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Ⅵ 被爆

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長崎大学教育学部紀要一人文科学一 72号

絵 画 の 周 辺 、 そ し て そ の 最 前 線 :絵 画 Ⅵ

被爆 60 周年 にお ける絵画活動 2005 井 川 怪 亮

Pr o poss url ape i nt ur ee ts o na v a ntg a r de:mo nt r a va i lVI

Pourl e60占mea nni ve r s ai r edel aBombeAt oml que2005

Sei ryoI KAWA 8+9

20年 は ど前だ った と思 うが、「8月9日には、 なんかせ んば。 じっ としておれ んばい」 とい う 地元絵描 きざんたちが集 ま り、S絵 の具屋 さんが とりま とめをされ なが ら 「8・9展」が発足 し、

県美博 な どで開催 されていた。 その ことを私 のゼ ミ生K君か ら聞 き、彼 か ら参加 を勧 め られ出 展 した。 ところが、2年 ぐらい経 ってか らの打 ち合 わせ の席 で、 「よそ もん には、わか らん !

と言 われ、 は じき出 され た よ うなシ ョックが あった。 あ ま りの驚 きで、 どん な内容 だ ったの か さえ思 い出せ ない。

す っか り戸惑 って しまった私 は、 またゼ ミ生等か らの忠告 もあ り、 「私 たちは別途、 ささや かで あ って も平和展 をや ろ う この こ とこそが平和 なんだ」 と言 い合 う彼 らに勇気付 け られ なが ら、初 めは、洋館 な どを使用 してゼ ミ生2、3名で細 々 と、展覧会名 は 「長 崎 は生 きてい る」 として作 品展 を開始 す るこ とに した。やがて メ ンバ ーが増 え数 えてみ る と

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名 いた こ と か ら

「 8+9 」

へ とタイ トル名が付 け られ、 その名が現在 に至 ってい る

発表会場 は南 山手の洋館群や長与 町立図書館 、浦上 の市場 (いちば) な どを使用 しなが ら、

最近 で は浦 上百貨 セ ンターギ ャラ リー に落 ち着 いて きた。 ところが、折角 私 た ちが少 しで も 市場 を活性化 しよ う と、展 覧会 を立 ち上 げて きた この ギ ャラ リーが今 年初 め ごろ急 に閉鎖 さ れ るこ ととな り、途方 に暮れていた。

今夏 は被爆60周年 なので、「10年前 の50周年祈念企画 とは打 って変 わ って、学 内の施設 で ほ んの ささやか に しよう」 と、ゼ ミ生 たち と考 えて いた。 そん な頃、 「再 び浦上百貨 セ ンターギ ャラ リーで作 品展 を して欲 しい」 と市議 の 中村 すみ代 さん を通 して連絡 が あった。 当初 、 そ の原 因が私 た ちの作 品発表 にお け る使用 の仕 方 だ ったのか、 よ く分 か らず に作 品発表が 中止 に追 い込 まれた もの とばか り思 って いた。 それが復 活話 に接 す る と、面食 らったが、一方 で 私たちの美術 による地道 な活動が見直 されたのだ とゼ ミ生たち と喜 んだ。

兼松照明氏見える

「元 々浦 上 の地 にあ る、 しか も浦上 の名 がつ いて い る この ギ ャラ リーが再 開す るな ら、や ろ う !

と復活特別展 として

「 8+9 」

の平和展で幕 開 け とした。

空 き店舗 で あ るこの会場 は、店 と店 との間 に壁 が な くガ ラン として柱 が 目立 ち、散漫 とし て、 また薄暗 い空 間で もあ る 従 って発表者 として、 自然 と作 品展 示 が柱 の面 に頼 りが ち と な り、仕 方 な く小型化 してい くので、私 は心配 で あった。 ところが今 回、復 活 とい う意気込

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みで会場 に向かい、 しか しお もむろに展示 し始 めてい る と、前 にも増 して市場 の方々は私た ちに気 を遣 って くれてい る様子が伺 える。会場 は以前 よ りず うっ と広が り、用意 していた大 きめな作品を皆で積極的に飾 りつ けた。

私たち研究室 は、本学公開講座 を6月 よ り毎月1回で実施 し、9月には渡韓 しての 「韓 ・日展」、 10月にはハ ウステンボスでの 「ごみゼ ロ運動全 国大会」の リサイクルアー トとサイエ ンス ワ ール ドの出前授業 な どのプロジェク トが同時進行 中であった。更 に8月初旬 に灯火台モニュメ ン トの清掃 と補彩 をせねばな らず、「8+9」の初 日に展示会場 に出向 くほ どの時間 も取れない 状況であった。 それで も今 回の作品発表 は被爆

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周年 と名 を打ってい ることもあ り、 とにか

く初 日に皆で厳かに出向 くことに した。

ラッキーだった ことは、写真芸術家の東松照明先生が早々 と見 に来 られた ことだ。先生 は 前 よ りもお元気 そ うで、私たちへの暖か な眼差 しに、私 は とて も嬉 しか った。東松先生 は学 生の作品 もいちいち丁寧 に見て くだ き り、ある者 には 「途 中を残す ことは勇気が必要ですね」

な どな どと、その都度感想 まで語 って くだ さった。 (写真⑪)

途 中で私の展示 した場所 に来 られた。魚屋が使用 す る大 きな流 し場兼物置場 の、蜘株 の巣 が張 ってい る奥の壁 に私 は自作 を取 り付 けた。 (写真⑲)流 し場 となってい る地面 は水溜 ま り があ り、び しょび しょに濡れていたにもかかわ らず、つかつか と入 って来 られた。 「日常的な 生活感が あっていいですね」 と実 にさわやか に言われた。 まことに有難 いお言葉であった。

この光景 はまさに東松先生がカメ ラで撮影 されてい るような錯覚 を覚 えたほ どだ。本 当に恐 縮 して しまった。

展示場が市場 と言 うこともあ り、案 内状 を郵便 な どで差 し出 して も、来 られ る方 はわずか であ る。来客 の期待 もで きない ような、 まだ市民権 を得 ないギ ャラ リーでの出来事 として、

東松先生 は以前か ら私たちの作品展 には芳名録 に記帳 されてお られ るが、特 に今回の先生 の お姿に深 く感動 したのだった。

東松先生 は、長崎に住みなが ら写真芸術家 として被爆長崎の生 き証人であ り続 けてお られ る。

「この ようなお方が会場 に見えられただけで も平和 とは、参加学生たちの感想だった。

灼熱の記憶

毎年

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月にな ると、平和の 目を迎 える 「今 日も灼熱の暑 さだ」 と汗 をか きなが ら歩 く。炎 天下、冷房 の効 いたチ ンテ ン電車 に乗 り、松 山町電停、あるいは浜 口町電停で下車 してか ら 爆心地 に向か う。 この うだ るような日差 しに、「被爆の瞬間は、 この ような猛暑の中で実行 さ れたのだ」 と、長崎の真夏がやって来 る毎 に、そ う思って しまう。

この灼熱の暑 さに、当時被爆 された方 々や、 そ してお亡 くな りにな られた方々や ご遺族 の 方々の、過酷で地獄 の ような苦 しみは、 いかほ どだったのか。 それは

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度の爆熱 と言 う。

もう私の想像 に絶す る思いだ。 そ して、 この うだ るような長崎の暑 さの空気 に触れ る と、私 の肉体 に も痛 みの ような ものが伴 い、 また何かや るせ ない怒 りの感情が高ぶ って くるのを覚 え、蝉の声 を聞けば、 また爽竹桃の花 を見れば、それ らが一段 と脳裏 をかすめる。

もう例 えようもない熱 さ とその中にあって、 その暑 さを思 うと、 とたんに思考力が止 まっ て しまい、息苦 し くなって くる。 この ような息苦 しさは、最近 の私 に夏 の季節か ら感 じるの だが、現実的には身体的な暑 さか ら、 もう解 き放 って欲 しい とさえ願 うばか りだ。

この ところ、環境が整 った と言 うべ きか、 あるいは賛沢 になった と言 うべ きか。 もしか し

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絵画の周辺、そ してその最前線 :絵画ⅤⅠ

29 た らその反対 になって しまったのか もしれない。 それ は、研究室の冷房 に身 を委ね るように なったか らだ。で も冷房 は性 に合 わないので、時折冷房 を切 る。 しか しなが ら一度味わった 冷房の快適 さは、 またそれに浸 りたい気持 ちにな り、条件反射的にスイ ッチを入れて しまう。

最近 は肉体 も衰 え始 めてい るので、冷房 を切 り、終 日の うだ るような暑 さの中で過 ごす と、

夕方 には頭がぼけて しまい、ひ どい疲れを感 じる。そこで またスイ ッチを入れ る。

老人化 した肉体 に、 この うだ るような暑 さは、 もう一方で幼年時代 の汗 をか きなが ら寝床 についていた ことな どを思 い出す。 その光景 に重 なって くるものは、海水浴で真 っ赤 に 日焼 けを し、肌がひ りひ りとし、その後水ぶ くれ とな り、 そのかゆさを無意識 に指で水泡 を引っ 掻 き、破 って しまい、 もう寝返 りが出来 ないほ ど辛 い思いを し、 あるいは夢 中で昆虫採集 を

し、あのまぶ しい真夏の光が眼球の奥底 に懐か しく想 うことな どだ。

個人プレイからの脱却

10年前、私の研究室では、 「被爆50周年祈念 アー トフェステ ィバル」 (NHKな どとの共催) と言 うタイ トルで全国的な規模で作品募集 を し、市内9箇所 を展覧会場 に、 また世界的なアー テ ィス トな どを招 いて、本学の公開講座 「被爆50周年 を考 える現代美術」 とジ ョイ ン トして 大掛か りな美術展 を企画 し、平和の 日に合わせて実施 した。

あれか ら10年が経過 したが、 これ まで毎夏平和の 日を因んで、前述 した ように私 は学生 た ち と美術活動 を展開 して きた。今年 は被爆60年 目を迎 えることもあ り、 その意味 も含 めて爆 心地の被爆 の丘 に設置 されてい る 「長崎 を最後 の被爆地 とす る 『誓いの火』灯火台モニ ュメ ン ト」 (通称 「ナガサキ誓いの火灯火台」 とも言 う)の着彩上の修復 を行 った り、前述 の よう に作品発表 を した りした。

私は84年か ら長崎に定住 し始 めたが、当時私が東京か ら離れ る時、 「長崎 は現代美術が不毛 の地、何 しに行 くの ?」 な ど、 と多 くのアーテ ィス トたちか ら言われた り、驚かれた りした ので、少 なか らずため らった。案 の定、 そ こには現代美術 も、 その ような発表 の場や美術館 もなかった。

この ように美術活動 の次元が全 く異なった ところに放 り出されて しまうと、 アー トの役割 を少 しで も考 えようとす るものだ。長崎 に来 るまでは、 とにか く 「いい仕事 (制作)す るこ

と。それが第‑で、教育 とか平和 とか は二の次だ」 と先輩諸氏か ら諭 され、 そ う信 じて きた。

恩師たちは どうであろ うか。VIALIJAT先生 は 「アパル ト‑イ ト展」 に出品 されていた し、野 見 山先生 は 「戦没者 の祈 りの画集」 を作 られていて、 それ らを見 る限 り、人類愛や平和 な ど が芸術 の根幹 に備 わってお り、 それが必要 なのだ と教 え られ る。繰 り返 すが、私が長崎 に放

り出されてみて、 「アー トとは ?」 を問いかける機会 となった。

これ まで長崎で学んだ ことは、既 に述べた ことがあるが、 「アー トの活動 は個人 プレイか ら の脱却で あ り、 そ こに新 しい美術活動 の展 開 を切 り開かね ば」 とい うことだ った。 そ して、

これ も繰 り返 し語 った ことがあ るが、私 は公募展 に応募 した ことは、皆無 に等 しい。 その言 葉 自体 を嫌 って避 けて今 日まで来た し、 そ もそ もコンクールその ものを聞 くだ けで気が重 く な り、土台、美術活動 は、第一、競争の原理 にそ ぐわない と感 じていたか らだ。

それなのに、その85年頃の新聞紙上 に、「灯火台モニ ュメン トのデザイ ン募集」が記載 され ていて、 それ に心が動か されたのは、私が長崎 に移 り住 んだ ことの意義 と爆心地 の持つ場所 性 を問い、 アー トが医学の ように人類の平和 に貢献で きるのではないか と思 ったか らである

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そこで勇気百倍、応募す ることにした。 このような ことは後 にも先 にもない出来事 となった。

偶然 に も、採用 された このモニ ュメン トは、87年の夏 に建立 し、 その年 の8月9日に、渡辺 千恵子氏によって灯火 された。今夏で18年 目となった。 (写真⑧⑨)

灯火台モニュメントの形状

本 モニ ュメン トの形状の概略 について述べ る と、モニ ュメン トの平面図 (断面)か ら見 る と、基本的な形態は星形五角形であるが、立面図 (構造)か ら見 ると、平面図でのⅤ型のコン クリー トが柱状 として5つ立 ち、つ ま り平面図上では、Ⅴ型の鋭角が内側 に向かって、それぞ れ5対が環状 になるように組み合わさっている。

Ⅴ型外壁 は白いタイルで覆い、Ⅴ型の コンク リー トの厚み (外側 の一部) と内側 (コンクリ ー ト面)に内包す る色彩 として着彩 している。 (写真⑱)

色彩表現 とい うものは、表現意図を高 めるため、内壁 よりも外壁 に着彩す ることを優先 し、

その ことによって色彩表現 は、 その存在 を主張 し続 けることにな るか らだ。 また一般的な表 現手段 として も皆 それ を望むだ ろ う。で は現代美術 の立場では どうであろ うか。 その手法 を 真 っ先 に採用す るのが、 自己主張の激 しい表現手段 を とる現代美術だろう。

しか し、私 は、平和 と言 うテーマ性 を よ り助長 す るには、逆 に色彩 を コン トロール し、外 壁面の白いタイルで包む ことに した。 こうして内包す る色彩 は、Ⅴ型の柱 同志が上空 に向かっ て末広が りの構造へ と上昇 し天上 に舞 い、世界 に羽ばた く 「平和の色」 としてイメージ した。

(※1 作者 コメン トAを参照)

これ まで本 モニ ュメン トの彩色 による修復 (つ ま り補彩) は、今 回で

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度 目 とな る

。1

回 目 は1995年、被爆50周年 として、2回 目は2000年 をそれぞれの節 目として、外壁部の着彩 してい る部分 のみを実施 した。今回は、 同外壁部 と内部壁面着彩部 にも補彩 を行 うことで、モニ ュ メン トの存在 を促せ るように した。

補彩という言葉

着彩 した野外のモニュメ ン トは、何 と言 って も過酷 な紫外線や太陽熱 による高熱 と、それ に加 えて、雨 ざ らしの条件下 におかれ る と、着彩部 は脆 くなってい き、当然、退色が進む。

やがて修復 を考 えねばな らな くなる。

修復 と言 う言葉 をダイ レク トに使 って も良いのであるが、修復 を専門的に扱 った経験か ら 言 えば、今 回は、退色 した色 その ものを同色で皮膜 して行 く手法なので、補彩 を した と言 う のが相応 しい ように思 う。が、い まいち、 しっ くりこない。 それで も行為 の工程で は補彩 と 言いた くな る言葉である 本来の補彩 とは、修復 のプロセスの中で出て来 る言葉であ る。例 えば古典的な絵画作品を修復す る と言 えば、完全 (完壁) さが伴 って きて、 ごまか しの効か ない徹底 した作業 を指 して言 う。具体 的 に、例 えば画面上痛 んだ色層部 を拡大 して説明す る と、 その色面上で ある部分で剥がれた ところが あれ ば、 その部分 を最後 の仕上 げあた りで、

この剥がれて窪んだ部分 をカオ リンな どで充填 し、 その上か ら見掛 けの色で補 う、つ まり補 彩 をす ることによって、 あたか も元 に戻 ったかの ようにす ることだ。 この ような完壁 な作業 を実施 して初 めて修復 した と言 うべ きだろう。

その点、今私が言 う補彩 は、伝統 的な修復 とは違 い、紫外線や高熱 によって退色 した り、

薄 くなった りした ところを全面的に上か ら色 を覆 い被せ る手法 を言 い、更 に私の場合、その

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絵画の周辺、そ してその最前級 :絵画

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時 に付随す る行為性 を現前化 していることも含 んでい るか ら、 これをまさし く色 を補 う行為、

すなわち補彩 と呼んだ方がぴった りと言 うわけだ。

先 にも述べた ように、 まさし く色 を補 う行為、すなわち補彩 をす るにあた り、前以て下準 備 すべ きは、 まず、表面 の洗浄 をす ることである。次 に補彩すべ き部分 には、軽 くやす りを か ける。 その蝶 を掃 ってか ら、着彩 に取 り掛か る。 この際、以前 のタッチに合 わせて行 うこ とが原則だが、 しか し戸外であ るため雨水が流れやす くす る道 を作 る とい うことも必要 とな って くる 今 回は、雨水 な どが溜 まる と、 そ こに挨 な どの付着やカビな どが発生 しやすいの で、そ うな らない ように、た とえ以前のタッチが水平や斜 めであった として も、 それ を全 て 垂直面の縦のタッチに変 えた ことである。

ここまで述べ る と、補彩 と言 いなが らも、いか にいい加減 な修復 を したか を告 白 したわけ だが、 しか しなが ら、修復 は、 その時 その時の判断力 に委ね られてい くケースが多 く、いい 加減 どころか、結構真剣勝負的な行為が伴 っていることも事実である。'

それか ら公的な場所 な どに保管 されてい る作品の修復作業 は、何が しかの暗黙の了解 の下 で実施 してい るようで、著作権 な どを問題 にす るな どとい うことは、社会 的に起 きた とい う

ことを私 は聞いた ことがない。 それ は、修復すべ き作品について、作者 に了解 を取 る法的手 続 きな どが どの ようになってい るのだ ろ うか、む しろ公 的な場所側が作品保管上 において必 要 と認 めた場合、修復 を実施 しているのが現状 の ようである。今後、作者か ら 「勝手 に修復 を した」な ど、 と訴 え られ る可能性があ りそ うだ。

この ことは、原作者が今 回の ような作品修復 を命が けの作業 を通 して、著作権問題 を痛感 したか らだ。原作者 は作品保持 のため、修復 については、現状維持か、 あるいは出来た当時 の ような発色 を期待す るかな どを選択す る もちろん予算 な どの充分 な補償 と時間があれば、

その選択の巾は広が る。 しか し現代 日本 の文化 レベルで は、何 の保 障があ る と言 うのだ。 こ れ まで に充分 な補償 な ど出合 った ことがない し、 それ故、私の ようにいつ ももどか し く感 じ ているアーティス トが殆 どであろう。

ここまで来 ると、今回の野外 にある本モニ ュメン トでは、作者 は、着色 の部分 的な化粧直 しを優先す るしかない。 この化粧直 しで も、今後 の ことを配慮すれ ば、例 えば筆触 のタ ッチ の方向の変更 さえも出て来 る。 それを決断す るのに諦 めに似 た空 しい気分 に もな るが、 そ う 判断す ることは、本 当に怖 くて、 そ して勇気 もい る。修復 の判断 は、何 よ りも常 に社会的な 判断を要求 されなが らも、かつ もっ とも効率の よい方向へ、 あるいは悲 しい ことだが、 それ は、 どこかで妥協 しなが らで も現状 を維持 す るはか方法がない と言 う諦 めに似 た方 向へ と、

舵 を向けていかねばな らないの も事実であることだ。

モニ ュメン トの恒例 の掃除は、今年 は8月1日に実施 した。今 回は補彩 を行 うので、掃 除は 念 を入れた。

綱渡 りの補彩 ?

ところで、本モニ ュメン トは、楕 円形 の台座上 に高 さ5mでそびえてい る。普段使用 す る脚 立では、モニ ュメン トの天辺 までは手が届かない。今 回はそれ よ りも背の高い2m脚立 を準備

した。それを開架 し梯子状 にしてモニ ュメン トに備 え付 けた。

修復 の手順 は、基本 的には、塗装作業 と似ていて絵の具が飛 び散 ることを考 え、高 い とこ ろか ら暫時下へ と向かって作業 を行 うが、 (写真⑫)絵の具の乾燥 な ど配慮すれば、 ある時 に

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は下方で着彩 を進 め、見上 げた時 に塗 り残 しを見つ けた りしなが ら、 しか しその隣が まだ乾 燥 してな くて、他 の箇所 に着彩 しなが ら作業 を進 めてい く。 (写真⑮⑯)

脚立 によじ登 って、一番高 い ところでの作業で は、モニ ュメン ト自体 の柱が末広が り状 と なってい るため、 そ こで は垂直 に立つ と、背筋 はやや反 るようにな る。モニ ュメン トの端 を 左手でつかみ身の安定 を図 るが、 それが思 うようにつかめない。右手で筆 を持 って描 く姿勢 を取 る。元 々左手 は絵の具の容器 を支 えるのだが、今左手 は、脚立か ら落 っ こちない ように 支 えねばな らないので命綱 の ような格好 とな る。 それでその絵の具の容器 は紐 をつ け首か ら ぶ ら下 げることにより、容器の巾が胸 に当た り余計 に身を反 らす ことになる。 (写真⑭)

左手 は、Ⅴ字の側面 をつかむが、 白いタイルはじ りじ り焼 けて熱い !まるで ピンセ ッ トでつ かんでい る状態 とな り、瞬間、瞬間、めまいが し、今 にも落 ちそ うにな る。 それで 階さが襲 って くる。おまけに反射光でその紫外線の跳ね返 りも暑 く、「先生、 日焼 け止めクリームは ?」

と仕事始 めに学生が助言 して くれた ことを、両耳補聴器が壊れんばか りの蝉 の声で思い出 し た。私 には日焼 け止 めク リームを塗 ることな どもってのほか、色 を塗 るもっ と大切 な任務 を 今遂行せねばな らないのだ。

私のペイ ン トす る行為 は こうした極 限の上 に今 回 は成 り立 ち、 まさに命が けの着彩 となっ た。通常の場合 の補彩 な どの修復 の姿勢 は、描 きやすい安定 した状態で実施 す るのが普通で あるが、今回の ように脚立か ら落 っ こちて しまうか もしれない、あるいはそ うした状況の中 での描 く行為 その ものが、同時 に体力的な限界 な どに追 い詰 め られた状況で描 く。繰 り返す が、描 くとい う行為が限界状況 に巻 き込 まれ、 そ うした中の筆触 は、行為 その ものに還元 さ れていた ように思 う。 あの ゴッホが風景 を描 くのに、 ミス トラルの中で身震 いを しなが ら、

うね るような風景 を描 き出 したの も、一種の極 限が生み出 した芸術だ と言 える。モネ に して も大 きなキャンバスを屋外 に持 ち出 し、現場で描 く行為 は、 さらに措 く行為が拡大 されなが ら現代の美術のパ フォーマンスへ と移行 されて行 った観がある。

今回の補彩 にお ける筆触 は、繰 り返すが、身の危険 を感 じなが ら高い ところでの制作、 し か もその状況 は灼熱の中での制作、それ はまさに行為 による補彩の筆触群 となった。 とは言 え、被爆 の6000度 の原点 に戻 る と、被爆 の60周年 な どと言 う被爆 の節 目な どどこに もない こ

とに気付か され るし、 これか ら先 もない。今 まさにペイ ン トしているだけだった。私が3日間 に渡 って 日中の強烈で過酷 とまで感 じなが らの紫外線 を浴 び、極 限の行為 として着彩す るこ とを自覚 した時、改めて被爆の瞬間を重ね合 わせ る と、私が言 っている行為 の極 限な どと言 ううぬぼれは、木 っ端微塵 に吹っ飛んで しまうのだった。

それで も私 は補彩 した ことの責任 を考 えてみた。

平和の輝 き折 り鶴群

化粧直 ししたモニ ュメン トは、 自らが手掛 けた補彩 をはめるようで恐縮 だが、 それ は平和 の 日に太陽にまぶ しく思いの他、一段 と輝 いて見 えた。9時半 ごろ到着 し、前以て用意 してい た折 り紙で折 り鶴 した ものを数個、参加者への固定用 の例 としてあ らか じめモニ ュメ ン トに 貼 りつけた。そ して通行人に呼びかけ始 めた。

都合が良い こ とに、爆心地公園か ら平和資料館へ行 く道 に石段があ り、 その石段 を登 って い くと踊 り場が あ り、 その左側 に本モニ ュメ ン トが設置 されてい ることと、 そ こを往来す る 通行人 に 「折 り鶴 を折 って平和 を願 い ましょう !」、 「折 り鶴 を どうぞ !な どと呼びかける

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絵画の周辺、そ してその最前線 :絵画ⅤⅠ

33 ことが出来 る場所で もある。 (写真⑨)

11時2分 に1分間の黙祷。 この沈黙すべ き時 に、昨年 までは市民団体 な どが公園外 にも溢れ、

その上 まだ爆心地 に到着で きず、平和への掛 け声であろ うか、叫び声 の ように外路地か らガ ヤガヤ と聞 こえて きていた ものだ った。今年 は比較 的それ らの叫び声 もお さまっていたが、

相変わ らず蝉の声が うるさかった。それで も1万人 はゆ うに越 してい ると思 うほ どの人々で溢 れていた。 その後、モニ ュメ ン ト周辺 の道 は、次第 に通行人 も増 え、団体や家族連 れな ど、

外国人の顔 も多 く見かけた。

私たちの呼びか けに応 じて、モニ ュメン トの前で、 あ るいはその台座 の上で隣 り合 わせ に な りなが ら鶴 を折 る 中には鶴 の折 り方 を知 らない世代 もいた り、 またお年寄 りで忘れか け た りした方 もいて、皆で会話 しなが ら折 る とい うひ と時 を持 った。中には黙々 と手先 の鶴 に 集 中す る人 々。 (写真⑥⑦ ) そ して折 り鶴 がモニ ュメ ン ト上 に色 とりど りに飾 られ増 えてい

く。

次々に飾 られてい く光景 を見 ている と、 このモニ ュメン トが持 っていた元 の意味が、つ ま りこのデザイ ンの概念 が消失 し、 しか も作者 が ここモニ ュメ ン トのそばにい ることさえ も、

置 き去 りにされたかの ように、最早 その こととは関係 のない ところで、未来 のモニ ュメ ン ト として新 しく一人歩 きを し始 めていたのを私 は知 った。 (写真⑧)

その光景 は、繰 り返すが、作者 は置 き去 りにされなが ら、 白いタイル上の この輝か しい折 り鶴群 に新 たな美の感動 を覚 え、思わず、今新たな美が未来 に輝 く平和の道 を切 り開いてい るその瞬間を、折 り鶴の飾 りの群か ら強 く感 じるのだった。

取 り付 けられた折 り鶴 (折 り鶴フォーマ ンス) は450羽以上の鶴群 とな り、夕陽に映 え、

ます ますその輝 きを放 ってい く。 このパ フォーマ ンスは、折 り鶴 をす る人々の皆の願 いであ る平和 と、同時 に平和 の希望 を語 り合 い、 そ して未来 に輝 く平和 を感 じる美 的行為 なのであ る。 これ までは、被爆 は悲惨 さを表現す ることが必要条件であった し、使命で もあった。 し か しなが ら今 の若者たちに平和 を語 る時、彼 らは、 その悲惨 さ故 に何 をすべ きなのか を、最 早考 えようとは しな くなって きた ようだ。 そ こで平和学会 の高橋 異司先生 は 「戦争責任」か ら 「平和責任」へ と平和の論理 を進 め られた り、多 くの人々によって様 々な平和へのアプロ ーチが された り、皆 それぞれ努力 されている。

私 は85年当時、 このモニュメン ト制作 に関わった時、 「未来 に輝 く平和 とは」 を自問 し始 め ていた。 このモニ ュメン トが出来上が った とき、被爆3世 のA学生が、 これ を見て 「これで、

今 までの重苦 しさか ら開放 された気分 とな り、や っ と平和が来た」 と叫んだ ことを思い出す。

私 は、 この作品に対 して、時代 を先取 りしていたかの ような若者が、早 くも共鳴 して くれた ことに感無量だった。

五輪への折 り鶴

オ リンピアの丘か らはるばる と運 ばれて長崎 にや って来た このモニ ュメン トの 『誓いの火』

は、昨年 のオ リンピックが開催地 ギ リシ ャ ・アテネで あ り、 それ に因んで里帰 りとなった。

実 は、灯火台モニ ュメン トの運営委員の宮本圭子 さんか ら

「 NGO

ピースボー トか ら五輪停戦 キャンペー ン として話が舞 い込 んだ」 との連絡 を受 け、続 いて 「灯火台 とどうリンクさせた らいいのか、何か よいアイディアがあれば考 えて欲 しい」 と依頼 を受 けた。

そ こで この 『誓いの火』のモニ ュメン トで は、平和 の 日に 「折 り鶴パ フォーマンス」 を実

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施 し、 その結実 として 「折 り鶴」制作 を思 いついた。 そ こで、私 は 「ピースボー トが今回、

北半球航海 を寄港 しなが らギ リシャまで行 くことか ら、 その船 内や港各地で この折 り鶴 を折 り込 んで鶴 に仕立て上 げる とい う平和の儀式 を行 って もらいなが ら、 目的地オ リンピックの 発祥地 ギ リシャ ・アテネに近 いピレウス港 に下船 し、『誓いの火』 と共 にオ リンピアまで運ぶ こと」 を宮本 さんに提案 (※2「作者 よ りのメモB」を参照) を した。す ぐに同意 され、「是非 それで行 きま しょう」 とい うことになった。 その折 り鶴 は、和紙 を継 ぎ足 し、横 の長 さが2m 大 の鶴 になるように折 り込み、その上 に灯火台モニ ュメン トに使用 した9色 を着彩す る。運ぶ 時 は これ を折 りたたみ (解体 し)、簡単 にダンボ‑ル に しまい込 めるように した。 (写真④ ) 実 は もう一つ、 アテネオ リンピック開催 オープニ ングセ レモニーに献納す るもの として、結 局の ところ2対の折 り鶴 を制作す ることにした。

採火セ レモニーが昨年 の7月9日 (金)夕方、ナガサ キ誓 いの火灯火台モニ ュメン トの下の 広場で行 われた。 ここでは特 に折 り鶴 を着彩 した四角紙 を折 り込 んで鶴 に仕立て上 げる平和 のパ フォーマ ンス (儀式) を私の研究室の学生 によって、 (写真②③) また原爆落下中心碑 の 前でギ リシャ人 によって実演 された。 (写真①)

こうして折 り鶴 は、『誓いの火』 と共 にピースボー トの船旅 に出たが、元気でアテネ にた ど り着 き、オ リンピックの開催セ レモニーにも花を添 えた ことだろう。

舞い降りる折 り鶴

NHKでの 「おーい、ニ ッポン 私の好 きな長崎県」 (11月6日放映)に、今度 は横の長 さ3m あま りの折 り紙 による大折 り鶴が登場す ることとなった。 (写真⑰⑭)

今夏 のある日、長崎県美術館 に 「ホイ ッ トニー美術館展」 を見 に行 った時、当館長である 伊東順二氏か ら、NHKのスタッフを紹介 された。何で もNHKが11月に 「おーい、ニ ッポン」

を長崎で実況放送 をす るにあた り、 その企画イメージについて、 その知恵 を借 りたい との依 頼 を受 けた。伊東館長か らの推薦で もあ り、直ちに私は協力す ることを了承 した。

話 を伺 ってい る と、パイ プオルガ ンを設置 してい る新戸町の活水大学が舞 台会場 とな り、

その クライマ ックスにロー ソクの ような もので光のモニ ュメン トを設定 し、 そ して大 島みち る氏の折 り鶴 の歌 な どが紹介 され る との ことだったので、す ぐさま私 は爆心地 にある灯火台 モニ ュメン トで平和の 日に実施 してい る 「折 り鶴 フォーマ ンス」や ピースボー トの 「折 り 鶴」の ことを話 した りした。

こうして折 り鶴 の話題が膨 らみ、私の プラン として 「折 り鶴」の制作 をメイ ンに した構想 を練 ることに した。 その後、現地の下見 を した上で、私 は具体的なたた き台を作成 し、その 実 を基 にNHKとの打ち合 わせ を数度重ねていった。 もちろん、 その会合 には研究室の学生た ちも参加 して もらい、彼 らの意見 も取 り入れなが ら企画 プランを修正 した りした。

とにか く今秋、い くら芸術 の秋だ と言 って も、かな りスケジュールが立て込んでい る。 こ れ らを一つ一つ ク リア していかねばな らない。NHKの この生放送が11月6日 (日)であるが、

前述 した ように、 その前 に10月16日 (冒)は本学公開講座 「地域 に根差 した美術」、10月23日 (日) はハ ウステ ンボスユ トレヒ トでの ワー クシ ョップ 「ゴ ミを芸術品に変身 !」、10月30日 (冒) はサイエ ンスワール ドの有馬小学校 でのワー クシ ョップ 「色 と折 り紙」があ り、 (写真

㊨ ‑㊨)11月13日 (日) は平和学会で 「平和 と芸術」 を報告 し、 その翌 日には日韓展のため、

韓国の ご一行 をお迎 え し、15日か ら交流展が1週間繰 り広 げ られ る。その間、紀要 (本稿)や

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絵画の周辺、そ してその最前線 :絵画

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叢書 の原稿 を着手 しように もどうに もな らない 日々 となった。 まさに泣 き面 に蜂 の最悪 の境 地 にい る。

NHK番組 も2週 間近 くとなった。鶴 の着彩が大詰 め とな り、 (写真⑱⑲⑳⑪)や っ と気 にか けていた鶴 の骨組 み に取 り組 み始 めた。 (写真⑳⑳) これ は和紙 といえ ども大 きさが出て くる と、折 り込 んで鶴 の形 を作 り上 げ ようとして も、羽や首や尾が ぐにゃ ぐにゃ となって しま う ので骨組 みが必要 となって くる。 その骨組 みの構造 を調べ るため、小 さな折 り鶴 の解体 を試 み ることとなった。 その時、前野良沢や杉 田玄 白の 「解体新書」 を想 ってみた。 (写真⑳)

現在 の ところ、 同時進行 で進 めてい る日韓展 の準備 もしなが ら、 この折 り鶴が どの よ うな 形 で仕 上が り、 そ して外界 に どの ように適応 し、更 に どう演 出す るのか、大 きな不安 を抱 え なが ら、 その 日を迎 えようとしてい る。

そ して、平和学会 での分科会 「平和 と芸術」で 口答発表 をす るが、私 は この折 り鶴が どこ か ら来 て、 どこへ行 くのか を語 ろ うと思 う。何 よ りもその前 に、原爆落下 中心碑 の考察 を被 爆60周年 として報告 したい と心待 ちに している。

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作者 のメモ よ り

A( NGO

ピースボー トへの説明文 として)

"長崎 を最後 の被爆地 とす る灯火台モニ ュメン ト制作 について"

Ⅰ 灯火台モニ ュメン トの 「火」の持つ意味 ・意義 ・波及

① ギ リシ ャのオ リンボスか ら運 ばれた 「火」で あ る オ リンピックが開催 されてい る間 は戦争 を しない と言 う故事か らこの 「火」 を被爆長崎 に灯す ことで 恒久平和 を願 う。

② 当時ギ リシャの女優 によって、 この 「火」が長崎 に運 ばれた。

③本 モニ ュメ ン トは、本体 、台座、本体 の菓面 の壁面 (被爆 瓦取 り付 け)及 び記念 の プ レー ト、 タイムカプセルか ら成 り立 ってい る。

④8月9日の平和の 日には、 この 「火」が終 日灯 され る。

⑤毎 月9日には灯 され る。

⑥ この 「火」 を通 して平和 を願 い、各地か らこの 「火」の分灯が行われてい る。

⑦⑥ の分灯の際、本体 の背面 にはそれぞれ記念 のプレー トを貼 ることとな る。

⑧平和マ ラソンな どの競技大会で も、本モニ ュメン トは利用 されてい る。

⑨8月9日の平和 の 日には、訪れた人 々に よって平和祈願 を こめて、 それぞれ折 り鶴 が折 られ、本 モニ ュメ ン トの本体 の外壁 白い タイル上 に張 られ るようにな り、次第 に盛 り 上が りを見せ てい る。

ⅠⅠ 灯火台モニ ュメ ン トデザイ ンのポイ ン ト Aデザイ ンイメージか ら

これ までの平和 モニ ュメン トは、平和 を願 うあま り悲惨 さの表現が多 くなされて きた。

作者 はそれ らを認 めた上で、更 に鎮魂 を こめ、新 たな る平和へ の希求 として、明 る くリ ズムカルなモニ ュメン トを考案 した。

(14)

井 川 憧 亮 36

B本モニュメン トの形態か ら

①本体の平面図は、「五角の星形」 となっていること。 フランス語ではこの 「五角の星形」

の ことをパ ンタックル

( P ENTACL E)

と言い 「完全 な ることの象徴」 とい う意味であ る。 この意味を 「五角の星形」に託 し恒久平和 を祈願 して、土台のデザインとした。

②本体 の形態 (あ るいは形象) は、 ある特定のイメージを持 たない もの とした。強いて 言 えば古代 ギ リシャのオ リンピック競技場の灯火台につなが る0

③本体 は、抽象形態 を基調 に どこか ら見て も正面であ るため、 どこか らで も平和の祈願 への想いをこめることがで きる。

④遠 くか らも見 えるモニ ュメン トにもした。

C本モニュメン トの色彩か ら

①本体の内包す る色彩 (‑抑制す る色彩)であ り、 ここに平和の思いを託す る。

②本体 は、 ランダムに着彩 されてい るが、 よ く見 る と緑色が大地か ら天上 に向けて昇 っ ている。その ことはエ コロジカルな色 として象徴的に配置 した0

③本体の内包す る色彩 は世界各国国旗の色 と対応す る。

④本体の内包す る色彩 は、行 き着 くところ折 り鶴の色 に還元す る。

⑤本体 の 「火」 と台座 との色彩関係 は、赤い火 に対 して台座 の呉頚の青色 は水 にた とえ ている。

D鑑賞の方法

①本体 は、前文 Ⅰ灯火台モニ ュメン トの 「火」の持つ意味 ・意義 ・波及 (Ⅰ①〜⑨) を 踏 まえ、続いてⅠIA,B,Cを通 して よ り理解 を深めることがで きる。以下特 に例 を挙 げて、

より一層の鑑賞の しお りとしたい。

②前文ⅠⅠ灯火台モニュメン トデザインのポイン ト、B本モニ ュメン トの形態か ら (ⅠIB④) もわか るように、 どこか らで も鑑賞で きる形態である。

③ Ⅰ⑤、④ によ り、8月9日平和の 日には、本体の 「火」が直接見 ることがで きる

④平和マ ラソンな どの競技大会 (Ⅰ⑧)では、 そのセ レモニーを併せ て見 ることがで き る。

⑤8月9日 (Ⅰ⑨) は、平和の 日な らではの体験 とな り、家族連れ、旅人な ど平和の輪 を 広 げることがで きる。

(7月9日2004)

※2 作者のメモ よ りB (アテネオ リンピックに向けて、NGOピースボー トへ託文)

"カラフルな折 り鶴か らのメ ッセージ'' (丑折 り鶴の材料 について

人間国宝が漉 いた和紙 ですか ら、腰が強い ことです。何度 も折 り曲げた り畳んだ り して も丈夫であることです。

絵の具 はアクリル絵の具 を使用 しました。

②折 り鶴のモチー フを選んだ理由

「長崎 を最後 の被爆地 とす る "誓いの火"灯火台モニ ュメン ト」 は、オ リンボスの 火 を灯す 目的で、長崎原爆落下中心地 の丘 に建立 され ま した。 このモニ ュメン トの本 体 のイメージは、平面図で見 ます と、五角の星形 で、 フランス語の

" P ENTACL E"

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絵画の周辺、そしてその最前線 :絵画ⅤⅠ

37 らヒン トを得 て い ます。 その語 の意 味 は 「完全 な る こ との象徴 」 とい うこ とで、 この こ とを平和 に託 して い ます。

そ して本 体 は上 方 に向か って末広 が りにな って いて、 この本体 の 内側 に は世界 各 国 の国旗 の色 、千 羽鶴 の色 、絵 の具 の

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原 色 、 そ して五輪 の色 な どが 内包 され て い ます。

これ らの色 が平和 の色 となって、大空へ平和 の願 い を こめて飛 び立 って い ます。

近年 、長 崎被 爆 の 日 (8月9日) には、平 和 の願 い を こめて、 折 り紙 で鶴 を折 り、訪 れ る方 々 に よって このモニ ュメ ン ト本体 に飾 られ るよ うにな りま した。

以上 の よ うな出会 い に よって、 この カ ラ フルで大 きな折 り鶴 を、 このモ ニ ュメ ン ト の内包 され る色 か ら世界 に向か って飛 び立 つた めに選 び ま した。

③ も うひ とつ折 り鶴 を選 んだ理 由が あ ります。

折 り鶴 は、 も とも と平 和 や願 い ご とを こめた もので あ る こ とは言 うまで もあ りませ んが 、私 が今 回特 に皆様 方 にお伝 え した い こだ わ りは、私 た ち 日本 人 は昔 か ら風 土 的 に狭 い空 間 で あ ったた め、平 面 的 な志 向 に関心 を持 ち続 けて きた こ とで す。持 ち運 び には折 りたたんで コンパ ク トに し、 イベ ン トで は立体 に出来 る とい う折 り紙 の世界 を、

その仕 草 と共 に その 日本 の アイ デ ンテ ィテ ィを、 この カ ラ フル な折 り鶴 に も宿 らせ て い る こ とです。

④ 最後 に、 この カ ラフル な折 り鶴 が、 オ リン ピアの火 の里帰 りの使 者 ともな り、 また永 遠 の世界平和 を願 ってい ます。

2004年7月9日

長 崎 の、 カ ラフル な折 り鶴 の作者 か ら

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