九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
生物間相互作用に基づくマツ材線虫病発病メカニズ ムの統合的理解
山口, 莉未
https://doi.org/10.15017/4060237
出版情報:Kyushu University, 2019, 博士(農学), 課程博士 バージョン:
権利関係:
氏 名 山 口 莉 未
論 文 名 生物間相互作用に基づくマツ材線虫病発病メカニズムの統合的理解
論文調査委員 主 査 九州大学 准教授 渡 辺 敦 史 副 査 九州大学 教 授 久 米 篤 副 査 九州大学 教 授 溝 上 展 也 副 査 森林総合研究所 主任研究員 松 永 孝 治
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
マツ材線虫病は,北米原産のマツノザイセンチュウ(Bursaphelenchus xylophilus)(pinewood nematode; 以下,PWN)によって引き起こされる劇症型森林病害である。クロマツ(Pinus
thunbergii)やアカマツ(P. densiflora)に代表される日本のマツ類は,本病に強い感受性を示す。
1971年に病原体が特定されて以来,マツ材線虫病による枯死メカニズムに関する知見が集積され てきた。本病の病徴進展は感染初期と病徴進展期の2段階に分類できることが示され,病徴進展期 へ移行する際の現象であるPWNの顕著な増殖がマツを枯死に至らしめる要因であると考えられて きた。しかし,樹体内におけるPWNの増殖を可能とする宿主と病原体双方の要因についての情報 は不足しており,日本のマツ類の発病に至るメカニズムは不明な部分が多い。本研究では,PWN に特に強い感受性を示すクロマツを対象として,宿主と病原体間の相互作用,および相互作用の発 現に関わる環境条件を視野に入れ,分子生物学的手法によりマツ材線虫病の鍵となる発病メカニズ ムの解明に取り組んだ。
はじめに,マツ樹体内における PWN 頭数を樹体から分離することなく直接的に定量できる手法 を確立し,その手法を用いて,PWN感染後のクロマツ実生苗におけるPWN頭数と植物の防御関連 遺伝子である感染特異的(pathogenesis-related, PR)遺伝子群の発現を時空間的に評価している。感 染初期では PWN は侵入箇所近傍を中心に分布していたが,離れた箇所でも少数検出された。一方 で,PR遺伝子群は苗全体で発現していた。その後,PWN 頭数と PR 遺伝子群は苗全体で強く発現 し,全ての個体が枯死に至った。これらのことから,PWNの速やかな分散によってマツの防御反応 は苗全体で誘導されるが,この防御反応はPWNの増殖抑制に効果的ではないと結論づけた。
次に,クロマツ抵抗性2クローンおよび感受性1クローンを対象に,宿主と病原体のトランスク リプトームを同時に取得するdual RNA-sequencing(RNA-seq)解析を行っている。宿主側の遺伝子 発現に関しては,抵抗性および感受性クローン間の発現変動遺伝子として宿主の病原体認識,細胞 壁の形成と生合成,およびその他の防御関連遺伝子に関連する遺伝子群が特定された。病原体側の エフェクター候補遺伝子に関しては,植物の細胞壁分解など PWN の移動・増殖に関与する遺伝子 群,および抗酸化や植物の防御反応の操作と関連する遺伝子群の発現が認められた。さらに,植物 の細胞死を誘導させうる遺伝子の発現も認められた。宿主と病原体双方の情報から,クロマツの抵 抗性因子は複数存在し,PWNによる細胞の物理的な破壊や,エフェクターの浸透・拡散の抑制に効 果のあると考えられる細胞壁の強化が抵抗性に関連する可能性を示した。
さらに,温度は,宿主と病原体間の相互作用の発現に作用する誘因であり,特に変温動物である PWN の増殖速度に影響を及ぼすと考えられる。そこで温度が異なる条件下で接種実験を行うこと で,マツ樹体内におけるPWNの増殖過程と病徴進展との関連性について検討した。その結果,PWN
の増殖に好適な温度条件下では,PWN の増殖と病徴進展は積算温度によってよく説明されること を明らかとした。しかし,PWNの増殖に好適な温度条件下でない場合には,PWNの増殖頭数はマ ツ個体間でばらつきが認められ,部分枯死もしくは枯死に至った個体は認められなかった。以上の ことから,温度は PWN の増殖速度を変化させることにより,マツ材線虫病の病徴進展に影響を及 ぼす要因であると結論づけた。すなわち,PWN頭数がある閾値に達するまでの積算温度がクロマツ の発病率に関連する可能性があると考察している。
本研究から,クロマツは,PWN侵入後の速やかな分散に伴う様々なエフェクター分泌に対し,苗 全体で細胞死を伴う防御反応を行うが,この防御反応は PWN の移動能や耐性の高さのためその活 動抑制に効果的ではなく,結果として PWN は顕著に増殖しマツは枯死に至ると考察している。た だし,PWNが顕著に増殖する以前に,細胞壁の強化などPWNの活動抑制に有効な防御反応が誘導 された場合には,マツは枯死を免れる可能性があることも示唆している。
以上,要するに本研究は,分子遺伝学的手法と遺伝子発現情報からマツ材線虫病の病徴プロセス を宿主-寄生者間相互作用に基づいて明らかにした初めての研究であり,森林遺伝育種学および森 林保護学上価値ある業績である。よって,本研究者は博士(農学)の学位を得る資格を有するもの と認める。