研 究論 文
経営の 自由を縛 る 「 説明責任 」 の恐 ろしさ
‑説明責任か ら結果責任への転換一
小 島 大 徳
アブス トラク ト
社会生活が多様化 し、社会制度が複雑化すると、一つの原理原則 によって、調整 をす る ことが困難 になる。その調整弁 として、社会 システム全体 の改革 を一旦棚 に上げて、ある いは制度の根本的改正 を行 うことな しに、多数の者が複雑 に関わる実践の場 において、当 面の問題 を回避 しようとする方法 としての 「説明責任」には、それな りの合理性があると いえる。ただ、森 に生息す る鳥のごとく、説明責任の大合唱 と共鳴には、戸惑い と危 うさ を覚 えるのである。
説明責任 を殊更に強調 し、今の戸惑い と危 うさとい う感覚に納得のいかない者は、今 日、
人 と社会が直面 している事実に、あま りにも重大 さと深刻 さを認識 してお らず、無頓着で あるといわざるを得 ない。 もちろん、一般人か らすると、一見、説明責任 は、聞こえが良 く、それな りに合理的な考 え方であると思われるであろう。 これについて、違った考 え方 をすべ きだ と考 える。
そこで、本論文では、 目に見 えず、 どこまで していいのかわか らない説明責任 とい う怪 物に光 を当てて、 くわえて瞬間的に凍 らせて、 レン トゲ ンを放射するかのごとくに解剖 し、
丸裸 にすることを目的 とす る。 その うえで、説明責任 を唱える前 に、や るべ きこととして の企業情報開示制度の構築 と確立 を目指すべ きであると声 を大 に して伝 えたい。
最終的に本論文では、説明責任か ら結果責任へ と転換 を果た して、会社制度のなかで責 任 の所在 を明確 に限定す るところか ら始めなければならない と主張す る。 まず しなければ ならないことは、各会社内で説明責任の明確 な自主規定 と、それに則った経営行動である。
そ うしなければ、いずれ強行法規 によって、説明責任 を定め られ、今 よ りも、がん じが ら めで窮屈 な制度が生 まれることになって しまうのである。
キ ー ワ ー ド :説明責任 結果責任 企業不祥事 市民社会 利害関係者論
1.説明責任への疑念
社会生活が多様化 し、社会制度が複雑化す る と、一つの原理原則 によって、調整 をす ること が困難になる。その調整弁 として、社会 システ ム全体の改革 を一旦棚 に上げて、あるいは制度 の根本的改正 をす ることな しに、多数の者が複 雑 に関わる実践の場 において、当面の問題 を回
避 しようとする方法 としての 「説明責任」には、
それな りの合理性があるといえる。 ただ、森に 生息す る鳥のごとく、説明責任 の大合唱 と共鳴 には、戸惑い と危 うさを覚 えるのである。
説明責任 を殊更に強調 し、今の戸惑い と危 う さとい う感覚 に納得 のいかない者 は、今 日、人 と社会が直面 している事実 に、重大 さと深刻 さ をあま りにも認識 してお らず、無頓着であると 経営の 自由を縛 る 「説明責任」の恐 ろ しさ 29
いわざるを得 ない。 もちろん、一般人か らする と、一見、説明責任 は、聞こえが良 く、それな りに合理的な考え方であると思われるであろう。 あえて、 これについて、違 った考 え方 をすべ き だ と本論文で主張 しようとするのには、大 きな 訳がある。それは、ある一つの質問をして 自答 しようとすることで、誰 しも答 えるために思案 するとき、す ぐに気付 くであろう。 だが、悲 し いかな、人は、そこまでの思慮 を持たない。そ れでは、その質問をしよう。
「あなたは、あなたが無実であることを、
明確 に証明で きるのか ?
」
本論文では、 目に見 えず、 どこまで していい のかわか らない説明責任 とい う怪物に光 を当て て、 くわえて瞬間的に凍 らせて、 レン トゲ ンを 放射するかのごとくに解剖 し、丸裸 にす ること を目的 とす る。その うえで、説明責任 を唱える 前 に、やるべ きこととしての企業情報開示制度 の構築 と確立 を目指すべ きであることを主張す る。
2 .
「説明責任」
への不審 2.1 「説明責任」第1の不審一般的に説明責任 というと、陰の経営事象が 起 こった ときに、声高 らかに叫ばれる。い うま で もな く経営 には、陰 (業績低迷や企業不祥事 の発生など) と陽 (業績好調や社会貢献力向上 な ど)の2つの結果が起 こる。 説明責任 という
と、殊更 に、陰の面が クローズア ップされるの であるが、陽の場合 にこそ、説明責任 を求める ことも必要であることを考えなければならない。
つ ま り、 この説明責任 とは、陽の経営事象が起 こった ときも、果たされるとい うことを認識 し なければならないのである。 これは、企業 自体 の存在が、特殊 な事情 によ り設立 されて きた と い う歴史的経緯か らも、企業 自体の存在が、社 会のなかで活動す る擬制物 としての制度的経緯 か らも導かれるのである。
30 国際経営論集 No.40 2010
このように考 えると、「説明責任」 という言葉 では、企業 と社会の関係のなかで、理解するこ とが充分で きない ように思 うはずである。つ ま り、陽の経営事象が起 った ときは、説明責任 は 結果責任へ と転換 されてお り、説明をするとい う事態は、 ひとっとび しているのである。 これ が、第 1の説明責任 とい う用語‑の不審 なので ある。
2.2 「説明責任」第2の不審
企業不祥事 を起 こした企業の経営者に対 して、
記者会見などで、「説明責任 を求める」 との論評 が、多 くのメデ ィアを中心 として一般社会へ も 伝播 してい く。 しか し、 この説明責任 とい う言 葉の聞こえが良 く、正義の味方 になったかのよ うな言葉が、時 として、重大 な経営行動の停滞 をもた らす。そのため、経済的にも政治的にも 社会的にも、つ ま り人類 の進歩 をあ らゆる角度 か ら揺 るがす諸悪の根源であると認識 しなけれ ばな らないのである。なぜ な らば、 これが経営 や政治の世界での 「悪魔 の証明」 なのであるか
ら。
このように考 えると、「説明責任」 という言葉 には、際限がな く責任 を追及で きることになる のではないか と思 うはずである。つ ま り、何 も 悪いことをしていない人に対 して、「悪いことを していない とい う説明をしなさい」 といってい るに等 しいか、あるいは菟罪 を作 る可能性が大 きいのである。 これが、第2の説明責任 という 用語‑の不審 なのである。
2.3 説明責任 と悪魔の証明
今 まで、説明責任問題 を、 (1)陰と陽の転換、
(2)悪魔の証明、の2側面の問題があることを 論 じて きた。 まず、 (1)陰 と陽の転換 は、企業 不祥事 を起 こした ときにだけ、説明責任 を求め るのではな く、通常の企業経営 を実践 している 最中だか らこそ、説明責任 をす るべ きだ という 考 えである。 また、 (2)悪魔の証明は、立証責 任の問題であ り、やって もいない問題 について 責任 を求めてはいけない、 しか も、道徳的責任
をことさら求める風潮 も回避 しなければな らな いのである。つまり、「説明責任 ‑不良企業行動」
あるいは 「説明責任 ‑不良企業結果」 とい う構 造なのであろうが、それにして も負の結果 に対 す る説明責任 というのは、特 に慎重 な取 り扱い
をしなければならないのである。
これをまとめると、前者の (1) を同距離同意 味性の原則、 (2)を潔 白前提の原則 と呼ぶな ら ば、経営責任 を追及す る者 は、後 に示 している 図2のように整理 しな くてはならない。2つの 原則 のうち、 どちらの原則 をもクリアで きなけ れば、責任追求の前提がない と判断されるべ き であ り、 どち らの原則 ともクリアされれば、責 任追及の原則が成 り立たない と考 えなければな
らないのである。
3 .
政治分野 と経営分野 の説明責任3.1政治の世界における説明責任 一政治説明 責任論 ‑
そ もそ も、説明責任 は、政治の世界か ら生 ま れた言葉である。政治の世界 における、市民 と 議員の関係 は、明確 な権利義務関係が規定 され
ていない特殊 な間柄である。 これは、市民か ら 選ばれた議員であ り、代議員制度 (間接民主制 皮) を採 っているのだか ら、一度選ばれた議員 は、評決などを拘束 されない とい う原則 による ものであると推測で きる。 また、市民 も一度選 んだ議員であって も、民主主義 に則 って議員 を あ らゆる角度か らコン トロール し、時には超法 規的に改革す ることが可能であるのだか ら、一 度選んだ議員 は、 自由意思 に基づいた 自由行動 を保障されるとい う原則 によるものであると推 測で きる。
市民 と議員の関係 は、選挙規定の他 に、法律 関係が皆無 に等 しい特殊 な関係 にある。逆 をい えば、議員が公約 を抱 えて、その公約 を市民が 支持 して議員が誕生 した とす る。 しか し、議員 になった後 に、公約 を守 らず正反対の政治行動 を取 った として も、議員 は罰せ られることもな い し、法的責任 を取 ることもないのである。 こ の関係 は、お互いが良識 を持 っていることを前 提 としている。
だが、 この ような関係 は、お互いの溝 を深め ることになる。そこで、図1で示す ように、説 明責任 という概念 を用いて、均衡 と抑制 を図ろ 図 1 市民 と議員間の抑制 と均衡
(出典)筆者作成。
経営の自由を縛 る 「説明責任」の恐 ろ しさ 31
うとしているのである。 まず、説明責任 におけ る市民 と議員の抑制活動は、説明責任 を常 に負 わせ ることで、常 に議員が 自己の行動 を客観的 に見つめることがで きる (事前 に役立つ説明責 任)。また、説明責任 における市民 と議員の均衡 活動 は、説明責任 を重大 な事態が発生 した後 に 負 わせ ることで、市民 と議員の距離 を縮め、相 互理解 を図ることがで きる (事後 に役立つ説明 責任)。 このような、法令で明 らか とならないと ころを、説明責任でカバー しようとす るところ に、政治の世界 における説明責任 の役割 と意義 がある。
3.2経営の世界における説明責任 一企業説明 責任論 一
経営学の世界で説明責任 とい う言葉が脚光 を 浴びたのは、1990年代後半か らであった。政治 の世界か らやって きた説明責任 とい う言葉 を、
小政府 に似 た組織である経営組織 にあてはめ易 かったのが発端であった と考 えられる。
だが、政治の世界の説明責任 と経営の世界の 説明責任では、大 きな相違点がただ一つあるこ とを良 く認識 しなければならない。それは、小 政府 と呼ばれる会社組織 は、権利付与者 と権利 行使者の間に、明確 な法律上の権利義務関係が 形作 られているということにある。このように、
明確 な法制が確立 されているのであるな らば、
本来、説明責任 とい う責任 を殊更に強調す るこ とはないはずである。
論者 によっては、説明責任の論拠 を、社会契 約 とか 自然契約 とかが結 ばれる結果だ とす る。
いわんとしていることは理解できるのであるが、
通常の契約関係か ら重い関係 を結びつけること 自体が、企業経営制度に反す る事柄である。 こ の ような説明責任 の形態 は、人 と企業 を比較 し てみると、異質な議論であると、違和感 を砲か ざるを得 ないのである。
3.3 説明責任の追及プロセス
説明責任 は、 (1)陰 と陽を転換 して もプロセ ス として同 じ距離 と同 じ意味を持つ ことを検証 したうえで、同じ距離で同じ意味である場合は、
次の (2)のステージ‑ と進み、同 じ距離でない か同 じ意味でない場合 は、責任 を追及 してはな らないこと、 (2)常 に潔 白であった場合 を仮定 して、潔 白であった場合、証明す ることが通常 の一般人の常識 (善悪 を判断で きる通常人)に おいて、その証明す ることが容易であるときに 責任 を追及す ること、の2つの原理 を守 るべ き である。
図2では、お もに経営者 に対す る責任追及の 原則 を示 している。 原則1:同距離 同意味の原 則 と原則2:潔 白前提の原則、の2つに不適合 な場合 は、責任追及不可 とな り、道義的責任 を
図2 責任追及原則 プロセス
(出典)筆者作成。
32国際経営論集 No.40 2010
も、いわゆる間接的利害関係者が求めることを してはな らない。 このプロセスで追求で きなけ れば、間接的利害関係者 は、当該事案か らの関 与 をあ きらめるべ きなのである。
そ うはいって も、道義的責任 を追及 した くな る。 ここで も論 じたように、政治の世界では多 分に道義的責任 を追及 されがちである。メデ ィ アの最大の関心事である政治分野で、ある事件 が起 こった ときの道義的責任 は、その風潮 をそ のまま、その他 の分野 に持ち込んで しまうこと が多い。その矢面に立たされるのが、経営の道 義的責任問題である。
結論か らい うと、経営の道義的責任 は、間接 的利害関係者が追求 してはな らない。 しか し、
だか らといって常に追求す ることがで きないわ けで もないのである。
4 .
市民社会 と経営責任4.1市民改革権 と道義的責任権の関係 経営者 に対 して、間接的利害関係者 は、原則 1と原則2に不適合 な場合、道義的責任 を追及 することを控 えるべ きであった。 しか し、 これ は、現代市民社会の理論か らいうと、受け入れ ることので きない過程であ り理念 なのである。
少々、 自問 自解 自答 している禅問答の ようであ るが、 この先 も重要 なのであるか ら、おっ きあ い願いたい。
市民社会論は、全 ての権力の源泉 は市民社会 あるいは市民個人が有 しているが、市民個人 レ ベルでは解決で きない問題や最大幸福 を増幅 さ せ るために、政府 などの権力機関を創 出 し、 自 由の委任が行われ、権力機関に属す る人 を認め たのであった。その権力 を有する機 関は、現代 にい う行政、司法、立法の三権 に分立 され、そ れぞれがチェックアン ドバ ランス機能を発揮す ることで、それぞれの権限を抑制 し均衡 させ る 役割 を担 っているのである。
さて、 このような権力、権 限、権能が形づ く られているプロセスにおいて、企業 も設立す る ことが認め られている。市民個人での活動は、
個人事業に分類 され、一人 ひとりの能力の限界 に迫 る経営活動 をす るのだけれ ども、当然のこ となが ら、その能力 と労力 には限界がある。一 番の限界 は、資金調達である。 どうして も個人 では、資金供給場所 の確保や信用 などに限界が あ り、大規模 に経営活動 をす ることが不可能で ある。そこで、株式会社 をは じめ とす る各種会 社制度 を、立法府が創設 し、行政府 の一定の制 限に基づいて活動 し、紛争解決 においては司法 の力 を借 りるとい う一連の経営 プロセスをた ど ることで、市民の経済的最大幸福 を追求 しよう としたのである。
しか し、 この市民社会 と会社制度の関係 にお いて、経済的利益 を極度に追求 しようとす るあ ま り、本来は会社 に持たせ ることを予定 してい ない制度の付与がなされた。それは、有限責任 制度である。 この有限責任制度 を株式会社 に導 入 したことによ り、市民社会 と会社制度の抑制 と均衡が崩れ、会社優位主義 と呼ばれる社会構 造がで きあがって きたのである。
4 . 2
市民社会 と責任の源泉間接的無条件支配 と実質的支配放棄の関係 を、
市民社会 と会社制度 (お もに株式会社)か ら示 した図が、図3である。 有限責任が付与 される 以前 は、市民社会側が間接的無条件支配 を会社 制度に与 えて、代 わ りに会社制度側か ら経済的 利益の分配 を実施す るとい う関係であった。 し か し、 これでは、経済規模 を拡大 させてい くと い う、市民社会の欲求 に対 して充分 に応 えるこ とがで きなかったため、一部の社会のなかで慣 行であったことを、長い年月をかけて議論 した 後 に、有限責任が付与 されることになったので ある。
有限責任が付与 された後 は、市民社会側が実 質的支配放棄 を し、代 わ りに会社制度側か ら経 済的利益 の分配 と陰の経営行動 をするとい う関 係 になった。つ ま り、経済規模 の拡大 と同時に 陰の経営行動である負の経営事象、つ ま り広範 囲にわたる規模 の企業不祥事が多発す る事態が 巻 き起 こされるようになったのである。
経営の自由を縛る 「説明責任」の恐ろしさ 33
図3 間接的無条件支配 と実質的支配放棄
有限責任 付与 以前
有限 責任 付与 以後
(出典)筆者作成。
市民社会が会社制度 を創設 したのであるか ら、
会社 が陰の経営行動 を した ときに市民社会が直 接的に影響力 を行使す ることに対 して、臆病 に なってはな らない。従業員 として、経営者 とし て、はたまた規制監督機関にしろ、 これ らによっ て参加 されている会社制度 を支 えているのは、
究極 的には市民社会であるか ら、会社 を戒める 行動 を認め るべ きであるとい うのは、至極 まっ とうな意見 である。そ う考 える と、 メデ ィアな どによる間接的利害関係者 の会社への影響力行 使 は、原則1:同距離 同意味の原則、お よび、
原則2:潔 白前提 の原則 に当てはめる と、原則 2は ともか くとして、原則 1については、外 し て もいいのではないか とい う意見が出て くるこ とが考 え られるし、そ うであるはずである。
しか し、私が ここで主張 しなければな らない のは、た とえば、すべ ての権能 を持つ市民社会 の醸成 された権能であるマスメデ ィアの経営者 批判 な どは、 きっち りと会社制度 に導入す るべ きである とい うことである。つ ま り、制度の前提 としての歴史的経緯や時間的醸成 は、充分 なの であるか ら、ここで制度 として会社制度に対 して 法的権利 を行使す ることがで きる直接的利害関 係者たる地位 を確立することが重要なのである。
4.3 悪魔の証明 か ら結果の証明へ
経営者 の責任 を追及す る場合 は、ルールの定 め られていないなかでの責任追及 とい う 「悪魔 34国際経営論集 No.40 2010
の証明」 に等 しい要求 を してはな らない。そ し て、 ルールに則 った結果責任 を要求 してい くと い う基底 を堅持す ることか ら始めなければな ら ない。そのために必要 なことは、 (1)法令お よ び 自主規定 による2段 階のルールを策定 し、責 任 の取 り方 を自主的に策定す ること、 (2)結果 と既 に策定 されている法令お よび自主規定 を比 較す ること、 (3)あ らか じめ 自分で策定 した責 任 の取 り方 に応 じた行動 を起 こす こと、の3つ
なのである。
これ らを簡略 に表現す る と、 (1)法令 ・自主 規定 と責任の明示、(2)規定 と経営行動の比較、
(3)結果責任行動、 とい う3つ に、図4の よう に表 される。そ して、 これ らを総称 して、結果 責任 とい うのであ る。 くわ えて、 この (1) と
(2)と (3)の中心的基幹 をなす概念が、経営学 の分野でい う責任 なのである。付 け加 えてい う と、世 にい う 「説明責任」 とは、 (1)だけの こ とをい うのであって、(2)と (3)については、
含 まれていない と理解 しなければな らない。そ うでないと、いわゆる説明責任 を唱えるときに、
事前ルールの安当性 について言及 しているのか、
結果 についての責任 について言及 しているのか が、全 くわか らないはめになって しまう。
経営分野では、表 1の ように3つの責任 に分 類 され、それぞれが説明 され ることになる。 そ の3つ とは、「法令 ・自主規定 と責任の明示
」
「規 定 と経営行動の比較」
「結果責任行動」である。図4 経営分野 における責任 の細分化
(出典)筆者作成。
表1 経営分野 における3つの責任 の内容
責任の内容 責任の詳細
(1) 法令 .自主規定 と責任の明示 経営者は企業経営 目標のなかに、営利的 目標 だけで はな く、営利ではない 目標 を自ら立て、その 目標が 達成 されない ときには、 どのような責任 を取 るのか を広 く企業内部 と企業外部に明示するo
(2) 規定 と経営行動の比較 経営者が立てた 目標 と、実際の経営行動結果 とを、
第三者が比較 して、達成 されたのか、あるいは達成 されなかったのかについて比較 し判断 されるo (3) 結果責任行動 まず、 (1)で 自らが策定 し示 した結果責任行動 に基
づいて、 自らが毅然 とした態度で経営責任 を果たす ことをい う○ また、 (2)ここでの経営行動 は、 なに も陰の経営行動だけではな く、陽の経営行動 も果た す ことも義務付 け られることを充分 に念頭 に置かな (出典)筆者作成。
まず、法令 ・自主規定 と責任 の明示 とは、経営 者 は企業経営 目標 のなかに、営利 的 目標 だけで はな く、営利で はない 目標 を自ら立て、その 目 標が達成 されない ときには、 どの ような責任 を 取るのかを広 く企業内部 と企業外部に明示する。
また、規定 と経営行動 の比較 とは、経営者が立 てた 目標 と、実際の経営行動結果 とを、第三者 が比較 して、達成 されたのか、あるいは達成 さ れなかったのか について比較 し判断 される。そ
して、結果責任行動 とは、「法令 ・自主規定 と責 任 の明示」で 自らが策定 し示 した結果責任行動 に基づいて、 自らが毅然 とした態度で経営責任 を果たす ことをいい、「規定 と経営行動 の比較」
の経営行動 は、 なに も陰の経営行動 だけではな く、陽の経営行動 も果たす ことも義務付 け られ ることを充分 に念頭 に置かなければな らないの である。
ガバナ ンス とは、制度的に権力の均衡バ ラン 経営 の 自由 を縛 る 「説 明責任」 の恐 ろ しさ 35
スを取 る状態のことを指す。そ こで、 ガバナン ス と責任 の関係 について考 えると、株式会社制 度上では、株主の有限責任 を制度的に認めるこ とが一番 の特徴である。 この有限責任制度は、
た とえば株式会社が倒産 した とき、株主は引受 限度額 (出資額)以上の責任を負 う必要がなく、
株式会社 自体が有 している借金 な どの取 り立て に応 じる必要がないということである。 しか し、
物事 は何 で も同様であるが、責任 を取 らな くて もいい といって も、必ず負の部分 をかぶる人は いる。子供がオイタをして、その責任 を親が取 るようなものである。 このような株主が回避 し た責任 は、現代社会において、市民社会全体が 負 うことになっているのである。
この考 え方によると、最終責任 を負 うのが市 民社会 なのであるか ら、 ガバナ ンスの基本問題 として制度的に権力の均衡バ ランスを取 る状態 で安定 させ る必要があるため、市民にも均衡バ ランスとしての力を与える必要があるのである。
そ うでなければ、政治の世界でい う民主主義、
三権分立、経営の世界でい う自由経済、 自己責 任の原則、などの脈々と育て上げてきた原則に、
大 きな例外 を作ることになってしまうのである。
ことの本質は、 この部分 にあることを強 く認識 しなければならない。
5 .
企 業原理 と市 民社 会 の なかか ら考 える説 明責任5.1企業の営利性 と市民の社会性
企業は企業の営利性 を常に優先 させる。一方、
市民は企業 に社会性 を常 に優先 させたい。 この
ことは、今後 も変 ることのない普遍性 を持 った 原理原則である。 もっと強 くい うと、本質論 と して、企業 は営利性、市民は社会性 を主 として 考 えてい くだけで良い ともいえる。 この ように 考えるとするならば、本論文で論 じてきたロジッ クに合 った会社制度 と会社経営機構体制 を構築 すれば良いのである。つ ま り、制度的確保 を目 指すべ きである。
実際の ところは、企業経営のツケ と責任 を、
最終的に市民社会全体 に負 わせて、 自由主義の 発展 を担保 し保証 しているのである。 そ うであ るな らば、企業 は、いわゆる利害関係者のなか で、市民あるいは市民社会 に説明責任 をすると いうベク トルが一番大切なのではないだろうか。
そ して、説明責任 を求める主体は、おもにメディ アになるであろうか ら、メデ ィアは、市民社会 を中心 に企業の説明責任 に関す る制度 を構築す る必要があろう。
5.2 企業情報開示の制度的確立
金融庁 は、上場会社 の役員報酬 を原則公開す るように法令 を改革す る方向にあるとい う。 企 業情報開示 には、表2のように、 3つの方法が ある。 1つ 目は、企業が主体 とな り企業側が独 自に情報公開制度を策定 し公開する方法であ り、
自主的に策定するという本来望ましい姿である。
2つ 目は、市場監督機関が法令 などに企業情報 公開制度 を法制化 し公開させ る方法であ り、強 制的に法制化す るとい う一番望 ましくない姿で ある。 3つ 目は、市場が暗黙の圧力 により企業 情報公開制度を規範化 し公開させる方法であ り、
市場か らの要請の給体 としての基準 を示す常識 表2 情報公開制度の策定主体 による分類
主体 内容 性格
企業 企業側が独 自に情報公 開制度 を策定 し公 開す る 自主 方法
市場監督機 関 市場監督機 関が法令 な どに企業情報公 開制度 を 強制 法制化 し公 開させ る方法
市場 市場が暗黙の圧力 によ り企業情報公 開制度 を規 要請 (出典)筆者作成。
36 国際経営 論 集 No.40 2010
表3 説 明 とい う責任 の問題 と課題
分類 重要問題点 説明
説明責任の問題と課題 説明という責任があるかどうかo 法律的に経営責任としても包含さ説明という責任の範囲が定まって どこまで説明したのかによって責れているのは当然であるo
(出典)筆者作成。
的な姿 であ る。
おお むね、 この3種類 の 自由あ るい は束縛 の なかで企業経 営活動 が されてい るのであ る。 も ちろん、本論 文 で も強調 し続 けてい るが、一番 望 ま しいの は、企業 が 自主的 に制度 を策定 し実 践 してい くこ とであ る。 その うえで、 自由市場 に相応 し くない企業が あ るな らば、市場 が主体 となった 自主退場へ 向 けての 自浄能力 が発揮 さ れ るこ とを期待 す るのであ る。 は じめか ら、市 場監督機 関 に よる法制化 な どには賛成す るこ と がで きない。
5.3 利害 関係 者論 における説明責任 か ら結果責 任 へ
説 明責任 へ の批判 に よ り、説 明 とい う責任 が あ るのか どうか とい う問題 を問 うてい るので は な く、説 明 とい う責任 の範 囲が定 まってい ない とい う問題 を問 うてい るので あ る。具体 的 に表 3の ように問題点が ま とめ られ る。説 明 とい う 責任 が あ るのか どうか は、法律 的 に経営責任 と して も包含 されてい るの は当然 で あ るか ら、 こ の課題 は問題 とな らないので ある。一方、説 明 と い う責任 の範 囲が定 まってい ない場合 は、 どこ まで説 明 した のか に よって責任 が果 た されたの か を明記 しなければ、責任 の解放方法が理解 で き ず、加重 された責任 を負 わ され ることになって し
まう。
経営学 は、伝統 的 に利害 関係者論 に立脚 して 理論 が構 築 されて きた。 この流 れ は、経営学 が 発展 しは じめた当初 か らな されて きた こ とだ と 思われるが、現代 の ように複雑化 した社会では、
対応 で きないだ ろ う。つ ま り、机 上 の利 害 関係 者論 に関す る理論 は、極 めて大 まか に分類 され て きたのである。その ような、大 まかな分類 は、
ときに経営学理論 を発展 させ るこ とに寄与す る もので もあ った。 だが、 この ような社 会 シス テ ムで、利害 関係者 を分類 す る こ とは、 む しろ、
怠慢 で あ り自己満足 に過 ぎないので あ る。
利害 関係者論 は、先進諸 国 を中心 とした議論 で あ る。具体 例 を挙 げた方が分 か り易 いので、
まず は例示 す る こ とにす る。 た とえば、 イ ン ド や ネパ ール、消 費者 の分類 を1分類 す るだけで は、豚 (イス ラム)午 (ヒ ン ドゥー) を卑 しい 動物 とす る宗教 を信 じる者 に対応 で きない。 そ れ に、宗教 内で も、 た とえば、 ヒン ドゥーのバ ラモ ンは、 マ トンだ け を食 し、酒 を飲 む こ とも 禁止 されてい るので あ る。つ ま り、先 進諸 国 に お ける利害 関係 者 の分類 は、独 善 的で あ る気 が して は こないで あ ろ うか。 グ ローバ ル経営 だ と か 国際経営 だ とか声 を高 くして叫 んでい るが、
全 く実 が ともなってい ない。
この ように、利 害 関係者 は結 局 の ところ先進 諸 国 にだけ しか通用 しない議論 の ように考 える のであ る。 そのため、真 の国際化 お よび経営学 の さ らなる発展 のため に、利 害 関係者 論 に固執 す る こ とを して はな らない と考 えるので あ る。
6 .
説明責任 と利害関係者論6.1経 営者 の責任 とメデ ィアの責任
利 害 関係者論 の使 い勝手 の よさは、説 明責任 の使 い勝手 の よさに通 じてい る。経営者 が説 明 経営の自由を縛 る 「説明責任」の恐ろしさ 37
責任 を負わされるときに、誰のために説明責任 を果たすのかが、 まず問題 になるのであろうか ら、利害関係者 と説明責任は密接な関係にある。
そ こで、詳細 な利害関係者の範囲の画定が必要 とされるのである。
企業不祥事 を起 こした会社の経営者の謝罪会 見 をよ く見かける。そ こで、皆が満足する謝罪 会見 は、 まずない。それ どころか、謝罪会見後 の不満の噴出が よ く起 こる。それには、説明責 任 を受ける人々の受け取 り方に、大 きな問題が ある。つ ま り、いわゆる利害関係者論 に基づい て批判 を行 うと、従来の利害関係者の考 え方か らい うと、第1に利害関係者の関心の濃淡が問 題である。利害関係者のなかで も、株主 と消費 者、そ して顧客 な どの企業 に関わ り合いの深い 利害関係者のなかでも、濃淡が生 じる。それは、
説明責任後の権限にも関係するのである。
企業 に関わる者のなかで、一番不透明な存在 が、メディアである。 メデ ィアは、多 くの企業 の不祥事 を糾弾 し、世 間に広める企業 と社会の 媒介の役割 を有す る。 しか し、メデ ィアは、何 の基準 をもって、企業不祥事 を起 こした企業 を 報道 し、糾弾するのか を明示あるいは検証する 必要がある。 これに関 して、近年、積極的に取
り組 もうとする動 きが存在 している。
たとえば、放送倫理 ・番組向上機構 (BPO)は、
放送事業の公共性 と社会的影響の重大性 を踏 ま えて、正確 な放送 と放送倫理の高揚 に寄与する ことを目的 とした非営利 ・非政府の団体であ り、
言論 ・表現の 自由を確保 しつつ、視聴者の基本 的人権 を擁護す るため、放送‑の苦情や放送倫 理上の問題 に対 し、独立 した第三者の立場か ら 対応 す る と目的 を定 めて い る。そ して、BPO のなかに組織する放送倫理検証委員会 は、放送 倫理検証委員会 は、放送倫理を高め、放送番組 の質を向上 させるための委員会であ り、通常は、
放送番組の取材 ・制作 のあ り方や番組内容 に関 するさまざまな問題 について審議 を行い、必要 に応 じて 「意見」 を公表す る。 くわえて、虚偽 の内容 によ り視聴者 に著 しい誤解 を与 えた番組 が放送 された場合 には、その番組 について審理 38 国際経営論集 No.40 2010
を行い、「勧告」や 「見解」 を公表するとしてい る。なお、「勧告」や 「見解」は、当該放送局に 再発防止策の提 出を求めることがで き、その実 行 についての報告 を求めることもで きるのであ る (BPOのHPより)。これらの機関が、制度的 に完全 に機能す ることが望 まれるのである。
6.2 企業経営における結果責任原則
株主 と取締役、取締役 と代表取締役 などの関 係 を法的に検討す ると理解で きるように、会社 と取締役 の関係 は、委任契約 によっているとい われている。実際の企業経営、あるいは経営学 の観点か らす ると、委任契約 によって会社 と取 締役の関係 を規定するのは若干無理がある。 こ れは、会社制度規定 と企業経営に、大 きな隔た りがあるか らなのである。 それに くわえて、各 個人が納得す るまで説明 を求めるとい う説明責 任 と呼ばれる悪魔 に取 り懲かれているのだか ら 複雑 さに拍車 をかけるのである。
会社 と取締役の委任契約 は、結果責任 による ことが基本 となって制度設計が されている。つ ま り、 自己です る行為 を、他人に任せ ることを 委任 とい うのであるか ら、 自己で行 うことと同 じ結果 を他人に求めることと同様である。 その ため、期待 された結果が発生 しなかった場合は、
委任 を引 き受けた者が、その ものを履行で きな かったことに対す る責任、あるいは、履行で き なかったことによる責任 を負 うのである。 しか し、逆 をいえば、責任 を果た した らそれで よい わけであるか ら、 これは説明責任 とい う概念で はないことになる。 もし、いわゆる説明責任 を 負 うとい うのであるな らば、それは、委任契約 とは別の説明責任契約 を締結するべ きである。
6.3会社の責任分野
会社の責任分野は、4区分・に分 け られる。 1 つ 目の責任分類 は法律責任である。 2つ 目の責 任分類 は結果責任である。3つ 目の責任分類 は 説明責任である。4つ 目の責任分類 は社会責任 である。 これを順次説明す る。
まず、法律責任 は、委任契約 に基づいた責任
である。会社 と取締役 の関係 は、委任契約 に基 づ くのであるか ら、履行で きなかった ら、法律 上 に規定 される責任 のみ を負 うとい うものであ る。 経営学の考 え方 とは、異 なる点が多 々ある のであるが、法律的な責任 こそが、責任主体が 一番小 さい と考 えているのである。
また、結果責任 は、因果関係 に基づいた結果 に対す る責任 である。責任主体では責任が小か ら中 くらいに進 んでい く。結果責任 と呼ばれる 部類 であ り、因果関係 に基づいた結果 に対す る 責任 について責任 を負 うのである。お もに、明 確 な原因 と結果が関係す ると認め られ る経営行 動 についてのみ、経営者 は責任 を負 うとい うも のであ る。社会 に存在す る会社 とい う視点 を考 慮す るな らば、 ここでい う結果責任 までを経営 者が負 うと考 えるのが最 も妥当である。
さらに、説明責任 は、説明 を尽 くし潔 白を証 明す る責任 である。 責任 は、小 よ りも大 に傾倒 してい くのであるが、説明責任 の説明 を尽 くし 潔白を証明する責任 を負 うのである。 ここでは、
立証責任が経営者 に転嫁 されることになる。 そ うなる と、企業 に関わ り合 いのある者が企業経 営行動 に異議 を申 し立てた場合 に、そ うではな い ことを立証す る責任が経営者 に移 ることにな り、経営者 の多重 な責任 を求めることになる。
自由な企業経営、あるいは会社 システムか らし て も、 この責任形態 には大 きな疑問を感 じざる を得 ないのである。
そ して、社会責任 は、人の道徳 に関す る責任
である。人の道徳 と企業経営の道徳 を同視 し、
人の感情 をス トレー トに企業 の責任 として反映 させ ることがで きる責任 である。 しか し、社会 責任 は、千差万別 な人の考 える責任 とい う掴 み 所のない物 を、企業に押 しつけるということと、
あ らか じめ決め られていたルールではな く、そ の時々で変化す る 「社会の責任」 とい う暖味 な もので、企業 に責任 を負 わせ るとい う、罪刑法 定主義 に も違反す るであろ う近代 国家では考 え られない責任 なので、認めるべ きではない責任 形態 なのである。
企業それ 自体 には、客観的に検討す る と、3 つの責任があると認識す るのが妥 当である。 ま ず、社会 問題 としての 「社会が要請す る責任が 混同されている」 とい う問題 をはらむのである。
これは、社会全体 で責任の濃淡 についての認識 が全 く違 うとい う根本 的な理論 と制度の不備 で あ り、お もに第一義的 に研 究者 の責任が問われ るべ き問題である。 また、主体問題 としての 「主 体 によって責任 の認識が相違 している」 とい う 問題 をは らむのである。 これは、経営者 は法律 責任 を問 うことを前提 として話 しているに も関 わ らず、説明 を求める者が社会責任 を問 うこと を前提 として話 している場合 に、責任 の範囲や 重 さの敵駿 を生 じさせ る。 さらに、制度間題 と しての 「制度 として説明責任 が規則化 されてい ない」 とい う問題 をは らむのである。 この よう な問題 を、一つひとつ解決 してい く必要がある。
図
5 4
つの責任分類 と責任の大小大
委任契約に関 する責任
(出典)筆者作成。
因果関係に基 づいた結果に 対する責任
説明を尽 くし 潔白を証明
する責任
人の道徳 に関 する責任
経営の自由を縛る 「説明責任」の恐ろしさ 39
表4 企業経営における 4つの責任
理 由 例示
社会問題 (1)社会が要請す る責任 が混 同さ 社会全体 で責任 の濃淡 についての認識が全 れている○ あ り、お もに第一義的に研 究者 の責任が問われ るべ き問題 であるoく違 うとい う根本 的な理論 と制度の不備 で
主体 問題 (2)主体 によって責任 の認識が相 経営者 は法律責任 を問 うことを前提 として 違 している○ 話 しているに も関わ らず、説明 を求める者が社会責任 を問 うことを前提 として話 している場合 に、責任 の範 囲や重 さの敵齢が生じさせ る○
制度問題 (3)制度 と して説明責任 が規則化 説明責任 に関す る法律 的あるいは会社 内部 (出典)筆者作成。
7.「説明責任」という言葉の使用 をやめるべき 企業不祥事が発生 した ときに、 日本企業 とア メ リカ企業の謝罪 についての相違が取 り上げ ら れる。 日本では、「とりあえず頭 を下げることが 重要」 といわんばか りに、経営者一列にならび、
お決まりの謝罪口上を述べつつ、深々と数十秒、
頭 を腰 の高 さよ り下に下げるのである。一方、
アメリカは、具体的な不祥事の発生 とともに対 策 を迅速に発表す ることに全精力 を傾 け、 くわ えて安易 な謝罪 を行 わない。 よ くいわれるが、
アメリカでは、「謝罪すること‑罪を認めたこと」
とな り、訴訟 リスクなどを考 えた技術 的に謝罪 をしない とい う。 だが、 このような 日本 とアメ リカの違いは、謝罪に対す る考 え方の違いだけ ではな く、 もっ と深い相違 によるのである。そ れだけではないのである。
それは、説明責任 に対す る考 え方の相違であ る。 日本では、社会責任 を負わせ ようとい う文 化的背景があ り、経営者 は社会責任 とい う人の 道徳 に関す る責任 に等 しい責任 を認める風土が あ り、人の感情 を静めることに、 まず は力が注
40 国際経営論集 No.40 2010
がれるのであろう。アメリカでは、結果責任 を 求めるとい う制度的基盤お よび文化的背景があ るため、経営者 は自己の責任 と説明の範囲を理 解 して、適切 な行動 を起 こす ことがで きるので あろう。
いずれに して も、説明責任か ら結果責任‑ と 転換 を果た して、会社制度のなかで責任の所在 を明確 に限定す るところか ら始めなければな ら ない。 まず しなければな らないことは、各会社 内で説明責任の明確 な自主規定 と、それに則 っ た経営行動である。そ うしなければ、いずれ強 行法規 によって、説明責任 を定め られ、今 より
も、がん じが らめで窮屈 な制度が生 まれること になって しまうであろう。
参考文献
小島大徳 『企業経営原論』税務経理協会,2009年. 小島大徳 『市民社会とコーポレー ト・ガバナンス』
文具堂,2007年.
小島大徳 『世界のコーポレー ト・ガバナンス原則一 原則の体系化 と企業の実践