競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
著者 竹田 正樹
雑誌名 評論・社会科学
号 73
ページ 69‑146
発行年 2004‑03‑20
権利 同志社大学人文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004674
競 技 ス ポ ー ツ 活 動 の 実 践 が 人 間 性 に 及 ぼ す 影 響
竹 田 正 樹
一序論
﹁スポーツは人間形成の役に立つから﹂とは︑昔からスポーツの現場や関係者からよく言われる文言である︒特に武
道の世界で用いられることが多い︒柔道や剣道で強くなることは当然ながら︑より大事なことは人間形成なのだという
ものである︒もし︑本当に競技スポーツ活動を通して人間形成がなされるのであれば︑スポーツは教育的意味合いにお
いても大変高い価値を有すると言えるし︑青少年のこころが歪んできたといわれる最近の現代社会においては︑なおの
こと︑その価値が見直されるはずである︒
体育︵学校教育としての体育︶というものを哲学的に探求している研究の議論を概観すれば︑体育は教育の一環であ
るという考え方が主流である︵阿部忍一九八四︶︒この場合︑体育をあくまでも教育的なものとして捉え︑実用主義
︵プラグマティズム︶の立場で論じられる︵城丸章夫一九八二︶︒すなわち︑体育の役割は身体活動を通して社会の進歩
・発展を担いうる有用な社会人の育成を目指し︑生活と直結した経験を通じて体育の生活化を図ることを意図するとい
うものである︒これは体育によって人格形成がなされるという考え方であるが︑一方︑アメリカの社会学者のいくつか
の研究では︑学生時代にスポーツ選手であった人たちの方が︑その後のライフスタイルや価値観において︑むしろスポ
ーツマンシップに乏しく︑人生のフェア・プレーを重んじない傾向にあるという︵スポーツとライフスタイル︑﹁遊びと文
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化﹂井上俊︶︒体育あるいはスポーツに真に教育的効果があるのかどうかについては︑哲学的︑社会学的︑あるいは心理
学的に様々な角度から研究されているが︑未だ明確な結論が出ていないのが実情である︒
人間形成を表すときには人格という言葉が良く用いられるが︑確かに武道の熟練者の中には人格者のような人がい
て︑その人は地域で有名であったりする︒筆者らも様々な場面においてスポーツの世界に身を置くが︑多くの強い選手
の中には好感の持てるスポーツ青年︑人間的な魅力のある人︑あるいは人格の様なものが備わった人が多いように思わ
れる︒筆者が思う人間的な魅力とは︑この場合勝つための強い精神力や謙虚さのようなもの︑あるいは真剣に取り組む
姿勢などである︒このような素養は︑全てとは言えないが︑優れたスポーツ選手の中に良く見受けられる︒﹁だから勝
てるのだ﹂といえるような何か︑あるいは﹁りっぱ﹂といえるような何かである︒このような素性を人間性という言葉
で表すとすれば︑競技スポーツが人間性を高めるか否かという議論は︑まだまだ継続されるべき課題である︒
そこで本研究では︑競技スポーツ活動は人間性を高めるのか否かについて検討することを目的とした︒なお︑本研究
では︑レクレーショナルなものではなく︑学校体育としての活動でもなく︑競技スポーツ活動に伴う教育的価値を論ず
るところを主題とするので︑自らの意志で競技スポーツ活動に取り組んだ例を対象とした︒さらに︑競技スポーツを通
して後天的に人間形成がなされるのか︑あるいは競技スポーツで強くなるための人間性︵謙虚さなど︶を先天的に有し
ているために強くなれたのか︑ここは議論の分かれるところであるが︑本研究では主に前者の場合の可能性を検討する
ものである︒ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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二研究方法
︵一︶思考方法
体育の哲学を研究する手法として︑
鴣演繹法︵あるいは三段論法︶︑
鴟帰納法︑
鵄弁証法が上げられる︵阿部忍一九
八四︶︒それぞれの方法の概略は以下の通りである︒
演繹法は時代とかイデオロギーを超えて︑何か普遍的に価値あるものが存在すると考えてそこから一切の問題を意味
づけ処理していく思考の方法である︒伝統主義的教育において︑真・善・美・愛といった普遍的に価値あるものをかか
げて︑そこから体育の方法を導き出していったのはこの立場である︒この方法を本研究のテーマに当てはめて考えた場
合︑
漓体るなに夫丈が身スばれすをツーポ︑
滷れたっ取を場立の論元一身心︵るな身にか豊も神精ばれなに夫丈が体と
仮定して︶︑従って︑
澆うるれさ想予が開展の理論なうよいスと︑るすにか豊を神精はツーポ︒
滷から
澆への展開には
仮説が設定され︑その部分を科学的に立証して行く立場をとる︒しかし︑本研究のような曖昧な問題を探求する場合︑
簡単に論理展開ができるとは考えられない︒人間性を決定づけるのには様々な要因が複雑に関係しているからである︒
この方法に沿って進めれば︑論理の自己矛盾に陥る危険性が高い︒
帰納法は個々の特殊な事実から一般的な法則を導き出す思考の方法である︒つまり︑絶対的普遍的に価値あるものを
否定して︑時代の変化に伴って︑それに最も適応した方法をそのつど科学的に思考し︑一切の教育的問題を解決してい
こうとするものである︒しかし︑この方法は﹁スポーツとは何か﹂︑﹁体育とは何か﹂などの絶対的な価値︑前提を排除
していることに︑方法論としての限界があるのではないだろうか︒
弁証法は矛盾︑対立するものを止揚することによってより高次のものへと発展させて行く方法である︒スポーツの諸
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問題を検討するのには色々な学説や議論があり︑それぞれ矛盾・対立していることが多い︒これを少しでも正しく理解
するためには︑そして︑スポーツの本質を取り巻く様々な諸問題の理念の統一を目指すためには︑﹁総合的な論理展開﹂
が必用と思われる︒その点では弁証法的思考方法が適切と考えられる︒
上記いずれの方法が良いかという問題は論を譲るとして︑先に︑先達者の多くがスポーツと人間性︵または人間形
成︶の問題に触れているが︑筆者が知る限り残念ながらこのことを明確に証明した論文は見あたらないことを述べた︒
それは人間性︵または人間形成︶という言葉の定義の難しさや研究方法論の難しさに問題があったからではないだろう
か︒すなわち︑その人の性格判断や社会生活を営む上でのスキルなどを調査するものではないので︑心理学や社会学な
どで用いられる質問紙方的な調査では判定できないものだからである︒
そこで︑本研究は競技スポーツ活動が人間性を高めるのかどうかという問題について︑それをインタビュー調査によ
って得られた証言を元に弁証法的思考方法によって推論することとした︒
なお︑本研究で用いる﹁人間性﹂という言葉は︑以下のような定義を与えるものとする︒我々の課題は強い人は人格
者であるかということを問題にするのではなく︑スポーツがその人を如何に﹁りっぱ﹂にしてきたかという人間的成長
過程を問題とする︒従って︑勝敗が全てを決定してしまうのではなく︑その人がスポーツに如何に真剣に取り組み︑魅
力のある人間的成長を成し遂げたか︑あるいはそのような力が果たしてスポーツにあるのかについて議論を深めること
が重要なのである︒スポーツのゲームとは人間の一生を縮小してまるでドラマ化したもののようであると言われる︒こ
ういった特性がスポーツの中にあるからこそ︑見る人を魅了させ︑感動をもたらす要因となっている︒さらに︑本研究
は科学主義の分析で考えるものではなく︑自然主義的ロマン主義の立場で人間を見ることが︑その方法論として重要と
考える︒以上の点を考えたとき︑人間形成とか人格という言葉は必ずしも最適な言葉ではないように思われる︒一般的
に人間形成とか人格という言葉は︑心理学で用いる場合は議論の対象が性格であったり︑倫理学の分野で用いられる場 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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合は人間存在の理由︵人間とは何か︶や人間の本質などを問う議論で用いられることが多い︒本研究は心理学や倫理学
の立場で議論を深めるというよりも︑﹁総合的﹂であり︑問題とするところの名称が曖昧である︒大事なことはその
﹁人となり﹂をよりよく表現する言葉である︒その点で﹁人間性﹂という言葉が適切であると判断した︒この言葉の方
が何か泥臭く︑そして人間らしさや人間的魅力をよりよく表現しているように思われるのである︒
︵二︶調査対象
本研究では下記の九名についてインタビュー調査を実施した︒
・原田隆雄氏卓球選手︑当時同志社大学四回生全日本学生卓球選手権大会三位など
・服部正秋氏クロスカントリースキー選手︑同時同志社大学四回生全日本学生スキー選手権大会三位など
・工藤博氏クロスカントリースキー選手︑同志社大学卒業生当時同和鉱業スキークラブ全日本学生チャンピ
オン大会優勝︑二〇〇二年ソルトレイクシティオリンピック日本代表など
・黒部光昭氏プロサッカー選手京都パープルサンガ所属日本学生MVP︑日本代表
・朝原宣治氏陸上選手︵短距離︑走り幅跳び︶男子百メートル走九十七年当時日本記録樹立︵十秒〇八︶
・服部祐兒氏同志社大学卒業生元相撲力士︵藤ノ川︶通算十一場所で七十五勝九十敗幕内最高成績十勝五敗
・西村彰氏元陸上四百メートルハードル選手︵現朝原宣治選手のコーチ︶︑全日本学生選手権大会優勝︑日本選
手権大会優勝︑アジア大会日本代表選手など
・井上年央氏京都新聞社編集局文化報道部運動担当部長
・山口良治氏元ラグビー日本代表選手︑元京都伏見工業高等学校保健体育教師︑同ラグビー部監督︑現京都府スポ
ーツ政策監
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
以上の現役スポーツ選手︑指導者︑ならびにスポーツと贈賄の深い関係諸氏のインタビュー調査から︑今回は競技ス
ポーツの実践を通して人間的成長があり得る︵た︶かという問題に焦点を絞り︑各人の証言を元に推察することとし
た︒
三結果および考察
︵一︶原田隆雄氏のインタビューから
卓球競技歴に従って原田隆雄氏の人間的成長が垣間見られた点を中心に考察してみたい︒彼は小学校一年生の時から
卓球を始めている︒実家のすぐ近くに卓球センターができて︑そこで始めたのが最初である︒小学校二年時には山口県
大会で優勝し︑三年時には西日本の団体戦で三位という成績を収めている︒そのクラブのコーチは卓球のことは何も知
らないのに︑成績が出るという大変ユニークなものであった︒周りが不思議がるようなクラブであった︒指導は大変厳
しかったが︑それは卓球の指導というより︑挨拶などの日常の教育的な面で顕著だったという︒だから︑常に緊張感を
持って練習に励み︑常にコーチの目を気にしながらの卓球練習だった︒原田氏は中学二年次には全国大会の団体戦で二
位の好成績を収めている︒シングルスでは中学三年時に全国十六位が最高である︒
そんな原田氏は中学時代に卓球仲間と大喧嘩をしたことがある︒
原田:喧嘩仲間に腹を蹴られて病院へ行きました︒で︑優等生ぶっていてもしょうがない︒反撃しよう︒悪くなっ
てもいいから前に出ようと思いました︒それ以来︑喧嘩仲間とは仲良くなれましたね︒でもその内の一人が病
気でなくなり︑その時に悩みは出てきたんですけど︑仲良くなれて良かったと思いました︒その時に自分が変
わったと思いましたね︒何処かへ行ったときも全然大丈夫だと思えるようになり︑強くなりました︒中三の時 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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は勉強もクラブも成績が良かったです︒
研究課題に対する答えとは異なるかもしれないが︑卓球の成績がよくなったからそれが自信となって反撃︵喧嘩の︶
に出ることができたかも知れないし︑その逆もあるかも知れない︒
さらに彼は︑中学校全国十六位という成績をひっさげて高校に入学した︒しかし︑彼の高校は卓球のレベルが高く︑
彼の実力はクラブ内で二十人中八番目だった︒
原田:なにが全国十六番だと言われたら︑負けず嫌いが出てきて︑そいつがまた憎たらしいやつで︑それでまた喧
嘩をしました︒腹が立ちましたよね︒しかし試合になるといつもそいつに負けていました︒でも負けたくない
と思って︒で︑ライバルに勝つために︑引退した先輩に練習相手をお願いして︒ライバルは性格が悪かったか
ら︑先輩にも嫌われていたんです︒先輩はおまえが倒せと言ってくれました︒そこで︑朝五時に先輩を起こ
し︑隠れて練習して︒朝七時の集合の時は︑今起きてきたような顔をして出て行きました︒今来たよ︑と言い
ながら︒目はバッチリさえているのに︒教えるのは好きな先輩だったんで︒ドライブばっかり練習しました︒
そして高二の春にライバルに勝って︑県の新人戦でもライバルに勝ちました︒インターハイ予選でも勝ちまし
た︒ライバルは一年次にインターハイで三十二位でしたね︒高一の時︑あんなに負けたのは初めてでした︒坊
主にもさせられて︒それから修行しました︒そして二年次に勝てるようになったんです︒難しいボールを返せ
るようになっていたんですね︒インターハイ予選でダブルス︑シングルス︑団体といきなり三冠とりました︒
そうしたらライバルはいきなり目の色を変えだしました︒ライバルはインターハイ予選で落ちてたんで︒自分
はインターハイで八位でした︒その時から︑ライバルは目の色を変えてトレーニングしだしましたね︒高三で
はそのライバルとペアを組んだんですけど︑だから成績は同じくらいでした︒
石田:それで︑そのライバルとは仲良くなれたの?
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原田:卒業してからは︒お互いにライバル心を持っていたんで︑ダブルスで負けたときはおまえのせいだとお互い
に言いたかったはずですね︒それを言われるのは悔しいから︑自分のせいで負けることはしたくなかったで
す︒そうこうしているうちに相手を認め合うようになって︒それからはペアとして
鐓み合うようになりまし
た︒で︑最後はランクに入りました︒
石田:大きな転換期だったな︒
原田:そうですね︒
石田:中一・二でも卓球は強かったんだから︑何でもっと早く反撃に出ていなかったの?
原田:仲のよい子はいっぱいいたんですけど︑しかし︑クラスの中に生意気なのがいたんですよ︒特定のやつだけ
が気に入らなかったんです︒いつも二対一でやられていたんですけど︑歯がゆかったからそのうちの一人だけ
を狙ってやっつけました︒その後︑その彼とは仲良くなりました︒
この返答を聞いていて考えられることは︑ライバルの選手も大変強く︑簡単には勝てないことを十二分に実感させら
れていることが背景にあることである︒つまり︑相手には勝ちたいが︑相手も強く︑相手の良い点も認めざるを得ない
ことになる︒この過程を経て︑お互いが認め合えるようになったとき︑成績が向上している︒このことは︑独りよがり
ではなく︑他人を尊重する気持ちが出てきたということ︑つまり︑人間的に成長した証というように言えないだろう
か︒
その後彼は︑高校時代全国個人八位という実績で同志社大学に入学する︒ところが︑一年時から成績が伸びない︒そ
の点について彼はこう言っている︒
竹田:その成績は満足している?
原田:高校のランクは十六位でそれは初めての経験でした︒全国区という意識を持てたのはそれが初めてです︒中 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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学の時の十六位とは違いましたね︒中国人も出ていたし︒三年の時は気持ちは最悪だったです︒
千田:負け方も問題だな︒
原田:それが問題でしたね︒団体で東山高校にも勝ち続けていたんですけど︑自分の番で
1 7
︱9から逆転負けし︑その結果︑自分のチームが負けました︒それは精神力の問題ではないかと思いました︒その後︑試合でびびる
ようになって︑それで負けて落ち込んだですね︒
石田:いきなりなったのか?
原田:初めてでした︒たぶん高二の成績に溺れていたんだと思います︒自信がないのに成績が出ていたから︑ちょ
っとしたきっかけで負けたらすぐにびびりました︒それで自信を失いました︒
竹田:スポーツの世界では︑一度勝つと今度は追われる立場に回り︑それから心理状態が変わることがあるんだけ
ど︑それは一位になった人しかわからない︒それでだめになる人は多いんだよね︒そんな感じはあった?
原田:一位ではなかったけど︑そのような気持ちは感じました︒心の変化はありますね︒ベスト八は当たり前とい
う意識があったですから︒
千田:八位にならないといけないと思うしね︒
原田:そうですね︒
石田:勝ちたいという気持ちはあったのか?
原田:勝ちたいというより︑勝たなければならないという気持ちの方が強かったです︒それで焦りました︒
竹田:その心理状態を高校の時︑克服することはできたの?
原田:いや︑できなかったです︒
竹田:大学の進学にはどの成績で入ってきた?
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
原田:全国シングル八位です︒
竹田:勝たなければならないというプレッシャーを克服することが大学での課題と思うけど︑どうだった?
原田:一年の時はよく負けていました︒まあ︑高校の時と同じ性格であることに気づいたんです︒つまり︑高校の
時と同じ延長線上の気持ちでやっていて︒過去の成績にとらわれて試合をしていました︒いつも十七点で負け
るんです︒それが六試合続きました︒自分はもう病気だと思いました︒それで修行がまた必要と思い︑血が出
るくらい頭を剃りました︒練習は急に止めてみようと思いました︒それから日常生活の面でも︑体育会の友達
がよく家に来てよく酒を飲んだんですけど︑誘われても絶対断らなかったです︒楽しかったから︒しかし勝て
なくなってから︑つきあいを突き放すしかないと思って︒昼ご飯も一人で食べました︒自分がダメになるから
一緒に遊ばなくなりました︒ダメになるからなんて言わなかったけど︑試合があるからといって断って︒相手
のせいにするわけではないけれども友達とは遊ばないようにしました︒バイクで山や川に遊びに行ったり︑掃
除なんかもしてみました︒結局︑一からやろうと気持ちを入れ替えたんです︒そうしたら︑二年で関西学生で
優勝︒全日本学生で四位になって︒
竹田:大学一年の時はトレーニングはしなかったのか?
原田:全くやっていなかったですね︒
竹田:部から怒られないのか?
原田:大丈夫でした︒トレーニングが大事と思っていなかったです︒はっきり言って今から思えば素人だったで
す︒
石田:試合で負けたら悔しかった?
原田:悔しいのは悔しかったですね︒ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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竹田:卓球をなめてたのかな?
原田:なめてたとまでは行かないけれども︑トレーニングが必要とは全く思わなかったんです︒なぜ必要なのか︑
どこの筋肉が必要なのか︑考えませんでした︒技術というか小手先でやっていたから︑体も五〇キロはなかっ
たので︑玉は軽かったけど︑ピッチや反応は早かったんです︒せこくでも勝っていたからトレーニングの必要
性を感じなかったですね︒
石田:大学二年で練習を改めたの?
原田:はい︒まずはランニングを始めました︒朝七時に起きて三十分走って︒何にもなくても七時には起きました
ね︒とにかく気持ちを正したかったです︒だからトレーニングという目的よりも続けることに意味があった感
じです︒卓球の時も気持ちの入り方が変わりました︒スポーツ推薦で入ったことも意識したし︒自分はやって
いることは甘っちょろいから︑絶対勝たなければならないと思って︒今まではそんなことはなかったんです
よ︒
原田氏は筋力トレーニングも課すことによって︑大学一年時の体重五十キログラムから三年時には六十一キロまで増
えている︒この話を聞いていると︑有頂天になったり自分を見失ったときにそれがすぐに結果︵成績の低下︶となって
現れることが分かる︒競技力の向上のためには自己の抑制心︑マインドコントロールが大切なのであろう︒科学的トレ
ーニングも必用だが︑日常のこころの持ち方︑謙虚な気持ち︑そしてやる気がなければ︑成績は向上しないことが分か
る︒反対に考えれば︑卓球というスポーツを通して︑それに懸命に打ち込んでいるうちに人間的成長を迫られたという
ようにに見て取れないだろうか︒彼は今︑世界八位という目標に向かって卓球を継続している︒
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︵二︶服部正秋氏のインタビューから
服部正秋氏の競技歴の概略は次のようになる︒小学校時代よりクロスカントリースキー競技を始める︒地区大会では
常に上位︒それ以上のレベルの競技会になるといつも力を発揮できなかった︒中学・高校と競技スキーを続ける︒
飯山南高校時代では︑二年次にインターハイで個人成績最高の六位︵十キロフリー︶︑ジュニアオリンピック十キロ
フリー三位︑国体・インターハイリレー優勝︒三年次は調子が悪く︑インターハイでは同校のリレーメンバーにも選ば
れなかった︒
同志社大学︵商学部︶に入学してからは一・二年次は全国学生大会で入賞できず︒三年次に全国学生大会で三十キロ
フリーで七位入賞︑スプリントリレーで優勝を果たす︒全国学生チャンピオン大会三十キロフリー四位︒四年次︑キャ
プテンとしてチームを牽引︒全国学生チャンピオン大会十五キロフリー二位︒全国学生大会三十キロフリーで三位入
賞︑全日本選手権三十キロフリー︵マススタート︶で五位入賞︵学生では二位︶など︑成長を見せた︒
現在︑関西フィンランド協会より資金提供を受け︑フィンランドへ単身スキー留学中︒彼の経歴をみると高校二年時
まではりっぱな成果を上げたものの︑その後︑およそ三年に渡り成績が伸び悩み︑大学の後半に入ってから再び成果が
出始めた点が注目に値する︒この間どのような変化があったのかに焦点を充て︑インタビューの一問一答を記載し︑考
察したいと思う︒
竹田:大学時代に入ってからは?
服部:田舎から来て誘惑が多いところはたくさんありましたね︒練習はやっていればいいと思っていて︑家で寝て
いたり︑夜遊びに行ったりしまして︒まあ︑正直誘惑に負けていたと思います︒それからアルペンの同期で佐
藤実佳が一年次からすごい成績を出していて︑スキー部のOBから彼女ばかりが賞賛されていたんですけど︑
それは確かに本人ががんばったから当然だと思うんですが︑その時に自分で悔しかったですね︒インカレで成 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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績を出せなかった人には︑本人たちはがんばっていてもOBからは一切何も言われなかったですし︑自分たち
はいったい何なのだ︑自分がここにいる意味がどこにあるんだ︑得点できる人だけがそんなに偉いのか︑と︒
悔しい気持ちだけではなく︑得点をとりたいという事だけでもなく︑成績を出したいという気持ちが三年次か
ら強く出てきました︒
千田:その他大勢は声もかけられないのか?
服部:新聞だけ見ればそうなってしまいます︒それが悔しかったですね︒
竹田:成績を出してOBから賞賛されて新聞に載りたいと思う?
服部:そうゆう分けではなくて︑おめでとうといってもらいたいわけではなくて︑言われない自分もあり︑自分と
いう存在に疑問を感じたって感じです︒
倉敷:もやもやしたという気持ちをなんとか払いたいという気持ちが強かったのでは?
服部:OB会では﹁実佳今年もがんばれよ﹂と言われる︒私たちはまったく言われないわけではないんですけど・
・・・︒
倉敷:自分はその会にずっといるけどね︑時々しか出てこない人はそれしかわからないから︒もっとこんな風にし
た方がいいと言いたいことはたくさんある︒
千田:人間の情として当然かも知れないな︒
服部:一年時に骨折したということも大きかったかも知れないですね︒
千田:一・二年次に誘惑に流れたということだけど︑まず最初に思いっきり誘惑に流れて︑そこから始まるのでは
ないか?特に同志社の体育会はそうでないと強くなれないのではないかということを端から見て強く感じるん
だけど︒
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
服部:一・二年次は夜のネオンがとても楽しく感じて︑練習はやっているんだから夜くらい遊んでもいいじゃない
かという気持ちがあったんですよ︒
千田:社会学科のスポーツ推薦入学生に聞いても︑高校時代から大学にかけて羅針盤がなくなって︑二年の終わり
頃までにそれを自分なりに克服した人が彼らなりの成績を出してきたと思う︒一年次の過ごし方が重要だと思
う︒態度が大きな違いを生み出すんだよね︒服部君が誘惑に流れるというのとは少し違うと思う︒
服部:誘惑に流されながら︑練習もやっていました︒四回生の主将も厳しくて嫌いだったんですけど︒今はいいで
すけどね︒強制されることが嫌いだったから︒まあ︑そのお陰でまったく遊んでいたわけではなかったです︒
竹田:流されそうになったときに自分を見失わないために何が必用だと思う?
服部:まあ︑矛盾するかもしれないですけど︑強くなりたい一方で遊んだりもする︒遊んでいても本当には一回生
の時はクラブに対しても楽しい思い出はなくて︒でも自分はスポーツ推薦で入学し︑このままで良いのかと思
って︒スキーは特にお金がかかるスポーツですし︑親にも申し訳なかったですね︒
竹田:同僚︵佐藤実佳︶の存在が発憤材料にはなったんでしょうね︒
千田:いったい自分はどうしたらいいのかというもやもやが大事だったのかと思う︒
千田:大学生だったら︑どの程度練習すればどれくらいまで成績が出せるなど自分でどの程度考えるのか?
服部:大学生ではインカレで入賞することが目標でした︒三年生からはコーチによく相談して︒そして四年生では
それにさらに自分の意見を加えて相談してトレーニングに取り組みました︒
千田:一般論として戦略目標があるが︑服部君はどんな目標があるか?
服部:僕もそう思います︒筋力や柔軟性など何をしなければいけないかなど︑どうしなければならないかなど︑絶
対的に色々出てくるんですけど︑スポーツはまさにそうであると思います︒だから三年生になってからコーチ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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からしっかり教わって︑信じてやったことが成績につながったと思う︒
千田:三年の成績で芽を吹き出したんだな︒
服部:そうですね︒そして四年になってからは︑大筋はコーチに従い︑後は自分で課題を感じたときは臨機応変に
相談してトレーニングを決めまして︑それも良かったと思います︒
倉敷:気持ちに余裕が出てきたのでは︒入学後にはまったくわからなかったはずでね︒二年生になって課題が見え
てくる︒そして三年生になって色々なものが見えてきたのでは︒
服部:入学当初は愛校心というものがなかったです︒でも三年生になってからは少しずつ芽生えてきて︑そして四
年生の時はかなり感じました︒後輩やマネージャのことも気にかかったですし︑主将になったこともあったん
ですけど︑クラブ全体を考えるようになりました︒もう︑クラブが一番大事と感じてましたね︒
倉敷:その点は主将と副将では大分違うと思うか?
服部:やっぱりそれは︑副将よりは︑自分の方がクラブのことを全部知っているというクラブのことが好きだとい
う気持ちが強いと思います︒
倉敷:自分が決断しなければならないからね︒
服部:進路のことで心配があったが︑逆に後輩から助けられたことも多かった︒
千田:大学でスキーやっていて良かったことは?
服部:まず︑自分がこうなれたことは周りの人のお陰であると感じます︒助けられてばっかりだったように思いま
す︒成績が出て結果しか見ていないOBからおめでとうと言われると︑結果が出ていない後輩たちをかわいそ
うに思いました︒成績だけではなくてどれだけがんばったかという課程を見てもらいたいと思います︒
千田:その課程を本人が表現してくれないとわからないだろ?他の大学から見たら同志社大学はどう感じるのだろ
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う?
服部:先ず勉強もがんばらなければならない︒スポーツだけでは社会に出て通用しない︒先ずやることをやってそ
れからスポーツだと思うんですよ︒学生の場合︑それは勉強で︑︒そしてスキーをやる︒そういった同志社ス
ポーツのやり方は良いと思うのでこれからも続けて欲しいと思います︒
倉敷:スキーをしていたことによってここが変わったと思う点はあるか?特にスポーツをしていない学生と比較し
て?
服部:自分がスポーツをしていなかったらと考えると︑ぞっとしますね︒勉強もあまりできなかったですし︒スポ
ーツをすれば目標があるから︑それは自分の成長を見ることにつながりますし︒
倉敷:スポーツをやっていてどんな変化があったか?
服部:子供の頃は人見知りもあったんですけど︑スポーツで仲間を作ったことによって初対面であっても自分の思
いを伝えることができるようになりました︒性格的にも明るくなれたと思います︒
千田:素朴に答えてくれたけれど︑今日はよくわかった︒
以上の通り︑服部正秋氏の返答からは︑同僚やOBなど他者からの認知の重要性というものを強く感じ︑それが発憤
材料になって努力していった形跡が伺える︒さらに︑三・四回生になって学んだことは︑一個人という立場から集団の
中の個人という立場への視点の変化であり︑さらには自分の周囲の存在への友愛の気持ちの芽生えであろう︒これらは
スキーという競技生活を通してまさに学んだことに他ならないのではないだろうか︒
︵三︶工藤博氏のインタビューから
工藤博氏は中学生の時から本格的にクロスカントリースキー競技を始め︑二八歳の時のソルトレイクオリンピックに 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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出場した︒その間︑スポーツ選手にしては珍しく︑目立った挫折感もなく︑大変順調に成績が伸びたといえる選手であ
る︒このような選手に︑スキーをやってきたことによって人間性とか性格とかがどのような影響を受けたのかについ
て︑直接的に質問してみた︒その答えは以下のようだった︒
工藤:どうだろうな〜?ある意味︑やりたくないけどやってしまわないといけないというのが︑嫌な面ですよ自分
の︒秘めることをオープンにしない︒例えば︑トレーニング方法︑スキーワックスの選択・戦略がありますか
ら︑秘めちゃいますよね︒個人スポーツですからなおさらなんですけど︒だからあの人こうすればいいのにと
思っても言ってあげられない︒日常の嫌な面ですよ︒親しい友達だったら﹁おまえこここうだからこうした方
がいいんじゃない﹂と何か言ってあげられるかも知れないですけど︑スキー競技をやったが故にか︑やってる
ときに限定か︑やっていないときかはわからないんですけど︑日常のほとんどがスキーをやってますから︒そ
の人のことを思っても言えない︒秘めておまえが痛い目に遭えばいいじゃんと思ってしまう自分の中の嫌な自
分がいるのは知ってます︒それは競技をやってたからそうなったのか︑はたまた元々の俺の性格がそうだった
のかわからないですけど︑競技をやってればそうなっちゃうと思うんですよ︒
倉敷:その痛み苦しみをわかってるから言えないとすると?
工藤:うん︑じゃなくて︑他人を見て︑やっぱり自分が有利に立ちたいですよね︒だから相手がそれをすれば失敗
するのを知ってるんですよ︒だから他人の失敗を望むというか︒相手がそれをして失敗してくれることを望
む︒
倉敷:あーなるほど︒
工藤:そうゆうのは自分自身嫌なんですけど︑どうしても持ってしまうというか︒
石田:競争社会だからね︒
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
竹田:競争社会でもまれればもまれるほどね︒
倉敷:それは他の生活にも当てはまるのかそうでないのか?
工藤:そうですよね︒そこ聞きたいですよね︒うーん︑ちょっと待って下さい︒ただ競い合わない面については言
えてると思うんですよね︒他の生活で?やっぱり競技に於いてですね︒成績に左右されることなら︑やっぱり
相手の失敗を望みますよね︒相手の成功まで望んでないですよね︒自分がリレーメンバーに選ばれないで相手
が走ってるのを見て心から嬉しくないですよね︒九十パーセントは応援しても︑十パーセントは失敗を祈っち
ゃうし︑オーよしよしと思うし︒神様じゃないから︑そんなこと考えちゃいますよ︒こうゆうふうにオリンピ
ックまででちゃったから︑俺はこうゆう特別な人間なんだと自覚して外に発してることも時にはあるんじゃな
いかなと︒変なプライドを飾っているような︑格好悪いこともあるんじゃないかと︒でも逆にそれを期待して
いる人もいるわけだから︑間違いでもないかと思ったり︒あんまりいないですけどそうゆうこともあるんじゃ
ないかと︒
スポーツが人間形成に役立つと単純には言えない面があるということは先に述べた︒この工藤博氏の回答は︑第一線
級で闘うスポーツ選手の︑現実的に目の前に突きつけられた競争社会における競争意識と共存意識の狭間の
鐚藤を大変
正直に表現してくれたと考えている︒殊︑競技スポーツに関して言えば︑相手より優位に立ちたい気持ちは当然である
から︑言葉は悪いが相手の失敗を望むところがあってもおかしくない︒このような気持ちを持つことに対して︑スポー
ツが人間性を歪めるのではないかと単純に言ってしまうのはあまりにも早計と考えるべきではないだろうか︒これは企
業などどこの社会でも同様のことで︑人類に突きつけられた課題だからである︒彼の場合︑同僚の選手の失敗を心の底
では望む一方で︑その自分をもう一人の別の自分が責めているところが見受けられる︒相手をけなすだけで終わってし
まわないところに彼の良さがある︒これは相手を尊重する気持ちを持っている証である︒このような精神は果たして︑ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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スポーツを行った結果生まれたのであろうか︒今回のインタビューからはこの先は十二分に聞き取れなかった︒この点
は今後の課題としたい︒
︵四︶黒部光昭氏のインタビューから
黒部光昭氏はサッカー選手でジーコ日本代表フォワードである︒黒部氏のインタビューではサッカーに関する細かい
技術的なことなど︑たくさんのお話を伺うことができたが︑その中で︑黒部氏の人間性が滲み出ていると思われる部分
をいくつか取り上げて紹介したい︒それを一言でいえば﹁謙虚さ﹂である︒
黒部氏がサッカーを始めたのは小学校二年生の時である︒所属する小学校のサッカークラブでその人生をスタートさ
せた︒その後︑地元の中学︑高校は徳島商業高校︑そして大学は福岡大学といずれもサッカーの名門でそれぞれ部活動
としてサッカーを継続してきた︒大学卒業と同時に京都パープルサンガ入りを果たす︒インタビュー時で二十五歳であ
るが︑まさにサッカー漬けの青春時代を過ごしてきたと言える︒サッカーの実力は︑当然のことながら小学時代より注
目されていたが︑高校までは惜しいところまで行くもののいずれも目立った成績はない︒初めて全国大会に出場したの
はなんと大学一年生の終わり頃に︑九州選抜チームに入ったときである︒二年時生の時にも九州選抜に選ばれ︑その時
には関東代表チームや関西代表チームを下して︑全国大会で優勝し︑その年の
MVP
︵Most Variable Player
︶に選出されている︒大学四年時にはユニバーシアード日本代表選手入りを果たした︒
その後︑プロサッカーリーグの京都パープルサンガに入ってからは二年目でJ2で得点ランキング二位︵日本人では
一位︶の活躍でJ1昇格へ貢献し︑三年目のJ1においては天皇杯で決勝ゴールを上げて優勝へと導く大活躍をみせ
た︒
そのような彼であるが︑ここまでの選手に成長するのには決して順風満帆とはいかなかったようである︒特に環境が
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
変わった節目で︑新たな環境への対応が遅れ︑いずれも変化後の一年目には活躍ができていない︒しかし︑彼はやがて
その環境に適応し︑時を経るにつれて見事な活躍を見せるようになる︒その時の話の内容から彼の謙虚さが垣間見え
る︒先ずそれを紹介したい︒高校時代からの話である︒
石田:部員は?
黒部:そんなにではないですけど︑四〜五十人くらいですね︒徳島では多かったですけど︒
石田:一年の時からレギュラーで?
黒部:いや一年の時は全然だめでしたね︒でも二年からは試合にレギュラーで出させてもらいましたね
倉敷:そのポジションはやっぱりフォワードですか?
黒部:そうですね︒やっぱりフォワードが︒いろんなところをやったこともあったんですけど最終的にはフォワー
ドに収まったというか︒
千田:自分でも一番収まりがいいやと思った?
黒部:そうですね︒まあ︑楽しいっていうか︑サッカーってこれだなっていうか︒サッカーやってるって実感しま
したね︒フォワードやっているときが一番楽しいですね︒
石田:高一の時は二年になればレギュラーとれるって感じしてましたか?
黒部:いやしてないです︑全然︒二年になってレギュラーになれればいいなっていうくらいでちょっと自信はなか
ったですよね︒
ここまでの会話を見ると︑我々の目からはこれだけの選手だから︑二年時には当然のようにレギュラーになれる︑あ
るいはレギュラーにしてもらって当然くらいの気持ちでいるのかと思う︒しかし︑彼は決してそんなことはなかった︒
ただひたすら一生懸命やっていて︑その結果レギュラーになれればいいとだけ思っている︒傲慢なところは彼にはまっ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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たく感じられない︒その後の会話は以下のように続く︒
石田:急に延びたんですか?
黒部:そうですね︒確かに高校二年の時は良く延びましたね︒ですから今︑普通に思い出すと僕一年目は全然駄目
なんですよ︒で︑二年目から延びるんですよ︒何でかわかんないです︑それだけは︒ある時ふと親に言われ
て︑それを︒今︑思うと確かにそうなんですよね︒ただね︑僕は環境が変わるとなかなか合わせられないって
いうか︑高校の時も一年目は全然駄目で︑二年目からレギュラー︒大学に入っても一年目はちょこっと出られ
るくらいで二年目からレギュラー︒京都に入っても一年目は本当にちょっとだけ出られるくらいで二年目から
は結果出して︒ずっとそれが続いているんですよね︒
千田:そうすると一年目に入って上級生を見て︑あの辺かなこの辺かなと思いながら一生懸命やるんかね?
黒部:そうかもしれないですね︒それか︑段階を経るごとにレベルが上がってゆくんで︑一年目にレベルの違いを
感じて二年目からこうゆう感じかなと分かってゆくのかもしれないですね︒
竹田:手抜きしているわけではなく︑常に同じ努力を重ねていってそうゆう結果になるんでしょうね︒
石田:高校の練習は厳しかったですか?
黒部:高校は一番厳しかったです︒
千田:あ︑そう︒
黒部:もう高校は厳しかったですね︒徳島商業自体︑僕は田舎だったんで高校へ行くのに自転車で十分︑電車で四
十分︑さらに自転車で十分︑計一時間はかかってたんですけど︑朝五時半に起きて︑六時の始発に乗って︑朝
練して︑学校に行って︑夕方練習して︑そのまま帰ったら︑一年の時はグランド整備があったから︑家に帰っ
たら十時は超えてましたね︒で︑晩飯食べて風呂はいって︑そのまま寝て︑また五時半に起きてっていう︑そ
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
れを高校時代ずっと︒
竹田:練習時間はどれくらいですか?
黒部:朝練は一時間くらい︒
竹田:それはどんなことをしてたんですか?
黒部:ボールを使わないでスタミナ系ですね︒走るとか︒走る高校だというのは分かって行ったわけですけど︒
竹田:夕方はどれくらいですか?
黒部:二〜三時間くらいですね︒
倉敷:一年の時に辞めようかという気は起こらなかったですか?
黒部:うーん︑辞めようという気にはならなかったんですけど︑僕二つ上に兄貴がいるんですよ︒兄貴も徳島商業
のサッカー部なんですよ︒僕の一年の時の三年生︒ここで辞めたら﹁兄貴はやっているのに俺は出来ないっ
て﹂言われたらヤダって思って︒そうゆう意味では自分自身本当に負けず嫌いな部分はあるんで︒ちょっとで
もそうゆうこといわれるのは嫌だったし︒
石田:それがなかったら辞めてたかもしれん?
黒部:でもたぶん辞めていないでしょうね︒徳島商業へ行ってサッカーやりたいって思っていたから︑もしここで
辞めたら普通に学校行くだけじゃないですか︒
石田:一年生は何人くらいいたんですか?
黒部:二十人くらいです︒
石田:そこでレギュラーとれた人はいたんですか?
黒部:いますね︒一人か二人︒ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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千田:ポジションにもよるんだ︒
石田:さっき聞き忘れたんですけど︑二年になってどこが大きく変わったんですか?
黒部:技術的なというより精神的に成長したと思うんですよ︒技術は普通に練習していれば勝手に上がっていって
るんですけど︑いきなりどこで上がったっていうのはわかんないんですよ︒だからそれが上がってゆくことに
よって︑見方がパスをして︑それを止めるっていう技術なんかは︑一年生の時は待ってボール来たら嫌だなと
思う感覚が︑気が付けば少しずつ止まるようになってきていて︑止まるって分かればボール頂戴よってなるん
ですよ︒それが勝手に自信になってるんですよね︒それは僕が変えたっていうのではなくて︑頭の中で勝手に
出来上がってきていて︑それがいつだっていうのは分からないですけど︑二年生になったらそれがしっかりし
てきて︑スタミナ的にもしっかりしてきて︑メンタル的にもそうゆう自信がついてきたから︑上手くなってき
たっていう実感出来たっていうだけの話で︒まあ︑そうゆう意味では二年の時に充実してきたなっていうのは
感じましたね︒何って言われるとちょっとわかんないですね︒
ここまでの会話を振り返ってみても︑二年時になって実力が付いたことを非常に淡々と語っており︑決してこれをや
ったから強くなれたとか︑それをこの場で格好良くアピールしたいなどの傲慢な気持ちはまったく見られない︒努力し
なくてもできる天才だったら︑何も考えていないといえるほどの人がいるかも知れないが︑彼の場合は︑一年時は苦労
しているのだから︑必ず陰の努力があるはずである︒その部分をまるで何事もなかったかのように語るあたりが︑彼の
人間性を良く表していると言えないだろうか︒さらに会話は続く︒
石田:体力も付いたんですか?
黒部:そうですね︒一年間そうゆう厳しいところでやってきたんで︒大変でしたねやっぱり︒
石田:同じ部員の中でも体力が付いているという実感はありましたか?
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
黒部:そうですね︒スタミナだけは一番という自信はありましたね︒
石田:一年生の時からも?
黒部:一年生の時は真ん中くらいでしたけど︑こう練習していってスタミナはついてきたなって思ったら︑三年生
入れても三番目か四番目くらいになっていて︒
千田:凄いね︒
竹田:それも自信になっていましたか?
黒部:そりゃそうですね︒サッカーはスタミナが大事ですからね︒いくら上手い選手でも後半になると凄い苦しそ
うな顔するじゃないですか︒そこでやっぱり走れるってことは︑おまえは動けないんだろうみたいな︑また違
った意味で自信になりますよね︒
竹田:精神的に成長したっていうことなんですけどね︑もうちょっと聞きたんですが︑ボールを止める自信がつい
たということと体力が上がったということですが︑いわゆる精神的・メンタル的にという点ではどうですか?
それらの結果自信がついたっていうことですか?
黒部:サッカーをやっている人には分かると思うんですけど︑一年生の時は交代要員だったんですよ︒で︑二年に
なってからレギュラーになれて︑やっぱりそのチームではレギュラーになれると上なんですよ︒試合に出るっ
ていうことに関してね︒それはやっぱ凄い自信なんですよ︑そのこと自体が︒
千田:なるほど︒
黒部:一応監督がその高校の中で認めた十一人なんだという︒監督が認めてくれたんだというのがあるから︑それ
が自信になるし︑また嬉しいし︑もっと頑張ろうということになるし︒
竹田:それは大きいですね︒ 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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黒部:それ大きいですよ︒今でも一年目は駄目だったですけど二年目から使ってもらえるようになったときは僕自
身凄い嬉しかったですね︒
竹田:無条件の自信というか︑絶対的な自信というか︒
黒部:もうだからうちの京都パープルサンガのチームでも︑まあ若いですから︑レギュラーになっただけで態度が
変わるやつがいますよ︵笑い︶︒もう高校卒業したばかりの選手がいますから︑それでレギュラーになれたら
俺って凄いんだと思うのはいますよ︒まあ若いですから︒そうゆう選手も常にいい結果が出ているわけではな
いし︑そうゆうのは色々経験しながら成長してゆくと思うし︒僕はそうゆう意味では一年目に苦労しましたか
ら︑いい経験出来たなと思いますね︒
ここまでの話を見ると︑体力の向上に伴って精神面での向上が伺える︒厳しい練習の結果である︒そしてレギュラー
の座をつかんでいるのであるが︑彼の良いところはそこで慢心しないことである︒京都パープルサンガ時代になってか
らは︑一年目の苦労を生かし︑奢ることなくトレーニングを続けたことが二年目の大きな飛躍につながっていると考え
られる︒ゆっくりではあるが︑新たな環境に時間をかけて適応することによって︑着実に実力を伸ばした選手といえ
る︒
一方︑彼は度重なる怪我との闘いも経験している︒度重なる困難があっても彼は幾度となく復活してくるのである
が︑インタビューをしていてその時々の心境の変化が大変興味深いものであった︒黒部氏については︑どのような心構
えで幾たびかの困難を克服してきたのであろうか︒次は︑そのときの思考過程を中心に述べてみたい︒
竹田:筋力トレーニングを取り入れたことによって成績はやはり延びてきましたか?
黒部:一年の終わりに九州選抜に入って︑二年の終わりにまた九州選抜に選ばれて︑その時に地域対抗戦で関東代
表とか関西代表とかとやって︑そこで九州選抜が初めて優勝したんですよ︒
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
竹田:そんなに強くなった?
黒部:その時に結果が出たんですよ︒その時に得点王とMVPに僕が選ばれたんですよ︒
千田:はー︑凄いね︒
黒部:その時が本当に表舞台に立ったということですね︒で︑全日本の大学選抜代表に選ばれたんですよね︒三年
の終わりも九州選抜と全日本に選ばれて︑で︑大学四年の時にユニバーシアード代表に選ばれて︒
千田:大学でトップの・・・︒
黒部:はい︒まあ︑途中で怪我もあって手術もしたんですけど︒
竹田:それはいつですか?
黒部:大学の三年の時︑右足首の三角靱帯をやって︑まあそれは何とか治したんですけど︑ユニバーシアードが終
わって一ヶ月経たないくらいでまた同じところをやっちゃったんですよ︒その時がもっとひどくなっちゃっ
て︒足首の腓骨骨折と脱臼をしちゃったんですよ︒夏の時期なんでプロから誘いがある時期だったし︑実際や
ばいなと思って︒せっかくここまでやってきたのにと思って︒だけどその年︑だいたい半年くらいかかるだろ
うと言われてたんですが︑四ヶ月くらいで復帰出来て︒痛くてしょうがなかったですけどね︒
竹田:その間はずっとリハビリですか?
黒部:リハビリやっていましたね︒
千田:ギブスも入れて松葉杖で?
黒部:はい︒で︑二ヶ月後に釘を抜く手術もして︒腓骨にはボルトを入れたままやっていて︑それは京都パープル
サンガに来てから取ったんですけど︒一年間入れてましたね︒ですから京都に関しては一年目が自分は歯が立
たないというよりも︑ぶっちゃけこれは痛みでしたね︒だから九月になってからは調子が徐々に良くなってい 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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きましたね︒
倉敷:その怪我はみんな知っていたんですか?
黒部:はい︑知っている人は︒トレーナーとかはもちろん知ってて︑足を見ればね︑傷が付いてるから︒
倉敷:それでも京都は取ってくれたわけ?
黒部:はい︒その怪我を知ってそれでも欲しいって言ってくれたチームが全部で四チームで︒それが京都パープル
サンガと名古屋グランパスとセレッソ大阪とアビスパ福岡︒
竹田:怪我でトレーニングが全然出来なかったときはどんな思いでしたか?
黒部:けどね︒なんていうか精神的に大人になれてきたというか︑怪我をすることによって精神的に大人になれ
て︑一回目も足首やってますし二回目やったときも︑もうなったことは仕方がないから︑治すことだけ考えよ
うって︒至らないことばっかり考えていると自分自身が不安になっちゃうし︒だから怪我をすることによって
自分自身がメンタル的に凄い成長することが出来たんですね︒それがあったからプロに入って最初試合に出ら
れなくても堪えることが出来たと思うんですよ︒
倉敷:割とそこらのところをうまく・・︒
千田:普通ね︑怪我すると滅入って暗くなったということを真っ先に説明してくれると思った︒そうじゃない︒そ
れがとっても役に立ったというそうゆうメンタリティーなんだなと︒印象深くお話を聞いていたんだけれど
も︒
竹田:切り替えが早いですね︒
黒部:実際参るのは参りましたけど︑そればっかり言っててもしょうがないんで︒
竹田:そこでそうゆうふうに思えるのがね〜︒
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
千田:そう︒そこでぐっと跳ね返してくるんだよな〜︒
倉敷:優秀な選手のもともと持っているものなんですわ︒技術持っていたって︑体力持っていたって︑それを持て
ない人はなかなか︒浮き沈みがひどいんですわ︒ほーそれは凄いわ︒
石田:キッカケはなんか︑ぶつかったりしたんですか?
黒部:最初はキーパーとぶつかって足をガーって︒キーパーと当たりに行ったから足首が逆にひねられて︒これは
大学三年の時ですけど︒四年の時はもうひどかったですね︒僕がシュートに行こうとしたときに後ろから両足
でタックルされて︑僕自身足の行き場がなくて︑倒れ方はわかんないですけど︑バッと倒れて︑その時に両方
挟まれてたから︒
石田:格闘技だね︒
竹田:最初に怪我したときでも復帰して四年次のユニバには選ばれるまで行ったんですね︒
倉敷:それは前の実績があるから︒
黒部:それは考慮してくれたかもしれないですけど︑実際やばいなと思いましたよ︒治ったからすぐ入れてくれる
ってこともないし︑それは凄い不安でしたけどね︒
竹田:体力的にはむちゃくちゃ落ちたんでしょうね︒
黒部:そりゃもう凄い落ちましたよ︒足自体も細くなっちゃってたし︒
竹田:体重はどれくらいまで落ちたか覚えてますか?
黒部:体重はね︑そんなに変わってなかったですよ︒ただ筋力が落ちたっていうだけで︒
竹田:そうするとこの怪我から復帰して怪我する前くらいまでコンディションが回復したっていうのは最近のこと
ですか? 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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黒部:そうですね︒ボルト抜いてからですね︒
竹田:Jリーグに入って二年目ですね︒去年︑先先シーズンですね︒二〇〇一年ですね︒このときに四十一試合に
出て三十得点してますね︒
黒部:このときから足も調子よくなったっていう実感もありましたし︑結果も付いてきてくれたし︒
竹田:完全復帰っていう実感はありましたか?
黒部:ありましたね︒
竹田:Jリーグに最初に入ったときは怪我の影響もあったと思いますが︑先ほど言われてた環境になれるのに時間
がかかるとか︑そうゆうものはありましたか?
黒部:ありましたね︒全体的なレベルは少し高いし︑環境も変わってたし︑それに輪をかけて足の具合もあったん
で︒まあそれはね︑自分が足痛い痛いって言ったって︑周りはそんなこと知っちゃいねって雰囲気ですし︒お
なじように人が足イテーっていったって︑俺には関係ねーよって思いますし︒結局仕事としてやってるから競
争なんですよね︒足痛かったら休めよ︑そうすれば俺が試合出られるしって思いますしね︒プロは出てなん
ぼ︑勝ってなんぼですから︒でなきゃ意味がない︒
竹田:二〇〇〇年にJリーグに入って︑その年は十二試合に出て得点はゼロでしたね︒どんな気持ちでしたか?
黒部:いやー︑俺はプロでやっていけるのかなって本当に思いましたよ︒その時は三浦知良選手がフォワードで同
じポジションで︑結局試合に出してもらえなかったし︒まあその人達もいなくなってね︑自分にもチャンス来
たんじゃないじゃな︒
千田:あの︑三浦選手なんかじっと観察しとった?
黒部:そりゃもちろん︑いいところは︒いいところはいいところで自分で吸収しようと思ったし︒
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競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
竹田:そうですか︒で︑Jリーグ二年目の時に素晴らしい活躍をして︑今シーズンも良い活躍が出来たというわけ
ですね︒この三年間で︑一年目の不振からその後の二年間の飛躍をまとめて頂きますといかがなものでしょう
か?
黒部:そうですね︒怪我が治ったことと︑四十四試合のうちの四十一試合︑ほとんどシーズン通してレギュラーと
して出られたことが自信になりましたね︒特に︑その年に三十点とれたということが︑まあ得点王にはギリギ
リ及ばなかったですけど︑日本人では一位で︒ちょっと運の悪い年でしたね︑この年は全体的にフォワードの
外国人の凄い選手がいたんで︒僕は三十点でしたけど︑去年︑セレッソと大分が上がったときの得点王は十九
点ですからね︒
千田:あらま︒
と︑まあ︑こんな調子である︒振り返ってみれば︑大学三年時と四年時に大怪我をして︑それをプロでの競技生活ま
で持ち込んでしまっているわけだが︑その時の心の成長が上記会話の中から見て取れる︒辛い出来事を非常に前向きに
処理している︒サッカー競技においては怪我をまったくしないで競技生活を継続できる選手はほとんど皆無であろう︒
彼もサッカー選手として典型的な怪我をしている︒それはともすれば致命的な怪我でもあった︒しかし︑度重なる怪我
を乗り越えて成長し続けてこられたのは︑彼の前向きな︑そして謙虚なメンタリティによるところが大きいのではなか
ろうか︒今後︑彼が継続的に活躍できる選手でいることを信じ︑その動向を見守って行きたいものである︒
︵五︶朝原宣治氏のインタビューから
朝原宣治氏は陸上の百メートル︑二百メートルと走り幅跳びを専門とする現役選手である︒朝原選手が百メートルで
日本新記録を出したことは︑過去に三回ある︒九十三年の十秒一九︑九十六年の十秒一四︑そして九十七年の十秒〇八 競技スポーツ活動の実践が人間性に及ぼす影響
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である︒三学年年上の伊東浩司選手が九十八年に十秒〇〇と朝原選手の記録を大きく破り︑夢の九秒台に迫ったが︑日
本人で初めて十秒二〇と十秒一〇の壁を破ったのは朝原選手だった︒九十六年アトランタオリンピックと翌年の世界選
手権では準決勝進出︒選手層の厚い百メートルという種目で︑世界のベスト十六に入るのは並大抵のことではない︒戦
後︑五輪と世界選手権でそのレベルに達した日本人選手はわずか四名︒決勝まであと一人という位置︵
=
準決勝五位︶にまで迫ったのは︑朝原選手一人しかいない︒これまでおよそ十五年の長きに渡り選手生活を続けてきているが︑何回
かの怪我の経験︒レースでの度重なる失敗︑トレーニングでの失敗などいくつかの浮き沈みを経験しつつも︑比較的に
順調に伸びてきた選手といえる︒スポーツ選手の中には大きな怪我や何かうまくいかないことを経験した時に︑時には
精神的に燃え尽きたり︑性格的なものが歪んだりする人が見られる︒朝原選手も例えば︑シドニーオリンピック︵二〇
〇〇年︶の前︑九十八︑九十九年には怪我をしてまともに走れなかったときがある︒しかし朝原選手はそこで脱落する
ことなく︑その苦境を大変うまく切り抜けてきている︒このような選手はむしろ珍しい︒そのことが偉大なる選手へと
成長させたのだろう︒そのためには︑トレーニングに対する人知れぬ厳しい姿勢と細かな工夫・努力が必用だったよう
であるが︑今回は︑朝原選手の記録の継続的向上に直結していると考えられるメンタリティについて︑インタビューの
中から拾ってみた︒
倉敷:お話し聞いてますとね︑すんなり伸びて行っている感じなんですけど︒
朝原:そうですかね?怪我もしてますからね僕︒
倉敷:ええ︑怪我はあってもね︑そこらくらいまで行こうと思ったら︑それくらいのことはあるだろうと思います
ね︒それがね︑自分の性格的なものも歪むというか︑ブレがなしにスーッと行っているように思うんですわ︒
そこらのところは何か︑ここが良かったというのはありますか?どうしてそうゆうふうにできたか?
朝原:やっぱりシドニーの前の九十八年︑九十九年の時の怪我がやっぱり大きかったんですよ︒二年間まともに走
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