Meredith文学の倫理性
著者 宇喜田 敬介
雑誌名 主流
号 26
ページ 112‑133
発行年 1964‑11‑15
権利 同志社英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016694
M e r e d i t h文学の倫理性
宇 喜 田 敬 介
イギリスの文学に共通する著しい特徴として多くの研究書や解説があげているもの の一つに, その道徳性があり倫理性がある. 例えば Keatsのように,一般には美の ために美を追う詩人のように考えられている人でも現実の問題,主として当時の政治 的情勢に無関心であり得ず, 更には倫理的・人道主義的な面をもっていたことや9
Swift, Thackeray, Dickensなどが熱心に予言者的精神を以て当時の社会悪を糾弾し たような文学史的事実は確かに上述の特質を証拠だてるものであろう.矢野蜂人博士 の指摘されるように,このイギリス文学の倫理性は,美的なものを観照することによ って人の霊性を高めるというような倫理的感化,或いは間接的影響を意味するよりは,
透かに直接的・具体的な教訓を与えることを意味すると見る方が正ししもっと端的 に言えば,直ちに我々の処世の指針,生活の指導原理となるような教訓を含むことを 意味すると考えるべきであろう.このような特徴を生み出す素地となるものが,英国 人自身の,現実に執着する精神であることは容易に想像し得ることである.我々の当 面の対象たる GeorgeMeredithも9 この英国人のもつ特質の埼外ではなしその作 品も又当然にその特徴を最もよく具備したものの一つであった.例えば,彼はロマン 派の詩人たちによって,何か甘美な, 温和な存在と化した「自然」の観念に対して
「大地」ということを主張し,その大地を人間の生活の根拠とし,生活することを人 間の存在の基本形式としたのであった.
1862年から63年にかけて 1年たらずの間, Mer吋ithは D.G. Ross巴tti,William Rossetti, Swinburne等と共に Londonで共同生活をしたことがある.この挿話は Meredithよりも, 他の当代の唯美詩人,異端であった人たちの生活ぶりを知る上に も興味深いものがあるが, Meredithに関して, William Rossettiが後になって次の ように語っている.
But Mr. Meredith was incomparably more a man of the world and man of
society, scrutinising all sorts of thing, and using them as his materiaI in the
1)
commerce of Iife and in the五eldof intel1ect
この言葉には,その仲間が,共に不重量な生活ぶりや道徳的価値の転倒,美に対する 織著
I !
な欲求によって, という風に種々な形で社会や時流に対しての反逆児であったが ために,一層強く Meredithの特徴が対比表現されているようである.Mer巴dithは, やはり生活人としての現実に対する関心から発して,成育が彼に与えたその正確な把 握に人間の生活の意義を感じこれを作品に再現しようと試みたのである.従って,彼の作品を往々晦渋にしている特異な文体や, 人工的な臭味のある plotや舞台設定 などは,大時代な Victoria朝風を思わせるものであっても, 彼の基本的なそういう 態度と矛盾するものではない.
このような現実家としての Meredithが,人間の eg01smという, 人間存在の根 底に巣食う悪に対処するのに取った方法は,喜劇とL、う形式によって,それに対する 個々人の覚醒と反省をうながすというものであった.彼は人間の我意、が,すべてこの 世に行われる愚行や矛盾の根源と考えていた.彼がsentimentalなものを執効に攻撃 したのは,それが他人の存在を忘れ,他人の注意を自己にひきつけ,そして他人の生 活を自己の基準によって秩序づけようとする我意の暴力の一変形にすぎないからであ った Meredithの喜劇〔と言っても,それは舞台で行われる演劇としてのものでは なく,彼独特の comedyin narrativeである〉による egoismの認識と分析は, そ れ自身はなはだ警世的な意味の強い,道徳的,倫理的方法である.しかし,そのこと によって彼の作品が教訓臭ばかり強い生気を失った道徳教科書とはなっていない.何 故なら,彼の詩人的な,豊かな, しかも強い個性が彼のegoismなり現実というもの の認識を彩どり,更に彼の知性がそれを徹底的なものにしているために,彼の措く人 間はまさに生きており,彼の描く風は現実の風であり,そして樹木は生命をたしかに 持っているからである.一歩を進めて言えば, Meredithを一段と際だたせているの は,彼の作品の現実的,倫理的性格よりは,むしろ自然詩人としての鋭敏な触角によ って捕えられた美しい自然の姿や,その自然と一体になった人間の喜びを歌いあげた 詩的措写であると言うことが出来る.しかし,ここでは,やはり Meredithが英文学 の主流に樟さしていると考えられるその根拠を彼のいくつかの作品について述べてみ たいのである.
114
1 . r
喜 劇 論 」 に つ い て1877年2月1日, Meredith は LondonInstitutionにおいて, TheIdea of Co.
medy and the Use of th巴ComicSpirit"と題する講演を試みている. (以下これ を簡単に「喜劇論」と呼ぶ.) この喜劇論は必ずしも演劇としての喜劇プロパーを扱 ったものではなく,むしろ広義の文明論であり,独創的な文学論であると言ってよい.
とは言っても,やはり第極的には喜劇というものの本質を,その分野ではきわ立った 伝統をもたない英国において更めて認識し,向上せしめたいという Meredith自身の 意欲が強く示されているものである.
ギリシャ喜劇lにあっては,時期的な分類が明瞭に内容的な分類と一致するのである が,その最も古い喜劇ではs 材料はきまって政治的,社会的事件であり,それらに対 する辛嫁な認刺である.現在伝えられているこの期のものは Aristophanesの11篇の 喜劇で,これらはすべて上述のようなラ良い意味での journalisticな喜劇である.中 期のものは,多数の断片を除けば,まとまったものは一つも残っていない.そして,
いわゆる新喜劇になると政治や社会生活に関するものは減少し,恋愛事件や日常的滑 稽の描出,乃至は一度悲溺j詩人が戯曲化した後の神話や伝説に対するparody的{乍意 が多くみられる. 英国について言えば,代表的喜劇詩人である Shakespeareに影響 したのは,むしろ,この, Menanderに代表される新喜劇であった.従って,近世の 喜劇は,最も古い喜劇p つまり厳格な意味でのギリシャ喜劇で、ある Aristophanesの 喜劇!とはかなり相違した内容のものである Aristophanesの喜劇jは滑稽そのもの,
或いは笑いそのものを目的としていない.テーマ自体はむしろ真面白なものである ただ悲劇の場合は,必ず、しも悲惨な破局を日的としないにしても,全篇を通じて悲壮 厳粛の情調を持っていると同様に,喜劇においては,滑稽や笑いが目的とならず、とも,
全体に暢達な, くつろいだ情調がみなぎっているのは事実である.この暢達さは,要 するに「笑うことの出来る真面白J,換言すれば真面白であって笑い得た作者Aristo‑ phanesの精神的振幅の大きさからくるものである. 彼の喜劇が恋愛や情事の失敗,
或いは家庭内部での日常生活の滑落など,いわば閉鎖的環境での些末な対象を扱った 中期乃至新喜劇に比較して差益かに広般な perspectiveをもっていることも, ここに肯 づくことが出来るのである.
Meredith文学の倫理性
Meredithの喜劇jの理想はまさしくこのようなものであった. 社会に対する透徹し た洞察力,現実をありのままに見得る精神カフそこに行われている諸悪を矯正しよう とする意志を含んだ真面目な笑いうこれらが喜劇の本質でなければならない.しかる
Our English school has not clearIy imagined society; and of the mind hovering above congregated men and women, it has imagined nothing. The critics who praise it for its downrightness, and for bringing the situation h口meto us, as they admiringly say, cannot but disapprove of Moli喜代、 comedy, which appeals to the individual mind to perceive and participate in the socIaI.明Te have splendid tragedies, we have the most beautiful of poetic plays, and we have literary comedies passingly pleasant to read, and occasionalIy to see acted. By literary comedies, 1 mean comedies of classic inspiration, drawn chiefly from Menander and the Greek New Comedy through Terence; or else comedies of the poet's personal conception, that have had no model in life, and are humourous exagger‑
2)
ations, happy or otherwise. そして,更に
Of this class in England (the middle cIass) , a large bodyヲneitherPuritan nor Bacchanalian, have a sentimental objection to fact th巴studyof the actual worId. They take up disdain of it, when its truths appear humiliating: when the facts are not immediately forced on them, they take up the prid巴ofincredulity .,. But
3)
of Comedy they have a shivering dread, •••
何故なら,喜劇は彼等の固定した,微温湯の如き世界をゆすぶり,笑いによって彼等 をそこからはじき出し冷たい現実の風にあてようとするからである.
Meredithの Moliereに対する傾倒ぶりは, この論文中にも明らかである.彼は 英国におけるユーモアの伝統は認めながら,その喜劇作品はタ
1t is Moli会retravestied, with the hoof to his foot and hair on the painted tip
4)
of his ear.
(茶化したモリエーノレ, モリエーノレの足;こ蹄をつけ,玉干の先に毛を生やしたもの)と しか評価出来ない.Moli色reこそ Aristophanes以来の真正の喜劇の遺鉢をついだも のであるとしている.
The source of his wit is clear reason: it is a fountain of that soil; and it
Meredith文学の倫理性
springs to vindicate reason, common‑sense, rightness and justice; for no vain 5)
purpose ever.
真正の喜劇とは,このように充実した精神から生れる機智が作品の中枢にあって,
有機的なあらゆる構成の脈樽と共に鼓動していなければならない.正義,正道を擁護 する機智が更に真実なものとなるためには WalterSavage Landorが言うように,
a sound and capacious mind (健全にして博大な心)を必要とする.
鋭利な切れ味,肢惑的な光宅などは喜劇の機智の必要属性ではないのであって,む しろ,温かく,包括的な精神的源泉こそ必要なのである.Moliさreはこれらの喜劇の 本質的性格をすべて具現してみぜた稀有な人物であるが, フランスが Moliereを生 み得たにかかわらず,何故英国がそれをなし得なかったか. Meredithはこの聞に対 して次のように言っている.
But there never will be civilization where Comedy is not possible; and that comes of some degree of Social equality of the sexes.
…
They (cultivated women) are blind to their interest in swelling the ranks of the sentimentalists. Let them look with their clearest vision abroad and at home. They will see that where they have no social freedom, Comedy is absent: where they are household6) drudges, the form of Comedy is primitive.
喜劇の成立が,開かれた社会においてのみはじめて可能であるという思想は Me‑
redithの喜劇j論の中でも一つの頂点をつくるものであると思われる.Marcel Pagnol は, その Notessur le Rireという essayの中で「酒落は精神の衰弱を物語るJと 言っているが,酒落,乃至皮肉,菰刺などはあくまでも何等かの点で閉鎖的な環境に よく行われることは否定し得ない.これらに共通する性格は,その本質において暗く 重苦しい情念の一方的な放射であって,そこには精神性は極めて稀薄であるか,或い は全くないと言える.これに比して,喜劇はその生命を自由で暢達な「対話」におい て持っている.その対話が可能なためには,男女両性が,精神的にも,知的にも,或 いは社会的,経済的にも差異なき地位にあるような社会環境か,又はそのような社会 をめざしての戦いと努力が行われている現実がなければならない.喜劇的対話の欠除 は,すなわち人間性の歪曲,被行,分裂の状態を物語るものと言えるのである.英国 はこの点で喜劇的風土を持っていないと Meredithは言うのである.
Meredith文学の倫理性
ここにおいてMeredithの喜劇論の第二の主題である喜劇精神の効用が考えられね ばならない.彼によれば,喜劇精神とはまず何よりも目前の事実の全貌を誤たず把握 し,認識するカであり, Moli色reの持っていたような健康な理性と parallelである.
それは因習や偏見,敵意,感傷などによって曇らされることのない明朗な理性に源を おいている.そしてこの理知的な喜劇の精神はその性格において地上的,具体的であ
って,飛躍,抽象,空想、など非現実的なものとは対極に立つものである.
If you believe th旦tour civilization is founded in common‑sense (and it is the 命stcondition of sanity to believe it), you will, when contemplating men, discern a Spirit overhead. .,. It has the sage's brows, and the sunny malice of a faun lurks at the corners of the ha!fclosed lips drawn in an idle wariness of half tension ... Its common asp巴ctis one of unsolicitous observation, as jf surveying a fu!l五eldand having leisure to dart on its chosen morsels, without any fiuttering eagerness. .,. Men's future upon earth does not attract it; their honesty and shapliness in the present does; and whenever they wax out of proportion, overblown, affected, pretentious, bombastical, pedantic, fantastically delicate;. whenever they offend sound reason, fair justice; are false in humility or mined with conceit, individually, or in the bulk ‑ the Spirit overhead willlook human巴ly malign and cast an oblique light on th巴m,followed by volleys of silvery laughter.
7) That is the Comic Spirit.
人間を駆って様々な狂患を行わしめる根源のもの,何か暗いdemoniacなもの,がp
この地上に人聞が生れて以来その生活を支配して来たが,この根底にひそbものは何 であるのか.Meredithはこれを ego"と名付けている. 巴go"は,ただし歴史の ある時期においては,その確立と拡大こそが明るく健康な人間生活を約束するもので もあった.例えば Renaissanceのように.しかし, ego"がその自己完成の目的を 忘れ,人間の自由を保障する社会の建設のための努力を放棄し,白己保存のためにあ らゆる種類の変革を拒否し始めるとき, ego"は次第に abnormalな方向を辿るよ うになる. Meredithが彼の時代に見たものは, この ego"に毒された abnormal な人間の姿と,それを矯正すべき喜劇精神の欠除であった.
Y ou see Folly perpetually sliding into n巴w shapes in a society possessed of wealth and leisure, with many whims, many strange ailments and strange doctors. Plenty of common‑sense is in the world to thrust her back when she pr巴tends
Meredith
to empire. But the五rst‑bornof common sense, the vigilant Comic, which would
8)
readily extinguish her at the outset, is not serving as a public advocate. 端的に言って, Meredithが考えていたことは, 19世紀Victoria朝の英国社会では,
少くとも前世紀以来,その確立と拡大をめざして来た ego がすでにその生々とし た生命を失ない.外面的繁栄の下に,衰弱した精神が bourgeoisindividualismに堕 している現実があり,それを喜劇j精神と名付ける知性の意志的ないとなみで乗り切っ てゆかねばならないということである.それは18世紀という健康な時代の後に来た人 間の精神の疾病を癒し,再び健康をとりもどす試みに他ならない. I喜劇論」はそれ についての方法論であり,その性格において倫理的である.
Victoria朝の,光輝ある時代としての部面,それは政治的な安定,中産階級の社会 への進出が結果した清教主義の堅実な道徳意識の復活,科学的真実の探求,これらが 機械文明の発達と共に一括されて Searchfor Balanceの趨勢を作った. が,その裏 面に積って行った矛盾の暗影』それは経済的繁栄が人間を,軽薄な楽天主義に導き,
:精神的な価値に対する無l顕着が次第に社会をおおって snobberyの流行を見るに至 った.新興中産階級は道義的な観念は尊重したが,富と権力を求める物欲はその道義 感を偽善に移しかえてしまった.そして下層階級の生活の貧窮悲惨は,救貧法や定住 法の改廃,労働法の改正などで除々に救われる方向に向ったが,しかしこの法的処置 が精神においてどこまでも bourgeois的であったために徹底的にものになり得なかっ た.この時代後半の経済史は今までの歴史に見られない労資対立に由来する同盟罷業 でおおわれるのである.当代における精神的疾病の原因は,一つにはこのような階級 の対立という歴史的事実の中に求められるのではなかろうか.
しかしMeredithは本来ならば知的な喜劇の笑いを最もよく理解し得る教養をもっ 上層階級の中に ego"の病弊が最もよく穣漫していることを指摘し,しかもそうした 階級体制に対して直接的な変革を迫るよりは,むしろ個人における不断の内部の変革 こそ,失われた健康の復活を可能することを明らかにしたと考えられるのである.彼 の喜劇観の倫理的性格というのはこのことであるー彼の最も有名な作品である Eg,臼~st,
長詩 lvfodernLove或いは一般に政治小説と見られている Beauchamp'sCareerーな どについて3 このことを具体的に検討してゆきたい.
Meredith文学の倫理性
n .
The Egoisl言うまでもなく TheEgoistはMeredithの代表作と考えられる作品であり,彼の
「喜劇論Jが小説として具体化されたものと見てよかろう.制作年代は Beauchamp's Careerとは前後するが(TheEgoistは1879年干1,] Beauchampは1874‑5年にわた
って FortnightlyReview"に掲載され, 75年に一本にまとめられた〕喜劇論を考 察した関係からこれをとりあげることにする.
The Egoistー篇は egoの破滅の経路を克明に辿った物語であり, Meredithの言 う喜劇精神の縦横に躍動する「喜劇Jそ の も の で あ る . 主人公SirWilloughby Patterneと数人の女性の交渉があるがそれは恋愛事件では全くない romance的要 素,詩的要素は殆んどないと言ってよい.そして又一方3 極めて感覚的な美辞麗句が 随所にちりばめられ そのようなaphorismの註釈によって成立っている小説の如き 感が与えられる. 例えば Mrs.Mountstuart Jenkinsonは Willoughbyを評して He h丘sa leg."と言う. そしてその後, その leg"について, ひどく長々しい commentが続く.
Mrs. Mountstuart signified that the leg was to be s巴en because it was a burning leg. There it is, and it will shine through!
…
the leg that smiles, that winks, is obsequious to you, yet perforce of beauty self‑satis五吋 that twinkles to a tender midway between imperiousness and s巴ductiveness,audacity and discretion; between you shall worship me' and I am devoted to you '; is your lord, your slave, alternately and in one. It is a leg of ebb and flow and high‑tide9)
ripples. ...
こういった aphoristicな, 従って, 感覚的であり同時に理知的な美文調は,それ だけのものとして片づけてしまうわけにはゆかぬものを持っている.Willoughbyは その行為からみて,精神的内容の乏しL、人間として措かれているようであるが,その 態度容姿は極めて印象的で見事である.美しい顔と,体躯と,つまり「澗」を持って いる.要するに,内面的によりも外面的に立派であるというだけならば先にあげた文 章も作者の徒らな言葉のあそびか3 鬼面人を驚かす底の文飾以外のものではないと思 うより他はない.しかし,この種類の3 煩わしいまでに屈折した表現によって描き出
120 Meredith文学の倫理性
された Willoughby Patterneが,やはり我々を惹きつけるカを持っているのは,美 しい脚という.言わば日常的な事実をふまえた現実の面に, Meredithが極めて紋細 な神経を働かせていて,しかも描写に当っては完全に客観的な立場を保ち得,且っそ ういう現実を含めての,自らの固有の世界に対して我々の共感を呼びおこす術を彼が 心得ているからである.彼にとっては,一見警句や脱線にみえるものも脱線を意味せ ず,その効果を予知して自己の諮諺や笑を我々に伝えようとし,自己の立場に対する 承認を得ょうとじているのに他ならない.そして我々が作中人物の魅力によってこれ に応じるときその人物は普遍性を獲得するのである.
Willoughby Patterneはその意味で今日でも生命を失っていないのである.
物語に登場する人物は殆んどが egoismのvariationである Willoughbyの家 に寄食する Dr.Middletonは娘を極上の portと引き換えに Wiloughbyに引きわ たそうとする egoistであり DeCrayeは慰霊型無礼の女蕩し Mr.DaleはWil・
loughbyの地所を借りて住む小 egoistである.女性には,才気喚発r常に皮肉と諮 護には事欠かないが,その日常は無為p せいぜいが他人のscandalに生き甲斐がある
といった風のMrs.Mountstuart, Lady Bussheそして,甥である至大の egoistにそ の身をあず、けて細々と生きている老嬢の二人の伯母 Eleanor,Isabel. Dr. Middleton の娘 Claraは最初この人物たちのかもし出す egoismの撞気にあてられるが, 次第 にその恐るべき正体に気づき,これと戦い始める Mr.Daleの娘Laetitiaも, 初 めはWilloughbyを神のま口く崇め且つ慕っていたが, Claraの意志と理知にうたれて 覚醒する.最後にWilloughbyの従弟, Vernon Whitfordは無我無慾の学者であり,
Claraと結婚する.
これらの人物の登場する舞台である Willoughbyの荘園では, 人々は過去伝来の しきたりを守って徒食し,口舌を弄し,人工的で生命感の乏しい生活を送っている.
このような, Victoria時代の広大な土地所有者である郷伸階級の dullな世界が,こ のegoistを養う土壌となっている.物語はむしろ単純である. Willoughbyは成年 に達し,美と健康と財に恵まれた少女ConstantiaDurhamと婚約する.がこの少女 は,夫となる者の冷酷無惨な本質を見ぬいてその約を破ることになる. 次いで Wil‑ loughbyは Claraと婚約するが, 彼女も又同じ理由で彼の許を去ろうとする.
Willoughbyは自らを悟ることなしただ位聞の眼をおそれて全力をあげてClaraを
Meredith文学の倫理性 121 引きとめようとする.その望みの薄いと知るや,彼は自分を無条件に支持し愛慕する が長ら〈これを無視しつづけてきた当の娘 La巴titiaに求婚し, 当面を繕うことに努 力する Claraによって彼の egoismに気づいていた彼女はこれを拒む Claraは Vernonに奪われてしまった Willoughbyは遂に Laetitiaと,その提出するあら ゆる条件を容れ,その独立した人格を認めることによって結婚することが出来るよう になる.
Willoughbyの第ーの喜劇性は要するに金持のお坊ちゃんの思い上りの滑稽さにあ るので,自らをあらゆる他者の上にある支配者であり,すべての女性の崇拝を当然の ことと心得ている自我肥大の姿であるといえるが,しかく天真で無邪気な人柄比時 として全身で憤おることも出来ヲ又疑いを知らぬ一方的なf青熱で人を愛することも出 来ょう.しかし,彼の病的な自我意識は絶えず外方に向って,我意、を傷つけ損う他者i 乃至社会の影響力から身を守ろうとのみ働くのである.彼の我意、は彼をして己が内部
を見ることを不能にさぜている.同時に彼をとりまく現実を直視することをも不可能 にしているのである.彼は三人の女性を支配したと信じる瞬間に彼女等に支配されて いる.このいやらしく滑稽な分裂が第二の喜劇性である.vVilloughby Patterneは古 典的な暴君でもなければ,まして異様な怪物でもない.我意という宿命を背負った19 世紀のbourgeoisieの一人にすぎないのである.しかも彼の,傷つくことを最も怖れ,
近づくものを一度は務疑の限でみなければならぬように自己を育てた当の我意とは,
要するに他を支配しちその奉仕を求める慾望の別の謂である 人間の内部には9 孤独 にひたり諦念と,冥想と,そして自意識にふける純粋に個人的側面と,他人を支配し,
その存在を左右し,或いは英雄などのような秀れたものを認めてこれを讃仰しようと する集団的側面がある.とすれば Willoughbyは集団的,社会的 egoistというべき であろう.その満足のためには,彼は似非謙遜,似非愛他主義の煽態も敢てとるので ある.しかし,彼は他者を愛することは出来ない. 彼が ClaraMiddletonにささや
く愛とは,すなわち,
r
我,汝に愛されることを求める.Jということに帰着する.この,自己の勢力範囲内においては可能な限り広く支配者としての優越を保ち,栄 光ある存在たらんとする要求は,たとえ醜くとも人間の免かれ得ない心理的事実では ある.しかし,人間のもう一つの側面,つまり純枠な個人として自己にぬ縫い孤独 を保つ限りにおいて9人聞は文純粋に他者を〆愛し得る可能性を有するとも思われる.
Meredith文学の倫理性
Lかし,近代はこのような純粋な個人というものの存在を不可能にしてしまっている.
あるものは集団的自我意識のみである まさにWilloughby自身のそれのように.彼 の行動は,愛され,眺められることによってのみ支えられているのであって,愛する という momentは全く脱落している.
Meredith には,
The love‑season is the carnival of egoism, and it brings the touchstone to our natures.
という言葉がある.つまりは,我々が,かりに女性を愛そうと試みた場合に,全身的 に愛にうちこもうとしても,その過程において次第に露われてくるものは,相手を支 配 し 独占しようとする我意であり. 毛頭も,純粋な個人と個人の結びつきである とは言えないということである.彼にはこのことについての苦い痛烈な体験がある.
T. L. Peacockの娘 MaryNicollsとの恋愛及び結婚生活において, 結局,経済的 貧窮とそれから脱出しようとする焦慮が我意の対立に拍車をかけ,やがて彼女の出奔 と共に彼女に対しては反発と憎悪のみが残りち愛情はーかけらもなく消滅してしまっ た. 一子 Arthurが病気になったとき, 丁度、 男に捨てられて故郷に戻って来た Maryが見舞いたい希望を伝えてもこれを拒絶し,更に後、彼女が孤独のうちに病床 に死を待っているときも, これを慰めることを肯んじなかった態度の中に Meredith の執念がうかがわれるのである.さてそれでは我々は他者を愛するためにはどうすれ ばよいのであろうか.近代的愛情とは如何なる姿をとるべきであるのか.
Meredithの1862年の作である.長詩lV10dernLoveは,彼の自伝的要素の含蓄,
深層心理の分析の詩的表白という点で,彼の傑作のーっとされているが Maryとの 愛情の破綻が制作の直接的契機となったと考えられている.その中の一節に次のよう な数行がある.長詩の主人公である一人の男と,その妻の疎隔の原因を9 男が考える 独自である.
But where began the change; and what's my crime?
The wretch condemned, who has not been arraigned, Chafes at his s巴ntence. Shall I, unsustained,
Drag on love's nerveless body thro' all tim巴?
I must have slept, since now I wake. Prepare, Y ou lovers, to know Love a thing of moods:
Meredith文学の倫理性 Not lik巴hardlife, of laws. In Love's deep woods, 1 dreamt of loyal Life: ‑ the offence is there! Love's jealous woods about the sun are curled; At least, the sun far brighter ther巴didbeam.‑
My crime is that, the puppet of a dream, 1 plotted to be worhy of the world Oh, had 1 with my darling helped to mince The facts of life, you still had seen me go '
iVith hindward feather and with forward to巴p
10)
Her much‑adored d己lightfulFairy Prince!
123
男は女との感覚的愛慾関係にとどまっていること.すなわちそれは相互の独占と支 配を欲してやまぬことに他ならないが,そのような関係にあきたらなくなる.女はそ れを理解することが出来ず,男の愛のうすらいだものと悲しみ嫉拓するのである.
愛する倫理においては行動の責任は自己にあり,愛される倫理においてはそれは常 に相手の側にあるのである.自身はかすり傷を負うことをも拒みながら,ひたすら相 手の愛を要求する恋愛の森のおぞましさに気づき,男は陰湿な我意の森からの脱出を 求めるのであるが9 彼の期待するものは 相互の自主性と責任に基づいた,明るい太 陽の下での意志的な愛の姿である.C. Day Lewisに従えばp
vVhat most delayed its recognition was perhaps not its poetic originality, nor even its 'drIft',…but, quite simply, its choice of subject. 日 mi泊d
Engl五ishsoci巴tyas intol巴rantof s巴瓦ualirregulari抗ty,it had even 1巴S8tolerance for th巴opendiscussion of it. Meredith offended against the strongest tabu of hi8 time; and. he heigh t巴nedthe offence by the provocative title he gave to his po巴m ... What these critics failed to rea1ise was that A10dern Love is not an a‑moral po巴m. It is instinct with a moral ideal they could not grasp because it was in advance of its tim巴 ーtheideal of equality between the sexes. And, just as the poem was for long a victim of its own modernity, so the di伍cult id田1of new relationship between man and woman, based on巴qual巴motional rights, may be thought to have contributed to the disaster of the marriag巴which
11)
produced this poem.
人間の我意は自己と自己をめぐる世界との有機的関係を見失わせる.我意のとりこと なったとき,人聞は他者を愛するに必要な自律的生命力を失ったときである Mere‑
124 Meredith文学の倫理性
dithは,この我意の毒から脱出するために自然との合ーを考える.母なる大地は人間 に強いvitalityを与え,想像力をよびさまし,人間的諸条件をすべて回復せしめると 彼は考える.しかし近代社会は,人聞を統一体ならぬ断片とし,自然を追放してしま った.平等な両性関係を実現する改革的意志がタここに要請されるのであって,その ような改草的意志と愛情の合ーがMeredithの理想的人間像であると思われるのであ る.
Modern Love における女の役割比 Egoistにおける Willoughbyが背負ってい る.まさに WilloughbyPatterneはその名の示すように (Patterneという姓は patternに通じるものであることは Meredithも言明していることで3 彼は英国人の ことを Theyare all of a patternとも言っていた.) 自律性を欠き改革的な意志を 持ち合ぜぬ我意、の人である.Meredithの年若い友人であったR.L. Stevensonは,
1 have r巴'ad TheEgoist' five or six times myself, and 1 mean to read it again; for 1 am like the young man of th巴anecdote‑ 1 think vVilloughby an
12)
unmaly but a very serviceable exposure of myself.
と言ったと伝えられている. the young man"というのは TheEgoistが出版さ れた後,一人の青年が Meredithを訪ずれて, Willoughbyは自分をモデ、ノレにしたも のではないかと訴えたことを Stevensonが伝えているので Mepedithはこれに対 して, Willoughbyは我々すべてのことだと答えたそうである.Stevensonの読み方 は芸術家としてよりもむしろ moralistとしてのそれであるといえる. 彼の心をうち,
f皮の心をとらえたのは,この小説の教訓であった.しかし,この didacticismは押し つけがましい道徳臭や,教師気取りを感じさせるものではない.Meredithは3 たし かに当代の人聞に巣喰う精神の病をっき,同時に近代文明の中で自我の意識が如何に 人聞をゆがめているかを描いたが,一方においてどのような階級の体臭も持たね純粋 な人間の姿をも追求しているのである. 例えば ClaraMiddletonが最後に結婚する Vernon Whitfordという人物は,生れながらに無我の人であり,生れながらに純粋 であり,そして教養人である.彼の内部には歴史も伝統の重みもなく,彼は階級の外 に存在している.Willoughbyは父祖伝来の土地所有者であり貴族であるとL、う歴史 と階級の中に存在する. Dr. Middletonも, De Crayeも, そして Claraも又階級 的存在である.歴史と階級は悪と罪の堆積でありうその凝問点であり収縮点である.
Meredith文学の倫理性 125 ただ、‑Claraが救われるのは,彼女が白己の歴史的,階級的存在を不可避的なものとせ ずここから飛び出そうとする勇気と意志を持っていた故である.彼女は自己の直面す る現実を確実に把握する行動的知性に支えられている.自己は眺められ,表現される ことによって確認されるのではなし行動し,生活することによって確認するものと 考える人間として示されているのである.
Vernonのような無我の純粋な人間が,多少の学識や小才に恵まれた人間より尊と ばれぬ世界,更には軽侮と噺笑を受けねばならぬ世界一‑Willoughbyにとって Vernonは常に滑稽で軽蔑すべき鈍重な田舎者であったーーそれが存在する限り,今 日の文化も文明も野審とどれだけの懸隔があろうか.しかし, VernonはClaraと結 婚するのであって,ここに我々はMeredithのタ自我よりの解放の希望を見るのであ る.この二人は決して「恋愛の暗い森」に呼吸する愛人達ではなく,相互の独占を求 める egoistではない. 自然に対しても,人間に対しても,直接な,素朴なラ清純な 関係を持ち得るものであり,新しい未来をつくることの出来る自律性を持った魂であ る.
I H . Be
αuch
αmp's Career
この小説は一般に政治小説と考えられている.議会選挙3 政党活動,政治思想など,
当代の政治的側面を構成するさまざまな要素が物語を構成しているという理由からで ある.又,作中人物の諮る言葉が,作者Meredithの社会思想の表白であるとも考え られている.就中,後に掲げる.急進主義者 Dr.Shrapnelの言葉はその好例とされ ている.しかしれそういう政治的,社会的陰影の濃い小説が,直ちにMeredith自身 の政治的な,或いは社会的な,主義主張の小説的表現であるとするには,主人公Nevil B巴auchampの生涯が, 他の非常に多くのものを語っているようである.というより,
一つのことを語っているのであるが,それが,現象的な,政治的,社会的態度如何と いった問題よりも,この作品においては透かに本質的な意味をもっていると言うべき かも知れない.本題に入る前に,物語の内容を要約しておこう.
Nevil Beauchampは,富裕な伯父 Romfreyと,その家事をとりしきる女執事の Rosamund Cullingの世話を受けている孤児である.
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育熱的な青年で,はじめは無邪 気な愛国心からクリミヤ戦争に参加し戦功をあげるが,そのうちに戦争という現実を126 Meredith文学の倫理性
みることによって,この世に行われている矛盾を感じるようになる.戦場で彼がその 生命を救ったフランス士官の家族と共にヴェニスに滞在中,その士官の妹 Ren伐 と 恋におちる.海軍の士宮として勤務しながら,彼は奴隷売買の一掃に参加し,更には 社会改革をめざすようになり,遂に Bevisham(実は Southamptonを指していてこ の地で Meredithの友人Maxseが実際選挙活動をしたことがある. このMaxseが Nevilのモデルと言われている〕において急進派の一人として選挙に立候補する.彼 は老急進主義者 Dr.Shrapnelに部事しており,その思想の影響を受けているのであ る.援の Tory派に属する友人たちは彼をおとし入れようとするが ColonelHalkett の娘Ceciliaに警告される.今は放蕩者の老人と結婚している Ren伎は,急にNevil をNormandyに呼びょせるが, これは彼が如何に自分に忠実であるかを誇示するた めのものであった.失望し帰国すると,彼はその行為を中傷する文書などのために選 挙に破れる. しかし彼は自己の理想をとげようとして TheDawn"という新聞を 発行する.
彼は Ceciliaに恋するが,一方 Ren伐の魅力はやはり彼をはなさすン敢えて彼は 一歩をふみ切ることは出来ない.RosamundはラかつてDr.Shrapnelに侮辱的な言 葉を受け, Romfreyに訴えたことがあったが, Tory派の Baskeletが,更に Rom‑
freyに, そのことを悪しざまに告げたのでRomfreyはDr.Shrapnelを殴打する.
Nevilは懸命に伯父が博士に謝罪するように努力する.
Romfreyはその兄が亡くなったので伯爵家を相続し LordRomfreyとなる.突然 Ren伎 が Nevilの前に現われ夫から逃げて来たと告げるが,彼はすでに彼女を必要 としなくなっていた.Rosamundの助けを得てReneeを帰国させる.Rosamundは これより前に, Romfreyとの結婚にふみ切っていた.Ceciliaは Nevilの求婚を断 わり Tuckhamと結婚する Nevilは発病する. Romfreyは正式に Dr.Shrapnel に謝罪する.Nevilは Dr.Shrapnelの姪Jenny Denhamと最後に結婚することに なった.しかし或る日,彼は水に溺れかかった労働者の子供を救おうとしてフ自らは 溺死してしまう.
はじめにも述べたように, この作品は1874年から75年まで The Fortnightly Review"に掲載されたものである. この雑誌を編集していたのは }ohnMorleyで あり, Meredithは彼に兄事していたという.この Morleyをはじめ,雑誌に拠る進
Meredith文学の倫理性
歩的論客たちは, 掲載される作品に対し,その政治的態度を明らにすることを求め ていた.如何なる種類のあいまいさも真実への道をとざすものとみなしていた.
MeredithはBeauchamp執筆によって, これらの友人達の対立者となった Morley とは絶交状態にさえなる.何故かというと,性急な政治的立場の決定を迫る人々は Meredithに対し, 今日のp 眼前の政治的、社会的問題と,その解決について,作家 は作品を通じて明確な方途を示すべきことを求めた. 要するに, 彼等は政治的pro司
pagandaとしての作品を求めたのであったー これに対して Meredithが辛練な邦捻 をもって答えたところにその原因がある.
ところで G.K. Chestertonは Meredithを reformer"と呼び Meredith自 身も自ら radical"と称していた. 元来5 英国における政治的急進主義者は Whig 党左派に端を発している. そして redicalなる語は1797年 CharlesFoxが Radical Reformを唱えて以来用いられるようになった.それ以後は,中産階級,労働者階級 を問わず二議会の刷新のために行動する活動家一般を呼称するようになった.1832年 選挙法改正案が透過すると,この radicalたちの存立基盤がせばめられることになっ たが,しかし Chartistの運動が破綻すると彼等の活動は復活した. というのも,資 本主義の確立によって,英国社会の階級的格差が決定的に生ずると共に,その悪しき 諸相に向かつてなされるべき政治的戦いは,まさにこの組織された radicalのgroup によってのみ可能であったからである.彼等の行った種々の政治的運動,その影響,
及び発展についてはともかく,政治史的にみて, 消長はあっても, この radicalism における革新的要素は次第に社会主義を志向するものであったのである.
それは従って現存する国家政治体制に対する絶えざる批判であり,終極的には人間 の復権のために,組織された民衆による革命が期待される答のものである.この点に ついては, Meredithは Morleyその他の主張と一致する.彼は,たしかに,人間 のあらゆる可能性の実現をめざして戦わねばならぬという使命感を抱いていたように 思われる.これは喜劇哲学のrealismを一歩出たものであって,彼の芸術を支える大
きな柱といえるであろう.
しかし, Meredithにとって,政治的主義主張は,作家の自由な表現活動を拘束す る理由にはならなかった.まして,芸術が政治的宣伝の手段として奉仕すべきである とは思わなかった.NevilがC巴ciliaと共に海岸に浮ぶ豪警なヨットを眺めていると
128 Meredith文学の倫理性
乞一つの最も基本的な Meredithの態度が Nevilを通じて明らかにされる.
Beauty plucked the heart from his breast. But he had taken up arms; he had drunk of the questioning' cup, that which denieth peac巴tous, and which projects up upon the missionary search of the How, the Wherefore, and the W hy not, ever afterward. He questioned his justification, and yours, for grati‑ fying tastes in an ill‑regulated world of wrong‑doing, su妊ering,and bounties
13)
unrighteously dispensed ‑ not su伍cientlydispersed.
貴族の血を受けた純粋で誠実な青年が,ーたんこの世の矛盾と悲惨に開眼した以上 は最後までそれをつきつめてゆかざるを得ない熱情に駆られる.それは,むしろDon Quixote的ですらある.しかしぅ政治に密着している政治家,社会制度の変革を目標
とする革命家,乃至は革命理論家が最も陥り易いわなは,彼等がいつのまにか,権力 の交代や,争いそれ自身が政治や革命の本質であるかのように思い込んでしまうこと である.現象的な政治の毒に浸りこんで,人聞の姿を忘れ去ってしまうことである.
社会的視点といい,革命的理念ということそれ自体は,今日であっても,又, 19世紀 英国においても,社会的関係性,また広般な人間集団の組成の認識としては有効であ ることは勿論であるが,そこにもし人間が非在化され,更にその非在化に安住する ならば,それは空虚な観念の伽震となる.どのような社会組織も,制度ふ他ならぬ 人間自らが造りあげたものである以上は,人間が人間であることの意味,或いは如何 に人間であるべきかというような問いかけが,個々の体制,社会組織に》そしてその 矛盾を解決し,変革する仕方にも3 常に課せられるべきである.Meredithが Beau‑
champを通じて追求したのはこのことであった. 彼は人間不在の政治論文を書くこ とは出来なかったのである.
例えば我々は Dr.Shrapnelの次のような言葉の中に,明瞭な Meredithの社会的 視点を認めることが出来る.と同時に Morley一派もこれを是としたのである.
The religion of this vast English middle‑class ruling the land is Comfort. 1t
14)
is their central thought; their idea of necessity; their sole aim.
The people are the Power to come. Oppressed, unprotected, abandoned; left to the ebb and丑owof th巴tidesof the market, now taken on to work, now cast off to starve, commited to th巴shiftinglaws of demand and supply, slaves
15)
of Capital
Mer吋ith文学の倫理性 129 Trust me, Beauchamp, if we shun to encounter the good warm soul of num‑
bers, our hearts are narrowed to them. The business of our modern world is to open heart and stretch out arms to numbers. In numb巴rswe have our sinews;
16)
they are our iron and gold. Scatter them not; teach them the secret of cohesion. このように,土地所有者である貴族,中産階級の圧力への攻撃,下層階級の生活条 件の改善, 奴隷的労働件の撤廃, 無意味な因習からの婦人の解放, 政治が上層階級 への奉仕の手段であることをやめて,一般民家のためのものであるようにすること,
Dr. Shrapnelは, Nevil Beauchampにこのような思想を教えるのである.
しかし,文一方において Tory派の一人物 SeymourAustinが語る次のような言 葉で, Dr. Shrapnelのみならず, 他の{乍中の人物達が, 読者を社会惑に関する抽象 的な詮索に導かず,やはり人間であるという感じが与えられるのである.そして同時 に,このことは Mor1ey一派に対する痛烈な邦議となるのである.
He is the earnest man, and丑ies at po1itics as uneasy young brains丑Y to literature, fancying they can write becaus巴 they can write with a pen. He perceives a bad adjustment of things: which is correct. He is hon巴st,and takes his honesty for a virtue: and that entitles him to believe in himself: and that belief causes him to see in a11 opposition to him the wrong he has perceived in existing' circumstances: and so in a dr朗m of power he invokes the people: and
17)
as they do not stir, he takes to prophecy.
Meredith は一般民衆の持っている集団的自我の本質を鋭くも見抜いていたのであ る.民衆の最下層,安楽も,ぜいたくも,関畷も持たね無産階級が,自己の復権を試 みるよりは, f也を支配し,又支配されたい欲望を持っており,指導者を認めてこれに 臣従しようとする熱望を抱いていることを知っていた.そして彼等の貧困を除き疎外 された人間性を回復せねばならぬと説く Dr.Shrapnelの中にも,不可避的な自我意 識の生ずることを明らかに指摘したのである.人間愛に燃える革命家も,如何なる聖 者ふ一度集団的自我に手をつけるならばヲその位置にとどまることは極めてむつか しくちそのためには異常に強力な意志を必要とする心理的事実は虫日何ともし難い.
Dr. Shraph巴lも, 民衆の前に立たんとするときはp いつのまにか大言壮語の口舌の 徒になっているのである.要するにMeredithは,このような描出によって, Mor1ey 達の要求するようにp 今日の政治問題,社会問題を解決することは決して作家の任で
130 Meredith文学の倫理性
なし如何なる人聞が,如何なる状態で,政治乃至社会思想、を語り,考え,行動した か,ということを示そうとしたに他ならない.作家の自由とはここにあるのであろう.
Norman Kelvinは,その近著 A Troubled Edenの中で次のように言っている.
It is equally certain
…
that the theme of Beauchamp is not at all the ideas of men" but their passionsー their appetites," if Meredith meant this word to signify the same thing. Men and their ideas are shown, but th邑 cons巴quences of holding a particular set of ideas rather than any other are not.明ThatMere‑dith does disclose are the consequences of action out of passionate desire, envy,
18) pride, or wrath.
Kelvin はBeauchampー篇が政治小説の名で一括され, 思想と, それをめぐる polemicの書として理解されることを排し,むしろ,無目的的な人間の衝動や熱情とい った陰の部分に光をあてた作品であると考える. なるほど主人公 NevilBeauchamp の当初からの行為をなぞってみると,梗概には省略したが3 フランス海軍士宮に対 する無謀な決闘の申込み, クリミヤ戦場における戦い,一転して,ウ、エニスにあって のReneeとの恋,帰英して上陸二時間後にして Dr.Shrapnelとの遊遁からその熱 烈な弟子になり,直ちに Bevishamでの立候補, 運動中に, 唯一言の呼び出しに応 じて Ren伎 を Normandyに訪ねた末に選挙に敗れる.新聞の発行, Ceciliaとの破 恋 Jennyとの車部乱そして溺死,如何にも怒意的な, 情熱の奔出にまかせた行為 の連続である. しかし, Meredithは,このような狂燥な現象面の裏に動かし難い一 本の筋を通している.
Beauchampism, as one confronting him calls it, may be said to stand for nearly everything which is obverse of Byronism, and rarely woos your sympathy, shuns the statuesque pathetic, or any kind of posturing. For Beauchamp will not even look athappiness or mourn its absence; melodious lamentations, demoniacal scorn,
19) are quite alien to him. His faith is in working and五ghting.
フランス海軍の士宮達に決闘を挑む少年は,彼の生をp 現実との相関における虚偽 の思想、偏見,不正の排除のための生とみている.と言っても,それは現象的な政治へ の先導や同伴とは本質的に異なるものであって,やがては沈潜して自己浄化の方向を 辿るべきものなのである.考えてみればラ人聞はすべてこの世において,自覚的存在 となる以前から,社会はおびただしい矛盾をはらんでそこに在る.何人も自己にとっ
Meredith文学の倫理性
て好もしい制度や社会を選んで生れてくるわけにゆかぬ以上,自己は現存の社会環境 の諸悪に何等責任はないものであり,第三者的立場からただこれを糾弾する態度も 可能である. Nevil Beauchampもまたその門地の故に賛美をたのしみ,安楽を味わ うことが出来る.しかし,彼は自己の豊富は他者の貧困の上に支えられていると考え た.世の矛盾と悪に自己は無責任ではあり得ないと考えたのである.彼は食卓に産地 直送の沢な品々をみるとき,堪え難い恥かしさを感じる.しかし,その彼には貧しき 人々の生活を向上させるための具体的な方策は何もない.更に,彼は下層の大衆はす べて例外なく進歩主義者,乃至,革命思想の持主であると無邪気に信じる程にも民衆
を理解していない.
彼はこの意味で本質的に孤独である.現実の結果として,彼の生は断片の集積であ り,何一つ, Ri~愛すら完成さない.彼にとっては,ただ未来に生きるより他はないの
である.そしてこのNevilBeauchampが未来の担い手であり未来のために生きるも のである故に,我々がこの作品を読むことによって把握するものは,闘争のうちに
「自己浄化」がなされねばならないという,極めて現実性を帯びた.しかも日月の経 過にも決して色あせね発想、である.Beauchampのpa田 l Qnとは Kelvin的な意味よ
りも,ここにその源を求めるべきではなかろうか.
このような意味からすると JackLindsayの, Nevil B巴auchampの死についての 解釈は一見妥当の如くみえて,むしろ実は感傷的な見方と思われる.
But he cannot advance to mass‑struggle. He dies in an individual act of heroism, which express田 hisanguished desire for union with the common people but which also kills him, returning him to romantic loss. He dies saving a worker's child from drowning. Shrapnel and Romfrey are linked in the thought over his corpse: This (the muddy urchin) is what we have in exchange for Beauchamp ! '…the saved child is the future for which he has striven; the child
20) is the working class with whom the next word Csic.) lies.
Lindsayはこの後で, Beauchampの死は個人的英雄主義であり,自己犠牲であっ て,その限りでは無意味であるが,今一面において,上記のように,労働者階級の芽 を守ったことにこそ意味を見出すべきであると結論している.しかし,ここには一種 の公式的な階級思想,大衆の美化が行われていて NevilBeauchampという個性の 強い倫理的側面が見落されているように思われるのである. Meredithは前にも述べ
132 Meredith文学の倫理性
たように,この矛盾と非道の社会を支えている.それ自身矛盾の塊のような民衆の本 質を認識し,革命家の中にも我意、の暴力のひそむことを明捺に指摘しているのである.
彼は後年,この作品に関して次のように述べている.
Sometimes Harry Richmond (1871) is my favourite, but 1 am inclined to give the palm to Beaucha押ψ'sCareer. There is a breezy, human interest about it, and the plot has a consistent and logical evolution which Fe1Jerel (The Ordeal
21>
of Richard Feverel, 1859) lacks.
主人公の死が, 作者自らのいう logicalevolutionの終段階であるならば, その主 人を動かしてきた倫理的熱情が遂に死をも招いたということであって,特にそこに感 傷的な意味を見つけなければならぬ必要はないわけである.
結 語
Beauchamjうな Careerは,The Egoistの中に見当らぬ romanticな感情の昂揚が あり,詩的描写がある.そして「喜劇」は時として,主人公の無我の行為が生む悲劇 的局面に埋没することもある.逆に,後者は,前者の欠く縁密な構成と,詩的ではな いが独自な表現にあふれている. だが, 彼の初期の作品 TheShaving of Shagpat から TheEgoistに次いでよく知られている TheOr,じたalof Richard Feverel或 いは TheAdventures of Harry Richmζndその他の作品を通じて言えることは,
いず、れもが3 個我にとらえられた人間がその愚行に覚醒して精神の健康をとりもどす という主題を中心においていることである. Meredithの倫理性というのは,人間の egoismを, 例えばよき衣裳をまとい,住み心地よき家を持ち,他にすぐれ,財を成 すという欲望の意味では否定はしていない. もしそれをすべて否定すれば,あらゆる 人間の行為は,文明や進歩の観念は,科学の理想は,そして幸福への意志はすべて無 意味になる.のみならず自己完成の目的そのものも価値を失うことになるであろう.
Meredithは3 逆に自己完成が人聞にとって必要であるが故に自己浄化を経験しなけ ればならぬとし,又,規矩を越えた我意の愚かさに向って警告的な笑いを浴びせるの である.その意味では,彼は基本的に,持代の説教者の立場にあったと言えるであろ つ.
注
1) ]ack Lindsay, George lVleredith: His Life and Work (London: The Bodley Head, 1956) p. 133
2) George Meredith, A咋 Essayon Comedy and the 口、eザ、the Comic Spirit π The Works of George lVleredith (Standard Edition; London, Constable, 1919), p 20.
3) Ibid., p. 26. 4) Ibid., p. 31 5) Ibid., p. 34 6) Ibid., p. 60. 7) Ibid., pp. 80‑90, 8) Ibid., p. 62.
9) George Meredith, The Egoist, p. 13.
10) George Meredith,li10dern Love ,"Poetical 1‑V07‑ks, p. 137.
11) C. Day Lewis, Introduction" to li10dern Love (London: Rupert Hart‑Davis, 1948), p. 8.
12) ]. A. Hammerton, George li1eredith (Edinburgh: ]ohn Grant, 1911), p. 221. 13) George Meredith, BeauchamlゲsCar白,r(The W orld's Classics Edition), p. 135. 14) Ibid., p. 280
15) Ibid., p. 282. 16) Ibid., p. 285. 17) Ibid., p. 347.
18) Norman Kelvin, A Troubled Eden: Natur・'eandSo日'etyin the Works of George lvleredith (Stanford Univ. Press, 1961), p. 90.
19) Beauchanψ's Career, p. 34.
2日 ]ackLindsay, George li1eredith, p. 220. 21) Ibid., p. 223.