後(n∈Z)を第n+ 1 日と呼ぶことにする.いま,第m日が月曜日ならば,m はかならず上の同値類に含まれて いるはずである.すなわち,上の同値類は「月曜日」の概念を定める同値類だといえる.こ の意味で,Z と「日付」の集合が対応し,商集合Z/∼と「曜日」の集合が対応する.

別の言い方をすれば,第−6日も第1日も第8日も,すべて一斉に「月曜日」という概念 の表現して(もしくはその一端を担って)いる.「月曜日は休みの店が多い」と言った時の,

この「月曜日」である.

5.4

多様体内の速度ベクトル(接ベクトル)の定義

すこし寄り道したようだが,非常に大事な用件をすませた.本題にもどろう.

C1級多様体M = (M,A) 内のある点pを固定する.p の像は地図帳の複数のページにみ られるであろう.(そのようなページは無限にあるかもしれない.)そのようなページ番号全 体の添え字集合をA(p)⊂ A とし,和集合

pM := ∪

ϕ∈A(p)

Tϕ(p)Uϕ

を考える.Tϕ(p)Uϕ ϕ(p) における開集合 Uϕの速度ベクトル空間であり,実体は Rn ある.すなわち,集合pM はベクトル空間Rn のコピーをA(p)に含まれるページの数だ け束ねたものである.

さてこれからpM 内のベクトルたちを,同値関係によって分類したい.pM のベクト v Tϕ(p)Uϕ uTψ(p)Uψ (ただしϕ, ψ ∈ A(p))が次を満たすとき,v u と表す ことにする:

p=ϕ(p)∈Uϕ の近傍で定義された座標変換Φ =ψ◦ϕ1 に関して,

u = DΦ(p)v

が成り立つ.ただし,DΦ(p) pにおける Φの微分(行列)とする.

このように定義したv u は集合pM 内に同値関係を定めることがわかる(各自確認せ よ).このようなv u を「同値なベクトル」とよぼう.

(9)

5.2: 多様体内の速度ベクトルの定義

さてこの商集合pM/∼を(習慣的に)多様体M pにおける接ベクトル空間(tangent vector sppace)もしくは簡単に接空間(tangent space)とよび,記号 TpM で表す.また,

TpM の元を p における速度ベクトル(velocity)もしくは接ベクトル(tangent vector) よぶ.

前々節での考察をおもいだしながら,この商集合の意味を考えてみよう.多様体内を運 動するある物体が,ある瞬間 p を通った.このような物体の「勢いと方向」そのものは数 値化こそできないが,A(p) に含まれるページたちの上で一斉に矢印(速度ベクトル)とし て表現されている.それらは互いに座標変換の微分によって関係づけられているので,上 の同値関係により「同一視」される.すなわち,同値であるとみなされたv Tϕ(p)Uϕ u Tψ(p)Uψ は,この物体の勢いと方向を別々のページで数値的に表現したものだと解釈 できる.

すなわち多様体の接ベクトルv∈TpM とは同値類v= [v] = [u]TpM であって,

『あるページでは v Tϕ(p)Uϕ と表され,別のあるページは u Tψ(p)Uψ 表され…とページごとに異なる速度ベクトルで表現されるようなもの.ただし,

u = DΦ(p)v が成り立つ』

ということになる.

ベクトル空間としての接空間.さて次に,TpM の元が「ベクトル」と呼ばれるに値するも のであることを確認しよう.

(10)

命題TpM Rn と同型なベクトル空間である.

これを確認するためには,以下を納得すればよい:

(a) TpM のベクトルに,和とスカラー倍の演算が定義できること.

(b) これらの演算のもと,TpM がベクトル空間の公理を満たすこと.

(c) TpM がある ϕ∈ A(p) にたいし,Tϕ(p)Uϕ=Rn と同型であること ここでは(a)(c)のみ確認しておこう.

まず,u, v∈TpMα∈R とする.このとき,任意のϕ∈ A(p) において,u = [uϕ] よびv= [vϕ]を満たす速度ベクトルuϕ, vϕTpUϕ が一意的に定まる.ただし p=ϕ(p) である.いま,TpM における和とスカラー倍を

u+v := [uϕ+vϕ], αv := [αvϕ]

で定義しよう.このままでは一見 ϕ の選びかたに依存するように見えるので,そうでない ことをチェックしなければならない.

いま,uϕ,vϕTϕ(p)Uϕであり,Tϕ(p)UϕRnのコピー(すなわちベクトル空間)であ るから,

uϕ+vϕTϕ(p)Uϕ

である.一方,ある別のψ∈ A(p) についても,同値類の表現u= [uψ]およびv= [vψ] とれば

uψ+vψ Tψ(p)Uψ

が成立している.いま,微分DΦ(p)は正則行列であり,写像v 7→DΦ(p)vTϕ(p)Uϕ=Rn から Tψ(p)Uψ =Rn への同型写像を与えるから,

DΦ(uϕ+vϕ) = DΦ(uϕ) +DΦ(vϕ) = uψ+vψ がわかる.したがって同値類として

[uϕ+vϕ] = [uψ+vψ]TpM

が成立する.これは,上のu+vの定義に従えば,添え字ϕ∈ A(p)の選び方によらずTpM 内で唯一の元が定まることを示している.スカラー倍も同様である.

次に TpM Tϕ(p)Uϕ と同型であることを示そう.それには,写像 ι: Tϕ(p)UϕTpM ι:v 7→[v]により定め,これが同型写像となることを示せばよい.しかし,これは定義 からほとんど明らかであろう.実際任意にv∈TpM を決めるとそのTϕ(p)Uϕにおける代表 v が一意的に定まるし,この対応で和とスカラー倍が保存されることも明らかであろう.

5.5

方向微分と微分作用素

この章の冒頭でも述べたが,一般的な多様体の教科書では接空間を「微分作用素のなす線 形空間」と定義する.この節では,いままでわれわれが採用した「速度ベクトル空間」とし ての定義とどのように対応するかを確認しておこう.

(11)

方向微分(ユークリッド空間).まず準備として,関数の「方向微分」という概念を思い出 しておこう.

pRn とそこでの接ベクトル v TpRn を固定する.いま,C1級関数 F :Rn R が与えられたとき,そのp におけるベクトルv に関する方向微分係数を

DvF(p) := lim

t0

F(p+v∆t)−F(p)

∆t によって定義する.言い換えれば,∆t→0のとき

F(p+v∆t) = F(p) +K∆t+o(∆t)

をみたすような量K R DvF(p)と定義するのである.また,関数 F にたいして方向 微分係数K =DvF(p) を対応させる写像を「pにおけるベクトルv に関する方向微分」と よぶ.

この定義をよく見ると,関数 F Rn 全体で定義されている必要はなくて,与えられた pの近傍でC1級として定義されていれば,方向微分係数を求めることができることがわ かる.この意味で,v に関する方向微分係数」とは,「与えられた関数のpにおける局所的 な性質を計測するもの」だということができる.9

この「方向微分係数」はあまりなじみのない概念かもしれないので,念のため具体例を与 えておこう.

具体例(方向微分係数). R2 上で関数 F = F(x, y) = x2 +y2 を考える.ここで動点 x=x(t)R2 が時刻t= 0p=

( 0 1

)

にあり,一定速度(秒速)v = (

1 1

)

で移動して いるとする.すなわち x(t) =p+vt=

( 0 1

) +t

( 1 1

)

= (

t 1 +t

)

と表される.

このとき,関数t7→F(x(t))の時刻t= 0 における瞬間的な変化の割合(1秒あたりの変 化量)K

K = lim

t0

F(x(0 +∆t))−F(x(0))

∆t で表される.この値を求めてみよう.具体的に計算すれば

F(x(0 +∆t))−F(x(0)) = F(p+v∆t)−F(p) = {

∆t2+ (1 +∆t)2}

{

02+ 12}

= 2∆t+O(∆t2) (∆t0)

となり,K = 2とわかる.これは,関数F の点pにおけるvに関する方向微分係数DvF(p) に他ならない.

具体例(ふつうの偏微分).ふつうの偏微分も,方向微分の特別な場合だと考えることがで きる.実際,ei Rn の標準基底のうち,第 i座標が1であとは0になっているものとす れば,

∂F

∂xi

(p) = lim

t0

F(p+ei∆t)−F(p)

∆t

と表現できる.右辺は方向微分係数DeiF(p) になっていることに注意しよう.すなわち第 i座標に関する偏微分とは,各 x=p においてベクトルei に関する方向微分係数を対応さ せることに他ならない.

9この計測によって関数を特定することはできないが,計測値が違えば関数を区別することはできる.

(12)

方向微分と勾配ベクトル.方向微分について重要な性質を与えておこう.与えられたC1 関数の方向微分係数は,その関数の勾配ベクトルだけで決定されてしまうのである.

命題(方向微分と勾配ベクトル).pRn を固定する.また,pの近傍 URn で定義 されたC1級関数F :URにたいし,その pにおける勾配ベクトルをa= gradF(p) おく.このとき,F v TpRn に関する方向微分係数は

DvF(p) =a·v

で与えられる.ただし,右辺はベクトルの標準内積である.

証明. F C1級であるから,全微分可能であった.とくに点pRn において,x p のとき

F(x)−F(p) = a·(xp) +o(∥xp)

と書ける.ただしa = gradF(p) である.また,下線部はベクトルの標準内積である.い ま,ある速度ベクトル vTpRn を固定して,x=p+v∆t (∆t0)と書き換えれば,

F(p+v∆t)−F(p) = a·(v∆t) +o(∥v∥∆t) = (a·v)∆t+o(∆t) と書ける.したがって,

DvF(p) = a·v R

である.すなわち,v に関する方向微分の値は,関数の勾配ベクトルだけで決定される.

多様体における方向微分.以上をふまえて,C1級多様体上のC1級関数について方向微分 係数を定義してみよう.

M = (M,A) C1級多様体とし,p∈Mv∈TpM を固定する.

定義(方向微分).p の近傍 U M 上で定義されたC1級関数 f : U R にたいし,

p におけるv に関する方向微分係数Dvf(p)」を次のように定める:ϕ∈ A(p) を適当に選 ぶと,v = [v] を満たす速度ベクトルv Tϕ(p)Uϕ が唯ひとつ定まる.さらに C1 級関数 Fϕ:=f◦ϕ1 ϕ(p) の十分小さな近傍(たとえばϕ(U)Uϕ )で定義できるので,

Dvf(p) := DvFϕ(ϕ(p))

とする.また,p の近傍で定義されたC1級関数 f に実数 Dvf(p) を対応させる写像を「p におけるv に関する方向微分とよぶ.

ようするに,次のように定義した:まず点 p をカバーしている地図帳のページϕ∈ A(p) をひとつ選び,速度ベクトル v,関数 f をそのページで表現する.こうして表現したもの については,ユークリッド空間上の関数としての方向微分係数が計算できるので,その値を もとの関数f の方向微分係数として採用するのである.

この定義では,DvF(p) の値は局所座標 ϕ の選び方に依存しているように見える.とこ ろが,ここではちょっとした「奇跡」がおきていて,そんなことはないのである:

(13)

命題(方向微分はwell-defined).上で定義したDvf(p) は局所座標ϕ∈ A(p) の選び方 に依存しない.すなわちp∈Uϕ∩Uψ のとき,速度ベクトルvTϕ(p)Uϕ,uTψ(p)Uψ, v= [v] = [u],となるように選ぶとき,

DvFϕ(ϕ(p)) = DuFψ(ψ(p)).

証明Φ =ψ◦ϕ1 とおく.また,ϕ(p) Uϕ におけるΦの微分(行列)DΦ(ϕ(p)) J おく.

a= gradFϕ(ϕ(p))b= gradFψ(ψ(p))とおくと,a=tJ b が成り立つのであった.また,

u=J v より,

DuFψ(ψ(p)) =b·u

= ((tJ)1a)·(J v)

=taJ1J v (←行列としての積)

=a·v =DvFϕ(ϕ(p)).

注意(奇跡?あたりまえ?). この命題はちょっとした「奇跡」と述べたが,考えように よっては「あたりまえ」でもある.なぜなら,点p∈M において速度ベクトル vをもつC1 級曲線x: [1,1]→M, x(0) =p を考えたとき,v に関する方向微分K =Dvf(p)R

f(x(0 +∆t))−f(x(0)) =K∆t+o(∆t) (∆t0)

を満たす実数K であり(左辺を局所座標を通して書き直すことですぐに確かめることがで きる),その値は左辺のf x のみに依存して,本来局所座標に依存せずに決定可能なも のだからである.

方向微分の性質. 方向微分の性質をいくつか調べよう.まず次の「方向」(速度ベクトル)

に関する線形性は簡単にわかる:

命題(方向微分の「方向」に関する線形性).f M 上の C1 級関数とする.α, β R, u, v∈TpM にたいし,線形性

Dαu+βvf(p) =αDuf(p) +βDvf(p) が成り立つ.

証明は局所座標 ϕ∈ A(p) に写すことでRnの方向微分の問題に帰着できる.あとは計算 だけなので,残りは練習問題としよう.

今度はv∈TpM を固定したときの性質である:

命題(方向微分の微分作用素としての性質).p∈Mv∈TpM を固定する.このとき,

pの近傍で定義された任意の C1級関数 f, g および任意の実数 α, β∈Rにたいし,

1. 線形性:Dv(αf+βg)(p) =αDvf(p) +βDvg(p).

(14)

2. ライプニッツ性:Dv(f g)(p) =Dvf(p)g(p) +f(p)Dvg(p).

ただし,(αf+βg)(x) :=αf(x) +βg(x)(f g)(x) :=f(x)g(x) と定義した.

証明. 適当な局所座標 ϕ ∈ A(p) に移して,ユークリッド空間の方向微分について証明 すれば十分である.1.は簡単なので練習問題としよう.2.は次のようにする:p = ϕ(p), F = f ◦ϕ1G = g◦ϕ1 とし,v = [v], v TpUϕ とする.また,方向微分係数を K=DvF(p) =Dvf(p),L=DvG(p) =Dvg(p)とおく.このとき,

F(p+v∆t)G(p+v∆t) = (F(p) +K∆t+o(∆t))(G(p) +L∆t+o(∆t))

=F(p)G(p) + (K G(p) +F(p)L)∆t+o(∆t) が成り立つ.よって

Dv(F G)(p) =K G(p) +F(p)L

が成り立つ.方向微分の定義より左辺は Dv(f g)(p) に他ならない.

微分作用素の空間.速度ベクトルv∈TpM が定める方向微分は,ある意味で 点pの近傍 で定義された関数を「計測」するものだといえる.そのような「関数計測器」として機能に 注目してみよう.

一旦,多様体 M Cr級であると仮定しよう.ここで 1≤r≤ ∞,もしくはr =ω(解 析的)である.さらにp∈M を固定し,少なくともp のある近傍で定義されたCr 級関数 の全体を(便宜的に)Cr(M)p と表すことにする.10 これが方向微分によって「計測され る」関数の全体である.

いま,Cr(M)p の元 f :U Rにたいし実数を対応づける写像 V :f 7→V(f) (D1) 線形性:V(αf+βg) =αV(f) +βV(g).

(D2) ライプニッツ性:V(f g) =V(f)g(p) +f(p)V(g).

を満たすとき,V p における微分作用素であるという.そのような微分作用素全体の集 合をDpM と表すことにする.

例えば速度ベクトル v∈TpM に関する方向微分f 7→Dvf(p) を写像の形で v:Cr(M)p R, v(f) :=Dvf(p)

と表現してみよう.11このとき,微分作用素としてv∈DpM であり,その意味で TpM DpM

といえる.

もう少し詳しく,次が成り立つ:

10すなわちfCr(M)pとは,あるpU=Uf をみたす開集合が存在して,f:URCr級関数であ ることをいう.

11速度ベクトルと写像に同一の記号を用いるのは記号の濫用ではあるが,「○○さん俳優かつ歌手」,ぐらいの ノリでおおらかに考えるのがよい.

図 5.2: 多様体内の速度ベクトルの定義

参照

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