著者 野村 絵里子
雑誌名 基督教研究
巻 79
号 2
ページ 31‑47
発行年 2017‑12‑14
権利 基督教研究会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2019.0000000510
Joel Baden の資料分析について の一考察
― 文書仮説の再評価への示唆 ―
A Study of the Source-Critical Approach of Joel Baden:
A Suggestion for the Reassessment of the Documentar y Hypothesis
野村 絵里子
Eriko Nomura
キーワード
モーセ五書、資料分析、文書仮説、伝承史的研究、Joel S. Baden
KEY WORDS
Pentateuch, source criticism, documentary hypothesis, tradition criticism, Joel S. Baden
要旨
18世紀以降、五書研究の中心となった文書仮説は、Rolf Rendtorffの主張によって 近年では衰退の一途を辿っている。しかしながら、文書仮説そのものが「時代遅れ」
と称される今日でも、資料ではなく部分的な層や断片と仮定されているとしても“D”
や“P”という概念及び用語は依然として用いられている。Joel S. Badenは従来とは別 様の資料分析を試みた。神名をはじめとした用語やヘブライ語の文体にはとらわれな い、物語の連続性や一貫性のみに特化した研究である。彼は特定の聖書箇所について 二つないし三つの資料が結合したと結論し、最終的に四資料の存在を指し示した。
Badenの見解は幾分問題をはらんではいるものの、文書仮説再考のための糸口を見出
したと言える。聖書の成立は決して一律ではないだろう。伝承史的研究と文書仮説は 両立し得る、また様々な方法論や研究の枠組みが併存し得る、といった柔軟な思考が 五書研究には不可欠であり、本研究で論じるBadenのアプローチは、五書研究にお ける新たな道筋を提示している。
SUMMARY
From the 18th century, the documentary hypothesis had become central to the study of the Pentateuch, but Rolf Rendtorff's study, describing the text as a collection of independent narratives based on oral traditions, contributed to the position opposing that theory. A large group of scholars have opposed the documentary hypothesis over the years. Although the documentary hypothesis itself is now recognized as “outdated,”
the concepts and terms of the documents, such as “D” (Deuteronomic) and “P” (Priestly) are still widely in use, and some scholars recognize them as partial layers or fragments for studying the Pentateuch. Joel S. Baden suggested a reconsideration of how divisions of the sources are made. His research offers continuities and consistencies of the narrative but ignores terms related to the divine names and the style of the Hebrew language. According to him, two or three sources were combined by one compiler based on written documents. It seems that Baden found a way of reviving the documentary hypothesis, although his interpretation is not without difficulties. The development of the Hebrew Bible was probably complicated. Thus, study of the Pentateuch requires flexible thinking, and Baden’s suggestion presented in this article can offer a new approach to discussing the literary composition of the Pentateuch.
はじめに
モーセ五書研究において以前ほど注目されなくなった文書仮説について、その有効 性を擁護し再考を促すJoel S. Badenの研究に焦点を当て、彼の主張を検証すること で、文書仮説の再評価への可能性を考察する。まず、文書仮説の研究史の概略および 文書仮説への批判についてRolf Rendtorff(1925⊖2014)を中心に確認した後、Baden の主張・方法論を紹介する。部分的なものから全体的なものまで文書仮説への批判は 研究者によって様々であるが、Rendtorffは「今日、文書仮説で言われるような意味 で『諸資料』の存在を想定することは、もはや五書の生成の理解のためにいかなる貢 献をもなし得ない1」と断言し、文書仮説それ自体を完全否定した。その批判への
Badenの反論と彼の五書の部分的な検証作業やその主張の妥当性を検討した上で、文
書仮説を再検討することの意義に触れる。
1.文書仮説の研究史概略
文書仮説とは、モーセ五書は元来独立した諸文書が後代の編集によって結合し現在 の形に定着したと仮定する説で、多様な研究を経て、最終的にJuilus Wellhausen
(1844⊖1918)が確立させたモデルである。ここでの諸文書とはJ-ヤハウィスト資料、
E-エロヒスト資料、D-申命記資料、P-祭司資料として想定される4つの資料を指し示 している2。
モーセ五書の著者がモーセである、という伝統的な認識への疑問は12世紀のラビ
Abraham Ibn Esraの頃から存在しており、またヤハウェとエロヒームの二つの神名
の交替においても古代から認識こそされていたものの3、当時は大々的に異論を唱え る者はなかった。だが、18世紀ヨーロッパの啓蒙主義と、それに追随する理性重視の 学問が盛んになるにつれ、聖書における矛盾や不一致がテキストの成立と多分に関わ りを持っていることが公に述べられるようになった。旧文書仮説が確立され、五書研 究は本格的に展開していくこととなる。
創世記1章と2章の間に神名の交替を指標として独立した資料を見出したH. B.
Witter(1683⊖1715)に続いて、Jean Astruc(1684⊖1766)が創世記全体を並行する物 語に分解し、異なる神名の説明を試みた。それが精密な文献批判研究の口火となっ た。その後、Johann Gottfried Eichhorn(1752⊖1825)が、資料を区分する方法を採 用して、主たる資料が文体・内容共に種類が違うことを証明し、資料区分を徹底し た。
1805年、Wilhelm Martin Leberecht de Wette(1780⊖1849)が五書の最後の書であ る申命記は創世記から民数記までの四書とは異なり、それ自体独立したもので、列王 記下の22-23章に記されている紀元前622年ヨシヤ王の改革と関係している、と論じ た。申命記は独立した文書であったという画期的な見解を示したde Wetteは、後述
するWellhausenによって称賛されている。また、申命記の独自性はMartin Noth
(1902⊖1968)の申命記史書という考え方の基礎をなしており、de Wetteの功績は、
後代にまで多大な影響を及ぼすこととなった。
その後、五書において想定され得る諸資料の存在が一般的に認識されるようになっ てからは、各資料の時代的な順序や年代の決定についての問いが五書研究の中心と なった。Hermann Hupfeld(1796⊖1866)は神名がエロヒームとなっているテキスト を分析し、二つの資料に分け、それが現在のE資料とP資料の基盤となった。Karl
Graf(1815⊖1869)は、神名がヤハウェであるJと、自ら分類したEは他の文書が取
り上げている事柄を知らないが故に最も古く、それまで最古と考えられてきた法を中 心とした祭司資料即ちPこそが「最も新しい」と述べ、五書研究に革命をもたらし
た。この主張は、後に文書仮説を集大成したWellhausenの説の基礎を形成した。
Abraham Kuenen(1828⊖1891)はHupfeldに倣い、J資料とE資料のどちらが先行す るかは断言できないものとし、JがEを、あるいは EがJを手本にしたと主張した。
WellhausenはGrafとKuenenの研究を踏襲し、古代イスラエルの宗教の歴史を紐 解くための着想を提案して、先人の研究を大きく発展させた。そして、神名の基準な しにはJとEは殆ど区別が不可能であるとする一方で、Pについては五書の残りから 難なく分けられる、と論じた。Wellhausenは、五書は、先ずJとEが一つの文書と して結び付き、その後D、Pと結合したと述べ、J-E-D-Pの配列を有する文書仮説が 成立した。
2.文書仮説への批判とそれへの Baden の反論
WellhausenのJ-E-(JE)-D-Pの配列を主軸とした文書仮説は、提唱されてから長い間 支配的な説として学界に定着していた。しかし、同時に様々な批判も加えられてき た。例えば、PやDといった概念及び資料の存在に関しては多くの研究者が受け入 れている一方で、JとEの二資料については、その存在の承認の賛否すら分かれた。
現在ではこれら二資料に言及されることも少なくなっており、単に“non-P”即ちPで はない資料として閑却されている。その結果、文書仮説の前提である四資料のうち二 資料が実質的に排除されているのが現状である。
文書仮説への批判には、学説そのものは概ね認めながらもWellhausenが唱えた JEDPの順序や年代の推定に異議を唱えるものから、Rendtorffのように資料分析と いうアプローチを用いて構想されている文書仮説を根本から覆すものまで多岐にわた る。
五書の成立に強い関心を持つJohn Van Setersは、Badenによれば、長い間、典型 的な文書仮説について強く反対してきたが、それはJとEの資料の結合の否定、配 列に関してが主であり、諸資料の存在自体を否定するものではない4。具体的には
Wellhausenが最古の資料と考えたJを申命記史書のプロローグであると考え、紀元
前6世紀の捕囚期にまで大きく下げたことで有名である。このように文書仮説の基盤 は崩さなくとも、部分的に異議を唱えたり、修正したりする研究者は非常に多い。
Baden自身も、JとEが他の資料と組み合わさる以前に、JEという一つの結合体と
なった、という流れに関しては否定している。
文書仮説批判において、最も重要な人物はRendtorffだろう。彼は、先に述べたよ うに文書仮説を全面的に否定し、主にヨーロッパにおいて、その後の五書研究に強く 影響を与えることとなった。Rendtorffは、五書のうちに連続性のある(あるいは、
一続きの)資料が存在した、という考え方を退け、特にJについて具体的に非難し、
更に、五書研究で大方認知されているPという資料の存在についてさえ打ち消した5。 彼のJへの批判は、とりわけGerhard von Rad(1901−1971)とNothの主張をそれ ぞれ否定する形で行われた6。von Radはモーセ五書にヨシュア記を加えた「六書」説 を提案したが、それはJ資料即ちヤハウィスト独自の確立された神学を想定し、それ が土地取得に向かっていると考えたことが背景にある7。一方、von Radの六書説に一 定の評価を与えながらも8、その中にJ、E、Pは見受けられないとしてヨシュア記を 排したNothは、更に申命記を除いた「四書」説を考案した9。申命記は、創世記から 民数記までのテキストとは異なり、申命記・ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王 記を編纂した歴史家、即ち「申命記史家」の手によるもので、先の四書とは異なる ルートを持つ独立した歴史書であると論じた。彼もまた、「Jの神学は、はるかに明 白に示されている。ここには、五書物語でそもそも語られ得る、神学的に最も重要な ものが含まれていると言っても過言ではない10」とし、ヤハウィストの神学性に着目 した。
しかし上述したように、Rendtorffは師であるvon Radの様式史批評的な研究を踏 まえ、四資料の中でも特に、統一されたJという概念を批判した。先ずHermann Gunkel(1862−1932)、von Radの様式史批評やNothの伝承史的研究と、文書仮説の 間 に あ る 矛 盾 を 指 摘 し11、 こ の 場 合、 後 述 のRendtorffの 提 示 す る「 単 元 」 は
Wellhausenの提示するJのような「文書」とは適合し得ない、と論じた。加えて、
彼は族長物語と出エジプト記の間に存在する本質的な相違についての問題を掘り下げ た。前者はイスラエルの子孫への約束―特に土地についての―がテーマであるのに対 し、後者の出エジプト記においては、乳と蜜の流れる土地へ向かってエジプトを去り 荒野を放浪するものの、父祖たちに約束した土地への言及はないことを論じてい る12。
Badenによれば、Jは天地創造からモーセの死を通したイスラエルの歴史の一貫 性、連続性、統一性の観点から、文書仮説の最も安全な要素の一つだと長い間考えら れてきた13。しかしながら、Rendtorffが行ったJへの批判や否定に、多くの研究者が 追随することとなった14。その後、JEDPの資料分析を土台とした文書仮説は衰退し 始め、Badenはその様相を「ヨーロッパのアプローチ15」として強く批判する。
Rendtorffの主な主張は、モーセ五書は伝承の「最小単元」が徐々に伝承複合体と してまとめられ、最終的に各々が独自の主題を持つ、より大きな塊(=「比較的大き な単元」)にまで発展して成立した、というものである。これは即ち、太古史や族長 物語、エジプト脱出伝承、シナイ伝承といった大きな伝承史上のまとまりあるいは伝 承の塊が長い間、相互に結びつくことなく、各々独立状態を保っていたことを意味す
る。彼とその後継者による文書仮説批判がヨーロッパを中心に広まり、Wellhausen の唱えた文書仮説は、現代の五書研究においてかつての勢いを大きく失っている。
RendtorffはGunkel、von Rad、Nothらが用いた様式史批評や伝承史的研究といっ た、元々存在していたと仮定し得る伝承を出発点に検証する手法を突き詰め、伝承の
「(最小)単元」に注目し、それがより大きな複合体へと徐々に拡大していく過程に重 点を置いた。Rendtorffは、先人たちの業績をある程度評価しつつも、彼らが文書仮 説に固執している点について批判を加える。Gunkelやvon Rad、Nothはいずれも従 来の文書仮説とは異なる方法論、アプローチを導入した。文書仮説は、テキストの最 終形態から遡って個々の伝承を模索する。それに対し、Gunkel以来、元来独立して 存在していた個々の「最小単元」から出発し、文書的な最終形態に至るまでの伝承形 成の道程を追跡する方法が主流となった。Rendtorffは、この二つの方法は出発点と 問題設定の方向の両者において、全く対立しているものの「両者が正反対の結論に至 るということをも同時に意味するものではない16」、としながらも、これらが相補的 な役割を持ち得ないと繰り返す。しかし、JとEを区別し得ることは稀であり、ま た、JやEの 符 号 は 相 対 的 な 有 効 性 の み を 持 つ と 論 じ たGunkelの 弟 子Hugo Gressman(1877⊖1927)が特に、両者が相補的研究を可能にすると印象づけてしまっ たのだと糾弾する17。加えてvon RadがJに、六書の最終形成に際して中心的役割を 帰し、一つの新しい相貌を与えたことも要因であると非難する18。
対して、Nothは自ら、文書批判的問題は「常に五書全体の枠組みのうちで研究さ れねばならない19」と強調しつつ、伝承史的研究を促進した。それは、例えば創世記 のみの研究においてはPの物語の独立性が否定される可能性を考慮しているためで ある20。Nothは最終形態へと向かっていくプロセスと、最終形態から遡っていくプロ セスを重ね合わせ、両者の手法の併存を図った。ところがRendtorffは、von Radや Nothが取り入れた様式史・伝承史的な研究方法が文書仮説に立脚していること、文 書仮説との関連性から脱却したものではないことを非難し、文書仮説との決別を提言 する21。
以上のように、RendtorffはJEDPの四資料の存在を打ち消し、五書が諸資料の結 合によって形成された、という「定説」を否定した。多くの研究者がその存在を認め ていたPに関しても、初期のモーセ物語以降では祭司的な層が見られないと主張し、
五書内で「祭司的」と呼び得る伝承層の抽出についてのみ同意を示した。つまり、資 料として、換言すれば物語としての祭司文書は存在せずに、あくまで祭司的といえる 層があった、とするに留めた22。これらの主張こそが、後にヨーロッパを中心に、五 書の生成過程における諸資料の存在を排除させることとなった、と推察される。だ が、Konrad Schmidは、文書仮説の全盛期にPを編集層と定義する試みがあったこ
とは事実だが、現在のヨーロッパの五書研究において、一部の例外を除き、全ての研 究者が資料文書としてPを考えている、と論じている23。この主張は文書仮説復興へ の重要な糸口となるに違いない。
資料を否定してきたRendtorffだが、Nothが提唱した申命記史書やそれに伴う申 命記主義的な編集については異議を唱える姿勢は見せず、「『五書』が、後代の編集作 業によって申命記と―及びことによると申命記史書と―結合される以前に、差し当 たって申命記なしで独立して存在していたということは決して確実ではない24」とい うように殆ど無条件に受容している。これは、申命記の独自性や申命記史家(DtrH)
の概念や存在については否定していない証左である。ここにおいて、RendtorffはD という文書の存在の否定を成し得た、とは言えないのではないだろうか。
Badenは、「今日、文書仮説で言われるような意味で『諸資料』の存在を想定する
ことは、もはや五書の生成の理解のために、いかなる貢献をも成しえない」という
Rendtorffの見解に対し、「資料は、文書仮説からの想定ではなく、結論である25」と
反論する。これは、資料分析は本来的に、単に文書仮説を正当化するための手段に過 ぎないというRendtorffの認識への批判であると考えられる。また、Rendtorffは、
文書仮説は伝承史的研究の最後の段階において、テキストの最終形態が提示する諸々 の問いに対して最善の回答を提供できる場合に限り、五書のうちに資料を想定するこ とが許される、とする26。すなわち、この主張は、彼が文書仮説を伝承史的研究の確 認作業のツールとしてしか認めていないに等しい、と換言できる。Badenは、伝承史 的研究から課せられた異なる問いに対して文書仮説による回答を提示すべきであると
いうRendtorffの主張は方法論的に誤っていると批判する27。そしてテキストの最終
形態ではなく、「想定」上の最小の諸伝承を出発点としていることは明白であり、
Rendtorffは様式史批評及び伝承史的研究の着想と正当性によって、資料分析という
手法を無意味化することを試みたのだと論じる28。
RendtorffとBadenの間には、五書研究における課題の着眼点に大きな乖離が生じ ている。Badenは、Rendtorffが問う「テキストが『単元であるか否か』」ではなく、
物語の矛盾や不連続がどのようにして効果的に説明され得るかが重要であると主張 し、また伝承史的研究がテキストのうちに含まれる問題を軽視して、文書仮説が持つ 役割を誤って述べていることを指摘する。そしてテキストが単元ではないという決定 は、方法の出発点ではなく、結果であるとする29。その意味でBadenは、文書仮説を 支持する立場にありながらも、単元を基軸としたアプローチを否定している訳ではな いと言える。
3.Baden の資料分析
現代の聖書学において、様々な批判を受けている文書仮説だが、Badenは文書仮説 こそが、モーセ五書に一貫性が欠如していることへの「最もシンプルかつベストな答 えである30」と主張する。そして主にヨーロッパに定着している文書仮説批判に反論 し、文書仮説の有効性について論じている。BadenはJEDPの四資料からなる古典的 な文書仮説を支持する立場にあるものの、彼の資料分析は、ヘブライ語の文体や神名 を含めた用語にはとらわれないことが特徴である。代わりに重視するのは、物語の運 びや整合性、物語内での言語使用の仕方、他の聖書箇所との関連性等である。本章で は、それらに重点を置いた独自の手法で行ったBadenの資料分析を検証する31。 彼は創世記35章、37章、出エジプト記14章、民数記11章、16章を、物語の一貫性や 整合性、プロットに着目して資料分析を行い、四資料の存在証明を試みる。それを根 拠に、Jの概念やEの存在そのものへの疑義について、完全に退ける。
例えば、創世記37:18⊖36のヨセフが兄たちの策略でエジプトへ売られる物語を一方 はJ、他方はEへ、同じく創世記35:1⊖22のヤコブのベテルへの帰還物語を一方はE、 他方はPへと明瞭に二分し、そこに二つの物語即ち二つの資料が存在していた、と 結論づける。ただし、後者においては一部ではあるがJが含まれていることを論じて おり、ここでもJやEという資料の区別について看過することはない。
(1)創世記37:18―36
Badenはそもそもの前提として、ミディアン人がイシュマエル人へヨセフを売った という着想は支持できないとする。また、当該箇所は、ヤハウェとエロヒームの神名 交替やヤコブ/イスラエルのような同一人物の名称変更の問題が見られないため、
Badenは物語そのものからテキストの問題を引き出すことを試みる32。そして、物語
の一貫性や整合性、プロットを最優先した独自の資料分析の結果から、片方の物語は ルベンを主人公としたもので、ミディアン人の隊商が兄たちの知らぬところでヨセフ を連れ去りエジプトにて売り渡し、もう片方はユダが主人公で、兄たち自らイシュマ エル人の隊商に売却する物語であると主張する。また、18節と19⊖20節に記されてい る兄たちのヨセフへの殺意についての言及、22節と26⊖27節のヨセフを救うに当たっ てのルベンの算段とユダの計画が、それぞれ二つあることを、類似した伝承が二つ存 在していたという推測の大きな根拠としている。確かに、兄たちがヨセフを殺そうと する陰謀と、弟を殺さないよう他の兄弟を諌めるルベンとユダの台詞は繰り返し及び 反復と見なすことが可能であり、Badenの推察を補強し得る。22節の長男ルベンの訴 えによって他の兄たちがヨセフを殺さないことを決意したのであれば、それはユダの
計画と同時進行するものではない、つまり、26⊖27節のユダの台詞は本来ならば不必 要なのである。Badenは創世記の他の箇所とのテーマの関連と後に続くヨセフ物語か ら、分割したルベンを主人公とした伝承をE、ユダを主人公とした伝承をJと見な す。Badenは、Jにおいて多数の要素が結び付けられていると述べる。例えばヨセフ の剥ぎ取られた衣装、野獣によるヨセフの死という兄たちの嘘、父ヤコブの贔屓がそ れであり、これらは本章の始まりのヨセフの夢や、19⊖20節における兄たちのヨセフ に向けられた殺意と結び付けることができる。加えて、この物語における衣服に関す る叙述は、23節でそれが兄たちによって剥ぎ取られることの布石となる33。以上のこ とから、Badenはこれを一続きのJの物語と見なす。
(2)創世記35:1―22
35:1⊖22は、全く異なる物語要素が多数存在し、トピックも多様である。彼が分析 した片方の物語は、神がヤコブにベテルへ上り、兄エサウから逃げた時に顕現した神 のために祭壇を築くように命じ、ヤコブは神の命令に応えるべく、家族と共にベテル へと向かう。到着すると、そこに祭壇を築きエル・ベテルと名付ける。そして、神が 自身と語った場所に石柱を記念碑として建て、油を注ぐ。その後、乳母リベカの死に 続いて、妻ラケルがベニヤミンを産み、命を落としたために葬る。そこにも更に記念 碑が建てられる。神のヤコブへの命令とその遂行、家族の死、祭壇や記念碑の建立が 主要なテーマとなっているこの伝承を、BadenはEと判断する。その根拠の最大要 因の一つに、夢や幻の中での神顕現を挙げる34。ヤコブのイスラエルへの改名と神の 祝福が主題であるもう一方の物語は、Pの伝承であると述べる。ヤコブが父母の命令 で、自らの結婚相手をパダン・アラムに探しに行くことが創世記28:1⊖5から、ヤコブ がパダン・アラムにて富を得たこと、その富と家族と共にパダン・アラムからカナン への移住を計画することが30:43、31:17⊖38から分かる。彼らは33:18にてカナンに到 着し、また、35:9で神がヤコブの前に現れる。Badenによれば、パダン・アラムでの 居住や神顕現はPの伝承であり、「(神が)祝福する」の原語の は創世記1:22, 28;
2:3; 5:2; 9:1; 25:11; 48:3にも共通するPの要素である35。
神はヤコブからイスラエルへの改名を語った後、ヤコブを祝福し、子孫繁栄と土地 授与を約束する。そして、神と語った場所をヤコブ自らベテルと命名する。しかし、
ベテルの命名は既に創世記28:10⊖22でも行われている上、そもそも本章1節の時点で 神にベテルへ上るよう指示されていることから、物語の整合性が欠落している。この ような物語内における整合性や一貫性等の欠如を、Badenは異なる資料及び伝承が存 在した所以であると結論する。
更に、Badenは各々の資料は連続的で首尾一貫した説話であるとする。その上で、
分析結果を一つの物語や特定の聖書箇所において完結させず、他の物語との関連性や 連続性をも鑑みて、より大きな伝承群を模索する。例を挙げると、彼がJ資料と分析 する創世記49章のヤコブの祝福の場面において、それが際立って見られる。Badenは 前述した創世記35:1⊖22の区分のうち、21⊖22a、即ち「ルベンが父の側妻ビルハと寝 た」という極めて唐突で、物語の流れから見たとき明らかに不自然なエピソードのみ を例外的にJ資料と見なす36。この箇所は、先に述べた創世記49章と密接に関わって いることをBadenは示す。49章のヤコブからルベンへの祝福では、4節において前述 のルベンの「罪」が指摘され、長子としての名誉が失われると宣言されている。次節 以降の二男シメオンと三男レビについては、7節で「呪われよ」とまで激しく糾弾さ れており、これは、創世記34章で妹ディナが乱暴されたことにシメオンとレビが憤慨 し、復讐のために激しい暴力行為をはたらいた物語を受けている、とする。そして四 男であるユダが「兄弟たちはお前をたたえる」と祝福され、実質的なイニシアティブ を握ることとなり、J資料と想定される物語の中で数々の活躍を見せる。このように
Badenは、Jという一つの伝承群を彷彿させるものを浮き彫りにした。そして、それ
ぞれの物語の相関関係を資料分析で確認した上で、文書仮説の有効性について再評価 を求めている。
4.文書仮説についての Baden の見解
現在の五書研究では一つのアプローチとして資料分析は用いられているものの、
Wellhausenが提示したJEDPを基礎とした文書仮説そのものが全面的に受け入れら
れることは、ほぼない。Badenは、Rendtorffをはじめ、ヨーロッパを中心とした文 書仮説を批判する立場について、「ヨーロッパのアプローチ」であると一蹴する。本 章では、Badenの見解を示した上で、それがどれほどの説得力を持つのか、あるいは 問題点があるのかを指摘したい。
(1)non-P 資料37について
JEDPの各資料が、Rendtorffが指摘したように文書仮説からの想定つまりはプロ セスであるにせよ、Badenの主張する通り結論であるにせよ、それらの資料が架空の ものであることに変わりない。故に、資料の想定は意味を成さない、という文書仮説 の大前提の否定に反駁することは難しい。しかしながら彼は、文書仮説批判を拒絶す るに留まらず、より積極的に、また入念に応答しなくてはならない。この場合、J、
Eの各資料に関する様々な議論への参加は避けて通れない。何故なら、文書仮説が抱 える最大の問題は、DとP以外の資料、すなわちJ資料及びE資料の存在が肯定さ
れ得るか否か、という点だと言っても過言ではないからである。DやPがたとえ文 書化された資料とは認められず、あくまで層や断片であったと考えられているとして も、一般にnon-Pとされている聖書箇所への言及は不可欠である。Badenは、JとE の両者を区分するには同程度に難しいものであるにも拘らず、Nothの主張によって Eが格下げされ、二次的なものになってしまったことを問題視している38。更に、
Baden自身は資料分析の際に根拠としていない「ヤハウィスト」「エロヒスト」とい
う主に神名を中心とした区分の妥当性、それぞれの資料の存在あるいは概念への疑義 について、各資料の根底にあるとされるテーマやスタイルよりも歴史的な主張に重点 を置いて説明する39。そして古典的な研究が神名に依存してきたこと、形式的かつ用 語的な諸基準をテキストの区分のために採用してきたことを指摘すると共に40、必ず しもエロヒームという神名がE資料の指標にはなり得ないことを論じている41。同様 に従来の指標や基準も退ける42。その上で、特定の資料から何かを導くことができな いこと、それ故、問いの中の一節をそれに割り当てられないと述べながらも43、Jか ら独立した資料があるべきだと断言している44。
(2)編集過程と年代推定について
BadenはJ, E, and the Redaction of the Pentateuch(2009)で、J、Eという概念の起 源や足跡、それらの結合の過程について丁寧に解説している。だが、彼自身は
Wellhausenの頃から浸透しているJEのみ結合させた編集者、RJEの存在については
はっきりと否定し、一人の編集者が時間軸のある一点で、JとEの二資料のみならず 全四資料を組み合わせた、と論じている45。彼によれば、その編集者は四資料に責任 を負っていた46。しかし、JEDPの四資料を持ち合わせており、それを一つにまとめ た編集者が一個人であったという推察は蓋然性に乏しいのではないだろうか。また、
Badenは、その編集がなされた年代推定について具体的に述べていない。各資料の結
合プロセスについてBadenの関心は一見希薄である。その理由として、年代推定へ の言及が、彼のシンプルな資料分析方法の妨げとなり得る可能性を危惧してのことと も考えられる。
(3)Baden の文書仮説への貢献と役割
これらのことから、Badenの資料分析は、特定の物語や聖書箇所における一定の有 効性を示すには妥当と言える。ところが、資料結合の流れを重視する従来の文書仮説 を用いて、モーセ五書の成立を説明するには不十分であり、彼が試みる文書仮説復興 への道のりは遠い。何故なら、ただ四資料の存在証明を行うだけでは、Wellhausen
の唱えたJ-E-D-Pという配列をも包括した説を支持することにはならないからであ
る。しかしながらBadenは、JあるいはEのどちらが先か、PはどのようにJE資料 に適合したのか、という問いは、文学的なデータから証明できないことを例に挙げ、
上述のように各資料の年代を追究する姿勢を見せない47。加えて「資料の年代推定は 文書仮説に影響を及ぼさない」と結論づけている48。前に述べた、年代推定への言及
がBadenの単純化された資料分析を損ないかねないというジレンマは存在する。だ
が、彼が再検討を促しているのは、従来のものとかけ離れた独自の文書仮説ではない はずである。従って、Wellhausenの提案に則った研究を進めるためには、またRJE という考え方を排するならば尚更、資料の配列や結合の順序、及び年代推定の問題に も、ある程度意識を向ける方が好ましいのではないだろうか。さもなければ、Seters のような文書仮説への部分的な否定、個別の資料に対する異論にさえ反論することは 難しい。それどころか、伝統的な文書仮説を支持する立場の研究者とも結果的に対立 し か ね な い の で あ る。Badenの 行 っ た 資 料 分 析 を、 時 代 考 証 の 問 題 を 含 め、
Wellhausenが基礎づけた文書仮説に、いかにして適用させられるかが肝要である。
それでも、タームやテーマ、スタイルといった形式的なもの、神学という観念を伴 うものにとらわれないBadenのアプローチは単純明快である。資料分析の発展は、
常に五書研究に寄与してきた訳ではない。単語や文体、あるいは神学、思想など、
各々の研究者によって多数の基準や指標が設けられ、その結果、J1、J2、J3…という ように想定する資料の細分化が進んでしまった。この点も、資料分析に支えられてい る文書仮説の衰退の一因かつ問題点と考えられる。これについてBadenは、文書仮 説は資料の内部の発展を論じるものではない49、と注意喚起している。つまり、
JEDPの各資料の前段階については追うべきでなく、あくまで聖書が現在の形にまと められる一段階前の形態のみを取り扱うものこそが文書仮説であるとする。その意味 では、物語の連続性や一貫性に重点を置いた、彼の至極単純化された資料分析の手法 は、文書仮説及び資料分析を再考、再検討するための有用な足掛かりとなるだろう。
(4)Friedman の資料分析
Baden同様、文書仮説を支持する研究者にFriedmanがいる。彼はBadenと異な
り、年代推定に強い関心を寄せる。JEが結合したのは北イスラエル王国滅亡の時期 であるという通説を受容した上でDをPの後に配置する。そして、代表例としてノ アの洪水物語を挙げながら、Pは意識的にJEの別のバージョンとして記されたもの であるとし、J、Eの各文書が既に持っていたであろう権威についても推察する50。更 に、RJE及び四資料全体の編集者とされるRそれぞれの編集年代を追究する。
Friedmanの立場は、Badenの年代推定や、J、Eに関する考え方についての姿勢とは
対照的とも言える。資料分析というアプローチのみならず文書仮説という方法論をも
擁護するためには、資料の存在証明だけではなく、その資料がどのような経緯を経 て、現在の聖書の形に纏められたのかを、Friedmanのように精密に吟味しなければ ならないだろう。彼は、自著において五書の一文一文をJ、E、D、PとRJE、Rに当 てはめることを試みている51。この手法は、五書が資料だけで成立したということを 暗に示している。しかしながら、五書の成立は決して画一的でない。故に全文を想定 上の資料に区分し、それらに委ねてしまうことは、単元を元にした伝承史的研究の入 る余地すらなく、大いに問題がある。
(5)Baden のアプローチの有効性
先に見てきたように、Badenは特定の物語箇所を独自に分析し、区分された物語 を、J、E、Pの資料に当てはめた。繰り返しになるが、彼の資料分析は、物語の一貫 性や連続性、それらの中に表れている題材に重点を置く手法を取っており、ヤハ ウェ、エロヒームという神名の使用を含め、用語上のあるいは文体上の相違点、また そこに現れる神学や思想に立脚するものではない。それ故に、区分した物語がいかに 筋の通ったものであるかどうかがBadenの資料分析の妥当性を判断するための重要 な基準となる。その意味では、Baden独自の資料分析に基づき区分された各々の物語 は、不整合がなく、話が円滑に進み、大変読みやすいものである。ただし、その読み やすいそれぞれの物語が一個に集約され、読みやすさの失われた物語へと変化した要 因については触れていない。その背後には、モーセ五書の成立が一様ではないこと や、古代の人々が現代における我々とは異なる感覚で聖書を読んできた、即ち我々が 矛盾や不一致であると指摘する箇所も聖書が編纂された当時は問題なく受け入れられ ていた可能性等が考えられる。以上を考慮すると、その点について明確な解答が提示 できないことはやむを得ないのである。
彼が分析・区分を行った物語には、一貫性と連続性があり、大変説得力を持ってい る。だが、彼の資料分析は従来のヘブライ語原文の用語や文体に比重を置いた手法と は異なる。だからこそ、結果的に、有力と考えられてきた既存の資料分析結果と合致
すれば、Baden独自のアプローチの有効性がより一層確かなものとなる。Badenの
取り組みは、多数の伝承の複合体と推測されるモーセ五書の一言一句全てに適用でき るわけではないことが難点ではあるが、独自の資料分析の結果を、文書仮説という方 法論へ積極的に重ね合わせるという手法は評価に値する。その研究成果は、資料分析 というアプローチがモーセ五書における特定の箇所については非常に有効的であり、
そこから導き出されたそれぞれの資料を伝統的な文書仮説に還元できることを裏付け ている。
Badenは自身の用いた手法とそこから引き出した結論について、Wellhausenや彼
の後継者たちの伝統的な理論とはかなり異なるものと論じている52。しかし、資料の 配列に関してはJとEが先に結びついたという点を除けば、Wellhausenが提唱し、
継承されてきたモデルに依存しすぎる傾向が少なからずある。そのために、Badenの 独創性の数々は最終的にWellhausenの提案に帰結してしまい、Rendtorffをはじめと する文書仮説への批判に対する返答が曖昧模糊としている感は否めない。文書仮説を 再検討するためには、批判に対して的確に応じる必要がある。ただし、これはBaden だけの課題ではない。Badenが文書仮説批判を「ヨーロッパのアプローチ」と一言で 片付けるべきではないのと同じく、ヨーロッパの研究者たちも文書仮説を「時代遅 れ」の一言で済ませてはならないのである。近年では、Badenの発表を機に、
SchmidやBaruch J. Schwartzなどヨーロッパやユダヤ系の研究者たちが文書仮説再 考を促す動きが生じている。だからこそ今、文書仮説を支持する立場と反対する立場 の研究者が、議論を活性化させることが最も重要であろう。
おわりに
本稿で取り上げたBadenのアプローチのように、ただJ、E、D、Pの存在を示す だけでは、それらが一定の期間、独立したテキストとして存在していたこと、後に編 集作業を経て現在の聖書が形成されたことを裏付けられない。従って、彼の資料分析
のみではWellhausen以来の伝統的な文書仮説を全面的に擁護するには不十分であ
る。また、Badenは年代推定にはほとんど言及していない。実際、歴史的資料の欠如 からその解明は極めて困難である。しかしながら、文書仮説支持者の多くは各資料の 年代予測を立てる傾向にあり、近年では、先に述べたFriedmanがその一人である。
年代推定は文書仮説の有効性を見直すために重要な課題ではあるものの、Badenがそ れに関して明言を避けているのは、特定の物語個所を明快に二分するシンプルなアプ ローチにのみ集中したい考えによるのかも知れない。Badenは自身の資料分析におい ては特定の聖書箇所を物語の整合性や連続性の観点から区分し、最終的には各資料に 共通すると考えられる神名、人名、単語、用語等で「答え合わせ」をする。つまり、
それは彼自身が従来の中心的な資料分析の結果を信頼しているが故である、と言える だろう。
上記のように、彼は、物語としての完全さに比重を置いた資料分析を試みた。その アプローチは、従来の手法と多少異なるが、ゼロから創出されたものではなく、
Badenは「革新的な何か」を行った、とは言い難い。けれども、あまりに複雑化され
た資料分析から距離を置いて原点に戻り、近年閑却されていた文書仮説―特にJEの 問題―について、問題提起し、その再考を促す流れを作り上げたことは、非常に意義
深い。現在の聖書学研究に一石を投じたBadenの取り組みは評価されるべきであろ う。また、彼の二冊の著書は53、文書仮説の問題と彼のアプローチを提示するのに十 分な役割を果たしている。
Badenの主張はRendtorffをはじめとした文書仮説批判を克服したとは言えない。
だが、私見によれば、文書仮説が衰退していることは事実でも、五書研究から文書仮 説を排除できるほど、Rendtorffの批判は核心を突いたものではない。ヨーロッパに おいては、Rendtorffの文書仮説批判のみが一人歩きしているだけで、彼が提案した
「単元」を元にした研究方法のみが採用されている訳ではない印象を強く受ける。実 際に、文書化された資料ではなく部分的な層や断片と仮定されているとしても、Pや Dという用語、概念が、現在の五書研究において頻繁に使用されていることこそが、
その証左である。加えて、Rendtorffは様式史批評及び伝承史的研究と文書仮説は相 容れないものであると主張し、文書仮説との決別を強く訴えた。しかし、上記のこと を踏まえると、彼の主張とは反対に、文書仮説は他の研究方法と十分に併存し得ると 言えよう。寧ろ、どれか一つの研究方法だけでは、五書成立の過程を紐解くことはで きない。混乱を避けるために各々、研究方法の選択が必要である、というのが実情だ ろう。
以上のように、いくつかの問題をはらんでいても、文書仮説を根本から見直し、自 らの資料分析の結果から四資料の存在の再提示を試みるBadenの取り組みは、停滞 している文書仮説に関する研究状況に対して、一定の貢献を果たしている。
先述したように、それが伝承であれ資料であれ、独立して存在していたものが何 故、現在のような一つの形にまとめられたのか、という疑問が生じるのは自然なこと であるが、この問いは特定の方法論によって答えが得られるものではないだろう。古 代イスラエルの人々と現代の我々の読み方に大きな相違があったという見解さえも推 測の域を出ないものであり、実際von RadやNothが提唱したように、特定の集団の 神学的意図が背後にあって聖書が編纂されたのかも知れない。あるいは、宗教的な目 的のみならず、イスラエルにおける社会的・政治的背景が、イスラエル民族が共有で きる一冊の書物を必要としていたとも、ヤハウェ主義を興隆させる必然性に迫られて いたとも考えられる。聖書の成立過程の全体像を辿り、正確な解答を得ることはでき ない。それでも、様々な方法論やアプローチを柔軟に受け入れ、五書成立の真実にわ ずかでも近付くことを今後の課題としたい。
* この論文は、日本旧約学会(2016年11月3日/於・同志社大学)での研究発表に修 正・補足したものである。
注
1 R.レントルフ『モーセ五書の伝承史的問題』山我哲雄訳、教文館、1987年、274頁。
2 概略については、W. H.シュミット『旧約聖書入門 上』木幡藤子訳、教文館、2003年;R.ノーマン ワイブレイ『モーセ五書入門』山我哲雄訳、教文館、1998年、Joel S. Baden, J, E, and the Redaction of the Pentateuch (Tübingen: Mohr Siebeck, 2009); Jean Louis Ska, Introduction to Reading the Pentateuch (Winona Lake: Eisenbrauns, 2006)を参照した。
3 例えば、聖書を基軸として著された『ユダヤ古代誌』においては、神名が「神」で統一されている。
そこに著者ヨセフスの「主」を排した編集者としての意思が介在していると考える(フラウィウス・
ヨセフス『ユダヤ古代誌』秦剛平訳、筑摩書房、2000年)。
4 Baden, J, E, and the Redaction of the Pentateuch, p. 85.
5 レントルフ、前掲書、262-263頁。
6 同書、38-43頁。
7 同書、170頁。
8 M.ノート『モーセ五書伝承史』山我哲雄訳、日本キリスト教団出版局、1986年、15頁。
9 Ska, Introduction to Reading the Pentateuch, pp. 121-122. 10 ノート、前掲書、385頁。
11 レントルフ、前掲書、17-18頁。
12 同書、142-148頁。
13 Joel S. Baden, The Composition of the Pentateuch (New Haven & London: Yale University Press, 2012), p. 45.
14 Ibid.
15 Ibid., pp. 53-67.
16 レントルフ、前掲書、17頁。
17 同書、37-38頁。
18 同書、38頁。
19 ノート、前掲書、22頁。
20 同書、22、24頁。
21 レントルフ、前掲書、273-276頁。
22 同書、261-263頁。
23 Konrad Schmid, “Has European scholarship abandoned the documentary hypothesis? Some reminders on its history and remarks on its current status,” in The Pentateuch: International Perspectives on Current Research, ed. Thomas B. Dozeman, Konrad Schmid and Baruch J. Schwartz, FAT 78 (Tübingen: Mohr Siebeck, 2011), pp. 17-30.
24 レントルフ、前掲書、303頁。
25 Baden, J, E, and the Redaction of the Pentateuch, p. 63.
26 レントルフ、前掲書、36-37頁。
27 Baden, J, E, and the Redaction of the Pentateuch, p. 62.
28 Ibid.
29 Ibid.
30 Baden, The Composition of the Pentateuch, p. 249.
31 The Composition of the Pentateuch (2012)を参照した。
32 Ibid., p. 34.
33 Ibid., p. 36.
34 Ibid., p. 233.
35 Ibid., pp. 234-235.
36 Ibid., p. 237.
37 ここではP及びD資料以外の資料を指す。
38 Ibid., pp. 105-106.
39 Ibid., p. 128.
40 Ibid., p. 247.
41 Ibid., p. 111.
42 Ibid., pp. 246-247.
43 Ibid.
44 Ibid., p. 128.
45 Baden, J, E, and the Redaction of the Pentateuch pp. 308-309; Baden, The Composition of the Pentateuch, p. 248.
46 Baden, The Composition of the Pentateuch, p. 248.
47 Ibid., p. 247.
48 Ibid., p. 248.
49 Ibid.
50 Richard Elliott Friedman, The Bible with Sources Revealed (New York: Harper One, 2005).
51 Ibid.
52 Baden, The Composition of the Pentateuch, p. 246.
53 J, E, and the Redaction of the Pentateuch, The Composition of the Pentateuchを指す。