序章 問題意識と研究課題
1.問題意識
1978 年以前、中国は重工業優先発展戦略を遂行するために、中央集権型の計画経済体制 を形成させ、維持してきた。計画経済における主要な特徴としては、経営自主権のない国 有企業の経営管理体制、「統収統支」1の財政制度、低賃金・高就業の雇用制度などが挙げ られる。
1978 年に開催された中国共産党第 11 期第 3 回中央全体会議(以下、「11 期三中全会」と する)をきっかけに、中国は経済改革と対外開放の政策を採用し、建国以来の計画経済体 制を市場経済体制に転換させてきた。市場経済への転換は、財政制度改革と国有企業2改革 を通して、経済成長をもたらしたとともに中国の経済体制や経済構造を変化させた。財政 制度改革によって、計画経済体制における中央集権・統収統支の財政制度が崩され、財政 収入と支出の権限を地方政府に任せるようになった。国有企業改革によって、所有制が多 様化し、非国有セクターの労働者と経済パフォーマンスが急速に伸びた。
本論文において、筆者は財政制度改革と国有企業改革による諸変化が社会保障改革およ びその財源調達の方法に与えた影響に注目している。もっと詳細にいえば、筆者は本論文 を執筆する際に以下のような問題意識を持っている。まず1つ目として、体制移行の過程 のなかで、経済改革に対応し、社会保障制度の改革はどのようにして行われたのかという ことである。次は、社会保障制度の改革およびその財源政策の変化には財政制度改革と国 有企業改革による影響が大きいと考え、その2つの改革が社会保障制度にどのように影響 したかを明らかにし、それらに関して、効率性・公平性の観点から検討することである。
2.研究課題
上記の問題意識に基づき、本論文は次のような研究課題を設定している。つまり、計画
1 統収統支とは、簡単にいえば、一切の収支項目、支出方法と支出指標をすべて中央が統一的に設定し、
財政収入はすべて中央に上納され、支出は中央から支給され、年度末の余剰金も基本的にはすべて中央に 上納されることである。後の第 1 章で詳細な説明を行う。
2 本論文において国有企業と集団企業という言葉はよく使われている。ここでまず国有企業と集団企業の 概念を確認しておく。国有企業とは、企業のすべての資産を国家が所有している経済組織であると定義さ れている。それは中央政府に所轄されるものと省や県に所轄されるものがある。集団企業(集団所有企業)
の定義はやや曖昧なもので、一般的に労働者自身が出資者となってその企業を所有すると定義されている。
一説によれば、県レベル以下の行政機関が所轄している企業は集団企業である。改革後に現れた郷鎮企業 の大半は以前の人民公社・生産大隊・村の集団企業が民営化されたものである。
経済が市場経済化することにともなって、再編されつつある中国の失業保険・老齢年金・
医療保険を取り上げ、それらの改革の到達点と問題点を財源調達方式に力点をおきながら、
また、計画経済期の社会保障制度と比較しながら明らかにすることである。
この研究課題をクリアするために、次に示す2つのことを明らかにする。第 1 は、計画 経済期の社会保障制度がなぜ財政資金3を財源として都市部の国有・集団企業の従業員を中 心に実施されていたかを計画経済期における財政制度、戸籍制度、雇用制度などの制度設 計の特徴と関連させながら解明することである。第 2 は、国有企業改革や財政制度改革に よって生じた労働市場、政府間および政府企業間の財政関係の変化を検討することで、な ぜ市場経済期の社会保障の財源調達が「三者負担」4となり、その適用範囲が拡大されたか を分析することである。上記の事柄を解明しながら、資本主義国で議論されている社会保 障制度の財源政策の一般論を用いて、効率・公平の観点から中国の社会保障財源政策のあ り方を考察する。
これらの研究課題を解いていく過程において、筆者は財政学の観点からの分析を重視す る。筆者のいう財政学の観点とは次のような意味である。社会保障のあり方は経済運営に おける国の役割に大きく左右される。国の役割は財政制度を通して考察することができる。
計画経済から市場経済へ移行していく過程で中国の財政制度が大きく変わってきた。経済 運営における国の役割も大きく変わってきた。そのため、現代中国の社会保障制度および 社会保障財政を研究するためには、中国の財政制度および中央政府と地方政府間の財政関 係の変化を分析しなければならない。これまでの中国の社会保障研究においてはこのよう な観点ではほとんど考察されてこなかった。社会保障財政と国の財政制度の関係のほかに、
社会保障の財源政策(財源の種類、税と保険料の役割分担などが含まれる)に対する考え 方と評価基準を検討することも財政学の分野の一部である。
3.先行研究
社会保障制度改革の動きが加速されているなかで、社会保障制度の再編への関心が高ま
3 本論文において、計画経済期の社会保険料の負担について政府の財政資金であると論じている。ここで、
その理由を簡単に説明しておこう。計画経済期において、社会保険料は国有企業の負担となっていた。そ れはすべての利潤を政府に上納する前に控除されたものである。計画経済期において、すべての経済活動 は政府の財政支出で行われており、その経済活動から生じた利益はすべて政府に上納し、政府財政資金の 源泉になる。そのため、上納前に控除されたものは実質的に政府財政資金とみなすことができる。しかし、
上記のような保険料負担に対して、財政支出の形をとっていないため、財政支出という用語を使わず、財 政資金という言葉を使用している。
4 政府・企業・従業員による保険料負担ということである。
り、1990年代以降、社会保障制度に関する研究が次第に盛んになってきた。研究書だけで はなく教科書や専門的な学術誌も続々と出版された。研究内容も歴史的分析から制度の仕 組みの解明へ、国際比較から計量分析へと深められてきている。中国本土と比べ、日本に おける中国社会保障制度研究は遅れているといわざるを得ない。中国社会保障制度に関す る日本語による研究は1990年代半ばから現れたが、日本における中国経済研究と比べて、
その遅れが目立っている。近年になって、専門書を含め多数の学術論文が出版されたが、
その内容を見ると、社会科学、マクロ経済学的手法による分析が多く、やはり制度の仕組 みの解説、問題点の指摘と制度の国際比較が主流である。
これまでの先行文献のなかで、旧制度における弊害、とりわけ適用範囲の狭さを指摘し、
適用範囲の拡大と制度自身の充実(失業保険の新設など)という観点から改革の必要性を 訴え、新制度の仕組みと実施方法を詳細に紹介しているものは、政府機関や関連省庁の役 人によって編著されたものが多い。例えば、国家体改委研究所編(1998)、国務院政法労働 社会保障司・労働社会保障部法制司編(1999)、労働社会保障部医療保険司編(1999a、1999b)、
焦主編(2001)、張主編(2002)(以上中国語文献)などが上記のものに分類される。これ らの文献は新制度の内容を把握することには役に立つが、旧制度についての解説が不足し ており、制度が変化した経緯に関する議論、理論的実証的な分析についても欠けていると いわざるを得ない。
社会保障制度の歴史的変遷を紹介しながら、新旧制度の仕組みと内容を詳細に紹介する だけではなく、社会保障改革の背景を人口構造の変化、国有企業改革などと関連させる分 析アプローチをとっているのは、衛編(1994)、鄭(1994、1997)、鄭他(2002)、宋他(1998)、
宋主編(2001)、蘇(1998)、李(2000)、などの中国語文献と、王(2001a)、張紀潯(2001)
5、中国研究所編(2001)、大塚・日本経済研究センター編(2002)、田多編(2004)などの 日本語文献である。上記の先行研究は、計画経済期および市場経済期の社会保障制度の内 容と実態を詳細に紹介しており、制度変遷の外部要因も論じているため、本論文を執筆す るに際して多くのことを教えてくれた。しかし、ほとんどの研究は、社会的・経済的な変 化について、高齢者人口の急増および国有企業の財政難という議論にとどまり、社会保障 制度改革に大きな影響を与えた財政制度の転換や、政府間・政府企業間の財政関係の変化 にはあまり触れていない。また、社会保険財政に関する分析もほとんどない。上記の文献
5 参考文献に張紀潯(2001)と張忠任(2001)がある。両者を区別するために張(2001)の書き方をやめ、
フルネームで表記している。
のなかで比較的に特色を持っているものを挙げておこう。
李(2000)は、財政学および租税論の観点から、社会保障の財源調達の一般論を論じた。
中国語文献のなかで財源政策に言及した数少ない文献の 1 つであり、財源調達について理 論的に論じていることで評価できる。しかし、社会保障税に関する議論では社会保険料徴 収と社会保障税徴収を混同している。
王(2001 a)、張紀潯(2001)、中国研究所編(2001)の 3 つは、在日中国人研究者を中 心に書かれた中国の社会保障制度に関するものである。なかでも、王(2001a)は関連法の 翻訳と説明に特色があり、張紀潯(2001)は各制度について歴史的変遷を詳細に触れたこ とで印象深い。
大塚・日本経済研究センター編(2002)と田多編(2004)はともに日中両国の専門家に よる共同研究の成果である。前者は、医療制度改革の効果を計量分析で評価している点と、
中国の改革に対して日本の社会保障制度の経験を踏まえて提案している点が目新しい。後 者は、社会保障とは何かという原点に戻り、中国の社会保障改革を考察している。その本 のなかで、田多英範氏は序章において計画経済期の社会保障制度が賃金を補完するための
「生活保障」であるという新たな見解を提示している[田多(2004)、pp.1-25]。その上で、
社会保障改革後の失業保険と公的扶助(最低生活保障制度)の創設および、政府・企業・
従業員による三者負担の形成によって、生活保障が社会保障へ転換したと分析している。
後にも詳細に論じるが、筆者は本論文のなかで計画経済期における中国の社会保障制度 を「就業・生活保障型の社会保障」6と呼んでいる。計画経済期の社会保障の基本性格を就 業・生活保障と位置付けた意味を、田多(2004)が提示した「生活保障」と比較しながら、
示しておこう。
田多(2004)は、「失業のないとされる社会主義社会で社会保障制度は不要、ないしは存 在しない」と指摘し、計画経済期の社会保障制度は「社会保障制度ではなく、むしろ社会 主義社会特有の賃金とセットとなった生活保障・維持制度とでも呼べるべき」と主張して いる[田多(2004)、p.9]。生活保障制度について、田多(2004)は「この期の生活保障制 度は、資本主義社会の社会保障制度のような所得再分配のための制度ではなく、むしろ第 1 次分配としてこの制度が実施されていた」と特徴を付けている[田多(2004)、p.13]。そ
6 就業・生活保障における大きな特徴は、社会保障制度に必要な費用はすべて国家の財政資金によってま かなわれ、従業員による負担がないということである。また、就業と連動し、都市部の公有制企業従業員 を中心に実施していることも特徴の1つである。詳細な説明は後の章で行う。なお、紙幅を節約するため に、就業・生活保障という略語を使用している場合が多い。
のような認識に対して、筆者は基本的に賛成しているが、果たして生活保障だけで当時の 社会保障の基本性格を規定できるかというところに疑問が残る。
以下、筆者の考えを述べておこう。経済活動を生産段階と消費段階に分けるならば、資 源配分=第 1 次分配は生産段階で行われ、所得再分配は消費段階で行われると理解するこ とができるだろう。田多(2004)の解釈に従うならば、計画経済期の社会保障は生産段階 で第 1 次分配として行われている。基本的にそのような認識が正しいと考えている。しか し、生産段階で社会保障を行うならば、国民を生産活動に参加させなければならない。第 2 章で詳しく述べるが、そのような状態に達成するために、政府は低賃金・高就業の雇用 制度を設け、国民のほとんどに職を与えたのである。このように就業させたこと、あるい は職を提供したことを通じた生活保障は、就業・生活保障と呼ぶべきではないかと考える。
当時の年金保険の受給条件とは、保険料の納付期間ではなく、勤続年数となっていた。一 定の勤続年数という条件を満たさなければ年金給付を受けられないということは、低賃 金・高就業の雇用制度のもとで就業保障と生活保障をセットにしたということを意味する。
年金保険の受給条件からも、生活保障だけでは計画経済期の社会保障制度の性格を説明し きれないのではないかと思う。田多(2004)には、「完全雇用、終身雇用が厳格に守られて いた」ということも生活保障制度の特徴であると言及しているが、就業と生活保障の関係 を真正面に提示していなかった。それを補完するために、本論文においては計画経済期の 社会保障の基本性格を就業・生活保障として位置付けるのである。
年金制度に焦点を当てて年金保険の財政方式を理論的に論じているものとして、励主編
(1994)、World Bank (1996、1997)、Feldstein(1998)、王(2001b)、劉(2002)、鍾(2005)
などが挙げられる。励主編(1994)は、中国の従来の社会福祉を含む社会保障制度を概観 した上で、高齢者に関する保障について数理的な分析を行っており、高齢者保障に対して 政策提言を行っている。World Bank(1997)は、年金制度の改革に焦点を絞って、改革の 成果に対して賛否を示し、高齢社会に直面している中国に対して、年金保険の財政方式に 関する提案を行った。Feldstein(1998)は、財政方式と給付形態による年金制度の類型化 を行った上で、市場経済体制のもと、そして、少子・高齢化の進展のなかで、中国の年金 制度は確定拠出型の積立方式が公平性と中国経済の持続的成長の両面で好ましいと指摘し ている。王(2001b)、劉(2002)、鍾(2005)の 3 冊ともに年金保険に焦点を絞って、制度 的枠組みおよび問題点を分析している。
調査資料をベースに事例分析を行いながら、中国の社会保障の分析を試みたものは
Dixon (1981)である。Dixon(1981)は中国の社会保障の全体像を描いた早期の英語文献 の1つとして、都市部のみならず農村部の社会保障についても詳細に論じたことに特徴が ある。
上記の専門書のほかに、董(1996)、張(1996)、康・葉(1996)、劉(1998、1999、2000)、
張(1999)、沢田(2000)、中兼他の論文集[国立社会保障・人口問題研究所編(2000)、(『海 外社会保障研究』No.132)]、金子・何(2003)、柯・小川(2003)、王(2004)、拙稿(2001、
2002、2003a、2003b、2004、2005a、2005b)などの学術論文もある。このなかで、政府間 の財政関係という観点から中国の社会保障を論じた学術論文は張(1999)と沢田(2000)
がある。このなかで、張(1999)は政府間財政関係を論じながら、社会保障制度と政府間 の関係、特に財政上の関係を考察した。沢田(2000)は計画経済期と改革以降の中央政府 と地方政府間の関係の変化に注目し、地方分権の一例として都市部の年金改革を取り上げ た。年金基金の分散や運営管理の抜け穴が生じたことによって、年金改革における地方分 権の限界を指摘した。
4.本論文の特徴と意義
前記した先行研究と比べて、本論文の特徴は主として以下の 4 点である。
まず、第 1 点である。社会保障における資金の流れや政府と企業の役割分担に対する分 析を通して、計画経済期と市場経済期に分けて、中国の社会保障の基本性格を再規定した。
計画経済期の社会保障、とりわけ労働保険が中心となっていた社会保険は資本主義国でい う社会保障ではなく、就業・生活保障と位置付けるものと考える。市場経済期の社会保障、
とりわけ 1990 年代末に新たに実行された都市部企業従業員社会保険は、政府・企業・従業 員の三者負担が導入され、所得の再分配という要素も備えたため、資本主義国でいう社会 保障の性格を備えたと認識している。
次に、第 2 点である。重工業優先発展戦略を遂行するために作り上げられた計画経済体 制と一連の制度のもとで、政府と企業の役割分担が歪んでしまい、そのことが就業・生活 保障型の社会保障制度を形成させた重要な原因であったと指摘した。計画経済期において、
政府が企業の代わりに生産投資、資本蓄積の機能を担い、逆に企業が生産目標をやり遂げ るとともに、政府が担うべき社会保障機能を財政資金を用いて実行していた。
第 3 点としては、市場経済の導入によって、従来の就業・生活保障型社会保障が再編さ れ、資本主義国でいう社会保障制度になり、その背景に財政制度改革による財政制度の転
換の影響が大きいと分析したことである。財政制度改革は政府間・政府企業間の財政関係 を変化させ、企業本来の機能(生産投資)を復活させた。また、高度集権・統収統支の財 政制度が崩れ、企業の生産資金が財政資金の割り当てから銀行の貸付に変換したことによ って、企業ははじめて負債を認識するようになった。それらの変化は社会保障改革を促し たと考えられる。
ほとんどの先行研究では、財政制度を通して、計画経済期と市場経済期における政府機 能の違いを分析し、それによって社会保障制度の変化を研究するというアプローチをとっ ていない。しかし、社会保障財政は国の財政制度と緊密な関係をもっている。そのため、
国の財政制度、特に政府間・政府企業間の財政関係を明らかにすることは、社会保障の財 源政策を分析するために必要不可欠なことであろう。本論文は上記の事柄を明らかにした ところに特徴があり、オリジナリティーがあると思う。
最後に第 4 点としては、先進諸国の社会保障財源政策と財源政策の一般理論を考察し、
中国の社会保障再編における財源政策の問題点を指摘し、解決方法を打ち出したことであ る。社会保障再編の過程において政府・企業・従業員による保険料の三者負担が打ち出され たが、政府の負担責任は明確にされていなかった。また、年金・医療保険制度に「個人口 座」を導入し、賦課方式から部分積立方式に移行すると示したが、個人口座は有名無実の 存在であった。これらの問題に対して、日本をはじめとする先進諸国の経験を踏まえて、
検討を行った。
第2項で記した研究課題を追求する本論文は、従来の研究に対して以下の意義を持って いると思われる。第 1 は、社会保険分野を包括的に分析していることである。すなわち、
本論文は失業・年金・医療の三部門を対象とするが、これらを総合すると現代中国の社会 保障制度における社会保険分野のほぼ全体をカバーする。分析対象を包括的に設定するこ とは、現代中国の社会保障の基本的性格を捉えることに貢献するであろう。
第2の意義は、社会保障改革の背景に注目していることである。すなわち、本論文は改 革後の社会保障制度を孤立的に分析するのではなく、社会保障改革を推進した背景、具体 的には国有企業改革と財政制度改革に注目し、それらが新しい失業・年金・医療保険の制 度内容にどのように影響したかを具体的に解明している。この作業は、改革後の失業・年 金・医療保険の各制度における歪みの政策的由来―計画経済から市場経済への移行過程に おける政策的原因―の明確化に貢献し、移行経済における社会保障改革のあり方について 教訓を提供しようとしている。
5.論文構成
本論文は、はじめに、序章、7 つの章とおわりにから構成されている。序章から第 3 章 までは、中国の社会保障制度の形成およびその特徴に関する総論である。第 4 章から、失 業、年金、医療という順に社会保険の各論になる。第 7 章は、中国の社会保障再編におけ る財源政策の問題点を論じている。
序章では、問題意識、研究課題、先行研究、特徴と意義、論文構成などについて説明を 行う。
第 1 章では、まず資本主義国における社会保障制度の定義はどのようなものであるのか、
社会保障の財源政策に関する一般理論はどのようなものなのかを検討する。その上で、中 国の社会保障制度の基本性格や制度の仕組みを概観する。ここで、中国における社会保障 制度の変化を分析するための時期区分を行い、計画経済期と市場経済期における社会保障 制度が異なっていることを示す。
第 2 章では、計画経済体制に対応して、計画経済期の社会保障制度がどのように作られ たかという問題意識のもとで、まず重工業優先発展戦略を遂行するために、統収統支の財 政制度や戸籍制度および低賃金・高就業の雇用制度がどのように形成されたかを検討する。
その上で、計画経済体制の特徴(国家による資源配分、国有企業を中心とする公有制の維 持、就業に応じる生活保障)を分析する。そのような特徴があったからこそ、計画経済期 の就業・生活保障型の社会保障制度が形成されたと指摘し、計画経済期の社会保障制度の 仕組み(特に財源調達と給付方法)と特徴を明らかにする。
第 3 章では、市場経済体制への移行過程における制度改革がもたらした社会的・経済的 諸変化を検討する。とりわけ、国有企業改革と財政制度改革に対する分析を通して、政府 間および政府企業間の財政関係の変化を検討する。それらの変化によって、社会主義市場 経済体制の特徴(一部の公有制企業を基礎にした所有制が多様化された経済構造、市場に よる資源配分、効率性重視)が形成しつつあると指摘し、それは、計画経済期の就業・生 活保障型の社会保障制度を資本主義国でいう社会保障制度へと転換させた重要な原因の 1 つであると分析する。
以下の 3 つの章は、失業保険、年金保険、医療保険を各々扱った各論となる。
第 4 章では、改革開放政策が実施されて以降の失業問題を概観し、失業対策としての失
業保険制度を分析する。その上、中国の失業保険制度改革の過程が、国有企業下崗職工7 対策の一部であったことを示す。
第 5 章では、中国における年金保険制度の形成および1980年代以降の改革を辿り、中 国の年金保険制度の特徴と問題点を取り上げて、その背景を分析する。さらに、基本年金 保険制度における今後の課題を指摘する。
第 6 章では、中国における医療保険制度の変化、医療供給体制の転換を考察し、経済改 革にともなう基本医療保険制度の形成過程およびその実態を明らかにする。
最後の第 7 章では、第 1 章で論じた社会保障制度の財源政策の一般論を再吟味しながら、
中国の社会保障再編過程における財源政策の変化およびそのあり方を検討している。
7 企業との労働契約が存在しているものの、実際に一時帰休となっている者は下崗かっこうしょくこう職 工と呼ばれている。
下崗職工は失業者とみなされないため「都市部登録失業率」に計算されない。しかし、中国の一時帰休者 はほとんど元の仕事に戻ることができず、失業者とみなすべきだといわれる[丸川(2002)、p.75]。