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アモス・オズの一作品に見られることばの力

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Academic year: 2021

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序章:ことばの力

本稿の目的は、現代イスラエルの作家アモス・オズの 小説『地下室のパンサー』(1995)に遍在するさまざま なレトリック表現の一部のスケッチをとおし、オズの作 品におけることばの力を考察することである。1, 2 一例 を挙げる。

ぼくは軍曹から、英語にはヘブライ語にはない時 制、現在進行形というのがあるのを習った。この時 制では、どの動詞も「・・・イング」という、グラ スとグラスがふれあうような音で終わる。じっさい、

グラスとグラスがぶつかりあう音という連想で、こ の英語の時制がとてもよく理解できた。かるーくカ チンとグラスがふれあう音を想像し、現在進行形の かすかな響きが遠くへ、もっと遠くへと漂ってゆき、

しだいに弱まり、ますます幽かな音になりながら喜 ばしき進行形のまま彼方に消えてゆく。この響きが しだいに薄れ、消えやり、霧のごとくに散りゆくま で、最後の最後まで、じっと耳をすませるのは、な んて心地いいんだろう。こうして耳をそばだてて聴 くものこそ、まさしく現在進行形とよばれるにふさ

わしい。 (11章P67-8)

「・・・イング」という英語の語形にオズはグラスと グラスが軽くぶつかりあう音を聞いた。どうということ のない事実がひとりの人間のことばの力により美しい存 在へと仕立て上げられた例を、私たちは上の描写にみる。

ここに私たちは創造的な言語感覚をみる。

創造的な言語感覚から生まれるのがレトリック表現で ある。例えば中原中也の詩の一節。

海にゐるのは、

Received on October 24, 2005 人間コミュニケーション学科 Department of Human Communication

アモス・オズの一作品に見られることばの力

奥   浩 昭

An Analysis of Rhetorical Expressions in Amos Oz ,

s novel,

Panther in the Basement”

Hiroaki Oku Abstract

This paper discusses rhetorical expressions found in “Panther in the Basement” (1995), an autobiographical novel by Amos Oz, a distinguished, contemporary novelist of Israel. What has been shown is as follows:

1) Oz’s rhetorical expressions, especially simile, metaphor and allegory, contribute greatly to the vivid description of characters, events and circumstances under which events take place.

2) Conspicuous in the novel is Oz’s artistic handling of the Hebrew language with which he gives life even to most commonplace phenomena. Books, for instance, in the study of the main character’s father’s are ranked from the highest to the lowest according to the size and the space they occupy in the shelf. The leaflets, which are placed in an crowded way in the bottom of the shelf, are given the shabbiest description, and Oz’s wording of the junk makes one suspect that the junk is meant to refer to some people who have long been treated unfairly in history.

3) A Hebrew word ‘tris’, which means ‘shutter’, ‘blind’ or ‘slit’, is used in three situations effectively, and plays a central role in the story.

Keywords: power of words, rhetoric, simile, metaphor, allegory

(2)

あれは人魚ではないのです。

海にゐるのは、

あれは、浪ばかり。

(中原中也『在りし日の歌』「北の海」)

レトリックの魅力を説き続けながら逝った佐藤信夫は、

この詩について次のように論じている。

人魚は、否定されることによって、《そこにいな い人魚》として姿をあらわした。はじめから人魚な ど気にもならない人は、決して「人魚ではないので す」などと言いはしない。何も言わなければいい、

どうせ人魚も何も、はじめからいないのである。に もかかわらず、ある人は、「人魚」と「浪ばかり」

を一対の対義語として発見してしまった。創造的な 言語感覚は、しばしば名状しがたい光景を発見する。

(佐藤信夫『レトリック感覚』P254-5)

「人魚」と「浪」を対峙させる現実把握とその言語化

(=レトリック表現)を佐藤は「発見的認識の造形」と 呼んだ。

次に現代短歌から。

鉄骨の鋲打てるおと頭上より

縞なしてわが体を過ぎつ 高野公彦 この一首を歌人小島ゆかりは次のように評している。

高野さんの歌、不思議なのに一瞬にしてその感 じを共有できる。ガーンガーンかギーンギーンか、

硬質でやや重量感のある金属音が一定のテンポで 頭上から響いてくる。その響きの縞が頭から足元 へと作者を通過するのである。(略)この作品を 読むたび、私の体を上から下へその金属音が通過 する。恐るべき表現の力。

(小島ゆかり『短歌入門』P153)

小島は「優れた比喩表現は、現実から出発して時に現 実を越える」(同上P155)とも述べている。

浪ばかりの北の海であれ金属音の響くビルの工事現場 近くの街路であれ、風景(光景)自体を詩的ととらえる かどうかは人によるだろう。後者についてはきわめて散 文的と取る人が多いのではないか。しかし詩人や歌人に よることばのフィルターがかかると、様相は一変する。

槌音を日常いたるところで耳にしている私たちは、その 音を特に気にも留めずに通り過ぎることが多いが、「頭 上より縞なしてわが体を過ぎつ」の表現に出会った後で は、我が身を通過して地中に吸い込まれるガーンガーン という音が意義深いものと聞こえてくる。また中也の詩 を受け、私たちは北の海の波間に人魚を幻視する。安西 冬衛の短詩の恩恵で韃靼海峡(間宮海峡)を渡る一匹の てふてふ(ちょうちょう)を心に見るように。これが

「創造的な言語感覚」「発見的認識の造形」であり、「現 実を越える表現」である。ことばの力である。

一章 アモス・オズ:イスラエルの良心

アモス・オズという人間また作家についての証言を、

私たちは詩人長田弘と小説家大江健三郎の作品にみるこ とができる。

長田弘は、『私の二十世紀書店』(1982)の「あとがき」

に「二十世紀という時代の読みかたを、一人のわたしに 親しくおしえてくれた本たちについての本である」と述 べている。長田は続けて、「わたしがのぞんだのは、こ れらの本が語ってくれた言葉によって、言葉のむこうに 目撃した、世界の同時代の感受性の光景を書きとめてお きたい、ということだった」と語る。93の作品が取り 上げられている。「あとがき」に長田はまたこう記す

「二十世紀という時代の言葉の負ったコンプレックスを 際だたせてきたものは、何だろう。(略)もしそういっ てよければ、なお果たされていない友愛への渇きだった のではないだろうか」。

オズ(1939〜)は90番目に登場する。『わたしのミハ エル』(1968、日本語訳は1977)だ(新書版で2ページ 強の紹介)。『わたしのミハエル』は、イスラエルとイス ラエルを取り囲むアラブ諸国との間に起きた第3次中東 戦争(6日間戦争)の翌年に書かれた。6日間の戦闘の 後、後に首相となるラビン参謀総長に率いられ旧エルサ レムに入ったオズは、翌年この作品を世に問い、さらに

「ピース・ナウ」とい運動をなかまと創設し、以後主体 的に関わっている。

中篇小説『わたしのミハエル』を長田は次のように簡 潔にまとめている「『わたしのミハエル』は、ありふれ た愛の物語だ。一人の女が冬のエルサレムで、一人の男 に出会う。男と女は結婚し、二人のあいだを静かな日々 が過ぎさってゆく。けれでも、二人の静かな日々は、ほ んとうは、何もかもすっかりとりかこまれていたのだ」。

長田の指摘するように、この作品から受ける印象は「と りかこまれている」ことによる息苦しさだ。

南の砂漠地帯にあるキブツに長く住むオズの、あるイ ンタヴューでの発言を長田は紹介している。

キブツでは、日々をかたちづくっているものがく っきりとみえる。日が沈めば暗闇がやってくる。そ の静かな日々をささえているのは、危険の感覚だ。

危険の感覚は、イスラエル人の基本的な感情だ。ぼ くらはそれを分かちあっている。ぼくらのキブツに は十九カ国からやってきたひとたちが住んでいる。

誰もがめいめいの物語を生きて、ここにやってきた のだ。

わたしたちにできるのは、黙って立ち、じっとみ つめること。ただそれだけだ。黙って立ち、じっと みつめること。

先に「言葉のむこうに目撃した、世界の同時代の感受

(3)

性の光景を書きとめておきたい」という長田のことばを 引用した。『わたしのミハエル』という言葉のむこうに、

私たちは中東という厳しい現実を生きる「同時代の感受 性の光景」を目撃し、「なお果たされていない友愛への 渇き」を読むことが許されるのではないだろうか。おそ らくオズは今も、包囲された地に黙って立ち、じっとみ つめている。なお、長田の指摘、そしてオズ自身の発言 は、『地下室のパンサー』(1995)の読みにも大いに示唆 を与えてくれる。これについては後に触れる。

『暴力に逆らって書く』(2003)は、1995年から2002 年にかけて作家大江健三郎と、大江の敬愛する海外の作 家や研究者、ジャーナリストとの間に朝日新聞夕刊上で 交わされた往復書簡を一冊にまとめたものである。大江 とオズは1998年7月から9月の間にそれぞれ2通書い ている。イスラエルの困難な現実を生きてきたオズは、

ここで、世界に吹き荒れている狂信主義の治療法として ユーモアのセンスを挙げる。かれは言う「私は六七年と 七三年の二度、戦争に行きました。そうして、一番の危 険は銃や爆弾ではなく、政府や軍でもなく、人間の心―

―攻撃性、狂信主義、独善性、過剰な献身、想像力の欠 如、人の話をきく耳をもたないこと、笑いの欠如、とく に自分たち自身を笑えないことだという結論にいたりま した」。

また、オズにとって「妥協は人生と同意語」だという。

四国とほぼ同じ面積の地にユダヤ人とパレスチナアラブ 人がひしめき合い対峙する国イスラエルに住む人間の口 から出るこれらのことばは、深い説得力をもって響いて くる。オズの作品や行動の底に流れる態度は「寛容」で ある、と大江は指摘する。

イスラエルの地に黙って立ち、じっとみつめるオズの 発する「妥協は人生と同意語」ということばから私たち は、安易な理想を掲げていられない国に住む人間の冷徹 な目と意思を思う。また、「自分自身を笑う」という精 神に、過酷な現実を生き抜く人間の知恵を思う。狂信主 義の対極に身を置くオズは良心の人である。

二章 『地下室のパンサー』の梗概とテーマ

『地下室のパンサー』(1995)は、イスラエルが独立す る(1948年5月)前の年の夏のエルサレムを舞台とした オズの自伝的中編小説である。主人公(=語り手)は 1994年の今と1947年当時を自由に行き来して語ってい る。エルサレムのアパートに両親と暮らす主人公は、同 級生2名(ベン・フルとチータ・レズニーク)と「地下 室のパンサー」という地下組織を結成、夏休みの日がな 一日、イギリス軍追放のための作戦を練っている。ある 朝、仲間から「卑劣な裏切り者」のレッテルを貼られる。

理由は、イギリス軍のダンロップ軍曹と交流を始めたこ

と。「卑劣な裏切り者とは何か?」「卑劣でない裏切り者 が存在するのか?」という問いから物語は展開していく。

父は、校正の仕事で身を立てながら、ポーランドのユ ダヤ人の歴史について著述すべく夜中まで資料の収集に 余念がない。ナチスによる悲劇を二度と繰り返さないた めにはユダヤ人は強くあらねばならぬ、との信念を父は もっている。

仲間から裏切者呼ばわりされた主人公を、母は「愛が あれば裏切り者じゃないわ」(1章P7)とかばう。ウク ライナの少女時代をなつかしむ母は、「許す」ことの大 切さを主人公に語る。

主人公は「言葉を追いかけ、巧みにならべることに心 をくだいている」(6章P41)。語り手でもある主人公の 言葉への執着が、この物語をレトリカルな表現に満ち溢 れた作品に仕立て上げている。

作品のテーマは「許し」である。ユダヤ人はイギリス やドイツを許すのか。同級生の姉の着換える姿を偶然垣 間見てしまった主人公は許されるのか。イギリス人のダ ンロップ軍曹を好きになった主人公は許されるのか。

「裏切り」を許すとは。

テーマは重く不幸な出来事も起るが、『地下室のパン サー』の読後感は明るい。これは、作品の執筆された年

(1994〜1995)といささかなりとも関係しているのでは ないか。1993年9月、ワシントンのホワイトハウスで クリントン大統領立会いの下、イスラエルのラビン首相 とパレスチナ解放機構のアラファト議長が握手を交わし た。ラビン首相は「We say to you today, Enough of the blood, enough! 」と宣言している。3 インティファー ダの泥沼から脱し、イスラエルは平和への歩みに向かっ た。その時期に書かれたのが『地下室のパンサー』であ る。作品はパレスチナ問題とは無関係だが、ようやく光 の差し込んできた中で執筆された作品に、その明るさが 間接的であれ投影されたとしても不思議ではない。しか しこれは印象の域を出ない。作品そのものからの立証が 必要である。

作品の明るさあるいは暗さと、その作品の書かれた時 代の作者を取り囲む状況の関係に関して興味深いのはオ ズの初期の作品『わたしのミハエル』(1968)である。

先に紹介したように、1967年の第3次中東戦争(六日 間戦争)にオズは従軍、エルサレム入場を体験している。

その体験についてのオズの発言をアモス・エロン『エル サレム』(1998)は紹介している。

小説家アモス・オズはそのとき従軍中だった。戦 いが終わった翌日、自動小銃を肩からつるし、軍服 のまま東エルサレムの旧市街を歩きまわった。敵を 負かし、祖先の都をとりもどした者の感激にひたり たかった。みんなといっしょに祝いたかった。「だ が、そこには人が暮らしていた。そこはかれらの<

(4)

家>で、ぼくは<侵入者>だった。

(P118-119)

翌年に出た『私のミハエル』は、40年代後半から50 年代前半のエルサレムを舞台とした、二人の若者の出会 いと結婚、そして崩壊の作品である。主人公の女性ハナ は、テロリストして夢に登場する幼なじみのパレスチナ アラブ人に共感を覚える。長田弘の指摘するように、こ の作品は「果たされていない友愛への渇き」を表現して いるのではないか。ユダヤ人とパレスチナアラブ人との 友愛だけを言うのではない。ハナと夫ゴネンとの、人と 人との友愛への渇きである。

作品と時代・状況とを直接に結びつけることの妥当性 については無論慎重でなければならない。『地下室のパ ンサー』の「訳者あとがき」で村田靖子は「多くの場合、

評者はアモス・オズの作品を政治寓話として読む誘惑に かられる。六日間戦争以前の、二つに分断され、緊迫し たエルサレムを舞台にした初期の秀作『わたしのミハエ ル』の場合は、包囲状態のイスラエルの不安と揺れが、

主人公ハナの精神の崩壊として表現されていると解釈さ れた。(略)こうした解読を示唆されるたびに、オズ自 身は執拗にいいつづけてきた――わたしが書きたいのは 人間だ、と」(P186-7)と述べている。『わたしのミハエ ル』や『地下室のパンサー』を政治寓話と片付けてしま っては、個々の描写とそれを支えるひとつひとつのこと ばが死んでしまう。事情は『動物農場』『1984年』(ジ ョージ・オーウェル)や『すばらしい新世界』(オルダ ス・ハッククスリ)、『華氏451度』(レイ・ブラッドベ リ)についても同様である。オズの二作を政治寓話とし て読むのは惜しい。ただ、作品の色調(明暗。『私のミ ハエル』はひたすら暗く、『地下室のパンサー』は明る さと余裕をもつ)を書かれた時代と関連づけるのは許さ れるのではないか。イスラエルという、「言葉が包囲さ れている」(長田(1982:P221))場所にあっては特に。

具体例に基く検証が必要なのは言うまでもないが。

三章 レトリック表現:登場人物

『地下室のパンサー』の最大の魅力はことば遊びであ る。オズの筆にかかると登場人物や事物が精彩を帯びて くる。この作品のいたるところに見出される「発見的認 識の造形」(佐藤信夫)や「恐るべき表現の力」(小島ゆ かり)を生んでいるのは主人公(=作者)の「創造的な 言語感覚」(佐藤信夫)、ことばへの執着であり、その結 果、私たちは「しばしば名状しがたい光景」(佐藤信夫)

に向き合うことになる。以下、順にみていく。

三章一節 ことばへの主人公の執着と創造的な言語感覚 先に、ヘブライ語にはない「現在進行形」の語尾

-ing に対する主人公の鋭い感受性とその言語化をみ た「かるーくカチンとグラスがふれあう音を想像し、現 在進行形のかすかな響きが遠くへ、もっと遠くへと漂っ てゆき、しだいに弱まり、ますます幽かな音になりなが ら喜ばしき進行形のまま彼方に消えてゆく」(11章P67- 8)。進行形の一例として patting (=肩などを手の平で 軽くたたく)を想像してみる。patting は人から人への 感情の伝達行為である。励ましや友愛の情が行為者の心 に起こり、やがて行為に移される。行為者の手の平と相 手の肩とが軽くふれあう。まもなく手の平は肩からはな れる。行為は視界から遠のく。彼方に消えてゆく。しか し、行為者の情は受け手の心に確実に伝わり、残る。オ ズの記述に誘われ、そのような光景を思い浮かべてみる こともできそうだ。4

裏切者(ヘブライ語で「ボゲッド」)呼ばわりされた 主人公が「ボゲッド」と「ベゲッド」(=衣)との関連 を想像する場面がある(5章P38)。音で結びつけられ た両者をイメージでつなぐのは「羊の衣をかぶった狼」

という表現である。さらに連想はつづく。

・文法の授業でbgd kpt(ベゲッド カフェット)と いう子音について習った。5

・ ベゲッド(=衣)カフェット → ボゲッド(=裏 切者)カフェット

・「カフェット」(=子音列)→「カファット」(=

縛る)

・ベゲッド カフェット(=子音列)→ ボゲッド カ ファット(=裏切者 縛る)

・縄で縛られ、うつむいてしゃがみ、恩赦の望みも なく刑罰が下されるのを待っている裏切者の姿が 目に浮かんだ。

『地下室のパンサー』の主人公はことばに生きる人間 である。

三章二節 父と書斎:亡きユダヤ人たちへのレクイエ ムを

世が世なら研究者の生活を送っていたであろう父は、

小さな出版社の校正係と編集補佐を務めながら、「夜は 毎晩、二時、三時まで本棚の影に囲まれて机にむかい、

(略)ポーランド・ユダヤ人の歴史について書こうとし ていた。大著の準備に余念がなく、紙切れやカードにせ っせとメモをとっていた」(2章 P8- 9)。ポーランド・

ユダヤ人の歴史の著述へと父を駆り立てるのは、過酷の 人生を強いられた同胞たちへの哀悼の心だろう。夜中の 三時まで机に向かい、朝八時には職場に向かう父の睡眠 を削っての奮闘を、語り手は登攀と掘削の直喩(「類似 性」を基にしてあるものを別のあるものになぞらえる文 彩)と隠喩(「AはBのようだ」の形をもつ直喩に対し、

「AはBだ」と表現する形式)、そして諷喩(直喩や隠喩

(5)

で導入されたあるイメージに沿って展開される表現形 式)を用いて描いている。6

・紙切れやカードにせっせとメモをとっていた。そ うやって、机の上に積み上げた本の山のあいだの 険しい峡谷を、懸命に攀じ登ろうとしているかに 見えた。 (2章P8- 9)

・父はこちらに背を向け、ひとりだけ机の電気スタ ンドの光の輪のなかにすっぽり入って、本とカー ドのあいだに埋もれ、万年筆で静寂を引っかくよ うな音をたて、ちょっと中断し、ためらい、それ からまたトンネルでも掘っているような、カリカ リいう音をたてた。 (4章P30)

ナチスの悲劇を二度と繰り返さないためにはユダヤ人 は強くあらねばならぬ、と父は力説する。自らも強くあ るために父はしばしば断言の口調で息子に接し、母に諌 められる。そんな父に時に反発しながらも、無残に命を 絶たれたユダヤ人たちへのレクイエムを記そうと毎夜刻 苦勉励する父を主人公は尊敬する。そして、書物の中に 分け入り身を削るようにして父が資料を書き溜めている 書斎とそこの万巻の書に畏敬の念を抱く。

父の書棚は、まず主題、分野、言語で区分され、

それからさらに、著者のアルファベット順に並べる という鉄則で整理されていた。父の図書のなかでも いちばんお偉方、陸軍元帥、大将、つまり背筋がピ ンと張るほど尊敬の念をわたしに抱かせたのは、豪 華な革表紙で装丁された、ずっしり重い極めて貴重 な本だった。(略)こうした本はわたしの王子、公 爵、伯爵、男爵だった。(略)旅団長、連隊長(略)

下層民の民兵たち(略)下の下といえるもの、本で ないもの――パンフレットや抜き刷り、ビラなどが ごちゃごちゃに混ざった物乞いたちの大群衆が父の 書棚の最下層をなしていた。本棚のいちばん下に身 を寄せ合っている、こういうがらくた同然の者たち は、いつの日か父が不要出版物のための施設にでも 送ってくれるのを待っていたのだ。それまでの間、

かれらは権利があるからでなく、親切にすがって、

一時的に、山と積み上げられ、ぎゅう詰めにされて ここに寄留していたのだ。 (17章P110-112)

「本棚のいちばん下に身を寄せ合って」、「ぎゅう詰め にされてここに寄留して」いる本でないもの。人間であ ることを否定され、「ぎゅう詰めにされて」汽車に乗せ られ収容所に追い立てられたユダヤの民が二重写しにな る。

辞書を閉じた。頭がクラクラした。このリストは まるで深い森だった。そこにはたくさんの二又にな った道がはしっていて、そこからまたどんどん小径 が分かれ、密生した茂みのなかに消えてゆき、くね くね曲がりくねったかと思うと、またしばらくのあ

いだ一本になり、それからふたたび分かれ、無数の 隠れ場へとはしっている。洞穴もあれば、下草、迷 路、蜂巣のようなこじんまりした場所、割れ目も峡 谷もある、驚異と不思議にみちた森。 (3章P15)

ここで繰り広げられる諷喩表現は作品中もっとも印象 深いもののひとつである。一冊の辞書に「割れ目も峡谷」

もあるという。その峡谷を父は「懸命に攀じ登ろうとす る」。

三章三節 母:ぬくもりとしての追憶

母の生き方は父と対照的だ。強くあらねばと力説する 父に対し、母は受け入れることの大切さを主人公に諭す。

確信に満ちた口調に終始する父のそばで、懐疑のまなざ しを保つ母。過酷な過去に母は光とぬくもりで抗しよう とする。

・母はといえば、父とは真反対で、飲みかけの紅茶 カップをもちあげ、それを窓の青い光にかざして 透かしてみるのが好きだった。そうして、ときた ま、触れたときのかすかな温もりを大切にとりこ もうとするように、カップを頬にあてていること

もあった。 (2章P8)

・母は夏だというのに、紅茶の入ったグラスを両手 でつつみこむようにして、その温かさを逃すまい としていた。 (12章P75)

母が故郷ウクライナの文化や自然、風物をいかに恋し がっていたかは、次の文に示される。

母が悲しがっているのも知らずに、(父は)いろん なことを言った。たとえば、カルパティア山脈とか、

鐘楼。それに、オペラ、馬車、バレー、天上蛇腹

(コーニス)、時計広場。 (12章P76-7)

断ち切られたウクライナの生活を象徴的に物語るのが

「鎧戸」の思い出だ。これについては章をあらためて取 り上げる。

母はいつも「わたし(=主人公)には聞こえない何か にじっと耳をすませて」いる(4章P30)。7

三章四節 ダンロップ軍曹:敵であれ味方であれ ある日地下活動家としての隠れ場所を探しに出かけた 主人公は、夜間外出禁止令の始まる時間になおエルサレ ムの町をさまよっていた。突然光が向けられ、「まるで クラゲみたい」(7章 P46)な手に髪の毛を掴まれ、「お 粥みたいな」(同上)声で止まるよう命じられる。これ が、主人公とダンロップ軍曹との出会いである。この何 とも威厳のない頼りなげな警官を主人公はたちどころに 好きになってしまう。

・この男が敵のひとりだということを忘れたわ けではなかったが、それでも、手をさしのべ てやりたくなった。握手するためではなく、

(6)

支えてやるために。よちよち歩きの子か、目の 見えない人に手をさしのべるように。(16章P99)

・この警官のピストルは、腰の位置にきちんと下が っていなくて、ベルトが少しずれ、お尻のあたり にきていた。警官が足を進めるたびにブラブラし て、まるできっちり閉まらないドアみたいに、ト ントン軽く警官を叩いていた。 (7章P49)

・暗闇のなかで、ダンロップ軍曹がぼくを見て微笑 んでいるのがわかった。ドジだが気だてのいい犬 に、涎をたらす舌でペロペロやられてるみたいな 感じだった。 (7章P51)

聖書ヘブライ語を話すダンロップ軍曹と主人公は英語 と現代ヘブライ語を互いに教え合うことになった。ダン ロップ軍曹は聖書ヘブライ語を愛し、ユダヤ民族を愛し ている。その思いは主人公にすなおに伝わる。主人公は ダンロップ軍曹に友愛を感じ、主人公もダンロップ軍曹 に友愛を感じている。二人に私たちは「果たされた出会 い」を、出会いの萌芽をみる。8

三章五節 家宅捜索と茶色の小包

ある日、父が「茶色い紙に包んだ小さな物」を持ち帰 る(17章 P107)。反イギリス活動に関わる書類らしい。

父はこれを本棚の中に紛れ込ませる。主人公はこれが気 になってならない。それを見透かしたかのように、「本」

は主人公に攻勢をかける。

茶色い包み――ポーランド語訳の珠玉の文芸作品 に化け、書棚の上で居眠りしているその包みは、パ ンドラの箱のようにぼくを蠱惑(こわく)した。

はじめ、誘惑は遠慮がちでかすかなものだった。

ぼくがいったい何をしたいのか、暗にほのめかすこ とさえ、しようとはしなかった。それが、しだいに 大胆になり、はっきりしてきて、ぼくのサンダルの 爪先のへんをチロチロ舐め、手のひらをくすぐり、

厚かましくも大声でぼくに呼びかけ、恥知らずにも、

ぼくの袖を引っ張るようになった。 (18章P124)

抗しきれず、少年は手に取る。

それからしばらくして、家宅捜索があった。「本」が 見つかるのでは、と主人公は気が気でならない。不安を 増長するかのように、「本」はさかんに自己顕示をする。

・あんな馬鹿な所に隠すなんて。ぜんぜん隠してな んか、ないじゃないか。うす茶色の紙に包んだ物 を、もう少し濃い茶色の表紙の本のあいだにつっ こんだだけだ。ほかのより厚いし、幅も広いし、

背も高いから、くっきり目立つ。麻袋をかぶって 尼さんたちの行列に紛れこんだ山賊みたいなもん

だ。9 (19章P131-2)

・その包みは、なぜか、夜のうちにやけに目立つよ うになっていた。まるで、高校の朝の出欠とりの

ときに、どういうわけかまぎれこんで立っている 間抜けの兵士みたいに、ポーランド語の珠玉世界 文学選集のあいだに立っていた。 (19章P131-2)

・とつぜん、あの茶色の小包みは裏切者になりたい 衝動に屈したみたいだった。乳歯に混じった牙さ ながら、まるで場違い。色も高さも厚さも、ほか の本とは違い、ならんだ本のなかで、とくべつ目 だって見えた。 (19章P140)

家宅捜索の深刻と茶色の包みの行動の引き起こす滑稽。

家宅捜索後程なく、包みは書斎から消えた。「消えてな くなった」(19章P143)と訳されている語(hitnadef)

には「匂いがなくなる」という意味もある。「快い匂い が漂って」(17章P112)いる書斎から一つの匂いがな くなった(=姿を消した)。10

四章:通奏低音としての「トリース」という語

以上、人物やできごとの描写により直喩や隠喩、諷喩 表現が物語りに厚みを与えている様をみた。これらとは 趣を異にするレトリック表現がある。物語全体に深く関 わる表現である。その例を村上春樹『アフターダーク』

(2004)の冒頭にみることができる。

目にしているのは都市の姿だ。

空を高く飛ぶ夜の鳥の目を通して、私たちはその 光景を上空からとらえている。広い視野の中では、

都市はひとつの巨大な生き物に見える。(略)時刻 は真夜中に近く、活動のピークはさすがに超えてし まったものの、生命を維持するための基礎代謝はお とろえることなく続いている。都市の発するうなり は、通奏低音としてそこにある。(略)

私たちの視線は、とりわけ光の集中した一角を選 び、焦点をあわせる。(略)派手な外装を施した黒 のワゴン車が、街の品定めをするようにゆっくりと 通りを流している。真っ黒なフィルムが貼られた窓 ガラス。それは深海に生息する、特別な皮膚と器官 をもった生き物を思わせる。

冒頭の大都会の夜の描写の中でも「深海に生息する、

特別な皮膚と器官をもった生き物を思わせる」黒のワゴ ン車は、都会の夜を支配する不気味さの象徴として機能 している。この作品では夜更けから明け方にかけ幾人か の人間の行動が描かれるが、どの行動もその背後に得体 の知れない不気味なものを感じさせる。物語り全体がこ の不気味さに支配されているといってよい。物語り全体 を支配する不気味さという色調を、引用文中のことば

「通奏低音」と言い換えてもよい。黒のワゴン車は、こ の物語の通奏低音の役割を担っている。

『地下室のパンサー』で通奏低音、すなわち物語全体 の色調を整えているのは、「シャッター」や「鎧戸」、

(7)

「ブラインド」、そして「覗き穴」を意味する「トリース」

という語である。窓を表すギリシャ語thyris から来た語 で、聖書時代以後にヘブライ語に入っている。「トリー ス」には他にshield という意味もある。外界から守る ものというイメージをもつ語である。

この語は三種の場面で登場する。まず、主人公の家の

「鎧戸」。

朝食がすむと、仕事に行く両親はバスに乗り遅れ ないように、慌ただしく家を出た。それから夕方ま で時間は洋々とひろがり、わたしは自由そのものだ った。夏休みだった。

まず最初にテーブルの上のものを冷蔵庫、戸棚、

流し、とあるべき場所にきちんと片づけた。わたし はとくに何をするでもなく、一日中ひとりで家にい るのが好きだった。食器を洗い、水がきれて自然に 乾くように、ふせておいた。それからアパート中の 窓と鎧戸を閉めてまわった。そうすれば、アパート のなかは夕方までひんやりしているからだ。太陽の 光と砂漠からの砂埃は壁の本棚にならんだ父の本を 傷めるもとだった。 (2章 P8)

主人公は夏休みの長い一日、両親が仕事から帰るまで アパートで過ごし、「地下室のパンサー」としてイギリ ス軍追放の作戦を練ったり、四方を書籍に囲まれた父の 書斎の本を取り出し、まだ読めないさまざまな外国語に 思いをはせたりしている。鎧戸は主人公の住むアパート を外の暑さと砂漠からの砂から守っている。と同時に、

外を支配するイギリス軍の侵入を遮断し、「ことばの人」

としての主人公の自由な想像の飛翔を保障する。アパー トの「鎧戸」は、以後何度か登場する。

次に、「鎧戸」は母の思い出に深く関わる。

うちには鉄則のような申し合わせがあって、父か 母が十時十五分きっかりに、ベッド脇の電気をきち んと消したかどうかたしかめに、わたしの部屋にき た。母は五分か十分いてくれた。わたしのベッドの 端に腰をおろして追憶にひたった。まだ八つの小さ な女の子だったころ、ある夏の朝、ウクライナの小 さな川の畔の、粉ひき水車小屋のかたわらにすわっ ていたことがあるの、と話してくれた。水面(みず も)には、ところどころにアヒルがいた。川はこん なふうに曲がって、森のなかに消えていったのよ。

川はいろんなものを運んで、森のなかに消えていっ た――はがれた樹皮とか、落ち葉とか。水車小屋の そばに、壊れてはずれた鎧戸が落ちていた。水色の ペンキが塗ってあった。母はその鎧戸を流れのなか に放りこんだ。森のなかからやってきて、また森の なかへと消えてゆくこの川は、森のなかで何度か曲 がって、ぐるりと回ってくるにちがいない、と幼い 少女だった母は思った。それで、二時間、いや三時

間もそこにすわって、鎧戸がぐるりとひと巡りして、

またあらわれるのを待った。だが、もどってきたの はアヒルだけだった。(略)

翌日もまた、川の畔りで待ったけれど、水色の鎧 戸はもどってこなかった。それから毎日のように、

少女は川辺にすわり三十分か、一時間ばかり待った。

(略)ひょっとしたら、一九四七年のエルサレム―

―夜間外出禁止令のなかで、わたしのベッドの端に かけていた、まさしくそのときも、母の少女時代の その水色の鎧戸は、まだウクライナのどこかに浮か んでいたかもしれない。 (12章 P77)

母は生まれ育ったウクライナでの思い出を大切にする 人である。母の思い出の象徴が「川を流れる鎧戸」だ。

もどってこなかった鎧戸は、ナチスゆえに故郷を去るこ とを強いられた母にとっての、もどってこないウクライ ナでの暮らしだ。母のこの話は主人公に忘れられないエ ピソードとしてリフレインされる。物語の最後の文章を 引く。

「おきたことの反対は、嘘と恐怖が邪魔しなけれ ば、おきたかもしれないことよ。」ヤルデナのこ の言葉で、わたしの思いはまたあの夏の終わりに もどった――ヤルデナのクラリネットの音に、チ ータの二人の父親、母親が死んだあと、いっしょ にあそこで暮らしはじめた二人に、屋上で雌鳥を 育てていたラザルスさん、数年後に再婚する気に なり、濃紺の三つ揃いを仕立て、結婚式と菜食主 義料理の披露バーティーにわたしたちみんなを招 待して、それからとつぜん屋上から飛び降り自殺 をしてしまったラザルスさんに、PC四四七九に、

地下室のパンサーに、ベン・フルと、それからロ ンドンに飛ばさずに終わったロケットのことに、

それから、今でも流れにのってぐるりと巡って水 車へと漂いつづけているかもしれない水色の鎧戸 に。何の関係があるかって?説明はむずかしい。

(25章P181-2)

ここで、鎧戸以外は、1947年の夏主人公の少年の身 近で生きた人たちと彼らのその後の話だ。ただひとつ鎧 戸は、1947年の夏に主人公の母が主人公に伝えた、ウ クライナの大切な思い出。母のただ一度の思い出話を主 人公はなぜ繰り返し思い出すのか、「説明はむずかしい」。

言えるのは、母の鎧戸が読者にも繰り返し思い出される ことだろう、ということだ。

「トリース」という語が顕れる三つ目の場面は次のよ うだ。

わたしの記憶にあるイギリス統治下最後の夏の エルサレムはこんなふうだった。起伏にとむ丘陵 地帯にひろがる石の都市。都市というより、アザ ミが生え、岩がごろごろした原っぱが境界線の、

(8)

ばらばらの居住区の寄せ集めといったほうがいいか もしれない。イギリス軍の装甲車がときたま通りの 角にとまっていたが、開閉できる細長い覗き穴は、

まるで太陽の光に眩んだ目のように、ほとんど閉じ たままだった。そして、前方に突き出した機関銃は、

「おい、おまえっ!」と、指をさしているかに見えた。

(4章P18)

「トリース」は「鎧戸、シャッター、ブラインド」を 指すと同時に「(装甲車の)覗き穴」の意味ももつ。覗 き穴の内側には、夏のエルサレムを歩くユダヤの人たち の一挙一動を窺うイギリス兵士の姿がある。覗き穴(ト リース)は外界、ユダヤの人たちの喜びや悲しみと、イ ギリス人兵士の人間としての心の触れ合いを拒絶する。

「装甲車の覗き穴」という語は、物語の中でただ一度顔 を出すだけだが、装甲車は休むことなくエルサレムの町 を徘徊していただろう。11 物語全体の中で果たす役割は

『アフターダーク』における「深海に生息する、特別な 皮膚と器官をもった生き物を思わせる」黒のワゴン車に 等しい。悲願の独立国家の形成へと日夜路地裏を走り回 る人々を覗き穴から冷ややかに見据える装甲車の中の人 間。ユダヤの人たちはいつも見張られ、取り囲まれてい る。次の記述がある。

夜、電気を消してから、いつも暗闇のなかで耳を すませた。壁の外には、何もない、悪意にみちた世 界が広がっていた。うちの庭――石榴の木があり、

その下にわたしがマッチ箱でつくった村がある馴染 みの庭さえも、夜になると、もうわたしたちのもの ではなかった。夜間外出禁止令のもの、邪悪(よこ しま)な霊のもの。地下活動家たちの一団が、あち こちで、命懸けの使命をおびて庭から庭へと前進し、

イギリス軍のパトロール隊はサーチライトと警察犬 を携え、がらんとした通りを歩きまわった。スパイ 警官、裏切者たちが、頭脳戦をくりひろげた。網を 張り、狡猾な待ち伏せを企んだ。空っぽの舗装道路 は、ぼんやり輪のかかった青白い街灯の光に照らさ れていた。わたしが住んでいた通り、建てこんだそ の一画のむこうでも、人気のない幹線道路、通り、

狭い路地、階段、アーチ道が、どれもこれもすっか り暗闇につつまれていた。いたるところに目がある

闇。 (12章 P71)

「いたるところに目がある闇」。この目は闇の中でのみ 生じるのではない。エルサレムの夏の明るい陽差しの中 にもある「開閉できる細長い覗き穴は、まるで太陽の光 に眩んだ目のように、ほとんど閉じたままだった」(4 章P18)。

三種類の「トリース」に共通するものがあるだろうか。

外の世界からの遮断としての「鎧戸」と母の追憶の「鎧 戸」、そして装甲車の「覗き穴」。「鎧戸」を閉じ家の中

に籠る限り、主人公はイギリス軍追放の計画を練ったり、

父の書斎の中の本を取り出し空想の世界にひたることが できる。「飲みかけの紅茶カップをもちあげ、それを窓 の青い光にかざして透かしてみるのが好きだった。そう して、ときたま、触れたときのかすかな温もりを大切に とりこもうとするように、カップを頬にあてていること もあった」(2章P8)、「夏だというのに、紅茶の入った グラスを両手でつつみこむようにして、その温かさを逃 すまいとしていた」(12章P75)、「揺り椅子にかけ、本 を読むか、本の開いているページを下向きにして膝の上 において、わたしには聞こえない何かにじっと耳をすま していた」(4章P30)という母は、1947年夏のエルサ レムにいながらどこか別の世界に身を置いているかのよ うである。おそらく、ウクライナへの追憶であろう。装 甲車の「覗き穴」の向こうにいるイギリス軍兵士は、独 立の夢の実現へ向け奔走するユダヤ人の前に立ちはだか る壁だ。以上をまとめると、三種類の「トリース」に共 通するもの、それは断絶、拒絶であり、遮断だ。長田の いう「友愛」と「出会い」(=他者と現実の受け入れ)

の拒否だ。

その一方で、主人公と母、あるイギリス軍兵士には

「断絶、拒絶、遮断」を乗り越えようとする行動と意思 も見られる。主人公はイギリス軍のダンロップ軍曹に出 会い、軍曹の人間性に惹かれる。「でも、最後の最後に は、敵を許すの、許さないの?」と主人公に訊ねられた 母は、「いいえ、許すわ、許さないなんて、まるで毒じ ゃないの」(14章P90)と答える。また、ダンロップ軍 曹以外にユダヤ人に人の心をもって接するイギリス軍兵 士として、全面外出禁止令の中主人公の家に家宅捜索に 来た若い将校と兵士を私たちは知っている。12

ここで私たちは「なお果たされていない友愛への渇き」

(長田弘)ということばを思い出す。『わたしのミハエル』

と同様『地下室のパンサー』も、二十世紀という時代の 読みかたをおしえてくれる本であると評価できる。「ト リース」は、「なお果たされていない友愛への渇き」を 象徴的に表す語である。

一度でいい、みんな――ダンロップ軍曹、母、

父、ベン・グリオン、ベン・フル、ヤルデナ、大法 官ハッジ・アミン、ギホン先生、地下組織のリーダ ーたち、ラザルスさん、高等弁務官も、チータと その母親も、二人の父親もぜんぶ――がオリエン ト・パレスの奥の部屋に、集まって、一時間か、二 時間話しあい、とことん理解しあって、妥協し、

和解し、互いを許しあってみてはどうだろう?水 色の鎧戸がもどってくるかもしれないから、みん なでいっしょに川の畔へ行ってみたらどうだろ

う? (16章P105)

(9)

五章 結論:比喩に彩られた世界

許しと友愛とを主題とし、1947年夏のエルサレムに 繰り広げられる『地下室のパンサー』。

一つひとつの光景を私たちは眼前にみる。私たちは今 から半世紀以上前の遠くエルサレムの夏に身を置いてい るかのような思いを抱く。ある時、ヤルデナ(主人公の あこがれる、同級生の姉。二十歳)が主人公に向かって

「あんたが何か説明すると、その様子がありありと目に 浮かぶ」と言う場面がある。(20章P158)逐語訳は「あ なたの話すことをそのまま見ることができる」である。

これまで紹介してきた多くの例は「そのまま見ることが できる」ものばかりである。

他の人間が「そのまま見ることができる」ためには、

作者の側の「創造的な言語感覚」(佐藤信夫)が要請さ れる。テーマへの共感は必ずしも作品への共感とはなら ない。作品への共感は作品を支える個々の描写への共感 の積み重ねから生まれる。その事実をオズのこの作品は 示している。一例を挙げる。早朝、装甲車から突然「家 宅捜索」の通知を他の住民とともに受けた時の恐怖を記 した文である。

あの戦慄は、忘れようにも忘れられない――ドキ ドキする心臓のまわりを冷たい鋼鉄の輪がしめつけ てくるような感じ。 (19章P131)

逐語訳は「あの恐怖のつかみ(あるいは「つねり」)

を私は忘れない。ばたばたもがく心臓の回りに冷たい鋼 鉄の輪がぐいぐいと締めつけられる」となる。ここで

「ばたばたもがく」(pirper)という動詞の同族語に「蝶」

(parpar)がある。作者は「冷たい鋼鉄の輪にしめつけ られドキドキする心臓」を「わなにかかりばたばたもが く蝶」になぞらえている。

『地下室のパンサー』の魅力のひとつは、ことばの力 である。比喩(特に直喩と暗喩、そして諷喩)に彩られ た作品世界である。最終章の冒頭も、比喩に託しての物 語の締めくくりとなっている。

わたしたちの話というのは、こうしたもの――闇 からきて、しばらく彷徨(うろつ)き、また闇にか えってゆく。 (25章P180)

「彷徨き」の原意は「回転する」である。

六章 今後へ向けて

テーマの重さはさておき、『地下室のパンサー』の読 後感として明るさを指摘できること、それはダンロップ 軍曹への友愛や、許そうとする意思と関わることを先に 見た。しかし、この作品の通奏低音として、エルサレム の街に配置されている装甲車と、その覗き窓から人々の 行動をじっと窺うイギリス兵士の存在を忘れることはで

きない。長田弘の指摘する「とりかこまれている」とい う状況から自由にはなれない。その点で『地下室のパン サー』と『わたしのミハエル』は連続している。それを 示すのが次の例だ。

こんな夜、エルサレムを囲む丘陵は常闇(とこや み)の山。丘のむこうにはいったい何があるのか?

尖塔(ミナレット)のまわりに肩をよせあった石造 りの村。狐やジャッカル、ときにはハイエナも徘徊 する、虚ろの谷。血に飢えた盗賊たち。さらに、古 えの日々から甦った憤怒に燃える亡霊たち。

(12章P72)

エルサレムに終わりはない。(略)東の方でタル ピオットにつづいているユダの荒野(あらの)から、

青みがかった靄がのぼってくる。靄はタルピオット の小さな瀟洒な家々を、そして松の木が影を落とし ている庭々を撫でてゆく。ベイト・ハケレム。吹き さらしの平野のかなたにぽつんと置き去りにされた 小さなこの村は、岩だらけの平地に囲まれている。

孤立した丘の要塞、バイト・ヴァガン。そこでは、

一日じゅうよろい戸を閉ざしたままの窓の奥からバ イオリンの音が響き、夜には南の方でジャッカルが 吠える。陽が沈むと、レハヴィアのサアディア・ガ オン通りには張りつめた静寂がたちこめる。

(『私のミハエル』20章P97)

夜になるとエルサレムを囲む丘陵やその向こうの 村に徘徊し吠えるジャッカルは、装甲車に呼応して 不気味さを掻きたてる。

一方で、自伝的小説である『地下室のパンサー』

は、当然のことながら、自伝である『愛と闇の物語』

(2002)につながる。

・書棚のおかげで、部屋はだいぶ狭くなっていた。

といっても、はじめからたいして広い部屋ではな い。何列もならんだ本の下に両親のベッドがあっ た。夜、寝るときに開き、朝になって、本を閉じ るようにマットレスをなかにして閉じると、緑色 のカバーのソファになった。ソファには刺繍をし たクッションが五つあった。 (17章 P122)

・私は小さなアパートの一階に生まれ育った。(略)

両親は引き出しつきのソファを夜はベッドに使っ た。ベッドはほとんど部屋全体を占める。朝、ベ ッドをたたみソファに戻す。(略) 刺繍をしたク ッションをソファに並べる。(『愛と闇の物語』冒 頭)

『地下室のパンサー』の最終章で、家族の生命をナチ スに奪われエルサレムに逃れて来たラザルスさんが自ら 命を絶ってしまう。現実には、オズの母がオズの12歳 のとき、すなわち、『地下室のパンサー』の主人公の年 齢で、ウクライナへの郷愁を忘れられずに自殺する。

(10)

『地下室のパンサー』の脚色と『愛と闇の物語』のドキ ュメントの対照を通し、『地下室のパンサー』を新たな 視点からながめることが可能となるだろう。

「なお果たされていない友愛への渇き」(長田弘)とい う観点から『わたしのミハエル』(1968)『地下室のパン サー』(1995)『愛と闇の物語』(2002)を通観してみた い。まずは、『地下室のパンサー』と『愛と闇の物語』

の読み合わせから。

1 『地下室のパンサー』の引用は村田靖子氏の日本語訳に よる。

2 長年の文学上の功績に対し、オズはこの夏ガダー賞(ド イツ)を贈られた。ノーベル文学賞に次いで権威のある 国際的な賞の授与についてのイスラエル紙の報道を、イ リット・タピロさん(イスラエルからの留学生(ヘブラ イ大学東アジア学科卒。現在お茶の水女子大学で日本語 を学んでいる)から知らされた。タピロさんに感謝申し 上げる。

3 2年後(1995年11月)、ラビン首相はテルアビブの市役 所前の広場で狂信的なユダヤ教徒に暗殺される。夫を銃 弾で失ったレア夫人が家族に支えられ、その広場で毎シ ャバット(土曜)に平和を訴える集会を開く姿を「NH K特集」が取り上げた。

4 日が暮れた後にイギリス軍のダンロップ軍曹と主人公が 出会った際、軍曹はpatting に類した行動を取る。

一瞬、ぼくの背においていたその柔らかい手を襟首へ うつし、二、三度軽く、ポンポンと叩き、それからま た肩にもどした。父は滅多にわたしの肩に手をおかな かった。たまにそうするときは、「もう一度考えるん だ。理性的にじっくり吟味して、そう、それから考え なおしてもらおうか」と言いたいときだった。これに 反して、ダンロップ軍曹の手は、「こんな暗い夜は、

たとえ敵どうしでも二人いっしょのほうがいいよな」

と言っているような感じだった。(7章P53)

5 聖書ヘブライ語の時代、b, g, d, k, f, t は前に母音が現れ るかどうかで発音が異なった。現代ヘブライ語では、b, k, f の三語が変化する。

6 諷喩は長く「持続された隠喩」(クインティリアス)と されてきた(佐藤信夫『レトリック感覚』もこれを踏襲 している)が、野内(2005)はこの説の誤りを指摘して いる。ここで引用されている例は直喩から始まっている。

7 あるいはウクライナの鐘楼やオペラ、また馬車に乗る御 者の声に耳をすませていたのだろうか。

8 友愛とは信頼であり、信頼への確信である。投手の次の 行為はその一例となる。

一死一、三塁と一発逆転の場面で中軸を迎えた。それ でも、動じない。シーツの内角をシンカーでえぐる。

打球は自分の左横へ。伸ばしかけたグラブを引っ込め た。「後ろに守っているのは分かっていたから」。狙い 通りの二ゴロ併殺打。その後、打線が一気に爆発した。

(2005年日本シリーズ、ロッテ対阪神第二戦を伝え る朝日新聞(10月24日)の記事)

9 直喩の醍醐味に「類似関係を設定する」(佐藤信夫『レ

トリック感覚』(P48)というはたらきがある。ここはそ の例。

10 cf. 「書斎のまわりには、埃っぽいけれども、快い匂い

が漂っていた。(17P112

11 ある朝突然家宅捜索が告げられたのも装甲車からであっ た。

12 家宅捜索にやって来た若い将校は、「まるで礼儀正しい 小学生が先生にむかうように、恭しく父のほうをむい」

た。(19P136

参考文献

Alcalay, R:The Complete Hebrew-English Dictionary (New Enlarged Edition),1990

安部 望他:現代ヘブライ語辞典,キリスト聖書塾.1984 エロン・アモス:エ ル サ レ ム , 法 政 大 学 出 版 局 ,1 9 9 8

p.118-119

Klein, Ernest:A Comprehensive Etymological Dictionary of the Hebrew Language, Macmillan Publishing Company,1987

小島ゆかり:短歌入門,本阿弥書店,2002p.153 村上 春樹:アフターダーク,講談社,2004,p.4-5 野内 良三:日本語修辞辞典,国書刊行会,2005、p.332 大江健三郎:大江健三郎往復書簡 暴力に逆らって書く,朝

日新聞社,2003,p.75-97

長田  弘:私の二十世紀書店,中公新書,1982p.221- 223, 241-242

オズ・アモス:わたしのミハエル,角川書店,1977(原典は 1968),p.97

Panter Bemartef(地下室のパンサー),Keter,

1995

地下室のパンサー,未知谷書店,1998

Sipur al Ahava vexoshex(愛と闇の物語),

Keter,2002,p.5

佐藤 信夫:レトリック感覚,講談社,1978,p.254-255

参照

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