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『資本論』における「はじめのむずかしさ」

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『資本論』の「それ自体としては」と『大論理学』の「絶対的に完全に」とはとも に原文で ‘an und für sich’ であり、『資本論』の論理を探る上で両テキストにおける この語句の共有は決定的である-本稿(3)-。だが邦訳文からそうした共通点を 見てとることはまず不可能だろう。原文同士を対比することではじめて見えてくるも のが確かにある。ならば最初から自分で翻訳すればよかろうと言われれば、誠に面目 が立たないのだが、すべてのテキストを自ら訳しきることは私の力に余る。ここは先 人の訳業を拝借することにし、文の区切りや訳語の選択等意にそわないテキストのみ 拙訳を施した。 使用テキストおよびその日本語訳は以下の通りである。なお邦訳書からの引用に際 し文字種を変更した場合がある。

Hegel, G.W.F., Das Sein (1812), Meiner. (寺沢恒信訳『大論理学』1 以文社) Hegel, G.W.F., Wissenschaft der Logik I, Suhrkamp.

Hegel, G.W.F., Wissenschaft der Logik II, Suhrkamp. (寺沢恒信訳『大論理学』2・ 3 以文社)

Marx, K., Das Kapital, Diez. (翻訳委員会訳『資本論』 新日本出版社) Saussure, F. de, Cours de linguistique générale, Payot. (小林英夫訳『一般言語

学講義』 岩波書店)

Saussure, F. de, Premier cours de linguistique générale (1907), Pergamon. Saussure, F. de, Deuxième cours de linguistique générale (1908-1909),

Pergamon.

Wittgenstein, L., Bemerkungen über die Farben, Suhrkamp.

一 「制約」と「量」

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(1)

<資> 14 パラグラフ 第 1 文

例えば、一着の上着の生産に必要とされるすべての有用的労働の生産 力が不変のままにとどまるならば、上着の価値の大きさは、上着自身の 量が増えるにつれて増大する。Bleibt die Produktivkraft, sage aller zur Produktion eines Rocks erheischten nützlichen Arbeiten unverändert, so steigt die Werthgröße der Röcke mit ihrer eignen Quantität. 「一着の上着の生産に必要とされるすべての有用的労働の生産力が不変の ままにとどまるならば」とは「制約」[条件 Bedingung]を説いている。そ こで『大論理学』の次の叙述に目を向けよう。根拠章「C 制約」の「b 絶対 的な無制約的なもの」5 パラグラフ第 12 文である。 <大> b 絶対的な無制約的なもの 5 パラグラフ 第 12 文 けれども制約そのものは、それが定立された即自存在であるがゆえに、 制約されたものであるAllein die Bedingung als solche ist darum ein Bedingtes, weil sie das gesetzte Ansichsein ist;

「制約」が「定立された即自存在」であるとは、「制約」が「根拠」への関 係によって媒介されていることを言う。そこで先行叙述で「根拠にとって無. 制約的なもの

......

(4)

一筋縄にはいかない難解さがそこに含まれ、そのことを示唆する叙述が- いささか唐突感はあろうが-ソシュールによって残されている。「第 2 回 講義」の一節である。 <第2 回講義> 93-15(2) そしてその点が特殊な論争を引き起こした:その対立は次の断言を 伴っていた、すなわち音韻法則....はその結果において不変であって......例外な く、これに対して類推においては法則について語ることができない。Et ce point donnait lieu à une dispute particulière:l’opposition était accompagnée de l’affirmation que les lois phonétiques sont invariables dans leurs effets, sans exeption, tandis que dans l’analogie on ne peut pas parler de lois.

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て「制約されたものである」。

さて「第2 回講義」は、「その対立は断言(affirmation)を伴っていた」 と言う。関連する叙述が『大論理学』に見出される。

<参考> それ[カントのアンチノミーにおける証明]は二つの対立 している命題の断言的な主張(der assertorischen Behauptung der beiden gegenüberstehenden Sätze)以外のなにものでもない。(『大論 理学』3、p.233)

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Werth, als vorher einer, obgleich in beiden Fällen ein Rock nach wie vor dieselben Dienste leistet und die in ihm enthaltene nüzliche Arbeit nach wie vor von derselben Güte bleibt. ⑤ただ、その生産に支 出された労働分量が変わったのである。Aber das in seiner Produktion verausgabte Arbeitsquantum hat sich verändert.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 5 パラグラフ 第 13 文

(10)
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二 第2 節「商品に表わされる労働の二重性」15 パラグラフ以下の論理

(3)

<資> 15 パラグラフ 第 1 文

より大きい分量の使用価値は、それ自体としては、より大きい素材的 富をなす。二着の上着は、一着の上着より大きい素材的富をなす。Ein größres Quantum Gebrauchswerth bildet an und für sich größren stofflichen Reichthum, zwei Röcke mehr als einer.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 1 文

さて、この絶対的に無制約的なものは制約と根拠という二つの側面を 自分の契機として自己のうちに含んでいる Dieses nun enthält die beiden Seiten, die Bedingung und den Grund, als seine Momente in sich;

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allmähliche Veränderung)である」(ibid.)。しかし質的に見れば「絶対的 に中断され」-「横綱の掌」と「一般人の掌」-、つまり「移行は飛躍 .. (ein Sprung)である」。かくして「1.33 スパンの横綱の掌は、1 スパンの 一般人の掌よりも大きい」では、「自己自身のもとでのいかなる限界でもない 漸次性のたんに量的な前進運動が、質的な面からすれば絶対的に中断され」 (ibid.)、そこに新しい質が現われている(eintreten)。そして『資本論』に おいても「一着の上着」から「二着の上着」への「漸次的...変化」が見られる、 これはよかろう。また「一着の上着の素材的富」から「二着の上着の素材的 富」への「移行は飛躍 .. である」。「一・五着の上着の素材的富」と言うことは できても、「一・五着の上着」は着られない。「一着の上着」と「二着の上着」 は連続量においてでなく、互いに「別の質的定在」(ibid.)において把握さ れている。 そこで『大論理学』だが、「1 フィートの横綱の掌」においては「フィート」 が「他の物にとっての尺度(Maßstab)として使用されている」(op. cit. S.395) ように、いま「度量」は「絶対的に無制約的なもの」であり、それは「制約 と根拠という二つの側面を自分の契機として自己のうちに含んでいる」- 制約:漸次的変化、根拠:飛躍-。つまりたんなる漸次的変化において、 飛躍・新しい質の出現(Eintritt)が把握されるのである。 (4) <資> 15 パラグラフ 第 2 文 二着の上着があれば、二人に着せることができるが、一着の上着では 一人にしか着せられない、等々。Mit zwei Röcken kann man zwei Menschen kleiden, mit einem Rock nur einen Menschen u.s.w. <大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 2 文

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「途方もない(maßlos)言葉」は「没度量的なもの(das Maßlose)」で ある。実際「出られる→出れる→出れれる」のように、「或るものないしは質 -ここでは「出る」の可能形-は自己をこえ出て没度量的なもの.......へと追 い や ら れ 、 そ れ の 定 量 の た ん な る 変 化 を 通 じ て 没 落 す る [ 根 拠 に 到 る zugrunde gehen]」(『大論理学』1、p.357)。しかも「出る:出れれる」(15) がその最終状態ということはないのだから「こうして無限 ..

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stofflichen Reichthums ein gleichzeitiger Fall seiner Werthgröße entsprechen.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 3 文

それら両者[制約と根拠]はいっしょになって絶対的に無制約的なも のの形式ないしは定立された存在をつくりなす。Sie beide zusammen machen die Form oder das Gesetztsein desselben aus.

(4)で「没度量的なもの」に関わったことを承け、(5)以降での『資本 論』の叙述は度量論最終章「本質の生成」での論理展開を辿る。全体を一覧 しておこう。 (5) <資>15 パラグラフ第 3 文 A 絶対的無差別 1 パラグラフ (6) 第4 文 2 パラグラフ (7) 第5 文~第 6 文 B その両要因の反比としての無差別 6 パラグラフ (8) 第7 文~第 8 文 7 パラグラフ前半 (9) 第9 文 7 パラグラフ後半 (10) 第10 文~第 12 文 8 パラグラフ (11) <資>16 パラグラフ第 1 文~第 2 文 C 本質への移行 3 パラグラフ 『資本論』では「素材的富の増大する量がその価値の大きさの低下に同時 に対応する」というのだから、「反比」(k=ab)について説く。その反比の指 数「k」を「絶対的に無制約的なもの」、その「形式ないしは定立された存在」 を「a・b」と解すれば、『大論理学』制約論もまた反比を説いている。「[対 立する]両者はいっしょに」というのだからである-‘zusammen:nicht für sich allein, sondern mit einem od. mehreren anderen’(17-。

さて度量論「A 絶対的無差別」1 パラグラフは次である。

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<資> 15 パラグラフ 第 4 文

このような対立的運動は、労働の二面的性格から生じる。Diese gegensätzliche Bewegung entspringt aus dem zwieschlächtigen Charakter der Arbeit.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 4 文

無制約的な事柄はこれら両者の制約であるが、しかし絶対的な制約・ すなわちそれ自身が根拠であるところの制約である。Die unbedingte Sache ist Bedingung beider, aber die absolute, d.h. die Bedingung, welche selbst Grund ist.

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erstens in die Gestalt der aufgehobenen Grundbeziehung, einer unmittelbaren, einheitslosen, sich selbst äußerlichen Mannigfaltigkeit, welche sich auf den Grund als ein ihr Anderes bezieht und zugleich das Ansichsein desselben ausmacht;

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の二つの契機へと自己をつきはなした」ところの「無制約的な事柄」である。 『大論理学』同様ここでも両契機が「一面的」に採り上げられ、まずは「有 用的具体的労働」である。「有用的具体的労働の生産力」は「与えられた時間 内における合目的的生産的活動の作用度(Wirkungsgrad)だけを規定する」 が、「度」(内包量)は「他の度に対して .... 規定されている(18(WdL I S.254)。 つまり「それは他の度を自己の外に排除し、この排除する運動において自己 の規定態をもっている」(ibid.)。すると「度」は「図」として把握される、 後者もまた「他の図を自己の外に[図ならぬ地として]排除し、この排除す る運動において[根拠に根拠づけられて」自己の規定態をもっている」から である。そして「外延量と内包量は、定量の同一の規定態である」(ibid.) から、「有用的労働は、その生産力の上昇または低下-すなわち内包量の増 減-に正比例して、より豊かな生産物源泉ともなれば、より貧しい生産物 源泉ともなる-すなわち外延量の増減-」。つまりより豊かな・あるいは より貧しい生産物源泉は、『大論理学』に謂う「直接的な・統一を欠いた・自 己自身にとって外的な多様態」である。 音韻変化が具体例を供する。「honōrem が honōsem に取ってかわる」(再 掲)ことで「音的資料と観念との間に別の対応が生じる」(『講義』p.108)、 これはよかろう。けれども「honōs:honōsem」にせよ「honōs:honōrem」 にせよ、対が「名格:対格」であることには変わりない。そこで『資本論』 第5 文に準えて: 音韻は、もちろんつねに、有用的具体的言語活動の音韻であり、実際、 ただ、与えられた時間[共時態]内における合目的的生産的言語活動の 作用度だけを規定する。 そこで『資本論』第6 文に対応する言語事実が、引き続き音韻変化に関わっ て見出される。音韻変化によって「語尾が二つに割れてしまう」(『講義』p.216) 事例である。 <参考> インドヨーロッパ語では単数対格はすべて同じ末尾音-m を特性としていた(*ek

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nützlichen Form abstrahirt wird. <大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 6 文 [また]第二には....内的な・単一な形式の形態へと[自己をつきはなし たのであり]、この形式は根拠であるが、しかし他者としての自己と同一 的な直接的なものへと関係し、そしてこの直接的なものを制約として規 定する、すなわち自分のこの即自を自分自身の契機として規定するので ある。zweitens in die Gestalt einer innerlichen, einfachen Form, welche Grund ist, aber sich auf das mit sich identische Unmittelbare als auf ein Anderes bezieht und dasselbe als Bedingung, d.h. dies ihr Ansich als ihr eigenes Moment bestimmt.

『大論理学』は「第二 .. 」を説き、対応して『資本論』も「これにたいして」 である。すなわち「有用的労働は、その生産力の上昇または低下に正比例し て、より豊かな生産物源泉ともなれば、より貧しい生産物源泉ともなる」(前 文)のに対して、第7 文「生産力の変動は、それ自体としては、価値に表わ される労働にはまったく影響しない」。 これに準えては次が言える: 音韻変化は、それ自体としては、価値に表わされる言語活動にはまった く影響しない。

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(29)
(30)

さて音韻変化の前後において、「gast:gasti」と「gast:geste」はともに ドイツ語の「単数:複数」であった。するといわば「価値に表わされる言語 活動は音韻から解放されている」(20(8)の要点はここにある。 (9) <資> 15 パラグラフ 第 9 文 だから、生産力がどんなに変動しても、同じ労働は同じ時間内には、 つねに同じ価値の大きさを生み出す。Dieselbe Arbeit ergibt daher in denselben Zeiträumen stets dieselbe Wertgröße, wie immer die Produktivkraft wechsle.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 7 文

-これら両側面は総体性を、この総体性が両側面を定立するもので あるというように、前.提している。Diese beiden Seiten setzen die Totalität so voraus, daß sie das Setzende derselben ist.

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規定態」とは次文に説かれる「異なった分量の使用価値」である。それは「gasti」 と「geste」とが「異なった音韻の複数」であることに対当する。 (10) <資> 15 パラグラフ 第 10 文~第 12 文 ⑩ところが、同じ労働は同じ時間内に、異なった分量の使用価値を -生産力が上がれば、より大きい量を、生産力が下がれば、より小さ い量を-提供する。Aber sie liefert in demselben Zeitraum verschiedene Quanta Gebrauchswerthe, mehr, wenn die Produktivkraft steigt, weniger, wenn sie sinkt. ⑪したがって、労働の多産性を、それゆえ、労 働によって提供される使用価値の総量を、増大させる生産力の変動は、 もしもそれがこの使用価値総量の生産に必要な労働時間の総計を短縮さ せるならば、この増大した使用価値総量の価値の大きさを減少させる。 Derselbe Wechsel der Produktivkraft, der die Fruchtbarkeit der Arbeit und daher die Masse der von ihr gelieferten Gebrauchswerthe vermehrt, vermindert also die Werthgröße dieser vermehrten Gesammtmasse, wenn er die Summe der zu ihrer Produktion nothwendigen Arbeitszeit abkürzt. ⑫反対の場合には逆になる。 Ebenso umgekehrt.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 8 文

逆に、両側面は総体性を前提している......のであるから、総体性もまたふ たたび両側面によって制約されているようにみえ、また[総体性である] 事柄が自分の制約および自分の根拠から発現するかのようにみえる。 Umgekehrt, weil sie die Totalität voraussetzen, so scheint diese auch wieder durch jene bedingt zu sein und die Sache aus ihrer Bedingung und aus ihrem Grunde zu entspringen.

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となった」(同)-二語が一語となった-からである。 以上を度量論に即して言えば次である:「二つの契機[諸規定態]- 「kranz:kranza」と「Kranz:Kränze」あるいは「vert-jus」と「verjus」 -は大きさのもとで[音韻変化のもとで]あちら[類推]こちら[接着] に動く運動だが、しかしまさしくこのあちらこちらに動くことへの無関心態 たる無差別[同じ時間内での同じ言語活動]によって規定されているのでは ない、そうではなくて[あちらこちらに動く]そのことによって外的に規定 されているにすぎない」。先には「類推はむら気(caprice)である」ことを 述べた(本稿(1))-‘caprice:Détermination arbitraire fondée sur la fantasie et l’humeur.’-。そして「恣意的」なのは接着も同じである。『講 義』に曰く、 <参考> 人はしばしば、意味的総合は接着と資料的総合によって説 明すべきであると、主張した;これはおそらくそうではなかろう:むし ろvert jus、etc.のうちに唯一の観念を知覚したればこそ、これを単純語 となしたものと思われる;この関係を逆にするのは、誤りであろう。 (p.247)

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<資> 16 パラグラフ 第 1 文~第 2 文

①すべての労働は、一面では、生理学的意味での人間的労働力の支出 であり、同等な人間的労働または抽象的人間的労働というこの属性にお い て 、 そ れ は 商 品 価 値 を 形 成 す る 。Alle Arbeit ist einerseits Verausgabung menschlicher Arbeitskraft im physiologischen Sinn und in dieser Eigenschaft gleicher menschlicher oder abstrakt menschlicher Arbeit bildet sie den Waarenwerth. ②すべての労働は、 他面では、目的を規定された形態での人間的労働力の支出であり、具体 的有用労働というこの属性において、それは使用価値を生産する。Alle Arbeit ist andrerseits Verausgabung menschlicher Arbeitskraft in besondrer zweckbestimmter Form und in dieser Eigenschaft konkreter nützlicher Arbeit producirt sie Gebrauchswerthe.

<大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 9 文

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第8 文に準えて書き換え、「[総体性である]本質は自分の存在[制約]およ び自分[根拠]から発現する」。けれども「かのようにみえる」その「仮象[存 在との対立]は本質の固有の...仮象である」のだから、「両側面[存在と本質] は同一的なものである」。すると同じく「両側面が同一的なものである」制約 論においても、対立する「制約と根拠との相関関係は消失する」・換言して相 関する「二つの契機」は「本質の固有の ... 仮象である」。そしてこの「本質の仮 象」を通して本質が展望される(23 そして言語事実にもまた「かのようにみえる」事柄がある。本稿(5)で 言及した伝承形と類推形の「共存」に、直接続く叙述である。 <参考> honor と honōs とはしばらくの間共存し、いずれを用いて も差し支えなかった。しかしながら言語は唯一の観念に対して二個の能 記を維持することをきらうので、たいていの場合、規則性の劣る原始形 のほうが廃用に帰し、消滅する。その結果をみて、人は変容であると思 う:類推作用がいったんできあがってしまうと、旧状態(honōs:honōrem) と新状態(honor:honōrem)とは外見上、音の進化から生じたものと 同じ対立をなしている。(『講義』p.228。一部再掲) 「旧状態(honōs:honōrem)と新状態(honor:honōrem)とは外見上、 音の進化から生じたものと同じ対立をなしている」とはいささか分かりにく い表現だが、原資料の「第1 回講義」(Pergamon 版 p.62)には A. honosis 音韻的変化 変化の総称的理念 B. honoris A. honos 類推的変化 B. honor

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Existierendes und, als einfache Identität mit sich, Ding-an-sich ist) である。だが反省の否定態・すなわち揚棄された媒介は本質的にそれ自 身が媒介ならびに関係であって、反省していない規定態としての質のよ うに他者一般への関係ではなく、一つの他者としての自己への .... 関係・な いしは媒介が直接にまた同じく自己との同 .......... 一性 .. であるそういった媒介 .. で ある。(『大論理学』2、p.158) 『資本論』に謂う「性質」(属性)すなわち「同等な人間的労働または抽象 的人間的労働という属性」と「具体的有用労働という属性」とは「一つの他 者としての自己への ....

関係(Beziehung auf sich als auf ein Anderes)」であり、 ここで「自己..」はすなわち「人間的労働力」である。そして「両面の属性」 は「反省の否定態」として「媒介が直接にまた同じく自己との同一性............である そういった媒介

..

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「自己から自己をつきはなす、そのつきはなされたものとしての諸規定」 において、「媒介は直接にまた同じく自己との同一性 ............ であるそういった媒介 .. で ある」だろう。それゆえここで「第一に」・「第二に」と説かれることは、『資 本論』での「一面の属性」・「他面の属性」にそれぞれ対当する。「即自存在的 ..... な . 統一に属して(angehörig)それから解き放たれず、基体としての統一に よって支えられ充たされている契機」と言うとき、「基体[無差別]としての 統一」とは「生理学的意味での人間的労働力」であり、「それによって支えら れ充たされている契機」はその「同等な人間的労働または抽象的人間的労働」 が形成する「商品価値」である。また「向自存在的な ...... 統一に内在的で、それ の自己からのつきはなす運動によってのみ存する諸規定」と言うとき、その 「自己からのつきはなす運動」とは「目的を規定された形態での人間的労働 力の支出」であり、それによってのみ存する「諸規定」は「もろもろの使用 価値(Gebrauchswerthe)」である。かくして「抽象的人間的労働」と「具 体的有用労働」という両属性は「いまや端的に定立されたものとして .......... のみ存 する」。 (12) 以上を承けて、「C 本質への移行」4 パラグラフ・すなわち存在論の最終叙 述は次である。 <参考> こうして存在一般および区別された諸規定態の存在あるい は直接態は即自存在....とともに消失してしまっている、そして統一が存 在・直接的な前提された.........総体性であって、そうであればこの統一はこう.. した前提を揚棄する運動 ........... によって媒介されてのみ ....... この自己への単一な関 ........ 係 . である、そしてこの前提された存在と直接的な存在自身は統一のつき はなす運動の契機にすぎず、根源的な自立態と自己同一性はただ結果と... してある無限な自己との合体する運動.................としてあるにすぎない;-こう して存在は本質 .. へと規定される、すなわち存在の揚棄によって自己と単 .... 一である存在 ......

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einfaches Sein mit sich)[へと]。(WdL I S.457) この叙述が『資本論』第3 節「A 簡単な、個別的な、または偶然的な価 値形態」の冒頭 x 量の商品 A=y 量の商品 B すなわち、x 量の商品 A は y 量の商品 B に値する。 (20 エレのリンネル=1 着の上着 すなわち、二〇のリンネルは一着 の上着に値する) の論理であることは、等式「x 量の商品 A=y 量の商品 B」において「区別 された諸規定態の存在あるいは直接態」が「消失しているverschwunden」 ことに明らかである(25。そして「この統一」(等式)の「自己への単一な関........ 係.」は「こうした前提を揚棄する運動.............によって媒介されてのみ.......」のことであ るから、ここに根拠関係の対立する二項および度量相関する二つの物は揚棄 された。いまや「存在は本質 .. として規定されている」。制約論が次を説くゆえ んである。 <大> b 絶対的な無制約的なもの 6 パラグラフ 第 10 文 すなわち両側面は仮象 ..

へと引きさげられている sie sind zu einem

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り、すると『資本論』と『大論理学』とが論理的に一対一対応するからには -上の拙稿はこのことを明らかにした-、前者第二文以降の論理は後者 「C 制約」の展開に対応している(拙稿「『論理的構文論』の実際」)。そして マルクスは周知の言葉

<資> すべてはじめはむずかしいということは、どの科学にもあて はまる。Aller Anfang ist schwer, gilt in jeder Wissenschaft.

を残している。つまりマルクスは「むずかしい学のはじめ」を制約論に見出 したのである。

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的定量は内包的定量へと移行している」(『大論理学』1、p.240)。そしてその「内包的 定量は向自存在的定量であり、しかも[向自存在的であるという]この点で本質的に 他者へと関係づけられている」(同)。 (8)定量の「完全な規定態」は「数」だが、「集合数...と単位..が.その数の二契機...をなす。」 (WdL I, S.232) (9)「比(量的相関)のなかでは、定量はもはやたんに無関心的な規定態ではなくて、 それの彼岸へと端的に関係づけられたものとして、質的に規定されている。」(WdL I, S.372) (10)詳細は別の機会に譲るが、言語事実に量的相関を求めれば、例えば次が挙げら れる:「honōrem が honōsem に取ってかわる」(『講義』p.228)ことで言語は「honōs: honōsem→honōs:honōrem」のように進化する。だが「honōs:honōrem は honōs: honōsem に比べて別に出色のものとも思えない」(同 p.120)。つまり『資本論』の口 吻を真似て言えば、「[honōsem と honōrem の]どちらの場合でも、対格は相変わら ず対格として役立ち、それに含まれている能記も相変わらず同じ品質のものである。 ただ、それの生産に支出された音韻が変わったのである」。 (11)この引用の原文は A 版と B 版とで同一であり、訳文は『大論理学』1 を借用し た。以下にも同様の場合があるが、いちいちの断わりは省略する。 (12)「生物体とその肢体の大きさ」とは釣り合っている(比例的である)。「足のつま さきからかかとまでの長さ」は、なるほど「無関心的な限界であって、そこでは質を 変えることなく行ったり来たりすることができる」(WdL I, S.398)が、しかし同時に それは「質的・特有(qualitativ, spezifisch)であり」(ibid.)、「足のつまさきからか かとまでの長さ」が「親指と小指を張った長さ」よりも長いことはない。両者のそれ ぞれは「定量一般でなく、本質的に相関そのものの規定契機である」(op. cit. S.411)。 かくして「16 文キック」の足と新生児の足という「二つの質の大きさ相互の比[相関] が特有的に規定される(zueinander spezifisch bestimmt wird)」(ibid.)。

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とで自己を内化して....いる」であり、「棒」と「足」の場合もこの観点から考えるべきで あろう。

(13)「1 フィート=1.33 スパン」に対当する言語事実は、例えば「Gast:Gäste= Kranz:x」の「比例四項式(la formule de la quatrième proportionnelle)」である。 このことは「1 フィート=1.33 スパン」を「1 フィート:30.48cm=1 スパン:21cm」 に置き直して了解されよう。つまり「音韻変化のもたらすものと類推のもたらすもの」 (本稿(1))という互いに「他の物」が、比例四項式においては等号で結ばれる。 (14)『資本論』に準えて次を言うことができよう:「『足』は、誰のであろうと、身体 の一部をなしている。われわれの等式『1.33 スパン=1 フィート』においては、それは 同時に1.33 スパンの素材的担い手をなしている。」 ここで「スパン」と「フィート」 は「実在的度量」である。さらに「20 エレのリンネルは、富の社会的形態がどのよう なものであろうと、富の素材的内容をなしている。われわれが考察しようとする等式 『1 着の上着=20 エレのリンネル』においては、それは同時に 1 着の上着の価値の素 材的担い手をなしている。」 (15)通時論的進化は正確には 出る↔出られる ↓ ↓ 出る↔ 出れる ↓ ↓ 出る↔出れれる のように表わされる(『講義』p.135。例は変えてある)。したがって「出れれる」もそ の価値は「出る:出れれる」の対立において把握される。 (16)「最初にあった度量の相関がそれに移行するところの新しい度量相関は、前のも のに関しては没度量的なものである。」(WdL I, S.442) (17)「正比」「べき相関」については次のように説かれる。「正比においては、両項の 変化..は、共通なものであるところの単位ととらえられている定量の一つの変化(die eine Veränderung)にすぎない。一方の項が増加したり減少したりする分だけ、他方 も増加したり減少したりする」(WdL I, S.377)。「べき相関においては、単位はそれ自 身のもとで[顕在的に]集合数であり、この単位が同時に単位としての自己に対する 集合数である」(op. cit. S.382)。 (18)注(7)。 (19)ここでの音韻変化は「gasti→gesti→geste」の一連であり、それゆえ厳密には 「gasti→geste」を共時態において捉えることはできない。ここでは音韻変化が親世代 (gasti)と子世代(geste)の間で生じたと仮定している。 (20)「解放される」の語は「第二回講義」に見られる:「音声学(われわれの器官の メカニズムという補助的学問)のより緻密な研究によって、人は書かれた語からうま ........... く解放されることができた ............

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兜を金色で表現しなかった」とあり、これはその表現行為において、レンブラントが 「直接的なもの」たる「金色」から解放されていたことを説くだろう。 (21)「或る偶生的状態の流用」を端的に示すのは例えば「纏足」である。新生児の「足」 も年齢を重ねるにつれて大きくなるが、その「足」を「纏足」という「外的に...規定さ れた存在として・またそのように規定されるものとして定立し」、そこに価値が見出さ れるからである。 (22)「正比例は直接的な....、だからなお真に規定されていない比である」が、反比にお いては「指数が積・単位と集合数の統一(Einheit der Einheit und der Anzahl)とみ なされる」。(WdL I S.376) (23)注(6)で触れた ‘darstellen’ に関わって一言する。S が例えば歴史上の人物 P に扮して演ずるとき、扮技が真に迫れば迫るほど、「S は P のようにみえる」だろう。 むしろS は演技者であるのだから、いま「P である S」こそが S であり、つまり「S はP である」。そして言うまでもないことだが、S は P と別人であり、また扮技が迫真 であるか否かは人々の評による。そうであれば「S は P である」は偶然的である。か くしてこの事例の教えるのは、命題「S は P である」の真とは如何なることかである。 (24)「第1 回講義」の文脈では「A. honosis-B. honoris」と「A. honos-B. honor」 の「平行関係」の指摘に続いて、音韻変化と類推の区別が説かれ、本稿での展開と逆 方向である。しかしこれは、「存在は自己を揚棄する存在」として「本質 .. 」であり、逆 に「本質は自己との単一な相等性として同じくまた存在 .. である」(『大論理学』2、p.147) ということより了解されよう。そして「本質が自己をそれたらしめるこの存在が本質.. 的存在...・すなわち現実存在....である」(同)。 (25)「20 エレのリンネル=1 着の上着」は「1.33 スパン=1 フィート」(横綱のスパ ンは1 フィートに値する)と同じ等式である。これは第 3 節が「度量の規定された存 在たる無差別(die Indifferenz des Bestimmtsein des Maßes)」(再掲)を経ているこ との表われである。

参考文献:

参照

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