平城宮第 71.72.73次 発 掘調査概報
附「平城宮跡出土植物遺体」
昭 和 46年 9月
奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所
第 衷 報 砦 詫
痛 来 鶴 営 胞
朱 客 点 路
rますい 先)
平 城宮第 71・ 72・ 73次 発掘調査概要
奈 良国 立 文 化 財 研 究 所平 城 宮 跡 発 掘 調 査 部 が特 別 史跡「 平 城 ミ跡 」に か い て 行 っ て い る発 狙 調 査 の 多ち
.昭
和46年
2月 以 降 に調 査 を開始 した 第71次
・72次
及 び 現 在 調 査 を続 行 して い る第73次
調 査 につ い て そ の概 要 を報 告 す る。各 次 別 の調 査 地 区 ・ 発 狙 面積 ・ 期 間 は 次 の とか ♭で あ る。
調 査 次 教 発 掘 地 区 面 積 2 発 掘 期 間
71次
KN B Q A D E D D A A 6
6
40.0 1971.2.16
〜 1971.4.72次
G P 一C 一 P Q B B A A 6
6 39。 2
1971.4.16ヘ
フ 1971.8.73次 6AAq̲B,D.F 43.0 1971.7.10〜
第 71次 調査 (馬 寮
)調 査 地 域は西 南 中門の東,第
25次
の調 査 地 に接 す る と ころで あ る。 この地域 は さ きの第63次
調 査 同 様「 馬 寮 」の一部 で あ り,西
面 中門 の 関 係 か らそ の南 の境 界 が推 測 され る と こ ろで あ る。検 出 した主 な遺 構 は 掘 立 柱 建物 ・相し・ 溝・井 戸 な どで ある。
調 査 地域 東部 の柚
SA5950は ,官
行 の東 を画 す る もの で,今
回13間
分 を検 出 す る と と もに,そ
の 南端 を確 認 す る こ とが で きた。 ま た この禍SA5950
の東 8翻 の と ころ を平 行 して
,南
北 に走 る鳥8D5960は
榊↓の 南 端 の ほほ 延 長線 上 で東 に折 れ る。 調 査 地域 西 北 に あ る南 北棟SB6100は
第50次
調 査 で,桁
行16間 ,梁
間 2間の建 物 で あ る こ とが判 明 して い た もの で ある が,今
回 の調査 に よって西allの住 列 の南 か ら3間分 だ け廂 が つ くこ とが判 明 した。 調 査地域 南 辺 のほ ほ 中央 部 で 一 部分 で あ るが バ ラス 敷面 を確 認 した。 これ は西 面 中P弓 よ り束 に通 じる道 路 敷 の 一 部分 と推 定 され る。
以 上 に あげ た遺 跡 の ほ か
,平
安時 代 に属 す る井 戸 4基,
調査 趣 姑 哄 では時 期 不 明 では あ るが 小 規 模 な各 種 掘立 柱 建 物 が 重 複 した状 態 で検 出 され た。 なた平城宮 以 前 の遺 構 と して 弥 生 時代 ・ 古塔 時 代 の穴 や 溝 が あ る。 出土 遺 物 は瓦 ・ 土 器 が 主 な もの で あ るが
,他
の 地域 に比 較 して量 は 少 ない。 瓦 で は藤 原 宮 式 が め だつ 。以 上 今 回 の第
71次
の発 掘調 査 に よっ て官 衛 の 南 の境 界 を 明 らか にす る こ と が で きた。 これ に よ って,こ れ な で に行 な った7回の 調査 を含 めて,一
つ の 官 行 の全 規 模 を 明確 に す る こ とが で きた。官 行ブロックは西面中門か ら西 面 北 門 に い た る南 北
280翻 ,東
西120η
の 広 さで あ る。 この範 囲 か ら掘立 柱 建 物 。相七・ 築 地 をは じめ多 数 の遺 構 を検 出 した。建物 群 は 数 回 に わ た る造 営 が認 め られ るが, これ らは す べ て築 地 と札 に囲 なれ た区画 内 に あ る。 しか も これ らの 建 物 群 は 主 に区 画 内 の北 部 に集 中 して か つ, 中央 部 は 広 い 空 間 とな って い る。 な た建 物rCは桁 行 が
14間
〜21間
とい 多宮 の他 の地 域 では 見 られ ない 非 常 に間 数 の 多 い もの が集 な って い る こ とは この地 域 の特 色 とい え る。 これ らの建 物 が 東 西 を84紀 (28丈 )を
へ だ て て南 北 に 走 る相tSA3680と SA5950,北
は築 地SA6475で
囲 ま れ て い る こ とは先 述 の とか りで あ る。 南 につ い て は西 面 中門 よ う通 じる道 路 の 一 部 と思 わ れ るバ ラ ス面 及 び東 のIRli(SA5950),西
の相I(SA3680)と
で は若干 の 出 入 つが あ るが 東 の榊1の南端 を境 界 と考 え る と南 北 は
254狗 (84丈
)にな る。
以 上 の よ うな官 衛 デ ロ ックにつ い て は
,す
で に1969年
度 年 報 に か い て報 告 し, これ を主馬 寮 と推 定 した。 その後,今回 衰での一 連 の調 査rCかけ る 出 土遺 物 の 整 理 の 段階 で,墨
書土 器 「 内 厩 」2点,「
主馬11点
を発 見 してい る。この発 見 に よっ て少 な くとも奈 良時 代 末 期 に主 馬穿 。内厩 密 な る官 司が置 か れ た こ とが い っそ う確 実 視 され るに至 った。 以 下
,主
馬 ・ 内 厩 両 芥 に つ い て若 千 述 べ る。 内 厩寮 は天 平 神 護 元 年(765)2月
,こ 近 衛 府 の設 置 と同時 に か かれ た官 司 で,任
官 記 事 か らみ る と近 衛 府 官 人 との兼 職 が多 い。 なた,主
馬 寮 は 設 置年 時 を詳 か に で き な いが,頭 ,助
の 任官 が 天 応 元 年(781)が
初 見 で あ る。一方
,令
制 の左 右馬 寮 は宝 亀10年 (779),左
馬 頭 正 月 (牟者&支)王
の任官 を最 後 に大 同3年
(808)ま
で 史料 に は見 え ない こ とか ら,左
右馬 寄 は 主馬警 に統 合 さ れ た もの とい え よ う。
この よ 多に奈良時 代末 に設 置 され た 内厩
,主
馬 両 寮 は大 同3年(808)に
廃 さ れ
,
も との左 右 馬寮 が 復活 す るの で あ る。 上 述 の とか り,主
馬,内
厩 と墨 書 され た土 器 の発 見 に まって,奈
良 時 代末 に は,両
寮 が この地 域 に存 在 した こ とが確 定 的 で ある し,発
見遺 構 の 重複 関 係 か ら奈 良 時代 を通 じて 同 規模 の官 司 が存 在 して い た こ とが判 明す る。 平 安宮 古図 に よれ は,か
か まそ の と ころ宮 城 西方 の位 置 に左 右 馬 黎 が あ つヵ発 姻 調査 に よる官衛 の位 置 もほほ これ と一致 し て い る。
第
72次
調 査第
72次
調査 は,昨
年 度 にか こな った第69次
発 掘 調査 を継続 し,
この地 区 の理解 をさ らに高 め る意 図の もとに実施 した。発姻区の設定は 2ケ 所 でか こな い,そ
の1は第69次
調査 で あ き らか に なった正殿 建物 の北後 方地域(6ABP
一 F・
G地
区),そ
の2は第69次
調査地 区 の南 前方地域(6ABQ― C地
区)で ある。
6ABP―
F・G地
区は 朱雀門 中〕b線
の北方延 長上 に あた り,佐
紀丘 陵末 端 の台地上 に位置 す る。6ABQ― C地
区は台 地 の南裾部 で,朱
雀門 中サb線
の東側 に あた る。発 掘 面積 は
6ABP地
区2170房 , 6ABQ地
区1750″
で ある。発 掘 した遺 構 につい ての記 述は
6ABP地
区 と6ABQ地
区 にわけ てか こな う。6ABP―
F・G地
区検 出 さ れ た 主 な遺 構 は 建 物 8棟
,塀
8条,溝 10条
な どで,か
よそA.B.
C。 三 つ の 時 期 に わ け る こ とが で き る。 そ れ らは 第
69次
調 査 の 時 期 区 分A.
B.C.と
一 致 す る。 た だ69次
調 査 で存 在 したD期
の 遺 構 は 今 回 検 出 され な か っ た。A
期B期
造 営 の際 に か な り大 規 模 な削平 .整地 が 行 わ れ た た め か,A期
に属 す る 遺 構 の残 存 状 態 は極 め て良 くな い。 確 実 にA期
と認 定 で きる遺 構 は,わ
ず か に 溝SD7165, 7167が
存 在 す るの み で あ る。SD7165は
発 掘 区 中央 北 よ つに位置 す る特 異 な溝 状遺 構 で あ り,三
ケ所 で溝 を北 に屈 曲 させ 凸 字 状 の張 つ出 し部 を つ くって い る。 張 り出 しの位置 は 中 軸 線 上 及 び 中軸 線 か ら東 西 に15解
の 地点 で あ るが,西
側 の張 つ出 しは一 部 を 検 出 した のみ で あ る。 東 張 り出 し部 では東 辺 が そ の な な南 へ 伸 び てい る ことを 確 認 した。この溝 は深 込5〜
20∽
程 度 の浅 い 溝 で,底
に高 低 差 が著 し く,水
を流 した 溝 とは 考 え に 〈い。 な た,南
辺 及 び 東 張 り出 し部 付 近 では溝 の壁 が殆 ど垂直 に 立 ち あが った状態 で残 存 して お り,か
そ ら 〈凝 灰 岩 等 の切 石 を抜 き とった痕 と 考 え られ る。 この こ とは, SDク 165の
三 ケ所 の張 つ出 しが癖物 の 北 面階 段 の痕 跡 で あ る可 能 性 を示 してか り, SD7165を
北 限 とす るか な り大 規 模 な 基 壇 建 物 の 存 在 を想 定 す る こ とが で きる。この他
,発
掘 区 の 南辺 近 くに東 西溝SD7167が
あ る。SD7167で
は 張 ♭出 しの存 在 を確 認 して い な いが,溝
の堀 ♭方,埋
上 の状 況 等,SD7165
と共 通 す る点 も多 い。 これ が
SD7165と
対 応 してA期
の 中心 的殿 舎 の 南 を 限 る もの に な る か ど 少か,た
だ ちに断 定 は で きない。この地域 で は
,第 69次
調 査 で,木
製 階 段SX6601,樽
積 み の段SX 6600,建
物SB6605等
の遺 構 が検 出 され て い た。SX6600は ,台
地 南 端 の 地 山 を削 う とって 設置 され た樽 積 み の段 落 で あ り,そ
の基 底 部 は, この一郭 を囲 む築 地 回 廊内 を南北 に3等分 した 線 上 にの っ てい る。 これ に よって画 され た北方 の台 上 には 前殿 風建 物 と してSB6605
(こ の建物 も柱 堀 つ方 が浅 く
,礎
石 建 物 に な る可 能 性 が あ る)を
配 して い る。さ らに今 回
,そ
の背 後 に正 殿 風基 壇 建物 の存 在 を想 定 す る こ とが で きた わけ で あ る。B
期敷 地 内 を
10尺
方 眼 地 割 と し,そ
の地割 に した が って極 め て規 則 的 に建物 を蠅置 した大 規 模 な造 営 の時 期 で あ る。 な た この時 期 に は
A期
の構 築 面 を削平 し,台
地 を 南 に拡 張 して い る。 発 掘 した遺 構 は 建 物 5棟夕 塀 3条,溝
3条等 で あ る。建 物 は
, 69次
調 査 で検 出 した正 殿SB6610の
す く`北 に接 して
SB 7150,さ
らにそ の背 後 に各 々6ηの距 離 を かい て後殿SB7151, 7152を
配 置 す る。SB7150は
7× 3間の身 舎 の 四 面 に 廂 をつ け た東 西 棟 で あ り,身
舎 東 か ら三 間 め の柱通 りに間 仕 切 うを設 け て い る。 さ らに 身 舎 の北 か ら一 間 め の 柱 通 うに は深 さ5〜1002程
の浅 い 小 掘 ♭方 列 が あ る。 これ を束 柱 とす れ は, 構 造 上 この南3物の柱 筋 に も束 柱 列 を必 要 とす る が,現
存 束 柱 穴 の浅 さ か ら み て 削平 され て い るの か も知 れ な い。この建物 と
SB6610と
の 肉 係 に つ い ては,両
者 が東 西 軒 廊 で接 続 す る か, あるい はSB6610が 2棟
に 分 か れ,都
合 3棟が並 び堂 風 に軒 を接 す る場合 が 考 え られ るが,現
在 の と ころ いず れ と も決 し難 い。後 殿
SB7151は , SB7150の
北 側 柱 列 か ら北 へ20尺
隔 て て建 て られ た9× 2間の東 西 棟 で あ り, 69次
調査 で検 出 した東 第 四殿 の 西 に並 ぶ 。 この建 物 は 後(B期
の うち)に
廃 絶 し,同
じ位 置 に「 ヨ 」字状 の 目隠 し塀SA7 178, 7179, 7180が
つ く られ る。日隠 し塀 は
SB7151
よ う全 体 にや や 南へ ず らされ
, 10尺
方 眼 には の らな い。SB7151の
北20尺
離 れ た位 置 にSB7152が
あ る。 や は ♭9× 2 間 の東 西棟 で, SB7151と
全 く同規 模 の建物 で ある。 同 じ 〈東第 五 殿 に 柱 筋 を捕iえて い る。 なた この建物 に は東 第五 殿 と同様,東
か ら三 間 め に関仕 切 ♭が 設 け られ て い る。SB7152の
北 及 び西 側 に は素 掘 つの 雨 落 溝SD7162, 7163が
ある。
正 殿 風 建 物
SB7150の
東 には 東 第 七 殿 が 置 かれ るが,こ
の建 物SB 6650の
西半 音bは今 回 の調 査 で検 出 され た もの で あ る。 3× 3間の平 面 で, 南側 中央 間 には 1× 1間の突 出 部 が 付 属 し,開
口施 設 と考 え られ る。SB
6650の
柱 間 は南 北10尺 ,東
西12尺
とな って い る。 この東 西 柱 間 の寸法 が
SB7150と SB6663の
間 の距 離60尺
を東 西 に5等分 した もの で あ る こ とは既 に前 回 の 調 査 で 指摘 さ れ て い た が,今
回 調 査 に まっ て再 確 認 した。SB7150の
西 には 東 第 七殿 に対 応 す る と思 わ れ る西 協 殿SB7155が
あ る。今 回 東 西 2間分
,南
北 1間分 しか検 出 して い な い が,東
か ら2間め の柱 間 が15
尺 とな つ
,東
第 七 殿 と異 った 様 相 を呈 して い る点 は 注 目され る。この時 期 の 中央 建物 群
(SB7150, 7151, 7152)か
ら東10尺
の位置 には 前回 調 査 分 の延 長 と して石 敷 溝
SD6608が
南流 して い る。SD6608
は北 方 で か な り削平 を受 け
, SB7152の
北 側 雨 落 溝SD7163に
つ なが るかど うか薩 認 し得 な か った。 この溝 の時 期 につ い て
,前
回 調 査 時 にはC期に比 定され て い たが
,溝
主 軸 線 が10尺
地 割 に の る こ とや,出
土 置 物 の時 期 か らみ て, 造 営 はB期
な で さか のぼ る と考 え られ る こ とに な った。 た だ し,後
に南方 で流 路 をつ け かえ, C期
東 脇 殿 の 雨 落 溝 と して 利用 した形 跡 が あ ♭,溝
の 一部 はC 期 な で継 続 使 用 さ れ た可 能 性 もあ る。建 物 群 の 西 側 に も
SD6608と
対 林 の位 置 に南 北 溝 の存 在 を予 想 した が,西
fllで は そ の部 分が道 路 敷 の下 とな って著 し く削平 され て い た た め検 出 で き なか った。
この他
B期
に属 す る遺 構 と してSC6670が
あ る。 これ は 第 二 次 内 裏 外郭 北 面築 地 回 臆 の南 柱 列 の延 長線 上rCあ り,前
回 6間分が確 認 され て い た もの で あ る。 殆 ど肖」平 され て,柱
狙 う方 の底 に近 い部 分 と若 干 の 根 石 しか残 存 せ ず,今
回 は5間分 の掘 つ方 を検 出 した だ け で ある。 築 地 回 庫 の 中心 部 は 一 条 通 つの道 路 下 に存 在 す る もの と思 わ れ る。
以 上
B期
の遺 構 は69次
調 査 分 と併 せ て,ほ
ほ そ の全 貌 を把 握 す る こ とが で きた。SB6610,SB7150を
中心 と して東 に7棟の協 殿,北
に後 殿2棟を 配 置 し,か
そ ら く西TRlに も同様 の協 殿 を配 した と予 想 さ れ る。 これ ら多 くの建 物 も, 中心 殿 舎(SB6610, SB7150)と
後 殿(SB7151, SB7152),
ある い は 中 サb殿舎 と脇 殿 とい った ま うに
,位
置,規
模,構
造 の上 か ら,対
比 的 にい 〈つ か の グアレー プ と して と らえ る こ とが 可 能 で ある。 ま た,脇
殿 の 中 で も, 南4則に位 置 し府 を有 す る建 物(SB6660,SB6663)と
後 方 の細 殿 風 建 物(SB6666,SB6669),さ
らに は 中心 殿 舎 との間 に配 置 され る2棟の建物
(SB6640,SB6650)な
ど,機
能 的 に も各 々 か な りの相 違 を もつ もの と思 わ れ る。 い ず れ にせ よ,こ
の よ 多な 建 物 蠅 置 は 内 裏 地 区 や 他 の 官 衛 地 区 に も現 在 な で類 をみ な か っ た もの で あ る。C
期B期
に拡 張 した 台 地 上 を そ の な な利 用 して い るが,B期
と比 較 して全 体 の 規 模 は縮 少 し,蠅
置 も大 幅 に 変 更 して い る。 地 割 法 もB期
にみ られ た10尺
方 眼: 地 害」は 用 い て い な い。この時 期 に比 定 で き る遺 構 に は 建 物 3棟
,塀
6条,溝
5条な どが あ る。SB6620は C期
の 正 殿 と考 え られ る建 物 で,今
回 そ の 北 面 の廂 部 分 を検 出 した。 この 建 物 は 身 舎 7× 3間 (柱間10尺 )の
四 面 に14.5バ
欄 の 広 い廂 を つ け た もの で あ る。 北 入lHll柱の 掘 ♭方 は 全 体 に 浅 く,底
が鉢 状 に 〈ほ ん で か り
,
うち幾 つ か に は 礎 石 裾 え つ け痕 と思 わ れ る根 石 が 残 存 す る。 南 入 側 柱 列 で も掘 ♭方 内 に 河 原 石 か サ ー クノレ状 に並 ん で い た が,北
側 の もの に比 べ,石
の ンベ/1/がや や 低 い 。
SB6620に
は 身 舎 部 分 だ け 礎 石 を用 い た と も考 え られ る が, あ る い は 部 分 的 に 根 継 き を した だ け か も知 れ な い。 こ の 点 につ い て は 更 に検 討 の要 が あ る。SB6620の
東 西 妻 柱 列 よ う内 側 1間め の 柱 筋 か らは 塀SA7171,SA7 172
が 北 へ そ れ ぞ れ 7間の び (南 及 び 北 の端 間
12尺 ,他
5間は9尺間),後
殿SB7170の
南 の 隅 柱 に つ な が る。 こ の2条の 塀 は 正 殿 ・ 後 殿 間 の 内 庭 を区 画 す る意 味 を もつ もの で あ ろ う。SB7170は
7× 2間の 身 舎(10尺
間)の
南 北 両 面 に14尺
間 の廂 を つ け た東 西 棟 建 物 で あ る。 な た 東 西 の妻 柱 か ら各 々2間め の 位 置 に 間 仕 切 つを 設 け, 全 答 を 3つの 区 画 に仕 切 っ て い る。 この 多 ち西 側 の 区 画 内 に は 長方 形 プ ラ ン の 上 拡SK7193が
あ り,西
で石 敷 溝SD7195(石
抜 き取 り痕 跡 を残 す の み)に
,北
で 素 掘 うの 溝SD7189に
そ れ ぞ れ つ な が っ て い る。SK719 3は ,浅
〈整 っ た 掘 つ方 で
,ゴ
ミ捨 て用 の上 拡 な ど と は状 況 を 異 に して い る。SD719 5
は西 か ら流 れ て
SK7193に
そ そ い で か う,SD7189は
土 拡 か ら北 へ 流 れ て い る。SD7195か
ら と り入 れ た 水 をSK7193に
溜 め, SD7 189で
排 水 した もの と思 わ れ る。 この 機能 につ い て は 明 らか で な い が
,後
殿SB7170の
一 画 に水 を取 り扱 多施 設 が 付 属 して い た こ とは 注 目さ れ る。SB7170の
東 には協 殿SB6621が
あ る。SB6621は
5× 2間 の 礎 石 柱 身舎 (桁行 柱 間8.5尺 ,梁
間9尺)に
掘立 柱 の南 北 両 面 廂(12.5尺
間)をつ け た東 西棟 建 物 で
,南
側 柱 通 ♭をSB7170南
面 に揃 え て い る。 なか この 建 物 の身 舎 部 分 の 柱 掘 ♭方 は,東
西 妻 柱 を のぞ い て布 掘 う とな っ て い る。塀
SA7173は ,東
西 塀SA6624の
西 端 か ら北 へ6間の び てSB6621の
西 妻 に接 続 す る。 柱 間 は 南 5間が 9尺で
, SB6621と
の 間 は13.5尺
と,や や 広 くな っ て か り
,あ
るい は この部 分が 開 口 して い た と も考 え られ る。SB6621の
北 西隅 柱 か らは,や
は ♭塀SA7174が
北 へ 1間の び るが, C
期 の北 を限 る東 西 塀
SA6626と
の 間 は 開 口部 とな る。SA6626は
前 回 調 査 分の 西 延 長上 で14間
(柱間10尺 )検
出 し,さ
らに西 へ 続 い てい る。
溝 遺 構 には 前 述 した もの の他
, SD7177,7175,6633な
どが あ る。SD7177は , SB7170の
南側 雨 落 溝 (肖1平され て殆 ど残 って い な い)に
つ な が る もの で あ り
,石
敷 溝SD6608と
交 叉 して 東流 し, SB6621の
西 妻 か ら西 へ10尺
の位 置 で 北 に折 れ る。 北折 した溝SD7175は
東 西 塀SA66 2 6 の北 を東 流 す るSD6633に
そ そ ぐ。 か そ ら 〈 この段 階 に石 敷 溝SD6608の
北 半 部
(SD7177以
北)は
廃 絶 した と思 わ れ る。この他 C期の遺 構 と して
SA718 1, SX7182等
が ある。 東 西塀SA7 18 1 は発 掘 区 西 端 で3間分検 出 した が,南
北 塀SA7172の
南 1聞め の柱 に つ なが る。 柱 間 は西2間が17.5凡
東 の 1間が12尺
で あ る。SA7180が
どの ような意 味 を もって い た か は
, SX718 2の
性格 と と もに西 地 区 の 発 掘 に な た ね ば な らない。以 上
C期
の遺 構 を概 観 す る と,中
軸 線 上 に正 殿SB6620。
後 殿SB7170
を配 置 し
,正
殿 の東 に は,北
妻 柱 通 つを正 殿 前 面 に揃 え た脇 殿SB6622が
位 置 す る。 さ らに 後殿 の東 に も後 殿 と建 物 前面 の柱 通 ♭を揃 え た脇 殿 風 建 物SB
6621が
存 在 してい る。この時 期 の遺 構 は
,建
物 の 配置 につ い て は も と よ り,柱
間 寸 法 を広 狭 多 様 に 使 い わ け,な た塀 に よ って敷 地 を と つか こん で内部 を小 さ 〈区 画 す る な ど,B
期 の遺 構 とは大 きな変 化 を遂 け て い る。 この よ うな建 物 配 置 は
,塀
の 多 用 とい う点 を も合 め て,「 第 二 次 内裏 」後官 の配 置 に 多 くの共 通性 を もっ て い る。6ABQ― C地
区6ABQ地
区 は6ABP地
区 の台 地 上 建 物群 の す ぐ前 面 に あた り,広
い 空 間 地 を必要 と した せ いか,遺
構 の数 は極 めて 少 な い。 建 物,塀 ,溝 ,井
戸 等 の遺 構 が 分散 的 に検 出 され た だけ で あ る。 な た この地 区 は台 地 の 南裾 部 で あ り,遺
構 検 出 面 のL/ベブレに も
, 6ABP地
区 との間 に約 3物の差 が ある。遺 構 は 整地 上 の 層序 か ら大 略 3期にわ け られ る。
A.BoC,3期
の時期 区 分は6ABP地
区 で か こな った時 期 区 分 に一 致 す る。 そ の他,所
属 時 期 不 明 の 遺 構 も若 千存 在 す る。層 位 は基 本 的 に は
,黄
灰 色 粘質 上 の地 山上 に,茶
祐 色 粘 質 土 (整地 層1)と
黄 警 色 粘 質上 (整地 層 Ⅱ
)が
重 な った状 敲 で あ つ,各
層 には そ れぞ れ 多 量 の バ ラスが含 なれ てい る。遺 構 に は この三 つ の 層各 々 か ら切 つ込 ん だ もの が み られ る。
A
期A期
には 溝SD7142と
井 戸SE7145が
あ る。SD7142は
中軸 線 か ら東 へ約20物
の と ころ を南 北 に走 る輻 lη程 の素 頻 つの溝 で あ る。 地 山面 か ら切 つ込 ん で か り,】しか ら南 へ 流 れ て い る。 この溝 は69次
調 査 で は検 出 され て か ず, 6ABP地
区 の遺 構 との 関係 は不 明 で ある。発 掘 区 東 北部 で は井 戸
SE7145を
検 出 した。3.5物
×3.2陶
の隅 丸 方 形 プ ラ ンの狙 ♭方 を もち,深
さ は約 2.5縮 を計 る。井 戸 粋 は残 存せ ず,遺
物 もわ ず か に軒 瓦,刀
子 が一 点 づ つ 出土 した に過 ぎな い。 黄 禍 色 粘質 土 と青灰 色 粘質 上 の埋 め上 の あ り方 は,短
時 間 内 に一 気 に埋 め た よ うな状 況 を示 して い る。 一 応 地 山 面 で検 出 した もの で あ るが,付
近 の 整 地上 が 削 られ てや や 明 瞭 さ を久 い て い るの で,あ
るい はB期
に降 るか も知 れ な い。69次
調 査 で検 出 した バ ラス敷 遺 構SX6603(碑
積段 落SX66oOの
前 面に あ る
)の
延 長 は は っ き う膳 認 して い ない が,部
分的 にバ ラ ス の多 量 に 分布 す る と ころ が あ つ,か
そ ら 〈この地 区 も当 初 は全 面 バ ラヌ を敷 い て い た と思 わ れ る。B
期発 掘 区 西 北 部 で
,東
西2間以 上(?),南
北 1間の特 殊 な遺 構SX714 1を
検 出 した。
SX7141の
掘 つ方 は3× 1物 の 長方 形 プ ラ ンで,柱
位 置 だけ を一 段 深 〈掘 って い る。 柱 間 は 東 西 約 6η,南
北 約 4翻あ つ,非
常 に広 い。 仮 に こ れ を 中軸 線 で西へ 折 り返 す と,東
西6間,約 36制
と極 め て 長 い特 異 な平 面 に な る。 いず れ にせ よこれ なで平 城宮 で も例 をみ ない遺 構 で あ る。 これ が どの ような性 格 を もつ遺 構 で あ るか につ い て は現 在 の と ころ よ 〈わか らな い。
この他 に は
B期
に比 定 で きる遺 構 は認 め られ なか った。C
期この時 期 の遺 構 は 整地 層 Ⅱの 面 で検 出 され てか り
,石
敷 の溝,素
頻 うの溝 な どが あ る。SD7133は
発 翔 区 中央 北 辺 で検 出 した 南 北 溝 で あ る。 底 には河 原 石 を敷 き, 側壁 に も石 を用 い た ら し く,石
の抜 き取 り痕 跡 を認 めた。 この溝 は69次
調 査で検 出 した
SB6622の
面側 雨 落 溝SD6612(2° 30/程
の傾 斜 で南 下 して い る)と
同一 の線 上 に の っ て い る。 も し拡 張 した台 地 の 南端 が 構 内道 路 下 に な で の び, こ こでSD6612か
らSD7133に
流 下 す る と して も,両
者 の落 差 はlη以 上 に な る。
SD7133は
南 へ 流 れ て素 狙 うの東 西 溝SD7132と
接 す る。SD7132は
幅 5 0Cη程 の 浅 い溝 で
,中
軸 線 か ら約33物
の位 置 ま で西流 して,南
北 溝SD 7131に
流 れ こむ。SD7131は SD7132と
同 様 の規 模 で,そ
の ま な発 掘 区 南端 ま で続 い て い る。 この他, C期
に属 す る遺 構 に はSX7138が
あ る。sx
7138は
,発掘 区 北 端 で,東
西 3.5η,南
北 2陶以 上 の範 囲 に凝 灰 岩 が な とな って 分布 した遺 構 で あ る。 凝 灰 岩 は風 化 が著 し く,個
々 の形 状 は 明 らか で ない。そ の他
以 上
3期
に 分け られ た もの の他,所
属 時 期 不 明 の建 物,塀 ,瓦
器 を出土 す る土 拡 等 が あ る。
SB7140は SX7141の
南 に位 置 し,桁
行 6間以 上,梁
行2間の東 西棟 建物 で あ る。 柱 間 は桁 行 9尺
,梁
間 8尺で,掘
♭方 も小 さ く貧 弱 な もの で あ る。方 向 も東 で南 へか な り振 れ て い る。
SB7140の
東 に は3× 2間,総
柱 の東 西棟 雑 舎SB7134が
ある。SB 7134の
柱 掘 つ方 は,径 20〜 30師
の小 さ な もの で,柱
間 寸 法 に も幾 分 バ ラ つ きが み られ る。 これ らの 建 物 は,い
ず れ も整地 層 Iの面 で強 出 した が,規
模, 仕 事 内容 等 か ら して, B, C期
に属 す る もの と考 え難 い。発 狐 区 の 中央 か らや や南 よ うの位 置 に東 西塀
SA7130を
検 出 した。 柱 間 は10尺
で, 14間
分検 出 した が,さ
らに東 西 に続 く と思 われ る。SA7130は SX6600基
底 部 か ら南へ150尺
の位 置 に あた る。 な た27次
調 査 で検 出 さ れ た 東 西 塀SA3805(A期
相 当 の時 期)か
ら北 へ200尺
の と ころ に あた り,A期
とす れ ば 区 切 つの よい完 数 尺 の 位置 に あ るが,層
位 の 関 係 や方 向 の問 題 (東 で北 へ 若 干 振 れ る
)か
らみ てA期
とす るに は疑 間 が ある。 な か,B, Cの
いず れ か の時 期 に置 くこ とに つ い て も現 在 の と ころ積 極 的 な根 拠 を もた な い。
この他 瓦 器 な どを出土 した土 拡 が ニ ケ所 に存 在す る
(Mη 135,SK7 136)。
以 上 の よ うに
6ABQ地
区 は遺 構 の 分布 密度 が 極 め て低 〈,AiC期
を通 じ て高 台 の建物 群 前 面 の広場 で あ る とい う基 本 的 な性 格 に変 うの なか った こ とが 明 らか とな っ た。 特 に,「 第 二 次 内 裏 」正 殿 地 区 に並 び,「 第 一 次 内裏 」を予 想 した地 区 で あ った に もか か わ らず,終
始「 広場 」 と しての 性格 を もち続 け た い とい うこ とは,む
しろ6ABP地
区 が この一 帯 の 中心 を な して い た こ とを物 語 って い る。遺 物 には瓦
,土
器 な どが あ るが,量
は さほ ど多 くない。 瓦,土
器 と も, SB 7150姓
抜 取 り穴 やSD7175等
か らな とな って 出上 して い る。軒 丸 瓦 は
6134型
式 が約50%で
最 も多 く, 69次
調 査 とや や異 った あ ♭方 をみ せ て い る。 軒平 瓦 では69次
同 様,所
謂 東 大 寺 式 の6732型
式 が 多 い。 そ の他,「 埋 」刻 印平 瓦 が一 点 出土 して い る。土 器 で は
, SB715 0の
柱 抜 取 ♭穴 の出土 資料 でB期
の年 代 を あ る程 度 か さえ る こ とが で き る。
SB7150出
土 の上 器 は, SK219様
式 (天 平 宝 字 末 年 頃)と
SK2113様
式 (宝亀 末 年 頃)の
そ れ ぞ れ に共 通 す る要 素 を も っ て い る が,SK2113様
式 に と つ近 い とい え る。 これ か らみ る と, B期
の造 営 時 期 は 天 平 末 年 を遡 らず,か
そ ら く,天
平 宝 字 年 間 に か か れ る可 能 性 が 高 い 。C期の 年 代 を示 す 資 料 に は
, SD7175の
出土 土 器 が あ る。SD7175の
上 器 はSIE3 1 1様式 (天 長 頃)に
似 た 様 相 を示 して い る。C期
の 下 限 が 平 安 時 代に降 る こ とは 間 違 い な い 。
この よ うな年 代 観 か ら
,こ
の 地 区 のA期
の 多ち に既 に「 第 二 次 内 裏 」が 成 立 して い た こ とは 疑 い な く,両
者 は か な ♭早 い 段 階 か ら併 存 した こ とが 明 らか と な っ た。 この 地 区 の 性 格 の 究 明 が 鵞、が れ る わ け で あ る が,現
在 の 時 点 で は,こ
の 地 区 を,「 中宮 」,「 中 宮 院 」, あ るい は「 西 宮 」 とい っ た「 内 裏 」 と密 接 な関 係 に あ る場 所 とす る蓋 然 性 の 強 い こ とを 指 摘 す る に留 め た い 。
第
73次
調 査第
73次
発 掘調査 は,第
2次内裏築 地回 廊の東南部 分 とそ の南 に ある東楼 跡 の上壇周辺 につい て面積約36α
を行 ってい る。 内裏 内部 の調査 はす でに第3・9・
12次
等 で若 干行 ってか つ,内
裏 の正殿 を始 め とす る建物群,築
地 回 庫 な どを確認 してい る。 調査 は現在進 行 中で あ つ,報
告 では検 出 した遺 構 の概 要 を 記述す るに とどめてか く。検 出 した遺 構 は
,内
裏 地 区 で東 面・ 南 面 築 地 回 廊,礎
石 建 物1,門 2,掘
立 柱 建物 6以上,袖 ,古
墳 周 涅 の一 部 で あ る。 東楼 跡 周辺 で は,礎
石 建 物1,相
│列 1な どを検 出 した。
築 地 国 廊 は
,南
面 。東 面 と もす で に発 掘 した部 分 の延 長 で,今
回 は隅 の 部 分 を調 査 した。 回 廊 の保 存 状 態 は 南 側 の部 分 が と くに 良 好 で,築
地 積土 本 体 と寄 柱 礎 石;叩
き しめ た 回 廊六 面,側
柱 礎 石抜 取 穴,凝
灰 岩 切 石 の雨 落 溝,雨
落 溝 と側 柱 礎 石 との 間 には袋灰 岩 切石 の石 敷 が残 ってい た。 東 面 の築 地 回 廊 では入 隅 か ら11間
目の と ころ に 東 の 一 の 門 が 開 い て か つ,門
の礎 石抜 取 穴 を築 地 中共 通 うにニ ケ所 確 認 した。 南 面 回 廊 で は東 寄 うに7間 ×
4間
の礎石 建 物 が築 地 本 体 に な た が っ て検 出 され た。 この建 物 は,南
側 の 柱 列 を南 面 築 地 の南 側 柱 列 に合 わせ て,な た北 側 は築 地 回 廊の雨 落 溝 を建 物 分 だ け張 り出 させ,建
物 の雨 落 ち と して い る。 この建 物 は,築
地 寄 柱 と柱 位 置 の関 係 や,床
面,雨
落 溝 か ら み て築地 国 廊 と一 連 の造 営 に よる もの とみ られ る。 階 下 に築 地 を包 み こん だ楼 閣 風 の建 物 と推 定 され る。 建 物 の 基壇 な わ つrcは 褒 灰 岩 の切 石 が 部 分 的 に残存して い る。
´
この建物 か ら西側 2間目の 南 面 築 地 国 廊 に門 を検 出 した。 か そ ら く木 簡 な ど に記 され た「 角門 」に当 る もの と思 われ る。 な か
,築
地 回 廊東 南 隅 の 南側 部 分 は後 世 の水 田造 作 に まって 大 き 〈削 つ取 られ て い る。築 地 回 廊 の 内側 で は 掘立 柱 建 物 6凍分 を検 出 した。 先 の楼 閣 風 建物 の北 には 礎 石 建物 と南 北 の妻 通 つを合 わ せ た7間
Xl間
の東 西棟 建物 が あ つ,礎
石 建物 との 間 を階 段 でつ な い で い る。 この東 西棟 建 物 の北 には3間×2間の東 西 棟 を は じめ柱 間 の狭 い建 物 か あ る。 このほ か築 地 回 廊造 営 以 前 に築 かれ た東 西方 向 の机 列 が あ るが,回
廊 内 の東 寄 りで南 北 の袖 列 と接 して い る よ うで ある。な か発 掘 地域 は
,第
9次調 査 及 ひ電 探 で確 認 した神 明野 古墳 の墳 丘 及 び東 側 の周 涅 の部 分 に当 っ てお),墳
丘 裾 の部 分 で一 部埴 輪 が遺 存 してい た。東 楼 跡 の調 査 は
,旧
来 か らの上 壇 を 中心 に行 って い る。 土 壇 は大 半 が後 世 の 積上 で,わ
ず か に高 さ 1糊ほ どの基 壇 が 残 る にす ぎな い。 この基 壇上 には,礎
石 位 置 が根 石 な どか らほ ゞ確 か め られ たが
,現
在 な で に基 壇 規模,建
物 の状 態 につ い て は 明確 で な い。この楼 跡 の西側 に は 南北 方 向 の棚 列 が あ り
,先
の 内裏 内方 の東 西方 向和ヽ列 と 結 ぶ もの で あ る。出土 遺 物 で は
,鬼
瓦 (カ ッ ト)を
始 め,瓦
類 ・ 土 器 類 が あ る。 軒瓦 では,6225‑6663型
式 の瓦 が顕 著 で あ る。 ほ か に6133‑6732型
式 も多 ぐ,衰た藤 原 宮 式 の瓦 も認 め られ る。
―
附 平城宮跡 出土植物遺体
平 城 宮 跡 発 掘 調査 に と もな って 出土 す る植 物遺 体 は
,す
で に文 化財 保 護 委 員 会F平城 宮 跡 』及 び,単
研 究 所 F学報 Ⅱ 』で公表 した ご と く多 種 多 様 に わた っ て い る。 そ の後 発 頻 調査 の進 展 に と もない,新
た に資 料 を加 え た の で ここに一 括 して表 示 して か く。 植物 遺 合 の 出土 した場 所 は,木
簡 を多 量 に発 見 したSK
820土
拡 をは じめ,内
裏 外郭 内・ 外 事F外側・ 馬 寮 な どに検 出 した 小土 拡,市
庭 古季 の周 簿 な どで あ る。 これ らの遺 体 は
,土
拡 が完 全 に地 下 水 に と って包 債 巡れ て い るた め,そ
の保存 状 態 は極 め て良好 な状態 に あ った といえ る。植 物遺 外 の 調査 鑑 定 は
,小
清 水 卓 二 氏,三
木 茂 氏,小
原 二 郎 氏,竹
岡 政治 氏 に依 頼 し,最
近 の もの につ い て は平 城 宮 跡 発 掘 調査部 で行 った。平城宮跡 出土植物遺体
科 属 種 和 名 出 土 部 位
フ ラ ビ カ
ャ ナ
ギ ツ
ガ モ ミ ア カ マ ッ チ ョ ウ セ ン ゴ ヨ ス
ギ
ヒ ノ キ ヤ ナ ギ 属
葉 樹 枝 果 実 花 粉 渡
来 種 在 来 種
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○
○
○
○
O O O O O O
O O O O O O
○
O O O
○
○
O
○
○
O
○群 類 水 車 草 本 蔓 性 木 落 葉 樹 常 緑 樹 針 葉 樹
科 属 種 和 名
カ フヤ ナ ギ ヤ マ モ モ サ フ グ/L/ミ
オ エ グ ″ ミ ナ ガ グ″ ミ
ハ リサ キ ォ タ フ クグ ″ ミ ミ ゾナ ン オ 雰 フ クグ ″ ミ ヒ メ グ ″ ミ
テ ウ チ グ7L/ミ
イ ヌ ン デ ク マ ン デ ハ ン パ ミ ツ ノ ハ ン バ ミ
ミ ズ メ ハ ン ノ キ
ク リ カ ン 腐̲
ヨ ナ ヲ ク ヌ ギ カ ン フ ナ ラ ガ シ フ ン ラ カ ン ア フ カ シ ア カ ガ ン
樹 葉 枝 果 実 花 粉
出 上 部
位
○
○
O O O O O
○
○
O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O O
○
O O O O O O O O O O O O O O O O
O O O O O O O
O
O O O
O O O O
O
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渡 来 種 在 来 種
講 類 水 車 車 本 蔓 性 木 落 業 樹 常 緑 樹 針 葉 樹
科 属 種 和 名
イ ナ イ ガ ン ン イ 属 ス ダ ジ イ ツ ブ ラ ジ イ ア キ ニ ツ ム ク ノ キ ケ ヤ キ エ ノ キ イ ン ミ カ フ グ ム ン バ ホ オ ノ キ カ ツ ラ
ハ ス オ エ バ ,ス
ム ベ
ア ォ ッ プ ラ ヤ マ ョ ウ バ ン ナ
ン サ ク ラ 属 ア ン ズ ネ ッ カ ア ン ズ 十 ウ ヨ ア ン ズ マ ン シ ュ ウ ア ン ズ ウ
メ
樹 葉 技 果 実 花 粉
出 土 部 位
O O O
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O O O O O O O
O O O O O O O O O O O
O O O O O O O O
O O O O O
O O O O
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○
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〇
〇
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〇
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○
○
○ O ヽO O O
○
○ O
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○
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○
○
群 類 水 革 車 本 蔓 性 木 落 葉 樹 常 緑 樹 針 葉 樹
科 属 種 和 名
ヌ 毛 モ モ 毛
コ ダ イ モ 毛 ヒ メ コダ イ モ 毛 ノ ダ フ ジ ナ ツ フ ジ ク サ ネ ム アヽ
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モ チ ノ キ タ フ ヨ ウ イ ヌ ツ グ イ ロ ハ カ エ デ ヤ マ モ ミ ジ
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○
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出 上 部 位
○
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〇
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○
渡・ 来 種 在 来 種
群 類 水 車 草 本 蔓 性 木 落 葉 樹 常 緑 樹 針 葉 樹
渡 来 種 在 来 種
科 属 種 和 名 出 上 部 位
葉 樹 枝 果 美 花 粉 群 類 水 卓 草 本 蔓 性 木 落 葉 樹 常 緑 樹 針 葉 樹 毛 ッ コ ク
サ カ キ グ ミ科 ヒ ン
リ ョ ウ ブ シ ャ ク ナ グ 科 カ
キ
トネ リ ヨ イ ボ グ ノ キ ネ ズ ミ モ チ ン ロ ネ ナ
ス
ニ フ トコ ガ マ ズ ミ ウ リ属 キ ュ ウ リ ア オ ウ リ マ ク フ ウ リ
キ ク科 イ ネ 科 イ
ネ ア
フ コ キ ビ カ サ ス グ ハ イ ゴ ケ
○
○
O O
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○
○
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○
○
O O O O O O O O
O O O
O O O O O O O O O O O O O
O
O O
○
○ O
O O O O
O O O O
○
註
1.植
物 名 の排 列 順 は主 と して エ ング ラー の 分類 に従 っ て い る。2.異
実 では外 果 皮 ・ 内 果 皮 ・ 種 子 な どが 出土 して い る。彙 面 嬢 地 口 癖
白面装推凰購
紫75衣発掘造構配置園
N ①
第69次・ 72次発掘調査遺構
9 '9 ?9 押H
撫 「 … .遠
馬 寮 遺 構 配 置 図
西 面 北 門
圏 蜘
西 面 中